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風土論的アプローチによる総合的な環境教育カリキュラムの研究

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風土論的アプローチによる

総合的な環境教育カリキュラムの研究

(課題番号:1

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)

平成

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年度

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科学研究費補助金

基盤研究

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研究成果報告書

平成

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研究代表者

岸 本 実

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学教育学

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助教

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風土論的アプローチによる

総合的な環境教育カリキュラムの研究

(課題番号:

1

2

6

1

0

2

5

6

)

平成

1

2

年度

平成

1

5

年度

科学研究費補助金

基盤研究

(

C

)

(

2

)

研究成果報告書

平成

16

3

(March 2

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0

4

)

研究代表者

岸 本 実

(滋賀大下教育学部助教段)

(3)

まえがき

自然をどう見るのかについては、主体と客体という観点、から考えると、次の

3

つの見方がある。 ひとつは、自然を客体化してとらえる、テクノロジー的見方である。自然をモノとしてとらえ、 人間にだけ意味のある目的にかなう道具として扱う見方である。ふたつめは、自然を主体化して とらえる、ホーリズム(全体論)的見方である。環境の保護のために、自然の権利を主張し、自 然を権利の主体と見なすのは、この見方である。そして、みつつめは、自然を、客体と主体の相 互関係によって構成された現実と見る関係論的な見方である。主体と客体の相互関係によって空 間と時間の中に構成されるという次元で自然をとらえる見方を、ベルクは客体と主体の通態とい う造語で、表現している。 このような、自然についての3つの見方を検討しながら、自然との共生や環境倫理ということ を視野に入れるならば、社会科においては、自然に対する関係論的な見方、まなざしを育ててい くべきであることを、明らかとした。(第l章) このような教育を行うためのカリキュラム論として、風土論的アプローチによるカリキュラム 構成原理の研究を行った。風土をキーコンセプトとした環境教育のカリキュラムは、現代社会に おける環境問題だけでなく、問題が子どもの内面において環境問題が落とした影や閣の問題、す なわち、大人世代への不信、人間不信、科学不信、進歩への希望の喪失などの問題をも基盤とし て構成されることが必要であることを明らかにした。 さらに、教育方法論として、風土論的アプローチの次の 4つのステップを明らかにした。すな わち、①地域の風景をながめたり、郷土料理を食したりなど、風土を楽しみ、昧わう<味わいの 段>。②風土が成立し、代々受け継がれてきたひみつ、あるいは、それが今日危機にある原因を 探究する<探りの段>。③風土と自己のつながりを反省し、自己の身体の延長として風土を意味 づけ、見立てる<つながりの段>。そして、④これから自分たちが、前の世代から風土を受け継 ぎ、次の世代へと引き渡していくための課題を考察する<受け渡しの段>。これら4つのステッ プのうち、とくに、<探りの段>と<つながりの段>を相互移行的に進める認識論を考察した。 (第2章) 以上の理論的な研究は、次の実践的で実証的な研究と相互補完的な形で進められた。近江兄弟 社中学校 ・高等学校においては、近世の八幡堀を中心とした、物質の循環をテーマとした教材に 続いて、その循環が、近代以降どのように崩壊し、環境変動につながったのか、さらに、八幡堀 が埋め立てられるという危機を救うために、どのように地域の住民がまちづくりの運動を展開し、 歴史的景観としてよみがえったのかをテーマとした教材を開発し、授業研究を行った。(第3章) また、小学校では、琵琶湖と人びとの暮らしの歴史的な変化についての教材開発と授業研究を行 った。(第4章)また、環境税等の論争的な問題についてのデイベート学習を展開し、それをテー マとした小論文において、中高生の環境認識がどのように発達するのかを検討した。(第

5

章)

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月 研 究 代 表 者 岸 本 実

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研究組織 研究代表者:岸 本 実 (滋賀大学教育学部助教授) 研 究 協 力 者 : 今 本 暁 (立命館中学・高等学校講師) 交付決定額(配分額) (金額単位:千円) 合 計 平成 12年度 1200 平成13年度 800 平成14年度 600 平成1

5

年度 700 総 計 3300 研究発表 (1)学会誌等 ・岸本実「社会科における自然への関係論的なまなざし」 滋賀大学教育学部社会科教育研究室紀要

r

社会科教育の創造』第 11号67-76(2004) ・今本暁 「環境問題を考える小論文の指導」 滋賀大学教育学部社会科教育研究室紀要『社会科教育の創造』第 11号 163-176(2004) ・岸本 実 ili'琵琶湖と人々のくらしとの歴史的なかかわり』の教材 ・授業づくり 一環境教育の風土論的アプローチに向けて一」 滋賀大学教育学部社会科教育研究室紀要『社会科教育の創造』第7号.27・37(2000) ・今本暁 ・岸本実 ili'八幡堀物語』環境教育のための高校地理教材一近江兄弟社高校の授業報告一」 滋賀大学教育学部教育実践研究指導センタ一紀要『パイデイア』第8巻pp.87-94(2000) ( 2 )口頭発表 ・岸本実「環境教育の風土論的アプローチ一社会科における自然・環境への関係論的なまなざしー」 日本社会科教育学会 第.53回全国研究大会(群馬大会)課題研究発表 (2003年 10月 11日)

(

3

) 出 版 物 ・岸本実「環境教育の風土論的アプローチ」グループ・ディダクティカ編 『学びのためのカリキュラム論』勤草書房.180-199 (2000)

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目次

第 1章 社会科における自然への関係論的なまなざし (岸本実)・ 第 2章環境教育の風土論的アプローチ ( 岸 本 実 ) ...・H ・...・H ・..…...・H ・...・H ・..…… 11 第3章 『八幡堀物語』環境教育のための高校地理教材 一近江兄弟社高校の授業報告一 ( 今 本 暁 ・ 岸 本 実 ) ...・H ・...・H ・H ・H ・..………

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1

第4章 『琵琶湖と人々のくらしとの歴史的なかかわり』の教材・授業づくり 一環境教育の風土論的アプローチに向けて一 (岸本 実)…...・H ・...・H ・..……

2

9

第 5章 環境悶題を考える小論文の指導 (今本 暁) .….い..….口..…….一…….日…….日…υ…..一….日….一…υ.….日….口…..….日…….一…….日…….日….一….一….日….リ…υ.川.勺小f < 資 料 >

1

、授業書

r

八幡堀物語』 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5

6

2

、環境税学習プリ ント....・H・....・H ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

6

5

3、環境税の小論文 …・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・67

(6)

1

社 会 科 に お け る 自 然 へ の 関 係 論 的 な ま な ざ し

一環境教育の風土論的アプローチー

I

はじめに 岸 本 実 自然との共生や環境倫理ということを視野に入れるならば、社会科において自然をどの ように扱っていけばよいのか、これが本稿の問題意識lである。この間いに対して、ここ では、自然に対する関係論的なまなざしについて、考察していきたい。 そこで、まず、関係論的な見方、まなざしの特徴を、自然を客体化する見方、自然を主 体化する見方との対比の中で明らかにしていきたい。ここでは、主に、オギュスタン・ベ ルクの考え方に依拠して、考察していく。 次に、そのような関係論的な見方を、社会科の教材や授業の中に、ーどのように位置づけ るのかについて、環境教育の風土論的アプローチによる幾つかの実践をてがかりに、考察 していく。

I

I

自然についての関係論的な見方

(

1

)自然に対する

3

つの見方 自然をどう見るのかについては、主体と客体という観点から考えると、次の 3つの見方 がある。ひとつは、自然を客体化してとらえる、テクノロジー的見方である。自然をモノ としてとらえ、人間にだけ意味のある目的にかなう道具として扱う見方である。 ふたつめは、自然を主体化してとらえる、ホーリズム(全体論)的見方である。環境の 保護のために、自然の権利を主張し、自然を権利の主体と見なすのは、この見方である。 そして、みつつめは、自然を、客体と主体の相互関係によって構成された現実と見る関 係論的な見方である。主体と客体の相互関係によって空間と時間の中に構成されるという 次元で自然をとらえる見方を、ベルクは客体と主体の通態という造語で、表現している。 以下、これら 3つの見方をもう少し詳しくみていこう。

