はじめに
はじめに
I 経営学における人間像の変遷
I
I 組織における意思決定
皿 組織における統一性と管理の課題一組織の目指すもの_
渡 辺 敏 雄
w 組織におげる多様性と管理の課題一組織の目指すもの(続)一
v 組織における合意形成能力 むすび
企業の管理の重要性については、いまさらいうまでもない。企業を運営し、基本的方針を立てて、環境 のなかに生存をかけて企業が一丸となって前進していくことは、ひとり個別企業のみならず場合によって は多数の関連組織とそこに含まれる人々の命運を決するものである。今日の企業は大規模化の一途をたど り、その管理は複雑化している。それゆえ大規模企業の管理についてはもちろんさまざまな側面について 究明がなされてはいる。だが、その事態はみようによっては混迷状態でもある。
こうした現状にかんがみると、管理現象について根元にまでたちかえって、その説明と提言の原理原則 的な源を求める必要性が痛感される。
そこで管理という現象についてわれわれはその基本的特質を探求したい。これがわれわれの関心事であ るが、そのさいまずは管理の対象となる企業をどのようにみなすのかをめぐる議論からはじめる必要があ る。なぜなら、対象の特質が管理という現象の特質を決定づけるからである。
そのことについてわれわれは、企業を点のようにみなすのではなくて、むしろそのなかにさまざまな要 素がつまった球体としてみなす。また、企業は他律的に環境からの力によって突き動かされているもので
もない。むしろ、企業は主体的に動きを決めて企業の内外にはたらきかけているのである。
企業を構成するさまざまな要素のなかで最も重視されるのは人間であることを考えつつ、さまざまな要 素がつまった球体という比喩を具体化していえば、企業は人間からなる組織をなしているといえる。
この像を前提するのならば、人間からなるということが企業の行動にどのような事態をもたらしてきて、
またその結果としてどのような解決されるべき課題を企業に課するのかということがわれわれの関心事で ある。
すなわちわれわれは、企業が人間の集合体としての組織であることからうまれる問題点を考えることに なろう。
そのためには、企業が人間の集合体であるというさいの「人間」をどのようにみるのかということから はじめなくてはならないであろう。
I 経営学における人間像の変遷
経営学のなかでは、企業観が歴史とともに変遷をとげてきたが、これとの関連で、企業のなかの人間像 も変遷をとげてきた。経営学の歴史は、その基礎にある人間像の変遷史であるともいえよう。
この点をめぐって経営学史特にアメリカ経営学史の概観を、テーラー.F( T.W)rolya の科学的管理法に までさかのぼってする必要があるが、いまのわれわれにはそのいとまはない。ここでは古典的経営組織論 からはじめよう。
そこにおいては、なすべき目的が決まっておりそれをいったん部分的な職能に分割して、再度全体を組 み立てあげるという発想がとられていた。そのさい、分割された諸臓能の遂行上の活動の調整を確保する ためにそれらの分割された諸職能がどのようにまとめあげられるべきかも考察されたのである。そして、
こうした意味でのまとめあげが管理活動であった。
古典的経営組織論においては基本的にはこのような思考がなされ、そこではいわば企業を多くの部品か らなるひとつの機械とみなす組織観がとられていたのである。こうした機械的組織観からすれば、そのな かでの人間についても部品の一種のように把握されていたのではないかと考えられる。つまり、人間も企 業という粗織へ入っていけば、与えられた任務を上司のいうままに遂行するために行動する部品として観 念されていたと考えられる。そこでは人間は、企業という組織の管理機能の指示するままに行動すると考 えられていて、指示からそれた言動をするとは位置づけられてはいないのである。
つまり、古典的経営組織論においては、企業内での人間関係は、命令と従属という概念で把握されてい たのである。
その後でてきた経営学説のうちでわれわれの最も注目すべきもののひとつがサイモン.H( S.A)nomi の それであろう。
かれの考えに従えば、人は意思決定をなすのである。そしてそのさいの意思決定の合理性には限界が画 されるというのである。この限界を詳しくいえば、人は、追求する目的について完全にはっきりしている わけではなく、目的を達成する手段についても、その手段をとった場合の結果に関する情報についても知
りつくしているわけではないという限界である。人間がこうした限界をもっているとすると、人間からな る組織には、人間がもつ合理性の限界がもち込まれていると考えられ、組織からみればそうした限界を克 服する手段をとるはずであり、またとる必要があると考えられる。この事態の認識がわれわれの考える管 理の課題の出発点である。しかし、こうした人間像を組織の管理の課題とすりあわせるためには、個人の 意思決定過程がどのようにすすむのかを論じておく必要がある。
個人の行動とは、個人に向けて入ってきた刺激に対して個人が外界に投げかえす反応のことであり、刺 激とそれに対する反応のあいだに介在する過程が、個人の意思決定過程である。刺激と反応のあいだに介 在する過程においては、人は、外部から入ってきた刺激に関連する情報を記憶から探索して、関連した情 報に基づきながらそこから結論を導きだすかたちで反応を決定する。そのさいに関連する情報が探される 場は記憶全体(長期的記憶)であって、探された情報の部分が喚起された情報(短期的記憶)である。こ の喚起された情報はまた、それが意思決定の結論を人がそこから導きだす前提となるという意味で意思決 定前提ともいわれる。
