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『宗教研究』第4年第13号(*13号)

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(1)

――目次――

1,支那の廃仏事件,常盤大定,Daizyō TOKIWA,pp.1-16.

2,吠陀に現はれたる人生観の研究,金倉円照,Enshō KANAKURA,pp.17-83.

3,華厳聖典における十玄縁起無碍法門義,亀谷聖馨,Seikei KAMETANI,pp.85-124.

(2)

僻 事 彿 療 ¢ 部 文 一一‥−■−←■一−−{一・、−ノーーーーーーーーー L − −−一一トー′、し一  ̄− ■ ■■−{一一J −′−▲−、−∼一■一・・・一■、一−へ ̄− ̄一一−一一一 、′−一一−■一一一■−一一一一一一− 支那の暦僻事件とは、時の王軽から係数に加へられた迫書で、古家lニ武一宗の災といはれて

居る。彿敢者は頗る之を悼仮するのであるが、斯の如き大事件には、必ずやその時代に於て、

それ粕皆の意義があつたものに相違ない。猫、係数に勤してのみ加へられ花迫害であるならば

憤慨するのも敢て無理といへぬが、然し迫害は彿敢にのみ限られてh仏い。支部の国家自身が、

氏族固有の道教に射してすら、之を断行して居るのである。古家の習性に熟せる千は、是等値

彿事件に封して一音厭凍の牌を惹き起さすに居られなんだが、その後翠第に調査を盟ねて、こ

支那の療彿事件

常 盤

大 定 ー t −

(3)

戟三十第 年四解 究軒数宗 れには各々然るべき理由がある事に恩ひ到わ、特に最近の敵曾状態の壁蓬、経済状態の激動よ わ、翻って是等の事件を顧みれば、中には一柁の成典を起さすに居られぬものもある。罫に厭 嫌の情よゎ一、之を軽視すべきではない。事件の奥にほ、今日に勤して、大なる警鐘として、吾 人の耳柔を聾動せねばならぬものがあるので、このー篇を作って見る事とした。因みに、三武 一宗といふのは、北魂の武帝、北周の武帝、唐の武宗と後周の世克とである。これ等は、いづれ も王廷によりて、支部の一部又は全部の偶数を贋毀し柁ものであるが、この外に、排斥事件が 数多くある。上は東晋時代より下は清朝に至るまで、秤々の形式によつて繰り返された。中に 於て、宋儒によつて為された思想の上の廣悌の如きは、賓は武力の迫察より、も滑恐るべき力で あつた。四国の迫審によつて、一時勢力を失っても、その後に至れば、以前に倍せる反動によ りて回復し佗偶数も、宋儒の思想的贋彿以後は次第に光彩を失ひ、加ふるに元代の道教の懐柔 によつて、遂に存在の根耗に動揺を来したのである。清朝の厘迫の如きは唯之を助長しだに過 ぎぬ。唐宗時代以前の如き存在債催があつたなら、政事的願迫の如きは、敢て顧慮すべきでは ないと息ふ。 ____+コ _

(4)

支 部 ¢ 綾 俳 事 儲 〓 廣彿事件を成せる問題には大略七種ある。 第一は民族的のもので、夷夏開港とでも名くべく内外の笹別によつて、之を排斥せんとする のである。 第二は道徳的のもので、大略、出家と敬事の二黙が各時代を通じて論難せられ、支部の道徳 的立脚地より、有力なる排悌の理由となつたのである。見方によつては、印度の文化を、支部 の文化の下に服従せんとの要求−ふLリ起った問題といふ事が出家る。係数に勤しては、随身手痛 き攻撃であゎ、係数者は絶えす之に苦しんだ斯から、思想の上に於ては、雨文化の調和が出家 て居るに関らす、貰際の上に於ては、遂に融合を得す、徹頭徹尾、二つの流を演して居た。こ れが算際の上に於てまで、完全に調和したのは、日本係数の一部のみである。 第三は敢曾問題である。これは役賦を逃れんが為に出家するものが多くh仏る斯から起ったの で、蓋、時弊の起せる排彿である。 第四は経済問題である。これは、際限もなく、寺塔伽藍が出家る斯から起ったので、これま ウ  ̄ u −−・・・・・一

(5)

錐三十弗 年国策 究軒数乗

た時弊の起せる自然のものである。

第五は宗派的勢力争ひ、または恰悪から賽たもので、化胡問題がそり中心を属し、また民族

的問題と連環して、真人には胡紳の用がない、不死登仙以外の不生寂滅は、願求すべさもので

ないといふ上からの排彿である。

第六は思想的のもので、輪廻鷹報が常に問題の中心とh与つて居る。除りに千篇一律であるが

上は束菅の中葉に初めて排彿問題言一理由となつて以後堂々だる宋儒り論雄に至るまで、思想

的排彿問題の焦黙として堰ぐべきは、鷹報に外定らぬのである。宋儒た於てほ、道徳問題と崩

耕して、人性に関する論難があり、随分筆を極めて論難してはあるが、理論問題としては、来

儒の方に却って弟勲があらはしまいかと恩ふ。

第七は国家的のもので、統一の要求から起った襲態現象である。初は必ずしも排偶の意志が

あつたのでもないが、敢曾的に、また思想的に、国家としての統一を確立せんとする要求から

出番して、造に恩の外の排彿となつたのである。若し偶数徒がこの要求に鷹じたなら、敢て排

俳を惹盲起すまでにならなんだと息ふ。

以上の中、係数者は、普通に宗教的能力寧ひ、または宗教的怜悪を似て、唯一の排併の理由と

_ 4 −

(6)

支 那 ¢ 毅 彿 事 ♯ 考へて居る。道教と偶数とは、大路その起原を同じくし、常に相反撥しっゝ、まセ常に頼接触 して、原因となり、結果となつて、螢達したものであるから、排彿事件には、常に此度情を伴 って居る。然し、これを外にして、或はその以上に、道徳開業があり、蔽骨問題があり、経済 問題がある事を忘れては︰サらぬ。是等は畢猫にして、猶排悌の理由と行7り得たのである。是等 温徳的、経済的、宗波的の一もりの外に数へねばならぬのは、思想的のもので、これの加った排 彿が、最も恐ろしかったのでJのる。最後の隣家統一問題といふのは、或は見過さるけれども、 周の武野の時のものには、たしかに此要求がその棍棍に横はつて居たの盲ある。遡って娩の武 帝の時のものにも、此要求が出費黙となつて居たに恕連ない。数国家が封宜して居た時代に於 ては、普然起ら得べき問題である。就中、周の武帝の排備には、国家統一の要求のある外に、 息想の背景もあるので、多くの廣備中の最も注意すべきものである。武帝の方に頗る具聾な恩 恵と態度とあり、従って偽者の中にもそれ以上の異蟄な思想と態疫とがあつたから、その結果 として、国家−㌻りいへば隋の時代の統一が質現し、係数ユてソいへば地諭。磁諭・天台の如き支那 係数史上前後無比の建設時代があらはれた。廣悌事件の刺激が、係数著を奮起せしめ、この奮 起が建設時代を導く磯曾を輿へたのである。 ・■−・ う ー

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競三十第 年四解 党折敦宋

第一回の廣彿たる北魂太武帝の尊顔を見るに、梓々の原因が錯綜して、之登別掲の七因の一

っにきめる事は出家ぬ。此事件の導火線柁らし冠誅之が、沸教を許して﹁勇猛音数の故にその

弟子菅栄形染衣、人道を断綬す﹂といひ、式辞が、﹁係数は人情に本づかす、鎧義を壊り、王者

を視るの法を蔑如する胡準﹂といへるを見れば、倫常問題の含まれて居る事は明白である。又

武帝が贋俄の張本人琵る司徒荏浩の言に聞きて、儒教の冗費か人生を毒す,こいへるは、経済問

題折合まれて居る事を澄明するー㍉叉、﹁怖教の腔誕ばご扶人劉元警呂伯張の促托に出・つ。非常の

人に非すんば、非常の事を行ふを得や、股能く歴代の俗物を去らん﹂といへるは、浅薄ながら

る。

も思想問題を含む事を示すのセあ撲人劉元眞昌伯張の佗托といふ如きは、冠誅之などの二言

に従へるものであらうが、仰・り意味やら不明である。劉元眞は西普の竺潜の師たりし一撃着で

ぁる。昔時の道士は、斯る事を似て幼中豊心はして居たものと見える。又、此事件の導火線た

りし道士冠謙之は、道教を依式的に独立せしや隼豪傑で、先づ司綻堤汎を捉へて新法の外達者

と残し、次で武帝をして登板受錐せし■り平澤であつて、初には寧ろ係数に同情せし武帝をして

−−− い −−・・・・・・・・・・・・・・・・・

(8)

文 部 の 境 併 事 件 落に廣彿の馨を断行せしめたのであるから、その中には宗派的感情の変って居る事も勿論であ る。然し、いよ′1長安の沙門を課致し、怖像を禁毀し、次で諸州に詔して、抄門を少長とも に悉く坑にし、経像を撃破禁除せしめた横合を輿へたもの.は、軍を進めて西征せる際、長安の 寺中に飲酒あり、財産あり、弓矢あり、庶物あるを見て、そ切非法を怒った事であるから、こ の廣備の最大原因は、国家の治安秩序の問題、一暦適切にいはゞ統一問題であつたと恩ふ。此 時、武帝の年は僅に九歳であつたから、武帝の意見といふのは、そり賓悉く司徒雀浩のもので あつたに相違短いe雀浩は西域三韓を征伐した人で、武功の念が強かった豪傑ではあるが、思 想問題などは、了解し得べき素質がなかつ托らう。之が弟に斯㌃甚しき廣僻も、次の文成帝に よりて、僅に六年の後、吏に大なる勢を以て復致せられ、帝師曇曜の力によつて、束洋蛮楠の 輩といはるゝ大同質問の石窟寺が築かれ、其後引綬きて洛陽龍門の石窟寺を初として、偉大な る堂塔伽藍の建設せられたのを見れば、この麿悌は畢景失敗に終れりといはねばならぬ。され ば、この廣彿には秤々な原凶があつたが、其中最も大なるものは、国家統一の要求で、而して 廣悌票の方には息想問題に封する了解を放くといふ敏繋があら、また儒教者の方には巌備に債 すべき堕落腐敗の分子があつ詑事を見のがしてはならない。 l− ノ

