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1998 2015 「対立」 の 時代 のタイ 国鉄( 〜 年)

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「対立」の時代のタイ 国鉄( 19982015 年)

―鉄道の凋落 と復権―

柿 崎 一 郎

State Railways of Thailand during the Era of Conflict , 1998 2015:

Decline and Restitution of Railways

Ichiro Kakizaki

This article aims to reveal the modernization of the State Railways of Thailand (SRT) during the era of conflict from 1998 to 2015. The modernization plans such as double-tracking, new line construc- tion, change into heavier 100-pond rails, and the introduction of new rolling stock were suspended after the economic crisis from 1997. As a result, the condition of railway infrastructure was deteriorated, which caused frequent accidents. The reform of SRT was also stagnated by the opposition of labor union while its deficit was still expanding. However, the Railway System Development Plan in 2009 aimed to restitute the deteriorating railway infrastructure and expand railway networks, which materialized the structural reform of SRT to some extent. Although the plan was substituted by the following plans caused by several political changes, its outlines of rehabilitation and expansion of railway network was succeed- ed; the suspended modernization measures resumed.

As such, the decline of SRT during the 2000s reached its bottom in terms of policy before resuming its modernization measures after entering into the 2010s. However, the actual transport volume was still decreasing; it has not yet reached its bottom in terms of transport. The most important factor of favor- able circumstance toward railway was the expanding expectation toward it as the facilitator of logistics improvement. It was the emergence of railway myth that the logistics improvement could be achieved by increasing the share of railway transport by expanding investment toward railway.

はじめに

タイ国鉄(State Railways of Thailand)は,タイ国内の在来線4,043 kmを運営している公企業で ある。1951年に旧鉄道局から改組されて以来,バンコク市内の都市鉄道以外の鉄道事業を独占的に 運営してきたが,1973年以降は赤字経営を強いられており,バンコク市内のバス事業を担当するバ ンコク大量輸送公団(Bangkok Mass Transport Authority)とともに赤字公企業の代表ともいえる存 在となっている。このため,1990年代以降国鉄の近代化は停滞し,国鉄が運営する在来線は時代遅 れの乗り物と一般的には捉えられており,輸送量も年々減少傾向にある。急速に発展が進む他の交通 手段と比較すると,国鉄の在来線は明らかに凋落傾向にある。

ところが,そのような凋落傾向の一方で,2010年代に入ると鉄道の近代化計画が新たに浮上し,

世間の関心を集めるようになった。その代表が高速鉄道計画であり,現在は日本と中国との協力によ

横浜市立大学教授 Professor, Yokohama City University

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る高速鉄道計画が進行している。長らく止まっていた在来線の複線化計画も動き出し,各地で工事が 行われている。2015年には20年ぶりに新型ディーゼル機関車が導入され,翌年には新型の寝台車も 運行を開始した。凋落傾向にあった鉄道に追い風が吹き始めたのではあるが,2015年の時点でも国 鉄の赤字経営は依然として解消されず,輸送量の減少にも歯止めがかかっていない。

このように,1997年の経済危機を機に強まった国鉄への逆風は2010年代に順風へと変わり始めた が,その変化に焦点を当てた研究は存在しない。この直前の1970年代後半から経済危機までの状況 については既に筆者による研究(柿崎 2017)が存在するが,経済危機以降の状況については,拙著

(柿崎 2010)の他にラメール(R. Ramaer)やホワイト(B. R. Whyte)の概説書が存在するものの,

いずれも概説の域を出ず,詳細については言及していない(Ramaer 2009Whyte 2010)。

このため,本論は経済危機から2015年までの「対立」の時代における在来線を対象とした国鉄の 近代化を解明し,その背景を考察することを目的とする1。以下,1章で凋落が顕著であった2000 代の状況を解明し,2章で2000年代末から浮上した新たな鉄道開発計画とその具体化を検討し,

3章でこのような鉄道政策の変化の背景を分析する。

1. 衰退する鉄道 1-1. 鉄道への逆風

1997年7月の変動相場制移行に伴うバーツの暴落とそれに伴う通貨危機と経済危機の発生は,赤 字経営下においても何とか近代化を続けてきた国鉄にとって大きな打撃となった。それまで経常収支 の赤字額は多くても10億バーツ台であったが,1997年に赤字額は初めて20億バーツを超え,1999 年には約70億バーツに達していた(RRF 1999):1062。図1のように,1998年以降,累積赤字額 は増加の一途をたどり,1998年の時点で約33億バーツであった赤字額は2008年には約15倍の477 億バーツまで増加していた。2015年には累積赤字額が1,000億バーツに達しており,この間収支状 況が改善する兆しは全くなかったことが分かる。

