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日系キリスト教会の展開と日系キリスト教徒の意識 : カリフォルニア州サクラメントの事例

著者 中牧 弘允

雑誌名 国立民族学博物館研究報告

巻 8

号 1

ページ 73‑103

発行年 1983‑03‑31

URL http://doi.org/10.15021/00004462

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中牧  日系 キ リス ト教 会 の 展 開 と日系 キ リス ト教 徒 の意 識

日系 キ リス ト教 会 の 展 開 と 日系 キ リス ト教 徒 の 意 識       カ リフォルニア州サクラメン トの事例

The History of Japanese Christian Churches and the Consciousness of Japanese Christians in Sacramento, California, U. S. A.

Hirochika NAKAMAKI

This paper deals with two major subjects. The first is a report on the formation and development of five Japanese

Christian churches: Japanese United Methodist Church, Park- view Presbyterian Church, First Japanese Baptist Church, Meyhew Community Baptist Church, and Japanese Seventh-Day Adventist Church. The second is an examination of the religious and ethnic consciousness and reasons for conversion of both issei

(first generation) and nisei (second generation) Japanese Christi- ans.

The first discussion focuses on the function of Christian churches among issei Japanese and Japanese Americans. The second presents data concerning their religious and ethnic con- sciousness of family, church and social life.

は じめ に

1.日 系 キ リス ト教 会 の展 開 1.概

  2.  メ ソヂ ス ト

    1)  サ ク ラメ ン ト日本人 美 以 教会     2)  フ ロー リ ン日本人 美 以 教 会   3.プ レス ビテ リア ン

  4.  バ プテ ス ト

    1)第 一 日本 人 浸 礼教 会

    2)  メ イユ ー・ コ ミュニテ ィ浸礼 教 会   5.  セ ブ ンス デ ー・ ア ドベ ンチ ス ト

6.整 理 と補足

ll.日 系 キ リス ト教 徒 の意 識

  L  入信動機     1)一 世の場合     2)二 世の場合   2.宗 教意識

    1)社 会生活におけ る宗教意識     2)  教会生活 におけ る宗教意識     3)家 庭生活におけ る宗教意識     4)個 人 と宗教意識

  3.民 族意識

    1)民 族教会と してのキ リス ト教会     2>  日系キ リス ト教界 の民族的活動     3)結 婚 と民族性

おわ りに

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国立民族学博物館研究報告   8巻1号

は  じ  め  に

  本 稿 は サ ク ラ メ ン トに存 在 す る5つ の 日系 キ リス ト教 会 を 中 心 に,そ の歴 史 的展 開 と,そ こに所 属 す る 日系 キ リス ト教 徒 の 宗 教 的・民 族 的 意 識 を 検討 しよ う とす る もの で あ る1)。前 半 の第1部 は,教 会 の成 立 と展 開 にか か わ る制度 的 側 面 に重 点 を 置 き, 後半 の第 皿部 で は,信 者 の側 か らの 意 識 や ア イデ ンテ ィテ ィの 問 題 を 中心 に据 え る。

か つ て本 研 究 報 告 にお い て,ハ ワ イ の 日系 霊能 者 を と りあ げ,ア メ リカ的 生 活 を 送 る 日系人 に お いて もな お 強 く 日本 的 な民 間 信 仰 が継 承 され て い る問 題 を 論 じたが[中 牧 1980],今 回 は サ ク ラ メ ン トの 日系 キ リス ト教 徒 を と りあ げ,ア メ リカ の社 会 や 生活 様 式 に最 も同化 した と思 わ れ る者 に お いて す ら なお 尾 を ひ く宗 教 的・民 族 的 意 識 の 問題 を と りあ げ よ う と思 う。こ こに共 通 す る研 究 の 意 図 は,日 本 的 な 宗 教伝 統 が ど う継 承 され て い るか,ま た 新 しい 意識 に もとつ く日系 人 固有 の宗 教 伝 統 が ど う形 成 され て い るか,と い う ことで あ る。

  い うま で もな くア メ リカ本 土 に お いて は カ リフ ォル ニ ア州 とい え ど も 日系 人 は少 数 集 団 で あ る。し か も黄 禍 論 か ら強制 収 容 に いた る厳 しい排 斥 を 受 け た過 去 もあ る。た とえ ば カ リフ ォル ニア 州 を は じめ とす る西 部 諸 州 の 日系人 は,第2次 大戦 中 の 大部 分 を,強 制移 住 させ られ た 戦 時 収 容所 です ご した。そ して戦 後 再 び 戻 って きて 初 め か ら や り直 した歴 史 を もって い る。こ う した体 験 はハ ワ イの 日系人 とは随 分 異 な って いた。

ハ ワ イで は 日系 人 は多 数 派 を 占 め,陰 に陽 に差 別 はあ った もの の,戦 時 中 も一 部 の指 導 的 立 場 の 人だ けが 強 制 収 容 さ れ た にす ぎな い。こ の集 団 編 成 の 相 違 が ハ ワ イ と本 土 の 日系 人 の 問題 を解 く重 要 な鍵 の ひ とつ で あ る。

  さて,こ と 日系 人 の 宗 教生 活 に 関 す る限 り,カ リフ ォル ニア 州 の み な らず 研究 は あ ま り進 ん で い な い。教 団 の 出 版物 は多 い が,研 究 に 値 す る もの は限 られて くる。そ れで も 仏 教 に 関 す る 研 究 に は 幾 つ か 注 目 す べ き も の もあ るが[KASHIMA  1977;

LAyMAN  976],キ リス ト教 に関 して は さ び しい状 態 で あ る[SuzuKI  l979]。筆 者 は ア メ リカ全 体 の動 向 を 十 分 に 把 握 しき って は い な い が,サ ク ラメ ン トの事 例研 究 を通 して,日 系 人で もど ち らか とい え ぱ マ イ ノ リテ ィの キ リス ト教 徒 の宗 教 生 活 と宗 教 意 識 につ い て報 告 しよ うと思 う2)。

  周 知 の 如 くサ ク ラメ ン トはカ リフォ ル ニ ア州 の 州都 で あ り,州 関係 の諸 機 構 が 集 中 1)文 部 省科 学 研 究費 海 外 学 術調 査(研 究 課 題「北 米 西 海 岸地 域 にお け る 日系人 の宗教 に 関す る

調 査」,研 究 代 表者:柳 川啓 一)の 補 助金 によ り,1981年7月 〜9月 に現 地調 査 を実 施 した。

2)別 府 論文 は,サ ク ラ メ ン ト周 辺 地 域 の 日系 人社 会 を と りあ げ,仏 教 会 とキ リス ト教 会 に 焦点 をあ て て比 較 研 究 を行 な って い る[BEFU  1965]。

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中 牧  日系 キ リス ト教 会 の 展 開 と 日系 キ リス ト教 徒 の 意 識

す る 政 治 都 市 で あ る。サ ク ラ メ ン トは19世 紀 中 葉 の ゴ ー ル ド・ラ ッ シ ュ の 時 代 に 急 速 に 繁 栄 し,1854年 に 州 都 が 設 置 さ れ た。こ の サ ク ラ メ ン トは市 部 と郡 部 に わ か れ る。

1980年 の セ ン サ ス に よ る と,サ ク ラ メ ン ト市 の 人 口 は27万5741人 で あ り,サ ク ラ メ ン ト郡 の 人 口 は76万2680人 で あ る。日 本 人 は19世 紀 の 末 か ら続 々 と こ こ に 流 れ こ ん だ。

