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論 ―MAHAYANA SUTRALAMLAMKARA 第Ⅺ章 第1〜4偈―

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(1)

―MAHAYANA SUTRALAMLAMKARA 第Ⅺ章 第1〜4偈―

(承 前)*

 〈2−2 別義〈2>律〉

〈2−2−3 律蔵の四種〉

【本文】

   (1)〔律に違反する〕罪過に基づいて,(2)〔その罪過が〕集まり生じることに基づ   いて,(3)〔その罪過から〕遠ざかることに基づいて,(4)〔罪過が〕消え去ることに   基づいて,律が〔理解されるべきで〕ある。

   また(1)〔律に違反した〕人に関して,(2)〔律の〕制定に関して,(3)〔律の〕細説   に関して,(4)〔該当する律条項の〕決定に関して,同様に律が〔理解されるべきで〕

  ある。(第四偶)

【釈疏】

 「(1)〔律に違反する〕罪過,(2)〔その罪過が〕集まり生じること,(3)〔罪過から〕遠ざか ること,(4)〔罪過が〕消え去ることの〔四〕法〔に基づいて〕律が〔理解されるべきで〕

ある」(4ab)と説くうち,(1)罪過,(2)〔罪過が〕集まり生じること,(3)〔罪過から〕遠ざ かること,(4)〔罪過が〕消え去ることの四法がある場合にそれが「律」と称される,とい う意味である。

 「また,(1)人,(2)制定,(3)細説,(4)決定に関して〔律が理解されるべきである〕」(4cd)

と説くうち,別の見方からすれば,(1)人,(2)制定,(3)細説,(4)決定の四法がある場合にそ れが「律」と称されるという意味である。

 〈2−2−3−1 律蔵の四種(その一)〉

【本文】

(1) 〔律に違反する〕罪過に基づいて,(2)〔その罪過が〕集まり生じることに基づいて,

(2)〔罪過から〕遠ざかることに基づいて,(4)〔罪過が〕消え去ることに基づいて〔律を〕

理解すべきである。

P.55

(1) apatti

【本文】

 そのうち,〔律に違反する〕罪過とは五群の罪(五罪聚,五篇罪pa負capattinikaya,

pa五capattiskandha」(1)である。

(2)

28 経 律 論(早島)

【旧註】

(1)五群の罪とは①波羅i夷罪(parajika),②僧残罪(sa卑ghava§e$a),③倫蘭遮罪

(sthαlatyaya),④捨堕罪(payattika),⑤波羅提提舎尼罪(pratide§aniya)である(1)

【釈疏】

(1)「そのうち,罪過とは五爵の罪である。」と説くうち,五群の罪とは①波羅夷罪,②僧 残罪,③突遍羅i罪(duskτta),④波羅提提舎尼罪,⑤捨堕罪である。(1)

(2)samutthana

【本文】

 〔罪過が〕集まり生じることとは,①〔戒律に対して〕i無知であるから(aj面na),②自 制力がないから(pramada),③煩悩が熾烈であるから(kle§apracurya),さらに④〔戒律〕

尊重の念に欠けるから(anadara)〔罪過が集まり生じるの〕である。(2)

【広註】

 ②自制力のない時は〔律の諸条項に〕気づいてはいても,子供や女性,あるいは俗人に 慣れ親しみ〔彼らの〕悪しき行為に従ってしまうから,罪ある者となるのである。

④〔戒律〕尊重の念に欠けるとは,〔自分の〕命を失うことなどを恐れるあまり出家するの で,〔戒律の〕諸条項を尊重しなくなるのである。〔あるいは〕出家の道心堅固にして出家

したにせよ,怠慢さなどのため〔戒律の〕諸条項を尊重しないのである。

【釈疏】

(2)「罪過が,集まり生じることとは,①〔戒律に対して〕無知であるから,②自制力がな いから,③煩悩が熾烈であるから,④〔戒律〕尊重の念に欠けるからである。」と説くう    ち,四種の原因から罪過が集まり生じるのである。四種の原因とは無知などである。

    ①このうち無知とは「どのようなことが波羅夷罪となるのか」,「どのようなことが〔波    羅単動以外の〕罪過となるのか」,〔あるいは〕「波羅夷罪とは何か」,「罪過とは何か」とい    うことに無知であることから罪過が生じて来るのである。

    ②自制力のなさとは,子供や女や家長〔に慣れ親しみ,彼ら〕の悪しき行為に従ってし    まうことから罪過が生じて来るのである。

    ③煩悩の熾烈なることとは,むさぼり,いかりなどが非常に力強いために,煩悩が威力    を増して罪過が生じて来るのである。

    ④〔戒律〕尊重の念に欠けるとは,〔その始めから〕ひたすら梵行を念じて出家するので

〈31> はなく,支配者や盗賊などを恐れるあまり,あるいはただただ生活のみのために出家する    のであるから,〔戒を具足して律の〕諸条項をそなえてはいても,戒に対する尊重の念もな    く,機会をみつけては怠惰を貧ぽるから,罪過が生じて来るのである。(2)

(3) vyutthana(3)

【本文】

(3)

 〔罪過から〕遠ざかることとは,自発的な意志からであって,刑罰〔を恐れる〕からで

はない。

【釈疏】

「〔罪過から〕遠ざかることとは,自発的な意志からであって,刑罰〔を恐れる〕からで    はない。」と説くうち,刑罰〔を恐れる〕ゆえに罪過から遠ざかるのは〔罪過から〕遠ざか    るとはいうものの〔本来の遠ざかり方ではない。〕そうではなく,罪過や過失が生じた時に P.177b 心から繊悔して,これ以降は〔決して罪を〕犯さないと〔自ら〕戒めて罪過から遠ざかる    ことを名づけて「〔罪過から〕遠ざかること」というのである。

(4> nihsara堆a

【本文】

 〔罪過が〕消え去ることは七種ある。ω  ①〔犯した罪をサンガに〕告白すること。㈲

       く    ②師などの〔下す〕刑罪を進んで受けること。

 ③〔罪過なしと〕許すこと。〔戒律の一つの〕条項が適用されて〔すでに有罪とされて〕

いる場合に,さらに別な〔条項を適用する〕ことによって〔罪過なしと〕承認されるから

である。(7)

 ④〔条項の〕廃止。サンが全体の集まりで〔律のある〕条項を廃止するからである。(8)

 ⑤身体をζりかえること。罪過が〔比丘・比丘尼に〕共通でない場合に,比丘・比丘尼 が〔それぞれに〕女性・男性へと〔性〕転換するからである。(9)

 ⑥真実の洞察。要約されたおしえをもってするすぐれた洞察であ〔り,これによって罪 過が消え去るのであ〕る。

 さらに,⑦法性の体得。〔四聖〕諦を観じることによりにれまでの〕微細な罪過や〔今 後生じるであろう〕微細な罪過が存在しなくなり,〔その結果〕法性を体得するから〔罪過 が消え去るの〕である。(10)

P.89a

【広註】

 ②「進んで受ける」とは「師などが〔下す〕刑罰を」進んで受けるのである。波羅 夷弓が生じたとしても,〔その罪を〕一つたりとも隠蔽する心のない人に対する刑罰は次の 如くである。彼は戒を具足した〔比丘たちに〕最後に食事を給仕すること,(11)…〔戒具足 の比丘たちの〕最下座に列した彼は戒を具足した〔比丘たちの〕中に〔再び〕戻〔り,比 丘と同じ戒律を守〕ること…(11),また自らも〔座に〕列して沙弥などから食事を給仕され ること〔などなど。〕かくの如きの刑罰などを進んで受けることにより罪過から離れるので

ある。(6)

 ④「〔条項の〕廃止。サンが全体の集まりで〔律のある〕条項を廃止するからである。」

と説くのは〔次の如くである。〕

世尊は尊者アーナンダ(阿難)に,「〔自分が〕般浬梨した時に,〔サンガ〕全体が一致す れば,これまで説かれた〔律の〕諸条項のうちほんのささいな条項(小小戒)は廃止して

もよい。」と言われた。そして〔世尊が〕般浬葉せんとする折に,尊者アーナンダは悲嘆に

(4)

30 経 律 論(早島)

   くれるあまり〔世尊のことぼの意図を〕訊ね〔るどころではなかっ〕(12)た。〔世尊の〕般浬    築の後に,尊者マハーカーシャパ(大迦葉)など結集した人々からこの〔世尊の〕ことば    について,尊者アーナンダは「世尊が般浬葉の時に『ほんのささいな条項は廃止してもよ    い』と彼は〔ある〕意図をもって説かれたのに,汝は何故に世尊に〔その意図を話される D。80a ように〕勧めなかったのか。」と叱責された。

    説一切有部においては,「ほんのささいな条項は,サンガが結集して廃止する」〔との世    尊のことば〕に基づいて,〔律のある条項を〕廃止することがあると伝えられている。(13)