経済危機は国鉄改革の議論を加速させることとなった3。1998年11月には,閣議で国鉄の機構改革 を行うことが基本了承された(RRF 2000):77)。これを受けて,国鉄が政府系シンクタンクのタイ 開発研究機構(Thailand Development Research Institute: TDRI)に短期的な財政面の改革案の策定 を委託したところ,TDRI40%の運賃値上げを行うとともに,従業員の福祉基金の負債20億バー ツを帳消しにすることなどの方策を提案し,長期的には資産管理部門を分離して資産運用からの収入 を増やすことを提案した(NT (OE) 1999/07/31)。これを受けて,2001年11月の閣議で国鉄をインフ ラ管理部門,列車運行部門,車両修繕(工務)部門,資産運用部門の4つに分け,インフラ管理部門 のみを公企業としてそのまま残す一方で,残る3部門を1999年公企業民営化法(Phraratchaban-yat

1 本来は高速鉄道計画についても言及すべきであるが,紙面の都合により省略した。詳細は,(柿崎 2015)を参照。なお,「対 立」の時代はタックシンを巡る対立を契機とした一連の政治的対立が続いた時期を意味するが,対立が顕著になったのは 2006年以降のことであり,2014年のクーデターによって一時中断状態となっている。

2 1997年に赤字幅が拡大した理由は,為替差損が前年の6,636万バーツから104,151万バーツへと15倍以上増加したのが 主因であった(RRF 1997):58)。

3 国鉄は1973年に初めて経常収支が赤字となり,1990年代に入ってから赤字経営から脱却するための機構改革が本格的に検 討され始めた。詳しくは,(柿崎 2017: 2930)を参照。

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Thun Ratthawisahakit)に基づいて民営化する方針が認められた(RRF 2000):78)。すなわち,こ れによって国鉄の民営化は列車運行を民営化するという上下分離方式で行う方針がようやく固まった のである。

しかしながら,この方式は国鉄の従業員から激しい反対の声が上がり,すぐに見直さざるを得なく なった。2001年2月には,国鉄が新たに成立するタックシン政権に対して民営化案を見直すよう求 めるとの報道がなされていた(BP OE 2001/02/05)。その後,5月と9月にそれぞれ運輸相と首相 を座長とする検討会が開かれ,インフラ部門は政府が管理する一方で,列車運行と工務部門は事業体

(Business Unit)方式として公共サービス義務(Public Service Organization: PSO)については政府 が補助金を支出するとともに,資産運用については国鉄の子会社として設置することが決まった

(RRF (2002):39)。最終的にこの方針が2003年11月の閣議で了承され,国鉄の民営化計画は事実 上振出しに戻ることになる(RRF 2001):37)。

この後,事業部の設置については具体的な進展がなかったが,2009年に入って再び子会社の設置 計画が浮上した。これは建設が進んでいたエアポート・レールリンクの運行形態を決めるためであっ た4。2009年6月の閣議で,公企業政策策定委員会(Khana Kammakan Kamkap Nayobai Dan Rat-

thawisahakit)が国鉄に列車運行と資産運用のための2つの子会社を設置することを提案し,これが

了承された(PCK (OE) 2009/06/24)。前回とは異なり国鉄の子会社としての分離であったが,労組 がこれに反発してストを起こした(BP OE 2009/06/23)。このため,最終的に同年11月に経済閣 僚会議で認められた,後述する鉄道輸送システム開発計画(Phaen Kan Phatthana Rabop Kan Khon- song Thang Rotfai)では,エアポート・レールリンクのための子会社のみを設置し,列車運行,工務,

資産運用の3つの事業体を設置する形に後退した(KT (OE) 2009/11/11)。このように,国鉄改革も 遅々として進まなかったことから,国鉄の経営状況は着実に悪化していたのであった。

4 エアポート・レールリンクはバンコク市内と新国際空港として2006年に開港したスワンナプーム空港を結ぶ空港アクセス 鉄道であり,2010年に開通した。詳しくは,(柿崎 2014: 361363)を参照。

出所:RRF(各年版)より筆者作成。

1. 国鉄の経常収支の推移(19982015年)(単位:千バーツ)

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1-2. 停滞する複線化と新線計画

経済危機は1990年代にようやく動き始めた複線化計画と新線計画にも悪影響を与えることになっ た。1993年にバンコク近郊区間234 kmの複線化計画が策定され,北線のロッブリー,東北線のマー プカバオ,東線のチャチューンサオ,南線のナコーンパトムまでの複線化・三線化が2003年までに 完成した(柿崎 2017: 32345。しかしながら,当初の計画では近郊区間に次いで幹線の複線化を継続 し,最終的に2,744 kmを複線化することになっていたものの,東部臨海線の複線化計画が優先され,

幹線複線化計画はしばらく停滞することになった。2002年に国鉄がコンサルタント会社に策定させ た鉄 道イ ン フ ラ開 発マ ス タ ー プ ラ ン(Phaen Maebot nai Kan Phatthana Khrongsang Phuenthan Thang Rotfai)では,今後30年間で計824 kmの区間の複線化をすることが含まれていたものの,実 際には計画は全く進まなかったのである(RRF 2003):62)。

一方,東部臨海線の複線化計画は第8次国家経済社会開発計画に含まれていたレームチャバン港第 2期拡張計画に関連して計画されたもので,国鉄では1997〜1998年に事業化調査を行った(RRF

