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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

伝統文化に関する学習を盛り込んだ歴史教育におけ る新授業構想の提案

著者 木之下 昇平

発行年 2013‑03‑25

URL http://hdl.handle.net/10105/9437

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2012 年度 修士論文

伝統文化に関する学習を盛り込んだ歴史教育における 新授業構想の提案

奈良教育大学大学院

修士課程 教科教育専攻 社会科教育専修

113202

木之下 昇平

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目 次

1. 序論

1.1 伝統文化とは何か ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 1.2 伝統文化に関する学習の教育的意義 ・・・・・・・・・・・・・・・2 1.3 本研究の目的と方法 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5 2. 歴史教科書における文化の扱われ方の概要

2.1 小学校の歴史教科書における文化の扱われ方と素材選択 ・・・・・・7 2.2 中学校の歴史教科書における文化の扱われ方と素材選択 ・・・・・・9 2.3 歴史教科書における文化の扱い方の問題点 ・・・・・・・・・・・・13 3. 伝統文化に関する学習を歴史教育に盛り込んだ授業構想を行うにあたって

3.1 墨を素材とした理由 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16 3.2 「奈良墨づくり」の概要 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18 3.2.1 固形墨づくりの概要

3.2.2 墨汁づくりの概要

3.3 墨に関する授業の実際 ~「奈良墨」を事例として~ ・・・・・・・25 4. 歴史教育における文化史学習のあり方の新提案 ~伝統文化・墨を素材として~

4.1 年間指導計画における文化史の扱い方に関する新提案 ・・・・・・・28 4.2 授業開発「墨の歴史とこれから」 ・・・・・・・・・・・・・・・・33 5. 結論

5.1 本稿の成果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38 5.2 本研究の課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・39

脚注 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41 調査教科書・副読本一覧 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43 参考文献・参考資料一覧 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・44 資料編

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1.序論

1.1 伝統文化とは何か

我々は、絶えず古い文化を吸収・加工し、新しい文化を生み出して生活している。この ような過程を踏んで生み出されてきた現代の文化の代表例として、携帯電話やパソコンな どの電子機器を挙げることができる。しかし、このように絶えず変化する文化がある一方 で、先人が構築した文化が後世に脈々と伝承され今日に至っている文化も存在する。これ が伝統的な文化(以下、伝統文化とする)である。

藤本(2010)は、伝統文化について、以下の3つに分類して定義している。

1.生活文化(販売・消費・地域における開発・伝統工芸など、地域の生活とかかわりの深い 伝統と文化)

2.食文化(食糧生産や料理など、地域の食生活とかかわりの深い伝統と文化)

3.芸能文化(浄瑠璃や神楽、邦楽など、地域の芸能とかかわりの深い伝統と文化)

つまり、伝統文化はある一定の地域において発展した文化で、その地域内では普遍的かつ 不変的であり、人々のくらしに関連した文化なのである。そしてそれは、実際に存在する 有形の文化から人々の意識に内在しているような無形の文化まで、数多の現れ方がある。

2006(平成 18)年に農林水産省農村振興局が発行した「美の里づくりガイドライン」1) は、伝統文化の現れ方として具体的に次のようなものを挙げている。

1. 日常の生活行為(伝統的な衣食住様式)

2. 言語(方言、ものの名称)

3. 生産技術(農作業方法や工芸技術)

4. 空間の利用形態(集落形態、山河の利用方法)

5. 祭礼神事(年中行事、人生儀礼) など

上記のような現れ方をする伝統文化には、地域の気候やその地域に暮らす人々に伝わる 古くからの考え方などといった、いわゆる地域性というものが影響している。したがって、

それらは他地域では簡単に模倣できないということもまた大きな特徴である。「ガイドライ

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ン」では、上記の伝統文化の現れ方が「ハレ(非日常)」と「ケ(日常)」の要素にも分類 できるとし、前述の「有形・無形」の軸を合わせた両軸の総体として認識するべきである と主張している。

また、その土地や人々のくらしに密着して現れる伝統文化にとって、伝承様式や変容の 仕方もまた重要な構成要素であると言える。一般的に伝統文化とは以下のように構築され、

継承されてきた。

1. 生活の必要の中で構築

2. 各時代各世代の役割として伝承 3. 変容しながらも地域独自の形態を構築 4. 地域特性として潜在化=地域性の創造

しかし、近年ではこうした伝統文化の継承ルートが消失の危機を迎えている。従来存在 した世代間の繋がりが希薄になり、集落や自治会組織も形骸化している。教育現場では、

地元出身の教員の減少で、地元の伝統文化に長けた教員が少なく、特殊技能が必要な伝統 文化は後継者不足に悩まされている。

このように、伝統文化の継承に暗雲が立ち込めている今、この問題を取り上げることに は大きな意義がある。人々が伝統文化を学び伝えるという行為には、人と人を繋ぐだけで はなく、地域を相互に結びつける効果があり、それは社会個性(アイデンティティ)を現 す効果がある。そして、それは当然ながら伝統文化それ自体の普及にも繋がる。伝統文化 の継承を促すひとつの方策として「教育」があろう。次節では、伝統文化に関する学習の 教育的意義について述べたい。

1.2 伝統文化に関する学習の教育的意義

伝統文化に関する教育を行う際、「伝統的な工業」2)として具体的生産物を取り上げるこ とが多い。小学校における社会科教育で「伝統的な工業」が初めて取り上げられたのは、

小学校指導要領の第5次改訂(1989)時である。「伝統的な工業」は当時第5学年に導入さ れ、近代的な設備を使って製造する「近代的な工業」との比較において扱われた。それは、