中 国 人 に か わ る 肉 体 労 働 者 と し て 鉄 道 工 事 や 鉱 山 や 農 園 の 労 働 に 従 事 し た の で あ る。

も っ と も,ゴ ー ル ド・ヒ ル の 近 く に 若 松 コ ロ ニ ー が 明 治 初 年 に 形 成 さ れ,そ れ 自 体 は 失 敗 に 帰 した が,こ れ は 日 本 人 が ア メ リカ 本 土 で 最 初 に 試 み た 開 拓 と し て よ く知 られ て い る。1980年 の セ ン サ ス で 現 在 入 手 し た 統 計 か ら は 日系 人 の 数 は 不 明 で あ る が, 1975年 の セ ン サ ス に よ る と 次 の 如 くで あ る。サ ク ラ メ ン ト市 に は6201人(2・4%),サ ク ラ メ ン ト郡 に は8921人(1.3%)居 住 して い る。1975年 か ら1980年 の5年 間 に サ ク ラ メ ン ト郡 の 人 口 は 約8万 人 増 加 して い る の で,サ ク ラ メ ン ト郡 の 日 系 人 の 人 口 は 現 在 お よ そ1万 人 弱 と推 定 さ れ る。

1.  日 系 キ リス ト教 会 の 展 開

1.概

  サ ク ラ メ ン トに は現 在5つ の 日 系 キ リス ト教 会 が 存 在 す る。市 街 に あ る の は プ レス ビ テ リア ン の パ ー ク ビ ュ ー長 老 教 会(Parkview  Presbyterian  Church,略 してPPC) た だ ひ と つ で あ る。残 り は す べ て や や 郊 外 の 住 宅 地 域 に あ る。そ れ ら は サ ク ラ メ ン ト 日 本 人 合 同 メ ソ ヂ ス ト教 会(Japanese  united  Method  ist church  of  sacramento, 略 してuMc),パ フ。テス ト系 の 第 一 日 本 人 浸 礼 教 会(First  Japanese  Baptist  church, 略 してJBc),メ イ ユ ー・コ ミ ュ ニ テ ィ・浸 礼 教 会(Meyhew  community  Baptist church,略 してMBc),そ して 日 本 人 セ ブ ン ス デ ー・ア ドベ ン チ ス ト教 会(Japanese Seventh‑Day  Adventist  Church,略 し てSDA)で あ る。も っ と も,  MBCは 日 系 人 の 民 族 教 会(ethnic  church)で は な い が,そ も そ も 民 族 教 会 と して 発 足 し,今 で も教 会 員 の 大 多 数 は 日系 人 で あ る の で,い ち お う 日 系 教 会 に 加 え て お く。

  サ ク ラ メ ン トの 周 辺 地 域 に は こ の ほ か3つ の 日 系 キ リ ス ト教 会 が あ る。そ れ ら は Calvary  Presbyterian  Church(Stockton),  First  Unjted  Methodist  Church(1.oo‑

mis),Japanese  united  Methodist  church(walnut  Grove)で あ る。た だ し ま だ 実 態 調 査 を して な い の で,本 稿 で は サ ク ラ メ ン トの 上 記5教 会 に 絞 って 論 述 す る。

  これ ら5教 会 は4宗 派 に わ か れ,バ プ テ ス トの み2教 会 を 数 え る が,他 は そ れ ぞ れ 1教 会 の み で あ る。も っ と も メ ソ ヂ ス トで も合 同 教 会 の 設 立 ま で は2つ の 教 会 が 存 在 75

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国立民族学博物 館研究報告   8巻1号 し て い た。教 会 に 正 規 に 所 属 し て い る 日 系 人 の 信 徒 は1000名 程 度 で あ ろ う。内 訳 は uMcが430〜450名,  PPcが 約230名,  JBcが 約80名,  MBcが 約130名,  sDAが 約100名 で あ る。日 系 教 会 以 外 の キ リス ト教 会 へ の 所 属 状 況 は,調 査 の 現 段 階 で は 全 く 不 明 で あ る。ち な み に サ ク ラ メ ン トの 仏 教 会 に 繋 が る メ ンバ ー一一は 約1300名 で あ る が,

こ れ に は子 供 な ど は 含 ま れ な い。あ る 牧 師 の 推 定 で は,日 系 人 の50〜60%が 仏 教 会 で, 10〜15%が キ リス ト教 会 に 繋 が り,残 り は 特 に 所 属 が 明 確 で な い と い う。ハ ワ イ ほ ど で は な い に し ろ 複 数 帰 属 も考 慮 し な け れ ば な ら ず,宗 教 別 人 口 の 割 合 を 確 か め る す べ

は 今 の と こ ろ こ れ 以 上 に は 出 な い。

  さ て,日 系 キ リ ス ト教 会 の 歴 史 は19世 紀 末 に 遡 る。い ち ば ん 最 初 に 創 設 さ れ た の は サ ク ラ メ ン ト 日本 人 美 以 教 会(Japanese  Methodist  Church  of Sacramento)で あ る。

つ い で1915年 に フ ロ ー リ ン 日本 人 美 以 教 会(Florin  Japanese  Methodist  church)が 創 設 さ れ,1920年 に サ ク ラ メ ン ト 日本 人 基 督 教 会(Japanese  church  of  christ  of Sacramento)と 第 一 日本 人 浸 礼 教 会 が 相 次 い で 設 立 さ れ た。そ の 後,メ イ ユ ー に で き た第 一 日本 人 浸 礼 教 会 の 伝 道 館 が メ イ ユ ー・ コ ミ ュ ニ テ ィ・ バ プ テ ス ト教 会 に 発 展 し た。い ち ば ん 新 し い の が 日本 人 セ ブ ンス デ ー・ ア ド ベ ン チ ス ト教 会 で あ る。そ こで こ こ で は宗 派 別 に 古 い ほ う か ら,メ ソ ヂ ス ト,プ レ ス ビテ リ ア ン,バ プ テ ス ト,セ ブ ン ス デ ー・ ア ドベ ンチ ス トの 順 序 で 記 述 し,'最 後 に 整 理 と 補 足 を 加 え る。

2.  メ ソ ヂ ス ト

  現 在 の サ ク ラ メ ン ト 日本 人 合 同 メ ソ ヂ ス ト教 会 は,1968年 に サ ク ラ メ ン トの パ イ オ ニ ア・ メ ソ ヂ ス ト教 会 と フ ロ ー リ ン の 日本 人 メ ソ ヂ ス ト教 会 が 合 同 して で き た 教 会 で あ る。そ の 歴 史 は19世 紀 の 末 ま で 遡 る。そ こで ま ず パ イ オ ニ ア・ メ ソ ヂ ス ト教 会 の 前 身 で あ る サ ク ラ メ ン ト 日本 人 美 以 教 会 に つ い て 述 べ,つ ぎ に フ ロ ー リ ン 日本 人 美 以 教 会 の 歴 史 に 移 る こ と に し た い。な お 美 以 教 会 と は メ ソ ヂ ス ト=エ ピ ス コ パ ル 教 会 の 日 本 語 訳 で あ り,今 で は エ ピ ス コ パ ル が 消 え メ ソ ヂ ス トの み と な って い る。

    1)  サ ク ラ メ ン ト 日 本 人 美 以 教 会3)

