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博 士 学 位

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Academic year: 2021

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(1)

(学)

博 士 学 位

百円

論文 内容の要 旨

及び審査結果の要 旨

11号 (平29年 4月)

長 崎 純 心 大 学

(2)

本号は学位規則 (昭28年4月 1日文部省令第9号)第 8条

よる公表 を目的 として、平成29年 3月18日 に本学 において博士の 学位 を授与 した者の論文内容の要旨及び論文審査の結果の要 旨を 収録 した もので あ る。

学位番号 に付 した甲は学位規則第4条第 1項 (いわゆる課程博 )によるものであ り、乙は学位規則第4条2項 (いわゆる論 文博士)によるものであることを示す。

(3)

  

名 ・(本

)

博士の専攻分野の名称 学 位 記 番 号 学 位 授 与 の 期 日 学 位 授 与 の 要 件 学 位 論 文 題 名

論 文 審 査 委 員

   

 

 (長崎県

)

博 士 (学術 ・福祉

)

甲第33号

平成29年 3月 18日

学位 規程第4条 1項該 当 (課程博 士)

明治 。大正期 にお ける盲唖学校 の支援組織 に関 す る 歴 史的研 究

主査

 

客員教授 副査

 

教授 副査

 

教授

論文内容の要旨》

研究の 目的 。課題

日本 の盲唖学校 は、京都盲‖]と (1878年)と 東京の楽善会訓盲院 (1880年)が設立 されたこ とによって始 まる。京者1盲唖院は京者Бの寺社 仏閣 ・町衆 によつて支 えられ、東京の訓盲院は楽 善会 とい う開明派士族 と啓家思想家、慈善家で構成 された慈善会組織 によって運営 された。以 後、1923年公布 の「盲学校及聾 唖学校令」(以下、勅令 と略す)に よ り各県 に盲唖学校が普及 するまでの間は盲唖学校 の空白期 とされていた。 しか し、1978年の特殊教育百年 を契機 に、各 盲学校 ・聾学校で年史が編纂 され、明治30年代以降に盲唖学校が急増 し、明治末期 には60校 を 超 えた とい うことが明 らかになった。 また、盲唖学校の半数以上 に「慈善会」 を代表する組織 が存在 した。従来の定説では、普通教育である小学校の就学率が向上 したため、その余波で盲 唖学校 も普及 した。そ して、楽善会の ような「慈善会」が組織 され、盲唖学校 に資金援助 を行 っ た と捉 え られて きた。 しか し、「慈善会」 は、それ以上の役割 を果 た したのではないか と思わ れる。そ こで、本研 究では、「慈善会」力S盲唖学校 の設立 。経営 に呆 た した役割 を分析 し、明 治 ・大正期 に成立 した盲唖学校 の「慈善会」 について、新たな歴史的解釈 を行 うことを目的 と する。

また、近代 における学校成立期 の特徴 は、国家 による上か らの就学奨励 によって、小学校の 義務教育が進め られたことである。 これ に対 し、盲唖学校 は小学校 と違 う形成過程 をた どった のではないか とい うことを明 らかにしたい。 このことは、 日本の近代学校成立期 における「上

(国)からの学校成立史観Jを見 きわめるための検討課題で もある。

先行研 究

盲唖学校 の慈 善会 に関す る研 究 は、唯一 、佐 々木順二 (2003)の博 士論文「聾 唖学校 の生活

‑8‑

(4)

困難問題への対処 としての授産施設の設立 とその性格の変容 一大正期か ら昭和戦前期 ―」があ る。聾唖卒業生 の生活困難 に対 し、福 岡県盲唖教育慈善会 と和歌 山盲唖学校後援会の保護事業 を取 り上げているが、明治 ・大正期 の盲唖学校慈善会の財政 をは じめ とす る諸特徴 にはふれ ら れていない。

研 究方法の先行研究 としては、津 曲裕次 (1981)の 『精神薄弱者施設史論』がある。19世 にアメ リカ合衆国に成立 した知能障害児学校が、19世紀後半 には大規模 な収容施設 に転化す る 過程 を解明 している。津 曲は、①実地調オュ`、②共同討論、③研究発表 とい う3つの手続 きをと り、収集 された文献 、史料 、証言等 を、①思想、②対象、③方法、④従事者、⑤建築計画、⑥ 経営、⑦地域 ・社会、③ 日課の8視点の もとで、分析、考察す る とい う「施設史研究法」 を確 立 した。

