「騎士の物語」における君主像
著者 柴田 竹夫
雑誌名 主流
号 44
ページ 1‑22
発行年 1983‑02‑20
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014948
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「騎士の物語」における君主像
柴 田 竹 夫
I
「今は昔,物語の伝えていう,テセウス(Theseus)と呼ばれる公(duc) がおられた.この方はアテネ (Atthenes)の君主(lord),支配者(gover‑ nour)で,当時天下に並ぶ者無き征服者 (conquerouの で あ り ま し た .J
(1 (A], 859‑63)とチョーサー (GeoffreyChaucer, c. 1340‑1400)は「騎 士の物語J(The Knight's Tale) (以下KnTと絡す.)をp テセウス公の 紹介で始めるこのテセウスについて,フロスト (W. Frost) は, 運命 の実行者とみ,マスカティーン (C.Muscatine)は,地上における運命の 代行であり,高貴さ (nobility)に関する最高の騎士道上の諸鞭念の代表 とみる. ところがネウセ(R.Neuse)は,神の秩序の代弁者という見方に 反対し,秩序は直接テセウスによって現わされるのではなく,詩の構成自 体に現わされていると主張する テセウスが運命の代行であるのか,そ うではないのか,神の秩序の代弁者であるのかないのか,高貴さの代表で あるのかないのか,こうしたテセウスを巡る解釈の違いは,結局 KnTに おける彼の役割をどうみるかに拠る.
語り手の騎士が KnTを語り終えると,老いも若きも居合わせた者は,
これは anoble storie'だ,覚えてお〈値打ちがあると口々に言う.こ こで noble'とはいかなる意味で言われているのであろうか.'a verray, P紅 白 gentil'な騎士 (1(A], 72)の語る物語であったからであろうか,
それとも二人の貴公子の愛の為の闘いによってであろうか,あるいはマス カティーンの言うテセウスは高貴さを代表していると人々が認めたからで
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r
騎土の物語」における君主像あろうか.この間に対しては,テセウスがそれを解く鍵を持つ中心人物と 考える .KnTの展開においてテセウスは他の人物に対し支配的な役割を 演じていることは確かなのであるから.本稿ではテセウスに関する先の意 見を踏まえた上で,中世の君主たる彼の役割を検討し,そこからこの no聞 ble'の意味を探ってみたい.
E
テセウスの行動をみると騎士として君主としての徳目を幾つかみせてい るが,ここでは彼を規定していると考えられる「慈悲J(pity, mercy) と
「平和」のごつの徳目に的を絞って論を進めることにする.
r
慈悲」は騎 士としてのテセウスの徳呂をr
平和」は君主としての徳目をそれぞれ代 表していると考えられるからである.まず「慈悲」から考察する.テセウスが女人国 (Femenye)を征服し,
女王イポリタ (Ypolita)を妻とし,その妹エミリア (Emelye)共々意気 揚々とアテネに凱旋する途上,坤吟の声をあげる黒衣の女達に出会う.訳 を尋ねると,女達はもとテーベ (Thebes)の都の女王や公爵夫人という 高貴な女達であったが,京れな境遇に身を沈めてしまい,更に今やテーベ の王となったグレオン (Creon)が都を怒り (ire)と不正 (iniquitee)で 満たし,悪意 (despit)と暴虐 (tirannyめ か ら 恥 辱 (vileynye)を 加 え んとし,彼女らの夫達の遺骸を積み上げて,埋葬も火葬も許さず,無残に も犬に食わせていると,その非情で不法な仕打ちに悲憤し,その苦悩に対 し,公の慈悲 (mercy)と助力 (socour)を乞い,慈悲 (pitee)を垂れよ と涙ながらに哀れな女達は訴え掛ける.
これに対し情けある (gentil) 公は,哀れに思い,優しく慰めの言葉を 掛け,暴君 (tiraunt)クレオン (1(A], 961)に対する仇討ちを真の騎士 として誓い,直ちにテーベに軍勢を進め,彼を打ち倒し,遺骨を奪い返し,
葬犠を済ませヲ高貴な征服者 (thenoble conquerour) (1 (A], 998) と
「騎士の物語」における君主像 して女達に敬意を払って別れを告げる.
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不幸な者,例えば未亡人(テーベの女達がそうである〉を守ることは騎 士の義務である.ジョン・オブ・ソーノレズペリー(Johnof Salisbury, c. 1115‑80)は, キリスト教的騎土の理想の一つに, 危害から不幸な者を 守ることをあげており 中世後期の重要な騎土の規範書 LeLibre del Orde de Cauayleria (c. 1276)を書いたラモン・ラノレ (RamonLu 1,l c. 1232‑1314) も女,未亡人,孤鬼を助け,守ることは騎士の義務と説く 更にラモン・ラルに拠れば,涙を流しながら騎士に助力と慈悲を乞う者に 助けの手を差し出すことも騎土の義務である5圃
この様にテセウスはグレオンに対する戦争において騎士の義務を果たし ているが,それが不法でなかったかどうかを検討しておく.暴君グレオン に対するテセウスの戦いは,実は「正戦J (the just war)と 言 え る . 聖 トマス (SaintThomas Aquinas, c. 1225‑74)は,正当な原因のある戦争 は罪悪にはならないとし,正戦の三条件を次の様にあげている6•
( 1 ) the authority of the ruler within whose competence it lies to declare war.
( 2) a just war: that is that those who are attacked for some o妊encemerit such treatment.
( 3) a right intention on the part of the belligerents: either of achieving some good object or of avoiding some evi
l .
この聖トマスの正戦論を適用するとすれば,テセウスは, (1)アテネの君主 として, (2)暴君クレオンに仇を報いんと, (3)真の騎士として哀れな女達に 慈悲を掛けて慰めんとしたわけである.