(1998):51)。その結果,チャチューンサオ〜シーラーチャー間の複線化とチャチューンサオ,バー ンパーチーの2ヶ所にデルタ線を建設するべきであるとの調査結果が出て,国鉄ではさらに経済性の 調査も進めて第1次計画として閣議に申請することにしたが,結局デルタ線については先送りとして 複線化計画のみを先に進めることになった(RRF 1999):49, RRF 2003):586。最終的に,2004 7月の閣議でチャチューンサオ〜レームチャバン間78 kmの複線化計画が了承され,入札手続きに時 間がかかったものの2008年にようやく着工された(RRF (2004):48, RRF (200810):44)7。次いで,

チャチューンサオ〜ケンコーイ間106 kmの複線化とケンコーイを加えた計3ヶ所のデルタ線建設計 画が動き出し,2009年までに入札準備はほぼ完了した(RRF 200810):118)。このように,東部 臨海線の複線化計画については,若干の進展が見られたのである。

新線計画についても,経済危機の影響を受けてすべて中断されることになった。北部のデンチャイ〜

チエンラーイ線,東北部のブアヤイ〜ナコーンパノム線,東部のマープタープット〜ラヨーン線,南 部のスラーターニー(キーリーラットニコム)〜ターヌン線の計4線の建設計画が1990年代に動き 出し,ブアヤイ〜ナコーンパノム線を除く3線については経済危機前に詳細調査・設計に着手してお り,1998年にいずれも終了していた(柿崎 2017: 2527)。しかしながら,これらの新線計画につい ては,経済危機によって直ちに凍結の対象となってしまった。国鉄ではすでに詳細調査・設計を終了 した3線については民活方式での建設を検討したものの,大規模なインフラ整備をBOT方式で行う ことに関心を示す民間事業者は皆無であり,実現する可能性は極めて低かった。

それでも,大メコン圏(GMS)の経済回廊を構成する路線については,国際鉄道の実現へ向けて 期待が高まっていた。南北回廊を構成する可能性のあるデンチャイ〜チエンラーイ線については,南 部のスラーターニー〜ターヌン線とともに国鉄が2000年度予算で土地収用勅令の公布を申請し,

5 北線ランシット〜バーンパーチー間と東線フアマーク〜チャチューンサオ間は三線化された。なお,信号設備の設置は2006 までかかった。

6 デルタ線は本来ある線から別の線に入る際に駅で折り返す必要のある場合に,駅の構外に設ける2つの線を短絡する線路の ことであり,これによって列車が駅での折り返しを行わず直通できるようになる。

7 着工までに時間がかかったのは,後から追加したシーラーチャー〜レームチャバン間の環境アセスメントの審査が遅れたた めでもある。

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2001年に土地収用勅令が閣議で認められて公布された(RRF (2001):30)。その後,2003年には中 国南部への接続を検討するための再調査が行われ,チエンコーンへの延伸が決められた(RRF

(2003):63RRF 2004):53)。一方,ブアヤイ〜ナコーンパノム線も東西回廊のルートとして注目 されるようになり,20059月にタックシン首相が地元から要請のあったコーンケン〜ムックダー ハーン間の新線建設に同意するとともに,従来のブアヤイ〜ナコーンパノム線との比較検討を行わせ た(PCK (OE) 2005/10/03,RRF (2007):42)。2011年にルートはバーンパイ〜ナコーンパノム間 に決ま り,2013年の輸 送イ ン フ ラ開 発 戦 略(Phaen Longthun Dan Khrongsang Phuenthan nai Rabop Khonsong khong Prathet)に盛り込まれることになる8

1-3. インフラの劣化

複線化や新線計画のみならず,既存の線路のレールや枕木の更新も大幅に遅れることになった。

レール更新計画である100ポンドレール化計画は1990年代に入って浮上し,第3期までの計791 km の区間は2002年までに完成していた(柿崎 2017:2930)。これに次いで,国鉄では第4期で北線 ピッサヌローク〜バーンダーン間110 km,南線バーンスー〜チムプリー間18 kmトゥンソン〜バー ントンドーン間99 kmを,第5期で東北線ケンコーイ〜ケンスアテン間37 km,スラナーラーイ〜

ブアヤイ間192 km,タノンチラ〜ブアヤイ間79 km,第6期で東北線ブアヤイ〜ノーンカーイ間 278 km,総計813 km100ポンド化を行うことを計画していた(RRF (2003):59)。

しかしながら,この第4期以降の100ポンド化計画も大幅に遅れることになった。コンサルタント 会社を雇用して詳細調査・設計を行い,2005年に完了したものの,計画が政府のメガプロジェクト に含まれたことで一時中断状態となった(RRF 2006):449。しかしながら,第4期に含まれた南線 のトゥンソン〜バーントンドーン間でのレール破損が相次いだため,2007年に第4期の該当区間の 線路強化を通常予算で緊急に行うことにした(RRF (2007):43)10。この後,第5期と第6期計画は,

最終的に2009年の鉄道輸送システム開発計画に盛り込まれた上で着工されることになる。

100ポンドレール化計画の進展の遅れと保線要員の大幅な削減によって,タイの鉄道の保線状況は 極めて悪化した11。図2のように,100ポンドレールの比率は第1期〜第3100ポンドレール化計 画の完了した2003年に約3割に達したものの,その後2013年までの10年間にはほとんど変化がな かった。レールのみならず枕木の交換もなされず,とくに木製の枕木の劣化が深刻となった。このた