(9)

故三十第 年円舞 究軒数読 北周の武前の贋傭は、恰も北魂の太式帝の後を嗣げるもので、一層明白に国家統一の要求を 含み、而も之を修飾するに、一種の思想を以てして居る。その眞聾にして公平持去態度は、此 事件に重大な意義あらしめ、多くの精神的儒教者を死活せLめて屠る。この死活問題によりて 儒教者の頭脳を一洗した事は、決して偽故に取って不利益ならぎるのみならす、その質、これに ょりて眞の大乗精紳を塵揮せしめたと見るべき大なる理由がある。北周の贋彿は、係数史上の 一輯磯であつて、之を境としT、係数の内容が頗る選るものあるを凍したといつて差支柱い。 従って此巌彿こそは、支部係数史の贋僻事件の花といふペきである。 廣彿せる時の武帝の年は方に三十二歳の少壮有名の時代で、磯蹄縦横普り難きものがあゎノ、 而してその焉す所には、や∼正々堂々と見らるべき態度がある。この度の巌怖トもまた﹁父母 の息重きに、沙門は敬せす、惇逆り甚しき、国家の容さゞる所﹂といひ、その断肉無妻の如き は、殊に排斥すべきであるといへるを見れば、倫常問題暫含み、又、街元嵩の上表に、﹁滑衆の 多くが財食を貪逐して、欽鏑するに足らす﹂とあるを、武帝が頗る嘉鋳せるより見れば、鹿骨 四 鵬 8 州

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去 邪 の 焼 餅 串 僻 開港ぉも含み、又、﹁彿野中.薗塔ぉ袋建するの頑をいふも、この無情なるもの、何ぞ能く思藩 あらん。須らく産後を毀滅すペし﹂とい るを見れば、経済問題をも含むべく、又、初めに、 遭儒渾の順次と為さんとし、次で儒造渾の順序と残さんとせる中には、内外によ♭て宗教の間 に差等を見んとする民族問題をも含むべく、叉、北勢の曹初より行はれて居た識記﹁黒人あゎ て次で天位に悟る﹂といふを道士張賓の言によりて、流石の武帝も遂に信するに至れりといふ を見れば、造士のいふがま∼に黄老を図解とし、黒樺を国禁とするが如き迷信分子をも含んで 居たと息ふが、然し武帝の麿偶の奥には、老荘の娘本原理たる道によヱし思想を統一し、よb て以て国家を統一せんとする一大精神あ㌔而してこの精神を賓現するに相皆の公卒な態度を 以てしたのであつた。武帝の思想を最もよくあらはすものは、任造林との問答中に見ゆる次の 語句である。 帝王ほ如来なり、王公ほ菩薩克り、老年け上匝たり、乍忍ほ捜皮たり、和平ほ第一蹄僧なり、貞護ほ木叉なり、倹約ほ 少欲なり、放任ほ無我に同じ、志功け大乗に邁り文武ほ二智なり、梯謀ほ巧優なり、如甘ほ唆詭元り、岱練ほ天堂なり 罰教ほ地獄セリl民定以て子と焦すほ大蒜なり、四海ね家とする托法界なり、治故に理あるほ放物なり.百姓を安整な らしむるほ班菅なリー班害を華罰するほ降魔なり.天下に君臨写る托得道亮り、注々托浄土なり、済々は迦純なり、事 0 0 0 〇 〇 G O O C O e O O 0 0 0 0 に印していほゞ、何れの虚か道に非らん。 C −一 三) −

(11)

讃三十筋 年四解 党軒数歳 これ必ずや昔時北方に行はれて居た﹁大諭しの語法鷺相貌より脱化し凍って、之をそのまま に内敢の版本原理たる道に通用し、進んで之を道中心の国家論としたらのである。式辞は、﹁怖 は入費の期を分てども.造は凡聖に該流すといふ意味からして、造を以て彿よりもー厨多く現 誓約なもの・こ見たので、断肉触⋮事を以て殊に非理といへるもこの現賓観よりしに出であつた。 蓋、周武をして斯くまでに現賓を重んせしめたのは、一は南染の武帝や、北勢の文宣王の上に見 られし如き極端なる隠遁生活に封する反動もあらニノが、その大なる理由は、朝にして夕を計ら ざる無常毅輯の皆時の国状が、何よゎも先づ圃家絶縁′い弘田を必要とし、之が兼には内致によ らて思想を統一する事が先決問題であつた鶉でJ山らう。 武帝の廣彿は、同時に形の上に於て廣道であつたが、然しその精紳は贋造にあらすして、道 によちて思想を統一L、よりて以て国家組織を強固ならしめんとするにあつた。而して之を施 設せる跡を見るに、他の場合に見らるる如き暴力に∵よらすLて、飽くJまで衆議に訴へんとせる は多とすべきである。初、三教徒及文武宵宮を集めて、造儒渾の順次と為すべきを試せしむる や、極言を慣らぎらしめ、特に大夫寵鸞に勤して、構造二致の深注眞偽を斡せしめ、其後自ら 三敦の尤後を群辞して、儒造樺の順次とLたが、彿造二散開の宗派的威怖が激越となつて、如 −・ 1t!∵

(12)

文 部 ¢ 投 彿 事 件

何ともしがたいので遂に二致を並せ厳して、沙門も造士も共に還俗せしめ、更に通道観を置い

て、鱒撃一致中の名あるものを以て、通邁観撃士とし其後、北勢を亡ばすや、また傭致徒を鑑

めて公然之を廣すべきを主張し、任造林や、慧速や、曇延の有力なる反封あるに踊らす、遂に

之を断行した。斯の如く、勢の激する所、次第に武断的に走ったが、その初は衆議によつて之

を決せんとするにあつたのである。

斯の如くにして、武帝には思想もあら、その態度に堂々たるものがあつたけれども、その道

中心たる黙、これには普然、内を揚げて外を抑へる意味が加はるのでこれが甚しく偶数徒を放

せしめたのである。通造観、設立の趣旨には﹁堂哲の傲言、先賢の奥訓、金科五菜、秘蹟玄文

にして、布くも黎元を溶毒し、教義を扶成せんものは、並に之を弘関して、一以て之を貫くペ

し﹂といふが如き大抱負があつたけれども、その一貫の原理は造であつ詑事は、通道観の名辞

の上にも明了である。この中に置かれ陀首二十人の畢士は、衣冠第履を著けて、老荘を学び之

によりて三致を通申するにあつたといへば、形の上に於ては造繹二致を厳したけれども、貸

際の上からいへば、偶数を老荘思想中に統一せんとしたのである。蓋、宗教としての道教を厳

し、思想としての道家を揚げ柁のであらう。斯の如く、帝の虞置頗る公平なるが如くでみるが

ー 11−−

(13)

詳三十多 年四解 党前政策 老荘によつて思想を統一せんとする事は、偶数徒を憤激せしめ、この憤激が廷いて係数中に活 きー′l、・した精神を発揮せしめたのである、此時﹁大諭﹂聾者であつた道安は、通造観撃士に召 されしも、之に癒せぎるのみならす、食せすして終り、同じく﹁大諭﹂聾者でJかた静課は、締 めて後南山に入らで自我し﹁捏紫﹂聾者であつた畳妊・零裕は、諌めて酷かれざるが承に、山に 入らて跡を晦まし、﹁地諭﹂拳着であつ花慧遠は、堂々の論議によりて武帝をして答ふる能はぎ らしめ、同じく﹁地殻﹂聾者であつ花曇遵・請嵩・法侃等三百除人は、南の方、建康に遅れて、 彿敬老たるの名審を捨てなんだ。南方の﹁法華﹂学者たる智漱が、俄に建鹿の法麓を去って天 台山に入ったのも、必ずこの巌彿事件の奥に横はれる即事皆道敢に封する係数的解決を求めん としたが食であらうと恩はる。 五 以上の唐彿二件は、件数史上の注目すべき拳法であつて、共に冊数を輯回せしむる横骨とな ったが、その後の廣彿は、次第に僚艦を失った掠に思はる∼。少くも彿教徒の中に括梓紳が乏 しかった。従って反面よらすれば、廣彿を惹き起すぺき弊害があつ吾ものと見えるのである。 .−・__12 ■−一−

(14)

件 事 彿 蝦

唐の武宗の時のは、道士の濃緑眞と、焉故老の季徳裕との唱和によつて行はれたもので、そ

⋮の森黒からいへば、四蔑四千六官尊を厳し、還俗者二十大筒五百人の多きに上った。而も此時

唯、知玄一人の堂々柁る反抗があつたのみである。この時のには、同じく道徳的の意味あり、敵

曾的の意味もあら、それよbも多く民族的の意味もあつ柁が、主なる虜囚は経鱒的であつた稔

に見える。経済方面の虞彿ほ、蓋、廣僻事件のつまらぬものである。蕨彿が一骨多くの産物あ

らしむる鰯には、思想方面の根底がなけねばならぬのである。下りて後、周世宗の廉価に重り

ては、全くの経済的意味のみで、巌寺三千三宮三十六、而して像を毀りて餞を鋳るといふが如

きに至っては、恰も維新の際に於ける我が廣備を見るが如きものである。唐武、周宗の麿怖が

横骨となつて、敬慕の外に祓宗が非常総勢を以て勃興した斯から見れば、是等の鷹偶にも、結

果がなかったとはいへぬが、然し前二件に比すべくもない。滑、下りて来の微完の販価に至わ

ては造士の林窒素の言によら、偶数の形式を去りて、進数的たらしめんとするにあつたので、

其根抵は全く迷信に外ならぬ。是に至りて、廣係争件はいよ′1便伍のないものとなつた。反

面よち見れば、彿故には、覿曾的意味に於て、経済的意味に於て、靡彿あらしむべき理由があ

つ先に粕連ない。

ー 13・−−−

(15)

