(1)
露 訳 『 野 草 』の 注 釈 に つ い て
川 上 久 寿
くり
昨年(1971年)ソ 連 で新 ら しい魯迅 の 小 説 集 が 出版 され た 。 この 本 の注
(2)
釈 は 大 変 よい。1954年 出版 の 四 巻 本魯 迅 選 集 と1956年 出版 の 一 巻 本魯 迅 選
(3)
集 の 注 釈 は い ず れ も ヴ ェ ・ヴ ェ ・ペ トロ フ 教 授 の 手 に な る もの で あ っ た が, 今 度 あ らた に 出た 本 の 注釈 も同 じ くべ トロフ教 授 が 執 筆 して い る。 本稿 で は
この1971年 版 の 注 釈 の うちr野 草 』 の もの を と りあげ,こ れ を 前二 者 と比 較 して み る こ と とす る。 それ に よ って ソ連 に お け る魯 迅 作 品 に 対す る注釈 が 高 い 程 度 に あ っ て,中 国 や 日本 に ひ け を と らぬ こ とが 判 明 し よ う。 ペ トロ フ 教 授 の 注釈 は他 山 の石 とす るに た る もので,ソ 連 の魯 迅 研 究 の 水 準 を しめ し
て い る 。
四巻 本 魯 迅選 集(以 下 出版 され た 順 序 に よ り 《一 》 と略 す)と 一 巻 本 魯 迅 選 集(以 下 《二 》 と略す)の 注 釈 は 基 本 的 に は 同 じで,た だ所 々字 句 を異 に して い る ぐ らい な もの で あ るが,《 一 》 の誤 りを 訂正 して い る個所 もあ る。
た と え ば,《 野 草 》 英 文 訳 本 序 の 最 初 に 見 え る 「薦Y・S・ 先 生 」 の 部 分 が
《一 》 で は1]ocno」EnHΦ3Hyと な っ て い た の をPocnoAHHΦgHY・Sと 訂 正 し て い る 。 こ の 程 度 の ち が い で あ る か ら,ま ず 《一 》 の 注 釈 を み て 《二 》 は 省 くこ と とす る 。 まず 《一 》 の 注 釈 を み よ う。
ωJlyCHHbnoBecTbHPacca3HH3ムaTe諏bcTBo《XYAo》KecTBeHHaflπHTepa‑
Typa》1>bcKBa。1971.BcTynHT,cTaTb分 几 ∂thllnHHCocTaBJIeHHeHo6maH peAaK照 只ToMaH.T.Φe江opeHKo.
(2)Co6paHHecoqHHeHH銘BqeTblpexToMaxrIo双06皿 しpe江.B.C.KoJloKo一
訂oBa,K.M.CHMoHoBaHH.T.Φe丑opeHKo.[CocT.JI.双.no3AHeeBa, BcTynnT,cTaTbHH.T.Φe双opeHKo.Peム.nepeBo双oBB.C.KonoKonoBn B.H.PoroBコ.T.1‑4.ML,rocnHTH3AaT,1954‑1955.
(3)JlyCHHbll36paHHoe,rocyAapcTBeHHoeH3AaTenbcTBoxyAo)KecTBeHHo曲 rmTepaTypbl,M、ocKBa,1956,CocTaBneHHeHo6iuaHpe八aK照HH.T.Φe双o‑
peHKo,BcTynHTenbHancTaTbHB.neTpoBa,
『野 草 』r野 草 』 は1927年 懲 の 『北 新 書 局 』 か ら 初 版 が 出 た 。 (こ の 下 線 の 個 所 は 誤 りで 《二 》 も 同 じで あ る 。 川 上)r野 草 』(『序 』 を 除
く)の テ キ ス トは 二 十 巻 本 魯 迅 全 集(1938年)の 第 一 巻 に 収 め られ た 。 この 翻 訳 は 別 個 に 再 版 さ れ た テ キ ス ト,つ ま り,r野 草 』 人 民 文 学 出 版 社,北 京,1952年 に よ っ た 。
『英 訳 『野 草 』 の 序 』 は 非 常 に お も しろ い 。 これ は1931年11月5日 に 魯 迅 が 書 い た も の で,『 二 心 集 』(1932年)に 収 め られ た 。
(こ の あ と にr英 訳 『野 草 』 の序 』 が 全 訳 され て い る が,こ こ で は 省 く。)
『魯 迅 の 小 説 集 』(以 下 《三 》 と略 す)を み る と次 の と お り。
散 文 詩 集r野 草 』 は1927年7月 上 海 で 初 版 が 出 た 。
こ の 書 物 を 正 し く 理 解 す る た め に は,魯 迅 が1931年11月5日 に 書 き
『二 心 集 』(1932年)に 収 め た 『英 訳 『野 草 』 の 序 』 が 役 立 つ 。
(以 下 に 『英 訳 『野 草 』 の 序 』 の 全 訳 が つ づ くが 省 く。)下 線 の よ う に
《一 》 の 誤 りが 訂 正 され て い る 。
日本 の 魯 迅 選 集(岩 波 書 店),中 国 の 魯 迅 全 集(人 民 文 学 出 版 社)(以 下
