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剣 道 観 の 一 考 察
体育研究室 磯 部 浩
序 論
第一章 剣道修練の態度 第二章 剣道と禅 第三章 剣道の本義
第四章 活人剣 第五章 不動 智 第六章 相 ぬ け 第七章 万理一空 第八章 愛の剣道 第九章 名人の心境
あがきと序 論
剣道は,本能的な格斗の手段として発生し,吉野・室町時代を経て,戦国の乱世には自 守自衛の為の武術として急速な進歩をとげ,江戸時代に至り,世が一応治まると武士の嗜 みとしての剣道となり,武術としてよりも心身の鍛錬を目的とする剣道へと発達し,特に 精神修養の方法として重視されてきた。
たちがき
剣道の名称について見ると,上古の時代には,「撃剣」と呼ばれ,奈良時代には,「撃 剣」「刀剣」という文字を佼い,「たちうち」と呼ばれた。この「たちうち」が「太刀打
」という文字となり,平安時代・鎌倉時代を経て室町中期頃まで一般に用いられていたよ うてある。その後,江戸時代の初期にかけて,「兵法」という言葉が使われ,ついで,元 禄前後から明治維新の頃まで一般に, 「剣術」という言葉が用いられ,明治・大正にかけ て,広く「撃剣」とか,「剣術」とかいう名称が使われたが,大正十五年五月二十七日の 学校体操教援要目の改正の時から,従来の「撃剣」を「剣道」と改めて法規上正式に使用
し,その後は「剣道」という名称が一般に用いられて現在に至っている。
古代から戦斗形式と武器,及びその使用法は相即不離の関係に於て発達してきた。
「十握剣」の伝説を初めとして,屈刀・頭槌刀・高麗刀などがあり,剣法も大陸の影響を 受けて支那式の片手使いが用いられた。
数百年に渉る実地使用の結果は,直刀の元切りよりも反刀による先切りの方が有効であ
る事が立証され,刀剣も直刀平造から反刀鏑造に変って来たのである。更に刀の使用法も
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片手使いよりも双手使いの方が合理的であり,有効である事が判り,その為に刀の柄を長 くして,ここに日本独特の双手使いの刀法が創案された。
鎌倉時代になり武士社会の発生と共に武士道の発達をみ,更に当時隆盛であった輝宗と 渾然一体となって大乗的な武士腫を育成した。
剣術も組織的な体系が形づくられ,師弟の関係ができて,流派が生じて来た。
このように剣術は,素肌で武技を練り剣理を研究した流派剣術と,刀剣の技術の巧拙を 競うよりも,むしろ,強力をもって,刀剣を振り廻して敵に向うことに終始した戦場剣術
との二方面の研究が盛んに行われた。
この時代には,念流(僧慈恩…一(相馬四郎義元)),天真正伝神道流(飯篠山城守家 直),陰流(愛洲移香),中条流(中条兵庫助長秀)などの剣法の源流ともいわれる流派 を生じ,この各流から更にト伝流,一羽流,微塵流,新陰流,富田流,鐘巻流,柳生新陰 流,一刀流などの諸流を生じ,これらの流派は更に又流派を生んで,江戸時代にかけて二 百余流の多数になり流派剣道の全盛侍代をみるに至った。
江戸時代には階級制度が確立した結果,剣術は武士階級の独占する所となり,武士は表 芸として,これをたしなみ,技術の練磨とともに精神約方面をも重視し,儒教・仏教,こ とに輝宗の影響によって道徳的要素が強く加えられ,武士の実践腫徳としての武士道とし て,剣の理論的,精神的内容を与え,武士としての人格陶治に大きな価疸を認めて,これ
を重要視し,江戸中期以後は,武術としてよりもむしろ,心身の鍛錬をねらいとする剣の
ケへと発展した行ったのである。
宝暦,明和の頃,防具や竹刀が考案されて,竹刀打ちの剣術が創案され,これによって 従来の素面,素小手の形による練習から,防具を使川して,打突部位やその他の約束によ
る竹刀打ちの練習や試合に変り,この頃からスポーツ的な傾向が見られるのである。
この事は剣道の進歩発達に非常な影響を及ほしたのである。
大正元年には,根岸信五郎,高野佐三郎,内藤高治,門奈正,辻真平等が主査となって
:従来の各流派の形を綜合続一して,当時の剣道の指針ともなる「日本剣道形」を制走して 現代剣道の基礎を作り今Elの発展をみるに至ったのである。
以上の如く剣道の発達過程を概観する時,歴史的,社会的基盤に立って原始約剣術は,
攻撃防禦の手段としてのみ発達し,発展せる剣道は人間修養の手段として,心法の研究実 践と相俊つて,修身,斉家より進んで治国,平天下の道を求めて来たのである。
古来より武術の流祖と仰がれる人達は,各々その流派に己の理想とする内容をもった名 称を名づけて,人格と剣技の陶治鍛錬に努力して来たのである。
即ち活動無限の精神とその修養方面を以ってしては,無眼流,克己流,貫心流,心形刀
磯 部:剣道観の一考察 185 流,無刀流等があり,或は広大無辺の天の心を表わしたものに,天道流,二天流,北辰一
刀流等があり,或は全知全能の神を以ってしたものに,神道流,神陰流,神道無念流等が あり,その技術の上達すると共に次第に己の理想を高め,心身を鍛錬して安心立命の境地 に達しようと努めているのである。 1
L 庵輝師によって教示された,柳生但馬守宗矩の剣暉一致の論は輝をもって剣を引き上 げんとしたものであり,宗矩の剣法の奥儀「兵法家伝書」の第一義である「無刀の巻」は 宗矩の剣道の真価を示すものである。
宮本武蔵は兵法修業によって自ら騨境に悟入したといわれる。
更に針谷夕雲の「相ぬけ」論は,斗争の極致は無勝負の境地にあると説き,自らこれを 実践している。
古来幾多の剣道家達が刻苦修業し,生死の厳頭に立って到達した剣技と剣理,及びその 思想を彼等の著作,及び伝書,並びに彼等に多大の影響を及ぽした輝僧の著作等を参考に して究明する時,現代剣道を含めたあらゆるスポーツに,その情神は活かされ,更になお 現代社会生活にも必要な精神杓要素をもっていると信ずるものである。
第一章 剣道修練の態度
原始約な剣術は,攻撃防禦という斗争本能から発達したものである。従って工夫或は技 巧をする:事が少なく,相対力の強い者が大体に於て勝を制したのであるが,剣の使用法,
相手に対する動作等も,だんだん研究されて,単に太刀を振り廻す事から発達して,理に 従い,道を踏み,法に則って敵に勝つという事が考えられて来たのである。
しかし,それはまだ単に,自己に直面する敵に打ち勝つという事以上に発展していない。
所謂外形灼な剣術である。このような剣術が行われたのは戦国侍代頃までと推祭される。
