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現代インド外交の研究

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現代インド外交の研究

学位(博士号)申請論文

2015年 1

0月 7日

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目 次

序 研 究 課 題 の 設 定

1 第 l節 本 研 究 の 目 的 1 第2節 本 研 究 の 構 成 2

1章

現代インドの対外戦略一世界の大国を指向

3 第 l節 冷戦期のインド外交路線 1.非同盟 2.印ソ同盟 第2節 冷 戦 後 の イ ン ド 外 交 1.新外交への着手 2.インド外交の戦略性 第3節 現在のインド外交一戦略的枠組 1. 3レベルのインド外交 2. グローバルなレベル 3. リージョナルなレベル 4. サブリージョナルなレベル 第4節 今 後 の 展 望 円 、 U 円 、 U A 宝 円 。 円 。 司 i Q d Q d 1 i Q d ワ ム n L T i -n L n L

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緊密化しでも同盟化しない対米関係

第1節 疎遠な関係から冷戦後に緊密な関係へ 1.非同盟と米国 2. 印ソ同盟と米国 第2節 印米関係緊密化の背景 (1990 年代 ~2000 年代) 1.緊密化の背景 2.緊密化の進展(2000年代) 3.印米の緊密化の狙い 第3節 高原状態の印米関係(2010年代) 1.進展しない両国間ビジネス 2.インドの対米認識と米中ロ外交 第 4節 今 後 の 展 望 ー モ デ ィ 外 交 と の 関 わ り 24 4 4 5 8 8 9 1 4 5 6 9 n L ワ ム ワ ム n L ワ ム n L q u q u q u q u q u

第 3章 ア ン ピ パ レ ン ト な 印 中 関 係 - 協 調 と 警 戒 -

42 1

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第 1節 国境問題棚上げで関係改善 43 第2節 協調と対立の印米関係 43 1.印中関係のプラス要因 44 2. 印中関係のマイナス要因 46 第3節 印中関係に絡む米国要因 53 1.中国の対米・対印政策の交錯 53 2. 2000年代以降に進展した印中関係 53 第4節 モ デ ィ 外 交 と 中 国 56 第5節 今 後 の 展 望 58

4章

緊密化する日印関係と今後の課題

61 第 1節 冷 戦 後 に 緊 密 化 し た 日 印 関 係 61 1.冷戦期の関係 61 2.冷戦後における関係改善の始動 62 3.改善を妨げた核問題 63 第2節 日印関係緊密化の進展 64 1.緊密化が進んだ2000年 代 64 2. 関係緊密化の要因 67 3. 日印関係の緊密化と印米関係の好転 69 第3節 日印関係と中国要因 70 1.インドの中国に対するヘッジ政策と日本 71 2. 中国に対する日印協力 72 第4節 日本は対印外交で何を目指すべきか 73 1. 日印同盟は考えにくい 73 2. アジアの公共財としての日印関係 74 第5節 今後の日印関係一安倍・モディ両首相を越えて 76

5章

ルック・ウエスト政策とインド洋政策の模索

79 第 1節 インドと中東・アフリカとのつながり 79 第2節 ルック・ウエスト政策における中東・アフリカ 80 1.インド経済にとって不可欠な中東 80 2.イスラエルとの関係緊密化 82 3.アフリカをめぐる印中のせめぎ合い 83 4.南アフリカおよびモーリシャスとの緊密な関係 85 第3節 優勢なプレゼンスを志向するインド洋政策 85 1.インドとインド洋 85 11

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2

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インド洋の国際協力組織 第4節 今後の展望-}I要課ではないルック・ウエスト政策

第 6章

地域覇権を目指す南アジア超大宮インド

l節 模 索 が 続 く 対 南 ア ジ ア 政 策 1.インドと南アジア諸国一インドの中心性

2

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南アジア諸国との関係

2

節 インドと多国間主義一南アジア地域協力連合

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誕生に至る

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の創設とその後の農開 第3節 今 後

終章

インドの大国化の展議とモディ外交

1節 モ ヂ ィ 外 交 の ゆ く え 第2節 歴 史 的 挟 挙 を 実 現 す る の か

図表一覧

参考文献

88 90 91 91 91 92 わり 98 98 99 101 102 102 104 lV 105

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図表一

表序-1 インド外交マトリックス 11 表序-2 インドが戦略的パートナーシップ関係を構築した国・国際機関 15 インドの主な兵器増強状況 18 インドと中国の武器輪入 18 表序-5 世界各国の国内総生産 (GDP)の上位閣と の防衛支出(2013年) 23 表2-1 インドの対中貿易 44 国3-1 日印主要要人往来(1980年--2014 8)〉ミ 65 図3-2 日本の対印直接投資額(2005年--2013年) もら 国3-3 日本の対インド貿易額推移(1980年--2013年) 66 表 3-1 2000年以降における日印関係の主な出来事一覧 67 表4-1 -アフリカ・インド洋の f在外インド人J菌加入口 79 図4-1 インドとライパノレ国のアアジカ 83 4-2 インド洋沿岸国の人口と経済的状況 86 表4-3 インド洋の間際協力組織 89 表5-1 南アジア8カ聞の自力比較 91 函5…l 米国の対パキスタン援助の変化(1950年--2010年) 94 lV

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序 研 究 課 題 の 設 定

第 1節 本 研 究 の 目 的 本研究は、独立以降現在まで、インドが展開してきた外交政策を、以下の 3つの論 点の検討を通じて構造的に解明し、現代インド外交の進路を明らかにすることを目的と している。 第 1は、非同盟政策についてである。非同盟は主に 1947年の独立から 1960年代まで の外交政策であり、 1970年代から 1980年代までは事実上の印ソ同盟が存在しており、 もはや非同盟政策は基づく外交が展開されていたとはいえないことを立証する。 インド外交と言えば、「非同盟」という見方やとらえ方が日本ではいまだに支配的で ある。事実、 1947年に独立したインドは、ネル一首相のもとで非同盟外交を進めたが、 非同盟がインドの外交路線であったと言えるのは、 1960年代頃までのことに過ぎない。 インドは、非同盟の看板を下ろすことはなかったものの、 1970年代から 1980年代にか けてはソ連と事実上の同盟関係に等しい緊密な関係にあった。インド外交が非同盟であ るとしづ見解は、もはや、神話的言説である。 第 2は、 1990年代以降の現代インド外交の解明である。具体的には、 1990年代はイ ンドにとっての新しい外交政策の模索期であり、 2000年代 (2000年一09年)以降になっ てようやく大国志向外交に着手し、これを推し進めてきたのではないかという仮説を立 て、その正当性を検証する。ここでの目的をごく簡単に表現するとすれば、インド人自 身がなかなか語ろうとしないインドの大国化戦略を提示することにある。 1990年代に入り、冷戦の終結、ソ連消滅、グローバル化の進展というまったく新し い国際情勢が出現すると、インドはそれまでの閉鎖的な計画経済を投げ捨てて、経済自 由化政策を導入した。経済政策の変更は当然、外交政策にも大きな影響を及ぼし、さま ざまな新しい外交政策が導入された。ただし、これらの政策を統合する新たな外交枠組 みはまだ構築されていなかった。 しかし、 21世紀に入ると、先進国経済の停滞とは対称的に潜在的な経済成長力を持 つ国にとして、インドは中国とともに脚光を浴びるようになった。事実、この頃からイ ンド経済は年率で 7~8% の経済成長を達成するようになった。同時に、インドは防衛 にも意を注ぐようになり、国連安保理の常任理事国入りを目指すなど、いわば、富強大 国を目指す姿が浮かび上がってきた。現在でも、インド内外におけるインド外交への見 方は「非同盟」を軸としている場合が多いが、本研究で詳論するように、非同盟はレト リックとしてはあり得ても、もはや非同盟が実際のインド外交で基礎となっているとい う議論は妥当性を欠く。むしろ、現在の与党・インド人民党がマニフェストで使用した 「偉大なインドJの方がより明確にインドの戦略的方向性を提示しているのではないか。 そして、第3には、以上の検討に基づいて明らかにされる現代インド外交の方向性が、

