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重 藤 威 夫

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(1)

マーカンテイリストの貿易論と

その經濟史的背景

︵一︶−L.Brentano,EineGeschichtederwirtschaftlichenEntwicklung

EnglandsⅢ.Band,1928−

重 藤 威 夫

英軍巌流史をマーカンティリズ′ニ時代にまで遮って者えろ場合・教父ヒエロニムス︵怒富㌍ム曽︶が言った攻の言葉・

即﹁あらゆる富は不正にその源を誉している︒﹂との言葉を想起せざるを得ない︒マーカンティリズム時代のすべての

紅臍政策は﹁=因が失うところがなければ・地図が利益を得ることができない︒﹂という見解に基いている︒その経済

政策は初から他国の支配ということを目標としていた︒マーカンティリストは他因の裏扱或漉その破滅によって自画の

車幅を保謹せんとしていた︒彼等は海上掠奇と歳事とを敢えて離さなかった︒佃が富むためには全体を犠牲としても凋

占を許した︒枯民地は樽画を富ますためにのみ存在すると考えられた︒弱国民の富を放査することは︑奴遜貿易並に奴

戯労働と同様に︑彼等にとっては許さるべきことであり又大衆の賓因は二園がより高度の文化に到達するための必然

的な不可欠の前捷條件であると者えられた︒同様に有産階級の利益のために自国の労働階級に封する法律上の不平等と

抑鱈とは自明の理であった︒雷を得るために他の方法がなかった場合には・教父の攻の言葉に賛同すべきである︒即・

﹁雷は不正なるものか或は不正の相椋人であるという国民の葬は私にとつ′ては全く安苦であると考えられる︒﹂と︒

モンテー三とポルテールとが︑一方の利益は他方の損失を意味するということを述べているのは不思議ではない︒

被等の見桁は共に二放していたからである︒フランスの結済塾者達が・偵格の鵬妻を以て団結の増加を意味すると考え

(2)

たのは同校の誌を犯すものにすぎない︒何左たれぽ阿川格の際司ノに主3・砂数対の牧入の哨加はそれ以外の雫休の人々の財

応の減小に等しいものであり又それは一部分の将の北九他の持に到すお様力の増大を意味すろにすぎないからである︒一

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ヵ ・

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4

リスト同の宮の増加は他国の犠牲に上つてのみ増加するととがでさ﹂ろという市一・問主義者の児併の誤認は︑マシデビルが﹃蜜蜂

物語﹄で指摘したのでわって︑彼はその論理的師結として︑ロンドン犬大引突悶の(仙の増加の原閃であろとした︒何と

なれぽ隣人のム況が燃えた場合に大工が利益左得︐るからである︒

従来の悲問論に代って城市川悦論があらわれたのは如何たろ市町に上るのであろうか?との問題に符えんがためには︑遡

ってこれまでの忠恕後日以

q

過程に立的色なければなちない︒

巾世的な経消息忽を克服した析しき忠想について託られる場合には︑先づマキアベリが取り上げられねばなちない︒

彼は幾附紀にわたる人々と就巾彼の同時代の人々引なして来た行動を彼の﹃君主論﹄中に集約し︑かくて人聞が何をな

すべきかという思考かち︑人間が震際に何七忙なすかという思考へと政治堅守一勝向せしめたのである︒彼の影響を受けて

経抗思想も県組の問題から現貨の問題に移って来た︒

L

かし乍ち彼の墜訟は欠陥"ち託行する︒それは杭合生活の諸現象と

関連ある活問題を取扱わなかったととである︒そのととは怜怖さとそれに相臨すろ活動力とを設備する人ばあちゆろと

とが可能であるといろ伎の思想にもとやいている︒彼の忠怨を経消生活に品川}川した場合にはしばしば融和し難い矛盾を

合む政策となって現われるようになる︒

マーカンテイリズムの時代は︑岡山筑的境界の問題にはあ全り関心を持たないととろの何人的な支配筑域の代りに︑同

氏的凶家が現われた時代である︒岡山木の指導者逮は同友の獄立だけでわなく︑他岡に封する優越について努力する

e

等は第一の目的として白図氏の経消的自給自足を計り︑第二の目的として他図上りも上り多くの金・銀を所有せんととを

計る︒従って︑﹁上り多くの貨幣があるととろには官もある己又﹁図家は地中か或は他所かち貨幣と金とを上り多く持

って来れぽ来るほ芝日み︑貨幣が流出すればするだけ貧乏になる︒﹂というととは最も自明の問であった︒彼等は外国

の商品の代金として図外に流出するあらゆろ地金・銀を図家の以北八と米一えた︒

かかる思想は官時の事業家建の行動にその源を渡する︒事業家が一年の絡に貸借封照去を作り︑彼が年頭に於て生産

貿

(3)