《四 ウ と略 す)に は 以 上 に 見 た よ うな 『野 草 』 の 注 は な い 。 日本 の 魯 迅 選 集 (第 一 巻)に は 『野 草 』 に つ い て 』 と い う解 説 が あ り,そ れ に は 次 の よ うに 中 国 の 全 集 に も ロ シ ヤ の 選 集 に もみ え な い 記 述 が あ る。 『一 九 二 七 年 七 月, 北 新 書 局 か ら出 版 さ れ た 散 文 詩 集 。 四 六 判,目 次 四 ペ ー ジ,本 文 九 四 ペ ー ジ,紙 装,表 紙 は 孫 福 煕 の 淡 彩 画 の 二 色 刷 り。』 四 六 判 以 下 の 記 述 は この 選 集 以 外 で は 読 む こ とが で き な い 。 この 版 本 は ご く 少 数 の 人 が 所 蔵 して い る か,或 い は 限 られ た 図 書 館 に しか 所 蔵 され て い な い だ ろ う か ら,わ れ わ れ の 眼 に は 容 易 に ふ れ な い もの で あ る だ け に,岩 波 魯 迅 選 集 の 竹 内 好 先 生 の 記 述 は あ り が た い 。
小 序(題 辞)括 弧 内 は中 国 語 の原 交(以 下 同 じ)
蒋 介 石 が上 海 で 反 革 命の 裏切 りを行 っ てか ら 二 週 間 後 の1927年4月26
露訳 『野草』 の注釈 につ いて(川 上) (3) 日に 広 東 の白雲 楼 で 書 か れ た,正 に 国民 党 権 力 に よる残 酷 な政 治 テ ロ とい う 環 境 の もとに お い てで あ る。 『野 草』 に は 反 動 にた い す る 抵 抗 の 姿 勢 が み え,ま た偽 装 の うちに も必然 的 に勝 利 す べ き革 命 思想 が 表 現 され て い る(『死 火 』)。
以 後 の 出版(1928年4月 の第 四版 か らの もの)に な る と 『題 辞』 は 国民 党 の検 閲 に よ り削 除 され た 。 魯迅 は1936年2月19日 付 の夏 傳 経 あ て の 手紙 に こ う書 く。
r貴 翰 あ りが た く拝 調 いた しま した 。 『竪 琴』 の序 は政 府 の検 閲 で 削 られ ま した 。 『野草 』 の序 もおな じ運 命 を た どる もの と思 わ れ ます 。 これ に つ い ては,こ れ まで 何 回 も書 店 と話 を した の です が,何 の役 に もた ち ませ ん。』
これ に 対 して,《 三 》 の 注 釈 は 次 の とお り。
1927年7月2日 『語 縣 』誌 上 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 へ の 訳 者 は ヴ ェ ・ヴ ェ ・ ペ ト ロ フ(B .B.IleTpoB),四 巻 本 魯 迅 選 集,第 一 巻,モ ス ク ワ,1954年 。
1928年4月 出版 のr野 草 』第 四版 で は 国民 党 の検 閲 のた めr題 辞 』 が 削 られ て い る。 そ こに,偽 装 され た うち に も革 命 へ の共 感,蒋 介 石 の反 動 的 裏 切 り後 の 中 国 の社 会 秩 序 に た いす る批 難,つ ま り造 反 を見 た か らで あ る。 そ れ 以 来1941年 に 至 る まで 『題 辞 』 が のせ られ る こ とは 全 くな か った。 魯迅 は 夏傳 経 あ て の 手紙 に こ う書 い て い る。
r豊 琴 』 の 序 は 政府 の 検 閲 に よ って削 られ ま した … …r野 草 』 の序 もお な じ運 命 を た ど る もの と思 わ れ ます 。 私 は これ まで何 回 とな く書 店 と話 合 い を し ま した が,序 は 本 に 入 れ られ ま せ ん で した … … 』
以 上 の両 者 を比 較 す れ ば 後者 の ほ うが よ り詳 細,厳 密 に な って い る こ と が わ か る し,中 国語 か らの翻 訳 も よ くな って い る。 下 線 を施 した 個 所 を対 照
して いた だ きた い。 夏傳 経 あ て書 簡 中 引 用 した 最 後 の部 分(下 線 の個 所 λ は
中 国語 で は 『我 曾 向書 店 説 過幾 次,終 子不 補 』 で あ る。 参 考 の た め に記 す 。
r題 辞 』 に つ い て は 魯 迅 全 集(人 民文 学 出版 社)が くわ しい 注釈 をつ け て は
い るが,そ れ で もr1928年4月 出版 のr野 草 』 第 四版 で は 国民 党 の検 閲 の た め 『題 辞 』 が 削 られ て い る』 とい う 《三 》や 《一 》 の よ うに年 月や版 まで の 記 述 は な い。 す なわ ち,后 来 被 国民 党 政 府 書 披 検 査机 芙抽 去,至1941年 上 海魯 迅 全 集 出版社 出版 《魯 迅 三 十年 集》 吋 才 重 新 収 入(后 日国民 党 政府 の 検 閲機 関 に 削 られ,1941年 上 海 の魯迅 全 集 出版 社 が 《魯迅 三 十年 集 》 を 出版 し た と きは じめ て新 た に 収 め られ た)と な って い る。 こ こに 『秋 夜 』 以 下 二 十 三 篇 の注 を掲 げ る。
秋 の 夜(秋 夜)《 一 》
