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モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ──

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61 モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ

はじめに

 北イタリアのエミリア地方に位置するモデナ大聖堂は、いわゆるロンバル ディア・ロマネスクを代表する聖堂の一つである(図

1)。同聖堂の守護聖人

4

世紀のモデナの初代司教聖ゲミニアヌス(c. 312〜397、在位

342/44〜

396)であり、最初の聖堂はこの聖ゲミニアヌスの墓地の上に後継司教テオドゥ

ルス(生没年不明、在位

c. 396〜423)によって建設された

。現在の聖堂は

1099

年に創建、1106年および

1184

年に献堂式が行われている。ファサード には、1106年の献堂より少し遅れて制作されたヴィリジェルモによるレリー フ群が配置されている。

 この聖堂ファサード彫刻の図像についてはこれまで様々な解釈が行われてき たが、全体としての意味はいまだ明確ではない。キアラ・フルゴーニは、領域 都市としての発展とともに労働を通じた救済の重要性が高まっていたことに注 目し、レリーフ群においても労働が強調されていることを指摘した。一方、

ドロシー・グラスは、創世記の冒頭に描かれる創造主の存在や

4

枚のパネルに 物語を分割して描く手法がグレゴリウス改革推進のためにローマで制作された 大型聖書と共通していることに注目し、創造主=キリストを創世記の物語に登

【研究ノート】

モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ

── 創造主の図像を中心に ──

桑 原 真由美

研究紀要第9号 2 0 2 0 3

(2)

場させることによって改革の理想に沿った正しい教会のあり方を示唆している と解釈している。モデナ大聖堂とグレゴリウス改革を結びつけるうえで重要 なのは、改革の支持者でありモデナにも影響力を持っていたトスカーナ伯マ ティルデ・ディ・カノッサ(c. 1046〜1115)であるが、聖堂の建設の経緯を 記録した『聖ゲミニアヌス移葬記』(以降『移葬記』とする)の記述では、教 皇との仲介役にとどまり、重要な意思決定には関与していない。したがって 本稿では、グラスの論の核となっているモデナ大聖堂の創世記レリーフ、特に 冒頭に描かれる創造主図像について、これまで指摘されてきた大型聖書の図像 との関連性を見直すとともに、図像の系譜について新たな観点を提示する。

図1 モデナ大聖堂ファサード、12世紀前半(一部13世紀前半)

(3)

63 モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ

1.  モデナ大聖堂の沿革と聖堂創建時の社会的背景

 モデナ大聖堂の歴史は、守護聖人である

4

世紀のモデナの初代司教聖ゲミニ アヌスの時代まで遡る。聖ゲミニアヌスが司教をしていた時代には、聖堂は現 在とは別の場所に置かれていたが、聖ゲミニアヌスの没後、後継司教のテオ ドゥルスによってゲミニアヌスの墓地の上に移された。現存の聖堂は、1099 年に建造が開始され、1106年に献堂されたものである。この聖堂の建設に関 する経緯を記録した『移葬記』の記述から、聖堂の建設の意思決定は、司教の 座が空位であった時に市民の代表で構成された聖堂参事会が中心となって行わ れたことが分かっている。1106年に行われた献堂式は、教皇パスカリス二 世(c. 1055〜1118、在位

1099〜1118)のモデナ訪問に合わせたもので、この

献堂式に関して教皇との仲介役となったのがトスカーナ伯マティルデ・ディ・

カノッサである。この時には

1101

年に叙任されたドドーネ(生年不明〜

1136、在位 1100〜1136)が司教の座についていた

 この一連の経緯に関して、『移葬記』や碑銘などの記録では、司教やマティ ルデよりも、建築家ランフランコを聖堂造営の主導者として強調している。ラ ンフランコは『移葬記』に含まれる

