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‑ 学内の関係者に向けて 一

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(1)

151

セ ンター、その活動 と課題

‑ 学内の関係者に向けて 一

鹿 島 英 一

1

.は じめに

長崎大学 には国際 ( 交流 )セ ンターは無い。また、「 留学生 セ ンター」 も 無い。あるのは、長崎大学外 国人留学生指導セ ンター ( 以下、当セ ンター と 略称 ) とい う長い名前の部署だけである。では、これ らは どこが違 うのであ

ろうか。実 は、今 日現在ただ

1

名の専任教官である筆者 も昨年 ( 平成

5

年 ) の夏の赴任後、一年間程の間はよく分か らなかった。数 カ月早 く桜 の季節 に 赴任 して きた ( 今 はいない) もう 1名の専任教官 も、その言動か ら察す る限 り筆者 と大同小異であった。( 無論 、その理由の一部は 目の前 に降 って くる 日常業務 に忙殺 され続 けて、そんなことを落 ち着いて考 える余裕が無かった ためである。)

そんなわけだか ら、( 学外の人は勿論)学内の人に分 か らない の も無理 は ない。そ して、分か らないか ら、相談 ・依頼 ・問い合せ ・苦情が (当方の実 感か らすれば)まあ何で もかんで もと思 うほど

5

年度は当セ ンター 目掛 けて 降って きたのだ とも言 える。要す るに、悪循環の渦中にあったわけである。

それは、平成

5

3

月を以て去 った前任者の場合 もほぼ同 じ様 な状況 にあっ た らしい。言い換 えれば、(日本語補講関連以外 に)よ くまあ こんな こ とま で と思 うぐらいその内容 はバ ラエティに富んでいて、「国際 」 「 外 国 」 「留学 生

「 外 国人

「日本語

「 外国語」 な どと名の付 くことは殆 ど何で もあった。

では、これ らの諸セ ンターの 「 違い」 を当セ ンターの業務 ( 守備 )範囲 と い う観点か ら簡単 に見てみ よう。先ず、筆者の理解では、 ( 現実 的 な立場 か ら見 る限 り)長崎大学 と直接的な関係のない人々に対す るサービスは当セ ン ターの対象外 だ とい うことが挙 げ られる

そ して、 これは 日本人 ・外 国人の 別 を問わない。従 って、例 えば長崎市内で英語の教師を している外国人が、

日本語や 日本文化 を勉強 したい と言 って、大学の どこかの部局の何かの担当

者の ところへ たまたま飛 び込んで きた としよう

そ して、その担当者 は国際

(2)

152

センター、その活動と課題

交流のために幾許かの貢献が したい とい う理由 と英語では充分 に対応がで き ない とい う理 由で当セ ンターに連絡 して きた とす る。要す る に、 「話 だけで も聞いてやって くれ 。 」 「もしで きれば入れてやって くれ 。 」 一人 くらい増 え

て も誰 も困るわけではないだろう」 とい うわけである。

無論、当セ ンターでは、以前か らで きるだけのことは して きた。 しか し、

そのためにこれを当然視する風潮 を助長 させた節が無いで もない。いわゆる 逆効果である。だが、いずれにして も、最近は留学生の急増で、そんなこと までは手が回 りかねるため、当然お断わ りする機会が増 えている。その際、

「 以前 はそ うでなかった

。」

とか 「じゃあ、 どこに回せばいいのか。」 とい う かな り語調の強い言葉 をよく耳 にす る 。 時 には怒 りの響 きす ら感 じる。だが、

現時点では、「 実は、当大学 には国際セ ンターはまだないんです 。従 って、

( 相談 を受けた)あなたがその旨を直接伝 えるの も方法です

。」

とか、 「日本 の大学 ( 長崎大学)では、金 を取 って一般市民 に教 えるクラス を常時開設 し ているとい うことはないんです。 」 とで も答 える しか こち らも方法 はない。

( そ して、「もし国際交流がお望みで した ら、まず御 自分の意志伝達技術 を研 くことや何 らかの国際交流 ネ ッ トワークに加わることか らお始め くだ さい 。 」

とい うのが こちらの心の内である

もしそ うでないな ら、 「私 は英語 は よ く 分か りません。 」 とか 「 長崎大学 にはこうい うことを担 当す る部署 は今 は ま だないんです。 」 とかいった内容 を英語の筆談 にて示す方 が、適 当 に盟 回 し す るよりはその外国人 に対 して も親切の様 に思われる。)

要す るに、現時点では、学内の教職月 は全 く同 じ 「 各個人」 とい う次元 に

ある とい うことであ り、学内の留学生 に関することと違い、 ( 業務 と して)

取 り次いだ り、憶測の含 んだ言葉 と伴 に勝手に振 って くる立場 にはない とい

うことである

当然、 これは我々に も当て飲 まる。従 って、筆者個人の場合

にはマス コミなどか らの電話 には、通常 「 確かなところはことはよ く分か り

ませ ん。 」 とか 「ここではお答 えで きません。 」 といった類の コメン トを付 け

ることに している 。 尚、ついでに言 えば、留学生 とよ く範噂の混乱 を生ず る

傾向のある客貞研究員 に関することは国際主幹の担当で ( 必ず最初 に相談す

べ きで)あ り、海外‑の 日本人学生の送 り出 しも無論、当セ ンター とは関係

が無い。ただ、英語圏の大学での夏季英語 コースの案内書や 日本人学生 との

交流 を望む団体の催物案内な どを時折入手す るので、興味のある学内の方々

に気軽 に立 ち寄 って もらうことは基本的には我々にも有益 で あるが、 ( 先 述

(3)

長崎大学外国人留学生指導センター紀要 第

3

号 報告編

1995

153

の様 に)ハー ドとソフ トの両面 にわたって国際交流セ ンターの機能 を持 って はいないので、そのことは事前 に御承知お き願いたい。

次 に、 こうい う場合 は どうだろうか。「 先生、実はよ うや く家族 が来 た ん です。セ ンターの 日本語 クラスに入 ることはで きませんか。」 と留学生 に聞 かれた らどうだろうか。 これ も、「 家族 は対象 とは していないんです。」 と答 える しかない 。 「 で も、他の大学ではいいそ うです よ

」 「で も、 長崎大学 は ダメなんです

一人だけですか ら ・

御免 な さい。 ダメなんです 。」

「 以前 はあった と聞 きました

」 「よくは知 りませんが、混乱 した らしいです よ

・・・と、実 際 には押 し問答 が続 くだけであ る

少 しくらい通 じる 言葉があって も意味 をなさない 。 「 実 は、「 留学生セ ンター」でないか らなん です。 」 などとい う長崎大学の教職員で も理解 しがたい様 な説 明 に押 しの強 い留学生が納得す ることは殆 ど期待で きないか らである

また、 こうい うの もある 。 「もう日本語の勉強は九州大学 で半年 間、毎 日 勉強 しました 。 平仮名 もで きます。 日本語 も話す ことがで きます。 どうして わた しは 「日本語

