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〈葵上〉注釈余説

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〈葵上〉注釈余説

著者 西村 聡

雑誌名 金沢大学文学部論集. 言語・文学篇

巻 27

ページ 1‑14

発行年 2007‑03‑25

URL http://hdl.handle.net/2297/3860

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金沢大学文学部論集言語・文学篇第二十七号二○○七年一~一四 近刊予定の謡曲注釈書の中で〈葵上〉を担当」行諸業績の成果に導かれて、また、自身の旧稿、 はじめに

皇〈葵上〉における死霊のイメージー火車に乗った六条御息所l」(『説話物語論集」四一九八二年五月.一旧稿A一増補改訂して『能の主題と役造型』〈三弥井書店、一九九九年四月〉所収。『源氏物語の鑑賞と基礎知識⑨葵」〈至文堂、二○○○年三月〉再収。【旧稿B】).「〈葵上〉の結末のことなど」(『銭仙」五二七、二○○四年十月。【旧稿C巴における考察を踏まえて、語釈等や解説を執筆した。その過程では私見と異なる所説(特に旧稿以後の分)に接したり、新たな問題の所在に気づきもしたが、紙幅の制約から例証は果たせず、結論のみを略記せざるを得なかった。そこで本稿では、それらの対立点や問

〈葵上〉注釈余説

を担当する機会があり、先 題につき、注釈記述の根拠を示して、自身の作品理解をさらに深める契機としたい。以下、〈葵上〉の詞章は日本古典文学大系『謡曲集上」所収堀池識語本に拠る。

ワキッレは朱雀院に仕える臣下を名乗る。〈葵上〉の素材となった『源氏物語」葵巻では、その冒頭に桐壷帝から朱雀帝への代替わりが語られ、それは朱雀帝母方の右大臣家の台頭を意味したから、①葵巻の事件につき、当代朱雀帝を朱雀院と呼ぶこと。②朱雀帝‐右大臣家側の臣下が左大臣家の娘、葵上の看病・治療を主導すること。の二点が不自然と感じられるかも知れない。まず①については、謡曲注釈書の噴矢、『謡抄」を見ると、あふひの巻の時は、きりつぼの御門は御位にて、おりゐの御門 怨霊出現の現在

西 村

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給ふなり。世中かわりて後とは、朱雀院の御代を書出せり。(源氏物語古注集成2に拠る。)これは世阿弥の「夢跡一紙」と同じ永享四年(’四三一一)(〈葵上〉を演じた犬王の没後十九年に当たる)の奥書を持つ今川範政著『源氏物語提要」の葵巻冒頭の一部である。この書の影響下に成る『源 桐壺帝おりさせ給ひて今此時は謂劉闇別副矧伺なるが故にかく作る也。葵巻発端の詞に世中かはりて後万物うぐと有。此臣下は誰人を指て云哉しらず。(日本文学古註釈大成に拠り、句点を付した。)と述べて、的確な理解を示している(以来、現代の注釈書でもこの名乗りを問題にすることはほとんどない)。当代朱雀帝を朱雀院と呼ぶことには、『謡曲拾葉抄」も傍線部のとおり違和感がないらしい。在位中の天皇を今上帝と呼ぶよりも、譲位後の院号(おくり名)で呼ぶ方が、物語読者には他の天皇と区別しやすいから、朱雀の称を用いて当然とは言え、それなら朱雀帝でもよさそうなのに、朱雀院と呼ぶ理由が気になるところである。…源氏十九歳の春の事は花宴に見えたり。夫より、はたちまての事見えす。此まきと花宴と両巻の間に有と見るへし。此うち ならず。(筆者注Ⅱ朱雀院卜○宇多の事を申にや。すこし間かかね侍る也。(日本庶民文化史料集成第三巻に拠る。)と不審していて、葵巻冒頭の代替わりを読み取れていないが、続く『謡曲拾葉抄」は、

に桐壺のみかと御位をさり、朱雀院受禅 有と見るへし。此うち、また源氏大将に任し 氏大概真秘抄」の須磨巻にも、桐つぼの帝御かくれ有て、朱雀院位につきおはします折ふし…(中世文芸叢書2中世源氏物語梗概書に拠る。)と見え、その他、室町時代の梗概書・注釈書の多くに、譲位した桐壺帝に対して、受禅(即位)した朱雀帝を朱雀院、その治世を「朱雀院の御代」と呼ぶことが慣例化している事実が認められる。したがって「朱雀院に仕える臣下」とは「朱雀院の御代に朝廷に仕える臣下」の意味となり、右大臣派であれ、左大臣派であれ、その範囲に包括されてしまう。②について、左大臣家の娘、葵上の看病・治療を主導するワキッレは、左大臣家側の臣下と考えるのが自然であろうが(注1)、「左大臣の身内」とは言わず、「朱雀院に仕える臣下」を名乗ることで、むしろ朝廷あげて葵上の病状を注視する印象を与えている。『源氏物語」の読者、〈葵上〉の観客の一部は、両派の対立・抗争を承知している。しかし、舞台に政治を持ち出すと話が複雑になり、怨霊出現の脅威が相対化されて、〈葵上〉にとっては逆効果が予想される。政争ではなく、怨霊と人間界の対決を明確に打ち出すためにも、ワキッレのこの名乗りは必要であったと思われる。この問題に関連して、作品内の時間の進行及び作品世界と観客との時間の隔たりについて付言しておきたい。〈葵上〉では現在進行形で怨霊が出現する。出現の現在は「朱雀院の御代」、観客にとっては虚構の過去である。シテが前後場とも霊体であるゆえに、〈葵上〉は《準夢幻能》に分類されるが、観客が虚構の過去と了解していると 一一