4

つの場面の挿絵のほとんどにも登場し、

特に、聖ゲミニアヌスの棺を開けて聖骸を確認している場面では、レッジョの 司教ボンシニョーレ(生年不明〜1118、在位

1098〜1118)とともに棺のふた

を持ち上げる姿で画面の中心に描かれている。また、創建を記念する後陣外壁 の碑銘でも、守護聖人の加護と共にランフランコの功績が讃えられている。 彫刻家のヴィリジェルモについては、彫刻の制作が聖骸の移葬や教会の献堂が 行われた少し後になるため『移葬記』には登場しないが、ファサードに設置さ れた創建を記念する碑銘にその功績が讃えられている。このように、建築家 や彫刻家の名前が讃えられている一方で、トスカーナ伯マティルデとモデナの 司教ドドーネに関する『移葬記』での記述はランフランコほど重点がおかれて

(4)

いない。ドドーネは

1101

年に教皇パスカリス

2

世によって叙任されているが、

『移葬記』本文において叙任についての言及はなく、移葬の日取りを決定する 場面と移葬式の場面で名前が出てくるのみである。また、トスカーナ伯マティ ルデに関する記述は教皇との仲介役としての役割にとどまっており、聖堂建設 に関して意思決定を行う場面には登場しない。以上のように、聖堂の建設に関 する史料では、司教やマティルデよりも市民や職人達の役割が重点的に描か れ、それにより、市民が主導した聖堂であるということが強調されている。

 聖堂建設に関する史料において市民の役割が強調されている背景には、モデ ナの経済的な発展も関係している。モデナはヴェネツィアを媒介とした東地 中海での交易により

10〜11

世紀頃から経済が活発化し、それに伴って増加し た商人や職人達が都市の運営に影響力を持つようになっていた。また、11世 紀頃には周辺農村に対する都市の影響力も増しており、領域都市としての発展 の兆しがみられていた頃でもあった。このような転換期において、市民が政治 的にも経済的にも中心的な役割を担っていたのである。

2.  《創世記》レリーフに関する先行研究と問題提起

 モデナ大聖堂は

3

廊式のバシリカ形式聖堂である。躯体を煉瓦で建造し、そ の外壁を白大理石など主に白色の石材で覆っている。ファサードを中心に配置 されている浮彫彫刻は、北イタリアのロマネスク美術を代表する彫刻と位置づ けられている。特に、松明を持つ一対の有翼童子のレリーフやアーケード枠内 に人物像を配置した表現などは、古代石棺の図像をモデルとしたモニュメンタ ルなロマネスク彫刻の初期の例として、サルヴァトーレ・セッティスの論文な どでも重要視されている

 《創世記》レリーフはファサードの扉口周辺に設置されており、創世記の天 地創造からノアの物語までの場面が長方形の

4

枚のパネルに分けて描かれてい る。

1

枚目には、「創造主」、「アダムの創造」、「エヴァの創造」、「原罪」(図

2)、

(5)

65 モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ

2

枚目には、「神の前のアダムとエヴァ」、「楽園追放」、「地を耕すアダムとエ ヴァ」(図

3)、3

枚目は「アベルとカインの奉献」、「カインによるアベルの殺 害」、「神とカイン」(図

4)、そして 4

枚目は「レメクに殺されるカイン」、「洪 水」、「洪水後の地に出るノアの家族」の場面(図

5)であり、それぞれの場面

の内容はアーケード枠内の人物の身振りや表情によって表現されている。

 これらの《創世記》レリーフについて、先行研究では次のように解釈されて いる。まず、フルゴーニは

1999

年の著作で、楽園追放後のアダムとエヴァは、

図2  ヴィリジェルモ《創世記》(左から「創造主」、「アダムの創造」、「エヴァの創造」、

「原罪」)、12世紀初頭、大理石および石灰石、モデナ大聖堂ファサード

図3  ヴィリジェルモ《創世記》(左から「神の前のアダムとエヴァ」、「楽園追放」、「地 を耕すアダムとエヴァ」)、12世紀初頭、石灰石、モデナ大聖堂ファサード

(6)

