﹁世界を奥の奥で統べているのは何か︑それが知りたい︑そこで働いている小切の力︑∵切の種子ほ何か︑それ
が見たい﹂というファクストの仙旬はややもすればアルタイザソ的な日常のうちに埋没し勝ちな我々の歴史意識を ︑ 橘新な息吹を以って覚醒せしめる︒そして我々は我々の歴史学がこのような清新な歴史意識にうらうちされている
かどうかを改めて反省せざるを得ないのである︒
ところで︑歴史研究者においてその主体的な歴史意識がその人の歴史研究の中にどのように貰いているかは︑研
究者が如何なる現実的な発言を行っているかをその歴史学的許究の具体的な成果と相即させて考察する時︑明らか
になると思われる︒けだし︑歴史家においてほ過去の歴史に対する姿勢は同時に現実に対する姿勢でなければなら
ないし︑このことほ特に卓抜な歴史家において明らかであるからである︒従って戦後すぐれた歴史学的業績を発表
/ されつつもなお現実に関する積極的な発言をされている歴史家についてたとえ少数の人々であれこの点につき若干
の考察をなすことは特に我々の如き初学者にとってほ忠義なしとしないであろう︒以下︑〟応マ・ルクス主義の立場
をとると思われる二・三の方々について考察することとしたい︒なお︑紙面の都合上︑必ずしもマルクス主義の立
︵享︼七︶ 八七 歴史学とマルクス主義
歴史学と マ ル ク ス主義
− 階 級 と 民 族 −
ノ
ヾゝ −刀 ︑ぜぐ 家 名 田 克 男
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第三十二巻 第一子四・五号 ︵三二八︶ 八八
場をとられてほいないが︑後述の人々と同じく重要な位置を戦後歴史学界に占めておられる林健太郎氏や上原専禄
氏に関する考察ほこれを別の機会に譲ることとしたこと︑そして以下の文中でほ敬語を出来るだけ略させて頂くこ
とを予めお断りしておきたい︒
一階 級 と 歴 史
戦後の歴史学界においていろいろな意味で大きな位置を占めているのほ何といっても大塚久雄氏であろう︒民の
方法の特徴はウェーバーの業観の摂取にあるであろうが︑七かし︑一応戦前の講座派理論の流れをくむものである
ことほ明らかで︑結局氏の理論はこの流れの中でウェーバーの業績を摂徹したという点にその山つの意義があるも
︵1︶ のと思われる︒従って︑氏に関して︑よく︑マルクス主義者でなく︑クェーベリアンであるとなす批評をしばしば
聞くのであるが︑私ほやほりマルクス主義の枠内において論ずる
申すまでもなく︑氏功業椒は︑具体的にほ︑﹁資本論﹂三巻四七章﹁資本制地代の発生﹂︑享巻二〇章﹁商人資
本の歴史的事項﹂︑一巻二四頚﹁いわゆる本源的蓄積﹂︑一巻山二茸﹁分業とマl㌦エファクチュア﹂︑山巻二÷茸
﹁機械と大工業﹂の線上に展開されたものであり︑特にその研究の重点ほ戦中︒戦後を通じて﹁資本主義の成立﹂
に置かれ︑しかも︑成立に関して﹁二つの道﹂Ⅵぁることを示した﹁商人資本の歴史的事項﹂において成立の正常
な道とされたのほ生産者が資本家になるケースであった点にもかんがみて︑生産力の歴史的展開に歴史研究のかな
めがおかれたわけである︒そして︑氏による唯物史観やマルクス経済学の把握の仕方も︑かつて発表した幼稚な拙
︐︐ ︵2︶ 稿において触れた如く︑生産力の自己発展を歴史的発展の原動力とし︑それに伴って惹起する分其の展開︑生産関
係の変化こそが社会の歴史的性格を決定するという形をとるのである︒従って︑宇野弘威氏がしばしばいわれる如
へ3︶ き︑例えば中世社会における生産力の発展ほ当該社会の外部における商業の展開登別提とするといった視点からの
方向とは明らかに異るわけであって︑.資本論の解釈もまたかかる観点からなされており︑宇野理論とほ其向から対
立するわけである︒また︑とのことほ︑叫応レーニンの﹁ロゾアにおける資本主義の発達﹂の大すじ山の論理とも
致することであって︑氏の立場ほ日永におけるマルクス主義歴史学の一形態であることは先ず間違いあるまい︒
へ4︶ しかし︑大塚史学の特殊性ほ︑しばしば線描されるように︑こぅいった基礎過程の分析の他に︑人間の意識面の
︳ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︳ヽ 新しい位置づけを行った点にあるといわなければならない︒例えば﹁客体的条件が存在する場合にのみ︑かの近代
的人間類型な直接に指向するところの勤労・節約等々の生産力的性格が芽生えてくるのなほっき′りと看取すること ヽヽヽヽヽヽ︑ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ が出来る︒而してかうして客体的諸条件にしっかと足場をたもちつつ︑イギリス農民︑就中あのヨウマン閻を近代
ヽヽ 的人間類型 − これ︑こそが近代生産力形成の最大の要因である−−1に教育したところのものこそ︑かのビューリタ
︑さし ニズムの宗教的雰問気であったのである︒﹂ へ労点筆者︶ といった大塚底の文章は端的にこのことを物語る︒
ここで︑我々は更に現代日本に関する氏の発言の内容な検討tなければならない︒先ず︑氏によれほ︑終戦まで
の日本の社会経済的構成ほ蘭建的絶対主義と特徴づけらるべきものである︒ところが︑このような段階に比定され
るのは十六︒七世紀のイギリスであるが︑例えば両者の農村を比較してみると︑大きな差違が見られる︒即ち︑氏に
ょれば︑イギリスを含めての西欧ほ土地の生産性が極めて低く労働の生産性が高いのであるが︑東洋とくに日本に
おいてはその逆で土地の生産性が高く労働の生産性が低い︒両者の間にはこ秒ような歴史的性格の相途︑或は農叢
生産ひいては生産力叫般の賀の相違が見られると/される︒そして︑氏はこの理由を説明して次のようにいう︒
即ち︑西洋でほ牧畜が大きな比雷をもち畑作農業が特徴的であるのに反し︑東洋においてほ原初から低度な農具を
