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「共感的理解志向の社会科」授業の誕生

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Academic year: 2021

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(1)Title. 「共感的理解志向の社会科」授業の誕生. Author(s). 吉田, 正生. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 52(2): 67-83. Issue Date. 2002-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/258. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 平 成 14 年 2 月. 北海道教育大学紀要 (教育科学編) 第52巻 第2号 52 l i i i ty of Edu嫌t on) Vo l山種do UDivers on (Educat Jou l ゴ ロalof Ho . .2 , No. Feb 1maly ,. 2002. 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. 吉. 田. 正. 生. 北海道教育大学旭川校社会科教育研究室. は じめ に. 昭和58年8月, 教育雑誌 『教育科学 社会科教育』 に, その主張を露わに した論文が登場した. 中野重人 の 「関心・態度の評価と指導をどうするか-共感的理解を図る (その2)-」 である. そこでは, 昭和52年 版学習指導要領における正統的な社会科授業とはどのようなもの かが, 具体的な授業の かたちで, しかも 「異端」 と対比されるかたちで示されていた. 昭和54年, 宮崎大学の助教授から文部省教科調査官に転じた 2年版学習指導要領社会科」 の具現化と普及の任を負ってい 中野は, 昭和55年から全面実施となった 「昭和5 た. したがって, 何が 「正統」 であり何が 「異端」 かを明確に示すことによって, 中野は教科調査官として の職責を果したと言えるのである. 一般には, 昭和52年版学習指導要領の根本的なねらいを各教科において具現化することとは, 「詰め込み 教育」 を廃し, 「落ちこぼれ」 を出さない授業をすることだと理解さ れていた① . また, そうした授業 づく りのためには, 従来の評価観を二つの位相で改めることが必要であるとも考えられていた② . 一 つ は, 評 価 と は子 どもた ち の ラ ンク 付 けの た め に行 う もの で はなく, 子 どもたち が何 がわ かり, 何 がま だわ か っ てい な いの か を把 握 す る た めの もので あ る と い う 転 換 であ る. その ため に二つ の こと が 考え 出さ れ. た. 一つ は観点別評価であり, 今一つが形成的評価の考え方である③ . 観点別評価は, 児童生徒が学習して いる諸事項のうち, 何がわかって何がまだ十分にわかっていないのかを教師に把握させるために必要なのも のであった. 今一つの形成的評価は, 授業の中で 「落ちこぼれ」 を出さないようにするために不可欠のもの で あ っ た. この 二 つ が 重 な る と, 評 価 は実 は教 師 自身 の 授 業 を 自 己評価 して いる こ と にな る のだ と いう 考え 方 につ な が っ て いく. そ して 教 師 は評 価 の 際に, 授業 者 と して の 自 己の 在り 方 を振 り返 る べき であ る と いう こ と が言 わ れ るよ うにな っ て 来 る④.. 評価観の今一つの改めは, 認知的なレベルの評価ばかりでなく, 「関心・態度」 といった情意レベルの評 価も必要だというものである. これは, 単に知識を詰め込むだけの授業でなく子 どもたちが意欲を感じるよ うな授業を教師自身に実践させること, また教科においても子どもの知育の育成だけに目を注ぐのではなく, 人間形成全体をはかる べきであるというねらいとから生まれたものと言えよう. こうした評価観に基づいて, 昭和55年, 文部省はこれまでの 「学習指導要録」 の様式を変え, すべての教 科において 「評定」 欄の他に 「観点別学習状況」 の欄を設け, 「関心・態度」 を評価項目として付け加えた. 小・中学校では, これを受け, 形成的評価をどのように行うか, あるいは 「関心・態度」 の評価をどのよう に行うかが大きな問題となっ た. 各地で, 評価を校内研修のテーマとして取り上げる学校が生まれた⑤ . この新 「学習指導要録」 改訂において, 初めから問題になったのは 「関心・態度」 をどのように評価した らよいのかということであった. 文部省に協力して改訂版を作った担当者たち自身さえ、 これが難問である ことを認めていた. 例えば, 「指導要録の改訂と評価の改善」 という座談会で, 梶田叡一は次のように発言 67.