明治期 ・大正期 の盲唖学校 に関 しては、加藤康昭、中村満紀男 らの論文がある。加藤(1994) は、明治中・後期 に設立 された盲唖学校 について、盲人・聾唖者の生活 と関連 させて学校 の実 態 ・性格 を把握 しているが、慈善会組織 については取 り上げていない。中村 ら (2011)は 、勅 令公布 まで に設立 された盲唖学校 を中心 に、学校 と教育の 目的、対・象者、教育内容、設立の支 持基盤 などの検討すべ き課題 を提示 しているが、深 くは言及 していない。

研 究方法

盲唖学校 の慈善会 関係資料 を収 集 し、「施設 史研 究法」(時系列 ・数量 的分析 法)を用 いて資 料 を分析 し、考察 を行 う。

4結  

(1)盲R亜学校支援組織 の形成期 (1876年 〜1897年

)

盲官廃止 (1871年)で盲 人の生 活 は一変 した。大 多数の下層盲 人 は鍼灸按摩 で生計 を立 て、

座 は生活扶助組織 で もあ ったこ とか ら、盲 人の生活 は一層 困窮す る。 さらに医制 (1874年)に

よって、西洋 医学 が 日本 の正統 医学 とな り、鍼灸按摩 の存続 も危ぶ まれた。 この ような背景 の もと、盲人 た ちは、 自らの生活 と鍼 灸按 摩 の技術伝承 のため に盲学校 を設立す る。それは座 の 延長線 上 にあ る組織 であ り、資金難 に よ りほ とん どが廃校 となった。 この時期 の後半 は、医師 や プロテス タ ン トの宣教 師が盲学校 を開校 した。 また、先駆校 である京都盲唖 院 と東京盲唖学 校 は、西 洋医学 に基 づ いた新 しい鋭灸按 摩 の カ リキュラム を取 り入 れて、その営業免許取得 に 対応 してい った。そのため、地方 の盲人 の 中 には京都 や東京 で学ぶ者 もいた。彼 らは、次 の成 立期 において 日本各 地で盲唖学校 の設立 に関わ ってい くことになる。

(2)盲唖学校支援組織 の成立期 (1898年 〜1921年

)

明治30年代 以降に設立 される盲唖学校 の半数以上 に慈善会組織が存在 した。それは「慈善会 先行型」 と「経営支援後発型」 に分 け られる。前者 は、まず学校 を設立する前 に慈善会 を立 ち 上 げ、地域 に基盤 をつ くり、学校設立後 も学校 を維持 した。後者 は、盲人 ら当事者 によって設 立 された盲唖学校 を維持する目的で、その後 に組織 され、地域 に支持基盤 を広 げていった。

(5)

「慈善会先行型」 に代表する長崎慈善会 は、1893年に発足 し、 自然災害 の被 災者 などに義捐 金 を贈 る慈善活動 を行 っていた。長崎盲唖院設立 (1898年)の ため に2年の準備期 間を要 した。

京都盲唖院 を卒業 した野村宗四郎 と長崎高等小学校長の北野孝治 らが教育面の調査研究 を行 い、

安中半三郎 ら長崎の政財界関係者が経営面 に携わった。 この ように長崎盲唖院は、障害当事者、

教育界・政財界関係者 を中心 とす る市民 たちによって設立・維持 されていった。そ して、 自治 体か らの補助金 も獲得 し、その割合 もしだいに増加 していった。

「経営支援後発型」 に代表す る柳河慈善団は、大淵清庵が創設 した柳河訓盲院を維持す るた めに、地域 に支持基盤 を作 ってい く。その手段 として慈善演芸会 を開催 した。演芸会 は訓盲院 のある山門郡 だけでな く、福岡県南部の広範囲で行 われ、各地に支持者 を得た。演芸会 には訓 盲院の生徒 も出演 し、 日頃の学習成果 を披露 した。演芸会 は訓盲院の資金源であったが、必ず しも収益が とが る とは限 らなか った。つ ま り、慈善演芸会の大 きな目的は、柳河訓盲院 と訓盲 院教育 に対す る啓家活動であった。

