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MiltonのSamson解釈とその手法

著者 渡辺 昇

雑誌名 主流

号 34

ページ 20‑50

発行年 1972‑11‑20

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016746

(2)

M i l t o n の Samson解釈とその手法

渡 辺 昇

序 論

Miltonの書いたSamsonAgonistesとその原型である旧約聖書 Judges xiii‑xviを読み比べる時,我々はそこに多くの相違点があることに気づく.

形態的に見れば9 言うまでもなく聖書では散文であるのに, Miltonの 作品は blankverseであって, しかもそれはギリシア悲劇に範をとった 劇形式となっている.

また,これは上記のことから必然的に起こることだがフ聖書では事件が 起こった順に叙述されているのに対し ,Samson Agonistesではp 対話と 独自の別を問わず〉回想、の形をとることが非常に多い Miltonが劇に先 立つ Ofthat sort of Dramatic Poem which is  call'd Tragedy月の末 尾に述べているように,

The circumscription  of  time  wherin the  whole Drama begins  and ends, is  according to antient  rule, and best example, within  the space of  24 hours. 

という制約により,事件が Gazaにおける Samson の最後の一日のみに 限られてくるからである. この一日の叙述は聖書にすれば Judges xvi, 23 

30の Samsonに関する物語のごく一部にしか過ぎない.従ってSamson の生誕から thePhilistinesに捕えられるまでの, 分量にして10倍以上に

ものぼる部分に出てくるさまざまな事件は,すべて登場人物たちの回想の 中に織り込まれてしまうわけである.

(3)

MiltonのSamson解釈とその手法 21  次に内容そのものにも幾つかの違いがある.その主要なものは登場人物 やp 彼らをめぐる状況が大幅に変更されていることである。たとえば聖書 にはない人物や,すでに死んでしまっているはずの人物が,しかも主要人 物として SamsonAgonistes中に現われる.

原型の創造的変更は文学の常識であろうがヲこれがある作者によって実 行される場合9 主題の解釈の面とか,構成上の効果の面などヲ必ず何らか の目的があってなされるはずである.では,たとえば AlanRudrumも

The story  is  familiar:  it  must be  one  of those Old Tstament stories of which almostveryone,even nowadays, has at  least a  vague knowldge.

と述べているように,キリスト教徒にとっては古今を間わず常識として広 く知られているSamsonの物語に Miltonがあえて変更を加えた理由は どのあたりにあるのであろうか.

この論文では9 以下 Manoa,Dlllila, Haraphaという三人の主要な登場 人物を取り上げて9 彼らの置かれる状況の変更を通して Miltonが聖書中 の Samsonの物語に, いかなる解釈を加え, どのような意味を与えよう

としたかを探ってみたいと思う.

1.  Manoa 

Judgesの中で Samsonの物語が取り扱われているのは第13章から第16 章に至る4章であるが3 このうち Samsonの父 Manoaが生きた姿で現 われるのは第14章までである.13章では Manoaは Samsonの生誕を予 言して妻に現われた天使に Samsonの養育方法を尋ね,また,神に;啓祭

・素祭を捧げ, 14章では息子と,制圧者 the Philistinesの娘の一人であ

る awoman in  Timnath" (Judges  xiv1)との,やがて不首是に終 わる運命にあった結婚のために花嫁の所まで出かけて行く.

(4)

次に聖書の中で彼について述べられるのは物語も終わりの Judgesxvi,  31においてであって, ここでは the buryingp1ace  of  Manoah his  father"とあることから分かるように3 彼はすでに死んで葬られていたの である.すぐそのあとにある he(i.  e., Samson) judged Israel twenty  years"という記述からの時間経過を考えてもラ このことは自然な成り行

きと言える.

ところが SamsonAgonistesでは Mno乱は Lockswhite as doune" 

(1. 327)  を頂いてはいるが物語の終わりまで生きており9 む し ろ 息 子 Samsonの死を嘆く立場に置かれている.

Manoaが おmsonを Gazaに訪れる目的はp TheArgument"中に 述べられているように? hispurpose to procure his liberty by ransom (p.  405)にある.聖書の中の簡潔な描写, hedid grind in  the  prison  hous巴 " (Judges xvi, 21)から they called  for S乱mson out  of  the  prison house" (xvi, 25)に至る物語の展開の手法からすれば, Manoaに 限らず他の人物をあえて登場させる必要はないように思えるが,この悲劇 を一読すれば分かるように, 上記の目的で Samson釈放のために動きま わる人物がいること自体,物語の構成上重要な意味を持ってくる.

すなわち,

1 however  Must not omit a Fathers timely care  To prosecute the means of the deliverance  By ransom or how else; mean while be calm

, 

(11.  601‑4) 

と言ってくれる人がおり,その目的の実現される可能性が残されたままで Samsonがあえて死を選ぶということは,彼の行為そのものを純化し,そ

(5)

MiltonのSamson解釈とその手法 23  れに宗教的3 精神的な価値を与えることになるからである.その行為が現 世的な絶望感から出たものではなし宗教的な決断から生じたものである ことが強調されることになる.特に上のように言い置いて thePhilistines  の中へ出かけて行った Manoaが9 やがて Samson釈放の明るい見通し をtheLordsから得て戻って来て,その喜びを Chorus of Danit自 に 告 げる (11.1445-1504) ,まさにその瞬間を S~mson の死を意味する崩壊音

と重ねる時(1.1508),この劇的な効果は一層鮮烈なものとなる.

ただ上記の点に対して言えることは, S~mson の身を購う人物という点 だけから考えれば,それを必ずしも父 Manoaに限る必要はないのではな いか,ということである.だから Miltonがあえてその人物にMan閣 を 設定したのには,やはりそれだけの理由があるものと思われる.

その第ーに考えられるものは,言うまでもなく Manoaに期待される父 性愛である.さきほどの引用にもある aFathers timely care円という 言葉もこのことを示唆する.Samsonにより Ashkelonにおいて30人を殺

され(Judgesxiv, 19),麦やオリーブ畑を焼かれ (xv,5),更に戦い毎に 多くの同胞を殺雲たされた (xv,8.  15)  the Philistinesにとって Samson は憎しみの的であり, 彼らに Samsonの釈放を乞うことは? 単に莫大な 代償金を必要とするのみでなしまた,支配者としての彼らから受ける,

場合によっては死をも意味する不興をも覚悟しなくてはならないa このこ とをあえてなすものは,父たるManoaをおいてない,とするのがMilton の考えであろう. 事実第一番に Samsonを Gazaに訪れる者として彼は Chorus of Danitesを設定しているが,彼らの目的は単に

To visit  or bewail thee

, 

or if  better

, 

Counsel or Consolation we may bring

Salve to  thy Sores

, 

(11.  182‑4) 

(6)

~4

であって, Miltonは前述のような機能を Chorusの一団には与えていな

.