」のクラスですか

「あなたの

placementtest

marks

35

点 (

100

点滴点)だか らです

。」・‑

実は、当セ ンターの 日本語補講 の一番下の レベルのコース名 は日本語 Ⅰであって、全 く初歩の人は本来の対 象ではないのである。 しか も、 日本語 Ⅰは

2

人か

3

人の教師が リレー交替方 式で過 に

2

回か

3

回 しか教 えていない、つ ま り

60

時間か

90

時間 ( 半年間)の コースなのである 。 一方、先の学生の場合 は半年間で

600

時間以上 終 わって いるのである 。 それで も中には日本語 Ⅰのレベルの者がいる。もし当センター で 日本語初習者の

1

クラス (

2

人であろうと

8

人であろうと)を作 った ら、

それ以外 の学生のための授業 は全 くで きない。専任 を含めてかな りの数の教 官がその

1

クラスに掛か りっきりになるか らである

そんなわけだか ら、 日本政府の国費留学生 に限っては、文部省 は大学院予 備教育 とい う特別なプログラムを準備 して、「 留学生セ ンター」 にい ろんな 交換条件 を付 して依頼 しているのである だが、往 々に して何故か実際 には 私費留学生の中に日本語初習者が混 じっている。( 当セ ンターで把撞 してい る)数は全学で若干名である 日本語教育は講義形式ではない

。tutorial

形 式である。 また、その方法論 に も関係があるが、 ともか く2名で も8名で も 教師の手間は殆 ど同 じである。従 って、以上の話か ら ( 例 え若干名であって

ち)・ 当セ ンターの対象外であることは明 らかである 。 ただ、 この辺 りの話 に

(4)

154

セ ンター、その活動 と課蓮

なると、所謂 「日本語教師の常識は、学内教職月の非常識」 とい うわけで、

殆 ど理解は得 られていないのが現実である

まして、 日本人相手の講義 など の感覚のまま 、

「1

人だか ら、

2

人だか ら、 ‑ いい じゃないか。 」 とい うこ とになる と、 日本語教 師 と他の学内教職員の相互不信 は募 るばか りである。

淋 しい話だが、後は 「 多勢か無勢か」等々の政治力学の世界 だけが残 る

2 .本報告の経緯について

当セ ンターの業務 は大 まかには次の三つの柱、即 ち

(1)

大学院生 を主たる対 象 とする日本語補講 ,( 2) 生活相談 を中心 とするカウンセ リング ,( 3) 外国語の 新聞 ・雑誌の閲覧や語学教育機器の使用 などを始め とする諸サービスの提供 (と管理) 、 とか らなっている。勿論、他に年次計画の立案や実施なども行なっ ているか ら

、(3)

は ( それを含めて)セ ンターの運営 と言 い換 えで もよい。

中心ス タッフは事務補佐員 と併任のセンター長 とを含めて最大で 4人だが、

6

年 ほど前 に専任教官が初めて赴任 してか らも ( 今 日現在 と同様)半分 ほど の期間は、結果的に専任 1名の態勢が採 られて きた。尚、 (日本語補 講担 当 の非常勤の講師を含めて)この全期間を継続 して勤務 しているスタッフは、

いない。

ところで、専任教官 としては日頃、センターの業務内容が長崎大学内で留 学生の指導や世話に関係 してお られる方々に、 ともするとよく知 られていな い と感 じることが無いわけではなかった。時には、ゆえの無い誤解 も受ける こともある。( 既 に転出 した赴任者達か らも、 同 じ類 の話 を聞いてい る。) それはセ ンター側の広報活動の力不足 の結果で もある。無論、現前元のセ ン ター関係者 は皆、で き得 る限 りの努力 をした と確信 している

そ して、それ によって、( 長崎大学の)学内には留学生 に 「日本語補講 を して くれ る所」

があるとい う認識が広 まったわけだが、留学生の最近の急増 はこれ らの努力 を結果的に不十分な ものにして しまったようである

従 って、当セ ンター としては、それを補 う有効 な機会や方法が得 られるの

を漠然 と望んでいた。当センターの広報委貞会か ら、この紀要の場 を借 りて

みてはどうか とのお薦めをいただいたのはち ょうどそんな折であった。そ こ

で、熟慮の結果、( 当セ ンターの広報 を兼ねて)この場 を借 りて活動 の一端

などを報告 させていただ くことに した。尚、ことの性格上、時にはお聞 き苦

しいこともあるとは存 じますが、横が熟 した とで も言 うべ きせ っか くの機会

(5)

長崎大学外 国人留学生指導 セ ンター紀要

3 報告編 1995

155

で もあ り、なるべ く実態 に即 した率直なところを述べ ることに したい。 これ

を磯会 に、一層御協力いただける結果になるようであれば幸いです。以下、

前記の三本の柱 について、順次報告する。

3

. 日本語補講 コ‑スについて

中には、各部局の通常の専門の講義の様 に修了すれば 「 単位」が得 られる と勘違い している向 きも無いではないが、このことは概ね よく理解 されてい るようである。尤 も、その裏返 しとして当セ ンターは専 ら日本語教育だけを やっていると解 されているきらいが多分 にあるが、早 くこれが杷菱 に変わる

日の来ることを願 っているとだけ言 っておこう 。

さて、 ここでは主に現在の制度などについて説明す る。 とい うのは、毎年 定期的に行 なっている補講 コースの案内などに載せてある内容があま りよく 読 まれていないように感 じるか らである

つ まり、( セ ンターか らす る と)

とんで もない と思 える要求が平然 と突 き付 け られることが少なくないのだが、

( 要求者の振舞や様子か ら判 断す る限 り)

regulations

が頭 に入 ってい ない と解する しか説 明がつか ない。 尚、 そ う した現行 の

regulations

に至 った 経緯 ・背景や理由については、例年桜の花の季節の終わった頃に学内の全教 官や事務部門にお配 りしている、当セ ンターの年報 ( 今 回か ら紀要 と改題 )

中の 「 留学生セ ンター 日本語 コースの現状 と課題」( セ ンター年報第 1号 :

1993

3

月発行 :

pp.5259.)