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インドが強い科書と関心合持っている主な間々・地域との関係にどのような影響を及ぼ し得るかを考察するc の対象とするのは、アメヲカ、中間および日本とのニ冨間関係、中東・アフリカ 地域との関係(インドの fルック・ウエストJ政策とインド洋政策〉、最後に、周辺国 との関係、とくに南アジア地域協力連合(SA球C)を舞台に震関される多国間外交である。 第2節 本 研 究 の 構 成 本研究が提示する枠組は、第 1章「現代インドの対外戦略一世界の大閣を指向jで集 約的に示されているむその1 ツセンスは、現代インドが大国化を目指し、グローパノレ、 リージョナノレ{アジアや中東など)、サブリ…ジョン(南アジア)の3レベルで、外交を展開 しているという点である。これを関式化して提示した国式が「インド外交マトリックスj である。 第 1章がし、わば総論ないしは全体的な方向性や講閣を占めているとすれば、第 2章以 下では、インド外交にとって重要な臨々や地域との関孫をニ国間関係と関連する背景を 織り交ぜて広範な視点からも検討を加えている。第1章で提示したインドの外交枠組に ついて、各国や地域との関孫を具体的に検討して、その妥当性を示すことにある。 2章(印米関候)はインド外交の基軸留とも設える米国との関係を取り上げる。印米 関孫は 2000年代に入って忽速に緊密化が潜んだが、 2010年代には足踏み状態にある それはなぜか、今後の見通しを検討する。 3章(印中関係)は、今や、米国とともにインド外交最大の外交課題となったインド の隣国・中国との関係を検証する。印中関係はプラスとマイナスの両面的な側面を持つ 関係が続いている。日米との関連も交えて今後の成り行きなどを展望する。 第4章(8印関孫)では、日印関孫を取り上げる。両国は 2012年に盟交関係樹立60 年を迎え、今や、両国関係は最も緊密な状態にあり、緊務化がさらに進むと見られる。 アジアにおける再留の役割や今後の農盟を検討する。 第5章(インド以留地域との関係)は、中東とアフリカのほか、重要性を増大させつつ あるインド洋を検討するのインドは、インド以東への進出を自指すルック・イ…スト政 策は概ね成功したが、あまり!順調ではないルック・ウエスト政策の模索ぶりを描く。 6章(インドと南アジア〉は、インドと罵辺諸国との関孫を検討する。印パ関係や南 ジア地域協力連合など、 のかを検証する。 ジアの超大国インドがどのように対応しようとしている 2014年 5月に誕生したそディ(ヒンディー語発音ではそ…ディー)首相率いる インド人民党政権の外交政策を検討し、強立以降のインドが展開した外交との異同を明 らかにとともに今後のインドを展望し、本研究の締めくくりとしている。 2

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現代インドの対外戦略一世界の大国を指向

1990年代以降、冷戦終結、ソ連の消滅、グローバル化の進展などの大波が世界中に 押し寄せたが、インドもまた、こうした波に乗って大きな変貌を遂げてきた。なかでも、 1991 年から開始された経済自由化は、インドの変貌を象徴する出来事で、あったと言え るだろう。経済自由化の実行はインドが本格的に経済発展を目指そうとしていることを 内外に示すものであり、事実、インドは 2000 年代 (2000~2009 年)に入ると、将来の経 済成長が見込める固として中固などとともに

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カ国と目されるようになったし、 2000年代の成長率は年平均 7.倒(石上・佐藤 [2011: 23J )を成し遂げたのである。 経済成長につれて、政治、外交の側面でも、インドの大国志向が顕わになりつつあっ た。すでに 1990年代から、インドは、東南アジア諸国との経済関係強化を目指すルッ ク・イースト政策(東方政策)、中国や米国との関係構築、核実験の実施など、外交的 に大きな意味合いを持つ政策を次々に実施しており、インド外交の主導原理としての戦 略的自律性が従来にも増して強調されるようになっていた。 これらの個別政策は新しいインド外交の出現を感じさせたが、インド外交が何を目指 しているのかを目指しているのかは容易で、はなかった。しかし、 2000年代以降、イン ドは経済大国化とともに軍事大国化の路線を選択し、いわば、富国強兵を実現して、究 極的に世界的な大国を志向していることが明らかになっている。インドがようやく導き 出した国家目標であり、インド人民党のモディ政権が目標実現のために 2014年 5月に 登場したとさえ言えるかも知れない。 大きく術敵してみれば、モディ外交も約 70年間に及ぶインド外交の延長線上に位置 付けることも可能で、ある。そこで、本章では、現代インド外交の見取り図を示し、第2 章以下で、検討する個別テーマの位置付けを明らかにしたい。 第 1節 冷戦期のインド外交路線 現代インドの外交は、独立 (1947年)から 1980年代までの冷戦期に展開された 2つの 外交路線-非同盟(独立 ~1960 年代)とその後の印ソ同盟 (1970 年代 ~1980 年代)ーの蓄 積のうえに構築されている。現在の戦略的自律性を指向する外交は、両路線に対する反 省から生まれていると見ることもできる。 1.非同盟 まずは、非同盟である。インドが独立以来、国家として持ち続ける基本的なモチーフ は、多くの新興独立国と同様、独立の堅持(王子自主性の確保)、開発促進、国民統合の達 成という 3点に集約できる(堀本 [1997: 124-126J )。 膨大な人口を抱える多民族国家インドにとって、これらの課題を解決することは国民

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国家の形成や出家そのものの存亡を左右する重要性を持っていた。これらのモチーフ 外交分野で具体化しようとした政策が、独立から 1960年代まで、にあっては非同盟政策 一具体的に辻、軍事関盟への不参加、自主的な外交政策、すべての留との友好関係ーで あった。非同盟は、インドが独立を護持して告主外交を推進し、ようやく勝ち取った主 を守り抜くうえで、理念的にも実際的にも有効な外交政策と考えられた。 一般に、非同盟は f冷戦期、世界が東西二つの陣営に分裂する中で、このいずれにも 属さず、東西の緊張緩和を促すとともに、信国主義や植民地主義に反対して南北問題の 克服J (猪口 [2007: 834J)をめぎした政策と説明される。 しかし、もう 1つの重要な制面が存在したことを忘れてはならない。すなわち、非同 盟諸国間士が緊密な協力関係を構築することにより、外交目的の実現を限るための枠組 みで、あったという点である。充分なパワーを宥しない関々が連携・団結して、国際秩序 に対する異議申し立てや要求の実現を図ろうとしたのである。インドは、当時のユーゴ スラピア、エジブト、インドネシアなどと連携したが、これらの盟々はいずれもナショ ナル・パワ…(人口、経涜力と軍事力などの総合力)から見れば、いわば、「ミドルー パワーJ (中堅固)で、あった。 今日でも、インドの政治家やインド外務省幹部は、インド外交の基調は非開盟政策に あると主張することが多い。しかし、例えば、インド外務省の 2013 年 ~14 年の年次報 告 書 笹EA[2014J)に f非同盟J としづ言葉は見当たらないし、 1990体代初め以降、イ ンドの主要政党であるインド国民会議派(会議派)やインド人民党が各々の選挙マニブ ェストに外交政策として非開盟を掲げることもなくなった〈堀本 [2001a: 95-101J;中 富 [2011: 93J ) 0 1991年の総選挙マニフェストでは、インド人民党が f2機的世界を 背景に創設された非開盟がその意義を失ったJ と明言した(堀本 [2001a: 96J ) 0 2014 年 総 選 挙 す ニ フ ェ ス ト で 非 同 盟 に 言 及 し た 主 要 政 党 は 、 会 議 派 (f蓄 積 さ れ た 同 盟 溜 動 の 遺 産J)、インド共産党(マルクス主義派)(i建立・非同盟の外交政策J) のみである。 たしかに、 1961年に非同盟国25カ国で構成される組織体として創設された「非自盟 運動J(尚M)は現在も活動しており、2012年の非同盟首聴会議には 120力障が出席した。 しかし、持組は全途上国会議とも言うべ性務に変貌し、途上冨という立場から国際社会 に対する異議申し立てを行っているにすぎない。 非同盟は1950年代と 1960年代における冷戦構造の下でこそ可能な政策だ、ったのであ る。冷戦期のインドは、非同盟運動のヲーダーとして、悶際社会における積極的な活動 を通して冷戦講造の解捕に努めてきたが、皮肉にもその外交政策は冷戦権造という 環境があってこそ意味を持ちうるものであった。 2.印ソ同盟 非同盟蕗線の機能的意味合いは、 1970年代初頭 る冨際構造の変化、特に米同2・ 4

