自律的英語学習のすゝめ
冨 永 英 夫
今日のお話のタイトルは、「自律的英語学習のすゝめ」ですが、その中の 「自律的」という言葉について、少し説明が必要かもしれないですね。この語 は、いろいろな解釈の仕方があるようなので一概には言えませんが、似た表現 である「自立的」という言葉と対比して考えるとわかりやすいかもしれません。 「自立的」というのは、文字通り、「自分で立つことができる」ということで、 他人に依存しないで自分でやっていけることを意味し、主に経済的な自立を指 す場合に使われることが多いように思います。それに対して、「自律的」とい うのは、「自分で律することができる」ということなのですが、「律する」とい うのが少しわかりづらい言葉なので、理解するのが難しいのですが、「律」と いうのは「法律」の「律」で、規範や規則のことですから、自分が決めた規範 にしたがって進んでいけるということを意味していて、主に精神的な自律を指 すことが多いと思います。英語で言うと、定まった訳はないのかもしれません が、「自立的」は、“self-standing”、一方「自律的」は、“self-directing” とでも 言ったらいいでしょうか。また、「すゝめ」とありますが、「く」を逆さまにし たような文字は、同じ文字を繰り返す場合に使うのですが、「奨める」という 動詞の連用形が名詞化したもので、「奨励すること」を意味します。知ってい る人もいると思いますが、江戸時代の終わりから明治時代にかけて活躍した人 で、福澤諭吉という啓蒙思想家がいます。慶應義塾大学の創設者としても有名 ですが、まあみなさんには、一万円札の肖像画の人と言ったほうがわかっても らえやすいかもしれませんね。その偉い人が『学問のすゝめ』という本を書い ているのですが、それをまねてつけてみたのです。『学問のすゝめ』という本 は、正直に言って、私もきちんと読んだことがないのですが、私の理解では、 一言で言って、「立身出世したければ勉強をしなさい」ということを説いた本 と言えると思うのです。「なんだ、そんなの当たり前じゃないか」、と思うかも しれませんが、時は明治時代で、まだまだ封建社会の名残があって、農民の子 は農民に、職人の子は職人になるしかなかった時代なのです。それを福澤諭吉先生は、「世の中は変わったのだ。誰でも勉強すれば、好きな仕事にもつける し、出世することもできる」と主張したわけです。これは、本当に画期的なこ とで、しかも出版物でそれをやってのけたのは、福澤先生も偉いけれども、そ れを理解して受け入れた人々もかなり偉いと思いますね。それだけ当時の日本 人の民度と言ったらいいでしょうか、知的レベルが高かったということの証明 ではないでしょうか。 話は、少し横道にそれましたが、「自律的英語学習のすゝめ」というのは、 要するに、自分の意志で、自分の考えに基づき、自分の力で英語を学習するこ とを奨めます、ということです。今までは、おそらく受験に必要だったという 理由で英語を学習してきた人がほとんどではないかと思いますが、もちろんそ れを悪いと言っているわけではありません。英語教育において、よく受験勉強 の弊害などと言われ、「大学の入試問題が偏っているから高校までの英語教育 がおかしくなるのだ」などと批判されることがありますが、では具体的にどの ような試験方法があるというのでしょうか。また、「いっそのこと、受験科目 から外してしまえば、もう少しまともな英語教育ができる」などと主張する人 もいますが、それで本当にみんなが英語を勉強するでしょうか。私は、そう いった意見に否定的です。もちろん、今の受験のあり方が決してベストなもの だとは思いませんが、現行の学校教育の制度の中では、それなりに意義のある ことを行っていると思っています。ただ、これからは試験に合格するためとか というのではなく、自分のために英語を勉強してほしいと思うわけです。みな さんは、なぜ英語を勉強するのか、あるいはなぜ英語を勉強しなければならな いのか、と言うほうがいいでしょうか、そんな問いについて考えたことがあり ますでしょうか?先ほども言いましたように、多くの人は、「受験があったか らです」と答えるくらいではないでしょうか。今問われた場合は、「就職に英 語力は絶対に必要です。企業も高い TOEIC の得点を求めているではないです か」と答えるでしょうか。いずれにしましても、外からの要因で、つまり社会 がそう要求しているから、いやいやというと言いすぎかもしれませんが、仕方 なく英語を勉強しているのではないでしょうか。もちろん、何かの目的のため に、自分から進んで英語を勉強しようとしている人も、これだけの人数ですか ら、またなんといっても、ここに集まっている人は英文の学生ですから、中に はそういう人が何名かはいるもしれませんが、あまり多くはいないのではない