Gazaに来た時 Manoaはすでに somePhiおtzzLorcls" (1. 482)  に会う手筈を整えており (1.481), Miltonが Manoaの性格に与えた心 遣いの深さを暗示する.

しかし Samsonを購うものが Manoaでなくてはならぬ本当の必然性 は,これで十分に説明されない.むしろ Miltonの意図はもう少し深い所 にあったように思える.それは,この父と息子の対話の中核を貫く,信仰 の確信と疑惑ラ決断と龍賭,希望と絶望との不断の心理的葛藤を描くこと にある.

F.  Michael Krous告は彼の lVlilton's Samson and the Christian 7}'adi‑ tionの中で, Manoaの Samsonに対する関係を,楽園において Satan が Manに thefruit was edibJe and needed as  food円と述べて誘惑 したこと,また,荒野においてSatanが Christを turn stones into  bread"の甘言をもって誘惑したこと, すiなわち the flsh"または

necessity"による誘惑者とみなしている.

確かに

His father represents the demands of necessity tempting Samson  to relinquish his faith in  God and his vocation as God's champion  by succumbing  to

  the  ways of  the  flesh"  and accepting  the  ease of retirement. 

とする説明には十分な説得力があるが, Manoaの Samsonに対する言葉 の中には,決してSamsonの信仰を顕かせるための,いわば負の側面のみ があるのではない. Oft‑Invocateddeath/Hast'n the welcom end of  all  my pains."  (11. 575‑6)と言う Samsonに 対 い

(7)

MiltonのSamson解釈とその手法 But God who caus'd a fountain at  thy prayer  From the dry ground to  spring, thy thirst to allay  After the brunt of battel, can as  easie 

Cause light again within thy eies to spring

, 

Wherewith to serve him bett thenthou hast;  (11.  581‑5) 

25 

という Manoaの励ましにも表われているように, Samsonの信仰を再起 させるための正の側面のあることも見落してならない.確立した Samson の信仰が肉の誘惑者を退けて勝利したというよりも9 父子の聞の人間的な 希望と絶望の相互のぶつかり合いの中で, Samsonの信仰が確立していっ たと見る方が妥当なのではあるまいか.

そして Samson と神とのかかわり合いに関するこの信仰上の葛藤を根 底的な意、味で語り得る人間はManoaを除いてはない.なぜならばSamson の生誕を予言し9 he shall begin to de1iver Israel out of the hand of  the Philistins.円(Judgesxiii, 5)と告げるべく妻に現われた anAngel  of the Lord" (xiii, 16)を目撃したのは,妻当人を除いては Manoa以 外にはないからである. もちろん Manoaの妻が女の身で Samsonの噴 い手として動く構成にすることは9 時代的背景を考えても無理なのであろ

つ.

なるほど, Samsoilの父の代わりにその母を登場させた作品は無くはな い.Marcus Andreas 

unstiusによるラテン詩劇 Simson,7αgoedi.α

Sacra (1600, 160の で は Samsonの母 Elumaが主役の一人として登 場し, Act Oneにおいてはすでになき伴侶 Manoa についてなげき,

Samsonの不行跡について天使 Phada1より夢の中で警告を受けたこと を述べ ActFiveにおいては Samsonの痛ましい死について母親とし ての悲痛な嘆きを吐露する.しかしその場合でも MiltonのManoaほど

(8)

26 

には積極的な役割は与えられていないで, もっぱら母としての人間的な心 の痛みに力点が置かれている.

Miltonとしても Samsonの母を Manoaの代わりに登場させることは 出来たであろうし,また,その方が聖書の記述とも矛盾しないわけなので あるが,ほとんど前例のないManoaをこのような形で登場さぜたのには,

やはり上記のような限界を感じてのことのように思える.

さきほども述べたように,聖書中では, Samsonが thePhilistinesに 捕えられてより自ら選んで死地におもむくまでの描写は非常に簡明であり,

Samsonの胸中を表わす表現は全く使われていない. もし Judgesxvi, 28  の

Lord God, remember me, 1 pray  thee, and  strengthen meI pray thee, only this  once, 0 God, that 1 may be at once avenged  of  the Philistines for my two ey田 .

という祈りの言葉が, まさに the two  middle  pi1larsを抱こうとする Samsonの口から述べられていなければ, Dalilaの甘言に屈した彼のだら しなさもからんで, Samsonの行為の中の宗教的意味は全く失なわれると ころである.上記の祈りの言葉すら,全く入国的な心情の発露であって,

必ず、しも彼の信仰を印象づけるものではないのだが一

これに比べて Miltonの描く Smsonはもっと深刻な挫折感の中にあ る.特に 11.66‑109の, Samsonが Blind among enemies" (1. 68)  の状態にある自らを Inferiourto the vilest now become / Of man or  worm (11.73‑4)と嘆き,また, amoving Grav君 "(1. 102)にたと えるくだりは,事実盲目に苦しんでいた Milton自身の嘆きと重なって,

切々と胸を打つものがある.

このような,いわゆる arep調 印ntSamson"p 特に SamsonAgo nistesの中での目立った特徴のーっとなっているが,もともと Samsonは

(9)

MiltonのSamson解釈とその手法 27  巷聞に行なわれていた武勇伝・戦捷歌の主人公が矛盾を含んだままで旧約 聖書に織り込まれたものだけに, ζの矛盾にキリスト教的解釈を加えて合 理化しようとする動きはすでに教父時代からあったとされ,特に St.Paul  が Hebrews xiにキリスト教的英雄として他の聖人たちと共に Saε の名も連ねて以来ζ1傾頃向は強まつている.Miltonにおける Samsonの 聖人化も(それは決して Milton個人のものではなく,結論においても触 れるように,彼と同時代の英国人の多くの理解もそうであった如くに〉そ の一つの極と言えるようである.