に詳 しいので必要に応 じて参照 されたい。 (改 めて必要な向 きは御連絡 ください。)

例年、学期 は前後期 に分かれ、平成

6

年度の場合は

4

月上旬か ら

7

月下旬 まで と

10

月上旬か ら

2

月上旬 までである

両者の授業期間は原則 として同 じ である。無論、途中に夏休み と冬休みが入るが、夏休みは通常の部局のそれ

とは幾分ずれているようである 。 当セ ンターの場合、学習者は大学院生が主

体 なので授業 に来る者 にその程度 を確かめようとしたこともあるが、かな り

の学生が質問の意味 を理解で きない ようであ り、説明 を重ねた後、再度尋ね

ると大抵の者 は 「 知 らない」 とか、「自分の ところは夏休みは無い

などと

真顔で答 える。滞在年数 も短 くな く、当然なが ら日本語 もかな り使 える者 に

当然聞 くわけだか ら、 日本の大学の常識が殆 ど飲み込めていない と解す るの

が適切である。そんなこととも関係があろう、中には当セ ンターの授業 を出

席 ( つ ま りは、試験 に合格 ) しなければならない性質の ものと思っている者、

(6)

156

センター、その活動と課題

勝手な時期か ら自分の都合で自由に授業 に参加で きると思い込んでいる者 と 原因は分かれるが、クラス編成 にいろんな撹乱要因を持ち込む者が少な くな い。いつ も、学期の始めには同 じ様 な混乱 (に近い)状態が繰 り返 される 。

学位の取得 に関係する正規の専門の講義の登録 に際 して、似たような光景が あるとはとて も思えないが どうであろうか。

それはともか く、学内の留学生数の急増 とは、要するに初めて当セ ンター のコースを受講 しようする学生が増 えるとい うことだか ら、当然だ と言 って しまえばそれまでだが、前回の混乱 とその収拾過程の経験が次回の改善に繋 が らないのはやは り何か無視で きない問題があると言わざるを得 ない。その 結果、実際には諸規定の運用面のみが言 わば 「 〜対策」 的 に

know‑how

して確立 してゆ くばか りである 。 尤 も、これは学内の関係者個々にも言 える ことで、( いまのままでは)「 良心的に対応すれば結局は ( 過重 な負担 に絶 え きれな くなって)機械的な対応 に堕する

とい う過程 を早晩、経験するもの となる可能性が高い。要するに、他人ごとでな くなる人が大幅に増 えるもの と考えられるのである 。 多分、その頃には大学全体 としての本格的な対応策 が始 まっていようが、遅 きに失 していなければ幸いである

さて、補講の受講申し込みは、各学期の始 まる前 に各部局の留学生 を担当 する係へ案内を送付 した後、

1‑2

週間ほどの期間を取 って行 なっている。

初めて当セ ンターのコースを受講する学生 には、申し込み用紙 に記入 して も らい、クラス編成などの参考資料 にするためのアンケー ト調査 にも記入 して もらう

各用耗 には英語 と日本語が併記 してある

日本語の方は漢字が多め で、漢字圏か ら来 日する者 に配慮 してある

また、 日本語のクラス振 り分け 用の試験 もする。本人に合 った レベルのクラスで学習効率 をあげて もらうた めである。( 無論、セ ンター側の教育効率 とい う面 も絡んでいる。)通常 は、

ここまでで

60

分程かかるようである 。 後 日、その結果 を踏 まえて面接 をし、

受講するクラスを決めている 。 その際、受付時間やセ ンター側の都合 を全 く 無視 して来る者が後 を絶たない。毎学期のことである

日本人の大学院生で

あれば常識が疑われるところである 。 留学生は総 じて 日本人学生 より年齢が 高い上 に、中には ( 本人の申告 によれば)本国で責任のある地位 にいた者 も 少な くないか ら、時折 は不思議な気分 になる。

ところで、面接 は日本語の会話能力の試験 も兼ねている。無論、 コースは

補講であって 日本語能力 を高めた り、 日本の事情 に馴染みたい者だけが履修

(7)

長崎大学外 国人留学生指導セ ンター紀要 3 報告編 1995

157

すればいい旨な どを説明す るが、学位取得のための必修科 目と勘違い してい

るためか、能力以上のクラスに入れて欲 しい と言い張 るものが後 を絶たず、

精神的 に もかな りの消耗 を強い られる

特 に、当大学の留学生のほぼ半数 を 占める中国国籍者の場合 には、( 精神文化の伝統 なのか何 なのか は確 認す る 術 もないが)受験勉強 を して翌 日に再度出直 して来るな どと言い張 る者が後 を絶たない。 また、中には今 し方終 わったばか りのクラス振 り分 け用の試験 問題の用紙 を勉強のため と称 して執掬 に持 ち出そ うとす る者 もいる

だが、

ア ンケー トや 申込書の記載不備や整合性 の無い記載 に総 じて無頓着 な彼 らの 態度 (と筆者の経験 )な どか らは、その言葉 を俄 に信 じる気 にはなれない。

その上、(自己申告 とは異 なって、実際 には) 日本語 も英語 もままな らない 者が多いか ら大変である

時に、「ここは 日本ですか ら ・ ・・」 な どと も 言 った りはす るが、 自己の希望的観測や評価 を繰 り返す者の前ではほ とん ど 無力である。( 例 えば、観光気分の強い短期の留学生<例 :アジア交流財 団 等の県費奨励学生 >)唯々、入学 を認める前 に指導教官な どによる本格 的な 面接試験 の実施 を望むだけである 。 時に、概 ね 日本語だけで暮 らす とい う米 国等 の英語学校 の 日本人学生の実態報道が写 し絵 となって頭 をよぎる。

さて、面接 の結果

(

あなたは)この レベ ルの授業 がいい。」 とか 「この 授業 はレベルに合わないか らだめだ。 」 などとい うことにな り、 時 には多少 の擦 った操 んだの末、本人の時間的な余裕 と相談 して履修 ( 希望 )表 は出来 上が る 。 無論、留学生の学習科 目の履修内容であるか ら、最終的には各人の 指導教官の泉認の署名 と捺印をもって手続 きは完了す るわけである。

だが、 ここで もまた問題が持 ち上がることがある。特 に、新入学者 ( 多 く は研 究生 )の場合 に 目立つ。 どうや ら、その一部は研究生 とい う身分 に関係 がある らしい。要す るに、( 立場が弱い とい う認識が本人 に強 いためか )描 導教官 に前 もって相談 しないで来ている場合が少な くない ようなのである

大抵 は (同 じ出身国の)先輩留学生が通訳兼任で付 き添 って来る

中には、

既 に助手 などの教官 になっている者 もいて、まず例外 な く 「 指導教官の代埋 として、 自分の研究室の留学生 に付 き添 って きた」かの如 く振舞 う。だが、

ほ とん どの場合、所属研究室 は勿論、所属 の部局 さえ異なる 。 親戚や配偶者

とい う場合 には一層その傾向が強い。( 事前 に相談 をした場合 は、助教授 か

らチューターまでの誰かが付 き添 って くるか、当の指導教官か らの連絡が当

セ ンターに入 ることが多い。)

(8)

158

センター、その活動と課題

では、 この結果、何が問題 になるのだろうか。少 な くとも、セ ンター側 に 混乱の種 を持 ち込むことは確 かである。( 指導教官 と違 って)始 めか らセ ン ターの

regulaions

など知 らないか ら平然 と、 自分 の都 合 や希望 を言 いたて る。 よ くあるのは、承認 を もらう際の指導教官 とのや りとりや研究室の 日程 を知 った結果 として、「この時間 とこの時 間は都合 が悪 くなった。」 か ら、

別の時間帯の別の授業 に移 りたい とか、( 学期 の途中か ら)新 し く授 業 に出 たいな どとい う要求である。大抵 は学期が始 まって暫 らくしてか らである 。