かと思います。しかし、社会が要求するから英語を勉強するというのは、裏を 返せば、社会が要求しなければ英語を勉強しない、ということになりかねませ ん。実は、日本にも、そう遠くない昔にそういった社会があったのをご存じで しょうか。この講演会のチラシに掲載した要旨に「かつて日本には、英語のこ とを敵国の言語と言い、学習することはおろか、使用することすらも禁じられ た時代があった」と書いたのですが、それを見た私の3回生ゼミの一人は、「江 戸時代のことですか」と聞いてきたので、少し驚きました。「敵国」と書く代 わりに「鬼畜米英」とでも書けばよかったかと思いましたが、それでもわかっ たかどうかはわからないですね。「かつての日本」とは、もちろん第二次世界 大戦当時の日本のことです。しかし、そう書いても、「第二次世界大戦って、 いつの出来事ですか」と言う人もいると思いますので、本当に話がしにくい時 代になったなあと痛感する今日この頃なのです。もっとも、それは、別の言い 方をすれば、私が年を取ったというだけのことかもしれませんが。 また、話が脱線しましたが、社会に合わせて発言したり、行動したりするこ とは、それ自体とても合理的な判断にも思えますが、社会が常に正しいとは限 らないのです。第二次世界大戦当時の日本の社会も間違っていたのです。した がって、社会の要求を無批判に受け入れて、英語を学ぶべきかどうかを決める のは、非常に危険なことと言わざるを得ないのです。では、なぜ英語を学ぶの でしょうか?この問いに対する答えは、人それぞれであっていいと思います。 今から述べることは、あくまでも私の考えで、みなさんはみなさんなりの考え にしたがって答えを見つけてもらったらいいと思いますが、私は、英語を学ぶ のは、よりよい社会を作っていくために必要であるから、と思うわけです。つ まり、社会が要求するからそれに合わせて英語を勉強するという、受け身の態 度ではなく、自分が未来の社会を作っていくために、それもよりよい社会を 作っていくために英語を勉強するのだという、積極的な態度で英語を学んでほ しいということです。英語を学ぶことによって、日本語とは違ったものの見方 や世界を知ることができるのです。また、英語を学ぶことによって、多くの情 報を入手したり、発信したりすることができるのです。そして、その結果、素 晴らしい社会を作っていくことに貢献できるのです。 自律的英語学習の5か条を以下に示したいと思います。
1 なぜ英語を勉強するのかという問いに対して自分なりの答えをもつこと 2 今の自分の英語能力を自覚すること 3 各人各様の中期・長期的な英語能力の到達目標を設定すること 4 自分の志に基づき、目標に向かって地道に勉強を続けること 5「今の自分」は変化するので、それに応じて目標設定を変えること 1については、もうすでに述べました。私なりの意見は披露しましたが、み なさんなりに考えてみてください。2ですが、学習するということは、スター ト時点を把握し、そこからどれだけ向上できるかが問題になりますが、まずは 今の自分の英語能力を自覚することが大切です。あまり英語ができないからと 言って悲観することはありません。みなさんは、まだ若いのです。これからい くらでもその能力を伸ばすことは可能です。逆に、少しくらい英語ができる (と思っている)人は、それに慢心せずに、今まで以上に頑張って、とにかく 根気よく英語学習を続けてください。自分はちょっとできると思って努力を怠 ると、英語能力は決して伸びません。それどころか、あっという間に衰えます。 昔、と言っても、今から2,500年くらい前ですが、古代ギリシャ時代にソクラ テスという哲学者がいました。