• 検索結果がありません。

『好色一代男』の年立

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『好色一代男』の年立"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

㈲はじめに

﹃好色一代男﹄が巻一から巻八まで各巻七章︵巻八の承は五章︶から成り︑

巻一の一︵冒頭章︶を世之介七歳の時点に設定し︑巻八の五︵最終章︶を世之

介六十歳までとする一章一年の年立によって書き進められていることは周知の

如くである︒が巻六・巻七に至って巻五までの年立と整合しないという現象が

生じている︒すなわち︑巻一の一・七歳から書き起し︑一巻七章七年の計算

で書き進められているから︑巻五の七は当然ながら四十一歳で終っているのだ

が︑次の巻六の一が三十六歳から始まり四十二歳︵巻六の七︶で終り︑巻七が

四十九歳の時点から始まるという不整合がゑられるのである︒

目従来の年立解釈

︾﹂の不整合を年立に関する西鶴の錯覚による誤記︑あるいは西鶴の計算違い

による誤記として︑従来様々な解釈がなされて来た︒

こうした解釈のなかで︑阿部次郎・野間光辰・高橋義孝・森銑三の四氏の解

釈が︑現今までの代表的な解釈と思われる︒従って︑新たな解決の道を見出だ

し︑自説を展開する上から︑この四氏の解釈を整理・要約してふるのも無用で

はないと思われるので︑煩雑であるが四氏の解釈を整理・要約すると次のよう

になる︒側まず阿部次郎氏は八﹃好色一代男﹄おぼえがきV︵﹃徳川時代の芸術と社

会﹄︶に附した.代男年譜﹂で﹁三十六歳から四十一歳まで重複する二つず

つの説話に於て︑往々世之介の身分に矛盾を生じて来るところがある︒而も第

六巻の説話中︑三十六から四十二までの年令を必要とする何等の内的必然性も

含まれていないところを見ると︑これは細節に対して粗放なる例の西鶴の不注

意と解釈することが最も普通らしく思われる︒﹂として.代男年譜﹂では︑

﹃好色一代男﹄の年立

巻六の年立を訂正し四十二歳から四十八歳までと編承直しておられる︒

②西鶴の粗放なる不注意とする側の解釈に対して︑﹃西鶴と西鶴以後﹄︵岩波

講座﹃日本文学史・第十巻近世﹄︶で︑野間光辰氏は﹃好色一代男﹄は巻六の最

後の章︵世之介四十二歳︶まで書き上げられていたと推定し︑巻五の七︵世之

介四十一歳︶と巻六の一︵世之介三十六歳︶との間の年立の不整合を次のよう

に解釈しておられる︒

巻五は︑その第七章が世之介四十一歳で終っており︑年立に誤りのないとこ

ろから︑この巻まで一気に書かれたものであり︑しかも西鶴はこの年︵天和二

年︶四十一歳にあたっていることから︑西鶴自身の自伝的要素を世之介の歴史

的時間の流れに沿って付け加えることで︑世之介に現実性を賦与しようとし

た︒すなわち︑西鶴の自伝的時間に世之介の生涯の時間を一致させようと企図

した︒︵その理由を︑幕府の施政天変地異などによる町人階級の不安と危機の

時期が天和二年をその時点として訪れたことに求めている︒︶ところが巻一の

一で世之介は五十四歳まで生きているはずであったから︑四十一歳以後五十四

歳までの世之介は現実の裏付けを有しないことになり︑西鶴の意図とくい違っ

てくるため﹃源氏物語﹄の並びの巻式に巻六︵三十六歳から始まる︶から世之

介の年立を繰り上げて書いてみた︒そして西吟に巻六までの草稿を手渡した︑

とするのである︒

さらに︑巻七の年立に関しては﹁西吟に励まされて西鶴はまた筆を取上げ

た︒今は最初の意閃にこだわらないで︑ともかく完成させるということが目当

てだった︒一巻に七章ずつの割だから巻七は四十九歳の章から始まるとそう軽

︵註l︶く考えて書き継いだ﹂のだったが︑それが年立の﹁錯記﹂を生じた原因であっ

たと解釈しておられるのである︒

③野間氏のこの解釈を説明不備として批判し︑独自の解釈を提示なさったの

が高橋義孝氏で︑八﹁転合﹂のオーブァー・インタープリテーションと年立錯

(,、

L

(2)

