〈研究ノート〉
発達的観点から見た空間的視点取得の問題
一仮想的自己視点の形成一※
仲 山 佳 秀※※
問題と目的
空間的視点取得(spatial perspective−taking),すなわち「空間内の位置変化に対応したみえ の取得」(渡部,2001)の研究は,Piaget et Inhelder(1948)の子どもの空間表象に関する研究 に端を発する。彼らによれば,幼児は自己以外の視点(他者視点)から対象がどのように見え るかを問われたとき,自分に見えている通りのものを答える。すなわち,彼らは自己の視点か らしか対象を見ない。この行動傾向は自己視点に固執(または中心化)することから生まれる ので,自己中心的反応と呼ばれる。したがって,それを克服(血中心血)し,他者視点に立つ ことができるようになることが視点の取得である。
Piaget et Inhelder(1948)のこの研究については,その後多くの追試研究が行われた。渡部
(2006)によれば,それらを通して示唆された点は主として2つである。1つは,正答はPiaget et Inhelder(!948)の記述よりも早い年齢で可能であること,もう1つは,反応方法の難易度 の違いによって正答年齢が異なることである(pp.12−13)。しかしながら,条件の相違によって 起こる行動の出現時期の変動を逐一とらえようとするこのような試みは,理論的方向づけなし に行われるのであれば,いつまで続けていてもあまり意味がないし,また際限がない。
これらとは異なり,子どもの空間表象に関するPiaget et Inhelder(!948;他)の研究に学び つつ,そこにおける中核的概念である自己中心性に疑問を提起し,空問における視点または視 点取得の本性に迫ろうとする研究が存在する。そのようなものとして,ここでは日本の2人の 研究者の研究を取り上げる。
1つが鈴木(1991a;1991b;1993;1996)の研究である。彼によれば,幼児が他者視点に立
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※※Yoshihide NAKAYAMA 立正大学社会福祉学部社会福祉学科教授 キーワード:空問認識,視点取得,仮想的自己視点,仮想的他者視点
つことができないのは自己視点に固執するからではなく,「他視点以外の周辺情報を積極的に利 用するために,パースペクティブ空間を生成することが困難」(鈴木,1996,p.32)だからであ る。したがって「周囲の実在空間との結びつきを頭の中で遮断し,自己視点からの見えとして 空間を認識すること」(p.39),すなわちパースペクティブ空間の再構成が視点取得である。さ
らに鈴木(1996)は,幼児が他者視点に立てないのは自己視点に固執するからだと考える説を
「自己視点固執説」,そして「単一の視点からの見え(パースペクティブ)にそって外界を表象 することそのものが幼児には困難」であるからだと考える説を「パースペクティブ非構成説」
と呼ぶ(p.!5)。もう1つが渡部(2000;2002;2006;2013;2014),Watanabe(201!)の研究 である。渡部(2006)は,自己中心的反応の背後にはより本質的な主客未分化な思考があると 考える。主客未分化型は,「主体とその外界との未分化によって特徴づけられる効果のこと」
(渡部,2006,p.4)と定義される。そして視点取得は主客が徐々に分化度を深めていくことで ある,とする。
鈴木(1996;他)と渡部(2006;他)は,視点取得の問題に対して,ともに脱中心化という 見解からではなく,空間的な能力の発達(空間を再構成する能力の発達あるいは空間表象の形 成)という見解から接近した。それは,Piaget理論の枠組みを超えた,新たな研究の地平に立 つことを意味するであろう。そして実際彼らは「切り取り」(鈴木,1996)や「引き剥がし」
(渡部,2006)といった新しい概念を提出するなど,この問題に関する理論的解釈を一歩前進さ せている。ただし,両者とも,自己視点と他者視点との発達的な関係については,Piaget et Inhelder(1948)の理論の枠組みに従って,自己視点取得から他者視点取得へ移行するという 見解に立っている。
しかしながら,自己視点取得が他者視点取得に先行するというのは,いわば暗黙の前提,あ るいは常識的見解であって,それを示唆するデータや理論が存在するわけではない。この問題 は,より一般的に言えば,空間認識の発達における自己と他者,あるいは内的なものと外的な ものとの関係の問題であり,視点取得や空問認識における重要な問題の1つである。それはま た,認識発達における身体空間(身体図式)と対象空間との関係(秋元,1976),自己中心座標 系(egocentric reference fralne)と環境中心座標系(a110centric reference frame)との関係