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ころは《時代劇》的であり、現実世界に怨霊が出現する点は《現在能》とも見なし得る。類例には、前シテが生きた人間、後シテがその死後(怨霊)であり、《現在Ⅱ夢幻能》の称に分類される世阿弥の〈恋重荷〉が想起される。そこでもワキは「当今」白河院に仕える臣下を名乗り、女御に恋をした老人に難題が課されたことを語っている。観客は歴史的存在である白河院を「当今」として、《時代劇》的現在に向き合うことになる。また、ワキの勅使が神秘を体験する祝言の神能(脇能)でも、たとえば世阿弥の〈養老〉のように、ワキが何何天皇(〈養老〉の場合は雄略天皇)に仕える臣下を名乗る形があり、その形ならば《時代劇的現在能》の一種と言えようが、後に詞章が改訂されて、あるいは能作りの最初から、「当今」の臣下を名乗る形が選択される傾向が看取できる。つまり勅使の神秘体験は、派遣した「当今」を祝福することになり、そのように観客としての「当今」との距離を自在に無化する仕組みは、《夢幻能》における無名のワキ(諸国一見の僧)の働きと同じである。しかし、《夢幻能》のシテの幽霊が成仏せず、ワキとの出会いを観客の「今」ごとに繰り返すのは、それだけ迷いが深いことを表して必然性を感じさせるが、祝言の神能でワキの勅使が体験する神秘が「当今」ごとに繰り返されるのでは、神秘も「当今」もその輝きが薄れてしまう。《時代劇》的現在に意味のある作品群に、この種の能も含まれると考えたい。 葵上の看病・治療を主導するワキッレは、梓弓の呪術の上手、照日の巫を招請して、葵上に憲く物の怪の正体を探知しようとする。それが六条御息所の生霊であることは「源氏物語』の読者には周知の事実ながら、〈葵上〉ではそれを怨霊と呼ぶことの意味は、すでに旧稿A・Cで論じている。生霊・怨霊の呼称の問題はおいて、車争いから葵上急逝までの流れは、大筋次のように把握して誤りないであろう。

…賀茂祭の車あらそひとは是也。此うらみはらたち心にあまり、葵上のくわんらく(歓楽Ⅱ病気の意)は此のみやす所のをんりやうとそ。さる程につゐにとりなをし給はすしてかくれさせ給へり。くるまあらそひのはらたちといひ、源氏にとわれさるうらみといひ、彼是につけての事也。(「源氏物語提要』この間の六条御息所の苦悩と生霊としての暴発は、葵巻構成の頂点をなし、『源氏物語」本文では次のように段階的に績述される。①葵上に多くの物の怪・生霊が源き、様々に名乗りをする中に、容易に調伏されない物がひとつあり、左大臣家では六条御息所や紫上の恨みによるかと想像している。②思い乱れて体調を崩した六条御息所を光源氏が見舞う。③六条御息所は自身の生霊や故父大臣の御霊が葵上を悩ますとの噂を聞き、実際、葵上らしき人の病床を襲い、乱暴を働く夢を幾度も見る。 ニシテの名乗りと光源氏の不在

一一一

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④産気づいた葵上の病床で、光源氏は六条御息所の言葉を聞き、物の怪の正体を見る。⑤葵上出産の報とわが身に染みた芥子の匂いに、六条御息所の苦悩は深まる。⑥左大臣家の人々の留守中に葵上が急逝する。「源氏物語』本文では、とりわけ執念き物の怪の正体は、最後まで光源氏一人の耳目にしかとらえられていない。しかし葵上の病気と急逝が六条御息所の生霊の仕業によることは、『源氏物語」の読者には周知の事実であり「源氏物語提要』のような要約が共通理解となる。光源氏は物の怪の正体と言葉を交わしたが、その折の六条御息所の生霊は、祈祷に責められる苦しさを訴え、魂の浮遊を嘆く歌を詠むばかりであり、名乗りもしないのに彼女と知れるのは、声も気配も有様も彼の知る範囲を逸脱していないからであろう。それでも十分に疎ましく、衝撃的な幻影であった。「源氏物語提要』は前掲車争い段の付記的要約とは別に、②における和歌の贈答に続けて、④における六条御息所の詠歌までを、次のようにたどっている(⑤を欠き、⑥に続く)。…さて葵上なやみ給ふゆへに、源氏、みやす所へ中絶し給ふゆへ、|しほうらみ覚しけり。八月初めかたなれは、葵上御産のほとにもあたり給ふ折ふしなれは、もの坐けさま/、のへんを