鰹 管 と 経 済

四 四

或は商業を初めたときの金額以上にその金山内に飴剰の貨幣を見出すか芝ろかに上つで損盆を計算するように︑都市や

その先例にならうととろの岡家は一年間の職入額以上の輸出超泊額'如何によって︑その宵の増減を計った︒それにし肱じ

て貨幣がその図境を越えて流入するか或は流出すろのであって︑貨幣はん日川であった︒

中世都市に於ては︑商人階級と子工業者階級との問に封立関係があった︒千工業者はその領域内に於ける市場に封し

て専ら自己の生産品によって供給するととを要求した︒商人はも左上り巾間商業の濁占を要求したが︑しかし自らの千

が及び得る限りの外岡商品の自由なる総入を要求した︒

かかる封立関係は︑都市的経済政策を同家の指導才が民い地域にわたって枝倣し越川するととに上って又都市的保護

貿易制度の代りに岡山家的保護貿易制度が登場するととによって依然として続けちれて行った︒国内の袋詰染者は図内市

場えの獄占的供給を要求したが︑﹁企業心あ右前人﹂と諸外国と壮界の各地との貿易に従事すろ株式合祉とはそのため

に閣内製治芸者と敵到関係に陥った︒相封ますろ利害関係についての論乍から図氏終的墜が勃興じて来た︒とのととが

十八世結後学以来の英凶経消生川の焚民に及ぼした影山訴は市一要であるから︑その論争の岱刈かちあとづけるととは必要

である︒勿論との論争は岱時の貨幣に封ずる支配的な"叫ん心と貨幣の凶出入のな⁝去に問述している︒

中世以来の停統である貨幣輸出の禁令は京印皮合祉の法務にとって陪拝をなしたo︐彼等は英同の綿布に到して印度の

存料・調味料を交換するととができなかった︒アジアとの貿易には貨幣のみが役

ι

った︒ト1

(

3

H 1 5 2 )

は宍の上うに説明した︒点印度合叫が京印度の向日川を賊入するために貨幣を輸出するととを許され︑民にその商品が欧

洲諸国で上り多くの貨幣と引換に販史されるな九ぱ︑貨幣輸出の祭令が

ι

在する場合よりも︑その凶は貨幣を一居堅官

に持つととになるであろうと︒貨幣献金に到して来印度合叫に特許欣を興えたチャールズ二世(︼

B S

∞ l

U )

六六一ニ平にいたって貨幣総出の禁令が底止された︒

然しながらーでき作る限り多くの貨幣を閣内にもたらすことが主要であるとなすな凡がなゐ支配していた︒右のマ・ン

は一六六問年に彼の息子によって公記された﹃件闘貿おによる英凶の貨﹄と回する彼の九州文中で火のよラに論じたU

﹁ 我

攻のおと賞金民の交とを増加する規則的た千段は外岡貿易である︒その場合︑我々が外岡の商品を治山口する似飢土り以

(4)

上に︑外国に到して多くの悦似を交るべきであるという法則は常に守られねばならない︒我図が織布・鉛・錫・銭・魚

類及び北ハ他の商品を図内の資似から堅官に供給し得ると似定するならば︑我々は訟剃物資を外国に総出し得るであろ

う︒その総出額を二二

O

高ポンドと仮定しよう︒同拡に

L

て我々は外国から外国の商品を我々の使則と泊費とのために

支うととができる︒その全額を二

00

L

上う︒我々が貿易取引のとの法則が股絡に守られるならば︑毎

年我闘に二

O

l

l

それは我困の賞金国の交に流入す九十日を増すことになる︒かくて向品を只うために

l

投下されFほいととろの資本の一部分は︑安全国として家応にもたちされる告である︒﹂商人が貸仙割以去を作る上うに︑

図家も毎年貿易上の貸借封印⁝夫︑即︑毎千の総入商品の総出航と検出向日聞の総悦似との比較をしなければならない︒総

入以上に総出に剰徐が生じた場合にはその因は官を増加し︑反封の場合にはん品を減少する︒

lカンテイリスト.の古典的な貿易均術説

( E s r r z r s r v g )

である︒それを信奉する宥は︑あらゆる貿易

に於て貨幣と引換に向日間を波す場合に︑他の者の犠牲に於いて徹底的に利径を翠げなければならない︒

来印度合此の利八位の代夫者であるジヨサイア・チヤイルド(宗

ω 0 1 5 3 )

