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社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族曰

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社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族曰

真 1

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4 ‑ 3‑580 (香法'85)

(2)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(‑) (栗原)

され てい る︒

外国法の法社会学的な歴史研究が︑我が国の法社会学研究の重要な柱であることは改めて言うまでもない︒イギリ

ス法の分野における水本浩︑甲斐道太郎︑望月礼二郎︑戒能通厚氏らによる近代イギリス上地法研究はその大きな成

果と言ってよい︒我が国における近代イギリス土地法の法社会学的歴史研究は︑近代イギリス土地法そのものの研究

のみならず︑大陸法系諸国︵日本を含めて︶

本稿における筆者の課題は︑近代イギリス土地法の歴史研究において提起された論点の検討を含むとはいえ︑

リスにおける近代的土地所有権の展開過程そのものにあるのではない︒本稿は近代的土地所有権の法社会学的歴史研

究において提起された次の点を検討するにすぎない︒戒能通厚﹁イギリス土地所有権法研究﹂(‑九八

0

年︶

は︑

リスにおける近代土地所有権の特殊な構造に注目し︑

的大土地所有の展開と不可分に結びついた継承財産設定

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や遺言などの土地相続法の変容過程をイギリス

資本主義の原始的蓄積の展開のなかで追求している︒戒能氏を含めてこれまでの近代イギリス土地法研究が︑経済史

学の成果に依拠して近代イギリス土地法の現実的構造を分析してきたことが大きな特徴と言ってよい︒しかし︑戒能

氏のいう﹁近代イギリス土地法の総体的分析﹂が法の歴史を単に経済過程との照応関係のみに限定していないことは

言うまでもない︒しかし︑戒能氏においては継承財産設定や遺言の問題は︑土地所有権法のレベルから追求されてい

るのであって︑継承財産設定や遺言をその設定者の家族関係と結びつけて言及されていないと思われる︒継承財産設

との比較法的視点︑

1 0

九 さらには実定法上の論点をも含めて広い範囲で展開

イギ イギ

それを成立せしめた諸要因を歴史具体的に解明している︒貴族

4 ‑ 3‑581 (香法'85)

(3)

歴史研究において︑ 定や遺言の﹁移転の自由﹂に対する制約と中世コモンローの長子相続法との連続性は指摘されているが︑立が家族構造の変容をともなったことには言及されていないのである︒従って︑継承財産設定や遺言の問題は︑土地所有権法上の問題のみならず︑家族そのものの歴史においても検討されねばならない問題を含んでおり︑筆者は戒能氏と異なり後者に注目することによって家父長制家族の変容過程において位置づけるべきだと考えている︒特殊イギリス的な近代土地所有権の独自性を規定する土地相続法の特質は︑

コモ ン

それらの確 イギリスの家族の歴史的個性によっても規定され

ており︑その意味で家族の歴史は︑経済過程を重視する上地所有権法の論理からは十分に究明しえない問題でもある︒

この家族構造そのものの歴史との関連においてであり︑近年の近代イ

ングランド家族史の研究から家族の変容過程を究明するのが本稿の課題となっている︒また︑最近の社会史の研究は︑

法社会学的歴史研究の方法のレベルにおいても新たな分析視角を提示していると思われる︒例えば︑心性

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e s や集合意識に重点をおく社会集団の歴史研究は︑心性や集合意識によって無意識に民衆に共有され︑日常生活の営み に見い出される感情︑欲求︑価値感︑世界像などの深層から歴史をとらえ︑時代を特徴づける信念︑観念︑慣習など

を明らかにし︑

(2 ) 

お り

それによって短期間には変わりにくく長期的に変容をとげる歴史の流れを究明することを課題として

いわゆる﹁生ける法﹂

との関連で受容すべき課題が含まれている︒社会史の方法には社会経済史に基礎をおく 外国法の法社会学的歴史研究をより豊かなものに発展させる契機が含まれていることに注目したい︒当然のことなが ら筆者は︑社会史と社会経済史に基礎をおく外国法の法社会学的歴史研究とを矛盾するものと考えているのではない︒