記解釈の背後にある問題V︵﹃近代芸術観の成立﹄六十一章︶で︑次のように

推定なさるのである︒

﹁西吟が天和二年秋︑西鶴の許を訪れた時草稿は巻四まで完成しており﹂︑

そこで﹁年立錯記を念頭に置き︑叉成心なくということは何らかの現代の小説

でも読むようにしてこの作品を読んでみるならば︑それは精々巻五まで﹂西鶴

が筆を進めており︑西吟が持ち帰ったのは巻五の分までであった︒というのは

巻六以下は三都名妓列伝の観を呈し︑世之介の存在の影が薄くなるという変化

が承られるからである︑と解釈するのである︒そして﹁巻六以下の稿を継ごう

とする西鶴の手許に巻五までの草稿がないままに︑一巻七章七年の計算で巻

五の最後の章を五・七︑三十五の三十五歳で終り︑三十六歳から巻六を書き出

したのではないか︒この誤りは︑西鶴が﹃源氏物語﹄五十四帖を﹃好色一代

男﹄の年立の枠に藷りた結果生じた錯覚による︒﹃源氏﹄は一歳からの書き起

しであり︑ヨ代男﹄は七歳からの書き起しであるのに︑巻六の稿を継ぐに際

して︑西鶴は世之介一歳からと錯覚して計算した結果︑巻六が三十六歳から始

まることになったとみておられる︒

巻七の一を四十九歳としたのは︑巻一が七歳から始まることを想起したため

であって︑想起しえたのは︑巻六を書ぎ上げて心に余裕が生じたことによる︒

そして巻六の最後の章と巻七の初章とを整合しえなかったのは︑巻一から巻五

までの草稿と同様に︑巻六の草稿も書き上げて西吟に渡し︑手許になかったた

めであろうと推定しておられる︒さらに高橋氏の﹁成心なき﹂鑑賞によれば︑

成立史的にも巻四までを一グループとし︑巻五は単独の巻で巻六以下のグルー

プを媒介する巻として三部作に見倣すのが妥当ではないかとする解釈を提案し

︵註2︶ていられる︒

倒森銑三氏は︑﹃好色一代男﹄は書き進むにつれて幾度か稿をも改めて︑か

なりの時日を費して完成し︑章の順序なども前後したため︑年立の不整合が生

︵註3︶じたと論じておられる︒

︵註1︶﹁錯記﹂の語を野間氏は﹃定本西鶴全集﹄巻一の解説で用いておら

れる︒

︵註2︶高橋義孝氏の三部作説は︑﹃一代男﹄の巻四までの章に登場する女

性描写が個性的なこと︑素人女がその大部分であること︑職業身分の

ニュアンスの相違が描写されていること︒巻四の最後で世之介が放浪

も終り父の死により勘当も解け一区切りがつくなどの内容の相違に基

白これらの解釈の疑問点

ところで︑﹃好色一代男﹄の年立の誤記に関して︑現在この誤記の原因を解

明する手懸りとなる資料は︑﹃好色一代男﹄と題する作品の他になく︑それ故

に︑作品の内容を検討し︑内容上での何らかの相違を見い出し︑それを傍証と

して推定する方法以外に解釈の仕方はないであろう︒従って︑年立の誤記に関

する解釈はあくまでも推定の域を出ないのだが︑妥当な推定なら可能であろう

し︑また必要でもあるだろう︒それも十分な作品内容の分析に基づいた推定で

あることは言うまでもないだろう︒野間光辰氏・高橋義孝氏等の解釈への疑問

点もそこから発しているのである︒

②の解釈からすれば︑野間氏は︑巻一から順を追って﹃好色一代男﹄は執筆

されたと推定なさっている︒そこで私達がその推定に基づいて︑世之介の年令

に西鶴自身の年令を一致させて天和二年四十一歳までの物語を書こうと企図し

たとする執筆動機に関する野間氏の説明をこの作品の叙述と照し合せて考えて

みる時︑野間氏は大きな見誤りをしたことに私達は気づくはずである︒西鶴が

世之介四十一歳までの物語とする意図を持ち︑巻一から順々に筆を進めたとす

れば︑巻一の一の﹁五十四歳までたわぶれし女三千七百四十二人﹂︵傍点三浦︶

とする記述は起りえないはずであり︑まして世之介の好色物語に﹃源氏物語﹄

五十四帖を五十四歳に割り当てようとした西鶴の構想を認めているからには四

十一歳までとする推定はなしえないはずである︒こうした野間氏の推定は︑高

︵註1︶橋義孝氏も指摘しておられるように︑巻五を西鶴が四十一歳で最終章としよう

としたとの推定は︑西鶴自身も天和二年四十一歳であったとする意識にとらわ

れ過ぎており︑西鶴が俳諸から散文執筆へと駆り立てられたその転換の原因を

天和二年という時代的不安に求め︑この作品を解く鍵はそこにあるとみた結果

で︑文芸作品の成立をあまりにも直接的に歴史・社会に対する意識の産物と見

倣して﹁すりかえ﹂た結果生じた年立解釈といわなければならない︒

さらに︑巻六の年立誤記の解釈においても三十六歳まで繰り上げた理由に づくと共に︑巻五を野間氏の考えに従って西鶴も四十一歳なら世之介も四十一歳ということで一段落ついたような気持で西吟に一括手渡したと推定し︑巻六以下は三都名妓伝の観を呈し︑世之介の存在の影がそれまでと違って薄くなっているとする考えに基づくものである︒

︵註3︶人物叢書u﹃井原西鶴﹄ ︑︑J︽﹃

(3)