誤謬であるととを論破し︑それから離れて行った︒京印度合祉の支配布たる彼はその合祉をトl

1

裳に加拾せしめ

た︒その合位

θ

利盆は︑中世都市の都市的商人と同践に︑彼等の商令市上の猫占械が保持される限り︑交易上の無制限な

る自由ということであった勺そのことは合祉をしてト11認と合流せしめたのである︒ト11廷は︑スチユアルト

家がルイ十四世

( ‑ E ω 1 3 5 )

と友好鼠係にあることから︑英国とフランスとの問の出来得る限りの自由な貿易関係を

主伝し

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いた︒そのことから生じたウイツグ議との闘宇によって︑一面では市川印度合枇の利盆を他国ではト

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1黛の

利益を代去するところの論客建によって︑マーカン一アイリスト的な貿易均衡誌に到する故初の反封論が起って来た︒

ルイ十四世の宰相コルベール

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∞凶)がマンの所誌に従ってフランスの貿易差額を自国に有利に展開しよう

とした時に︑彼は一六六四年以来︒低い闘枕卒が外国へ多額の賞金日切の♂流出を起す原凶となっていることを知った︒そ

れを防止せんがために︑彼は一六六七年に禁止的な高い陶枕卒を資施した︒外国から商品を民わないで︑専ら外図に商

品を去ろうとする彼の試みが失敗に初拾ったことは自明の迎であった︒その関税率は従来フランスに生庄物を史っていた

貿

四 五

1. 

(5)

経 間 百 と 経 済

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̲1.. 

Yグと英図の商人に犬打撃を興えた︒オラングは痛烈吃報復手段か‑椛ビた︒その結果はオラYダへの俳

軍の攻撃となって現われた︒ぬ乍は一六七二年から七八年まで続き︑その六ヶ年間チヤ

l

ルス二世はルイ十阿世と同盟

した︒しかし︑それに封して英図民の熊皮ば異っていた︒チヤールス二世の王快復路に際して同氏が示した忠誠はやっ

と以前に消滅して応り︑その代りに図王に到する深い不信模の念が生じていた︒図王に上って岡氏の白白と祁刺殺とが烏

びやかされるであろうと考えられたからである︒叉ルイ十問世と同盟したととは犬地主(戸さと

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の問に一居不信

の念を担くした︒そのととがウイツグ設が起る.原悶となった︒ウイツグ党は都市の商工階級を尚誌にひきつけんがため

に︑彼等の不満即ち封フランス貿易のい探に討する不満を利用ぜんとした︒既に一六七川年に十川人のロンドン商人の

問で英伸貿易についての決算夫が作られている︒それに上れば︑ψフランスから英同への腕椛物︑初織物︑プド1泊︑火

酒及び北九他の商品の脱出は一︑一三六︑一五

0

ポンドに上っているのに反し︑英同からフランスへの総川傾は一七一︑

O

二一ポンドにすぎない︒従って英闘は毎年フランスに封して九六五︑一二九ポンドを出しているととになる︒共他の

計算諸表は英図が封仰貿易で友面上失うととろの損失より

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官際の照夫はもっと大きいことを示している︒封仰向叩の

反針者は弐の上うに叫んだ︒﹁英図人が宥一昨のように勤勉に仰いて得た全額は︑今やフランスに向って流出している︒

我々はとの戦争に反到し上うでわないかc﹂と︒かかる反封論に医迫されて一六七八年の初に一の法律

3 0

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が溌布された︒それは﹁閥王をしてフランスに到して宣以を布告せしめんがために︑祖税共他の方法で金を徴収さ

せ且つ三年間及びそれに引つづく議合の合別格了まであらゆるフランス商品の総入を禁止する目的を有するもの﹂であ

o一六七八年の七月には英国は事資に於てオラン︑ダの味方をしていたoそれに引きつづく同年九月ーのナイメ1へン

の講和俊約でコルペlルは︑アムステルダム伎に討する俳将チユレンヌの勝利にもかかわらやJ︑間取の主要な原凶とな

ったととろの二ハ六七年の関税率を放棄し︑相瓦の千等な立場での協定に基く通商佼約

‑ V

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のな以に反してナイメ

l

へンの講和俊約を結んだ

0

・ と

の一阜市の下にウィリアムはヨ1ク公(後の英王ゼ1ムス二世﹀の女メ?ーと貯しその婚となった︒ウィリアムのルイ十

四世に封する敵意とそのカトリック傾向とを利川し︑ジエl

(

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∞∞)はウィリアムとその友であろウイツ

(6)