もちいて人間労働を濫費するところの集約農業︵その集中的表現たる水田︶が行われているからであると︒この生
歴史学とマルクス主義 ︵三二九︶ 八九
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第三十二巻 第三・四・五官 ︵三三〇︶ 九〇
産力における東洋と西洋との帝離はそのように古く︑一つの宿命とさえ考えられかねないものであるが︑しかし︑
氏によれば︑地理的条件を考慮に入れても︑このような生産力の進展にとって都合の患い条件ほ︑﹁生産力の主体
︵6︶ 的条件の確立︑すなわち民衆の示す人間類型の近代化にょって充分に克服しうるものである﹂とされる︒別の箇所
にも次のような文章が見出される︒即ち︑﹁こうした生産力的宿倫が一見︑技術の面におけるように見えても単に ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 技術の変革のみをもってしてこれを打破しうるとほ決して考えない︒なによりも必要なのほ生産力の主体的要因た
る勤労民衆︵労働力︶を古き旧き段階の人間類型から真に近代的な生産力的な人間類型へと﹃教育し行く﹄ − もと
1ヽ 11 ︵7︶ より最広義において − ことが第一の︑最大の条件であろう︒﹂︵努点筆者︶︒そして︑氏ほこの人間類型の創出に
平行して同時進行的にしかもこれをバック・アップして行くべき条件として︑西欧近代社会の発達史においこ明確
な歴史的事実と称せられる典型的な自作農成層の本格的創出︵つまり農地改革︶が行われなければならないことを
論じている︒我々はここに講座派的なマルクス主義理論の延長上に独自な主体的条件への言及を見るのである︒勿
論︑このような人間類型論ほ明らかにウェーバーの﹁プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神﹂によるもの
であって︑人或はこれを以てマルクス主義の側からの論及であるとするのほ寧ろ誤りであるとするかもしれない︒
しかし︑私ほ︑従来のマルクス主義においては二般に観念形態を土台の反映として捉える傾向が強く︑観念形態
の土台への影智戎ほ機能といったものに対してほ余り考察がなされなかったように思うのであって︑大塚氏の場合
ほ︑マルクスが﹁資本論﹂ 山巻二軍四節﹁商品の物神的性格とその秘密﹂において述べている有名な文章﹁かかる ︑
商品生産者たちの社会にとっては︑抽象的人間を礼拝するキリスト教が︑殊に︑そのプルジョテ的発展たる新教・
理神論・等々としてのキリスト教がもっとも相応しい宗教形態である︒﹂を考慮におくとき︑戦争直後ほなお戦時中
のウエーバー的な社会学的理論の影響が大きく観取出来るとはいえ︑氏の本来の志向ほ講座派的マルクス主義の枠
/J
内で観念形態の機能の面を取上げ︑とくに思想と土台の間にエートス ︵精神的雰閻気︶を設定することによってこ
れを具体化しようとしたものと考えられ︑マルクス主義のぎりぎりのところでウェーバーを生かそうとしたもので
あろうと考えられるのである︒このことほその後の氏の業績を後付けることによっ七明らかになるであろう︒
さて︑大塚氏ほ︑その後社会学から経済学へと本来の方向を露わにして来る過程において︑近来マルクスの遺稿
﹁資本制生産に先行する諸形態﹂の発表を契機として︑所謂﹁共同体の理論﹂を発表し︑資本主義の成立に関する
︵8︶ 上述の基本的理論をなお一層整理︑具体化するに至ったのである︒即ち︑周知の如く︑近代資本主義社会以前のア
ジア・苗代・中世の社会の基底にそれぞれ共同体のアジア的形態・古典古代的形態及びゲルマン的形態を設定し︑
産業資本ほ本質的にいわば反共同体的性格を持ち︑その端緒ほゲルマン共同体の内部からそれをつき崩す形で展開
する局地的市場圏=局地内的分業を基盤として成立してくるとされる︒従って︑封建的諸要素を前提とし︑本来
反資本主義的性格をもつとされた前期的商業資本の如きも︑何らかの形での共同体の存在を前提とした﹁隔他聞
商業﹂のうちに実存するとされ︑更に前期的商業資本が本来的な産業資本の展開︵第山の道︶がもはや押えることが
出来ない程になって始めて自らもまた産業資本に転化するとされた資本主義成立の第二の道に関しても︑ここにお
いては︑共同体の解体が共同体の再構成︵封建的反動︶の試みをも不可能にする程進むに至って︑所謂﹁蓄積基盤の
移行﹂が行われたという風に説明されるのである︒また︑大塚氏の場合︑従来︑所謂﹁封建制から資本制への移行﹂
を﹁︵前期的︶商業資本と産業資本の対立﹂として捉えるとの印象を与える側面が強く出て︑﹁封建的土地所有と
へ9ノ 産凝資本の対立﹂という︑より本資的な規定が背景に退いてしまっていたわけであるが︑ここにおいてこの本質的
規定がはっきりと打出され︑かつ︑この時期の︑農業工業その他︑経済︵社会︶の構造と運動とが二賞した論理に
ょって説明されるに至ったのである︒そして︑もう一つ注目に価することは︑同じ大塚史学に属するとされる高橋
︹︑三三二︶ 九山 歴史学とマルクス主義
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幸八郎氏の場合︑例えば︑所謂﹁封建的反動﹂の説明に際して︑上昇しっつあった反封建的性格をもつ農民が封建
支配層によって再び封建的農民−皇正確にほ半封建的農民−トた押し下げらる歴史的事実の歴史学的説明を﹁力閑
︵Ⅲ︶ 係﹂というような史的偶然に委ねているのであるが︑大塚氏の場合はこれをいわば史的必然性の形で具体的に説明
することに成功したわけである︒
更に注意しなければならないのは︑共同株というものほ土地所有の規範として捉えられるのが普通であるが︑
氏の場合ほこの共同体の理論が意識形態把握の上にも重要な意義あるものとされていることである︒例えば氏の