(3)盲唖学校支援組織 の変革 。減 少期 (1922年 〜1931年

)

勅令公布 まで、慈 善会組織 のあ る盲唖学校 の うち350/0が財 団法 人 とな ってい る。柳 河訓盲 院 も1921年 に財 団法 人 に移行 した。財 団法 人 になった こ とで、寄付 行為 が明文化 され、予算 ・決 算制度 を採 り入 れ た。大正2年か ら大 正 11年 までの10年 間で、予算 は約3.4倍 に増加 し、教 員 一人当 た りの給料 も約3.5倍 に増加 す るな ど、教育現場 の諸条件 も向上 した。福 岡県か らの補 助金 も5.5倍 に増 加 した。法 人の理事 長 は山門郡 長 であ り、評議 員 は山門郡 内 の政治家 、小 学 校長 らで構 成 され た。 これは福 岡県 をは じめ とす る 自治体 か らめ補助金獲得 が 目的であ った と 思 われ る。財 団法 人 は盲唖学校 の経営基 盤 をよ り強 固 に した。

福 岡で は、福 岡県教育会 を母体 とす る福 岡県盲唖教 育慈 善会 が、福 岡盲唖学校 を設立 ・維持 した。盲唖教 育慈善会 は、福 岡県 内の教育界 関係者 を中心 に会員 を募 ったが、県内23郡 市教育 (上部組織)に拠 出金 を割 り当てた。 さらに郡市教育会 も、それ を構 成 す る町村 (下部組織

)

に拠 出金 を割 り当てた。盲

'こ

F̲教育慈善会 は、 この財 政 システムで学校 設立後10年 間の経営 の安 定化 を図 り、 その後 は補助金 の獲得 に役 割 をシフ トしてい く。

5考  

西洋 医学 が正統 医学 となって も、鍼灸按摩 は地域 医療 の担 い手 であ り、その需要 は高 か った。

そ して、一般市民 は西洋 医学 を取 り入 れた新 しい時代 に合 った鍼 灸按摩 を求め た。そ こで 、盲 人であ る当事 者 、市民 を代 表す る地域 の有力者 たちが一緒 になって 「慈 善会」 を結成 した。明 治30年 代 以ll牛久の「慈善会」 は、ただ単 に慈善家や思想家の集 ま りではな く、近代鍼按孝究育 を取 り入 れ た新 しい盲唖学校 を設立す るため に、そ して維持す るため に活動 した。盲ll』学校 の設立 ・ 運営 において は、京都 や東京 の先駆校 で学 んだ盲人 ら教員 の招聘 、地元教員 の養 成、生徒 の募 集、生徒 の授 業料 ・寄宿料 な どの経済 的支援 、資金 となる寄付 金集 め、慈 善演 芸会 の計画 ・実 施 、義財箱 の設置 、教 育効果の宣伝 や地域 にお ける啓家活動 、地方公共 団体か らの補助金 の獲 得 な ど、盲唖学校 の「慈善会」は多様 な役割 を呆 た していた。 この ような活動 か ら、「慈 善会」

‑10‑

(6)

は資金援助 団体であると同時に、盲唖学校設立 ,運営全般 にわたっての「支援組織」である と 考察 される。

6結  

盲唖学校の「慈善会」は、学校の設立、運営全般にわたっての「支援組織」であったも勅令 により公立化への道筋をたどった92校の私立盲唖学校のうち、58校にはこうした「支援組織」

が存在 し、学校の永続化を助け、公立化を目指 した。そして、盲唖学校は「障害当事者と支援 者による下からの自主的な学校設立 と民衆の支え」により成立 したということができ、近代盲 唖学校成立史の特徴 ともいえる。

近代における学校成立史において、小学校の義務教育は「国家による上からの強制による学 校設立」が特徴 とされてきた。本研究は、この図式の改訂に迫るものとなった。つまり、近代 学校成立期は「上からの強制による義務教育学校Jと 「下から自主的につ くられた特別支援学 校」狩ヾ存在 したのである。

今後の課題

①本研 究では、主 として、盲唖学校支援組織 のなかで九州地方 に見 られる代豪事例の分析 を 行 ったが、今後 は、他地域 の検討 を行 い、結果の妥当性 を確認 したい。