さてここで個人が組織に入っていったさいのことを考えよう。
さきにいったように、人間は自分の目指すこと(目的)、自分の目指すことを達成する方法(手段)に ついて完全に知るわけではない。そこでそうした限界をもつ人間からなる組織としては、人間がもっとこ ろの限界を克服するような行為を意識的にか無意識的にかおこなうようになるであろう。まず、人間は自
分の目指すことについて完全に知るわけではないという側面については、組織に入った人間が何を目指す べきなのかについての情報をかれに与えて個人の周りに目的に関する情報の存在という環境づくりをして いく必要がある。また、個人は自分の目指すことを達成する方法についても完全に知るわけではないので、
組織はその側面に対する情報をもかれに与えてこのことに関する情報の存在という環境づくりもする必要 がある。つまり、組織は、そこに入ってきた人間に対して、目的に関する情報とその達成方法についての 事実に関する情報との両方について環境づくりをして個人の意思決定をより合理的なものに導こうとする であろう。
I
I 組織における意思決定
ここで組織の意思決定過程の特質を考えてみよう。
組織においては既に決定ぬきで何かが決められているというよりは、そこにおいては連続して決定がお こなわれている。つまりわれわれの見方では、組織においては決定がつぎつぎに並列的におこなわれてい るのである。
ではどのように意思決定がおこなわれるのか。組織における意思決定の特質とは何か。
組織においては、多くの人々が集合しているが、そうした事態と呼応して、組織における意思決定過程 は複数の人々が関与してくる集合的意思決定過程であり、それは、何かを決定するさいには単独でおこな われるというよりも複数の人々で結論をだすようになっているし、またださざるをえないということを意 味する。
ここでわれわれが強調しているのは、組織の意思決定は出発点と終着点がある過程をなすということと、
意思決定には複数の人間が入ってくるということである。
個人の意思決定と組織の意思決定との決定的なちがいは、個人の意思決定では、個人ひとりが結論を心 の中で決めていればそれで意思決定は終着点を迎えたということになるが、組織における意思決定では、
結論が組織内の結論として認められ、その意味では結論に権威が付与されなければ終着点を迎えたという ことにはならないということである。
組織における意思決定のその特質と関連して、組織のなかには、意思決定について結論をだすことに主 たる責任をもちある合意が結論であることの公式の承認をすること(権威づけ)のできる人あるいは集団
(中核集団)がいる。かれら中核集団が、意思決定の結論を結論として認定しなければ、それは組織内の 結論にはならない。そういう意味ではかれらはたしかに意思決定の結論に大きな影響を与えることができ
るのである。
だが、他方で中核集団だけで組織における意思決定がおこなわれるというものでもない。かれらのまわ りからかれらに影響を与える人あるいは集団(衛星集団)もいる。中核集団に影響を与えようと試みるそ うした人々は中核集団に対して発言をおこない意思決定の結論をかれらの考える方向に導こうとする。
それゆえ、組織における意思決定過程の集合的構造を一言でいえば、それは中核集団とそれをめぐる衛 星集団とでなりたち、この両者の集団の交渉のなかから結論がうみだされるということになる。
このうち中核集団という、意思決定の結論に主たる責任をもち結論に公式的な承認を与えることのでき る人あるいは集団は、組織において職位の体系によって公式的に決定されている。すなわち職位の体系に よって知ることができるのは、そこに就いた人が職位に規定された意思決定について公式的に責任をもち、
結論がでたらそれを結論として承認するということである。
さて、さきに指摘した組織における意思決定過程の集合的構造は、組織において必ずしもかれらだけで
意思決定がすすむのではなく、職位に就いた人が担当の決定をなすさいにそのまわりからさまざまな人々 が発言し影響を与えようとするという構造である。
こうした影響の与え合い(交渉)によって組織における意思決定過程はすすむのである。
影響の与え合いは、ひとつの意思決定について、まずその意思決定の結論がだされるまでに起こる。
つぎに、その結論をうけて部下が意思決定をより具体的にする意思決定をおこなうときにも、必ずしも かれひとりでおこなえるものではない。かれがおこなう意思決定に対しては、もとの意思決定をした責任 者である上司や、部下の部門に所属するさらなる部下や当該の部門に横並びの部門の人々が影響を与えよ
うとするであろう。そうした事情であるから、そこでも影響の与え合いがなされるのである。
さらに、こうした過程をへて意思決定がより具体化して、例えば同一部門内の複数の人々が前の意思決 定の結論をうけて次の段階の意思決定や行為に入ったときに、それら複数の人々の考えている前提が必ず しも同じではない可能性もある。こうした場合には、かれら相互の間でかれら自身によりながらあるいは 上司が入ってきて調整がおこなわれながら、くいちがってきた前提の統ーがおこなわれなければならず、
前提のこの統一行為もまた影響の与え合いである。
こうして考えてみると、ひとつの意思決定についてことがすすむにあたっては、基本的にこれらの3つ の場面で影響の与え合いがなされるのである。