﹃源氏物語﹄並びの巻式にとの説明は︑巻五までの年立で﹃源氏物語﹄の年立

との結び付きを二義的にゑている割には︑唐突に並びの巻が一義的に持ち出さ

れたきらいがあり︑またどうして︑三十七歳︑三十八歳に繰り上げずに三十六︵註2︶歳としたのかの点に関する説明が︑高橋氏の批判の如く︑不明なことである︒

また︑巻五・巻六の世之介の描写の仕方に相違が認められるが︑③の解釈に

おいては︑その相違を問題としておらないこと・巻六の四︵三十九歳︶﹁寝覚

の菜どの象﹂の遊女のあってはならない行為に対する世之介の次の言葉﹁此外

見とがめて︑五とせあまりの事共︑其かぎりしられず︒﹂︵傍点三浦︶とある記

述に注意を払っておられないこと︒などから肯首しえない気持が残るのであ

る︒

例の解釈にあっては︑森銑三氏が西鶴を﹁書津の出版物の編輯的事務に携わ

つれ喝紗り.つはその性格でもあったろうが︑整然たる形に書物を栫上げる

︵註4︶ことに特別の興味と手腕とを持っていた︒﹂と説いておられるが︑そうした手

腕のある西鶴が︑どうして年立の不整合に気付かなかったのかの疑問が残る説

明であり︑この疑問に答えてくれる記述は見あたらない︒構成に心をくばった

西鶴を論じて︑年立の不整合はその限りにあらずとするのは︑論として統一を

欠いたものといえよう︒

︵註1︶︒︵2︶一近代芸術観の成立ニハ十一章八﹁転合﹂のオーブァー・イン

タープリテーションと年立錯記解釈の背後にある問題V

︵註3︶︒︵4︶人物叢書︑︒﹃井原西鶴﹄

何年立不整合の新しい解釈

以上年立の不整合への解釈に対する幾つかの疑問点を指摘したが︑この疑問

点をもとにし︑既往の解釈の妥当と思われる点をも考慮して︑年立の不整合を

次のように解釈するのが︑より妥当ではなかろうか︒

西吟が西鶴の許を訪れた天和二年秋神無月︑草稿は︑高橋義孝氏が推定して

おられるように︑巻四まで完成していた︒そして巻五の一と巻六の各章がほぼ

現在私達の目にする程度まで書き上げられていたが︑まだ巻四までの部分のよ

うに︑まとまりのある物語としては十分に構成がなされていなかった︒と推定

するのは︑まず﹃好色一代男﹄の最後に記載されている西吟の敬文︵簡単なが

ら﹃一代男﹄の成立と出版までの経緯が誌るされている︒︶の﹁月にはきかし

ても︑余所には漏ぬ︑むかしの文枕とかいやり捨られし中に︑転合害のあるを

