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大滝敏夫大滝敏夫

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164

ついには︑あらゆる光の︑父が︑わたしをよび出し︑わたしが天

の光りを︑心の中で変えないで︑

その光に︑不敬な振舞をしたか︑

偽と真を見分ける父が︑見究わめるだろう︒〃

これは第二次大戦後まもなく︑詩作された〃ご閂の①巨旦$Fo茸

ご尉巳の厨の冒亘ごロ①旨①昌弓目二日呂匡〃の一部である︒カロッサ

は︑この中で︑自分の信念を︑きわめて大胆にいい切っている︒〃自

分は︑光というものを︑よく知り︑かつ︑うたって来た詩人であった

〃という意味のことだ︒夢幻劇という形をかりている勢いで︑そのよ

うな︑いい方をしたのかもしれない︒が︑ともかく︑彼が光を追求し

た詩人だ︑と自他ともに許していることは︑明らかである︒だが︑終

りの三行に注目しよう︒詩人は︑自分がうたって来た光を︑神が真実

カロッサの詩について︵大滝敏夫︶ まえがき

″わたしは︑光について︑多くのことをしった︒わたしは波をし

った︒ そして見知らぬ思想家達が︑わたしの跡をたどった︒

わたしの熱意が︑高まると︑もうなかば太陽の生の泉を︑究める

ことができた︒ ノカロッサの詩について〃

のものと判断してくれることを︑確信しながらも︑いささか︑それに

疑いをもっている︒いささかである︒〃父の天の光りに︑不敬な行為

をしたか〃という表現から︑彼が過去の詩作へ全体に︑疑いをもって

いる︑とは断定できないし︑大げさな意味での反省とも受けとれない

からだ︒が︑彼が︑詩作︑全体にわたって︑光りを表現しているし︑

一応︑その〃屋号津o3g巨邑写に反省のいるが︑見られるからには

その光は︑いかなるものか︑いかに詩人は︑それをうたっているか︑

どうして︑うたわねばならなかったか︑その消息をたずねていく︒そ

れは︑とりもなおさず︑詩人の詩作上の︑内面性が︑いかに展開して

いったか︑を見ることだからである︒

文学作品を研究するにあたって︑その方法は文芸学的に︑いろいろ

論じられて来てい一る︒総じていえば︑官房s蔚冨は○口を主とする︑

作品中心の把握の仕方と︑作品の︑歴史的評価を主とする︑把握の仕

方がある︒いずれにしても︑どちらの方法が欠けても作品評価は出来

ないものであって︑どちらに重点を置くか︑によって︑そのとる方

法が違ってくるのである︒カロッサの詩を見当するとぎ︑それが現代

に詩作されながら︑その詩風は︑丙薗朋旨毎であり︑ゲーテ的であっ

て︑現代詩のとった道とは︑違った道を歩んでいるから︑歴史の流れ

においてそれをとらえにくい︒しかし︑なぜ詩人がそういう道をとっ

たのかを見当することによって︑現代に於けるカロッサの詩の位置と

その評価が出来る︒わたしはそういう前提を念頭におきながら︑作品

五一

l光の象徴を中心にしてI

大滝敏夫

(2)