数三十節 年四第 究桝敦宗 腰彿事件中には加へられて居ないが、宋代に於ける漸儒教徒によらて加へられた駁撃は、そ の質点も畏るペき廠彿であつrZ。この駁撃によつて賓は一層偉大なる係数が出凍ねばならぬ筈 であつたが、此時代に於ける彿致といへば、殆んと韓宗あるのムで、致宗は衰微の極にあつた ので、思想としては何等の成果もなくして、濁、支那のみならす、廷いて朝鮮の巌彿となゎヽ 下わて日本に於ける儒教の廣彿となつたのである。碓宗の賓際方面に於ける.功果は箆大であ るが、之に伴って思想を重んする致宗の重要なる事はいふに及ばぬ。 大 鹿彿問題の最初は、民族的のものであつた。如ち、後趨の王度及び東晋養護の彿夷人詭は、 南北、時を同じくして接頭し、下りて南浣の顧歓の夷夏諭となつて、数界の大問題と捏アリ、其 後、歴史ぉ通して絶えす繰ら返された。これは、内外の笹別によつての廠怖である。次は、道徳 的のものであつた。即ち束菅の塵氷及び桓玄によつて提出せられた敬串間題、南勢の張融によ って提出せられた出家問題で、これまた其後の歴史を通じて繰り返された。これは彿致を支那 文化に服従せしめんとするのである。次は、敢曾的のものであつた。前案の符堅や、後逝の石 __ ト4・−−_

(16)

東 都 ¢ せ 彿 事 骨 虎の時に起れる沙汰問題の本となつたものは、逃役の為に出家せる遊民の多かったが癌である。 次は経済的のものであつた。これは、殊に後魂の晩年より著しく表はれたもので、冗費の多端 なるは、前の逃役と共に、たしかに弊害であつたと息ふ。次は国家的のものであつた。これは 後魂の太武帝や、周の武帝の拳法の上に於て見らる\併のものである。次は思想的のものであ った。その初は束菅の桓玄の無鷹報・無後生説などの上に見らる∼が、これは浅薄なもので、適 乗の薪席数徒によつて焉されたものに於て、や∼深度を加へた。次ほ宗派的のものであつた。 これは、いづれの廣備にも、多少之を件はぬはなかつ柁が、然しその最も著しいのは、超宗の 敬慕の時のものである。 是等の中、国家的のものを除けば、その他の六種は各時代を通じて、絶えず線わ返されて居 る。六擢中、京阪的のものは、打つものも、打たる∼ものも、共に罪がある。殻骨的・経済的の ものは、その時代に於て、打たる∼だけの弊があつたに相違ない。民族的のものは、其親株深い けれどt鈷し唐宋の如き鏡一ある大国家を通じて後、元代に至わては、早や之を攻撃するに及 ばね。換宮すれば内外の直別によちて排斥するほ無意義といふまでに、彿数の支部化を見るが 琴、澄篠問題ほ支部に放ては湯に未解決に絶つ詑といふも差支はない。或はいふべし、件数は老 − 15 −

(17)

幾三十終 年四竿 先新教素 荘息想を服従したけれど、思想の上からは、よし浅薄であつても、人世に取って重大の意義あ る儒教道徳とは、造に楓本的の調和を為さなんだのであると。宋儒の攻撃中、最も悌徒をなや ましたものは、この道徳問題であつたといつてよい。彿敦と儒教道徳との関係問題は、茸に我 が日本に残された未解決のもの∼一つであると見ねばならぬ。 行李象々、准校の暇なきを、大方諸彦の宏量に訴ふ。渡清の前夜、九月二十三日夜三時摘筆 _−16 _

(18)

究折¢教生人るナこれ‘‡現に陀吠 ヽ■l パ三5−−−此一丈笹余が卒菜論文として起草した﹁印度古代人生穀の研究﹂の一部を落先黎の盗聴に依て上梓した ものでぁる。紙数の都合で鼓に鴻載さるる¢は弦卒業静文の本論の三分あ一に止るから、主として方法み論じ㍗序論及 び吠陀以後サごlジャクーに重る人生親¢置展も論じ上本論の大串と此古代¢人生扱がそれ以後の人生汲︵殊に原始彿 敦︶と如何なる関係に置かる1かといふ結論の全部とほ削除されてある。従って麦に代金が下に取扱ふ綾な方法で吠陀時 代¢人生覿な食むる=とが果して可髄でぁるか否か、又英人生親の意義の限定、或托吠陀の人生粧とそれ以後の人生粧 とが如何に鴨係†るか専¢阿鼻は全然論ぜられてゐない。之等の事情ほ此一文竺不完全の度合ふ一厚大ならしわ上抜か 無いではない。寮際後世¢思想と密接な臨係のちる吠陀の詩句ほ之ね其巷合に取つて引用して置いた悠牝一文にほ現ほ れて衆セい場合が往々ちる。之ほ古代思想の折究ほ後世の蓉蓉を激怒して始めて興味わ見惑し縛ろといふ忠恕ぬの見地 から云つて殊に渡撼にこ考へらるゝのでぁるが、今一々之な訂正してゐると全部ね書改めなけれlてならなかつたので材料 の性質から云つて必ずしも此一篇が畢淘に取扱はるゝ事の不可能でないといふ斯から、暫らく原の草稿の僅lこ止わて置 くこととし㌔尤も冬美論文の際にほて通讃する畷の無かつ㍗沙磨吠陀を此一文でほ補足し、其他、シュロエーテル氏、

吠陀に現はれたる人生観の研究

金 倉 国 府

ー 17 −

(19)

錬三十欝 隼田常 先部数宗 弦に吠陀と言ふのは精密に謂へば其本集の部分即ち 曹−毒一声SP蜜−i︵阿−S琶l 守くedpSP竪i訂− Y与一r・詔㌔㌔彗iI阿−Aこ買ぎノ1e一声S⋮妄卸の線鵬で印度最古の文献をなし、その年代は寄間の 争者に披て可なbの相違が有るけれども、大腰 声C・−gO 年前後から数世紀の間の産物と見 れば大し北淡らは無いであらう。 ホナキyス氏、マタFネル氏、ヴ∴′ト氏等の研究にこ錬つて多少修正を加へ㍗餅がちろけれども、大畦の構想指笛にほ艶 化か来してゐない 又引〓啓中のす,レデシベルヒの ﹁吠陀しほ虫近事に入れた二版︵一九一七埠︶に似て非餌敬な脊改 わて置い圭。映陀時代の人生取が積極的で柴犬的であり、サバニシヤクト以役ほ現ほろ1印鑑㈹昨の腔佃㍊想と対照し て若しいCg︻r邑︰み元してゐるといふことほ鎗ど如何セる印庇串々者に依てもー致して主張ぜらる1所でぁるけれど も、かく吠陀の人生取が繁夫的てあると主辞せらる1救援ほ余の知れろ限リーニ於てほ未だ満足に且つ確異に示きれ㍗も のほ趣めて酔い梼である。此一浩が不完全乍もそれ等の鮎を裁牙でも明らかにすろ=とに寄興し得tならば今此上梓の 日的ほ達ぜられたのでぁる。 最後に此箭文¢主要なえ材料の大卒わ供給して下さつた字井講師の御厚意を厳に感謝して置き庇い。若し満席の厚意 が無かつ主ならば此一文ほ新線七形で現ほる1=とほ出衆なかつ圭でちら、つ。

第一葦 緒

_18 −

(20)

先軒¢叢生人るたれl‡現に佗決 之等の四吠陀は極めて特殊の場合を除く他殆ど全部が諸紳への讃歌である。従って之等の中 に余の需むるが如き人生観を直接具鰹的に表現したものは到底之を尋ね難い。然し乍ら之を以 て直に吠陀時代に人生観が無いとは断言し難い。寧ろ金は之等の讃歌の中に後世に費蓬した人 l ︶ ヽ′ サー l l ︵ 大隠ほーさ○年託を認容してーゐ恕比外・ホプ、キンスは︼窒Oi誓じ年の間のものとしてゐるが、ヰソテルニッタゐ如き ヽ′ tJ l ′ヽ ほ懐鹿的の態度を取つて﹁仮定の年代ね引用する=とほ利益エリも害毒な輿へる好計に過ない﹂とさヘ音つてゐる。或 けW巳F㊥y の謂つてゐろ様に﹁印度文畢史の年代は後から覆さる∼篤に建てられた偶の杜に過ない﹂かも知れ労いが 兎に角鼓でほ極端を避けて落款の中庸と惟ほる1−gO年前夜毎以て其創や亡する設に接て、大漁¢年代の概念み得る ことに満足して置かねばならね。 吠籍■︳y何時頃に起ったものでちろか、叉今日惇へらる1形み成す迄に幾世挺な要したかといふ事に裁ての精確な 年代む定むる=とほ到底望まれ難い事でちろけれども、その大隠の年代を想定すろ=とに於ても何語塵者の間に多くり ㈹ 3 ︶ 異見が有ろ。厳に二三の例み馨るセらば、ヤコピの∴墨旨−−転亘年誼の如きほ、その最も古いものゝ三でわら・γ ヽノ ヽノ 其他ナかデyぺγた代誓喜Tl00茎年の問に始まるとしブルームフィールドほ繁昌○年としてゐる。又ドイセソはー¢ ︵ 勒 ⋮ 豊年lこ始よると見、ダ少−ほど書−−告○年ダウリンは︼望寅丁−−Ug年託てちリンユロエーデルほ望g−︼吉○年¢ の 糾 問¢ものと見てゐる。マタドネルは︼彗○年詮を採ってゐるが、之ほ大蛙マックス、ミューラーの想定に従ったもので ヽノ の あ小 ∧V l

′ヽ 叉サ竿バアは其著印度文革史に於て﹁知見年代の′折究ほ全然致果¢無いものでちろ上と云ってゐるけれども、 ヽ′

− 19 _

(21)

牡三十弟 年四弟 究軒数京

隼貌の萌芽を覚高得るものと信するのである。然らば如何誉蓬に警之芸むるか去ふ

に、研究者の態度に依って夫々異別を生するだようけれども、金ほ党竺に紳人の関係−Tり、

第二には更に罪惑観よゎ、第三には曹時の霊表象よら之を探求し管するものである。而て

紳人の関係に於てほ主として八開の紳に掌る要求よ又嘉の側雷覗はんとし票軌に於

ては慧嘉の方面から、叉苦衷象にては雷と現嘗の謡踊係から之姦って見様とす

るものである。而て、その直接平河料を探ったのは孟英狗の謬文に依るのであるが今それを

表示すれば次の如くである。

﹁梨倶吠陀

︵−︶声e曹−呈−−−e寄与富巨星︰ニ≡−邑詫C葺星章bこ﹂⋮ri芦屋︸≡. ︵柏︶く監ic司句mnS 冒t=ran喜ぎH害巳−er︵芸・軍・<乞・対質ⅠⅠ︶ 冒芦tr買b叫声2eHlb遥︵S・冨・邑芦5︶ ︵8RigづOd芸訂s2t諷苫nGl堅11ann−誓ndeI〓己ⅠⅠ.