グ作品目どをそそのかして︑英岡市人階級の貿易上の競争心を湧き立たせるようにしたc英国人とフランスとの問のすべて

の貿易を禁止した一六七八年の英国の法律は︑ナイメ

l

へンの講和依約の後でもなむ有効であったが︑ジエ

1

ムス二世

治下の第一の議合でト11誌が多数を占めた後にようやく底止された︒しかしその法伴の代りに禁止的関税率が設け

られた︒三年後にオレンジ公ウイリア'ムが英凶の王位についた︒その地位を保持せんがために︑彼はあらゆる程類の例

人的な利盆を械設するととによって入試を符ょうとした︒今や凶日比全体の犠牲に於て賄賂政策がはじまった︒それはウ

イツグ誌が支配している間つづき︑ウオルポ

l

ル内閣が一七四二年に倒れるまでつづいた︒英国織物工業の年代記の編

集者であるジョン・スミスは英国人の封仰貿易を禁止するところの一六七八年の法律を︑貿易上の・新しき時代の開始で

あるとして稲託した︒一七六四年に英凶貿易の年代記作者であるアンダーソンは弐のように書いている︒﹁我々と同時

代の者北誌は尖のように一一一日っている︒即︑との祭令が公布されるまでの英凶の釘外松山内の年千均は三

OO

高ポンドより

多くわなかったが︑禁令賢施後の二十年間は次第に増加し

τ

年平均七

OO

出ホンドに上ったQとの著るしい増加は主と

してとの奈令に負うものである︒﹂とQ

スチユアルトム況の味方であるト

l

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作品はウイツグ作品とは兵った比併を持っていた︒関税牧入は王室収入の主要な部

分を山め

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り︑しかもそれはその大部分が議八げの制限主党けないものであった︒フランスからの恥入の禁止によう

て︑同王の嗣税欣入は若るしい減少を招いた︒しかし.投資に討する貨幣支出

ω

協讃主総入料一日比と結びつけていた

ω

τ

以制的に釘仰立以を布告せ︐しむることに成功した︒ウイツグ黛が封仰同盟ゆ反封者に到する政治

的立場と正に同一の立場を今やト

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銭はその味万に封してとるよ︐つになった︒従って︑失のようなト1

l

ω

張を同録する文引が多数増加した︒それらの主此にはフランスから

ω

総人による英凶

ω

危阪に到する・非維に到して以制

するもの︑二ハ七八年

ω

封仰賞品

ω

禁令に反到するもの︑英仰

ω

友好的規註凶係を非とするものに反到するもの等が含

ω

一右越家誌は弐の五加を全く不明のままに放任して肘る︒それは彼等によって主除される英国

ω

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入超仰文州超過に際して︑そ

ω

総入超迦州側主文机うべき金はどとから作られる

ω

であるかということ︒又英国

ω

明ら

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(7)

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経 管 と 経 済

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かに増加しつつあろ包めろ欣態は如何に況明さろぺ合唱かとい弓ととであろ︒況に一六七七年即︑別仰禁令の一年前に

﹃英同のたなろ幸一師︒悶王坐同家に対すろ白川震の友人工り

﹄と題ずる然苦名の小叫子でト

I

1 リ 誌に反討の意見山川越べ ' o

ちれている︒しかじ貿易会矧説陀到する故も明裕な反討論は︑チヤ l ルス二世及びジヱ l ムス二骨時代に束印度合枇の 最も行力な支配者であったジヨサイア・チヤイル

F

卿に上って議友された︒彼恨来印度八円枕の利ム命令バ退求ずる場合に趨

用したいぷ策は多数むったが︑彼の合社之配︒経験から一不さ札た識見は多く

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示 唆

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彼の﹃貿易統九州﹄な

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は一六六八年に第一版主︑一七五一年に第五版を出版した︒彼の説くととろに上れば︑貿易差額

は一悶の貿易全休か或は何々の図との問の貿易について計算されるものである︒殊にこの場合輪出入商品の恨似

‑ V 確定

するにあたって国雄という工りむしろ不可能が生やる︒何となれぽ︑密総入が著る

1 /

ノ¥多いからであり︑又もと上り総

入にあたっては運賃が計算されないのであろが︑協同の計算の場合にも運賃が計算されないからである︒克に外岡貿易

は極々なる事故に支配される︒例えば︑海難︑決牧︑抑留︑政犬山等︑或は輸入商品の抗上りを見る場合もある︒従って比

絞対照しても誤った結論に導かれざるを得むい︒しかしどれだけで貿易活相況の正沿性について論やぺきととが扱きた

わけでわない︒例へぽ︑アイルランド︑パ

1

ジニア︑パルパドス或は鉱業をいれ位されているコ

1

ンウオール等の総川超

過は︑決してそれらが宮めるととを示す︑ものでわない︒何となれば︑とれらの悶々は貧しくて︑外岡に討して負ばを有

してほり︑その貧困とそその岡の除川超過の開問である︒同校に側々の同との問の貿易ム占領拾について検討して

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の淡謬に陥るであろう︒一闘が例々の

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坊市川に於いてたす利径と以欠とは︑その岡の貿易全体の中で統一的に考案さ