163

カロッサの詩について︵大滝敏夫︶

中心の把握の立場に立って個々の詩を見当していく︒その後︑その評

価の基準として︑それが詩作上の︑どの位置にあるか︑見ていかねば

ならない︒そのためには︑個々の詩が︑何をうたっているか︑と同時

に︑いかにうたっているか︑を見当していく必要がある︒わたしはそ

の手がかりとして︑光の象徴を︑たずねるのである︒

カロッサが︑詩に精進し始めたのは︑一九○五年︵二十七才︶頃で

あって己呂冨里の模倣を止めて︑自分の詩を作ろうとした時である︒

一九○五年といえば︑彼が医師になったばかりであって︑少年カロッ

サの︑夢想的︑空想的︑思慮分別のない人間から︑実際の︑責任ある

仕事に就いて︑世間の苦悩の実相にふれて︑完成された人間像を形成

していく時であった︒さらに一九一四年の戦争体験を経て︑彼はほぼ

︑完成された人間像を示している︒詩作の上でも︑そのために︑中期

に︑すでに発展は行われているが︑個人のそして時代の要求から︑一

九一四年の〃ご厨甸旨○写〃と一九三五年頃の〃シロgのロpmgo3p①

〃を大きな転期として︑詩の調子が違っている︒すなわち初期には︑

光の変化そのものを︑主題にした詩が多く︑中期には︑官能的な︑あ

るいは︑自由奔放な丹熟した詩風を示し︑後期では︑z闇の政権下の

ヨーロッパの荒廃をうたった重苦しい調子の詩が多い︒

一︑外的な光と闇

目光りと闇の発生︒

初期の詩を論ずる前に︑一九○五年以前の︑唯一つ残った詩巽呂四

日湧菖8〃を見る︒

〃かくて夜となった︒

そして︑われらのこめかみのあたりを︑

一つの︑不安な気持が︑寒々︑としのびよった︒ そして︑この星︑すばらしい星は︑ われら自身の内に沈んで︑永久に︑ まことに︑われらを妻わして︑そして︑燃えるだろう︒〃

″己臼の凰雰号の屋号黛○厨呂の筋〃と同じように︑星を内的な光に

しよう︑とうたっている︒がこれは先にくらべて︑情熱的ではあるが

3日四三耐呂であり︑観念的であって︑しかも表現が古い︒それは︑

夢を詩作しようとしたから︑かもしれないが︑何にも増して︑二十才

の詩人が経験も少なく︑いたずらに空想に頼り︑先人達の詩句を模倣

しているからであろう︒だが︑そんな欠点があるにも恰らず︑われわ

れを魅きつけるものがある︒︑夜となり︑不安な気持が寒灸︑としの

びよる︑とかその他の詩句の青年期の不安な︑落着きのない︑それで

いて︑何かに憧れる気持が︑つまり不安と情熱の振巾のある思春期の

心理が素朴にありのまま︑表現されているからであろう︒それが︑こ

の詩の生命ともなっている︒しかし︑それと共に︑無気味な雰囲気が

ただよっているのを見逃がせない︒︑光りにさそわれて︑暗い霧の深

みから︑熱に浮かれて︑踊る蝶〃とか〃はらたけがふまれて︑黄色い

粉を出しては︑清らかな夜を毒気で満す︒〃などは︑不安な気持と共

に︑無気味な︑あやしげな息づかいがある︒それは︑二十才の詩人と

して当然のことかもしれないが︑技巧的に︑それを出そうとしている

節が︑うかがえる︒〃既吾閂l宮四巨口号含目の①目︑とかぐc匡國言急

鴨さのの言①三lz四○写ぐ①邑陽庸旨・〃など︑わざとらしい︒なぜ詩人が 五二

しかも︑われらの額の上︑高く︑一つの星が︑白い星が︑⁝⁝⁝

静かに︑ただよっていて︑それが︑大きい勇気をわれらの中に︑

そそぎ込んだ︒

(3)