右の血こ㌢ヲスマンの評議々嘉した止まる。伯東方雷竺君ほ部富でちる〇

〓、沙磨吠舵

ーーー 20 _

(22)

先研の最生人るす‥れけ現に陀吠 ゴ蒜”ざま〇ニーー2哲一⋮㌢−r邑いニi⋮一蔓∴1苫三芳C⋮き吾:−yGrき1. 三、夜桑唆陀 ︵−︶点夜柔 ︵ぞ讐py昔s︶ 妄⋮昌賢y音Sc一岩さー¢星汝−ed盲1旨首芝1ilpIr葺b芸ei旨︵Hb・S・ぎ1︰00善 \ ︵柏︶白夜柔 ︵Suklpy阜lS︶ 冒Te設≡⋮l−i⋮昔左a︵即ち磨誉e箋S竪i芭−宴wi−−=p皇雪ぎ邑賢y−首 のri訣tl1. 四、阿同車吠陀 At︸百三P−づ乱p tr冨00・byW−1iheス寧〇・弾ぎl㌣宝.︶ 博之等り映陀の警のもりに雪上々苧べ孟がちるだらうけれど・今暫らくl容易に速癒し得る署のち言り lこ従ったといふ=とみ断るに止めて置く0 ︵−︶昔lハi忘に依ればJ邑i雷雲述べ芸ほR≒s句es雪詮P=芸︵−00冨︶に吾。之持吠陀に現尺れ た星宿の名た基いて計算Lたらであるが此署霊宝る=とが出衆無かつ去で苦くホプキ三に讐て置 く。︵詳p賢s・Re−igiミ⋮ニ邑幹−句・PnO−:︶ ︵βロ○−denb彗g−ロie巳訂亘urde帥已訂nIndien憎.戸 ︵β冒○。象監︸㌘−直。n。〓︼︼e霊dP−吋.汐P −.21_.

(23)

霊三・十茅 牛日鋼 党群数轟

第二章 紳人の関係−紳への婁求き

吠陀の讃歌は或意味から言へば全部が紳人の関係に轟くる去ひ得るであらうが此度では斯

威な廉い範鞠に捗って論及するのでは無い。唯だ人々が讃警於て如何望ものを紳に要求し

たか、換言すれば、此人生に於て吠陀の詩人は何を要求して居たかと謂ふことを探求して見るの

︵鳶ウ受諾昌−A︼官nをl¢Ge邑rぎte旨1P︼li訂Op︼−ieL.1.P.£︹ ︵か︶せu;−立註is邑0−ニロ芸Ci¢ntIndip−ぎl rP.芦 ︵缶︶出F宅史岩−こ琵iellUをCn警句〇㌧写ndll≡y−−邑︵︶粥︶1.P.慧P・ ︵ヾ︶訂号l戸芝1r邑βIndiensLぎ蓋きr雪dCu百三1ist賢cl⋮=辛き吏±卓率−−.琶− ︵的︶彗㌻9㌢岩〓︸S≡賢iこ旨⊇ぎ巾−句.㌢”≡d巧.ご.︹ ︵¢︶シュロエーデルに依ろとぎこ書仁一ほ最初梨倶吠陀の時代な1呈1妻−年とし㌣が、︵宰旨yurLr戸弘一 S訂・−Lニー・慧︶後に之を一芸−⊥慧岩年に改めた︵穿こ=二−⊥ご︰ぶ¢でウ0︵竺1差止︹ニト・2・誓︶ ︵−¢︶︵ご︶We−−箪.拝i署r肯○=−こぎEt彗賢r¢竹∴.吉dて.ド ︵−持︶托名打訂s芦句.ヾ. ︵−βWiきr芦ぎ¢2邑−ic富d2=ndi琴−壷ニ﹂蔓1rぎr.旨己︻.憎.鍔 一 望2 _

(24)

究軒¢粧生入るナ:れl王現に陀吠 にほかならない。そして讃歌は、ヰン一グルニッツの言つてゐる様に﹁詩人の折々の思ひつき逐 ︵ 歌つ柁ものかも知れないが、大殿から云って此滑侶や歌人は常時の民意を俸へたものである﹂ と考えて差支へが無いから、之に撮て昔時アールヤ人一枚の要求を知ることが出家るであら 瓜V ヱノ○ 今民族心理聾者の研究に依れば票数の崇拝行為は之を所躊︵Gebet︶供物︵Op詳︶聖化︵巧ei厨l l⋮g︶ の三種とすることが出席、更に此所躊は原始時代の利己的な兄薦︵患已lWぎ111g︶に始ま り、次第にその動機が純化さるゝに従って威謝の斬り ︵︼︶已−kgeb2こ黄葉 ︵ILOb鼓s巨g︶ 俄悔 の新躊︵芽屋ebeエヘと駿蓮するものとせらるるが、吠陀時代に於ても斯様な原始的な利己的 の動壌から紳に捧げられた讃歌は決して鮮く無い。斯く言つてもマックス、ミューラーが非難 して居る様に吠陀時代のアールヤ人を直に今日民族心理学者の云ふ様な意味での原始的 ︵憎ユ十 ヽ1ノ ′\ mi江エであると謂ふのでは無く、寧ろ文明民族の初期の状態と見なければなら無いのは勿論で あるけれども備吠陀の賛歌が斯様な利己的の動機に充されてゐることば否定され難い事箕であ るe 然らば如何なるものを紳に求めたかといふに、先づ之を大別して、第一に積塩的に何物かを ■■一 l _ 23 _

(25)

読三十弗 年四葬 究軒数崇 賦奥せられんことを需め欠場合と、琴一に滑瞳的に喜意損害等の身に至らぎる楼紳にその保護 を乞ひし場合の二つに昇って考えることが出家る。次に少しく細目に捗って之等の要求内容を 調べて見やう。 勿論愛で語陸滑趣の二つにそ¢要求内容を区別しても.それは絶待的¢も¢でほ無い。縦令へば故に射して勝利み得 ることを所願する場合と、酸から敗北しない躁に紳の助な懇望する事とほ、そ¢内容に於てほ一致すべきも¢でちり、 長命み所願する場合と不死を勉望†る=と1ほ、そり表現の形式感情の認め︵S旨s︶を何鹿に置くかと云ふ=と¢差 別は有っても所願の内容ほ同一でちろと首ほねばならわ。又同一の讃歌でも﹁諦め保護に依て豊かならんことき︵戸 く一等・︶と懇望するが知手は保護といふ鮎お主として見れば滑趣的と考えられ、豊かならん=とを求めたといふ如から 見れば演趣的の要求と考えらる1、両て新棟な何れとも考えらる1棟な堤合が決Lて僅少ではない0然し乍ら吠陀¢讃 歌全線を通じて大捜かく二つに大別して見る=とが便利でちると思代れ圭から個々の紛らはしい蕩合は其時に鹿ヒて適 宜に之卒邦許して試みに新株な区別ち立てゝ見たのでぁる。 ︵−鳶Wint彗日計−P・P O−乍∴岩. ︵−8W・Wu已t−空eヨent∞der雲−kerpち邑。昔ドa一−︹︵l¢−β憎.畠ド巽 桑田芳読嬰士﹁ゲ∴丁トの民族心理畢﹂三二七頁以下参照 ︵−¢︶M買寅已訂r∼l已ip一考︼︼已c巴こt訂胃︼:︼ヂ竹.−N㌣ _・_ 24 _

(26)

兼併¢♯生人るナこれiて現に陀吠

弟一節 積極的要求

積極的に紳に所願したものゝ内容は、富・健康・就編・戦勝。長命等である。少しく煩雑に渡る けれども、それ等を一々奉げて見ると次の如くなる。 1︹以下沙磨吠陀¢表中に特に場印のちる¢ほ、㌢りフィス¢研究に依つて梨倶吠咤に無い即ち沙慶吠陀狗特¢詩句 な指摘し主ものでちろ。又つ・野 の略語はタイティりー十・サンヒタ一郎ち農夜柔吠陀¢一派の所倦も指しく.声は ブアーヂヤサネーヤ・サン七タ一郎ち白夜柔吠陀の略語でぁる。︺⋮ 官署くは財賢、利益の新顔 R▲づ・︵Ⅰ母二だ・撃−学芸・漂−雫.皆.可・琵∞・.彗柑・窒㍑・.慧ひ・.崇−・G・.彗㌔¢・畠−♪琵b・.芝.−・重昭・ 窒㌧ひ・謡伊・冨.印・ギ雷﹂帽・笠、一こ忘・諾.可・冨l′.寧莞・.讐.・帽・誌“・.芸篭..;写.Hlム..〓や 〓か .¢√ −−可l。・︼′−琶・¢∴∽00“∴等・−S持⊥罵∴琵詣・−等・−諾ご︵芦等〓一拍㌦ギl可00・誓の・琵¢・会 。・告ご︵ⅠⅠⅠ・−撃−竿∴冒l¢・諾.。・冨l︰′欝丹比・望雫・年増・︶︵Ⅰ■く.鴨。・冒吋七ぐ・諾=・望.・3悼l∼・∽半∽か √輪・誓¢・裟喝−¢・た¥・望¥七ムーー。・冨.・宗ご︵つ∵写−箪−写“鞄・崇下人蒜l叫・畠−ご傘写ふ竜・芝ご・霊∽・ 雷ブヨご︵くⅠ−1ヤ佃芋l等−等び閑∴等m碩・昼。・彗ぺ・等㌧・琵持・毒・。・毒・弓・ごご︵つーⅠ. ー 25 _・・・・・

(27)