組織内では交渉が随所で連続しておこなわれて、そのなかから決定とそれに基づく組織の動きがうまれ てくると考えられる。組織における意思決定についてのこうした像は、かつての古典的経営組織論にみら れたように、組織における人間関係が命令と従属という関係の「ほそい針金」で結ばれているという像を 否定するのである。組織における人間関係は、むしろ公式的に決められた職位と識位との関係を中心線と
しながらも関係の方法の可能性についてある程度の幅をもつ「ふとい管」で結ばれているのである。
この像を前提すると、上司としては、人間関係のそうした「管」のなかにおいて必ずしも公式的な命令 だけではなく、影響のその他の可能性の選択の余地が生まれてくるし、部下としてもそれに対してそうし た「管」のなかにおいて必ずしも従属だけではなく影響のその他の可能性の選択の余地が生まれてくる。
われわれはさきに、組織における意思決定については、さまざまな場面で影響の与え合い(交渉)がな されるといったが、ここに交渉とは個人対個人の接点で生じる現象であることがわかる。それゆえ個人対 個人の交渉という現象を理解するためには、ここで個人の行動論特に個人の意思決定過程論にたちかえる 必要があることも了解されよう。
個人の意思決定過程といってもここで必要な知識はさきに紹介されたものである。
つまり、個人の行動とは、個人に向けて入ってきた刺激に対して個人が外界に投げかえす反応だという 像である。そのさいにもいったように、刺激と反応のあいだに介在する個人の意思決定過程においては、
人は記憶全体(長期的記憶)から刺激と関連する部分の情報(短期的記憶)を喚起し、この喚起された短 期的情報に基づいて反応をしているのであった。
この個人の意思決定過程論をふまえるのならば、また、交渉とは個人の意思決定に影響を与え個人の反 応としての行動を変更しようとする試みとして理解されるということをふまえるのならば、個人の意思決 定過程と関連づけながら、個人の反応の変更の可能性を探る必要がある。
反応の変更のこの可能性に関しては、一方で長期的記憶の内容を変更することによって可能となり、他 方で短期的記憶の内容を変更することによって可能となるとみられる。
いま、長期的記憶を容器に充ちた液体にたとえれば、個人の意思決定は、容器に充ちた液体から刺激に 関連した部分の液体をくみだして、その部分の液体によって反応が決まる過程とみることができる。この
たとえを援用すれば、個人の意思決定の変更の一方の方法としての長期的記憶の内容変更は、容器内の全 体の液体を少しずつ入れかえていくことにたとえられうるし、他方の方法としての短期的記憶の内容変更 は、どの部分の液体をくみだすのかを変更することにたとえられうる。
それでは、個人の意思決定が組織においてこうむる変更、ないし粗織の方からいえば個人にはたらきか ける変更の努力とはどのようなものか。
こうした変更の努力は、個人の意思決定の2つの変更可能性に対応して2つある。
ひとつは、容器内の全体の液体の内容を変更する努力にかかわる役割の社会化であり、いまひとつは、
どの部分の液体をくみだすのかを変更する努力にかかわる交渉である。
このうち役割の社会化とは、組織内の仕事上の位置としての職位にまつわった期待される振る舞い(役 割)を長期にわたって学習していくことであり、これによって個人の長期的記憶は徐々に変化するのであ る。さきにふれたように、個人の合理性には限界があり、それゆえ、組織に入った個人は、自分の目指す こと(目的)について完全に知るわけではないので、組織はその側面に関する情報をかれに与えて個人の 周りに目的に関する情報の存在という環境づくりをしていく必要があるのであった。この必要性に関連づ けるならば、役割の情報を職位というかたちで用意してあるということは、まさに個人の周りに目的に関 する情報の存在という環境づくりをして組織に入ってきた個人の合理性の限界を打破しようとする試みで あると位置づけられる。ただし、組織が職位の体系をつうじて個人に役割の情報を付与していくことはた しかに組織に入ってきたかれらの合理性の限界を打破しようとする試みではあるが、他方で個人は付与さ れた役割どおりに行動をするわけではない。つまりかれらは、つねに役割を意思決定前提に入れるとは限 らないのであり、また役割情報が曖昧な場合には、それに対して個人の都合の良いように解釈をほどこそ うとするであろう。こうした事実に直面すると、組織としてはあるいは組織の管理機能をになった人々と しては、組織の管理機能を促進するような方向に個人の意思決定を向けようと努力するであろう。すなわ ち、組織の管理機能をになった人々は、組織が個人に期待するところの振る舞いについての情報である役 割をかれの意思決定前提におかせようと試みるであろうし、また役割情報が曖昧な場合には、それについ て組織にとって都合の良い解釈を個人にさせようと試みるであろう。その試みがつぎにいう交渉である。
組織が個人の意思決定過程にはたらきかける影響のいまひとつが、どの部分の液体をくみだすのかを変 更する努力にかかわる交渉である。この努力は、組織内の人々がもっている権力に基づいて、あるいはま た権力をもっているのみでは十分ではないと判断される場合にはそれに追加して相手にはたらきかける操 作の各種の方法に基づいて、他の個人に影響を与え、意思決定にさいして相手の個人がくみだす液体の部 分すなわち短期的記憶の内容を変更しようとする試みである。すなわちこの努力は、まずは組織内の権力 基盤に基づいて人が他の個人に影響を与える行為である。そのうえで未だに十分ではない場合には操作の 各種の方法がとられるというわけである。