162

このような文飾の詩の作り︑無気味な雰囲気を︑うたおうとしたのか

︑考えてみるなら︑この詩が作られた一八九八年頃︑詩人は三.目富

再や口の冒日里の詩に傾倒し︑それを模倣していた︒ドイツ史詩では︑

自然主義から︑表現主義への過渡期にあったからだ︒

己呂日のぽ一八九一年︑国1房巨長︑を一八九六年に︑君①号巨豆

君①岸〃を出して︑近代的︑神秘的な詩風や︑自我主義︑背徳主義の

詩や︑成いは︑官能的神秘主義の詩で︑当時の青年達を魅了していた︒

カロッサは︑当時ロ筈冒里を︑われらのプロメトイス︑とよんで︑熱

狂的に︑傾倒している︒富○日言再は︑己云日里の影響で︑暗い思想の

象徴詩を作ったが︑次第に︑宇宙的︑冥想的神秘主義へ変って行き︑

一八九七年には︑︑ロ尉粋彦呂昏邑ぬぐを出して宇宙創造の神話︑闇

と光の世界をうたった︒カロッサの︑巽里盲目湧匡8︑︵神秘の星︶

は︑その風潮の所産であって︑神秘的な光りと闇をうたうと共に︑自

然主義的な無気味さも︑もっているのである︒

そんなわけで︑︑里堅両日湧威目︑にうたわれている︑光と闇が

詩人の文学の目言冒四になった要因は時代の影響があったことはいう

までもない︒が︑カロッサが︑生れつぎ︑明るい性格と暗い夢想性を

もっていることも︑考えねばならない︒彼の祖先については︑彼自ら

︑口尉旨言・関門医目のロ弓巽吊呂ロ自照ロ︑の︑甸画日薑呉o3gl

巨口︑︑に詳しく︑のべているので︑一つ一つ上げる必要はないが大ざっ

ぱにいって︑イタリー系とドイツ系の血が流れていることから︑カロ

ッサには︑相反する︑南方と︑北方の二つの性格がある︒北方的な性

格としては︑着実であると同時に︑厚一目︒p耐呂なものを持ち︑責極

的に︑苦難に身を投じて︑己れを鍛えていくところがあり︑芸術的な

神秘的な傾向がある︒南方的な性格としては︑明るく︑無邪気で︑

カロッサの詩について︵大滝敏夫︶ 閏ロ日日に富んだところがあって︑常に︑理想を︑つまり光りを忘れぬ ところがあるのである︒したがって光と闇の表現は︑始めからその素 地をもっていて︑時代の影響によって︑必然的になされたのである︒

目光りの変化と詩作意志︒

カロッサは一九○三年︑医業についてから︑戦争体験まで︑数多く

の詩を残している︒それらに共通していえることは︑冬普呈四目湧口

8︑の夢想的な詩風がうすれ︑外界の光りの変化につれて︑自然の生

が︑人間の生が︑そして︑詩人の意志が︑めざめてくることを︑主題

にしていることだ︒ちなみに︑冨貝鳴口彊口ぬぐを見よう︒比較的長

いこの詩の殆んどが︑朝の太陽が出ようとし︑月がまだ︑見えるひと

とぎ︑光りの変化と︑詩人の心の動きが同調していく描写に︑費やさ

れている︒

︑国①侭碧言①邑訂P粋医冒骨茸狩閏巨○口・蔚勗宮寓.

の圃巨闇屋葛gご冒淫眉目目・言凰閉臼z①意固房誌

ご耐の室庸の冨鼻.⁝⁝⁝︑

この白々しい︑源始的な静けさは︑詩人の︑心の沈潜を感じさせる︑と同

時に︑︑峯が赤らむ︑一方︑月がまだ見えて︑それが沈んでいく不均

行な情景は︑詩人の不安と動揺がうかがえる︒それは如何なる不安か

?︒その前に詩の経過をだどってみよう︒この尋三○口Qぐ閂巴昌宮︑は

第五節では︑︑三○口Qご胃の画巨丙︑になり︑第八節では︑︑固の冨嗅︑

となる︒それと同時に︑〃おお︑太陽よ/ぎたれ/くり拡げよ/おん

みの光り全体を〃″天よ/そして地よ/わたしに生を与えよ/・生を/・

〃と︑詩人の心の動きに重点が移ってついには︑生を求めて叫ぶので

ある︒そのような変化の中に︑第一四節には︑次のような︑そぐわな

い︑固い︑核言的な詩句が挿入されている︒

五三

(4)