なしける。

んとあれは、人をのけ聞給ふに、 のさわり有て、更にしるしなし。ちとしつまりて源氏へ物申さかくまいりこんとはおもはね ことにて候へどもさらにそのしるしなし、を連想させる表現となっている(注2)。物の怪の正体を知り、懸坐に移して調伏することが、六条御息所の生霊に対しては、左大臣家の総力を挙げてもかなわなかった。葵上の命を救えなかった原因は、貴僧高僧たちが六条御息所の名乗りを引き出せなかったことにある。幻影を見た光源氏としても、それを周囲に知られることはかたはらいたく思われて、口外しなかった とも、物おもふ人の玉しゐは、けにあくかろ坐ものにこそと、なつかしけにきこえて、物の化、なけきわひ空にみたる坐我玉をむすひもとめよしたかひのつ霊のこきろにかやうにみたるふも、君か御心にてあるほとに、本心にかへせとのことなり。…六条御息所の生霊は、光源氏の目の当たりには、暴発することはない。物の怪となって葵上を襲う時には、その正体を知らない左大臣家の人々は、尊い験者ども、山の座主や何くれの僧都たち、の祈祷の力にすがり、物の怪を調伏してもらおうとする。①では瀝坐(よりまし)に移った物の怪や生霊が様々に名乗りをするとあり、①と④では葱坐に移らず、したがって正体の知れない物の怪がひとつあるとされる。右傍線部の「ひとつのさわり」とはそのことであり、〈葵上〉のワキッレの名乗りにおける、さても左大臣のおん息女葵の上のおん物の怪以っての外にござ候ほどに、貴僧高僧を請じ申され大法秘法医療さまざまのおん

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し、直後に出産が無事に済んだ油断もあって、左大臣家の追及が徹底しなかったすきに、葵上を奪い去られてしまった。〈葵上〉には光源氏が登場しない。その意味を考えるには、…この光源氏のまなざしの消去は、「源氏物語』の女君がシテになる謡曲のかかえる共通の運命ともいいうる。(中略)本説『源氏物語」が多彩な視点を生動させるのに対して、シテを中心とした削ぎ落とされた語りの求心性こそが、源氏能の身上なのである。(注3)と指摘されるような、能の詞章に共通する制約とは別に、六条御息所の生霊は光源氏に相対する時、彼にすがって魂の浮遊するのを止めたいと願い、物の怪に徹し切れていない事実にも注目すべきであろう。光源氏は葵上を物の怪の手から守らなければならず、一方で自身の面目のためにも六条御息所の関与が露わになるのは避けたい。六条御息所の葵上に向かう力は、光源氏の前ではいったん吸収されて、人間性を回復し、その証拠に和歌を詠み、自省している。しかしここに至っても、光源氏の煮え切らなさは改まらず、結局、葵上を失い、六条御息所も離れてゆく。「源氏物語』本文の進行どおりに光源氏を登場させたのでは、六条御息所は中途半端な生霊にとどまり、誰にも救いをもたらさない。〈葵上〉では光源氏を登場させず、光源氏への恨みも捨象している。詞章中、光源氏の名前を六条御息所がロにするのは、6段[段歌]の「(葵上は)光る君とぞ契らん」だけであり、「源氏にとわれさる恨み」(前掲『源氏物語提要』より、むしろ契りの対象として 葵上と張り合う意識が強い形にしている。その結果、光源氏は騒動の当事者の位置を外れ、事態は葵上・左大臣家対六条御息所の構図に単純化される。光源氏に代わって物の怪の正体は、左大臣家の招請した照日の巫の呪力によって透視され、六条御息所の名乗りが引き出された。物の怪を調伏する第一の条件を克服したことになる。

〈葵上〉におけるシテの名乗りは、…身の憂きに人の恨みのなほ添ひて、忘れもやらぬわが恩ひ、せめてや暫し慰むと、梓の弓に怨霊の、これまで現はれ出でたるなり。(3段[サシ])只今梓の弓の音に、引かれて現はれ出でたるをぱ、いかなる者かと思しめす、これは六条の御息所の怨霊なり、…かかる恨みを晴らさんとて、これまで現はれ出でたるなり(5段[クドキ])と段階的に行われ、3段では身の憂さを語り、思いを慰むのが出現の目的と言いながら、正体を明かした5段以降では葵上への恨みを鮮明にしてゆき、激して6段の後妻打ちに及ぶ。ここまでを前場として、シテの六条御息所は扮装を替えるが、葵上の病床を取り巻く攻防は、前場から後場へと同じ場面が連続している。「源氏物語」本文との関係は、1段が①、6段が③を踏まえるかにも見え、しかし攻防に決着がつくという点では、葵上急逝という結果のみが簡単に語られる⑥を膨らませ、逆の決着へ作り替えたと言えるかも知れない。『源氏物語」本文の⑥では光源氏も左大臣父子も不在、夜半の急