特にわれわれがここでふれたい事項としては、われわれが提示している像においては、権力基盤の種類 として、単にかつての命令と従属の関係の基礎になっていた権力基盤としての服従義務の内面化だけでは なくて、肯定的な制裁や否定的な制裁を期待させること、専門知識をもっていること、集団への一体化を 完成させていること、といったことが権力基盤として位置づけられうるということである。また、操作の 各種の方法としても、単にかつての命令と従属の関係の基礎になっていた操作の行為としての権威づけら れた規定の使用だけではなくて、威嚇、約束、無条件の補償、公正な反対給付に対する義務感、完成した 事実、説得といったことが操作の各種の方法として位置づけられうるということである。
こうしたかたちにおいて、権力基盤ならびに操作の各種の方法は、かつての命令と従属の関係の基礎に
なっていた事態から広がりをみせている。まさにこの広がりをみせているという事態が、組織における人 間関係が、かつての古典的経営組織論におけるような命令と従属という関係の「ほそい針金」にたとえら れる認識から脱却して、公式的に決められた職位と職位との関係を中心線としながらも関係の方法の可能 性についてある程度の幅をもつ「ふとい管」と認識されるようになったことに対応するのである。
さて、権力基盤に基づき、また操作の各種の方法に基づくこうした努力をつうじて、組織あるいは組織 の管理機能をになった人々は、組織に入ってきた個人に影響を与えようと努力する。もちろんこうした努 力に対して、組織に入ってきた個人の方からも交渉の努力がなされ、このようにして個人と個人との接点 においては、組織の利益対個人の利益の衝突があらわれ、その場面で力と力によって組織対個人の問題が 個別に解決されていくのである。それが個人間交渉というものである。
そのさい、組織あるいは組織の管理機能をになった人々は、組織に入ってきた個人に影響を与えようと 努力するのであったが、その努力に管理の課題のひとつが反映されている。ここでいう管理の課題とは、
組織内の個人の意思決定前提をできる限り同一の価値的情報ならびに事実的情報によって統一していこう とする試みであるが、われわれは管理のこの課題について節を改めてふれよう。
皿 組 織 に お け る 統 一 性 と 管 理 の 課 題 一 組 織 の 目 指 す も の 一 組織は方針を組織内の人々に受容させようと努力する。
管理上のこの関心は、組織に入ってきた人々を統一的な考えに染めようと努力して、そのことをつうじ て人々の諸力をまとめて統一的な方向へ導いていくという関心である。この関心は、組織が考えた方針の 内容にかかわらず、すなわちどのような内容の方針についてもそれがともかく組織内の人々に受容されな ければ組織の統一的な運動が保証されないという考えに基づく。
もちろん組織の方針の内容の側面をめぐってもわれわれは考察を加えなければならない。そのさい組織 の方針ということとの関連で最近最も重視されるきりくちはドメインであろう。組織の有意義な未来的活 動領域としてのドメインをどのような方向で展開していくのかについて、ドメインの定義の方法との関連、
組織のもつ資源との関連、 ドメインコンセンサスとの関連を中心に考察をすすめることがそのさいの典型 的な研究関心である。われわれはもとよりドメイン論には多大な関心をよせてはいるが、それについてこ こでは取りあげるいとまはない。
むしろ、組織は方針を組織内の人々に受容させようと努力するという関心を中心に議論をつづけよう。
この関心は組織が一丸となることを目指す関心とも換言されうる。組織における意思決定過程を鍵概念の ひとつにしているわれわれとしては、ここで一丸性を意思決定過程に関連づけて論じよう。
その場合、一丸性は、ひとつには意思決定の結論をだすことができることと、いまひとつには意思決定 過程から生まれた結論を組織内の人々に受け入れさせることができることの2つに関連すると考えられる。
このうちまず前者は、意思決定過程を促進し意思決定過程が途中で「枯れて」しまわないように前へ前へ と駆り立てて結論にまで押しすすめる関心である。この関心は、意思決定過程においては、相反する意見 を調整し、限られた時間内にひとつの結論に向かって意見を収れんさせていく必要があり、この意味では 当該の人々にまとまりとしての一丸性を付与していく必要があるというかたちに換言されうる。つぎに後 者は、意思決定過程から生まれた結論が組織内の構成具から反発され拒否されてしまわず受け入れられか れらの行動の前提にすり込まれるよう確保していく関心である。
さきに組織においては決定がつぎつぎに並列的におこなわれているといったが、そのことと関連づけれ ば、ある意思決定過程を出発点とすれば、それを枯らさないように結論をだすように駆り立て、次の意思
決定過程の前提とするためにその結論を受け入れさせるよう努力し、さらにまたその後その結論を受けて 新たな意思決定過程がはじまるとそれを枯らさないよう駆り立て、さらにその次の意思決定過程の前提と するためにその結論を受け入れさせるよう努力するという試みがくりかえされるのである。
意思決定過程の途中で過程が枯れてしまわないようにする努力についても、意思決定過程から生まれた 結論を組織内の人々に受け入れさせる努力についても、双方ともに個人対個人の交渉である。
その交渉は、さきにふれたことを使っていえば、意思決定過程に入ってきた他の個人を駆り立て、また 意思決定過程の結論を当該の意思決定過程から排除された個人に受け入れさせることを目的とする、組織 の管理機能をになった人々対、組織内のその他の人々との交渉ということになる。
