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Title
歴史・視点・物語 : 『小説神髄』研究Author(s)
亀井, 秀雄Citation
北海道大學文學部紀要 = The annual reports on cultural science, 38(1): 1-47Issue Date
1989-09-16Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/33544Type
bulletinFile Information
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‘コックスは東京大学予鱗門の英語教師榊だった。 の 一 年 前 、 か れ は 主 ﹀ の 話 同 州 凶 同 H M 巾吋 O 山 岳 O H W ロ 州 制 M U M M 刊 さ ぬ き ぬ 由 同 O H V M M さ き 合 ωZ 仏開口同部wv し て い て 、 のものがそれに続く中 級 周 教 科 欝 と し て 書 か れ た こ と は 一 一 一 一 日 う ま で も な い 。 いてかれはその資料編ともう
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( 中 略 ﹀ の文学論や美術総は英書では皆無、 修簿書もベイン 一 で あ っ と ﹀F
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先進/後進という先入観にまだとらわれていたためで あろう、結局その研究は、かれらの考える﹁ヨーロッパ近代文学﹂に照らした迫蓬の近代文学理念の理解不足、つま り追進の未熟さの批判という傾向から抜け出せなかったのである。 この傾向が、﹃神髄﹄下巻の軽視という結果を生んだ。もともと﹃小説神髄﹄は簡易和績じ木、九分冊の形で出版さ れ、上巻(第一t
四冊、明治一八年九月l
一九年三月)は﹁小説総論﹂﹁小説の変遷﹂﹁小説の主眼﹂﹁小説の種類﹂ ヱ ツ セ u J U V ヤ リ ズ ム ﹁小説の稗益﹂などの章によって構成され、原理論的な性格が強い。そのため本質主義的な志向の強い研究者の関心 - 3ー が集中し、追遠の説く小説の非功利性を文学自立の主張と受け取って、文学史上の功績を称揚すると共に、写実観の 暖昧さや、虚構と現実の関係認識の混乱を問題視してきたわけである。それに対して ﹁文体論﹂や﹁小説脚色の法 則 ﹂ ﹁ 時 代 小 説 の 脚 色 ﹂ ﹁ 主 人 公 の 設 置 ﹂ ﹁ 叙 事 法 ﹂ な ど の 章 で 構 成 さ れ た 下 巻 い ず れ も 明 治 一 九 年 四 月)は、小説作法的な性格が濃厚だった。この原理篇と実践篇という二部構成の方法は、多分当時のイギリス修辞学 から学んだものであろう。というのは、先ほどのテクストでコックスが、 ( 第 五t
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既致の主張が始まっていた待拐に、潟謹は雅俗折衷体な唱えた。これは先のような研究傾向から、みれば、 遼遠の近代文学観が不設践だったことの重喪な一例証となるわけだが、しかし近代のいわゆる言文一致体がはたして 最良の文体選択だったか否かという関臨躍を立ててみれば、おそらく評価の方舟は一変ぜざるをえない。かれは小説を 離絡議徹さ佼るための一機能として主人公をとらえ、しかも具体的に近世の物認を挙げて説明する際には、このム お そ め 公を﹁本尊﹂と言い換えた。馬琴の内松染情史秋七草加の場合、久松が興本尊、阿染が女本尊というわけである。 人去とは作者の﹁内面﹂が仮託され、作品の主題を担う人物だ、という見方からみるならば、蘇絡通殺の一 で し かない主人公畿はいかにも古くさく、それを﹁本尊﹂などと呼ぶあたり、遺筆の前近代性は帆紛れもないということに なるであろう。しかし私の﹃神髄﹄研究の最終目的の⋮つは、このような批判の前提そのものの形成過訓械を明らめる ことであり、そのためには当時の迫議の試況に立ってみることがなる。それだけでなく、近世 5 -畿や修辞鏡、あるいは物語それ自体の成熟がどのようにかれを支えていたか、という見方も必要となるはずである。 ︿ 同 議 ω ) と 、 そしてこのような畿点を取ってみる持、部えば﹀