8 PCK OE 2011/11/10によると,国鉄がコンサルタント会社を雇ってブアヤイ〜ナコーンパノム間,コーンケン〜ナコーン

パノム間,ウドーンターニー〜ナコーンパノム間,バーンパイ〜ナコーンパノム間の比較調査を行ったところ,最後のルー トが最もふさわしいことが判明したとのことであった。

9 メガプロジェクトはタックシン政権が2005年の第2次政権の発足後に浮上させたもので,大規模なインフラ整備を行うべ 20056月に総額1.7兆バーツに上る「メガプロジェクト」構想を打ち出した。しかしながら,資金調達のめどが立たず,

同年12月には国際入札を行うとして「タイ:発展のための協同」計画として大々的に披露したものの,その後の反タック シン運動の盛り上がりの中で結局頓挫してしまった。詳しくは,(柿崎 2014: 307310)を参照。

10 100ポンドレール化計画ではレール,枕木の交換のみならず,橋梁の強化やカーブの是正も含んでいるが,線路強化はレー ルと枕木の交換のみを行うものである(RFT Khrongkan Prapprung Thang Rotfai Raya thi 5 lae 6. http://www.railway.

co.th/resultproject/TrackRehabPrj/Main/index.asp2017/05/24閲覧))。

11 赤字削減のために国鉄の従業員数は1976年以降減少傾向にあり,同年の31,041人から2014年には13,930人と約55%削減 されていた。中でも保線部門の削減は顕著であり,同じ期間に12,780人から2,640人へと5分の1に激減していた(RRF

1976):121RRF 201114):246247)。

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め,2009年以降,各地で線路の劣化による脱線事故が多発するようになり,例えば旧泰緬鉄道のノー ンプラードゥック〜ナムトック間では2009年に入ってレールの破損や枕木の腐食を原因とする脱線 が9月までに計10回発生していた(PCK (OE) 2009/10/01)。2010年11〜12月には,南部のカンタ ン支線でも同様の理由で脱線が3回発生していた(PCK (OE) 2010/12/13, KT (OE) 2010/12/14)。

線路のみならず,車両の老朽化も着実に進んでいった。1990年代半ばまでは新車の投入も継続的 に行われており,車両数全体も増加していた。しかしながら,車両数は1996年の10,922両を頂点に 減少に転じ,2015年には6,863両と最盛期の63%まで減った(RRF 1996):26RRF 201114):

242243)。この時期に新車の投入が進まなかった要因の1つに,バーター方式での車両調達計画の 浮上が存在した。最初はインドネシアから軸重20トンのディーゼル機関車20両とコンテナ貨車396 両を米と交換で購入する計画が2004年に浮上し,第1期分として機関車7両,貨車112両,総額約 9億バーツの契約を結ぼうとしたものの,米の調達ができず同年中に計画は中止された(RRF

(2004):64)。次いで,2005年には軸重15トン機関車7両を中国との間で竜眼によるバーターで調 達する計画が浮上した(RRF 2006):5051)。その後,余剰米とのバーターで調達することがタッ クシン政権末期の2006年8月の閣議で決まったが,結局具体的な契約までは至らず,最終的に通常 の入札方式に戻すことになった(RRF (200810):121)。

タックシン政権時代にバーター方式での車両調達にこだわったため,結局2000年代に新たに調達 できた新車はコンテナ貨車112両に過ぎなかった(Ibid.: 120121)。このため,この時期にも中古車 の調達が行われ,2006年に日本のJR西日本で寝台特急列車に使われていた中古客車32両が導入さ れている12。また,機関車不足が深刻になったため,2005年にはマレーシアから機関車20両を賃借 して使用した(RRF (2005):59)。車両の老朽化も進み,2009年9月には南線で急行列車が脱線す る事故が発生したが,これは機関士の超過勤務による居眠りとともに,居眠り運転の際に列車を停止

12 これらの車両は改造が終了した20103月以降正式に用いられるようになったが,2006年にタイに到着後直ちに臨時列車 としても使用されていた。

注:レールの種類は1ヤード当たりの重量を示す。

出所:RRF(各年版)より筆者作成。

2. レール種類別総延長の推移(1998〜2015年)(単位:km)

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させるデッドマン装置の故障も原因とされた(PCK (OE) 2009/10/13)13。このように,線路のみなら ず車両面でもタイの鉄道は確実に疲弊していったのであった。

2. 「鉄道神話」の再来 2-1. 鉄道開発計画の策定

経済危機の影響を受けて2000年代の鉄道をめぐる状況は厳しさを増していたが,2009年に了承さ れた鉄道輸送システム開発計画を契機に,これまで鉄道に吹いていた逆風が順風へと変わる兆候が出 始めた。すなわち,疲弊する鉄道への投資を拡大することによって自動車一辺倒の輸送構造を改め,