(Vidal, Amorim&BerthOz,2004;乾,2007;Le S6ac h, Senot&Mclintyre,2010),そして一人 称的(丘rst−person)運動イメージと三人称的(third−person)運動イメージ(Sirigu&Duhamel,
2001)との関係の問題などと重なり合っている。
そこで本論文においては,視点取得における自己視点と他者視点との発達的な関係に関して,
Piaget et Inhelder,鈴木,および渡部の理論を中心に検討し,それを通してこの関係に関する 筆者の見解を提起することにする。
なお,ここで単に視点取得と言うときは,とくに断らない限り空間的視点取得を指し,パー スペクティブ(perspective)と言うときは,ある1つの視点(viewpoint)からの対象の見え
(view)を指すものとする。
先行研究における自己視点取得と他者視点取得との関係
本項では,自己視点取得と他者視点取得との関係の観点から,Piaget et Inhelder,鈴木,そ して渡部の理論を順に述べる。
Piaget et lnhelderの理論
Piaget et Inhelder(!948)は,幼児の視点取得の困難は彼らに空間的自己中心i生(6goce厩risme spatial)が存在するからだと考える。この考えを導いた実験の1つが,有名な「3つの山」の 問題(Piaget et Inhelder,1948, p.250)を用いた実験である。
1メートル四方の厚紙の上に,色形,大きさの異なる3つの山を,見る地点(4辺)によっ て山の位置関係が異なるように配置し,各辺からの見えを問うと,段階1にある子ども,とく にその前半の段階IA(4−5歳)にある子どもは,専ら自己のいる地点からの見えを答える
(自己中心的反応)が,段階皿,とくにその後半の段階皿B(9−10歳)になると,他者の地点 からの見えに気づくようになる。段階IA,すなわち自己中心的反応の段階の子どもは,自己 の視点に固定され(丘x6),自己以外の視点を想像することができず,自己の視点に還元するこ
とによってしか一群の山を表現できない(Piaget et Inhelder,!948, pp.286−289)。したがっ て,空間的自己中心性を脱却し,他者視点からの見えを想像できるようになることが,視点取 得(=他者視点取得)である。
このように,Piaget et Inhelderの理論における自己視点への中心化(固執)から脱中心化へ と至る視点取得の過程においては,発達初期から自己視点への中心化は存在し,それが視点取 得を妨げているのであるから,そもそも自己視点の取得過程は視点取得の理論においては問題
とされず,視点取得過程は,ひたすら他者視点の獲得を目指す過程であるということになる。
したがってPiaget et Inhelderの理論においては,すでに存在する自己視点の後に他者視点が 取得される,という順序になる。
実は,Piaget et Inhelder(1948)は,子どもの視点取得に関して,脱中心化(自己中心性か らの脱却)とは異なる説明概念を同じ著書の中で示している。すなわちパースペクティブの構 成(construction des perspectives, p.286他),視点の協応(coordination des points de vue, p.285
他),そしてパースペクティブの協応(coordination des perspectives, p.285他)である。このう ち,後2者の視点の協応とパースペクティブの協応は,視点とパースペクティブとが不可分の 関係にあり,それゆえ同一事象を指していると見なすことができるので,Piaget et Inhelder
(!948)が視点取得の説明概念としてあげたのは3つであることになる。すなわち,①脱中心 化,②パースペクティブの構成,③視点またはパースペクティブの協応である。
このように,いくつかの解釈の余地を残しておくという曖昧さは,Piagetの著作に時折見ら れる特徴である。鈴木と渡部が,このうちの脱中心化をPiaget et Inhelder(1948)の視点取得
における説明概念と見なしたことは妥当である。なぜなら,自己中心性や自己中心的反応は Piaget et lnhelder(1948;他)が独自に提出した概念であり,かつ自己中心性はPiagetの理論 における幼児期の思考全体を特徴づける最重要の属性であるからである。
