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重藤威夫

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(1)

カルビニズムと英國中世後期の經濟思想

重 藤 威 夫

カルビン主義に於ける民主々義的特徴と相並んで歴史上に重要な意味をもつものは'その経済倫理であるOそれは初

の頃は大して重要でわなかったが'時の経過と共に次第に重要性を増し︑近代経済精神とカルビー妄ム自らとの豪展に

封して著るしい影響を輿えた︒         ︑

初からカルビ一一ズムの経済倫理はその主なる諸鮎に於て'ルタLI主義と密接な関係を有する0カルビニズムは日常の

労働に脱する見解では,ルター主義と一致している.即'それにょれぼ労働旦向い憤値を有すみものであi. ︑それは沖

・ から命ぜられた職柴(Beruf)を貰際に遊行するためのものである︒叉労働はそれを通じて沖を崇めるためのものであ

り︑同時にそれは自律と恵しき欲望を拓けるためとの妄段であると考えられた雰ルビンもルター患ハに労働霊遠的

な義務であると考えて︑櫓院主義(Monchtum)と托鉢主義(Bettel)と漣厳止したo叉カルビンの経済倫理は﹁圧搾金

主慈﹂(antimammonistischenGeist)的精油に於てルターのそれと嘉するOそれは諌譲と中庸とを熱心に求め︑̀身分上

の相違に服従し︑李移駐封して戦う︒膏修に対しては'法律によって嘗て見られなかったような刺しさで裁つ元のであっ

てPLそれは叉救命によって支持された.叉カルビンは貧乏の方が富よ打もキりT5下敷道徳をより有効に促進することを

信じ・・(‑1スやアントワープのような大商柴都市に対してはげしい非難を加えた.以上のような類似にもかかわらず︑

カルビンは初から政治方面に於けると同様に'ルター的倫理とは仝‑臭った精油で'宗教改革以後の経済倫理を費展せ

しめた.しかし︑とのことはカル︑︑ビンが特に意識してなしたわけでわな‑'大なる程度に於て'右の常時の%tfネ‑ブ

を支配していた賛際上の諸事情に基‑ものである]0

(2)

一 一

とれは決定的な韓国黙であった︒ヵ‑ルピンはこの拝金主義的な精紳は︑貨幣経済と商工業とを基調とする枇曾に於い

て矛盾するととなく︑その存在を主張し得るととを確信した︒カルピンはルタ 1 と同様た環境の下にあったが川しかし

彼は原始的な生産方法に基くととるの封鎖的家族生活と密接に結びついた農業的父様的生活形式とそ O 理念とに立戻ら

なかった︒彼は自然的な基礎として貨幣経済に基く工業生産と農業労働と相並んで専問的職業の形式を認めた︒彼自身

︐は工場羽生産の諸問題について多(を論じた︒︐又彼は海業が農業よりも多くの利益をあげ得るが︑それは単に注意深さと

¥ 

一勤勉との酬であるとして是認した︒勿論彼はトランプ札の製造のようなキリスト教の観賠から如何わしい或種の商買に

ついて︑その底止を主張したが︑一般的に一一一口って︑彼は経済的進歩の擁護者であった

o

貧民や失業者に仕事を奥えんが

ために政府からの貸付金の功をかりて︑織布やビロード織の工業がジユネ 1 プに導入されたととは︑カルピンのすすめ

によるものであった

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後でとの工業がリオンとの競争のために中止されるようになると︑同じ目的から時計袋浩正業が

導入された︒彼は生活手段を得んがために在来の脅宵と方法とを皐に維持することを欲しなかった︒彼は商工業に基礎 )を長く経済組織が愛勤すぺきものである乙占を決して否・定しなかった︒しかしながら︑すぺてこのことはジュネーブの

位笹と環境とに基くものであった︒その影響は彼の手統にあらわれている

ο

彼の手続は︑手工業者の見地から金融と商

工業の利益についていつも論じている︒﹁徴利論﹂

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0 .

C 2

1 凶)についての彼の手紙からの引用を次に示す︒寸どんな理

由があるのか︒何故買業からの牧入は土地所有者か

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りのそれよりも一居大きくあってはならないのか?商人の利盆は彼.