ロジスティクス費用の削減を目指すものであった。

鉄道輸送システム開発計画は長年の懸案であった国鉄改革を進めていくために策定されたものであ り,アピシット政権下の200911月に了承された,2010年から15年間かけて鉄道インフラの大 規模な拡充を目指したものであった(KT (OE) 2009/11/11)。この計画は最初の5年間で行う緊急期

(短期)計画とその後の10年間で行う長期計画に分かれており,短期計画では100ポンドレール化 計画,橋梁整備,信号設備改良,踏切改良などの線路の改良のほか,車両の増備,一部の幹線の複線 化計画が盛り込まれ,長期計画には短期計画に含まれなかった区間の複線化に加え,新線計画と高速 鉄道計画が含まれていた。複線化計画については,短期の767 kmに加えて総計2,272 kmの区間が 含まれており,図3のように北線,東北線,東線,南線の全区間を複線化する計画となっていた。新 線計画についても,1990年代から進められてきた4線の他,2000年代に入って新たに事業化調査が 行われた区間も例外なく盛り込まれていた。実際には,すべての路線を実現させる意図は最初から存 在しなかった可能性が高いが,この計画は1941年に出された全国鉄道建設計画に匹敵する野心的な 新線建設計画であった14

この鉄道輸送システム開発計画は鉄道に特化した計画であったが,2011年に成立したインラック 政権は2013年に入って輸送インフラ開発戦略を発表し,2020年までの間に総額2兆バーツの輸送イ ンフラ投資を行うことを打ち出した。この計画は2兆バーツ計画と呼ばれるようになり,かつての タックシン政権時代のメガプロジェクトの再来とも捉えられた。この計画は交通部門のインフラ整備 計画を網羅したものであったが,実際には鉄道部門への投資が全体の86%を占めていた(KK 2013)。

このうち,国鉄の管轄する事業の総額は12,721億バーツと全体の約64%を占めており,中でも 高速鉄道の事業費の比率がそのうちの62%と最も高くなっていた(Ibid.)。在来線の計画について は,複線化と新線計画が削減されており,東北線のノーンカーイ,ウボンまで,北線のデンチャイま で,南線のパーダンベーサーまでが複線化の対象となり,新線計画についてはデンチャイ〜チエン コーン線,バーンパイ〜ナコーンパノム線の他には,鉄道輸送システム開発計画に含まれていたバー ンパーチー〜スパンブリー間の一部となるバーンパーチー〜ナコーンルアン間が含まれたのみであっ

13 デッドマン装置は機関士の意識喪失による事故を防ぐため,一定期間以上確認ボタンが押されないと非常ブレーキがかかる 仕組みである。

14 1941年の全国鉄道建設計画は,今後25年間に計2,488 kmの新線を整備する計画であった。詳しくは,(柿崎 2009: 5152 を参照。

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15。このように,鉄道輸送システム開発計画と比較すると,この輸送インフラ開発戦略はより現実 的に圧縮された計画であった。

しかしながら,この輸送インフラ開発戦略も20145月のクーデターによるインラック政権の崩 壊により葬り去られ,クーデターの首謀者であったプラユット(Prayut Chan-ocha)率いる国家平和 秩序評議会(Khana Raksa Khwam Sa-ngop haeng Chat)が新たな交通部門の開発計画を打ち出し

15 最後のバーンパーチー〜ナコーンルアン間は,パーサック川に整備するナコーンルアン港と接続する河川水運との接続のた めの路線であった。

3. 鉄道輸送システム開発計画(2009年)

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16。それが2014年に策定された輸送インフラ投資開発計画(Yutthasat Kan Phatthana Khrongsang Phuenthan Dan Khamanakhom lae Khonsong khong Thai)である。鉄道部門については,在来線の 基盤整備には前計画との間に大きな差異はなかったが,複線化と新線計画では違いがみられた。図4 のように,複線化については前計画で緊急投資計画に含まれた北線ロッブリー〜パークナームポー 間,東北線マープカバオ〜タノンチラ間,タノンチラ〜コーンケン間,南線ナコーンパトム〜フアヒ

16 正確には,この計画は2兆バーツ分の借款調達権を財務省に認める法案として議会に出されたものの,野党であった民主党 が憲法違反であると憲法裁判所に訴え,20143月の判決で違憲とされたことで法案成立の可能性がなくなっていた(PCT

OE 2014/03/12)。

4. 輸送インフラ投資開発計画(20152022年)

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ン間,プラチュアップキーリーカン〜チュムポーン間の5区間に,フアヒン〜プラチュアップキー リーカン間を加えた計6区間が組み込まれただけであった。代わりに,この計画では高速鉄道計画を 継承した標準軌線の整備計画が大々的に盛り込まれており,デンチャイ〜チエンコーン線は標準軌線 として整備する形に改められていた。すなわち,この計画ではメートル軌の在来線のネットワーク拡 張は行わず,代わりに標準軌の鉄道網を拡張することを目標としたのである。

このように,2009年の鉄道輸送システム開発計画以降,鉄道網の復興と拡充を目指す計画が何度 も策定され,政府が鉄道への投資を拡充しようとしている姿勢を示し始めたのである。このような鉄 道への傾倒は1932年の立憲革命以降初めてといっても過言ではなく,「鉄道神話」の再来とも言え るものであった。