心手 取集て︑荒猿にうつして﹂の部分を根拠にしてである︒この践文を文意の通り素直に受け取るならば︑﹁かいやり捨られし中に︑転合書のあるを取集め︑荒猿にうつして﹂とあるからには︑西吟が西鶴に見せられ手渡された草稿のある部分は十分な構成の下に完成されてあったとは断言しえない響の感じられる践文であろう︒しかも︑﹁荒猿にうつして﹂とは︑この草稿を西吟が浄書した事を意味する記述であろうし︑事実︑本文板下は西吟の手になるものと書誌的面でも実証されている︒さらに︑この践文には﹁転合書﹂を﹁駁集め﹂た主語は明記されていないが︑次にくる﹁荒猿にうつして﹂の主語が西吟であることは疑いもないから︑西鶴であるよりは西吟が﹁取集め﹂の主語と承るのが妥当であろう︒とすれば︑各章の編集・構成に全面的にとはいえないまでも西吟がそれに一枚加わっていたと推測しうるのではないか︒また﹃好色一代男﹄の書物としての体裁をみると各章とも本文二丁半に挿絵半丁大一面を添え章の小見出しも必ず丁の裏の第一行に記している︒このように整然とした体裁は︑西鶴の構成意識の現われであろうから︑整然とした構成を指示した西鶴の態度と践文の意味する事柄とを考え合せると巻六の年立の不整合は︑必ずしも西鶴自身に原因があったとは断言しえないのではなかろうか︒かえって︑浄書し編集p構成に一枚かんだとふられる西吟の側に不整合の原因がひそんでいるのではないか︒そうした推測をうながす賊文の記述であると思う︒従って︑巻五・巻六の各章の構成は西吟の手がすぐなからず加わっていると考えるのである︒こうした推定を妥当ならしめる要素が︑巻五・巻六の記述・説話の構造の相違に求められるのである︒

ところで︑私達が巻四まで︑高橋義孝氏の表現を借りるならば︑﹁成心なく

ということは何らかの現代の小説をでも読むようにしてこの作品﹂を読象進む

ならば︑そこまででこの作品は一応の完結性を持っているといえよう︒そして

巻五以下の物語は︑巻四の最終章﹁日来の願ひ今也︒おもふ者を請出し︑又は

名たかき女郎のこらず此時買ひではと︑弓矢八幡百二十末社共を集めて大大大

じんとぞ申ける︒﹂の記述から︑世之介の三都遊里を中心とする﹁名たかき女

郎﹂との説話をその後の展開として想像するのが自然である︒だから巻五の一

で吉野の説話が語られるのは不自然ではないし︑以後の章も同様の説話を想像

するのが読者として自然であろう︒それ故︑西鶴が巻五以下の各章の筆を執っ

た時︑彼の脳裏にあった構想は︑今述べたような遊女列伝の形式であったとゑ

るのが自然な解釈ではなかろうか︒換言すれば︑巻五の一︑次に巻六の各章の

P

(4)

