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重藤威夫

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マーカンテイリストの貿易論とその經濟史的背景︵二・完︶

−L.Brentano,EineGeschichtederwirtschaftlichenEntwicklung

EnglandsⅢ.Band,1928−

重 藤 威 夫

このことが成就されるならば・労働と商品とが低慮なことに基く利益はなくなるであろう4叉貸借の流入は貨幣が過

剰であるために阻止されるであろう︒英国の貨幣蓄積が念に増加する滋らぼ︑逆の現象が生するであろう︒その図の取引

の実現に必要以上の貨鶴を二国に保有することが不可能なことは︑ス・へインとポルトガルの例によって明かである︒こ

れとは逆に・英国が俳画との貿易取引を許すととによって・必要な貨幣量を奪われるであろうと心配することは愚であ

る︒彿園内のランゲドックとギユイエンヌ地方のブドー酒をノルマンディーとブルターニュ地方とに移入することによ

って・後者の二地方に必要とする貸璧革が奪われないことから見て︑二哩にすぎない英悌海峡の這法が果して如何なる

相違を英仰両国の取引にもたらし得るであらうか?外国が必要とする商品を生産する国はその国が必要とする貸警且

に不足することはないのでぁるeかくて貿易上の排他心に反対して次のような輝かしい論述がなされている︒﹁私は封

覇︑封スペイン・封伊︑なお封俳貿易さえ執遠モている︒﹂﹁或図の富と貿易との増加は︑あらゆる近隣諸国の富と貿易

とをl決して阻害するものではなくて・通常それらの団々を箕に導く︒若しー国の商工業が︑をの周園の園芸無知と

玲乏と野蛍の状態に止めておくならば︑それは悲展することはできない︒﹂ビュームが論じたことは︑.グマスターの牧師監督であるジヨサイア・クッカーによって遠慮のない挙直さでー暦彗

星せしめられた︒既に一七五〇年に彼は・後で版を重ねた﹃英仰貿易の利益と不利益﹄と題する著述でこのことを論じて

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いる︒しかし︑グヴヵーは︑一図の貿易は戦争によって促進されるという侍統によって又無数の特殊利益によって型化

された信仰に反封する著述を主くととに上って一居の功訟をあらわした︒その著者一は一七六三年に戦争移結後に苦かれ

た︒その戦争の結果︑カナダ︑その附局地︑フロリダ︑ミシシッピ1以来のフランス使土ハニュl︑オルリ1ンズを除

く﹀とが英国の領土になった︒又東印度では倒閣人に封して勝利を得た︒それにもかかわらや︑勇敢な牧師監替は︑諸

貴族や図民が勝利を牧めた戦争から利益を牧め得るであろうとたす忠訟を容赦なく粉砕した︒関家の賢際の力は領土の

掠張や︑人民や収入の増加などによって得られるのではなく︑又それら三者の綜合同によっても得られるのではない︒析

しき領土の掠張は︑多くの防護手段を必要とし︑収入額の増加以上に統治費目の支出を必要とする︒伎は特に一一回は隣

国の犠牲に上つてのみん品み得るとなす忠忽を排斥した︒各闘が貿易のために︑互に戦守するととを是認する議論は存在

しない︒又︑各州︑各都市︑各村が武器を使川するために︑その同に主荷を負わせねばならぬという議論も存布しない︒

又逆に互に利害関係を呉にする各国の人民をして︑貿易のために猟立諸国家の問で戦われるかかる患な戦争から遠ざけ

得る保協はない︒彼は尖のように論じている︒或岡氏は他閣の生産品の安手であるが︑自国の反するものが安師︑で良

質である限り︑他閣の住民に自国の生産品を史らなければやって'行けないのである︒汝の隣闘が官めば官むほ左︑伎は

益々多くを汝から買うであろう︒汝は彼に対して官を苔むのであるか?そうならば汝は販百商庄であるが︑限容とし

て乞食をもつにすぎないことを熟考せよ︒それ故︑従来の後進凶が経治的に繁栄するならば︑それはすべての図の利盆

となる︒共にタツカlは尖のように述べている︒﹁あらゆる愚行中で肢も患なととは︑貿易の損保のために戦争をなす

ととである︒自然の一品物のうちでとれ以上に思なととはあり得ないであろう︒時一汝が敵封図に封して武力に訴えたと

仮定するならば︑汝が市場に出す商品をそのことの故に︑より安伎になし得るであろうか?そうでないとすれば.汝

の生底究は高くならざるを得ない︒戦協によって何をもち得るであろうか?汝の商品が市場に出された場合に︑諸外

閣はεんな態度をとるであろうかを考えて見ょ︒彼等は汝が戦に勝ったかどうかを問題にしないであろう︒ととで彼等

が問題にする唯一のことは︑汝の商品が他の図々より安いかεうか︑或は少くとも同一程度に安いか芝うかというとと

である︒或る悶は右とは解った見解をもつかも知れない︑又常に右のような場合が起るものであると仮定し符ないにし

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ても︑常に取引が結ぼれるのは︑征服者に封してではなくて︑