161

カロッサの詩について︵大滝敏夫︶

〃お前は︑#どんな憧れにも身をゆだわてはいけない/︐

■どんな小さな輪の中でも︑豊かに生きることを思い切ってなせ〃

〃これは困呉日四目易冨二も指摘したように︑ゲーテ的な詩句で︑成年

の言葉である︒この詩句の挿入も詩人の不安と心の屈折を見るのに見

落すわけにいかない︒つまり︑光の変化と同調して心の動きをうたう

中には︑詩人の詩作意志が認められるのだ︒未熟な青年詩人が︑詩作

意志をもってそれを描こうとしたとぎ︑当然︑詩人には︑不安な気持

と同時に︑情熱があり︑心の浮き沈みがあったのであろう︒それが︑

ゲーテ的な詩句によって詩作意欲にいましめの言葉をはくという表現

の屈折となって︑あらわれたのである︒くり返していうが︑︑三○門︐

需国彊邑胆善での光りの変化は︑詩人の詩作意志の表現なのだ︒

この光りの変化は︑後の作品︑︑固竺舎昌の″や〃国己屋言い︑︑

①厨息の言目号︑︑シロの言厨冒9−では︑発芽してくる植物や︑生を受

けた胎児の静から動への変化という形になっている︒〃一つの新しい

生命が︑その不恰好な形態から抜け生ようとする︑︵同己9日の︶や︑

言壗嗣言昌含印篇一日①ロ号.胆四国国庁肘の己8三.鈩涜富里①の畳◎ロ

ロ四号屋︒三・協合冒耳の溌巴の宮口︑の表現に︑令丙①日2号︑など

医学的ないい方であり″己◎・言目︑とかあり得ないことだろうが︑い

かにも︑胎児の溌刺とした動きを感じさせる︒詩人が︑このような誇

張ぎみの表現で︑新しい生命の動きを︑母の愛と︑生を描こうとした

のも︑詩人の内部に︑それらの冬日風呂︑の力と同調するものがあっ

たからだ・つまり︑富◎岳の邑唱口四︑でみたと同じに詩作の希望と意欲

があるのである︒しかし︑︑三.伝g遅口ぬぐでは︑詩作すること自

体が目的になって︑表現意志の目標がはっきりせず︑ゲーテ的な言葉

が先に立って全体が︑ちぐはぐな緊張感を抱かせた︒が︑詩人は︑︑ 五四

可豊匡言い︑や︑の3月の冨邑号︑の一連の詩では︑その詩作意志を︑

外的な光りの変化の中で︑胎児や︑生物の生で表現したのであり︑生

を要求するだけ︵〃冨○猪の口程ロ胆〃︶にとどらまず︑生への愛をうた

い︑生そのものを見︑かつ︑うたおうとしている︒無論︑これは含意

識してやったことではなく︑詩作上の発展の結果である︒

さらに︑彼がこの生を死の中に見︑そしてうたうようになった時︑

詩作の内面的発展が一段と見られるようになるのだ︒父を失い︑患者

達の死にも︑逢ったのであろう︑〃目呂①馨望日ロ①ロ〃″国am凰鴛〃

などに︑次第に︑生を死の中に見つめるようになっている︒そして︑

その姿勢は︑決して︑来世的でなく︑死んでいく患者を愛し︑死を讃

える時︑それは現世の︑生のよろこびをうたうためのものである︒そ

の点でも︑詩人は宛○日四三房輿よりもゲーテ的であり︑それは︑もと

もと︑詩人の内的要因から生ずる姿勢である︒つまり︑〃同爲烏里鷲〃

と彼がよぶところの︑あの北方的な性格と︑暗い忌日○口耐呂な力が︑

彼の内部に働くとぎ︑それが︑南方的な揚発性と融け合って生ずる姿

勢である︒初期の︑この国鳥①宮の力は︑わずかに感じられ︑全ては

生の動きと︑光りと闇の象徴に包括されているが︑中期には︑それが

大きな比重をもって表現されるのである︒

二︑内的な光りとしての愛

㈲内的な光りと闇への転換

中期への転換期に︑死との対決を主題にした︑〃己討国胃三〃と

いう詩がある︒これは︑小説″ご烏国巨伝①3両ご号〃に遺稿として︑

附加えられた詩である︒したがって︑主人公国胃癌局の自殺前の詩︑

と決めないまでも︑自殺前の事柄の詩として見るのが︑詩人の意図を

くむものであろう︒

(5)
(6)