  サ ク ラ メ ン ト(桜 府)日 本 人 美 以 教 会 は,1892年 サ ン フ ラ ン シ ス コ(桑 港)美 以 教 会 の 支 会 と し て510  L  St.に 創 設 さ れ た が,前 年 か ら サ ン フ ラ ン シ ス コ よ り伝 道 者 た ち が 路 傍 伝 道 や 伝 道 会 に 赴 い て い た。初 代 の 牧 師 は 木 原 外 七 で あ る。正 式 に は ハ リ ス 監 督(Dr.  M.C.  Harris)の も と に1893年 に 教 会 設 立 と な っ た。教 会 は市 街 の な か で 転 '3)イ ンタ ビ ュー に加 え,内 部資 料 の「サ ク ラメ ン ト日本 人 美 以 教会 の略史」(1954)を 主 に参 照   した。関 連 の 記載 は[藤 賀  1936:160‑‑164][白 石  1964:96‑97][KoGA  1977:147‑149]。

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中 牧  日系 キ リス ト教 会 の 展 開 と 日系 キ リス ト教 徒 の 意 識

写 真1サ ク ラメ ン ト日本人 合 同 メ ソヂ ス ト教会

々 と そ の 場 所 を 移 動 し た。教 会 と い っ て もふ つ う の 家 屋 を 借 りた も の で,牧 師 館 を 兼 用 し て い た。教 会 活 動 の 中 心 は 伝 道 と礼 拝 と 日 曜 学 校 だ っ た が,英 語 学 校 や 寄 宿 舎 を 経 営 し た こ と も あ っ た。1903年 に は ハ リス 監 督 を 招 聰 し フ ロ ー リ ンで 伝 道 集 会 を 開 い て い る。ま た1915年 頃 よ り青 年 が 多 く集 ま り,演 説 会 や 討 論 会 を 活 発 に 行 な った。彼 ら の 多 く は 農 家 や 商 店 の 下 働 き や,ハ ウ ス ウ ォ ー ク や ス ク ー ル ボ ー イ と 称 す る家 庭 働 き に で て い た。1915年 に は 最 初 の 家 庭 集 会 も開 か れ て い る。牧 師 は 頻 繁 に 交 代 し,戦 前 ま で20名 余 り が つ と め た。短 い 者 で 半 年,最 長 が2期 で 計10年 で あ る。

  1935年 頃 に は,一 般 礼 拝 に で る二 世 が 増 加 し,会 堂 の 狭 阻 を 感 じ て 新 築 の 議 が 起 こ っ た こ と も あ る。し か し 日 米 開 戦 で 強 制 収 容 と な り,大 半 の 信 徒 が 全 米 各 地 に 転 住 し た。し か し,わ ず か の 帰 還 者 達 は 教 会 の 復 興 に 努 力 した。と く に 教 会 を ホ ス テ ル と し て 一 般 に 開 放 し,帰 還 者 の 便 宜 を は か っ た こ と は 特 記 に 値 す る。そ して1951年 に は 新 会 堂 を 完 成 さ せ,献 堂 式 を 行 な い,翌 年 に は 創 立60周 年 記 念 伝 道 集 会 を1週 間 に わ た っ て 実 施 した。 パ イ オ ニ ア・ メ ソ ヂ ス ト教 会(Pioneer  Japanese  Methodist  church) と改 名 した の は 戦 後 の こ とで あ る。1968年 に フ ロ ー リ ン の 美 以 教 会 と合 併 した が,合 同 前 は 礼 拝 に14〜15人,婦 人 会 も 毎 週5〜10人 が 集 ま る 程 度 の 小 さ な 教 会 と な り,経 済 的 に も苦 し くな っ て 合 同 に 踏 み き っ た と い う。

    2)  フ ロ ー リ ン 日本 人 美 以 教 会4》

フ ロ ー リ ン の 日 本 人 美 以 教 会 は1913年 津 田 彌 三 郎 が 日 本 語 学 校 と 日 曜 学 校 を 開 校 し 4)イ ンタ ビ ュ ー に 加 え,内 部 資 料 の「フ ロ ー リ ン 日 本 人 メ ソ ヂ ス ト教 会 略 史  1913年 一1968年」

(1968)を 主 に 参 照 し た。関 連 の 記 載 は[藤 賀  1936:183‑189][白 石  1964:107][KoGA l977:147‑149]な ど に あ る。

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国立民族学博物館研究報告    8巻1号 た の に 始 ま る。も っ と も フ ロ ー リ ン へ の 伝 道 は そ れ 以 前 よ り な さ れ て い た。先 述 の 如

く,1903年,ハ リス 監 督 を 招 聰 し,白 人 の 美 以 教 会 を 借 り て 伝 道 集 会 を 開 催 し た と こ ろ,立 錘 の 余 地 な き ほ ど会 堂 に 日本 人 が あ ふ れ た と い う。1915年,真 鍋 頼 一 牧 師 (の ち に 青 山 学 院 の 理 事 長)を 招 聰 して 教 会 を 発 足 さ せ た。津 田 彌 三 郎 は 日本 語 学 校 教 師 を 続 け,後 に 神 学 校 に 入 学 し た。1918年,フ ロ ー リ ン に 近 接 し大 正 時 代 に 拓 か れ た 大 正 区 で も 日 本 語 学 校 と 日曜 学 校 が 始 ま っ た。

  1920年,幼 稚 園 が 開 設 さ れ,1921年 に は婦 人 会 会 員 が50名 を 突 破 し た。1927年 に は ホ ー ル が 新 築 落 成 し,ス ポ ー ツ や 祝i賀会 な ど に 利 用 さ れ た。大 恐 慌 後 の1930年 代 に は, 財 政 難 の 教 会 の 経 費 を ま か な う た め に 映 画 会 が 年3〜4回 行 な わ れ た と い う。

  特 記 す べ き は リバ イ バ ル で あ る。1930年 代 初 期5),nサ ン ゼ ル ス の 伝 道 者 馬 場 小 三 郎 の 特 別 伝 道 に よ って リバ イ バ ル が お こ り,わ ず か 半 年 の 間 に62名 の 受 洗 者 が あ っ た。

ま た40余 名 に 対 す る 神 癒 も あ っ た と い う。大 恐 慌 の 後 の 不 況 の あ お り を 受 け,生 活 の 苦 しか った 人 々 が 安 心 を 得 た こ と が,リ バ イ バ ル の 高 揚 の 一 大 要 因 だ っ た。こ の 間, 全 村 の 戸 別 訪 問 も な さ れ て い る。

  1941年,25周 年 礼 拝 と 伝 道 会 が 行 な わ れ た が,同 年 の 暮 に 勃 発 した 戦 争 に よ り,西 海 岸 の 他 の 日 系 人 と 同 じ運 命 を た ど っ た。

  戦 後,1945年5月,津 田 牧 師 が 帰 還 し,7月 か ら家 庭 集 会 を 開 始 し た。ま たWRA (War  Relocation  Authority)よ り ベ ッ ト20脚・ ブ ラ ン ケ ッ ト90枚 を 借 り,教 会 ホ ー ル を ホ ス テ ル と して 活 用 し た。二 世 時 代 が 到 来 し,二 世 の た め の 牧 師 が1年 間 在 任 し た こ と も あ っ た。ま た1955年 か ら は タ ホ 湖 で の 二 世 修 養 会 が 始 ま り,10年 間 続 い た。

  1948年 に は 創 立35周 年 祝 賀 会 を 開 き,1958年 に は 創 立45周 年,1963年 に は50周 年 の 記 念 行 事 を 開 催 し た。し か し こ う し た 記 念 行 事 と平 行 し て,教 会 の 合 同 が 論 議 され る よ う に な っ た。ま ず 戦 後 ま も な く フ ロ ー リ ン の 白人 メ ソ ヂ ス ト教 会 と の 合 同 が 詮 議 さ れ た が,実 現 に は 至 ら な か った。つ い で1959年 に は パ イ オ ニ ア 教 会 と の 合 同 を 画 策 し, 寄 付 を つ の っ た が,失 敗 に 帰 した。そ の 代 り そ の 資 金 を も と に して,1962年 に は,牧