アダムが地を耕し、エヴァが子を抱いている姿で描かれるのが通常であるのに 対し、モデナの《創世記》レリーフではともに耕作する姿で描かれている点に 注目した。このほかにも「農夫」として解釈されることのあるカインについ て、奉献の場面で神に捧げものを受け取られないという表現が和らげられてい ることも特徴的であると指摘し、この背景には、周辺農地を含めた領域都市と しての発展に加えて商人や職人などの台頭といった都市の変化があると論じて いる。

図4  ヴィリジェルモ《創世記》(左から「アベルとカインの奉献」、「カインによるアベルの 殺害」、「神とカイン」)、12世紀初頭、大理石および石灰石、モデナ大聖堂ファサード

図5  ヴィリジェルモ《創世記》(左から「レメクに殺されるカイン」、「洪水」、「洪水後 の地に出るノアの家族」)、12世紀初頭、石灰石、モデナ大聖堂ファサード

(7)

67 モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ

 一方、グラスは

2010

年の著作において、グレゴリウス改革に対するモデナ の反応という視点から聖堂外壁彫刻の図像解釈を行った。その解釈の核と なっているのが創造主の表現である。グラスは、『パンテオンの聖書』(図

6)

など、グレゴリウス改革推進のためにローマで制作され広く西ヨーロッパ各地 に贈られた大型聖書とモデナの《創世記》レリーフとの関連性を指摘している。

どちらも創造主の図像で始まり、大型聖書は「楽園追放」までの場面、モデナ は「洪水後のノアの家族の場面」までの場面を

4

枚の長方形の画面に連続して 描いている点で共通しているが、グラスは、特に十字の光背を伴うキリスト=

ロゴスが創造主として描かれているという共通点に注目し、モデナの《創世記》

レリーフではこのキリスト=ロゴスを各場面に登場させることにより地上の教

図6 《創世記》『パンテオンの聖書』1125年頃、バチカン使徒図書館蔵

(vat. lat. 12958 fol. 4v)

(8)

会の創設者であり統治者であるキリストの役割を強調し、グレゴリウス改革が 理想とする教会のあり方を示そうとしていると論じている。具体的には、創 造主を十字の光背を伴うキリスト=ロゴスの姿で描くことによってアダムとキ リストを対比させ、エヴァがアダムの右のわき腹から取り出されたように、磔 刑によって右脇腹から血を流した第二のアダム=キリストによって罪を贖う教 会の役割を強調していると解釈している。また、アベルとカインの奉献の場 面については、これはアベルを正しい聖職者、カインを聖職売買を行った聖職 者であると解釈し、あえて聖書外典から引用した「レメクによるカインの殺害」

の場面で、原罪の場面から続く悪のサイクルが閉じられると説明している。 そして、4枚目のノアの方舟の場面については、方舟が洗礼または教会に入る ことのシンボルであることから、キリストの贖いによって人々を救済する教会 の役割を示していると解釈している。

 以上のグラス解釈は、教会の役割という視点から非常に筋が通っており、納 得できるものである。しかし、グレゴリウス改革の理想をどこまで意識してプ ログラムされたものであるかという点についてはまだ疑問が残る。

 したがって、以降の章では、グラスの解釈において特に重要視されていた冒 頭の創造主の図像について、大型聖書の系列の図像とモデナの《創世記》レ リーフの図像の比較を行う。

3.   創世記冒頭に描かれる創造主図像

──旧サン・ピエトロ聖堂壁画をモデルとする作例との比較──

 モデナ大聖堂の《創世記》レリーフ冒頭の創造主は有髭の全身座像で描かれ、

右手で祝福の身振りを示し、左手に「私は世の光である」と書かれた書物を 持っている。創造主の姿はマンドルラで囲まれ、このマンドルラを二人の天使 が支えている(図

7)。

 一方、グラスの研究で関連性が指摘されている『パンテオンの聖書』などの

(9)