H .恥も安債な生産者に討してであることは明らかなととで

ある︒貿易の設展︒ための戦争に反討すると同じく︑グツヵーは︑母国による拙民地の停統的な強制的な搾取に封しで

も反封した︒彼は'既に北米杭民地の潟立以前に英同ω利径のために︑北米航民地を解放すべきであり︑又北米狛立の結

果として︑突閣の貿易は著るし︿増大するであろうことを主十保した︒

lムと同校に︑グツカIは︑貿易上の排他心に開削する彼の論文で︑失のように論じている︒貿易は或国に不足す

οを他の閣の徐剃仰で補うから︑九百事者双方に利盆を

m ( えるものである︒貿易が或図︒保護貿易制度によって︑自

然法によるととを妨げられた場合に於ても.貿易闘争の泊中にあってキリスト教に恭一︿精一柳的な品位を保つべきであ

る︒一般的な白山貿易制度が.世界の紳的秩序に関する墜設に一致することは疑い得ないととろである︒柿が節々の図

民を例法し賜うたのは︐或凶が他の閣の需要を渦さしめんがためであって︑相互に殺し合うためではない︒自由貿易を

説く去はキリスト教を説いている︒

太古以来追求されて来た政災・に反到する右の窓比が時を同じくして︑数品川J紀以前から光組停来の敵討関係にあって︑

貿易のために少からざる戦を互に挑んで来た英︑俳財閥一にあらわれたのは注目すべき事柄である︒俳図では岐にポアギ

lルが主商主義忠却に封して反封している︒(1

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しかし彼は者るしい影響を後代に県えていない︒役はジョン・ロ1の時代に苦いている︒彼は貸業社合の人同としてi

貨幣門的治に閲する投機によって一躍して宮家となり︑大衆の犠牲によって︑自己の利益を確保せんがために︑露骨な不

正な方法によって総入について努力した︒尖にケネ1とその墜派が登場する︒彼等は良両日さと佼し難い公平さとによっ

'て︑犬家の生活改善のために民創に努力する墜派乞つくったQ矛盾するととろたき論理を以て︑彼等は主向主義を攻撃

した︒白凶の産物の総出には大いに努力し.外国防品の総入は排斥すべしとたず重商主義感一訟に討して︑ケネーは玩に

エリウス・ラムプリデイウスがその若﹃アレキン︑グl・セペルス伴﹄で述べた立凡にならって反おした︒却︑すべての

只入は.敗誌であり︑すべての販貨は民入であって︑外悶から買う上り以上に外国に対して究るととはできないと述べて

貿

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o検出の段四ハが努力すべき目ぼであるのみなら宇︑総入の増加も同様であるo交換に於ける利盆は︑引渡す物にあ