159

カロッサの詩について︵大滝敏夫︶

とうとしたのに対して︑〃目の四月写〃の医師はその愛の絆を︑死の

世界に入らなくとも︑保てることを認識したのだ︒それは︑暗黒に悩

みながら︑光を求めてやまない心の素地があってはじめて︑急転的に

行われたのだ︒

〃⁝・⁝⁝・・⁝わたしは盲目だった︒

とっくに土砂で閉された墓穴から︑なんと︑光が発することか/︑

多くの患者の死を経験して︑悩んでいた医師が︑その死者の墓に

向って︑そう︑うたうことが出来た時︑彼自らは︑死の世界へ︑行く

必要がなかったのである︒それが〃どんな患者にも抵抗出来る︑より

高い器官の成長〃であり︑外ならぬ内面的な発展である︒後に︑詩人

が〃鈩尉計皇○口〃の中で〃他人の深みに入って︑生き︑しかも︑他人

に帰属せずに︑いることが出来る人交がいる︒真の医師というものは

︑そういうものだろう︒彼が人を護り︑治療すべき者なら︑悲劇的な

ものから︑離れていなければならないのだ︒〃といっているが︑この

医師はまさに︑その段階に達しているのである︒

〃且①国胃宮〃は国胃癌儲の遺稿ということではあるが︑結局は︑

切身需局より内面的成長を示しているのである︒この詩は〃切身需門〃

の出た一九一○年後しばらくして︑詩作ざれ附加えられたのであって

詩人が〃国辱鳴吋〃を書くことによって︑愛の罪過を︑臘罪し︑死を

のり越えたが︑それを″豆の国匡o写〃であらわしてみたのであろう︒

作品が︑詩人の体験そのものとは︑勿論︑いえないが︑その内面的成

長は︑くみとっていいのだ︒この期が︑詩人の医師としてのさらに︑ いま︑わたしは︑深い愛の絆を認めざるを得ない︒〃 詩作上での大きな成長期であった︒ この詩は︑詩全体としては︑詩劇といった方がいいのであって︑あ

まりいいとはいえないが︑現実の体験を︑いわずにいられない︑︵前

半︶うたわずにいられない︑︵後半︶内発性から出たものであって︑

その内的成長にともなった充実した詩句になっている︒初期の詩の外

的な暗さが︑苦悩という内的な暗さに変っている︑と同時に︑光りの

象徴も︑初期に見られた外的な光りの変化そのものではなく︑内的

な表現に変っている︒前半での〃のろはれた星〃などは︑まだ︑象徴

というより︑比愉的なものであって︑月並な表現ではあるが︑それで

も︑内発性からうたわれたものだ︒幼児のまぼろしが︑死を告げなが

ら︑消えていく時︑医師はこういっている″一切の中に︑おまえは遍

在するだろう︒傷ましく︑溶けやすい自然から︑離脱した小さな光ょ

あらゆる大いなる火につけ加えられるもの︑お前は︑消えない眼を︑

もつだろう︑内部から光を放ち︑夜と物質をつらぬく眼を・・⁝⁝.︒〃

とこの小さな光︵屋の宮匿目︶は幼児全体ではあるが︑それにとどま

らず︑その働きは︑自然へ︑宇宙へと向って広がる感じであり︑しか

も︑詩人から遊離したものでなく︑眼という表現で︑〃人類から離脱

した口の三匿邑は詩人とつながりをもった︑内的な光りとなっている

のである︒〃土砂でうずもれた墓から︑発する光りの象徴も︑医師の

心の中の︑死者との愛の絆であると同時に︑医師の世界観の反映であ

る︒これらは︑初期の詩の︑憧れの光りや︑詩作意志から生れた︑外

的な光りの変化そのものの表現では︑もうない︒詩人が︑内的な暗黒

の苦悩に︑沈潜し︑それをつきつめ︑それに︑耐えて︑そこから︑光

りの象徴となって生れた︑愛の︑悟りの︑詩人の世界観の象徴なので

ある︒このような︑内的な光りの象徴は光り自体としては︑もの固定 五六

(7)