(

2

)自然を客体化してとらえる、テクノロジー的見方 自然を客体佑して、モノとして見るこの見方の基礎には、客体と主体の二元論がある。 この存在論について、ベルクはつぎのように述べる。 このような存在論は円、かに」一一手段と道具一一の存在論であり、「なぜ」一一存 在理由と行動理由一一の存在論ではな ~\o 世界を説明し支配しようと努力を重ねる近 代は、実のところ、「なぜ」から「いかに」への置き換えをはかる壮大な転換のプロセ スに他ならなかった。近代はそれまでのいかなる文明にもまして、事物がいかに機能 するか、事物をより効率的に操作するにはどうすればいいかということを私たちに教 えてきた。同時に近代は、倫理を根絶やしにする壮大なプロセスでもあった。 2 1

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このような見方を基礎に、自然科学が発展してきた。「こうである」という現実(js)と、 「こうあってほしい(あるべきである)Jという願望 (ought)を区別することが、すべて の客観的認識の成立の条件であり、自然科学だけでなく、社会を科学的にとらえる社会科 学の発展も、このような存在論を基盤としている。 このように自然を手段、道具としてみる見方において、もっとも重点、がおかれる関心は、 事物がいかに機能するか、事物をより効率的に操作するにはどうすればよいかということ である。手段や道具として効率よく利用し、支配することが最大の眼目となる。また、こ のような近代的なテクノロジーは、場所を間わず、普遍性を主張し、場所の個別性を無効 にして、ユートピアを志向する。

(

3

)自然を主体他してとらえる、ホーリズム(全体論)的見方 こ れ は 第 一 の 近 代 的 な 見 方 が あ ま り に も 人 間 中 心 主 義 的 で あ る こ と を 批 判 し す る 形 で 現れてきた。それは、環境の保護のために、自然の権利を主張し、自然を権利の主体と見 る。この見方の基礎には、一般的な存在は、個別の存在よりも、価値においてまさるとい う、全体論がある。すなわち、人類は生物圏という全体の一部に他ならないので、人類の 利害よりも、生物圏の利害を優先しようという主張である。生命を持つ存在として、人間 とそれ以外の生物を区別することはなし1。この点をベルクは以下のように指摘する。 生態学的全体論において問題となる存在のカテゴリーは、生命を持つ存在であり、 そこでは人間とそれ以外のものは区別されない。そしてこの存在のカテゴリーにおけ る一般的な存在とは生物園であり、生物園の利害は人類(生物圏という全体の一部に 他ならない)の利害に優先するし、ましてや個々人の利害に優先するのは言うまでも ない。 3 同一存在のカテゴリー内部では一般的存在が価値において個別の存在にまさるというよ うな、全体論が基礎にあるこの見方には、他に、いくつかの流れがある。すなわち、自然 を主体化して自然の権利を主張するもの、日本の自然に日本人のアイデンティティをみる 日本人論、そして、環境決定論(地理的決定論)である。 (4 )自然を客体と主体の通態の次元でとらえる、風土論的見方 以上、二つの見方に対して、みつつめの見方は、自然を客体と主体の通対の次元でとら える風土論的な見方である。現実は主体と客体の相互関係によって空間と時間の中に構成 されるという関係論的な見方である。それは、客体にも主体にもどちらか片方に還元でき るものではない。たとえば、木登りをしようとするときの「てがかり」のようなものであ る。てがかりとしての枝は、木を登ろうという主体がいなければ存在しなし1。しかし、そ れは主体の単なる幻想ではない。自分の体重を支えるだけの枝振りの枝が存在していなけ れば、やはり、「てがかり」とはならず、「てがかり」は存在していないことになる。ベル クのいう 「風土」とは、ひとつの社会が地球の表面(すなわち、自然と空間)と取り持つ 2

(8)

関係のことで、この「てがかり」と同じように、客体と主体の通態の次元でとらえられる。 この見方では、自然は人間の住まいとみなされる。個人、社会、人類、生物圏、惑星、 太陽系、銀河系、宇宙という重層的な尺度において、人間は生きている。その尺度におい て、主体性が刻み込まれているo

r

人間の本性は自然そのもの(生命、物質、宇宙)と連続 しているが、その場所が同じ尺度の者ではないから、自然そのものとは存在論的に同ーで はないJ4とベルクが述べるように、ここでは、尺度の違いという観点、を持つことにより、 自然という客体を、完全に主体と同一視する第二の見方とは、異なる。 それぞれの尺度の中で、それらは、人間主体の住みか、住む場所であり、主体の発現す る場所である。自然を、主体とまったく区別して客体化してとらえるのではなく、人間主 体を前提としてとらえるところにおいて、第一の見方とは異なっている。風土は、人間主 体の身体性に連続している。この見方では、人聞が人間的であるために、人間の身体性に 連続するものとして、そこに住んでいるその場所に、どのような「おもむき」を与えるの かを、考慮し、尊重することが、重要視される。 以上、 3つの見方をまとめたものが、表 1である。 表

1

:自然についての

3

つの見方 自然の客体化 自然の主体化 自然の通態化 自 然 の と ら 自然ニモノ 自然=主体 自然=主体の住む場所 え方 (人間にだけ意味ある (人間と同様に権利を (個人、社会、人類、生 目的に適う道具) 持った主体) 物圏、惑星、太陽系、銀 河系、宇宙という重層的 な尺度において、人間は 生きている) 基 礎 に あ る 客体と主体の二元論 全体論 関係論 存在論 18とoughtの区別 一 般 的 存 在 は 個 別 の 存 主 体 と の 関 係 に お い て 在より価値がある とらえた客体の現実性 重点 手 段 と 道 具 と し て 効 率 生 命を 持つ 存在 とし て 人 間 存 在 が 人 間 的 で あ よく利用・支配。 人間 とそ れ以 外の もの るために、その場所に住 場 所 の 個 別 性 を 無 効 に は区別されなし1。生物 む 者 た ち が ま ず そ の 場 してユートピアを志向 圏 の 利 害 は 人 類 の 利 害 所に与える「おもむき」 に優先する。 を考慮し、尊重する。 倫理の基盤 モノに対しては、主体に なぜ生態系を尊重する 地球が、生きるのに美し l 対する時のように、倫理 か を 説 明 す る が 、 誰 が く 良 い 私 た ち の 住 ま い 的 な 注 意 は 必 要 な し と 問いう問いへの答えに として、美しい風景、清 みる。倫理を考える基盤 首尾一貫性を欠く。 潔な川、生態系の豊かな の消失 人間の主体性の捨象 多様性を持つように、わ たしたちは、風土によっ て動機付けられる。 L一一 (オギュスタン・ベルク『地球と存在の哲学』より岸本が作成) 3

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5

)三つの見方と環境倫理 さてここで、これら三つの見方では、環境倫理、自然環境への倫理というものを、どの ように視野に入れることができるのかについて、ベルクの論に依拠して、考察してみよう。 まず、自然をモノとしてみる見方には、自然への倫理を考える基盤はない。モノに対し ては、主体に対するときの同じように倫理を考える必要なないとみなされている。「もっぱ ら効率だけを気にかけ、人間だけに意味のある目的の実現に全面的に適う単なる道具とし て、動植物自体の存在を考慮せずに、Ji動物や植物を機械のように扱い始めたJ5これが、 近代文明の特徴なのである。 それに対して、自然を権利主体とする見方は、すなわち「全体論は

r

なぜ』生態系を尊 重しなければならないかということを十分に説明してはいるが、『誰が』という間いを前に すると、沈黙するか支離滅裂になるかのどちらかである。」日というのは、人間存在の主体 性を認めると、生命を持つあらゆる存在が同一の存在のカテゴリーに属するという前提と 矛盾してしまうからである。すなわち、前提においては、人聞は他の生命体と同様に扱わ れるにもかかわらず、生態系を尊重するのは人間であると人間を特別扱いすることになる からである。 また、権利と義務の対称関係という問題もある。自分の権利の主張は他者の権利を尊重 する義務を同時に伴うというのが人間主体同士の間では、成立するが、コブラ相手に人間 をかむなとはいうことはできない。また、生態系を維持するためには、人間の人口を今の