師 館 の 新 築 落 成 を み た。と もか く時 代 の 趨 勢 は 教 会 の 合 同 に 傾 き,1967年,パ イ オ ニ ア 教 会 と の 合 同 案 を 可 決 し,か く して1968年6月16日,創 立55周 年 祝 賀 会 と 同 時 に フ ロ ー リ ン 日 本 人 美 以 教 会 の 解 散 式 を 挙 行 し た。な お 解 散 式 は 牧 師 の 送 別 会 も か ね て お り,合 同 と同 時 に 榊 原 ジ ョ セ ブ 牧 師 が 就 任 し,現 在 に 至 っ て い る。

  両 教 会 の 合 同 は 比 較 的 ス ム ー ス に 行 な わ れ た。新 設 の 日 本 人 合 同 メ ソヂ ス ト教 会 は,   5)教 会 略史 で は1931〜2年 にか け て記 載 されて い るが,1934〜5年 にか け て興 った とい うひ と も   い る。後 者 の立 場 を 裏づ け る証拠 は,1934年12月2日 の 日付 の は い った記 念 写 真 が 存在 す る こ   とで あ る。

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中牧   日系 キ リス ト教会の展開 と日系 キ リスト教 徒の意識

好 都 合 な こ と に 南 サ ク ラ メ ン トのMerwin  Memorial  United  Methodist  Churchか ら建 物 と土 地 の 寄 付 を 受 け,そ こ に 移 転 す る こ と が で き た。し か も そ の 前 に 合 同 教 会 用 の 土 地 購 入 も 終 り,10万 ドル の 募 金 も成 功 して い た の で,そ れ を も と に して1970年 に は 礼 拝 堂 と ホ ー ル を 新 築 落 成 し た。

3.  プ レ ス ビ テ リ ア ン6)

  パ ー ク ビ ュ ー 長 老 教 会 は そ もそ も桜 府 日本 人 基 督 教 会 と し て1920年 に 組 織 さ れ た。

当 時 の 教 会 員 は28名 で あ っ た。原 田友 太 が 牧 師 を つ と め た が,臨 時 の 牧 師 で あ っ た。

した が っ て 最 初 の 礼 拝 が 開 か れ た 時,説 教 を した の は原 田 牧 師 で は な く,太 平 洋 沿 岸 日 本 人 長 老 教 会 伝 道 総 理 の ス ト ウ ジ博 士(Dr.  E.  A.  Sturge)で あ っ た。こ の ス トウ ジ 総 理 は 桜 府 日本 人 基 督 教 会 の 生 み の 親 と も 言 うべ き 人 で あ った。総 理 は サ ン フ ラ ン シ ス コ で 長 老 教 会 の 日本 人 ミ ッ シ ョ ン を 担 当 して お り,日 本 人 の 弟 子 を 各 地 に 派 遣 して 布 教 活 動 を 推 進 し て い た。そ の 一 つ が サ ク ラ メ ン トの 日本 人 ミ ッ シ ョ ン で あ る。こ は1913年 に始 ま り,1913年 か ら1917年 ま で は 中 村 順 三 が,1918年 か ら1919年 ま で は 村 岡 菊 三 郎 が 牧 師 だ っ た が,彼 ら は 牧 師 と い って も責 任 者 に近 い 役 割 を 果 して い た。こ の 教 会 は 市 街 の 三 番 街 で 賭 博 場 と 売 春 宿 の 間 に は さ ま れ て お り,牧 師 は 礼 拝 や 集 会 に 加 え,季 節 労 働 者 と し て た む ろ して い た 多 く の 若 い 一 世 に 対 し,さ ま ざ ま な 世 話 を し て い た の で あ る。

                写 真2パ ー ク ビ ュ ー 長 老 教 会(日 曜 礼 拝 の 後 で)

6)イ ンタ ビ ュ ー に 加 え,内 部 資 料 の"History  of  Parkview  Presbyterian  Church"を 主 に 参 照 し た。関 連 の 記 載 は[藤 賀  1936;189‑194][白 石  1964:111][KoGA  l977:163‑‑164]な に あ る。

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国立 民族学博物 館研究報告   8巻1号   と こ ろ で,1920年2.目 に 発 足 した 桜 府 日本 人 基 督 教 会 は,ま も な く教 会 員 の 集 団 的 離 脱 と い う危 機 に 見 ま わ れ た。同 年11月,土 方 揆 一 牧 師 自 ら9名 の 教 会 員 を つ れ て 辞 職 し た の で あ る。主 と して 信 仰 上 の 理 由 か らだ と 推 定 さ れ る が,彼 ら は バ プ テ ス ト教 会 の 有 力 教 会 員 と な っ た の で あ る。

  1921年6月,日 曜 学 校 が 校 長 の も と に 組 織 さ れ,最 初 の 記 録 で は 生 徒135名,平 出 席 者100名 で あ った。7人 の 教 師 が 従 事 し6つ の ク ラ ス が あ っ た。ち な み に 大 人 の 礼 拝 を み る と,1926年 の 日 曜 礼 拝 の 出 席 者 は 平 均25名 で あ る。そ して こ の 年 の 受 洗 者 は 大 人7名,子 供7名 で あ っ た。

  牧 師 は こ の 頃 頻 繁 に か わ って い る。渡 辺 玉 作(1920‑1922),小 北 絞 次 郎(1923‑1926), 菊 地 寛 治(1926),芦 名 武 雄(1926‑1932),渡 辺 連 平(1932‑1937)と 続 き,1940年 中 村 勇 が 就 任 し,強 制 収 容 ま で そ の 任 に あ った。こ の 間,臨 時 牧 師 も 何 人 か 交 代 した。

  日 米 対 戦 に 至 る ま で の 特 筆 す べ き 事 項 に は 次 の よ う な も の が あ る。最 初 の 恒 例 ピ ク ニ ッ ク が1933年 に 行 な わ れ た。1935年 に は 教 会 で 最 初 の 映 画 会 が 開 か れ た。1936年 ら 家 庭 集 会 が 始 ま っ た。ま た 同 年,英 語 で 礼 拝 を す る 二 世 中 心 の ジ ュ ニ ア・チ ャ ー チ が 始 ま っ た。そ して 開 戦 直 前 の1941年5月,現 在 地 に 教 会 を 建 て 献 堂 式 を 行 な っ た。

  日米 開 戦 か ら強 制 収 容 に 至 る ま で 教 会 で も い ろ い ろ の 出 来 事 が あ っ た が,と く に 長 老 教 会 本 部 か ら強 制 収 容 の 可 能 性,ま た そ れ に ど う対 処 す る か と い っ た 指 示 が 次 々 に 下 っ て い る の が 興 味 深 い。

  強 制 収 容 所 で は 信 仰 の 自 由 は 認 め られ,キ リス ト教 徒 は エ キ ュ メ ニ カ ル な 礼 拝 を 行 な う こ と が で き た。中 村 牧 師 は コ ロ ラ ド州 ア マ チ 強 制 収 容 所 に い た が,1945年3月 ク ラ メ ン トに 戻 り,隣 の カ ト リ ッ ク 教 会 か ら返 還 さ れ た 教 会 を ホ ス テ ル と して 使 用 し な が ら,牧 会 活 動 を 始 め た。一 時 は サ ク ラ メ ン トに 帰 還 した 日 系 人 家 族 を7〜8家

も 収 容 し た。ホ ス テ ル は ほ と ん ど の 日 系 人 が そ れ ぞ れ の 落 着 き 先 に 戻 っ た と こ ろ で, 1946年 に 閉 鎖 さ れ た。