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盟・パキスタンの関係緊街化とこれに対抗するソ連・インドという関式の成立にとも なって消滅した。そこで、インドは、 1970年代初めに非同盟から印ソ開盟に外交路綾 を切り替えた。調期となったのは、 1971年 8月9日に諦結された「インド・ソ連友好 協力条約jである。この条約は友好協力の名称を掲げてはいるが、以下に掲げる第9条 の規定に見るとおり、相互安全保護の性格が濃!享である 各経約国は、お互いに他方の国との間に武力紛争を行う第王国に対し、し叫瓦なる 援助をも与えないことを約束する。 両国のうち、一方の閣が攻撃または攻撃の脅威を受けたときは、各締約冨は左辺と る脅威を除去し、かっ阿国の平和および安全を確接するに適切、かつ、有効な措置 とるため、直ちに協議を開始するものとする吋下線、筆者)。 開盟の概念を f組問的状況において、条約加盟国外の国家に対する の使用〈ま たは不使用)のための諸国家の正式な連合J (Snyder[1997 : 4J)とするならば、この条 約によって印ソ関係は同盟関係に事実上転化し、第 l期における非同盟国間士の協力か ら印ソ問盟に変移したと言えるだろう。同年8月時点で第 3次インド・パキスタン(印 パ)戦争(同年 12月に発生)が不可避としづ情勢で、あったことも想起すべきである。 当時の印ソ関係については、インドの非同盟政策を掛り崩すような性務のものではな かったという見方もある。携えば、吉田諺は fたとえ関盟条約で、あったとしても、 間関係が自立性の上に立った相互依存関係で、あったとすれば、対等であるがゆえにそれ はいわゆる冷戦開盟ではなく従って非同盟原知にも反しないとしづ論理が成り立ちう るからである J としている(古田 [2001:

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引)。 しかし、当時、インドが策易と武器競遣の両面でソ連・東欧に大きく抜存し、ナショ ナノレ・パワーで大きな差異があった以上、 f対等Jな印ソ関係と見なすには、やや、無 あるのではないか。かりにこの時点における印ソ関係の主目的が軍事的側面にあっ わけではないとしても、第 9条の努線部を読む限り、両国が広い意味での同盟関係 あったことは否定できないだろう20 時の英紙は印ソ条約について、 1971年 3月10日付『タイムズ紙』が「インドは非 1 W インド経済季報~ 1971年9月(第三巻第2号)。一部修正した。 の行使(または不行使)のためjという側面は不可欠であるものの、同盟は必ず しもそのためだけのものではなく、また、それが主目的には克えなくなっているものも まれるということには留意する必要があろうJ (右)11[2013: 31J)との見方もあるむむろ ん、同盟の条件を{軍事力の行使ないし不行使Jを日米安全保障条約のように明示的に含 むと解釈すべきとすれば、印ソ条約をもって、 「疑似同盟jや f準同盟Jと性格付ける がベターであるとの考え方(2014年8月8日に号本の防衛関係者から聴取)こともでき

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同盟を捨て、ソ連との正式な同盟に入ったJ、また、同日付『ガーディアン紙』も「イ ンドの非同盟政策からの離脱であるJと報道している。 印ソ同盟はインドにとって有効な外交資源となった。インドにとって不都合な議題一 典型例が印パで、領有を争うカシュミール問題ーが安全保障理事会で、採決される場合、ソ 連の拒否権を期待できたからである。しかし同時にインドは高い代価を支払わねばな らなかった。インドは自主独立外交を基調とし、第三国による自国への介入を峻拒する とともにこの原則を他国にも適用してきたが、 1980年代に起きたソ連のアフガニスタ ン侵攻に際して、これを非難はおろか批判すらできなかったからである(堀本 [2006: 40-41J )。 なぜインドは、非同盟から 180度の大路線変換ともいえる印ソ同盟に舵を切ったのか。 基本的な要因は、非同盟の外交的有効性の減少に直面したインドが自国の力量不足を補 うために、新しい連携関係を求めたことにあろう。大きくとらえれば、印ソ同盟もイン ド外交の基本路線である連携協力として位置付けることが可能である。 インドの外交的な立ち位置は日本と良く似ている。日本は、明治時代から第2次世界 大戦前までの聞に、日英同盟(1902年----23年)、次いで日独伊三国同盟(1940年----45年) という 2つの同盟を組んだ。戦後になると、 1951年に日米安保条約を締結し、 1981年 5月の鈴木首相・レーガン大統領首脳会談後の共同声明で「日米同盟」としづ用語が使 用されて以降、両国関係が同盟関係と呼ばれるようになった。日本が採用した 3度の同 盟にはその時々の国際環境が背景にあるので、単純な比較やアナロジーは避けるべきだ が、日印ともに不十分なナショナル・パワーを補うための一助としての外交で、あったと 言えるのではなかろうか。 それでもインドの政治家・外交官・研究者は、 1970年代から 1980年代までの印ソ同 盟期にあっても自国の外交を非同盟であると性格付けていた。半世紀以上にもわたって 非同盟を自称していれば、インド=非同盟というイメージが内外に定着しでも無理はな い。日本ではインド外交は非同盟であるとしづ見方が依然として流布しているが、もは や神話的な言説と言わざるを得まい。 第2節 冷 戦 後 の イ ン ド 外 交 1.新外交への着手 1990年代初め、冷戦終結時のインドは国際収支危機やソ連崩壊などで経済・外交的 な窮地に陥り、経済自由化とともにその外交政策を転換するほかに選択肢がなくなった。 第 2期インド外交の開始である。 1990年代以降のインド外交は、新たな経済政策に資 するために展開されたと言える。 ただ、 1980年代にはすでに新たな外交を模索する動きが始まっていたことにも留意 しておきたい。これを進めたのが会議派のラジーブ・ガンディ一政権(1984年----1989年) である。ガンディ一首相は1988年にはインドの首相として34年ぶりに訪中しているし、 6

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部分的な経済自由化政策にも着手していた。そして、ガンヂィーが先鞭を付けた新しい 経済・外交政策を本格的に始めたのがナラシムハ・ラーオ政権(1991年8丹 ----1996年5 月)で、あった。ラーオ首相は冷戦後のインドの内外政策に基本的な方向性を与えた保出 した政治家であったと評価して良い。 2.インド外交の戦略性 では、 1990年代以降今日に歪るまでのインド外交は、持定の目標を自覚し、その呂 を実現するための枠組や方向性を備えた戦略に基づいて展開されてきたのだろうか。 少なくとも 19鉛年代初めに提示された議論では杏定的な見方が多く、インド人研究 者からも、 f全手本として自閣が世界大国への道を歩んでいると認識し、この認識に基づ いて域内関怒と国際関係を展開した。その結果は、海外では存在感が薄く、域内では疑 惑を持たれ、閣内では紛争続きであったJ(Thakur [1992J)と酷評されていた。 1992年8月に公表されたインド国拐省に関するインド連邦議会歳出委員会報告書は、 インドが明確に表現され、かつ、統合化された防衛政策合持たないまま、過去4毘の戦 争- 3度の印パ戦争(1947年----48年、 1965革、 1971年)と 1962年の印中戦争ーをおこ ない、また、 j建辺国の要請に基Jづいて軍事作戦を展開したことを糾弾し、明確な安全保 障ドクトヲンが存在しない点に遺憾の意を表明した(LokSabha Secretariat [1992: 27J)0 その後も、例えばインド人でインド外交研究者のハノレシュ・パント(英キングス・カ レッジ)は、 f長期的な戦略的政策枠組みを持たないままケ…スパイケースで外交問題に 対処しており・・・この場当たり的な性格がインド外交の特撮J(Pant [2009 J )であり、 イ ン ド で は 核 問 題 を 除 い て 外 交 問 題