これに対して,鈴木と渡部はパースペクティブの構城という見解に立って,視点取得の理論 を構築した。ただし渡部の理論は,後述するように,視点またはパースペクティブの協応の見 解をも包含しているように思われる。そこで以下,両理論について述べる。
鈴木の理論
鈴木(1996)が,視点未取得に関して,自己視点固執説ではなく,パースペクティブ非構i成 説を採用するのは,①自己中心的反応が3つの山の問題以外の空間認識課題においてはあまり 見られず,それゆえそれが三つの山の問題独特の反応であると思われ,また②そこにおいても
自己中心的反応の生起は3つの回答方法の1つである山の絵のカードを構成させる方法にほぼ 限られるからであり,そして③視点に見えを関係づけるということそれ自体が幼児には困難で あるからである。では,子どもはどのようにしてパースペクティブ空間を構成するだろうか。
彼(1996)はそれを,3つの山の問題を例にとり,「切り取り」 「周囲の実在空間との結び つきを頭の中で遮断し,自己視点からの見えとして空間を認識すること」(p.39)一の概念に
よって次のように説明する。
3つの山の問題に正解できるようになる発達過程には,2つの段階がある。第1段階は,7,
8歳頃に到達しうる段階であり,そこにおいて子どもは自己視点からの切り取りを自発的に行 うことができるようになる。このことは,ある布置を反対向きに再構成させたときに,「ミラー」
に対応する反応(左右・遠近関係のうち,遠近については自己との関係を保持して再構成する 反応)から,切り取られた布置を乗せた「トレイ」に対応する再構成を行う反応(左右・遠近 関係ともに自己視点との関係を保持して再構成する反応)へと急激に転換することに表れてい る。「視点取得とは,他視点から見たトレイ反応を生成することに他ならないから,3つ山問題 に正しく答えることができるためには,その前提として,自分の視点からトレイ反応を安定し て生成できる必要がある。それが3つの山の問題のベースラインである」(p.67)。
第2段階は9,10歳頃に到達しうる段階であり,そこにおいて子どもは他者視点からの切り 取りを行うこと(あるいはトレイ反応を生成すること)が可能になる。このことは,トレイ反 応と,「ブレースマット」反応(ある布置を反対向きに再構成させたときに,左右・遠近関係と も周囲との関係を保持して再構成する反応一布置をブレースマットに載せ,背後のテーブル にそのまま引きずっていったような再生の仕方)を両方とも正しいとする者が現れ,その後増 加していくことに表れている。というのは,トレイ反応だけでなく,反対側から見ればトレイ 反応と同じになるブレースマット反応を正しいとすることは,布置を自己視点から離れて認識 できることを示しているからである。
3つの山の問題に正解するためには,「自己視点ではなく他者視点から『切り取り』を行わな
くてはならない。……『切り取り』は単なる視覚的な『見え』ではなく,身体的なはたらきか け(『むかうアクション』)によって支えられていると考えられる。他視点には自分の身体がな いから,『切り取り』を他視点から行うためには,それを背後で支える『むかう』アクションを 捨象する必要がある。これは,切り取られた空間をさらに抽象化するプロセスである。」(鈴木 1996,p.154)。つまり,「トレイの枠組みが抽象化して,自己視点以外を基点とした関係づけの 操作が着実に行えるようになることである。……これは『切り取り』の再構成原理が抽象的次 元で洗練され応用範囲が広がる認識的変化である」(鈴木,1996,p.155)。
ミラー反応とブレースマット反応をもたらす再構成原理は問題の空間を自分が身を置いてい る実在空問と連続したものととらえ,トレイ反応は実在空間との関係を遮断して当該空間を自 己視点からの見えとして空間記憶に取り込むアプローチである。
こうして鈴木理論においてパースペクティブを構成するということは,主体が一定の位置か ら随意に空間を切り取る,あるいは再構成するということであり,その意味では自己視点取得 も他者視点取得も同じである。両者の相違は視点の位置が自己身体にあるかそれ以外(他者身 体)にあるかということのみであり,それゆえ前者のパースペクティブが知覚の空間であるの に対し,後者のそれはイメージの空問である。そして取得の順序は,自己視点からのトレイ反 応の生成が視点取得のベースラインとされるのであるから,自己視点が先,他者視点が後であ る。この点はPiaget et Inhelderと同じであり,彼らとの相違は鈴木理論が自己視点の形成過 程を視点取得過程に明確に位置づけている点である。
渡部の理論