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変とあって、山の座主、何くれの僧都たちも招請できなかったとされる。〈葵上〉では後妻打ちによる急変にワキッレが対処して、こういう場合の切り札的存在らしき横川の小聖を招請し得た。物の怪の正体は、すでに六条御息所の怨霊と知れている。その暴発を封じ込める条件は、さらにととのった。ただ怨霊を調伏し、葵上を救出するだけでは、〈葵上〉の影響下に成る〈黒塚〉や〈道成寺〉と違いがなく、あさましい魔性の印象が決定的となって、苦悩する六条御息所の人間的魅力が薄れてしまう。〈葵上〉の六条御息所は名乗ることで、その人間的魅力と魔性を共に呪術の前に晒した。葵上への報復の意志を明確にした。光源氏が相手では、不完全燃焼の繰り返しになる。報復の意志を燃焼し切ったところへ法力を照射すれば、魔性が消滅するのは当然であろう。六条御息所は名乗ることで仏性を得、葵上急逝の危機を回避した。「源氏物語』本文の進行を大きく逸脱するが、そういう飛躍が可能な人格を、〈葵上〉作者は的確に読み取り、違和感のない再構成に成功している。

梓弓の呪術を使って物の怪を呼び出し、六条御息所の名乗りを引き出したツレの照日の巫は、此事葵巻になし。是等は謡の作文なるべし。弓謡曲拾葉抄』と言われるとおり、『源氏物語」には出ない仮作の人物である。仮作 三照曰の巫と青女一房 ゆえに、作者は「隠れなき梓の上手」との評判を添えて、「照日」という最高の名前を与え、その働きぶりや上首尾にふさわしい巫女像を、ワキッレが紹介する形で能の最初に呈示している(1段[名ノリ己。…「葵上」で、梓の上手・照日が出てくるのは、勿論室町風の脚色で、『源氏」には高僧の加持祈祷しか描かれていなかった。あるいは、能大成の頃、梓巫と言えば、もっともそれらしい名として、普通名詞の照日を連想すべき約束事のようなものがあったのではなかろうか。命名の起源を辿ってゆくならば、太陽神に仕える最高巫女・天照大神に行き着こう。日神を人格化し

、、、た、もっとも女巫らしい命名、それがてるひであったのだ。(注

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そういえば世阿弥も〈花筐〉のシテ、継体天皇寵愛の女性を仮作して、照日の前(照日の宮、筐の女御)と命名した。越前に雌伏の時期を過ごす継体天皇は、天照大神の神孫を自負し、毎朝、皇大神宮を礼拝していた。流離の貴種は、女の存在と伊勢信仰を心の支えとした。その天皇を子方に配して、仮作の女が主役の資格を得るには、天皇の信仰した天照大神の名を背負う必要があった(注5)。ここでは「照る日のみこ」が確かに天照大神を意味する例を加えておきたい。〈葵上〉を演じた犬王の晩年に近い応永十四年二四○七)十一月二十七日に行われた『内一袰九十番歌合』で入道前参議常

永が、あまつ空ひかりをことにあふぐかな照る日のみこと月よみの神

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怨霊出現の「忍び車」に車争いの屈辱を重ねる破れ車の役割は、すでに旧稿Aで論じている(注6)。青女房の役割については、…一旦はシテを制止しながら結局シテに同調する青女一房の役割は、〈松風〉のツレ村雨がシテの狂乱に同調するのと同類であり、そうした役割があるからこそ、ツレを登場させたものであろう。 という歌を詠んでいる(七十九番左。新編国歌大観第五巻に拠る)。空から照らす光として太陽と月を神格化し、後者「月よみ(読・夜見)の神」に対して、その姉天照大神を前者「照る日のみこ(御子・神子)」と呼ぶ例である。当時、梓巫女の中にそれを名乗る者がいたか否かは分からないが、天照大神を意味する名前をツレに与えた意図はその霊能の強調にあり、結末の明るい決着への貢献に見合う命名であったと言える。照日の巫が透視した六条御息所の破れ車には、牛もなき車の長柄に取りつき、さめざめと泣く青女房(『申楽談儀」にいう車副の女)が付き添っていた。その車の主は誰とも見えない上臆であるとの報告を受けて、ワキッレの臣下は大方は推量できたとし、物の怪に名乗りを促している。『源氏物語』本文の生霊は、破れ車に乗ることもも青女房を伴うこともない。「源氏物語』の読者にはなじみのないそれらを、しかし〈葵上〉の構想に必要と考えた作者は、詞章の表現だけでは不十分と判断し、実際に舞台に登場させることにした。上臘と破れ車と青女房の一一一者の組み合わせで、ワキッレは六条御息所の怨霊と確信し、観客もいかにも六条御息所の怨霊らしいと納得すの怨霊と確信し、観客も》ることを求められている。