1

割にまで減らす必要があるという極論もある。しかし、

10%

の人聞が残りの

90%

を 死滅させることは不道徳であるから、エイズウィルスによる人口減を期待して、これらの ウィルスには何もしないようにというような支離滅裂な議論も登場してくることになる。 この見方は、人聞を他の生命体と同一視することにより、人間の主体性を格下げしてしま う危険性をはらんでいるのである。このような矛盾や首尾一貫性を欠く考えを基盤として 環境の倫理を築くことには無理がある。 それらに対して、環境倫理を論理的に考える基盤があるのは三つ目の見方だと考えられ る。まず、この見方では「存在のこれら多様な場所一一個人、社会、人類、生物圏、惑星、 太陽系、銀河系、宇宙一ーは、ひとつひとつがその尺度において、主体性を刻み込まれて いるJ7というように尺度的な構造で自然と人聞をとらえる。そして、「まさしくこの構造 が、人間存在が動物や植物や生命やあらゆる無生物を尊重しなければならないことを、存 在論的に正当化している。これら存在者のすべての存在の場所が、人間主体自身の存在に 場所にほかならないからである。J8このように、存在の尺度的構造を構想することによっ て、「近代の二元論が人間存在と他の存在の間に確立した越えがたい境界を踏み越え、そう して合理的に一一すなわち全体論や決定論のような支離滅裂に陥らずに一一倫理の場を自 然にまで拡大することを可能にするのである。J9 そして、地球が、生きるのに美しくてよい住まいであるように、美しい風景、清潔な川、 生態系の豊かな多様性を持つようにという願いは、風土によって動機づけられる。「人間存 在が人間的であるためには、地球は一一私たちの惑星、私たちの風景、私たちの家々は一 一美しく、かつ生きるのに適したものでなければならなし」これは風土(エクメーネ)的 な必然なのである。Jj 1(そして、「私たちの本質的な責任は、したがって地球がつねに風土 4

(10)

(エクメーネ)であるように保障することである。風土(エクメーネ)であるとは、つま り生きるのに美しく良い地球をつねに見出せるように私たちを動機づける住まいであるこ とにほかならない。これはすなわち美しい風景、清潔な川、生態系の豊かな多様性等々を 意味する。J 1 1このように、人聞が人間らしくあるために、自分たちの住まいを尊重しよ うというところに、自然環境への倫理を考える基盤があるのである。 以上、自然についての 3つの見方を検討しながら、自然との共生や環境倫理ということ を視野に入れるならば、社会科においては、自然に対する関係論的な見方、まなざしを育 てていくべきであることが明らかとなった。では、それは、どのような実践によって可能 となるのか、これまで風土論的アプローチ 12として取り組んできた実践では、どのように 関係論的な認識を育てているかを中心に、以下分析していこう。

E

環境教育の風土論的アプローチにおげる関係論的なまなざし

(

1

)暮らしと琵琶湖の授業実践13 「琵琶湖調べでわかったことについて話し合おう」という授業では、親や祖父母にイン タビューをして聞いてきた、昔の琵琶湖について、発表しあう活動を行った。そこで、例 えば、次のような琵琶湖の姿が語られた。 「昔は洗濯ができたり、泳いだり、飲んだりできた。J

r

昔はすぐ、に水が飲めるくらいき れいだった。J

r

藻があまりなく、潜ったらすぐ底が見え、シジミがすぐ見えて、そして取 っていた。釣り針に御飯粒をつけ、落とすとボテジャコが釣れた。J

r

昔は湖岸を山梨子か ら飯浦まで歩いて楽に行けた。J

r

昔の琵琶湖の水はきれいで飲めた。琵琶湖の水でお湯を 、沸かし、お茶を作って飲めた。Jr下で魚が泳いでいるのが全部見えた。Jrウナギが釣れた。」 「昔は飯浦の人達は、琵琶湖の水でご飯を炊いていた。J

r

足で地面を探るとシジミが取れ た。それをみそ汁に入れて食べた。J

r

琵琶湖で顔を洗った。お湯を沸かしてお茶が入れら れた。魚が岸辺にたくさん泳いでいた。ゲンゴロウブナ、ウナギなどが昔より大分取れな くなっている。J

r

大音の田んぼにコイ、フナ、ナマズがいて、手でっかんでいた。蛍がた くさんいた。J

r

畑の肥料は買った肥料ではなく、琵琶湖の藻を取り使っていた。J

r

驚いた ことが家に 1槽ずつ船があった(母の実家の近江町)oJ ここで浮き彫りにされた琵琶湖の姿は、親や祖父母たちが暮らしの中で琵琶湖と関わり ながらとらえた琵琶湖の現実であった。それは、グラフの中で確認した、透明度、漁獲高、 アオコや赤潮の発生件数の変化でとらえられたものとは次元が違っていた。客観的にデー タとして把握することも大切なことである。しかし、ここで語られた現実は、琵琶湖と関 わりながらという関係論的な次元でとらえた琵琶湖の姿であった。それは、自分たちの親 や祖父母たちが、琵琶湖で泳ぎ、琵琶湖の水で顔を洗い、ご飯を炊いて、お茶をわかし、 そこで取れたセタシジミや魚を食べるという日常の営みの中で、とらえたものであった。 それ故にこそ、これらの聞き取りをまとめた場面で、子どもたちの次のような感想が自然 と生まれるのである。 「私が思ったより昔の琵琶湖はきれいだということがよく分かった。琵琶湖の水が飲め たり、野菜を洗うことがすることが出来たし、今では信じられないほど水がきれいだった。 今より魚もずっと多いし、その辺の川にいたらしい。でも今では琵琶湖で野菜を洗うこと 5

(11)

もほとんとできなくなっているから、汚いことが分かった。お菓子の袋も琵琶湖にた くさ ん浮いている。なぜ、そんな琵琶湖になったか分からないけと、私は昔の琵琶湖に戻って ほしい。J

r

昔は底が見えるほどきれいだったんだなと思いました。藻がないことも分かり ました。でも今はたくさんの藻があり、水も汚いので昔の琵琶湖はいいなと思いました。」 「信じられないことがたくさんできて、驚きました。特に御飯粒で魚が取れるなんて驚 きました。不便がない今だけど、食べられなくなったものもあり、残念です。私も昔の琵 琶湖を見てみたいです。琵琶湖がこれ以上汚くならない方がいいと思います。」 このように、昔の美しい琵琶湖に戻したいという願いが生まれてくるのは、関係論的な 次元でとらえた琵琶湖の現実の認識を基盤としているからである。この実践では、こうし た動機づけをふまえて、この関係論的な次元で捉えた琵琶湖の現実を、前野隆氏の風景写 真を使いながら、さらに豊かにするとともに、生活排水に含まれるリンや窒素が琵琶湖の 汚濁の原因となったメカニズムを科学的に探究したものであった。最後のまとめとして、 滋賀県の環境対策について学習しているが、琵琶湖との関わりを暮らしの中で再構築して いく地域づくりに、子どもとしてどのように参画していくのかを考えるように発展させる ことも可能な実践であった。

(

2

)八幡堀の実践14 八幡堀の実践では、生徒は次のような感想を持った。 「リサイクルされているみたいでした。町全体が一つになっているみたい。 J

r

無駄が 全くない。今と違いゴミの行方がしっかりしていて、環境にも良~\。瓦屋があることが大 きいと思う。 J

r

ぐ、るぐ、る回っている。結果的に町屋の人が出した排水は再利用されて瓦 になる。 J

r

生活排水がないと、この環境循環は成り立たないと思う。 J

r

無駄なく資源 を利用することができる。 J

r

昔なのに無駄のない生活をしていると思った。ゴミがほと んど出ていない。 J

r

その場所には要らない物を違う場所へもっていき利用している。」 「昔の人々の生活には自然のサイクルができていると思った。現代の人々もこういうこと を見習うべきだと思った。 J

r

昔の資源循環の方が、むしろ技術の進歩した現代よりもう まく成り立っていたと思う。 J

r

昔の人は、資源利用を生活の知恵で可能にしている。」 「田圃をよ く利用していた。工場なども効率よくつくってある。八幡堀をつくったのにも 目的があった。 J

r

無駄がな く、理想的な自然循環である。 」 こ の 実 践 で は 、 八 幡 堀 を め ぐ る 物 質 の 循 環 的 な 連 関 に つ い て 、 事 実 と 事 実 の つ な が り をひとつひとつ謎解きをするかのように探究していくおもしろさがある。そして、町屋か らでた生活排水が、最後には、町屋の八幡瓦へとつながっていくことを、ある種の感動を 持って発見する。八幡堀、町屋、回という地域の場所において、生活排水、泥、藻、粘土 という資源(モノ)がどのように循環的につながっていくのか、また、そのつながりを暮 らしの中で演出する、町屋の人々、船頭、農民、目抜きの親方、瓦職人らのヒトの存在が 浮き彫りとされる。つまり、地域における場所とモノと人とのつながりを実感しながら、 そのつながりのなかで保たれてきた八幡堀の風景を昧わっていくのである。この場所が人 間の居住空間として美しく保たれるための場所とモノとヒトとの連関のあり様を考察する ことがこの実践の焦点なのである。 6

(12)