その後1998(平成10)年の学習指導要領改訂において第34学年に移行され、「地域学習」

の対象として位置づけられた。これは、伝統文化のもつ「地域社会の独自性」の要素が極

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めて強いからであるといえる。2008(平成20)年改訂の学習指導要領(以下現行学習指導 要領)では、地域の伝統や文化を学ぶツールとして「伝統的な工業」という言葉が用いら れており、「近代的な工業」との比較という観点よりもむしろ「地域学習」として地域の伝 統文化そのものを学ぶ方向に学習の重点がシフトされた。

では、現行学習指導要領における「地域学習」の目的とは何であろうか。小学校におけ る現行学習指導要領には第3学年及び第4 学年の社会科目標について以下のように示され ている。

1.地域の産業や消費生活の様子、人々の健康的な生活や良好な生活環境及び安全を守るため の諸活動について理解できるようにし、地域社会の一員としての自覚をもつようにする。

2.地域の地理的環境、人々の生活の変化や地域の発展に尽くした先人の働きについて理解で きるようにし、地域社会に対する誇りと愛情を育てるようにする。

3.地域における社会的事象を観察、調査するとともに、地図や各種の具体的資料を効果的に 活用し、地域社会の社会的事象の特色や相互の連携などについて考える力、調べたこと や考えたことを表現する力を育てるようにする。

安藤(2005)によると、現在の小学校社会科授業カリキュラムは、同心円的拡大の原理 に基づいて構成されている。この理論に基づくと、小学校中学年で学習する「地域学習」

は単に地域に関する学習だけで終わることなく、小学校高学年・中学校における「国土理 解」や国際社会の中の「異文化理解」に関する学習へ繋げていく必要がある。安藤はこの 理論に対し、子どもの視野を身近な地域から世界的なものへと「繋げる」だけではなく、

子どもの身近な地域と国や県、そして世界を「比べる」という視点の重要性を指摘してい る。さらに安藤は、歴史学習を国際化や多文化学習のカウンターパートとして機能すると 認識し、小学校第 6 学年から学ぶものではなく、例えば低学年の生活科などにおいても昔 話などで取り上げる余地があることを指摘している。このような「比べる」という視点を 社会科学習に持ち込むことは、従来の「繋げる」という視点による「網羅的な暗記主義」(安 藤 2005)に陥ることを防ぐ可能性がある。

安藤の理論は、主に小学校高学年社会科における視点を中学年や低学年にも持ち込むこ とで、複合的な視点を持った社会科教育を実践しようというものである。しかし、社会科 教育に「比べる」という視点を持ち込むのであれば、高学年の内容を前倒しして扱うだけ

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ではなく、中学年までに学習した内容を高学年においてより発展的に理解させる必要も生 まれる。つまり、現行学習指導要領における中学年の社会科目標である「地域社会の一員 としての自覚」「地域への誇りや愛情」を育むことは小学校第3・4学年のみで学ぶ一過性 のものではなく、その後の小学校高学年における社会科授業カリキュラムの中でも継続し て指導していくべきである。このことは、上記のような知識を「繋げる」だけの授業にな ることを防ぐことができ、学習者である子どもたちにとって、日本や世界と自分たちの住 んでいる地域を「比べ」、自分たちの地域が日本・世界に果たしている役割をより複合的な 視点で理解することができる。

小学校の現行学習指導要領における第 5学年、第6学年の目標・内容における以下の文 言からは、「伝統的な工業」、総じて伝統文化を小学校高学年社会科カリキュラムで指導で きる可能性を見出すことができる。

[第5学年] 1.目標 (2)我が国の産業の様子、産業と国民生活との関連について理解できる ようにし、我が国の産業の発展や社会の情報化の進展に関心をもつようにする。

2.内容 (3)我が国の工業生産について、次のことを調査したり地図や地球儀、資料などを 活用したりして調べ、それらは国民生活を支える重要な役割を果たしていることを考える ようにする。

ア 様々な工業製品が国民生活を支えていること。

イ 我が国の各種の工業生産や工業地域の分布など。

ウ 工業生産に従事している人々の工夫や努力、工業生産を支える貿易や運輸などの働き。

[第6学年] 1.目標 (1)国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産 について興味・関心と理解を深めるようにするとともに、我が国の歴史や伝統を大切にし、

国を愛する心情を育てるようにする。 (3)社会的事象を具体的に調査するとともに、地図 や地球儀、年表などの各種の基礎的資料を効果的に活用し、社会的事象の意味をより広い 視野から考える力、調べたことや考えたことを表現する力を育てるようにする。

2.内容 (3)世界の中の日本の役割について、次のことを調査したり地図や地球儀、資料な どを活用したりして調べ、外国の人々と共に生きていくためには異なる文化や風習を理解 し合うことが大切であること、世界平和の大切さと我が国が世界において重要な役割を果 たしていることを考えるようにする。

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ア 我が国と経済や文化などの面で繋がりが深い国の人々の生活の様子

イ 我が国の国際交流や国際協力の様子及び平和な国際社会の実現に努力している国際連 合の働き

伝統文化の高学年における教材化に関する先行研究は複数ある。吉田(2010)は、「世界 に誇れるもの」という視点で、日本の伝統的な「秩序」に関して授業プランを発表してい る。安野(2010)は、文化遺産教育の一層の充実を提唱し、「受け継ぎ・次世代につなぐ」