るのではなくて︑引渡す代りに手に入れる物にあるととは明かである︒

析し︿成立しつつある経済墜にとって︑モンテスキューは原理的に主要である︒彼は人間枇合の各構成部分は相互に

︐窮度な関係に立つものであって︑一つの部分の謎化は必や他の部分を間接的に遊牧一させるものであると逃ペている︒制

皮.法律及び道徳は偶然に上って統合されたものではなく︑一集団に於ける上うに必然性によって相互に結合されたも

のである︒それらのものは必然的な相関々係に立つもので︑そのととを理解するととは肝要である︒

右の思想は︑マキアペリとその忠却を経消分野に於て重荷主還に沼周したとととに反封するものであって︑全く新し

い思恕である︒あらゆる知性と精力にもかかわらやノ︑それ白ち矛盾することがあり得るととろの立法者の窓意の代り

に︑経済現象の必然的法則閲係がなかれた︒

との思想はケネーとその隆一次によって強くされた︒浸誕生産だけを唯一の生産性あるものなす彼の皐設が設りである

ととは呉論がない︒主尚一以降十汲の設診はさてむき︑それが図民経消問一の研究に杢く却しい性格を興えたことは明かであ

る︒彼等は世棋を小間物屋的限光で見るととを止め︑ばらばらに側々の問題を翻祭するととの代りに︑経済現象の綜合

的迎論を展開した︒彼等は泣合有機体を全体として研究することによって︑経済的自然法則の展開にまで到達し︑経済

法則と道徳法則との合設を説いた︒彼等の説くととろに上れぽ︑人聞の道徳的行動を支配する原理は︑自己保存の筒動

と幸一耐えの筒勤であり︑若し人聞が自らの利盆を賢明な方法で迫求するたらぱ︑彼は完全な道徳的生活を送るであろう

自然法的経済秩序と道徳法則の一殺を説く世界初はアダム・スミスに於ても見られる︒それ故彼は﹃図官論﹄中で︑

人聞は専ら自制によって動かされるものであると併程し︑他方に於て︑彼はその﹃道徳感情論﹄中で︑公平た湖底一一斉一の

閃慌を以て道徳行局のMM準となしているが︑との一則者は矛盾するものではない︒レスリ1

2﹀行魚者の自然的同情は或湿の節度に討する回一ほを要求するものであるととは﹃道徳的感情論﹄の根本的命題

であり︑又︑かかる節度

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賀両日さや心の平静といったよ弓友徳目は︑伎の色々の著書中で深め前挺されている

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(5)

が顧慮され︑且つ各人が園出品からの干渉を一父けるととなく︑各自の本性に従って生活する限り︑人類の幸一臓が促進され

るであろうととは︑﹃図官論﹄O総本的命題である︒アダム・スミスの牟敬すべき敬師であるハッチソンは︑最大多数︒

最大幸一怖が目出であるととを述べて居り︑各人が各自の幸一耐のために生活するならばとの目標の賓現が達成されるで

あろうとなしている︒しかし︑とのととは各人が他の人々がすべて自らの幸一帽のために生活するという平等の樺利を侵

害したいという僚件の下に於てのみ可能である︒それ故︑アダム'スミスは﹃図宮論﹄申・で︑他の人々の平等の利益を

4

侵害することを怠に介しないようた利己主義について︑はげしい一一一一口実で詳しく論じている︒かかる利己主義にもと歩く行銭は︑公平なる観察者の同情を得ることはできないが︑各人が経済活動をたず場合に専ら自己の利盆によって動かさ

れ︑しかも他の人々の平等の舵利を害しない場合には︑公千なる観察者の同情を得るのである︒

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かくて図民経済問ナは︑ストア哲臨?とそれによって影響を興えられたロ17法との出議賠をなした世界観と同様な世界

初に到達したのであるo伺となれば︑ストア哲墜者が説いたのと同様に︑全素材を貫くととろの唯一か法則があり︑高

物は全宇宙を支配し︑宇宙の動きを決定するととろの理性に全く従属していると解する︒従って︑自然的秩序と道徳的

秩序との聞には矛盾があり得ない︒道徳法則は自然の事物を支配するととるの法則以外のものではあり得ない︒倫理法

則は自然に於て支配する︒自然法則は倫理法別であり︑理性法則は認識されたる自然法別である︒自然と理性との聞に

は完全な調和がある︒

アダム・スミスもかかる世界視を信奉していた︒彼は一七二三年六月五日にスコットランドのカlクカルデイに生れ

た︒彼の生活は平総無事であり︑グラスゴlとオックスフォードで皐修した︒ハッチソンとヒユlムの二宮撃者が彼の

世界観に永続的な影響を興えた︒ハッチソンは次の二つの敬訪によって︑スコットランド数舎から迫害を受けた︒何と

なれば彼は道徳的善の標準は他の人々の幸一耐を増進するととであると読き︑更に︑一抑を知るととなくして善悪の認識

が可能であると説いたからである︒アダム・スミスは︑思問研究の自由のための戦を︑彼の自由えの愛から︑先づ第一

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(6)

スミスは彼の島・修を終った後︑グラスゴウ大胆で道徳哲堕の教授となった︒一七五九年に彼は﹃道徳感情論﹄(︑

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﹀をロンドンから出版した︒E設に関する彼の出義では︑主としてモンテスキューの殺設に従っ

た︒彼はグラスゴlで官業界の人々と常に交際・し︑その仲間にはジエlムズ・ワットが居ったに机泣ない0.

それからスミスは︑出口丘2谷公に随行してフランスに三年同校行した︒彼はそとで市一段昭一a沃のケネーやチユルゴー

と親しく交際した︒一七六六年に伎は英関に時り伎の故郷に引込んで吋静岡氏の日の性質と原閃に閲する研究﹄の著作に

従事した︒一七七二年の恐慌や北米花氏地の羽立のようなその時代の主要ない淡泊問題について︑主向主義的政策に到し

て反封する立場から︑花々しく活動した︒伎の﹃問山川川沿﹄は一七七六年・に公刊された︒それは彼自ら認めているように︑

彼のフランスの友人法の墜設から引い形山掛けを父けている︒スミスは彼の者主をケネーに献︑下るな闘を持っていたが︑ケ

ネーは既に一七七四年に死亡していた︒

位台の自然的秩序を伝やる拙に於て︑スミスは主的民堕沃と世界初を共通にしている︒その究極の日以は︑人類の幸隔

である︒それが資現されるための主要な依件は︑各人が他の人々の千等の

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各自の才能を段高度に後民せしめん

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を侵害しない限りに於て︑各人の自然的本性に従って行動するととの白山である︒各何人のかかる白山