徳川氏により天下統一がなされてより,その初期は別として,実際戦場に於て太刀を用 うべき機会が殆ど無くなり,その結果としてこれまで外部の敵にのみ対して考えられてい たものが,次第に内部に向けられ,自己の反省,自己を処置す可き規範を体験するの方法 に転換して来たのである。即ち術から道へと発展してきたと考えられるのである。
徳川時代の宗教及び文芸の勃興と共に,剣道の体験を是等と結合して考えるようになり 始めは宗教,文学等により剣道の理を説明せんとしていたものが,その内容が豊富になる に従って,反対に剣道を通じて,大自然の真埋にまでも徹せんとするようになった。
宮本武蔵が其の五輪の書に
「兵法の理に任せて諸芸,諸能の;亘となせば,万事に於て我に師道なし」と言っているの
はこの間の消息を語るものである。
佃6 茨城大学教育学部紀要 第九号
かくして,殺人剣に対して,活人剣なる語まで用いられて来たが,それは剣道の意昧が だんだん深遠に考えられて来た事を示すものである。遂には太刀を抜かずして勝つが剣道 の至極なりとさえも考えられるに至った。
武士は腰に両刀を帯ぶるも,それは人を斬るにあらず,己の邪心を断つなりというに至 った。このような考え方は,剣道の成立原因からみると全く反対の考え方であって,そ れだけ剣道は倫理化し,内面化したものというべく,真の意味に於て発展したものと言っ て良いのである・
以上述べ・て来た事は,古来からの剣道家達の言動から容易に推察する事が出来る・彼等 は単に剣技の達成のみでなく,精神の修養と人格の完成を目指して努力し・又弟子達に剣
を学ぶ態度を指導して来た事が判る。
即ち中条流の一派,山崎派の山崎左近将監は,其の秘伝聞1鉾に
「平法とは,我が一心を治め,国,天下おも平治する意にて,中条流に於て,誠に第一の 心得にて,一通りの兵法にてはなく,平法にて人を治むるわけ故・人を害し・人をなやま
す剣術はあらざるなり。」といっている。兵は平である。武は交を止める意である。干黄 を動かさないで平を致すのが剣の要義である事を説いている。
また中条流の源流である,念流の創始者である僧慈音は,応仁時代の者で俗名を,相馬 四郎義元とよぶ奥州の人であり,鵜戸山大権現に祈って・剣道の秘奥を悟り・後に鎌倉地 福寺に入り僧になったといわれる。
僧慈音は仏教の方面より,剣道を単なる武技に留めずして人間修業の大道たらしめんと している。 「念流兵法聞書心得」に
一,夫れ当流は,天下の道に叶い,万事に通ずるように修業致したきものなり。(後略)
一,当流は各灯,各自,日々の家業に用ゆること肝要なり。 (後略)
一,武術は勿論,神.儒,仏の教と少しも違う,ことなし。若し違いば邪教なり。
一,剣術の教も,命を知るをもって要とす。剣術の高を得るを以て極とす。故に剣の命と いう。剣道を学びて命を知らざれば,無着実者なり。
一,兵法は五方というあり。是は天に在る時,元,亨,利,貞。人に在る時は,仁,義,
礼,智,信の五常にして,兵法にある時は,柔,弱,強,剛,謀の五法なり。(後略)
一,剣術の理と,天地間の理と同一なり。此の理,形無くして空なり。空なるが故に目に 見えざるなり。然りと錐も,亦形ありて,剣法を悟る人に見えるなり。(後略)
この心得書は,慈音の筆授ではないが,慈音以来,伝統の精神を述べたものと認める事 が出来る。
兵法中興の祖と仰がれる上泉伊勢守信綱(足利,豊臣時代)は・陰流と神道流を修業し
一
磯 部:剣道観の一考察 187
ご充ヨ表楚として,1こ申会記(又よ訴彰充)ノ)充且ヒなク, ら去り弄庵を拍して,斯互こ 一生面を開き,天下を指導したのであるが,
その兵法に対する態度は,
「兵法は人のたすけに遺にあらず,進退妥に究りて,一生一・度の用に立るなれば,さのみ 世間に能く見られたき事にあらず。たとひ仕なしは,やはらかに,上手と人には見らるる とも,毛頭も心の奥に正しからざる所あらば,心のとはば如河答えん。仕なしは見苔しく て,初心の様に見ゆるとも,火災の内に飛入,磐石の下に敷かれても,滅せぬ心こそ心と 頼むあるじなれ。…(中略)…身を離れたる工夫は,初心の内は用に立ぬものなり。縦ひ 理は合黙しても,所作ととのはぬ故,勝口正しからず,先づ所作と心との和含するように つかう心もちよし」と教えている所をみても,剣道を単に刺撃の具にしなかった信綱の心 底を,窺う事が出来るのである。
五輪書の「地の巻」には
「……武士の兵法を行う道は,何事に於ても人にすぐるる所を本とし,或は一身の切り合 にかち,或よ数人の戦に勝ち,主君の為,我身の為,名をあげ身を立てんと思う。是兵法 の徳を以ってなり。又世の中に兵法の道を,ならいても実のときの役には,たつまじきと 思う心あるべし。其の儀に於ては,何時にても役に立つよう稽占し,万事に至り役に立つ 様に教うる事是兵法の実の道也」と述べて剣の修業によって万道に通ぜん事を理想として いる。更に「(前略)とりわけ此兵法の道に色をかざり,花をさかせて,術をてらい,或 は一首場,或ぱ二道場などいひて,此道を教え,此道を習・・て利を得んと思う事,誰かい
う,生兵法大疵のもと,まことなるぺし」と剣道修業の心得と注意を強く述べている。
大導寺友山(享保十五羊没)は,その著「武道初心集」に於て,兵法修行の態度を詳細 に述ぺている。軍法戦法の項に
「然れば武士は必ず兵学を仕るべき事に候。然りといへ共,兵法の修行を悪く仕り損 ひ候へば,功者づき候程,我が智に高ぶり,寄潭る人を見こなし,実理仁もあらぬ高上な る理屈だてを申して,若輩の耳を誤らせ,気立を傷、・,口には正義IE法に似たる分外の言 葉を吐候へ共,心浪ま大に貧り,立にも居るにも利害を謀り,次第に人柄悪くなり,武士 、、
フ意地合までも取失う者之有候。・
是れ兵学修行の中半なるに付ての過失に候。とても兵を学ぶとならば,此半途に足を止 めず,如何にもして奥旨に至り,やがて元の愚に立帰り,安住致すまでに修行仕度事に
候。
然れ共我人兵学の半途に日を送り,奥義に至る事叶はず候ゆへ,元の愚に立帰るぺき方
角を取失い,狼狽罷在候よ,心外の至りに候。
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妾に愚に帰ると申すは,いまだ兵の道を学ばざる以前の心の如くにと申す事に候。
総じて味噌の昧喉くさきと,兵法者の兵法くさきとに出会候ては,鼻向もならざる物の よし,古来より申し候。初心の武士心得のため傍如件」
武道初心者に対して,兵法修業の注意を述ぺて余り無しと云うぺさである。
世が平和になるにつれ,剣道は当初の目的である実戦主義からはなれて主として武士の 表芸として人間練成の手段となったが,徳川中期以後は,平賀源内が「刀は姻管よりも細 し」と評したように,武士の気風は軟弱になり,竹刀打ちの技術は益々巧妙を極めるよう になり,武道の稽古が,いつれも「華法」に流れる傾向にあった。
