全国家計調査データで見るインドの保健不平等 (特 集 包括的成長へのアプローチ ‑‑ インドの挑戦)
著者 伊藤 成朗
権利 Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization (IDE‑JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名 アジ研ワールド・トレンド
巻 187
ページ 16‑19
発行年 2011‑04
出版者 日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL http://doi.org/10.20561/00046189
●はじめ に
人口が多く︑州の数も多いインドでは︑州ごとの平均値で格差を表現することがよくあります︒インドは連邦制で州政府が自治しているために︑州ごとに自治の成果を比較することに一遍の道理があるのです︒保健指標で見るとビハール州は後進的でケララ州は先進的︑というような議論がされるのも︑そうした背景があります︒こうした統計データをもとに︑各州政府は課題を定めて解決に努めてきています︒しかし︑一言に州と言って
も︑
人
口一
億 六
〇〇〇 万人以 上 の
ウッタル・プラデーシュ州と五〇万人強のシッキム州︵二〇〇一年国勢調査︶とでは規模も州内の多様性の度合いも異なります︒とくに︑人口規模の大きな州では︑州内平
均値 は 数 千 万 人 以 上 の 平均値 と
なって︑州内格差を覆い隠しかねません︒
このため︑本来ならば州内でより細かなグループごとに現状をま とめる作業をして︑州平均値で格差が十分に捉えられているのか︑
吟味 し な く て
はい
け ま せ ん
︒そ
こ
で︑本稿では各州の家計を消費五階層に分け︑各階層ごとの平均値を計算することで︑各州の州内格差を豊かさの水準と結びつけて考えたいと思います︒
●全 国標本 調 査 と そ の 設計
イ ン
ドでは全国標本調査︵
Na tiona l S am ple Sur ve y, NSS
︶が
一九五〇年以来ほぼ毎年実施されています︒政策立案とその成果に関する情報を収集することを目的にしているNSSは︑常に政策論議の中心になってきました︒インド全体の趨勢を知るために︑NSSはインド全国から満遍なく調査対象を選びます︒全国を地区に細
かく 区 分
け︵
統 計 学 用 語 で 層 化
st ra tif y
︶し︑それぞれの地区から特定の集団選択︵同︑クラスター・サンプリング︶をします︒区分けは州︑都市グループと農村グルー プ︑規模別集落グループ︑家計グループ︑と大きな区分けから細かな区分けに下りていき︑各区分けから必ず調査対象が選ばれるようにします︒このことで︑特定地区やグループが調査対象から漏れることが無くなります︒集団選択では︑特定の村や都市︑特定の集落︑特定の家計︑と調査対象を無作為選択します︒集団選択を無作為にすることで︑恣意的に調査対象を選ばないようにできます︒一九九一年の国勢調査後は︑一九九一年の全国の村すべてを母集団とし︑これらの 村 々 を 第
一次
ユ ニ ッ
ト︵
fi rs t stage unit s
︶と呼んでいます︒これ ら を各州 ご と に 区 分けし︑
一定
の
基準で農村と都市の二グループに区分けします︒本稿では農村グループのみを扱うので︑ここからは農村の標本調査方法のみを説明します︒農村グループの村落はさらに︑人口規模別に五〇人以下︑一万五〇〇〇人以上︑その他の三グループに区分けされ︑それぞれから村 落を無作為選抜します︒選ばれた
村落
は︑
人 口 規模
一二
〇
〇 人 以 上
だと一二〇〇人以下の集落に区分け︑そのうちから二集落を無作為
選抜 し ま す
︒一
二
〇
〇 人 以 下 で あ れば区分けられません︒この集落グループを第二次層︵
second s ta ge st ra ta
︶と呼んでいます︒そのうえで︑家計を複数グループに区分けし︑各グループから家計を無作為選抜します︒本稿で用いる第六〇次NSSでは︑家計は⑴過去一年に入院経験のある家計︑⑵五歳以下の子どものいる家計︑⑶六〇歳以上の高齢者のいる家計︑⑷その他︑に区分けられます︒第六〇次NSSは保健がテーマであるため︑こうした家計の区分けによって︑周産期医療︑小児医療︑高齢者医療︑入院医療の情報が確実に得られるように工夫されているのです︒●図示 の 方 法