教育の重点的に実行すべきであると述べている。これらは、日本古来の風習や文化遺産の

「よさ」を学び取ることに重点を置いて、論が展開されている。佐島(1992)は、「伝統・

文化」の学習モデルとして、1.体験化(遊びだすことから創り出すことへのアプローチ)・

2.地域化(所属感へのアプローチ)・3.人間化(人間理解へのアプローチ)・4.自分化(解決 行動へのアプローチ)の4点を提唱している。これに関して、金子(2004)は、第3・4 年の教科書や社会科教育副読本における「伝統的な工業」の扱いが、「地域性」と「人間性」

を生かし切れていない点を指摘している。金子は小学校第 5 学年の授業内容に「伝統的な 工業」を組み込むことで、上記事項に関する改善を図り、佐島は上記の「伝統・文化」に 関する学習モデルを歴史学習の中に組み込むことは、「伝統・文化」に関する教育の充実が 図られる他、年代を追って教えるものというイメージが持たれがちな従来の歴史教育にと っても大きな効果があると述べている。

1.3 本研究の目的と方法

前節でも述べた通り、暗記型の社会科教育から脱却し、子ども達に考えさせるような授 業のあり方を目指すならば、「比べる」という視点が非常に重要になる。そして、それはす なわち従来の同心円的拡大カリキュラムを基軸としつつ、小学校ならば低・中学年でも高 学年の視野を持たせるための学習を行い、逆に高学年でも低・中学年で持った視野をより 拡充するようなカリキュラム構成を工夫する必要が出てくるということである。その方策 のひとつが、現行学習指導要領では中学年の地域学習における学習内容となっている伝統 文化に関する内容を高学年の歴史教育で取り扱うものである。

伝統文化を歴史教育の中で取り扱うには、文化史の内容の一環として扱うのが妥当であ ろう。よって、本稿でも歴史教育における文化の扱われ方の現状に対しては、批判的な立 場に立って論を進めていくことになる。

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高山(1990)は、「歴史とは広義の文化そのものである」と述べている。筆者も、歴史を 学ぶ究極の意義は先人から脈々と受け継がれた文化を学ぶことであると考えている。しか し現在の小学校における歴史教育では、政治史を学ばせることに非常なる重きが置かれて おり、文化についてはそれほど重要視されていないのが現実であろう。そこで本稿では、

歴史教育における文化史の扱われ方に関して再検討を行った上で、伝統文化を文化史学習 に組み込んだ新授業構想を提案したい。

はじめに小学校・中学校の歴史教科書を分析し、文化がどのような単元においてどの程 度扱われているのかを検証し、その上で浮上した問題点について述べたい。次に、現在の 小学校社会科教育における伝統文化の扱われ方の実際を述べ、これについても問題点を指 摘する。素材としては、資料収集上の便宜を得やすいことを考慮し、筆者の出身地である 奈良県奈良市における伝統文化・墨を用いたい。そのため、奈良墨の製造工程や現在の使 用状況なども併せて述べることにする。

最後に、これらのことを踏まえて、文化史学習の中に伝統文化に関する学習を取り入れ る余地があるかを検討する。具体的には、奈良市において採択されている東京書籍の小学 校第 6 学年社会科教科書の指導計画作成資料をもとに、可能な範囲で文化史学習の時間を 増加させるとともに、そこに伝統文化に関する学習を盛り込んだ筆者独自の指導計画改善 案を提示する。

次章では、小学校及び中学校の歴史教科書において、文化史に関する事項が何の素材を 用いてどのように扱われているのか、現状を明らかにすることにする。なお、本稿でいう 歴史教科書とは、小学校の場合小学校社会科教科書(6 年上)、中学校の場合は社会科教科 書(歴史的分野)のことをそれぞれ指す。

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2.歴史教科書における文化の扱われ方の概要

2.1 小学校の歴史教科書における文化の扱われ方と素材選択

本節では小学校歴史教科書の日本の歴史に関する大単元の記述における文化の扱われ方 と素材選択について調査し、その結果を述べる。本調査の対象とする教科書は、近畿24 3)2012(平成24)年度に採択されている社会科教科書のうち、採択率上位5冊(東京 書籍、日本文教出版A・B4、光村図書、教育出版)の2009(平成 21)年度検定済教科書 とする。記述の調査結果をまとめたものが資料1(巻末)である。

まずは、古代における各教科書の文化の扱い方について見ていきたい。飛鳥時代以前の 古代は文献資料が残っていないため、各社とも遺跡や古墳の発掘状況から当時の人々のく らしを考察するという方法を取っている。このため、扱う遺跡こそ違うものの、取り上げ られる内容は時代ごとにさほど変わりはない(縄文時代-竪穴住居・縄文土器・石器など、

弥生時代-米作り・弥生土器など、古墳時代-埴輪・鉄製武器など)。ただし、日本文教出版 B版が時代ごとの食事の移り変わりについて扱っていたり、日本文教出版 A 版が衣服の移 り変わりについて扱っていたりし、文化に対する出版社独自のアプローチが伺える。

奈良時代に入ると、現存する古文書5)を参考にしているため、文化へのアプローチも少し ずつ変容してくる。貴族と庶民の食事についてそれぞれ復元し、イメージ写真を掲載して いる教科書が多いことはそのことを如実に示している。もっとも、当時の食事の復元につ いて何の文書をもとにして行われたのかという説明書きはどの教科書にもなされていない。

ただし、後述する清水書院版中学校歴史教科書には「(長屋王)邸宅跡で発見された大量の 木簡からわかった貴族の食事は豪華なもので・・・(以下略)」と述べられており、小学校 歴史教科書における食事の復元もこれらの木簡をもとに行われたものと推測できる。