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こ 関 す る 論 議 が な か っ た と 指 接 し た (Pant [2008:幻)。たしかに 1990年代に入ってからのインドは、自国の将来ピジョンも暖味 なまま、外交政策についても冷戦終結とグローパル化の進肢としづ状況下で暗中模索の 状態が続いて、外交的な戦略性を考えるどころではなかった。 しかし、 1998年の核実験成功は、「インド富民の大国意識とヒンドゥー・ナショナリ ズム感靖を微妙にくすくやっていた」のである(小川[2000: 38J。次いで2000年代に入る と、 2001年に米投資会社ゴールドマン・サックスがインドなど四カ留を将来の経済大 国・BRICs-第3田BRICs首脳会議(2011年)に高アフリカが加盟後、 BRICS

般化…と評倍し、事実、 2000年仕にはインドが経済成長を実現したのそうなると、潜 していた大国志向が表面に現れ、インド入論者からも世界的な大国を意識した論考が 見られるようになった。炉

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えば、インドの代表的な戦略家である C.ラージャー・モー ハンは、 2006年の米外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』寄穣論文の関頭で fイ ンドは、数十年にむたる情けない状態を脱して、今にも大国になろうとしているjと き出した(旺ohan [2006J)。 2010年年代に入ると、インド国外でもインドの大国化忘向が注目されるようになっ た。中臨はインドが 2011年 12月に長距離ミサイル(射程距離 5000km)の発射実験に

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成功すると、『人民日報』がこれをインド大由化の意図を示すものだと指摘したとさら に 2013年には、英国の『エ口ノミスト

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が「大田としてのインドー自国のパワーを知 るべきだj と題する記事を掲載するに歪った40 インドの大由化論が浮上するようになると、逆にインドでは、これを否定するような 論調も散見されるようになった。部えば、インドの外交ニにリートがインドの大国化を避 けようとする傾向があるとの指摘 (Miller [2013J)や元国家安全保障講生官 M.K.ナー ラーヤナンがインドを「消極的な大国J (reluctant power) (Narayanan [2014J)と性格 付けたりした。前田家安全保障補佐官シヴシャンカル・メーノーンは、 2012年同月、 インドの戦略思考が梅外から輸入された概念を借用していると指捕したうえで、最大限 の広範な戦略的自律性 (strategicautonomy)を確立するため、インドの古典的な戦略書

f

実利論』を読むべきだと主張5した。 インドでは致米的な理論に基づく国際関孫研究が主流を占めていた。 2000 代に入ってようやくインドとしての国捺関認論を組み立てようとする動きが開始され た。その鴨矢がデリ…大学ナヴニタ・

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・ベヘラによる研究書留めera[2008])であり、 次いで、英国のディヴィッド・ス口ットによる研究書 (DavidScott[2011])である。イン ドにおける国掠関係研究はようやく始まったばかりという実靖にあるヒインドの大層 化指向は最近の額向であり、この状況に平灰を合わせることもあって、国際関係研究へ の取ち組みが本格的に開始されたと考えることもできょう。 加えてインドの場合、打って出るとい戦略思考が強烈で、はないという僕j面もある。米 閣の安全保霞専門家ジョージ・タンハムはその名著『インド入の戦略思考』は、インド という国がインド亜大践の外に進出した経験はほとんどなく、 fインド史の大半の期間 を通じて、インドが戦略的関衝に主肢を震いていたJ(Tanham [1992:52-53J)こと インド外交に積極性が欠ける理由として指識している。 立…こにンとダスグプタも、冷戦後のインドが明示的な目的を持たずに防衛調瀧を展開 いる状況を f戦略的抑制J (strat時 icrestraint)と名付けて、インドの対外政策 の解明を試みている。戦略的抑制とは、外的な脅威を軍事ではなく政治で解決、国防よ 3TimθS of India. December 18. 2011. 4“lndia as a great power,まnowyour own strength, n

n

うθEconomist,話arch30, 2013. 5Press Trust of India. October 18. 2012. 6インドで、国際関係研究が十分に発達なかった背景には、初代首相のネノレーの存在が る。独立後のインド外交はネノレ…首相がロ昌え、推進した非開盟政策がすべてであり、そ の独立独歩の外交政策には器内で圧倒的な支持を受けていた。しかも、インドの睦代首 相は概ねネル…外交の信奉者で、あったのネルー外交を単純化すれば、理想主義・自由主 な政策会総体化した外交であった。その結果、 1980年代に至るインド の国際関孫研究は個別事象に対する研究があっても、鳥敵国的なインド外交研究は生ま れなかったと考えられる。 8

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りも経済発壌に資源を配分、軍を悶家政策の手段にするという考え方の否定を意味する (Cohen長Dasgupta [2010 : xi iJ )。 インドとは対称的な国が中開であるの中国は大爵外交を進め、富強大固化を目指し ・三船[2010J)、2049年〈中国創建 100男年)までに「富民強国J(三船[2010b:237-280J) の実現をめぎすという目標を明恭している。 2013年 4月に公表された『国防白書

J

も 官民一体となって実現を目指す f衛問強箪jを鮮明に打ち出しているにかつての中国 は、その改革開放を主導した登~小平(1 904-1997 年)が唱えた f総光養寝J (とうこうょ うかしサを外交の基調としてきた。カを蓄えつつ、低姿勢で協詩的な外交を進めるとい う意味である。しかし、韻錦祷悶家主賭のブレーンだ、った王緯思(北京大学問捺関係学 院長)~玄、 2012 年のインタピ、ュ…で、話光義晦は米国に対してのみ適用され、そもそも インドや日本は対象にならないという80 大出化という観点から見れば、中震は明らか にインドよりも一興先を走っているように見える。 国と比較すると、インドの大国志向が公式の場で表現されることはほとんどなかっ た。しかし、 2015年 7月20日、 S.ジャイシャンカール印外務次官は、シンガポールの 国際戦略研究所で fインド、米国、中富j と題する講演をおこない、インド外交の罰的 が主要大岡(leadingpower)になることであると指摘した90 管見の躍りでは、政府高官 が公然と発言した最初の事伊jであろう。本研究の目的をごく簡単に表現するとすれば、 インド入自身がなかなか語ろうとしないインドの大国化戦略を提示することにある。 第3館 現在のインド外交…戦略的な枠組 1. 3レベルのインド外交ーグローパル、リージョナノレ、サブリ…ジョナルー [インド外交マトリックス] インドには、米国や中間が公刊ずる外交戦略文書に相当するものは存在しない。ただ、 1990年代以降の臨半世紀にわたるインド外交は、全体的にみれば、 2000年代に入って から、徐々に大きな枠組みの中で展開され始め、その全体畿をが浮上しつつある。 この全体像を示したのが表序寸の fインド外交マトリックスjである。インド外交 は階腸的な 3つのレベノレ、すなわち、グロ…バノレなレベル〈全世界)、リ…ジョナルなレ ベル(アジアなど入サブリージョナノレのレベル(南アジア)で展開されており、レベル毎 に外交目的とその政策が使い分けちれている点に大きな特徴がある。インドは中国のよ うな積撞的姿勢をとることなく、この政策的な使い分けによって、経済力と 72013 年 4 月 17 日付『日本経済新開~ (朝刊〉。 事2012年10J15 日付『朝日新聞~ (朝刊)。 しくは、「インド外交の特質は、単なる均衡勢力(balancingpower)であるよりも、むし ろ主要大国(又は主要勢力o leading power)になるという希求であるj と述べている。 http://mea.gov.in/Speeches-Statements.htm?dtl/25493/IISS__Fullertonω_Lecture…by_Fo reign_Secretary…in_Singapore

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させようとしている。 インドの戦略コミュニチィ(外交・安全課韓政策に関わる省庁・研究者・ジャーナリ ストなど)は、インド版の垢光養寄路線をとっているとすら考えられる。日本では、イ ンド外交とは全ての患との友好関係、を保つ全方位外交であるとの見方が見られるが、まち まりに皮梧的であると言わざるを得ないc ローパノレなレベルま 界では米国や中国以外に し (や大国化)外交を進めている国は、現在の世 たらない。しかし、米中以外では、インドだけ を 志向し、曲がりなりにもグローパルなレベルで、の外交を屡開しようとしており、この点 が他の中小冒とは大きく異なる。インド外交が 2000年代以蜂になって、 3レベルのす において明確化しようとしている背景には、自国への自信〈核実験と経済成長)に加 来毘の相対的な弱体化と隣国中患の明確な大国化指向という事実があるだろう。 特にインドが重視するアジア地域での外交を術敵した場合、対米関係に加え、米国と の関盟関係にある日本が戦略的に議要な意味合いを持つことになる。つまり対米昌関係 で中国を牽制しつつも、米日一辺静j的な関係、にならないために中冨との関係、を保持し いるのでるる。いわば、インドが進める連携外交の真骨頂が対中関係、に現れると言って もよい。 インドが進めている主要国に対する政策はかなり複雑で錯綜している。まず、いずれ 々とも、濃淡の差があるものの、対印貿易投資の増大を図り、国際的な認知を高め るため、関係、の緊笹化を国ろうとしている。しかし、グ、口一パノレ、リ…ジョナル、サブ ヲージョナノレの各レベルでは、各国との協力とともに対抗をいとわない。要するに自国 の国益を最大化し、世界の大国を目指すため、独立当初のインドが採った非同盟的な政 策を 21世紀でも活用できるように変身させさせているのではなし泊=とすら思える。 10