かくの如く位置づけられた Miltonの描く Samsonをヲ信仰への希望 と絶望が交互に訪れる. この詩劇の冒頭から1.114に至る Samsonの独 白の中でも,

o

wherefore  was my birth  hom Heaven  foretoldj  Twic byan Angel" (11.  23‑4)という疑惑と9

But peace, 1 must not quarrel with the will  Of highest dispensation, which herein  Happ'ly had ends above my reach to  know: 

(11.  60‑62)  というそれへの反問が描かれている.

また Samsonを訪れてその miserable change" (1. 340)に驚く Manoaにも, For this  did the Angel twice descend ?円(1.361)とい

う同じ疑問が浮ぶ.そして

Alas methinks whom God hath chosen once  To worthiest deds,if  he through frailty err,  He should not ~o o'rewhelm, and as  a thral1  Subject him to so foul indignities

, 

Be it  but for honours sake of former deeds.  (11.  368‑72) 

(10)

と嘆くのであるが,これに対し Samsonは次の如く言う.

Appoint not heavenly disposition

, 

Father

, 

Nothirtg of all  these evi1s hath befal1'n  me  But justly;  (11. 373‑5) 

この父子には,迷いながらも, Samsonの今の状態が神の摂理により生じ たものであることは理解されている.しかし人間の目から見れば最も絶望 的としか思えないこの状態から, 神がいかなる方法で S lsonを救い出 し, that1 (Smson)/ShouldIsrael from Philisitian yoke deliver (11. 38‑9)という約束を実現しようとするかは推測すら出来ない Manoaは 息子の過去の軽卒さを責め, Samsonはいたずらに自らの不行跡を悔いて,

自責の念に身を焦がすのみである.そして彼らの苦悩は,それが単 iこ神に 対し不誠実であったという,人間一神の一面的な関係からのみ生ずるもの でなく, Haraphaの項でも述べるように,それが Israel'sGodとDagon

との対抗にかかわるものであるとL寸認識の上に立つ時,一層深いものに なる.

次の二つの引用のうち,前者は Mano旦の S:lmsonを責める言葉とし て述べられたものであり,後者はそれに対するSamsonの苦悩と希望とを 述べたものであるが,いずれもこの聞の事情を説明するものである.

A worse thing yet remains,  This day the Philistines a popular Fast Hrecelebrate in Gaza; and proclaim  Great PompandS:lcrifice, and Praises loud  To Dagon, as their God who hath deliver'd  Thee Samson bound and blind iuto thir hands,  Them out of thine, who slew'st them many a slain.  So Dagon sha11 be magnifi' d, and God, 

(11)

Milton Samson解釈とその手法 Besides whom is  no God

, 

compar'd with Idols

, 

Disglorifi'd

, 

blasphem'd

, 

and had in  scorn  By th'Idolatrouroutamidst thir wine; 

Which to have come to  pass by rrieans  of thee,  Samson

, 

of al1  thy sufferings think the heaviest

, 

Of all  reproach the most with shamthatever  Could have befal1'n  the andthy 'Fathers house. 

(11.  433‑47)  Father, 1 do acknowledge and confess  Tht1 this  honour

, 

1 this  pomp have brought  To Dagon

, 

and advanc'd his praises high 

Among the Heathen round; to God have brought  Dishonour

, 

obloquie

, 

and op't  the mouths 

Of 1dolists

, 

and Atheists; have brought scandal  To Israel, diffidence of  God

, 

and doubt 

1n feeble hearts, propense anough before  To waver, or fall  oftndjoyn with Idols;  Which is  my chief affiiction

, 

shame and sortow

, 

The anguish of my Soul, that suersnot  Mine eie to harbour sleep, or thoughts to  rest.  This only hope reJieves me

, 

that the strife  With me hath end; all  the contest is  now  'Twixt God and Dagon; Dagon hath presum'd,  Me overthrown

, 

to enter 1ists  with God

, 

His Deity comparing and preferring 

Before the God of Abraham.  He

, 

be sure

, 

Wi1l not connive

, 

or lirtger

, 

thus provok'd

, 

29 

(12)

But wi1l arise and his great name assert:  Dagon must stoop, and shall e're long receive  Such a discomfit

, 

as shall quite despoi1 him  Of al1 these boasted Trophies won on me

, 

And with confusion b1ank his W orshippers.  (11.  448‑71) 

このように見てくると,聖書ではすでに死去しているはずの Manoaを 登場させることによって, Samsonの心情とその行為に宗教的色彩が非常 に鮮明・濃厚に与えられていることが分かる.そしてこれが Miltonがあ えて Manoaをこの劇に繰り込んだ必然的な理由なのであろう.

2.  Dalila 

Dalilaは聖書では Judges xvi, 4において, he(Smson)loved a  woman in the valley of  Sorel,王whose name was Delilah円となってL

るだけで, 彼女が Samsonの正式の妻になったか否かについての明確な 言及はない.

この問題は Samsonの破誠の原因として Dalilaが重視されるようにな ったルネサγス期を通じて最もしばしば論議されており, 多くは Sam・

on'sconcubine円説を取り,ごく少数が Samson's wife"説をとって

12) 

いる.たとえば宮廷劇 ElValiente Nazareno"の中でラこの後者の立 場をとったスペイン人 JuanPerez de  Montalvanの例は, Kirkconnell 

も言っているようにごくまれなものでしかない.

ところで問題の SamsonAgonistesの中で Miltonはこの後者の立場を とっており,冒頭の ThePersons"の中において Dalilahi・s H号ヌ円 (p.  405) と明記している.また,文中の Samsonと Dalilaのやりとり も,この事実が前提となっている.

たとえば astately Ship / Of Tarsus" (11.  714‑5)の如く飾り立て

(13)

MiltonのSamson解釈とその手法 31  て近づいてくる Dalilaに対して, Samsonは MyWife, my Traytress,  let  her not come near me." (1. 725)と叫び,これに対して Dalilaは

conjugal a笠ection円(1.739)が彼女をあえてζの場所に導いたのだ,

と強調する.

ところで DalilaをSamsonの正式の wifeと考えるか,単なる con‑ cubineとするかによって, この詩劇が読者に与える心理的効果は随分変

ってくる.その第ーは Samsonのイメージを変えることにある.

言うまでもなく聖書の中の Samsonはラその母が the angel  of the  Lord円により,

the child shall b aNazarite unto God from the  womb: and he  shall begin to  deliver Isra1out of the hndof the Philistines. 