社会史は︑近代イギリス家族法の歴史研究との関連においても新たな課題を提示している︒近代イギリス家族法の

(3 ) 

コモンローの家族論については内田力蔵氏の先駆的研究以来多くの研究がなされている︒

ローでは︑妻は夫の庇護下の婦人

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とされ︑夫婦合体主義のもとで妻の人格は夫に吸収される︒従って︑ 筆者が最近の社会史の成果に注目するのは︑

1 0  

4 ‑ 3 ‑582 (香法'85)

(4)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(‑)  (栗原)

妻には宝石や装身具などの極めて限られた範囲を除いて︑財産上の能力や他の行為能力も単独では認められていない︒

これらの権能は全て夫に集中している︒中世以来のコモンローの家父長制的関係が十九世紀後半の改革に至るまで存

(4 ) 

続したわけである︒そのために︑イギリス家族の家父長制的性格が遅い時期まで残存したことが近代イギリス家族の

(5 ) 

特徴として指摘されてもいる︒しかし︑

構造の研究は︑

コモンロー上の家父長制的家族関係の残存は︑近代イギリス家族の現実的構 造のレベルにおいても家父長制的性格が残存したことを必ずしも意味するものではない︒近代イギリス家族の現実的

まとまった研究がなされていない領域でもあり︑筆者が近年の社会史の成果に注目するもう︱つの理 由がここにある︒近代イギリス家族法の歴史研究における社会史の重要性については︑すでに上野雅和氏による婚姻

(6 ) 

思想史研究において指摘されてもいるが︑本稿では︑ストーン

S

L .

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による一連の近代イギリス家族史研究から十 六ー十八世紀イングランドにおける家族の近代化の問題を検討したいと思う︒

( l )

水本浩﹁借地借家法の基礎理論﹂︵一九七一年︶甲斐道太郎﹁土地所有権の近代化﹂(‑九六七年︶望月礼二郎﹁謄本保有権の近代化|——イギリス土地所有権法近代化の一断面日」(社会科学研究一1巻―号二号一九五九年)戒能通厚「イギリス

土地所有権法研究﹂(‑九八0

年 ︶ ︒

(2)宮島喬「フランス社会学派と集合意識論」(思想パ六三号一九七九年)一六九—七0頁。て宮宏之「社会史における集合心性」

︵歴史評論三五四号一九七九年︶有地享﹁フランスにおける最近の家族の歴史的再編成の試み﹂︵青山道夫博士追悼論集﹁家族

の法と歴史﹂所収一九八一年︶三七

O

I三七一頁等を参照︒

( 3 )

内田力蔵﹁イギリス家族法の基本原理﹂︵法学理論篇八ニ︱九五一年︶︒同﹁イギリスにおける遺言と相続﹂︵法学理論篇八一e

一九 五四 年︶

︒ ( 4 )

コモンローの夫婦合体主義については︑ベイカー小山貞夫訳﹁イングランド法制史概説﹂(‑九七五年︶四四五ー四五三頁参照︒

( 5 ) 江守五夫﹁近代市民社会の婚姻と法﹂︵家族史研究第一号一九八

0

年︶六五頁︒

4 ‑ 3‑583 (香法'85)

(5)

に分

類し

社会史の家族史への影開は︑ ると言ってよい︒ 社会史からの家族史研究は︑

⑥社会運動史

( 6 )

上野雅和﹁イギリス婚姻思想史﹂︵福島正夫編﹁家族

社会史と家族史

欧米資本主義国﹂所収

0

年代以後︑盛んになった新しい社会史の研究対象について︑ホブズボウムE.