158

的なものであって︑詩人の内面がいろいろな暗黒を通して︑変化する

につれて︑いろいろな光りに︑表現されるにすぎないのである︒

口内的な光りとしての愛の展開︒

一九一四年︑詩人が戦争に参加してから︑ナチス政権の前までの中

期には︑数多くの詩が出来たが︑大体︑三つの傾向を示している︒官

能的な︑愛の詩と︑第一次大戦の所産と︑イタリー風の詩だ︒全体と

して︑光そのものが主題になっているわけではなく︑重点的に光りの

象徴が︑大きい比重で︑散らばっている︒しかも︑〃ロ討国胃冒〃

で見て来たように︑次第にその光りは︑愛という具体的な姿をとって

来ている︒つまり︑光りは初期の比輸的な象徴から︑或る程度︑分折

出来ない︑世界観なり︑人格なり︑の総合的表現としての象徴そのも

のに煮つめられて来ているのである︒いいかえれば光りというのは︑

愛の比愉であったのだが︑愛という言葉で規定すると︑詩人の意図す

る広がりの愛は︑表現出来ない︒それで︑比哺の︑或いは︑象徴の表

現を用いたのである︒だから︑詩人が愛に対して︑広い︑或いは深い

視野をもてば︑それだけ︑光りの象徴は︑広がりを︑或いは重みをも

ってくるのである︒

官能的な︑一連の愛の詩である″同自己菌目四目耐〃や〃の目画〃ぐop

F匡駕呂眉匡鴛多冨湧話風匡日全国屋舎の〃声の・急.では︑性を︑そし

て︑ロ日◎ロをうたっている︒性を卒直に︑うたっている︒元来カロ

ッサの文学は︑自制と克己がまさっていて︑官能的なものは︑縁遠い

のであるが︑彼が︑世界の︑そして︑愛の根源的な力を︑堀りさげた

時︑この性の力を︑無視出来なかった︒〃国日己冨目頤口厨久受胎︶は勿

論︑原罪的なものではなく︑自然の根源的な力として︑とらえられて

いるのである︒さらに︑詩人は〃冨湧誌凰巨目色閏屋号①〃では

カロッサの詩につてい︵大滝敏夫︶ 根源的な力︑ロ酔日○口によって︑この同目のを︑より高い愛に︑人類愛 に高めようとしている︒〃恋人よ︑われらはもっと偉大なことをしよ う︑⁝⁝⁝あまりにうっとうしい性からはなれて︑源始の聖堂を建て つつ︑われら自身を立派にしよう︑/︑〃これらの詩は︑観念的ではあ るが︑宇宙的な思想を︑背景にした︑すぐれた愛の思想詩となってい るのだ︒

詩人が︑一連の官能的な詩を作ったのは︑恐らく︑ロ①置目里の影響

によるのであろうが︑野8のあり方として〃生を生む死の行為〃に

重点がおかれているのを見と︑の︒①夢のの〃の画号ppq言9号〃の思

想を︑強く出そうとしているのだ︒これまで見て来たところでも︑解

かるようにカロッサの詩全体に︑古い言葉や︑ゲーテの言葉と思想が

随所に見られた︒初期には︑ゲーテの言葉そのものの模倣であり︑中

期には︑言葉より思想内容の影響である︒しかし︑単に模倣とか︑影

響で︑片づけるわけにはいかない︒詩人が︑愛の︑そして世界の根源

的なものを︑さぐって医師として︑人間として︵″ロ庸蜀言再〃︶〃

の威忌巨邑・急①aの〃を体験し︑さらに︑戦争で︑〃毒蛇の口から光

りを得よ!〃を体験したからこそ︑そのような詩を作ったのである︒

源を正せば北方的な︑自己に厳しい性格と〃己壁目︒p〃の力の素地が

あったからで︑必然的な詩作だったのである︒唯し︑後でまとめて問

題にするが︑その詩作の際︑言猪のや発想の仕方︑つまり言葉の表現

に新鮮さがなかったことは︑彼が現代の詩人でなかったことを決定的

にしている︒

中期の︑もう一つの傾向は︑第一次大戦の所産の詩であるが︑不思

議なことに︑戦争の最中に生れた詩は︑みな︑平和でのどかで︑自由

な伸々とした発想をしており︵″甸画置再〃″己尉の冨鼻汚冒國旦・角

五七

(8)