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定的にみているわけでなく、それを情報性としてとらえ返した上で、 コックスという窓口を通してイギリスやアメリ カの修辞学の特徴を把握しようというわけである。換言すればこの窓口によって対象の範囲を定めたいのであって、 もしそうしなければ私は当時の数多い修辞学の大海に紛れ込んで、トータルな調査の不可能という限界に直面し、ど んな修辞学をもって﹃神髄﹄と比較対照すればよいのか決定できない状態に陥んでしまうにちがいない。そんなわけ コックスを手がかりに調査した修辞学のうち、明治十年代から二十年代にかけてわが国に入ってきたことが確実 で 、 なもののみを本論の対象とした。それらを改めて列挙すれば、 およそ次のごとくである。 なお、各著書の冒頭に
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田の記号を附したが、それは以下の論で一々書名を明記する繁雑さを避けるための処置 で あ る 。主
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命 ) 見 ) 県 尚 罰 雌史・視点・物語歴史・視点・物語 これのうちへてフバ i ンの刷は詩についての考察を含まず、 ヒルの師と制に至っては詩だけでなく、文彩的な修辞法 すらも除外して、関心を散文的な文章構成に限定してしまっている。後述するように、詩は芸術(出ロ巾恒三)の一つに 数えるが、歴史や伝記、小説などの散文は芸術とみなさないのが当時の修辞学の一般的傾向で、その点からみればこ れはかなり際立った新しい動向と言えるかもしれない。 阿 川
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年前後の新しい動向だったとするならば、 するような方向へと進んでいった。 コックスの凶は、制や倒とほぼおなじ時期に書か れたにもかかわらず、やや古風な形をまだ残して、詩や文彩的な修辞法を律義に論じていた。迫蓬の﹃神髄﹄は、 お のずからその新しい動向と軌を一にしていたわけだが、下巻における律義な包括性の点ではコックスに似ていたと言 北大文学部紀要歴 史 ・ 視 点 ・ 物 語 うことが出来るであろう。 一 章 a 小説の位置 出 口 立 。 ロ 2 0 口 問 。 同 岳 由 、 諸 問 問 ユ タ 仏 白 血 刊
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内 出 口 町 ORV(H ∞ ∞ 品 ) に 紹 介 さ れ た 、 巧 回 目 芯 同 回 目 印 戸 己 の 同 名 の エ ッ セ イ ( H ∞ ∞ 品 ) の なかの言葉である。 ベザントの論はパンフレット形式で公表されたため、現在入手はむずかしく、 ヘンリl・ジェイ - 10ー ムスの批判を通してその内容を窺うよりほかはない。 かれはかなり皮肉な調子で論評を加えているが、小説に芸術と しての市民権を与えようとする主張に反対だったわけでない。 ただベザントが同時代人の小説への要求(ブルジョア 的趣味の押しつけや道徳主義的偏見を含む)をほとんど無批判に受容れたまま、小説作法的な規則を設けて技術的な 磨きをかけることにしか関心を示さなかった。多分その妥協性にかれは不満を感じて、ベザント的な規則の陵昧さを 批判し、それとともに創作行為を同時代人の実利主義的な要求から解き放つ自由をも主張したのである。もちろんか れは、その自由が作者にとって苦痛に満ちた試練であることも忘れてはいなかった。 イギリスの一八八0
年代、小説の芸術性が一つのトピックスだった事実は、﹃神髄﹄に新しい照明を与えてくれる。 よく知られているように遇遣は小説を文学のなかで最も芸術性の高いものと位置づけ、勧善懲悪的な教訓性から解き 放とうとした。現在では自明化されたこの観念を、かれは自前で、いわばベザントやヘシリ l ・ジェイムスと世界的同時性の現象として着想したのであった。これを逆に言えば、かれがモデルとしたベインの紛においては次のように、 小説はまだ芸術に数えられなかったのである。
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や そ の 他 の 修 辞 学 に も み ら れ る 、 一般的な見解であった。 ベザントはこの可。立弓の位置に 出口氏。ロを置き換えようとしたわけで、あるいはそれは一寸した発想の転換にすぎなかったように見えるかもしれな い。だが当時の修辞学のなかには、 ハートの回のようにきわめてネガティヴな小説評価もあったのである。 -11ー 吋-5