(J udges xiii, 5) 

と告げられた,いわゆる選ばれた人物であって9 彼自身もこの自覚を十分 に持っているように思える.たとえば awoman in  Timnth円 と の 結 婚を熱望した時の彼にはp he sought an  occasion  against  the  Phili‑ stines円(xiv,4)という言葉が添えられている.にもかかわらず,彼は決 して品行方正ではない.特に女性に対する Samsonの姿は, むしろ無節 度なものとして描かれていると言っても過言ではない.

これは,前節でも触れたように, もともと Samson怯俗伝中の英雄で あったものが古代ユダヤの信仰と結び、つけられ,矛盾を含んだまま旧約聖

14> 

喜に組み込まれたものであるためである.事実9 教会の権威を通した中世 の比H面的解釈によらず,聖書そのものを神の意志を探る鍵,道徳的手引き とみなした宗教改革期の神学者たちの中には,たとえばLutherのように少

15) 

Samsonを anegative exemplum日とみなした者もあったほどである.

聖書中 Samsonの相手として現われる女性は三人いるが,その最初の 一人が前述の awoman in  Timnath円であって,これは彼の正妻では

(14)

あるが,その婚姻生活はわずか七日間しか続かない.彼女は, Samsonが 婚姻の宴に列席した30人の客たちに出した Outof the eater came forth  meat

, 

and out of the strong came forth sweetness" (Judges xiv

, 

14)  という謎の答えを彼に迫って白状させ, それを the children  of  her  people"に告げたのである.

第二の女性は, Thenwent Smsonto Gaza, and saw there a harlot,  and went in  unto her,"  (Judges  xvi, 1)とあるように,はっきり a harlot円と記されている. このため彼は Gaz乱の住民たちにその宿を包囲

されるが,彼は町の門を引っこ抜き,それを the top  of a hi1l that is  before Hebron円(xvi,3)にかつぎ、上げた,となっている. これはいわゆ

る英雄豪傑としての Samsonを表わす一種のエピソードである.

そして第三が Da1ilaなのである.三人の女性のうち名前の明記されて いるのはこの Dli1aだけであり, thelords of  the  Philistines"  (xvi,  5)の買収にのった彼女が,金目当てで Samsonの大力の源を彼から聞き 出すまでに至る二人の聞の掛け引きも,珍らしく事細かに記されている.

そして Dalilaに屈した Samsonは,ついに捕われの身となる.

以上のような Samsonの女性遍歴と,女性に関する不決断な態度とは,

英雄伝承としての Samsonの人間味を表わすものとしては面白いが,これ は神の使徒としての Samsonを印象づけるには余りにも弱い. 聖書でも これらのことが,神の摂理の中での出来事として描かれてはいるが,その ことを前提として考えても,やはり英雄俗伝としての強い匂いを消すこと は出来ない.

Miltonが ParadiseLostの中で,

So rose the Danite strong  Herculean Samson  from the Harlot‑lap  Of Philistean Dalilah, 

(BK. IX

, 

11.  1059‑61) 

(15)

MiltonのSamson解釈とその手法 33  とうたった時,彼は明らかに Da1ilaを harlotと考えているわけだが,

その同じ Miltonが SamsonAgonistesを書くに当たって Da1ilaをあえ て wifeにかえた一つの理由はこのあたりにあるのだろう.同じ欺かれる のであっても harlotの場合と wifeの場合とでは Samsonの人格評価 がはっきりと変ってくる.後者の場合であれば,まだいわゆる身持ちのよ い Samsonであって9 夫婦間にある信頼関係を前提とすれば Samsonの 行為にも情状酌量の余地が生まれるとも言えよう.

また, Dalilaが harlotであれば, Samsonを売り渡した瞬間にこ人の 関係は切れてしまうはずであり, Dalilaをあえて再登場させるだけの必然 性も少な〈なると考えられる。

実際 Miltonに限らず, Samsonをキリスト教的聖人として取り扱おう とした神学者,文人たちは,古来 Dalilaをはじめとする Samsonにまつ わる女性たちの処置に苦慮しているようだ¥ この点についての聖書の記述 を神学的に合理化しない限り,聖人としての S3.mson像が確立出来ない カコらである.

Samsonが Gazaの町で harlotの家に入ったという聖書の記述にっし、

て, John  Marbecke が聖書の記述をあえて歪曲して (Sah1son) got  him to  the Citie of Gaza, and lodged in a woma.ns  house  that solde 

1$ 

vittayles"としたのもそのためであるし, またヲ Cajεtanが Dalilaを Pelistina"とぜずに, 被女は Philistinesに よ っ て 約 束 を 破 ら れ た Hebraea"であって,彼女自身 Samsonをあのような苦境に陥れる契

1

約は彼らと一切していなかったのだ3 と説くのも, Dalilaの行為を合理化 することによって Samaonの行為をも合理化しようとする試みの一つで あると言える.

Dalilaの立場を擁護しようとする例は9 上述の Cajetanや, また,

Simsons Treur‑spel (1618)の中で真実 Samsonを愛しつつも thePhili‑ stine  Princesに彼を敷くよう懇願される Dalilaに, Ah that  1 had 

(16)

11¥) 

never been born!"と嘆かせているオラγター人Abrahamde Koningな ど,きわめて少ない反面,大勢は Dalilaを聖人, Samsonを陥れた悪女 として措くことに熱心である.

Samson is  in fetters.  Our fears are  at an end.  The grief of our torments  Has been laid low. 

と, Samsonの面前であからさまにうたう VincenzoGiattiniの IlSan 19) 

5

ω1e;  Dialogo per Musica (1638)の中の Dali1aは言うに及ばず,我が Miltonも不誠実な Dalila説の一翼を担っている.

Dalilaを徹底的な悪女として描くことはp 彼女を善人として扱おうとす る Cajetanらの立場の裏返しであって,要はいずれも Samsonの彼女に かかわる堕落的な行為をキリスト教的に合理化しようとしていることには 変りはない.

前章で述べた,S, zsonAgonistes中の Mno.旦を Samsonに対する the丑esh" ま た は necessity"による誘惑者とみなした Michael Krouseは, Dalilaを theworld円または fraud"による誘惑者とし,

これを楽園において Satanが Manにへつらい禁断の実を食べることに よって生ずる虚偽の結果を述べたこと,そしてまた,荒野において Satan が Christに対しいわゆる thetempt旦tionof the kingdoms"を行なっ

2

たことと対比させている.