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は次

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(1 ) 

いる

︒① 歴史 人口 学D em og ra ph y︑ 血縁 集団 の歴 史

② 都 市 研 究 の 一 部

③ 階 級 と 社 会 集 団 の 歴 史

④ 心 性 m e talitiesもしくは集合意識collecti~consciousnessの歴史、あるいは人類学的意味の文化史⑤社会の変化の歴史(例 , n

えば近代化とか産業化︶

また︑川北稔氏はこのホブズボウムのまとめを︑①人口史︵歴史人口学︶

(2 ) 

研究の一﹁類型に整理されている︒

ラズレットのThe

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一九

六五

年︶

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( 1

九七 七年

①歴史人口学的研究

やストーンのThe

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,  

などの話題作を出すまでもなく︑両氏が整理した分類それぞれにまた

がるものが多く︑社会史の領域に属する家族史の研究は︑ホブズボウムの六番目の分類を除けば全ての領域に関連す

ストーンによる最近の研究展望からも確認できる︒

(3 ) 

それぞれの研究課題を指摘している︒

ストーンは家族史を五つのタイプ

②生活史︑生活意識史③歴史社会学的

七九 頁︒

4 ‑ 3‑584 (香法'85)

(6)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(一)(栗原)

ラズレットを中心とするケンブリッジ大学人口及び社会構造史研究グループ

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以後

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年間のイングランドの 教区薄冊

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s を史料として︑そこに登録された洗礼︑婚姻︑埋葬の記録を手がかりにして家族復元

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o n を試みている︒出生率︑死亡率︑平均余命︑婚姻年令︑婚姻の存続期間︑家族規模などの人口史上の基

礎事実を確定し︑そこから家族構造の歴史的特質を解明しようとした︒

②法制史的研究 婚姻の取極めを支配する法と慣習︑血縁集団や親族の影牌︑家父長の権限︑嫁資制をめぐる準則︑相続による財産

の移転等々が研究対象とされた︒

③経済史的研究 家族は過去においては生産の単位として扱われ︑婦人や子供の労働の家族に対する影響が研究されたが︑今日にお

いては︑資本主義経済から流出する豊富な商品の消費の単位として扱われている︒

④社会集団

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a l の歴史研究

血縁集団

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︑親族

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n ︑世帯

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d ︑家族など様々な集団の構造が研究される︒さらに子供︑成人︑老人

などのような特定の年令集団の研究もこれに属する︒血縁集団や親族の核家族との関係や︑核家族内の家父長権力の

範囲など人類学者の成果に触発された研究と言えよう︒

⑤心理学的︑行動科学的

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研究 親と子︑夫と妻︑核家族と血縁集団︑老人と若者などの関係がどのような価値︑観念︑感情によってとり結ばれて いるのかが問題とされる︒この研究は社会集団の歴史研究とも対象が重なり合っており︑前述のホブズボウムの分類

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4 ‑ 3‑585 (香法'85)

(7)

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1974. P. 12. 

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(""") P. Laslett, (ed), Household and Family in Past Time, 1972 ; R. Wall, J. Robin, P. Laslett, (ed), Family forms in historic 

Europe, 1983, tj謬芭旦兵芯l'O~

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1976~l'-(,0~'L.Bonfield旦,l'Q il!/lt Marriage Settlement瞬迂'臣忍言出ふiiMarriage Settlement Q酎琴翌

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い紺工旦翌ヤ心゜L.Bonfield, Marriage Settlements and the Rise of Great Estates The Demogra‑

phic Aspect, Economic HistReview,2nd vol. XXII, 1979; do, Marriage Settlements 1660‑1740 The Adoption of the 

Strict Settlement in Kent and Northamptonshire, in R.B. Outhwaite (ed), Marriage and Society, 1981 ; do, Marriage 

Settlement 1601‑1740, 1983. ~ 母り,+;•ii 4噂く::::::

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(8)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(一)(栗原)

近代イギリスにおける世帯構造の歴史的特徴は︑

一 五

者も含まれているわけである︒

ばれてい(〗゜

この混成集団が十六・七世紀には家族と呼

また

この頃の家族ないし世帯には非血縁 親族関係にあること︑活動をともにすることなどを 実際には少数の支配者であるジェントリ家族の連合体にす ラズレットによれば︑ (

6 )

L .    