  1946年5月10日,教 会 の 将 来 に か か わ る 重 要 な 会 議 が 開 か れ,次 の よ う な コ メ ン ト が な さ れ た。

  1)二 世 は ア メ リ カ 人 の 教 会 に 加 入 す る こ と が 望 ま し い が,サ ク ラ メ ン トの よ う な     日 系 人 コ ミ ュ ニ テ ィ の あ る と こ ろ で は 不 可 能 で あ る。

  2)若 い 二 世 は 限 られ て い る の で,日 系 人 は 三 つ の 異 宗 派 の キ リス ト教 会 よ り も一     つ の 超 宗 派 的 な 教 会 を も つ の が 望 ま し い。

  当 時,民 族 教 会 を 解 散 し 白 人 教 会 に 統 合 す べ き だ と い う 教 会 本 部 の 意 向 は,実 際 問 題 と して 通 用 し な か った。こ れ に は 第 皿部 で 後 述 す る よ う な 面 白 い エ ピ ソ ー ドが あ る。

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中 牧  日系 キ リス ト教 会 の 展 開 と 日系 キ リス ト教 徒 の 意識

  1947年5月16日,教 会 名 を パ ー ク ビ ュ ー 長 老 教 会 と 改 名 した。同 年11月,中 村 牧 師 が 離 任 し,1948年10月,甲 賀 純 男 牧 師 が 着 任 し た。こ の 頃 の 特 記 す べ き事 に は,次 よ う な も の が あ る。1946年 に ボ ー イ・ス カ ウ トが 結 成 さ れ た。1949年,ジ ュ ニ ア 婦 人 会 が 組 織 さ れ た。そ して1947年 か ら月 約 献 金 が 始 ま った。

  甲 賀 牧 師 は1953年 に離 任 し,1955年 に 加 藤 ポ ー ル 牧 師 が 就 任 しユ967年 ま で 勤 め た。

そ して 同 年 に 財 部 平 八 郎 牧 師 が 着 任 し,1982年 ま で 担 当 し た。

  財 部 牧 師 の 着 任 後,日 系 人 の 教 会 と して 存 続 す べ きか ど う か を め ぐ っ て 教 会 は ゆ れ た が,現 在 の と こ ろ は 日 系 人 教 会 と して 安 定 し て い る。こ の 間 の 活 動 と して 注 目 す べ き は,一 世 の ラ イ フ・ヒ ス ト リ ー を ま と め る プ ロ ジ ェ ク トの 推 進,他 の ア ジ ァ 系 少 数 民 族 と の 民 族 的 連 帯 が あ げ られ る。こ れ ら の 詳 細 に つ い て は,第 五 部 に ゆ ず る。

4.  パプ テ ス ト

    1)  第 一 日 本 人 浸 礼 教 会7)

  サ ク ラ メ ン トの 第 一 日 本 人 浸 礼 教 会 は そ の 前 身 を 聖 書 学 院 と い っ た。聖 書 学 院 は 1920年11月 に 創 設 さ れ,5thSt.とPSt.の 角 に 位 置 して い た。創 設 メ ンバ ー は7入 で,長 老 教 会 か ら離 脱 した 土 方 揆 一 牧 師 が 中 心 で あ っ た。日 曜 学 校 も そ の 翌 月 か ら始 ま っ た。

                  写 真3  第 一 日 本 人 浸 礼 教 会(日 曜 礼 拝 の 後 で)

7)イ ン タ ビ ュ ー に 加 え,内 部 資 料 の「創 立60周 年 祝 賀 会  60Years  of  Ministry  1920‑1980」

(1980)を 主 に 参 照 した。関 連 の 記 載 は[藤 賀  1936:195‑199][白 石  1964:112][KoGA 1977:140‑141]な ど に あ る。

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国立民族学博物 館研究報告   8巻1号   1922年,聖 書 学 院 を 改 め 第 一 日 本 人 浸 礼 教 会 と し た。そ の 頃,幼 稚 園 や 婦 人 会 も 始 ま り,牧 師 婦 人 が そ れ ら の 中 核 と な っ て い た。ま た 支 部 の 創 設 も活 発 で,カ メ リア・

ミ ッ シ ョ ンを は じ め,メ イ ユ ー や ウ ッ ド ラ ン ド に も 伝 道 の 拠 点 を も っ た。1926年,正 式 に 第 一 日 本 人 浸 礼 教 会 を 名 の った。

  1932年7月,会 堂 修 築 記 念 の 献 堂 式 が 行 な わ れ た。こ の 時 の 教 会 員 は96名 を 数 え, 日曜 学 校 生 徒 が126名,Baptist  Young  People  Unionの メ ンバ ー が25名 を 数 え た。

幼 稚 園 児 は21〜42名 で あ っ た。

  日 米 開 戦 に 至 る ま で,eg‑一 日本 人 浸 礼 教 会 は1932年 に 建 て ら れ た 隣…りの ク リス チ ャ ン・ セ ン タ ー と 緊 密 な る提 携 を も って,日 本 人 社 会 で い ろ い ろ な 活 動 を して い た。こ の ク リス チ ャ ン・ セ ン タ ー は バ プ テ ス ト・ ミ ッ シ ョ ンの 経 営 す る も の で,バ ス ケ ッ ト

ボ ー ル な ど 各 種 ス ポ ー ッ 活 動 を は じめ 集 会 な ど に 利 用 さ れ て い た。バ プ テ ス ト・ミ ッ シ ョ ン の 国 内 宣 教 師 が 日 系 人 や 中 国 人 な ど の 移 民 に 対 し,積 極 的 な 布 教 活 動 を 行 な って い た 時 期 で あ る。

  1942年,日 系 人 の 強 制 収 容 に 伴 な い,教 会 は 閉 鎖 さ れ,ク リ ス チ ャ ン・セ ン タ ー は リ ン カ ー シ・セ ン タ ー と 改 名 し,地 域 活 動 を 重 点 的 に 行 な う よ う に な っ た。

  1945年,日 系 人 は 再 び 西 海 岸 に 戻 って く る よ う に な り,五 十 嵐 謙 三 郎 牧 師 は も と の 教 会 を ホ ス テ ル と して 活 用 し,100家 族 以 上 の 世 話 を した。ま た 五 十 嵐 牧 師 は リ ンカ ー ン・ セ ン タ ー で 日系 人 の 礼 拝 を 担 当 した 。な お英 語 礼 拝 は リンカ ー ン・セ ンター の ス タ ッ フ が 担 当 した。

  1954年,五 十 嵐 牧 師 の 引 退 に 伴 な い 石 原 ロ イ牧 師 が 就 任 した。そ して キ リス ト教 の 根 本 が 強 調 さ れ る よ う に な った。こ の 頃,日 曜 学 校 や 日 曜 礼 拝 の 出 席 率 が 上 昇 し,二 世 の 活 躍 が 目 立 っ て き た。

  し か しサ ク ラ メ ン ト市 街 の 再 開 発 計 画 の た め,教 会 建 物 の リ ン カ ー ン・セ ン タ ー は 売 却 され,新 しい 教 会 の 必 要 性 が 生 じ た。そ こ で と り あ え ず1958年 に 市 街 の 貸 ビル の 一 角 に 教 会 を 移 し,よ う や く1962年 に な っ て,現 在 の 教 会 堂 をFruitridge  Baptist Churchか ら購 入 して 移 転 し た。な お,石 原 牧 師 は リ ンカ ー ン・セ ン タ ー か ら の 立 ち の き の 直 前 に 離 任 し,ハ ワ イ の 教 会 に 移 っ た。

