• 検索結果がありません。

博士学位論文

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "博士学位論文"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

1 博士学位論文(要約)

幕末期の幕藩関係と家格・儀礼(要約)

篠﨑佑太

〇論文の主題(テーマ)、当該研究分野における位置づけ

本研究は、近世後期から幕末期にかけての幕藩関係を大名家の家格やそれに基づく儀礼 行為という視点から検討し、将軍の御威光(=将軍権威)の実態を明らかにしようとするもの である。

近世期の幕藩関係は、将軍の御威光により統制されていた。それは、大名が江戸へ参勤し、

登城し、御目見するといった一連の儀礼行為のなかで視覚化された。将軍と大名との距離が 確認され、それが連綿と続くことで、将軍の御威光のもと幕藩関係は支えられていくのであ る。本研究においては、当該期の幕藩関係を捉えなおすにあたり、大名家の家格のうち江戸 城内における席次である殿席に注目する。それは、殿席が「各大名家の属性を公式に示すも のと見做されていた」という評価されているからである。殿席のなかでも、特に「将軍家ゆ かりの大名家」に与えられる大廊下下之部屋(大廊下席)を取り上げ、その政治的な変化を検 討していくことで、幕末期の将軍の御威光の実態について再検討していきたい。

近世後期から幕末期にかけての幕藩関係については、主に政治史の立場から研究が進展 している。そこでは、一七世紀以降、譜代や旗本による「専権政治」によって運営されてき た幕府政治が、一八世紀末以降の天皇・朝廷権威の浮上、外国の接近、国内の秩序の動揺な どがあいまって動揺し、将軍の御威光が弱体化していく様が明らかにされている。さらに、

嘉永六(一八五三)年のペリー来航以降、御威光の弱体化、幕藩関係の動揺は進む。その一方 で、政治的に浮上してくるのが、天皇・朝廷権威であり、それを背景に国事周旋へと臨む諸 大名である。こうした、将軍の御威光の弱体化、その他勢力の政治的上昇は幕府が瓦解する 一因となった、と評価されている。

このように、近世後期以降、将軍の御威光は弱体化し、ペリー来航以降、その弱体化は加 速、やがては幕府の瓦解へと結びついていく、という評価されている。しかしながら、この 評価は政治史あるいは、さらに局面的な幕末期における政争史から検討した結論に過ぎな い。近世後期から明治維新期にかけての研究は、分野ごとに成果が積み重ねられている一方、

その成果を分野間で共有することは少ない、という点が課題として指摘されている。本来的 な政治史研究は、政争史に留まるものではなく、もっと多様な政治行動にともなう社会状況 や政治制度の変化を包括して議論すべきである、とも指摘されている。

そこで、本研究では将軍の御威光を視覚化し、大名が確認する場であった儀礼行為、そし

て大名家を秩序付けた家格の変化に注目して、幕藩関係を検討していく。そして、これらの

解明を通して、近世後期から幕末期にかけて「弱体化」していくとされる将軍の御威光の実

態について再検討していく。

(2)

2

〇論文の構成 序 章

第一部 近世後期における大廊下席の展開 第一章 田沼時代における大名家の家格上昇

―福井藩松平家による旧格再興運動の再検討―

第二章 一八世紀後期における大名家の家格の変化―福岡藩黒田家を事例に―

第三章 文政・天保期における大名家の家格上昇と集団化―大廊下席大名を中心に―

第二部 大廊下席の幕政参加と殿中儀礼の変容

第四章 嘉永期における徳川斉昭「参与」の実態と影響 第五章 安政四年における大廊下席大名の政治動向

―「同席会議」の上申書提出をめぐって―

第六章 文久の幕政改革と諸大名の政治参加―江戸城登城と「国事周旋」―

補 論 幕末・維新期における両敬関係の構築とその意義 第七章 幕末期大坂城における殿中儀礼

終 章

〈各章の概要〉

第一章 田沼時代における大名家の家格上昇 ―福井藩松平家による旧格再興運動の再検討―

一八世紀後半の福井藩松平家では、一橋家から二度にわたり養子が入り、家格が変化して いった。本章では、養子入りに至る経緯と、それによる家格の変化について検討し、家格上 昇には「旧格」と、一橋宗尹による後見、その内願を受け入れる田沼時代のような政治状況 が重要であることを明らかにした。そして、将軍家からの養子入りにより、慣例的に家格が 上昇するのではなく、福井松平家の「旧格」とそれに基づく運動が、家格上昇をもたらした 点を指摘した。

第二章 一八世紀後期における大名家の家格の変化―福岡藩黒田家を事例に―

福井松平家と同様に、一八世紀後半に一橋家から二度の養子を得た福岡藩黒田家を事例 として、同時期の家格変化を検討した。黒田家の場合は、家格上昇ではなく、本領安堵と長 崎警備の継続が願われていた。そして、第一章の検討も踏まえ、家格上昇には然るべき先例 が必要であること、寛政改革期や「寛政の遺老」が政権にあるうちは、家格上昇が抑制され ており、家格を上昇させるために然るべき政治状況が必要であったことを指摘した。

第三章 文政・天保期における大名家の家格上昇と集団化―大廊下席大名を中心に―

一一代将軍徳川家斉の子女が、御三家・御三卿以外の大名家へ養子入りした早い事例であ

る鳥取藩池田家、津山藩松平家を主な対象として検討した。具体的には、文政・天保期に大

広間席から大廊下席へ異動する契機と影響について検討し、その契機は福井松平家と同様

(3)