雛三十幾 年酉さ 先鰐丘宗 匝 l亀山・−き持・−Sひー一票−二芸−・−苧︶ 警。・罵−・琴・〓舛.誓−宰琶・ご等毒じ・芦毒・等・琶・写ひ∴−誓−箋。∴程∴∽撃 ち.㌦柑・罠・篭∴写巴。・罵−︶︵l舛.P﹂予価芋〓¢⊥等−箪㍑増・琴・等・買㌦L・悪ど・∞可か・ 禁芋▲岩lひ.票.。.雷伽・さ予謡柏・ヨ.−¢・謡−・甲憬㌧・笹篭・諾︰√︶︵くⅠⅠⅠ●︼や∽声︺昂−等−箪−uI∽℃† ーⅤ㌦−・撃−竿−づ・巴1つ・芝1・旨帽・裟ひ・誓●諾ひ・彗l・彗銃・′∽写生膵・たじ−畠の・畠ひ・傘℃・琵U・S偽・ S.≠︵l﹂.−.等﹂●−.学=・望ふγ虻﹂.きー。∴亡〓・仇・≡・誓∴㌣〓芋皿こ・誓ひ・忘・誓巴﹂山・芸・ド︼㌧* ㌢悼.箪≡.帖.。・2.誓︶︵lI﹂.≡・“⊥.ごー・予]∴㌣〓て・ドー.等ドニ誓㌢こ誓慧・−・。・慧ヒ。・ ∽.蛸.−学び.P−や仁.・竿上こ.P︼‡E.−誓巴.琵柑・ふ.ドム㌧・ム●琶.ぴ・ふ・ド︼阜∴こ・∽・の・ご・た・ご・ 可.ヤP=字㌢坪野蛤・ひ.ドPび・戸野川買が・Pドー㌣ぴt P∽.ぴ.やG.㌢ご.・﹂.︼一た・ゴー一G.宝ご.1呉“・ごーーひ ,べ.柑.ご持・q.び.〓.1・∞↑−戸“・00.∽.∞㌧。・巳.−きゃド︼−▲・︶ つ.S.︵1.誓−・た仇・Pに・︶︵Ⅰ七﹁P.・︶ 月払.︵ii.芦買︶︵iII.芦〓Ⅰく・︼寵.︶︵ヨliぞ上声こⅠ舛∴芸忘P︶︵舛・芦〓巴・準︶ ︵舛HI﹂声︶︵舛Ⅰく.ヱ︵舛く・∽妻恵・︶︵村石㍗空こ︵舛舛・誌・︶︵国柄ヨⅠ・誓︼芦︶ ︵国柄 舛lHI.人声︶︵回国舛lく・豊トぷ監︶︵河村舛くーー﹁−ヱ ._.........・.26 −

(28)

究斬¢敲生入るたれl‡現に陀吠 ㌢≠︵H・−ひ︶︵−づ・Pご︵つ●可●l・︶

之等は単に宵。財産・財賓・利益等を新顕し化もので、その富等の内容ほ何を意映してゐるかと

いふことは不明㌧場合である。次に此内容に粕督すると考えらる∼ものを調べて見るに、先づ

食物・任所・家畜・健康・カ・の如きものが之に常ると考えらるのである。

何 食 物

R・≠︵Ⅰ・芦.抄・箪.・畠う血声−ひ・芦▲−ひ・芦u■芦¢・ぶ。■夢−・芦。ニー芋〓ジー芦¢∴声⊆・−べ 等−芦¢∴ヨ・由・︼謡・伊∴芦−。∴芦¢ニ00等−悪声−芦¢・忘買。∴βご︵ⅠⅠ.等−等鍔ご ︵ⅠⅠⅠ・声−・軍帽・芦ご︵Ⅰ、く・箆㌧・芦柑・芦ご︵く.ぎ帖・買ご︵ヨ.︼㌧持・琵.u・翠や・∽誓芦1.・ 声.¢・芦品・︶︵くⅠⅠ・−竿翠m・琴仇・芦。・畠・缶・会・辱・翠怜・ヨ﹂・声色・芦e∴○ドご︵<出苛.ゴ声 串¢・野鶴・芦芦古・鍔捜・〓只・声明・芦。・G寛・−u・芦ほご︵舛﹂ご:芦い・買二岳こ ㍗ヂ︵−・ド由﹂・や・ド琵・¢・∽↑雫亡・竿Pド誓☆g.P.。・︶︵ⅠⅠ.2.㌣ヂ折〓.‡巴.誓ぷ.誓 び・ド∽・博・甲ド巴﹂−時㌧・皐.忘・“・己.−瓜㌧・PドP¢・Pドn.′♪柑.q.伊・巴.P“・P“一l〇.“・ごト柏.1・ヤド等↓. ∽・ド怜、00・誓ド匝・鱒わ﹂b●Ⅰ㌦・ご つS二−・加●.ご︵Ⅰく.柏.ご −− 27 _

(29)

読三十欝 年四第 究軒数采

M 家 畜

家畜には単に家畜一般を要求したものと、特に家畜の内容を指定したものがある。而て所願

せらるゝ家畜の内容ほ殆ど馬と牛との他には出ない。

R・≠︵Ⅰ・竿−〇・馳・夢夢.。・芦:−ニ:芦持:写ご︵ⅠⅠⅠ・声望・芦ご︵iく・軍。・畢〓く. 篭・声ご︵ヨ﹂㌧柑・鍔瑚・芦▲・会■羊畏柏・諾.ご︵くIL芦.−ひ・芦。・箪“・声れ・芦い・芦か.琵. 餌・芦ご ︵く目Ⅰ・等・等−ド詫・蛸†.。・声。・芦.ヾ。・声。・芦。㌧・芦−・︶︵Ⅰ舛.GP−持・芦鴎・芦已.

M 任 所

R≠二卜畠・.ご︵ⅠⅠ・−写〓く・竿〓ヨ1.芦N・芦ご S・く⊥−・ドE・.。・碁∽Iド∽●.・㌢諾.ご く・S・︵HI●諾●︶ A・く・︵Ⅰロー柏︶︵住居の安全を斬れるもの︶ ≠S二lく↑︶︵くIHI・芦︶︵舛Ⅰ・讐こ︵舛Ⅰ只ト夕雲こ︵出︺︹舛−≠畏︶ − 28 −

(30)

′ 兼併¢群生人るすこれほ現に陀吠

伸 健 康

R●く●︵l,軍功・〓葦︶︵く.ヨ・ご︵<ⅠⅠ・芦.・︶ ︵くーIi・−竿︶︵i声芦ご︵声芋−誓 芦ニ・ 5●=・︶ S・く・︵Ⅰ・ニー㌢−ご︵ⅠⅠ・−・−・︼・︰−・︶ やS・︵舛i舛●註︶

A●≠︵Ⅰ・P.・︶ ︵Il■だr︶︵lII.∽こ ︵<−1・芦︶︹くⅠIl・ご

小声−一芸㌧.エ︵舛・⋮声メ器・.亡・こ00㌧。・l琴こ S.く二Ⅰ.E・誓巴.買已・∽・令・£・−・ひ・︶︵芦=・︼だ∴〓﹂璧・琵・ドい・琵・ご・沌・2・㌢十甲b・㌢ P−.た。−丹野ミ・ひ.−.P印・平野ー㌍u・q.︼.︼P封・q.㌍〓.∴q.∽.琶㌧・閥.㌍つ.︼・︶ T●坪 ︵Ⅰ■たご く.S∴く冒i﹂芸ひ︶︵舛−舛一声︶︵舛掃く・声〓舛舛雲Ⅰ・慧︶夢〓舛舛舛−く・夢︶︵舛舛舛くⅠⅠ 彗●︶ A−≠︵ⅠⅠ●浣・︶ ︵Ⅰ︷Ⅰ︰−ふ●︶ − 29 −

(31)

媚トニ十J♯ 年頭第 東研敦蘇 何 力 R.く● ︵Ⅰ・ド。・−フ彗ひ・望.の・を.▲・怠㍉㌔・註㌧−・?−㌧・芝..・讐﹂。・琵.怜㌦㌦“・芝.枯−ヤー蓋㌧−−.〓〇.り.こ1 日∴−柏・望二−‡︼。こ芦ひ∴芦−・︶︵ロー写鍔−・声.。・︶︵Ⅰ声︼誓−写ぎ1.・芦の・芦ご ︵Ⅰく 誓・揖・芦∞・人声ご ︵く●可P−・念・.缶ムー...㌧ご ︵<i.た・軍学︸てプ声∞ン竿−柏・芦∽・念﹂・会.y・ 芸ギ芦ご ︵くⅠⅠ・等芦印・芦−・畏れ・芦▲・声▲・芦飯・芦の・罵ヱ ︵ヨⅠⅠ.ドヒ・Pや声ご・ 怠㌧伽・芦㌍t00㌍ご︵Ⅰ叫・竿竿こや⊥葦芦”・・芦;二芦′芦夕夢ご︵舛.ごMモーひ.▲・寧−・ 彗㌧−・琵㌧・琵・.∴諾ご 払・づ・︵Ⅰ・ド琵・¢・巴・∽・嶋・巴・葦槌PTP沌・払・−・誓≡ゝ.▲・ひ.ド学芸.Pl。・琵.たご ︵芦−.E−叫・ −・㌣石∵鱒↑隼∴ご・声.・琵・等︰ご●−竿PE.柑・亡.00.陀・£.−撃ン凸こ.Pノ仁・ひ.≡宇戸巴.▲.戸 山芯・¢・PP写∽・ご・︼P.・鱒b■写ご●莞∵だ〓︼●J 声価・︵l・㌍1.・野.ご︵出口−誓︶ く・S・︵訂︶︵戸;七︶ ︵Ⅰ芦き∽富戸︶︵iく﹂○︶︵≦ヨ∴や二舛●声︶︵巴.琵.︶ ︵舛只.平 声留・宕一︶︵舛冒・−ヂふヱ︵回国≠−ヱ︵国柄く・∽ご︵出国擁目Ⅰ.軍〓擁回国ヨⅠ●︼ご ・・・・・・・・・・・・・_ 30 −

(32)

覚輌=鋸■塵人る†:れほ現に陀蛛 以上に俵て大饅財賓富に掬する所願ほ毒されてゐるが、愛に注意すべきことは以下に述る話 麓の要求と比鼓して、此財茸・富ュ般の要求が、其故に於て最も多数であるといふ事である。そ れから細別の中では、食物が最も優勢で、次にカに射する要求、次に家畜といふ順序に柱る。