②すでに、明治期の知的障害児学校 の成立 に関す る研究では、障害当事者の家族、福祉教育 実践者 。研究者 による学校支援組織 の存在 と役割が明 らかにされている。本研究は、盲唖 学校 に関す る史資料 を基本 としたが、今後 は、 これ らの関連する特別支援教育 ・福祉領域

との比較考察が必要である。

③ さらに、特別支援学校成立期 の研 究 をつづけ、近代学校成立期の課題 としての考察 を深め て行 きたい。

〈引用・参考文献〉

佐々木順二「聾唖学校の生活困難問題への対処としての授産施設の設立とその性格の変容―

大正期から昭和戦前期―」(2003年度筑波大学博士論文)

津曲裕次 F精神薄弱者施設史論』誠信書房、1981年

中野善達 。加藤康昭 Fわが国特殊孝史育の成立』東峰書房、1967年

中村満紀男・岡典子「日本の初期盲唖学校の類型化に関する基礎的検討―明治初期から1923

(大12)年 盲学校及聾唖学校令まで一」『東 日本国際大学福祉環境学部研究紀要』第 7巻 第 1号 、2011年

*本研 究で は、用語 につ いて、盲唖学校 や盲 人 ・聾 唖者 な ど、当時使用 されてい た歴史的表現 を用 いてい る。

(7)

論文審査の結果の要旨》

[論文の概要]1.口果題 と方法。本論文 は、明治 。大正期 に設立 された「盲唖学校」(現 視覚 ・聴覚障害特別支援学校)成立期 に「慈善会」等が果た した歴史的役割 に関する研究であ る。定説では、(―)日本の盲唖学校 は、京都校 (1878年)、 東京校 (1880年)設立以来、空 白 期があ り、盲唖学校令 (1923年)の公布後 に、各県 に普及 した。(二)京都校 には旦那衆、東 京校 は楽善会 とい う資金援助組織 の意義が強調 された。(三)盲唖学校 は、大正期 の小学校 の 普及 を受けて普及 した、 とされている。一方、その後の研究 において、明治30年代以降、盲唖 学校令公布 までの間は、「空 白期」 ではな く、途切 れな く盲唖学校 の設立があ った ことが明 ら かになった。 しか し、その理由は明 らかにされてお らず、「普通教育」の進展 (義務化、無償 )の波及、あるいは右産者あるいは開明学者の リーダーシ ップでの説明が多い。

本論文 の提 出者 は、 こうした疑間 に取 り組 み、(―)その設立 に際 し有産者の資金援助のみ では説明がつかない こと、(二)二般 に日本 の近代学校設立期 の特徴 は、応益負担 の原則 の下 に、上か らの学校設置強侍Jと それへの民衆の抵抗 (学校一揆、低就学率)にあった とされるが、

盲唖学校 に関 しては、それでは説明がつか ない との課題意識 を持つ に至 った。そこで、提 出者 は、盲唖学校令公布以前 に設立 (廃止・統合 を含む)さ れた盲唖学校約90校を蒐集 し、知的障 害児学校 史研 究で成果が実証 されている「学校 ・施設史研 究法」 によって、その成立・展開過 程 を分析 した。

2.結果 ・考察。提 出者 は、 まず、(―)対象校約90校中約70校 に「慈善会 (類似組織 を含 )」 が存在 したこと、(二)慈善会 は単 なる資金援助 だけではな く、人事、運営、地域普及等 に関わっていた こと、(三)公立校へ の転換後 は、これ らの「慈 菩会」 は廃止 ・縮小 され るかく 卒業生 の就職支援 団体等へ性格 を変更 したこと、等 を明 らかに した。

提 出者 は、更 に、具体的事例研 究 として、長崎校 (1898年設立 。現長崎県立盲学校)及び福 岡県柳 河校 (1909年設立 。現福 岡県立柳 河特別支援学校)の資料 をJ又集 し分析 を行 った。 これ による と、長崎校 は、視覚障害者服部惣四郎が設立 し、「長崎慈善会」(会長安 中半三郎)が 員の会費、事業 による資金、校長 人事等で運営費、教師給料、生徒授業料、教員等 を支援 した ことが明 らかになった。一方、柳 河校 には、盲学校設立後、「柳 河慈善団」が設立 され、地域 の各町村 の理事者や教育会関係者が幹部会員 とな り、「組織的」 に集金、宣伝 、入学者勧誘等 を行 った。特 に町村別、教育会支部割当て寄付金及び福 岡県か らの補助金は大正期 には歳入の 7割に達 し、盲唖学校令制定時 には「準公立」校 ともいえる地位 に達 していたこと、を明 らか に した。