S t o n e ,   o p .   c i t . ,   p .   5 5 ,   ( 7 )   C f .   i b i d . ,   p .   5 5 ,   p p .   6 6 6 7 ,   ( 8 )

( 9 ) 本稿で検討するストーンの家族史研究は以下のものである︒

L . S

t o n e ,   Ma rr ia ge

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on g t h e   En gl is h  N o b i l i t y   i n   t h e   1 6 t h   a nd   1 7 t h   C e n t u r i e s ,   C om pa ra ti ve   St ud ie s  i n   S oc ie ty n  a d  Hi s t o r y ,

3 

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1 8 0 0 ,   1 9 7 7 ,  

一六

0

年頃のイングランドでは︑人々は諸個人としてではなく家族四

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とし て存 在し

︑ イングランドはこれら家族の長達の連合体であったが︑

(l ) 

ぎないとされている︒また︑家族という言葉は︑

(2 ) 

葉と同じ意味で使われている︒世帯は︑住居を同じくすること︑

(3 ) 

基準にしてその構成員が定義される︒夫婦と未婚の子供達︑ ︱つ屋根の下で生活する人々の集団をさす世帯

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d という言

さらに血縁や婚姻による近親者も一緒に住んでいる場合

には世帯の構成員となる︒非血縁者であっても奉公人

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t は家長の権威に包摂され世帯の構成員として含まれる︒

血縁関係のない同居人や滞在客などがおる場合には世帯の構成員となる︒

世帯とはこうした人々によって構成され︑

ラズレットらによる歴史人口学的な家族史研究によって明らかに

4 ‑ 3 ‑587 (香法'85)

(9)

(1) イングランド100ケ村 (1574‑1821)社 会 的 身 分 に よ る 世 帯 規 模

1 Gentleman  6.63  6  Labourers  4.51  2  Clergy  5.83  7  Paupers  3.96  3  Yeoman  5.91  8  Others  3.72  4  Husbandmen  5.09 

, 

Not stated  4.29  5  Tradesmen and Craftmen  4.65 

P. Laslett, Mean household size in England since the sixteenth Century, in P.  Laslett(ed), Household and Family in Past Time, P. 154. 

(2)

社 会 的 身 分

I

子 供 の 模 親 族 を 含 む 世 帯 奉 公 人 を 含 む 世 帯

の 平 均 規 の平均比率(%) の平均比率(%)

1 Gentleman  2.94  27.6  84.1  2  Clergy  3.53  25.0  81. 2  3  Yeomen  2.76  17.7  71.9  4  Husbandmen  3.10  17.3  46.8  5  Tradesmen and Craftmen  2.90  12.3  23.3  6  Labourers  2.70  7.9  2.2  7  Paupers  2.34  7.7 

) 

13.9 

8  Others 

) 

2.31  15.0 

, 

Net Stated  Ibid., P.  154. 

(3)

世 代 別 の 世 帯 編 成

一 世 代 世 帯 の 比 率 23.8% 

二世代世帯の比率 70.4% 

三 世 代 世 帯 の 比 率 5.8% 

四世代世帯の比率

総 計100%

Ibid.,  P.  153. 

4 ‑ 3‑588 (香法'85)

I. 