彼は、「無知の知」という言葉を残しています が、何も知らないということを知ることの大切さを説いています。みなさんが 何も知らないとは言いませんが、英語能力に関してはまだまだ発展途上なので す。ですから、まだまだ知らないと思って学習を続けることが大切なのです。 次は3についてですが、その話は後で詳しくさせていただきたいと思います。 一つ飛ばして、その次の4についてですが、これは当たり前のことですね。簡 単に上達する方法などはないのです。テレビなどで、聞くだけで英語がペラペ ラになるという謳い文句で宣伝をしている教材がありますが、それで本当にそ うなるのだったら苦労はしませんよね。もし、そんな方法があったらぜひ教え てください。5についても、言うまでもないことで、これも省略します。 さて、3についてですが、各人が、目先のことにあまりとらわれず、自分の 中期・長期的な目標を持つことはとても重要です。目標なしには、決して学習 は成立しません。そして、その目標は、絶対的なものでなく、各人が自分に 合った目標設定をすればいいのです。企業が TOEIC の730点を要求しているか ら730点を目指すとかいうのではなく、自分の考えに基づいて、自分の将来計
画に合った目標を設定することが大切です。しかし、それを考えるのはなかな か難しいですね。そこで、一つの喩を紹介したいと思います。カレーを作ると きの喩です。これは、甲南女子大学の梅原大輔先生がよく用いる喩なのですが、 英語学習はカレー作りに似たところがあり、「英語学習はカレー作りである」 というメタファーを検討してみましょう、ということです。メタファーとは、 日本語で隠喩と言うのですが、「人生は旅である」のように、抽象的な語(概 念)をより具体的な語(概念)で説明する比喩の一種です。メタファーについ て詳しく知りたい人は、3回生になるときに私のゼミを選んでいただければと 思います。カレーを作りのパターンには、大きく分けて3つのタイプがあり、 実は、英語学習の目標を設定するときのヒントになると思うのです。 1 レトルトを温める 2 ルーを使う 3 スパイスから調合する 最近のレトルトカレーは本当によくできていておいしいですね。私も、時間 のないときなど、ちょくちょく食べます。お湯を沸かして、その中で温めるだ けで作れて、簡単でこれで十分だと言う人もいます。しかし、これでは、カ レーを味わうことはできても、決して本当の意味でカレーが作れるようになり ません。ましてやカレーという食べ物の本質はまったくわかりません。英語学 習でいうと、状況に応じた英会話を学ぶ程度と言ったらいいでしょうか。ホテ ルのチェックインの時に使う表現について学んだり、レストランで使う表現を 学んだりするレベルです。特定の状況では通用するかもしれませんが、それ以 外の時には使えませんし、応用がききにくい学習の仕方です。このような英語 の学習は、わざわざ大学に入ってまでしなくても、『旅行で使える英会話集』 を買って覚えればいいのです。あるいは、最近では、スマホでもやってくれそ うなことです。 二つ目は、ルーを使ってカレーを作る場合ですが、このときは、材料の準備 をしなければなりません。また、そもそも料理の手順を知らないとできません。 まず材料ですが、どのようなお肉を使うかを決める必要があります。関西で肉 と言えば、牛肉のことですが、関東では豚肉のことを指します。一般的なカ
レーのルーは、このどちらかを使うことを前提としていますが、それを決めな いといけません。そして、次は野菜です。定番のものは、玉ねぎとジャガイモ、 そしてにんじんでしょうか。どれくらいの大きさに切るかも大事です。それに よって、随分と味が変わってきます。そして、油を敷いて、どの順番に炒めて いくか、これも味に大いに関係します。あとは、水加減ですね。多すぎても少 なすぎてもいけません。そして、どのくらい煮るか、またどのタイミングで ルーを入れるか、これは意外に知られていないようですが、とても重要です。 基本的には、ルーが味を決めてくれて、だいたいはおいしく仕上がりますが、 それでも今述べたような手順をきちんと踏まないと、失敗することもあります。 