このように、古文書には書写材料が紙の他に木簡も存在し、3冊(日本文教出版B、光村 図書、教育出版)が木簡について写真を載せて扱っている。日本古代の木簡は「文書木簡」・

「付札(荷札)木簡」・「その他(主に習書木簡など)」に大別される(市2012)。この定義 3 冊に掲載されている木簡を見ると、そのいずれもが付札木簡であり、特に光村図書版 には「木簡を調べると当時の暮らしが見えてきます。」という説明がなされている。しかし、

どの教科書にも付札木簡以外の木簡の種類に関する説明はなされていない。光村図書版に はさらに「紙は貴重なものだったので、このような木の札が、手紙や荷札として使われま した。」という説明がなされている。市はこの見解について、一面では正しいものの、木簡

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が何度も削って使用できるというメリットを指摘し、決して紙が高価であるという理由だ けが当時木簡が人々の間で重宝された理由ではないとも語っている。

平安時代に入ると、国風文化の説明の過程ですべての出版社がひらがな・かたかなの成 り立ちについて図入りで説明している。東京書籍版には伝・紀貫之筆寸松庵色紙も写真で 掲載されており、当時書かれたかな文字に触れることもできる。当時の宮中の生活のよう すは各社とも大和絵を掲載したり、光村図書版は小コーナーを設けて貴族のくらしについ てまとめたりしている。しかし、庶民のくらしについての記載といえば、東京書籍版が僅 かに庶民の食事について触れているくらいである。

これらのことから、教科書における古代の文化に関する扱いは、時代を経るにしたがっ て一般庶民を対象にしたものから徐々に上流貴族のみを対象としたものに変容しているこ とが伺える。また、古文書が現存しているものについては写真、その他については絵とい うように、現在では想像しにくい当時の文化を視覚的に理解させようという教科書会社の 配慮が垣間見られる。

中世における文化は、武家社会の中で生まれた風習を中心に扱われている。鎌倉時代で は光村図書版と教育出版版がやぶさめを写真で紹介している。室町時代に入ると、全社の 教科書が金閣・銀閣の写真を掲載し、室町文化を学ばせる足がかりとしている。室町時代 には、伝統文化として現在まで受け継がれてきた茶の湯・生け花・能などが写真入りで紹 介されている。加えて、伝統の継承に現在携わっている人物の話を載せたり、室町文化に ついて小コーナーを作ってより深く掘り下げたりするなど、今に伝わる室町時代の文化を 子ども達により深く理解させようとする各社の意図が伝わってくる。

近世では、導入で各社とも身分制について取り扱っている。その中で、文化の形成主体 としてはおもに町人が取り上げられている。江戸時代では元禄文化の紹介が中心で、浮世 絵が掲載されていたり、伝統芸能である人形浄瑠璃や歌舞伎などが現在でも行われている ことが写真などで記されたりしている。日本文教出版 B 版では、こうした町人文化と農村 のくらしを当時の食事によって比較しており、後に町人文化が農民や武士のあいだにも広 がっていったことが記載されている。

農村部の様子としては、各社で農具の改良が取り上げられている。しかし、そのいずれ もが文化としては扱われていない。同様に、庶民の学校として寺子屋、武士の学校として 藩校を取り上げている教科書もあるが、いずれも文化としては扱われていない。また、江 戸時代の鎖国政策下の外交として琉球や北海道、朝鮮や対馬のことについて触れている教

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科書もあるが、いずれも細部まで掘り下げていない。

近代以降、表題に「文化」という文言がついているのは、僅かに日本文教出版A版の「科 学や文化の発展」という項目のみである。ここでは、明治維新後に近代化を目指す過程で 生まれた印刷の技術や美術、音楽などが取り上げられている。

しかし、表題にこそなっていないものの、近代以降の文化は主に人々の暮らしの変化と 関連付けながら記されている。明治期では、ガス灯・鉄道・郵便など、文明開化などによ って欧米化した文化を各社が絵や表を用いて記載している。大正期から昭和初期にかけて は、地下鉄・バス・デパート・ラジオ放送などが近代化の象徴として多くの教科書で取り 上げられている。戦時中の人々のくらしについては、各社がそれぞれ独自の切り口で迫っ ている。東京書籍版は疎開先の食事例を表にまとめて示しており、光村図書版は当時のア イロンやランドセルの写真を掲載したり、軍隊式の運動会プログラムを表にまとめて載せ たりしているのがその一例である。戦後は、高度経済成長以降急速に豊かになった人々の 暮らしについて、高速道路や新幹線、さまざまな電化製品や自動車などの普及を素材にま とめている教科書が多い。ただし、これらの扱いについては、高度経済成長における経済 の発展と結びつけて記述している教科書会社も多数あり、一概にすべてが文化として扱わ れているとは言い難い。大正期から戦時中を経て戦後に至るまでの暮らしの変化について は、各社総じて写真による掲載は非常に少なく、主に活字によって説明されているのが大 きな特徴である。また、それぞれが近代化・現代化の過程で生まれた文化であるため、伝 統的なものではない。

これらのことから考察すると、小学校歴史教科書では時代区分によって文化の意味する ところやその素材がずいぶん違うことが分かる。時代の中で特徴的な文化について、小コ ーナーを設けて具体的に掘り下げてはいるものの、それが後の時代にどのように受け継が れたのかが非常に分かりづらく、文化がその時代一過性のものとして読み手に捉えられて しまっても仕方ないような扱われ方をしている。もっとも、初めて歴史に触れる小学校第6 学年の子ども達にとっては、政治史こそが歴史であり、文化史を過度に深追いできないと いう事情も一定の理解はできる。しかし、序論でも述べたとおり、歴史を学ぶ意義を考え る際、文化史を軽視しすぎることはいささか問題である。