3.結論。提 出者 は、 これ ら盲学校 の「慈善会」 は、集金及び寄付 団体であるだけでな く、

盲学校設立、校長 ・職員等 の確保 ・養成、生徒 の募集、校舎の設定、教育効果の宣伝等、盲学 校の設立、経営 において、基本的な役割 を果 た し、盲唖学校令の公布 とともにその使命 を終 え た もの と分析 し、「慈善会組織」 を単 なる「資金援助団体」ではな く、「盲唖学校」設立・経営 に関す る直接 の「支援組織」 と位置づけ、 こうした支援組織 による盲唖学校設立運動を、近代

‑12‑

(8)

義務教育学校設立過程の一つの「特色」 と位置づけた。

[評]提出者 には、既 に、明治 。大正期 の盲唖学校 関係資料 の収集 と分析 には実績 を積 み 重ねている。 さらに、今 回は、知的障害児学校史における「学校 ・施設史研究法」 を取 り入れ たことか ら、分析視点 と方法 に具体性が見 られ、新たな知見が引 き出 された。提出者は、先行 研究が「慈善会」 を「文字 どお り、慈善 を行 う団体」 としていた もの を、「理念、運営 。財政、

利用者 、従事者、方法、建築、地域 ・社会 、生活 (日)」 の祝点か ら、「時系列、数的分析」

を行 うことによ り、具体的に解明す ることがで きた。その結果、従来「空白期」 といわれた明 治後期 にも、多様 な盲唖学校の設立 ・統合があ り、その存廃 には「慈善会」が大 きく関わって いたことが解明 された。提出者 は、「結論」 として、 この結果 をもとに、「慈善会」 を先行研究 による単 なる「資金援助 団体Jと しての解釈 を変 えて、当事者 ・支援者 による「盲学校 の支援 組織」 と位置づ けた。 さらに、 これ によつて、近代義務教育学校 史には、「上か らの強制でつ くられた とす る近代義務教育学校Jと 、当事者 と支援者 によ り「下か らつ くられた盲唖学校 (特

別支援学校)」 があることが実証 された。 これは、従来の盲唖学校史研究及び近代義務教育史 升究の「定説」 の変更 を迫 る内容 を持つ「学問的価値」の高い結論である。

[判]さ て、本論文 は、 これ まで、知 られていなかった草創期 の盲唖学校 の存在 を明 らか に し、 さらに、従来 は単 なる資金支援 団体 とされていた「慈善会組織」が、当事者の創立企図 を支援 し、大正期 の盲唖学校普及期 をもた らした歴 史的過程 を明 らかにで きた事、及び、 これ によって、近代義務教育学校史において も、当事者 と地域の支援 による設立事例が実証 され、

日本の近代義務教育学校 史に新たな視点 を加 えることがで きたことは高 く評価で きる。予備論 文で指摘 された叙述面の問題点 も適切 に是正 されている。従 って、主査 ・副査 の合意により、

本論文 を可 と判定す る。

なお、学位 は「学術 ・福祉」である。

(9)

最終試験の結果の要旨》

[最終試験 の結 果]平成29年 2月 14日 、最終 審査 に際 して、英 文要約 の提 出 を求 め、口頭 に よる質疑応答 試験 を行 った。提 出者 は、論 文主題 に関す る教育学 ・史、特別支援教育学 ・史、

1障

害者福祉 学 ・史 に関す る関連質問 に適切 に回答 し、論文 の背景 、関連知識 に通 じてい るこ と を証 明 した。 また、タト国語 につ いて は、関連 質問お よび資料 と して提 出 された英文要約へ の質 問 に よって、海タト事情及 び語学力 にお いて、一定 の水準 にある こ とが認 め られ、主査 。副査 合 議の上 、合格 と判定 した。

‑14‑

参照

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