2-2. 在来線の基盤整備

頻繁な政権交代によって3つの鉄道開発計画が出されることになったものの,在来線については疲 弊したインフラを整備するという方向性は一致していた。このため,2000年代にほとんど進まな かった複線化,レール更新,車両の調達も2010年代に入ってようやく動き出すことになった。

複線化については,東部臨海線の複線化計画が幹線複線化計画よりも先行しており,チャチューン サオ〜レームチャバン間が2008年に着工され,20121月に開通したDN OE 2012/01/12)。次 いでチャチューンサオ〜ケンコーイ間の複線化計画が進行していたが,こちらも環境アセスメントの 手続きが遅れて,最終的に閣議で計画が了承されたのが2012年7月のことであった(KT (OE)

2012/07/10)。その後,公募要領の改訂に時間を要した上に,2014年初めに入札を行ったものの,国

家予算監視員会(Samnakngan Kan Truat Ngoen Phaendin)が基準価格の不備を指摘したことから一 旦入札を取り消した(PCT OE 2015/04/02)。このため,20158月に再入札を行い,結局調印は 同年12月となった(PCK (OE) 2015/12/24)。

この間に幹線複線化計画も進行し,2014年の輸送インフラ投資開発計画に含まれた6区間の複線 化が着工に向けて動き出していた。いずれも詳細調査・設計を行ったうえで環境アセスメントの手続 きを行い,審査を終えたものから順次入札を行うこととなった。この6区間のうちで最も進行が早 かったのは東北線タノンチラ〜コーンケン間であり,20155月に閣議で了承され,同年8月に入 札を行ったうえで,12月にチャチューンサオ〜ケンコーイ線の複線化計画と同時に調印された(RRF

(2015):31)。残る5区間についても入札に向けた準備が進められ,2015年中には翌年に入札を行う 準備が整っていた(BP (OE) 2016/01/01)。

一方,既存の路線網のレール更新については,100ポンドレール化計画の第5期と第6期が2009 年の鉄道輸送システム開発計画に盛り込まれ,ようやく動き始めることになった。どちらも2010 4月の閣議で認められたことから入札を行い,20117月に着工された(RRF 200810):201, RRF

(201114):51)。いずれも2013年中にほぼ終了し,1997年から始まった100ポンドレール化計画 は17年がかりでようやく終了したのであった17。それ以外の区間でも線路の老朽化に伴う脱線事故が 多発するようになったことから,2009年の鉄道輸送システム開発計画では100ポンドレール化計画

17 2013年末の時点での進捗率は,第5期が100%,第6期が98%であった(RFT Khrongkan Prapprung Thang Rotfai Raya thi 5 lae 6. http://www.railway.co.th/resultproject/TrackRehabPrj/Main/index.asp2017/05/24閲覧))。

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の対象区間以外に約2,250 kmの区間の100ポンドレール化も含まれており,2012年から順次開始し ていった(PCK (OE) 2013/12/10)。この間にも線路の劣化は進み,2013年には北線ウッタラディッ ト〜チエンマイ間の山越え区間で6ヶ月間に計13回の脱線事故が発生し,国鉄では9月〜11月に計 2ヶ月半この間の列車運行を全面的に中止し,線路の更新を行った(PCK OE 2013/09/06)。この結 果,図2のように2014年には100ポンドレール区間の比率が急増して約65%まで上昇し,一時は危 機的な状況となった線路状況はようやく改善へと向かい始めたのであった。

車両についても,ようやくディーゼル機関車の調達が実現することになった。鉄道輸送システム開 発計画にはディーゼル機関車調達77両が含まれており,このうち20両が軸重20トン機関車,7両 が軸重15トン機関車であった。前者については,第1期分の7両について20101月に入札を行っ たが,応札者2社の資格が不足していたために5月に再入札を行ったものの,資格審査を通過しな かった業者が行政裁判所に訴えたために一時中断された(RRF 200810):203)。その後,裁判所が 訴えを棄却したため2011年に電子入札をやり直したものの,応札者が1社しかなかったことから同 年中に再び国際入札へと方針が変わり,第2期分の13両を合わせて計20両を一括発注することで 入札を行った結果,最終的に20126月にようやく契約に調印した(RRF 201114):47, 245)。こ れらの機関車は2015年までにすべて到着し,1995年以来20年ぶりに機関車の新規調達が実現した のであった。なお,これはタイで初めての中国製機関車の導入であった。

このように,依然として入札を巡るトラブルから計画が迅速に進展しているとは言えないものの,

経済危機以降,疲弊の一途をたどっていった在来線の基盤整備がようやく始まったことは事実であ る。逆風から順風へと変わったことを受けて,タイの鉄道インフラもようやく上昇気流に乗ることが できたのである。

3. 「対立」の時代の鉄道 3-1. 鉄道の「底入れ」

これまで見てきたように,1997年に始まった経済危機によってそれまで何とか近代化を続けてき た国鉄は大きな打撃を受けることになり,1990年代の経済ブーム期に浮上してきた複線化計画や新 線計画は軒並み頓挫することになった。国鉄の経営状況もさらに悪化し,予算と人員削減が進む中で 既存路線網の十分な維持もできなくなり,2000年代末には線路の老朽化による脱線事故が相次ぐよ うになった。これまで継続的に行われてきた車両の更新も停滞し,新車の投入がほぼ止まってしまっ た。このため,在籍車両数も漸減し,列車運行にも影響を与えるようになった。