次に「平和」の徳目について考察する.世俗の支配者の義務の一つに園 内平和の維持に務めることがあり国主や領域諸侯にとり平和を愛する 人(平和を守らせる人の意〉という称号以上に立派な賛辞はなかったとい う8. 聖トマスも, いかなる共同体の支配者にとって最も重要な職務は平
4 「騎士の物語」における君主像
和的な調和を確立することであると, その重要性を説いているしヘ ジョ ン・オブ・ソールズペリーも,地域に乎和をもたらすことを騎士の義務の 一つに数えている10 結局中世の君主にとり「平和」とはケルン (F.Kern)
に拠れば,次の様なものであった11.
It was to serve the good old law that he [the rulerJ was set up;
that was his justitia, and the maintenance of every individual's subjective rights, of the suum cuique, was the source of the pax, the peace at home, which was the primary and almost exclusive aim of domestic government. The preservation of the law in the broadest and most conservative sense, also guaranteed the ruler security in his dominion; for the sanctity of the rights of a
l 1
members of the folk" down to the clod of the meanest bonds‑man, also secured the ruler's own right to rule.
君主にとり国内平和が国内支配の第一の,いなほとんど唯一の目標である.
平和という「良き古き法J(=正義)の保持により彼自身世俗の支配権の 保証をも受け取るわけである.
グレオンとの戦いの後,テーベの王族で,従兄弟同志であるパラモン (Palamon)とアルシータ (Arcite)の二人の貴公子がテセウスの捕虜と なる.公は身代金による釈放を許さず,いつまでも幽閉しておくことに決 める.二人は鎖に繋がれる.当時公戦での捕虜に対しては身代金を要求す ることは,合法的かっ一般的であること12 並びに百年戦争でフランスの 捕虜がイギリスの宮廷で優遇されていること13(もっとも,身代金目当て の為と考えられるけれども〉と比べてみると,テセウスのパラモンとアノレ シータに対する処遇はいかにも冷酷である.
ところで中世における監禁 (Imprisonment)は三種類ある14:(1) custo‑ dial, (2) punitive, (3) coercive.抑庄的な (coercive)監禁は, 一般に平 和を維持する為,あるいは行状を正す為にあったこと15 並びに君主の権
「騎土の物語」における君主像 5 力が個人的な敵あるいは政敵を長期間に渡り幽閉しておく為に非常に広範 に行使されていた事実16(君主の気紛れによるのではなく,勿論正当な理 由によるものでなければならなかったけれども〉に照らしてみると,テセ ウスぽパラモンとアルシータを披にとり重要な政治犯とみなし3 国内平和 の維持の為にこの処置を取ったと考えられる17
グレオンとの戦いに勝利したとはいえ,いまだテーベ方との間に講和の 宣誓はなされておらず,アテネ方に対する攻撃の危険は依然として残る.
パラモンは釈放されたアルシータのことを「おまえは知恵と勇気があるか ら一族の者を全て集め, この都に激しく戦いを仕掛けることも出来るの だ。J (1 (AJ, 1285‑7) と言って羨む. 従ってテセウスが二人のテーベの 王族の身代金による釈放を顧みず,鎖に繋ぎ(逃亡防止と考えられる),
幽閉することは冷酷ではあるが,極めて現実的な処置と言える.いや寧ろ 君主として当然の義務を果たした行為と言えよう.
先にクレオンとの戦いが正戦であり,戦争は主権を有する君主によって のみ正当に行なわれることを指摘した18 つまり「私戦」は違法なのであ る夙パラモンとアルシータの森の中での争いも私戦とみなせる.事実テ セウスは審判も役人も立ち合っていないことを糾弾する.教会も私戦に対 しては君主と同じ立場を取り,これを制限している20
テセウスは「私戦」を行なう二人の騎士に対して,その場で死刑を宣告 するが,これは正当なものである.アルシータの行為は,テセウスの領地 に再び足を踏み入れば直ちに捕えて首を剥ねるというテセウスの釈放条件 に抵触する.他方パラモンは,牢破りの禁を犯している. ところでベネデ ィグト派の修道土オノレ・ボネ (Honor邑Bonet,c. 1340ー?)は, 囚 人 が 虐待を受けている場合や捕えた者が身代金の受け取りを拒んだ場合,牢破 りは罪を犯すことにはならないと言う21 パラモンもこれに当て撮ると考 えられるから,彼の牢破りも正当と言えそうである. ところがパラモンは これを主張せず自らの死を受け入れることを表明するのである.つまり自
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らの権利を自ら放棄したと考えられるわけで22 従って裁判権を有する君 主テセウスによる死刑宣告は正当と言える.
テセウスは私戦を阻止し,死刑宣告により国内平和と法の確立を計った わけである.
親友ベロセウス (Perotheus)の懇願によるアルシータの釈放に際して も,テセウスはアノレシータに釈放条件を課したわけであるが,イポリタ達 の助命懇願に対して再び慈悲を垂れて(I(A], 1761),私戦きと働くパラモ ンとアルシータを許ずその際にも条件を設ける.テセウスは,二度と我が 国を騒がさないこと,金輪際我に戦争を仕掛けないこと,何事においても 我が友となること,これらを誓うのならば,二人の罪を許そうと言う.こ れを二人は誓いp 公の支配 (lordshipe )と慈悲 (mercy)を請う (1[A], 1821‑7).この様にテセウスは友情や慈悲を示す場合にも,単にそれだけ ではなくて,確かに国内平和の維持に務めるという君主の義務を忘れては いないのである.
それからテセウスは,エミリアを巡る恋の争いをトーナメント(団体騎 馬試合〉で解決することを二人の騎士に命じる.五十週の後,各々百名の 騎士を連れ帰り,闘って相手を殺すか試合場から追い出せば,その者にエ ミリアを安らせると宣言する.これに対しその場に居合わぜた者は皆公に 心からの感謝を表わし, この二人の騎土も公の恵みに感謝する.