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同 日 戸 白 山 口 3 2 4 0 仏 ロ 丘 町 田 。 同 口 問 巾 ・ ア ー ト プ ν ジ ヤ T ユ 一 Y イリテイ 私たちの技術の目的が楽しみと有用性のいずれであるかによって、芸術とそうでないものとを区別けする。 ユテイリテイ イギリスの伝統的な発想であって、追遁もそれに倣って小説を功利的目的から解放しようとしたわけであるが、この ﹂ れ は ハートによれば小説の楽しみはごく低俗なものでしかなく、公共の精神を堕落させてしまう。無差別な小説の乱読は 記憶力に破壊的な悪影響を及ぼす、とさえかれはこれに続く文章のなかで語っていた。 さらに続けてかれは、すぐれ 北大文学部紀要組長・穏担2・造手踊E
ぷも漏 Q ilIl:g::;当〈剖今期健お吋 ó 担迂 e 菌語州E肖←かJ --'J~'心も漏@部諸制長繋..J\-!必坦心 Qμ';R'
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number, but are sti1llimited; things that gratify the feelings of Touch and Muscularity -a bed or a
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時間の根源を見出そうとしたのであり、そういうところにも視覚重視の時代的傾向が認められ る の で あ る 。 ただしこれは小説の芸術性がまだ間われぬ段階での問題であって、右のような芸術観が支配的であるか、ぎり、その - 14ー なかに数えられるのは詩のほうであった理由は明らかであろう。依然として詩は公共性の大きい表現とみられていた し│
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それ故叙事詩に特権的な位置が与えられていた││韻律の聴覚性、主人公の行為の崇官室、巧妙な文彩によっ て高められた情景描写の絵画性など、いずれも聴衆あるいは読者の感性や心性を高尚ならしめる美的な規範と意味づ けられていたのである。それに対して小説のほうは出版によって公共性を拡げたかにみえながら、かえってその享受 は極端に個人化してしまった。その享受形態がやがて読者論を喚び起すわけだが、しかしまだその意義づけ方が見出 せなかった時代にあっては、 ヘンリ l ・ジェイムスがいみじくも喝破したように、読者が気がついて警戒する以前に 心のなかに浸み込んで有害な影響を与えてしまう、そんないかがわしさが小説享受にはつきまとっている、と見られ ていたのである。先ほど紹介したハ l トの意見はそういう懸念の率直正直な表明だったと見るべきであろう。>V~二千J ぎる揺さ-f'ニリヘミ~幸雪組長1 話料 Q~ ふやゆ必心~~千!-lQ心心ふ。i1 0 ~ 1<:~ Prose Compositionヤ, Descrip唾
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~11!l1I肖 Jν ム将兵Ç' ~O 寺44く-T{'IJ作活黒田同歴史・視点・物語 このような紹介でも分かるように、歴史のほうが小説よりもはるかに重要視されていたのである。それはなぜかと ナヲテイグ いう問題は、同時に、なぜ旅行記や航海記などが歴史と一緒に物語のなかに含まれたのかという疑問とかかわってく るはずであるが、その問題は次の章に譲り、まずここでは小説、がどのようにとらえられていたかを見ておかなければ 工 ‘ フ 工 、 。 チ J 戸 ル V ご ナ J ︼ V ナ ヲ テ イ ウ フ イ グ シ ヨ シ ハートのネガティヴな小説観は既に紹介した。クアツケシボスは物語と虚構の相違を、前者の語る出来事は真実 ( 叶
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に限られるが、後者は想像によって創造されるものであり、歴史的事件という事実の上に性格や会話や場面 などの細部を想像で補うならば、これもまた十分に虚構たりうると考えた。追蓬の時代小説観もかなりそれに近かっ たわけだが、それはとにかく、続いてかれは次のように語っている。 吋v