その場合 には自分の レベルに合 った授業選択 などとい う観点は どこかへ吹 き 飛 んでいる 。 自分の都合 を並べ立てて執劫 に言 う 。 何年か前 は大丈夫だった な どとい う話 を持 ち出 して、せ めて一回分の授業の間だけ教室 に座 っていた いな どといいなが ら、先週以前 の部分 をもう一回自分のために説明 しろな ど

と言 う

毎度お馴染みの常套手段 である

当方 も授業計画の変更 を迫 られ大 変だが、 こうなるとまともに履修 している学生 にも影響が及ぶ。要す るに、

「 正直者 は馬鹿 を見 る。 」のである

何か、無料 の 日本語学校 と勘違い してい る としか思 えない雰囲気である 。 各部局の専 門科 目の授業で も絶対数の増加 と伴 に同 じ様 な

behavior

はいずれ問題 になるか もしれない。

ところで、大抵の場合、指導教官の方は過剰 とも思 える程、留学生 に気 を 使 っているようにも見 える 。 初めて留学生 を引 き受けた場合 には、特 にそ う 思 える 。 研究室内のゼ ミの時間をず らした りす る場合 もあるようである。以 前の欧米での留学や客点の経験 と関係があるのか もしれない し、曾ての 日本 の支配 した地域か らの留学生 の場合 には何 らかの思い入れがあるのか もしれ ない。あるいは、( 具体的な諸例か ら推察す るに)指導教 官 には 「セ ンター で これ とこれの授業 に出るように言われた。 」 と言 って、 日本語補 講 の履修 計画の事後東語 をさせている場合 もあるだろう

だが、いずれに して もまと

まった数の留学生 と不断に接 しているセ ンター側か ら見 る限 り、彼 らにその 配慮が届いている様子 は殆 ど見 られない。更 に問題 なのは、その ような配慮 や遠慮が初期の客人待遇 を基準 に して物事 を評価す る彼 らの気風 を助長す る ことである。無論、中にはそ うでない場合 も少 な くないだろうが、一般的で はない。高額 な文部省の奨学金 をもらいなが ら、円高の魅力 に負 けてアルバ イ ト探 しに奔走 した り、( ある種の徒党 を組 んで)私費留学生 に鼻持 ちな ら ない態度 を示 した りす る くらいでは済 まない場合 もある 。

話 を少 しそち らに移そ う

先ず心 に留めてお きたいのは、学生の申告内容

(9)

長崎大学外国人留学生指導セ ンター紀要

3 報告編 1995

159

や人に対す る態度は相手によってかな り臨機応変 ・変幻 自在の感があるとい う、極 く当然の事である

場所柄、些末な例で勘弁願いたいが、 (学生 の 申 告 に従 って)指導教官は日本語の勉強に行っていると思い、我々は研究室が 忙 しいので 日本語の勉強に来れないのだ妙 に納得 している場合がいい例であ

とい うの も、時折 これは現実に発覚するか らである

一例だけ挙げてお こう

ある時、一人の指導教官か ら電話が入 った。 「自 分の所の留学生が約束の時間になって も研究室 に戻 って来ないのだが、セン ターの授業はまだ終わってはいないのか。」 とい うのであ る。 どうもゼ ミの 時間のことらしい。午後

4

時 をかな り過 ぎていて、新聞 ・雑誌のコーナーに さえ学生は誰 もいなかった。その旨を告げた後、その学生について少 し入 り 組 んだ話 をした。 しか し、 どうも話が噛みあわなかったので、名前 を聞 き間 違えたのではないか と後で思い、授業の登録 などを調べてみた りした結果、

暫 くして どうや ら互いに勘違い していた らしい と分かった。つ ま り、指導教 官は学生の弁 を信 じて彼が定期的に日本語の授業に来ていると思っていたの であ り、当方は始めに聞いた名前の学生はその学期 には授業に出席 (登録) していないため、別の名前の学生のことだと思い込んだのである。申 し訳な いが、教官 と一つの 「(実質上の)日本語学校」の教務担 当者 との顔 を瞬時

に使い分けるのは至難な業であるとしか言いようが無い。

ここで、授業の登録の話 に戻そ

これに関 しては些か知 っておいていた だきたい問題がある

受け入れ期間終了後 に来る学生である。 「日本大使館 が ビザ を期 日までによこさなかったか ら」 に始 まって、(申込み期 間の案 内 は見たが、その間はただなん とな く)「来なかっただけまで実 にい ろんな 理由が並 らぶ 中には、指導する教官側や関連する事務部門まで もが平然 と 言 う場合がある。‑大学内の‑小単位 に過 ぎない当センターは、 日本政府の 施策や個人の気紛れの責任 までは取れない し、取 らないのである。 (これ は 所謂 「相互主義」 とは別の話だろうが、大抵の留学生の出身国での 日本人の 留学生の受入れで も大差が無い。また、普段か ら、英語などの記事 と眼前の 限 られた 日常現象 を奇妙 に繋げて、一周遅れの10000m走者 の様 な 日本批判 を展開 している者が、こんな時だけ、「日本は金持ちの先進 国だか らもっ と 寛容 にすべ きだ」などと言 うのは御都合主義である。)

ところが、昨年度 (平成5年度)の後期は彼 らの言い分 を割に素直に受け 入れて しまったのである結果 として、コースのクラス編成がかな り混乱 し

(10)

76()

センター、その活動と課題

たか ら、これは未熟 さ故に惑わされた と言った方が正 しい。そこで、今年度 の前期 は多少の摩擦 はあったが、一つ一つ反駁 して期 日は守って もらうこと に した。その結果、後期 はこの種の混乱 に限ればほとん どなかった。要する に、単位の伴 う学部の専門の講義なら守ることを日本語補講だとい うので軽 視 していただけのことである 。 中には、我々のことを大学の正規の教官だ と

思っていなかったと正直に言 う学生 もいた りして、いささか呆れた 。 また、

( 多 くはないが、筆者の)名刺 を手 にするまで信用 しない者 もいる。

勿論、原因は単純ではないが、理由の一つは留学生は出身国などを基 に し た幾つかのグループになっていて、各単位内で情報が共有 されていることと 関係があるらしい。そのため、( 事情の如何 と関係無 く)特別 な配慮 が な さ れた場合 には、( 前提条件が切 り粧 されて)結果だけが一人歩 きす る らしい のである

他 に、(日本式に)個々の事情 を汲んで細かに配慮 してや る と、

ってそれが ( その教師個人の)立場の弱 さと受け取 られること ( 異文化理 解の難 しさの典型例) もこの類の情報 になるらしい。後者 については経験上 知ってはいたが、年齢的にもかな り高い上、大学院の学生が主体 なのでつい 気 を緩めたことの報いであった。その際、非常勤講師を含めたセ ンター教官 全月で対応 しない と意味が無い。一部の学生 によって、「や さ しい人」 と悪 役 に分断 されるか らである。(これは依然 としてセ ンター側 の重要且 つ現実 的な課題であ り、国際交流センターとの区別の理解の難 しさのいい見本であ る。) 類似の問題に遭遇 している研究室 もあるのではなかろうか。