    ただしこのことはまた伝承のみであって,いかなる条項も比丘のサンガによって廃止し    たり,廃止せしめたことは〔実際には〕ないのである。しかし律を保持して来た毘婆沙師    たちは,五群の罪について,このように考えていると〔広く〕伝えられているのである。(7)

    ⑤「罪過が〔比丘・比丘尼に〕共通でない場合に」と説くのは〔次の如くである〕。

P.89b  比丘の罪過は〔比丘尼のそれとは〕共通ではない罪過である。その〔比丘個有の〕罪過    からすれぽ,〔比丘尼が〕比丘となった時は,〔比丘尼の時に犯した罪過を〕繊悔するなど    の行いは〔要求され〕なくなるのである。

    他方,〔比丘のそれとは〕共通ならざる比丘尼の罪過からすれぼ,男性から女性に〔性転    換〕した時は,〔上の場合と〕同様に,〔比丘の時に犯した罪過が〕再度有罪とはならない    のである。(9)

    ⑥「真実の洞察。要約されたおしえをもってするすぐれた洞察である。」と説くのは〔次 の如くである。〕

 〔世尊が説かれたあまたの〕おしえのうち,要約されたおしえ,〔たとえぼ〕.空性・無相・

無期を正しく洞察するとき,微細な上にも微細な罪過からも離れるのである。

    【釈疏】

    「〔罪過が〕消え去ることは七種ある。」と説くうち,五群の罪のうち,何であれ〔罪過に〕

D.159a該当するものから抜け出る手段は七種ある。七種とは①〔罪の〕告白,②刑罰を進んで受    けること,③〔罪過の〕許容,④〔条項の〕廃止,⑤身体を交換すること,⑥真実の洞察,

   それに⑦法性の体得である。

    ①このうち,「〔罪をサンガに〕告白すること」とは,罪過(apatti)などの過失が生じた    時に,一人の,あるいは二人の,三人の,四人などなどの比丘の面前で〔犯した罪過を〕

   告白し,罪過から遠ざかるのが「告白」といわれる。(5)

    ②「師などの〔下す〕刑罰を進んで受けること」と説くのは,〔これは波羅夷罪の    うち婬戒に対する例外であって,次の如くである。〕

    ある比丘が欲望に打ち負かされて心が錯乱した状態で非梵行法をなしてしまった場合に,

   後になって深く後悔して心に刻みつけ,罪は一つたりとも隠蔽しないと決意をして罪をす    べて告白し,刑罰を進んで受け,その後に〔律の〕条項を改めて授けられるのである。

    そのなかで,刑罰とは〔以下の如きをいう。〕戒を具足した〔比丘〕すべての最下座に列    して〔比丘達に〕食事を最後に給仕すべきこと,また,すべての沙弥の最上座に列して最    初に食事を給仕されることなどなどという刑罰の実施が制定されている。(6>

    ③「〔罪過なしと〕許すこと。〔戒律の一つの〕条項が適用されて〔すでに有罪とされて〕

いる場合に,さらに別な〔条項を適用する〕ことによって〔罪過なしと〕承認されるから

(5)

である。」と説くうち,〔罪過なしと〕許すことにより〔罪過から〕離れるにいたるとは〔次 の如くである。〕

 〔たとえば〕世尊が「夕刻に食事を食べることは認められない」と制定されているのだ が,別な条項として〔制定されている〕「〔病人などの場合,夕刻に〕食事することを認め

ることもある」との方針に従った場合,〔すなわち,夕刻に食事をしたにもかかわらず罪が 許される場合〕など〔について述べたの〕である。(7)

 ④「〔条項の〕廃止。サンが全体の集まりで〔律のある〕条項を廃止するからである。」と く32> 説くのは〔次の如くである。〕

    世尊は尊者〔アー〕ナンダ(14>に次のように言われた。「〔自分が〕葉浬涙した後に〔サン    ガ全体で〕熟考の上で(15)〔戒律の〕諸条項のうちささいな条項は廃止してもよい。」と説か p.178aれたのである。ところが〔世尊が〕般浬梁された時に,尊者〔アー〕ナンダは悲嘆にくれ    るあまり〔世尊が〕説かれたことの意図を世尊に訊ねなかったのである。その後〔世尊が〕

   般浬葉されてから,「何故に〔汝は〕意図されたことを世尊に〔もっとはっきり〕訊ねてお D.159bかなかったのか」と尊者マ豊玉カーシャパなど結集した人々から尊者〔アー〕ナンダは叱    責されたのである。

    かくの如く,般浬漿の時に「ささいな条項は廃止してもよい」と〔世尊が〕説かれたこ    のことに基づいて,説一切有部のサンガは「ささいな条項は廃止することがある」と伝承    しているのである。(13)

    あるいはこれは伝承のみであって〔戒律の〕条項のうちで,〔いかなる〕サンガによって    〔も〕これまで〔ささいな条項でも〕廃止されたことはなく,したがって〔条項〕廃止は    〔実際には〕なかったのである。(8)

    ⑤「身体をとりかえること。罪過が〔比丘,比丘尼に〕共通でない場合に,比丘・比丘 尼が〔それぞれ〕女性・男性へと〔性〕転換するからである。」と説くうち,身体をとりか

えることにより罪過から離れるのは〔次の如くである。〕

 すなわち,比丘には四種の波羅夷罪があり,他方,比丘尼には八種の波羅夷罪があるな どなどというように,過失や罪過は数多くある(16)。〔そしてそれらの罪過は男女に〕共通で はないから,比丘・比丘尼両者に〔各々個有の〕罪過は「共通でない」といわれる。たと えば,ある比丘が身体をとりかえて〔性転換し,〕女性となった場合に,比丘の時に罪を犯 していてもその罪は〔比丘尼の罪と〕共通ではなく,比丘のみが繊黙すべきものである。

それゆえ女性となった今は,罪過を臓残するなどの儀式をしなくても罪から離れるのであ る。〔同様に〕仮にある比丘尼が身体をとりかえて〔性転換し,〕男性となった場合に,比 丘尼の時に罪を犯していても,〔その罪は〕比丘尼のみが仕訳すべきものであって〔比丘・

比丘尼に〕共通の罪ではない。したがって男性となった今は,罪過を戯悔するなどの儀試 をしなくても罪から離れるのである。(19)

 ⑥「真実の洞察。要約されたおしえをもってするすぐれた洞察である。」と説くうち,真

P.178b

実を洞察することにより〔罪過から〕離れるとは〔次の如くである。〕

 「一切の有為なるものは無常である(一切行無常),一切の法は無我である(一切法無 我),有漏なるものは苦である(一切行苦),浬禦は寂静である(万難寂静)」と説示され た,要約されたおしえを洞察して,〔その〕意味を理解しつつ観じ,微細な上にも微細な罪 過から〔さえも〕離れるにいたるという意味である。

(6)

32、 経 律 論(早島)

⑦「法性の体得。〔四聖〕諦を観じることにより〔これまでの〕微細な罪過や〔今後生じ るであろう〕微細な罪過が存在しなくなり,〔その結果〕法性を体得するから。」と説くう く33> ち,法性を体得することにより〔罪過から〕離れるにいたるとは〔次の如くである。〕

D.160a 四〔聖〕諦を観じて,以前に犯した微細な罪過からも離れ,今後も微細な罪過〔さえ〕

   も犯さずして法性を体得して罪過から離れるにいたるという意味である。

 〈2−2−3−2,律蔵:の四種(その二)〉(17)

【本文】

さらに〔別な〕四種の意味に基づいて,律を理解すべきである。

(1) pudgala

【本文】

 人に関して。ある人に関して〔律の〕条項が制定されるのである。

【釈疏】

「人に関して。ある人に関して〔律の〕条項が制定されるのである。」と説くうち,人に 関して律〔の条項〕が制定されるとは,罪過を犯した人に関して条項が制定されるのであ る。たとえぼ,尊者バドラダッタ(*Bhadradatta, bzah byin)に関して,〔律の〕根本条 項第一の「非梵行に住すべからず」との条項が制定された如くである。哺1)

   (2) prajfiapti     【本文】

    制定に関して。〔ある〕人の罪過が告げられた時に,師がサンガ〔の人々〕を結集して〔そ P.177b の罪過にふさわしい律の〕条項を制定するのである。

【艶麗】

「制定に関して。ある人の罪過が告げられた時に,師はサンガを結集して〔罪過にふさわ しい律の〕条項を制定するのである。」と説ぐうち,制定に関して律〔の条項〕が確立され るとは〔次の如くである。〕

 ある人が罪過を犯した時に,その罪過を見た比丘たちが世尊に告げ,世尊がサンガを結 集して「比丘たちよ,これ以後,比丘たちがこのようなことをするのは認められない。」と

〔律の〕条項を制定したのである。

(3) pravibhaga(18)

【本文】

 〔律の〕細説に関して。すでに〔律の〕条項が制定されている場合に,その〔制定され た〕略説を〔具体的に〕細説するのである。

【広註】

「細説に関して」と説くのは〔次の如くである。〕

(7)