照日の巫に呼び寄せられた物の怪は、乗って出た車が法の車(三車)として破綻することを「夕顔の宿の破れ車」という言葉で表現している(3段□セイ])。それは「夕顔の花咲く粗末な破れ屋に との指摘があり(注7)、これが青女房の役割を理解する上で基本となる。さらに舞台で行う仕事とは別に、六条御息所の御付の女房がなぜ年若い女房でなければならないのか、またなぜ身分の低い女一房でなければならないのか、という問いを発してもよいであろう。この問いには、車副及び霊的存在としての青衣の意味から答えようとする立場もある(注8)。同じ問いに対して、本稿ではこう答えてみる。透視した霊の姿はぼんやりとしか見えない。青女房の身分の低さは、誰とも見えないその主人の上臆ぶりを浮かび上がらせるであろう。ということはまた、青女房の年齢の若さは、六条御息所が自覚する「衰へ」(5段[クドキ])を照らし出すはずである。二つの視覚的特徴が相俟って、もちろん破れ車に乗る上膓など他に想定できないことも決定的であり、ワキッレの思い描く六条御息所像と一致した。ワキッレの推量はこうして照日の巫の報告に基づき、観客の推量は舞台上の三者に焦点を合わせて、当人の名乗りを待つことになる。青女一房は後妻打ちの制止と加勢以前にも、透視された登場時のその姿自体で、舞台進行の重要な役割を担っていたと考えられる。四夕顔急死事件への関与並びにその投影を非とすべきこと

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も似た破れ車」(大系頭注)の意であったが、六条御息所への忍び歩きから語り起こされる夕顔巻において、急死する夕顔の枕上に見えた面影が六条御息所とも解されることから、物の怪となって光源氏の妻たちを襲う前科をこの表現に読むことが、次のとおり早くから行われた。夕がほのやどのやれ車といはんため也。六条の御息所の、夕がほのうへをもとりころし給へり。(『謡抄』夕顔の事此所に出ましき事也。但此夕顔君をも御息所ねたみ給ひて取ころし給へぱかれこれ取合作る成るべし。(「謡曲拾葉抄』夕顔ノ上ヲモ此御息所ノ怨霊一一テトリ殺サレシ也。故一一今此一一シカ云ニヤ。然しトモ此謡ハ葵上ノ事ヲ作ルモノナレハ入交リテ間一一クキ物也。(「謡言粗志肖金沢市立図書館蔵謡言粗志上巻に拠り、句点を付した。)なにがしの院の怪異は、『源氏物語』本文の光源氏には、次のように受け止められていた。①光源氏はなにがしの院の気味悪い様子が不安になり、それを打ち消そうと、「《鬼》が出たって、私のことなら見逃してくれるだろう」と夕顔に強がりを言う。②枕上に美しい女が居て、「お慕いしている私のことは放っておいて、こんなつまらない女をかわいがられるなんて心外です」と言って、寝ている夕顔をかき起こそうとする。そういう夢を見て、《物》に襲われる心地がした光源氏は、目を覚まして警戒 する。③光源氏が番人に警戒を指示して戻ると、夕顔は息をしていない。光源氏は《物》に気取られたのだと思う。紙燭を取り寄せて夕顔の様子を見ると、夢に見た女が枕上に《面影》に見えてふっと消え失せた。光源氏は《昔物語に聞くような出来事》だと思う。④夕顔の体は冷えて行き、息は絶えた。光源氏は《南殿の鬼が某大臣を脅かした例》を思い出す。⑤光源氏は番人を呼び、「《物》に襲われて苦しむ人がいるから」と言って、随身に惟光を探させるよう指示する。右近までが震え死にしそうな様子。《物》の足音が背後から近付く気配もする。このように光源氏は、夕顔は《物》に襲われたと受け止めている。《物》は《鬼》に等しく、光源氏の見た夢や面影には美しい女の姿で現れている。そして夕顔に嫉妬し、光源氏を恨む言葉を吐くことから、この女には六条御息所の像が重ねられているように読める。光源氏は②の夢を見る(眠る)前に、自分がこうして夕顔との逢瀬を楽しんでいる問、今ごろ桐壺帝は自分の行方を捜しているはずであるし、六条御息所も訪れない自分を恨んで思い乱れているであろう、夕顔と比べると六条御息所はこちらが気詰まりなほど心が深い、などと思いやっている。そこまでのことは「源氏物語』本文に書かれているが、それゆえ、「廃邸の夜更け頃、六条御息所の生霊、夕顔を取り殺す」(注9)と決めつけ、六条御息所を夕顔殺しの犯人に直結させてよいであろうか。