著 名 な 文 芸 学 者 王 培 の 説 く と こ ろ に よ る と,こ の 散 文 詩 は 魯 迅 が1942 年5月 か ら住 ん で い た 北 京 の 西 三 条 胡 同 ニ ー 号 の 家 の 内庭 を 描 い た も の だ と '
い う(王 培 著,魯 迅 と 中 国 文 学,平 明 出 版 社,1953年,146頁)。 これ に つ い て は 『狂 劔 社 』 で 魯 迅 を 知 っ て い た 尚 鑓 が 『わ た く しの 生 涯 と学 習 』 と い
う追 憶 記 で 確 認 して い る 。
秋 の 夜(秋 夜)《 三 》
1924年12月1日,雑 誌r語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 は エ リ ・ゼ ・エ イ ド リン に よ る 。 魯 迅 選 集,モ ス ク ワ,1945年 。
こ の 散 文 詩 は 北 京 西 三 条 胡 同 ニ ー 号 の 家 の 内 庭 の 叙 述 で あ る。 魯 迅 は こ の 家 に1924年 の5月 か ら1926年8月 まで 住 い した 。1956年 こ こ は 魯 迅 記 念 博 物 館 と して 公 開 さ れ,魯 迅 が 讃 え で もす る よ うに 書 い た 伐 り倒 さ れ た 譲
の 代 りに は 他 の 癩 の 樹 が 植 え られ た 。'
影 の 告 別(影 的 告 別)《 一 》
これ とこれ につ づ く一一 連 の 散文 詩 に は魯 迅 思 想 の 内的 矛盾 が 反 映 され,
露訳 『 野 草』 の注釈 につ いて(川 上) (5) か れ の 探 求 と沈 思 の 世 界 が ひ らか れ て い る。 当 時 の か れ の 気 持 と して は 戦 い の 隊 伍 に 入 ろ う と決 め て は い な が ら も,ま だ 革 命 的 な 勢 力 に 合 流 して は い な か っ た 。 そ の こ ろ の 魯 迅 の 立 場 を 特 徴 づ け て,中 国 の 有 名 な 批 評 家 薦 雪 峯 は い う。
『… … い っ ぽ うで,か れ(魯 迅 ヴ ェ ・ヴ ェ ・ペ トロ フ)は 古 い 思 想 や 気 分 を い く らか も っ て い た が,他 面 な お 自分 の 矛 盾 した 気 分 を つ よ く反 映 して い た 。 か れ が 自己 分 析 を して,若 干 の 旧 思 想 ∫ と りわ け 個 人 主 義 に も と つ い た 旧 思 想 を 否 定 して い る こ と は 特 に は っ き り 見 る こ とが で き る(薦 雪 ,峯,回 憶 魯 迅,人 民 文 学 出 版 社,北 京,1953年,20頁)。
魯 迅 自身 は 蔵 軍 あ て1934年10月9日 付 書 簡 に 書 い て い る 。
『わ た く しの 本 『野 草 』 は 技 巧 か らい え ば 決 して ま ず くは な い と 思 わ れ ます 。 しか し心 情 的 に は 頗 る 意 気 消 沈 して お り ます 。 と い うの は,お び た だ しい 困 難 に 出 くわ した 後 に 書 い た も の だ か らで す 。 あ な た が た が こ うい う頽 廃 的 気 分 の 影 響 か らぬ け 出 す こ とを 望 み ます 』。
影 の 告 別(影 的 告 別)《 三 》
1924年12月8日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は ヴ ェ ・ヴ ェ ・ペ ト ロ フ,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年 の 第 一 巻 に 収 め られ て い る。
こ れ と そ の 後 に つ づ く一 連 の 散 文 詩 に は 魯 迅 が 多 くの 旧 思 想 を 断 乎 と し て 否 定 し,空 虚,う る わ しい 幻 想 と暗 黒 に 抗 して 立 ち 上 り,批 判 的 に 過 去 を 再 評 価 し,新 思 想 を 探 索 しつ つ あ っ た 自己 を 肯 定 し よ う と した 時 代 の 魯 迅 の 探 求 と沈 思 の 複 雑 で 矛 盾 して い る 不 安 定 な 世 界 が ひ らか れ て い る。 だ が,ま
だ 孤 独 の 気 分 に 完 全 に 打 ち 勝 っ て は お らず,か れ を 苦 め て い た 疑 惑 と 矛 盾 を 徹 底 して 解 明 で き な か っ た 。
1934年10月9日 付 瀟 軍 あ て 書 簡 に 魯 迅 は 書 い て い る。
『わ た く しの 本 『野 草 』 は 技 巧 の 点 か らみ れ ば 決 して 拙 い と は 思 え ま せ
ん 。 だ が,こ れ に は あ ま りに も多 くペ シ ミズ ムが あ り ます 。 そ れ と い う の も
多 くの困難 に ぶ っつか った 後に 書 い た もの だか らで す 。 あ な た が この気 分 に 圧 倒 され な い よ うに 』。
乞 食(求 乞 者)《 一 》
な し 。
乞 食(求 乞 者)《 三 》