 たとえば「青草,清水などのところで大・小便をすべきではない」というこの条項に関 して,六群の比丘たちは王の遊園林で疾唾をなしつつ,休息地の青草や清水などの上に大・

小便をしたのである。このため細かな条項がかく〔制定されたので〕ある。〔律の〕他の諸 条項についても同様に理解すべきである。

【釈疏】

「細説に関して。すでに〔律の〕条項が制定されている場合に,〔その制定された〕略説 を〔具体的に〕細説するのである。」と説くうち,細説に関して律〔の条項〕を制定すると は〔次の如くである。〕

 たとえぼ,世尊が「青草や清水のあるところで大・小便をすべきではない」との条項を 制定されているが,〔これは〕略説であるから,後に細説して説くのである。すなわち「王 の遊園林へ行った時,六群の比丘たちが青草などがある休息地で,大・小便したことに関 して〔具体的に〕条項が制定されている。」と詳細に説かれている如くである。

(4) vini§caya

【本文】

 決定に関して。この場合はいかなる点で有罪なのか。〔すなわち,隠州の罪のいずれかに 該当するのか。〕あるいは有罪ではないのか,と〔個々に〕決定するのである。

    【釈門】

P.179a  「決定に関して。この場合はいかなる点で有罪なのか。あるいは有罪ではないのか,と

〔個々に〕決定するのである。」と説くうち,確定に関して律〔の条項〕を制定するとは〔次 の如くである。〕

 〔たとえば,〕五群の罪のうち,これは有罪である,〔すなわち〕これは波羅夷罪にあた る。これは楡蘭遮罪にあたる。以上のことは有罪である,以上のことは無罪であると〔個々 に〕決定して説示するのである。

 〔以上をもって,三種ある法の求道のうちの第一,法の〕対象を体得すること(alambana−

paryesti)(19)を説き終えた。(20)

註  記

*長崎大学教育学吟社会科学論叢No33(1984)参照(以下「前極」と省略)。

(1)五罪聚は【釈疏】があげる五種の罪を指すのが普通である。【広註】は何故にか,その 五種から突吉羅罪を除去し,かわりに四分律やパーリ律に説かれる七罪聚のうちの楡蘭遮 罪を入れる。なお,五罪聚に関しては,平川彰『原始仏教の研究』(春秋社)のうち第二章 第四節「サンが統制のための罰則」(同pp.223〜289)参照。

 また前群(p.32)で触れたように『喩伽論』は「摂州分」末に三蔵を説く。「律」に関し ては,「ロ盈秘事日 零細摂随行 逆順能寂静 遍知信不信 力等為其後」(vol.99,868c)の

(8)

34 経 律:論(早島)

ロ且柁南によって知られるように,11の項目を立てて論じている。すなわち(1)利,(2)聚,(3)

摂,(4)随行,(5)逆順,(6)寂静,(7)遍知,(8)信・不信,(9)力,(10)品類差別,(11)邪行である。

ここMSA第XI章第4偶に説かれる,律に関する二重の四種の意味と『喩伽論』の11項目 を比較検討するとき,両者の間に分類のしかたやその内容に対応関係の成立するところが ある。かようなゆるやかな対応関係に対して,一方が他方に基づいて成立したとするか,

両者ともに先行するより古い戒律の文献に各々別々に依拠したと考えるか議論のわかれる ところである。『声聞地』や『菩薩地』とMSAとの関連性を考慮すれぼ,少なくともMS A世親釈は「妻事分」における律の論考を観註していたと考えるのが妥当であろう。以下,

関連する文章を『喩伽論』から引用しよう。

 まずここ(1)apattiに対応するのは(2)聚である(869a〜c)。「何事分」においてもMSA同 様に五罪聚があげられている。

 「復次鷹知略有五種罪聚 撮一切罪 何等下五 一者他勝罪聚 二者衆蝕罪聚 三者損 墜罪聚 四者別々罪聚 五者悪作罪聚 集鹿不定如其所鷹 部入如是諸罪聚中 復有四種 還浄罪聚 何等爲四 謂除他勝所聴罪聚皆可還浄故 有四種還浄罪聚 最初罪聚錐可半弁 然唯依二補特伽羅 非爲一切無恥差別皆可還浮 即金他勝馬立一華甲浮聚中 又若略説有 十五種犯罪過失 遍於一切犯罪聚中 當知建立諸所犯罪 何等十五 一事重過失 二猛利 纒過失 三匿乏不馬足過失 四他所識嫌過失 五無罪信者倍令不信 有浮信者令其攣異過 失 六多諸財寳多諸事業過失 七竃著過失 八悩他過失 認印起疾病過失 十三往善趣沙 門過失 十一於鷹避護i不正避護 不鷹避護而反避護過失 十二不鷹爲依反與爲依 鷹與爲 依而不爲依過失 十三於鷹恭敬而不恭敬 準準恭敬凝鮒恭敬過失 十四於鷹即時等比覆藏 不鷹覆藏而反覆藏過失 十五於鷹卑近而不卑近 不準準近而反卑近過失」(869a〜b)

(2)律(vinaya)がサンガという出家集団の客観的規則で罰則を伴うのに対し,戒(§ila)

は自発的に悪を遠ざける精神的な力に基づくものであることはよく知られている。このよ うに一見矛盾・対立する両者ではあるが強制的な「律の一処を戒の精神で実行する」(平 川,前掲書pp.116〜117)のがその本来のあり方とされる。この第四項anadaraに対する【早 霜】は,MSAの戒・律に対する態度がかような考え方を受け継ぐものであることを示し ているといえよう。同様なことは次の(3)vyutthanaに対する【本文】世吉釈や【釈疏】を はじめ,ここ第4偶及び註釈全般に見られるところである。

 また「戒を軽んじること」は,たとえば『弥沙塞部和醗五分律』(大正Nα1421,以下『五 分律』)中の「衆学法」に「年魚軽戒軽人作比著 波逸提」(vol.10,大正2274a, cf.平川 前掲書p.245(38))と規定されている。

 さて,「摂事分」は律に関する11項目中,第三に「摂」を掲げる(869c〜871b)。それは

「復身延有五法 摂毘奈耶 何等爲五 一者性罪 二者遮罪 三者制 四市葬 五者行」

(869c)と記されているように「性罪」などの五種の法である。そのうち第五「行」には 次のように説かれている。

 「又彼〔行〕略由四因縁故 遊所犯罪 一無知故 二放逸故 三煩悩総噸 四輕慢故  皮斑名爲由無知故犯所犯罪 謂如有一 国所犯罪不審聴聞 不善下北 彼無解了無重畳 慧無所知故 於其所犯起無畏想而犯衆罪 如是立退由無知故犯所犯罪

 坦坦広平由放逸故事所犯罪 謂如有一 章章犯罪男食解了 有喜多慧亦有所知 而住忘

(9)

念 住不正知 彼由如是不住旧故 地無所知而犯衆罪 如是名爲由放逸故犯所犯罪  云導爆爲煩悩盛手犯所犯罪 謂如有一 於其所犯錐復解了 有其覧慧亦有所知 而彼本 性貧瞑平等手押猛利 戸畑猛利貧瞑凝故 旧知是事所三鷹 爲煩悩纒逼不自在故 而犯衆 罪 如是名士煩悩盛故犯所犯罪

 云県名三栖輕慢雑酒所犯罪 謂如有一 単声犯罪錐復興了 有其覧慧亦有所知 三軍紫 茸極爲下劣 無有強盛宿善因行 尊神信解極下劣故 於沙門性 於般三葉革帯顧懸 於佛 法僧 無想無 暉市有差回 不楽所學 由輕慢故 随其所欲廣犯衆罪 如是名声由輕慢故 犯所犯罪 即知此中 無知放逸所犯衆罪 是不染汚 由煩悩盛三十輕慢所犯衆罪 是其染 汚」(870a〜b)

 この「解糖分」の記述は,その分類法,内容からしてMSAの(2)samutthanaの四法と極 めて類似していることが知られよう。たとえぼ①無知,aj潴naを検討してみると,「閑事分」

は「犯した罪について詳して聴聞したこともなく,十分目領悟,了解もない。さらに罪に 対する理解も知識もなかったので,罪を犯すという自覚すらなくして罪を犯してしまう」

という。他方MSAは【釈疏】によれば「何が波羅夷罪にあたるのかを知らないから罪を犯 してしまう」と「摂事分」の内容を要約したとも言える仕方で説いている。このように「無 知」についていえば両者の説明に大差はなく,MSAが「旧事分」における律の解釈を凝 縮する形で継承したと考えられよう。

(3) 『菩薩地』(BBh)には次のように説かれている。 samatta§ik$a項m capannanam apatter π一酌佛praliapayanti/tasmad e§arp dharm碑sani坤ar鱒。 bhavati/ (萩 原本p.219),「門門所説法 於所受学 有股下者 施設還浄」(大正30,530b)