また、これには大学の 日本人

staf

fの 日頃の言動 も背景 にあ る ようであ る。実感 としてそ う思 う 。 無論、 もともとの資質の問題はある

例 えば、所 請 ( 欧州やカナダ以外の)フランス語圏出身者やロシア‑ は成人後の留学経 験 しかない者が、フランス語やロシア語 を ( 文部省の奨学金 をもらい、 日本 語 も半端 なのに)日本人に教 えるアルバイ トを紹介 して くれ と、冗談抜 きで 言 って くる場合がそ うである

だが、他 にも 「日本語教師なんて 日本人なら いつで もで きる」 とい う今では色槌せた曾ての常識が、少な くない留学生の 耳 に信頼感 と伴 に届いていることと関係 している節が ある。 そ こで、 ここ 暫 らくは大学の留学生政策への貢献の一環 として、( その個人的 な見解 を) 教育の場の周辺で公言するのは差 し控 えていただければと思 う次第である。

いずれ留学生が増 えて、一部の部局の様 に指導教官の夫人が心ならず も日本

語教育に従事する事態が広がれば、ことの正否は分かるか らである

(11)

長 崎大学外 国人留学生 指導 セ ンター紀 要 3 報告編 1995

161

ここで、先 に述べ た当セ ンターの

regulations

に対 す る軽視 に よって、

( 意図の有無は問わないでお くが)半ば強制的に押 しつ け られた混乱 の具体 例 な例 を幾つか挙 げてお こう

それは昨年度の後期が始 まって間 もな くの こ

とだった。ある学部の事務か らセ ンターに連絡が入 った。内容 は、申 し込み 期間が終わ り、授業が始 まってか ら

2

週間後 に

7

名の留学生が来るとい う

「(

全月 を)何 とか して欲 しい」 とい うのである

時期か らして、当該学部の 大学院生 のはずはないか ら研究生である。その話 を信用 し、かな りの大幅 に クラスの編成 をい じって、週

3

回の 日本語 Ⅰのクラス を準備 した。だが、実 際 に日本語学習に来たのは通告時期 を一ケ月近 くも遅れた上、 2名だけであっ た。結局、関連す る正規の授業以外 に もあ ち こちに とば っち りが及 んだ。

しか も、尻拭いは全 くセ ンター側でするよりなかったのである

その一つは予期せぬ もので、 とにか くいろんな理由を並べればセ ンターは 融通が効 くとい うふ うに ( 一部の)学生達 に受け取 られた ことである。 もっ ともこれは後か ら解 った話であって、暫 くの間はなぜ次々に しか も ( 最初 は 坂本地区の学生 に集中 して)いろんな要求が来るのか筆者 自身も分からなかっ た。だが、実態 は ( 多分)情報が筒抜 けの上 、素早 く伝 わったのであ る。

その後、 こちらの言い分が普通 に通 るようになるまでには、神経の緊張 した 半年強の時間が必要だった。従 って、時 には、情報戦で包囲 されていること

を半ば前提 にいろんな対応 を今では している

従 って、あま り例外 は作 りた くない。それが教訓である。御理解いただければ幸いである。十年 ほ ど前、

まだご く一部の大学 に しか留学生 を扱 う部門が無かった頃、 日本語教育関係 の学会誌で 「 留学生 は自分勝手である。 」 とい う或 る先駆者の、かなりショッ キ ングな文章 を見たことを今で もはっきり覚 えているが、いろんな意味で最 近 はそれを実感す ることが多い。年齢が高 く、教育程度か高い と言 って も、

基本的には同 じである らしい

また、 こんな例 もある。当セ ンターでは留学生の家族や外 国人教官は勿論

の こと、客貞研究月 も原則 として対象 とは していない。( 誤解 を恐 れず言 え

ば、正規 の留学生であって も、ローマ字表記の教科書でなければ 日本語学習

は した くない様 な学生等 も遠慮 したい。現在の体制では、意欲のある者が ま

ず先だか らである。)ある時、 コース登録面接 の途中で、 自分 は (ここだけ

日本語で)「 先生」であって、その研究室の助教授 は同僚 だ と言 う学 習希 望

者がいた。調べた ところ、「ドイツ人」の客員研究員 だ と判明 した。す ると、

(12)

162

センター、その活動と課題

financial

( 金)が問題なら払 う」 と ( 失敬 に)言い張ったが 、事情 を説 明 して、最後はお引 き取 りを願 った。尤 も、本当に言 うとお りなら、他の客員 研究点の様 に市内の 日本語学校の所在の情報 を求めるのが普通だか ら、この

弁 をなかなか信 じることがで きなかったのは事実である。

そ した ら、( 案の定 ?)翌 日だったか突然、或 る留学生会館 の館長 だ と名 乗 る外人か ら ( 南米辺 りの耽 りの分か り難い)初歩的な日本語で脅 しに近い 電話が入った。伝手 を頼 って調べた ところ、教養部にそ うい う名前の英語の 非常勤講師がいると分かった。 この客貞研究員か ら頼 まれた らしいが、指導 教官の側か らは頼 まれていない と言 う

呆れたことに、一向に悪怯れた風 も

ない。その後のいろんな経過か らすると、多分 この場合 もその前の場合 も、

こうい う風 にいろんな所でいろんな人間ががいろんな動機や思惑で動いてい るのが現実なのであろう

だが、指導教官 も事務の関係者 も単なる世間話 と して しか知 らないのではなかろうか。尚、この件では別の機会 に直接 ( 管理 者側 に)伝 えたが、結果的には無視 された。多分、「まさか自分の子供が ‑

とい う親の心理 に似た ものがあるのであろう 。 無論、いろんなことを穿 り返 すのが 目的ではないか らこれ以上は止めるが、現実に無視で きない或 る割合

●●●●

で、この種 の (この当セ ンターには迷惑な)者が当大学 に在籍 していること は確かである。

結局、以上の様 なことか ら得 られたセ ンター側の教訓は、いろんな経緯や 諸事情 を考慮 して決めたことは守るのが、 しか も厳密 に守るのが結局は一番 いい とい う極めて単純 なことであった。「 以前の教官の時 は こうであった、

ああであった。 」 とい う不確かな話や常套文句 も入 って来 るの は事実 だが、

個人的な都合 に基づいている場合 も結構あるため、規模の違いや時間の経過 を考慮 に入れた現時点での判断を優先 している

では

、regulations

を知ればそれで問題は解決するのか とい うと必ず しも そ うではない。「 少 しだか らいいだろう

」 「自分だけだか らなん とか して く れ。 」 とい うのがその典型である。 もっとも、これはコースの登録 の期 限 に 限ったことではな く、広範囲のセ ンター関連業務 に及ぶ。言 ってみれ ば、

doublestandard

を認めろ。」 とい う主張 に対す る対応 である

しか も、

多 くの場合、「自分 にだけ好都合のように ‑ 」 とい う暗黙 の主張が付 随

している。 しか も、指導教官側や部局の担当や関連部所で もない ところか ら

である

我々 も、中には本当に特殊 な事情がある場合があることも理解 しな

(13)