(3) . 吉. 田 正. 生. して いる⑥ .. ただ注意していただきたいのは, (どのように観点別評価を行っていけばよいかという評価基準や評価のための作業要領 な どが) 1年目で パ ーフ ェ ク トな もの が できる わ けで はな い という こ となん です. 関心 ・ 態度 につ いて言 う と, 10年 かか っ ても パ ーフェ ク トにな らな いか も しれ ない. … (中略) ….. どうしてこういうことを言うかというと, 今回の改訂でなぜ全教科に関心・態度という観点がおかれたかということを考 えれば分かると思います‐ 以前も教科によっては関心・態度の項目はあったんです. けれども今回は全教科におかれた. 指 導の目標として大事だからなんです. ただ誤解のないようにしていただきたいんですが, これは客観的に関心・態度がきちっと把握できるということを意味し ているわけで はな いんです.. 上の引用で分かるように, 「関心・態度」 は 「客観的に」 把握できるものではないかもしれないし, また 「10年 か か っ て も パ ー フ ェ ク ト」 に でき る よう な もの で もな い か も しれな い こ と を 担 当 者 自 らが 認 識 して い. たのである. それにもかかわらず, 「関心・態度」 という評価項目を設けたのは, 「評価の観点としておいて おかなければ, 指導の観点にもなっていかない」 「評価の観点として抜けているものは, 指導でも抜けてし まう場合が多い」⑦ と考えられたからである. さらに梶田の発言は続き, とにかく学校は 「客観性に問題があっても, 評価しなければならないことはやっ 「関心・態度」 に関 て い か な けれ ばな らな い」⑧ という姿勢で, まず始め, 「1年目にはそういう意味で, ( する何段階かの子どもたちの) 暫定的な姿 (について) とか (評価) 基準, 力とかいうことを設定してみる. そして実施してみて, その経験に照らして, 2年目に改善する. そして3年目にいく」③ という具合に, 学 校が主体的に且つ評価委員会を設けるなどの工夫をして継続的に取り組むべきであるということがいわれる. しか し, 梶 田 は学校 だ けに 任せ て おい て い いと は言わ な い⑩.. しかし, それを学校だけに任せておくのは無責任なことだと思うんです‐ それが学校できちっとやれるためには, まず市 町村教育委員会が, そのための研修の場とか, 具体的な資料集だとか評価基準の葉のようなものまでを準備しないといけな いと思います.. それがまたきちっとできるためには, 都道府県の教育委員会がどうやって市町村教育委員会を指導するか. あるいは各学 校に対して, もっと広い目で見た資料集なり手引きなりを, 都道府県教育委員会で準備することができるかということになっ てく ると思いま す.. 梶田は, 文部省の教科調査官の役割につ いては言及 して いな い. しか し, 梶 田の論 理 を 突き 詰め てい けば, また現実の場で教科調査官が各教科の 「関心・態度」 について指導を求められたとき, お茶を濁すというわ けにはいかない‐ したがって, この時期に教科調査官であるということは, 自分の担当した教科における評 価の在り方について具体的な指針を示す任を負っているということも意味していた. 特に, 新たに設けられ た 「関心・態度」 の評価をどう行うのか, それと連動した社会科授業をどう構成したらよいのかは, 現場に おい て わ か らな いと いう声 が多く 上 が っ て いる だ け に 喫緊 の課 題 で あ っ た.. したがって, 中野は 『教育科学 社会科教育』 の編集部から 「関心・態度の評価と育成というテーマで, 連載を引き受けてくれないか」 と依頼されたとき, 「たいへんなこと」 「浅学非才の私にとって, 余りにも手 に余るテーマ」 だと感じ, 「何回もお断りしようと考え」 ながら, 結局は 「緊要な課題」 だと引き受けざる を得な か っ た のであ る⑪. 6 8.