八幡堀は、この高校では、徒歩でフィールドワークにでかけることができる身近な地域 の素材であったが、生徒が日常生活する地域とは必ずしも一致しない。そのため、八幡掘 の存在すら意識しないで高校に通っている生徒も多い。八幡堀を中心とした町づくりに高 校生の立場から参画していくことを視野に入れるのであれば、多くの課題が残されている。 また、高校段階の実践であるので、そこに関係論的な次元の認識が成立していることを 示すだけでは不十分であろう。こうした関係論的な認識を小学校、中学校と積み上げてき て、高校卒業段階でどのような到達点をめざして行くべきであるのかについても今後検討 していく必要がある。

(

3

)環境税の小論文と関係論的認識の評価15 最後に、環境税についての小論文指導を行った実践をとりあげてみる。 環境税は、外部経済を内部化しないという近代的な経済のしくみを補完するものである。 ただで大気中の酸素を消費し、ただで二酸化炭素を排出するところには、その場所の大気 との関わりは、切れたものとなる。外部経済を内部化しないということは、これまでのか かわりを切断することをも意味している。したがって、環境税のような外部経済を内部化 するという試みは、その失われたリンクをつなぐという意味をも有している。環境税の導 入の是非をめぐるデイベートとそれについての小論文指導の実践は、それによって環境と 自分との関わりを見つめなおしているという点で、関係論的な認識を育てる、風土論的な アプローチのひとつと位置づけることができる。 この実践では、地球温暖化問題について、 2回、そして、環境税の是非をめぐって 2回、 合計 4回の小論文を書く機会がある。地球温暖化問題については、基礎知識を NHKのビ デオを教材として整理したり、文章指導を行っている。また、環境税については、賛否の 意見発表、紙上デイベートという形で、深めていく。ここで、ある生徒の小論文において、 関係論的な認識がどのように豊かにされてきたかを見ていこう。以下は、 4つの小論文か ら、生徒が、環境問題に対して、どのように関わっていこうと考えているかを示す部分を 抜粋したものである。 ① 「地球の温暖化が問題になっている。人聞が地球に住んでいる限り、避けては通れな いことではないのか。 」 ② 「地球温暖化が問題になっている。人聞が地球に住んでいる限り、避けては通れない 事だが、何か解決方法があるに違いない。それは伺なのか。 J

r

二酸化炭素を削減し なければならない国は、 ドイツのような対策や人々の精神を見習うべきである。」 ③ 「地球の温暖化を防ぐために、二酸化炭素の排出を減らさなくてはならないと言うの に、人々の意識は低い。だから私は、環境税を導入すべきだと思うが、実際に、日本 で環境税を導入しようとするとき、賛成派と反対派で意見が対立することは目に見え ている。しかし、どちらの意見もうまくクリアできる何かがあれば、スムーズに話が 進むのではないだろうか。私はその何かを考えてみた。 私が一つ思いついたことは、 環境税として国民から集めた税金を、各家庭が決められた期間の聞に削減したに酸化 炭素の量に応じて払い戻してはどうだろうか、ということだ。 」

(13)

④「地球温暖佑を防ぐ、ために、二酸イじ炭素の排出量を減らさなくてはならないというの に人々の意識は低い。だから、私は環境税を導入すべきだと思うが、実際に、日本で 環境税を導入するとき、賛成派と反対派で意見が対立することは目に見えている。そ して経済状態が思わしくない今、環境税を導入すれば、さらにそれが悪化する可能性 もある。しかし地球の温暖化をこのまま放っておく訳にはいかない。これらをうまく クリアできる何かがあれば、環境税導入に向けての話がスムーズに進むのではないだ ろうか。 J

r

私がまず提案したいことは、環境税として国民から集める税金を、各 家 庭 が 決 め ら れ た 期 間 に 削 減 し た 二 酸 化 炭 素 の 量 に 応 じ て 払 い 戻 し て は ど う だ ろ う か、ということだ。 J

r

この様に、還元方式で環境税を導入すれば、人々の意識は高 まり、確実に二酸化炭素の排出量を減らすことができるし、後に、経済へも良い影響 を与えることになる。環境も守り、私たちの生活をも守れるような環境税なら、私は 賛成だ。今すぐにでも導入すべきだ。」 まず、①では「避けては通れない」と問題を主体的に受け止めつつも、これ以上意見が 深められることはない。②では「何か解決方法があるに違いない。」と解決の手がかりを探 っていこうと感じ始めていることが示される。しかし、結論としては、 ドイツの事例を整 理し、その対策と意識を見習うべきだということにとどまっている。それに対して、③以 降は、環境税という自分たちの生活にも関わる事柄についての是非を考えることに焦点化 されることにより、もう一歩突っ込んだ意見が展開されるようになる。②では「何か」あ るに違いないとだけされていたものが、③では、「私はその何かを考えてみた」と、自ら解 決策を考案し、提案するという一歩踏み込んだ姿勢に変わっている。さらに、④では、自 己の提案に対して、経済に悪影響を及ぼすのではという反論が出ることを想定しつつ、そ れに再反論するという形で、理論的に意見が構築されるようになる。 このように、①から④までの小論文では、関係論的な次元の認識が成立し、さらに深め られているのである。 では、このように関係論的な認識を評価していくことは、どのように位置づけることが できるだろうカコ。 一般に、指導要録による 4つの観点別に評価が行われる場合が多いが、 「関心・ 意欲 ・ 態度」の観点については、評価できないのではないか、あるいは、評価すべきではないの ではないかという議論がある。すなわち、この観点、は、個人の価値観に属する部分であり、 一定の規準からの評価が困難であるということである。また、学習態度のようなもので評 価する面もあるが、そのことによって「関心・意欲・態度」が高い「ふりをする」ような 傾向や、挙手する回数を競い合うような無意味な競争が起こるなどの、悪影響が生じる問 題を指摘する意見である。 そこで、ここでは、関係論的な認識がどのように育っているかによって、「関心・意欲・ 態度」を評価するという考え方を提案した ~'o 現実は、主体と客体との相互関係によって 構成されるというのが、関係論的な見方である。風土もその次元でとらえられるものであ る。前述したように、ベルクはそれを端的に示す例として、木に登るときの「てがかり」 というものをあげている。すなわち、木に登るときの「てがかり」という現実は、人が木 8

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をながめながら、それに登ろうと考えなければ存在しなt,。その幹から生えている枝の数 や形は客観的に存在するが、どの枝を「てがかり」として登ろうとするかどうかは、登ろ うとする人の体重や手の長さなどによっても異なるし、何よりも、その人が登ろうという 意欲をもっているかどうか、そして、どのように登ろうと考えているかによって、決まっ てくる。そして、それは人によって多様性を持っている。 「てがかり」は、その人が登ろう とするから存在するのである。つまり、それは「あると思うから存在する」ものである。 しかしながら、それは、あると思うからだけで存在するようなまったくの幻想ではない。 自分の体重を支えきれるだけの枝振りであり、手の届く範囲の距離にある枝であるという 客観的に規定される条件が整わなければ、また、 「てがかり」とはなり得ない。やはり、そ れは、 「客観的にあるから、存在する」という面をもあわせもっているのである。このよう に、 「手がかり」という現実は、客体と主体の相互関係の中で構成されているわけである。 このように考えると、学習者の 「関心 ・意欲 ・態度」を直接評価することには困難が生 じるとしても、その学習者が認識対象と関わりながら、どのような意味づけを行い、どの ような手がかりや手ごたえを見出しているかという関係論的な認識の次元を、評価するこ とによって、間接的に、学習者の 「関心・意欲・態度」を、とらえることができるのでは ないだろうか。また、関係論的な認識は、主体的なものだけでなく客観的なものに規定さ れる面をもつわけであるから、学習対象に対する、知識 ・理解や思考・判断、資料活用と 結び付けた形で評価することが重要となることもわかる。このように関係論的な認識の次 元に注目することにより、 「関心 ・意欲 ・態度」の評価を行うことにより、 4つの観点、がよ り構造的に評価することができるのである。