(10)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(一)(栗原)

一五七四年から一八ニ︱年までの期間の住民台帳からイングランドの

1 0

0

ケ村を抽出し︑家族復元を 行い︑産業化以前のイングランドの家族ないし世帯の歴史的特徴を指摘している︒統計上の諸事実を基礎にして家族 の歴史的特徴づけを行うのが歴史人口学的家族史研究の特徴であるが︑法制度や法意識の歴史的諸相に影瞬を及ぽす

6)  

基礎的事実を明らかにするうえで注目すべきものが含まれている︒

①平均世帯規模

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d   s

i z e  

家族そのものは︑階層によって歴史的あり方のみならず︑

分によって階層別に分け︑階層別の平均世幣規模を算定せねばならない︵表

1参照︶︒上層の社会層ほど世帯規模は大

きいが︑表①のジェントルマンは広義のジェントルマンであって︑貴族も含まれると理解してよい︒さらに︑ラズレ ットは︑各階層全体の平均世帯規模を四・七五もししくはそれをわずかに下回るとしている︒従って︑イングランド における家族の平均世帯規模は相対的に小規模なものであって︑この数字は十六世紀末以後十九世紀初期に至るまで 変わらないと指摘した︒十六世紀以後のイングランド世帯構造の歴史人口学的研究によって︑この間に大規模な拡大 家族から小規模な核家族ないし婚姻家族への変化はなく︑大規模な合同家族や拡大家族が家内集団の一般的形式とし

て存在したことはないと指摘し︑十六世紀末以来︑

(8 ) 

主張 した

②世帯の世代別構成

二世代世帯には︑ライフサイクルの局面によって︑世帯ヽE

とその子供から構成されるケースと︑世帯主とその親か ら構成されるケースとがある︒二世代世帯に一世代の世帯を含めると九五パーセント近くになり︑二世代以下の世帯

の占める割合が極めて高く︑三世代以上の世帯が極めて少ないのが特色となっている︒︵表③参照︶︒この時代の婚姻 さ

れて いる

︱︱

その価値体系や行為類型も異なるので︑当時の社会的身 イングランドでは核家族が支配的であったとする核家族優位説を

4 ‑ 3‑589 (香法'85)

(11)

(9 ) 

年令の相対的な高さと平均余命の相対的低さとが婚姻存続期間を相対的に短くするのみならず︑三世代家族の可能性

エリザベス・ステュアート期の初婚の平均年令を︑男性は二八オ︑女性はほぼ ニ四オと算定し︑現在と比べても早婚とは言えないとしている︒しかし︑ジェントリ家族は比較的早婚でそれを下回 ると考えてよい︒世帯が三世代に拡大しないのは︑歴史人口学上の諸要因のみならず︑大部分の子供達がすでに一五

( 1 1 )  

オ前後で奉公人になるために両親の家を去り︑婚姻によって別の新しい世帯を創設するのが慣習であったことにある︒

そのために︑男性は一

0

人のうち八人までが三

0

代で世帯主となっている︒

③奉公人について

産業化以前の社会において奉公人が広範に存在することは︑一雇用労働の機会がそれに応じて大きいことを意味して

ハイナル

J.

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によれば︑奉公人が広範にみられるのが産業化以前の北西ヨーロッパ社会の特徴とされて

お り

( 1

3 )  

いる︒イングランドにおいても多数の奉公人が存在し︑ラズレットによれば人口における奉公人の以率をニニ・四パ

( 1 4 )  

ーセントとしている︒表切で示しているように︑上層階級ほど奉公人を含む世帯が多く︑ジェントリ世帯では八四・

一パーセントの世帯が奉公人を含んでいる。さらに全世帯において奉公人を含む世帯の比率は二八•五パーセントに

( 1 5 )  

達するとしている︒ステュアート期には地方の全ての家族のうち四分の一もしくは三分の一の家族が奉公人を含んで

( 1 6 )  

いたとされている︒ほとんどの子供達が奉公人として働くために生まれた世帯を離れ︑彼らは主人の権威のもとで主

︵十五オから二九オまでの間︶ 人の世帯に含まれた︒奉公人として雇用労働の機会が大きいことは︑婚姻によって新しい世帯を創設するまでの期間

( 1 7 )  