(21)

表序-1 インド外交マトリックス 現在の志向と対応措置 グ ロ ー バ ル 米欧日が主導する国際秩序の多極化 なレベル(全 [対応政策] 世界) 一多極化で中ロ等と協力

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首脳会議、

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一国連安保理入り -核能力の保持 一外交インフラカの強化(戦略的ノミートナーシップ と富国強兵) 一戦略的自律性の強調 リ ー ジ ョ ナ アジア・西太平洋 ルなレベル アジアにおける比較優位の確立と西太平洋でのプ (アジア・西太 レゼンス確保 平 洋 / イ ン [対応政策] ド 以 西 の 地 ーアジア・西太平洋日米と協力し、中国に対抗 域 / イ ン ド ー ル ッ ク ・ イ ー ス ト 政 策 の 政 治 経 済 的 展 開

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洋 との協力。特にベトナムとシンガポール) インド以西(中東・アフリカ)/インド洋 プレゼンス確保 [対応政策] 一中パに対抗、中国の「真珠の首飾りJへの対応 一中東・アフリカへの目配り(サウジアラビア、イ ンド系移民・その本国送金約 300億米ドル、エネル ギー資源確保) ーインド洋沿岸地域協力の推進 サ ブ リ ー ジ 覇権の確立 ョ ナ ル な レ [対応政策] ベル(南アジ 一自力志向 ア) 一中国・パキスタンの連携に対抗 -南アジアにおける経済統合の実現 出所: (堀本 [2014aJ)に加筆修正 2. グローパルなレベル [世界の大国を目指す] 将来の志向 一世界の大国として 新 し い 国 際 秩 序 形 成能力の獲得 一海軍力の拡充によ る海洋大国の実現 ーアジアの大国 -西太平洋、インド 以西の地域、イン ド洋でのプレゼン ス確立 -南アジアにおける 覇権保持 インドが目指すのは世界の「大国J である。「大国J について確立した概念規定はな いが、ここでは広大な国土面積と大規模な人口という大国としての基本要件に加え、経

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済的・政治的・軍事的な能力の裏付けにより国際政治において自律的な政策の決定・遂 行能力を持つ国家としづ意味で用いる。言し、かえれば、他国からの影響力行使に抵抗で きる能力に加え、他国に対する影響力を行使できる能力という両面的な能力を兼ね備え た国を大国 (Perkovich [2003-4: 1 J)10と見なして良かろう。 20世紀前半のアメリカは、全世界の国内総生産 (GDP)総計の約半分を占め、最強の 軍事力を擁する超大国であり、国際秩序形成でイニシアティブを発揮した。米国のウィ ルソン大統領は、第1次世界大戦のさなか、紛争処理と平和維持のための国際機関を提 唱し、国際連盟とその他の関連機関に結実させた。次いで、ローズヴェルト大統領は、第 2次世界大戦中から大戦後の平和維持機関の構想、とその実現を図り、国際連合の創設に 成功したほか、国際通貨基金、世界銀行などの国際機関の設置を先導し、ドルの基軸通 貨化にも成功し、国際的な通貨・金融体制である「ブレトンウッズ体制Jを構築した(滝 田 [2014: 13-16J 。) 現在でも米国は国際秩序形成に意欲を見せている。 2010年 5月にオバマ大統領が議 会に提出した報告書『国家安全保障戦略~ (2010年版)は「米国が 20世紀の進路決定を 手助けしたように、今や、われわれは米国のパワーと影響力の源泉を構築し、 21世紀 の諸課題を克服することができる国際秩序を形成しなければならない (TheWhi te House [2010: 1J) と主張している(傍点筆者)。 しかし、現在の米国には第2次世界大戦後に擁した圧倒的なパワーはなく、今後もか つてのような地位を回復するとは考えにくい。オバマ自身も 2013年9月 10日におこな ったシリア問題に関する演説では「米国は世界の警察ではなしリとすら発言している110 冷戦後の米国は徐々に優越性を徐々に減少させ、現在はGDPでは世界全体の約4分のl、 防衛支出では 4割弱にまで低落している。今や、現在の国際秩序は中国の米国急迫もあ

り、 Gゼロ (Bremmer& Roubini [2011J)やG2の状況になりつつある。

こうした情勢の中、インドが大国を目指す最大の理由は「国際秩序形成能力Jの獲得 にある。インドは世界の大国となることによって、国際秩序形成能力を身に付け、現在 よりもはるかに強い国際的な影響力を獲得したいのである。ルールに従うフォロアーで はなく、ルールの作り手(メーカー)を目指している。 2014年 7月にブラジルで、開催さ れたBRICS首脳会議で、モデ、イ首相と会談した習主席は「両国が組んでグローバル・ルー 10 ちなみに、広辞苑第 6版は大国を「大きな因。土地が広く国民の多い因。また、強大な 国」と定義づけている口英語の greatpowerが該当する[猪口他編 [2000JJ。類語にmajor power [主要大国]がある。本稿での大国概念については、他国に対する影響力の度合いを キ一概念とする口 11http://www.whitehouse. gov/the-press-office/2013/09/10/remarks-president-address nation-syria 2014年 7月 1日アクセス。 12

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ルを作成すべきだ」と提案している120 [国際構造の修正を指向] 現在の米国が唱える国際秩序形成には、自国の優位性を保持しようとする現状維持的 な姿勢が垣間見える。そう考えれば、米国を現状維持(status-quo)国家と位置付けるこ とも可能であろうし、 G7(主要国首脳会議。現在、日米英仏独伊カナダの7カ国)はすべ て現状維持国家であると言ってもよい。 これに対して、アメリカの覇権の現状に異を唱える固として中国を変更指向国家と性 格付けることも可能である。換言すれば、現在の国際システムを変更しようとする修正 主義(revisionism)の表現であろう。ジョン・ミアシャイマーは、米国が西半球で支配 を確立したように中国がアジア支配を進めようとしているとしこれを米国が日本など と連合を組んで、封じ込めようとしていると指摘している(Mearsheimer[2014J。) 修正主義が目指すところは、国際秩序形成能力を持つ世界大国への一里塚としての世 界秩序の多極化であろう。米国の中国研究家 D・シャムバウは近著を「中国が 1978年 に世界に対する開放を始めて以降、世界が中国を変えたが、今や、中国が世界を変え始 めている」と結んだ(Shambaugh[2013 : 317J)。インドも、中国ほど明確な目標と し て 掲 げ る に は い た っ て い な い が 、 修 正 主 義 に 与 し て い る こ と は 疑 い な い 。 そ こ で 、 イ ン ド は 、 手 始 め に 世 界 の 多 極 化 を 促 進 す る た め 、 中 国 な ど と の 協 力 を 図 っ て い る 。 加 え て 、 現 行 の 国 際 的 な 枠 組 に お け る 自 国 の 地 位 強 化 を 図 る た め 、 核 を 保 持 し つ つ 、 安 全 保 障 理 事 会 常 任 理 事 国 入 り を 目 指 し て い る ほ か 、 多 数 の 国 々 と の 戦 略 的 パ ー ト ナ ー シ ッ プ 関 係 を 樹 立 し て い る 。 さ ら に 、 外 交 力 の イ ン フ ラ を 充 実 さ せ る た め に ナ シ ョ ナ ル ・ パ ワ ー の 増 大 を 図 り つ つ あ る 。 こ れ ら 一 連 の 対 外 的 な 政 策 は 、 い わ ば 、 全 体 目 標 で あ り 、 グ ロ ー バ ル な レ ベ ル に と ど ま ら ず 、 リ ー ジ ョ ナ ル な レ ベ ル と サ ブ リ ー ジ ョ ナ ル な レ ベ ル で も イ ン ド 外 交に役立つ措置となっている。 2014年の総選挙でインド人民党が大勝し、モディ政権が誕生した。同党マニフェス トの表紙には、「統一インドJ(Ekta Bharat)と「偉大なインドJ(Shreshtha Bharat) と書かれている。モディ政権はこのマトリックスをさらに拡大発展させる外交方針をと ると見られる。 [中国・ロシアとの協力] 現在の国際組織の中で明確に世界の多極化を唱えているのは、主として、国際政治秩 序の面では上海協力機構 (SCO)であり、国際経済秩序についてはBRICS首脳会議であろ う。どちらも米欧日優先の国際的な仕組みからの脱却を唱え、加盟国の発言権拡大を目 指している。シン首相は2009年にロシアのエカテリンブ、ルグで、開催された BRICs首脳

12Bu5i刀θ5 5Standar,d July 16, 2014.