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歴史に引きつけてとらえていた気配があり、だから小 説にも現代(風俗)史的な条件を与えようとしていたのである。 吋} M
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歴 北大文学部紀要歴史・視点・物語 史に引きつけて虚構を論じたのも、このような歴史的ユポックの小説的発見を踏まえてのことであろう。そして今、 右に引用した箇所では、スコット的な混合形態からロマンスとノヴェルを蹄分けし、社会風俗の描写、日常生活のな かの事件に基づく
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の展開という条件を、小説の特質として意味づけたのであった。 それはまた生活の描写、人生の再現という当時の小説家たちの合言葉の反映でもあった。 ただしへンリ l ・ ジ ェ イ ムスふうに言えば、当時の作者たちはけっして現代社会の人生をリアルに描いて能事足れりと安心できていたわけで イギリスのような。プロテスタント社会では、多くの人ははっきりと言明するのを恥じてはいるが、要するに アポログエティックスω
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のように見せかけの現実でしかないものは何らかの程度で護教諭的でなければならず、 主 -£ 、 。 ' u v d /、
L V 真に人生の再現を試み ているかのごとき口実は放棄されなければならぬ。 ﹂のような暗黙の圧力の下で、 かれらは一寸した余談を設けてみ - 18ー ずから手の内を明かし、小説は現実のみせかけでしかないと釈明した。 一八世紀から一九世紀にかけてのイギリス小 ア ポ ロ グ エ デ ィ タ タ 説の自己言及的な性格が、最近構造主義的な立場から関心を呼んできたが、もともとは以上のごとき自己弁明的な事 情に始まり、やがてそれがテクスト内にその解読法を仕組んだ独自な言語体系に自立される発展を辿ったのであろう。 さ てW
・ D-コックスの虚構観は、単にとらえ方だけでなく、その言いまわしまでクアツケンボスとほとんどおな じ で あ っ た が 、 わずかに次のような点にコックスらしさが認められる。k
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-コックスらしさと言っても、結局それはクアツケンボスの意見合}少しばかり敷街して美/醜、真実/虚偽、美徳/ 悪徳というような二項対立の観点を持ち込む程度のものにすぎなかった。 ほとんどみられない。初めにもふれておいたように、 つまりベインのω
ついて言えば、このような箇所との関連は かれは詩を芸術の一つに数えていたが、H
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目立芯ロにつ いてはその詩の考察のなかで僅かに言及しただけで、要するに小説とは叙事詩の散文的翻訳にすぎず、主題を現代に - 19ー ちなみにかれが明らかに参照したもう一つの修辞学、 見出すか過去から選ぶかによって種別が出来る、という程度のことを指摘したにとどまった。それに対してクアツケ シボスは、そもそも芸術という問題には関心を払わず、詩はごくつけ足し程度にしか取り上げなかった。 コ ッ ク ス が後者に依拠して小説を考察していたことは、この点からも明らかである。 ただ、真善美の観点の導入を、一国家の徳義や審美眼への影響という点と結びつけてみるならば、新たな特徴が一 つ浮んで来るであろう。それは三宅雪嶺の﹃真善美日本人﹄の出現を予告するような、美的ナショナリズムの発想で ある。真善美の偽悪醜に対する勝利という、このH V
。 丘 一 口 H d 在日の方法は││この点だけはベインの叙事詩論からコ ナヲテイグ ックスは摂取したと思われる││i民族や共同体や国家がその内部でみずからの物語l
歴史を作るときの伝統的な仮構 方法であった。 それを小説の根本要件として取り込むことは、小説を民族や国家などの歴史の隠轍と化することにほ か な ら な い 。 北大文学部紀要歴史・視点・物語 そうすると問題は、小説がみずからの複雑な仕掛を発く