渡部(2006)は,視点取得は主客が分化することであるとする。しかしながら,この場合の 主客の分化は,自己視点と他者視点との分化と,自己視点とそこからのパースペクティブとの 分化の双方を意味しうる。これらの2つは,深く連関しているが,同じではない。
渡部理論における視点取得の中核的操作とされる仮想的自己(自己視点)の移動(渡部,
2006,p.86)に着目すれば前者の自己視点と他者視点との分化である可能性が高い。なぜなら,
仮想的自己の移動は両視点の問の移動を意味するからである。だとしたら渡部理論は鈴木理論 とは異なり,Piaget et Inhelderの視点取得に関する説明のうちの視点またはパースペクティブ の三三説の見解に立って視点取得の問題にアプローチしていることになろう。なぜなら,自己 視点と他者視点の分化は,必然的に両者の協応または統合をも意味するからである。しかしな がら主客未分化型の定義に着目すれば後者である可能性が高い。なぜなら主客の未分化は,
「主体とその外界との未分化」(p.4)であり,それゆえ主客の分化は主体とその外界つまり主 体(自己視点)とそのパースペクティブとの分化だからである。だとしたら渡部理論は鈴木理 論と同じ視座に立ち,Piaget et Inhelder(1948)の視点取得に関する説明のうちのパースペク
ティブの構成説の見解から視点取得の問題にアプローチしていることになろう。なぜなら,自 己視点とパースペクティブとの分化は,パースペクティブ空間それ自体の明確化,分節化を意
味するからである。しかしながら,どちらであるかは不明瞭であり,かつ本論文のテーマであ る自己視点と他者視点との発達的関係の問題には直接関わらないので,ここでは両方の可能性 があると言うに止めておくことにする。
渡部(2014)によれば,視点取得の過程は,仮想的自己の移動の過程とそれ以外の認識的情.
報処理の過程から成る。仮想的自己は身体表象(身体の全体または一部の表象)でもあるとさ れる(渡部,2013,p366)のであるから,仮想的身体と同じ意味で使われていると言える。こ の仮想的自己の移動は脳の運動制御系が担っていると考えられており(Wraga et al.,2005),し たがって心的回転や運動イメージ(仮想的運動)の過程と共通すると推測される。また発達的 に見ると,その操作能力は3歳頃までに獲得され,高齢期においても維持される(渡部,2006,
P93)。
そして視点取得の本質である仮想的自己の移動操作には,「引き剥がし」の操作が必要であ る。渡部(2013)によれば,「自己視点あるいは自己中心的参照系から,他者視点あるいは外的 参照系へ移行するために,視点の引き剥がし操作がなされなければならない。……引き剥がし がなされない限り,視点移動は行われない」(pp.366−367)。この場合の「視点」は,自己視点
または仮想的自己と同義であると思われる。なぜなら引き剥がしは,「体性感覚的な身体表象か ら仮想的な身体表象を分離すること」であり,また「自己を対象化する働き」でもある(渡部,
2013,P.364)からである。さらにそれは,主客が未分化な「自己中心的状態から脱中心化する ことと同義であるとも言える」(渡部,20!3,p.364)からである。
仮想的自己の移動の過程とそれ以外の認識的情報処理の過程を,視点取得課題における反応 時間の見解から捉えれば,刺激布置が回転して呈示される場合には,心的回転と同様に,課題 に対する反応時間は回転角度(視点位置の移動距離)の一次関数(y=ax+b)となる。そこで 傾き (a)が仮想的身体移動の時間に,そして切片(b)がそれ以外の認識的情報処理の時間に 相当すると仮定することができる(渡部,2014)。
このように渡部理論においては,仮想的自己または仮想的身体,すなわち自己視点が移動す ることによって,自己視点と他者視点が漸進的に分化していくことが視点取得の過程である。
ただし移動するのはあくまでも自己視点であって,その存在位置が主体の身体から離れた場合 に他者視点と呼ぶ。この点はPiaget et Inhelderの理論も,鈴木理論も同じである。
渡部理論の場合は,自己視点を意味する仮想的自己の引き剥がしがなされなければ視点移動 が行われないのであるから,その後に自己視点と他者視点が漸進的に分化するとしても,自己 視点が一定程度取得されていることが視点移動の前提である。したがって自己視点と他者視点 の取得に関しては,前者が先行するということになろう。
仮想的自己視点の形成
本項では,これまでに述べた3つの理論を踏まえ,まず,従来の視点取得研究における自己
視点取得と他者視点取得という2つの概念の関係について述べ,次に仮想的自己視点の形成と いう概念を提出し,視点に関する新しい解釈の可能性を示すことにする。