この時にあたり多いに実践的武道を鼓吹した平山行蔵が現れ,主として実用的武術を鍛 錬し,武芸十八般を制定し,その道場,兵原草盧に於て弟子三千人を指導したといわれる。
文化三年六刀に,武芸十八般略説という書を著わして,日本武術の集大成を行い,剣法に 於ては,忠孝真貫流の流祖となり,徹底的な実践訓練を行った。
其の著,鈴林厄言に「当流の剣術,短刀を用る事は,格別に気勢を引立んとの仕懸けな り。短刀を取りて,ためらう事あれば,忽ちに敗をとる事,踵をめぐらすぺからず。因っ て敵の撃刺をかまわず,この五体を以って敵の心胸を突て背後に抜け通る心にて踏込まざ れば,敵の体にとどかざるなるなり。・(中略)…流義の本意,戦場に向い潔く打死をす る精神を取立る演習故,打ちつ打たれつして,柳の当り外れを吟味する比較とは,其相違 せること天地なり。・(中略)…只大音声を上げて刀を打込み,敵軍にかかるの勇気を引
興すまでなりと云しとなり。接ずるに意味甚だ面白し。武芸の地磐と云うはここなり。こ こが出来ざれば,如何ほど手づま調練が出来ても,魂が無き故,芝居狂言の如し。事に臨 んで狼狽せん事必定なり。是を武芸の習発れと云う」
更に「剣説」の開巻勢頭に「夫剣術は敵を殺伐すること也,其殺伐の念慮を・蕎直端的 に敵心へ透徹するを以て最要とする事ぞ」と述べている。
行蔵が武道を説く文章は,端的に卒直に要領を道破して徹底的であるところ,躍如とし て吾人に迫り来るを覚え,その風格を偲ぶ事が出来る。文化四年露艦エトロフ事件起るや 幕府に上書し,身を以て事に当らんとし,更に文化十三年に「海防問答」を著わし,その 知識と識見は単なる武術家ではなく実に後世武聖と尊称される以所である。
山岡鉄舟は幼にして剣を学び,一刀流の奥妙を極めると共に五人の鐸師に参じて研讃し 剣輝一如の境地に達し,明治十三年三月三十日遂に無敵の境に到達し,無刀流と称したが その言に「…(前略)…余の剣法を学ぶは,偏に心膿錬麿の術を積み,心を明めて以て,
己れ亦天地と同根一体の理,果して釈然たるの境に到達せんとするにあるのみ。世人或は
余を見ること,猛虎の如しと。然れども余未だ且って殺生を試みたる事なきのみならず,
磯 部:剣道観の一考察 189 一点他人に加害したる事もあらざるなり。
否猶終身斯道に違わざるを誓う。是れ余が剣法修行の自覚となす」と述べている。
幕末から明治初期の混乱変動の時期に於てよく剣の深奥を体現した名人と云う事が出来
る。
この剣繹一如の境地に達してこそ,明治維新当時,幕府の使者として,駿府に西郷隆盛 を訪ねて江戸百万の人命を救う事が出来たのである。
更に鉄舟と共に明治の三舟として有名な勝海舟は,天保弘化の頃,島田虎之助見山の門 に入り,修行すると共に,広徳寺に於て坐輝を行い,その効果を述べて日く「剣道と坐輝 とが余の土台となって入聞精神上の作用を悟了し,何時も先づ勝負の念を度外に置き,虚 心坦懐,能く事変に処した。小にしては多くの刺客乱暴人の厄を免かれ,大にしては幕府 瓦解前後の難局に処し緯々として余裕あり,万死の境に出入して遂に一生を全うしたのは 是畢尭剣道と騨学の二道から得来った賜である」と述懐している。
剣道修練の態度心得を学校剣道の方面より見ると,大正二年一月二十八日文部省訓令第 一号学校体操教授要目中の剣柔道について「撃剣及柔術は,其の主眼とする所身心の鍛錬 に在りと錐も,特に精神的訓練に重きを置くぺし。技術の末に奔り勝負を争うを目的とす るが如き弊を避くるを要す」とあり能く剣道指導のねらいを言い表している。
更に高野佐三郎先生の撰ばれた剣道教習綱領によってみると,剣道学習の方針が示され ている。
第一条 忠君愛国の大義は武道の本領なり。武道を講習する者は,平素心身を鍛錬し,義 勇奉公の修養を怠るぺからず。
第二条礼儀を重んじ,決して驕漫卑劣の行あるぺからず。
第三条 名与と廉恥は武士の生命なり。斯道に志す者は,筍も表裏背信の行為あるべから
ず。
第四条恭敬慈愛を重んじ,決して長を凌ぎ少を侮り,剣を知らざる人を蔑にし,名を争 い誉を尭うべからず。
第五条平和を旨として,務めて争心を去り,口論私斗の行あるぺからず。
第六条 質素は剛健の源にして,浮華は儒弱の本なり。務めて軽挑淫靡の行を戒むべし。
第七章 兵は凶器なり。之を義に用うれば武の徳となり,之を不義に用うれば武の暴とな
る。
第入条 師長に対しては,尤も当に敬意を尽すべし6其の教を奉じ其の命に従い,以て規 律節制の習を養うべし。
第九条 忠孝は皇国の精華にして,治に居て乱を忘れざるは古人の訓なり。剣道を講究す
邑
190 茨城大学教育学部紀要第九号 る者は右の条々を遵奉し,以て国華を発揮すぺし。
之は実に戦前に於ける剣道学習者の規範となり,更に剣道界の倫理として長い間実践さ れて来たのである。
第二次世界大戦に突入した昭和十六年頃より,極端な国家主義・軍国主義思想が拾頭し 剣道界も戦時体制化され,剣道も戦技的性格が強調され・そのねらいや内容も大きな変化 がなされたのである。
昭和二十年十一月文部省は「超国家主義及び軍国主義の鼓吹に利用され,軍事訓練の一 部として重んぜられた」との理由によって,剣道は一一時禁止されたのである。
しかし剣道は戦時中の国家主義的思想を払拭し,民主工1勺スポーツの立場に於て,昭和二 十入年に新しい撃剣が生まれたのである。
このように,現代の剣道は,日本民族の長い歴史と共に・その尊い体験を通じて発達 し,新しい時代の要求に即応して進歩発展した格技に属するスポーツであるという事が出
来る。
現代の剣道愛好者は,剣道そのものの活動を好むが故に行い,活動そのものに楽しみを 見出すと共に,より高い技術を追求し,その為に肉体杓,精神約苦痛も耐えて行くのであ る。更に剣道は,スポーツとして存在する為に一定のルールを持たなければならない。即 ち打突部位を規定し,試合時間,試合場の大きさ等を一定にし,審判員も三人の合議制に して公平な審判を行い,相互肯定的(協力)な立場に立って,人間性を尊重し合っての,
「ル・一ルのある」格斗技として行われるようになった。
第二章 剣 道 と 禅
弾の簡素直載なる宗風は,当時の鎌倉武士の求道の清神に合し,執権北条氏以下の部将 士卒の帰依を得る事が出来た。彼等は戦易馳駆の間に処するに必要な死生観の確立を輝に よって求めたのである。
輝の教義は一切を捨て切ることで,そこに死生観の確立があり,それによって恐怖を自 ら粉砕し離脱し切る所に宗教的悟入がある。坐輝によって自力を以て直裁に生死の疑雲を 払拭せんとする所に輝機があり,武士達の,渇仰帰依をうけた所以もここにある。