このように,2000年代に鉄道は疲弊の一途をたどっていたが,2009年の鉄道輸送システム開発計 画の承認から風向きが変わりはじめ,鉄道への投資計画が再浮上することとなった。その中には 2000年代に停滞していたレール更新,車両増備,複線化など既存の鉄道網の復興とさらなる輸送力 の向上を目指す施策のみならず,新線建設や高速鉄道・標準軌鉄道建設といった新たなネットワーク 構築のための施策も含まれていた。実際には度重なる政権交代によって計画は何回も見直されたもの の,鉄道への投資を重視するという姿勢は一貫して引き継がれてきた。

そして,2010年代に入ると具体的な成果も出始めることとなり,長らく中断されていた鉄道の近 代化が再び動き出した。2012年には約10年ぶりに新たな複線区間が出現し,東部臨海地域とバンコ

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クの間の輸送力増強への道が開かれた。この間の海上コンテナ輸送のために調達された20両の ディーゼル機関車も2015年に到着し,20年ぶりの新型機関車の導入が実現した。100ポンドレール への更新も当初計画されていた区間を上回る速度で行われ,2014年には全体の65%が100ポンド レールとなった。このように,2000年代に加速した鉄道の劣化にようやく終止符が打たれ,鉄道イ ンフラは量・質ともに好転し始めたのであった。すなわち,衰退の一途をたどってきた鉄道も,2010 年代に入ってようやく「底入れ」を迎えたということができよう。

しかしながら,実際の輸送については2015年まで着実に衰退してきた。図5のように,旅客輸送 量は1998年から2015年までの間ほぼ一貫して減少しており,この間に約6,700万人から約3,600万 人へと46%減少し,人キロで見ても40%減少していた。特筆すべきは,ポピュリズム政策の一環と して2008年から国鉄の普通列車と一部の快速列車の3等車を無料で利用できる無料列車(Rotfai Free)政策が行われているにもかかわらず,その効果はほとんど見られず,利用者が減少している点 である18。貨物輸送については2000年代にやや増加し,2004年の1,389万トンがピークとなりその後 は伸び悩んでいるが,トンキロで見た場合には同じく2004年の41億トンキロを頂点に以後漸減し,

2015年には24億トンキロと最盛期の6割まで減ってきていた。このように,政策面では「底入れ」

が確認される鉄道であるが,輸送面ではまだ「底」が見えていない状況にある。 

3-2. 「鉄道神話」の限界

鉄道輸送量が確実に減少しつつある中においても鉄道への投資が復活した理由は,鉄道によるロジ スティクスの改善を期待する声が高まってきたからに他ならなかった。ロジスティクスという語がタ イで広まるのは2000年代に入ってからのことであり,タックシン政権下の2003年に国家競争力強

18 これはサマック政権が20088月から導入した政策で,低所得者の生活支援としてバンコク市内の一部の非冷房バスと国 鉄の3等普通列車(一部快速含む)の運賃を無料化するとともに,水道料金と電気料金も一定量まで無料化する政策であっ

た(柿崎 2014: 486)。無料バスと無料列車についてはその後201710月まで継続された。

出所:RRF(各年版),SSR(各年版),SYB(各年版)より筆者作成。

5. 鉄道輸送量の推移(1998〜2015年)(単位:千人,千トン)

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化委員会(Khana Kammakan Phatthana Khit Khwam Samat nai Kan Khaengkhan khong Prathet)が ロジスティクスの効率化を「7つのドリーム戦略(Fan 7 Prakan)」の1つに盛り込んだのが最初で あった(SSC 2007: 2319。翌年には閣議でロジスティクス向上のためのマスタープランの策定が決め られた20。このマスタープランは,最終的にタックシン政権崩壊後の2007年にロジスティクス開発戦 略(20072011年)として閣議決定された(Ibid.: 4)。 

このロジスティクス開発戦略では,国内総生産(GDP)に占めるロジスティクス費用を2005年の 19%から2011年までに16%へと低下させることを目指していた(Ibid.: 6)。これは,タイのロジス ティクス費用が他国と比べて高いことがタイの競争力を阻害しているとの議論に基づいており,確か にロジスティクス費用のGDP比は西側先進国で6.5%,シンガポールで7%,日本が8.3%と,タイ の19%と比べると大きな格差があった(Thanit 2006: 36)。タイの輸送コストが相対的に高い理由と しては,自動車輸送への依存率が極端に高いことが原因であると考えられていた。2013年の輸送イ ンフラ開発戦略では,国内における年間約5億トンの貨物輸送のうち82%が自動車輸送に依存して いると謳っているが,これがタイのロジスティクス費用を高めていると暗に主張している(KK 201321