説話を巻四以後の展開として構想し執筆していたということである︒とすれ

ば︑巻五の一の年立が三十五歳で︑巻六の一が三十六歳から始まるという年立

の不整合は納得がいくのである︒この推定を可能にするのが︑巻六の四﹁寝覚︑︑︑11︑の菜どの承﹂の先に引用した﹁此外見とがめて︑五とせあまりの事共︑其かぎ

りしらず︒﹂︵傍点三浦︶の記述である︒この巻六の四は世之介三十九歳の年立

であるから﹁五とせあまり﹂の記述をもとに逆算するならば︑世之介が三十五

歳の時点まで遡行することになる︒そしてこの時点の年令は巻五の一の世之介

三十五歳とする年立に合致する計算になる︒従って︑﹁五とせあまり﹂は世之

介が三都の遊里に﹁わけ知り﹂の大臣として登場する巻五の一の章の時点を踏

まえての年数と解釈するのが妥当であろうと思う︒とすれば︑西鶴の脳裏に

は︑世之介三十五歳から三十九歳までの五年あまりとして世之介の年令を計算

した時間意識が存在したとゑてよいわけである︒こうした時間意識に基づく記

述は︑巻四までの各章で随所に見い出すことが出来る︒今二︑三その例を掲げ

るならば︑

○巻一の一︵七歳︶﹁四つの年の霜月は髪置はかま着の春も過て︑萢瘡の神い

のれば跡なく︑六の年へて︑明れぱ七歳の︑夏の夜の︒⁝:﹂︵﹁けした所が恋

のはじまり﹂︶

○巻一の二︵八歳︶﹁八歳の宮の御歌もおもひ出され︑世之介もはや小学に入

るべき年なればとて﹂︵﹁はづかしながら文言葉﹂︶

○巻三の三︵二十三歳︶﹁廿三の年もかい暮になりい﹂︵﹁是非もらひ着物﹂︶

○巻四の三︵三十歳︶﹁世は五つの借物︑とりにきた時閻魔大王へ返さふまで

合せて三十年の夢﹂︵﹁夢の太刀風﹂︶

こうした記述の仕方は巻四までの各章において頻繁に使われており︑世之介の

年令を年立と合致させて記述しようとする時間意識が巻四までの各説話を貫ら

ぬく構成意識として︑年代記的長編小説的構成とこの作品が見倣されることの

支えになっている︒巻六の四の﹁五とせあまり﹂の記述は︑そういう時間意識

による構成意識のあり方と同一線上にある意識の現われであろう︒従って︑巻

四までの執筆時期とあまり時間的隔りを置かず︑ということは巻四までの記述

意識が残曳している時期で︑しかも巻四と同じ構成意識の延長として巻六の章

が執筆されたことを意味するであろう︒

また巻六の五﹁詠は初姿﹂での初音との遣取りにおいて﹁かようの事にて︑

江戸にてもおろされ無念今にあり﹂の記述は︑巻三の五﹁集礼は五匁の外﹂の 寺泊での﹁我江戸にて︑はじめの高雄に三十五までふられ︑其後も首尾せず︑今おもへば惜ひ事哉︒﹂の記述と呼応するものであろうから︑これも前述の記述意識の残存を証することになろう︒

以上の事柄から推して︑巻六はすくなくとも巻四までと同一的構想の枠の下

に執筆されたことを暗示する︒西鶴頭初の意図は︑巻五の一︵三十五歳︶︑そ

れに継続する章として巻六の一︵三十六歳︶以下の章︵巻五の二から巻五の七

までの六つ里早六年間を除いて︶︑そして巻七と巻八の最終章まで世之介

五十四歳までの﹃源氏物語﹄五十四帖をその年立に籍りた構想であったと推定

されるのである︒西鶴が西吟に見せたのは︑従って︑巻四までと巻五の一・巻

六の各章の草稿ということになるであろう︒

次に︑除いた巻五の二︵三十六歳︶から巻五の七︵四十一歳︶までの六つの

章を西鶴頭初の意凶には存在しなかったと推定する理由は︑これら六つの章と

巻五の一・巻六の各章とに承られる説話のもっている構造が異っていることに

ある︒

巻五の四﹁命捨ての光物﹂の女形歌舞妓役者滝井山三郎と慶順という法師と

の若道の説話を除いて︑巻五の二から巻五の七までの五つの章は︑西国地方の

遊里廻りの説話であり︑巻五の一・巻六が三都の名妓列伝の説話であるのと対

照的である︒前者が地方遊里の状態︑地方遊女の振舞を叙するのが主たる目的

であり︑その状態・振舞は世之介の眼を通して視られた状態・振舞であり︑

かつて﹁わけ知り﹂の世之介によってそれが﹁遠国の傾城の曽而おかしからいにこり

はてて﹂︵巻五の七﹁今髪へ尻が出物﹂︶と価値判断が下されるという構造を共

にもっている︒巻五の一・巻六の各説話に描かれた太夫達が︑その説話の咄し

手によって讃美されるのと好対照なのである︒

○巻五の二﹁都に近き女郎の風俗も替りて︑はし局に物いふ声の高く︑道あり錐るも刀じ屍らくくも大足にせはしく︑着物も自堕落に︑帯ゆるく︑化粧も目たつ程して︑よさ承せんしあし共に︑三味線をにぎり︑頭をふって︑うたひける︒﹂︵﹁ねがひの播餅﹂︶