戦国武士にとって,彼等は直ちに戦場という生死の場に直面せねばならず,彼等と輝家 は,この一点に於て同じ問題に対するわけである。武士が,死生の解決を輝に求めんとす るのは当然であって,特に日本輝が武士と結びついた点は,印度,中国輝に全く見られな い特異な事というべきである。
武士達は文字による生死の理論を求めるのでなく,直接,輝の究極の死生観を求め.こ
磯 部:剣道観の一考察 191 れに安住しようと期したのである。
死生観とは,結局死の恐怖心を脱却して生を明らかにする事である。一度死の恐怖を脱 却すれば,人は誰でも悠々として,天地に自在の働きをなし得る。その為の修輝であっ たo
武家政治と騨の結びつきは,そのまま武術修業者と繹の結びつきにもなる。
わさ わさ
徳川時代の剣に関する著述記録は,多くは事即ち業と共に,理(心法)を説くことが普 通であり,理に於ては輝を論ずるものが多く,更に儒教思想も剣技の心法に介入し来た跡
も少なからずみられるのである。
現存する当時の武芸書を挙げてみると 本朝武芸小伝
著者目夏弥助繁高は,天道流の達人で酒井氏の家臣である。武芸一般にわたる列伝の書 としては,これより古いものはなく,記事も正確である。正徳四年に成った。
日本中興武術系譜略
彦藩の志賀義言件敬の編集によるもので,原版は明和四年の版行であるが更に寛政二年 に改版したようである。武芸小伝を本として其れ以後,明和時代までの剣客の列伝であ
る。
武術流祖録
江戸の羽島耀清,池田豊直,青山敬直の三人の編集したもので,各流祖の事蹟と系譜が 述岱られてある。天保十四年版行されている。
撃剣叢談
著者源徳修は岡山藩士で,剣術師範役の家に生まれた。本書は十数年間に見聞した全国 各流の大要を記述したもので,非常に内容が豊富である。天保十四年版行されている。
不動智一巻
世に「不動智神妙録」または「剣術湛語」と名づけられているものである。
本書は,釈沢庵が輝学上の見地から,剣道を論じて柳生宗矩に与えたものといわれ,剣 法と心法との接触を論じて,非常に詳密を極めている。後の剣騨一致を説く者は,多くは この書を祖としている。剣術が進んで道となり,術法が心法となったのは,実に本書の力 であるといわれるG
太阿記一巻
この書も沢庵の書いたものといわれる。
兵法三十五箇条
本書は,寛永十八年二月,宮本武蔵が熊本藩主細川忠利の命により,書いた兵法覚書で
192 茨城大学教育学部紀要第九号
ある。三十五項目に亙り,兵法の心得と奥義を記述したもので・後に著した「五輪の書」
は本書を説明したものである。
五輪の書
本書は「五輪の巻」ともいわれ,地,水,火,風空の五巻に分け,兵法の極意を記述 したもので,宮本武蔵が寛永二十年十月十日・六十才ρ時より書き始め・正保二年五月十 二日に完成したものである。
地の巻は,将師用法の大道を説き,水の巻は,撃剣稽古のありさま,火の巻は,合戦の 様子を述べ,風の巻は,他流の評論,空の巻は,万理一空の場を説いたもので,此の書は 後に,二天一流の秘伝となり,免許を得た者でなければ伝える事が許されなかった。
本書も心剣一致を説いたものであるが,沢庵のは剣輝,四分六分であるが,武蔵のは,
剣輝六分四分である点は興味がある。
円明流剣法書
円明流とは,宮本武蔵の二天一流の別名で後世に名づけられたものである。
本,婁は「五輪の書」の抜書であると思われる。
剣法夕雲先生相伝
著者は針谷夕雲の弟子,一雲であるといわれる。徳川初期の頃の人で,当時の剣道界の 状況を述べ,特に理義を退けて実習の工夫を説き,柳生剣法を批判し,相ぬけ論を唱えた 点など非常に高い見識と悟道を窮うことが出来る。
一刀斎先生剣法書
一刀流の古藤田俊定(大垣戸田候の臣)の剣法論である。理義を説明するのに余り輝理 に傾かず,しかも同時代の柳生宗冬(宗矩の子)及びその一派の剣法論とやや趣を異にし ている点は注目すべきである。寛文四年の著作である。
柳生流新秘抄
本書は,柳生宗在(宗冬の子)の門弟,佐野嘉内勝旧によって書かれたもので,新陰流 の形の目録の註釈書である。全く輝理を離れた技術上の説明書である。正徳六年の著であ
るo
天狗芸術論
本書は,理兵法に偏し過ぎるほどに,剣法即心法を説いたもので,著者侠斎樗山子は如 何なる人物であるかは不明である。享保十四年の版である。
本識三問答附運簿流剣術要領一巻
本書は柳生流の剣法を説明したもので,著者は柳生宗頼の高弟である。
剣術要領一巻は,木村久甫の著である。
磯 部:剣道観の一考察 193
剣術不識篇一巻
明和元年,木村久甫の著作であるが,理論に傾いて剣の真理を離れているといわれる。
剣 説
本書は学剣の目的を論じてその心得を示したものである。著者は平山潜。子竜,兵原,
練武堂,運簿真人と号す。行蔵はその通称である。文政十年十二月病残した。慷慨激烈,
天正武士の面影があった。
常静子剣談
著者常静子は,平戸藩主松浦静山といわれ心形刀流の達人であり,その識見も高く,本 書は明確に学剣の真随を説いたものである。文化十七年の著作である。
剣 致
本吾も常静子の著で,心形刀流の目録の説明詩であるが,達恨,博識の人であるから,
所論正確にして詳細を極めている。
剣法略記
本書は春夏秋冬の四巻に分け,居合を基として剣法を説き,武士道を説き,更に故実も 述ぺている。著者窪田清音は,居合の達人で天保十年の著である。
剣法撃刺論
著者森景鎮は千葉周作の門人であり,飯野藩士である。主として,心気力の一致,練気 養心の心法を説いたもので,文久二年の著作である。
以上の諸本は,各自の体験を通じて得た所の剣道の奥義,即ち剣の使い方や,心の持ち ようなどを述べたものや,剣輝一・致の在り方を論述したものが多いのである。
然らば,剣桿一致とは如何なる境地をいうのであろうか。
剣に坐してみれば,輝はもとより,天地の大法,宇宙の万法,一・として剣道ならざるは ないのであり,鐸に坐してみれば,剣も輝なり,天地万物,悉く輝海中の一波瀾ならざる ものはないのである。更に突込んでいうならば,剣もなく輝もなく,しかも一一法として剣 ならざるなく,輝ならざるなき境界をいうのである。
一捧一刀は,理由なくして打つのでなくて,その一捧一刀毎に,打たるるものの心魂を 陶治し,本来の面目を発揮せしめんがためのものであって,師より云えば,弟子を思う一 念慈愛の打捧であり,弟子より云えば,人格修錬の一路向上の打捧なのである。
一 アのようにみる時,特走のもののみを捉えて,これが輝であるとか,剣であるとか言え なくなるのであって,然も悉くが繹であり,剣であると云うことになる。