(4) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. このテーマで中野が連載 した論文が, 「関心・態度の評価と指導を どうするか」 であり, 冒頭の 「主張を 露 わ に した」 論 文 と は, そ の 第17回 目の もの であ っ た. 中野 が 連載 を 開始 した の は, 昭和57年 4月 号 か らで. あった. 『教育科学. 社会科教育』 の連載は, 4月 に始まり翌年の 3月 に終わる というのが, 従来の一般的. な型であった. したがって, 昭和57年4月 から59年3月にまで及んだ中野の連載は, 異例の長期にわたるも の で あ っ た‐. 冒頭の論文以前においても, 連載のなかで中野は優れた授業としていくつかの実践を紹介している. しか し, 二つ の授業を比較して, 一方を 「社会認識教育の重要な課題」 を達成しているものとし, 他方をそれが で きて いな い もの とす る よ うな あ か らさ ま な 論の 展 開 は, そ れま で は見 られ な い も の であ っ た‐ ま して や,. そのようになった原因を両者の社会科論の相違という根源的なレベルにまで降りて求め, 前者の社会科論こ そ が学 習 指 導要 領 のね らい に かな う もの で あ る と いう 論 じ方 は, こ れま で はなさ れ て いな か っ た. 連載17回. 目にしてはじめて, 「社会科論」 という根本的なレベルにおいて, 社会科授業構成の優劣が論 じられたので ある.. 中野がとりあげたのは, 東京都大田区立大森第六小学校 (以下, 大六小) の 「ゴミの学習」 指導案と福井 ′の収集に携わ 『ゴミ 県福井市立足羽小学校 (以下, 足羽小) の指導案であった. 中野は, 大六小のものを 「 る人々の苦労や工夫』 に思いを致すこと」 及び 「ゴミ処理を日常生活における自らの問題としてとらえ」 さ せることを核として授業構成が行われているがゆえに, 「社会事象を常に自らの問題として, 自分なりの考 えや生き方と切り離さずにとらえる」 という 「社会認識教育の重要な課題」 を達成しているとし, 他方, 足 羽小のものはそういった視点が 「希薄である」 とした. 暗に足羽小のものは 「社会認識教育の重要な課題」 を達成していないとしたのである. さらに 「文部省社会科」 は, 「理解・態度・能力の統一的育成」 を社会 科 発 足 以 来 一 貫 して ね らい と して き た もの で あ る か ら, 「 『ゴミ の 収 集 に携 わ る 人々 の 苦 労や 工 夫』 に思 い. を致」 させ, ゴミ問題を自分の問題としてどうしようかと考えさせている大六小の授業こそが, 昭和52年版 学習指導要領社会科の授業構 成としてふさわしいものであるとした⑰ . いわば, 中野のこの論文において 「 5 2年版学習指導要領社会科」 における正統と異端が明示さ れたのである. 知育のみに 「偏っている」 授業 を認めるべきでないという当時の教育思潮が, そうした中野の強い姿勢の背景にあると思われる‐. ちなみに足羽小学校の社会科学習指導案を作成した高橋道雄は, 兵庫教育大学の岩田一彦がまだ福井大学 にいたころの研究会グループの一人であっ た. すなわち, 社会科はその学習内容から態度形成を外すべきで あ る とい う 岩 田 の 主 張 に賛 同 してつ く られ た指 導 案 が, 高 橋 の もの だ っ たと いう こ と が で きる. 中野 は, 平 成13年3月27日, 筆 者 のイ ンタ ビュ ー に答 え て, 「人 が 一生 懸命 つく っ た授 業 を ダメ だなん て, 簡 単 に決 め つ け られる もの で はな い. 必 ず い いと ころ を指 摘 す るよ う に して, ず い ぶん 気 を つ か っ て 書 かな. くちゃいけないもんだ」 と語った. その言葉どおり, 異端とされた足羽小の学習指導案についても 「探求的 な学習展開の中で, 多様な学習活動を取り 入れ, 子供たちの主体的な追究を目指した意欲的な実践である. その限りにおいて, (真の 「文部省社会科」 実践たり得ている今一つの実践と同じく) 高く評価されよう⑩ .」 と優れた点を指摘 している. しかし, 次のように書き, 「文部省社会科」 の具現化という視点からは, 何が 欠けているかを明確に指摘しているのである@ 『ゴミの収集に携わ 事例A (=足羽小) と事例B (=大六小) の相違は, このニつのポイ ントのうち, 共感的理解 (= 「 る人々の苦労や工夫』 に思いを致」 すこと) と主体的な社会認識 (=ゴミ問題を自分の問題としてどうしようかと考えるこ と) の育成ということが, 前者に乏しいということである‐ すなわち, 前者にあっては, 社会科における 「関心・態度」 の ある側面が欠落 している‐ 少なくとも, 共感とか態度化ということに冷淡であるということである‐. 69.