﹁‖︶ 門下の住谷二彦氏の説明によれば︑中世カトり/ックの倫理は︑要するに︑世俗外に逃避し修道院の中で増心神の
道にいそしむべきことを要請する半面︑世俗的な領域に関しては伝統主義的な諸原理に委ねるといったていの︑い
わば二重倫理ともいわるべき内容をもつとされ︑しかもこれは共同体における経済の二重橋造つまり内部経済︵Bi・
nnenwirtschaft︶と外部経済︵Aussenwirtsc訂ft︶との二重性に相応ずるものであるとされる︒この点詳言する
と︑共同体の内部においては︵封建支配層の下に︶共同体成員の平等や自給自足が原理的に要請されるとともに伝
統主義的な欲求充足に従って規制され総てが運営されるのに反し︑共同体の外部においては ︵封建的支配層によっ
て︶共同体内の諸原理と関係なく思うままなる利盗追及が行われるのであるから︑住谷氏したがって大塚氏によれ
ば︑カトりノックの二重倫理と中世の共同体とは明らかに相応ずる性格をも′つとされるのである︒かかる観点からす
れば︑このような二重構造を持つカトリレズムに対立して世俗内において神の召命としての職業を禁欲的に果すこ
とを求めるプロテスタンティズムの歴史的意義も仙層明確に把握されることになり︑そしてこれが共同体の内部か
ら局地的市場圏を足場として自生的に展開してくる小プル汐ヨア経済︵資本主義︶の主休的意識或はその派生的形態
と連関するという事情もまた適確に理解され得るとせられるわけである︒
従って︑大塚氏が氏の論理を現爽問題に適用する場合も︑以前の場合においては独立自営農民の創出︵農地改革︶
と所謂近代的人間類型の創出を主張されたわけであるが︑最近の氏の論理によれば﹁村はちぶ﹂の如き旧式な地主
︵12し 支配に結びつく部落規制秩序=共同体規制に対して批判的であることになるわけである︒そしてこの共同体論の申
に以前の二つの条件ほ過不足なく盛りこまれノているこセほ申すまでもない︒
じかし︑この二つの時期の間にほ論点の微妙なちがいがあることほ否定出来ない︒勿論︑大塚史学の基本的な論旨
は依然として変りないが︑クヱトバー色か少しくうすれ︑経済学の色彩がより濃厚になったことほ認めることが出
来る︒例えば︑その観念形態論においても前述の機能論的視角が少しく背景に退き︑マルクス主義的な反映・発生
︵柑︶ 論的視角が前面に出て来た点︑そしてもう鵬つ︑既に述べたように︑歴史の流れを可能な限り必然性において把握
する傾向が強くなったことほ否定すべがらざる事実ではないかと思われる︒これを要するに︑筆者の見解によれ
は︑大塚史学ほ最近に至って教科書的マルクス主義でほないにしても共同体論を媒介として氏なりにマルクス主義
め二∴形髄としての様相を以前より濃厚にして来たとすべきであろう︒そしてこの点でやはり氏の業績が大塚史学と
呼ばれるにふさわしい独自性と優越性を持っていることは認めざるを得ないであろう︒
へ︶ この様な大塚史学に関しては種々の批判があること埠周知の事実である︒氏の底史研究に関する実証的な批判
︵18︶ ︵15︶ 戎ほ氏の理論に対するマルクス経済学の側から更にほ近代経済学の側からする批判等︑その数ほ却って氏の業績の
画期的性格をそのまま物語る如く多数で︑論点また多岐にわたっている︒しかし︑大塚史学についてほ︑実にお粗
末ながら既に若干の基本的な問題点を論及したことのある我々としてほ︑寧ろ極めて単純に理論の現代的意義と有
効性といった観点から問題へのアブ占−チをすることとしたい︒
ここで︑先ず問題となるべきは︑氏の歴史学な特徴づける観念形態の問題︑具体的にいえば既に述べた終戦直後
︵三三主︶ 九三 歴史学とマルクス主義
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の﹁近代化の歴史的起点﹂で述べられた近代的人間類型創出の議論であろうが︑これについては︑既に我々の具体的
︵17︶ な生活経験が示すように︑江口朴郎氏や林健太郎氏がつとに指摘してお.られる如き東洋や現代の問題に関して有効
性を持ち得ないという批判を免れることが出来ないように思われる︒そしてこのことは江口氏に典型的に見られる
如き大塚体系ほ本来ウェーバー的なものであってそれがマルクス主義の方に副歩進み出たものであるとする性格づ
けを生むわけでもあるが︑大塚史学全体をながめるときやほりマルクス主義を氏なりの主体性を以って消化したも
のと考えるべきは既に述べたところである︒
しかし︑更に重要なのは氏の歴史学の主要な理論的意義を示す比較経済史的な方法に関してである︒氏の現実の
基礎過程に関する発言は申すまでもなく農地改革による自作農の創設に関して行われているわけであるが︑これが
氏のイギリス経済史に関する分析方法の現実の日本に対する適用であることは明らかである成そしてそれほ大塚史
学の根抵にある講座派理論と大局的に一致することもまた否定する人はないであろう︒
ととろで︑∩これらの理論によれば︑先ず日本資本主義の構造︵総矛盾及び総対抗関係︶を論じ︑その結果として
農地改革が日本民主化の主要な政策としてとりあげられたわけであるが︑併し︑申すまでもないごとであり︑また
既に指瀾されているところであるが︑この場合二十世紀の帝国主義段階の複雑な国際関係の下にある現在の日本に
おいて︑例えばこのような国際的契機を抜きにして農地改革を論ずる事は歴史的考察として余り抽象的に過ぎると
するのほ過酷に失するであろうか︒即ち農地改革の如き︑国内的に見ればそれ自身民主々義を推進する進歩的性格
を有する政策であっても︑例えば日米資本主義の相互関係を考慮に入れると却って独占資本のための政策として多
分に反動的な意味をもつと考えられ︑このことほ必ずしもすべて誤とすることほ出来ないであろう︒換言すれは︑
大塚史学や講座派理論乃至その系譜をひく考え方或は日本における.マルクス主義の山般的な分析方法の如き︑い