自己視点取得と他者視点取得との関係
渡部(2013)によれば,視点は仮想的自己あるいは身体表象である。つまり彼によれば,視 点は仮想的な自己身体である。それゆえ,視点はすべて自己視点であることになる。ただし視 点取得研究において視点を取得するということは,他者視点を取得するということである。そ してそれは,頭の中で自己の身体の外に自己視点を移動させて,そこから見える光景を正しく
(客観的に)想像できるということを意味する。とすれば,自己視点はもちろん,他者視点も,
実質的には仮想的自己身体としての視点,すなわち自己視点であって,両者の相違は移動する
(視点が自己身体から外に移動する)か,しない(視点が自己身体の内に存在する)か,だけだ ということになる。しかしこの移動の有無は,両視点を峻別する論拠にはならない。なぜなら 移動または変化は,およそ視点というものすべてに通噛する固有の性質であるからである。
宮崎・上野(2008)によれば,「見ることは基本的には,視点を動かしつつ見るということに ほかならない。だから,固定された特定の視点からの見えも,それ自体で完結したものと考え ることはできない。固定された視点は,あくまで移動しつつある視点の途上に存在しているの である。あるいは,少なくとも必要ならば視点を動かせる状態ということなのである。」(p.13)。
視点のこの規定はすべての視点に同様に当てはまると思われる。それゆえ自己視点も他者視点 も,ともに移動(あるいは変化)しつつある自己視点の任意の一地点であり,それが移動する か,しないかという相違は相対的なものに過ぎないということになる。こうして視点取得研究 における自己視点と他者視点は,ともに自己視点であると見なすことができる。次にその自 己視点が抽象的なイメージ上の事象であるという点を述べる。
視点取得研究における他者視点は自己視点を自己身体以外の位置に移動させたものであるか ら,想像上の自己視点であり,またそこからのパースペクティブも,実際に知覚しているわけ ではないから,想像上の空間ということになる。つまり他者視点とそこからのパースペクティ ブはイメージによって与えられる(イメージ上の)事象だということである。
これに対して,自己視点に基づくパースペクティブは,他者視点に基づくそれとは異なり,
想像上の空間ではなく,目前の知覚上の空解である。では自己視点それ自体はどうか。
実は,自己視点も,他者視点と同様に,想像作用によって捉えられなければならないもの,
すなわちイメージ上の事象であると考えられる。なぜなら,自己視点それ自体は直接知覚され 得ないからである。宮崎・上野(2008)は,自己を把握することに関して次のように述べる。
「自己を知覚するためには,自分を直接視野の中に入れる必要はないのである。むしろ,対象の 見えやその変化のあり方の中に自分の視点の位置やその動き方の情報が含まれており,それを 知覚するということなのである」(pp.81−82)。この見解が意味するのは,眼の前の変化する空 間の中に,対象に関する情報とともに自己に関する情報が含まれており,それを捉えることが
自己または自己視点を同定することだということである。
だとすると,自己視点も,他者視点と同じく,イメージ上の事象だということになる。ただ しそのイメージは,具体的なもの,つまり外界の事物や布置の映像または模写ではなく,抽象 的(または高次)なものだと推測される。というのは,他者視点の場合も自己視点の場合も,
パースペクティブ(知覚空間)から自己視点を抽象しなくてはならないからであり,また両視 点とも可動的であるからである。このようにイメージを具体的な(または低次な)ものと抽象 的な(または高次な)ものとに区別するのは,たとえばPiaget et lnhelder(1948)における内 的運動(actions int6riori6es)と体系的な内的運動との区別とパラレルである(仲山,2015)と 見ることができよう。
とすれば,視点取得研究においては,自己視点も他者視点も抽象的なイメージ上の自己視点 であり,主要な相違は前者のパースペクティブが知覚空間であるのに対し,後者のそれがイメー ジ空間であるという点のみである。しかしこの点も,知覚とイメージとの間の表象的並びに機 能的類同性(積山,1991)から,何らかの共通性を持つと考えるのが自然であろう。
こうして,従来の視点取得研究における自己視点と他者視点は,どちらも実際には自己視点 であり,かつそれは抽象的なイメージ上の事象であると考えられるから,同じ自己視点が別の 形をとって表れてきたもの,すなわち同一事象の二つの表現だと見ることができる。とすれば,