真の剣,輝の究極は,生死を超越した平常心にある。
194 茨城大学教育学部紀要 第九号
第三章 剣道の本義
普通一般の常識より考えると,剣道とは,彼我相争い,勝負を決する術のように考えら れるが,沢庵は「大阿記」の冒頭に「蓋し兵法は勝負を争わず,強弱に拘らず,一歩も出 でず,一歩も退かず」と述べて,一足も踏み出さず,一足も退かず,座ながら勝事也と註
している。要するに,戦わずして勝つ事が,兵法至極の道であるといっている。
一般に,原始的,素朴的剣術に於ては,自然力,相対力の強い者が勝を制したのであ る。即ち,夕雲流剣術書によれば
「己に劣るには勝ち,勝るには負け,同様なるには相討の外なく,一切,坪のあかぬ所」
と云う事になって,勝負は常に不安定になり,懐疑内な世界に陥るのである。
然らば,果して如何なる工夫をもって,不戦而勝の絶対の境地に達する事が出来るので あらうか。沢庵iはその事について
「敵我を見ず,我敵を見ず,天地未だ分れず,陰陽到らざる処に徹すれば,直に功を得べ し」と述べている。
ここでいう我とは,真我の我であり,人我の我ではない。人我の我は,他人はよく知見 する事が出来るが,真我の我は,他人の知見出来るものではない。
真我の我とは,沢庵にょれば
「天地未分以外父穏未生巳前」の我である。即ち,自己にも,他人にも,鳥類,畜類,草 木一切の物に備わった影もなく,形もなく,生も死もない我であり,即ち仏性であると述 ぺている。人我の我とは,吾々の常識的に考えている自己そのものである。我儘な個人我 である。他の個人我と対立的に存在している個我である。即ち自と他との間の障壁を限り 無く高く築いて,個我に立てこもっている人である。
真我の人は,他の上に自己を発見してゆく人,換詳すれば,如何なる個我をも有してい ない,仏教一般に謂う所の無我の人である。
沢庵の言う,人我の剣と真我の剣は,針谷夕雲の言う所の,畜宝心の剣法と自性本然の 剣法とも言う事が出来よう。
人我,個我の剣は,敵,我を見,我,敵を見,彼我相対立して,喰うか喰われるかの畜 生道,修羅道に堕すのである。
剣の真面目は,人我,個我を碑破して,如何なる個我をも退治し,駆逐する所の真我を 発見するにあるのである。
「山中の賊は破り易く,心中の賊は破り難し」と言われるが,剣に於ける敵は,外にある
のでなく,実に自己の心の内にあるのである。
磯 部:剣道観の一考察 195 心中の敵,即ち人我,個我を辞破する事が出来るならば,心外の敵は,自らその姿を没 するのである。即ち真我の顕現である。
この真我の顕現について沢庵は
「学道の人,十年二十年,十二時中ちっともおこたらず,大信力をおこして,善知識に参 じて辛労苦労を顧ず,子を失いたる親の,なお尋ねる如く,志を退かず,深く思い尋ねて 終に仏見法見つきはてて,自然に是を見る事を得る也」とのぺて,人我個我の妾想を反省
し辛労昔労して,生死巌頭よく三尺の剣を磨くより他はないのである。
かくして二十年三十年不断の精進を続ける所に,遂に諮然として・敵と我と一体不二の 妙諦に悟入する事が出来るのであると教えている。
剣を磨く事は,自己を磨く事であり,人格の陶治に努力する事である。
大人格の前には,如何なるものも自然に,その威徳にうたれるのである。
勝わずして勝つとは,徳をもって人を帰せしむる事の謂である。これを真妙の剣と云う のである。
第四章 活人 剣
真妙の剣を会得した人は,戦わずして能く勝つ殺活自在の力用を得る事が出来るのであ る。それを沢庵は,「大阿記」に於て
「夫れ通達の人は,刀を用ひて人を殺さず,刀を用いて人を活かす。杖さんと要せば即ち 殺し,活さんと要せば即ち活す,殺殺三昧,活活三昧なり」と述べている。
剣は人を殺す法ではなく,人を活かす法であるというのが,兵法に通達せる人の剣境で ある。人我,個我に執わ江ている人の剣は,人を活さんとしても活かし得ない,ただ人を 殺す器と化してしまうのである。
要は剣にあるのでなくて,之を用うる人にあるのである。
人我,個我の剣は,自が若し他を殺さなければ,他が自を殺す,畜主心の剣である。
一方が活きる為には,必ず他を殺さなければならぬ世界,即ち相互否定の世界では,剣は 結局人を殺す道具と化してしまうのである。
現代のスポーツも,社会栢もこの態度をもってすれば,尽くる事のない醜・・斗争の泥沼 に陥んでしまうであろう。
仏教では,仏道を修する喜を一大事因縁という。即ち人我,功利の世間を超越して,利
他真実の境地に自己を没する事である。換言するならば,利己功利の世間に処して・公益
優先を先づ自ら行じて後に,他をして行ぜしむる事であり,そこに人間生活の最大の意味
があるというのである。
196 茨城大学教育学部紀要 第九号
この一大事因縁を行ずることを,剣の上で言えば,活人剣という事になる。果して然ら ば,何が故に殺活の一途,自由自在なるものであろうか。
この事について沢庵は,「刀を用て人を殺さずとは,刀を用て人を切る事を守らねども 人皆此の理に逢ては,すくんで己と死漢となって其の人を打つ処なし」とのぺ「刀を用て 人を活すとは,「刀を用て人をあひしらうて,敵のはたらくに任て,切らずして見物せん
とまま也」と言っている。
達人,名人の剣は,別に手を下して人を殺さずとも,相手の方から,その人格力に威圧 せられて,自ら死漢となってしまうのである。即ち自己本然,天与の本性たる真我の力が 我儘な個我,人我の我執を対治するのである。
達人,真我の剣に向った時,権謀術数の人我の剣は,自らそのために力用を失うに至る のである。
しかし死漠となるのは,凡庸の人我であって,凡庸の中に伏在している凡庸本具の真我 ではないのである。
凡庸の中に伏在している凡庸本具の真我は,達人,真我の剣に接して,自らの人我を死 漢となす事によつて次第に磨かれてくるのである。
即ち権諜術数の人我の剣を死物,死漢となす殺人剣は,そのまま正直な人格の剣をはげ み,真我の剣を磨く活人剣なのであって,殺人剣即ち活人剣なのである。
殺人剣は,邪悪を殺し破る為に,之を破邪といい,活人剣は,人間天与の正しき本性を 磨き顕わすものであるから之を顕正という事が出来る。破邪即顕正であり,顕正即破邪で あり,活殺自在であるのである。
何事に於ても,修養の積んだ者は謙虚である。生兵法は大怪我のもとといわれるが,未 黙者ほど威張ってみたくなるようである。