自身の勤勉と工夫とからでないとすれば何庭から来るのか?﹂と︒法律家並に市民であったカルピンは修道俗であった

ルターとは初からとれらの事柄に討して呉った考え方を持ったであらう︒しかし史料が示すととろによれば︑ジ.ユネ 1

・プに於て役が資際的な影響を受けた佐官であったとしても︑とにかく彼はそれ以外の考え方をなし得なかったととは明か である︒又彼がこの必然性をためらうことなく容易に叉け入れたととは明かである︒カルピンがとの枇命日欣勢を受容す

ることができた理出は.彼の賀践的積極的倫理の特殊な性格によるものであるう︒その倫理は枇曾生活の金領域を包括

するものであり︑又それはかかる寅践的積極的生活態度を強調するが︑愛と苦難とに関する念進的た戒律は後方に押し

やる結果となっている︒もしルクーがジュネーブで同一の欣況の下に生活して居ったならば︑彼がウイツテンベルクに

(3)

住んだ場合よりも別注考え方をするようになったであろうととは︑考えられない乙とである︒ジュネーブが特に活動的

f

左大商栄都市であったとしてもカルピンが資本主義の諸要求に容易に屈服したとは考えられないであろう︒ジュネーブ

は敵刑判し競争する諸隣図に取りかとまれで居り︑その領域は甚だ狭かったので︑そとでは諸事情は狭く限られて居り旦

地方的であった︒しかしカルピンが資本主義を受容し得ベきものであると見出したのは︑かかる環境の下であった︒資

本主義を一の召命であるとしたが︑・それはその都市の現賓の朕態に趨合するものであり︑一それは忠賀︑長面目︑

E

直 ︑

勅伶及び隣人愛の諸徳目と矛盾するものでないとした︒資本主義はカソリック及びルタ 1 の倫理では排斥されたが︑そ

れがカルピンの倫迎

K

侵透し得た理由はジュネーブの経済欣態がブルジョア的であり︑叉小規模であったととによるの

で あ

る ︒

次の事は重要である︒即ち︑カルピン及びその倫理は︑微利に封する数舎の禁令及び貨幣に封ずるスコラ的理論を否

定した︒のみなら宇︑速に︑現代の経済概念と同様た貨幣・信用及び利子の理論を・支持した

0

4

んもそれに関しては︑現

代人も承認するような或る程度の制限を附していた︒との黙に於てカルピンは従来の純粋な泊費者の立場.にあるキリス

ト数伶理から股却し︑貨幣及び信用の生産力を認識した︒カルピンがその聖なる公共閏体のために︑政府の経済行政に

協力し叉経消的視拙からよく統制された社命日生活の重要性を認識したととは︑彼が経済的進歩と道徳的向上との間の内一

面的危辺関性を史っていたととを示すものである︒ジュネーブに於けるカルピンの後檎者逮は︑彼がた

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った道を後か

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一 一

総 合

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吉岡ロ向︒)は︑経済的繁栄と進歩との諸問題のために︑多くの細心友配慮

を向けた︒叉彼等はん品が正訟に分配されたか芝うか

1

或は貧民えの遁蛍在救済施設や︑失業者えの仕事が唄えちれたか

E

うかを監関した︒との紐の諸問題について政府は絶えや彼等の意見と助一一一ロとを求めた︒彼等は租税︑政府借入金利

率の高さの問題に関心を持ったが︑それちの諸問題は常に彼等の賛同を経て定められた︒彼等は政府銀行

2 z m g r s r

の設立に賛成した︒それは政府陀取引交易の利益を興え叉商取引に封じて必要な低廉た信用を創始ぜんとする目的をも

つ も

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カルピニズムと英図中世後矧の経済思想

(4)

経 営 と 経 済

カルピェズムの社合倫理的態度に封し決定的な影響をあたえたのはいうまでもなく︑カルピンの一柳視であった︒カル

θ

紳視の特徴は全智全能にして柴光と紳聖とに満つる紳という思想である︒恩寵の一紳という思想はと仇に反して︑ 何等重要性をもっていたかうた︒との世界もそのうちなる選民も愛からうくられたのではなく︑ただ一脚の柴光をあらわ

すためにつくられたにすぎない︒勿論︑との世界が紳の創造によるものであるととはカルピンも設いている︒しかしそ の被治物観念には否定的危要士一識が強︿︑人はこの世で働き︑各?セの職業を充すが︑それは何等彼自身の救の原因とわ

友らない︒カルピンの思想のうちには千等と平和との支配する絶封的自然法の世界えの考察は全く快けて居り︑との世と

紳の閣との差別を知ちゃ︑彼はあくまでも現質的な限を以てとの世をあるがままに把握しようとした︒ルグーにとって は絶釘的自然法の世界は現貨には存在したいが︑現貨に釘する理想として高い理念界の姿を我らに示すものとされた︒