自己視点取得視点は視点取得の本質的過程なのであるから,視点取得研究における最重要の問 題とされなければならないと言える。
仮想的自己視点の形成
これまでの議論によれば,第1に,従来の視点取得研究における自己視点は,他者視点と同 一の事象であり,いずれも想像上の一仮想的な一自己視点,言い換えれば自己身体の上に 築かれた構城概念である。その意味では両者は等価であると言えよう。しかしながら第2に,
両者の間には,仮想的な自己視点が自己身体の内にある(自己視点)のか,自己身体の外にあ る(他者視点)のかといった相対的な相違がある。
とすれば視点取得の問題は,仮想的自己視点の取得の問題として捉え直すことができる。た だしここで,「取得」という用語を「形成」という用語に置き換えることにしたい。という フ
は,そのことばによって,仮想的自己視点が一定の過程を経てばじめて獲得されるものである ことを強調し,かつ従来の視点取得研究における自己視点の概念とは区別するためである。で は,仮想的自己視点はどのようにして形成されるだろうか。
宮崎・上野(2008)によれば,「(自己を知覚するということは一引用二三)対象の見えやそ の変化のあり方の中に自分の視点の位置やその動き方の情報が含まれており,それを知覚する ということなのである」(pB2)。このことが示唆するのは,仮想的自己視点の形成というのは,
目前の変化する空間(パースペクティブ)の知覚経験を通して,自己の身体または視点と,見 えとの関係を樹立する,ということであろう。なおこの場合,身体と視点とは同義であると言
える。なぜなら視点が身体の上に築かれる構成概念であり,かつ同じ基点という意味を持つか らである。
仮想的自己視点の形成,すなわち仮想的自己視点とパースペクティブとの関係の樹立は,実 際の他者身体の上に築かれる構成概念である仮想的他者視点(従来の視点取得研究における他 者視点とはまったく異なる概念)の形成,すなわち仮想的他者視点とそこからのパースペクティ ブとの関係の樹立を土台にして成し遂げられる,というのが筆者の作業仮説である。その論拠 は3つある。
第1は,子どもにとって,仮想的他者視点一パースペクティブ関係の樹立が仮想的自己視点 一パースペクティブ関係の樹立に先行する,と思われることである。というのは,後者の場合 は,2つの異質な空間,すなわち自己視点の属する身体空間とパースペクティブの属する視空 間(対象空間)とを統合しなくてはならないが,前者の場合は,他者視点もパースペクティブ
も同じく視空間に属するので,その必要がないからである。Wallon(1954)によれば,運動感 覚系と視覚系は経験によってはじめて結びつけられ,解離の可能性がある(邦訳書p.205)。つ
まりこれらの統合は,はじめから存在するのではなく,発達の過程で新たに獲得しなくてはな らないものである。
第2は,自己または自己身体に関する認識(したがって自己身体の上に構築される構成概念 である仮想的自己視点も)は,外界または対象に関する認識を通して形成されることである。
たとえばPolanyi(1966)によれば,「私たちは,外部にある事物に意識を向けることによって 自らの身体を自覚する」(邦訳書p37)。つまり対象の認識の手段である身体それ自体は,対象 の認識を通してのみ認識される。宮崎・上野(2008)の視点に関する次の見解は,同様のこと を意味しているであろう。「視点も,仮想的なものであるが,認識の道具としての身体と考える ことができるのではないか。そしてそうだとすれば,視点やその内側についての知識も,視点 を設定することで生成される見えに関わる知識を通してのみ知られることができる,と思われ る」(p,169)。すなわち彼らは,視点も,見えを通してのみ認識されるとする。つまり対象の認 識の発達的順序は,外のものが先,内のものが後である,と言える。
そして第3は,他者の見えに関する一定程度の意識が,幼児期前半の子どもにも認められる ことである。渡部(2000;2014)はこうした行動の例 たとえば2歳児が他者(実験者〉を 意識した行動(他の人のために,その人には見えないおもちゃに手を伸ばす)をとる例(Mo11&To−
Inasello,2006)など一をいくつか引用しているが,彼はそれらを仮想的身体移動操作,すな わち自己視点の移動操作の発現と同一視している。しかし子どもが他者の見えを意識している,
あるいはそれに気づいているということと,その子どもに仮想的身体移動が可能であるという こととは別のことである。というのは仮想的身体移動すなわち自・己視点の抽象とその移動操 作が,幼児期前半の子どもに可能であるとは考え難いからである。このことは,仮想的身体移 動と同じ機序に従うと思われる(渡部,2006)心的回転が,主として大人において検討され,
