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なる人物からの引用である︑が︑ともあれコックスは複雑な様相の事件を︑まず宗教︑

政治︑社会︑商業︑文学などのカテゴリーに別け︑それぞれの歴史を把握した上で相互に関係づけることを主張して

いた︒各カテゴリーの流れの同時的並列状態を想定し︑それを横断するような視線の運動を要請していたわけである︒

つまり下部構造と上部構造とに別けて︑原因と結果の関係

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でみるようなことはしなかったのである︒換言すれば︑どのカテゴリーの流れを主要事件として選ぶかは語り手の関 かれは各カテゴリーを階層的にはとらえていなかった︒

心によって決められることであり︑またそれによって他の流れは遠景化されたり時には省略される︒ただ︑省略され

たものを含めてそれぞれの流れはお互に範列論的な関係にあり︑だからある叙述レベルのなかに別な流れの用語や簡

潔な叙述が挿入されて隠喰的な喚起力を発揮する︑というような語り口が可能となるのである︒ばかりでなく︑それ

ぞれの流れの時間的な目盛りは大きく具るはずで︑この挿入によってあるレベルの時間が圧縮されたり引き延ばされ

たりして年代記や編年史の均質的な時間とは違う時間操作が生れるだろう︒その意味では例えばルイ一回世の食事と

いう持続的な日常のなかで︑ブルタiニュ地方のブドウ生産の不況が簡潔適切に言及されたとすれば︑それだけで既

に歴史の発生︑少くとも歴史が現出することの予兆となりうるのである︒

コックスがそこまで意識していたとは思えないが︑すぐれた歴史

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物語の条件として例えば形容語しての海名ゃ︑

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y媒介項を省略して相呉るレベルの叙述を直接に結びつけてみせる語り口を奨めていた点で︑その方向へ歩み出してい

かれはそれを同時並存するものの横断という方法から着想したのであり︑すると問題たとだけは言うことができる︒

は︑どのようなモデルによってその方法を考えていたのかということになるであろう︒

一 品

旅行者の眼と時間

‑ 31

ナヲテイグ一九世紀半ばの修辞学で︑旅行記や航海記が歴史とともに物語の主要なジャンルに数えられていたことは既に指摘

して

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交貿が人間の生産活動の重要な一部円であり︑資本主義時代に特に活漉に広域化したことが︑その現実的な原因で

あろう︒迫濯の参照した﹃修辞及華文﹄は特にこの点を強調していた︒が︑それだけで説明できないことは言うまで

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もない︒旅行にはまず明瞭な出発点と到達点があり︑その中間の過程ではさまざまに新奇なものと出合いうる可能性

ナヲテイグに充ちている︒旅行自体がもっこの構成が︑物語の条件に適っていたのである︒

北大文学部紀要

歴史・視点・物語

この構成は︑また別な見方をすれば︑もと無関係に同時存在していた出発点と中間と到達点の事象が︑

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数人の旅行者の横断によって連続的な出来事に変えられ︑それとともに一定の意味関連を生ずることにほかならない︒

その中間の過程に偶然の事故を設定しやすいという理由もあって︑現在では︑おなじ乗り物に居合わせた人々をオム

ニパス形式で描き︑それぞれの人の隠された人間性を露呈させて︑主要な人物の改心や人間的成長をもたらすドラマ

が好んで用いられている︒が︑たとえそこまで小説的な結構を凝らさなくとも︑例えば私が晴天の成田を飛行機で発

ってシアトルで休憩し︑雷雲の立ちこめるシカゴに着いたとして︑とくに気候に敏感な身体的条件を負っているする

テヲテイずならば︑もともと無関係な三地点の気象はそれなりに意味をもっ連続的な事態として物語化されうるであろう︒

分かるように︑ここで重要なのは同時的並存を連続化する特定の人間の行動︑関心あるいは視点なのである︒

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コックスは描写の項でベインを援用しながら︑

視点の大切さをこのように説明した︒広大な光景を一昨のもと

に収める烏敵は︑地上を進行する旅行者の限とかならずしも一致しないようにみえる︒しかしかれが強調したかった

のは対象の連続的提示による全体の概観ということであって︑この場合の鳥敵は︑ある箇所に焦点を合わせてそこか

‑ 32

ら次々と隣接するものをとらえてゆく眼の移動を含意していたのである︒それが言葉による描写の不可避的な特徴で

あり︑その意味で旅行者とは言語的描写の隠験であった︒

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lンが刷で紹介した問自己oロの意見では︑旅行者が歴史の読者に倫えられている︒

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旅行者である読み手の限に巧妙に隠されていた全体の迂余曲折とは︑歴史そのものであったのか︑それとも歴史の

‑ 33

書き方であるのか︒もちろんかれの関心は記述の仕方のほうにあり︑それをほとんど小説の

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とおなじ技巧とし てとらえていたのであるが︑ともあれこの旅行者

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読者は続いて現われる場面を予測しながら先を急ぎ︑ついにある

全体的な眺望が可能な地点に到達して︑これまでの経過を振り返り現在のわが身の状況を知る︒

つまりベインやコツ

クスが言う烏臓を得るのである︒

この過去のとらえ返しと全体像を獲得する地点︑それがある時代を画する一連の事

件の終結点とアナロジーだったことは言うまでもない︒

ちなみにコックスが紹介したベインは︑刷の改訂版︑倒でこんなことを言っていた︒大きく広がった複雑な光景は︑

アスペクト

観客の限の前に連続的に提示する諸相を選び出すことによって単純化されるわけだが︑これを旅行者の視点からの描

北大文学部紀要

史歴・視点・物語

写と呼ぶ︒我々の眼は広大な情景を具った幾つかの部分に別けて観察しなければならず︑精神はその順序で各部分を

内的に保持統合しつつ描写を理解するのである︒旅行者の視点はまたかれの側の位置の連続的な移動ということを含

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み︑それは虚構にとって有効な方法となる︒

る ︒ 要するにある地点に達して全体像を得るためには︑それに先立って対象の連続化という操作が大切だったのであ

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コックスはそれが語りの条件だと考えた︒

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次々と現われる光景︑ある事物の諸相を継続的に提示すること︑事件の流れ︑物語はこれらことにこそふさわし

ナヲテイグい︒それは逆に︑物語がこれらの重要性を見出したのだとも言えるだろう︒ベインは詩についてであるが︑

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語という手段に注意を喚起しながら︑静止の状態よりも活動や変化の様態で想い描きやすい対象こそが詩の素材にふ

さわしい︑という意味のことを指摘し︑さらに自然の擬人化が対象に想像上の活動を与えると語った︒それを散文の

問題に翻訳するならば︑言語が対象を釈ゐ化し連続化してしまうとは︑それを生動似することにほかならず︑対象と

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その属性(又は運動)を主語と述語の形で言表すること自体が既に擬人化の始まり︑あるいは物語ることの開始とい

うことになる︒再び整理して言えば︑この連続性の附与という働きによって旅行者は私たちの視線一般の典型とさ

れ︑言語表現という行為と同一化されていたのである︒

ドキュメント内 歴史・視点・物語 : 『小説神髄』研究 (ページ 31-36)

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