カルピンはかかるものを知ら宇︑.外的な規律と秩序とによって質現さるべき世界理想を説いている︒カルピ

y

はとの世

が紳から無限の距離にあり︑その理想的完成は不可能であるというとと︑並にとの世に一仰の愛を完全に賢現するととは

不可能であるという認識をもうているから︑かえっ τ との世のととには積極的であり前動的である︒彼はとの世界の相封

的聖化に締足し得るから︑現質的な聖化活動に勇敢に進み得たのである︒しかも彼がとの荷動にあって煩うところは︑

ただ一仰の栄光をあちわさんとするにあヲた︒﹁一仰の栄光のため﹂とれがカルピェズムに於ける人間行待の形式的原理で

ある︒との原浬は人々が紳の意志に従順に服従し)幸一臓を求め宇守その奥えられた職業に精進する時に充足されると考

える︒乙の判明会︑山上の垂訓晶︑愛の誠令は殆どかえりみられない︒カルピンにとっては︑愛の念進主義よりは︑服従の

・念進主義の方がはるかに重要であった︒

カルピン︑の積極的左前動主義の目標は︑教曾︑数図の聖化であって︑現世或は世界の聖化でわ・なかった︒ルタ l は数舎

を信徒が聖餐にあやかり︑一仰の言葉を聞き︑内面的夏生を経験する場所であると考えたが︑カルピンはた訟との外に︑

その組織と規律とにより数舎に属する一切のものの聖化を成就するための制度であると考えた

J

しかも紳の命令に釘す

る服従というととは︑各人が自由意志にもとづいて行震するととろにあるのでわなく︑組織的な教闘の訓練によって資

規されると考えた︒

(5)

しかも数図の型化というととも.決して心情の聖化だけでわ満足せや行︑魚による服従︑可児的な聖化がなければ無

意味だと考えた︒とれは作法えの服従が要求される︒即ち︑人間のうちなる街動的たものを抑墜し︑合理的な自己訓練

を可能ならしむる戒律えの服従を要求し︑

ζ

れに反する行震を罪であるとなす︒ととに自然のままたる欣態えの深い敵

1

立と︑とれに釘す〆る郎︑い征服意志があらわれる︒かかるカルピン的態度を示すのにマックス・ウエ l

l は﹁現世内

ぷ於ける苦栄﹂という表現を用い工いる︒律法と並んで一柳の意志を認識する子段は現質の社合情勢の要求である︒カル ピシは歴史のうちに紳は人と事象とを通じ芯我らに話しかけると考える︒彼は山上の垂訓の愛の誠命にとらわれるとと

たく︑初和大た精力を以て︑.また迎恕と幻影とにわづらわされない統一的な態度を以て寅際の政治や︑経済に封した︒とれ は伎が彼自ら原氏のうちに語る一仰の要求に聴従しつ勺ありとの旅信にみちていたからである︒

( 2 )

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カルピ‑一ズムの倫理の力強い迎由の)として重要なものは︑カルピンの先天設定設であった

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・ ・ ・ ' 召 命 観 念 は カ

ルピンに於てはその透徹せる先天設定訟によヲて一居強調された︒それによれば︑紳は人聞の自・

‑ w

得たい超越

的た意志を布し︑その白山なる恩寵によヲて︑或る者を救い他の者宇氷山返の滅びの中に務め定ぬ掴

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明る︒従っ

て︑万ルピ‑一ストにあうでは︑救はれんがために何をなすべきかというととゆ問題でわなくて︑救われた一刀を如何に 託すべきかというととが深い闘心事となる︒一脚に設定され召された者は︑一利の栄光を鯨わすために不断の善き附労働によ

って︑その救われた身分を立証しなければならない︒︑カルピンにあってはーとの紳よりの救即ち恩寵の獲得はカソリッ

クが数える主うに︑サクラメントによら宇︑個々の苦業にもよら宇︑又︑ルターが説いたように︑信仰の法院境に於て︑

一仰と一例秘的危交りをなすととによるのでもない︒それはただ自然のままである人聞の生活態度と全く呉る特殊な生活を

住むととのうちに符られ右確信によってのみ可能となるととろのものであるとされた︒との救えの確信︑救の確かさを得

るために︑自らつくり出す積極的︑進取的た生活行動とそ︑ととでの勝栄的労働に他ならたい@信仰は皐に気分に止ま ってわならないのであって︑客観的な具体的か働きを符わねばならない︒カルピエストの会生活の関心は︑紳よりの召

命︑一柳の恩おにあやかりし地位を証せんとする超越的︑絶封的目傑に向けられる︒従って彼等の日常の生活はすべて紳の

カ ル

ピ ニ

ズ ム

と 英

問 中

世 後

期 の

経 済

思 想

(6)

経 営 と 紹 演

料栄光をあちわすために唯一絶封の目細川にかかわらしめられ︑ぞとから金生活が根度に合理化されるとととなった︒その

目標が非合理的︑超越的︑彼岸的であるだけそれだけ却って此岸的生活の合理化は深化し徹底するとととたった︒しか

もすべての此岸的なるもの︑右民的︑人間的日以は︑彼岸の救である絶封的目標の前に否定された︒すべて人間的現世

的目的に仕えるととは︑一仰の超越的︑結別的意志の前にあっては

j

借越な被詰物崇拝として担否された︒そとから苦業 .的自己否定的友松端な宝前の愉別化

. A u m

化えの術動が生宇る︒

日々の現世的職業

MW

仰に初也ずることによって︑一仰の栄光をあらわさんとするととは︑仰が全能の一仰に劃して負う重

大責任である︒との沢任の訟行は船利の主阪でわなくて︑一仰に到する義務の履行に他ならぬ︒との義務は生命に換えて

も果さ・なければならない市一大口任である︒この泌い京任の自覚が︑すべての清教徒を強くした︒彼等をして人を恐れ

宇︑ただ一利のみを恐れしめたっとれが中枇人の仰統主義的な生活態度と臭って︑彼等の強烈な資践的意

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源 で あ ワ 売︒又︑ひとり近代的れに於けるのみなら・て消々の近代に於ける建設的な位合革新の原動力で