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おわりに 以上、自然についての

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つの見方を整理したうえで、環境倫理を考える基盤は関係論的 な見方に成立することを述べた。そして、そのような関係論的な見方を、風土論的アプロ ーチがどのように育ててきたか、また、課題は何かについて考察した。そして、最後に、 関係論的な認識の評価によって 「関心 ・意欲 ・態度」の観点、の評価をしていくという考え 方を提示した。 課題においても指摘したが、関係論的な次元の認識が成立することは示すことができた が、それを、風土論的アプローチとして、小中高校の実践で、どのように展開していくか という課題については、まだ、緒に着いたばかりである。 社会科の教科書においても、自然を客体化してとらえる見方がまだ主流である。歴史の教 科書では、自然を開発し、その条件を克服してきたものとして人間の歴史は描かれること が多い。例えば、郷土開発に尽くした人物、条里制、新田開発、北海道の開拓などである。 地理の教科書でも、自然は、地理的現象の一与件としての扱いである。自然を主体化する 見方や関係論的な見方は、部分的に導入されてきてはいるが、混在しているような状況で ある。例えば、帝国書院の中学生の地理の教科書では、「干潟の保全について考えよう」と いうテーマ学習のページには、「干潟の埋め立てについてのいろいろな人々の意見」として、 次の 4つの意見がイラストの人物の言葉として示されている。① 「日本の国土はせまいか 9

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ら、農地や工業用地・住宅地をつくるための土地が必要なんだ。」②「埋め立て地にレジャ ー施設ができると遊びにいく楽しみができるわ。」③「干潟に生きる生物にも生きる権利が あ る わ 」 ④ 「 代 々 つ づ け て き た 漁 業 を こ れ か ら も つ づ け た い ね え 。 ゆ た か な 海 を 子 ど も や 孫に残すのが私の幸せなんです。」教科書では、①と②が「埋め立てに賛成」として、工業 用 地 の 風 景 を 背 景 に 、 ③ と ④ が 「 埋 め 立 て に 反 対 」 と し て 干 潟 で バ ー ド ウ ォ ッ チ ン グ を し ている風景を背景に、レイアウトされている。 16。三番瀬をテーマにとりあげ、さらに、 ここで検討した

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つの見方が、二つの背景をもっ 1枚のイラストにまとめられている点で、 よ い 教 材 で あ る 。 こ こ で の ① と ② は 自 然 を 客 体 化 し 、 産 業 や レ ジ ャ ー の 手 段 と す る 見 方 で あ り 、 ③ が 自 然 を 権 利 の 主 体 と す る 見 方 で あ り 、 ④ は そ の 自 然 と こ れ ま で 、 そ し て こ れ か らの世代がどのように関わっていくかを考える風土論的な見方と見ることができる。しか しながら、ここでは、埋め立てに賛成と反対という二分法の中で、③と④の見方の区別が 明確とはならず、議論は迷宮入りしてしまう可能性がある。 このように、教科書教材などの見直しも含めて、関係論的な認識が小学校から高校へと どのように発達していくのか、そしてそれをどのように評価していくのか、その評価論を 深めつつ、そこからさらに、実践の構築へとフィードパックさせていくことが必要である。 i この論文は、 200:3年 10月 11日 に 群 馬 大 学 教 育 学 部 で 開 催 さ れ た 、 日 本 社 会 科 教 育 学 会 第 53回全国研究大会の課題研究 ①社会科教育における自然・環境での報告をも とに作成した。この問題は、この課題研究のテーマである。 2 オギュスタン・ベルク著、 篠田勝英訳『地球と存在の哲学』筑摩書房、 1996年、 p.23 3 向上書、 p.75 4 向上書、 p.152 5 向上書、 p.21 8 向上書、 p.76 7 向上書、 p.152 B 向上書、 p.160 9 向上書、 p.158 1 0 向上書、 p.128 1 1 向上書、 p.130 1 2 風 土 論 的 ア プ ロ ー チ に つ い て は 、 次 の 論 文 を 参 照 。 岸 本 実 「 環 境 教 育 の 風 土 論 的 ア プ ローチ」グループディダクティカ編『学びのためのカリキュラム論』勤草書房、 2000 年。 p.180-199 1 3 こ の 実 践 の 記 録 と 分 析 は 、 次 の 論 文 を 参 照 。 北 村 譲 治 、 松 本 省 三 、 河 崎 か よ 子 「 飲 め る ? 飲 め な い ? 琵 琶 湖 の 水 」 滋 賀 大 学 教 育 学 部 社 会 科 教 育 研 究 室 編 『 社 会 科 教 育 の 創 造 社 会 科 教 育 研 究 室 紀 要 第 6号.!I1999年、 p.92-103、岸本実「琵琶湖と人々のくら しとの歴史的なかかわり」の教材・授業づくり一環境教育の風土論的アプローチに向 けてー」滋賀大学教育学部社会科教育研究室紀要『社会科教育の創造』第 7号、 2000 年、 p.27-37 1 4 こ の 実 践 に つ い て は 、 次 の 論 文 を 参 照 。 今 本 暁 ・ 岸 本 実 「 八 幡 堀 物 語 」 滋 賀 大 学 教 育 学 部 教 育 実 践 研 究 指 導 セ ン タ 一 紀 要 『 パ イ デ イ ア 』 第8巻.2000年 p.87・94。 1 5 この実践は、近江兄弟社高校で 2003年 度 、 今 本 暁 氏 に よ っ て 指 導 さ れ た 「 社 会 系 小 論文」の時間に実施されたものである。 l日 『社会科 中学生の地理』帝国書院、 2003年、 p.148 10

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章環境教育の風土論的アブローチ

岸 本 実

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はじめに 本章では、環境教育の風土論的アプローチを提案したい。風土とは、その土地の自然と 社 会 と の 歴 史 的 な 関 わ り で あ る 。 そ れ は 、 地 形 、 気 候 、 動 植 物 、 産 業 、 衣 食 住 や 慣 習 ・ 習 慣 な ど の 生 活 様 式 、 芸 術 、 宗 教 な ど 、 そ の 地 域 を 構 成 す る 諸 要 素 が 地 域 性 に お い て 統 一 さ れ た も の で あ る 。 そ れ は 、 自 然 と 関 わ る 人 間 の く ら し が 何 世 代 に も 渡 り 、 相 互 の 関 わり合いを成熟させてきたプロセスにおいて成立し、そこにおいて熟成されてきたおもむ きが風土性である(ー)。 ま ず 、 琵 琶 湖 と 人 々 の く ら し と の 歴 史 的 な か か わ り を 教 材 化 し た 二 つ の 教 育 実 践 を 検 討する。北村譲治の木之本町立伊香具小学校

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年の実践「わたしたちのくらしと琵琶湖」 と、今本暁の近江兄弟社高校地理Bの実践「八幡堀物語」である。これらの実践は、「風 土 」 を 中 心 概 念 と し た 環 境 教 育 を 私 が 構 想 す る き っ か け に な っ た も の で あ る 。 こ れ ら の 検 討 か ら 、 風 土 論 的 ア プ ロ ー チ の 四 つ の ス テ ッ プ を 素 描 し 、 最 後 に 、 な ぜ 環 境 教 育 に 風 土論的視点、が必要か、その意義を考察する。

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わたしたちのくらしと琵琶湖」一小学校での実践同一 1 風土を味わう まず、「琵琶湖を食べよう」と、琵琶湖とその周辺でとれた食材を食べることから、こ の 実 践 は 始 ま っ た 。 セ タ シ ジ ミ の み そ 汁 、 ゴ リ 入 り の お に ぎ り 、 小 鮎 の 佃 煮 、 キ ュ ウ リ の 漬 け 物 な ど を 子 ど も た ち は よ く 食 べ た 。 三 世 代 同 居 の 家 族 の 食 卓 に は 伝 統 食 が ま だ 息 づ い て い る の だ ろ う 。 セ タ シ ジ ミ を 入 手 す る 教 師 の 苦 労 話 に 驚 き な が ら 、 琵 琶 湖 の 漁 獲 量のグラフの特徴をつかみ、 「なんで漁獲量は下がったのかJ

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と り す ぎ ?J

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水環境が悪 く な っ た ?J と問題意識を膨らませ、 琵 琶 湖 と の 関 わ り 方 の 「昔」と「今」の変化を聞 き取りしてくることとなる。この導入は、その後の展開の大きな原動力となった。「食べ る 」 と い う 生 活 の 基 本 が 琵 琶 湖 と の 関 わ り 抜 き で は 考 え ら れ な い こ と を 、 子 ど も た ち は あらためて感じていた。また、それ以上に、人々が何世代にもわたり受け継いできた「琵 琶 湖 の 伝 統 の 昧 」 を 楽 し む こ と を 通 し て 、 琵 琶 湖 と 自 分 と の つ な が り を 五 感 を 通 し て 感 じていたのではないだろうか。「風土を楽しむ」このようなステップを「味わいの段」と 呼ぼう。 次 は 聞 き 取 り の 発 表 で あ る 。 琵 琶 湖 と の 関 わ り の あ る 次 の よ う な 生 活 風 景 が 発 表 さ れ ていった。 rstj昨日40年頃の琵琶湖は泳いでいて、足で地面をさぐるとシジミか取れた。それをみそ汁に入れて食べた。 昭和き年育機は浜がたくさんあり、埋め立てが今よりもずっと少なかった。琵琶湖で顔を洗った。お湯をわか ー