さていままでは、方針を組織内の人々に受容させようとし、かれらを統一的な考えに染める努力をつう じて人々の諸力をまとめて統一的な方向へ導いていくということが、組織の管理上の関心であるとしてき た。ところが組織の管理上の関心はけっしてこれに尽きない。
つまり、組織が一丸となるというだけでは必ずしも組織の管理上の課題としては十分ではなく、それと ならんで、意思決定過程から生まれる結論の内容を問いその決定の質を高めるということが管理上の関心 としてくわわって当然である。われわれは管理上のそうした関心についてつぎに議論したいが、そのさい さらに、その関心はどのような状況との関連で問われるのかということをも考えてみたい。
W 組織における多様性と管理の課題一組織の目指すもの(続)一
組織はもちろん閉鎖的体系ではなく開放的体系として外の環境に開いていて、外部環境との情報や物の やりとりのなかで生存している。こうした開放性を考えると、組織の意思決定の結論の質が問われる場合 にはそれは環境のなかで生存をするための質として問われていると考えても大過無いであろう。つまり組 織の意思決定の結論は、租織が環境からうけとった問題に対する解答とみられるのであって、その解答と
しての結論次第では組織の生存があやぶまれるとみられるほど企業と環境との関係は重要なのである。
ここで、組織を海原を航海する船とみたてるならば、組織が順風満帆の状態である場合には航海には内 部の一丸性の確保のみで十分であるが、予期のできなかった横波をかぶった場合、波を切って航海するた めには必ずしも一丸性の確保のみでは十分ではなく、横波を乗り切る方針が必要になり、そうした方針を 適時的にうちだせる組織内の企画力が必要になる。
それでは組織内の企画力を確保するためにはどのような条件が必要になるであろうか。そのことに関し ては、意思決定過程が単独の考えに支配され視野が狭陰になりそこから単一の状況にしか対応できない結 論しかでてこないのではなく、意思決定過程にさまざまな見方や価値観、事実に関する知識が吸収され射 程の広い議論のなかから結論がうみだされる必要があるとみられる。
例えば、組織内において社長の専制体制に基づく専断でことがすすめられていて、社長の取り巻きがか れの目を恐れてかれのいうことにうなずくことしかしない人々であったり、またさまざまな意見や知識を
もつ人がいてもそれをいいだす積極的な動機づけが欠けていては、こうしたことを実現できない。
このように考えてみると、組織内の企画力を確保するためには、まず一方では組織内にさまざまな見方 や価値観、事実に関する知識をもった人々がいることが必要であって、かつ他方ではかれらが積極的に進 言ないし提案をなすために意思決定過程に参加できる組織的風土になっていることが必要である。
このうち前者の条件については、それは組織構造と密接な関連をもっている。
組織がトップダウンの方法によって専制的なかたちで意思決定をおこなう傾向が組織内に定着している とするのならば、組織内の下位の人々は自ら考え企画をして自らの直面する環境に対応した意思決定をな
そうという能力も志気も失うであろう。
これに対して、組織がその意思決定の権限を委譲して下位の人々に意思決定を任せているとするのなら ば、任された人々にかれらが直面する環境についての知識もそこに対応した意思決定をなす能力も蓄積さ れていくであろう。このような面があることを考えただけでも、組織内の委譲ないし分権化の程度が、組 織内におけるさまざまな見方や価値観、事実に関する知識をもった人々の育成に深く関係していることが わかる。そうした特性をもった人々の育成が、組織構造と密接な関連をもっているというのはこのことを さし示すのである。
このような関係をふまえるならば、組織内においてさまざまな見方や価値観、事実に関する知識をもっ た人々を育成するためには、組織構造として委譲ないし分権化の程度をすすめるということが施策として 考えられるわけである。
ところが委譲ないし分権化の程度をすすめるというここで考えられた施策に対して、われわれは無条件 にそれを組織に対して推薦するわけにはいかないのである。
なぜなら、つぎのような事情が考えられるからである。委譲ないし分権化をすすめることはここまでは、
もっばら組織内にさまざまな見方や価値観、事実に関する知識をもった人々を育成するという目的との関 連でのみ考えられた。ところが、組織には、この目的以外にも充たさなければならない目的がある。すな わち、組織は、さまざまな見方や価値観、事実に関する知識をもった人々を育成していれば十分であると いうことはないのであり、むしろ他の目的をも追求してそれに成果を収めてはじめて環境のなかで生存し つづけられるとみられるのである。企業が市場環境のなかで運営されそのなかで生き残らなければならな いという事情を考えると、そうした場合の他の目的の最たるものは、企業が市場に財・用役を供給してそ れが市場に受け入れられなければならないという基本的条件を充たすことであることはいうまでもない。
それゆえ、企業はまずは、市場によって受け入れられる財・用役の生産を第一次的に充たそうとするであ ろうし、こうした基本的な生産職能との関連で組織構造も決まってくると考えられよう。
つまり、企業のもつ組織構造というものは、基本的には、財・用役の生産職能との関係において、その 職能を効率的に充たすことができるようなかたちで決まってくると考えられる。この事情を考えると、委 譲ないし分権化の程度をすすめることが、かりに組織内にさまざまな見方や価値観、事実に関する知識を もった人々を育成するという目的との関連ではたしかに有効な施策でありうるとしても、委譲ないし分権 化の程度をすすめることが必ずしも企業の財・用役の生産職能を効率的に充たすことができないのならば、