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・る召命意

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1

識と仰に於ける深き官任の白川んが︑カルビエストの抗術的動の根本動力であり︑西欧の

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かかる勤勉た積鋭的な労働によって者杭されたん品を現悦的亨楽に用いるとと︑或はその上に偽安の吋滑を貧るとと︑

殊民聖潔な生活えの努力を拾 τ 去るととは︑利えの恐るべき胃演とされた︒しかし︑カルピンは宮の蓄積それ自体を罪

︑惑脱したのでわたい︒彼は一世一一一き方法陀£って符られた日を正賞なものとした︒宮は徳によっても︑賢明さによっても? 勢倒によってももたらされ恥いで︑紳の祝一怖によってのみ来るとした︒﹁宮自体は我・々が一仰に仕えるととを少しも妨げた

いで︑ただ我々の惑なと腐敗とによって妨げられるのである︒官はそれ自体に於てはとがむべきでわない︒若し人が富'

を否認するならば︑それは一利に到する大友る胃況である︒何となれば︑一品は一脚からでない限り︑他の何虎からも来ない だろうから

i

あ る

o

認が道徳上危険でめるのは︑その上に係安の生活を食る危険な伴うからにすぎない︒財産は一紳の恩 憾によって人に興えられたものであるが︑人はその管理者にすぎない︒聖書にある僕(マタイおの

M

﹀のように︑)プフ ヱエヒにいたるまで

T

紳から委託された金について知明の義務を負う︒管理色目宮町伯仲号という言葉に注意したければ

ー..L・ /、

(7)

ならない︒との言葉によって我々は︑富者が神の惑によって︑その手中に委ねられた財産を庭現する時︑貧者の代理人

E E m R

内的であるという僚件の下に︑彼等は大なる富を委ねられているととを墜ぶのである︒宮とは決して飽くととを知

ちない深淵である︒世にはなやみ︑悲しみ︑誘われて掠め︑また悪事を働く貧者があるが︑一抑が奥えたものに満足して

生活をつづける賞者も多くある︒しかし士は王侯にいたるまでの富者になると︑あくまでもこの世の寅を迫ぴ求め︑心 を焦され夢中になっ

τ

いる︒彼等は太陽が貧者の上に輝くとと

T

悲しみさえしている︒結局︑富者の大多数は紳の所有

し給うすべての土地が彼等に輿えられゼも︑命︑満足し得ないであろうというととを人は知るのである o ﹂カルピンの

富に封する考えは︑以上に紹介した如く︑彼のラ・テン語版全集中に所々示さ札ている︒

カルピエズムの経済論の原理的な考え方は︑・一切の経済的活動は一仰の栄光をあらわすため︑信徒が紳の命令に従つ

τ

自己の訓練を完うするために︑一利から奥えられた活動の場所が経済であるというに日附する︒とれ以外の考え方はカルピ

ニズムによ作ば︑すべて被造物紳化︿同町内民

58

2z

ロ間﹀にすぎない︒勿論経済は人間にとっては必然的な力をもつ

g

ものである︒人は生きんがために必然的に経済を皆まねばならない︒このことは経済が紳によって命令されている‑証践

である︒経済の人生に於ける債組が強いというととは︑必宇しもその慎値が高い証左でわない︒しかしそのために人間

はとれによって紳に仕える多くの機舎を把握するととができるととを意味する︒乙の考え方のうちには経済を喜び︑経︑

済のために経済を促値ありとする思想は全くない︒カルピ一一︑スにあっては︑ただ経済活動に討する献身的努力は極めて

強く要求するが︑それは経済のための経済でわなくて︑経済活動を通じて紳の栄光をあらわさんとするにすぎないので

4

ある︒カルピ‑一ズムに於ては︑一利よりの救の確認としての経済活動が重要であっ

τ

︑経済財の獲得は問題とわならない

のである︒経済生活の成果はとれを求めたが故に生やるのでわなくて︑一柳の恩寵の賜として自ら生やるにすぎない︒そ

れはその行震が紳の御心にかなったととの証左であり︑更にその人が救に定められであった乙との証左であるというに

す ぎ

な い

カルピ一一ズムに於℃は︑かかる救の証左というととが何故にかくの如くカルピ‑一ストの重要な関心事となるのであろ

うか?元来︑近代資本主義の精帥は︑即ち︑合法的利潤を召命(倣業)として投機的にでわなく︑へ

14

的︑組織的に

カ ル

ピ ニ

ズ ム

と 英

図 中

世 後

期 の

経 済

思 想

(8)