それでは中世においてトーナメントはどの様に受け取められていたのか というと,教会はこれを禁止していたけれども叱その一方でそれは法発 見の手段である「神判J(ordeal)であるという考えは依然残っていた24
エミワアを相譲らないパラモンとアルシータに対し,テセウスは「神の意 志」を問うことにより,その決着を計ったわけである. トーナメントにお いてテセウスは「良き古き法」に奉仕する中世の君主として審判官の投割 を果たそうとする.
トーナメント開始の際,テセウスは相手方を殺してもよいとした最初の
「騎士の物語」における君主像 7
考えを改め,何びとも死なぬようにと使用武器の制限を行なうが,中世後 トーナメントは祝祭 (festival) 期にもなると騎士道は儀式 (ritual)化し,
為の当然の措置と言えるし,
depredationに終る時だけ禁止されるとした聖トマスの考え方とも合致す この配慮は無益な血を流さない トーナメントはその結果が injury,death, としてあった事実25に照らしてみると,
る26
その直後落馬,重傷を負 トーナメントの結果アルシータが勝利するが,
う.公は二百名の騎士に出来る限りの慰めと労いを掛け9 誰にも敗北感を 双方の陣営に対し優劣は無か 三日間に渡り宴会を催し,
抱かせず,恨みも嫉妬も感じさぜない様に,
った事を強調し,身分に応じて下賜品を与え,
円満に帰国させる.
この様な物惜しみしないテセウスの態度は,騎士の徳目の一つである largesse'と呼ばれていたわけであるカ227,単にそれを示す為だけにある これに代えて自らの立ち合いのもとト}ナメ ントにより解決を計ること,並びにトーナメントの事後処理の仕方は共に のではない.私戦を阻止し,
園内平和の維持に寄与していると言える.
今一つテセウスが国内平和の維持を目指す所がある.アノレシータの葬犠 も済み,人々の悲嘆も涙もすっかり忘れ去られてしまったある日のこと,
テセウスはテ}べからパラモンを呼び寄せ,今なおアルシータの死を悼む 二人に結婚を勧めるわけであるが, .7~ L
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エミリア共々に慰めの言葉を掛け,
れは明らかに政治上の理由からでもある.
「ある国々と同盟を結ぶこと,
が聞かれ,
とJ(1 (A], 2973‑4)が決定される.
これを実現する為の手段としてある.結 アとの結婚は議会の決定に則り,
婚を進めることによりテセウスは国内平和の維持に務めると同時に,彼自 身の世俗の支配者としての立場を固めようとするわけである.
と「平和」の二つの騎士として君主としての徳目をみせる 以上「慈悲」
8 i騎士の物語」における君主像
テセウスは,理想的な行動を取っていることが理解出来ると思う.次にテ セウスの慰めにおける彼の行動をみて ,KnTにおける彼の役割をまとめ ることにする.
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バラモンとエミリアを前にしてテセウスは,次の様な慰めの言葉を掛け る(I(A], 2987 ff.): (1)
r
天上にまします原因の主動者J(The Firste 110evere of the cause above)が「愛の美しき連鎖J(the faire cheyne of love)を造られ,それにより地水火風〔の四元素〕を結合される.(2) この不幸な世に生を受けたものには誰でも一定の生存期間を定められた28(3)あらゆるものには終りがあり,あらゆるものは死ね29.(4)死はあらゆる ものの源泉 (proprewelle)であるジュピテル神(Jupiter)のもとへの回 帰でありへ生きとし生けるものはそれに反抗しても無駄である.(5)従っ て, (死の)必然に従うこと,あらゆる人間に当然起こることを受け入れ ることは賢明なことであり,それに不平を言うものは愚かで,全てを治め る方への反抗である31.(6)人が名声 (goodename)の衰えざる間に,その 花の盛りに死ぬことは非常に名誉 (honour)なことであり,彼の死を友人 は喜ぶべきである.η(立派なアノレシータは騎士の華であり,尊敬(duetee)
と誉れ (honour)と共にこの世という汚れたる牢獄 (fouleprisoun) を 去ったのである.
このテセウスの慰めは9 神 (God=ジュピテル神)の権威に拠っている。
人間にとり死は必然であり,神のもとへの回帰であることを知るべきであ ると神の定めへの従属を説く.中世社会は,世俗権力(皇帝〉と精神的権 威(教皇〉の二つの中心を持つ楕円的かっ普遍的な世界であり,各人はキ リストの体 (CorpusChristi) を構成するーつの肢体としてある「キリス ト教共同体J(Respublica Christiana) と言われる.従って政治も又当然 の如く宗教と分かち難く結びついているわけである.それでは世俗権力が
「騎士の物語」における君主像 9 自らの支配の正当性の根拠をどこに求めたかというと,超越的な権威の存 在(=神〉に自らを結びつけること,つまり自らの神聖化に求めたのであ る.君主は軍事力によってのみならず,最高の権威を志向することによっ て自らの権威を高め,秩序の確立維持を計ったわけである32
テセウスはトーナメントにおいて「玉座の神J(a god in trone) (I (A], 2529)の如く正装して座り,人々は公を見,敬礼し,その命令や言葉を聞
こうと押し寄せる.中世の君主は「神に仕える者J(~ローマ人への手紙』
13主主4節), 'minister Dei'つまりこの世における神の代行者 (God's vicegerent) ,神の代理人(God'svicar)と目されていた.聖パウロ (SaI立t Paul,
?‑A.