(4)罪過(もしくは悪法)の消滅という点から律(vinaya)を説明することはvinayaの語 義(>vi痂)という点からも戒律文献中に散見されるところである。たとえば『毘尼母経』

(Nα1463)には「毘尼下名滅 滅諸悪法村名毘尼」(vol.1,大正24,801a)と説かれてい

る。

 さらに『寄州母経』は同じく「滅諸悪法」の立場からvinayaの語義として①営営,②随 順,③滅,④断,⑤捨の5種をあげるが,ここMSA第XI章第4偶に説かれるni坤ara照の

7種と部分的に重なるところがある。参考のため次に引用しよう(vol.7,大正24,842a)

 「云何名寄尼 毘尼者凡有五義 一臓卜二随順三里四断五捨①云下名爲戯悔 如七篇 中所犯鷹俄即刻 南端能滅 名爲毘尼 ②云何名工随順 随順者 七部衆随如甲所制所教 受用即行無有違逆 名爲随順毘尼 ③云何名滅 能滅七謡 名滅毘尼 ④云何名断 能令 煩悩滅除不起 名断毘尼 ⑤云何名捨 三百二種 一叩網所作 二者捨見事 捨作者 十 三僧残是也 就十三中 九適作印撃払得諫 時事三軸不受 僧爲作白四掲磨 罪成 成巳 若白三半磨 悔早撃成 如此十三名号作法 見者 四阿梨白毛比丘即言 我親早筆聞 行欲 不能障道 捨是見故名駅捨也 此二種名四毘尼 市有二種 一可甘露 二不可獲露 可畿 露者 比丘十三僧残 比丘尼十九僧残 六三諌此有掲磨可除罪 名可獲露 不可嚢露中 断有一事再三諫 如比丘犯罪 僧掲磨濱出 有比丘尼 常來佐助言語比丘尼 比丘尼諌言 此不興佐助 乃至三諫不止 僧爲題号四三磨 至三掲磨時 三者罪猶可除 至第四掲磨事 成 不半可除 是名不可平坪 如是比丘四 比丘尼七 皆無諌早 是名捨毘尼 此五練名

(10)

36 経 律 論(早島)

毘尼義」

 『監獄母経』は第五捨を「一塁捨所作 二者捨見事」とし,さらに後者を「一可墨摺 二 不可寒露」と細説して計7種の語義を説く。この7種中,第一百態,第二随11頃は,ni坤arapa の7種中の①罪の告白,②刑罰を進んで受けることとほぼ対応するが,残余はそうではな い。いずれにせよ罪過(もしくは悪法)の消滅を7種に要約する他の例は筆者未詳(なお

後出註(10)参照)。

(5)幾人の比丘の面前で臓悔告白が要求されるのかは罪過により確定している。波羅提提 舎尼罪は一人の比丘の前で,捨堕罪(波罫提罪)は一人もしくは二,三人,もしくはサン が全体の前で,突吉兆罪は一人の比丘の前で,楡蘭遮罪は一人の,もしくは四人以上の比 丘の前で臓悔告白するとされる。なお平川前掲書pp.261〜289参照。

(6)7種のni坤ara胆の第2 abhyupagama を【愛惜】,【釈疏】ともに,波羅首罪の特例 規則である,いわゆる「波羅夷学悔,与学沙弥」の問題として註釈している。波羅夷罪は 周知の如く婬戒,盗戒,殺戒,妄説得上人法戒の四種からなる。それらはいずれも重罪で あり,犯した場合は教団から追放され,永久にサンガへの復帰が許されない。ただし婬戒 にのみ特例として救済方法が認められている(平川,前掲書pp.250〜252参照)。以下に引 用する諸文献から具体的に考えてみよう。

 (a)『十持律』(Nα1435,vo1.56,大正23,418b〜c)

 「波羅夷與學沙彌行法者 若比丘作婬欲已 乃至弾指頃 不生塗洋弓 衆僧以白四県費 還與是比丘學法 廣説如與難提 是名瀬學沙彌 大比丘戒一切鷹持 鷹在大垣丘下行坐 鷹授大比丘飲食 自照從未受具戒人受飲食 得與大比丘同室再宿 自不得與未受大戒人過 再宿 是與學沙彌 得押脚墨磨 布薩掲磨自恣掲磨 是與學沙彌 不得與衆僧足敷作布薩 及諸掲磨 是名波羅夷半径沙彌行法」

 (b)同上(vol.1,3b)

 「與學沙彌行法者 佛所結一切戒蓋慮受行在諸比丘下坐 鷹授與大比丘飲食湯薬 自 從沙彌白衣受飲食 不得與大比丘同室過無宿 自軍得與白衣沙彌過二宿 得與具戒比丘作 布薩自恣二掲磨 與學沙彌不得足数作布薩自恣掲磨 一切掲磨不得作」

 (c)『五分律』(vol.28,大正22,182c)

 「有一比丘坐暉 魔女來至悪前 比丘甦生認証心 不畳起捉彼女 女便走比丘亦走逐之 彼女至一死馬匹没 比丘便於馬上行婬 印璽燈心語群比丘 諸比丘以是白砂 佛言 聴僧 與彼比丘作波羅夷白四掲磨 彼比丘鷹至僧中睨革履偏祖右肩禮僧足瑚脆合掌作如是白 我 某甲比丘犯婬自三生悔不覆藏 今從僧乞波羅夷掲磨 願僧與我波羅夷掲磨 如是三乞 鷹一 知法比丘唱言 大徳僧聴 此某甲比丘犯婬即生多古覆藏 從年魚波羅夷群議 僧今與作波 羅夷掲出 若僧時到僧忍聴 白如是 大徳僧聴 此某甲比丘犯婬 及至僧今與作波羅夷藩 士 騒騒長老忍黙然不忍者説 如是第二第三説 僧與某甲比丘作波羅夷割勘寛 僧忍黙然 故是事如是持 寓言 彼比丘蓋壽不得授大比丘食而自從浄人受 若布薩自恣切懸掲磨時 若盛者善 若不來彼此無犯」

(11)

 (d)『四分律』(Nα1428,vol.34,大正22,809a〜b)

 「爾時佛在羅i閲城 城中有一比丘字難癖 常樂坐暉得世俗定心解脱 彼從四暉起 時魔 女來在前立 彼比丘捉欲犯 魔溢出外 比丘避難出外 彼魔出屋欄外 比丘亦随出屋欄外 彼出中庭 比丘亦至中庭 魔復出町寺外 比丘亦至寺外 寺外有死騨馬 時魔至死馬所印 滅 天身不現 時難提比丘部於此死馬所作不浄行 行不浄已 都無覆藏心便作是念 世尊 與比丘制戒 若比丘作不浄行 波羅夷不共住 我今犯不浄行 無有覆藏心 將不犯波羅夷 耶 薬室當云何 自口語親友比丘言 世尊與比丘結戒 盲判不浄行者 得波羅夷不共住 今 我犯婬不浄行 都無覆藏心 將無犯波羅夷耶 善哉長老 與我白世尊 若有数勅 我當奉 行 時諸比丘 以此因縁撃墜世尊 世尊以此因縁集比丘僧告言 僧今與難提比丘波羅夷戒 白四竃磨 作如是與 使難提比丘到僧中朝毛繕腎背革三半僧足右膝著地合掌作如是白 大 徳僧聴 我難件比丘犯不浄行都無覆獣心 今從僧乞波羅的野 願僧與我波羅夷戒 慈事故 如是第二第三説 衆中鷹差堪能掲磨躍如上作如是白 大徳僧聴 此難提比丘 犯不浄行無 覆藏心 今從僧乞波羅夷戒 若僧時再三忍聴 昨今與難提比丘波羅夷戒 白如是 大徳特 報 此難提比丘 犯不浄行無覆藏心 今從僧乞波羅四戒 僧今與県警比兵波羅夷戒 誰諸 長老忍僧與難提比丘波羅夷戒者黙然 誰不忍者説 是初掲磨 第二第三亦如是説 鵜竿忍 與難提比丘波羅夷戒寛 僧忍黙然故態事如是持 與波羅i夷懸已」

 (e)同上(vol.55,972b〜c)