わばひろく社会経済史的方法といったものほ︑人間の意識から独立している社会経済的構成を分析する場合はよい
けれども︑具体的な歴史︑複雑な局面を分析する場合には余程慎重に考察しないとしばしば歴史という名のもとに
極めて抽象的な成果を提供するの愚なおかすことをみとめなければなむないであろう︒最近の昭和史論争といった
ものもこのような問題と関係してい嵐のではないかと思う︒
山つにほこ甲ような反省の上に立ったのであろうかとも想像されるのであるが︑戦後の歴史学においては︑同じ ヽヽヽヽヽヽヽヽ マルクス主義に立つ歴史学でありながら既述の社会経済史的方法によるものとは異った視角から論じている二︑三
ヽヽヽ︳ヽ の業紋がある︒それは個別・具体的であると同時に人間の意識に比較的近いところから出発するいわば政治史的方
ヽ 法にもとずく研究であって︑その際特にとりあげられるのが﹁民族﹂の問題である︒以下︑私ほ︑その例として石
母田正氏︑江口朴郎氏の所論をとりあげることとしたい︒
︵l︶ 例えば︑林健太郎 現代歴史学の根本問題 恩撃一元五号 六貢
︵2︶ 経済史と経済理論 香川大学経済論道 三〇巻五号︵昭三
︵3︶ 宇野 価値論の研究︵昭二七︶ 細一二貫
︵4︶ 藤田省三他 現代日本の思想︵昭三四︶ 皿∵貢
︵5︶ 大塚 近代化の歴史的起点︵昭二三︶一五一貫
︵6︶ 同番 二些享頁
︵7︶ 同書〟五四頁
︵8︶ 大塚 共同体の基礎理論︵昭一一6︶︑欧州経済史︵昭二二︶
︵9︶ 例えば︑河野健二 市民革命論︵昭三こ六三頁
歴史学とマルクス主義 ︵三三五︶ 九五
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︵16︶ 坂本二郎 日本経済の中進国的特質 由山伊知郎編 日本経済の構造分析︵昭二九︶TのⅢ
︵17︶ 江甘 帝周主義と民族︵昭二九︶三〇巧 林 現代知識人の良心 世界五八号︵昭二五︶九七−叫〇三貢
二 民 族 と 歴 史
終戦直後名著﹁中世的世界の形成﹂を発表した石母由正氏は︑その後新しいマルクス主義歴史学を目指して﹁歴
史と民族の発見﹂正・続︵昭二七−八︶を発表した︒∵勿論︑これは自己の属する政党の戦略的要請から出発したも
のであろうが︑歴史学の歴史の上においても決して意義のないものではなく︑我々はその兵面目な主休的態度とと
もにこの著作の意義を正しく評価しなければならない︒
︵1︶ 氏は先ず﹁歴史学の方法についての感想﹂なる論文艦おいて次のようにいう︒マルクス主義の科学がつねに実証
的精神につらぬかれなかつた場合が事実しばしばあり︑現実の具体的な分析の中から問題を提起せず生きた現実を
観念の図式の申におしこもうとする態度が見られることも珍しいことではないが︑マルクス主義ほ元来﹁現実の世
界 − 自然および社会 − を先入となっている観念論的妄想なしにこれにたいするところの何人にも映ずるままに
把握しよう﹂ ︵エンゲルス︶とするものであふから︑マルクス主義こそは他のいかなる理論よりも本来的に実証 第三十二巻
︵10︶
︵11︶
︵12︶
︵13︶
︵14︶
︵15︶ 第三・四・五号 ︵三三六︶ 九六
高橋 近代社会成立史論︵昭二二︶︑市民革命の構造︵昭二五︶︑養蚕業と地主制︵昭三三︶序説を参階
住谷 職業概念とその経済的基盤 大塚編資本主義の成立︵昭二八︶第早
大壕 共同体をどう問題にすかか 世界仙二三1四号︵昭三こ
大塚 思想史方法論B 社会科学的方法 講座近代思想史︵昭三三︶Ⅰ二七重四七頁
矢口孝次郎 資本主義成立期に関する研究︵昭二七︶
例えば盟田四郎 社会経済史学の基本問題︵昭二三︶︑大谷瑞郎氏の諸論致
的なものである︒そして︑氏によれば︑日本の歴史学は前述の欠陥を持つこと大であるからこの本来のマルクス主
義の立場に帰ることが必要であることを氏は力説する︒ついで︑以上のことを科学論乃至方法論の立場から論じて
次のようにいう︒先ず︑学問は︑その固有の相連関する対象と方法と体系を持ち︑対象の変化に伴って方法も変化
すること︑換言すれば方法とは﹁内容の内面的自己運動の形式の意識﹂ ︵ヘーゲル︶であって︑歴史学の方法ほ歴
史学の対象と内容が生み出し︑かかるものとしてのみ対象を内部から把握し得る手段となると︒
第三に歴史意識論がある︒先ず︑氏ほ︑ヘーゲルの語をひいて︑学問・思想・哲学というものは歴史の特定の時
期即ち民族と時代が薔廃し没落するような時代に生まれてくるものである︒換言すれば︑従来の学問・思想ほ本来
的に時代に対する反省的思惟の所産である限り現実からの抽象性・平離性・顆廃性を免れることは出来ないとす
る︒次にかかる立場に立つ時︑歴史上歴史意識として有名な啓蒙思想と歴史主義もまた固有の顆廃性をもつもので
あることを氏は主張する︒即ち︑氏によれば︑前者ほ当時矛盾を露呈していた封建制に対して理性を対立させる
が︑これによれば非合週・非理性的なものは粉粋さるべきであり︑歴史は理性的なものの非理性的なものに対する
絶えざる勝利の歴史であって︑そこにはブルジョアジーの政治的・哲学的プログラムの実現に寄与すべき事例が豊
富に埋蔵されていると考えられる︒従ってこれほ実用主義的であり︑変革的な思想家であればある程かえってこの ヽヽヽ 反歴史的傾向が現われるといったていのものである︒仰方︑後者は多様性・非合理性・個体などの尊重を特質とし︑
それ等は動的な有機的発展においてのみ理解出来るとなすところの︑啓蒙思想と反対な︑歴史的事実を尊重する
歴史的な思想であると氏はいう︒ところで︑氏によれば︑この二つの歴史意識ほ相反する幾多の性格を持つに拘ら
ず︑それぞれ仏・独のブルジョア汐−の政治的立場を表現すると考えられるが︑前者は革命的であることによって
反歴史的であり︑後者ほ歴史的であることによって保守的=観想的になってしまっている︒これは何れにしろこれ
歴史学とマルクス主義 ︵三三七︶ 九七