それが観測されるもっとも低い年齢層は5,6歳である(たとえばFunk, Brugger,&Wilkening,
2005)ということからも示唆されよう。とすれば,幼児期前半の子どもに認められる上記の行 動は,単に他者視点の意識つまり他者からの見え(パースペクティブ)に関する意識の萌芽
だと捉えるのが自然ではないだろうか。
仮想的他者視点の形成から仮想的自己視点の形成へと至る道筋,およびそれらと従来の視点 取得研究における自己視点取得と他者視点取得との相互関係は,図のように表されよう。
自己視点取得と
他者視点取得 自己視点取得
(等価)
他者視点取得
(相当〉 (相当)
仮想的自己視点の
形成
自己身体「内」の 仮想的自己視点の 形成:
仮想的自己視点一 パースペクティブ 関係の樹立の 一側面
(等価)
自己身体「外」の 仮想的自己視点の 形成:
仮想的自己視点一 パースペクティブ 関係の樹立の 一側面
(発達) (発達)
仮想的他者視点の
形成
仮想的他者視点一 パースペクティブ 関係の樹立
図 仮想的自己視点の形成と仮想的他者視点の形成
おわりに
以上述べてきたことを総括すれば,視点取得研究における自己視点と他者視点は,いずれも イメージ上の,すなわち仮想的な自己視点であり,それが自己身体内にある場合を自己視点,
身体外にある場合を他者視点と言う。それゆえそれらは,同一事象の2つの側面である。そし
て仮想的自己視点の形成,すなわち仮想的自己視点一パースペクティブ関係の樹立は,他者の 身体の上に築かれる仮想的他者視点の形成,すなわち仮想的他者視点一パースペクティブ関係 の樹立を土台にして成し遂げられる。
この観点から鈴木理論を見ると,同理論における自己視点取得は自己視点からの切り取りを 自発的に行うようになることであり,他者視点取得は切り取られた空間をさらに抽象化するこ とによって,他者視点からの切り取りを行うようになることであるが,実際にはこの2つは同 じことである。なぜならどちらも身体的働きかけを捨象し,自己視点をパースペクティブから 抽象しなければならず,また抽象した自己視点は自由に操作(移動)することが可能だからで ある。同様に渡部理論を見ると,同理論においては,視点取得の本質は引き剥がされた仮想的 自己,すなわち自己視点の移動操作であり,視点取得とは,その操作によって主客(自己視点 と他者視点,または主体とパースペクティブ)が分化することであるが,これらの3つ,すな わち引き剥がし,移動操作,そして主客分化は,互いに他を生成の条件として,同日寺に進行す る過程であると捉えるのが妥当であるように思われる。なぜなら,たとえば仮想的自己(視点)
の引き剥がしは移動操作の条件であるが,同時に移動操作を通して仮想的自己の引き剥がし,
すなわち抽象が可能になるとも考えられ,また移動操作は主客分化の条件であるが,同時に自 己視点と他者視点の分化が進行するにつれて,自己視点(仮想的自己)の移動操作が徐々に可 能になるとも考えられるからである。そして両理論とも,自己視点取得過程が発達の早期に位 置づけられているが,それは,自己視点が知覚によってではなく,イメージによって与えられ,
かつ抽象的な過程であることが考慮されていないからである。
ところで,他者視点の取得から自己視点の取得へ移行する,という上の見解は,認識におけ る他者身体から自己身体への発達的移行と言い換えることができる。この逆つまり自己身体 から他者身体への発達的移行はこれまでしばしば主張されてきた。たとえばSchilder(1923)
の身体図式論においては,自己身体の空間像である身体図式において空間関係が樹立さ礼 そ の後にその関係が外界に投影されて外空間における関係が認識される,とされる。自己身体を 原点または参照系と考えるこのような見方は,近年,思考や認識の研究における身体の重要性 が高まるにつれてより強まっているように思われる。
そこで,他者視点から自己視点へという上の見解を事実に照らして検討していく作業が今後 いっそう必要であると言える。それは,身体空間の形成と対象空間の形成との相互関係,自己 中心座標系の形成と環境中心座標系の形成との相互関係,そして運動イメージの形成に対する
自己身体と他者身体の相互の関わりを明らかにする課題などと密接に結びついている。
これらの研究を相互に関係づけることによって,視点取得の問題を,いっそう広く,かついっ そう具体的に議論することができる,と思われる。
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