(5) . 吉. 田 正. 生. 本論では, 中野によって正統的な 「文部省社会科」 とされたもの すなわち 「事象の中にひそむ人間の努 , 力や工夫」 「 よくありたいと願う人 間の営み」 を共感的に理解し, その共感的理解をてこにして, 可能な場 , 合には自己の生き方や行為の方向までも考えさせようとする社会科授業を 「共感的理解志向の社会科」 授業 と呼ぶことにする. それは中野の言葉を借りて言え ば, 「理解・態度・能力」 の統一的育成をめざした社会 科と いう こと になる⑮.. 冒頭にあげた中野の論文は, この 「共感的理解志向の社会科」 授業を 「文部省社会科」 授業の正統とする 宣言である. しかし, この正統宣言以前にすでに 「共感的理解志向の社会科」 授業は 存在した だからこ , . そ, 中野がその論文中に引用することができたのである . しかし, 中野の正統宣言, そして後述する教科書構成が 「共感的理解志向の社会科」 授業を深く 静かに , 小学校現場に浸透させていったのである. つまり, 中野と社会科教科書 は その生成/発展に大きく寄与し , たと いう こと が でき る.. 本論は, まず中野が引用した個々の授業の誕生の経緯や背景を明らかにし 正統的 「文部省社会科」 が授 , 業レベルにおいてどのように誕生したかを, 個別事例ごとに明らかにしようとするものである (目的①) . 次いで, この社会科パラダイムに適合的な教科書記述や教科書構成の生成/発展を明らかにする (目的②) . このパラダイ ムに適合的な社会科教科書は, 昭和50年代に誕生した. そして それ以前のものとは異なった , , 独特のものとして進化を遂げたのである. すなわち, 教科書に, 具体的な人間がとりあげられ その人間の , 工夫や努力について記述されるようになったのである. 日本の農業に関する記述を例にとって言えば 本文 , において越後平野における米作りの現状やそこで米作が盛んな理由が一般的なレベルで語られる一方で 囲 , み記事に越後平野で米作りをしている00さん (=具体的な人間) が登場し 米作りの工夫や努力 喜びや , , 悩みを語るという構成がとられるようになった. 昭和43年版の学習指導要領下で作られた社会科教科書には , このような構成はまっ たく見られない. したがって, 教科書のこの進化あるいは変化の経緯・背景を明らか にす る こと も ね らい と す る.. 基本的な授業パターンの成立と教科書記述構成の基本的パターンの成立 この二つ が相僕って 「共感的理 , 解志向の社会科」 授業は, 正統性と再生産性をいよいよ確固たるものにしたのである したがって 「共感 . , 的理解志向の社会科」 は, 基本的授業パターンが成立しただけでは誕生したとはいえない それはあくまで . 「共感的理解志向の社会科」 授業が誕生しただけなのであって 「共感的理解志向の社会科」 の誕生ではない , のである. 個々の授業づくりを規定する授業パラダイ ムのみな らず, それを支えるもの (=教科書) が成立 したときをもって, 真に 「共感的理解志向の社会科」 が誕生したとみることができる . した が っ て, 目的① 及 び② の二 つ を解く 必 要 があ る .. さらに目的③として, この社会科授業の浸透の度合いをみていくことにする これによって 再生産状況 . , ある い は成長 ぶ り を み るの であ る .. 目的①のための方法として, 次のようなことを行う‐ すなわち , ( ) 中野の連載論文 において, 「共感的理解志向の社会科」 授業の事例として示さ れた三つの学習指導案 1 (大六小のもの, 長野県上田市立東小学校のもの<以下, 上田東小> 岐阜県岐阜市立長良東小学校の , もの<以下, 長良東小>) の作成に携わっ た人々に聞き取り調査を行い その指導案の作成の経緯を明 , らかにするとともに, 指導案の発想のもとになったと思われる実践例や教育論・教科論を研究紀要等を 検 討する こ と によ っ て特 定す る.. 中野以外の当 時の社会科教科調査官, すなわち中野の前任者である溝上泰 同時期の高野尚好の編著 , 書を検討し, そこに見られる社会科授業が 「共感的理解志向の社会科」 授業の要素をもっているかどう かを明らかにし, そのような授業がある場合には, 上記と同じく授業作成者等に聞き取り調査を行う . 7 0.