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直結させたくなるのは、葵巻で葵上を取り殺したのは紛れもなく六条御息所の生霊であり、若菜下巻で紫上を危篤に陥らせたのも、柏木巻で女三宮に取り源いて出家させたのも、六条御息所の死霊であった、つまり六条御息所は光源氏の妻たちを襲う人物としての造型が鮮明であるから、夕顔巻にもその影を見てしまうということであろう。しかし夕顔は葵上や紫上・女三宮のような光源氏の正妻(六条御息所にとっての競争相手)ではなく、世間に秘密の通い所であって、存在自体が六条御息所にも知られていない。さらに葵巻や若菜下巻・柏木巻では、六条御息所の関与が次のように明確に描かれているのに比べると、夕顔巻ではその像は光源氏が見た夢や面影以上のものではなく、繰り返し犯人は《物》であると説明されている。【葵巻】・六条御息所が葵上を恨むきっかけ(車争いと葵上の懐妊)がはっきりしている。・六条御息所には生霊となって葵上を苦しめている自覚がある。そういう場面を夢に見ている。・葵上の病床で光源氏は六条御息所の声(和歌)を聞き、「ただそれなる御ありさま」と察知している。・六条御息所の衣装には葵上の病床で焚かれている芥子の匂いが染みついている。【若菜下巻】・紫上を危篤に陥らせた物の怪は光源氏と言葉を交わし、その様子が昔の六条御息所(死後十八年)そのままであっただけで なく、内容も本人でないと言えないことであった。【柏木巻】・女三宮を出家させ、光源氏から切り離した物の怪は、紫上への憲依が失敗に終わったことの悔しさをこれで晴らせたと言う。六条御息所はこうして生霊となって葵上を殺したり、死霊となって紫上や女三宮に崇ったり、物語の進行に大きな影響を与えている。そのことを知って、だから夕顔殺しの犯人も六条御息所であると類推するのではなく、むしろ葵巻や若菜下巻・柏木巻と違って、夕顔巻でははっきりした証拠はなく、光源氏も六条御息所の仕業とは思っていないし、六条御息所自身にも自覚がない、あるいは《物》は六条御息所にしか言えない言葉を語っていないことに意味を見いだすべきであろう。『源氏物語」の注釈史においては、古くに木霊や源融の怨霊説が行われ(「伊勢源氏十二番女合」『弘安源氏論議」『源氏物語提要」等)、六条御息所の邪気かと推定した一条兼良の『花鳥余情」以来、室町後期から江戸後期までは六条御息所の怨念説が流布したが、萩原広道の「源氏物語評釈』が院に住む妖物の変化を唱えて再検討が進み、現在では、…源氏の頭に浮んだ六条御息所の姿は、夕顔に溺れることの御息所へのうしろめたさが、夢になって源氏を責めるものと理解できる。怪異の正体は、後の源氏の推定や夕顔と御息所との人間関係からみて、廃院に住む妖物とするべきだろうが、前後の文章は、故意に読者が妖物に御息所のイメージを重ねて受け取

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るように書かれている。(新編日本古典文学全集『源氏物語①』との説明を通説と見てよいと思われる。ただ、「故意に…書かれている」仕組みに注意を向けず、六条御息所の生霊の仕業に単純化した読み方も、啓蒙書の類を中心になお根強いようである。確かに夕顔巻では、六条御息所への言及を巧みに交錯させ、怪異への関与を読み取りたくなる描き方をしている。その誘いに乗れば、六条御息所の魔性の印象はいっそう強まるはずである。しかし物語への登場の初めから、一貫して魔性の女であり続けるのでは、この人物の人間的な魅力は乏しく、光源氏が通い始めたのも魔が差したと見るほか

ない。六条御息所が挑み心を燃やした相手は光源氏の正妻たちであった。襲うきっかけも襲った自覚もはっきりしている。光源氏も彼女の仕業と察知している。一方、夕顔は世間に秘密の通い所であり、その存在を六条御息所は知らない。知ったところで、中の品の女に対抗心を抱くこと自体、前東宮后の自尊心が許さないであろうし、光源氏が自分以外の女の所にいるというだけで生霊になっていたのではきりがない。光源氏も後ろめたさは感じていても、六条御息所に夕顔を奪われたと思っているふしはない。葵上や紫上・女三宮の場合とは、そのような描き方の違いが見て取れる。葵巻の衝撃を新鮮なものとするためにも、変貌の過程を苦悩の深まりと共にとらえるためにも、夕顔巻の物の怪の正体は六条御息所としない方がよいと考

える。さて「謡抄」や「謡曲拾葉抄」が書かれた江戸時代には、右に見 たとおり、夕顔を殺した物の怪の正体は六条御息所の邪気・怨念とする説が一般的であった。両書は、そうした理解を〈葵上〉の「夕顔の宿の破れ車」にも当てはめたことになる。両書は当然のことながら、夕顔巻を題材とする〈夕顔〉の注釈においても、きくもけうときものシけの六条御息所の生りやうにて、夕兒上なく成給し也・(「謡抄』物のけとは六条の御息所の生霊也。夕貌巻にその心あり。(「謡曲拾葉抄』。『謡言粗志」もほぼ同文。)と述べて、〈葵上〉で述べたのと同じ見解を繰り返している。ただし注釈対象の〈夕顔〉の詞章には、「気疎き物の怪の人失ひし有様」(新潮日本古典集成「謡曲集下」所収の光悦謡本に拠る)とあるばかりで、六条御息所の関与には言及しない。その点を集成解題では、夕顔が物の怪に取られることは「自明のこと」ゆえ「舞台表現には採ら」ないとし、また、…夕顔の巻の基本的理解としては、物の怪を六条御息所、なにがしの院を河原院とするなど、『源氏大鏡」等にも見られる物語の記述以外の中世的理解がふまえられている。と説明していて、新日本古典文学大系「謡曲百番』でもこの部分が踏襲されている。そして、〈葵上〉の注釈でも、集成『謡曲集上」は、…「夕顔の宿」は御息所の生霊が夕顔をとり殺した(「源語」夕顔)ことをも暗示。と記述し、この部分は新編日本古典文学全集「謡曲集②』にも踏襲されるなど、夕顔の急死を六条御息所の仕業と見、それがく葵上〉