れねばならない︒デンマークとノルウェーから央闘に仇加入される生市物は︑英同からそれらの図へ向けて総附される生

皮物よりも者るしく多いのであるが︑それちの凶との貿易は英国にとって似めて利径が多いのである︒何となれば︑そ

れらの図から英図に総入される木材︑涯ポ円︑タ l ルは英因︒廷築工業︑と治結治とに欠く可らざるものであり︑玲奨と治

結とは英図に多くの貨幣をもたらすからである︒又マン O 議論の繰返しとなるが︑そのととは他︒図々について見るも

同様である︒例えば来印度から貨幣と引換に多くの商品目

m

買われるけれ E も︑それらの商品は廷に他の図々へ透かに多

くの貨幣と引換に安られて行くのである︒貿易ふた稲と同校に︑たとえ戎図が他の図に討して貿易が利盆あるものであっ

(8)

℃も︑その凶の他の凶に対すろ伐枠相場の欣態かム戎給命令‑叶川すととはできたいのである︒何とたれぽ︑正規の倍程

相場は比絞的心数の地域との交場開係にがてだけ成立するものであり︑しかもとの交易関係は他の地域ーーその池域に

討する支抑のために舟特が一凶から他凶に向けて阪市される

1

1

に討する貿易関係によって決定されるからである︒一

凶がその貿易によって利徒か仰げているか或は同失晶子招いているかということ左判断する唯一の烈準は︑その同の官が一

般に増進しているか或は減少しているかということである︒

チヤイルドの著書がいかに多くの版を市一一ねたにしても一白山貿易論と保護関税論との争は墜問上︒守すわなくて︑ゥイツグほとト1

l

作品との問の官践的な政治上の宇であった︒二ハ八九年の名以一円革命はウイツグ誌に支配棋を阻(えた︒

ウィリアム三世は驚くべき巧妙さで岱時流行していた買牧政策を利川した︒そしてあらゆる油類の保護を興えるととに

よって仙人的な特殊利盆を白ら獲得ぜんとした︒従つ之︑一六九

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年にト

1

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ム誌のニコラス・パルボンが閣内工業の

保護を主張するウイツグ誌に反封して白山貿易論を主張したが︑それは効果がなかった︒彼は弐のように述べている︒

﹁外岡向品の祭止は︑従来総九されていた向日川の支搬のために生庄されていた凶内商品の生産と輸出とを妨害するであ

ろう︒﹂と︒むしろ弐のととが著るしい︒一六九一年に他のト

l

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廷はグッドレ

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ス卿が公にした著宍は︑多

くの人々から正しい貿易論として円以

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完全た記述であると.一一一日われているが︑ステファン・パウアーによってパルボンの

影響を交けているとJ

一 一

J川われた︒その本は出版後直ちに故怠に絶一以とされた︒

1スは関税金日として仰々の関税の作川とその結以に.ついて佼れた知識を身につげた︒彼の経験に基いてウイツグ

誌の商業政策に大なる恥俗の念を抱いた︒それは彼の弐

O

序文中に反映している︒﹁総出入貿易の千均即所謂貿易均衡に関する研究問題で人々が騒いだのは近頃のことである︒何となれぽ︑総

J

へ超過

は我々を破滅に導くであろうと人々が考えたからである︒同肢に到来印度貿易と到フランス貿易についての反封論を︑

WAU

却に闘する政治的立見と共に多く凶くので

b

る︒それらの反封おの多くは技々の時代とよりよき認識とを空に散

らして了った︒﹂以上のことから尖のような必原則が展開されている︒

貿Oようなものであって︑その中では一凶家は例人のように行動する︒﹂

マ ー カ y

貿

四 九

(9)