態 管 と 経 済

追求する心意

( C E D

E

ロ間)という意味に於ける近代資本主義精紳は︑近代の欧洲及び北米合衆図にのみ存在して︑それ

以外には歴史的に世界の何庭の地に於ても見出されない︒しかもとの近代資本主義精神は︑貨幣の獲得それ自体︑或は

管利の迫求それ自体を最高善とし︑一仰よりの段高の命法として︺切の現世的亨楽を担否して追求するのであるから︑人

間本来の姿から言えば︑不自然た非合理な目的に方向づけられて

(2

一 吉 伸

2

2)

いるのであって︑人間生活に普遍的且つ

内在的ともいうベき快楽主義や幸一耐主義の世界観からは生じ得ない︒したがって︑かかる近代資本主義の精一川が成立す

るためには︑何らかの歴史的動凶が作用し

τ

︑人間の生活々動をかかる超越的︑非人間的︑事象的方向え押し進めなけ

ればならない︒かかる歴史的動凶は︑十六︑七世紀ゆ西欧人の精神生活に決定的な影響を及ぼしたととろのプロテスタ

シテイズム︑就中︑英国及びオランダに於︐て近代資本主義成立の精一仰史的母胎となったカルピュズムの倫理によっで奥え

ちれたのである︒カルピンの倫理中︑特に近代資本主義の精一利史上重要な意味をもつものは︑その光天改定訟である︒

それによれば︑各人の淫命は人聞の意志を超越する測り知る可らざる神意によって決定されている︒各人は信仰を得

τ

神から秒︑われて永遠の生命にあ宇かるか或は不信仰のまま永遠の滅亡の火に投げとまれるかの何れかの運命に改め定め

られている

0

・何人もとの運命を凌返する乙とわできない︒救命けもサクラメントもとの柿の決断の前には無力である o カ ルピンのかかる峻殻な設定訟は︑各人をして自己の淫命に到して一の押え難い焦際感に陥れる結果となったであろうこ とは容易に推察し得ら作る o 各人は果して救はるべく選ばれてあるのが︑或は永遠の滅亡に改定され τ いるのか測り知

るととができない︒各人はその運命を如何にして知り得るのであろうか︒我々は選ばれてあるととの確信を即ち︑救︒

確かさ

23 xg

品 ︒

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伸一"を如何にして確かに自己のものとするととができるのであろうか︒その確信を得るためには︑

各人がその枇合生活に於て一仰の律法に遁仏︑その栄光をあちわならしむるようになすより他に手段はない︒各入がかか

る生き方を注す乙とを紳は必やや望み給うであろう︒密約型式日の設一一日中にあるように﹁汝その職業に巧みなる人を見る か︑かかる人は王の前に立%とえとれはその世俗的職業に忠なることが︑同時に紳の律法に遇うととを意味してい

る︒従つ τ ︑各人が枇合生活に於いて世俗的職業に専念し︑とれをでき得る限り合理的に遂行するととは︑必やや一仰の

意思に泊う所以となるであろう︒紳の柴光をあらわならしなる方法は︑世俗的職業の合理的遂行にあるのであって︑そ

(9)

の合理化のもたらす経済的成果が大・なれば大なるほど︑一珊の恩寵は自らの上に大であり︑救われであるととの身分︑教

の確かさ︑その恩寵の地位

KC

S

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島)は確かに各人のものと考之られるようになる︒しかも版業的問労働えの苦業的

精進によって必然的に大とたった経済的成果は︑あくまで神から各人に委託されたものにすぎないのであって︑各人が

自由にとれを治究し︑自己の亨楽に蕩議してしまうととは詐されない︒現世のうちに生きるが︑現世によって生きるこ

とをいましめ︑亨楽を避け︑者修をい刊誌じ︑勤倹を凶日として生きて行かねばならない︒神から委託された財産を自由に自

己の亨楽に治安してしまうととは︑恐るべき一仰に討する胃演である︒かかる禁欲的合理主義(お宏伸一師会

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知 伸 一

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と呼ばれる生活態度は︑必然的に消費の節約をもたらし︑資本の蓄積は不可避のととであった︒しかも蓄積された貨幣

債依は現世的亨楽に消費されるとともなく︑又中国共他前資本主義的批舎によく見られるように)家の金減に退蔵され

%ようなととがなかったから︑それはより新しい利潤を目僚として再び生産部門に投下されて行︿結果とならざるを得

ない︒かくの如く禁欲的苦業的節約によって蓄積された貨幣債依はたえや生産資本として柑開化され資本の無限なる増

殖を目ほとして生岸部門に投下される結川市は.資本蓄積と再生産の過程を無限に銭大せしめ︒て行︿ようになる︒そとに 活動的な無限なる夜間肢を目以としてやまない近代資本主義の精神が生じたのである︒カルピンの峻殻な先天設定設は︑