(6) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. 特に, 溝上の場合, 「社会的連帯感を育てる」 社会科授業を昭和50年に二つ, 『初等教育資料』NQ 323 97 ( 1 5年6月 号) で紹介しているが, そのうちの古屋雅光の実践記録には実践の核になる言葉である社 会的連帯感の契機として 「共感」 が挙げられている. したがって, この 「社会的連帯感を育てる」 社会 科授業と 「共感的理解志向の社会科」 の関係は, 追究されなくてはならないことなのである. 2 { ) 上記三人の教科調査官たちに聞き取り調査を行い, 個々の 「共感的理解志向の社会科」 授業にどのよ うな関わり方をしたのか (あるいは全く関わりがないのか) , 明らかにする. 目 的 ② につ いて は, 次の よ う な こと を 行う.. ( ) 昭和52年版学習指導要領のもとでつくられたすべての小学校社会科教科書を点検し, 先述のような記 1 述構成が最も早く現れたものを特定する. 2 ) その教科書の編集/執筆にあたった人々に聞き取り調査を行い, どのような経緯でそうした記述構成 { が生ま れ た の か を 明 らか にす る. 目 的 ③ につ いて は, 浸 透 度 を 見る ため に次 の 二 つ の こと を 行う.. ( 1 ) 北海道教育大学教育学部附属旭川小学校の公開授業における社会科授業の指導案の授業構成の推移を 検討する 2 ( ) 北海道上川教育研修センターにおける 「小学校社会科講座」 において授業担当者が作成した指導案の 授業構成の推移を検討する この と き, 全 国 レ ベ ルで の 浸 透度 の推移 を 見る こ と を行わ な い の は, 資 料 が 余り に膨 大 に なり, 個 人. 研究では資料 を収集・分析できないからである. 『教育科学. 社会科教育』 によって全国レベルの推移. を見るという方法を便宜的に採ることも考えられるが, それは妥当でないと判断した. なぜなら, 『教 育科学 社会科教育』 が商業雑誌であるために, 取り上げられる実践あるいは依頼さ れる執筆者や執筆 テーマは, 「文部省社会科」-のねらいを反映させることよりも何らかの商業戦略を反映させることが優 先されていると考え たからである‐ たとえば, 昭和60年頃から平成4~5年頃まで, 『教育科学 社会 科教育』 の執筆者の多くは 「教育技術の法則化運動」 の積極的活動家あるいはそれに一定程度の理解を 示したり共鳴 したり した人々であっ た. そこでは, 「共感的理解」 は論じられず況してや根源的論議と なる 「社会科論」 などは取り上げられていない. それにもかかわらず, 「教育技術の法則化運動」 の活 動 家 たち が そ こ に 執 筆 で き た の は, 「ス タ ー を つ く る」 と いう 商 業 戦 略 故 で あ っ た⑩. 当 時 は, 「教 育 技. 術の法則化運動」 の上げ潮期だったのである. これに対して, 附属小学校及び教育研修センターなどでは, その性質上, 学習指導要領の精神を具現 化しようとして授業が構成さ れる場合が多い. したがって, そこにおける指導案の内容構成の推移はか なりの程度, その地域における 「共感的理解志向の社会科」 授業の浸透を示すものであろう. 一体, なぜこの 「共感的理解志向の社会科」 を問題にするのか. この 社会科 パ ラ ダイ ム が 今 も続 いて おり, した が っ て 日本 の 社 会科 実 践 史上, 無 視 で き な いも の にな っ て いる と いう こ と が 一 つ の 大き な 理 由で ある‐ しか し, そ れ以 上 に 大き い理 由が 二 つ ある. 一 つ は, この 社会. 科パラダイ ムを絶対のものとして信奉し, 別のパ ラダイ ムで社会科授業を構想しようとすることを正統から の逸 脱 と みな す 傾 向の 存 在 す る こと で ある. ま た逆 にこ の パ ラ ダイ ム の社 会 科授 業 に どの ような 思 い が 込 め. られ, したがってその意義はどのようなものかを深く考えもせずに, 子どもにとって魅力のない授業しか生 み 出さ な いも の で ある と 決 め つ け, あま り に も無造作 に この パ ラ ダイ ム か ら離 れ た と ころ で授 業 を創 る う と. する傾向が存在することである. 71.