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11-してお茶を入れられた。魚が岸辺にたくさん泳いでいた。ゲンゴロウブナ、ウナギなどが昔より大分とれなく なっている。昭和40年代の余呉川や琵琶湖で泳いだ。余呉川に水泳場があった。手で魚がつかめた。昔はブ ラックパスが少なかった。田んぼでコイ、フナ、ナマズカ丸、てつかめた。昭和40年代は、大音の田んぼにコ イ、フナ、ナマズがし、て、手でっかんでいた。ホタルがたくさんいた」 「昔は今とちがし、出産や顔カヰ先えるほと‘水がきれいだった。畑の服申立買った

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酬ではなく、主詰湖の藻を 取り使っていた。それに今とは反対にシジミはよく食べていた。おどろいたことに家にーそうずつ船があった ことです。」 次 々 と 、 一 世 代 、 二 世 代 前 の 地 域 の 人 々 の 暮 ら し と 琵 琶 湖 と の 関 わ り が 、 子 ど も た ち の 口 か ら 語 ら れ て い く 。 子 ど も た ち の 語 り の 一 つ 一 つ か ら 、 琵 琶 湖 と と も に あ っ た 暮 ら し の 風 景 が 再 現 さ れ て い く 。 そ の 風 景 を 想 像 す る だ け で な く 、 実 際 に 見 て み た い と い う 気持ちになってくる。 2 探りとつながり で は 、 今 ど う し て こ の よ う な き れ い な 琵 琶 湖 は な く な っ て し ま っ た の か 、 ど う し て こ の よ う な 琵 琶 湖 と の 豊 か な 関 わ り が 変 化 し て い っ た の か 。 授 業 は こ の 問 題 を 考 え る た め に も 、 今 の 琵 琶 湖 の 水 の よ ご れ を 実 際 の 目 で 確 か め て 、 な ぜ 汚 れ て き た の か を 、 排 水 と の関係で考えた。 次 に 再 び 授 業 の 焦 点 、 は 、 湖 水 を そ の ま ま 飲 料 水 と し て い た 昭 和 包 年 代 に 戻 る 。 そ の 世 界へと誘う教材は、前野隆資が一九五六年に写した沖島の朝の生活風景の写真であるほ)。 桟 橋 の 上 で 水 を く ん だ り 、 洗 い 物 を し て い る 8人 の 人 々 の 生 活 と 微 笑 み が 写 っ て い る 。 そ れ は 、 そ の 中 の 一 人 の 女 性 が 、 あ ま り に 日 常 的 す ぎ て 記 憶 の 深 部 に 沈 み 込 ん で い た 記 憶 の 扉 を ひ ら く 鍵 と な っ た 写 真 で あ り 、 こ れ を 手 が か り に 、 あ ま り に あ り ふ れ た 事 柄 で あ っ た 水 を 汚 さ な い よ う に 利 用 し て い た 生 活 の き ま り ご と が 語 ら れ 始 め た 。 子 ど も た ち は 家 族 か ら の 聞 き 取 り で 「 そ ん な に き れ い だ っ た こ ろ の 琵 琶 湖 を も う 一 度 み た い 」 と い う 思 い に な っ て い た 。 こ の 写 真 は そ う し た 思 い に 応 え た よ う で あ る 。 ど う し て こ ん な に 琵 琶 湖 の 水 が き れ い に 保 た れ て い た の だ ろ う 。 そ こ で 、 そ の 秘 密 と し て 当 時 の 生 活 排 水 の 知 恵 を 聞 い て み よ う と い う イ ン タ ビ ュ ー が 計 画 さ れ 、 次 の よ う な 事 柄 が 書 き 留 め ら れ ていった。 「昔のおふろの水は、 ベんじょにおちた。かつてんば(勝手場:引用者注)の水は川へ流した。 今はおふろの水は、 川へながれる。)11にちょ くせっすてなかった。昔からのしようず池(山水 をひいた共同の水くみ場・洗い場:引用者注)で、ゆすぎ、いえでたらいであらった。いまも、 バケツをもって、 せんたく物をしていた。J

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班) 「昔は使った水をそのまま 川にながさず、 くすりもつかわなかったのできれいだった。使 った水は川にはながさなかった。その水をトイレに行くようになっていた。だから川にはぜん ぜんつかった水をながさなかった。山水をつかつて生活していた。昔は川に神様がいたといわ れて川を大切にしていた。J(B 班)。 次 の 時 間 に こ れ ら に つ い て 話 し 合 い 、 最 後 に 「これから の 琵 琶 湖 」 を 考 え て 、 実 践 は 終了する。 こ の 実 践 に は 、 二 つ の 流 れ が 幅 鞍 し て い た 。 一 つ は 、 昭 和

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年 代 の 琵 琶 湖 と 人 々 の 暮 帽

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12-ら し の 関 わ り の 風 景 を 、 父 母 、 祖 父 母 、 地 域 の 人 々 か 12-ら の イ ン タ ビ ュ ー や 前 野 隆 資 の 写 真 を も と に 、 想 像 し 、 感 性 豊 か に と ら え て い き な が ら 、 そ こ に 自 己 と の つ な が り を 発 見 していくような展開である。もうひとつは、「なぜ琵琶湖はよごれてしまったのか」、あ るいは、「なぜ昭和包年頃までは、琵琶湖はきれいだったのか」という問いを探究する流 れ で あ る 。 そ の よ う な 豊 か な 関 わ り が 失 わ れ 、 現 在 の ア オ コ や 赤 潮 に 象 徴 さ れ る よ う な 琵 琶 湖 に な っ た の は な ぜ か と い う 原 因 の 探 究 で あ り 、 逆 に 昭 和 当 年 代 ま で は 琵 琶 湖 の 水 が そ の ま ま 飲 め る く ら い き れ い で あ っ た の は な ぜ か と い う 秘 密 の 探 究 で あ っ た 。 前 者 の 流 れ だ け で は 、 過 去 を 懐 か し む だ け に と ど ま っ て し ま う か も し れ な い 。 ま た 、 後 者 の 流 れ だ け で は 、 自 己 と の 関 わ り が 切 れ た 、 客 観 的 な 対 象 世 界 で の 出 来 事 と し か 映 ら な い かもしれなし1。 こ の 二 つ の 流 れ が 、 実 践 の 展 開 の 中 で 必 要 不 可 欠 な ス テ ッ プ と し て 位 置 づ け ら れ る こ と が 重 要 だ っ た の で あ る 。 そ こ で 、 こ の 前 者 の よ う に 琵 琶 湖 の 生 活 風 景 の 中 に 自 己 を 見 い だ し 、 自 己 と 琵 琶 湖 が と も に あ る と 感 じ 、 琵 琶 湖 と の 一 体 感 を 感 じ る ス テ ッ プ を 「 つ な が り の 段 」 と 呼 ぼ う 。 ま た 、 後 者 の よ う な 、 琵 琶 湖 の 環 境 破 壊 の 原 因 あ る い は そ れ 以 前 の 琵 琶 湖 の 環 境 が 何 世 代 に も わ た り 受 け 継 が れ て き た 秘 密 を 科 学 的 に 探 究していくステップ、これを「探りの段」と呼ぼう。 こ の 実 践 の 焦 点 は 、 父 母 、 祖 父 母 の 琵 琶 湖 と の 関 わ り の 豊 か さ で あ り 、 そ の キ ー ワ ー ドは「地域」であった。地域について、河崎かよ子は次のように述べる。「子どもたちは 今 後 様 々 な 場 面 で 環 境 問 題 と 向 き 合 う こ と に な る だ ろ う が 、 考 え る 土 台 は 子 ど も た ち の 中 に 取 り こ ま れ た 地 域 で あ る … … 。 す ぐ れ た 環 境 学 習 と は 環 境 問 題 に つ い て の 知 見 を 広 げ る こ と だ け で は な く 、 地 域 の く ら し を よ り よ い も の に し て い く た め の 感 性 を 育 て る こ とも忘れてはならない。」四これは、宮川裕二の次の指摘にもつながるものである。「環 境 問 題 は 数 量 的 、 抽 象 的 に の み 把 握 さ れ る な ら ば 、 人 間 は 環 境 に 対 し き ず な を 感 じ る こ となく、それは行動を伴わない知識にとどまることになるJi環 境 は 実 際 に 感 性 に よ っ て と ら え ら れ る こ と が 、 能 動 性 を 発 揮 さ せ る こ と の 基 盤 で あ り 、 そ の 場 は 地 域 に 求 め ら れ るべきなのである。J(五) 北村の実践は、この「地域」の視点、の重要性を具体化したもの と評価できる。 地 域 学 習 に お い て 、 琵 琶 湖 の よ ご れ や に お い の 因 果 関 係 を 科 学 的 に 追 求 し て い く 環 境 学習を発展させることができる (i探 り の 段J)。それに加えてもう一つ重要な方向がある。 それは、風土として琵琶湖をとらえ、環境問題の解決の方向を風土の視点、から、探るこ と で あ る 。 琵 琶 湖 は 近 畿 一 四0 0万 人 の 「 水 ガ メ 」 だ が 、 そ れ は 原 生 林 の 中 の 泉 で は な く 、 近 江 の 人 々 の く ら し と 関 わ り な が ら 風 土 と し て 存 在 し て い る も の で あ る 。 琵 琶 湖 の 環 境 問 題 は 水 質 の 悪 化 と い う 生 態 系 の 危 機 と 共 に 、 人 々 と の 関 わ り の 希 薄 化 と い う 風 土 の危機ともとらえるべきではないだろうか。 伊 香 具 の 大 音 、 西 山 の 池 仲 間 は 、 自 分 た ち の 暮 ら し を 支 え る 生 活 用 水 、 飲 料 水 を 水 源 で あ る 池 ( 山 水 の 湧 水 点 の 清 水 ) か ら 各 家 の 戸 口 ま で 引 い て き て 、 共 同 で 管 理 す る 仲 間 である。仲間のものはすべて、水の勢いや濁りの様子から、「ああ今朝は池でイノシシが 水 浴 び を し た ん や な 」 な ど 、 池 や 山 の 様 子 が 手 に 取 る よ う に わ か る と い う 。 水 源 か ら 戸 口 ま で 引 い て き た 樋 が ま さ に 自 己 の 感 覚 器 官 の 一 部 と 化 し て い る よ う で あ る 。 ま た 、 そ の 水 は 量 質 と も に 豊 か で 、 か つ て は そ の 樋 か ら 流 れ る 水 で ど の 家 も 琴 糸 に す る 絹 糸 を ひ