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の方向を選ぶとき、 はたしてそれが隠聡としての民 族や国家の歴史のEE
をも発くことが出来るかどうか、あるいはそれは単に小説における物語性の喪失と自滅を招 テヲテイグ 来するだけではないかということになるであろう。しかしそれを判断する前に、歴史が物語である所以をみておく必 要 が あ る 。 章 歴 史 と い う 物 語 ヘ ッ プ バ l ンの刷は、本論で取り上げる修辞学のなかで最も多く歴史に筆を費していたが、時代区分についてこん エ ポ ツ ク なことを言っている。時代を区分することは歴史を明確で完全に理解する重要な手段であって、時代の境界線を画期 - 20ー と呼ぶのであるが、それは一連の出来事が終結する重要な事件によって画され、かつ歴史のコ l スに新しい方向を与 える。そこから過去を探り、あるいは新たな段階へ入ってゆく有益な地点を提供するのである。それ故、このように 画されたそれぞれの時代は、事件の特質によって与えられた明瞭な歴史的個性を備え、事件のプロットを完遂するド ピ ギ =y グ ミ ド 山 W エ y ド エ ポ ツ ク ラマを演じ、それ自体の開始と中間と終結を持つ。換言すれば、画期とは世紀単位のものではないのだから、ある種 ナラテイゲ の教会史や世俗史に用いられる世紀単位の区分によって物語を中断するような愚は避けねばならない。 かれが、わざわざこのようなことを断った理由は、二つ考えられる。 その一つは、右の要約的紹介からも分かるよ うに、かつて優勢を誇った教会史の方法に対する抵抗である。教会史は聖書の予言に従って人類の運命を千年単位で とらえ、さらにそれを十分割して世紀という概念を作ったが、現在でもそれは世紀末意識や終末観として残っている。しかしかれのように事件の生成と終結によって時代区分を構想する立場からみれば、世紀とは単なる年表上の目盛 にすぎない。時代に個性を見、事件の展開という旦己によって時代を画そうとする意識。この雌誠意識も、あるい アネク V1 ト は伝道者や荊教者の逸話の集積であるような布教史に対する批判だったのかもしれない。ただし時代の始まりと中 間と終結という構成を強調する発想のなかに、世紀末意識や終末論の残像があることは承知しておく必要がある。 も う 一 つ の 、 より強調された理由は、年代記から歴史を質的に区別することであった。 さまざまなカテゴリーに属 する出来事を時間的順序に配列しただけの年代記は歴史の資料と言うべきであって、ある事件の原因と結果を明らか にする観点からそれを取捨選択するところに歴史が成立する。これは一人へップパ!ンにかぎらず、当時の修辞学者 たちに共通の認識だった。もう少しこれを敷桁すれば、年代記的な時間意識とは、年毎に繰り返される祭-組、儀礼や 生産活動による持続感と、ある年の自然的社会的事情によるそれらの一寸した変更が、隣接する年との比較で差異
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持続が何らかの形で断ち切られないか、ぎり歴 史は生れないのである。それに対してヘップパ l ンたちの考える歴史とは、その差異の終結のない連鎖のなかに事件 y ド ナ ヲ テ イ ず の生成を見出して因果論的なE2
を構成し、事件の終結によって時代を画する物語の方法だったことになるであろ エポツタ う。その意味で画期とは世紀単位の区分に劣らず人為的な虚構でしかないのであるが、しかしかれらの眼にはあくま でも事実の領域で起った事件の幕が降る、現実的な区切りなのであった。 それでは、このような時代区分の方法がリアリティを持ったのはどのような社会単位に対してなのであろうか。 ヘ ッ プ パ l γ は当時の多くの歴史家にみられた、単なる歴史的事件への興味で戦争や革命、陰謀、政治的取り引き 北大文学部紀要 - 21ー組長{・軍事唆・毒剤E
4fZ人jヤ刑判制Eぷ11宍会]説草.-J-iJO lJ 兵心 ti#41-í 0~岡田:ifi~酪相会l担ム-íJ ~jご V>\-'0 ド- 0~到|臨~謀総R およjι0>1'(いム~
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Every society can have its history. The most important of this class [Special History] is the history
of a nation.