 「即時世尊在野舎城 有十寸:比丘朝暉二世俗心解脱 從第四降神已 時魔天女早撃前立 比丘捉欲犯 魔女便出外 比丘付随出外 刷出屋欄外 比丘亦随出屋欄外 彼出中庭 比 丘例日出中庭 卓出寺外 比丘亦出寺外 寺外有死騨馬 彼於死馬所便滅 天形不現 時 難提比丘便於死馬形行不浮行 行不浮行已 都無有覆藏心 即作是念 世尊爲諸比丘制戒 不得行不浄 若行不浮 波羅夷不問住 而我今行不浄 都無日覆藏心 將無犯波羅夷耶 我筆海何 韓語同伴比丘 世尊爲諸比丘制戒 若比丘行不浄得波羅夷弓共住京華今犯不浄 都無覆聾心 將無犯波羅夷耶 善哉長老 爲我白佛 随三所教悪熱奉行 時諸比丘往事所 頭面作禮却坐一面 以此因縁具白世尊 世尊三時以此因縁集比丘僧事言 今僧與三子比丘 波羅黒戸 白四掲磨如是與 彼比丘鷹往下中脱営展偏露右肩右回著地合怪々如是白 大徳 謹聴 我難提比丘犯婬欲法時無覆藏心 今誤納乞波羅野糞 願僧慈懸故 與我波羅警戒 如是第二第三説 衆中鷹差堪能掲磨人 如上作如是白 大徳僧聴 此難提比丘犯婬欲法都 無覆降心 今回僧乞波羅夷戒 若僧時到僧忍聴 僧今與難提比丘波羅夷戒 白如是 大徳 僧聴 山猫提比丘犯婬欲法都無覆藏心 今從僧乞波羅夷戒 僧早舟難提比丘波羅四戒 誰 諸長老忍僧翌週提比丘波羅夷其者黙然 誰不忍者説 是初歯磨 第二第三如是説 僧已與 難提比丘波羅夷戒寛 僧忍黙然故是事如是持 與波羅夷戒已」

 (f)『薩婆多珪華尼申得勤伽』(Nα1441,vol.6,大正23,601b)

 「云何波羅i夷學戒 若作婬已 乃至刹淵源覆藏 諸比丘當與學戒 作白昼掲磨 廣説如 難提聖跡 難行學戒法 在比丘下愚授食與比丘 自從浄人断食 得共比丘二同宿 自共未 受具戒 不輝北二四宿 若無能即今召人 覚不可得者 聴學戒人 作二種掲磨 謂布薩自 恣掲磨 不得満衆作布薩自恣僧掲磨等」

(12)

38 経 律 論(早島)

 (9)『摩詞章尊慮』(NQ1425, vol.26,大正22,441a〜c)

 「藍住舎衛城 廣説如上 爾時舎衛城中 有葉影不樂在家 捨家出家 行亦暉住 亦暉 坐 亦繹臥 亦暉時 亦有衆多難提自口名此暉難険 如波羅夷中廣出穂比丘自筆駆出 出半在 砥桓門間立ロ帝 作動言 長老 我犯波羅夷 無一念覆藏心 我樂袈裟 不欲捨離佛法 時 難提母川復暗 作是言 我見導出家士世尊露出 町鳶姉復來亦暗 作調言 我弟樂作沙門 而世尊打出 諸比丘以是因縁往年世尊 塁塞諸比丘 是難提起波羅夷 無一念覆藏心 僧 鷹與波羅夷學事事磨 此人磨從僧官 偏祖右肩胡脆合掌 沁沁言 大徳僧官 我難章章波 羅夷 無一念覆細心 今町鮎喰波羅夷學悔 哀懸故 唯願僧與我波羅夷學悔掲磨 如是三 乞 掲磨人鷹作是説 大徳僧聴 難提比丘犯波羅夷 無一念覆藏心 已從僧乞波羅夷學悔 墨磨 若僧時到 僧與難提波羅夷學悔掲磨 白如是 大徳僧聴 難提比丘犯波羅夷 無一 念覆藏心 已從僧乞波羅夷貫合掲磨 僧今與難壁比丘波羅夷學緑樹磨 諸大徳忍僧與難提 比丘波羅夷學女舞聖者黙然 甲介忍者便逗留第一回想 第二第三亦如是説 僧已與難提比 丘波羅夷學切々磨寛 僧上黙然故 下塵如是持 此人鷹在一切比丘下坐一切沙彌上 不得 與比丘忌屋過三宿 復不得與沙彌過三宿 比丘不浄食彼亦不浮 彼不浮食比丘亦不浄 得 與比丘授食 除火浄五生種及金銀 彼鷹從沙彌受食 比丘不得細説波羅提木叉 波羅夷罪 僧伽婆 沙乃至越毘尼罪 得語言不坐作非梵行 不得盗 不得殺 不得妄語 不得飲酒 如是一一得教授 若本講波羅提木叉者 不甲高聲調 若敬法者 得心調 不得聴布薩受自 恣 布薩受自恣日 善報中作如是言 我清浄僧憶持 如是三説已鷹野四波羅夷中 若有犯 者 鷹騙出十三僧伽婆 沙巳下一切作突吉羅晦 是名與波羅夷學悔掲磨随順行」

 さらに『根本薩婆多部中値』(Nα1458,大正24,534a〜b)など参課目  これらの諸文献が伝える謹戒の特例は次のように考えられる。

 ω婬戒を犯した場合に,心に何ら包み隠すことなくすべて罪を告白する。

 (ロ)波羅夷罪は本来サンが追放であるが,この場合追放は許される。さらに比丘と同じ戒 律を守るが正式の比丘とは認められない。

 のサンが内では比丘の下,沙弥の上座につき,食事を比丘に給し,沙弥から給される。

 ←)他の比丘や沙弥と,再三もしくは三宿以上の同宿は認められない。

などなどである。MSAをはじめ【広註】,【釈疏】ともにこの特例を引き継ぎ,特にωの を強調しているといえよう。

(7)第3の samavaghata を【釈疏】はいわゆる「非時,非時食」の問題として論じてい る。これは,たとえぼ『四分律比丘戒本』(Nα1429,大22,1019a)に「若比丘非時受贈食蟻 壁逸提」とあるように,正午すぎの食事を禁止したもので,これを犯せば波頭提罪

(payattika, pacittiya)にあたる。『四分律』(Nα1428, vol.14,大正22,662c)には次の如 く詳しく説かれている。

 「若比丘非時受雑食蔓生逸提 比丘義如上 時者明相懸乃至日中家隷官爵法 四天下食 亦爾 非時者 從日中乃至明相未熟 食者有二種 怯闊武鑑如上 蒲闇尼五種食如上 若 比丘非時粗食食咽咽波逸提 若非時過非時波逸提 七日過七日波逸提 蓋形壽薬無因縁服 者突吉羅 非時非時想波逸提 非時疑突吉羅 非時時想突吉羅 時非時想突吉羅 非時疑

(13)

突吉羅 比丘尼波逸提 式叉摩那沙彌沙彌尼平岡羅 是謂即日」

  同様にパーリ律は次のように言う。(S厩伽♂餉伽84,翫6魏加,xxxvii;Vinaya Pitaka vol. IV,PP.85〜86。また南伝大蔵経(以下,南伝)vol.2, PP.135〜137参照)

    Tena samayena buddho bhagava Rajagahe viharati Veluvane Kalandakanivape.

tena kho pana samayena Rajagahe giraggasamajjo hoti. sattarasavaggiya bhikkh愈 giraggasamajja卑dassanaya agama甲su. manussa sattarasavaggiye bhikkh自passitva nhapetva vilimpetva bhojetva khadaniyarp adalpsu. sattarasavaggiya bhikkh血 khadaniya甲adaya arama卑gantva chabbaggiye bhikkhO eted avocurp:ga亭hathavuso khadaniyar寧 khadatha ti. kuto tumhehi avuso khadaniyarp laddhan ti.

sattarasavaggiya bhikkh血chabbaggiyanarρbhikkh加arp etam attharq arocesun}. ki甲 pana tumhe avuso vikale bhojanarp bhu溢jatha ti. evam avuso ti. chabbaggiya bhikkh負 uljhayanti khiyanti vipacenti:katham hi nama sattarasavaggiya bhikkhO vikale bhojanarp bhuijissantiti. atha kho chabbaggiya bhikkh負bhikkh伽arp etam attha甲 arocenum. ye te bhikkh食appiccha te ujjhayanti khiyanti vipacenti:katham hi nama sattarasavaggiya bhikkhαvikale bhojanam bhu節ssant宝ti. te bhikkhαbhagavato etam attham arocesum saccam kira tumhe bhikkhave vikale bhojanam bhuijatha ti.

saccarp bhagava. vigarahi buddho bhagava。 katharp hi nama tumhe moghapurisa vikale bhojanam bh面jissatha. n etam moghapurisa appasannanam va pasadaya−pa

−evai ca pana bhikkhave imam sikkhapadam uddiseyyatha:

  yo pana bhikkhu vikale khadaniyam va bhojaniyam va khadeyya va bhu且jeyya va,

pacittiyan ti.//1//

  yo pana ti...adhipPeto bhikkh負 ti.