を奉公人として長期間すごすことになり︑婚姻年令を相対的に高めたと言えよう︒

ラズレットによれば︑

たと

され

イングランドにおいては︑十六世紀の後半以来核家族が世帯の単位として支配的形態であっ その世帯には夫と妻︑親と子︑主人と奉公人の三つの関係が包摂され︑世帯の長のもとで統一される家父

をも少なくしている︒ラズレットは︑

一 八

4 ‑ 3‑590 (香法'85)

(12)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(‑‑) (栗原)

たりすると理解せねばならない︒

長制家族が産業革命以前の﹁失われし世界﹂

( 1 8 )  

の典型的家族とされた︒

ラズレットによって主張された核家族優位説は︑これまでの通説的地位であったル

( 1 9 )  

系家族Stem

F a

m i

l y

  f a

m i

l y

  souche説をぬりかえる画期的意義を有していた︒ヨーロッパの家族が核家族の形態をと

ったのは︑産業革命以後の工業化の過程において︑特に都市に見られた現象であり︑それ以前の家族は何世代かが共

( 2 0 )  

住する大家族であったとするのが十九世紀以来の支配的見解となっていたが︑ラズレットは前述のごとく産業革命前 の十六世紀後半においてイングランドではすでに核家族が支配的形態であったことを明らかにし︑

配的であることを産業化以前の西欧社会の特質とし︑産業革命を核家族の成立の契機とする見解を批判したわけであ しかし︑ラズレットの核家族悛位説に対しては批判的な見解もある︒

近代イングランドの家族が常に核家族であったわけではなく︑

ストーンはラズレットの核家族優位説に対し て次のような批判を加えている︒核家族擾位説では家族の複雑なライフサイクルが無視されていることである︒イン グランドにおいてであれ︑他の地域においてであれ︑貴族階級の間では拡大された家族︑もしくは直系家族がただ広

( 2 1 )  

い家で同居することは全く珍しいことではない︒寡婦となった祖母が彼らの

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供と同居することは慣例であったので︑

そのライフサイクルの局面に応じて拡大したり縮小し

ストーンはその平均的ケースを次のように述べている︒﹁若夫婦は一年間かもしくは二年間彼らの婚姻生活を彼らの

両親の一方の家で開始する︒従って︑拡大された直系家族の一部分になる︒しかし︑

身の家を築き核家族を創設する︒最初は子供はなく︑その後子供とともに生活する︒

じきに若夫婦は外に出て彼ら自 やがて子供達は成長し︑徒弟修 業や学校のために︑もしくは他人の家での使用人奉公のために家から出る︒そのすぐあとで︑

︱︱

さらに核家族が支 その夫婦の一方の父親

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4 ‑ 3‑591 (香法'85)

(13)

数 世 紀 の 間

︑ 経 済 力 な ど に よ っ て 支 配 さ れ る 無 限 に く り 返 す 周 期 的 運 動 を 通 じ て 繁 殖 し

( 2 3 )  

縮小するアメーバのようなものであったとストーンは指摘している︒

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ラテン語の

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a の本来の意味は︑︱つの家で生活する人々の総体であって︑家内奉公人や奴隷も含まれている︒また︑

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いう言葉も血統上の関係ではなく︑権威への依存を示す概念であり︑

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s とはもともとは世帯の主人︑すなわち妻︑子 供︑奴隷さらには世帯に属する他の人々に対して権威を有する人のことをさしている

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6. )︒こうした概念的背景は十六・七世紀の家族の実態を知る有益な手がかりを与えている︒

( 3 )  

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( 6 ) なお︑歴史人口学からの家族史研究に対しては︑家族をその社会経済的基礎から切り離して考察しているというアンダーソン

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の批判もあり︑ストーンも統計上の諸事実を価値感の変化などと結びつけて研究するというような新たな方向を提案し