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Oフランスでは官僚は︑脳総院で是認されるととろに従って︑終消生活を伴ずる法伴を波布する

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ない︒﹂というのである︒ケネーやデユポン・ド・ヌムウルやヌルシヱ・ド・ラ・リグイエールは︑﹁怒立的﹂専制︑王

遣に反討して︑﹁合法的﹂専制主義に味方した︒チユルゴlは︑・議合から濁立すろ場合に於いてのみ︑特椛的領主がそ

の利盆を守るととができると巧えた︒英国では主怖が呉る︒ととでは︑政府の任務の逐行は︑川村山間階級の手に握られて

いた︒それ故︑スミスは同家の干渉に反到した︒伎は特椛階級

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彼等のほは︑図家干渉政策に上り人民を搾取すると

とによって生やるliに所出するととろの作一回からの干渉は︑市内人の白山と千等とのために笠ましくないとした︒更に

経済生活に於ける岡家干渉は賢明ではないとした︒﹁悶玉や大臣建が何人の家計をほ将しようと一一一口うととほ芝厚顔にし

(7)

て借越な沙汰はない︒﹂﹁自己ο生活版態を改善し主うとする各人の一尽な︑常住不断の努力は︑何人的友官は勿論︑一位

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Hや図︒官︒由って来る原現である︒それは政府の浜究があるにかかわら子︑又行政上の長大の過犬があるにかかわら

や︑改善えの主物︒白然的進歩主充分に従持するに足る力をしばしばもつものであろ︒危な勤物の生命の知られない原

理のように︑それはただに病試があるにかかわら宇︑又一以内者の応方の問還があるにかかわらや︑しぼしば身体の健康と

気力とを回復するものである︒﹂︿3

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同桁的本能は︑他の人々の生活︑自由及び快柴に関する千等ο椛利を佼寄せんとする人聞の性癖ど押えるから︑債依

をもっ︒同情的本能が克分に似かない場合に於てのみ︑政府が千沙すべきである︒かくて全体を犠位として︑特慌階級

の利八位のためにつくられた秩序を打破するととが主要なことは︑自ら明かである︒スミスは︑図防υ見地から航海保令

を是認し︑叉同家P一安全ならしめんがために︑悶防上必要な諸手段を是認した︒伎は廷に英本閣の生ハ一庄の利盆のために︑

外岡・の関税に到する報復子段を是認した︒又外凶の祖枕山口英図︒祖枕よりも低い場合には︑生産山引ハを千均させんがため

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アダム・スミスの著作は︑川一人主誌ο一附一ザ一世となった︒終消上の没民は︑全体の多数の人間を包括する絞許収仇を崩

壊にお寸き︑その代りに例人を登場せしめた︒仙人を出設拙となすととは︑合時ο経消思想に一致するものであった︒そ

れは各人はそれぞれ自己目的を⁝付する主体であると一引き︑それ放すべての人類は各自のすべての才能を登辰せしむべき‑

平等ο保利をもっととを承誌した︒フランスの忠想家︒工うに︑かかる一般的人催︒原四的な基礎づけをアダム・スミ

スには見出じ得ないにしても︑役︒すべてO論述︒基礎には︑右の原理が根本的に慌たわっている︒例えば︑彼が各側

人はその労一同力を陥立に利用し得べき杭利を強制したり︑或は︑主商主主的他民政策を攻撃した場合に見られるように

彼がかかる)般的人位を柑にとっているととは切かである︒沿に述べたように︑彼に上ればJ各何人がその昨一利を行使

せんと努力す乙ととだけで︑位入げを日ましむろに充分であるから︑すべて仙人の白山を制限するととは︑かえって全体︒

利益を守するようになる︒スミスが経済生前のあらゆる部門を間一%心する場合には︑との阪迎によって立かれている︒重

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(8)

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商主義的貿易均衡に封ずるスミスの反封論︑又︑彼の自由貿易及び植民地の自由についての論設︑猫占排除論︑ギルド統