2.2 中学校の歴史教科書における文化の扱われ方と素材選択

中学校における歴史教育は、小学校におけるそれに上積みをしていく形で行われている

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と言えよう。従って、当然小学校での既習箇所と重複する部分も出てくる。では、中学校 の歴史教科書における文化の扱われ方で、小学校歴史教科書とは異なる部分はどのような ところなのであろうか。また、重複している部分での扱い方の違いはあるのだろうか。本 節ではそれらについて、主に小学校歴史教科書と比較しながら考察していきたい。本調査 に使用する教科書は、小学校社会科教科書と同じく近畿24県で2012(平成24)年度に 採択されている中学校社会科教科書(歴史的分野)のうち、採択率上位 5 冊(東京書籍、

日本文教出版、帝国書院、清水書院、教育出版)の2010(平成22)年度検定済教科書とす る。記述の調査結果をまとめたものが、資料2(巻末)である。

原始時代は、各社とも人類の誕生と進化から話が始まっている。エジプト・メソポタミ ア・インダス・中国の四大文明については各社の教科書で扱われており、象形文字・くさ び型文字・インダス文字・甲骨文字といった各文明で発明された文字が写真入りで紹介さ れている。このうち、東京書籍・清水書院・教育出版のものに関しては、それぞれの書写 材料や用途などについても触れられており、どのような目的で文字が発明されたのかが非 常に理解しやすくなっている。ただし、各社ともに筆記具のことに関しては触れていない。

縄文・弥生時代における中学校歴史教科書と小学校歴史教科書の文化の扱いに関する大 きな違いは、後者が日本の代表的な遺跡の様子や発掘状況から当時の人々の暮らしを探っ ているのに対して、前者がそれを最小限に抑え、縄文・弥生時代がどのような時代であっ たのかを文章主体で表記している点である。したがって、後者で盛んに行われていた遺跡 写真の掲載は極端に減り、「当時のむらの暮らし」などと銘打たれて、各社ともジオラマや 挿絵を載せて当時の暮らしに迫っている。また、東京書籍版と清水書院版がタイトルに「文 化」という文字を入れてこの単元を文化史学習として扱っているのも小学校歴史教科書と の大きな違いである。帝国書院版は、「死因不明の人骨が見つかる!」という特設ページを 設け、周囲の状況や貝塚からの出土物などから当時の人々の生活の様子にもより深く迫っ ている。ただし、土器・銅剣・銅鐸など、写真などで掲載されている遺物については小学 校歴史教科書と大差は見られない。

古墳時代の扱いについては、小・中学校ともさほど大きな違いはない。大陸文化が伝わ り、須恵器6)や漢字などが日本に伝わったことなど、各社概ね同じような史実を記載してい る。ただし、東京書籍版のみが「古墳文化」という小項目で埴輪・銅鏡・玉・銅剣や当時 の人々が死後の世界についての考え方を持っていたことなどを記載していることは特筆に 値する。

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飛鳥時代では、小学校歴史教科書には一切扱われていなかった飛鳥文化が、「最初の仏教 文化」として各社で扱われている。小学校同様、中学校歴史教科書も、飛鳥時代以降は古 文書が現存している影響からか、文化というものの扱いが少し変容している。すなわち、

朝廷による中央集権化が図られ始めた飛鳥時代を契機に、文化においても庶民というより はむしろ中央に近いものが教科書において取り扱われているのである。法隆寺金堂釈迦三 尊像や広隆寺弥勒菩薩像などが、飛鳥文化の代表例として多くの教科書で扱われているこ とで、このことがよく分かる。飛鳥文化は、全社の教科書において「渡来人などによって 日本に伝えられた大陸文化が基になっている」という趣旨の説明がなされており、古墳時 代(文化)からの連続性を学びやすい部分である。連続性という観点で見れば、日本文教 出版版が「国際色豊かな文化」という括りで飛鳥文化と天平文化をまとめて取り扱ってい るのは、他社にはない斬新な構成である。また、清水書院版は飛鳥文化と区別して唯一白 鳳文化7)にも触れており、コラムを作って説明している。

奈良・平安時代における文化に関する記載については、小学校歴史教科書とあまり差異 がない。ただし、ほとんどの教科書で万葉集における万葉仮名の読み方が記されていたり、

平等院蔵阿弥陀如来像の写真が掲載されていたりといったように、細かい点で小学校歴史 教科書とは違ったところも見られる。そのような中で、教育出版版は木簡や文字の歴史に ついて他社よりも詳しく触れており、「木簡が語る人々の暮らし」、「文字の移り変わり」と いったタイトルでページを別に割いて扱っている。前者は、木簡にどのようなことが書か れており、どのようなことが分かるのか・どのようにして使用したのか・なぜ現存してい るのかなどが記されている。後者は、万葉仮名の成立からひらがな・かたかなへの変遷過 程について図式を交えて説明している。図式中には日本最古の古文書である『法華義疏』

も写真で掲載されており、「日本最古の肉筆といわれている」と説明書きがなされている。

中世では、小学校歴史教科書では扱いが無かった鎌倉文化について各社とも取り扱って いる点が大きな特徴である。主に、鎌倉新仏教や軍記物(平家物語)、随筆(方丈記など)