救ひの確かさを得る方法として生活の禁欲的合理化を促し︑浪費と亨楽とを戒め︑近代的経済人の貨幣償値増殖を目路

とする活動を.れ自体を紳聖化し︑スコラ的経済思忽に制約された中世経済人の引込思案的な経済活動や思想とは著るし

'く呉るところの近代資本主義人の特殊な性格をつくり上げたのである︒

カ ル

ピ ン

の 経

済 思

想 の

他 の

一 一

聞 は

︑ ル

l の非現資的非進歩的な思想と臭って︑現質的であり進歩的なととである︒そ

れは雨者が住んでいたウイツテンペルク(ルタ l ﹀とジュネーブ(カルピン)との環境の相遣に基

C

結もあるが︑ま

たその数義の相遣に基くとも骨一口い得る︒ルターにあっては神秘忠忽的面が強かったのに反し︑カルピンにあっては跡︑

秘忠組家的な面が見られや'︑彼に特有な峻殴な先天設定訟に由来するととろの現質的であり且つ活動的進歩的面が強く

前面に出て来たからである︒カルピンは山上垂訓や絶対的自然法に凶はれないで︑現寅に生きるととによって︑神の律

法とその栄光をあらわそうとした︒現貨の本震である私有財産制度は自明のとととして何等の疑念をいだか宇︑ただ紳

カ ル

ピ ニ

ズ ム

と 英

問 中

世 後

期 の

経 済

思 想

7L 

(10)

経 替 と

¥ 経 済

から委ねられた叫別であると考うべきととを説いた︒利息禁止論に於ても利息徴牧がキリスト教的に見て果して正しいか

否かの問題は重要視されたいで︑利息なくしては経済生活の進歩が著るし︿阻害されるととを洞察じ︑利息徴牧は経済

的に自明の問題であると考えた︒かくて彼はスコラ的な利息禁止論の根擦を検討し︑申命記のこ十三章廿節の﹁他閣の

人よりは利息をとるもよし︒ただ汝の兄弟よりは利息をとる可ら宇﹂という命法を隠史的制約あるものとして︑時代が

全く凌化した現在︑との命法の受営性は失われたと説き︑山上垂訓中の﹁何ものをも笠ま・下して貸し奥えよ﹂という誠

命を以て︑利息後牧とは何のかかわ.りもない友交関係を説くものであると主張した︒またアリストテレ 1 スの﹁貨幣は

貨幣を生み能わや﹂との主張に封しては︑貨幣が努働

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結合して生産的となることを例示して反到した v しかしカルピ

ンは貧欲な金融業者の高利貸借までも正しいとしたと考えるととは大なる設である︒彼は職業としての金貸業者を認め

なかった︒叉不労所得を否定した︒カルピンはオイコラムバヂユスに奥えた有名な手紙二五七五年に始めて刊行され

た)に於いて︑フランスの法事者ヅムウラシに従い︑貨幣使用に討する代償をとるととは︑それ白.体罪であるという訟

を否定した o 彼は実幣がそれを以って牧入を獲得し得る財産を購求し得るなら︑とれを子を生ま・?と見なすととの不合 理を指摘した︒カルピンの判断は確かに徴利に闘する在来の嫌悪感を弱くするのに大いに影響を興・えた︒殊に十七世紀

ピ於ける大商業国民であったオランダ人はカルピン沃であった

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蛍としたことは︑従来行われて来

たように多くの例外を許すよりも︑遥かに強い影響を典えた︒従って︑カルピンの教義はその員賞︒意義に於いて欧洲

思想史上の大なる諒換期であった︒しかしカルピンは如何なる特殊な商行震に封しでもその態度は'メランヒトン又は蛍 時の普通のカソリック紳皐者の態度と同様であったことは注意し・なければならない︒とのことはカルピン島身の言葉に

よって明瞭である︒﹁私は全体的に徴利(貨幣使用に刑判ずる代償)を排斥しないが︑貨幣に封ずる微利は次のような傑 件の下に於℃のみ合法的たるととを得べきであって.そうでない場合には正賞でないここれらの僚件︒中には﹁利息は

貧困者から取ってわならない︒'又必要或は災難によって窮迫している何人にも利息の支梯を強制するととは合法的でわ

ない︒﹂又﹁利息を以って借金した者は少くとも金を貸した者が獲得し得る程度の利益を労力と配慮とをもって彼自身の

ために捧げなければならない︒﹂

(11)