第六〇次NSSの質問票には︑保健以外に家計成員数や消費に関する簡単な質問も付されています︒このため︑各家計の合計消費額から一人当たり消費額を計算することができます︒第六〇次NSSで対象になった農村四万七三〇二家計すべてを一人当たり消費額によって五つの消費階層に均分すると︑各州の五階層の割合をみることで︑各州の豊かさや所得の格差が分かります︒図では︑
全国家計調査デ ー タ で 見 る
イ ン ド の 保健不平等
伊
藤
成
朗
各州ごとに︑横軸に左から最貧階層︵最も濃い色︶から最富裕階層︵白色︶の順で各階層の割合をとっています︒
よっ
て︑
図
全体
が
暗い
色の
州ほ
ど 貧
しい人が多い州といえます︒同じ階層でも︑州が異なると保健指標の値も異なるかもしれません︒また︑縦軸に各階層の妊婦検診︵未︶受診率などの保健指標をとり︑高さによって保健サービスの︵未︶充足度を表しています︒このように︑各州ごとに消費階層と保健指標を見ることで︑豊かさと保健格差の関係を観察できます︒
●衛 生施設 の 現 状
図
ベンガル州やアッサム州では︑最 んが︑未普及率が相対的に低い西 が高いので州内格差は目立ちませ シュ州は全体的にトイレ未普及率 州もあります︒ウッタル・プラデー ベンガル州やアッサム州のような らかに未普及率が下がっていく西 及比率が低く︑豊かになるほど明 ような州もあれば︑全体的に未普 上いるウッタル・プラデーシュ州の 家計が最富裕階層でもまだ九割以 の色の濃さ︶であっても︑未普及 だし︑同じような貧しさ︵図全体 右下がりの関係が見られます︒た ど未普及家計の比率が減るという います︒多くの州で豊かになるほ イレ未普及︶家計の比率を示して
1
では︑トイレを持たない︵ト ます︒ 州内格差には多様性が見受けられ というように︑トイレ未普及率の くても格差の目立つカルナタカ州 ル州やアッサム州︑善戦していな しながらも格差の目立つ西ベンガ のウッタル・プラデーシュ州︑善戦 もあります︒このように︑悪平等 が目立つカルナタカ州のような州 普及率が高いながらも︑州内格差 な州内所得格差なのに全体的に未 が目立ちます︒一方で︑同じよう 富裕階層とその他の階層との格差同じような方法で水道未普及率を縦軸に取ったのが図
ていることです︒このため︑トイレ 事は地方自治体の取り組みが遅れ 備をしているのに対し︑下水道工 方自治体が村の地区ごとに一括整 して考えられるのが︑上水道は地 立ちません︒その理由のひとつと レ未普及率に比べて州内格差は目 に共通して︑水道未普及率はトイ せていることも分かります︒各州 州が最貧困階層にも水道を普及さ ています︒また︑タミル・ナードゥ カ州は平等に未普及率を押し下げ 高く州内格差も目立ったカルナタ は遅れをとり︑トイレ未普及率が 未普及率が低かった西ベンガル州 ず未普及率が高いものの︑トイレ タル・プラデーシュ州は相変わら
2
です︒ウッ は タ ン ク式︵
ven til at ed im p ro ved p it la trine , s ep tic tank
︶ が 主 体 と
なって家計が設置しなければならず︑比較的富裕でないと費用を負担できないのです︒
●母子 保 健 の 現 状
図
西ベンガル︑アーンドラ・プラデー ます︒ケーララ︑タミル・ナドゥ︑ ことのある妊婦の割合を描いてい
3
は妊婦検診を一回でもしたシュ
︑マ
ニプ
ール
の各
州
は州
内 格 差
も少なく全体的に妊婦検診率は高いです︒その他の州は州内格差があり︑全体的にも低い値です︒ビハール︑ウッタル・プラデーシュ︑カルナタカ︑アッサムでは︑最貧
困階層 の 受診率 の 低 さ が 目 立
ち︑
母子の健康が懸念されます︒
図
ています︒一方で妊婦検診では健 が州内格差も少なく高い値を示し タミル・ナドゥ︑マニプールの各州 が殆どです︒ここでも︑ケーララ︑ す︒非院内出産は自宅出産の場合
4
は院内出産率を描いていま 闘し た 西ベン