経 営 と 経 済

五 O 

人土休の貿易は相互に関連しているから︑そのととは﹁一因との貿易の凱夫は単にそれだけを立味するのでわなくて︑

世界の貿易から多くのものを破壊し︑治減させる︒﹂

﹁全体のために不利

μ

住友貿易が存在するととは不可能である︒若しかかる貿易が存在するならば︑それは貿易界から

見棄てられるであろう︒貿易業者が繁栄する時には全体もまた繁栄する︒各人は全体の一部分である︒﹂

﹁人土佐或一定の万向に動くように強制することは︑仰人に利益をもたらし得るであろう︒しかし全休はそのととか

ら何も利盆を得るととわできない︒何となれば︑或者に利九位を阻(えんがためには︑他の者から引出さねばならないから

﹁貿易に於ける俄絡を確定する法則はあり得ない︒依絡の高さは自ち定まるものである︒かかる法則を賀行せんとす

るならば︑貿易は阻害され︑それだけ民公を招くであろう︒﹂

﹁貨幣は一の商品である︒あまっている場合もあり︑不足している場合もあり符る︒又それが混乱を起すとともある︒﹂

﹁貨幣は一図民にとってその通常の史上を買現するために不足するととはあり符ない︒又充分であるより以上に多く

貨幣を持つととはできない︒﹂

以上の乙とから失の二・三の原則が生宇る︒ノ

l

スはその原則で使貨の銭訟と硬貨の伎の劣悪化を紛じている︒彼は

結論として次のように述べている︒

﹁怨替と現金とは同一立場にある︒仰となれば伐替が各所に移動するととは何等妨げられないからである︒﹂

﹁貿易目的のために貨幣が総出されるととは︑図富の増進に役立つ︒とれに反し

τ

︑戦争途行のために又外図に於け

る支捕手段として川いられる場合には図の貧困化を招く︒﹂

守要するに︑一の工業或は一の利盆を有利ならしむるすべ

τ

のととは訣りであり︑それと同じ程度民全体にとって有

ノ l

スの性格から言えば︑彼の著者が出版されたすぐ後で︑れV何時支配的地位に立っていたウイツグ作品の利付金に反する

という山山で.その一者引討を絶版にしたととはありそうなととである︒その後その若沿口の堕説が︑後代にいたってその岱

(10)

時の支配階級の利徒に合致するようになってから復刊されるまで︑五十年以上も均一決されていたといろ耳資は︑同氏経

消準はその悦初から他の早川とは呉った規範の下にあったととを物語る︒岡氏終消間十以外の陸問では一皮得られた認識

は不動の良川である︒同氏終的阜では一のほナ誌は︑それが良川であると認められたから勝利を得るのではなく︑又それ

が設謬を認められたから拾て去ちれる認でもない︒それが勝利そ得る場合は︑支配階級の利益に一致するからである︒

又一度引怖が縫って︑その

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玲が彼等の利盆に反する上うになると︑山それまでは熱心にその墜訟を擁護していた人々か

ら見拾てられる上うになる︒︿1)

川トiマス・マシは一入七六年までは烈心な自由貿易論者であったドイツの農業家が︑海外からの穀物の競争か受ける上うになっ

貿

十竹に述べたように側々の著訟は彼が所属していろ作品派の利徒に合致するようた経済上の見解をとることを考えるなら

ば︑ジョン・ロックすら貿易均術論については市一向主義者の訣った解程に賛同した理由が明かとなるであらう︒一六八

九年の革命はウイツグ誌によってなされた︒彼等はロックの市民政府論

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0

35 25

に彼等の政治的立坊を

正常化する論擦を見出した︒ウイツグ作品は良川氏とL業家との利盆を擁護せんがために白山貿易論に封して然心に反封し

た︒ロックは彼等の貿易政策を正常化せんがために︑十六世紀のドイツのカメラリストと同校に論じている︒彼は金・

銀を日と同一蹴してはいない土うであるが︑との治文ではまだとのととを明かに論じていない︒彼の論文から共に引川

する︒寸金銀は僅かの欲的五を刈すにすぎないが︑その所有者は生活に役立つあらゆるものを支配するととができる︒そ

れ故︑日は金銀の古賀によって生やる︒﹂

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国内に安全日制の鈍山を所有しない図は︑古代ロ

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マのように征服によるか或は貿易に上るかの二途によってのみ金銀

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げることができる︒第一の・一刀法は禁止され℃いる︒とれに反じて︑貿易によって館︑山と同おに金銀を入千するととが