劇の今後の進展の中でSamsonに課せられる使命からすれば, Dalilaが ここで果たしている役割が誘惑者としてのものであることは間違いないが,

今の段階で Samsonが自分に課せられたこの使命を自覚しているとは思 えない.彼が Dalilaを退けた理由はキリスト教的使命感によるものであ るというよりはbしろ, Da1ilaが憤然として立ち去った後に Samsonが

(17)

MiltonのSamson解釈とその手法 35  もらす言葉, Lovelarrelsoft in  pleasing concord end,/Not wedlock‑

trechery endangering life."  (11. 1008‑1009)にも現われているようにヲ ずっと次元の低い,人間的な不信,怒りの感情より出たものであるように 思える.

ここで注意する必要のあるのは, むしろ Samson Agonistesにおける Samsonと Da1ilaの間の,宗教問答とも言えるやりとりであろう.たと えばさきほども述べたように,聖書中の Dalilaはthelords of the Phili‑ stinesにより every one  of  us  eleven  hundred Pieces  of  silver 

(Judges xvi, 5)の金銭で買収されたのであるが, Miltonの描く Dalila  は9 この点について次のように弁明している.

It  was not gold, as  to  my charge thou lay'st,  That wrought with me: thou know'st the Magistrates  And Princes of my countrey came in person

, 

Sollicited, commanded, threatn'd, urg'd,  Adjur'd by all  the bonds of civil  Duty  And of Religion, press'd how just it  was,  How honourable

, 

how glorious to  entrap 

A common enemy, who had destroyd Such numbers of our Nation: and the Priest  羽Tasnot behind

, 

but ever at my ear

, 

Preaching how mritoriouswith the gods  It wouJd be to  ensnare an irreligious  Dishonourer of Dagon: what had 1 

To oppose against such powerful arguments? 

(11. 849‑62) 

一口に言えば, thebonds of  civil  Duty / And of  Religion"をその理

(18)

由にしているのだが,もっともここに至るまでにはDalilaは Curiosity, inquisitive, importunejOf secrets"  (11.  775‑‑6)  とか The jealousie  of Love" (1.  791)とかを裏切りの理由として挙げているので,彼女のこ の主張もかなり弱いものになっているζとも否めない.

Sarnsonもこれに対し, 1thought where11thy circling wi1es  would  end ;/In feign' d Religion, smooth hypocrisie. (11. 871ーのと述べ,更 に Dalilaの前述の主張に反駁して次のように言う.

Being once a wife, for me thou wast to leave  Parents and countrey; nor was 1 their subjct, Nor undrtheir protection but my own,  Thou min not theirs: if  aught against my Hfe  The countrey sought of thee, it  sought unjustly,  Against the law of nature

, 

law of nations

, 

No more thy countrey, but an impious crew  Of men conspiring to uphold thir state 

By worse then hostile deds,violtingthe ends  For which our countrey is  a name so dear;  Not therefore to be obey'd.  But zeal mov'd thee;  To please thy gods thou didst it; gods unable  To acquit themselves and proscutetheir foes  But by ungodly deeds, the contradiction  Of their own deity

, 

Gods cannot be: 

(11.  885‑99) 

このように Sarnsonによって言い負かされた Dali1aIぉ Let me  approach at least, and touch thy hand." (1. 951) という願いすらも

t 8 :

絶されて,ついに断念して立ち去ってゆくわけであるが,その時に述べる

(19)

MiltonのSamson解釈とその手法 次のような言葉が印象的である.

M y  narne prhapsarnong the Circurncis'd  In Dan, in Judah, and the bordering Tribes,  To a11  posterity may stand defam'd, 

With malediction mention'd, and the blot  Of falshood most unconjugal traduc't.  But in my countrywhere 1 most desire,  In Ecron, Gaza, Asdod, and in Gath  1 shal1 be nam' d among the famousest  Of Womensungat  solemn festivals  Living and dead recorded, who to save  Her countrey from a五巴rcedestroyer, chose  Above the faith of wedlockゐands,my tomb  vVith odours visited and annual flowers. 

(11.  975‑86) 

37 

すなわち Dalilaは自らの固と宗教を救った聖女となることに心のより どζろを求めるわけである. この言葉は,それまでの Samsonとのやり とりとは違って,最後に Dalilaの独自にも近い形で述べられているので,

掛け引きを抜きにした彼女の心情を吐露したという形になっている.言い かえると Miltonは Dalilaの行為にかなりの宗教的意味を持たせた,

ということになるが, ζのことは裏を返すと Samson対 Dalilaの挿話 をも, 作者が単なる paramourの金に目のくらんだ裏切りとしないでp

Samsonの宗教と Dalilaの宗教の対立という形を表面に打ち出した, と いうことが言えるだろう.

3.  Harapha 

(20)

Samsonを訪れる ManoaとDalilaについで重要な人物に Haraph丘と いう男がいる.E. S. L. ComteによればHaraphaとは単に thegiant" 

を意味する名前となっている. この Haraphaという名に近いものとして the Ang1ican Version中の 2Sm. xxi, 16の傍注やカトリック聖書に は Rapha,the Vulgateの Regum2,玄xi,16には Araphaと記されて いるが,プロテスタγト聖書,たとえば theKing J ames Versionでは この箇所は thegiant"となっている. H旦raphaという名前の起源がこ の点にあることは確かであるが Haraphaという人物の設定そのものは Miltonの独創であってヲこれはJudges中の Smsonの物語には全く現

われていない.

にもかかわらず,いかなる必然性をもって Miltonはあえてこの人物を 主要人物の一人として Samsonの物語に導入したのであろうか.この点は 古来議論の的となってきたところであり, たとえば ProfessorBoughner  は Haraphaが theltalian  comdiesに起源を持つ人物設定で, Samson  に対する foil",すなわち

5 1

き立て役"であるとし,この見方が従来

2i) 

大勢を占めていた.

しかし F.M. Krouseの言うように,劇構成の中での Haraphaの位 置はもっと機能的なものであることは確かである Krouseはこの点を,

例の tripleequation"によって, Samsonに対する Haraph旦を vio‑ lence"または fear"による誘惑者とし,楽園において SatanがMan に対して禁断の実を食することによって神の如くなり,死の恐怖から逃れ 得ると説いて誘惑したこと,荒野において Stanが Christに対し,い わゆる thetemptation of the tower"を行なったことに対比させてい

る.