69 モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ

大型聖書に描かれる創造主はいずれも髭なしの半身像で描かれている。右手の 祝福の身振と左手の書物はモデナの例と共通するものの、その周囲を囲んでい るのはマンドルラではなく円形の枠であり、左右に描かれた天使はその枠を支 えるのではなく、太陽と月を伴い、手のひらを上に向けた礼賛の身振りをして

いる(図

8)。モデナ大聖堂《創世記》レリーフ冒頭の創造主と比較すると、

大型聖書の創世記冒頭場面の創造主の図像は(1)無髭の半身像、(2)円形枠、

(3)太陽と月を伴う礼賛の身振りの天使といった異なる特徴を持っていること が分かる。

 大型聖書に見られる上記(1)および(2)の特徴は、エドワード・ギャリソ ン等により「ローマ型」として分類・研究されている創世記図像に特有のもの 図7  ヴィリジェルモ《創世記》(「創造主」部分拡大)、12世紀初頭、大理石および石

灰石、モデナ大聖堂ファサード

(10)

である。この「ローマ型」の創世記図像は初期キリスト教時代の作例である 旧サン・ピエトロ聖堂の身廊壁画をモデルとしていると考えられており、大型 聖書のほかに、チェーリのサンタ・マリア・インマコラータ聖堂の壁画(1100

〜30年)など、11世紀後半以降にローマ近郊の聖堂で盛んに制作された身廊 壁画などがある。旧サン・ピエトロ聖堂の身廊壁画は現存しないものの、これ をモデルとした同時期(4世紀頃)の作例として、サン・パオロ・フォーリ・

レ・ムーラ聖堂身廊壁画が挙げられる。この壁画は

1823

年の火災によって焼 失しているものの、17世紀のスケッチが残されている(図

9)。このスケッチ

では、後世の加筆によりキリストが有髭の姿になっているが、制作当時は無髭 の姿で描かれていたと考えられている。したがって、大型聖書の(1)およ び(2)の特徴は旧サン・ピエトロ聖堂の身廊壁画などの

4

世紀のローマに存 在した創世記図像の特徴をそのまま踏襲したものであると言える。一方、モデ ナの創造主図像では、5世紀頃から西ヨーロッパでみられるようになった有髭 の表現や、8世紀頃のカロリング朝宮廷派の写本以降に現れたマンドルラで囲 む表現を採用しており、初期キリスト教時代の表現からはかけ離れていること が分かる

 さらに、モデナ大聖堂《創世記》レリーフ冒頭の創造主図像と大型聖書の創 図8  《創世記》『パンテオンの聖書』(「創造主」部分拡大)、1125年頃、バチカン使徒

図書館蔵(vat. lat. 12958 fol. 4v)

(11)

71 モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ

世記場面冒頭の創造主像では、創造主に伴う天使の表現も大きく異なってい る。モデナの例では二人の天使はマンドルラを下から支えているのに対し、大 型聖書では特徴(3)で挙げたように、太陽と月を伴う礼賛の身振りで描かれ ている。大型聖書に見られるこのような図像もギャリソンの研究において

「ローマ型」の創世記図像の特徴として挙げられているが、チェーリのサンタ・

マリア・インマコラータ聖堂の壁画などのように昼と夜の擬人像で描かれてい るものも存在する。いずれにしても、天使に伴う太陽と月、または昼と夜の擬 人像は、天地創造の第一日目の光の創造を表している。この光の創造の場面で 礼賛の身振りをしている天使の図像については、ジローナの刺繍布の創造主図 像について分析した金沢百枝の論考によって詳しく説明されている

 金沢は、大型聖書の創世記第一場面に見られる「円形枠」、「キリストの左右 にいる天使」、「無髭の創造主」といった特徴が詩篇

148

篇による創造主礼賛 の図像と共通しており、特にキリストの左右にいる天使がどちらも礼賛の身振 図9  「創造主」旧サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂身廊壁画スケッチ、バチカ

ン使徒図書館蔵(Barb. lat. 4406, f. 23r)