私は、大学に入学するまでの英語学習は、とりあえずは、これくらいのレベル を目指したらいいのではないかと考えています。カレーの作り方の基本は学び つつも、すなわち基本文型や基本的な文法事項は習得するけれども、ルーの中 身は何かといった細部にはこだわりすぎない、とにかくある程度の味のカレー を作ることができればよい、といった程度でよいのではないかと思います。つ まり、あまり文法的に正しいとか間違っているとか、細かいことを言いすぎな い。これくらいのレベルがちょうどいいのではないかと思います。 三つ目ですが、スパイスから調合して作る場合です。これはかなり本格的で たいへんです。数十種類あるいはそれ以上あるスパイスから、どれをどれだけ 使うか、これはどういった具材にするかによっても変わってくると思いますが、 どのスパイスをどういった比率で合わせるか、これは味を大きく左右します。 肉を入れるのか入れないのか、野菜だけのカレーもとてもおいしいですが、決 めないといけません。ルーで作るカレーの場合は、牛肉か豚肉を使うのが一般 的だと言いましたが、本格的なインドカレーには、このどちらも入りません。 これはインドでの場合ですが、インドにはヒンドゥー教を信仰している人が確 か8割くらいいて、そもそもどんな肉も食べない菜食主義者が多いのですが、 ヒンドゥー教では、特に牛肉と豚肉は食べてはいけないことになっているので す。牛肉は、牛が神聖な動物であるからという理由で、豚肉は、豚が不浄な、 すなわち汚い動物であるという理由からです。肉を入れるとすれば、鳥肉で しょうか。そして、野菜はさまざまなものを使います。スパイスの種類と量、 そしてどんな野菜を使うか、その組み合わせだけでも数え切れないほどあり、 各家庭には、各家庭の味があると言われます。今から30年くらい前までの英語
教育は、スパイスから作るカレーに相当し、文法がとても重視されていて、か なり高度なことが高校のレベルで教えられていたと思います。その結果、一部 の英文法好きのマニアックな人にはとても相性のいい学習方法で、そういった 人たちは成績を上げて、英語の先生になるということも多かったように思いま す。しかし、そういった勉強の仕方が苦手な人にとってはあまりいい学習方法 とは言えず、いわゆる「落ちこぼれ」と言われる生徒を多く作ったのも事実で あると思います。確かに、英文法が得意でない人は、英文法がわからないため に英語が嫌いになり、英語を敬遠するようになるので、ますます英語がわから なくなるという悪循環を起こすのだと思います。とにかく、最初からあまりに も専門的過ぎることを生徒に押しつけるのは考え物です。こういった英文法を 重視した学習方法は、ある程度の英語を学んで、運用能力も身につけた上で、 さらにレベルアップするときに必要な学習の方法で、少なくとも大学に入って からか、あるいは、さらに大学院に進学してからとか社会人になってからでも 遅くないと思います。 そこで、問題は、みなさんはどのレベルを目指したらいいのかです。すでに お話ししましたように、みなさんは大学生ですから、レトルトパックのカレー で満足することはやめましょう。つまり、とにかく英語が使えればそれでいい、 特定の状況で通じればいいというのではだめだと思います。学習の仕方でも、 与えられた教材で言われた通りに勉強するだけでは、自分で考えて工夫すると いうことがほとんどないので、英語力はあまり向上しません。したがって、少 なくとも、ルーを使ってカレーを作るくらいのレベルは目指してほしいと思う わけです。ルーを使ってカレーを作る場合は、先ほどもお話ししたように、材 料を用意したり、調理の手順を変えてみたり、いろいろと考えて工夫すること ができます。英語の学習の場合も、例えば、授業中などで使われる教材を先生 に言われたままにこなすだけで満足するのではなく、そこから自分なりにいろ いろと考え、発展させて、英語の本質に少しでも迫ってほしいと思います。そ うすることによって、みなさんの英語力は大きく伸びることでしょう。そして、 さらに上を目指す人は、スパイスから作るカレーに挑戦してください。ここか らは専門的な領域になりますが、この時点からは、英文法が大きな役割を果た すようになります。 多くの人にとって、英文法は、わずらわしく感じるもので、悪いイメージが