や新古今和歌集などについて活字で説明されている他、東大寺南大門・金剛力士像などは 写真入りで掲載されている。また、当時の庶民の暮らしの様子についても触れている出版 社が多く、二毛作や定期市、製塩技術の説明がなされている教科書もあった。室町文化で は、各社が小学校歴史教科書における内容に加え、御伽草子・連歌・七夕・盆といった庶 民が担い手となった伝統的な文化にまで話を広げて記述している。また、日本の文化に加 え、琉球やアイヌ、朝鮮の文化についても扱っている出版社が多い。

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安土桃山時代の文化についても、小学校歴史教科書では全く取り上げられていなかった 部分である。医学・天文学・航海術・活版印刷術・メガネ・時計などといった西洋の文化

(南蛮文化)や陶芸などの東アジアからの文化、三さんしんなどに代表される琉球の文化が相次 いで日本に流入してきたことは各社それぞれ取り扱っている。中世に代表される武家文化 という視点では、千利休による侘び茶の大成や姫路城、大阪城などの日本を代表する城を 桃山文化として扱っている教科書もある。日本文教出版版では、「城下町姫路」を取り上げ、

今も残る町名や地形図から当時の城下町としての名残を探すというコーナーを設けている。

ここでは、木綿問屋や染物業者など、当時から存在したいろいろな職業が紹介されている。

また、阿国歌舞伎・囲碁・将棋・双六・浄瑠璃・小袖・木綿の広まりなど、庶民の文化を 扱った教科書も数冊あった。ここまで見てくると、中学校歴史教科書の中世における文化 は、小学校歴史教科書のそれのように一概に武家の文化という括りで扱われてはおらず、

普遍的に暮らす庶民の生活文化にも目を向け、より広い視点で述べられていることが分か る。また、これらの文化史のまとめ方にも各社とも工夫が凝らされている。例えば、東京 書籍版は室町時代の生活文化を現代と比較するとともに、衣・食・住のカテゴリーに分け て捉えている。日本文教出版版では、鎌倉・室町時代の文化をまとめて扱っており、学び 手に文化の連続性を捉えさせている。

近世では、室町時代以降に生まれた文化が町人によって各方面で大成され、より親しみ やすい形で庶民に伝わっていく過程が各教科書で紹介されている。例えば、浄瑠璃は人形 浄瑠璃として、歌舞伎は踊りから演劇としてそれぞれ発展し、小袖には友禅染、木綿の普 及、年中行事の定着など、元禄期にはほぼ大成され庶民化していることが各社の教科書か ら読み取ることができる。現代人にとって常識である「13食」の伝統がこのころ確立さ れたという史実も、ほとんどの教科書で扱われている8)。江戸時代後期の文化・文政期には、

元禄期に盛んになった俳諧や浮世絵などが、それぞれ小林一茶・歌川広重らによって大成・

庶民化されたことなどが記述されている。帝国書院版ではこのほかにも、戦国時代におけ る鉄砲や火薬を作る技術が江戸時代に転用され、それぞれ和時計やからくり人形、花火に 生かされたことや、浮世絵の構図が「ジャポニズム」としてヨーロッパの絵画に大きな影 響を与えたことがコラムで記載されており、日本の技術の偉大さを伝えている。寺子屋で の「読み・書き・そろばん」の教育についても各社が取り上げているが、その中でも東京 書籍版では寺子屋が室町時代から存在していたこと、教育出版版では18世紀後半から数が 増え、子どもが 8~9 歳ぐらいから通ったこと、帝国書院版では子どもの識字率が世界的に

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高水準となったことなどにも触れており、より学びを深める内容となっている。このよう に、中学校歴史教科書の近世における文化の扱いは、小学校のそれとは異なり、江戸時代 以前(室町時代以降)や江戸時代中(元禄期と文化・文政期)で比べても発展・変革・庶 民化していることが読み取れる。

近代以降における文化の扱いは、僅かな用語の違いこそあるものの、小・中学校共にそ れほど大きな違いはない。庶民の暮らしが現代にいたるまで豊かになっていく過程を各社 とも政治史の間に効果的に挿み込んでいる。

このように見てくると、小・中学校の歴史教科書で文化における扱いが圧倒的に違うの は、中世・近世であることが分かる。中学校歴史教科書におけるそれの扱いは、小学校の それと比べて時代ごとの文化の移り変わりが明確であり、政治史と同じく流れがある。ま た、文化に関する事項で、小学校歴史教科書で扱われていて、中学校歴史教科書で扱われ ていないという内容はほとんどないことも大きな特徴である。つまり、中学校歴史教科書 は、小学校で習った事項をほぼすべて再確認した上で、さらに新しい内容を積み重ねて子 ども達に提供しているのである。

2.3 歴史教科書における文化の扱い方の問題点

以上、本章12節で小・中学校歴史教科書における文化の扱い方の違いを見てきた。小・

中学校において記載内容や事象の扱いに諸所違いがあることはすでに述べたとおりである が、小・中学校いずれの教科書においても大まかな時代区分ごとの文化の扱われ方は同じ 流れをたどっている。すなわち、原始や飛鳥時代以前の古代であれば、文化とは庶民の生 活において発明され、その生活に欠かせないものである。しかし、同じ古代でも飛鳥時代 以降において、それは上流貴族の生活文化を指すことが多くなる。中世に入り武士の世の 中になると、文化とは武士の生活から生まれたものがその中心となっており、近世ではそ の中心は町人の文化であった。中学校歴史教科書では中世・近世において、一部文化の庶 民化について扱っていたが、文化史学習の骨格にはなり得ていない。そして、近代以降に なると文化はまた庶民の生活文化のことを指すようになる。

ここで問題となるのは、「文化とは何か」ということである。『大辞泉』(第 1版 1995)

には、文化について「1. 人間の生活様式の全体。人類が自らの手で築き上げてきた有形・

無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝達 されるとともに相互の交流によって発展してきた。 2. 1のうち、特に哲学・芸術・科学・

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宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。

3. 世の中が開けて生活内容が高まること。」とある。また、『広辞苑』(第5版 1998)では

「1. 文徳で民を教化すること。 2. 世の中が開けて生活が便利になること。文明開化。 3.