1924年12月8日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は エ リ ・ ゼ ・エ イ ド リ ン,魯 迅 選 集,モ ス ク ワ,1945年 。
わ が 失 恋(我 的 失 恋)《 一 》
な し 。
わ が 失 恋(我 的 失 恋)《 三 》
こ の 詩 は1924年12月8日 『語 綜 』 初 掲 載 。 ロ シ ア語 訳 者 は ウ ラ ジ ミー ル ・ロ ゴ フ,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年 。
魯 迅 が これ を 書 い た の は,そ の 言 に よ る と,『 当 時 流 行 の 恋 愛 詩 を 冷 や
か そ う と した 』 も の で あ る 。 『ア ー ア』 とか 『わ れ わ が 身 を ほ ろ ぼ さ ん 』 な
どに 類 した 失 恋 詩 の 隆 盛 さ に,そ れ を 嘲 笑 す べ く詩 の 最 後 を ば わ ざ とrい や
しか し,ど う に で も し ろ い 』 で 終 らせ た 。 『わ が 失 恋 』 は 形 式 上 は 詩 人 で 学
者 の 張 衡(78‑139)の 四 愁 詩 を も じ っ た も の だ が,内 容 か らい え ば 唐 の 詩 人
張 打 油 の 駄 酒 落 の 詩,パ ロ デ ィー で あ る。 張 打 油 は そ の 詩 の 中 で 詩 句 の 間 の
論 理 的 関 係 を ぶ ち こわ した の み な らず 意 表 を つ く コ ン トラ ス トで 滑 稽 の 効 果
を か も し出 した 。
復讐(夏 仇1)
な し 。
露訳 『野草』 の注釈 につ いて(川 上)
《一 》
復 讐(隻 仇1)《 三 》
1924年12月29日 『語 縣 』 に 初 掲 載 。 ト ロ フ,魯 迅 選 集,1956年 。
分 長 さ の 単 位 で3.3㎜ 。
復 讐(夏 仇2)《 一 》
(7)
ロ シ ア 語 訳 者 は ヴ ェ ・ ヴ ェ ・ぺ
な し 。
復 讐(夏 仇2)《 三 》
1924年12月29日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は ヴ ェ ・ヴ ェ ・ペ トロ フ,魯 迅 選 集,1956年 。
キ リス トの 礫 の 場 面 は 中 国 語 訳 『新 約 聖 書 』 の 『マ タ イ伝 第 二 七 章 』 と rマ ル コ伝 第 一 五 章 』 に よ っ て い る。
希 望(希 望)《 一 》
ペ チ ヱ フ ィ ー ・ シ ャ ン ドル(1823‑1849)は ハ ン ガ リ ィ革 命 の 偉 大 な 歌
い 手 で,魯 迅 の 愛 好 す る 詩 人 の ひ と り 。 魯 迅 は そ の 評 論 で し ば し ば ペ チ ェ フ
ィ ー の 作 品 に ふ れ て い る 。 『野 草 』 と 同 時 に1925年1月 に は 『語 綜 』 に 魯 迅
訳 の ペ チ ェ フ ィ ー の 詩 が 六 編 の っ た 。
希 望(希 望)《 三 》
1925年1月19日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア語 訳 者 は ヴ=・ ヴ ェ ・ペ ト , ロ フ,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年,第 一 巻 所 収 。
シ ャ ン ドル ・ペ チ ェ フ ィー は 魯 迅 の 最 も愛 好 す る詩 人 の ひ と りで,こ の ひ と の 作 品 に つ い て は 自分 の 評 論 中 で 何 回 とな くふ れ て い る 。 か れ は ペ チ ェ
フ ィー 一の 詩 を 中 国 に 宣 伝 しよ う と 尽 力 した 。 同 時 に 『希 望 』 と と も に1925 年1月 『語 綜 』 に 魯 迅 訳 の ペ チ ェ フ ィー の 詩 が 五 編 の っ た 。
雪(雪)《 一 》
江 南 南 中 国 の こと,江 は 揚 子 江 の意。
雪(雪)《 三 》
1925年1月26日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は テ ・サ モ イ ロ フ, r東 洋 文 芸 作 品 集 』,第 一 巻,モ ス ク ワ,1947年 。 ヴ=・ ヴ ェ ・ペ ト ロ フ, 魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年,第 一 巻 所 収 。
江 南 楊 子 江 の 南 方 地 域,つ ま り 南 中 国 。 磐(llllHh)打 楽 器 に 属 す る 古 代 楽 器 名 。
凧(風 箏)《 一 》
た こ
な し 。
凧(風 箏)《 三 》
た こ
1925年2月2日r語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は エ リ ・ ゼ ・ エ イ ド
リ ン,魯 迅 選 集,
露 訳 『野 草 』 の 注 釈 に つ い て(川 上)
モ ス ク ワ,1945年 。
(9)