(12)

りをしていることを指摘した。

 「詩篇」第

148

篇は「アレルヤ詩篇(allelujaticum)」の一つであり、「天に おいて主を賛美せよ」で始まる前半部では天使や太陽、月などの天上界が神を 賛美し、「地において主を賛美せよ」で始まる後半部においては、地上界の被 造物が創造主である神を賛美するものである。例えば『テオドロス詩篇』第

148

篇の挿絵(図

10)においては、二人の天使が礼賛の身振りをして天にお

ける創造主を礼賛している。

 この詩編第

148

篇挿絵と大型聖書の創世記第一場面との関連性を示すもの として、金沢はラヴェンナの司教館食堂に描かれた壁画の記録に言及してい る。その壁画は、旧サン・ピエトロ聖堂内壁に基づいて描かれたもので、『ラ

図10 「詩篇」148『テオドロス詩篇』11世紀、大英図書館蔵

(Add. Ms. 19352, fol. 187r)

(13)

73 モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ

ヴェンナ司教列伝』においては「詩編」第

148

篇に基づく場面であると記録 されている。この図像について金沢は「ローマ型」の創世記図像の第一場面で はないかと指摘し、礼賛の天使が描かれる「ローマ型」の創世記図像の第一場 面と「詩編」第

148

篇挿絵などの創造主礼賛の図像に共通する起源となった 礼賛図が存在した可能性を指摘している 。

 また、同じ起源から派生したと考えられる創造主礼賛の図像として、金沢は

『エクスルテット・ロールズ』と呼ばれる図像群を例に挙げている。大型聖書 やモデナ大聖堂と制作年代が近い例としては、

1075〜1080

年頃にモンテ・カッ シーノ修道院で制作された『エクスルテット・ロールズ』の冒頭の図像(図

11)が挙げられる。『エクスルテット・ロールズ』は大蝋燭の祝別の際に使用

図11 「天」『エクスルテット・ロールズ』1075〜1080年頃、大英図書館蔵

(Add. MS. 30337)

(14)

された復活徹夜祭の典礼文や詠唱を含む巻子本である。この典礼はモンテ・

カッシーノ修道院を中心に南イタリアで

10

世紀から

13

世紀頃まで行われて いた。このような『エクスルテット・ロールズ』の天使の図像が被造物による 創造主礼賛という性格を持つことは、復活祭の開始を告げる典礼文が

Exulet iam angelica truba caelorum

(天界の天使の一群よ、今、喜びたまえ)という 言葉から始まり、続いて大地に対して「喜びたまえ」と呼び掛けているもこと からも明らかであると金沢は指摘している

 以上のことから、大型聖書に見られる礼賛の身振りをする二人の天使は

4

世 紀頃のローマに存在していた詩篇第

148

篇に基づく創造主礼賛の図像と同じ 系列のものであり、創造主礼賛の図像は

11

世紀以降においても『エクスルテッ ト・ロールズ』の図像などに発展して、その意味を保持しながら使われていた ことが確認できた。

 一方、モデナ大聖堂《創世記》レリーフ冒頭場面の二人の天使はマンドルラ を支えており礼賛の身振りをしているとは言えず、太陽や月といった被造物を 示す要素もない。また、創造主が手にした書物の内容は「わたしは世の光であ る」であり、これは《創世記》レリーフ

3

枚目の「アベルとカインの奉献」場 面の「私に従うものは暗闇の中を歩かず」と合わせてヨハネによる福音書

8

12

節となるものであり、『エクスルテット・ロールズ』のような被造物による 礼賛という意味は含んでいない。

 ここまでの比較から、筆者はモデナの例はグラスが指摘するほど大型聖書と の関連性は深くないのではないかと推測する。モデナの例は、旧サン・ピエト ロ聖堂をモデルとした初期キリスト教時代の様式から乖離しているだけでな く、特に天使の図像の比較から、大型聖書の創世記冒頭場面の創造主図像は別 系統の図像である可能性が考えられる。