カールピンは貨幣使用におする代償を}般に是認するようになることの危険を極めて明かに悟弓た︒彼はその手紙の始け めに︑寸他の入︑々の例から︑意見を諮ぺるととが如何に危険な仕事であるかを知った︒いと一吉ってノいる︒﹁何故ならば︑

若七我'々が叙利を全然非難するならば︑神自らが希望し給うより以どの

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厳 格 友 制 限 を 良 心 に 課 さ ・ な け れ ば な ら な い ︒ 他 ︑

方もし僅かの譲歩をたしても.多くの者はそれを口賀に用い︑叉その後如何なる修正又は例外によっても決して制御し

得ない無拘束の免許を奪取するであろう︒﹂との手紙はがってとれを議表するつもりであったか芝うかわ明かでわない︒

カルピンはオイコラムパヂユスに己の心を打明けるととを遠慮しないのは彼だけであると言っている︒しかしオイコラ

ムぷヂユスがある友人のために助一一一日を求めたときに︑現ルピンはそれをためらった︒ただ彼はオイコラムパヂユスがと

れを侍える際に︑友人の性質に慎重な考慮を抗うべしという僚件附で返事を奥えることに同意している︒

カルピンが恐れていたことが起った︒後の世紀に於いてカルピンの偉大なる椛威が︑貨幣貸借の報酬を徴するととは

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決して罪でわないという民汎な提案のためにその助力を求められた︒又彼の二三の断片的な言葉が︑その著作集からと‑

り出され︑制限された依件を然倒して引用された︒或商人と他の商人との問に註された時にのみ役利を是認するという

彼の︑注意深いム制限をつけたものが一︑い民幣貸借に関するあらゆる程類の契約を是認したとこじつけられた︒又宗教改革者

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及び新教徒の科事者も︑宮教徒一利凶一

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者が貨幣力の正しい使用こ闘する刈可︑なる繭足な基準からも遠くはなれていたと

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一三六三年にエドワード三世はロンドンの蛍局者に令欣を褒し︑徴利の非行と恐るべき弊容とを絡らせんとする彼等 の努力を讃め︑又その虎訪のために︑彼等自身の聞で泊首な法令を作製する椛利を奥え又彼等の商品叫じもたちされた

よラな事件を底辺するために︑

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市長

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二人の長老及び問人の市民から成る特別の法廷を作る様利を興えた︒従って︑市

長友び長老は甚だ徹底した法令を後し︑︒高利貸は被害者に賠償をなすと共に︑同額の科料を市金庫に納付するまで彼を

禁銅にすると治︑どした︒利息禁止の法律は仲良人に封じて一暦鋭かった︒仲良人は営時すでに勃興し始め︑特に高利的︐

取引を助長するもの

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として不入試であった中間商人と代理業者とより成る一一階級であった︒営時のロンドンに於ける一

法令は次のように流一べている︒﹁然るにかくの如き取引は不正なる仲買人なくしては殆んど行われや︒かかる仲買人はも

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(12)

彼等自身の利益のために︑しばしば闘興して雨蛍事者を欺くようにたる

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上越の混同良た市民は今後仲買人と

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如き罪惑を行い︑以って汚れたる者はすべて最初は全一年間禁銅し︑又二回に及ぶときは︑営市主り永久に誓って隔離

す︒﹂と︒とれに満足しないで︑約十七年の後︑ごニ九一年に︑市長及び長老は前法令があまりに漠然であったという理

由で他の法令を恋した︒その理由は︑何が高利であるかをその中に示唆又は明示したかったと主であった

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それ故彼等

ば次のように宣一一一一目した︒﹁もし何人であっても︑他人の手に金又は銀主︑それをもって利得を受けんがために︑又は危

険なく一定額を約束し︑貸興又は譲渡すれば︑かかる者はその法令に含まれた虎罰を交ける o ﹂と︒つづいて市長及び長老

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傍位の保証金を積またければ︑

開栄してわならないと命じた︒市の登録簿に?っと後にヘンリ1五世の時に寄寓された仲買人に行わしめた宜誓の書式

が見出されろ︒とれらの法令が死文でなかったととは︑一三七七年のラルフ・コオンウヱル事件によって十分説明され

得る︒との場合︑依務考が三ヶ月の期間で十傍の元金に到して認せられたこ傍の金額を支扱うととを短絡した︒そとで

ロンドンの法廷は借千にその負給を兎除したばかりでなく︑貸手を彼が要求した倍額を市に支梯うまで牧監した︒ 中世後期金休にわたうて︑英図'では微利は単に完敬上の犯罪だけでわなく︑民事上の犯罪であった︒微利に閲する古

い禁令の払以後のものは︑一四八七年の保例である︒しかしーエドワード四世の政府はロンドンの商人民人望があった如

く︑ヘンリ 1 七世の政府も長初は主として地方の紳士階級陪よって支持されていたこと及びとの保例は恐らく設早買業

界の共鳴を符られなかったであらうととを注意し・なければならない

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すぐその後で︑後期のスコラ哲撃者の墜訟の影響があらわれ始めた︒彼等は微利に到して寛大友解四慨をなした︒早く