D. 67?)は「すべての人,上の権威者に服従せよ.なぜなら2神から出ない権威はなし存在する権威者は神によって立てられたからで ある.J (Wローマ人への手紙
J
13章1節〉と説き, ジョン・オブ・ソーノレ ズベリーも次の様に君主の権力は神に拠忍と述べているお:. . a
l 1
power is from the Lord God, and has been with Him al‑ ways,and is from everlasting. The power which the prince has is therefore from God,
for the power of God is never lost,
nor severed from God, but He merely exercises it through a subordi‑ nate hand, making all things teach His mercy or justice.テセウスは,玉座の象徴的な意味を十分に理解しているわけで,神から統 治権を与えられ,臣民よりも上に立つ「神政君主J(the theocratic lord)
として,つまり宗教的な機能を持つ権威として振る舞うわけである34
テセウスは人聞の死が神のもとへの回帰であると説くが,それでは中世 において人生とはどの様なものと受け取められていたのであろうか.ここ でテセウスの慰めが,彼の父エゲウス (Egeus) の彼に対する慰めをその 下地としていることを指摘せねばならない.アーサイトの死後,彼の死を 深く悼むテセウスを慰め得たのはエゲウスだけである.この世の有為転変 (this worlde transmutacioun) (1 (AJ, 2839)を知るエゲウスは,苦しみ
10 「騎士の物語」における君主像
の後には喜びが, 喜びの後には苦しみが来ること(Joyeafter wo, and wo after gladnesse) (1 [A], 2841)は世の常であり,
In al this world, that som tyme he ne deyde. This world nys but a thurghfare ful of wo, And we been 1うilgrymes,passynge to and fro. Deeth is an ende of every worldly soore."
(1 [A], 2846‑9)
口
talicsmineJと言ってテセウスを慰め得たのであった.
エゲウスの説<
r
人生は巡礼である」という考え方は, 中 世 後 期 に お いて一般的なものでありヘギリスト教徒は ζの 世 に お け る 「 遍 歴 の 旅 人J(viator in peregrinationめ で あ っ た36 アウグスティヌス (Saint Augustine, 354‑430)は,. . we were wanderers in a strange country, and could not
1 i
ve happily away from our fatherland, and that we fe1 t
wretched in our wandering,
and wishing to putan end to our misery,
deter‑ mined to return home.37 [lta1 i
cs mineJと,我々は神から遠く離れ,みじめにこの世をさまよい,神のもとへ帰る ことを願う寄留者であると説くし,十四世紀のある説教師も
. . . we muste nedis goye and not to stonde here in 'tis worlde. je see well tat 戸19rymmesand weyfferynge men be not comon‑
ly stondynge, but euermore spedynge hem in here weyes.38 [Italics mineJ
と,我々は一つ所に留まることの出来ない巡礼,さすらい人であると教え ふ結局中世における地上の人間像とは,聖ヒエロニムス (SaintJerome, c. 340‑420)の語る次の様なものと考えてよいであろう39:
「騎土の物語」における君主像 11 We who in this world 'are exiled from the Lord' wa
王 1 l
abouton earth. . . we are hastening on our way to heaven, for here we do not have a lasting place, but we are wayfarers and Pilgrims, like al 1
our fathers. [ltalics mineJ次にアノレシータは騎士の華として3 そ の 盛 り に 名 誉 の 死 を 遂 げ た (1 (A], 3047‑8)というテセウスの慰めは,パラモン3 エ ミ リ ア そ し て 聴 衆
(読者〉にどの様に訴えかけたと考えられるであろうか.実は騎士道の立 場からみると,テセウスの慰めは,騎士アノレシータに対して極めて正当な 評価を下しているのである.ラモン・ラノレは,
. . yf he deye for to mayntene chyualry thenne he acquyreth chyualrye in that / in whiche he maye the better loue and serue hit40
と,騎士道の為に死ぬことは騎土道に対し最大の敬意を払うことであると 述べている.パラモン,アルシータのトーナメントに騎士達は「愛の為,
騎土道の誉れを増す為にJ(1 (A], 2184)集まって来たのであった.アル シータの死は, トーナメントという正式の闘いでの死であるから魂の救い はあると考えられる.太ノレ・ボネは ajust war で闘って死んだ場合,
その騎士は天国 (Paradise)で救われると教える41
この世に生きる人間にとり死は必然であり,この世は苦しみに満ちた街 道にすぎず,我々はそこを往来する巡礼なのだというエゲウスの窓めB こ のエゲウスの慰めを受け入れて,その慰めを語るに神の権威に拠るテセウ スの態度と,死は必然であり,それは神のもとへの回帰であり,しかも騎 士アルシータは騎土の華として,名誉と共にこの世を去ったのだというテ セウスの慰め,これらすべては中世においては一般に受容されるものであ ることが理解出来よう.従ってエミリアとパラモンに向けられた,つまり は聴衆(読者〉に向けられたテセウスの慰めは3 慰めたり得たと言える.
12 「騎士の物語」における君主像
テセウスは神の代行者として,アルシータの死について人々にこの世での 満足を与え得たのである.
先にパラモンとエミリアの結婚の政治的側面についてみたが,更に公共 の福祉の面からみてみよう.テセウスは慰めの言葉を掛けた後,パラモン とエミリアに嘆くことを止め,アルシータの死については寧ろ神の恵みを 感謝すべきであり,この場でおまえ達の二つの悲しみを「一つの完全で永 遠の喜びJ(0 parfit joye, lastynge everemo)に変えることを勧めたいと言 う(1(A], 3072).テセウスはエミリアに向って,パラモンは意志(wil1e) と真心 (herte)と力 (myght)をもっておまえに仕えてきたのであるか ら彼に女の情け (wommanlypitee)を掛けて, 夫として君主として彼を 受け入れる様にと諭す.パラモンに向つては,このことで同意を求めるに 説教するには及ぶまい,この婦人の手を取りなさいと言う. トーナメント に敗北し,エミリアを得る資格を失なったが,今も彼女を愛するパラモン は,エミリアと共にテセウスの勧めに黙して従う.すぐさま顧問団 (con‑ seil)と封臣 (baronage)に よ り は (A],3096),ニ人の婚姻が結ばれる.