す ば ら しい 物 語(好 的 故 事)《 一 》
r初 学 記』 唐(7世 紀)の 学 者 徐 堅 が 皇 帝 の命 に よ って 編 纂 した 文 集。
● ● ● ● ●
これ は 中 国で 『類 書』 に属 す る録 初 の 百科 全 書 の ひ とつ で あ る。
す ば ら しい物 語(好 的故 事)《 三》
1925年2月9日 『語 懸 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は ヴ ェ ・ヴ ェ ・ペ ト ロ フ,『 こ よ な く 素 晴 ら しか り し時 』 と訳 す,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年,第 一 巻 所 収 。
『学 習 の 初 歩 』(『 初 学 記 』),題 目別 に 選 別 し配 列 され た 各 種 の テ キ ス ト
● ● ● ● ● ● ●o● ● ■ ●
を系 統 的 に 集 め た もので,中 国 最 初 の 百科 全 書 の ひ とつ。 この百 科 全書 は皇 帝 の命 に よって 徐 堅(659‑729)を は じめ とす る 多 くの学 者 に よっ て編纂 さ れ た。
山陰 道,紹 興(漸 江 省)か ら南 西 へ通 じる道,そ こは絵 の よ うに風 光 明
●o●
媚 な た め全 中 国に 有 名。 山陰 は 紹 興 の昔 の呼 び 名。
旅 人(過 客)《 一 》
な し。
旅 人(過 客)《 三 》
1925年3月9日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ フ,魯 迅 選 集,モ ス ク ワ,1956年 。
ロ シ ア 語 訳 者 は ヴ ェ ・ ヴ ェ ・ペ ト
死 火(死 火)《 一 》
な し 。
死 火(死 火)《 三 》
1925年5月4日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は ヴ ェ ・ ヴ ェ ・ペ ト ロ フ,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年,第 一 巻 所 収 。
犬 の 反 駁(狗 的 駁 詰)《 一 》
な し 。
犬 の 反 駁(狗 的 駁 詰)《 三 》
1925年5月4日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は ア ・ ア シ ュ ト ゥ ー キ ン,『 犬 と の 対 話 』 と 訳 す 。 『魯 迅188H936』,モ ス ク ワ,レ ニ ソ グ ラ ー
ド,1938年 。 エ リ ・ ゼ ・エ イ ド リ ン 訳,魯 迅 選 集,モ ス ク ワ,1945年,所 収 。
失 わ れ た地 獄(失 捧 的 好 地 獄)《 一 》
剣樹 地 獄 で 罪 人 が うけ る責苦 の道 具 。
阿労 地 獄 に住 む 悪 魔 の ひ とつ で,頭 は牛,手 は人 間,足 に蹄 が あ る。
● ●
山を 動 か せ るほ どの 力が あ る。
うるわ しか り し失 わ れ た地 獄(失 掠 的 好 地 獄)《 三 》
露訳 『野草』 の注釈 につい て(川 上)(11)
1925年6月22日r語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア語 訳 者 は ヴ=・ ヴ ェ ・ペ ト ロ フ,『 失 わ れ た 地 獄 』 と訳 す,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年,第 一 巻 所 収 。
剣 樹 地 獄 で 罪 人 が うけ る 責 苦 の 道 具 。
● ●
阿 労 地 獄 に 住 む 悪 魔 の 一一種 で,頭 は 牛,蹄 が あ る が,手 は 人 間 。 阿 労 は 山 を 動 か せ る ほ ど力 が つ よ い 。
墓 碑 銘(墓 隅 文)《 一 》
な し 。
墓 碑 銘(墓 隅 文)《 三 》
1925年6月22日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は ヴ ェ ・ ヴ ェ ・ペ ト ロ フ,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年,第 一 巻 所 収 。
滅 び の予 感 の戦 標(頽 敗 線 的 頗 動)《 一 》
な し 。
滅 び の予 感 の戦 懐(頽 敗 線 的 顛動)《 三 》
1925年7月13日 『語 縣 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は ヴ ェ ・ ヴ ェ ・ ペ ト ロ フ,『 滅 び の 道 へ の 戦 標 』 と 訳 す,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954 年,第 一 巻 所 収 。
判 断(立 論)《 一 》
原 文 の 『満 月』 に 相当 す る個所 の 注,「 中国 の 習慣 で は 生 後一 ヵ月 の赤 子 を お客 さ まの前 へ抱 い て来 て 見 せ,そ の将 来 を う らな って も ら う。」