しかし Christが Satanの誘惑を退けたのに対して, Samsonはむしろ Hraphaの挑戦を積極的に受けて立とうとしたのであり Haraphaを Satanと同質の誘惑者として見る場合には, Christと S丘町lsonの受けと

(21)

MiltonのSamson解釈とその手法 39  め方には本質的な,遣いのあることには留意しなければならない.

さてさきほど Haraphaという人物そのものはJudges中 の おmson物 語には現われていないと述べたが9 このことは Haraphaが聖書的に根拠 を持たね人物だという意味にはならない.彼の位置は Miltonによって一 応聖書的な裏付けはなされているのである.すなわち HaraphaはSamson

に向かつて自己紹介する擦に次のように述べる.

Men call  me Harapha

, 

of stock renown' 

As Og or Anak and the Emims old  That Kiriath.aim hel

ム.

(11.  1079‑81) 

Ogというのは Numbersxxiや Deuteronomy iiiにあるように the king of Bashanであり, Mosesによって誠ぼされたが,彼の abedstead  of iron円は nine cubits was the length thereof

, 

and four cubits the  breadth of  it (Dut.iii, 11)と記されている.1 cubitは 約 45cmで あるからラ Ogはたいへんな巨人であったことになる.そして彼が全国民 を引きつれて Mosesの寧を迎撃した時,神が特に Mosesをラ Ferhim  not: for I wi1l deliver him, and al1  his people, and his land, into thy  hand; (Dεut. iii, 2)という言葉で励ましたと言われていることからも 分かるように, Ogの潰滅はイスラエル史上の摂理的事件のーっと目され

ているものである.

また, Anakとはユダの高地の初期住民であり,伝説では a race  of  giants"であったと言われている.彼らは Calebにより放逐され, (Jud.  i, 20)Joshuaも彼らを撃ち,イスラエルの地がら追放したのだが, Gaza  など二,三の地にはまだ少数の者が残されていた(Josh.xi, 21‑2).そし てこの聖書の記述は SamsonAgonistes中の Haraphaの存在と全く一致 する.

(22)

最後に theEmims oldであるが,これは有史以前にヨルダン河東に住 んでいた人種と言われ,聖書によれば, taU, as  the A~akim" (Deut.  ii, 10),すなわちやはり前述の Anal玉と同じように巨人族だったと述べら れている.Genesis xivには,彼らはやがて Abramに撃ち破られる運命 にあったChedorlaomerとその連合の王たちによって,Shaveh Kiriathaim  で撃たれたと記されている.

以上の事実に基づいて考えられることは, Samsonに対する Hrapha の存在が単に Samsonの威嚇におじけづいて逃げ出す滑稽な ba'd coward" (1. 1237)としてのみ意味があるのではなく,むしろ重要なのは Haraphaによって代表される宗教的な立場なのだ, ということである.

すなわち Samsonと Harapha との対決は, Samsonが依る lsrael's God" (1. 1150)とHaraphaが依る Dagon (1.1151)との宗教的な 対決なのであって,しかもそれは Haraphaが Samsonを訪れた時点で の対決であるのみならず,前述の Haraphaの誇らかな言辞からも分かる ように,彼らの父祖の時代の闘争をも示唆するという,二重の意味を持っ たものである乙とが分かる.

従ってこの二人の巨人の間で交わされる口論のうち,最も緊張度の高い のは,二人の肉体的な力を誇示する部分ではなく,自らの神を擁護し,相 手の神を非難する部分なのである.次にその幾つかの例を引用する.

先ず Haraphaが Samsonの力の源は spells/ And black  enchant‑ ments" (11.  1132‑3)以外にない?とののしったのに対し, Samsonの答 えは次の如くである.

1 know no Spells, use no forbidden Arts;  My trust is  in  the living God who gave me  At my Nativity this  strength

, 

dius'd

No less through all  my sinews, joints and bonS

(23)

MiltonのSamson解釈とその手法

Then thine

, 

while 1 preserv'd these locks unshorn

, 

The pledge of my unviolated vow. 

For proof hreof

if  Dagon be thy god

, 

Go to his Temple

, 

invocate his aid 

With solemnest devotion, spread before him  How highly it concerns his glory now 

To frustrate and dissolve these Magic spells

, 

可Vhich1 to be the power of Israel's  God  Avow

, 

and chal1enge Dagon to the test

, 

Offering to combat thee his Champion bold,  With th'utmost of his  Godhead seconded: 

Thnthou shalt see, or rather to  thy sorrow  Soon feel, whose God is  strongest, thine or mine 

(11. 1139‑55) 

ζれに対し Haraphaは反論する.

Presume not on thy God

, 

what e're  he be

, 

Thehe regards not

, 

owns not

, 

hath cut off  Quite from his people

, 

and delivered up  Into thy Enemies hand

,  . 

(11.  1156‑9) 

41 

現在自分が敵の手中におちている事実に触れられるのが, Samsonにとっ ての一番の痛手である.しかし彼は崩れようとする心に鞭打って,更に信 仰の確信を次のようにうたい上げる.

yet despair not of his五nalpardon  Whose ear is  ever opn;and his eye 

(24)

Gracious to re‑admit the suppliant;  In confidence whereof 1 once again  De五ethee to the trial  of mortal五ght, By combat to decide whose god is  go ,d Thine or whom 1 with Israel's Sons adore. 

(11. 1171‑7) 

このような宗教上の対決が,その直前まで自棄的でさえあった Samson を振るい立たせ, Mnoa,Dalilaとの対話を通じて Samsonの暗い心iこ 呂覚めつつあった自ら信ずる神のために戦う力を一挙に高め,クヲイマヅ グスの劇場破壊への潜在的エネノレギーとして蓄積されてゆく過程は重要で ある. このことこそが MiltonがHaraphaをこの悲劇lに導入した orga‑ nlc円なねらいだったと思われる.

三五日口

さて, Manoa, Dalila, Haraphaという三人の主要な登場人物の9 原型 からの状況の変更という点を通して, MiltonのSamson解釈を見たわけ であるが,ここで一応の結論をまとめたい.

それぞれの項で必然的に或る程度の結論めいたものを述べてきたので,

勢い重複する点が多いのであるが, 一口に言えば Miltonは Samson Agistesを書くに当たって,その主人公に明確な使徒的な性格を与え,

物語に高い精神的,宗教的な意、味を与えようとした,ということである.