ヽヽ

叉我々の面白く威するのは、食と任との要求があつて衣の要求が無いと云ふことである。余の ヽ 的 隷 此他財箕の中に入るべきものとしては、金︵Rンン﹂くⅠⅠ●讐て・七Ⅰ昌∴岩一′Ⅰ声雷㌧書悪・伽・芸・ uご︵∽・づ・ⅠⅠ・ど・誓∽・ドー・博・単﹂■㍗柚・巳■戸訴・00●∽払こ︵く.S.<冒Ⅰ.声︶ 土地︵R■く・Ⅰ舛・芦ご牧場︵R・く﹂舛・ヨ㌧・諾.ご穀物︵l㌣く●一国■串ご︵S・く﹂Ⅰ−平定・竿︶ 牧獲︵R・く・l・竿︶車︵声く・I﹂思㌧・く目Ⅰ.巴。・︶ 貯へ ︵R・く・くl∵ミ・︶多産︵A・<・ⅠⅠⅠ●誓.竺∴dI謡士虻︶等がある。 A.﹂戸︵.くⅠ■㌶︶ 匁し之等の内にほ生殖力の性蒜ご竺析駁したものが多少ちろ。 − 3】−

(33)

究軒数宗 年四第 読三十弟 注意して見た庭に披ると、衣服の要求された 歌は ︵︼〓﹂舛・芦ど・︶ に﹁吾々に適雷に着らる ∼衣服を注ぎ輿へよ﹂といふのが僅に一ケ所である。︹但し同棲の詩句が該梨倶吠陀の讃歌から 採られて沙磨吠陀︵H・P祀・−00・ごにある︺之は∽〇l≡ 紳に捧げられた讃歌であつて、果して衣 服の要求であるか或は身に降り注ぐ様に洒を輿へよと乞ふたのか幾分曖昧を免れない楼である が、何れにもせよ吠陀讃歌中には衣服に封する要求は殆ど無いと言って良い位に鮮い。今此挙 が如何なる理由に基くかと云ふことに放ての余の怒な臆測は之を避けるけれども、かく衣服に 射する慾求が吠陀詩人に殆ど放けてゐたと云ふことは、吠陀讃歌の性質、或は成立、又は印度 舌代文化史の研究に裁て搭乗、考慮に加へらるペき一つの問題を提供すべき素材であるかも知 れない。

川 名 輩

−㍗ノ1・︵Ⅰ・軍ノ芦ひ∴竿︶ ︵コ∴芦ご ︵くご㌧に・l︰rひ・寧J ︵≡†串“・︹声ご ︵く≡.茎ご 名誉・枕頭・光疑。幸福等の要求

(34)

究折の覿生人るアニれほ現に陀吠 阿 枕頭・恩恵・好意●仁慈 芦く二=‡軍ほ・軍功・軍∵軍帽・芦︰−C・=1卜にニー≡−=−↓・K:00ひ上︵Ⅰ.︻l●芦ぐ・芦ご ︵−く・芦ご苧〓<・畢三等▲し誓芦=ご ︵く=⋮1ご︵琵−・︶︵くlI﹂.ど1・竿 =・“∴等−‡ぎ;・買付・芦伊・芦▲・芦ごーC・仁・畠㌧・串ひ・芦予芦−・声▲・買J芦ご・芦∝・ ギ・ひ・∝卜ご︵ヨⅠⅠ・て二P−¢・軍ご︵舛・璧・芦銑・軍︰C宇−声ご S・く・︵I﹂・;。・㌍ニ芋uこわ・。・長竿芦ドご︵ⅠⅠ●1.2㌍ドー.Pご.琵:↑誓畏−雫 琵写畏−警告−ドニ・=羊⋮・−亨⋮L・プロ・⋮︰ご く・S・︵Ⅰ=○〓−く・ひ〓≦巨∵こ︵Ⅰ舛・慧こ︵誓・声〓買・g、声︶︵舛掃く﹂ヱ︵舛舛辛 ぢ〓国対舛Ⅰく・皇〓村村舛5.沌︶ A・く・︵ⅠⅠⅠ・芦〓Ⅰ雪・芦〓く・ご︵卓霊∽︺彗き三︵言−㍍と︵舛Ⅰ舛●華∽−−∽∽−㍍ごU− ︵H門・霊︰監㍍︰芝㌧・芦.ご︵〆芦l−・︶ S・≠︵Ⅰ・ド﹂﹂㌧・芦誓〓Il・己・竿芝・ド。∴こ,︸.持∴・≡︼∵芦竿︶ く・巧︵掃く・誠一︶ ー 3〇 _

(35)

披三十弟 年日歩 東新改宗 M 光蕪・光・藁桑 声く・︵Ⅰ・鍔ほー・芦。・.ね・芦−・芦;・芦。・芦。・芦−・芦。⊥〓・ヤー軍帽・︼芦.∴∞写〓Ⅰく.芦−・S ご︵く・竿畏▲・芦.−・〓≦・竿鍔.。・︶︵くH・00野l。・003﹂e﹂二≦lI・野付持・声加︺︵Ⅰ舛.∽誓︶ ︵舛●裟㌧︺・芸●H−・︼怠㌧・︶ ㌍く・︵︻・=・−﹂。■*三・∽・▲・︶ ︵ⅠⅠ・己.∞.“・戸ごP−・ご﹂笠︶ つ・S・︵Ⅰゝ・喪・∞㌧ご︵Ⅰ眉竿︶︵Ⅰヂド十字︶ く・S・︵ⅠⅠ・芦〓一戸ー↓・声芦芦〓iく・㌢︶︵く日−・芦︶︵舛・声︶︵舛Ⅰ舛・三︵声舛.芦〓神 国く・−¢︶︵l︼門門づⅠ.−00﹂ヱ A・く・︵ⅠⅠⅠ・ひ︶︵くⅠ・∽00妻︶芸−霊︶︵舛Ⅰ舛.望︶ ㈹ 垂棉・章苧喜悦 R・く・︵H・声−㌦望二・笠・ひ・芳江・〓た∴芦帽・︶ ︵ⅠⅠ・芦や・芦ご︵IH﹂芋︶︵く●声−∴毒・夢中 芦。・芦=㌧帖・芦持∴等ヨ・ァ︵ヨ・芦ご ︵5Ⅰ・∽・.。・夢−・芦ご︵七日I.芦巳・〓Ⅰ舛.芦・● 冨、S、ご、﹂ド︶ _ 34 −・・・・・・

(36)

東新の群生人るすこれほ現に柁繰

閏串何に隅するもの。

之は戟等に於で、紳のカ、若くは兄ひの力に依で積極的に故に勤して勝利を得ん事を撃み或

3●土・︶︵舛●裟㌧・彗㌧ニ富・︶ S●く.︵声㌢ド竿戸EP.・∞・︰レ・00㍉・∞・2‡︶ く.∽二く.芦︶︵5Ⅰ一声︶︵舛iI●諾・︶︵回国雲Ⅰ・声︶︵舛舛舛Ⅰく・箪︶ A.メ⊥Ⅰ.竿︶︵l1.1〇.︶︵くI﹂芦︶︵く工Ⅰ・雷︶︵火HX−亡・︶ M 其他之匿顕するもの。 安垂︵R.く.iI.竿仁・ⅠⅠⅠ.芦.。・く.軍∴く丁芦.に・三L芦ご︵S・≡﹁ドニ・。・≡・巴∴忘・竿 出﹁ひ.ご竿︶︵く.∽.H舛.芦︶︵A.く.ノ、.賢くl・寧日唇﹂三三三 男気︵R●く・︷く・皆㌧・裟㌦・︶権威︵A・七・ⅠⅠⅠ・00・︶ 優越ハA.く.串−芸三宝ヱ自由︵−宗.く●たl・く亡・芦:竿芦仁よ、㌣。・声串。・軍√ 芦E・芦.ひ・芦.ひこUC﹂夢ご成功︵A●く.Ⅰ●意ロ、雲l・∝・舛l舛・忘√烹こ − 85 −

(37)

♯三才弟 年四夢 先軒数宗

H 戦 勝

R・≠︵Ⅰ・琵−・−‡︼ご㌍ギl鍔−・︼芦ジー芦︼㍉〓竺︶︵Ⅰノ、・芦︰∴㌍蔓・芦=・芦ご︵V.P ご宇美・ご一つコ・芦り∴軍︰′芦;夢.㌦・串′声“・︼三︵ノヨ・声きほ・毒㌧・ギや誌上 ︵一国●野00・琵㌧帖・︶︵舛・g・プ︼○㌣。・−諾ご S・≠︵I﹂・l・∽㌧・P−・P▲・ふ●−・竿*︶ ︵ⅠⅠ・≡・誓↓・㌍冒■竹㌫.︼‡≡.A.ご く●S.︵l・−ヱ ︵Ⅰ︸●㌫●︶ へ舛回国Ⅰノ∴諾︶ A・づ・︵日Ⅰ・①︶︵<I﹂雲言ごぷ3︶諾七二王︶三芦︼眉l望−︼諾こ一つこと.ヱ ︹X︼.つ七こ ︵舛Ⅰ冒●−■︶︵舛H︺r−∽︶

回 捕痘品

R・≠︵−≠∴芦ご︵く・芋今写︶葛iII・芦ム・芦。・声.・︶ ︵Ⅰ舛●︼竿︶ S・≠︵Ⅰ↑−・甲悼・∽・巴・。・g・等*︶︵ロー・苫∵−・巳誓琵・−‡£・竿琵一−ドー・00.㌍〓■︶ は賭博の勝利を期するものである。 − 3(1.−

(38)

究研¢瓢生人る†:れi‡現に陀吠 刑知鼓に関するもの l ヰソテルエツツは知識に関する要求は、その性質上吠陀の後期に至って始めて起ったに蓮ひ 乃 ないと言つてゐる嫉、鷺際の分布から見ると四吠陀共に之があり、梨倶吠陀に凍ても登鰹に亘 って此要求の題はれてゐることを知わ得る。 M 賭博の勝利 A●≠︵Ⅰく.運︵ヨⅠ.笠〓ヨⅠⅠ.−〇¢︶伺此外論等に於る勝利を求めたものに︵㌢己Ⅰ・芦︶