組織構造の形成の方向としてそうした施策が選択されることはないであろう。なぜなら、第一次的な基本 的職能を放置すれば、企業は企業たりえないからである。
そしてそのさい、ある特定の組織構造が企業の財・用役の生産職能を効率的に充たすことができるのか どうかは、企業がおかれた環境とのかかわりで決まってくることである。つまり、企業の財・用役の生産 職能との重要な関連をもつ環境の特性(課業環境)によって、企業の財・用役の生産職能を効率的に充た すことができる組織構造の特性が決まってくるのである。
それゆえ、組織構造はまずはあくまで財・用役の生産という基本的職能の効率的運営という観点から課 業環境の特性によって決まってくるのであって、このようにして決まってきた組織構造は、さまざまな見 方や価値観、事実に関する知識をもった人々を育成する目的に対しては、有効性を発揮する場合もあれば 発揮しない場合もあるのである。それゆえ、委譲ないし分権化の程度という組織構造上のひとつの特質も
また、財・用役の生産という基本的職能の効率的運営という観点から課業環境の特性によって決まってく るのであり、決まってきた委譲ないし分権化の程度が高ければ、同時にそうした目的にも有効性を発揮す
るであろう。これとは対照的に課業環境の特性によって決まってきた委譲ないし分権化の程度が低ければ、
そうした目的には有効性を発揮しないであろう。
このような思考のすじみちで考えるならば、組織にとっての問題は次のようにあらわすことができるだ ろう。あくまで財・用役の生産という基本的職能の効率的運営という観点から課業環境の特性によって決 まってきた委譲ないし分権化の程度が低い状態の組織が、さまざまな見方や価値観、事実に関する知識を もった人々を育成する目的を同時に達成しなければならない場合にどのような施策がありうるのか、これ である。
われわれがここでいえることは、財・用役の生産という基本的職能の効率的運営という観点からまずは 決まってきた組織構造が、さまざまな見方や価値観、事実に関する知識をもった人々を育成する目的に対 して有効性を発揮しないのならば、残された施策の選択の余地としては、財・用役の生産という基本的職 能の効率的運営をはばまないかぎりでの委譲ないし分権化の程度をすすめるということが可能かどうかを 検討することであるということのみである。
われわれはここまで、さまざまな見方や価値観、事実に関する知識をもった人々を育成する目的と、委 譲ないし分権化の程度が低い状態の組織がそうした目的を達成する施策を議論してきたのであるが、そも そもこうした目的達成の必要性はどのような問題との関連で生じるのか。
換言すれば、そうした目的は、どのような問題の解決に必要だから達成されるのか、あるいはそうした 目的は、組織のどのようなさらなる目的につながるのか。
これらの問いについては、われわれは、さきに、組織を海原を航海する船とみたて、予期のできない横 波をかぶった場合、波を切って航海するためには横波を乗り切る方針が必要になり、そうした方針を適時 的にうちだせる組織内の企画力が必要になるとみたが、さまざまな見方や価値観、事実に関する知識を
もった人々の育成は、まずはこうしたさいの企画力をだす能力を育成する。
それでは、組織にとって予期のできない横波とはなにか。
その典型例として考えられるのは、組織の形態を全面的に更新して対応しなければならないほどの環境 の激変である。こうした激変に対する組織からの解答は、組織が職能制の形態から事業部制の形態へと変 更する、組織に情報計画システムを導入する、組織と組織が合併するといった組織の形態変更である。こ
うした意味での組織の形態変更は、たしかに財・用役の生産という基本的職能の効率的運営の問題とは異 なり、まれにしか発生せず、その意味では日常的に充たされるべき問題ではないものの、組織の生存に とっては必要欠くべからざるものの典型である。
こうした例を典型とする組織変更はそもそも環境との関連で必要となるものであり、その適時的な必要 性をみぬき、組織変更をなすかそれともみおくるかを判断し、組織変更をなすのならその具体的構想をう
ちだして、その具体的構想にそいながら組織を変更後の組織の形態に向かって導き、かつ変更後の新しい 形態の組織が動き出すように補助する必要がある。こうしたさいの企画力が組織にとって重要な意味をも つことはいうまでもないことであり、さまざまな見方や価値観、事実に関する知識をもった人々の育成は、
こうした場面での企画をだす能力を育成していることになるのである。
さてわれわれはいままでは、組織内の企画力を確保するための条件の一方としての、組織内にさまざま な見方や価値観、事実に関する知識をもった人々がいることの必要性について議論してきたのであるが、
つぎに組織内の企画力を確保するための条件のもう一方としての、組織内の人々が積極的に進言ないし提 案をなすために意思決定過程に参加できる組織的風土になっていることの必要性について議論しよう。
この必要性は、参加の動機づけをめぐる問題と密接な関連をもつ。われわれは、人が意思決定過程への
参加をしてそこで提案をして、その提案が受理されて組織がそのとおりに行動したさいの結果が必ずしも 成果を収めなかった場合とこれとは逆に成果を収めた場合に分け、そのそれぞれの場合に責任ないし功績 がどの部分にかえってくるかを考えてみよう。