あると思います。それは、おそらく、英文法は一つしかなく、固定的なもので あって、わけもわからず暗記することばかりさせられ、それに反すると間違っ ていると言われた嫌な経験があるからだと思います。しかし、本来は、英文法 はそういうものではないのです。みなさんは、文法を表す “grammar” と魅力 や魔法といった意味を表す “glamour” の語源が同じであることをご存じでしょ うか。詳しい内容を知りたい人は、英語学の授業などを受講していただきたい のですが、簡単に説明しますと、中世において、読み書きがごく一部の人にし かできなかった時代、ヨーロッパの知識層の共通の学術用語であったラテン語 を学ぶために、文法は一番手っ取り早い方法であったということです。つまり、 膨大な量の文章を何十年もかけて読むことを通して経験的に学ぶ知識を、先人 たちの知恵の蓄積である文法を学ぶことによって、比較的短期間に習得するこ とができ、そのおかげで魔法のようにラテン語の文献が読めるようになったの です。すなわち、文法は、いわば秘法のようなものであったわけです。英文法 もまったく同じであって、私たちが英語を読んだり書いたりする際に、またも ちろん聞いたり話したりする際にも、私たちを助けてくれる本当に強い味方な のです。基本的な英文法を身に着けているだけで、辞書を片手に、世界中の英 語が通じるところでコミュニケーションをとることが可能なのです。 それと、英文法でとても大事なことは、それがどこかに書籍みたいな形で存 在しているものではないということです。本質的に、英文法は、英語を使用す る人、一人一人の頭の中に存在するものなのです。英語のネイティブスピー カーの頭の中にも、私の頭の中にも、みなさんの頭の中にもあるのです。もち ろん、完成度と言ったらいいのでしょうか、体系性の度合いがネイティブス ピーカーと私たち、ノンネイティブスピーカーの間では、大きく違います。ま た、私とみなさんとの間でも多少は違います。しかし、誰一人として、頭の中 に完全な英文法を持っている人はいないという点が重要で、みんな、ネイティ ブスピーカーもですが、仮想の完全な英文法の完成を目指して、英語と接しな がら英文法を体系化しているということなのです。実は、自律的に英語を学習 するということは、このことと大いに関係があります。自律的に学習する方法 の一つとして、英語を使用する際に、今までは見えなかった隠れた規則に一つ 一つ気づいていくこと、すなわち英文法を発見することがあるわけです。この 発見は、今まで誰も気づかなかったことを大発見するというような類のもので
はなく、それまで自分が知らなかった規則に気づくということなのです。ここ で重要なのは、この作業は、誰か神様のような絶対者によって与えられた固定 的な英文法を丸暗記するという退屈な作業とは正反対の、とても創造的な作業 だということなのです。そして、言葉は日常の生活に使うものなので、普段の 体験が言葉の規則に反映しているということがわかっています。では、これか ら具体的に英文法を発見するということはどういうことか、それがわかってい ただける実例を示すことで、今日のお話を締めくくりたいと思います。 脳 科 学 の 分 野 で、「 ア ハ 体 験 」 と い う 言 葉 が あ り ま す。 英 語 の "a ha experience" を訳したものですが、答えがわかった時の「ああ、そうか!」とい う体験のことで、それまでの緊張が解けて、同時に大きなよろこびを感じる心 の動きのことです。そのような感覚を体験することで、関係する脳の回路を強 化することができ、わからなくてもじっくりと考え、ひらめきを育むことの大 切さを楽しみながら学ぶことができるとされています。英文法では、こういっ た体験を「気づき」と地味に控えめな言い方で呼んでいるのですが、今日はみ なさんに「気づき体験」をしていただこうと思います。いろいろな気づきに関 する体験はあろうかと思いますが、その中でも隠れた規則性に関する気づきの 実例を紹介したいと思います。 次の二つの英文を見てください。そして、違いを見つけてください。 The man shot the tiger.