がある。

回 知寮・知識・才能

R.≠︵Ⅰ●芦︰−−・ご︵ⅠⅠ・竺ご︵Hく・軍。・軍ご︵薫声.。・︶ ︵<ロー・ひ・㌍斉料悠∴琵悠・ 諾.。・冨.ご︵<HHI・芦−持・芦−−・︶ ︵一国・担ご S●≠︵Ⅰ■諾●Pご︵ⅠⅠ・中野戸︼・︶ __・・37 −

(39)

年四第 究研数采 サ三十節 M 其偲之に顛するもの 威力︵身ht︶ま軋Cヱ︵R・く・≡l−⊥00﹂−・k∴モ・−箪︶ ︵く・rIく・PHX雲Ⅰ=三豊奥の保持︵≡r・Ⅰト1聖智の快復︵≡︰占・宗こ思想の浄 化︵く・S・Ⅰ㌍こ

﹁﹂

笹 薮庭生活匿関するもの。

之は子孫の増殖・家庭の和合出塵姦姻豪業等の′妄成功を新願する。此中子孫の拉緯は吠

陀時代の死後の生命観に接って極て重要皇息義を有するから四吠陀を通じて現ほれ然も英数に

■ 於ても最も多数を占めてゐる。其他の要求は多く阿馳婆吠陀のーnをCllなど1︶e−・に依るもの

である。

回 子 孫

A・く・︵く・琴︶︵くⅠ・−霊︶ く・S・︵只掃くⅠⅠ・ヱ ︵舛唇舛ⅠⅠ∵忘こ _ 38 _

(40)

兼併の叡生人る†これは現に陀吠 桐 婚姻に関するもの。 之には先づ婦人︵若くは男子︶の愛を得んとし︵A●<.ⅠⅠ,き芦H≠歩くⅠ・芸︶眉恵︶芸、 −〇ぞ〇亡巴︶−詣−−写・<ⅠⅠ.宝︶夢︶かくて婚姻の幸福を望み︵A・<●くi■諾︶早産或は不運なる 出産をなすことなく ︵A・<﹁七Ⅰ∵コ︶ご〇・︶安産せんことを所願する。︵A・く・Ⅰ・ご︶ R・く・︵Ⅰ・芦㌘・芝.1ほ・芝﹂−・00竺に・芦な⊥こ.に・〓ぴ・.∴こP−¢∴〓べ.ギ一事。∴芦峠ご︵HI・こ﹂“・芦 。・上戸−ご ︵ⅠⅠI﹂竿︼P十芦︼りこ ︵Ⅰく・㌢r.:し竿︶ ︵く.G等︶ ︵<lJP¢・芦−。・〓<HI﹂●。㌧㍉ .∴芦I∴芦ひ・00等芦。±くⅠⅠⅠ.G.ぷ・箪㌧・箪︶ ︵Ⅰ舛.芦プ芦−・芦■√芦。・芦土・︶︵医・芦∈・誓● 。・告㌧帽・鱒P−“・l票こ 弾≠︵Ⅰ・−・㌍ミ∴〓●竺亡●等た〓.ひ・琵・ドJ・︶ ︵ヒ.こ●等︶ T・S・︵Ⅰ・ナ▲ご ︵HI・∽﹂・︶ ︵−く●ドー・︶ <・S・︵ロ芦︶︵ⅠⅠⅠ∴芦︶︵くⅠⅠⅠ・芦︶︵火↑・代筆〓舛l−・だこ︵巴ノ、・ヱ︵舛<・㌢︶︵舛Ⅰ舛・ふ野 ひ¢︶ ︵回国・琵・︶ ︵舛巧く● lP︶ ︵舛舛くⅠⅠ.彗︶ ︵艮︺︹舛Ⅰく﹂〇︶ ︵舛掃出くHI・−蛸−琶・︶ A・<●︵ⅠⅠⅠ・持︺●︶ ︵Ⅰく﹂こ ︵くⅠ.ごーl≡−−にこ ︵七ⅠⅠ.−三 −・39 _

(41)

読三十節 年円傍 究研敦桑

国 家島の生活

家庭の生活に於ては、先つ豊かなる家庭と紀子り︵R・づ・5﹂等︶繁乗せる家庭と汁了り︵R.づ ヨ買・︶愉快にして︵R・ヨ・芦ご車両なる家庭︵R・づ・J、︸・夢ごを望み、それに依つで和合 を保たん︵A・≠ヨギヨー・琵︶ことを所願してゐる。更に家業としては、賓買に成功し︵A. ≠Ⅰロ蒜︶農業に成功せん事を念じてゐる。︵A.≠m.︼ご m生命に陶するもの。

之に生命長蕃を積極的に紳に新念するものと、滑極的に不死を勉望するものとがあるが始ら

く愛では同一の項日中に入れて諭ずる。

回 生命・長寿

声≠︵Ⅰ・−写買.・堅持・軍−・琴時・芦▲字買ご=・・ニーP芯⊥芦ご芦・ご芦芦三言 −等〓ヨ芦︼う・芦︼ご︵七戸芦よ戸.ニ‡〓5ⅠⅠ・−∞・や草書蔓㌧・〓Ⅰ舛・軍・〓舛● ・・・・・・− 40 _

(42)

究研¢新生人るナ:れは現に陀吠

阿 不 死

R●≠︵くー6ぴ.ご ︵<ⅠⅠ・ひべ・ご ︵Ⅰ舛﹂−㌢ヾ・=し へ舛.−00上 つ■S⊥Ⅰ\l㌧¢・00●ご く玩■︵賢声∴こ A・ノ1●︵く・等︶ ︵くⅠ・芦︶︵舛ⅠⅠ●坪野・︶ . 此生命に関する要求は直接人生観に関係する鹿が深いから、少しく詳細に調べて見やう。 ㌍・鷲﹂−・雲●Q㍉・霊﹂N・芸.ひ⊥彗●苧−票㌧・︶ S・≠︵Ⅰ.ドドた。・Pドド。・?−↑ご ︵ⅠⅠ■ふ.−.ヤ匝・P∽■ひーー・ご・−P。・P≡−●−・つ.PPご つ●S●︵Ⅰ・∞・.ご ︵ⅠIl●モ.・︶ ︵コr■ドー・︶ やS⊥H汁−ごヱ ︵国.詑こ︵舛ki・ヂ⊥芦︶ へ舛舛ノ1﹂ひ︶ ︵舛舛舛コ、.∽−彗・︶ へ舛舛舛ノコ・︼℃ 冨.︶ ︵舛舛舛くⅠⅠ∵忘︶ A・く・︵コ∵;−誓−慧・︶ ︵冒I﹂−−雲・︶︵Hづ﹂三 ︵つ∴芦︶︵つ︸・P沌・︼さ︶︹ヨ︸■冨・︶︵.くⅠ∃∴− 沌こ ︵舛Ⅰ舛,−柏︶琵︶霊忘l−宅−霊●︶

− 41−

(43)

攣三十各 年円終 究軒数栄 大箆吠陀に於て﹁死すべきもの﹂︵⋮号︶とー痩せぎるもの﹂︵⋮号︶とが封立的に述べらる ゝ場合には、前者は人間を云ひ後者は紳を指すのが普通である。︵e.g●R.くL.誓㌔∴岩.苫・芦柑・芦 ︰′声等−P持ひ・H・こ竿︶ま︹吠陀の諸紳は本家は死すべきものであつたのが、Ag−1iやぎi音 紳のカ、或は賢−・†洒の力に依て不死を始めて得たと云⊥ニしこほ立では別問題である。少くと も巨号と岩音が封立的に叙述せらる∼場合にほ、前者は人間を云ひ後者は紳を意味する︺

然し乍ら、中には、まま人間をして不死ならしめんことを新念した讃歌がある。上に馨る

l ㈲はその例に他ならぬ。けれどもマック‡ミューラーも言つてゐる様に、吾々の言ふi巨︼l01

邑iマを恕厳したのでは無くて単に軽く邑古=h直といふことを願ったものに他ならh仏い楼 である。伺叉、家t汁ir官許彗i訂︵l・∞﹂Jの﹁死より免れ、不死︵書号︶よら免れざらんこ とを﹂といふ所願に裁て芥e≡−ほ︼首elの読に反勤して﹁氏は吠陀に於ては絶ての一場合昌苫 の意味は唯だ単に地上に於る生命を長める癌の所願であつて天上界に於ける不死の生命を新念 ︶ ハぴ ﹀ ひ印

したものでは無い、と言つでゐるが此場合には何れの意味にも適用が出家る﹂と論じてゐ勘が

此キースの抗論は蓋し正普であらう。何者同じく、−.賢笹︵−﹂・ムごの﹁子孫を通じて昌苫を

得んことを﹂と云ふのも、死後子孫の祭式に依て長く天上界に止任し得るものと信じた結果と

ー 4:≧ _

(44)

究併の覿生人るナこれは現に陀吠 考えらるゝからである。侮天上界に於る生命の事は後に諭するから愛では、之に止めで置くが、 之を要するに吠陀詩人の此世に於る生命観は﹁百歳 ︵︸−≡ld萎︼呂どml且 の長書を得て其間に 子供が親と抒Tヮ﹂︵R・づⅠ・∞?ご﹁紳を讃歎することに依て紳に披て定められた生命を全ふし得 んことを﹂︵R・づ・Ⅰ●笠・ごといふに轟くる楼である。 回 雨 R・≠︵Ⅰ・霊.ご︵つ●芦ご︵つ︸−芦−ご︵<ⅠⅠ.芦ご︵つ︸lナ芦や︶〓Ⅰ舛●芋蔓・芦ご ︵舛・ 諾・.。㌧帽・諾㌧・︶ S●く●︵iI■∽.1.A.u・㌢−.P払・㌍ドーヾ.鴫・P−.沌.や・P㌍−﹂−ご づや︵Ii・−G︶︵舛舛ⅠⅠ・芦︶︵擁舛舛七Ⅰ・−○︶ 建 以上に述べた他の積極的要求としては、 _一−・43 −

(45)