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六条御息所は夕顔巻から物語に登場して、その生霊が葵上を取り殺し、死後も執念く紫上や女三宮に崇って、地獄の業火に焼かれる姿を想像されている(鈴虫巻)。娘の秋好中宮がそう想像するのは、 〈夕顔〉の詞章に投影しているとする説が、現代の謡曲注釈書でも復活傾向にある(注、)。しかし、なにがしの院を河原院とする説は管見の範囲でも諸書に見いだせるが「源氏大鏡」の類に物の怪の正体を六条御息所とする説は探索し得ていない。何より〈夕顔〉の詞章に、六条御息所ではなく物の怪が取り殺したと表現されている事実は、そのままに受け止めたい。集成解題も引く世阿弥の「三道」に、…如此の貴人妙体の見風の上に、あるひは六条御息所の葵上に付崇り、夕顔の上の物の怪に取られ、浮舟の懸物などとて、見風の便りある幽花の種、逢ひがたき風得也。(日本思想大系『世阿弥禅竹」に拠る。)と説かれている箇所は、夕顔が物の怪に取られることが、世阿弥にも「自明のこと」であった証拠になると同時に、六条御息所が葵上に付き崇ったようには、六条御息所の関与は自明とされていない証拠にもなろう。夕顔を取り殺した物の怪に関する「中世的理解」は、『花鳥余情」を境に変化している。「花鳥余情」以後の理解を「花鳥余情』以前の能の詞章に当てはめて読むべきではないと考える。五恥ずかしい面影は六条御息所自身 六条御息所の死後一一十一年に当たる頃である。女三宮を出家させた物の怪は「してやったり」と笑い、もやは救いがたい魔物と化していた(柏木巻)。生と死の境を越え、長い時間をかけて、物語随一の知性の人が、あさましい魔物の姿に変貌する過程には、それを必然とする、深く並外れた人間的苦悩があった。物の怪と変ずる心身の限界まで苦悩できる人間を、『源氏物語」の読者は他に知らないからこそ、六条御息所に強い関心と魅力を覚えるのであろう。夕顔巻は六条御息所の苦悩の始まりであり、未だ魂の浮遊は自覚されていない。夕顔の急死を序章として、葵上への挑み心から、六条御息所の魔性は次第に顕在化し、生霊・死霊が光源氏の正妻たちを襲い続ける。その過程を地獄の果てまで見通し、葵上の病床に凝縮したのが、

、、〈葵上〉における一ハ条御息所の怨霊像である。後妻打ちの振る舞いに及んだ怨霊は、葵上への愼患の炎に身を焦がしている。そして、その姿のみじめさも、身に染みている。…わらはは蓬生の、もとあらざりし身となりて、葉末の露と消えもせば、それさへことに恨めしや、夢にだに、返らぬものをわが契り、昔語りになりぬれば、なほも思ひは真澄鏡、その面影も恥づかしや、枕に立てる破れ車、うち乗せかくれ行かうよ、…(6段[段歌])この部分の「面影」については、六条御息所の面影と解する通説に対して、前後の文脈を次のように読んで、六条御息所の慕う光源氏の面影とする説が提起されている。夢の中でさえ二度と返らぬ源氏との契り、それはもはや昔語り

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になってしまったから、いっそう思慕の募る源氏の面影を思うにつけてもわが身が恥かしい・(集成頭注)夢の中でさえ、取り戻せなくなってしまった光る君との契り。私の恋はもう昔語りになってしまったのだ。だからこそなおいっそう恋しさが募り、今も光る君の面影を思い浮かべている。思い浮かべては恥ずかしくなる。(三宅晶子「対訳でたのしむ葵上」〈檜書店、二○○○年八月〉)その面影が恥ずかしいと言うのは、鏡に映る自分の面影(顔かたち)が、光源氏との契りへの恋しさやその妨げとなる葵上への恨めしさという思いが増すことで、醜く変貌しているのを認めてのことであろう。光源氏の面影説では、右のとおり「鏡」が訳出できなくなり、「面影」と「恥づかしや」の間に《それを思うわが身が》を補わないと続かない、舌足らずな表現であることになる。世阿弥作の〈砧〉に、これとよく似た表現が見える。…恨みは葛の葉の、帰りかねて、執心の面影の、恥づかしや恩ひ夫の、二世と契りてもなほ、末の松山千代までと、掛けし頼みは徒波の、あら由なや虚言や、そもかかる人の心か。(n段[段歌])帰郷の約束を履行しなかった夫への恨みから地獄へ堕ち、思いの煙にむせぶわが身の、執心のため醜く変わった面影を、弔う夫に見せることの恥ずかしさを述べた部分である。恨みや執心が自分の顔つきを醜くすることへの恐れや恥じらいは、〈葵上〉に通ずるところがあり、梓の呪法による霊の呼び寄せや霊の成仏する結末なども含 めて、〈葵上〉から〈砧〉への影響は小さくないらしい。鏡に映る自分の面影に恥じるという発想は珍しくなかろうが、よく知られた和歌の例には、夢にだに見ゆとは見えじ朝な朝なわが面影にはづる身なれば(「古今和歌集」恋歌四・伊勢)があることも付け加えておこう。わが面影を知り、恥じるゆえに、思う相手の夢の中でも見られたくない、という心情が詠まれている。このような用法が自然であり、他者の面影に自分が恥じるとは言わないように思われる。〈葵上〉の場合は、《夢の中でも光源氏との契りは取り返せず、すっかり昔語りになってしまった。それに引き替え、今後も契りを続けるであろう葵上が恨めしい。かれこれ思いが募って醜く変わりゆく、鏡の中のわが面影は正視に耐えない。こうなったら、破れ車に乗せて連れ去り、葵上をも魔界の人とするまでだ。》と次第に激情を催す流れに、「その面影も恥づかしや」が挿入されている。六条御息所にとって光源氏は、その面影を慕う相手というより、葵上と競い合う契りの対象に過ぎない。大切なのは誰より自分、その自尊心を高く保つのに必要な存在が光源氏ではあったが、葵上を拉致する直前に見た面影が、慕わしい人のそれでは狂気も萎えるに違いない(本稿二参照)。自身の衰貌、すなわち敗北を見たからこそ、狂気を競争相手に向けるのであろう。その意味でも、恥ずべき面影は六条御息所のそれでなければならない。 |’