制撤一段論︑労働者と資本家との平等椛論等が︑全体︒利益に合致するという根擦は︑侍統的な経済生活の誘制がその時

代の諸要求に甚しく矛盾するという引にあった︒それ故︑彼ο

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それは諸図家の支配者の悉

意と支配者に影響を及ぼす倒別的利盆代表者の慈怠によって動かされるにすぎないととろのものliに復蹄するもので

あるばかりでなく︑全く賢明な墜訟である︒それは図民の道徳的諸要求に泊臨するばかりで友く︑その物質的諸要求に

個人の自由を勝手に阻害する側々の制限が取除かれさえすれば︑公正債格(吉田江戸

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の賢混は確かになるであ

ろう︒既に他の例所で指越したように︑ハ

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古代キリスト教的並に中世的解俸とアダム・スミスの墜訟との相違は︑

tスミスが公正債絡を一の理念としては認めたかっ詑ととやい前二者ハ古代キリスト教的並に中世的解鰹﹀が生産費に相

賞する債格を公正債格として認めなかったととにあるのではない︒その相遣は尖の賠にある︒即︑前二者の信奉者建が

その理想とするととろは︑宗教の力

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後代では現世的な強制力即法律

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によって︑管利活動の筒動的な力の非難や4

その克服を計らんとするにあったのであるが︑スミスはかかる街動力を承認も否認もしなかったのであって︑むしろそ

れを単純に事賓として受取り︑それを彼が理想とするととろのものの買現のために利用せんとしたととろにある︒スミ

スは最大利潤えの努力の結果として︑競争が無制限に行われるととろでは︑長成に生産され且つ市場の需要を充足する

に必要な商品の債格は︑長い間には商品の生産突を越えて定められ︑調占や関税によって︑人銭的に債格が高めちれ得

るととろでは︑長大利潤えの努力によって︑商品の債格を段康生産費たる公正債格にまで引下ぐるととは不可能である

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自由主義的図民経消準の設民主以上に於τ概視したところによって︑アダム・スミスは︑重商主義の誤謬を明かにし

た段初の人ではないととが解る︒又彼の凶有の墜設が全く誤謬を持たないわけではなく︑︐次の却に於て我々の注意を多

く喚起する︒しかし︑彼が問題を取扱ったその方法が卓越しτ

e並に後墜を凌駕している︒彼は

(9)

人間と事象との観奈から出残している︒

それらの観察の結川刻︑人間はその経済行震に於ては︑できるだけ段少の費用で︑できるだけ多くの欲望を充見せしめ

んとする努力︑換一一一目すれば長大の利仰を得んとする努力によって導かれるとの結論に達した︒そとから彼は彼によ

って定立された経済諸現象を︑肯定的にか或は否定的に説明した︒しかし乍ら︑彼はしばしば経済的利己主義から先

験的に諸法則を演料した︒彼はこのととを彼の光墜者逮

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我々は彼等に経済的真理の認識について多くを負う11

と同様に︑偶々なしたのである︒自由主義経済墜の設展を殴るならば︑我々はマンとチヤイルドから初るととろの貨幣

自由輪出論と貿易自由の擁護論とは︑そのすべての民理を直接的に人生から創造したととを知9︑更に︑初期の図民経

済事者連は︑人間は最大利潤を目的として努力するものであるとの観察に基く皐純な命題から出裂したととを知る︒ア

ダム・スミスも同総である︒しかし彼は︑人間が長少の費用でその欲望を充足するならば︑官は最も念速に増加すると

いう法則から出没して︑経済墜を一位合生活の多絞性を鴎慮する乙となしに︑殆んど数臨一・的た墜問として後民させること

をしなかった︒むしろ彼の著述に封して一の忠一不であるかのような民現に封する楳戚を奥えたものは︑彼の著述K於け

る展史的叙越の非常な笠宮さと時半問題に釘してあふれるような観察の充寅さとである︒それは歴史と迎論との統一の

典型であり︑彼自ら愛好する理論の受蛍性についての例外と制限とを認めるととによって︑資際政治家に判断の基準を

示した︒それ故︑伎は経済界で活動している人々︑殊に政治家誌に多大の共鳴を得た︒自由を設一一一目した彼の苦越が出版

された一七七六年に︑丁度その年に︑北米合衆国が濁立を宣一一目したととは︑彼の著述が来して如何なる影響を及ぼした

のであろうか!ピットによって次のととが物語られている︒或妥合で︑スミスがそこに出席していたが︑ピットはスミ

スが午前席する以前に治府することを担んだ︒何となれば︑そとに出席せるすべての人は彼の弟子であるから︒それは皐

なる御座なりではなかった︒ピットは

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彼以前にはシェルパ1九伯がそうであった

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宰相として︑スミスに貿易政

策について数を交けていたが︑彼がアイルランドと完全な自由貿易を結ばんと欲していたときハその希望は園内の利害関

係者の反封に止って完全には注し得なかった)や︑一七八六年にフランスと最志閣僚約を結んだときに︑殊にそうであっ

た︒とれに反して︑ピットの反封者であるフオツクスは︑スミスに信抑制し友かった︒百年にわたるウイツグ黛の停統に

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(10)