判 断(立 論)《 三 》
1925年7月13日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は エ リ ・ゼ ・エ イ ド リソ,魯 迅 選 集,モ ス ク ワ,1945年 。
r生 れ て 一 ヵ月 目に そ の 子 を お 客 さ ま の 前 へ つ れ て 来 る 』 民 間 の 習 慣 で は,生 れ て 一 ヵ 月 目に そ の 将 来 を う らな っ て くれ る お 客 さ ま の 前 へ つ れ て 来 て 見 せ る 。
死 後(死 後)《 一 》
な し 。
死 後(死 後)《 三 》
1925年7月20日 『語 縣 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア語 訳 者 は ヴ ェ ・ヴ ェ ・ペ ト ロ フ,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年,第 一 巻 所 収 。
明 版 明(1368‑1644)の 時 代 に 出版 され た も の 。
公 羊 傳 中 国 で 広 く知 られ て い る 『春 秋 』 の 注 釈 で,公 羊 高(紀 元 前5
● ● ●
世 紀)の 書 い た も の 。
嘉 靖 明 の 世 宗 皇 帝(1522‑1566)治 世 の 年 号 。
■o
こ の よ う な 戦 士(速 祥 的 哉 士)《 一 》
な し。
露訳 『野 草』 の注釈につ いて(川 上) この よ うな 戦 士(迭 祥 的 哉 士)《 三 》
(13)
1925年12月21日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 考 は ヴ ェ ・ ヴ ェ 。ペ トロ フ,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年,第 一 巻 所 収 。
緑 営 兵1644年 か ら1911年 ま で 中 国 を 支 配 した 清 の 時 代 『八 旗 』 と い う主 と して 満 洲 人 に よ り編 成 さ れ た 軍 隊 と異 り,漢 人 か らな る軍 隊 だ っ た の で こ の 名 が あ る 。
東 方 文 明 保 守 主 義 者 はr東 方 文 明 』 の 擁 護 を 唱 え る こ と に よ っ て,新 ら しい 民 主 主 義 文 化 とた た か うた め に こ の ス ロ ー ガ ン を 巧 み に 利 用 した 。
『東 方 文 明 』 の 擁 護 と い う こ と は,か れ らに と っ て 古 代 に も ど る こ とで あ り, ま た 封 建 文 化 の 支 配 を 復 活 す る こ とに ほ か な らな か っ た 。
護 心 鏡 清 の 兵 隊 は 悪 魔 や 弾 丸 よ け と して これ を 胸 に つ け て い た 。
賢 人 と馬 鹿 と奴 隷(聴 明 人 和 優 子 和 奴 才)《 一 》 ・
銀 耳 木 く らげ,食 用 きの この一 種 で珍 味 とされ,ま た薬 用 に も供せ ら
● ●
れ る 。
賢 人 と馬 鹿 と奴 隷(聡 明人 和 儂 子和 奴 才)《 三 》
1926年1月4日 『語 緕 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は マ ル デ ル,『 東 洋 文 芸 作 品 集 』 第 一 巻,モ ス ク ワ,1947年 。 ヴ ェ ・ ヴ ェ ・ペ ト ロ フ 訳,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年 。
銀 耳 木 く ら げ,中 国 料 理 の 珍 味 の ひ と つ で 薬 用 に も 供 せ ら れ る 。
枯 れ 葉(騰 叶)《 一 一》
『雁 門 集 』 詩 と散 文 を 集 め た もの。 著者 は 元 の 有名 な 詩 人 薩都 刺(1308
年 死 亡)《 中 国 文 学 家 列 ○,楊 陰 深 編 著 に よ る と(1308‑?)と な っ て い る一 川 上 》,蒙 古 系 の ひ と で 漢 語 で 書 い た 。 国 境 の 関 所 た る雁 門 関 に 生 れ た の で,
お の が 詩 文 集 に そ の 名 を と っ た 。
枯 れ葉(臆 叶)《 三》
1926年1月4日 『語 紡 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア語 訳 者 は ヴ ェ ・ヴ ェ ・ペ ト ロ フ,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年,第 一 巻 所 収 。
『雁 門 集 』 元 の 有 名 な 詩 人 薩 都 刺(14世 紀)の 詩 集 。 漢 語 で 書 い た 蒙 古
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系 のひ とで一 時 雁 門関 に 住 ん で い た こ とが あ る。