聖書に現われる Samsonは, Manoaや Dalilaの項でも触れたように,

決して全面的に宗教的な人物ではない.むしろ余りにも人間的な過誤を犯 しやすい,激情的で粗野な男であると言っても過言ではない.

この点に関する Rudrumの記述も次のようであり,これが神学的に見 た おmsonに関する一般的な見解でもある.

(25)

MiltonのSamson解釈とその手法 43:  Samson's sexual adventurism and barbaric violence fit  awkwardly  into any regular pattern of a Christian hero.2~  

このように聖書中にあっても特呉な人物であるSamsonをキリスト教的 に聖人化する動向は, 決して Miltonに 始 ま っ た も の で は な し そ れ は Manoaの項で触れた St. PauJの例にもあるようにすでに教父の時代に 始まり,また,その後4世紀には聖Ambroseにより Samson像は Crist 像と結合され 7世紀末までには Samsonの物語のほとんどすべての出 来事が比磁的に Christのそれと関連づ、けて説明されるに至ヮたのであ之 そして, 1¥1anoaの項でもわずかに触れた問題だが, Miltonの時代の英 国においてはどうであったか Krouseはその点を次のように要約してい る.

For during  Milton's  own lifetime  Samson was remmberedby  manyastragiclover; as a man 0f  prodigious strength;  as  the  ruler  and  liberator  of  Israel;  as  a great  historical  personge whose downfall was caused  by the  treachery  of  a woman, and  therefore as an example of the perils of  passion; as a sinner who  repented and was rstoredto grace ; as  the original of Hercules; 

as  a consecrated  Nazarit asa saint  resplendent  in  unfailing  faith; as an agent  of  God sustained  by the Holy Spirit; and as 

21) 

a figure  of Christ. 

しかし,これは序論で述べた原型の創造的変更という点とも関連がある のだが,思想的にいかに伝統に負うかという問題と,その思想、がいかに文 学作品に表出されるかという問題とは一応別である.時代の解釈がいかよ

うなものであれ, Miltonが詩人として聖書中の Samsonの素材に取り組 む場合,自らの解釈を表現するために,新しく生み出す作品の構成には3

(26)

彼独自の才能を傾けなければならない.それは Rudrumが次に述べる如 くである.

To recognize that Samson was not produced in vacuum is  not  to  deny  its  originality;  it  is  still  profoundly  original  both  in 

2

idea and in execution. 

このことは,たとえば, Miltonの作品と最も近いと言われる彼と同時 代のオランダ人 Joost van  den  Vondelによって書かれた Samsonラザ

29) 

Heilige  Wraeck, Treurspel (1660)と, Miltonの 品 川onAgonis加 を 比べて見れば分かる.

Kirkconnellも分析しているように,時・場所・行動の三単一の遵守9

Samsonの最後の一日にフロヅトをしぼった点,舞台面の同じである点な ど類似点はきわめて多いのであるが, しかし他方においては Manoa も DalilaもHaraphaも全く舞台には現われない?

この Manoa,Dalila, Haraphaと Sai:Ilsonの間にかもし出される宗教 的緊張と精神的高揚こそが Miltonが最もこの作品に添えたかった意味で あり, そのためにこそ聖書や従来の Smson劇の内容や設定の常識を破

って,この三人の人物を登場させたのだと言える.

そして最後に,伝統的な Samson解釈は別として Miltonがこのよ うな劇形式のもとに Samsonの主題を取り上げた理由について考えて見 たい.

Mi1tonがParadiseLost, Paradise RegainedとL、う二つの epicにつ いで9 ほぼ彼の最後の作品とみなされる Samson Agonistesを Greek Tragedyの形式でまとめた意図は,冒頭の Ofthtsort  of  Dmatic Poem which is  call'd  Tragedy"  (pp.  404‑405)の中にだいたい語り尽

くされている.すなわち Miltonは

(27)

MiltonのSamson解釈とその手法 45  Tragedy, as  it  was antiently compos'd, hath  been  ever held  the gravest

, 

Inoralest

, 

and most profitable of all  other PO lS: と述べたあとで, Cicero Plutarch,Paulなどが TragicPOtsからヲ

l

用したとか, Dionysiusや AugustusCaesarまでが Tragedyを書こう としたことを述べて,その価値を強調し,更に

This is  mention'd to  vindicate  Tragedy from the  small  esteem

, 

or rath infamy,which in the account of many it  undergoes at  this day with other common lnterlud田;

と述べて Tragedyの弁護に努めている.Miltonが S乱 立lsonの物語を書 くに当たっては内容から言ってもこの形式以外にはなかったであろうし,

それも今様のものではなしまさに披の言う the antient  manner円で ある GreekTragedyでなくてはならなかった,ということは容易にうな ずける.

このことは Miltonが ParadiseLostを書くに当たってp その Book1  の冒頭近くに

1 thenc

Invoke thy aid to my adventrous Song,  That with no middle flight  intends to soar  Above th' Aonian Mount, while it  pursues  Things unattempted yet in Prose or Phime. 

(11.  12‑6) 

と述べて,暗に古典期の詩人たちをも凌駕せんとする気概を示したのと比 較してみれば面白い.Milton は epicを書く時も tragedyを書く時も,

いず、れもギリシア・ローマの詩人たちを意識し9 それを創作の規範におい ていたと言える.

(28)

ただ ParadiseLostに比較して Sams< Agonistesには,さきほどヲ

l

用したような気慨というか気負いといったものは表面に出されていない.

後者には世事から身をヲ

l

いて老いつつある Miltonの精神的な変化一一そ れも諦観ではなく,苦悩の中にあっても神の摂理の終局的な勝利を信じよ

うとする一種の達観の世界一一ーが描かれているように思える.

このことは無論, Miltonが Samsonを主題として選んだ理由ともつな がるものがあるだろう.Samsonに関するテーマがすで、に Miltonの the Cambridge Manuscriptにも記入されていたことを考えるとp 彼のこの主 題に対する興味が決して新しいものではなかったことは理解できるが,や はり30以上にものぼる他の劇素材の中から Samsonの悲劇を選び出した のには, 上述のような Miltonの心境と Samsonの plotとに相通ずる ものがあっての上のことだろう.

Miltonが SamsonAgonistesを書いた頃ヲすでに Cromwel1は没しヲ Charles IIは London入りを終え,いわゆる theRestora tionの時代に 入っていた.言うまでもなく Miltonは失意のどん底にいたわけである.