人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。衣食住をはじめ、技術・学問・芸 術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられる ことが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、技術的発展のニ ュアンスが強い文明と区別する」とされている。このように、2つの辞典を比較しただけで も、それぞれの文化の定義が違うことが読み取れる。

これに関して、アメリカ合衆国の文化人類学者であるクリフォード・ギアツ(Clifford Geertz、吉田ほか訳 1987)は、「文化は象徴に表現される意味のパターンで、歴史的に伝 承されるものであり、人間が生活に関する知識と態度を伝承し、永続させ、発展させるた めに用いる、象徴的な形式に表現され伝承される概念の体系とを表している」と述べてい る。この「伝承・永続・発展」という文言の意味合いについては、表現こそ異なるものの、

上記の2つの辞典の表記からも見出すことが可能である。よって、本稿では文化を「伝承・

永続・発展する人間の生活に関する知識と態度」というように定義する。この定義に基づ いて現在の小・中学校歴史教科書を見直すと、「伝承」の性質については主に中学校歴史教 科書から読み取ることが可能なものの、「永続・発展」の性質についてはほとんど読み取る ことができない。

文化の「永続・発展」性を歴史教科書から見いだせない原因は一体何か。ひとつは、歴 史教科書において政治史と文化史が完全に分断されており、文化が時代ごとに突発的に形 成されるという印象を読み手に与えてしまうことにある。そういった意味で、日本文教出 版版中学校歴史教科書のように、文化を 2 つの時代について連続して扱うことは、突発的 に形成された「文化」ではなく、「文化史」として永続しているものであるという印象を子 ども達に与える非常に画期的な掲載方法であると捉えることができる。しかし、ここにも 弊害は存在する。文化と政治史との関係が読み取ることができなくなる点である。したが って、文化が時代とともにどのように発展してきたかを子ども達に学ばせるために、教科 書はまだまだ改良の余地があるということができる。

また、以下は私見であるが、歴史教科書はほとんどが史実と歴史用語の列挙に終始して いる。そして、そのことは少なからず社会科という教科が暗記教科であるという印象を子 ども達に抱かせ、子どもの社会科嫌いを加速させる恐れがある。暗記に頼らず、子どもが

(18)

15

自由に考え意見を共有することができる社会科教育を目指す上で、このような史実と用語 の列挙はあまり好ましくはない。ある史実や用語に対して、それがどのように発生し、ど のように発展し、現在にどのような形で伝承しているのかなど、より史実や用語を掘り下 げる表記や図解などが必要である。そして、そのような歴史教科書の記述をもとに、決し て暗記に陥らない社会科特有の「自分たちで調べて学ぶ」楽しさを子ども達が感じられる ような指導を行っていかなければならない。

次章以降では、奈良県の伝統文化のひとつである「奈良墨」を上記のような発展的かつ 子どもの自由な思考を伴う「文化史」として学ばせる方法を模索する。

(19)

16

3.伝統文化に関する学習を歴史教育に盛り込んだ授業構想を行うにあたって

3.1 墨を素材とした理由

伝統文化を歴史学習の中に効果的に取り入れていく上で、重要なことは素材選択である。

目賀田(1979)は、伝統的な工業の教材化における素材選択には、1.伝統技術を生かして という内容からの素材選択、2.指導計画の前後の関係・系統からの素材選択、3.自主的学習 を促進させる立場からの素材選択といった基準があると述べている。

本稿では、こういった基準を踏まえ、奈良県の地場産業でもある「墨」を素材とした歴 史教育の授業構想を行う。墨を素材として取り上げる理由を下記2点から述べる。

Ⅰ.墨が古代から現代へと連綿と受け継がれる筆記用具であること

発展的かつ子どもの自由な発想を伴う文化史の授業を構築するうえで必要なことは、選 定する素材が「伝承・永続・発展」の性質を有していることである。すなわち、それが伝 統文化であり、今も昔も変わらず人間の生活に密着した文化である必要がある。

前章で見てきたとおり、人間の「文字を書く」という習慣は原始から現在に至るまで変 わることなく続いているものである。7世紀に古代中国から朝鮮半島を経由して墨が伝わり、

「書」は現在に至るまで後世に脈々と伝えられてきた。そんな中で、室町時代には水墨画 が発達したり、江戸時代には広く一般に「習字」が広まったりするなど、人々にとって墨 のあり方は絶えず変容してきた。殊に、明治期以降に新しく製造された鉛筆やインクペン などの新しい筆記用具の開発は、墨の生産自体に多大な影響を与えた。しかし、このよう な変化の中でも、墨汁や筆ペンが新たに開発されることで、墨は廃れずにその姿を残し、

またその中で固形の墨の良さも見直され、現代でも伝統産業として生き残っている。

このように、時代を経るにつれて少しずつその姿を変えてきているものの、「書く材料」

としての墨の存在は今も昔も変化していない。故に、墨について学習することは、子ども 達が「書」や「文字」に関する日本の文化史を理解することにも繋がりやすい。

Ⅱ.墨作りが奈良県を代表する伝統産業であること

「奈良墨」について述べる前に、奈良県内の伝統工芸品の概要について少し触れておき たい。奈良県内には、開発及び都市形成の歴史が古いという地域性を反映して伝統工芸品 が数多く点在している。伝統工芸品には、経済産業大臣が指定するものと都道府県が指定