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ー13-き 、 そ の 地 域 の 風 土 を 形 成 し て ー13-き た 、 お も む ー13-き の あ る 地 域 で あ る 。 一 四

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万 人 の 飲 料 水 の 水 源 と し て の 琵 琶 湖 の 水 質 の 悪 化 を く い 止 め 、 か つ て の 水 質 を 取 り 戻 し て い く と い う 課 題 は 、 伊 香 具 の 池 仲 間 の よ う に 、 同 じ 水 源 を も っ 「 水 仲 間 」 と し て 、 私 た ち が 琵 琶 湖 と の 豊 か な 関 わ り を 取 り 戻 し 、 相 互 規 定 的 な 関 係 を 取 り 結 び 、 自 己 の 延 長 と し て 琵 琶 湖を感覚するような風土を再生していく課題としても受けとめていくべきである。 そ う 考 え る と 、 琵 琶 湖 と の 関 わ り 方 の 変 化 を 、 水 質 の 悪 化 の 原 因 の 一 つ や 、 便 利 な く ら し と 引 き 換 え に 失 っ た も の と す る だ け で な く 、 そ れ 自 体 の 意 味 を 深 く と ら え て い く 必 要 が あ る 。 様 々 な 開 発 に よ っ て 、 客 観 的 に は 琵 琶 湖 の 水 へ の 依 存 度 は 増 大 し 、 依 存 す る 地域も拡大した。なのに、琵琶湖との関わりは抽象化し、希薄化している。あるいは「水」 と い う 単 一 の 要 素 に エ レ メ ン ト 化 し て い る 。 自 ら の 生 存 を 左 右 す る 自 然 を 風 土 と し て 関 わ り あ う こ と な し に 、 近 畿 に 住 ん で い る 。 そ の 自 然 を 自 己 の 延 長 と し て 感 ず る 感 覚 が 麻 癒 し て い て は き わ め て 危 う い 状 態 と い わ ざ る を 得 な い 。 部 分 的 に 便 利 な 道 具 を 手 に 入 れ た と し て も 、 自 然 と の 関 わ り が 貧 相 で 、 そ の 道 具 に よ る 自 然 と の 関 わ り の 中 か ら 、 何 ら か の 風 土 が 再 生 さ れ な け れ ば 、 そ の 生 活 は 豊 か に な っ た と は 言 え な い 。 こ う し た 問 題 を 子 ど も た ち 自 身 が 発 見 す る よ う な 可 能 性 を 、 こ の 実 践 は 秘 め て い る と 思 わ れ る (rつなが りの段J)

皿 「八幡堀物語」一高校での実践l六 } ー

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今 と 昔 」 と 歴 史 性 ここまで検討してきた小学校で、の実践は、昭和包年代までと現在との比較対照を機軸 と し て い た 。 そ れ は 、 父 母 や 祖 父 母 の 代 か ら の 聞 き 取 り と い う 子 ど も た ち の 活 動 に 適 合 し 、 極 め て ド ラ ス テ ィ ッ ク な 変 化 を 浮 き 彫 り と さ せ 、 問 題 意 識 を 鮮 明 に さ せ る も の で あ った。しかし、この「今と昔」というアプローチには限界がある。それは、「昔はよかっ た」というような単なる懐古的な思いや、「でも昔には戻れない」というようなあきらめ にとどまることである。また、「昔」というものを「むかしむかし、そのまたむかし……」 と い う よ う に 、 ず っ と 昔 か ら そ う で あ っ た よ う に 、 記 憶 の 壁 に 塗 り 込 め て し ま う こ と で ある。「伝統的社会」対近代社会という対比的なアプローチは、近代社会の光と影を照ら し 出 す 鏡 と し て は 、 有 効 に 作 用 す る が 、 前 近 代 の 「 伝 統 的 社 会 」 も 古 代 、 中 世 、 近 世 と 歴 史 的 に 生 成 ・ 発 展 ・ 消 滅 し て い っ た も の で あ る と い う 歴 史 的 な 視 点 が ど う し て も 弱 く なる。「伝統的社会」についてロマンチックにイメージを広げるだけでなく、その歴史性 を リ ア ル に と ら え る こ と に よ り 、 近 代 以 降 に 生 き る 私 た ち が 、 未 来 を 志 向 し て い く て が かりを得ることができる。 環 境 問 題 を 歴 史 的 に と ら え る こ の 視 点 を 念 頭 に 置 い た 高 校 で の 実 践 事 例 を 次 に 検 討 し ていこう。

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八 幡 堀 」 物 語 こ の 実 践 の テ ー マ は 、 八 幡 堀 を め ぐ る 循 環 の 成 立 と 崩 壊 で あ る 。 そ の 連 関 の 関 係 性 を 明 確 に す る た め に 授 業 書 が 開 発 さ れ た 。 ま た 、 八 幡 堀 の 風 景 写 真 の ス ラ イ ド シ ョ ー と い -14

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-う 、 風 景 を 楽 し む 「 味 わ い の 段 」 を 進 め る 教 材 も 用 意 さ れ た 。 次 に 、 授 業 書 か ら 問 題 と 解 説 を 抜 粋 し て 紹 介 し よ う 。 表

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授 業 書 「 八 幡 堀 物 語J( 近 世 編 ) の 問 題 と 解 説 問題1:ん幡堀は、凡1つム「どのような目的で」つくられたのでしょうか。 解答

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し:1つ:江戸時効

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始まる直前(ーか百朱天正己年)で、豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が八幡 城築城の際に造りました。それと同時に城下町もっくりました。目的:迂澱箱の機能⑫自力主直る

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雷可と しての機能を整備するため。江戸時代のはじめに城下町を作ったのは、府尽;の商業百動を管理するためで す。琵王占胡を通る船はすべて八幡に寄港しなければなりませんでした。もちろん防衛の機能も果たしまし た抗戦乱の世カ終わって、社会カ宅安定してくると、八幡堀は様々な物資を積んだ船力桁き交し¥堀沿い には商家が立ち並び、近江商人の拠点ともなりました。 問題2: 7.ki藍が引かれる以前,mIJ¥幡の城下町に住む人々はどのようにして生活用水(飲料水)を得て いたのでしょう。 解答