ガ ル や ア ー ン ド
ラ・
プラデーシュでは州内格差が目立つようになり︑ビハール︑ウッタル・プラデーシュ︑ラジャスタン︑グジャラート︑アッサムでは︑まだ自宅出産が多いようです︒後者の州では︑全般的に低いウッタル・プラデーシュ州以外は︑州内格差も見受けられます︒妊婦検診を受けずに自宅出産をする危険は改めて問うまでもないでしょう︒インドは 死産率や妊産婦死亡率が低下しつつも高いまま︵伊藤﹇二〇〇九﹈︶ですが︑その背景には保健後進州での妊婦検診と院内出産の未普及があると思われます︒保健後進州に限らず︑多くの州で州内格差が根強く残っており︑州平均値だけを見ていると政策課題を見落としてしまう危険があります︒
●おわ り に
本稿では︑あまり顧みられることのない州内格差を保健指標について考察しました︒州平均値は州内の多様性を覆い隠してしまう可能性があります︒NSSという豊かな情報源がある以上︑各州の政策担当者はより細かくデータを吟味し︑最も困窮している階層の状 況を 知 る 義 務 が あ る と い え ま す
︒
よって︑NSS実施機関のNSSO︵
NSS Or g ani za tion
︶は︑各州の州内格差を提示することも求められているのかもしれません︒︵いとう せいろう/アジア経済研究所 開発戦略研究グループ︶
︽参考文献︾●伊藤成朗﹇二〇〇九﹈﹁インド普及の進まない公的医療保障の実態﹂井伊雅子編﹃アジアの医療保障制度﹄東京大学出版会︒
全国家計調査データで見るインドの保健不平等
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0.00.20.40.60.0.00.20.40.60.81.00.00.20.40.60.81.0
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ケーララ マディヤ・プラデーシュ マハラシュトラ マニプール オリッサ
ラジャスタン タミル・ナードゥ トリプーラ ウッタル・プラデーシュ 西ベンガル
(出所)NSSデータより筆者作成。
図2 水道未普及率
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* * * **
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0.00.20.40.60.81.0
0.00.20.40.60.81.00.00.20.40.60.81.00.00.20.40.60.81.0
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アーンドラ・プラデーシュ アッサム ビハール グジャラート カルナタカ
ケーララ マディヤ・プラデーシュ マハラシュトラ マニプール オリッサ
ラジャスタン タミル・ナードゥ トリプーラ ウッタル・プラデーシュ 西ベンガル
(出所)NSSデータより筆者作成。
図3 妊婦検診率
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0.00.20.40.60.81.00.00.20.40.60.81.00.00.20.40.60.81.0
* * * * *
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アーンドラ・プラデーシュ アッサム ビハール グジャラート カルナタカ
ケーララ マディヤ・プラデーシュ マハラシュトラ マニプール オリッサ
ラジャスタン タミル・ナードゥ トリプーラ ウッタル・プラデーシュ 西ベンガル
(出所)NSSデータより筆者作成。
図4 院内出産率
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アーンドラ・プラデーシュ アッサム ビハール グジャラート カルナタカ
ケーララ マディヤ・プラデーシュ マハラシュトラ マニプール オリッサ
ラジャスタン タミル・ナードゥ トリプーラ ウッタル・プラデーシュ 西ベンガル
(出所)NSSデータより筆者作成。