(15)

75 モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ

4.   創世記冒頭に描かれる創造主図像

──東方の昇天図像に由来する玉座のキリスト像との比較──

 モデナ大聖堂の《創世記》レリーフ冒頭場面に見られる「二人の天使に支え られた創造主」の図像の系統について、筆者は東方の昇天図像に由来するもの ではないかと推測している。

 「二人の天使に支えられた創造主」が描かれる昇天図像は、6世紀のシリア やパレスチナのキリスト昇天の図像を源流としており、使徒言行録

1

11

「あなたがたから離れて天に挙げられたイエスは、天に行かれるのをあなたが たが見たのと同じ有様で、またおいでになる」に基づいて、キリスト昇天とい う歴史的出来事の描写ではなく、時間を超越した神の顕現および栄光を表すた めに用いられるようになったものである 。古い例ではフィレンツェのラウレ ンツィアーナ図書館所蔵の『ラブラの福音書』の「主の昇天」の場面(図

12)において、再臨の栄光を暗示する表現の萌芽が見られる 。この写本では、

円形の枠に囲まれたキリストを引き上げている二人の天使とは別に、王冠を差 し出す二人の天使を描くことで再臨の栄光を象徴させている。

 このような東方起源の「主の昇天/再臨」の図像が西ヨーロッパで制作され た例はあまり確認されていないものの、二人の天使に支えられた玉座のキリス トを描いた図像はモデナ以外にも存在する。代表的な例としては、ベアトゥス による『黙示録注釈書』の写本が挙げられる。例えば

1086

年頃制作されたブ ルゴ・デ・オスマ古文書館蔵の「最後の審判」の場面(図

13)のキリストは、

二人の天使が支えるマンドルラに囲まれ、左手に書物を持ち、右手で祝福の身 振りをしており、モデナ大聖堂《創世記》レリーフ冒頭の創造主と共通する特 徴を持っている。このほか、若干表現にバリエーションがあるものの

9

世紀か ら

13

世紀にかけて制作されたベアトゥス『黙示録注釈書』の写本の多くにお いても同様の例が多く見られる。これらのベアトゥス写本の例で二人の天使が

(16)

玉座のキリストを支える図像が使われているのは、「千年間の支配」、「最後の 審判」、「天において主を讃える声」などの場面であり、いずれも天の玉座に再 臨するキリストの栄光を表すものである。

 同様の例は、12世紀初頭のブルゴーニュ近郊のティンパヌムにも存在する。

いずれの例においても、二人の天使が支えるマンドルラの中に描かれた有髭の 全身座像のキリストが左手に書物を持ち、右手で祝福の身振りをしており、モ デナの創造主図像と特徴が一致している。これらの例の中で特に重要なのは、

ヴァンダンのサン・ピエール聖堂正面扉口ティンパヌム(図

14)である。こ

のティンパヌムでは、マンドルラの左側に

Benedicat et edem

([この教会]

も祝福する)、右側に

Miestas domini

(主の栄光が)という銘文が彫られて 図12  「主の昇天」ラブラの福音書、フィレンツェ、586年、ラウレンツィアーナ図書

館蔵(cod. Plut. I, 56, fol. 13v)

(17)

77 モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ

おり、この図像がマイエスタス・ドミニ(主の栄光)の図像として扱われてい たことを示している 。

 以上の例から、二人の天使に支えられた全身座像の創造主の図像は、その起 源である東方の「主の昇天」の図像から一貫して主の再臨と栄光を意味してい るという事が指摘できる。したがって、同じ特徴を持つモデナ大聖堂《創世記》

レリーフ冒頭の創造主の図像もこの系列に連なるものであり、主の再臨と栄光 を予示しているものであると言える。このことから、モデナ大聖堂《創世記》

レリーフ冒頭の創造主の図像は、初期キリスト教時代の図像に由来する創造主 礼賛の図像を含んだ大型聖書の創世記冒頭場面とは異なる意味を含んだもので あり、グラスが指摘したようなグレゴリウス改革に対する強い意識を反映させ 図13  「最後の審判」『ベアトゥス黙示録注釈書』1086年頃、ブルゴ・デ・オスマ古文