稽古の折,打たれた時など,達している人は,はっきりと「参った」というが,相当打 たれているのに「まだまだ」などと言って,頑張っているのは,その技術如何というより は,人間として零であり,それ自身,肚の出来ていない事を証明しているのである。これ は,人我の骨頂であり,逆に負を心地よく「参った」と認める事こそ「まだまだ」と頑張 り度い人我の心を打破っているのであって,そこには深刻な自己反省即ち真我が働いてい るのである。あたかも蝉や蛇が,その殻を破る事によって自己を発育させる如く,人間も 私心,人我の殻を限りなく破る事によって,正しき真我へと発展する事が出来るのであ
る。
磯 部:剣道観の一考察 197
第五章 不 動 智
今まで述べた如く,剣道至極の所に達せんとするには,剣を如何に観じて行ずるか,そ して生死の巌頭に立った場合の心の持ち方如何にかかって来るのである。沢庵の書いた不 動智一巻も,種々の騨語を用いて,心の持ち方について詳細に述べている。
即ち第一に「留る心」をあげて注意している。物事にこだわり,執着し,捉われる心で ある。この「こだわり」の心から離脱せんとする事は,非常に困難事である。若し我々が
「こだわり」から離れようとすると,我々はその「こだわり」から離れる事にこだわるの である。
しかし一面からみると「こだわり」と言う事は人間の姿であり,人生の実相であるとい う事が出来る。宮本武蔵が自戒の書といわれる独行道の第五に,「我事に於て後悔せず」
と述べているが,彼が如何に物事に後悔し,こだわり,執着を断ち切らうとして努力した 人間的苦悩がうかがえるのである。
金銭,名与にも心を留めず,生命にも執着しない人間こそ「こだわり」のない人間とい う事が出来る。
「こだわり」という心の働きは,それ以前に「おのれ」或は「われ」というものを前提 としている。人間には,この我の感情がある為に種々の「こだわり」を生ずるのである。
即ち人間は,他よりも自己を愛し,自己の優越を得んとして行動するのである。この「
こだわり」の心を迷ひといっている。
沢庵は,剣道とは人間から,この「こだわり」の心を取り去る修業法であるといってい る。柳生宗矩に与えたといわれる「不動智」一巻は実に,この「こだわり」の心を如何に 無くする事が出来るかを教えているのである。
剣の勝負は,常に現在の一・刹那に於て決せられる。したがって,心にも,動作にも,一 寸の淀滞も許されない。敵に合さんと思った時には,敵の太刀は既に自分を打っているの である。自分の意識に反省,自覚が生じた時には,その物事は,すでに過去のものであっ て現在のものではない。吾々を過去に取残すものが,留る心である。
しからば,留る心なき剣とは如何なるものであろうか。既述に従って云うならば,
「敵我を見ず,我敵を見ざる」境地に達する事である。
或いは,柳生流の伝書である「本識三問答」の中に「西江水の心に至れば,真実の無刀 也,当流を無刀流とも云うべき儀也」と述ぺている。
即ち・大刀構え,問合の遠近,懸待,表裏一切が皆,無刀の心より出なければならぬ。
剣の極意は・形の上に捉われるべきでなく,その形を自由に使い得る心の鍛錬の問題に
198 茨城大学教育学部紀要 第九号 帰着せねばならぬという事が理解される。
沢庵よりいうと,無刀という事は,敵に心を留め,我に心を留め,太刀に心を留め,柏 子に心を留める等,一切の留る心即ち,迷いからの脱脚であり,結局無刀とは,こだわる 心を退治する心法となるのである。
この「こだわり」の心即ち無明住地煩悩の迷いの1青れた所が,不動智の悟りである。
「不動とは,動かずと申す文字にて候,智は智恵の智にて候,動かずと申して,石か木か のやうに無性なる義理にてはなく,向へも,左へも,右へも十方八方へ心を,動き度き様 に動きなから,卒度も智ぬ心を不動智と申候」と称している。
凡夫の世界では,動と不動とは反対の現象であるが,悟りの世界では動即不動なのであ
る。
不動とは,心を正しく持って如何なる誘惑,変野にも心を動かさず,物に心が奪われる 事なく,随所に主となる事である○
日本の兵法では,古来より防禦よ認められていない。−1寺内には,防禦1勺な態度を取る 事もあるが,それは攻撃に出る為の臨幾応変の処置であって,防禦を目的としたものでは
ない。剣道では,受け流すという事はあるが,受け止めるという事はない。流すという事 は次に必ず攻撃の要素を含んでいる。
試合は常に攻撃を主とし,作戦の主動1勺地位を確保し,随所に主となる事が不動智の心 であると詳っている。
又,一人の対象に捉われて,心を動す時は,自己は従となり,死物となってしまう,多 数の敵にも心を引かれず,動かされず,留らず自由自在に活動する状態を沢庵は,不動明 ま三と千手観音を以って説明している。
千手観音は,千手千眼自在といい,若し一手に心を留めれば,他の九百九十九本の手は 活動を停IEし「不動智が開け候えば,身に手が干有りても皆用に立つぞと云う事を人に示
さん為に作りたる姿にて候」といっている。
更に不動智が,実際には,如何にあるぺきかを説明して,「間に髪を容れずと申事に 候と述ぺ更に「石火の機と申事の候,是翻庁の心持にて候,石をはたと打と否や,ぴかり と出候火の如く,うつとそのまま出る火なれば,間も隙間もなき事にて候,是も心の留ま るべき間のなき事を申候」と述ぺ,更に説明して,如何是仏法の極意と問はば,其の声い まだ止まざるに一枝梅花なりとも,庭前の柏樹子となりとも言うぺし。云事のよしあしを 云うにてはなし。留まらぬ心を尊ぶべし」といっている。
間に髪を入れず。或は,電光石火と称すると,我々は如何にも,すばやき事の意味であ
ると考えるが,「速くせんと思い設けて速くせば,思い設くる心に心を又奪はれ候」と戒
磯 部:剣道観の一考察 199 めているのであるが誠に至言というべきである。実際には,遅速よろしきに従い得るのは 即ちこれ留る心なきに於てのみ,なし得るのである。
又,沢庵は,「事,理の二つは車の両輪との如くたるべく候」と述べ如何に理即ち肚の おき所,心法を知っても,剣の実際面が自由に働く事が出来なければ,それは単なる抽象 に堕して,威力とならず,逆に技術的に優れていても,若し理に暗ければ逐に道となる事 は不可能で,剣の魂を得る事が出来ない事を戒めている。
沢庵は更に「心の置き所」「有心の心,無心の心」「本心と妄心」「水ヒに胡藍子を打 つ」 「応無所住而生其心」 「鎌倉の無学祖元輝師のこと」 「放心を覚む」 「急水の上に≡陶
子を打つ」「念々停留せざること」「前後際断のこと」「敬の一字」等に関して述べてい
る。
沢庵は,留る事なき動即不動の根本理念に立脚して,剣を学ぶ者の,注意を与えてい る。剣道は策を用いて敵を撃突するのでなく,去れども猶,尽きない妄執有分別心を擢破 する事であると述べている。