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忠震であった伎は︑失のように言っている︒﹁フランスは英図の本来の放である︒﹂通商傑約に上って︑悌図だけが利盆

を得て足り︑英図は民夫を招いている︒﹁との通商保約は言語道断の愚者だけが食いつく好餌である︒﹂フヨンシス・パ

ーク及び後の宰相グレイは議合に於けるその虎女波訟で︑フオツクスの意見に同訓した︒

スミスの火にはマルサスが続いている︒彼は入口の増加は︑児えられた生活資料の数量によって制限されるという既

に知られた事震から出廷して︑生治資料︒増加は人口の増加を導き︑会之と罪悪とが

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彼は第二版で更に道徳的抑制

を加えた!ーその制限をもたらすという準設を倒立した︒マルサスは︑スミスと同伎に︑彼の多くの墜訟を経験によっ

て基礎づけんと試みたが︑役の向学誌は一面的であることが明かであり︑又必宇しも透徹した忠組家ではなかった︒

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があちわれた︒伎は︑英図に移任し︑校一式収引所で出一を成したオラン︑ダ系ユダヤ入の息子として二七

七二年に生れた︒彼は充八刀た殺育をえけて応らや︑平くから父'地の岱む事業で仰いた︒彼は丁年に達して洗脳を叉け︑

英国知人と結婚し︑猫立した︒金融界の事情が︑投機染者に兵治な好投合を興えた時代に︑彼はE財を積んだ︒一八一

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1シヤーに大土地を時入して︑そとで経消息の研究に従事した︒彼はアイルランドのボルダーリント

ンに選虫・匝を獲得した︒それは十二人の怒段・人によって椛成されていたが︑伎は一度も怒塑医を訪問したことはなかっ

た︒一八一九年に図合議員になり︑貨幣︑銀行に閲する知識で大なる名蕗を得た︒一八二三年比死亡した︒

aの建設者となった︒彼は過去と現在の生活の也接的な視察をなさないで︑その代りに抽象的

な演緯の方法によった︒その出登賭は︑最少の費削で長大の欲望を満足せしめんとする経済人

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努力である0・かかる努力と相並んで︑興えられた生活資料が許す限り︑増加せんとするマルサス的危傾向をもっ人間性

が登場する︒かかる人間性が問題とならない場合には︑右の努力が標準とされる︒リカードの時代には︑吐合のあらゆ

る成り立ちを無腕して︑泣舎は大地主︑資本家︑労働者の三部門から成立するものとして考察された︒とれら三芳のう

ちで︑︑資本家が社合の進歩に誌も重要性をもつものとちえられた︒リカードは︑労働者を軽践したわけではなく︑彼等

を更に肢も主要な一舵命リ階級であると説明している︒彼は功利主義考として最大多数の長大幸一耐というととの中に︑努力

すべき目僚を見出した︒しかし乍ら︑労働者がEれほ芝多くの賃銀を交取り得るかは︑資本によって左右される o

(11)

者が持活の生討を維持し得る以上に多くの賃銀を得るたらば︑マルサスの単設によると人口川市増加する柏町一来︑労的背の

供給が増加し︑遂に︑普通の生計を維持し得るに必要な程度にまで再び賃銀を引下げる︒それ以上に賃銀が低くたると︑

労働者の死亡増加の結果︑銭的計の供給が治要に池合するようになる︒それ故︑努働賃銀は︑い分問者︒通常ο生計を紘

持するに必要な金額を中心として︑常に上下に動く︒資本は図民的生産物郎関民的所得中の︑地主が土地に内在する生

産力に相蛍すベ

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得部分を決定する︒最大利凶えの迫求は︑利潤原則が二極併存することを許さない︒生産力ある土

地が人口の維持に五分である限り︑地主は資本利潤を交攻るにすぎないcアンダーソン︑ウエスト及びマルサスが設い

ているように︑人口増加と共に︑より.悲しき土地の問拓が進む程度に臨じて︑上り良き土地の所有者は︑欲的をやっと

充足しうるにすぎないようた不良の土地所有者よりも︑良き土地からの工り大なる牧盆に相討する金額を地代として受'