書館蔵(Cod.1 f.157v)

(18)

たものではないと筆者は考える。

おわりに

 以上の論考により、モデナ大聖堂の《創世記》レリーフの創造主図像につい ては、大型聖書のように初期キリスト教時代の創造主図像をモデルとしたもの ではなく、東方起源の「主の昇天/再臨」の図像がモデルである可能性を指摘 した。モデナ大聖堂では、創造主の表現以外にもビザンティン由来の《獅子の 口を裂くサムソン》など、東方起源の様式で描かれた図像が散見される。モデ ナ大聖堂のファサードのレリーフ群全体の解釈において、このような東方起源 の図像についてはこれまでほとんど注目されてこなかった。しかし、東方に起 源を持つ図像も同聖堂のファサード全体の図像解釈において重要な意味を持つ と考える。この点については今後稿を改めて論じることとする。

図14  サン・ピエール聖堂 正面扉口ティンパヌム、フランス、ヴァンダン、12世紀 初頭

(19)

79 モデナ大聖堂ファサードの《創世記》レリーフ

⑴ 人名の読み方については、聖人・教皇の名前はラテン語読み、その他は基本的には イタリア語読みとした。また、日本で一般的に通用している読みがある場合はそれに 倣った。最初の聖堂の建設についてはCappelletti 1859, p. 206を参照。

⑵ Frugoni 1999, pp. 9-38; Frugoni 1985, pp. 422-431.

⑶ Glass 2010, pp. 165-174.

⑷ 当該史料の表題に相当する部分は«relatio sive descriptio de innovatione ecclesie Sancti Geminiani, Mutinensis presulis, ac de translatione vel revelatione seu etiam con- secratione eius beatissimi corporis a domno Paschali, sancte Romane sedis summon pontifice, diligenter celebrata.»(モデナの司教聖ゲミニアヌスの聖堂の再建について、

およびローマの最高司祭であるパスカリス教皇によって厳かに執り行われた聖ゲミニ アヌスの聖骸の移葬、確認、そして奉献についての記述および報告)である。『聖ゲ ミニアヌス移葬記』という表題は児嶋2008に準拠した。

⑸ Cappelletti 1859, p. 206.

⑹ 『移葬記』においては以下のように記載されている。日本語訳は筆者による。«Tan- dem, divina disponente providentia unito consilio non modo clericorum (quia tunc temporis prefata quidem ecclesia sine pastorali cura agebatur), sed et civium, universa- rumque plebium prelatorum, seu etiam cunctorum eiusdem ecclesie militum, una vox eademque voluntas, unus clamor idemque amor, totius turbe personuit iam renovari, iam rehedificari, iam sublimari debere tanti talisque patris nostri ecclesiam.»「そして最 終的に神の摂理により、聖職者達だけでなく──先述の教会は、当時まさに司教なし で運営管理が行われていたので──、上層市民、あらゆる小教区の代表者、同教会の あらゆる騎士達を含めた皆の意見がまとまり、皆が同じことを求め、同じ思いで、今 こそ偉大なる我らの父の教会を復活しよう、今こそ再建しよう、今こそ称揚しよう、

という声を群衆全体に響き渡らせた」(Al Kalak 2004, p. 22.)