長崎大学外 国人留学生指導セ ンター紀要 3 報告編 1995 163

いわけではない。ただ、不断に留学生の問題 に係 わっているセ ンター側か ら みる と、 どうみて も普通の こととしか思えない場合が少な くない。

留学 ビザの発行 日と入学時期の関係の問題がいい例である。これは、今年 度の

4

月にあった例である。「 今 日、 日本語 コース登録手続 きを したい。」

ただ、その後で 自国に帰るか ら授業 に出るのは

5

月か らになる。」 と言 う 。

最初 は、「よくお金があるなあ

」 「 後で、授業についてこれるかなあ。 」 とい う 程度で,別 に気 にも留めなかった。だが、話 を聞 くうちに、 まだ本学の学生

ではない らしい ということが分かって きた。 どうや ら目処が立ったので留学 ビザ をもらいに帰 るようなのである

ただ、 これなどはまだいい方である

自分の方に何か問題があるとい う意識が見 えるか らである。従 って、今では 当セ ンターか ら各部局へ送る案内には、「 留学 ビザを持 ってい る」者 とい う 意味のことが明記 してある。

また、「 某月某 日 ( 例 えば、1

0

1

日)に来る予定だったが、 ビザの発給 が遅れてこうなった。ついては、なん とか して欲 しい。 」 とい う話 もあ る 大抵 は言葉 も丁重で、「 無理は泉知だが、特別なので ‑ ・」 とか、「自分達

には責任 はな く、政府のせいなので ・‑ 」 といった類の言葉やニュア ンス が続 く。だが、( 我々に言わせれば)特別で も何で もないのである。

1

0月

1

日 か らの入学 を認めるとい う大学の書類 は、極論すれば留学生 ビザ申請のため の書類 の一枚 に過 ぎないのである 。 大学 ( 研究室等)側が希望する日にビザ が出ない とい うのは別段特別のことで はない し、事 実 として もよ くあ る

( やや極論だが、国家 の最高責任者で もビザの発給で新 聞紙上 を賑 わす こ と がある。)実際、

4

月開始の前期 コースに登録する人の中には、

1

月前 後 に 学生 になっている者 もいるし、そ う珍 しくもないのである

また、「なん とかす る」のが難 しい実際的な理由 もある

それは、センター の専任教官が全貞入れ替わった昨年度の経験であった 。 前記の様 な事情で、

例外承認の要請 ・要求が相次いだ 。 忙 しいこともあって、後で返事するか ら と一端 は帰 してお くことをよくやった

無論、何 とか してや りたい とい う気 持 ちに、「 他人 にいい顔 をしたい」 とい う色気が加わっての こ とで ある だ が、この時、改めて身に染みたのは、「

(

特殊な理由のある)あんただけだよ。 」

とか 「 一人だけなら ( 余裕があるか ら) ‑

とい う、 日本人の中では温情

として通用す る方法がほぼ通用 しない ということである。要す るに、 「少 し

だか らいいのでは ・ 。沢山だか らだめ。 」 とい うことは現 実 にはで きない

(14)

164

センター、その活動と課題

のである 。 理由は、「 相手が 日本の文化 ・習慣 とは違 う中で生活 して きた し、

今 も ( 精神的には)ほぼそ うだか ら。 」 としか言い ようがない。

また、 もう一つ純粋 に技術的な理由 もある 。 それは、全 く平仮名 も知 らな いで入学 して くる学生の扱いである

今年度は前期 に 1名、後期 に

2‑3

名 いた。当セ ンターでは、 日本語 Ⅰのクラスはあって も ( 種 々の理由で)基本 的には 日本語 0のコースは用意 していない。( ‑ コマ

2

時 間、 半期

15

週 の計 算で)以前 は6

0

時間、今年度 は

90

時間 (

過 3

回で 1クラス)を充てている。

日本語 Ⅰは本来、九州大学 などの留学生セ ンターに於いて大学院の予備教育 を半年間受けた者 ( 文部省奨学生 )の中でやや進歩の遅い学生の他 、漢字圏 の学生で或 る程度の学習 して きた者が入 るクラスである。英語圏への留学 に 必要 な英語の レベル とは比ぶべ きもないが、 日本の大学 に入学 したのだか ら 最低水準 をそ こに置 くこと自体 にあま り間蓮 はない。

だが、そ うい う体制の ところへ 日本語 は必要だが、平仮名 さえ殆 ど覚 える のを潔 しとしない学生が入 って きた らどうなるか。 よ くあるのは、本来の レ ベルの学生が結果的に追い出されるとい う事態である 。 つ ま り、

2

名前後の 特殊 な者のために

regular

な全補講授業の

1/ 6

( 末尾の時間割参照 ) を、

また

seasonal

な ものやそれに近い一部の 「申ウンセ リング」 を含 めれ ば、

実際には

20%

を越 える分 を裂かれているのである。( ただ、 これで も前記 の 予備教育の

1/7‑1/10

は どの時間に過 ぎない。)

とい うの も、 日本語研修が全 くゼ ロの学生 は手がかかる。中には、英語が 町中で通用 しない ことに対す るシ ョックか ら回復す る手助 けを必要 とす る場 合 もあるか ら尚更である。従 って、ほ とん ど人海戦術 に頼 る しか手 は無い。

実際、 どれほど手間がかかるかは ( 個々の研究室で)実質的な 日本語教育 を 背負 っている関係者 に聞かれれば分かる。 この段 階では、教 師の教育経験が 長 くて も短 くて も教 師側の負担 はほぼ同 じである 。 日本人への英語教育の場 合 は、中学一年生 な らローマ字 を知 っているが、それで も一応の レベルに達 す る前 に最低で も数年 は要する

彼 らの言語習得者 としての年齢の遅 さや時 間を裂 くべ き本来の対象が別 にあることを考 えれば、 日本 にいる利点 も帳消 しになるだけでは済 まない可能性がある

まして、本来の申 し込みの時期 に 遅れてやって きて入 ろうとすれば、当セ ンターのカリキュラムでは 日本語 Ⅱ や 日本語 Ⅲを含 む、全 コースの半分

(45%)

近 くの授業 に或 る種 の混乱 を引

き起 こす。

(15)

長崎大学外 国人留学生 指導 セ ンター紀 要 第

3

号 報告編

1995

165

従 って、講師やその影響 を被 るクラスの学習者 も (い くら大人であるとは 言 って も)彼 らにたい してそ うそ ういい顔 ばか りはで きない ことは言 うまで もない。 とばっち りを受けた学習者の中には、当セ ンター と長崎大学 に対 し て侮 った印象 を持つ者だってい よう 。 しか も、このままでは今後増 えること はあって も減 ることは期待で きない。 この辺 りの事情 は実際 に担当 している 日本語講師 (と事務補佐貞)以外 にはい くら説明 して も殆 ど理解 されない。

それは、( 各部局や本部の留学生 を担当す る事務官 には無論 の こ と)大抵 の ことには理解のある当セ ンターの運営委員で さえもそ うである。何故かは知 らぬが ( 教職貞全般 に)何か強い先入観がある 。 例 えば、(週 3コマの ) 冒 本語 Ⅰを、同 じレベルのクラスが