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出克に先立ち、 fBRICs諸国は、現代的な現実を反映した国連を合む冨際問題 の多国間主義原則の促進とグローバノレ・ガパナンス制度の改革において果たすべき役割 があるj と述べている。 認 ICs首脳会議は 2009年に創設され (2011年に高アブリカが加わって現名の BRICS)、 に欧米日が主導する悶際金融律制の変革を目指している。 BRICSは、 2011年 5月に共 関声明を出し、国際通貨基金(I日F)のスト口スカーン専務理事の辞任にともなう後任人 事に関して、噂務理事を欧州出身者の中から選出するという慣習を廃止すべきだと主張 した。 2014年 7月に関寵された BRICS首脳会議は、 BRICS銀行の創設を決定した については、第l 他方、 SCOは 2001年に創設され、中間、ロシア、カザブスタン、キルギス、タジキ スタン、ウズベキスタンの8カ国で構成される。インドはお05年にイラン、ぞンゴノレ、 パキスタンとともにオフ、ザーパ…加盟国となった。インドにとって、ユーラシア大陸の 々で講成される SCOへの関与は親交関係を持つ口シアや中央アジアー特にタジキス タンーとの関係強化や資源外交の観点からも大きな意識を持っている。 ロシアには、特に 2000年以権、対米政策を進めるうえで、中国およびインドとの協 力的な関係を構築しようとする戦略的指骨性がある。むろん、インドとの協力には、イ ンドと組んで中間合牽輯したという狼いもある。インドは、米国麓視に軸足を移しつつ あるとはし、え、ロシアとはソ連時代から友好関孫を維持し、武器調達やエネルギー資源 輪入などの面では相互依存関係にある。印口は 2000年に戦略的ノミートナーシップを結 んでおり、両国関係は双方にとって「都合の良い関係J[諮 [2010 : 84JJなのである。 [国連の安全保障理事会常任理事国入引 インドは、外交力の強化と多様化撞進のため、国際連 全保捧理事会(安保理〉 の常任理事国入りをめざしている。 2004年号月の国連総会では、ブラジル、ドイ ツ、インド、日本の4か国首脳が一堂に会し、安保理常任理事国挟補として相互 ることを確認し、安保理改革を共同で進めることを饗約した。言うまでもなく、常任 理事国となれば、国際関態に対する強力な影響力を持つことになる。 これら4カ国のうち、日本は小泉政権時代に熱心に取り組んだが、中国の

g

齢、反対を けて、最近の活動はやや下火になっているように見える。しかし、インドは熱心な働 きかけを継続し、すでに常任理事国企5カ毘から常任理事国入りに賛成一中冨はやや微 妙だがーを取り付けている。 [戦略的パートナ…シップの構築] インドがその外交力を強化するために推進している外交政策が戦略的パートナーシ ッ;ノ (strategicpartnershipo以下、 SP)の確立である。インドは、南アブヲカ (1997 14

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、フランス (1998年)、口シア (2000年)と SPを構築して以i議、米国13、中間、日 本などと続々と却を構築し、その悶数は次表のように2012年までに 23カ国に達する。 中国の 12カ国14、欧州連合 (EU)の 10カ国[小林 [2014日、日本の SPが町、東南ア ジア諸国連合(AS目的、ベトナムなど数カ国に止まっているのとは対損的である150 インドが戦略的パート ブリカ 1998 フランス 2000 ロシア、 ドイツ 2003 イラン 2004 米問、英昌、出 2005 中間、インドネ 2006 ブラジノレ、 日本 2007 ベトナム、ナイジェリ シップ関係を構築し 2008 カザブスタン、オーストラヲア 2009 マレーシア、韓国、サウジアラビア 2011 ウズベキスタン、アフガニスタン 2012 タジキスタン、 ASEAN e国際地域組識 注:このほか、インド関係論文には、インドがブイージーとカナダーそれぞれ 2005 年と 2010伴ーの関で戦略的ノミートナーシップを講築したとの言及も見られるが、 ソースには掲載されていなし、。なお、カナダの場合、インドと伊j年の戦略対 話は実施している。このほか、インドはおカ層以降と戦略的ノミ…トナーシッブを調 印したとの記述もあるが、具体的な思名は不明で、ある [ArvindGupta金Sarita Azad,

Evaluating IndiaJ s Strategic Partnerships using Analytic互ierarchy Process,

Institute

for Defence Studies and Anaysis, September 11 2011.

出所:インド外務省の2報告書を参照して作成した。

[lJ The Ministry of External Affairs, INJJIA'S FOREIGN RELATIONS 2006~12

13j:::n 2l乙

SP

については、伊立山 [2010Jが興味深い分析をおこなってし1 14北京で中国の外交専門家から聴、取(2011年3月 時 的 。 15外務省『平成21年版外交青書

J

によれば、これらのほか、インドネシア、オーストラリ ア、マレーシア、メキシロなどの国々である。同外交青書やその他の外務省文書には、 v のほか、モンゴソレなど約 10カ国と i

S

P

けたj関採と表記されている。 は日 本のS p構築国に関する統計・ しない模様である。

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http://www.mea.gov. in/lmages/pdf/lndia-foreign-relation pdf [2J The Ministry of External Affairs, AnnualAθ'Port 2003-2004 -2012-13 http://附 w.mea.広ov.in/annual-reports.htm?57/Annual_Reports インド外交にとっての SPは、「行動・思考の自由を制約する同盟の欠点を取り除いた 関与J(Chaudhuri [2009:1J)であり、対等な関係という点に特徴があるという。イン ド政府は SPについて正式な見解を示していないが、実態的に見れば、インドの SPは、 いわば、同盟国と友好固との中聞に位置付けられているよう見える。インド外務省年次 報告16における国別二国間関係の叙述を見ると、重要因との関係では必ずSPに言及され ており、インド外交では基軸的な位置付けが与えられている。また、中国が階層的な SPを展開している17のとは対照的に、インドのSPには相手国による区分は存在しない。 インドがSPを構築した相手国とその順番には特徴がある。インドにとって、戦略的・ 経済的に重要な国々との間で構築されていることである。すなわち、全ての安保理常任 理事国に加え、インドが関与する国際的組織である ASE刷、 BRICS首脳会議加盟国、 IBSA(インド・ブラジル・南アフリカ対話フォーラム)関係国が優先されているほか、ル ック・イースト政策、対中政策、エネルギー資源などの戦略的な狙いも組み込まれてい る。インドは、 SP構築国以外で重要と認める国々とは、 iSpに向けた関係J -今後、 SP 構築を目指すとの意味合いーとしづ表現を使って SPを重要な外交措置として位置付け ている180 自国の SPを検討したインドの外交・防衛専門家グループ。は、包括的で広範な語感を 持つ SPに換え、あまり重くはないものの、響きの良い名称案出すべきであるとしてき した(FNRSGroup of Experts[2011:14]。 さらに地域的な観点からも顕著な傾向が見られる。すなわち、インドは、中国とロシ アとはユーラシア大陸、日米とはアジア・西太平洋でそれぞれ緊密な協力関係を構築し 16年次報告 [AnnualReportJは1999-2000分から掲載されている。 17浅野によれば、「総じて、関係強化を進める国との間では、パ一トナ一シツプにつく修飾 語句が

