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加藤威夫氏を偲ぶ

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Academic year: 2021

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加藤威夫氏を偲ぶ

藤森謙一 加藤威夫さんは昭和40年の 5 月に安川第五郎さ ん(故人)のあとな受けて会長にど就佳になった. 安m 元会長と同じ電機関係のご出身で,早くから 日本事務能率協会・日科技連・生態絵本部等の設 員をつとめられ,特に IE では運営委員長の後に 副会長をつとめられ,昭和 36年には QC でデミン グ賞を受賞されたこの道で赫々たるご経歴をもた れた方である.安JIf先輩からのご推薦で決く第 6 代の会長にど就佳願った.私は庶務担当常務理事 として安川元会長ご就任の時も裏方をつとめさせ られたが,加藤会長ご就任に際しでも加藤先輩と は経帯雨友会とか東京ゴルフ倶楽部などで「オイ 藤森j とよびつけられるお付き合いだったので, 日本建鉄の社長壌に学会としてお麟いにあがった 時「お前が副会長をつとめるのが条件だぞ」など ぎつくばらんに冗談を言われた“オヤジ"だった. 加藤会長ご読経当時わが OR 学会の活動も非常 に活発になった時代で,昭和40年 8 月には米国 O R 学会会長ウォルシ品博士(故人)な迎えて国際会 議 (ORAW) :を開催大成功をおさめ,また同年, 欝擦 OR 学会 (IFORS) モース MIT 教授来臼 の機会に OR学会主脳との懇談会合催し加藤会長 が司会され多大の成果を得,日本の OR 学会の地 位を国際的に認識させることに大いに寄与した. 加藤会長ご裁を時の強負のひとつ“ OR と経営" これを日本の緩済発展にいかに活用するか,など を中心に学会をリードされてきたお姿が自のあた りに浮ぶ.その後も日経連・日本生産性本部・日

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(2) 本 1 E 協会等斯界の長老としてのご活躍は誠に敬 服していた次第である.ゴルフも近年まで好々爺 として奥様とど一緒に楽しまれていた. 安 JII さんについで,加藤元会長をお見送りする ことになってしまい誠に残念に思います.ご其揺 をお祈りして筆をおきます. 放加藤威夫氏略æ ヌド籍東京都新得区上落合 2T 日 22誉26琴 住所 向 上 出生明治28年 8 月 5 日 大正 9 年 7 月 東京帝国大学工学部電気科卒業 大正 9 年 8 月 三菱造船線神戸造船所電機製作所 大豆 10年 三菱電機線設立転籍 大正 13年 6 月 米冨ウエスティングハウス会社に留学 (大正 14年 6 月まで) 昭和19年 3 月 三菱電機紛神戸製作所長 昭和21 年 8 月 間社本店生産技術部長 昭和22年 4 }3 向社取締役を経て 33年より顧問 昭和32年 5 }3 箆本建鉄総取締役校長を経て 46年よち 顧問 昭和34年 11 月 麓綬褒章受章(労働省) 昭和36年 11 月 デミ γ グ賞受章(品質管理) 昭和37年 5 月 山武ハネウェル計器紛敬締役を経て 46 年より穏談役 昭和初年 11 月 勲四等旭日小綬受重量(労働省) 昭和50年 11 月 (財)経営科学振興財団から経営科学化 有功章受章(生産管濃) 〔本会調官事〕 昭和初年 5 }3 会長に選出される 昭和42年 5 月 名誉会員に推薦される 昭和56年 11 月 30 日 10時45分逝去急性心不全 オベレーシ隷ンズ・リサーチ © 日本オペレーションズ・リサーチ学会. 無断複写・複製・転載を禁ず.

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