パラモンは,至福 (b
1 i
sse)と裕福 (richesse)と健康 (heele)のうちに 全くの幸福者となり (I(A], 3101),エミリアに優しく仕え,彼女も彼を 愛し,二人の聞には嫉妬や不平の戸はただの一度も聞かれなかったと語り 手は言う42「公共の利益は私の利益にまさるJ(Utilitas pub
1 i
ca prefertur utili‑ tate privatae) というのが中世社会の原則である.この原則は,アルマン(w. U
l 1
mann)が言う様に, 必要とあれば個人の福利 (the individual wel 1
‑being)を犠牲にしてまでも,公共の福祉 (the public weal) ,公共 の安寧 (thepublic welfare),公共の福利 (the public well‑being)つ まり社会全体の善 (thegood of society itself)の方が重要であることを 意味する.中世において個人は,各人自らの為に存在しているのではなくて「キリストの体」における社会全体の分身として存在しているのであり,
「騎土の物語」における君主像 13 公の普 (thepublic good)は最高の善 (supremumbonum)で,それを 守ることが中世の国家 (governments)の最大の関心事である43 チョー サー自身も ,The Parliamentザ Foulesにおいて,スキピオ (Scipioun) の夢の中に現われたアフリカヌス (Affrycan)に,教養ある者も無智の者 も,
r
公共の利益J(commune profyt)を愛した者だけが永遠の喜び (joye) のある至福の場所 (ablysful place)に行くことが出来ると語らせている (11. 46‑,‑9).パラモンとエミリアの結婚は,至福ともいうべきもので,テセウスの言 う一つの完全で永遠の喜びである.テセウスの勧めに対してパラモンとエ ミリアは一言も語ってはいないが,これはテセウスの強制的な態度を表わ しているのではない.それはテセウスが「公共の利益は私の利益にまさ る」という原則に則っていること(この結婚の背景には,テーベとアテネ との講和があることは先に指摘した),並びにパラモンとエミリアが「公 共の利益」を尊重していること,そしてこの態度の故にこの二人は永遠の 喜びのある至福の場所に着くことが出来たことを物語っているのである.
聴衆(読者)もこの結婚を祝福すると考えられる. トーナメントに敗れた りとはいえ,エミリアを最初に見て,一目で恋に落ちたことを打ち明けた のはパラモンの方が,アルシータよりも先であり,聴衆(読者〉は従って,
恋の擾先権を持つパラモンがエミリアを要ることに同意したはずである.
テセウスは KnTの冒頭においてイポリタと結婚し,一生の開,喜び (joye)と名誉 (honour)の中に暮らしたというが (1 [A], 1028‑9), KnT の終幕においても,パラモンとエミリアの永遠の完全な喜びに包まれた結 婚をもたらしたのである.この結婚は,国内平和維持の義務を持つ君主テ セウスがその義務を果たしたことを示すのみならず3 女達への慈悲と合わ せて,テセウスが暴君・ではないこと,むしろ理想的な騎士,君主であるこ
とを物語るのである.チョーサーは,テセウスの行動を通して中世の君主 像に対する根本的な認識を聴衆(読者〕に得させたわけである.
14 「騎士の物語」における君主像
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かくも理想的な君主ではあるが,テセウスは,その視点が地上の人聞の ものであり,自ら限界を伴なった君主の姿をも見せている.彼は慰めにお いて神の摂理を説〈が,それはこの世からアルシータの死をみて,そこか ら引き出した地上的な解釈に拠るもので,彼の眼は常にこの世をいかに律 するか,世俗の君主としての立場からみている.これは次の様な語り手の 態度からも伺える.語り手は,アルシータの魂の行くえについては知らな いし,語りたくもないと言う (I(A], 2809‑15). KnTの粉本と言われる ボッカチオ (GiovanniBoccaccio, 1313‑75)のIlTeseidaにおけるアル シータ第八天への昇天の場面 (XI,1)44を,チョーサーはこの物語からは ずしてトロイルス (Troilus)昇天の場面 (Troilusand Criseyde V, 1807‑ 27)において用いる.このことは KnTの関心があくまでも地上的で,そ の点世俗の君主としてのテセウスを主眼として描かれていることと無関係 ではあり得ない.つまりトロイルスは,地上を見下して,天上的な視点に よる認識を得たと考えられるのに対し,テセウスの認識の仕方は,あくま でも地上的な視点によるものである.従ってチョーサーがこの昇天の場面 を意識的に KnTに入れなかったことは十分に考えられるわけである品.
次にテセウスの限界をみてみよう.牢より釈放したアルシータには領土 内に再び舞い戻れば首を例ねるという釈放条件を反故にされるし,パラモ ンには牢を破られる.更にこの二人は違法な私戦を彼の領土内で繰り広げ る.
テセウスは議会の助言 (avys)を入れて(I(A], 3076),パラモンとエ ミリアに結婚を勧める.中世の君主が国政の重要事項に関して助言を求め ることは,一般に好ましいこととされておりベカンタベリの大主教トマ ス (the Lord Thomas)は, 1399年,然るべき助言を受ける統治が君主 の統治の理想と説く47 現実には中世の君主にとり議会での財政の認可に
「騎士の物語」における君主像 15 関して,有力貴族 (magnates)と庶民 (commons)の協力なくしては戦 争の遂行も適わなかったしベ統治と法の制定においては,封臣 (barons)
の助言と同意は不可欠のものであった49
慰めにおいてジュピテル神を讃えるテセウスではあったが,天上界でヴ ェヌス女神 (Venus)とマルス神 (Mars)の争いに対する仲裁投を務める のは,ジュピテル神ではなくてサトゥルヌス神 (Saturnus)であることを (I (A], 2438 ff.)勿論地上界のテセウスは知る由もない.