笠ましい︒採掘には多くのの似が必要であり文総菜家が貸しくなるであらうというととは別問題として︑官は多くの金

銀の所有というととにあるのではなく︑金銀を他よりより多︿所行するととにある︒単にねいい々の.科皿により多くのも

貿

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経 営 と 経 済

のを故せるととよりも︑重い方の梓皿から科い万の符皿に物を移動させるととの方が︑一一昨急速に.大杯皿を下降させる

ととができる︒従って外国で生注される市川をより少く総入するととが主要介問題となるι白悶の商品と労働に支拙う

よザも︑より少く外国の向日間を消費するととに上って︑ん口問と貨幣とを初日ることがでせるυ

りもより多くを外闘に史るととである︒他の例所でロックは弐のように論じている

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量に所有している図が最も布図である c﹂又﹁我々は貨幣を共々の隣悶が所有している数量に封して或一一定の比例で所

有しなければならない︒若し隣凶が我図より貨幣を非常に多く所有

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ているならば︑我図は多くの引に於いて隣国に到

して不利な立場にあるであらう

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一)彼等ははるかに師︑大な武力(軍隊と鑑隊)を紋持し作るであらう

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はよりよき給興を興えるととによって我同氏を誘示して︑水十一或は陸上及び北ハ他何等かの形の位利活動に従事させ得る

であらう︒(三﹀彼等は市場ヤゲ支配し︑かべて我図の尚北ポを椛出し︑我々+乞貧困になし得るであらう︒(問)彼等はあ

らゆる機人げを利川して艦隊と軍隊の資材を只占めかくて孜凶を危阪に陥れるであらう︒

( 3 )

君︒井出同区・

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窯のニコラス・パルボンはロックに反到した︒彼はロックの貿易均術訟に反釘して︑立金回の似格とその総

出入を決定する事情は︑それが他の商品の悦似の出準となるという事情から決してはなれることはできないし︑又安令‑

屈はそれが引同時に於ける故取の且つ蚊も有利な崎山口川でない場合には︑不利な貿易差額の千均のために総出されるとと

はないであらうと説明した︒パルボンが貨幣改革についてロックに反到する芯凡を後夫したという事前正に一の貨幣に

到してその悦他を興えるのは政府の椛力であって︑その金民的悦似ではないという事情が︑彼の著述を無力ならしめた

原凶であるということについては︑必十しもマカロックのな比に賛同する必要はない︒

( 4 )

1スは貨幣の名目主義論

者ではなかったが︑彼の著古は︑チヤィ・ルドの入試があった者当と同校に︑貿易政策を謎見せしめた︒ロックのな見

は︑支配的立場にあったウイツグ誌の利盆に合致していたので勝利を作たが︑パルポンと

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スの芯凡はそうではなか

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句 ︒ 目 ・ 問 ︒

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(12)

そのことは一六九七年のライスワイクの千和保約によって著るし

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なった

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その年にルイ十四世と英国との聞の長い

戦争は︑オレンジ公ウィリアムが英閣の王位に即位し︑スチユアルト家の復枕をルイ十川世が承認するととによって千

和保約が結ばれた︒フランスと英国との問の破壊されていた貿易す‑復活させるための一試みが再び析しく始められた︒し

かし俳凶政府も実闘を支配していたウイツグ誌も︑それに必要た協商をたす川意に欠け

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いたので︑その試みは効果が

なかった︒フランスではコルベール主義択肢として支配していた︒英国ではウイツグ裳は︑戦前と同校に料後に於ても

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ルによって大いに路き起された競争に沿びえて︑それに討する防設千段を試みていた︒ト

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かかる恐怖心を克服するととによって︑ウイツグ誌が試みんとする防設苛段を除去せんとする昔からの努力を続けてい

た︒その先駆者はグプナントである︒彼は一七

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五年にアン女王の下で輪出入総取純であった︒彼はしばしば主荷主誌

者の中に数えられている︒英図の商工主者がアイルランドから利谷一を搾取した首時︑アイルランドの破滅について何等

の反釘怠見をも一不さ・なかったことに見られるように︑もと土り彼には民の主肉︑主義者的立見が見出されるが︑しかし彼

は一六九八年に次のように論じ℃いる︒﹁貿易は本来自由なものであり︑自らその通路を設見し︑最善の経路を通るも

のである︒その指導のために設せられたあらゆる規則十︑その制限を

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的とするあらゆる千段は︑似々の利益には役立

つけれども︑全体の利盆に役立つととは稀である︒﹂﹁英国が多くの労働を必要とする口川氏劣等の紹を自ら生産する代り

に︑白凶の生産物である羊毛と良町一の祁を交投するととは遥かに好都合で

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ろう︒﹂又彼は失のように書いている︒﹁白・

然を指導せんと稲する賢人は多くの場合設りに陥っている︒﹂金銭だけがん品であるとする号︑えゲに彼は強く反到してい

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と考えている︒貨幣はその本氏に於ては︑人々がその取引に際して伎刑するところの数以り石にすぎない︒支面上はお