も一四九五年に一法律は純利を禁止すると共に︑明かに﹁貸金の不梯に釘する遁法な罰金 L を例外として認めた︒又貸

乎が毎年の生産物を牧交する土地を拾保とする貸付は︑もし貸主が資本額を失う危険を負捻ずるならば︑正蛍?となさる

べきであるという意味を含んでいた︒しかし古い停統を打破する決定的廃置はヘンリ l 八世の治世の末︑一五四五年ま

でたされなかった︒との時︑利子製設の仮面の下に年一一割の利息支挑が法律によって許された︒

しかし突闘の宗教改革者達︒多くは徴利に関しては︑ルタ l と同様な立場をとっていた︒カルピンの徴利是認の思想の

(13)

影響が英国にあちわれ始めたのは︑それよりや

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っと後で十六世紀の後宇から移頃にかけてである︒即ち︑ヱリザペス玉

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に入ってからである︒ヱ

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ザペス朝のロ 1 マ法事者トオマス'ウィルソンは微利否認論から︐次第にカ

ルピン派の紳盛者逮の彩容を一父けて是認論に傾いて行︒ーた興味ある例の一人である︒その著﹃封話及び演説体徴利論﹄

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﹀は︑その内容から見れば一五七一年の法令の少し以前に脅か

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れ︑一五七二年︑﹁五八二年︑一五八四年に公刊された︒彼は初の聞は設も巌絡に徴利否認論を述べている︒彼が求め

ている唯一の譲歩は︑借手が指定された期日に借金を返済しない時︑損害賠償と利子支梯とを認めたととにある︒彼は

官者に貸した場合と食者に貸した場合との区別を否定して︐いる︒彼ほ常時一般に用いられるようになり始めた﹁徴利はー

辛らつでなければ守はない﹂及び﹁慈善が破られ宇︑雨者に於いて何等の弊害も感ぜられ宇︑却って利得ある場合︑又

他人が己にたすととを欲するととを他人になす場合︑如何・なる高利も行われ得ない﹂という議論を全く排斥した︒この

ローマ法問中出品が後では改諭するように友るが︑それはカルピンの影響によることは次の事柄によって推知し得られるの

であって︑とれは一在日すべきととである︒即ち︑彼は議論の長初の部分で︑有名なる法律家コロルス・モリ‑一ユスに封

じて法律上の制限及び一定利卒以下の賦諒の認可に味方しているものとして︑援助を求めているのである︒又彼がその

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l プレンチウス?カルピン及びベザのようたその時代の一流の人物)

は︑越度な似利に反釘せ子︑むしろかえってとれを許可する必要があると考えていたと述べているととは注目すべきで

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¥かかる微利是認えの傾向を一居強くした墜訟は︑一五七七年に英語で出版されたプリンガ 1

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であった︒又一五八六年キヤングペリ l 教区で褒布された法令は︑すべての若き牧師は右の書物を一部所持し︑毎週一

つの設敬の続税を作るべき旨を規定した︒何故ならば︑プ

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ンガーは貨幣の使用に封し報酬を受ける契約は︑それ自体

に?於いて不訟でなく︑叉聖書に於ても罪と宣告されなかったと明言したからである︒彼は徴利は︑それが不義と連絡あ

る.限り︑又裁が兄弟︑又は隣人の破滅と連絡ある限りに於いて︑聖書中に罪とされると述べている︒叉更に﹁徴利はそ

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末期の一居博壌で代表的左牧師はマイルス・モオスである︒彼はカルピン及びその一一決の教義に感化され

てい'た︒聖エドマンズピユリーに於ける彼の設致︑﹃役利︒審問と断罪﹄

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五九五年民出被された︒彼ば彼と同時代︒多くの人達よりも中世紳撃に討してもっと完全な知識を持っていた︒従っ τ

彼は貸主が危険を負捻ずる組合(宮円円

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の性質を有する投資を説明し︑その正常性を立証するために大いに努力

しでいる︒一度このことが公認されたならば︑貨幣の使用に封して一定額の代償(利息)を支梯う原則前社合会休に是

認され

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る よ う に ド な る と と は 自 明 の 理 で あ づ た ︒ ハ 3 ﹀英図中世後期に於ける経済思想は︑後利是認の附則で大陸諸閣の場合

上りも遅れたと思われるのであるが︑その理由は︑英図では後期のスコラ哲墜者達の徴利是認の思想が︑英闘での宗敬

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彼等はルタ l と同じく経済思想は未だ中世的であり︑徴利否認論であった

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かし︑カルピ一一ズムの影響並に各種の経済事情によづて十六世紀末期の英園経済思想は︐次第に徴利是認

の思想に殻展して行ったのである︒

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