○巻五の三﹁酔覚しに︑千年川といふ香炉に厚割の一木を焼て︑きかせける

に︑こころもなく︑そこj︑に取あげて︑まはしける︒いとはしたなし︒﹂

︵﹁欲の世の中に是は又﹂︶

○巻五の五堺高州の廓で佗しい一夜をあかす事︒︵.日かして何程が物ぞ﹂︶

○巻五の六﹁堀川の勝之丞とて︑広ひ京にもならびなき小草履取︑諸人の目に

Eつちたつ僕也︒是をつる上程の者をかるく思ふは︑こ坐るのはたらかぬゆへぞ︑

(5)

とて池も床に入てもよしなし︒人形まはして遊べ︒﹂︵﹁当流の男を見知らぬ﹂︶

○巻五の七﹁九軒吉田屋﹂の昔との変り様︑名指しした天神の﹁酔が醒ぬと其

ま入ありて︑暇乞もせず⁝⁝夜着の下より尻をつき出すを不思議に思へぼ︑

其あたり響ほどの香ふたつまでこく所を火皿にて押へける︒覚ありてこきぬ

るこ上ろ入れのさもしさ﹂︵﹁今髪へ尻が出物﹂︶

これら五つの章に描かれた遊女が﹁いとはしたなし﹂︵巻五の三︶︑﹁こ上ろ

のはたらかぬゆへぞかし﹂︵巻五の六︶︑﹁こ上ろ入れのさもしさ﹂︵巻五の七︶

と批難されるのに対して︑巻五の一・巻六の各章の太夫達l吉野⁝.:﹁それ

こそ女郎の本意なれ﹂・﹁其おもしろさ限りなくへやさしくかしこく︑いかなる

人の嫁子にもはづかしからず︒﹂三笠⁝⁝﹁か上る心底︑又あるまじ︒﹂︵巻六

のご夕霧⁝⁝﹁此女郎の人をすてずに︑まことなるこ塁ろを思ひ合﹂︵巻六

混 げ

の二︶藤浪・⁝:﹁女郎一代のほまれ︑勝てかぞへ難し︒﹂︵巻六の三︶吉田の利

発さ︵巻六の六︶等三都の名妓の振舞に対する讃美が彼女達を理想的な存在者

に仕立てている︒彼女達のこうした理想的なあり方は︑世之介とのかかわり合

によって必然的に生じて来たあり方であるよりは︑世之介とのかかわり方にお

いて生じた類似の状況でならば常に生じたに相違ないあり方である︒世之介は

こうした名妓の理想的あり方を導き出すための状況を作り出すために存在する

人物として設定されている︒世之介は野間光辰氏の指摘の如く個体的存在では

なく幾多の浮世男の複合的存在としての性格を巻五の一・巻六において特に強

くもっている︒世之介が複合的存在であるということは︑人物形象の仕方が単フラット全証ワ.︶色であること︑E・M・フォースターの表現をもってするなら扁平な人物とい

うことになる︒﹃好色一代男﹄における世之介は総じて扁平な人物として描か

れてはいるが︑巻六の世之介像に特にその感を深くするのに比して︑巻五の二

以下五つの章の世之介像は幾分か丸みのある人物像へ展開しうる構造をもって

いる︒大津柴屋町に﹁供をも連ず︑風俗も野躰に﹂して﹁わけ知り﹂を忍ぶ世

之介と勘六︵巻五の二︶︒安芸の宮嶋で﹁あらひがきの︑袷帷子に︑ふと布の

花色羽織に︑さし渡し四寸五分計の紋に︑鎌と輪と︑ぬの字を付けて︑蚊虻な

る﹂醜い出立ちの世之介・金左衛門・勘六︵巻五の六︶︒西鶴は粋人としての

世之介に野暮な田舎の遊客を装わせることによって世之介像を八・︿ラドキシヵ

︵註3︶ルVな構造をもったものにしている︒この八︒ハラドキシヵルVな構造を根幹に

することによって︑傾城町の案内を頼んで亭主に﹁無用になされ︑六匁や七匁

ではたらぬ︒﹂︵巻五の二︶とか﹁今夜は︑傾城買さまの︑御泊りじゃ﹂などと

I

台所の使用人にまで噺笑される︵巻五の二︶とか︑女郎に﹁あいもんの言葉﹂

を使われ︑盃もさ上れず︑﹁大形ならずなぶ﹂られる︵巻五の六︶という装っ

た田舎大臣を愚弄する地方遊里・地方女郎が装われた仮面の下から粋人の眼で

逆に瑚笑されるというハアイロ−−Vが成り立っている︒このような八アィロ

−−Vが巻五の二から巻五の七までの五つの章の構造を形づくるのである︒構