取る︒かくて︑佐大利仰を目以として迫求する寓人の競争の結来︑毎年の図家の生産物は︑資本家労的普及び地主の三

1ドは極めて頭の銃一い慰者であったが︑山者述内識としては.佼れてい友かったのそれは彼の時事問題を取技った論文

中には︑彼の主苦ほど強く現れてはいない︒伎はその小論文で優秀性を示している︒又︑伎の銀行問題︑・外岡貿易問題

を取扱った論文にもそれが見られる︒しかし︑伎の主苦では︑山者法家としての欠財が大なる陣容をたしている︒彼はジ

lムズ・ミルにその後縫者を見出した︒ミルはリカードのほγ訟を論理的に統一して無味乾燥た経消墜原論となした︒

更にその後︑マカロックの原論があらわれたG1ニオアは︑演料法によって︑性欲によって調節された段大利潤えの

溢求という事賢から︑経済的一を椛成しようと努力した墜派の一人である︒彼によれば︑経消皐は事震の認識︑何々の生

活現象の研究及び研究装世等一切不要である︒彼は化撃者を試の誌がつ合︒何となれば︑化墜者は問祭とそれに必要な

研究所を必要とするからである︒一方彼は漫歩的に泊料法によって︑二︑三の一般的原則から︑永久的な法則を設見し

得るからである︒もとよりかかる演緯は︑その本質が故大利仰の迫求という行待には安川口同するが︑しかし他のすべての

経術部門に封し℃は︑それらの部門中の活動がかかる詰求によって支配され且つ際限なき競争場裡にある限りに於ての

み安官するにすぎないし︑殊に労働者に封しては安世しない︒決終的図川内経約堕に一致するような生前の欠く可らざる

貿

?fi. 

(12)

諸保件が︑何庭にでも興えられているのではないことをジョン・スチユアルト・ミルはよ︿知っていた︒それ故︑彼は

経済撃に俄設的真理に結合された科臨?という性格を興︑えた︒彼は失のように述べている︒

(S

﹀﹁彼が図民的宮の諸僚件

を単一の事賓として研究しているととは哲串的ではない︒何となれば︑それらの諸僚件は︑あらゆる枇合的諸現象の交

正作用関係に立つものであるから︑孤立的に認識することはできないからである︒﹂彼の経済墜原論申に於て初めてリ

lドを超ゆる進歩がなされた︒

lドの後事としてではなく︑同時代の思想家にロパlト・ト1レンスが居る︒彼は経済生活の自由化の有力な促

進者として有名である︒

火にリカード及びその後墜により建設された経済堕によって具体的に惹起された諸問題を取扱わねばならない︒換一一一目

すれば︑かかる諸問題が英図の経済設展に如何なる影響を及ぼしたかを問わねばならない︒

( 5 )

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十八世紀の最後の十年聞は︑英園の経消社合及び閤家に於ける諸援勤が準備された時代であって︑一六八九年以来の

貴挟的図家が一歩一歩民主的図家に縫りつつあった︒

経済的に言えば︑英図は十八世紀ο央までは主として農業図家であったqグレゴリl・キングの職業統計によれば︑

一六八八年に角十八高の農家があった︒彼等はもはやクロムウヱル時代の農民ではなくて︑政治上重要な存在であった︒

スチユアルト王朝の下で︑農叫んは先づ第一に都市の商人や小賀商人達に封して強力な封立関係を形成した︒農民が王政

復古に封して抱いていた悪意は増えした︒クロムウヱルの時代には︑政一同誌にようて選附帯された伯爵領の代表者の教は︑

議舎の三分のこを占めていたが︑王政復古はその数を五分の一に減少させた︒又その五分の一の議員の任命に封して︑

自由保有地主

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誌は︑数例の伯母舗に於てのみ決定的な勢力をもつにすぎなかった︒

政治上の童心は︑むしろ犬土地所有者階級が形成した︒彼等は封建武族︒子孫では・なかった︒エドワード四世とチユ

1ドル王朝とが︑封建貴族と共和制の残誌を滅ぼした℃な私自封建的形式は残っていたが︑それは平くから資本主義的形

式に愛りつつあった︒キングによれば︑一六八八年に一六Oの世俗的封建領主が討ったが︑そのうちの二︑三のみが︑

(13)

1

j刊は︑古い貴族出身でない大地主階級から︑新しい貴族をつくった︒彼等は

それ以外の大地主建と地位に於て呉るだけで︑その利益と世界観とは具るととろがなかった︒政治の重心がなかれている大地主階級は︑いわゆるばシト的関

24

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であって︑彼枕守は土地所布の調査去によって︑他から区別

1 4A

されていた︒領主はかかる地主階級の頂賠に位するものにすぎなかった︒

MM主と雨徐の地主階級との聞には︑身分階級

的た区別はなかった︒何となれば︑領主の一族の人々は︑領主階級ではなくて︑ジエントリーに局していたからである︒

大地主階級のとの頂削には一六Oの世俗的領主と二六の宗教的領主が居り︑それらの家扶は六九二O

'