年令

慣習

死亡

率︑

拡大

フサイクルの一 ストーンによれば︑十六世紀後半以来︑イングランドにおいて核家族が支配的であるとしても︑

それは家族のライ

くは老夫婦が死亡し︑ あろう︒長男とその花嫁は短期間その家にいる︒

その

ため

三世代の拡大された直系家族となる︒

( 2 2 )  

婚姻した子供達は引越していく︒家族は再び核家族になる︒﹂

つの局面においてにすぎず︑核家族のまま存続するとは限らないのである︒北西ヨーロッパの家族は︑

その

後︑

親夫妻が移ってくることもある︒従って︑家族は再び拡大された直系家族となる︒

そのすぐあとで長男が婚姻するで

寡婦もし

が死

亡し

寡婦となった母親が移ってきて彼らと同居する︒

あるいは老いた父親がもはや働くことができないので両

︱ 二

0

4 ‑ 3 ‑592 (香法'85)

(14)

(1) ︵西献︶

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ゃ.'.:i‑0°Cf. M. Anderson, Approaches to the History of the Western Family 1500‑1914, 1980, p. 37; L. Stone, Family History 

in the 1980s, Journal of Interdisciplinary history. XII., 1981, pp. 82‑83. 

(i:‑‑) P. Laslett, The World We Have Lost, p. 93, 

(ao) P. Laslett, Mean Household size in England since the sixteenth century, p. 129, 

(m) P. Laslett, The World We Have Lost, p.104, 

ぼ)Ibid., p. 85, 

(::::)令ヤ—~R.Wallざ砦姦山り直声翠蒻瞬心連戸疇記鯰EnglishModel叫叩芯°呪+.!'(臼1"~J.Hajnal 

.ii)"5$釘!屯決)~rn-口入゜:::S唖起羊鞍旦共喫~~誕溢ぎ赳豆叫い茫蕗いこ心゜己哩苫苔~Q蛍砦(£砦吐冠母くに諒起1

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‑‑v‑°Cf.R. Wall, 1. Introduction, in R. Wall, J. Robin, P. Laslett (ed), Family forms in historic Europe, 1983, P.13; J. 

Hajnal, 2. Two kind of pre‑industrial houshold formation system, in loc., p. 69, 

(~) R. Wall, op, cit., p. 39, 

(~) ]. Hajnal, op. cit., pp. 70‑71, 

ほ)P. Laslett, Mean household size in England since sixteenth century, p. 152, 

ぼ)Ibid., p. 152, 

ぼ)P. Laslett, The World We Have Lost, p. 13, 

(~) R. Wall, op. cit., p. 15, 

(芝)It'‑"t< ̲':l ..L. ~' 1ギ〇ば母菩S「柑-<Al•く区」巨送如½80:1宙ていこ心゜「柑-<,.lJ iAA-(-1-<」竪迷豆「坦涼u~t-0令母8聡刃

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から十九世紀に至るまでのイングランドにおける家族構造の変化を①

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164 01800によって説明している︒ 一連のイングランド家族史研究において︑

家父長制家族の特徴

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145 01630 家族類型の名称は必ずしも全て同一ではないが︑ 二宮宏之︑樺山絋一︑福井憲彦責任編集﹁アナール論文選2

~

十六世紀

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一九 八

のようにラズレットは主人と奉公人の関係を家父長制的関係として規定したわけであるが︑これに対しては︑主人と奉公人の雇用 関係を市場関係によって規定されていると考えるマクファーソンによる批判もある︒

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ルマーと十七世紀イギリスの家族﹂︵徳島大学教養学部紀要︵人文・社会科学︶第一三巻一九七八年︶一八︱│︱八五頁も参 照 ︒

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家の歴史社会学﹂

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二宮宏之﹁解題歴史のなかの﹁家﹂﹂

年所収︶一八ーニ0

頁参 照︒ ( 2 0 )

二宮宏之﹁前掲論文﹂一八頁︒

( 2 1 )

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2 6 ,  

ストーンは︑核家族優位説に対する批判として︑ライフサイクルの問題以外に経済的基盤が無視されていることと︑同 居形態は家族の穎型と構造にとって︱つの錠にすぎず︑最も重要な錠ではない点を指摘している

( C f .