淡 き血 痕 の な か に(淡 淡 的血 痕 中)《 一 》
北 京 の三 ・一 八事 件(1926年)の 後に 書 か れ た 。 この 日,大 沽 口に お け る 日本 の軍 事裁 判 の 開始,中 国 主権 の侵 害,軍 閥 の売 国政 策 に反 対 す る大衆 の愛 国的 なデ モが 行 な われ た 。 段 棋瑞 政 府 は 身 に 寸 鉄 な き大 衆 にむ け て発 砲 した 。 三 百 人 余 りが殺 され た そ の 中 に は多 くの学 生 が お り,魯 迅 の弟 子 もい た 。 魯 迅 は この 散 文詩 の ほか に も三 ・一 八事 件 のた め 雑 感 を何 篇 か書 い て い る(『 劉和 珍 を記 念 して 』 『花 な きバ ラ』 『惨 め さ と可笑 しさ』 『死 地 』)。反 革 命暴 力 に よる犠 牲 者 を悼 み なが ら,魯 迅 は軍 閥 の裏 切 り政 策 を憤 りを こめ て 暴 露 した 。
淡 き血 痕 の なか に(淡 淡 的血 痕 中)《 三 〉
1926年4月19日 『語 綜 』 に 初 掲 載 。 ロ シ ア 語 訳 者 は ヴ ェ ・ヴ ー=・ペ ト ロ フ,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年,第 一 巻 所 収 。
三 ・一 八 事 件(1926年)に 感 じて 書 い た も の で あ る 。 そ れ は 日本 帝 国 主
義 の 厚 顔 無 恥 な 侵 略,中 国 主 権 の 侵 害,段 棋 瑞 政 府 の 売 国 政 策 に 反 対 す る大
衆 の 愛 国 的 な デ モ が 北 京 で 行 な わ れ た 事 件 で あ る。 デ モ が 天 安 門 か ら段 棋 瑞
露訳 『野草 』 の注釈 につ いて(川 上) (15) の 邸 宅へ 向 った と き,警 備 隊 が 身 に 寸 鉄 もお びぬ 群 衆 に発 砲 した うえ,銃 剣
と軍 刀 も使 用 した。 そ の 結果 二 百 名 が 死傷 した。 死 傷者 の な か に は魯 迅 の 弟 子 の北 京 女 子 師 範大 学 の学 生 もい た。 この 散文 詩 の ほ か に 魯迅 は三 ・一 八 事 件 のた め 何 篇 か の 評 論(『 劉 和 珍 を記 念 して』 『花 な きパ ラ』r惨 め さ と可笑 しさ』r死 地 』)を 書 いた 。 反 革命 暴 力 に よる犠牲 者 を悼 み な が ら,魯 迅 は軍 閥 の裏 切 り政 策 を憤 りを こめ て暴露 した。
め ざ め(一 覚)《 一 う
漏 玉 祥 の軍 隊 が 日本 の 尻 押 しを うけ る張 作 縣 と呉 侃 孚 の連 合軍 の た め北 京 を 追 われ る とい う軍 閥 戦争 時 代 の1926年4月 に 書 か れ た 。
天 下 つ ま り中 国 の こと。
北 京 大 学 中国 の 最 高学 府 のひ とつ(1898年 創 立)で,中 国新 文 化 運 動 の 中心 。 そ の歴 史 は 中 国人民 の革 命 斗 争 との むす びつ きが 極 め て つ よい。 魯 迅 は1920年 か ら1926年 に わ た って北 京 大 学 で 文学 の講 義 を した。 かれ は進 歩 的学 生 の要 求 を 積 極 的 に支 持 し,章 士 釧 み た い な反 動 的 学者 文 人 とは 断乎 と して た た か った。rわ が 北京 大学 観 』(『我 観 北 大 』)(1925年12月13日)
に 魯迅 は書 いて い る。
r第 一 に,北 京 大 学 は進 歩 的 な 運 動 の 前衛 で あ り,中 国 の安 居 楽 業 を 望む 人 び との前 進 す べ き道 を 指 し示 した。 数 多 い 暗矢 がそ れ に命 中 し畑 こせ よ, 多 くの デ マが 流 され よ うと も,年 年 歳 歳 教 授,学 生 は人 を変 えて ゆ くに して
も,新 ら しき ものを 志 向す るそ の精 神 だけ は つ ね に生 きつ づ け てい る… … 第二 に,北 京 大 学 は 暗黒 勢 力 とた えず 戦 って い る… …』
『浅 草』1924年 に 上 海 で 同 名 の 文 学 グル ー プが 出 した雑 誌 。 これ に 加 って い た主 なひ とは,陳 翔 鶴,嬬 護,高 世 華,韓 君 格 な どの 作 家,詩 人 の鴻 至 で あ った。 雑 誌 の基 本 的 な ス ロー ガ ン と方 向 は 『芸 術 の た め の芸 術』 で あ
った。
r沈 鐘 』1925年10月 北 京 でr浅 草』 を この名 で 続 刊 した。 この雑 誌 に
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参 加 した 人 び とは大 体 に おい て前 の とお りで 傾 向 も変 りなか った。 雑誌 に 加 った 人 び とは 西 洋 の 作 家(ワ イル ド,ボ ー ドレー ル,ギ ッシ ソ グ)に 関心 を い だ い た。 魯迅 は 『中国新 文 学大 系 小 説 二 集』(1935年3月2日)で この雑 誌 の傾 向 を特 徴 づ け て こ うい う。