意思決定過程への参加をした人の提案が受理されて組織がそのとおりに行動したさいの結果が必ずしも 成果を収めず、この意味では負の成果がかえってきた場合に、負の成果の責任が提案をしたその個人に属 人的にはねかえってきてかれが制裁を負ったり報酬を差し止めされたりする報酬体系になっている事態を 考えよう。これにくわえて、意思決定過程への参加をした人の提案が受理されて組織がそのとおりに行動 したさいの結果が逆に成果を収めて、この意味では正の成果がかえってきた場合には、今度は正の成果の 功績が提案をしたその個人に属人的にはねかえってくるのではなく、かれが参加した意思決定過程の参加 者全員からなる集団あるいはその代表者の功績になるという報酬体系になっている事態を考えよう。これ らの事態の特性が連結されている場合、つまり、個人の提案に基づく組織の行動が成果を収めなかった場 合と成果を収めた場合の責任と功績の帰属がこれらの両者のようになっていた場合には、個人は意思決定 過程に参加をして積極的に提案しようとする動機をもたない。なぜなら、せっかく提案をなしてみても失 敗の時の責任だけとらされ、成功の時の報酬はもらえないという報酬体系は提案をまったく動機づけない
と考えられるからである。
むしろこの報酬体系とは逆に、個人の提案を受理したさいの組織の行動の結果が成果を収めなかった場 合にはその責任は集団の責任として簿まり(希釈化)、個人の提案を受理したさいの組織の行動の結果が 成果を収めた場合にはその功績は今度は提案をした個人の功績としてかえるという報酬体系になっている のならば、組織内の人々が積極的に進言ないし提案をなすために意思決定過程に参加できる組織的風土に なっているといえるであろう。
われわれは以上で、理想的組織の特質とそれを実現する管理の課題とにふれてきた。一言でいえば、理 想的組織像とは、一丸性と多様性の両方をそなえた組織である。そしてこの特質を実現することが管理の 課題なのである。
ところが、ここにわれわれが指摘してきた一丸性と多様性とは一見して相矛盾する特質である。
つまり一丸性は組織の人々の意思決定前提の統ーがもたらされた状態であり、ここにいう意思決定前提 の統一とは、組織内の個人がもっている価値と事実にかかわる情報が同一化しているということにほかな らない。他方で多様性という特質は、意思決定過程が単独の考えに支配され視野が狭陛になりそこから単 ーの状況にしか対応できない結論しかでてこないのではなく、さまざまな見方や価値観、事実に関する知 識が吸収され射程の広い議論のなかから結論がうみだされ、組織の内部に企画力が確保されることをいっ た。多様性は、組織内に見方の分散がもたらされることを前提とするのである。このように考えると、一 丸性と多様性とは反対方向に向かう特質をもち、これゆえに相矛盾する特質である。それにもかかわらず われわれは、一丸性と多様性とのこうした相矛盾する両方の特質を同時にそなえている粗織を理想的組織 像と考える。
それではわれわれはつぎに、一丸性と多様性という相矛盾する両方の特質を同時に実現する方法を指摘 したい。
V 組織における合意形成能力
理想的組織像の特質としての一丸性と多様性の両方を実現するためには、いったいどのようなことが必 要であろうか。
企画力の確保を目指して、各且織内にさまざまな見方や価値観、事実に関する知識をもった人々の育成が なされている状態を前提すると、そうした状態のもとでは、意思決定過程の結論をだす必要があるさいに は、甲論乙駁の状態で議論に収拾がつかず意思決定過程の進行がさまたげられてしまう可能性が高くなる と考えられる。こうした関連を考えるならば、そうした特性をもった人々の育成がなされ、意思決定過程 の途上では多様な価値観や事実に関する知識が表明されるにもかかわらず、結論をだす必要があるさいに はひとつの結論に合意することの可能な組織ということを観念できれば、そうした組織こそ理想的組織像 であろう。
そして、組織の合意形成能力と呼べる特質が、多様性のなかにも結論に合意をすることの可能性を組織 に付与すると考えられるのである。われわれの見解では、組織にそなわった合意形成能力の多寡に応じて、
組織は見方や価値観、事実に関する知識について高い程度の多様性を実現できたり、また逆に低い程度の 多様性しか実現できなかったりする。
つまり、組織はそれがやしなった合意形成能力の範囲内でしか多様性をゆるすことはできないのである。
それゆえ、組織の企画力の確保のための多様性の育成のためには、まず合意形成能力の育成が先行する必 要がある。そしてそのつぎにその範囲内で多様性の確保がなされる必要があるのである。なぜなら、合意 形成能力の水準をかえりみない多様性を育成してみても、結局それは、意思決定過程の結論に合意するこ
とができないことにつながるのであって、この意味で多様性は確保できたものの一丸性の確保はさまたげ られてしまうということになるからである。
その限りでは合意形成能力こそは、一丸性と多様性という相矛盾する両方の特質を実現するための重要 な特質であることについてはうたがいない。
もちろんわれわれはここでいう合意形成能力という概念の問題点も承知している。組織の合意形成能力 とは、多様性のなかにも結論に合意をすることができるという特質をいいかえたにすぎない段階であると いうことが問題の最大のものである。この点について、ここでいう合意形成能力とは、批判は批判でも