9

強虫釦し 民網日本語版』によれば (http://blog.只oo.ne.jp/nicchokyokai-honbu/e/807fe1118c256gef6155a51287fcb410) 中国は58カ国とパートナーシップ (p)を確立し、包括的・戦略的P、戦略的協力P、戦略 的p(インドなど)などのほか、米国とは「新型の大国関係を構築」、パキスタンとは全天候 型戦略的協力Pなどと提示されている。 18インドは、 SPと並行して軍事的な連携関係の構築にも注力しており、インドが軍事協力 協定を締結した国は 2000年の 7カ国から 2008年末には26カ固まで増加している [Hedric [ 2009]]口 16

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ていることである。この協力関係においては、インドはパランサー的な位置付けを占め ることになる。サラン元外務次官は、 2011年3月、「インドはスイング・ステイト (swing state) J 19であり、インド外交戦略を「全ての大国と関与するが、そのいずれとも同盟 関係を持たなしリと特徴付けている。 サラン発言は、 SPの 2つの意味合いを示唆しているようにも見える。第 1に、スイ ング国には、どちらの側に付くかによって荷担した側を優勢にする機能を発揮すること になるし、荷担するかしなし、かを外交的なテコや取引材料に使用することもできる。現 在、インドのほか、ブラジル インドネシア、トルコがスイング国の立場を享受してい るという見方もある (Kliman& Fontaine [2012J)。自国をスイング固と性格付ける見 方はインド人研究者も共有されていた(Mohan [2006J)。下世話に表現すれば、「二股 外交Jとも言えよう。 第2には、印ソ同盟への反省である。インドの戦略コミュニティには、非同盟時代に 手にしていた戦略的自律性への追懐に加え、 1970年代末に起きたソ連のアフガニスタ ン(アフガン)侵攻に際して印ソ同盟ゆえに批判できなかったことへの怪'陀たる思いが あるように見える。インドは認めようとはしないが、同盟関係は「もう懲り懲りj とい う認識があるために、 SPは絶好の外交的基調になりうるのであろう。 [基本は富国強兵] ゴ、ールドマン・サックスが 2001年の報告書でインドが将来の経済大国になると予測 して以降、さまざまな類似の見方が示されてきた。最近でも、米大統領のために中長期 予測をおこなう国家情報会議が 2012年の報告書で「中国は、世界の経済大国として、 インドの先を行くと思われるが、両国間の差は 2030年までに縮まるだろう。経済成長 率では、中国が鈍化する一方、インドが高まりそうである。同年のインドは、台頭する 経済原動力一今日の中国がそう見られているようにーなっているだろう。中国の 8~ 10%という現在の経済成長率は、 2030年にはおそらく昔の話になっているだろうJと 分析している([National Intelligence Council [2012:15J J。 インドは台頭する経済大国として世界から注目されているが、あまり脚光を浴びてい ない側面が軍事大国化である。詳細については、西原・堀本 [2010Jで論じられている が、要するに富国強兵に向けた大国路線として位置付けられる。 経済で大固化しつつある国が同時並行的に軍備拡大を図る傾向は時代を問わず普遍 的に見られる現象であり、軍備拡大には海軍力の拡充を随伴するケースが多い。古くは ローマ帝国、 18世紀の英国、 20世紀の米国のほか、最近の中国については、詳論を要 しないで、あろう[例えば、天児 [2010:7-10日。中国の後を追うのがインドである。総 現有兵力約130万は世界第3位であり、表序-3に示すように軍備の拡充に余念がない。 19 BusIness Standar,d March 17,2011.

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表序-3 インドの主な兵器増強状況 概 要 ミサイル

1-

長距離弾道ミサイル「アグニ 5J。射程距離 5.000~8. 000 km の発射実験 に成功。パキスタン全土と上海・北京をカバー。 2015年に実戦配備予 定。「アグニ 6J (6, 000~16 , 000 km)も開発中。アグニはインド神話で火 神の意) 一月面探査機「チャンドラヤーンJ(月の乗り物の意)1号の発射に成功 (2008年 10月)。同号はミサイル技術への転用も可能。 海 軍 │一国産空母の建造に着手 (2009年) 一空母「ヴイクラマーディティヤJ (破壊の神・シヴァが降臨したとさ れ る 伝 説 上 の 皇 子 名 。 旧 ソ 連 重 航 空 巡 洋 艦 を 改 装)02014年 1月に イ ン ド 海 軍 に 編 入 一初の国産原子力潜水艦「アリハント J [敵を打破する意]を 2009年 7 月に進水。 空軍 │一フランス製ラファール戦闘機 100機の購入を 2012年 1月公表。 ーロシア製 Su-30戦闘機 42機の購入契約 (2012年 12月) 武器調達でもインドは群を抜いている。世界 4大会計事務所の 1つである IKMPGイ ンターナショナル」は、インドが 2016年までに約 1兆 1120億米ドルにのぼる武器調達を 実 施 す る と 推 定 し て い る200 ま た 、 ス ウ ェ ー デ ン の ス ト ッ ク ホ ル ム 国 際 平 和 研 究 所 (SIPRI)が 2014年 3月に公表した世界の兵器貿易に関する報告書によれば、インドは、 2009年から 2013年までの 5年間の兵器輸入額で世界 1となった。インドは陸海空の軍 事力拡充を急速に進めており、中国の拡充だけに目を向けるのは間違いだという (Nagao [2012J。) 表序-4 インドと中国の武器輸入 全世界の武器輸 全世界の武器 2009 ~ 13 2009~13 の 2009~13 の 入に占める比率 輸入に占める の 輸 入 先 輸入国 輸入国 2009~13 比率 2004~08 国 1位 2位 3位 インド 140/0 70/<。 ロシア 75% 米国 70

1

0

イスラエル60/0 中国 5% 11 % ロシア64% フランス 15% ウクライナ 11%

1

m:

SIPRI Fact Sheet描arch2014

http://books.sipri.org/files/FS_iSlfRlfS1403.PQf(2014年 4月 2日アクセス)

20 ThθJapan TImθ S, December 22, 2010.

(29)

3. リージョナルなレベル(アジア・西太平洋) [アジアの大国を指向とルック・イースト政策] インドは、現在、経済力では中園、日本に次ぐアジア第 3位の大国である。当面は、 リージョナルなレベル(アジア等)で確固たる地位を築き、いずれは、日中を凌駕して、 アジアの首座を獲得したいというのがグローバルなレベルにおけるインドの願望であ ろう。 もっとも、インド側には、日本を含めたアジアの 3大国という意識が希薄であるよう に見える。インドの戦略コミュニティが持つアジア認識では、内実はともかく、中国と インドがアジアの 2大国であり、両国に米国を加えた3カ国がアジアの国際関係に影響 力を持つとみなしている。こうしたアジア 3国モデルは 1990年代のインド論壇では盛 んに論じられていた(代表例が元外務次官のカウルによる Kaul [2000J である)。特に 2000年代以降に顕著になっており、例えば、現在のインドの代表的な論者であるラジ ャ・モーハンは印中米 3カ国の視点からアジア太平洋を論じている (Mohan [2012J )。 最近の中国でもこのモデ、ルが全アジア的な国際関係の検討に際して適用され始めたと し、う210 インドのアジア外交は中国への対抗意識を抜きに語れない。インドの対中認識を明確 に示した報告書が 2012年に公開された『非同盟 2.0 21世紀におけるインドの外交・ 戦略政策~ (以下、本論では『非同盟 2.O~ ) 22である。同書はインドの代表的な戦略コ ミュニティのメンバーが作成した準公式文書とも言われ、戦略的自律性を確保するため 新ヴァージョンの非同盟(非同盟 2.0) を提言し、インド対外戦略の根本的規定要因 としての米国との同盟関係を否定する一方、強大化する中国、同国と緊密な関係を持つ パキスタンの 2国がインド外交の最大課題になるとして今後の対応を求めるなど、「向 こう 10年間にわたるインドの外交・戦略政策を導くべき基本原則を明らかにしようと したJ [同書 p.i i iJ ものだとしづ。インド外交の指向性や対外的な認識を提示して おり、インド人による戦略論として極めて示唆に富んでおり、本論でもしばしば言及す る。 非同盟 2.0は、現在のインド外交のありょうを表現するうえで有効ではあるものの、 1960年代までの非同盟とは根本的な差異がある。すなわち、かての非同盟では中国か らの弱し、非同盟諸国同士が連携するということに一半の意味を持っていたが、現在のイ ンド外交には、そのような志向性が見当たらなし、からである。 『非同盟 2.0~ で言及されている国々の中では、中国の頻度が最も高く、 113 2 1北京の中国人国際政治学者へのインタビ、ュー (2010年 11月4日)。