⑺ 『移葬記』における記述と実際の献堂に関する論考は、児嶋2008を参照。

⑻ 銘文の内容は以下の通り。日本語訳は筆者による。訳文の[ ]内は筆者による補足。

«Marmorib(us) sculptis Dom(us) haec micat undiq(ue) purchris/ Qua corpus s(an)c(t)i requiescit Geminiani./ Que(m) plenu(m) laudis terraru(m) celebrat orbis./ Nosq(ue) magis quos pascit alit vestiq(ue) ministri./ Qui petit ic veram membris animaeque medela(m)./ [...] recta redit hincq(ue) salute recepta./ Ingenio clarus Lanfrancus doctus et aptus./ Est operis princeps huius. rectorq(ue) magister./ Quo fieri cepit demonstrat littera presens./ Ante dies quintus Iunii tunc fulserat idus./ Hos utiles facto versus com-

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posuit Aimo./ Boçalinus massarius sancti Ieminiani. Hoc opus fieri fecit.»「大理石は鑿 で形作られ、この聖堂はあらゆる方向に美しく輝く。ここに聖ゲミニアヌスの聖骸が 眠る。栄誉の欠けるところのない彼を全世界が祝福する。我々はむしろ、[ゲミニア ヌスが]牧する者達であり、また[神への]奉仕の衣のために[彼が]はぐくむ者達 でもある。彼は請うている。その各々のために、魂の真の療治を。[文字欠落][魂は]

正しき状態になり、これから救済者によって回復される。その才能により傑出した熟 練者かつ適任者であるランフランコはこの建築の主導者であり、指導者であり、監督 者であり、それゆえに成されるべきことに着手し、ここにある文章が[それを]記述 する。6月の満月[イドゥス]が輝く時から5日前[6月9日]有用なこれらの成就 に向けてアイモーネが起草する。聖ゲミニアヌスの行政官ボッツァリーノがこの銘板 を制作した。

⑼ 銘文の内容は以下の通り。日本語訳は筆者による。«Du(m) Gemini Cancer / cursu(m) consendit / ovantes. Idibus/ in quintis Iunii sup t(em)p(o)r(e)/ mensis. Mille Dei/ carnis monos cen/tu(m) minus annis./ Ista domus clari/ fundatur Gemini/ani./ Inter scultores quanto sis dignus onore claret scultura nu(n)c Vuilgelme tua.»「双子座の軌 道を蟹座が歓喜して昇るとき、1099年6月9日誉れ高き聖ゲミニアヌスのかの聖堂 が創建される。彫刻家達の中でもどれほど栄光にふさわしいか、ヴィリジェルモよ、

今そなたの彫刻が明らかにするだろう」

⑽ モデナ大聖堂建設当時の社会的・経済的背景については以下の論文を参照。Fuma- galli 1985; Golinelli 1985; Golinelli 2001.

⑾ Settis 1985; Pagella 1985.

⑿ Frugoni 1999, pp. 9-38.

⒀ Glass 2010, pp. 109-198.

⒁ Glass 2010, pp. 165-174.

⒂ エヴァがアダムのわき腹から取り出されたように、教会も主のわき腹から生まれた とするアウグスティヌスの聖書解釈に基づく(Augusutine 1956)。

⒃ カインを悪しき聖職者とみる解釈の根拠として、グラスはフランスのベネディクト 会修道院長フンベルトゥス(1015〜1061)の聖職売買に関する議論「たとえある者 が適切な捧げものをしても、それが正しく分けられなければ、捧げた者はカインの苦 しみを負うことになる」を引用している(Glass 2010, p. 171)。フンベルトゥスは俗 人による叙任や秘跡の対価としての金銭の授受を厳しく非難していた。フンベルトゥ スの聖職売買に関する議論はロビンソンのモノグラム(Robison 1977)を参照。

⒄ 「ローマ型」の特徴に関してはギャリソンの論文(Garrison 1993, pp. 201ff)にまと

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められている。「ローマ型」の分類・研究についてはガーバーのモノグラム(Garber 1918)、およびギャリソン(Garrison 1993)、ケスラー(Kessler 1989)の論文を参照。

⒅ Proverbio 2016, p. 180.

⒆ Vergnolle 2008

⒇ 金沢2008、79-115頁。

 金沢2008、104-105頁。

 金沢2008、103-104頁。

 Grabar 1978, p. 209; 辻1970、11頁。

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html(最終アクセス2019/10/19)

参照

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