ヴェヌス女神とマノレス神の争いの原因は,バラモンとアノレシータの相矛 盾する祈りにある. トーナメント開始前にパラモン,アルシータ,エミリ アは各々ヴェヌス女神,マノレス神,ディアナ女神 (Diana)に対し,三人 三様の祈り,つまり各々エミリアを,勝利を,そして未婚のままでいるこ と,それが適わねのならば二人の騎士のうち最も披女を愛するものとの結 婚を(ディアナ女神はエミリアに二人の騎士のうちの一人との結婚を告げ るけれども〉祈願する(I(A], 2221 ff.). この相矛盾する祈りを天上の神 神はどう適えるかというと,アノレシータの死によってである.アノレシータ の死は不幸なものではあるが,神々の立場からすると,これら三人は三様 の祈りを適えられており,従って三人三様の慰めを得た結果となっている わけである.
トーナメントの勝者にエミリアを宴らせるというテセウスの宣言は, ト ーナメントが神判であり,高次の秩序が存在することを信じているにも関 わらず,宣言通りにはいかず,敗者パラモンとエミリアを結婚させる結果
となる.
自ら神の摂理を説く神の代行者として9 理想的で富み栄えた地上の支配 者が9 自信を持って事に当たるけれども,天上界における神々の動ぎつま
り高次の秩序のいかに働くかを知らず,意外にもアイロニカノレな結果に終 るA このアイロニによるおかしみと,そこから生まれる神の代行者テセウ スも神の前では他の人間と同じ地上の存在なのだという我々聴衆(読者〉
16 「騎士の物語」における君主像 の認識,ここにテセウスを巡る面白さがあるJ
V
最後にこれまでみてきたテセウス像をもとに 'noble'の 意 味 を 考 察 す る.中世においては,人生は巡礼であり,人間ば神から遠く離れ,この世 をさまよいながら神のもとへと急ぐ寄留者,遍歴の旅人であると考えられ ていたこiとは,先に言及したが,アウグスティヌスは
. . . in this mortal life, wandering from God, if we wish to return to our nati ve country where we can be blessed we should use this world and not enjoy it . . . .50 [Italics mineJ
と,神のもとへの回帰を望むのならば,この世を用いる (use)の で あ っ て,楽しんで (enjoy)はいけないと教える.ここで「楽しむ」とは, あ るものの為にそのあるものに愛着することであり
r
用いる」とは, もし あるものが愛するに値するとして,自ら愛するものを得ることにそのある ものを使うことである51 それでは君主テセウスは白らの支配権を「用い ている」かそれとも「楽しんでいるJかどちらであろうか.彼は理想的な 君主として,慈悲と平和の徳日を示すが,その際に自らの権力を権力その ものの為に愛着するのではなく,常に哀れな者の為,国の為に「用いてJ いる.チョーサーは,The Wife of Bath's Taleにおいて,
Thenketh hou noble, as seith Valerius, Was th
i l 1 王
eJul 1 i
us Hostillius,That out of poverte roos to heigh noblesse. Reedeth Senek, and redeth eek Boece;
Ther shul ye seen expres that it no drede is That he is gentil that dooth gentil dedis.
「騎土の物語Jにおける君主像 Thanne am 1 gentil, whan that 1 bigynne To lyven vertuously and weyve synne.
(II [DJ, 1165‑76) [Italics mineJ 17
と,高貴な行為 (gentildedis),つまり徳を求めることによってのみその 人は高貴な (gentil=noble)人と呼べると語る.理想的な君主テセウスは,
自らの権力を「慈悲」と「平和」の徳目の為の「高貴な行為」に「用い た」わけで,従って KnTが a noble storie'だ と 人 々 が 言 っ た 時 の 'noble'の意味には, a verray parfyt gentil'な騎土を語り手とした,
二人の貴公子の一人の貴婦人を巡る愛の為の闘いであることだけではなく て1"君主」テセウスのこの行為そのものも含まれていると言ってよいで あろう.身分も精神も共に「高貴な (noble)J君主であるからこそ彼の慰 めは説得力,意義を持つわけである52
テセウスの慰めが,人々に人生は巡礼で, うつろいやすくみじめなこの 世において人は皆神のもとへと急ぐ寄留者であり, 自らに与えられた運命 を受容しなければならないという自覚,認識を確かに与えていることや,
KnTが聖地巡礼に向うにあたっての第一話であることを考えると,高貴 で理想的ではあるが,地上の人間の視点と限界を伴なった君主像は,結局
J .
Westlundの言う animpetus for pilgrimage "53 としての KnTに 相応しいものなのである.注
1 KnTからの引用は, F. N. Robinson (edふThe
n
らrks0 /
GeofJrey Chaucer (2nd ed.; Oxford: Oxford University Press, cl957)に拠る.2もNi1liam Frost, An Interpretation of Chaucer's Knight's Tale,' RES, XXV (1949), 290‑304 and R. Schoeck and J. Taylor (eds.), Chaucer Criti司 cism Vol. 1: The Canterbury Tales (Notre Dame: University of Notre Dame Press, c1960), pp. 98‑116. Char1esMuscatine, Chaucer and the French Tra司 dition (Berkley: University of California Press, cl957), p. 183. Richard Neuse,The Knight: The First Mover in Chaucer's Human Comedy UTQ,' ,
18 「騎士の物語」における君主像
XXXI (1962), 307. Cf. Terry Jones, Chaucer's Knight: The Portrαit 01 a MedievaZ Mercenary (London: Weiden五eld& NicoIson, c1980), pp. 142, 192.
3 Robert Miller (edふ Chaucer,Sourcesαnd Bαckgrounds (New York:
Oxford University Press, c 1977), p. 177; J. B. Ross and M. M. McLau・
ghlin (eds.), The Portable Medieval Reader (Harmondsworth: Penguin Books, c1949), p. 90.