22Centre for Policy Research, Na必4LIGNMENT2. 0: A Foreig刀 andStrategic Policy for

lndia in the Twenty First Century, February 2012.

http://www. cprindia. org/workingpapers/3844-nonalignment-20-foreign-and-strategic Policy-india-twenty-first-century 2014年 1月4日アクセスO

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回 に 及 ぶ 。 報 告 書 は 「 予 見 し う る 将 来 、 イ ン ド に と り 、 中 国 が 重 要 な 外 交 政 策 と 安 全 保 障 上 の 挑 戦 (challe同りなるJ(パラグラブ 29)という見通しを持つ。こ の 挑 戦 と は 、 イ ン ド 致 時 や 関 孫 者 が 公 的 な 場 で 捷 用 す る 語 句 で あ り 、 中 障 を 公 iこ喬威 (threat)と 明 言 す る こ と を 避 け る た め に 捷 わ れ る 代 替 語 で あ る 印中関係は、第3章で見るように正負両面を持つ「アンピパレントな関係jなのであ る。インドにとって、中国は国際関係の多極化を進めるうえで、重要なパートナーである し、何といっても最大の貿易相半間である。 し か し 、 リ ー ジ ョ ナ ル な レ ベ ル で は 、 国 境 紛 争 に 見 ら れ る よ う に 中 国 に 対 す る 強 い 警 戒 心 を 抱 き 、 ヘ ッ ジ 〈 饗 戒 対 応 〉 政 策 に 基 づ く 安 全 保 障 政 策 を 進 め て い る。ヘッジまたはヘッジングとは、 「 一 般 的 に 言 え ば 、 協 力 関 係 の 維 持 発 展 を 旨 と し つ つ も 、 相 手 が 自 己 の 利 益 を 援 す る よ う な 行 動 を と ら な い よ う に す る た め に 悲 制 装 置 を 作 り 、 ま た そ の よ う な 行 動 が と ら れ た 場 合 に 備 え て 、 あ ら か じ め 適 切 な 体 制 を つ く っ て お く J という意味である(山本[2011:1J)0 こ の ヘ ッ ジ 政 策 で 震 要 な 意 味 合 い を 持 つ 摺 々 が 米 国 と 日 本 で あ る 。 イ ン ド が 詰 米 と 緊 密 な 関 孫 を 築 こ う と し て い る 基 本 的 な 要 因 は 、 経 済 的 利 益 〈 貿 易 ・ 投 資 ・ 技 術 ) に 加 え、中国に対する根強い警戒心があるからである。 米国が 2010伴代に入って太平洋国家論を唱え、アジア・リバランシング政策を打ち 出し、 2012年7月に訪印したクリントン国務長官は、ルック・イースト政策について、 「東方を見るだけでなく、東方で行動(ActEast)することjをインドに求めた。このア ジア重視は、米国外交が fテロとの戦しリから対中国政策に大きくシフトしていること を物語っている。 インドは、このシフトに前向きな反応を示した。例えば、主要紙では、タイムズ・オ ブ・インディア紙社説(2011年 11月 18日)は「インド外交が東アジア地域に焦点を絞 り、インドを藍要なプレーヤーにする必要があるj とし、同日付のインディアン・エク スプレス紙も「インドは新世界秩序に居を覚まし、眼前に拓けた新アジア安全保撞秩序 の形成に積権的に関わるとし寸機会を科用すべきだj と指擁した。 2014年 5月に発足 したモディ政権のスワラージ外相は、 S月 26日にハノイで開催した東アジア・東南ア ジア駐在のインド大度会議において、たんに東(イースト)を見ているだけでなく、東で、 行動するよう求め、モディ首相の訪日によってさらに東に広がっていくと叫_-+-_23 ルック・イースト政策は、当時のラーオ首相が 1993年から打ち出したインド以東〈東 南アジア・東アジア)への接近策である担aidar[2012:53J )

2

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ラーオ話相が fアジア 太平洋は、インドが世界市場に競蕗するための足がかりj と繰り返し強調したように、 23TIm乱5・ofIndIa, August 26, 2014. 24元インド外務次官(1995年--1997年)のハイダールによれば、ノレツク・イーストは、ラー オ首相が 1993年に訪韓する際、初めの訪韓に明確な意義づけを付加するために用いられた とし1う。 20

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ルック・イースト政策の主畏的は経済にあり、 ASEAN対話関(1994年)、 ASE州地域フォ ーラム(1995年)にそれぞれ加盟としづ或果を上げたむ 2005年には東アジア首脳会議 住民〉入りも果たし、東南アジアへの播頭塗を築いた。インドの対倍以民輸出は2013年 331.3億米 で、 10年以内に 2800億米ぺLに 拡 大 し イ ン ド 総 貿 易 の 15%を占め るとし、うへ インドは、 2012年から協議が開始され、 2015年交渉成立会目指す東アジア地域包括 的経済連携構想、 (RCEP==Regional Comprehensive Economic Partnership) (アーノレセ ツソjにも参闘している。 RCEPには、 ASE脳10カ閣と ASEANと自由貿易協定(FTA)を締結 している日中韓印豪ニュージーランドの 16カ国が加わっているむまCEPが実現すれば、人 口約 34億人〈世界の約半分)、 GDP約 20兆ドル(世界全体の約 3割) 貿易総額10兆 ドル(世界全体の約3害むを占める広域経済閣が出現するとし寸260 だ、自由化率については、各国がお---90%を視野に入れているが、インドは保護 40%であり、 2014年8月末の RCEP閣僚会合には閣僚を送らなかった。そ 果、インド抜きのまC日が成立する可能性もあるとしサ270 ルック・イースト政策は、東南アジアを当拐の目標地域としていたが、 ASEANへの態 勢回めが済めば、最終的に東アジアを目指すことになり、日本が中核的な位置付けを占 める。 インドの対外関係講閣においては、日本は主にヲージョナルな{立蜜付けとなるが、イ ンドから日本を見ると、大変、都合の良い国であるc 日印関には6000

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の距離があり、 地理的も脅威親を持たずに済む。民主主義国である。中国を念頭に置いて共闘するに相 応しい経済軍事大国である。インドには、米国と組んで、中国に対峠することには抵抗感 が

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齢、主人日本と組むなら構わないとしサ潜在的な意識もある。日本からは多額のODA がもたらされ(インドは最大の受取国)、インフラ整備への協力も得られる。日甲貿易 は、日印経済連携協定(2011年3月発効)によって、徐々に増加すると見込まれ [インド以酉における印中の角遂) リージョナルなレベノレのもう 1つ の 舞 台 が 、 イ ン ド 以 西 の 中 東 ・ ア ア リ カ ・ イ ン ド 沖 で あ る 。 こ こ で も 印 中 は 角 逐 し て い る 。 中 東 の 場 合 、 欧 米 と 地 域 各 国 と の 錯 綜 し た 関 係 が あ り 、 通 常 は 印 中 が 割 り 込 む 余 地 が 少 な い の た だ 、 イ ン ド の 場 合 、 中 東 に 在 外 イ ン ド 人 約 600万 人 が 居 住 す る と い う 事 情 も あ っ て 、 目 配 り が 欠 か せ な い 。 ア ア ソ カ で も 、 イ ン ド は 約 300万 人 の 在 外 イ ン ド 人 を 手 掛 か り に 、 資 源 と 市 場 と い う 阿 面 で 中 国 と 対 抗 戦 を 演 じ て い る 。 The Economic Tim抗タ, August 24, 2014. ームページ(東アジア地域旬括的経済連携) http://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/east_asia/activity/rcep.html 2014年8月 28日アクセ 272014年9月 18E3付

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日本経済新開ム

図 4 - 1 i インドとライ バ ル国の アフ リカ貿易 J (単位は 1 0億米ド ル )

参照

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