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(1)河添房江「源氏物語の表現’六条御息所と謡曲「葵上」のドラマトゥルギ11」(『新講源氏物語を学ぶ人のために』〈世界思想社、’九九五年二月〉所収。「謡曲「葵上」と六条御息所」(『人物で読む源氏物語第五巻葵上・空蝉』〈勉誠出版、二○○五年十一月〉所収)もほぼ同文)には、葵巻に朱雀帝の廷臣が活躍する記述は見当たらないことから、「謡曲のワキの設定は、「葵」巻の「院」(桐壺院)を朱雀院に誤読したか、あるいは中世的に

読み替えたものであろうか。」とし、葵巻における桐壷院の存在を論じている。これに対しては旧稿Bで、葵巻はともかく、〈葵上〉には桐壷院の投影は認められないこと、左大臣家側の者であれ、朱雀帝の御代に朱雀帝に仕える臣下を名乗ることに矛盾

はないことを指摘した。(2)「平家物語」巻第一一一・許文の中宮御産時に「有験の高僧貴僧に仰せて、大法秘法を修し…」、「こはき御物怪ども、数多取り入り奉る。神子(よりまし)、明王の縛にかけて、霊顕はれたり。」とあるのをはじめとして、中世文学に例の珍しくない類型表現

でもある。

(3)注(1)の河添論文。(4)徳江元正「作品研究「花筐』(下)」(「観世』肥1m、一九七一年十月)。なお同論文には、照日の名を持つ女が出る室町時代の作品の例として、「三社託宣」「田村の草子(鈴鹿の草子)」「鶴

の翁」「百合若大臣」「小栗」があることを指摘している。(5)拙稿「〈花筐〉達成論の更新」(「金沢大学文学部論集言語・文学篇』羽、二○○|||年一一一月)。ただし注(1)の河添論文に言われるような「斎宮の母としての御息所像の深層」を〈葵上〉のシテに読む理由は認められない。(6)落合博志「「源氏物語』と能l《葵上》を中心にl」「解釈と鑑賞』開‐u、’九九四年十一月)には、梗概書類では車自体が壊されたとするのが一般的であったこと、しかし破れ車に「車争いによって打ち砕かれた御息所の自尊心の表象」という意味を与えたのは、あくまで能における独自の工夫であったことを

論じている。

(7)表章「作品研究「葵上上(「観世』虹18、一九七四年八月)。これを敷桁して、松岡心平「世阿弥能の原点としての「葵上」」(『観世」nl2、一一○○六年二月)にも、「…そこでは、ツレの青女房が、シテの御息所の狂気を抑制する理性的分身の役割を担っている。あるいは、御息所の心の葛藤が、シテとツレの両者によって視覚化され、シテの強い狂気的感情が全面をおおうことが、シテとツレが同じように葵上を打つことによって示される、と言っていいかもしれない。」と述べられている。(8)松岡心平「青または原初の波長l青女房覚書」(「橋の会第8回公演パンフレット」一九八二年七月。「能~中世からの響き~』〈角川選書、’九九八年十二月〉所収)。

(9)「人物で読む源氏物語第八巻夕顔」(勉誠出版、二○○五年六月)

一一一

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四四頁見出し。脚注にも「いずれにせよ、女の怨み、嫉妬の言葉であり、また浅尾広良の準拠説と諸説整理は「六条御息所に対し守護霊的に出現し、夕顔に怨霊として出現して取り殺した。…この物の怪は六条御息所の亡き母や祖母という想定も可能」とする。最も合理的な解釈と思われる。」と記されている。(、)’一一宅晶子「対訳ノート3ことば探しl葵上l」(『観世』師‐u、二○○○年十一月)・同「六条御息所の変貌l能と物語の間l」(「文学」4.4、一一○○三年七・八月)にも、「生霊となって夕顔の上を取り殺したこと、賀茂の祭の車争いで牛車を壊されたことなどが、「夕顔の宿の破れ車」に込められて」いるとされ

ている。

参照

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