『1924年 上 海 に あ らわれ た 『浅 草社 』は 紛 れ もな くr芸 術 のた め の芸 術i の文 学 者 の 団体 だ った。 そ う して 出版 され た 季 刊 は毎 度 そ の力 を あ き らか に した。 外 に は 外 国 の 精 神 的 食糧 を と りいれ,内 で は 自己 の 魂 を あば きだ し た。 この世 を じっ と見 凝 め,悲 しみ多 い人 び とに 真実 の うるわ しい歌 を きか せ るため に 心 の 眼 と舌 を しめ した か った ので あ る。翌 る年,文 学 団体 の 中心 は北 京 に 移 り,参 加者 の一 部 は 去 って,r浅 草』 季 刊 は週 刊 のr沈 鐘 』 に な
って しまった … …
しか し,当 時 め ざ め た 知 識 人,青 年 の 気 分 は概 ね 熱 烈 な ものが あ った が,ま た 悲 しい もの で もあ った 。 も しか れ らが 光 明を求 め た とす れ ば,か れ
らの 周 囲 の暗 黒 を も っ とは っ き り見 た だ ろ う』。
め ざ め(一 覚)《 三 》
1926年4月19日 『語 綜 』 に初 掲載 。 ロ シア語 訳者 は ヴ ェ ・ヴx・ ペ ト ロフ,魯 迅 選 集(四 巻 本),モ ス ク ワ,1954年,第 一巻 所 収 。
1926年4月 に 直 隷 軍 閥 の 漏玉 祥軍 と 奉 天 軍 閥 の 張 作 霧 と李 景 林 の軍 隊 との戦争 の時 に奉 天 軍 の飛 行 機が 何 回 か 北京 を急 襲 して爆 弾 を お と した。
北京 大 学 中 国で 最 も古 い大 学 の ひ とつ(1898年 創 立)で,中 国新 文 化 運 動 の 中心 。 そ の歴 史 は 中 国人 民 の革 命 斗 争 と固 くむ す び つ いて い る。 魯 迅 は1920年 か ら1926年 にか け て 中 国文 学 史 を講 じた 。 か れ は 進 歩的 学 生 の要 求 を 積 極 的 に支 持 し,章 士 釧 の よ うな反 動 的 学者,文 人 とは 断 乎 と してた た か った。
r浅 草』1924年 に 同名 の 文 学 団体 が 上 海 で 出 した 雑誌 。 これ に 加 盟 し
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た若 い文 学 者 は陳 翔 鶴,陳 嬬護,韓 君 格,林 如 稜,薦 至で あ る。 雑 誌 の発 行
露訳 『 野 草』 の注釈 につい て(川 上) (17)
は 不 定 期 で,四 号 を 出 した に と ど ま り1925年2月 『 浅 草 』 は廃 刊 に な った 。 魯迅 が 述べ たr無 名 の 青年 』 とは 明 か に陳 嬬護 の こ とで,当 時 か れ は北 京 大 学 の英 語 英 文 学 部 に 学 びな が ら自 ら進 んで 魯迅 の 中 国小 説 史 の 講 義 に 出席 し て い た。 陳嬬 護 が 『浅草 』 社 の 出版 物 を ず っ と魯迅 に お くって い た こ とは 明
らか で あ る。
『沈 鐘』 同 名 の 文 学 グル ー プの 機 関 誌 と して1925年10月 か ら12月 ま
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で 北 京 で 出 た 週 刊 の 文 学 雑 誌 。 そ の 中 核 と な っ た の は そ れ ま で 『浅 草 』 か ら 閉 め 出 さ れ て い て 再 び 加 っ た 若 い 文 学 者 だ っ た 。1926年8月 に 『沈 鐘 』 は 再 刊 され た が,そ れ は も う 二 週 間 お き に 出 る もの と な り1927年1月 まで 発 行 さ れ,1932年 か ら1934年 の うち に 再 度 発 行 さ れ た 。 こ の 雑 誌 の 同 人 は ヨ
ー ロ ッパ の 作 家(ワ イ ル ド ,ボ ー ドレ ー ル,ギ ッ シ ン グ)に 傾 倒 して い た か ら,ハ ウ プ トマ ン の 戯 曲 の ひ とつ を 自分 た ち の 文 学 団 体 と雑 誌 の 名 に した の も頷 か れ る こ とで 偶 然 で は な い 。 『中 国 新 文 学 大 系 小 説 二 集 』 の 序 で,魯 迅 魯 迅 は こ の 雑 誌 の 傾 向 を 特 徴 づ け,『 芸 術 の た め の 芸 術 』 とr自 己 表 示 』 の 立 場 に た つ 出 版 物 で は あ る が,rこ の 世 を じ っ と見 凝 め 』,『 悲 しみ 多 い 人 び
とに 真 実 の う る わ しい 歌 を 聞 か せ よ う』 と書 い た 。
トル ス トイは 一 一篇 の 小 説 を 書 い た 『ハ ゲ ー ・ム ラ ー ト』 の こ と。
以 上 に よ っ て 見 る と,《 一 》 で は 次 の 十 二 篇 つ ま り,『 乞 食 』,rわ が 失 恋 』,r復 讐1』,『 復 讐2』,r凧 』,r旅 人 』,r死 火 』,r犬 の 反 駁 』,r墓 碑 銘 』,
ロ た こ