造としてのハアイロ−−Vは︑﹃好色一代男﹄の各説話に見い出すことの出来

るものであるが︑それが世之介の八パラドキシヵルVな構造から展開し︑彼の

対象を八アイロニーVとして描写する説話構造は︑この五つの章を他の各巻と

︵誌﹄4︶は異った章にしているのである︒

それに対して︑巻五の一・巻六は︑世之介が粋人として一言で要約される扁

平性をもつのに比して︑その対象となる太夫達の行為が八パラドキシヵルVな

構造をもつのであって︑この八︒︿ラドキシヵルVな構造が﹁女郎の本意﹂と

し︑﹁こ異るのはたらき﹂として︑その相手たる遊客l粋人に廓の遊びの理想

として讃美されることによって止揚され理想化されるという説話の構造をとっ

ている︒このような構造の相違は︑巻五の一と巻五の二以下七までが連続して

書かれたものではないこと︑というのはその構想の面で執筆期に断絶があるこ

とを意味していると考えてよいと思う︒

それでは︑以上のように異る構造をもつ巻五の二以下の各章の存在をどのよ

うに解釈・説明するかであるかであるが︑次のように考えられるのではなかろ

うか︒西鶴は巻五の一・巻六の各章を執筆してみて︑巻四までの如く年代記的

展開性を与えられぬ事に憂慮していたのではないか・巻六以下の名妓列伝形式

では年代記的長編小説的構成をもちえないからである︒そこで前半の世之介の

東国の好色遍歴に対する後半の西国遊里廻りが西吟によって示唆された︒結果

巻五の二以下五つの章が誕生した︒︵そのため頭初の五十四歳までの構想に破

綻を来たした︒︶そしてこの二種類の草稿が西吟の手に渡された事によって︑

現在の構成の如く巻五・巻六が編集されたのではなかったろうか︒巻五の二以

下の五つの章が加えられたと考えるのは︑巻五の章の構成が︑西国遊里廻りの

章の途中で全く無関係な若道の章︵巻五の四︶が入り不統一を欠き︑一巻七章

の計算に無理に合せるために若道の章が挿入されたという感を抱かせるからで

ある︒このような推定をうながすのが先に論じた西吟の敬文﹁転合書のあるを

取集め︑荒猿にうつして﹂の記述である︒

そして︑西鶴はともかく﹃好色一代男﹄を完成させる意函で︑巻七を執筆す

(6)

るに際し︑巻六までの草稿の手許にないまま︑西国遊里廻りを中心とする六つ

の章と巻五の一・巻六の七章で二つの巻十四章十四年の計算で︑四十八歳

が巻六の終りと考え︑巻七の冒頭の章を四十九歳と年立したのであろう︒巻

六℃巻七の年立の不整合は︑西鶴に原因があったと推定するよりも浄書・構成

した西吟の側に原因があり︑巻六が三十六歳の年立で始まったのは︑西鶴が頭

初意図して巻五の二以下の章として記入した年立がそのまま巻六として構成さ

れる際に使用されてしまった結果に他ならないと推定するのが自然なように思

属ノ◎

︵註1︶﹃定本西鶴全集﹄第一巻解説︒

︵註2︶﹃小説の諸相﹄第四章︒

︵註3︶世之介の八パラドキシヵルVな構造は巻四までの説話に幾らでも見

出だすことが出来る︒というより世之介はそもそも八・︿ラドキシカ

ルVな構造をもった人物として形象されている︒幼年にして好色的怪

物性をもつという八パラドックスVがこの作品を支える構造であろ

う︒そこからまた業平を装ったり︑行平を気どったり︑神職に身を変

えたりする八・︿ラドキシカルVな構造が生じて来るのであろう︒

︵註4︶巻四までの八アイロ−−Vは世之介が八・︿ラドキシカルVであるこ

とに対する周囲からの世之介への八アイロ−−Vとしてその機能をは

たしている点に相違がある︒

追記本稿は︑昭和四十二年六月︑日本文芸研究会第十九回大会で口頭発表

したものに補筆した︒

参照