The man shot at the tiger.
私たちは、「近いものは大きく影響を受ける」という日常の体験をしています が、実は、そのことが言葉の規則にも影響しているということがあります。こ の二つの文の違いは、文の中に “at” があるかないかですね。最初の例文には ないのに対して、二つ目の文にはあります。少し英文法を勉強した人なら、最 初の文では、動詞の “shot” は、他動詞で目的語に “the tiger” をとっているの に対して、二つ目の文では、動詞の “shot” は、自動詞で “at” の力を借りて と言ったらいいのでしょうか、“at” をはさんで、厳密には “at” の目的語とし て “the tiger” をとっています。一般に、表現形式が少しでも違うと、意味は 必ず違ってきます。したがって、この二つの意味は違うのですが、どう違うで
しょうか。少し考えて見てください。違いを次に示します。 The man shot the tiger.
その男は、トラを撃った。(つまり、トラを仕留めた。) The man shot at the tiger.
その男は、トラに照準を合わせて撃った。(つまり、トラに対して発砲した というだけで、命中したかどうかは定かではない。)
どうしてこのような違いが出てくるのでしょうか。一つの説明として、“shot” と “the tiger” との距離の違いと言うことができます。すなわち、最初の文では、 “shot” のすぐ後に “the tiger” があり、近いのに対して、二つ目の文では、“at” をはさんでいるので、その分だけ “shot” と “the tiger” との距離は遠いと言え ます。一般に、近ければ影響は大きく伝わると考えるのが自然なので、最初の 文では、“shot” という語の意味内容である「弾丸を発射する」という行為の影 響が強く伝わるということは、放たれた弾丸がトラに命中するということです。 一方、二つ目の文では、“the tiger” は “at” の目的語であるので、“shot” は直 接 “the tiger” に影響を与えず、その方向に向けて発射しただけで、命中した かどうかはわからないのです。
次に示した例文も同様の話です。違いを考えてみてください。 Elizabeth prepared the exam.
Elizabeth prepared for the exam.
最初の文では、動詞の “prepared” は、目的語の “the exam” に強く影響を与え るのに対して、二つ目の文では、前置詞の “for” が間に入っていて、動詞の “prepared” は、“the exam” にあまり強い影響を与えません。
Elizabeth prepared the exam. エリザベスは、試験を準備した。 Elizabeth prepared for the exam.
つまり、最初の文では、エリザベスはおそらく先生で、試験問題を作成した、 と述べているのに対して、二つ目の文では、エリザベスは生徒で、試験勉強を したと述べているのだと思われます。 では、次の文は、どうでしょうか。違いがわかりますでしょうか?高校まで は、違いというよりは、この二つの文は基本的に同じ意味で、書き換え問題な どに出てくるものですね。
William heard Kate play the piano well.
William heard that Kate had played the piano well.
大学に入ってから、英文法の授業でも習ったと思いますが、最初の文は、 “William” が S(主語)、“heard” が V(動詞)、“Kate” が O(目的語)、“play the piano well” が C(補語)の SVOC(第5文型)ですね。一方、二つ目の文は、 “William” が S(主語)、“heard” が V(動詞)、そして “that Kate had played the piano well” 全体が O(目的節)の SVO(第3文型)です。しかし、これらの文 は、本当はかなり意味が違っています。
William heard Kate play the piano well.
ウィリアムは、ケイトがピアノを弾くのを聞いた。 William heard that Kate had played the piano well.