  1960年 代 後 半 は 二 世 の 婦 人 会 が 大 い に 活 躍 した。そ して 野 球 や バ ス ケ ッ トな ど 青 年 の ス ポ ー ツ 活 動 が 活 発 に 行 な わ れ,サ ク ラ メ ン トの 日 系 人 教 会 リー グ な ど で,男 女 と

も チ ー ム を 組 ん で 競 い あ っ た。

  石 原 牧 師 以 後,何 人 か の 牧 師 が 交 代 し て 今 日 に 至 って い る。日 本 人 も 日 系 二 世 も い れ ば,日 本 帰 り の 宣 教 師 も い た が,皆 日 本 語 と英 語 を 話 した。だ が,調 査 当 時 の 臨 時

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中牧    日系 キ リス ト教 会 の 展 開 と 日系 キ リス ト教 徒 の 意 識

牧 師 で あ った 日系 三世 の瀬 戸 マ イ ク牧 師 は,日 本 語 を 全 く使 わ な か った。

  現 在 の 教 会 は二 世 が 中心 とは いえ,極 端 に 活 動 メ ンバ ーが 減 少 し,三 世・四 世 もあ ま り活 発 で はな い。一 世・二 世 の教 会 員 に と って は そ れ が深 刻 な 悩 み の よ うで あ る。

    2)  メ イ ユ ー・ コ ミ ュ ニ テ ィ 浸 礼 教 会8)

  メ イ ユ ー・バ プ テ ス ト教 会 は サ ク ラ メ ン トの 東 方 に 位 置 し,メ イ ユ ー・コ ミ ュ ニ テ ィ の バ プ テ ス ト教 会 と して 機 能 し て い る。し た が って 日 系 人 の み な らず,白 人 や 黒 人 と の 混 合 形 態 を と って お り,最 初 に 述 べ た よ う に い ま や 日 系 人 教 会 と は い い が た い が, そ も そ も 日本 人 が 建 て た 教 会 で あ り,今 で も 日系 人 が 教 会 員 の 約7割 近 くを 占 め て い る の で,と り あ げ る こ と に した い。

  1927年,サ ク ラ メ ン トの オ ー ク・ パ ー ク(35th  Ave.とBroadwayの 南 の ほ う) の カ メ リア 伝 道 館 の メ ンバ ー だ った 日 本 人 キ リス ト教 徒 が,メ イ ユ ー に 土 地 を 買 っ て 移 り住 ん だ。そ こ で 彼 ら は あ い は か り,家 庭 集 会 を 始 め た の で あ る。そ れ は 日 本 語 学 校 に 日 曜 学 校 を 加 え た も の で,土 曜 日 に 牧 師 が 学 校 を 開 き,月 一 度 日曜 日 の 夕 方 に 礼 拝 を 行 な っ た。そ こ で 集 ま っ た 献 金 は 本 部 に 送 り,本 部 か ら逆 に 宣 教 師 の 給 料 が 支 給 さ れ て い た。そ して1930年 に は一 室 の み の 日 曜 学 校 用 の 建 物(community  houseと し て も機 能 した)を 地 元 日本 人 の 全 面 的 協 力 を え て 完 成 さ せ た。1935年 ま で は 村 岡 菊 三 郎 牧 師 が 来 て い た が,同 年 に70才 に な っ た の を 機 に 引 退 し,代 っ て 当 時 聖 書 販 売 の

コル ポ タ ー を し て い た 五 十 嵐 謙 三 郎 牧 師 が バ プ テ ス ト国 内 伝 道 会(Baptist  Home

写 真4メ イ ユ ー・コ ミ ュ ニ テ ィ浸 礼 教 会(日 曜 礼 拝 の 後 で)

8)イ ンタ ビ ュ ー に 加 え,関 連 の 記 載 を 参 照 した[藤 賀  1936:199‑202][白 石  1964:115]

[KoGA  1977:157‑158]。

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国立民族学博物館研究報告    8巻1号 Mission  Society)か ら派 遣 さ れ て,カ メ リア,ウ ッ ド ラ ン ド,モ デ ス ト,デ イ ビ ス と

と も に メ ィ ユ ー の 牧 会 に 当 った。

  終 戦 後,メ イ ユ ー の 日本 人 は た い が い 戻 っ て き た が,彼 らの 帰 還 の 直 前 に 教 会 建 物 は 焼 失 した。そ こ で しか た な く家 庭 を 提 供 した 家 に お い て,1945年5月 頃 か ら 日 曜 学 校 と礼 拝 を 始 め た の で あ る。フ ロ ー リ ン の 津 田 牧 師 を2〜3度 よ ん だ こ と も あ る そ う だ。そ して1947年 に は 教 会 堂 を 建 て,サ ク ラ メ ン トの 第 一 日本 人 バ プ テ ス ト教 会 の 五 十 嵐 牧 師 を 招 き,彼 は1954年 ま で 兼 牧 し た。他 方,二 世 集 会 と 日 曜 学 校 の ほ う は リ ン

カ ー ン・ ク リス チ ャ ン・セ ン タ ー の ク ロ ー ン宣 教 師(Miss  Mary  Opal  Crone)が16年 間(1947〜63)協 力 の 手 を さ しの べ た。

  そ して1952年4月,メ イ ユ ー 日 本 伝 道 館(Meyhew  Japanese  Mission)は メ イ ユ ー

コ ミ ュ ニ テ ィ・ バ プ テ ス ト教 会 と 改 名 し,多 民 族 教 会 と し て 歩 み は じめ た。そ し て 1956年4月,現 在 の 礼 拝 堂 が 完 成 し献 堂 式 を 行 な っ た。古 い 礼 拝 堂 は 後 日Cronc  Hall と 名 付 け られ た。1954年3月 か らの 牧 師 は第 一 日本 人 バ プ テ ス ト教 会 と 兼 務 で 二 世 の 石 原 ロ イ が 就 任 し,こ の 頃 経 済 的 に 独 立 し た。1957年11月 に 石 原 牧 師 は 離 任 し,以 ず っ と 白 人 の 牧 師 が 交 代 で 就 任 して い る。1961年10月 にScudder  Hallの 献 堂 式 を 行 な っ た が,こ れ は 日 曜 学 校 用 に 使 用 す る 建 物 で あ り,最 初 の 白 人 教 会 員 の 名 を と っ た。

他 方,同 じ 日曜 学 校 用 の 一 世 ホ ー ル は1969年5月 に 献 堂 式 を 行 な っ た。現 在 の 民 族 別 教 会 員 構 成 は,お よ そ 日 系 人65%,白 人25%,黒 人10%で あ る。そ して 黒 人 教 会 員 の 増 加 が 問 題 と して 浮 上 して い る。

5.セ ブ ン ス デ ー・ ア ド ベ ン チ ス ト

  1938〜9年 頃,一 世 の 今 井 清 吉 牧 師 が 数 名 の 一 世 を 相 手 に 聖 書 研 究 を し て い た。す で に そ の 頃,白 人 のSDA教 会 で 受 洗 した 日 系 人 が 存 在 した。

  戦 後,1952年 頃,ハ ワ イ生 れ の 二 世 で 神 学 校 を で た て の 河 野 ハ ロ ル ドが オ ー ク・パ ー ク 界 隈 で 家 庭 集 会 や 伝 道 会 を して い た。建 物 の 上 は 白 人,下 は 日 系 人 の 集 会 所 と し て 使 用 され て い た。そ の 頃,SDAの ロ マ リ ン ダ 医 学 校 を 卒 業 し て サ ク ラ メ ン トに 引 越 して き た 者 や,ハ ワ イ か ら移 住 して き た 者 が あ り,教 会 の 中 心 的 会 員 と な って い っ た。