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︵三三八︶ 九八 第三十二巻 第三・四・五号
らの歴史学固有の抽象性を示すものに外ならないことを氏は指摘する︒これに対し︑歴史的であると共に進歩的=
革命的なものはマルクヌ主義であり︑同時にマルクス主義はこれら二つの思想の歴史的遺産を豊富に継承している
ものであると論じ︑氏は民族をとり上げることの理論的正当性を示唆するのであ告
︵2︶ 右のような理論的な省察の上に立って氏は論文﹁歴史学における民族の問題﹂において﹁民族﹂の問題を提起す
か︒その際氏はマルクス主義の歴史において民族問題を定式化したスターリンの業績を紹介しっつ論を進める︒先
ず︑一九仙三年の﹁マルクス主義呈民族問題﹂においてほ︑民族は資本ぎ義の時代の歴史的産物であるとされている
が︑これはこの時期の民族間題の焦点たる東ヨーロッパにおける民族運臥がプル汐ヨア革命の洲環として行われて
いたという歴史的事実と相応する︒然るに︑一九一山九年の ﹁民族間題とレーニン主義﹂においては︑ソヴィエソ
トにおいて社会主義的民族が成立したため︑従来の民族をこれとの対比の下にブルジョア民族とし︑その消滅と廻 ヽヽヽヽヽヽヽヽ 金主義民族への転化の法則が問題となったのであると民は論ずる︒とのように民族の規定を歴史的条件の変化と共
に深化拡大して来たスターリンの方法を前提とする時︑歴史的条件の如何によってほ当然民族形成の土台となり前
提となった前資本主義社会の成果と民族形成との関係を具体的に研究することが必要となってくると氏ほ結論する
わけである︒この点で参考になるのは︑氏によれば︑スターり/ソの﹁言語学におけるマルクス主義について﹂ ︵山
九五〇年︶であるという︒即ち︑そこには氏族←種族←民族体︵ナロードノスチ︶1民族︵ナーツイヤ︶という発展
の図式が示されているが︑従来のスターリン︑の論文においてはただブルジョア民族の﹁筋芽﹂︑可能的な要素が前
近代社会にあったとされたのに対し︑ここでほそのような事実の指摘のみならず主体としてゐ社会集団が前面に出
て来ている︒つまり︑氏によれぼ︑ブルジョア民族の発展=滑滅の歴史の認識によって民族のそれ以前の段階との
歴史的連関が明らかにされるわけであるとしている︒そして氏は最後にこの様に状勢の新しい発展に応じて過去の
ものに新しい生命をあたえて行く仕事ほい′つでも或ほ﹁後退﹂或は﹁冒険﹂と評されるものであるが︑この言葉に
ヽ 恐れてありきたりの物さし ︵機械的な階級斗争史観︶ で歴史を処理してゆくことは学問の進歩をもたらすものでほ なく︑このような民族の視点は山つの新しいものさしとなるべきことを結論しているのである︒
このような石母田氏の立論に対してほ発表当時既に歴史学者の間に種々の批判があったが︑ここでは典型的なも
︵∩♪︶ のとしてマルクス主義哲学者森信成氏の辛らつにして酷烈な全面的批判をとりあげたい︒先ず︑氏ほ︑石母田氏の歴
ク 史主義︒啓蒙思想に関する議論を批判して︑例えば石母田氏に意って歴史主義の中に叫括されたヘルダー︑ゲーテ︑ ヘーゲルは世界史において理性はついに権利をもぅであろうことをその必然性において把握したものであったと して︑マルクスの﹁ドイツ・イデオロギー﹂の山節を引用しっつ︑特にヘーゲルにおける世界史の科学的把握の意 義を強調する︒半面︑石母田氏によって反歴史的な啓蒙主義の理論的・法則的な思考から歴史学を解放した点にお いて一定の意義をもち︑その反動性は個人をこえた学固有のものであるとされた歴史主義に対しては︑森氏は︑上 述の三者に高い評価な与える半面︑他方のランケ︑ディルタイ︑マイネッケに対してほこれこそが啓蒙主義︵森氏 の合理主義的歴史観からすれぼこれほ当然不充分な歴史観であるにしても決して反歴史的なものでほない︶そして 更にほ合理主義一般を敵視する非合理主義であり︑単純なる実証主義であっても真の歴史学ではないとする︒何と 産れは︑森氏′によれほ︑この三人においては世界史の各時代の間に絶対的断絶が設定されているから︑そこにほ変 ヽヽヽ 化・変形のみあって︑成長・進化・発展がない︒そしてかかるところにおいてほ本来的に歴史的なものはないとさ れるからである︒また右母田氏は史的唯物論と史的観念論との相異を歴史的世界を精神の世界・歴史として考える か或は客観的・社会的存在の歴史的世界として考えるかにあるとしているが︑森偲ほ﹁﹃客観的社会的存在﹄とし て考えられていても︑もしもそれが素材以上の意味をもたず人間の意識活動によって自由に形成され変化させられ
︵三三九︶ 九九 歴史学とマルクス主義
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、
︵三四〇︶ 叫00 第三十二巷 軍三・四・五号
るものであると考えられている場合︑またそれが意識下の動因によって動かされていると考えられる場合でも動因
白身が非合理的なものである場合にほそれは純平として純なる観念論であるということである︒そして︑対象が︑
たとえ ﹃桁神の世界﹄ と考えられていても︑たとえばヘーゲルにみられるように世界史の客観的発展の合法則性
をたとえ願倒された形においてであっても正しく反映し︑意識的活動が必然性において奥体的に把握されている場
合には︑それはさきの見地にくらべてほるかに唯物論的であり︑唯物論的なものを多く含んでいるということであ
︵1︶ るごと批判している︒つまり︑石母田氏がヘーゲルを観念論的妄想として死せる犬の如く取り扱い︑ランケ的実証
主義も経験的対象に即している即物的なものである.という理由で高く評価するのほ以上述べたことを理解していな
いからであると森氏は述べて︑石母田氏がエンゲルスの唯物論に関する既述の血つの規定のみを引いて︑このよう
な存在と思惟に関する本源性の根本命題に依拠しているいとして氏ほ非難するわけである︒かくして︑森民ほ次に