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2 4

2 6

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4 ‑ 3‑594 (香法'85)

(16)

社会史からみた近代イギリスにおける家父長制家族(.) (栗原)

表(4) Chart of Rank and Status Stuart England  Laslett, The World  Stone, The Family, Sex and 

We Have Lost, P. 38  Marriage in  England, P. 9 

(1)  Duke, Archbishop  (1)  Court Aristocracy 

C.1.:l.. , 

(2)  Marquess 

~

(3)  Earl 

(4)  Viscount 

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(5)  Baron, Bishop 

(6)  Baronet  (Prof es (2)  Country Gentry 

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(7)  Knight  s1ons (3)  Parish Gentry 

(8)  Esquire  Army  of‑ (4)  The  Merchantile  and  Proffes‑

:E(f )  (9)  Gentleman  ficer,  sional elite 

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Merchant, 

etc 

(IO)  Yeoman  (5)  Small property owner in town and  OD  Husbandman  country 

(12)  Craftman,  Tradesman,  (6)  Wage‑earners  Artificer  (7)  The destitute  (13)  Labourer 

(14)  Cottager, Pauper 

(Stoneの階層区分表は上記の文献から筆者が作成した)

~

4 ‑ 3 ‑595 (香法'85)

(17)

ストーンは︑家族構造そのものの変化を関連する他の諸領域︵経済・思想・法など︶

と結びつけているが︑彼が何 よりも重要視するのは心性

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e の変化である︒夫と妻︑親と子︑夫婦家族と血縁集団など家族構成員間の心性の

変化が三つ類型構成にあたっての最も重要なファクターとされている︒家族構成員間の心性のあり方から抽出された 三類型の社会的基礎を︑経済︑統治構造︑法律などの諸制度と歴史的に関連づけることによって︑

ける家族構造の歴史的三類型を析出したと言ってよい︒従って︑経済構造︑統治構造︑法律などの諸領域と︑家族構 造との歴史的照応関係はその意味において限定的であり︑必ずしもトータルなものではない︒

家族は︑身分集団や階層によってそのあり方が歴史的に異っているので︑ジェントリ家族の慣習がジェントリより も社会的に下位に位置する階層においても同じように見い出されるとは限らないわけである︒

ランドにおける家族近代化の歴史的三類型は︑全ての身分集団や階層に適しうるものとして提起しているのではない︒

︵表

④参

照︶

︒ ストーンは近代初期のイングランド社会を次の七つの身分集団と階層に区分している

していることである︒

二階層に区分したりして

スト

イングランドにお ストーン自身もイング

このストーンの階層区分は基本的にはラズレットによるステュアート期の階層区分と一致している︒

しか

し︑

ーンは実際の歴史分析においては個々のテーマに応じて上・中・下の三階層に区分したり︑

おり︑必ずしも一定ではない︒最も重要な点は︑ストーンが②地方ジェントリ③教区ジェントリ山商人工リートと専 門職エリート︵表④参照︶などのジェントリや疑似ジェントリを︑イングランドにおける近代家族の成立の担い手と

一 五

001

一 八

00

年の期間において展開されたイングランド家族の歴史的三類型は︑ジェン トリ家族の近代化をめぐって形成されたものであり︑十八世紀にジェントリにおいて確立された近代家族が︑十九世

(2 ) 

紀に入ると最上層の宮廷貴族やジェントリよりも下の諸階層へと伝播し︑普及するとストーンは考えている︒

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4 ‑ 3 ‑596 (香法'85)

参照

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