      バ

  vikalo nama majjhantike vltivatte yava arunuggamana.

  khadaniyam nama...bhojaniyam nama...mamsam. khadissami bhu節ssamiti

pa亨igaphati, apatti dukkatassa. ajjhohare ajjhohare apatti pacittiyassa.(1)

 vikale vikalasafiii khadaniya㎎va bhojaniyarp va khadati va bhuijati va, apatti pacittiyassa. vikale vematiko...vikale kalasafi五i...apatti pacittiyassa.

yamakalika甲 sattahakalikalp yavajivika甲 aharatthaya paちiga阜hati, apatti dukkatassa.  ajjhohare ajjhohare apatti dukkatassa.  kale vikalasafi溢i, apatti dukkatassa. kale vematiko, apatti dukkatassa. kale kalasa節i, anapatti.(2)

  anapatti yamakalikam sattahakalikam yavajivikam sati paccaye paribhufijati,

ummattakassa, adikammikassa ti.(3)//2//

  また,この「非時」に対する特例規則はたとえぼ,『沙弥十戒越年経』(No 1474,大正24,

926b)には次のように説かれている。

  「若受禅食時 不得羽中午 日出至午前 可融受齋飯 非時御払食 佛説得重罪 蝉吟 比丘病 治病救於身 可許中後食」

  パーリ律では以下の如くである。(翫伽励勿ηgα,翫6魏加xxxiii−2・3;Vinaya Pitaka vo】. IV, P.77。また南伝vol.2, PP.122〜123参照)

  く更tena kho pana samayena a且fiataro bhikkhu gilano hoti. a溢fiataro bhikkhu

(14)

40 経 律 論(早島)

pi⑩apatarρadaya yena so bhikkhu ten upasarρkami, upasa甲kamitva tam bhikkhu甲 etad avoca:bhuijahi avuso ti. ala甲avuso, atthi me bhattapaccasa ti. tassa bhikkhuno pi阜(鼻apato uss自re ahariyittha・so bhikkhu na cittar盒par孕bhufiji. bhagavato etam attharρarocesu甲。 atha kho bhagava etasmi甲nidane etasmirp pakara皐e dhammirp katharp katva bhikkhαamantesi:anujanami bhikkhave gilanena bhikkhuna pararpParabhojanarp bhufijitu卑・  eva五 ca pana bhikkhave imarρ sikkhapadarp uddiseyyatha:

 pararρparabhojane a節atra samaya pacittiyar鼻. tatthayarρsamayo, gilanasamayo,

ayam tattha samayo ti.

 eva負。 idam bhagavata bhikkh伽am sikkhapadam pa且iattam hoti.//2//

 tena kho pana samayena manussa c↑varadanasamaye sac↑varabhattam patiyadapetva bhikkh愈nimantenti bhojetva c↑varena acchadessama ti. bhikkh負 kukkuccayanta nadhivasenti patikkhittam bhagavata paramparabhojanan ti...(see Pac. XXXII.3;4).,. uddiseyyatha:

 paramparabhojane a節atra samaya pacittiyam. tatthayam samayo, gilanasamayo dvaradanasamayo c↑varakarasamayo, ayam tattha samayo ti.

 evafi c idam bhagavata bhikkhOnam sikkhapadam pafi資attam hoti.//3//

  また『沙門果経』(DN ii−45, vol.1, P.64,『長部経典沙門果経』,南伝vol.6, PP.96〜97)

参照。

  さらにこの「非時」は,たとえぼS%伽吻)σ吻,Dhammikasutta,400にも説かれ C更vikalabhojanam ),また優婆塞・優婆夷の八隅戒,沙弥・沙弥尼の十戒にも数えられて いるように,在俗信者にとっての規範でもあった。しかしここMSAでは【釈疏】によれ ば,例外規則を述べるなど,あくまでも出家者に対するものとして考えているようである。

 (8)第4の喝prasrabdhi に対する【広註L【釈疏】がともに「小小戒」と般浬葉の折の「世 尊の遺誠」(『渡辺照宏著作集』第二巻「純築への道」p.235参照。この浬財経翻訳の参考文 献に関しては,渡辺重朗「脳漿経研究の基本的資料」(『成田山仏教研究所紀要』vol.6)参 照。なおこの論文の所在は榎本文雄氏(華頂短期大学)により御教示を得た。記して感謝

の意を表する次第である。)をあげ,また説一切有郡の伝承を伝えているのは興味深い。ま ず「小小戒」についてD碧勿N貌のαvi−3(vol.2, P.154,南町vol.7, P.142)を見てみよ

う。

  く望Akahkhamano Ananda samgho mam accayena khuddanukhuddakani

sikkhapadani samOhantu.

  これに対応する『遊行経』と『大般浬葉経 下』は以下の如くである。

  「阿難 自今日始四一比丘 拾小小戒上下相呼 當順平準 斯戯唄家敬順之法」(『遊行 経』大正1,長阿明経vol.4,26ab)

  「阿難 我般浬漿後 諸比丘等 各依次第 大小相敬 不得町頭 皆喚名字 互相伺察 無令衆中有切大呼 不鷹雛菊覚他細過」(『大耳浬町中』大正1,204c)

  さらに上記渡辺重朗論文は脇♂勿吻加宛加をあげる(PTS版pp.142〜144,なお中村時 切『ミリンダ王の問い 2』,平凡社PP.75〜78参照)。そこでも「小小戒」を廃止すべきで

(15)

ig v ) l s rbsst rb> it v( v > 6 . ig ti3 l o fi : ea ̀khudd anukhuddak a' ig 6 ecage. ve diZ ijU reA ge.

vlneU'Cv>6.

  gt k, 7‑t >i MfoStr ag ?pte ftO re sc O or, l O MN4xJSe] VZ ee L(v7N‑ fo ‑ )/ ke 7e ig 8" fo> 6 aE" 6i ll VJ 7t l t, Ras e9 el rAx4xrkll 6? tsli ve L. )tit rb>・ok l 8 Cg, k 8 k Vgr Cullavagga, M‑1‑9.10 (Vinaya Pitaka vol. 2, pp. 287tv289;i!:rfZkvol. 4,pp. 430‑v342)

e( ilZIS・Ait g}) iirl. V( V> J{5 .

       A

  Ctatha kho ayasma Anando there bhikkhfi etad auoca: bhagava mam bhante

parinibbanakale evam aha: akafikhamano Ananda samgho mam' accayena

khuddanukhuddakani sikkhapadani samahaneyya 'ti. pucchi pana tvam avuso Ananda bhagavantam: katamani pana bhante khuddanukhuddakani sikkhapadaniti. na kho 'ham bhante bhagavantam pucchim: katamani pana bhante khuddanukhuddakani sikkhapadaniti. ekacce thera evam ahamsu: cattari parajikani thapetva avasesani khuddanukhuddakani sikkhapadaniti. ekacce thera evam ahamsu: cattari parajikani

thapetva terasa samghadisese thapetva avasesani khuddanukhuddakani

sikkhapadaniti. ekacce thera evam ahamsu: cattari parajikani thapetva terasa samghadisese thapetva dve aniyate thapetva avasesani khuddanukhuddakani sikkhapadaniti. ekacce thera evam ahamsu: cattari parajikani th. terasa samghadisese th. dve aniyate th. timsa nissaggiye pacittiye th. avasesani khuddanukhuddakani sikkhapadaniti. ekacce thera evam ahamsu: cattari parajikani th. terasa samghadisese th. dve aniyate th. timsa nissaggiye pacittiye th. dvenavutim pacittiye th. avasesani khuddanukhuddakani sikkhapadaniti. ekacce thera evam ahamsu: cattari parajikani th. terasa samghadisese th. dve aniyate th. timsa nissaggiye

pacittiye th. dvenavutim pacittiye th. cattari patidesaniye th. avasesani khuddanukhuddakani sikkhapadaniti. atha kho ayasma Mahakassapo samgham fiapesi: sunatu me avuso samgho. sant' amhakam sikkhapadani gihigatani, gihi pi no jananti idam vo samananam Sakyaputtiyanam kappati idam vo na kappatiti. sace mayam khuddanukhuddakani sikkhapadani samahanissama, bhavissanti vattaro:

dhamakalikam samanena Gotamena savakanam sikkhapadam pafifiattam, yav' imesam sattha atthasi tav' ime sikkhapadesu sikkhimsu, yato imesam sattha parinibbuto na dan' ime sikkhapadesu sikkhantiti. yadi samghassa pattakallam, sarpgho apafifiattarp na pafifiapeyya pafifiattarp na samucchindeyya yathapafifiattesu

sikkhapadesu samadaya vatteyya. esa fiatti. sunatu me avuso samghb. sant' amhakam・・・・・・na dan' ime sikkhapadesu sikkhantiti. samgho apafifiattam na pafifiapeti pafifiattam na samucchindati yathapafifiattesu sikkhapadesu samadaya vattati. yassayasmato khamati apafifiattassa apafifiapana pafifiattassa asamucchedo yathapafifiattesu sikkhapadesu samadaya vattana so tunh' assa, yassa na kkhamati so bhaseyya. samgho apafifiattam na pafifiapeti pafifiattam na samucchindati

yathapafifiattesu sikkhapadesu samadaya vattati. khamati・・・・・・dharayamiti. (9)

       AA

  atha kho thera bhikkhti ayasmantam Anandam etad avocum: idan te avuso Ananda

dukkatam yam tvam bhagavantam na pucchi: katamani pana bhante

(16)

42 経 律 論(早島)

khuddanukhuddakani sikkhapadan宝ti. desehi tam dukkatan ti. aham kho bhante asatiya bhagavantarp na pucchirp: katamani pana bhante khuddanukhuddakani sikkhapadaniti, nahan tam dukkatam passami, api cayasmantanam saddhaya desemi tam dukkatan ti.