宮本武蔵が晩年述懐して「三十歳以後に及んで,その跡を思ひ返して,兵法至極にして 勝つにあらず,おのつから道の器用ありて,天理を離れざる故か,又は他流の兵法不足な る所にや」と反省し,更に「其後猶も深き道理を得んと朝夕鍛錬して見れば,おのつから 兵法道にあふ事五十歳の比なり」と称し,晩年大悟の後は刀を帯びず丸腰でいたという。
近代の剣客山岡鉄舟は,心外無刀と称して無刀流を開いたが,柳生宗矩も既に心外無刀 を称したのであって,実に剣の名人の心境が察せられるのである。
武蔵が到達した「万理一空」の心境も実にこの不動智と同じ意味である。
最後に沢庵は,「心こそ心迷わす心なれ,心に心心ゆるすな」の古歌を掲げて・不動智 を終っているが,剣を学んで,剣より出る事の出来ないのは,未だ剣に心を貿めている為 である。剣を習う事は内に身を修め,心を養い,外は天下を和らげる事に通ずべきである
を強調している。
第六章 相 ぬ け
兵法は,元来,相対立する者の斗争であるが,その斗争を極限まで押し進めてゆけば道 理の究まる所は,斗争の自らの解消となり,「相ぬけ」とならざるを得ない事を針谷夕雲 は実証している。
小出切一雲は,その著「剣法夕雲先生相伝」に於て,師夕雲の剣法と悟道について次の ように述ぺている。
「余が先師,夕雲は十三四才より兵法品々を習ひ,後に小笠原玄信が弟子になりて,神陰
200 茨城大学教育学部紀要第九号
を伝へ,八寸の延がねの秘伝まで残らず請け継いで, (中略)然るに先師弾学を嗜て諸 輝師に示諭を受けらる。就中,東福寺の隠居に虎白和尚と云う知識あり,此輝師にひしと 帰依して, (中略)騨学の意味より兵法を窺うときは,元祖上泉をはじめ,外の戸田ト 伝も,自己の師玄信が心入も八寸の延がねも,みなことごとく忘想虚事の類にて,人生天 理当然の性の受用にあらず,多くは只畜生心にて,己に劣れるには勝ち,勝るには負け,
同様なるには相討の外はなく,一切塒のあかぬ所の有そと云う事を心付きて,それより此 方時々刻々工夫修業して,畜生心をはなれ,所作を捨て,自性本然の受用の中より勝理の 備はる事を自得せんと研修せらるるに,一旦諮然として大悟し,兵法を離れて勝理明かに 人生天理の自然に安座して一切の所作を破り,八面玲聴物外独立の真妙を得られたり。
(中略) 幸に先師の玄信いまだ在世なる故に自己の所得を談じ聞せ其上に立向て試るに 玄信が秘々の八寸のかね迄打破て見るに,烈火の竹を破るに似たり, (中略)若し名付け ば無住心剣術と云はんかとは虎白の仰せらるる名なり。夕雲すでに六十余才,古き弟子_
千四五百人もあり・予が二十八才の時初て謁し口授を請て,三十四才の時夕雲と真実のし あひを三度付けて,三度ながら相ぬけをして,真面目と云ふ印可の巻物を請取る。相ぬけ の日は夕雲いかが存ぜられけるか,懐中より念珠を取出して,予に向て香を焚て予を拝せ
らる。其年夕雲逝去せらる。 (中略) 当流修業の人は,芸者の心を捨て,何とぞして兵 法を芸になさぬ工夫,兵法の所作に妙不思議の生ぜぬように慎む事肝要なり。(後略)」
夕雲と一雲の印可の,真剣をもっての試合の}寺は,夕雲すでに七十歳の老境にあったが 血気旺んな三十四歳の一雲は三度とも斬り込む事が出来なかったのである。
夕雲の剣法が如何に,力,技に堕していないかという事,又それが可能である事を証明 している。このように技に偏重していない所があってこそ,はじめて,その技が道と言え るのであって技にのみ頼ればそれは結局,畜生心剣術たらざるを得ないのであり,心法の 修練とその完成から,このような結果を,実際家の体験によって実証し得た事は重要な事 である。
此方は向うを斬れぬ・相手もこちらを斬れぬ,そしてお互に斗争心が無くなってくる。
この状態は人類的な真理であり,これが斗争の極致である。これが夕雲の達した剣の極意 であったのである。
そしてそれは,無敵不敗の極意であり,この事は,人間現象の斗争の極致が,相ぬけ,
即ち完全な無斗争・無勝負になるという事を単なる哲学的思索からではなく,斗争の手段 たる剣法の専門家として・長年月の間の経験の結果,実証している事に非常に意義がある と考えられるのである。
「相ぬけ」なる表現は・もはや剣道と、・う一分野に局限されるものでなく,これを燗
磯 部:剣道観の一考察 201 社会の極意にまで及ぼさなければならぬ。相ぬけ論は,人間の斗争に対する一つの結論を 与えている意味で,真の大きな文化史的意義を持つものと考えられる。
第七章 万 理 一一 空
宮本武蔵は,兵法の究尭の極意を「万理一空」と称した。万理とは,千変万化の道理と いう事であり,心を大将とし,手足胴体を,歩卒士民,部下として自由自在に駆使する事 である。
空とは,仏教で云う無我の事である。無我とは,我欲私利の心をなくした悟りの境地で ある。即ち万理一空と云う事は,心を総大将として,手足胴体を家来郎党として,千変万 化と何の淀みもなく,何の失敗もなく,立派に戦う事の出来るのは実に,私利私欲の心を 滅した悟りを得たものでなければ出来ないという事を示しているのである。
更に宮本武蔵は,五輪の書の序文に「兵法の理にまかせて諸芸諸能の道となせば,万事 師道なし」と述べている。
即ち無我の兵法の心をもって,諸芸諸能の道としたならば,師匠を必要としないと云っ ているのである。
武蔵は更に,国を治め身を治むる根本義も要するに兵法の根本義である無我の心に徹す る事でなければならぬと称して,「国を治め身を修める事,大小共に兵法の道に伺じ」と 述ぺている。沢庵もその嘉について,太阿記の最後に「一剣天下を平げん」と説・てい
る。
万理一空と云う事は,換言すれば,その根本精神さえ把握する事が出来るならば,一事 が万事に通ずるという事である。
吾々は,特殊な兵法という一・事が,修身,治国,平天下の道となり諸芸諸能の道ともな って万事に通じ,普遍的意味を有するに至る事を考えてみたい。仏教では, 法 という意 味を「自性を任持し軌として物解を生ずる」と云っている。
即ち法と称せられるものは,自己に対して自己の特殊性,個性を保持し,他に対しては 自己の特殊性,個性を認識せしめる根拠となるものという意味である。
かくみる時,政治,経済,法律,倫理,剣法,槍法,スポーツー切が法たるばかりでな く,心も物も,天地間のすべてが法たらざるものはないのである。前述の如く,それが法 たる以上は必ず,法独自の特殊性即ち自性をもっている。
しかしその特殊性なるものは,永遠なるもの,或はそれ自身独立的に存在する絶対的な ものであろうか。それとも条件によって変化してゆくもの,或は他との相関関係によって 成立している相対的なものであろうか。
㌧
202 茨城大学教育学部紀要 第九号