このような逆境にあっても Miltonは決して信念に基づく戦いを止めてし まったわけではなかった.彼は死の数年前にも OfTrue Religio況 を 書 いて, Declaration of lndulgenceに抗議している .Sa:mson 11gonistesの 中の次のような主人公の言葉の中に,英国の世相に対する Miltonの憤潜 やる方ない気持を読み取っても行き過ぎではないだろう.

But what more oft in Nations grown corrupt

, 

And by thir vices brought to servitude,  Then to love Bondage more then Liberty

, 

Bondage with ease then strenuous liberty;  And to despise

, 

or envy

, 

or suspect 

Whom God hath of his special favour rais'd  As thir  Deliverer; if he aught begin

, 

(29)

MiltonのSamson解釈とその手法 47  How frequent to  dserthim, and a t last 

To heap ingratitude on worthiest deeds? 

(11.  268‑76) 

また Manoaの項でも述べたような盲目という事実に対する共感も Miltonが Samsonのテーマを選んだ一つの要素と考えられる.それは単 なる感傷的な意味での共鳴というより,盲目でありながら,いやむしろ盲 目であるがゆえに9 一層純粋に神の使徒たらんとする能動的な姿勢を基礎 にした共感である. withblindness internal strucl王円(1.1686)の状態 から突然に,

d4' a n 

m d   h 9

l

. 1 O  

Qο

ρ lU   7 e  

uMd

r v   a w e  

n‑n 

1 e

nPR

4 L l  

‑ s

w

From under ashes into suddεn fiam

(11.  1689‑91) 

という状態に飛躍する高度な精神力こそMiltonが理想とし,自らに求め,

またう Samsonの像の中に求めたものであろう.

Samsonは Miltonの劇中で adeath so noble円(1.1724)といわれ る価値のある死を遂げた.だが Milton自身は身は痛風にさいなまれ9 彼 を取り巻く英国の民は彼の呂から見れば政治的にも宗教的にも退廃の極に 達していた.彼は OfTrue Religionの中で CharlesIIをl中心 lこ動きつ つある英国のカトリヅグ化の傾向に警鐘を鳴らした.が,自らが英国の Samsonたり得るとは信じていなかったであろう.Cromwellが政治的実 権を握る10年余り前,Areopagiticaの中に Miltonが描いた次のような 輝かしい英国民の像 (p.750)も,すでに色認せていたかも知れない。

Methinks 1 see in my mind a noble and puissant  nation  rousing  herself like a strong man after sleep, and shaking her invincible 

(30)

locks: methink I see her as an eagle mewing her mighty youth,  and kindling her undazzled eyes at the full midday beam; purging  and  unscaling  her  long‑abused  sight  at  the  fountain  itself  of  heavenly radiance; 

しかし,このように定まりなく移ってゆく人間の心や世相に対する失望

・不信を越えて,丁度盲いて G田旦にあった Samsonの心に木洩れ日の ように射し込んだ一つの信念一一ーすべてが神の摂理のうちにあるという optimismが Miltonを最後まで支えていた.

Al1 is  best

, 

though we oft doubt

, 

What th'unsearchable dispose  Of highest  wisdom brings about

, 

And ever best found in the cle.

(11.  1745‑8) 

Samson Agonistesの最後を飾る Chorusの言葉のこの一節こそが,ま さにこの時期にあった Miltonの心境であり,また,これこそが苦境のさ なかにあったMiltonに,この詩蔚lを書かしめた要因なのであろう.

1

)  John Milton,Samson Agonistes

TheStudent's Milton, ed. F.A. Patterson,  (New York: Appleton‑Century.Croft, INC, 1930), p.  405. 

以下 Miltonの作品よりの引用はすべてこの版によるものであり,作品に付さ れたページ数はこの版のページを示す.

2)  Rudrum, A., A Critical Commentary 0ηA1ilton's 'Samson Agonistes' (Lon don: Macmi1lan, 1969)  p.  10. 

3)  American Bible Society, The Holy Bible (The King  James Version;  New  York: Bible House, 1952)  p.257. 

以下聖書よりの引用はすべてこの版による.

(31)

MiltonのSamson解釈とその手法 49 

Chorusの登場は Miltonがギリシア悲劇に範をとって Samsonllgonistesを 書いたから当然のこととも言えるが, Milton以前の Samson劇でも Joostvan  den Vondelのオランダ語劇,Samson, of HeiligeVraeck,Treurspel (1660)

ど, その例は多い (WatsonKirkconnell, This lnvincibleふlmson,(Toronto:  University of  Toronto Press, 1964)  p.  91.) 

5)  Krouse, F.  M.,λ1iZton's  Samso1Z and the Christian  Traditio ,Z1(Princeton:  Princeton University Press, 1949)  p. 125. 

lbid.p. 131. 

7う Kirkconnell,op.  cit., p. 13.  8)  lbid., pp.  545. 

g)  Krouse, op.  cit., p.  104.  10)  lbidp. 22. 

11)  lbid., p. 39.  12)  lbid., p. 76. 

13)  Kirkconne ,1l01cit.,p. 165.  1 Krous,巴01う.cit., p. 24.  15)  lbid., p. 70. 

16)  lbid., p. 74.  li)  lbid., pp. 767. 

18)  Kirkconnell, op.  cit. p. 171.  19)  Ibid., p. 66. 

20)  Krouse, 0ρ cit., p. 125. 

21)  Comte, E. S. L.,  A ]V1ilton Dictionaヮ(London:Peter Owen Limited, 1961)  p. 141. 

22)  Krouse,φ cit., p. 129.  2:l)  lbid., p. 125. 

24)  Comte, op. cit., p. 18.  25)  Rudrum, op. cit., p. 13.  26)  Krouse, op.  cit p.40.

21)  Ibid., pp. 789.  2$)  Rudrum, op.  cit., p. 17.  29)  Kirkconnell, op.  cit., pp.  80142.  30)  lbid., pp.  178180. 

31)  Samson Agvnistesの制作年代についての推測は3 早くは W.R. Parkerらの 言う1650年前後という説からp 遅くは David Massonなどの1670年墳とするも

(32)

のとさまざまだが,最近ではその文体から後者の説,すなわちSamsonAgonistes  は Miltonの最後の作品だとする考え方の方が強い.

くcf.M. H. Nicolson, A Reader's Guide to  John Milton  (London: Thomas  and Hudson, 1964) pp. 348‑9.) 

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