157

カロッサの詩について︵大滝敏夫︶

畠四口Q号印困呈侭①易〃Fの・言.︶戦後出来た詩は逆に︑厳しい作

風を示している︒それはどういうことなのだろう︒恐らく詩人が医師

としての︑あの苦しみから離れて︑戦争の場で解放された気持になっ

たことも︑要因であろう︒がもっと︑つきつめて考えると︑11戦争

という危険の場で︑人間が求めるものといえば︑それは無意識裡にあ

る人間の根源的な姿である︒詩人の場合︑それが︑遠くはなれた故郷

とか/幼年時代の思い出だったのだろう︒戦後の詩である〃ご閉三群早

の言ごく◎ごロ9国言3口﹃〃は︑逆に︑戦中の自分の根源的な姿を

ほりさげて︑少女の姿でうたったのであろう︒111戦場の只中で︑

一人の少女が花模様のついた︑経惟子を肩にして︑とび出して来て︑

ガリシャ地方の習慣通りに︑すばやく︑死んだ兵士達の着物を脱がせ

ては次々にそれを着せていく11.弾のとんでくる真只中で︑そのよ

うな儀式をやる姿は︑異様で狂っている︒狂ってはいるが︑むしろ人

間の真実の姿である11︒〃国月言〃の中の少年は︑麦畑が燃えて

戦場になっていくのに︑そこへ︑夢中に種をまく11.それらの少年

少女の行為と姿は︑どんな身の危険にさらされても︑いやさらされた

時にこそ人間が本来持っている使命をなんらかの形で︑何の恐れも︑

恥もなく︑やってのけるのだ︑ということを表わしている︒それは単

なる本能ではなくて︑愛の根源的な力︑己舛go目の力である︒詩人は

それをいってよければ︑神に命ぜられた愛の行為に昇華している︒

〃けれども︑友よ︑ぼくらは何者だろう︒どんな命令を︑われら

は受けているのだろう?

ああ︑あの少女がやさしく︑熱狂して︑浄めの習慣にならって︑

見捨られた死者に近づいたように︑ 〃この世で︑精神の光りの衣を着せあう魂をもてば︑それで︑十分 だ〃という詩句に︑全てが集中している︒しかも︑〃屋号厨①葛竪 はこの詩の中で︑大きな比重をもっている︒それは︑具体的には︑現 実の場での︑普遍的な愛︑人類愛である︒詩人は︑愛の根源的な力 口舞日○口を人類愛に︑昇華したのだ︒一連の︑官能的な詩も同じように 8を口酔目○口の力で人類愛へ︑昇華しようとうたった︑しかも︑ど ちらも︑現世の生を︑愛で生きようと主張した︒しかし︑官能的な詩の 方が観念的で︑しかも愛のあり方を︑互いに要求し合う方向でとらえ ている︑それに対して〃ロ呂圃弓国ロ﹃〃の方は︑現実の場での愛を うたい︑愛のあり方を︑互いに与える″①冒四且輿癌急四目号昌〃とい う方向で︑とらえている︒前者の愛は︑因3のであって︑下から上へ 上昇する愛であり︑後者は︑他に与える無代価の愛であって︑自れを 惜しみなく︑消費することによって︑高められる愛である︒だから︑ 二つの傾向の詩は︑同一の内的な暗さの︑根源的な力︑己唾昌○旨を同 一の究極の目標である︑人類愛に︑高めているのであるが︑その力の

働く場の愛の方向が逆なのである︒この求め合う愛から︑無償の愛へ 五八

ぽくらも互いに︑生きている者として︑あんなに美しく︑相近づ

萎二︑

時には︑新たに︑永くとっておかれた︑精神の光りの衣を︑

心の星のよろこびの光だけを透き通す︑

そんな衣を︑着せ合うような魂をぼくらがもっているなら11こ

の世で︑ ぼくらは十分豊かではないか?〃

(9)

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1907〜1929

DieneueRnndschaul9607.1Jahrg

AugustLangen:HansCarossa‑WeltbildundStil

LudwigRohner:DieSprachkunstH・Carossas.

1955

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+〈極

H・Carssa:SammtlicheWerkeBdlH1962

H・Carossa:EinsamkeitnndGemeinschnftl932

H.v・HofmannstahlHansCarossa:Briefwechsel

Rp#、中Q朧且●多トーノ(K鯉種+K)

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胴長

参照

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