らの領主は︑立法の三要来の一を占め︑日刊等だけで上院を織成していた︒その外︑彼等は下院の構成に普るしい影響を

lレーの記述によれば︑残りの一高六千四百人のジエントリーの家族は︑その教義の黙に於て︑彼等の僕稗建と

殆んど問先らなかったといわれる︒彼等は殆ん芝常に回合に居住し︑全くその土地の世話に波頭していた︒宗教︑岡家組

織︑外因及び歴史についての彼等の知識は.その狭い生活符国が血(え得る体統的知識に限られているので?彼等はクロ

ムウヱルの時代には騎士.その後は一般にト1リ1震になった︒彼等が如何に宮来の君主に服従し℃い上うとも︑廷臣

や大臣に封しては不公平な態度はとらなかった

0

彼等は︑スチユアルト王朝が︑彼等の仲間に封して尽を仇でい返したこ1

とを憎悪に満ちて諮っている︒しかし︑かかる憎悪感は︑王位が資際上に危険に陥るまでY泌総したにすぎない︒それ

から︑彼等は一也慌に封して男らしく不満の志を表示した︒チャールズ二世の失敗広封して二十年問︒不干の後︑宰相と

大阪卿とが王を見拾てた時に︑彼等は苦るしい苦悩を忍んで王の援助にかけつけ︑反封黛に封して完全なる勝利を得る

まで乏を援助した︒彼等はジエlムス二世が︐彼等にとって君主制よりも重要であるところの英国国数舎を侵犯さえし

なければ︑ジ豆︑!ムズに封しても同様な忠誠を示したであろう︒彼等は東ヱルペのプロシアに於ける郷紳階級

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吉日)左何枚に一階紋を形成していた︒シエリフかかるジエントリーに政治生活の重結がなかれていた︒行政椛は彼等の手中にあった︒即︑民兵隊士宮︑州長官︑就

中︑治安刑事は彼等が占めていた︒治安刑事の手中には︑警察行政全体ハ救貧行政︑労働監察︑保他行政︑戦育行政︑

貿

(14)

議審判事の役目等を合む﹀が集中していた︒彼等は情報組織によって︑周回の小部・市を支配し︑牧師任命総によって︑

致命日を支配した︒牧川は大地主階級の忠忽上の

mh UM hy

oように以われていた︒議合では彼等が中心的な要素をなしてい

た︒アン女主治世O下色ト1

I

ω議員となるためには︑大土地所有が前提保件となるこ

とが定められた︒被法母係荘︒調査長を作るために︑土地所有関係︒訓在来が作られた︒ロンドン選出の代議士を除け

ば︑彼等が議AMH09H論を支配した︒

以上述べて来たように︑大土地所行が政治上の椛力砂一得る前提となるために︑尚小一点︑後では.ム主によってん口問主得た人

々が︑ジエントリーの資格を得んがために大土地を子に入れようと熱心に努力し始めた︒これは重要反事笠であるο

となれば︑新しくジエントリーに参加した人々によって共第にジエントリーそのものが挺枕したのみならや九英同凶民経消全体の縫革が・初められたからであるυ

ジエントリーの他に︑営時ο英闘を左︑有する力をもった階級は︑ロンドンο大商人でb

lレーが述べている上うに︑治時ωロンドンは十九世紀にパリーが.仰闘の運命に影響を興えたように︑英闘に

eそれは翠にロンドンが岱時金同人口の一一剖を占めていたという大人口だけによるものではなく又︑ロンドンが議合に沿っτいた代議士の敷干︑睦代の凶一一土の対住地であったという事資だけによるものでもなかった︒資本家が貸付渇望者に封して部うような勢力と同校な勢力を︑ロンドンは同γ十一に封して持っていた︒それは取引所を支配

し︑賞金国ο倉庫を支配した︒幾度となくロンドンは︑図下十一生財政図時から救ったQしばしばそれは貸付を短絡するこ

とによって︑その財政困難を限りなく増大せしめた︒ロンドンが支持と信積とを拠える政府は︑その日ゅうちに莫大な貨幣を手に入れることができたQその金額主ロンドン以外の全国から集めるならば︑一ヶ月はかかるであろうQ議舎と岡どとゆ聞に守が起った時には︑ロンドンはかかる力を以℃議舎に山市十心した︒その高伎な市民は︑トーリI箆ゆ郷紳を嫌悪し︑え郷紳は市民を総思したQスデュアルト一七仰の故後︒閣五円ジヱlムズ二世︺が︑ロンドンの改俊せしめ難いウイツグ黛的感情を罰するために︑都市併以ω古い特許献を以り上げようとした時に︑図示に反抗し℃︑図γ

要ぽ凶の一となったのはロンドンであった︒逆にオレンジ侯ω一之子が︑ウィリアム三世として英凶一志位を得た主な版凶は︑ロンドンが彼に胤︿えた文持であり)又︑ロンドンは彼の統一目︒主なる支桂となった025

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