披三十終 年四第 死所致栄

回 其 他

或は何物にても懇願するものは皆之を得せしめよ︵声⋮・芋−芦−・≦=㌍≦コ・買︶ ︵く・∝・持出・㌍こと乞ひ、又は失はれたるものを得んとし︵A・く・くⅠ・ヨ・︶宅髭の祀編を乞ひ ︵㌣く⊥、=∵言ご施行に於て良き造を得んと願ひ︵⋮・くー・芦−ひト言・雫⋮〓芸. −・ドニ・ご或は集曾の成功を斬ったもの︵A≠く亡・−ヱ等がある。 A・や︵Ⅰ≠−ヱ︵ヨ︻;︶ ︵−J ノVinte≡itヂ≡.︵︶.弓.−虻¢. ︵︼∝︶ 声l山・戸苫1.舛対日P.諾−﹂lOtP ︵︼¢︶ JO与邑aひiatiq〓e−箸−こⅠ.余−. ︵g︶ 〓●〇.Ⅵ.くOL−旋.−﹀.H00.nOF

第二節 滑極的要求

ー 44 −

(46)

究折の鰹生人るナこれ11現に陀吠 ︺ 鰐 保護と助け 愛には、それが何からの保護や助けを願ったのであるか、封象の明かで無い湊然たる一般的 の単なる保護と助けを馨げる。助け︵︼−el−︸もi︹ニre〓ef.︶は此場合今日の発達した宗教に於ける 救済の意味とほ異り、その意識内容に於ては、日常生活の安争ぎ期する保護の祈念と一致すべ きものと息ふ。 吠陀に現はるゝ消極的要求は、その全部を紳 ︵若くは謬Ⅰ音こ の保護或は助けに一括して

論じ得るだらうけれど、此慮では暫らく、それよら保護する可き封象物に従って便宜第一の場

合と同じく之を類別して見る。

H 保 護

R・≠︵Ⅰ・.芦仇㌧♪芦・ヶ竃㌧帖・軍¢・芦り・蔓−・。・芦。二こ‡〓ド・。ご箪ひ・−芦ご軍:ミ±ⅠⅠ. 雫︶︵Ⅰロ聖書二iく・竿−・挙.㌦・芦ご︵<﹂竿芦ひー∴声ご︵≦﹂写・−だ。▲〓火﹁︺∴・ 声︼じ−芦り・芦−帖・芦▲・芦ヒ∴−ひ●¢⊥挙ご ー・4∂ _

(47)

♯三十罫 年内欝 生餌改宗

M 助け

R.声︵Ⅰ.戸羊∴〓.関・琵・3㌣︼き︼芦−ニ芦−ごヨ﹂・〓H﹂‡軍。・芦・:等︶︵ヨ竿 g㌧−・芝●ご.︵くⅠ■隻●¢・∽P−持・00∽・ひ・00P十︶︵つ目Ⅰ・蓋㌧帖・父て・琵︶ ︵Ⅰ舛﹂P¢・−〇二ご︵舛・等 等上 野づ.︵Ⅰ■∽●巴●。・㌍ドドー・︶︵ⅠⅠ−−●Eu㌧h〓.空﹂・ご.た・ゴ00◆㌍・↓●加●P−・2●−Pご づ津︵回国Ⅰ↑︶︵舛舛づロ↓一︶ 弾く●︵Ⅰ■=ゝ−N・ドl●ミ・ドー●か●−・n・ふ●=・宝〓ⅠⅠ・E・?∴ご・−00㌧・PP00・ひ▲Pド苓㌦・コ・て・↓・Pモ・ P。●ニ●ご T,S●︵Ⅰ●P−ご︵Hく●−﹂−・︶ ≠S・︵ⅠⅠ・−3︵Hローご︵H≠−︶−瓜・︶ ︵掃く・−ひ︶ ︵舛づH・ご・︶︵舛<ⅠⅠ・畠︶念・︶ ︵回国・こ・怠︶ 芝・︶ ︵舛舛づHH●£●︶︵国〆Ⅰ舛・畠・︶︵舛舛舛lIH・g︶︵回国HHく・諾︸望︶︵舛舛舛七・軍︶ A●≠︵Ⅰ●P“・誓■昔・∽○●誓●︶︵iI・−¢︶︵く・㌍≡P︶ ︵≦∵‡七︶岩ゝ○ご︵舛Ⅰ舛﹂きーご∞−−忘○− 誓−旨−望︸冨.g●︶ − 46 −

(48)

究析¢鍵盤人るナこれは現に陀橡 四 散或は戦争に於る保護 之は積極的に戟膵を所願するもの︹Cこと相即不離の関係に在るもので、資際讃歌中に於て も雨着が混在して居る場合が少くない。 R・く・︵Ⅰ・竺。・慧・。∴芦.ひ・芦。・−芦¢こ︵ⅠⅠ.−ド眈・諾㌧・M声・−・〓臼Ⅰ■芦ご︵く.芦ご︵くl・芦−・ 芦︰羊芦−柑・芦−プ諾・ご ︵くⅠⅠ●声.・芦帽l・夢持・Gご∞−﹂∴芦伽・血声ご︵.く一声−00・¢︼ご・芦−・ 怠㌧−.芦一昆・雪・芸・箪。・霊・ご ︵Ⅰ粥.竿芦帽・∴可竿芸.に⊥こ等︶︵舛∴完二・芦︼・声.帽・lO写 −○∽﹂怜⊥砦・。・−諾●柏・二l∵︶ ア﹂.・;・ド=・ひ篭∴こ﹂.;∴r柏・ドひ・Pドた・㌢ドP予ふ.−.モ・P.ド㌢いこ ︵コ・ドー・ド.・ヾ∴〓・00・プ鱒桓津 ︰∴ ナ︼.二・組↑箪−・P柏.一時.ア ン﹂.悼.q● か.1.㌍00.ひ﹂.ヤー一睡.ひ.ド;−−P−.P−・戸沌.忘.持・ソ沌ム.持・↓.㌢蛸〇.ひ・ 声ニl享竺㍍㌧・P∽・∽㌧∴r∽・て、怜・P∽・P.・︶ 巧・S・︵i≠帖・混・㌍6・︶

<・切・︵声M声︶つ1Ⅰ・こ ︵くlII∵ぶ圭こ ︵HIII●−ヱ︵、宍く●−︶エ︵舛くⅠⅠ・軍︶︵舛舛・琵・︶ A・≠︵<HI・望も悼も関︶冨︶−Ⅰコ●︶︵舛Ⅰ●ヱ ︵舛Ⅰ舛.票・︶

(49)

読三十集一年四夢 先軒数宗 m 苦痛困難不幸等より克るること。

何 苦痛・国難

R・く∴Ⅰ・−等ち・芦。・芦−二声∴芦。∴C竿︼箪.:00聖j−筆〓Hく.芦ご︵く.等〓≦ −誓︶︵くⅠI﹂㌧・−豊∵竺ン∽卒ご︵≦Il﹂等;・二H・芦−・芦に・芦−持∴箋・︶ 野≠︵H・ニ・だ∴こ↑二︵ⅠⅠ・琵.写PE誓声望.ご べ・坪︵Ⅰ・ド︼ご ノ1・∝・︵Ⅰ舛・−ヱ︵舛牢′ご=こ︵H対空lI.芦︶ ︵舛舛舛Ⅰく・5・︶ Aく二I﹂言烹こ︵ⅠI﹂00、−ヱ︵Ⅰ冒・−−ご︵Ⅰく・−苫芸ごこ〓ノ、.こ︵ノ、、1.ヱ︵一己﹂㌢ −000・ごP︶ 伺敵の行へる供犠の無数になることを望み︵A・≠5Ⅰ・芦︶或はそのカの破壊することを斬 ってゐる。︵A・﹂1・<目・苫●︶ 一 利i−−∼

(50)

究防の劉生人るナ:れl‡現に陀吠 ︺ 笹 神の怒或は危喜の加はらざること。 −二戸︵Ⅰ・等ご葦−芦=⊥畢:芦・7ご︵≡.試.ご︵く.牢∴︶︵≦∴た。・芦−・〓くl〓・︺・ 芸・¢・〓ヨiI・声−・声伽∴亨〓声に等芦に・芦。∴芦㍉−箪ご 坪ノ、∴lI・ド慧∵∞.−.∽.ご 声く・︵︼・軍∴挙ニーP空・︶︵ⅠⅠ・声−・︶︵≡.声ご︵−く.寧−。・〓く.声ひ・串ご︵くI1.−㌢ご 回 不亨軍曹恐怖晶滅・危険 ︵<ii−・−竿・・モ・︶︵Ⅰ㌍;畏︶︵〆に竿声ご 笹く・︵Ⅰ・・こ・−・。・00・慧・ご︵Ⅰ︻・芸.−・“・≡.−〇・∴ご.−誓︶ ドS・︵Ⅰ一戸柁ご く・聾︵Ⅰく・lヱ︵く■ヱ二束l舛.箪〓、折柄≦︷.ニー︶︵持回−舛.芦︶ A・く・︵くlr−S.︶ A・く・︵くl−﹂こご _ 49 _.......・_

(51)

沸三十串 年四夢 先軒数采

悪魔・悪鬼。魔法・害悪よりの保護、

≡ごⅠ・芦ニ㌧ひ去・芦=ノJ∴雪〓ノ声−㌧J︵ノ貞・畠・・8ご︵Ⅰパ・⋮三省芦1軍ご ㌍く・︵Ⅰ・ご・ドご︵Ⅰ‡・ふ↑、ご沌り。∴.買柑・冨.‡︶ T・㌍︵Ⅰ・∞●琵・︶ つ・笹︵5IH・芦〓Ⅰ舛1こ︵持回一回.芦︶ A・ノごH・妄至︵ⅠⅠ・ごき=主鳶J〓芦P︶︵Ⅰく﹂〇七違−だC裏り岩〓つ.−タl言﹀ 華エ・︶︵芦ぎ∽佗七三︵く︳コ・ぎ享〓舛.1.︶︵舛Ⅰ擁.岸芦︶ つ・S・︵サド−。・︶ Jl・S・︵Ⅰニぢ・=宇島−声=Ⅰく・P〓つ∴置︶︵5Ⅰ・曇︵≦−Ⅰ・曇︵誓=ヱ︵貿. こ︵回国Ⅰづ.3.︶ A・≠︵i・−○、夢︶︵司︷■畠モ.︶ 悪徳●呪より免れんこと。 ー 50 −

参照

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