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ム-6^"-.tさ'社、-0~m~ 1i!実ヤ ~~{)!;l君主」騒ぐ弐 .-J\-i::'-íJ 。“J¥lIen expect from history,"says Guizot,“experience analogous to the wants they feel, to the life
they live; they desire to understand the real nature and hidden springs of institutions; to enter into
the movements of parties
,
to follow them in their combinations,
to study the secret of the in:fluence ofthe masses
,
and of the action of individuals. Men and things must resuscitate before them,
no longermerely as an interest or deversion, but as a revelation of how rights, liberties, and power are to be acquired,
exercised, and defended; how to combine opinions, Interests, passions, the necessities of circumstances,
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グ イ ウ イ ド ・ ナ ν イ グ ヨ シ しかし歴史家は生彩に富んだ語り口を失ってはならないと考 え、それと幅広い哲学的な視点との統合を理想とした。哲学的視点とはギゾlが言うように、抽象的には人類の事業 と社会の発展が力強いものになってゆく過程を認識することであるが、もっと具体的に言えば、権利や自由や権力が ギ ゾ 1 の意見の最後の点について、 ヘ ッ プ バ l γ は 、 いかに獲得され、実践され、守られるかを開示して、歴史が自由を重んずる国家にふさわしい理由を明らかにするこ と で あ ろ う 。 ハートにとって一般に歴史とは国家あるいは帝国(又はその統治) テ ラ テ イ ウ スにとっては共同体や国家の事件の物語であった。 の事業の記録であり、 ク ア ツ ケ ン ボ - 23ー ヘヅプバ lンはそれに較べて歴史のあり方をもっと幅広くとらえ ていたが、それでもなお結局、歴史の主要な社会単位は(ギゾlとおなじく)国家以外ではなかったのである。 国家がまだ多くの人々の重要な献身対象だった時代の、それはやむをえない傾向だったと言うべきかもしれない。 だがたとえそうだとしても、 おそらく国家という枠組みなしには歴史が現代に至るまで人文科学の主要な一領域とな エ ポ ツ ク りうるほど発達はとげなかったし、時代とか画期とかいう概念もその枠組みを除いてはほとんどリアリティを持ちえ さしあたり歴史学にできる抵抗は一見して明らかな物語性を排除することであったが、時代という観 ナヲテイグ 念や、後述するような物語の基本的要素は依然として残している。歴史家ももちろんみずからの方法を明かしはす な い で あ ろ う 。 る。だが、小説はその自己言及的な性格のおかげでみずからの盟主を明かすもう一つの}
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を内在させることがで 北大文学部紀要組長.!jQS唆・冬眠E
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There are two defective methods of historical composition which are very prevalent.
1st. History deals with individual concr巴tefacts, and aims to embody them in an a妊ectivepicturesque
narrative; it is closely related to poetry and romance.
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it is written with a view simply to giv巴 abrilliant narrative that shall please the imagination and satisfy curiosity
,
it b巴comes a romance; andrealizes none of ends for which history is written.
2nd.
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the writer gives promin巴nceto the principles which can be derived from the facts,
and make hiswork a depository of general views
,
that gratify the speculative intellect,
he does not write history; his 申work is a scientific treatise, wanting in the essential features of genuine history.
A perfect history avoids both extremes. 1t gives to imagination and reason their du巴 and combines
vivid narration with broad philosophical views. History is not science.
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exhibits individual facts, andis not a system of notions and general principles,・・・・・ittells, not what generally is, or what must be, but
facts that once occurred and that will never occur again.
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別な歴史の考え方を採るならば、 空間のなかにそっくり再現するのは不可能だという限界論の、その裏返しの表現でしかないのではないか。もし全く 一回性の問題などは起らなかっただろう。歴史が年代記的な持続感を断ち切る事件 とともに現われる、それ自体もまた一個の事件にほかならないとするならば、何回でもそれは起りうるのである。 そ ういう疑問、が起ってくるのであるが、ともあれヘップパ l ンやその他の修辞学者たちは右のように考えたわけで、多 分それは時代という観念と無関係ではない。 と い う の は 、 かれらは時代の区切りを、 一連の出来事を終結させる重要 な事件が起った時点に求め、そこから過去を探り未来を展望するという時間の構造化を行なっていたからである。そ の時点を想像的な現在とみなしたことは言うまでもなく、年代記にはもちろんその意味での過去現在未来は内在しな い。逆に言えば、その時点を認識上の現在として生き生きと追体験できる想像力をこそヘップパlンたちは求めてい た の で あ っ た 。 - 25ー とするならば、そのような歴史を物語りうる語り子はどんな条件を備えていなければならないか。引用、が多くなる が、次もまたへてフパlンの言葉である。 同 ロ 自 由 丘 町