3

に御目見であることを指摘した。さらに、大廊下席に複数の家が控えることで、留守居らが 集団化し、大広間席の留守居組合のように、集団で幕府からの法令に対応していることを明 らかにした。

第四章 嘉永期における徳川斉昭「参与」の実態と影響

嘉永六(一八五三)年七月、前水戸藩主である徳川斉昭は幕府からの命令により「参与」を 拝命した。斉昭が「参与」した実態は、前後期と大きく二期に分かれており、前期は幕閣ら 幕府役人の相談にあずかる程度のものであったが、嘉永七年以降は老中や溜詰との評議に も参加するなどその参加形態に変化があった。一方、その影響は、「参与」の後期において 実際に評議に参加することで、上意に固執する自身の意見が受け入れられないことを目の 当たりにした。その時に抱いた幕政への危機感が、将軍家ゆかりの大名家であり、集団化し ていた大廊下席を政治集団化させるという影響があったことを明らかにした。

第五章 安政四年における大廊下席大名の政治動向

―「同席会議」の上申書提出をめぐって―

安政四(一八五七)年、幕府から諸大名へ出された対外方針をめぐる下問が出され、これに 対して、大廊下席に控える大名がどのように議論し対応したのか検討した。大廊下席は、

個々の家ではなく殿席ごとにそれに対応することを決し、「席々之風」という大廊下席の立 場を踏まえた上申を実施することが決められた。大廊下席が政治的に浮上した背景には、将 軍の御威光があり、同席会議では、幕府の決定を尊重したうえで、御威光の維持、薩摩藩島 津家への警戒などが議論されていたことを明らかにした。

第六章 文久の幕政改革と諸大名の政治参加―江戸城登城と「国事周旋」―

安政の大獄後、幕府政治に対して発言力を弱めた諸大名が、再び政治的に浮上してくる過 程を検討した。文久二(一八六二)年、幕府は大獄で処罰された大名を許し、幕政改革を実施 した。そこでは、これまで幕藩関係を支えてきた年中行事や登城制度が改変されていった。

幕府の改革のなかでは、特に幕末の政治状況のなかで、新たに生じた「国事」という政治課 題の処理に対して、いくつかの大名を参加させ、儀礼やその場を整備したことを明らかにし た。さらに、そうした場への参加は、それまでの大名家間の政治的な信頼関係が重要であっ たことを指摘した。

補 論 幕末・維新期における両敬関係の構築とその意義

大名家間の交際表現である両敬関係を取り上げ、幕末・維新期において、近世的な儀礼関

係を構築する意義を三つの事例から検討した。従来、両敬関係は、家同士の「親しさ」を示

す極めて儀礼的な結びつきであったが、幕末・維新期という政治状況のなかでは、それに留

まらず政治的な影響力を持った。特に大名家の領地に基づく地域的な結びつきとして機能

していくことを明らかにした。

(4)

4 第七章 幕末期大坂城における殿中儀礼

幕末の政治状況のなか、一四代将軍徳川家茂が「国事」に対応する拠点となった場所は、

大坂城であった。家茂が畿内に滞在することで、幕府役人は連日大坂城へ登城し、大名もし ばしば登城するようになる。そこでは、江戸城での登城儀礼や殿中儀礼を例に、儀礼の場が 作られ、御威光に基づく儀礼、幕藩関係を確認する場が整備されていた。さらに、畿内に滞 在する諸大名からも、登城する儀礼を整備するよう求められ、政治状況や将軍自身の位置づ けが変わろうとも、将軍が将軍であるためには、御威光を身にまとう必要があり、そうした 場は有事の大坂城においても整備されていったのである。

終 章

以上の各章による検討を踏まえ、下記二点を明らかにした。

第一の課題である、大名家の家格のうち殿席を取り上げ、大廊下席(大廊下下之部屋)を 事例に、異動の理由と、その影響を明らかにする、という点に対しては、①殿席の異動は、

初めての御目見という儀礼行為が契機であったこと、②大廊下席への異動により大名家は 集団化したことを明らかにした。

第二の課題である、家格の変動が幕末という政治状況において与えた影響を特に儀礼行 為に注目して明らかにする、という点については、①幕末期に大廊下席大名が政治化する背 景には御威光があったこと、②幕末期の政治状況下でも、御威光のもと幕藩関係はその継続 が模索されていったという 2 点を指摘した。

以上の点を踏まえ、家格・儀礼の変化という視点から近世後期以降の幕藩関係を捉え返し

た時、幕末期においても、近世国家として将軍の御威光は幕府により維持され、諸大名に支

えられるものであった、と結論付けた。

参照

関連したドキュメント

突然そのようなところに現れたことに驚いたので す。しかも、密教儀礼であればマンダラ制作儀礼

仏像に対する知識は、これまでの学校教育では必

〃o''7,-種のみ’であり、‘分類に大きな問題の無い,グループとして見なされてきた二と力判った。しかし,半

・アカデミーでの絵画の研究とが彼を遠く離れた新しい関心1Fへと連去ってし

「に桐壺のみかと御位をさり、 朱雀院受禅 有と見るへし。此うち 、また源氏大将に任し

Scival Topic Prominence

( 同様に、行為者には、一つの生命侵害の認識しか認められないため、一つの故意犯しか認められないことになると思われる。

キャンパスの軸線とな るよう設計した。時計台 は永きにわたり図書館 として使 用され、学 生 の勉学の場となってい たが、9 7 年の新 大