このため,タイのロジスティクス費用の削減のために,鉄道に対する期待が高まっていったのであ る。輸送インフラ開発戦略ではモーダルシフトが3つの戦略の中の1つに含まれており,自動車(道 路)輸送から低コスト輸送への転換が謳われていた(Ibid.)。すなわち,自動車輸送から鉄道輸送や 水運への転換を図ることがロジスティクス費用の低下を実現させると考えられており,そのための鉄 道や水運の整備が計画に盛り込まれていたのである。一般的に鉄道輸送は水運よりは輸送コストが高 いものの,自動車輸送よりは安いと認識されていた(Phongchai 2007: 60)。実際に,輸送コストの最 も高い自動車輸送の分担率が8割以上を占めていることから,より輸送費の安い鉄道や水運への転移 を促せば全体の輸送コストが低下し,ロジスティクス費用の節約にもなるという考え方は,ある意味 当然の結論であった。このため,鉄道への投資がロジスティクスの改善をもたらすとの「鉄道神話」

が浮上したのであった。

しかしながら,このような「鉄道神話」はあくまでも一般論に基づいて浮上したに過ぎない。実際 に鉄道が輸送コスト削減に役立つかどうかは,インフラ整備というハード面の施策のみならず,整備 されたインフラをいかに効率的に使用するかという運用面の施策にも大きく左右される。「鉄道神話」

によってタイの鉄道政策は2010年代に入って「底入れ」したが,実際の輸送量にはその成果は反映 されていない。2015年時点では「底入れ」後に開始された施策の一部がようやく完了し始めたとい う状況であり,今後実際に輸送面での「底入れ」がいつ確認されるのかは分からない。実際に,鉄道 への投資が輸送コスト削減という成果をもたらすかどうかが確認できるまでにはしばらく時間がかか るものの,満足な成果が出てこないと「鉄道神話」が崩れていく可能性も否定できない。この点から,

「鉄道神話」頼みの鉄道への追い風は,リスクもまた大きいと言えよう。

19 国家競争力強化委員会はタックシン首相が設置した国家委員会の1つであり,タックシン自身が委員長に就任して国家競争 力強化計画の策定と実行を管轄した(末廣 2008: 256257)。

20 MKR 2004/11/09 Rueang Kan Chat Rabop Logistics Phuea Phoem Khit Khwam Samat nai Kan Khaengkhan khong Thai.

21 これに対し,鉄道は2%,内陸水運は9%,沿岸水運は6%でしかなかった。

(14)

おわりに

本論は経済危機から2015年までのタイ国鉄の近代化の状況を解明し,その背景を考察することを 目的とした。経済危機の影響で1990年代に動き始めた複線化計画や新線計画は中断され,レール更 新や新車の導入も停滞した。この結果,新たなネットワークの構築が実現しなかったのみならず,既 存の鉄道網の劣化が着実に進み,事故が多発するようになった。他方で国鉄の赤字経営はさらに深刻 化し,機構改革も労組の反対などでなかなか実現しなかった。そのような状況の中で,2009年に出 された鉄道輸送システム開発計画が劣化するインフラの整備と新たなネットワークの構築を目指すこ とになり,当初の案より後退はしたものの,最低限の機構改革も実現させた。その後,政権の枠組み の変更により計画は輸送インフラ開発戦略,輸送インフラ投資開発計画と相次いで変更されていった が,その骨子は既存の鉄道網の復興と拡大であり,頓挫していた複線化計画,レール更新計画,新車 導入計画が相次いで動き出すことになった。

このように,2000年代には明らかに衰退傾向にあった鉄道ではあったが,2010年代に入って中断 されていた近代化計画がようやく動き出し,政策面では「底入れ」を迎えた状況であった。しかしな がら,実際の輸送量については依然として減少が続いており,利用者の減少に歯止めがかかっていな いのが現状であり,輸送面での「底」はまだ見えていない。そして,鉄道に順風が吹き始めた最大の 要因は,ロジスティクスの改善を期待する声が高まったからにほかならず,鉄道への投資を進めて鉄 道輸送の分担率を上げることがロジスティクスの改善をもたらすとの「鉄道神話」が浮上したことが 大きかった。

今後の課題としては,2010年代に動き始めた一連の近代化政策が実際に輸送面にどのような効果 をもたらすのかを分析することが挙げられる。現在進行している複線化計画がすべて完成するのは 2020年代に入ってからであるが,今後も継続して車両を投入していかないと,線路容量のみ増えて 走る列車が存在しないという2000年代に起こった状況が再燃しかねない。また,現在計画が進んで いる高速鉄道との棲み分けをどうするのかについても,具体的に検討されている様子は見られない。

現時点では「鉄道神話」が神話で終わる可能性も否定できないことから,今後実際の輸送量がどのよ うに変化していくのかを追っていく必要があろう。

引用資料・文献(OEはオンライン版,括弧内数字は年版を示す)

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柿崎一郎.2010.『王国の鉄路 タイ鉄道の歴史』京都大学学術出版会

柿崎一郎.2014.『都市交通のポリティクス バンコク 18862012年』京都大学学術出版会 柿崎一郎.2015.「タイの高速鉄道計画 第16回」『タイ国情報』第49巻第16

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参照

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