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:井戸を掘って水が湧くところでは井戸を使っていました。水が簡単に得られないところには人は 住まないものです。しかし、八幡の城木町!j)1<の得にくい所にも広がっています。 問題

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:水の得にくい場所(城下町の西半部)に住まざるをえなかった人々はどのようにして水を得てい たのでしょうか。 解答

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:近隣の付に元井戸を掘って、そこから竹樋を地下に通して、市街地まで水を引きました。井戸組 を作って、元井戸の掃除や竹樋の慨著などを共同で行いました。水は命に関わる貴重なものなので、「水を 分けてもらってし、る」とし句麗哉があり、元井戸の村に対して水の使用料金を納めていました。 問題

4:

生活用水は井戸やy必草でまかなつでいましたが、それでは、家庭の生活

tT

1<はどのように良型里さ れていたのでしょう。 解答4:尿尿に関してl羽田留めに貯めて田圃のH問斗にしたようです。町に住む人々の尿尿は、農業をする 人に売ったようです。しかし、生活排水はほとんど垂れ流し状態だったようです。それでも、生活用水 と混ざってしまうことは避けたようで、市街地では「背割り」と呼ばれる#わk溝が八幡堀まで延U~ていま した。 問題

5:

八幡堀には常に生?鵬水が:m'J1込んでいます力主人工的に掘った堀なので放っておくと埋まって しまいます。そこで臨顕たちは組合を作って定期的に堀の凌深作業を行っていました。ではミ凌深でと れた泥や濁まどこに運んでいったのでしょうか。 解答

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:田圃に運んで

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悶斗にしていました。田圃に蒔く

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跡事ま、人糞や干し草もありましたが、内湖や堀 からとれる泥や藻も重要な

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問斗でした。また、そのようにして底のあがった田圃は吉年から巴年に一度タ ヌキといって、田の土を抜き、地盤を低くして水利をよくする作業が行われていました。 問題

6

:船カ哨き交う八申観面白し叫こは多くの倉庫カf建ち並び、荷物の積み出しゃ積み下ろしカ哨われてい ました。倉捧の他にも、八幡堀沿いにあると都合の良いあるモノをつくる工場が立ち並んでいました。さ て、それはしりたし判の工場でしょうれその工場が嚇品、にある理由を含めて考えてみよう。 解答

6:

瓦工場です。瓦は重しゅで船方重ぶのが一番楽です。そこから彦根や大津の港まて運びました。 原料となる粘土も船ち軍びました。耳焼きの閥斗となる薪も湖北地方から船で運ばれました。船を使うの が一番効率が良いので八幡堀恰し、は愚直の場所だったのです。近江川幡には瓦のほかにも様々な倒流産業 がありましたカミそれらの物資もほとんどカ噛告によって運ばれていました。 問題

7

:八幡瓦の原料である粘土はどこから採ってきたのでしょう力、 解答

7

:田圃の土を使います。瓦土は表土のアマを剥いだ下の粘土層が使われます。瓦土採取の作業は、 大房、牧、北之圧などの八幡周辺の村々でごく日常的に見られたものであり、農業をかねて土屋の親方を する人もいました。 作業:資源訓闘の流れを図に表してみよう。 問題

8:

資源の初1を図に車、てみて、気合、たことを書し1てみよう。 上 水 は 、 井 戸 組 に よ り 自 治 的 に 管 理 さ れ た ( 問 題 2

3)。 生 活 排 水 は 、 「 背 割 り 」 と -15

(21)

-呼 ば れ る 排 水 溝 を 通 り 、 八 幡 堀 に 流 さ れ た ( 問 題 4)。堀は、運河としての機能を保つた め に 、 定 期 的 な 凌 諜 が 必 要 で あ る 。 排 出 さ れ た 藻 や 泥 は 、 田 舟 な と に よ っ て 、 肥 料 と し て 、 周 辺 の 水 田 に 供 給 さ れ た ( 問 題 5)。しかし、入れ続ければ、土地が高くなり用水の 便 が 悪 く な る 。 そ こ で 、 田 ぬ き が 必 要 と な る 。 回 の 下 に は 泥 や 藻 が 堆 積 し 、 そ の 下 に は 粘 土 層 が あ る 。 こ の 粘 土 は 、 凍 結 へ の 耐 性 が 強 い 良 質 の 瓦 の 原 料 と な る 。 八 幡 堀 沿 い に は 、 八 幡 瓦 の 工 場 が 立 地 し て い た 。 原 材 料 で あ る 粘 土 、 燃 料 と し て の 湖 北 の 山 か ら の 薪 炭 の 搬 入 、 さ ら に 製 品 と し て の 八 幡 瓦 の 搬 出 に 、 丸 子 船 が 行 き 交 っ た ( 問 題6

7)。こ のように、町屋と水田、瓦工場との聞に、循環的に行き交う連闘が成立していた{七)。 こ の 八 幡 堀 に 前 述 の よ う な 循 環 的 連 闘 が 成 立 し て い た こ と を 高 校 生 た ち は ど の よ う に 受け止めたか。生徒の反応では、循環の巧みさを賞嘆する声が多くみられた。例えば、「昔 の資源、の循環のほうがむしろ技術の進歩した現代よりもうまく成り立っていたと思う。」 「まち全体がひとつになっているみたい。J

r

無駄がなく理想的な自然循環である。J

r

そ の場所にはいらない物を違う場所へ持っていき利用している。J

r

今 と 違 い ゴ ミ の 行 方 が しっかりしていて環境にとてもよい。J

r

昔 の 人々 は 自 然 の サ イ ク ル が で き て い る と 思 っ た。」なとである。 こ う し た 「 モ ノ 」 と 「 場 所 」 の 循 環 的 連 関 に つ い て 理 解 す る こ と に つ い て は 、 ほ ぽ ね ら い を 達 成 す る こ と が で き た と 思 う 。 お も む き の あ る 風 景 と し て の 八 幡 堀 の 背 後 に 隠 れ た 循 環 的 な 連 関 を 探 究 す る 「 探 り の 段 」 を 一 歩 進 め る こ と が 、 授 業 書 の 展 開 に よ っ て 可 能となったといえよう。

3

風土の受け渡し 「八幡堀物語」は、近世で終わらず、さらに続く 。 昭 和 の 初 期 頃 か ら こ う し た 循 環 的 連関が崩壊するプロセスは、大中湖をはじめとする内湖の干拓の話などにつながる。さら に、八幡堀を中心としたまちづくりの運動は素材として大きな可能性を持っている。八幡 堀をめぐる循環的な連関が崩れていくにつれて、八幡堀の川底にはヘドロがたまり、悪臭 や大量発生する蚊などに悩まされ、ゴミを捨てていく不心得者まで出てくる。そんななか で、一九七O年代に入り、堀の改修の陳情を受け、市は、幅員 4メートルのコンクリート 張りの排水路に狭め、残りを駐車場や児童公園、道路の拡張にあてるとする計画を発表す る。まさに八幡堀の歴史の終駕の危機である。これに対して、「堀は埋め立てられた瞬間 から後悔が始まる」と、八幡堀を守り、復元させるまちづくりの運動が展開される{川。「よ みがえる近江八幡の会」を中心に市民ぐるみの運動により、歴史的な町並みとともに景観 や風景の保存修景が行われ、観光資源あるいは時代劇のセットとして患を吹き返している。 しかし、次の若い世代にこれをどのように引き渡していくのかについては、課題も残され ている。この点を地元の高校に通う高校生として自分なりの意見形成を可能とする教材づ くりが期待される。 このような八幡堀をめぐる風土を受け継いでいったまちづくりの運動、そして、それを 次 の 世 代 へ と 引 き 渡 し て い く と い う 課 題 、 こ の 「風土の受け継ぎと、引き渡し」、これが 近代以降の八幡堀という素材の教材化のモチーフになる。ここで、風土論的アプローチの もう一つの段が構想される。それは、風土の秘密を探り、風土の中で自己を見いだすステ ー16

図 3 風土謝句アプローチの 4 つの段 風土論的アプローチの四つの段 . . ‑ ‑ ‑ ‑ 一 一 味わいの段 く思土を楽しむ〉 風土を味わったり 、 楽しんだりする段階。 マ 意 義 導入としでの λ りやすさ。 風土の魅力との出会い江,演出。 全体としで風土を直観し,たり 五感を過し‑て風土とつながって L 代。 く風土の宅自同宮 、 に 迫 る &gt; 風土が何世代にもわたり つながり の段 号!ぎ縦がれてぎた誌に迫り 、 風土を支えでいる 持 t 知可な循環 u) 巧んさを .  探究寸る段階

参照

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