  1964年,現 在 の 教 会 堂 を サ ク ラ メ ン トの 南 の 住 宅 地 域 に 建 立 した。つ い で1966年 頃, 日 曜 学 校 な ど に 使 用 す る 建 物 が 完 成 し た。

  牧 師 は ハ ワ イ生 れ の 二 世 の 堀 之 内 勲 が カ リ フ ォ ル ニ ア 大 学 デ イ ビ ス校 に 通 い な が ら 2〜3年 つ と め,そ の 後 沖 縄 出 身 の 新 垣 繁 信 が1972年 ま で つ と め た。同 年 ハ ワ イか ら 二 世 の 瀬 分 ロ イ ド牧 師 が 赴 任 し,現 在 に 至 って い る。

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中牧  日 系 キ リス ト教 会 の 展 開 と 日系 キ リス ト教 徒 の意 識

写 真5  日本人 セ ブ ンス デ ー・ア ドベ ンチ ス ト教 会(日 語 部 の 礼拝)

  現 在 の 教 会 員 の構 成 で は教会 設 立 当時 の 信 徒 が い ち ば ん多 い。そ して 沖縄 系 の教 会 員 が他 教 会 と比 べ る とや や 多 い。以 前 韓 国 系 の 教 会 員 も合 流 して いた が,現 在 で は 白 人 系 のSDA教 会 に属 して い るそ うだ。白 人 の 入 会 も時 々 あ る と い うが,教 会 員 と し

て 長続 き は しな い よ うで あ る。

6.整 理 と 補 足

    これ ま で ご く簡 略 に各 教 会 の歴 史 を追 って きた が,こ こで 幾つ か の特 徴 を 整理 しな が ら,記 述 を補 足 す る こ とに した い。

    日系 キ リス ト教 会 の 成立 に あ た って は,各 宗 派 の国 内 伝 道 母体 が主 導 的 な 役割 を果   した 点 に ま ず注 目す る必要 が あ る。そ れ らの ミッ シ ョ ンが 日本 人教 会 を 精 神 的 に も経 済 的 に も支 え て い たの で あ る。日 本 人 に対 す る こ う した 動 きは サ ン フラ ンシ ス コで 開

・始 され,内 陸部 の サ ク ラ メ ン トに も波 及 した。当 時 の キ リス ト教 は教 義 の宣 教 ば か り で な く,む しろ 日本 人 に対 す る各 種 の便 宜 の提 供 や世 話 ど りの よ うな援 助的 側 面 を 強   く押 しだ して い た。就 職 の 斡 旋,英 語 の教 授,社 会 生 活 の指 導,禁 酒運 動 な ど は,キ   リス ト教 が 特 に 力 を入 れ た 点 で あ る。サ ク ラ メ ン トで は既 述 の 教 会 に 加 え,救 世 軍 が

1920年 に 日本 人 小 隊 を設 置 し,そ う した面 で の活 動 を 日米 開 戦 に至 るま で継 続 して い   た9)。逆 に い え ば ア メ リカ社 会 へ の適 応・融 合 な どを 指向 す る人 々 に と って,キ リス   ト教 は ア メ リカの 文化 を代 表 す る もの と映 った と い って も過 言 で はな い だ ろ う。ま た   キ リス ト教 が,さ まざ ま に現 れ る 白人 に よ る 日系 人 の差 別 や排 斥 に対 抗 し,緩 衝 的 役   9)戦 後は本部の方針で 日系部の再開を許さなか った[北 加基督教 々会 同盟  1957:41‑42]。

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        国立民族学博物館研究報告  8巻1号 割 を演 じた点 も見 逃 す わ け に は いか な い。

  こ う して 成 立 した 日系 キ リス ト教 会 は,当 初 よ り宗 派 色 はあ ま り強 くなか った。も ち ろん サ ク ラメ ン トで も長老 教 会 か ら浸礼 教 会 へ 牧 師 が 移 るな ど,組 織 上・教 義 上 の 対 立 も皆 無 で は なか った。ま た合 同 に失 敗 した例 もあ る。し か し,異 宗 派 の牧 師 に 就 任 を依 頼 した り,合 同 で 集 会 を 開催 す るな ど,日 系 人 と して の 連 帯 が か な り強 く存 在

して きた よ うに思 われ る。

  つ ぎに 日系 キ リス ト教 会 の 展 開 に お け る い くつ か の重 要 な変 化 に も注 目 して お く必 要 が あ る。そ の一 つ は 自立 教 会 へ の歩 みで あ る。す な わ ち ミ ッシ ョンの 経済 的 援 助 か らの 自立 で あ る。戦 前 それ を 果 た した教 会 もあ るが,1950年 代 に至 って 文字 通 り独 立 した 教 会 もあ る。そ れ と平 行 して 合 同 の動 き もみ られ た。後 述 す る よ うに異 宗 派 間 の 合 同 に は成 功 しな か ったが,そ の 一歩 手 前 に まで はい って い た。そ れ か ら世 代 交 替 に と も な う変 化 が あ る。そ れ は単 に 日本 語 か ら英 語 へ とい う変 化 に と どま らず,意 識 の 上 で も大 き く変 って い る。こ の 点 につ いて は,第 皿部 にゆ ず る。た だ 民 族教 会 と して の性 格 は迂 余 曲折 を経 たが,多 くの教 会 に お いて 今 日ま で堅 持 され て い る点 は注 目 さ れ る。た だ しそ の場 合 に は,再 認識 され た 民 族 教 会 とい う面 が決 定 的 に異 な って い る。

  日系 人 の 歴 史 におい て 日米 の 戦 争 を無 視 す る こ と はで きな い。転 住 所 にお け る 強制 収 容 は 日系 人 の 生活 に 多大 の変 化 を 及 ぼ し,戦 後 の教 会 活 動 もゼ ロか ら始 ま ったが, 歴史 の流 れ と して は戦 前 の延 長 にあ った よ うに思 われ る。戦 後 の教 会 再 建 の核 と な っ た の は戦 前 か らの 中 心 メ ンバ ー が多 か った。ち な み に戦 前 の1936年 の教 会 員 の 名簿         表2  パーク ビュー長老教         会の教会員構成       (1979.12.31現在)

表1  サ ク ラ メ ン トの キ リ ス ト教 徒(1936)

教 会 名 サ ク ラメ ン ト美以 教 会 フ ロー リ ン美 以教 会 サ ク ラメ ン ト基 督教 会 第 一 日本 人 浸 礼 教会

メ イユ ー伝 道 館

一 世

41 85 50 32 14

二世

  9 115 54 31 17

不明

12   7   0   3   0

62 207 104 66 31

日曜学校 生徒

130 150 151 130 64

夫婦

独身者・大 学生 夫のみ 妻のみ 未成年

30組 40人 17人 23人 16人

1  i・・人

求道者(未難 者)1・4世

*教 会 出 席 者 の 平 均(1980)   英 語 使 用 者    45.8(人)   日本 語 使 用 者    6.0   日 曜 学 校      25.0       計        76.8

*1981  Parkview  Annual  Report に よ って 作 成。

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中牧    日系 キ リス ト教 会 の 展 開 と 日系 キ リス ト教 徒 の 意 識

([藤 賀  1936])を も と に 調 査 し た 結 果 の 一 部 を,世 代 別 の 一 覧 と して 掲 げ て お く(表 1)。さ ら に,参 考 のtcめ に,パ ー ク ビ ュ ー 長 老 教 会 の 最 近 の 教 会 員 構 成 及 び 礼 拝 出 席 者 の 一 覧 表 を 添 え る(表2)。