ウィリアムは、ケイトがピアノを弾いたということを聞いた。
つまり、最初の文では、動詞の “heard” と目的語の “Kate” および補語の “play the piano” の距離が比較的近くて、動詞は、目的語と補語に強い影響を与える のに対して、二つ目の文では、動詞の “heard” の目的語は、この場合、接続 詞 “that” に導かれている目的節なのですが、それは、言わば、島のように独 立していて、動詞の “heard” は that 節内の主語名詞句である “Kate” と動詞句 である “had played the piano well” にあまり影響を及ぼすことができないのです。 したがって、最初の文では、「ウィリアムはケイトのピアノ演奏を直接聞い た」ということを意味しますが、二つ目の文では、「ウィリアムはケイトがピ アノを演奏したという話を聞いた」ということを意味します。
次に示す文も、同じようなことが言えます。違いがわかりますでしょうか。 Charles saw Diana die in the hospital.
Charles saw that Diana had died in the hospital.
次のように、言葉を補うと違いがわかりやすいかもしれませんね。 Charles saw Diana die (in her room) in the hospital.
Charles saw (in the newspaper) that Diana had died in the hospital.
つまり、最初の文は、「チャールズは、ダイアナが死ぬのに(彼女の部屋で) 立ち会った」という意味なのに対して、二つ目の文は、「チャールズは、ダイ アナが死んだことを(たとえば新聞で)知った」という意味になります。 話は、段々と難しくなってきましたが、ついてきていただいていますでしょ うか?最後に、もう一つだけ面白い構文を取り上げたいと思います。次に出て くる、“load” という動詞は、「積む」という意味を表します。
George loaded hay into the wagon. George loaded the wagon with hay.
「干し草をワゴンに積む」という日本語を英語にした場合、このように二通り に表現できますが、これらの文は、どう違うでしょうか?ヒントは、最初の文 では、動詞の “loaded” に近いのが “hay”(干し草)で、二つ目の文では、“the wagon”(荷車)です。もうわかりましたね。この場合も、動詞が近い目的語 に強い影響を及ぼすと考えると、最初の文では、干し草が強い影響を受けると いうことになり、干し草をどこかに、この場合は荷車にですが、積むことを意 味します。一方、二つ目の文では、荷車が強い影響を受けるということは、荷 車を何かで、この場合は干し草ですが、満杯にすることを意味します。した がって、最初の文は、「ジョージは干し草をその荷車に積んだ」という意味に なり、必ずしも荷車を満杯にしなくてもいいようなのですが、二つ目の文は、 「ジョージはその荷車を干し草で満杯にした」という意味になるようです。
次の例文も同様の話ですから、みなさん考えてみてください。 Henry sprayed paint on the wall.
Henry sprayed the wall with paint.
最初の文では、「ペンキが吹き付けられる」ことが重要で、壁に少しでもペン キが付着すればよいのに対して、二つ目の文では、「その壁(全体)が吹き付 けられること」が重要で、壁一面にペンキが吹き付けられなければなりません。 ということで、文の意味は次のようになります。面白いことに、日本語でも同 じことが言えるのではないかと思いますが、みなさんはどうお考えでしょう か?
Henry sprayed paint on the wall.
ヘンリーは、壁にペンキを吹き付けた。 Henry sprayed the wall with paint.
ヘンリーは、ペンキでその壁(全体)を吹き付けた。 ちょっとした「アハ体験」はいかがでしたでしょうか?一般に、近いものに 対しては強い影響を及ぼすことができるという体験をわれわれがいつも経験し ていることから、言語表現上でも、要素同士の距離の近さの違いによって、意 味内容の違いが生じることをみました。つまり、近接性というルールを設定す ることによって、統一的な理解が可能になったのです。これがまさに文法化の 過程であって、こういったことを繰り返すことによって、私たちの頭の中に英 文法が形作られていくのです。今度は、ぜひみなさん自身が英文法の規則を発 見してみてください。長い時間、ご清聴ありがとうございました。 [ この文章は、平成27年度武庫川女子大学英文学会春季大会の講演に基づく ものである。]