本題の石母国氏の民族理論批判に入る︒
へ5ノ 氏ほ﹁民族の概念の意義や民族的具体化の必要をわずかでも引き下げようとしているのでほない﹂と断りながら
も︑先す︑石母田氏が階級の分離と対立と斗争にほそれを存立せしめている共通の土台・地盤がなければならずそ
れほ正に社会=民族である凄論じたのに対し︑森氏は﹁仙般に対立が同山性を前提すすることほ弁証法の常識であ
︵6︶ る﹂が︑例えば︑﹁資本主義社会においてプロレタリアートほ﹃この社会の中にありながら﹄私有財産から﹃白由虹
な者としてご﹂の社会の外にある﹄︒この場合労資間際級の対立の基礎にあるものは資本家的生産関係であって
︵7︶ ﹃社会=民族﹄というようなものでほない﹂と批判する︒また︑石母田氏が︑封建的民族体︵ナロードノスチ︶ と﹁
領土の共通性﹂について中世においてほ地方分桁であるので古代に比して領土の共通性が稀薄であゐかのようだが︑
古代から中世への労働生産性の増大によって社会と土地の結合はより緊密㌢なり土地を媒介とする社会相互の地合
ほ強まるのであると論じたのに対しては︑森氏ほ﹁社会相互の結合の強化を媒介するものほ︑この場合封建的生産
関係に規定されての労働の生産性の増大とそれにもとづく商品経済関係の発展である︒これをまたその上に土地に
︵8︶ まで窪めることにどんな意味があるのか︒﹂として︑もし理論の民族的具体化を行うならば社会=経済的構成休の概
念を根底に置くべきことを強調している︒
ところで︑石母田民は最近において一つにほ所属政党の政策変更が行われたのに平行して従来の発言‖‖=実践に関
︵9︶ して眉己批判を行ったが︑森氏はこれにもまた激しい批判の矢を放っている︒その批判は主に右母田氏の﹁危機の
つかみ方﹂ に向けられ︑\その場合の誤りについての責任に中心がおかれている︒当面の主題から少しくはずれる
が︑両者の相違点をほっきり示す意味において重要であるので若干の引用をすることとしたい︒即ち︑石母田氏
が︑誤りが生み出されてこざるを得ない﹁過程の必然性﹂について﹁直接自分の責任でないようないろいろの原因
﹂として﹁そのときの運動の弱さ︑条件の困難さ︑敵の圧力﹂をあげ︑ついで︑﹁なにがこの過程すなわち誤りに
内容をあたえてい畠か﹂ を問い︑それにあたるものとして指導者の意見・方針がその誤りの ﹁必然性を規定して
いる一つである﹂としているのに対して︑森氏は次のように批判している︒先ず︑﹁過程の必然性﹂を論ずること
の出来るのほ客観的物質的な経済過程のみであり︑また誤りを問題にしケるのほこの経済過程によって内容を窮極
的に規定される意識的過程従って政治過程に限られる︒従って︑石母田氏の場合ほ二言にしていえば土台と上部構
造が混同されている︒その結果︑﹁歴史過程の本質的内容は︑過程の﹃必然性を規定﹄しこれに﹃内容を与える﹄人
民の主体的目由行勒と︑それにおシじてつくりだされる国家権力のこれこれの抵抗形態によって構成されることに
なってくる︒そしてこれが石母田民が矛盾とよんでいるものの︑形而下の世界における根本的内容であるが︑歴史
︵10し 過程をこういうふうに把握するかぎり︑人ほ運命論者たらざるをえない︒﹂と︒そして︑このような石母田氏の誤り
︵三四こ 山○仙 歴史学とマルクス主義
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︵三田二︶一〇二 第三十二巻 第三・由孟号
は要するに史的唯物論のイロハが判って■ないところにその根本的原因があるのだと森氏は酷評するのである︒
以上通観して︑先ず感ずることほ石母田氏がマルクス主義歴史学の新しい方向に一歩踏み出そうとする努力の意
図について森氏が全然言及していないことである︒勿論︑森氏自身の批判は︑或る意味でマルクス主義の常識とほ
いえ︑首尾一貫しておりそれはそれとして正しい︒事実︑石母田氏の民族理論そのものほ︑スターりノンの著作目体
が民族の継起的発展についてその仕方︑種族や民族体の基本的特徴やその成立の契機に関して何等述べていない事
︵11︶ 情も反映して︑明瞭を欠くが︑要するに︑対立︵階級︶を問題とする従来のマルクス主義歴史学に対し︑それを十
分認めそれを前提としつつマ㌦クス主義歴史学の立場からなお統∵結合︵民族︶の側面をも考慮しょうとするも ヽヽヽ のであると私は考える︒そして石母田氏においてそれが必要であると考えられたのは氏のそもそもの対象が具体的
ヽヽヽヽヽヽヽヽ な意識=行動であり政治史であるからである︒けだし︑そこにおいてほ階級対立の客観的事実ほ支配階級は勿論被
支配階級の意識にもそのまゝのぼるものではないし︑同一の社会内灯あ?ては︑それ自体としてみる限り︑その成員
全ての意識に共通するもⅥはいくらでもあるからである︒従って︑このような共通項の母胎である民族共同体の歴
史を研究することは決して無意義でない︒階級と民族が次元を盟︵にする以上︑前者の歴史に代えるに後者の歴史を
以てするなどということはあり得ない︒ところで︑歴史上︑意識においてほ階級の表象より民族に関する表象の方
が具象的かつ直接的であるところから︑それ自身多彩な内容を持つ意識=行動を先ずそれとしてとりあげ︑然ゐ ヽヽヽ 後客観的諸条件の申でどのように運動するかをマルクス主義歴史学の立場に立って政治史的に究明しようとしたの
が江口朴郎氏である︒
氏は次のようにいう︒﹁歴史の上で民族が問題となるのは︑民族的意識が︑しばしほ︵世界史の発展の原助力た
︵ほ︶ る︶民衆が集団的に行動する場合の︑最も切実な主体的契機となっているからである﹂と︒そして督た次のように
もいう︒﹁マルクス主義は︑社会の発展の決定的な要因を階級関係においている︒しかし具体的には社会構成や階
級関係の厳密な分析があれは︑それで歴史学はすべての任務を果したとはいえないし︑また社会の歴史的な発展に