「建設的な」批判性や野党は野党でも「健全な」野党性といった場合の批判の「建設性」や野党の「健全 性」に言及しようとしているのであるが、こういってみても所詮いいかえの鎖を長くして、何らかの直感 と想像から生まれる特質にたよろうとしているにすぎない。多様性のなかにも結論に合意をすることがで きるためには、組織の特質としてどのようなものをもつ必要があるのかをより具体的に考えていく必要が あるという問題がやはり残るのである。そしてこの重大な課題についてはわれわれはこれから解決の糸口 をみつけだす努力をしなければならないと考えている。
むすび
管理という現象についてその基本的特質を探求することがわれわれの関心事であったが、そのさい組織 は多数の人間からなっているということが基本的出発点であった。そして組織が多数の人間からなるとい う認識を前提すれば、上司と部下との関係については、組織における人間関係が、かつての命令と従属と いう関係の「ほそい針金」にたとえられる認識から脱却して、公式的に決められた職位と職位との関係を 中心線としながらも関係の方法の可能性についてある程度の幅をもつ「ふとい管」と認識されるように なった。この認識は、組織内の人々は必ずしも命令に対して従属という機械的な反応をするわけではない という認識と整合的である。
こうした認識によって把握される組織についての管理上の関心は、まずは、組織に入ってきた人々を統 ー的な考えに染める努力をつうじて人々の諸力をまとめて統一的な方向へ導いていくということであると
考えられた。この関心は、意思決定の結論について、それがどのような内容であれ、それが組織内の人々 に受容されなければ組織の統一的な運動が保証されないという考えに基づいている。また、意思決定の結 論がでる前の意思決定過程の途上においてもそこにおける議論を前へ前へと駆り立てる必要があるが、こ のこともそこへ参加した人々の考えをまとめあげ結論としての統一性を確保する必要を意味しているとい
う限りではこの関心のなかに入ってくるものである。
つまり、組織はそのなかの意思決定について結論をだせるように駆り立てる必要があるとともに、意思 決定からでた結論を人々に受容してもらう必要があるのである。
さて、組織を海原を航海する船とみたてると、組織が順風満帆の状態である場合には航海には内部の一 丸性の確保のみで十分である。ところが、予期のできなかった横波をかぶった場合、波を切って航海する ためには必ずしも一丸性の確保のみでは十分ではなく、横波を乗り切る方針が必要になり、そうした方針 を適時的にうちだせる組織内の企画力が必要になるのである。こうした組織内の企画力を確保するために は、意思決定過程が単独の考えに支配され視野が狭陰になりそこから単一の状況にしか対応できない結論 しかでてこないのではなく、意思決定過程にさまざまな見方や価値観、事実に関する知識が吸収され射程 の広い議論のなかから結論がうみだされる必要があるのであった。さらにこうした事態を実現するために は、まず一方では組織内にさまざまな見方や価値観、事実に関する知識をもった人々がいることが必要で あって、かつ他方ではかれらが積極的に進言ないし提案をなすために意思決定過程に参加できる組織的風 土になっている必要があった。われわれはこれらの両者を実現するためのいっそうの問題点を指摘した。
すなわち、前者の、さまざまな見方や価値観、事実に関する知識を育成する必要性については、組織構造 がその育成要因のひとつであることから、われわれは、組織構造をそうしたことの育成に好都合にかたち づくるうえでの問題点を中心に議論した。後者の、組織内の人々が積極的に進言ないし提案をなすために 意思決定過程に参加できる組織的風土づくりの必要性については、われわれは、参加の動機づけをうなが す報酬体系を中心に議論した。
こうしてわれわれの考察のいきついたところは、一丸性と多様性との両方の特質を同時にそなえた組織 が理想的組織像と考えられるということである。ただし、一丸性は組織内の人々の意思決定前提に統一性 をもたらすことであり、これとは対照的に多様性はかれらの考えや見方に分散をもたらすことであり、こ の限りで両者の特質は反対方向に向かう性質をもち、それゆえに相矛盾する特質である。一丸性と多様性
という相矛盾する両方の特質を前提すると、意思決定過程の途上では多様な価値観や事実に関する知識が 表明されるにもかかわらず、結論をだす必要があるさいにはひとつの結論に合意することが可能であるこ
とこそ理想であり、そうしたことが可能な組織こそ理想的組織像であろう。この点、合意形成能力と呼べ る特質が、多様性のなかにも結論に合意をすることの可能性を与えると考えられるのであった。合意形成 能力の多寡に応じて、組織は、高い程度の多様性を実現できもすれば、逆に低い程度の多様性しか実現で きないということにもなる。それゆえ合意形成能力という特質はひとつの鍵となる概念であるが、この概 念についてその特質の具体化を中心にして究明しなければならない問題点があり、われわれはその究明に ついては今後の課題とせざるをえないのであった。
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付記:本稿は、香川大学生涯学習教育研究センターの平成9年度大学公開講座において本稿箪者が担当し た「管理活動の基本的構造」 (自01 月22 日、至11 月91 日、全5回)の講義案に加筆修正を施したもの である。本稿における説明上のいくつかの工夫は、受講者の質問や意見に応じるなかから思い至った ものである。その意味では、本講義を聴講し質問や意見をよせられたすべての受講者に感謝の意を表 明したい。