北︿をもたらすような或固との貿易が笠は︑二倍もの利径をもたらすような他図との貿易の基礎となり得るのであるとい

うチヤイルドの川論を彼は紋返し強制している︒貿易の効川について正しい映像を古こうと思うならば︑一図に於ける

山︑茨木︑生出物︑治山氏︑海辺を限前に川山い浮べなければならない

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スチユアート王制に到する反討論者が︑王椛紋復

伎の英国

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れ抗的不況に関して一土制えの討中討を訂いているおに反到して︑グプナントは弐のように述べている︒﹁フラ

(13)

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経 怪 と 経 済

五回

ンスから英図への総入舗が︑同図に封する古一同よりの輪出初を上廻るととがあっても︑英図が毎年計外貿易によって利

益を得ていることは論争の徐地がない︒﹂﹁フランスとの自由た貿易は決して英図か・危険ならしむるととはない︒﹂

以上越ベて来たととによって火の車は明かである︒貨幣とそれに伴う貿易政策のな誌に関する論議

1

1

の十八世紀の最後の二十五年間に同氏料消尽的拘述の主要た部分を占めていた

1

1

は先づ第一に終的的及び政治的仰別

利径の代交者注によって論争されて来たのである︒現代に於ては例別的利径は︑入上休の利盆に劣ちない位に似併なき千

段によって逗求されているから︑由民

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の認識そのものを日伐とする現代の科躍は︑突悶に於ては経一凶生活の探究並・にそ

とに於ける支配的な関係の探究にその広川を見出している︒ウィリアム‑ベテイはベーコンの問中況に忠買であった︒ベ

ーコンは自然は征服し得るものであるが︑他国に於て自然に討して伊‑順でなければならないと考えた

0

活に於けるあらゆる悶家の干渉は︑自然的た発展に反して足り︑それ故賢際的︑な法律はそれが自然の秩序に一致する限

りに於て維持され得るであろうと考えた︒グプナントは政治上の侃見

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それが彼をして例々の問題について誤らせた

ーーにもかかわらや︑主要な事柄に於てはベテイの流にそって行動したのであって︑彼は経消生活の科型的視察刀法の

父であると裕すべきである︒ハノ1

I王明の確立と共に︑ト

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誌にとっては政治上の立場が失われた︒彼等はウ

イツグ需に反対して自由貿易論者であった︒デヴイド・ヒユlムとジヨサイア・タツカIとにあっては

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ll 彼等は共に

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主向主義者の貿易均術論の克服と一同の利盆は他国の抗犬によって作られるとする見解の

克服とは︑政治的作品抵の利害関係以上の高い立場に基いていた︒

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ムはフランスとの千和的な通商関係を主脱した

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しかし彼のその主阪は︑彼にとっては初安の目的から出たも

のではなくて︑一ね河川のために符られた研究成果の正常性を明らかならしめんがためにのみは立った︒彼は貨幣について

の彼の論文中で︑賞金日仰の大量の貯減に主要な似似をみく沼市︑玉川状的諮必に反対している︒彼はすでにノlスが論じたよ

うに︑すべての財貨の促絡は貨幣の数H互に一致するものであるから︑一国に於ける貨幣数量の多少は問題とするに足り

ないと論じている︒貿易均術論については︑彼はすでにチヤイルドによって指摘された泊りに︑総出入についての税関

統計や岱替相場を基礎一にして︑一問︒貿易均衡の欣態についての刈向を下すととの不司能なことを繰返している︒伎は

(14)

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1彼も同校にト

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定員である

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ーの先例に従ヴて︑貿易均衡論の信卒者誌を噺笑している何となれ

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ば︑活し均術論者誌の主張が正しいとするならば︑英国は五・六年の後には一シリングの金すらもたないようになるで

あろうからである︒又彼は叩一論的に彼等を攻撃した︒輪出以上に総入が超過するととによって一閣が必要とする貨幣数

量をおもい去られるであろうという心配を尽かなととであるとした︒英国が突然にその貨幣数

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の五分の問を失ったと似

山比すれば︑労働とすべての商品の悦格は同株の割合で低下するであろう@その場合︑一体との図が世界市場に於て英図

と競争し作るであろうか?すべての凶々は英国の生応品を民うであろうし︑短い期間内にすべての貨幣が還流し︑英国

の貨幣貯似は共他の凶々の水準以上に一品くなるであろう

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未完)

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