 あるいは『五分律』vol.30には次のように述べられている。

 「海難復白蜜葉言 我親部類聞 吾般泥疸後若欲除小小戒聴除 迦葉自口問 汝欲以即興 小小戒 答言不知 又問何故不知 答言不問世尊 又問何故不問 結言時佛身痛恐勇躍齪 三葉詰言 汝不問此義塾突吉野 鷹自証罪悔過 阿難言 大徳 我非不敬戒不問此義 恐 悩齪世尊 是故不敢 我於是中不見罪相 敬信大徳今當悔過…………

 迦葉復詰阿戸言 若我等以北學法界小小戒 鯨比丘便言 至四波羅提提舎尼亦是小小戒 若我等以至四波羅提提燈尼爲小小戒 鯨比丘冷却言 至鋼船提亦是小小戒 若我等以開悟 逸提:爲小小戒 鯨比丘便復言 至尼割書波逸提亦是小小戒 俄成四種何可得定 迦棄復言 若我等不知小小戒相而妄除者 諸外道輩當作是語 沙門繹子其法如咽 早耳即時町制即行 般泥疸後不肯復水 迦葉時明舟中唱言 我等画集法寛 若佛所不制不用妄制 若已制不得 有違 如佛所教鷹謹學之」(大正22,191b〜c)

 これによれぽ『五分律』も「小小戒」を削除しなかったことを伝えているのである。

(9)第5のくa§rayaparavrtti は戒律に関する特殊な「転依」である。翫一男α1−10−6

(Vinaya Pi典ka vol.3, P.35;南伝vol.1, P.55)は次のように言う。

 く喫tena kho pana samayena aifiatarassa bhikkhuno itthiliigam patubhOtam hoti.

bhagavato etam attharp arocesum. anujanami bhikkhave tarp yeva upajjharp tam eva upasampadarp tani vassani bhikkhunihi sarpkamiturp, ya apattiyo bhikkhOnarp

     バ

bhikkhunlhi sadharana ta apattiyo bhikkhuninam santike vutthatum, ya apattiyo bhikkh{)narp bhikkhunihi asadhara寧a tahi apattihi anapattiti・  tena kho pana samayena afi員atarissa bhikkhuniya purisali且gam patubh血tam hoti. bhagavato etam attharp arocesulp. anujanami bhikkhave tarp yeva upajjharp tam eva upasampada甲 tani vassani bhikkh負hi samkamitum, ya apattiyo bhikkhuninam bhikkh自hi sadharana ta apattiyo bhikkh血nam santike vutthatum, ya apattiyo bhikkhuninam bhikkh盒hi asadharana tahi apattihi anapatt宝ti.(6)

 なお戒律に直接関するものではないが,現代インドにおけるくa§rayaparavrtti をレポー トしたものとして,大谷幸三『性なき巡礼』(集英社)がある。

 (10)niりsarapa 7項目のうち,前五項目は具体的な律の条項を受け継ぐものといえよう。

すなわち,上述の如く①pratide§ana,②abhyupagamaは『毘尼母経』中に(註(4)参照),

③samavaghata,⑤a§rayaParavrttiはS% 如励加忽沖に(註(7),(9)),また④prasrabdhi はD碧勿.〈娩⑳αなどに(註(8)),それぞれ先行する文例を見出せるのである。ところが後の 二者(⑥bhUtapratyaveksa,⑦dharmatapratilambha)は「罪過の消滅」という点からす れぼ特異な存在である。【釈疏】によれぽ第6は四法印,第7は四聖諦を観ずること,【広 註】は第6に三三昧をあげる。いずれも瞑想による罪過からの離脱である。有部の論書中

に瞑想を行じている者は罪過を犯すことはないなどの記述が散見されるが,すでに犯した

(17)

罪過さえも瞑想により消滅するという考え方はMSAや初期の僧伽行学派に個有のもので あろう。おそらく「罪過の消滅」を説くにあたり,MSAは伝統的な律の解釈から前五者 を取捨選択し,それに自らの立場を示す後二者を付加したものと思われる。

(11)く更tha mar bkad par bya ba des bsien parbrdzogs pa rnams kho na la drah bar bya ba dah/ ,上記註(6)に引用した文献を参照して,仮にこのように訳出を試みた。

(12)P.brjod brjod de/, D. brjod de/いずれも否定辞を含まない。【朔旦】や註(7)に引用 される諸文献から否定辞を補った。

(13) 【広註】,【釈疏】ともに,説一切有部が世尊の言葉をうけて,「小小戒」を廃止したこ とを伝えている。ただし,説一切有部側の文献資料は筆者寡聞にして未詳。識者の御教示 を切に乞う次第である。そしてMSAはこの「小小戒」の廃止に基づき,ここ第4項

璽prasrabdhi による罪過の消滅を説いている。しかし上記註(8)におけるように,パーリ律,

五分律(野地部の律蔵とされる)はともに「小小戒」を保持したことを伝え,両註釈もこ のことを明記している。戒律に関してMSA(あるいは初期の楡伽行学派)と説一切有部と のつながりは今後の課題としたい。なお『根本説一切有部毘奈耶雑事』vol.39(大正24,

405b)参照。

(14) 【釈疏】はdg的bo(ナンダ,難陀)とするが,上記註(8)に見られるように,他の伝承 はすべてアーナンダ(月増)である。【釈疏】を訂正する。

(15)更qdran par gyis§ig dan は「熟慮して可能ならぼ」の意か?。今はかのように訳出を 試みた。

(16) 【志野】蔵文テキストPart I,P.32下士3)はP.をとるも,今はD.に訂正して読む。

P.は「……八種の波羅夷罪があり,また〔在俗の〕男・女などには多数の過失や罪過が〔数 えられ〕る」の意となるがここは出家者の戒律について論じているので,D.が正しいであ

ろう。

(17) 「摂事分」は11項目中,第7に「遍知」を立てる。そこでは「復次依毘奈耶勤学芯劉 於其五庭準正遍知 寒寒爲五 一事遍知 二罪遍知 三補特伽羅i遍知 四引摂義利遍知 五三悩遍知」(875c)とあるように五種の遍知を説く。他方, M S Aはka.4cdで律蔵のも う一つの四種の意味を説く。そのうち(1)pudgala,(2)praj五aptiは「摂事分」日補特伽羅遍 知,口幅一理と対比することができる。ただし内容は必ずしも一致しない。

(1の 第3pravibhagaを【広註】,【釈疏】はともに六群比丘の悪行に基づく「青草上大小便 戒,水上大小便重罰戒」として註釈する。

 六群比丘は,世尊在世の折に常に徒党を組んで悪事をなし,そのために多くの戒律が制 定されたという六人の悪行比丘のことで,諸々の律文献中に散見される。今は『薩婆多々

(18)

44 経 律 論(早島)

尼毘婆沙』vol.4と『四分律』vol.6を見てみよう。

 「六群比丘者 一難途 二蹟難陀 三迦留陀夷 四何那 五馬宿 六満宿 云二人得漏 加入無電浬築 一抑留阿夷 二閲那 二人生天上 又云 二人犯重戒 又云不犯 事犯重 訂不得生天也 一難途 二幅難曲 二人印加道生海中 一馬宿 二月中 二人善解算敷陰 陽攣運 一難途 二蹟難陀 二人深通射道 一軸留阿夷 二閲那 二人善別音樂種種戯笑 一馬宿 二皇師 二人善於説法論議 一難途 二切切陀 二人深解何朝曇 一迦留陀夷 二邪知 二人事事内命 亦巧説法論議 亦第三毘曇 一馬宿 二角宿 又云 此六人無暗 不通通達三藏十二部経 内爲法之櫟棟 外無知法大護 二人多欲 一難途 二践難陀 二 人多瞑 一馬宿 荒磯宿 二人多痴i一期留網干 二閲那 又云 三人多欲 一難途 二 賊難陀 三脚色魔夷 二人多瞑 一馬宿 二漏宿 一人多厩 閲那是也 五人砕鉱種子王 種 難途旅心陀馬宿漏宿閲那 一是婆羅門種 迦留込潮 六人倶是豪族 無相影響相與爲 友宣通佛教」(『薩婆多冷麺毘懸章』大正23,525c〜526a)

 「爾時佛在勤衛角帯劇的孤濁園 時切群比丘持網付嘱親友比丘往人間遊行 受付嘱比丘 得隠魚敷数在日中囑 諸比丘見様便問言 佛聴比丘畜三衣不得長 此是誰衣 華箋口答言 此六群比丘衣 是我親友寄我遊行人間 恐虫壊故囑耳 諸比丘聞 中有少欲知足行頭陀樂 學戒知漸塊者 嫌責六群比丘 汝等云何以衣付嘱親友 比丘離衣人間遊行 嫌責已往世尊 所頭面発足在一面坐 以此因縁具白世尊 世尊無煙因縁集比丘僧 呵責六戸比丘言 汝所 爲非 非威儀非沙門法非浄行非随順行所不鷹爲 云何母衣付嘱親友比丘離衣遊行人間 世 尊以無数方便呵責已 告諸比丘 六群比丘中人 多種有漏庭最初犯戒」(『四分律』大正22,