4 Alfred T. P. Byles (ed.), The Book 01 the Ordre 01 Chyvalry, trans.
、iViIIiamCaxton (Loxdon: Oxford University Press, 1926), p. 38. 5 Ibid., p. 40.
6 A. P. D'Entr巴ves(ed. ,)Aquinas: Selected Political Writings, trans. J. G. Dawson (Oxford: Basil Blackwell, c 1959), p. 159.正戦を遂行出来る主たる 三つの立場 (1) the Emperor, the pope (2) those authorities having no superior over them (3) every feudaI Iord who had no superior within the feudal hierarchy (Frederick H. RusseII
,
The Just War in the Middle Ages (Cambridge: Cambridge University Press, 1975J, pp. 298‑9).7 J. M.ファン・ウインター著,佐藤牧夫,渡部治雄共訳『騎士ーその理想と現 実IJ(東京:東京書籍,昭和57年), 106頁.
8 Marc Block, FeudaZ Society, Vo .1II, trans. L. C. l¥在anyon(London: Rout‑ ledge Kegan PauI, c1961), p. 412.
9 A. P. D'Entreves, op. cit., pp. 11, 107. Cf. Walter Ullmann, Princiρles 01 Government and Politics in the Middle Ages (London: Methuen, c1961 ,) p.127.
10 R. P. Miller,。ρ.cit., p. 177; J. B. Ross and M. M. McLaugh1in, op. cit., p.90.
11 Fritz Kern, Kingsh争andLaw in the Middle Ages, trans. S. B. Chrimes (Oxford: Basil Blackwell, 1
ヨ
68),p. 183.12 John Barnie, War in Medieval English Society, Social Values and Hun‑
dred Years War 1337‑99 (Ithaca: CorneII University Press, c1974), p. 68;
Michael Howard, War・仇 Eurojうean History (Oxford: Oxford University Press, c1976), p. 6.
13 George G. Coulton, Medieval Panoramα The English Scene Irom Con‑ quest to Relormation (New York: W. W. Norton & Company. Inc., 1974), p.239.
14 Ralph B. Pugh, Imprisonment in Medieval England (London: Cambridge
「騎士の物語」における君主像 19 University Press, c1968), p. 1, n. 4.
15 1bid., p. 46. 16 1bid., p. 389.
17 Cf. the decision as to when or how or where peace was disturbed or threatened belonged to the king alone." Walter Ullmann, op. cit., p. 127. 18 Cf. C. T. Allmand (ed.), 1Var, Literature and Politics in the Late Middle
Ages (Liverpool: Liverpool University Press, c1976), p. 17; Diane Born‑ stein, lv[irrors of Courtesy (Hamden, Conn.: Archon Books, c1975), p. 44;
M. Howard, op. citリ p.41. 19
war waged by men of discordant wills wi註tho凶ultthe sanction of public authority. Such quarrels were sinful except when one defended himself with due moderation and without trying to kill his adversary out of hatred. When an agent of public authority attacked someone, th巴 victim was not considered an enemy but rather as one guilty of unworthy resistance to authority." F. H. Russell, opo cit., p. 270.
この考えは聖トマスに拠る (SummaTheologica, 2‑2, 9.41). 20 1bid., p. 301.
21 R. P Miller
,
op. cit.,
p. 191.22 Only free r巴nunciation by their possessors could lawfully set these rights aside; a royal decree could not do so even though it rested upon the broad basis of a vote by a representative assembly." F. Kern
,
op. cit.,
p. 192.
23 F. H. Russell
,
op. cit.,
p. 260.24 R. W. South巴rn,The Making of the li1iddle Ages (London: Hutchinson
& Co. Ltd.
,
c1967),
p・95.25 D. Bornstein, op. cit., pp. 9, 21, 105; Sidney Painter, French Chivalry, Chivalric 1deas and Practices in Medieval France (Ithac且 Cornell Uni圃
versity Press
,
c1940),
p. 50. 26 F. H. Russell, op. cit., p. 260.27 J. Barnie, op. cit., p. 60; Gervase Mathew, The Court of Richard 11 (London: John Murray, c1968) , p. 122; J. M.ファン・ウインター,前掲書 p. 151.
28 Cf.
r
主は土から人間を創り,再び土に立ち戻らせる.主は3 一定の日と時弘 そして地上のものへの権利を, 人間に与えたJ
(If集会の書~ 17章 1~2 節);r
か20 「騎士の物語」における君主像
れ〔人間〕の白々は限られ,かれの月の数は,あなたの方寸にあり,かれの越え られぬ限界を定められたからには……
J
(11ヨブの書.Jl14章5節). 邦訳聖書から の引用は, ノミルパローデル・コル訳『口語訳!日約新約聖書.Jl(東京: ドン・ボスコ社, 1976年〉に拠る.
29 Cf.
r
この世には,すべてに時があり, それぞれ時期がある. 生まれる時,死 ぬ時がある.植える時, 植えたものを抜く時がある.J (11伝道の書.Jl3章1" ,2 節).30 Cf.
r
私たちは, この幕屋, 地上の住居が壊れれば,神からくださる,人間の 手で造られない永遠の住居が天にあることを知っている.J
(11コリント人への後 の手紙Jl5章1節).31 Cf.
r
それ〔死〕は生きるものすべてに主から与えられるさだめである. なぜいとたかきもの
至高者のみ旨にそむこうとするのかJ(ff集会の書Jl41章4節).
32 Cf.
r
さて,あなたたちは, キリストの体であって, 各人はその一つの肢体で ある.J (11コリント人への前の手紙.Jl12章27節).J. B.モラル著,柴田平三郎訳『中世の政治思想!.Jl (東京:未来社, 1975), pp. 271 ff. 33 J. B. Ross and M. M. McLaughlin, op. cit., p. 252.