3

つあると誤解 しているのはその典型で、

日本語未研修の学生は皆その内の

1

つに纏めれば (日本語 0のクラスにすれ ば)いい じゃないか とい うわけである。実際、本部の留学生係です らその程 度の認識 しかない。似 た様 なことが、今年度の後期の授業計画の策定に関 し て運営委員会で起 きたが、 この時は ( 現場体験の無い人に対す る) 「説 明」

とは一体何 なのか とい うことを改めて考えた 。 多分、 自分が英語圏等‑留学 に行 くことと、 日本 に留学生 を受けるとい うことが、同一現象の単 なること の裏返 しではない とい う現実に実感が持 ち得 ないためであろうか。

いずれに して も、結局、最後は 「日本語教育 とい うのは特殊 だか ら ・ ・ 」

とい う言葉 しかない中で、各部局の事務や教官か らは 「 一人だか ら、二人だ か ら ・・・」 といった依頼や要求が舞い込む。従 って、今のままでは、学内 の不評 を買 うのを承知で真剣 にや り合 う始末 となることは避け得 ない。で き れば、 日本語 Ⅰの水準 に達 しない者 は来 日前 に日本語学習 をして きて もらい たい し、それが筋である 。 また、時間的に無理なら長崎で も、民間の 日本語 学校 に暫 らく通 うことがで きる

実際、大抵の該当者 は

4

月 と

10

月の上旬 と い う補講の開始時期 より前 に来 日するようだか ら時間的には可能である。

これは、要す るに非 (日本 )国費留学生全点 に予備教育の代替課程 を平等

に課そ うとい うだけのことである

もしそ うしない と、既 に幾 らか煉 ってい

る節のある、漢字圏の留学生 に対する逆差別的感情へ飛 び火す る心配 も懸念

される。つ ま り、「なんであんなに日本語 を覚 える気のない連 中 に、 自分 の

大事 な時間を裂いて付 き合 わなければならないのか。自分は日本語学校や 自

国で苦労 しなが ら勉強 して来たんだ。湊字に至っては ( 覚 える能力の無 さを

棚 に上げて)自己のプライ ド弁護の言い訳ばか りしている。」 とい う類 い の

(16)

166

センター、その活動と課題

感情の発露の問題である。( 尤 も、今 はまだ 日本語補講 の時 間帯 にす るべ き ことが、「カウンセ リング」の時間に大幅に食い込んでいる とい う程度 で止 まっているが、 このために本来のカウンセ リング業務が 「カウンセ リング」

の枠外の時間にはみ出 し、ひいてはこれがセ ンター業務 ・機能の混乱 を引 き 起 こしていることは後の章で述べ る。)

尚、本稿の趣 旨とは幾分ずれるが、勘違い している学生 に対す る指導 に役 立つか もしれない とい う観点か ら付言 してお くことがある。それは、センター の 日本語補講の性質に対す る思い違いである。留学生 は一般 に日本語会話の 能力が上達 しないことに対する苛立ちが見 える。留学や外国語教 師の経験者 なら誰 にで も覚 えのあることである。増 して (日系人や大学での本専攻が 日 本語で もない限 り)日本語の学習年月は殆 ど無 きに等 しいか ら尚更である。

だが、その焦 りや傷ついた 自尊心の捌 け口をいろんな不満 に置 き換 える。例 えば、「日本人は早 口で喋るので聞 き取れない

。」

「 研究室では英語ばか りで、

日本語で話 して くれ ない

。」

「文 法 的 な説 明 や慣 用 表現 の文 化 的背 景 を ( 親 しい 日本人に)聞いて も答 えて くれない。 」等々である

主専攻 を日本語 と併せて複数持たない限 りは解決の しようのない話ばか りであ る。 ( 無論 、 上級者 は大抵 、既 に何 らかの方法で 日本語 に集中 した経験 をもっているか ら

こんなことは言わないが、本人はそ う思 っているのである。)

そ して、その一つに ( セ ンターの外では、 日本語 を使 う機会がないか ら、

「 セ ンターの補講のカリキュラムに、( 単 なる)会話練習 ( の時間)を増や し てほ しい。 」 とい うのがある

我々 もある程度は心情 を汲んで、( 授業 自体 を 日本語主体でやっている上 に)会話の要素 を盛 り込んでいるのである。更に、

日本語

I

や 日本語 Ⅱでは教科書 を終えるに必要な時間 よりも多 く取 り、一部 を会話 に充てている

だが、実際にはその頃には復習不足 もあって出席率 も 下がるのが常である。そ こで、その趣 旨をよく聞 くと大抵は ( 要は、自分は 言語の才能があるはずだか ら)「自分が滑 らかに日本語が使 える ようになる まで ‑

とい うのである

日本語は類似 の言語が近隣諸国にも分布 してい ない と言 う点で ( 読み書 きは別にして も)意外 に習得の難 しい言語である。

日本人の外国語下手はその裏返 しと言 って もよい。また、言語の実用 に必要

な文化様式の理解 とい うことも含めれば相当なものである。実は大半の 日本

人が抱いているこの感情 を、実際には日本語教師以外 には殆 ど誰 も留学生 に

はまともには伝 えないために、( 帰国の近い者や一部の国の者 を除 けば)彼

(17)

長崎大学外国人留学生指導セ ンター紀要 3 報告編 1995

167

らの多 くが全 く逆の気持 ちを抱いて しまっているようなのである

無論、大 都会であれば放置 しておいて もこの種の誤解の心配は少 ないか もしれない。

だが、九州の地方都市の留学生集団居留地である長崎大学では、学内関係者 自身が率先 して この任 に当た らない限 り ( 部局構成か らして仕方ない とは言 え)留学生側の故の無い不満が募 り続 ける可能性がある

無論、実際 にはどう伝 えるかは容易ではない。「 英語 が あ る程 度 で きるの は、 子供の時か ら使用 しているせいで、 語学の才の有無 とは関係 ない」 などと い う話 に耳 を貸す雰囲気 はないか らである

ただ、習った 日本語の実用の機 会 は ( 時 には店屋で無駄 なお金 を使 ってで も)自分で求めて行 くものだ し、

もし自分で復習す るのが苦 しいのであれば、長崎市内の 日本語学校 には会話 力 を研 く場 だってあることを伝 えることも一法である

セ ンターで も、たま

には 「ここは会話学校ではない 。 」 「 長崎大学の 日本人学生の ( 独 ・仏 ・中な どの)外 国語学習 も会話中心ではない 。

「日本では外国語大学 を卒業 して も 全員が上手 に喋れ るわけで はない。」 な どと言 った りしてい るが 、 これ も セ ンター補講 に単位 を認めては しい とい う当方の立場か らすれば、必ず しも 方便 ばか りではない 。

さて、話 は元 に もどるが、時 には、入学選抜の時点で もう少 しなん とかな らぬのか と思 うこともないではない。軽視で きない数い る

behavior

の悪 い 学生 をこれ以上増や さないためである ただ、各部局の担当者の方々がかな り努力 しているのは、仕事柄 よく知 っているつ もりである。それ もあって、