π.  日系 キ リス ト教 徒 の 意識

  第 皿部 で は 日系 キ リス ト教 徒 の意 識 を 問題 に 据 え るが,い わ ゆ る意識 調 査 と い う よ うな統 計 的 方 法 を 採 用 せ ず,面 接 と観 察 に多 くを依 存 して い る。し か し,一 部 で は 文 献資 料 も援 用 して い る。ま ず 入 信 動 機 を 検討 し,つ いで 宗 教 意 識 と民 族 意 識 につ いて 論 ず る。

1.入 信 動 機

  キ リス ト教 へ の改 宗 は,原 理 的 に は 日本 で の宗 教生 活 か らの脱 皮 を 意 味 して い た。

移 民 の 大 多 数 は農 村 の 出身 者 で あ って,都 会 の者 は相 対 的 に少 なか った。し た が って 農 村 にお け る宗 教生 活 が,い うな れ ば 多 くの移 民 の 引 きず って き た宗 教 的 伝 統 で あ っ た。仏 教 が そ の 伝 統 を ほ とん ど無 意 識 的 に継 続 させ た もの で あ る とす る な らば,キ ス ト教 へ の入 信 はそ の伝 統 か らの 離 脱 を は か る もので あ った。と は いえ この よ うな 割

り切 り方 も危 険 で は あ る。な ぜ な らキ リス ト教 へ の改 宗 に もさ ま ざ ま な動 機 が 存 在 し た ので あ り,回 心 を 伴 な わ な い場 合 も少 な くな か ったか らで あ る。こ こで は一 世 と二 世 を 中心 に イ ンタ ビ ュー の結 果 を ま とめ て み た。一 世 が14人,二 世 が5人 で あ る。

    1)  一 世 の 場 合

  大 人 で渡 米 した 一 世 と子供 の と き呼 び寄 せ で 渡 米 した一 世 とで はや や意 識 が 異 な る。

後 者 は一 世 とは いえ 二 世 に近 い立 場 に あ るか らで あ る。前 者 は12人 で,後 者 は2人 で あ る。14人 の一 世 の うちで 日本 で キ リス ト教 徒 だ った者 は い な い。皆 ア メ リカ で キ リ ス ト教 に入 信 した 者 ば か りで あ り,そ れ な りの 入 信 動機 を も って い る。現 在 の所 属 教 会 の 内 訳 はuMc  4名,  PPc  4名,  JBc  2名,  MBc  3名,  sDA  1名 で あ る。男 女 別 で は男6名,女8名 で あ る。ま たす べ て 戦 前 の渡 航 者 で あ る。

  宗 教 を 比 較 検討 しあ る程 度 研究 して 改 宗 した例 は,SDAの 男 性 た だ 一 例 で あ る。彼 は1912年 父 の 呼 び 寄せ で 渡 米 した。家 は西本 願 寺 系だ った の で,戦 前 は仏教 会 の 役 員を した こ と も あ る とい う。彼 は20年 間 も医 老 通 い を す る よ うな 不 運 に苦 しみ,宗 教 と くに 生 長 の家 に は7年 間 もかか わ って研 究 した と い う。そ して1938年,SDAの 教 え に確 信 を もち,サ ク ラ メ ン トの 日本 人 で は初 めて 洗 礼 を 受 け る に至 った。彼 の 改 宗 に対 し母 は,

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国立民族学博物館研究報告   8巻1号 仏 教 に生 まれ な が らキ リス ト教 に改 宗 した とい って 怒 った とい う。も っと も宗教 を比 較 研 究 しな い まで も,キ リス ト教 につ い てか な り学 ん で 後 に 改宗 した例 はあ る。サ ン

フ ラ ン シス コ の 日本 人 キ リス ト教 会 で 土 曜 日の 晩 に開 か れ て い た講 演 会 に欠 か さず通 った 人 の場 合 な ど はそ うで あ る。し か し多 くの場 合 は,キ リス ト教 の教 義 とか 教 え の優 秀性 を確 信 したか らで は な く,ア メ リカ とい う社 会 に身 を 置 い た こ とに起 因 して い た。

  まず ア メ リカ は キ リス ト教 の 国 だか らキ リス ト教 徒 に な るの が 当然 だ と い う意 識 が 存 在 した こ とで あ る。仏 教会 の青 年 会 で この よ うな主 張 を して 摩 擦 を お こ した 人 はや や 極 端 な例 と して も,ア メ リカ で生 活 す るの だ か ら宗 教 もキ リス ト教 で,と 漠 然 と考 え る人 は少 な くなか った。一 世 とい え ど も比 較 的若 い年 代 が 多 か った か ら,日 本 の 宗 教 的 伝 統 に 強 く束 縛 され て は い な か った し,ア メ リカで の生 活 に憧憬 を抱 く人 々 も少 な くなか った。だ か らキ リス ト教 徒 に な りた い とい う希 望 を 抱 いて 教会 に通 った 人 も い る。こ う した 一般 的 背 景 を 前 提 と して キ リス ト教 へ の求 道 が な され た が,当 初 の動 機 は多 様 で あ った。

  た とえ ば,牧 師家 族 の提 供 す る 日本 食 に よば れ るか ら教 会 に集 ま った とか,白 人 教 会 に 出席 し茶 と ク ッキ ーで 歓 待 され た の に感 激 した とか で あ る。一 見 つ ま らな い話 の よ うで あ るが,当 時 の 日本 人 の お か れ てい た立 場 を 考 慮 す る必 要 が あ る。日 本 人 は固 ま って生 活 して いた が,そ れ で も 日本食 を いつ で も食 べ られ る よ うな 状 況 に は なか っ た。ま た 日本 人 に対 す る差 別 の厳 しか った時 期 で あ って,白 人 に歓 待 され るの は感 激 以 外 の何 物 で もなか った ので あ る。フ ロー リンの メ ソヂ ス ト教会 が 日本 人 に 対す る差 別 を少 しで も緩 和 させ るた め に設 立 され た こと は,す で に記 した と こ ろで もあ る。

  教 会 に英 語 を 習 い に行 って い る う ちに 改 宗 を決 意 す る に至 った例 はか な り多 い。そ う した 一世 は 向学 心 もさ りな が ら,ア メ リカ社 会 で の生 活 に賭 けて いた と ころ が あ っ た。も っ と も,そ れ ほ ど切 実 で は な く,他 に行 くと こ ろ もな く 自然 に教 会 に足 が 向 い た とい うひ と もい る。白 人 の牧 師や 宣 教 師 の人 柄 に うた れ た ひ と もあ った よ うだ。こ う した 改 宗 の過 程 を通 るひ と は男性 に顕 著 だ った。

  他 方,女 性 の場 合 は,本 人 とい うよ りも二 世 の子 供 を介 して 教会 と結 びつ くこ とが 意 外 に多 か った。つ ま り子 供 を教 会 の 日曜学 校 に通 わせ て い る うち に 自分 も婦 人会 な ど で活 発 に 活 動 した り,ま た ク リス マ スや イ ース タ ー あ る い は牧 師 の歓 迎 会 や 送別 会 な ど の機 会 に次 第 に教 会 と結 び つ くとい う過 程 を た ど った。実 際,子 供 を キ リス ト教 の 雰 囲気 で 育 て た い と願 った 母 親 は多か った。た とえ ば キ リス ト教 の教 義 は知 らな く と も,酒・タ バ コを禁 止 す るだ けで も子 供 の教 育 に は い い と思 い入 信 した例 が あ る。

子 供 だ け行 か せ るわ け に いか な いの で 自分 も行 くよ うに な った とい うひ ともい る。あ 88

参照

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