十分に貫献することもできない︒たしかに歴史の発展ほ︑社会発展の山般的原則に別して展開されるものでほある
が︑歴史を発展せしめる民衆の主体的な意識は︑けっして一般原則をそのまま反映しているものではないし︑具体
的にほ社会を変革するための意志は︑民族的な意識として表現されるし︑民衆はあらゆる危機を民族的なものとし
○
︵柑︶ て感じ︑をれは客観的な現実とほむしろ食い違うのが事実である﹂︒この点は氏の方法論を知る上で重要である︒
同じようなことであるが次のようにもいう︑﹁たしかに︑民衆運動叱おける民衆のエネルギーとしての民族的意識
ヽヽヽヽ ヽヽヽヽヽ ほ︑ある意味で非合理的な面をもたざるをえない︒近代社会における合理主義的思想に基ずく社会発展の理論は人
間社会の到達すべき目標とそれに至る過程を普遍的な形で理想化するのに対して現実の民衆の意志ほ一般に素朴な ﹁‖︑ 形でしか表現されないからである﹂ ︵労点筆者︶と︒同じように旧来のマルクス主義歴史学に対しては次の言葉が
ヽヽ 示唆に富むであろう︒﹁実体としての﹃階級﹄の存在そのものほ︑遠い年代まで遡ることが出来る︒しかし人間の
解放の問題が提起されるようになった時期としては︑社会主義の成立︑あるいは現在の問題観からすれば︑マルク
︵15︶ ス主義の成立を指標として考えることも許されるであろう﹂ ︵労点筆者︶︒つまり﹁ここで階・級的意識の下に変革
が進められようとするととは︑歴史の上で︑運動の主体たる﹃民衆﹄自身が始めて山定の展望と理論とを持つ
ったことを意味している︒その観点からすれば従前の諸道勤は︑客観的にほ︑﹃階級斗争﹄であり︑民衆が原動力
︵1
ほっきり氏の立場を示すであろう︒即ち︑﹁主体的な実践の見地からすれば︑ノ資本家.から農民︑小市民等々を経て
労働者に至る諸階級の役割は必ずしも固定したものでほない︒︵中略︶労働者が階級的裏切りを行うこともあり得
歴史学とマルクス主義 ︵三四三︶ 仙〇三
6︶
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︵三四四︶ 二∪四 第三十二巻 第三・四・五号
るし︑前衛的階級政党が誤ることがあり得ることも当然である︒つまり︑﹃階級﹄的見地が強調されるということ
︵17︶ は︑階級や政党の存在に︑そのまま解放運動における一定の実践的役割を保障するわけでない﹂︒これを要するに︑
個別的にして具体的な意識−−実践をそのまま取上げ︑動的な政治的桔抗の真只中において意識=爽践が如何なる選 ヽヽヽ 動をなし︑階級社会の客観的対立と動向にどのように一致しどのようにずれて行くかを政治史の立場から解いて行
︵18︶ こうとするものである︒氏が如何にこの方法を具体化しているか日露戦争を例にとって簡単に見て見たい
日露戦争の歴史的位置づけに際して︑一番簡単なのほそれが侵略戦争︑或ほ反動的支配体制の結果であるして批
判する方法であり︑これは多くの場合のマルクス主義の側からの方法であり︑現にソヴィエット史学においても多
く見られるところであるが︑その平板な歴史叙述の無力を江口氏は指摘する︒氏ほ更に同じような例として例えば
帝国主義の一つのモメソト︑例えば資本の集中或は資本の輸出の如き鵬つの﹁塑﹂を前提としてこれを規定するこ
とも可能であり︑一定の意義をもつが史実の具体性をそこなう危険をもっと辞して︑氏ほ他の重要な側面を指摘す
る︒例えば︑第一にほ鹿次世界大戦として爆発する資本主義列強の﹁世界戦争﹂の条件が具体化した時点である
こと︑第二にほ︑日清戦争から日露戦争釘過程は日本の強国としての民族的官立の時期であり︑きびしい列強対立
の間に一国の自立の可能性を見出した明治の政治家の指導は︑その後の反動政治や文化の衰退を顧みてもなお︑後
世の人々をして﹁よき時代﹂として回顧せしめる可能性をもつこと︑を述べぺこれ等はなお外面的な位置づけの二
三の規準にすぎないが︑こと程左様に歴史的事実は数限りなく複雑な諸側面をもっていることを指摘して︑これ等
を統山的に把握することを主張するわけである︒そして氏ほこれを主として世界史の巾の日本という形で日露戦争
の国際的契機という視角からその統一像を打出しているのである︒
︵l︶ 同番一酔四−二〇二頁
む す び
以上︑余り要を得た要約とほいえないかも知れないが︑山応戦後のマルクス主義歴史学の二三の人々の歴史意識
歴史学とマルクス主義 ︵2︶ ︵3︶
︵4︶
︵5︶へ6︶ ︵7︶ ︵8︶ ︵9︶
︵10︶ ︵11︶/、\ ( ( ( ′′、\ ′′ ̄\ ′−\ 18 17 16 15 14 13 12
) ) ) \_./ ) ) )
同畜一一〇一−二凹三東
森信成 史的唯物論の根本問題︵昭三三︶前篇第二章第三節︑第四牽︑前篇の補遺︑後篇への補遺
同書一一九雷
同書 六六京
間諾 六四貢
同書 六五貢
石母田 歴史科学と唯物論︑講座﹃歴史﹄常山巻﹁国民と歴史﹂巻頭論文
森 前掲畜 九七貫
井上浦 マルクス主義による民族理論 講座現代思想Ⅱ七三1九二頁︑尚︑鶴田三千夫他︑民族理論の再検討
現代の理論八月号︵昭三四︶一−⊥九頁 を参照
江口 前掲蕃 山七五頁
江口 歴史の現段階︵昭三三︶一五三−四賀
同書/ 八〇真
岡蕃 山二九京
間蕃 山三二見
同書一三〇貢
同蓋一一八四頁以下
︵三四五︶ 山〇五
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︵三四六︶ 山〇六 第三十二巻 第三・四・五号
と方法と業績とを概観して釆たが︑現代歴史学の問題としてそこにおいて学ぶぺき点そしてその上に立って今後我
々が努力すべき方向といったものを簡単に見てみたい︒−
さて︑最初め大塚史学のすイれた点は︑常山に首尾一翼した論理によって歴史の流れが捉えられていること︑し
かも旧講座派理論に比べて土台の分析においてもなお新しい観点と論理が附加されていること︑そして︑第二にほ