34 Walter Ullmann, The Ind叩idualaπd Society in the Middle Ages (Bal・
timore: The Johns Hopkins Press, cl966), pp. 10 ff; Principles 0/ Goverπment and Politicsπthe Middle Ages, pp. 117 ff.
35 Donald R. Howard, Writers and Pilgrims: Medievα1 Pilgrimage Narra‑
tives a刀d Their Posterity (A Quantum Book "; Berkl巴y: University of California Press, cl980), p. 11. Cf.巡礼は「蹟宥J(Indulgence)と同義と考 えらjつしていた (ChristianK. Zacher, Curiosity and Pilgrimage: The Litera‑ ture 0/ Discovery in Fourteenth‑Centur・y E冗glaπd (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, c1976), p. 46).
r
蹟宥」とは「教会が悔俊の秘跡(The Sacrament of Penance,洗礼後に犯した罪をゆるす秘跡〕以外に与えるす でにゆるされた罪に対する有限の罰のゆるし」であるく小林珍雄編『キリスト教 百科辞典.Jl
C
東京:エンデルレ書庖),昭和53年).36 C. K. Zacher, op. cit., p. 42.
37 Ibid., p. 42. Cf.
r . .
・H・体のある間は主を離れて生きているのだと知っている がJ
(11コリント人への後の手紙.Jl5主主6節);1……私は,あなたのもとにいる旅 人にすぎず,先祖と同様に,他国人なのだJ(ff詩篇.Jl39. 13).38 Woodburn O. Ross (ed.)
,
Middle English Sermons (E. E. T. S. 08,
CCIX" ; London: Oxford University Press, c1960), p. 74.
39 Sist巴rMarie Liguori Ewald (trans.), The Homilies 0/ Saint Jerome, VoL
「騎土の物語」における君主像 21 II in The Father 01 the Church, ed. Ro.y Jo.seph Deferrari (Washingto.n:
The Catho.ric University o.f America Press), p. 46. Cf. C. K. Zacher, op. cit., pp. 42 ff.
40 A. T. P. Byles, op. cit., p. 37.
41 D. Bo.rnstein, op. cit., p. 44; R. P. Miller, op. cit., p. 190.
42 ロマンティックな愛と結婚との結びつきは,ロマンス物においては一般的であ
っTこという (G.Mathew, 0ρ. cit., p. 135).
43 W. Ullmann, The lndividual aηd Society in the Middle Ages, pp. 36, 42, 43.
44 Il Teseidaのテキストは, Geo.vanni Bo.ccacci ,.oThe Book 01 Theseus, trans. B. M. McCo.y (New Yo.rk: Medieval Text Asso.ciatio.n, 1974)を使用した.
45 Cf. 1t is natural to. suppo.se that Chaucer had in hand the two. great 1talian po.ems (Il Teseida and Il FilostratoJ at abo.ut the same time. But no. evi叫 dence has yet been fo.und in the wo.rks themselves t .osho.w which was the earlier." F. N. R.obinso.n, op. cit., p. 669. 1t is quite p.ossible... that th巴
passage was rejected in the K却なht's Tale as unsuitable to. the spirit o.f the po.em, and was afterwards r巴calledby Chaucer and turned to. acc.ount in the Troilus." lbid., p. 682, no.te o.f 11. 2805 ff.
46 M. Blo.ch, op. cit., p. 410. 47
the wish o.f the king t .ob巴 co.unselled and go.verned by the h.ono.urable wise and discreet perso.ns o.f his realm, and by their co.m m.on co.unsel and assent to. d .othe best fo.r the go.vernment o.f himself and o.f his realm; n.ot wishing to. be go.verned by his o.wn whim, no.r by his wilful putp.ose o.r singular o.pini.on, but by c.om mo.n advice, co.unsel, and assent, as is stated abo.ve." A. R. Myers (ed.), English Historical Document, Vo.l. 1V (Lo.nd.on:
Eyer & Spo.ttiswo.o.d, 1969), p. 415.
48 S. B. Chrimes, An lntroduction to the Administrative History 01 Medieval England (Oxfo.rd: Basil Blackwell, c 1959), pp. 196, 224.
49 W. Ullmann, Pr仇ciples01 Government and Politics in the Middle Ages, pp. 150‑1. Cf. lbid., pp. 182‑3, 191.
50 Saint Augustine, On Christian Doctrine, trans. D. W. Ro.bertso.n, Jr. (In‑ dianapo.lis: The Liberal Arts Press, c 1958), p. 10.
51 T o.enjo.y s.omething is t. ocling t .oit with lo.ve fo.r its o.wn sake. T. ous巴
so.mething, ho.wever, is to. emplo.y it in o.btaining that which yo.u lo.ve, pro.‑
22 「騎士の物語」における君主像 vided that it is worthy of love." (ibid., p. 9)
52 'gentil (noble),とは単に地位,身分,家柄の良さを指すだけではない では O.E. D.の次の様な定義にも取る :0.E. D., gentle," 3: Having the character appropriate to one of good birth; noble, generous, court巴ous."文 献初例は1297年.Prol.72を引例. noble,"7:Having qua1ities or properties of a very high or admirable kind."文献初例は c.1305年.Cf. M. E. D.,
gentil," 1 (a): Of noble rank or birth, belonging to the gentry, noble;
‑often implying charact巴ror manners befitting one of gentle birth,;,. C. T. Prol. A. 72を引例.文献初例は c1225年. genti1,"2(a) :Having the character or manners prescrib巴dby the ideals of chivalry or Christianity; noble, kind, gracious, etc."文献初例は a1250年.C. T. WB. D. 1170を引例U. 53 Joseph Westlund,The Kight's Tale as an Impetus for Pilgrimage,' P
Q .
XLIII (1964)