吾々は,各々の特殊性を後者の如く把握する事によつて,却ってその特殊性の前者の意 味に体達するジが出来ると考えられる。
即ち,法律,経済等の構成を,或は剣法,槍法等を,条件の変化によって如何様にも変 るもの,或は他との相関関係の上に成立している相対的なものであると把握する事によっ て吾々は,それ等の各々が,永遠的なもの,絶対的なものであるという悟りにまで達し得 るのである。
逆に各白が,その構成を不可変な,永遠的なもの,絶対的なものと考えた場合,両者は それが永遠的なもの,絶対的なものである為に却って,そこに相対的な対立を生ずる事に なる。即ち吾々の構成の特殊性なるものが,その絶対性を主張する郵は,人ま自ら相対の 世界へ陥込んでゆく申:になるのである。
特殊性を相対的なものとして把握すると云った意未よ武蔵が「兵法の理に任せて、;煮芸諸 能の道となせば万事師道なし」と称した意味の相対である。兵法の哩と諸芸諸能の道とが 一員して相逼ずるという事は,いわば兵法の理と諸芸諸能の道とが溶融杓なもので,互1・
に相通ずるものであって,決して永遠に対立するものではないのである。即ちそれ等が自 己を没し,無我の姿に帰るからである。
それは決して,その存在性を没するという事ではなく事実はむしろ逆である。
即ち自我を主張する当:によって,一定の小我の制限内に限定されていたものが,その創 限を破って無限に自己を拡張すること,即ち大我となる事によって,一が即ち一切・一切 が即ち一なる絶対の自覚を得る事になるのである。
兵法の理と諸芸,諸能の道とが貫通するという事は,両者の相似性,共通性を云々して いるのでなくして,兵法の一理が即ち諸芸諸能の一切道となり,渚芸諸流の一切道が即ち 兵法の一理となる「即」の関係にあるのである。一は万に通ずという事は,特殊な各々が
特殊的存在でありながら,しかも各々の小我を没して,無我の大我に立帰る串二によって遂
行される事が出未るのである。
球技の例を「こると,監督は,メンバーの個人的特性を考慮してその特性を充分発揮せし める事が出来るような位置,任務を与え,メンバーはその役割を個性を活かして遂行を期 すのである。メンバーが,その特殊性を発運するという事は,決して個人の自我を出す事 ではなく,チーム全体の目的のままに行動する事でなければならぬ。即ち全般的立場より 見る時,一切が必要不可決な要素となっているのである。土中に埋もれている些礎i二」秘 高層建築のためには必要不可決のものである。
かく}て悉くが互に,その枢要性を自覚した場合,そこに真の緊張が生まれるのであり,
個々の特殊性は,その特殊自身を活用させながら,しかも自己を没して無我の姿に立帰る
磯 部:剣道観の一・考察 203
のである。その場合,個々の特殊性を一貫する全体的な力を感得するのであって,それが 一が万に通ずるとも,或は又,万物一体とも言われるのである。
第八章 愛 の 剣 道
今までは,主として伝書によって過去の人達の剣道観について述べてきたが,嘗っての 東京高師教授,佐藤卯吉範士の剣道観について考察したい。佐藤範士は剣道(昭和三年 著)なる著書に次のように述ぺている。
佐藤範士は,有即無限,一即多の立場に於て剣道を把握しようとする立場をとってい
る。
剣道を行わんとする者は,動的無限なる純粋活動としての主観を肯定し,之を会得する よう努力する事が必要であるとし,主観に対立する客観たる敵に心を囚われて,己に対立 する敵としてのみ考えている間は,永久に剣道至極の所に達する事は出来ないと云ってい る。そして剣道の極意,奥義とは「大悟一番太刀を振り冠り,我に打ち向う敵は要するに 自己が自己の中に打ち立てたる敵,即ち自己と同一体のものである事を悟る時,既に我も 無ければ敵もなく,悠々自適,ゆくとして可ならざるなき無敵の境地に達する事が出来る のである」と述べ,更に我々は常に一時的現象に囚われ,特殊有限の方面のみを見て,そ の奥底に横たわる普遍の理法の認識を逸し勝ちなものであって,これは剣道達成の上に最
も妨げとなるものである。
所謂主観と客観とを対立せしめるものは即ち,純粋活動としての主観の働さに他ならな い。その働きにこそ道もあるべし,理もあるのである。
此の立場に悟入する時,我が剣道は,壮厳無比,敵も無ければ我もなし,撃たん事を思 わず,突かるる事を恐れず自然に勝利は得らる可き筈である。彼我は同一実在の現象であ る事を観じ尽くして,太刀を取り相 卜)ならば,彼の思う所,行わんとする所が直ちに我 に感応しないでいるという筈がないのである。
一転して思えば,我に打ち向う彼は,純粋活動としての主観を表現するの一契機である から,敵を憎む心算,毛頭起らず心裕かに剣道を修業し得るのである。
佐藤範士は,この立場に立って愛の剣道を説いたのである。我に立ち向う敵は畢寛,主 観の中に包含せらるぺきもの,活動しつつある心以外の何ものでものでもない事を悟る時 真の愛は生ずるのである。
又敵を愛する事は,敵を知る事であり,敵を真に知る事は,剣道に於ける必須条件であ
る。即ち真に白我を知るという亨は,又同侍に敵を知る事である。かくすれば百戦百勝は
疑いなしである。即ち愛する事によって剣道の真諦に達するのである。
204 茨城大学教育学部紀要第九号
先哲の言葉に「仁者に敵なし」とあるが,意味する所は同じである。
古来剣道には,「敵を知れ」という教えがあるが,特殊即普通の立場に立ってのみ言い 得るのである。剣道初心者は,普通を忘れた特殊にのみ囚われて,純粋自我を内省する事 なく,外に敵を見て,その敵に引かれて,自我の内部に敵を見ない。如何にも早く撃たん 突かんとして力を労するのである。
やや進歩すれば,太刀をもって突撃する以前に既に早くも無形の精神,気分,気合の争 いで,敵を圧伏して而る後,有形の太刀を,敵に加うるというにすぎない。この境地に達 するには非常な努力を要するものであるが,猶至極という事は出来ない。
しからば剣道至極の所とは,無形の精神の争いに於て敵を打ち破るは勿論,敵に加える 我が一撃一突は,技術という問題を超越して,その事を機縁として,敵をして純粋活動と
しての自我,普遍の本質たる自我に目覚めさせ,高尚なる精神生活を営み得るように導き 得てこそ,最善の剣道,理想の剣道,至極の剣道という事が出事るのである。
而して理想の剣道を行わんとするならば,有限即無限,特殊即普遍の意義を会得し,純 粋活動としての主観を確実に把握すると共に,雑多の中にそれの対象を定立して,其の雑 多及び客観性を主観としての,其れ自身の統一の中に融合帰一せしめるものでなければな らぬ。と強調し,更に佐藤範士は,過去の原始的剣道に対するに発展的剣道という名称を
つけて、・る。