人間の意識形態について思想と土台との間にエートスを設定しその思想史的把握な豊かならしめていると共に︑旧
来のマルクス主義的な意識形態の発生論と並んでその機能の側面が取りあげられていることなどであろう︒このよ
うに旧来の社会経済史の諸成果を超え︑更に社会経済史的方法をとる日本のマルクス主義歴史学の水準を山歩抜ん
じ︑しかも社会経済史的方法の対象をはとんどもり込んでいる点で︑これほ正に大塚史学の名にふさわしいすぐれ
た社会科学的成果といってよいであろう︒にも拘らず︑大塚史学にほ二つのウイーク・ポイントがあるように思わ
れる︒即ち歴史学の最も具体的にして本来的な領域である政治史へ如何にしてアプローチするかが余り明瞭でない
という点である︒このようにいうと人ほ次のように反問するであろう︒かの名著﹁欧州経済史序説﹂の末尾がピュ
ーリタン革命の展望を以て結ばれていることにも現れている通り︑産業資本が如何にして生れ︑如何にして封建的
土地所有を打倒して行ったかという歴史的事実を考究するのが氏の主題であってみれば︑その山つの大きな局面た
るブルジョア革命こそほ当然氏の研究の主要対象である筈でほないかと︒しかし︑少くとも大塚史学︵高橋事八郎
氏の業績をも含めて︶ の成果ほイギリス革命なりフランス革命の最も具体的な政治史の把握に成功していないよう
に思われる︒即ち︑そこにおいてほ依然として主体的な意識=行動と土台との機械的な結びつけに止って︑大塚史
学の一つのすぐれたファクターである意識の問題が余り含まれていないように思われるからである︒換言すれほ︑
大塚史学をもふくめて社会経済史学的なマルクス主義歴史学においては︑多彩な側面を有する行動=意識を意識外
に自然史的に展開される土台=社会構成︵階級諸関係︶と関係づけて論ずるが︑その場合︑何時何処においても階
級関係︵矛盾︶がそのま蓋息誠にのぼってそれが政治運動として展開されるかの如き叙述を行う︒しかし︑ルカー
︵2︶ チもいう如く意識はプロレタプアートの意識と疎も本質的に虚偽の意識たる可能性をもち︑更に階級諸関係の分析
ほ政治過程の分析に比べれば相対的に構造論的であり静態論的である事実を顧みる時︑経済を説明するために政治
を利用するといった社会経済史学の現状はこの点に酪して決して満足すべき状態にあるとはいえないと思う︒この
ことほ︑前記の大塚氏の外例えばアンシアン︒レジームの階級構造から説きおこしてそれがフランス革命における
近代的進化の相対立する二つの道を規定しそしてそれがまたそれぞれの段階の政治的対立を規定するといった高橋
幸八郎氏の優れた業績も所詮上述.の経済を説明するため政治を利用するよき例でほないかと思われる︒とはいえこ
切ように言ったからといって勿論意識=行動を存在せしめる要因が去口であることを否定するものではないが︑内
ヽヽヽヽ 容的には意識=行動は必ずしも土台をそのまま反映するものではないことを忘れてほならない︒旧来のマルクス主
義においては︑少くともその歴史学においてほ︑この点につき余り明快な方法によって解明された業紡は見当らない
︵3︶ ように思われるのである︒
きこの両象の関係につき興味ある業績を示してほいるが︑なお将来の課題とさるべきであろう︒
従って現在の社会経済史学がその最も優れたものにおいてさえ上述の抽象性をもつ以上︑江口氏や石母用氏の批
判ほ確かに正しく︑特に独自の見地からマルクス主義のすじを通しながら複雑な政治史的把握をしておられる江口
氏の業績ほ尊重せらるべきであろうが︑しかしマルクス主義的な社会経済史の現状についてはともかく︑その将来
に関してまで過少評価することは勿論当を得ないであろう︒これを要するに︑私は︑マルクス主義歴史学において
はその現状に関する限り二つのアプローチの方法が存在するこどをはっきりと認めなけれはならない︒そして主体
︵三四七︶ 劇〇七 歴史学とマルクス主義
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第三十二巻 第三・四・五号. ︵三四八︶ 仰〇八
的な歴史学という立場からほむしろ石母田・江口両氏の方がアルティザン的客観主義に堕する可能性が少いことを
認めなければならないと思う︒従って森民が石母田民の全般的な方向に対して言及せずしてあのようなきびしい批
判を行ったやり方は明らかに聞達いであるし︑また江口氏が﹁レーニンが山九〇七年﹃十九世紀ロンアにおける虚
菜問題﹄において︑農業の資本主義的発達には二つの道が可能であることを述べたが︑その場合農業が如何にして
資本主義化さるべきかが第刷義的な問題でなかったことほいうまでもない︒・=︸⁝・それは確かに農民問題である
︵4︶ と同時に︑肌既に帝国主義の革命の問題なのである︒﹂といっている論旨の正しさを認めたからといって︑基礎過程の
展開を主題とする社会経済史挙が農業の資本主義化を論ずることをもし我々が第一義的でないとして過少評仙する
ならばこれまた甚しい誤りをおかす事になるのであろう︒
そして︑最後に敢えて附加えるならば︑マルクス主義歴史学において旧来の社会経済史的方法の外に政治史的方
法が存在するのは世界におけるマルクス主義の忠義の臆大を物語るものであろう︒けだし︑資本主義的勢力の貞只
中において革命的勢力を結集せんとした時期のマルクス主義が意識=行動︑上部構造に対する土台の反映といった
本質的部分のみを性急に強調する傾きがあったのに反し︑現代マルクス主義は︑これらと土台の連関を綿密に検討
する余裕を持ち得る程︑現実世界に大きな影響力を持つに至っていると考えられるからである︒︵五九︒八・二九︶
一ヽ ( 一−ヽ
3 2 1
) \−/ \_.′
階級意識論 平井訳︵昭三〇︶六四頁以下
現代政治の条件へ昭三四︶︑ 尚︑竹内良知 ﹁現代﹂とマルクス主義のイデオロギー論 思想︵五八︒こ 参照
江口 帝国主義と民族 四見