(20)

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するものの2種が存在する。2013(平成25)年1月現在、前者が指定する伝統工芸品は全 国に212品目(巻末資料3参照)あり、うち奈良県には2品目9)存在する。また、奈良県 が指定する伝統工芸品は15品目10)が存在する。このうち、前者の指定対象になるものは法 11)によって次のように規定されている。

1. 主として日常生活で使われるもの 2. 製造過程の主要部分が手作り 3. 伝統的技術または技法によって製造 4. 伝統的に使用されてきた原材料 5. 一定の地域で産地を形成

また、後者指定の伝統工芸品の対象になるものは、県内でつくられている工芸品で、次 の要件を満たすことが必要とされている。

1. 日常生活の用に供されている工芸品であり、それが熟練した技により実用性と美しさを 兼ね備えていること。

2. 工芸品の持ち味に影響を与える部分が手作業を中心としてつくられていること。

3. 原則として工芸品がおおむね100年以前に確立した伝統的技術・技法によりつくられて いること。

4. 伝統的に使用されてきた原材料を主として用いられ、つくられていること。

本稿で取り扱う「奈良墨」は、経済産業大臣もしくは奈良県の指定する伝統工芸品には 含まれていない。それは、双方の要件に含まれている「伝統的に使用されてきた原材料」

という規定を満たしていないことが大きな原因である。「奈良墨(油煙墨)」の材料となる 油には、菜種・胡麻・椿・桐などが用いられているが、近年では良質の原材料の生産が奈 良市の近郊で行われていないため、他地域からの輸入に頼らざるを得ないのである。しか し、この規定を除けば、「奈良墨」は上記双方の伝統工芸品としての条件を概ね満たしてい ると言える。

もっとも、伝統工芸品としての指定はないとは言え、「奈良墨」は奈良県の重要な伝統産 業である。奈良県ホームページ 12)では、県指定の伝統工芸品とは別に、その他の工芸品と

(21)

18

いう欄で「奈良墨」を取り上げている。榊(1981)は、奈良県における墨作りは全国でも 群を抜いており、日本全国における生産量の実に90パーセントを占めていると述べている。

もっとも、原料のほとんどを輸入に頼るようになってしまったとは言え、墨作りの伝統を 守るために品質保持という点では常に細心の注意が払われている。

このように奈良県の重要な伝統産業である「奈良墨」は、現在では主に小学校中学年の 地域学習の素材として扱われることが多い。詳しくは後述するが、奈良市や奈良県の副読 本には「奈良墨」が扱われており、筆者も小学生の頃、実際にこのような「奈良墨」を素 材にした授業を受けたことを記憶している。このように、「奈良墨」を素材とした学習は奈 良県内のほとんどの小学校中学年の社会科学習においては一般的な学習として既に定着し ている。

以上、筆記用具としての墨の重要性と奈良県における「墨づくり」の重要性の 2 つの観 点を基に、本稿では伝統文化に関する学習を含めた新しい文化史学習の授業構想を行って いきたい。

3.2 「奈良墨づくり」の概要

本節では、奈良墨づくり(固形墨・墨汁)について、その概要を記述する。第1項では、

株式会社古梅園でのインタビュー(20111214日実施)を参考にしながら固形墨作り の概要について述べる。第2項では、株式会社呉竹でのインタビュー(2012321 実施)を参考にして墨汁生産の概要について述べる。

3.2.1 固形墨づくりの概要

『日本書紀』によれば、墨は古代中国で製造され、610 年(推古 18)3 月に高句麗僧曇 徴等によって採色・紙とともに日本に伝えられたとされている。しかし、墨の伝来の起源 についてはよく分かっておらず、それ以前から既に使用されていたとも言われている。製 墨が始まった当初は、日本では松脂まつやにを燃やして製造する松煙墨の生産が主であった。しか し、これは後に宋から伝わる油煙墨と比べると品質・色ともに格段に劣るものであった。

松煙墨は、写経のために奈良時代から奈良の寺院僧坊によって自給自足されていた。

明徳・応永年間(1390-1428)に伝わったとされる油煙墨は、煤をとる原料となる胡麻油 を一手にしていた興福寺二諦坊において最初に作られ、その後京都貴族への贈答品となっ

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て広ま 応仁の 的に有 江戸 中心部 も書写 でも の奈 づいて

奈良 墨会社 中には 株式 墨は概

1. 採

2. 膠

1.

写真1

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社が存在する は団体による 式会社古梅園 概ね以下のよ

採 煙 :

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2011121

在の奈良市周 -77)の頃に た。

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、江戸時代に る。固形墨の る工場見学を 園発行の来客 ような手順を

純植物性油 ついた煤煙 牛の皮や骨 役目をする。

4日 株式会社古

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衰退とともに

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古梅園にて筆者撮

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多数の製墨業 在も冬季(10 いる会社も存 ンフレット われている。

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(写真1)

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2201212

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14日 株式会社

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現在でも複数 に行われてお

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ため、

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(23)

3.

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2011121

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14日 株式会社古

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社呉竹にて筆者撮影

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工程で、墨全 間、大型のも

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古梅園にて筆者撮

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分後、墨が漆 業を行う。和墨 燥して小さく ら取出すと、

4

影)

を灰に埋め、

2 日目以後 全体の70%

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業。通常約半 6.

撮影) 写真

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(写真3)

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参照

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