多分、比率 (%)としては上がっていないのであろう。従 って、現時点 まで の努力その ものについて どうこう言 うつ もりはない。だが、当方 としては、

比率 (%)よ りも絶対数が問題だ と思 っている

現実 には、絶対数が急増 し ているか らである

無論、研究生 を厳 しく選抜す ることはある程度の改善 に 繋が るが、思い切 って外 国語 (日本語不要)の正規課程 を儲 けるの も似 た効 果が期待で きるか もしなない 。 また、 どうして も専 門の能力だけで選抜 をす るとい うな ら、 もうす こし他の面 もきちん と管理 して欲 しい と時 には思 う

換言すれば、「

(

直接 の指導教 官 で ある) 自分 に対 す る態度 は頗 るよい。」

とい うことは 「 他で もそ うだ

とうい う論拠 には必ず しもな らない とい う 単純 な言葉 を不断に心 に留めおかれたいのである 。

ところで、 これについては 日本での生活 に馴染 んでないため とい う見方 も

を採 る向 きもあろうとは思 うが、筆者 はそ うは見ない

例 を選んで言 えば、

(18)

168

センター、その活動と課題

それは以前か らの留学生が新 しい留学生 を連れて来る場合によく見 られる。

要するに、指導教官で もこんな態度は採 らないだろうと思えるほどの無礼 さ なのである。(また、彼 らの多 くとは実質的には初対面だが、 自分 の名前 も ろ くに言わないのが普通である。)無論、正規の登録期間後 の ことであ る

例 えば、こちらが正規の規則のことを説明 して も、往々に して聞 く耳 を持た ない。無論、( 中国語の直訳文体などは分か り難 く、且 つ聞いて気分 のいい ものではないか ら)意志の疎通に使 う言語 自体 にも問題はある

だが、要は 案内に書いてあることや規則などにはなっか ら関心がない ( 多分、そ ういう 習慣が無い) とい うことの方で、端的に言えば 「 セ ンター側の都合で作 った 規則 は、自分 ( 個人)には不都合だか ら変更せ よ。 」 と言い張 ってなかなか 引 き下がろうとは しないことである。中には、眼前で嘘の通訳 をしている者 もいる。専攻分野の関係でたまたま幾 らか中国語が分かるので、 目の前で指 摘 したこともある 。 その時 も、別段悪怯れた様子 も無い。まあ今回は運が無 かった とい うところであろうか。い くら毎度のことだとは言え、あまり気持 ちのいい ものではない。多分、指導教官はそんなことは知 らないのではなか ろうか。( 尚、中国人学生の著作権軽視の性向には困 り果てている。)

以上で、 日本語補講に関することは終わる

今後の参考 になれば幸いであ る。無論、( 誤解が無いように敢えて付言すれば)多数派の留学生 はそれ に ふ さわ しい生活や態度 を示 していると信 じている

尚、授業科 目の レベルの 相互関係等 については末尾 に、表 を掲げたので必要 に応 じて参照 されたい。

また、本学の留学生数の変遷や現在の分布状況などについては、本紀要中の

「 外国人留学生の指導体制の今後‑長崎大学

、1994

年‑」 を見 られたい.

4.

各種の相談事への対応 について

もし本セ ンターに留学生の訴える各種の相談事の相手 をする教官がいるか と問われれば、「 いる」 とも 「 いな い」 とも答 えることがで きる

つ ま り、

「 いない」 とは近年全国各地に相次いで設立 されている所謂、省令化 された

「 留学生セ ンター」のような指導部門に所属する (カウンセ リング担 当の)

専任教官がいない とい う意味であ り、「 いる」 とはセンター専任教官 の公募

用書類 に業務の一つ としてカウンセリングが明記 してあるとい うこと、及び

今年度 も 「カウンセリング」の案内を各部局に送付 した上で、それに応 じた

対応 をセ ンターで行なっているという意味である 。

(19)

長崎大学外国人留学生指導センター紀要 第3 号 報告編

1995 169

現在 までの歴代の専任教官 はセ ンター発足 に至 る事情や経過の関係か ら、

日本語教育だけでな く、マニュアルの乏 しい各種 の相談 にも対応で きる とい う条件 も加味 して採用 された ようである。また、実際そうでないと当センター の教官 は勤 まらない。そ して、 この業務が 日本語教育 とは全 く別の分野の も のであることは自明である。即ち、医学や水産学や薬学 と日本語教育が違 う 様 に、 この両者 は基本的に違 うわけで、例 えばビザの申請や発給 に関す る留 学生が実際 に必要 とす る細かい情報や知識 は、当然の ことなが ら日本語挙や 言語学や教育学や地域研究学 などで教 わることは無い。また、この種の こと ではな くて も、事務手続 きと日本語 ・日本事情教育 と異文化適応相談が津然 一体化 していることが多い。 よ くマニュアルさえあれば、自分だってや ると い う声 を事務サイ ドあた りか ら聞 くが、それが無いのである

現実 には盤の 経験の積み重ねが決め手 になるか ら、失礼 なが ら 「 無理」 で あ る。 (比倫 の 適不適は別だが、マ フィア担当の捜査官の様 な ところがある。)

だが、 ともか く、毎年 ・毎学期、現実 に新 しい留学生達 はやって くる 。 そ の際、出身地の近い先輩の留学生が見つかる様 な幸運 な場合で も、到着後の 一時期以外 は何か ら何 まで面倒 を見切れる ものでない。 自らの留学 目的であ る学位取得のために時間が取 られるのは勿論だが、( 正式 なチ ュー ターで は ないため)生活費 を得 るためのアルバ イ トと時間 と交換す ることもで きない か らである。従 って、所属研究室、留学生会館内外やアパー ト周辺、留学生 セ ンターな ど、助力 を得 られる可能性 のある至るところで、その可能性 を探っ て歩 くことになる。その結果は、助力 の得 られ る ところに殺到 す る こ とに な り、対応す る側 は親身になればなるほど、 自分の身が持たな くなるとい う 悪循環 に陥 りがち となることは容易 に推察で きよう。平成

5

年度の後半以後 当セ ンターはまさしくこの状態 にあった上 に、国際交流セ ンター並み (

?)

に何 にで も対応 しようとした失敗が重 なって、文字通 りの意味で 「忙 殺」

されかけていたのである。

当セ ンターの場合、昨年度は専任教官が全て入れ替 わったこともあって、

何 とな く自然発生的に対応 していた 。 つ ま り、一人は国内の 日本語学校 の、

そ して もう一人は外国の大学の (日本語 を含 む)外 国語セ ンター とい う所謂

( 留学生の)送 り出 し側である、前任地での感覚 を共 にその まま引 き摺 って

いた。一方、本学の現場以外の関連部所 は ( 留学生数 を急増 させ るとい う原

因を造 ることに自ら寄与 しなが ら)留学生数が小康状態 にあった時の意識 を

参照

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