603a〜b)

 また,この六群比丘の行動が因となって「青草上大小便戒」などが制定されたことは,

パーリ律(Sπ伽θ♂肋碗9π,S6肋加74・75, Vinaya Pitaka vol.4, PP.205〜206;同じく比 丘尼に関しては同PP.349〜350参照;南伝vol.2, PP.332〜334,比丘尼に関しては同PP.562

〜563参照)や『四分律』vol.21(大正22,709a〜c)に詳しく述べられている。

(a)S6肋加

 「Tena samayena……Anathapi鱒ikassa arame. tena kho pana samayena chabbaggiya bhikkh愈harite uccaram pi passavam pi khelam pi karonti−pa一.

 na harite agilano uccara卑va passavar弊va khelar鼻va karissamiti sikkha karaφya.

 na harite agilanena uccaro va passavo va khelo va katabbo. yo anadariyam paticca harite agilano uccara甲va passavarρva khelarp va karoti, apatti dukka㌻assa.

 anapatti asaicicca, asatiya, ajanantassa, gilanassa, appaharite kato haritam ottharati, apadasu, ummattakassa, adikammikassa ti.//74//

 Tena samayena……Anathapindikassa arame. tena kho pana samayena

chabbaggiya bhikkhO udake uccaram pi passavam pi khelam pi karonti. manussa……

vipacenti:katha甲hi nama sama孕a Sakyaputtiya udake uccaram pi passavam pi khelam pi karissanti seyyath毎pi gihikamabhogino ti. assosurρkho bhikkhO tesarρ manussanam……vipacentanam. ye te bhikkhαappiccha……vipacenti:katham hi nama chabbaggiya bhikkh自udake……karissantiti−pa一. saccam kira tumhe bhikkhave udake……karotha ti. saccam bhagava. vigarahi buddho bhagava. katham

(19)

hi nama t㎜he moghapurisa udake……karissatha. n etam moghapurisa appasannanarp va pasadaya−pa−eva五ca pana bhikkhave imarp sikkhapadarρ uddiseyyatha:

 na udake uccaram va passavam va khelam va karissamiti sikkha karaniya ti.

 evafi c idarρbhagavata bhikkhOnarρsikkhapadar昇pai丘atta甲hoti・(1)

 tena kho pana samayena gilana bhikkh血udake uccaram pi passavam pi khelam pi katum kukkuccayanti. bhagavato……arocesum. atha kho bhagava etasmim nidane etasmim pakarane dhammim katham katva bhikkhO amantesi:anujanami bhikkhave gilanena bhikkhuna udake uccaram pi passavam pi khelam pi katum eva負ca pana bhikkhave imam sikkhapadam uddiseyyatha:

 na udake agilano uccaram va passavam va khelam va karissamiti sikkh盒karaniya.

 na udake agilanena uccaro va passavo va khelo va katabbo. yo anadariyam paticca udake agilano uccara耳1 va…… karoti, apatti dukkatassa・

 anapatti asaficicca, asatiya, ajanantassa, gilanassa, thale kato udakarp ottharati,

apadasu, ummattakassa, khittacittassa, vedana㌻tassa, adikammikassa ti.(2)//75//

      /

(b)『四分律』

 「寄洲佛在網野華華樹給孤猫園 時六群比丘大小便涕唾生朝菜上 時有居士見已嫌言 沙門冊子無有1斬塊 外自構言 我知正法 如是何有正法 大小便及涕唾雑草菜上 如京華 酪早牛驕:時諸比丘聞 其中有少欲知足行頭馬革學戒知漸 1鬼者 嫌責已往世尊所 頭面禮 興野一面坐 以此因縁具白世尊 世尊爾時以此際縁集比丘僧 如上呵責六群比丘 乃至最 初犯戒已 告諸比丘 自今已去與比丘結戒 集十句義乃至正法久住 欲説戒者當如是説 不得大小便涕唾鴇草菜上  綿甲頼尼 如是世尊與比丘結戒已 病比丘不堪避七草菜疲極 即言 病比丘無犯 自今已去當如是説戒 不得生草菜上大小便涕唾除病  叉厨頼尼 若 比丘不病故生草菜上大小便者 犯鷹俄突吉羅 以故作故 犯非威儀突吉羅 若不故作犯突 吉羅 比丘尼乃至沙彌沙彌尼突吉羅 是謂爲犯 不犯者 限時有如是病 若在無聴罪庭大 小便流堕甘草菜上 或時爲風吹 男時爲逸聞沼川畢生草菜中堅無犯 無犯者 最初未制戒 痴i帯心齪痛悩所纒(四十九寛)

 爾時佛在舎衛國祇摂州孤濁園 時六甲比興 水中大小便涕唾 居士見已嫌言 此沙門繹 三無有閑 1鬼 外自稻言 我知正法 如是何有正法 水中大小便 琴似猪狗牛深解題 時諸 比丘聞 其中有少欲知足行頭陀樂學堅物漸{鬼者 嫌責六群比丘已往世尊所 頭面禮足在一 面坐 以此因縁四白世尊 世尊押印以此因縁障碍丘僧 如上呵責六群乃至最初犯際目 告 諸比丘 自今已去與比丘結戒 集印句義乃至正法久住 欲説戒鞘寄如是説 不得水中大小 便印環 ノコ叉爾頼尼 如是世尊與比丘結戒 時病比丘珊珊水庭疲極 華言 病者無尽 自 今已去當如是説戒 不鉢叩水中大小便涕唾除病  叉尉頼尼 若比丘解釈水中大小便涕唾 一領繊突吉羅 以故作故 封事威儀耳印羅 若不故作犯突吉羅 比丘尼乃至沙彌沙彌尼突吉 羅 是謂爲犯不犯者 或時有如是病 或印可岸上大小便流事水中 或時下風吹鳥影堕水中 月卿 無犯者 最初未制戒 凝狂心齪痛悩所纒(五十寛)」

(19) 〈0−2「法の求道」の分類〉(前稿P.34)参照。

(20)

46 経 律 論(早島)

⑳ MSA第XI章が第4偶をもって説示する「律蔵」は,【広註】・【釈疏】を含め以上をもっ て完了する。その構成は,今一度ふりかえれば次のように要約されよう(()内は対応す るパーリ律『経分別』の条項)。

〈一>4ab

Vinayatva

(1)  百patti

(3) vyutth五na

(4) nihsarana

(k互.4)

pa釦δ互pattinik盃ya

①al五巨na

②praln百da

③kle6apr互curya

④an五dara

石6ayatas, na da卯akarmatas

①pratide6an石

②abhyupagama

③samavagh吾ta(波逸提罪一37,33)

④prasrabdhi

⑤吾 rayapar互vrtti(波羅夷罪1(不浄成)一10−6)

        ⑥bh冠tapratyavek鱒

⑦dharmat互pratilambh皐

 このように第4偶は律に関して二重の四種の意味(4abと4cd)を説示する。これは【釈 疏】に註記されているように(〈2−1>,前山pp.41〜42参照),(1)vinayaにどれだけの意味が あり,(2)何故にvinayaと称されるのか,の二つの設問に二重に答えていると解せられよ う。このうち第4偶前判(ab)は律の具体的な内容から,後半(cd)は律の制定に焦点を あてて論じていると考えられる。留意すべきは第二の設問への解答である。S且traや Abhidharmaの場合,種々の語義解釈をもって議論がなされていたのに対し, Vinayaでは 語義解釈を直接語ることはない。vi研に基づく語義を当然のこととして踏まえて,その上 で個々の論議が進められている。

 さらに第XI章における律蔵を考えるとき,何よりも,出家集団であるサンガに厳しく限 定している(註⑦参照)点が注目される。戒と区別される律本来のあり方を保持している ともいえよう。そのうえで「律の学処を戒の精神で実行する」立場(註②など参照)が貫 ぬかれているのである。MSAに限っても,戒についての言及は他にも見出されるが律に 関するそれは他に見当らない。とすれば,菩薩のサンガを考察する立場からも,この第4 偶は,より重視されるべきではなかろうか。

(補・1)【釈疏】はbzan byin(*Bhadradatta)をあげるも,婬戒の因縁・結戒について 述べるのであれぼSudinna・Kalandakaputta(須提那迦蘭陀子)とあるべきである。この 婬戒制定のいわれについては翫吻伽1−5(Vinaya Pitaka III pP.11〜21;南海vol.1, PP.

17〜33),『四分律』vol.1,569c〜570cなど参照。あるいは佐藤密雄『律蔵』(大蔵出版)PP.

16〜17,84〜87参照。

参照

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