(7) . 吉. 田 正 生. 今一 つ の 問題 は, この パ ラ ダイ ム にお ける 価 値 教 育 がそ のま ま, (無 意 識 の う ち にか) そ の 問 題 点 を深く. 検討されることのないままモデルとして取り入れられ, 「総合的な学習の時間」(以下, 「総合」 ) における価 値教育においてほぼ同じものと見られる価値教育が展開されていることである. 本論は, そうした傾向にたとえ小さくとも一石を投じたい, そしてよりよい社会科実践や 「総合」 が構想 さ れる 一 つ の き っ か けに な れ ばと いう 願 い を根底 に秘 め た も の であ る.. そこで, 本論を次のように構成する. 問題の所在 論文の目的と方法, 研究の意義など 第1部 誕生編. 1章 東京都大田区立大森第六小学校における 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生 ・ 中野重人からの聞き取り調査を軸にして ・ 大田区立大森第六小学校の元研究同人からの聞き取りを軸にして ・. 小括. 亘章. 長野県上田市立東小学校における 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. ( 1 ) 中野重人からの聞き取り調査を軸にして ) 上田市立東小学校の元研究同人からの聞き取りを軸にして ( 2 ( 3 ) 小括 m章. 岐阜県岐阜市立長良東小学校における 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. ( 1 ) 中野重人からの聞き取り調査を軸にして ( 2 ) 岐阜市立長良東小学校の元研究同人からの聞き取りを軸にして ( 3 ) 小括. N章 小学校社会科教科書における 「共感的理解志向の社会科」 記述の誕生 { 1 ) 中野重人からの聞き取り調査を軸にして 2 ( ) 教科書編集者からの聞き取りを軸にして ( 3 ) , 小括 第2部 浸透編 V章. 北海道旭川市及びその周辺地域における浸透について. ( ) 北海道教育大学教育学部附属旭川小学校の場合 1 2 ( ) 旭川市教育研究会社会科部会の場合 ( 3 ) 上川教育研修センター研修講座 (小学校社会科) の場合 ( 4 ) 小括. 成果と課題 文部省社会科とは別の所で生まれた, しかも 「共感的理解」 を強調する社会科論/実践として安井俊夫の もの があ る. 本 研究 で は, これ に つ いて 全く 触 れ て いな い. こ う した 課 題 等 につ いて 述 べ る.. 第1部誕生編 1章 東京都大田区立大森第六小学校における 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生 昭和5 4年から文部省に小学校の社会科教科調査官として入った中野重人の著作に 『社会科評価の理論と方 72.

(8) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. 法』(明治図書) がある‐ ここに登場する大森第六小学校の社会科授業は, 学習指導案で見る限り, 典型的 な 「共感的理解志向の社会科」 授業である. 中野は 「はじめに」 で述べたように, この学習指導案を用いて 「 52年版学習指導要領社会科」 授業構成における正統と異端を明示 したのである (巻末資料参照) . このような指導案がどのような経緯で作られたのか. まず, 中野重人への聞き取りによって明らかになっ たこ とか ら示す.. { 1 ) 中野重人からの聞き取り調査を軸に して ①. 中野と52年版学習指導要領における社会科. わたしが文部省に教科調査官として入ったのは, 昭和54年4月だった. だから, もう52年版の社会科はで きて いて ね‐ あ れを つ く っ た の は, 私 の 前 任 者の 溝 上さ ん, そ れ に高 野さ ん だね.. 52年版の社会科は, 骨皮筋衛門だった. 当時の初等中等教育局長が諸樺さんで, 彼はやはり前の学習指導 要領にはない色を出そうとしていたから, 余計なものは削れという方針を出したんだね. それで, 社会科の 学習指導要領も三分の一 ぐらい削ったんだ‐ でも, それは詳しく書いてあった部分を削っただけで, 43年版 で扱っていた社会科の内容というのは全部残っていた. 要するに内容は落とさずに表現だけを簡潔なものに したのが, 52年版の学習指導要領社会科なんだ. それで, 骨皮筋衛門ということになったんだね. 【イ ンタ ビュ ア ー 註1 2年 「教育課程の改善をめざして」 という座談会⑭ において, 当時文部省初等中等教育局審議官だった奥田真丈は 昭和5 2年版学習指導要領のもととなる教育課程審議会答申の基本的考え方を 「教育 過去の教育課程改訂を次のように総括し⑭, 5 の原点に立っての見直」 しと表現した. 過去の三度を振り返ってみると, 二十六年版は指導要領の全体のかたちを整えるという意味と, 占領下ということで翻 訳臭が強かったという批評があります. まあ三十三年版で本当の日本的なものになったということです. /三十三年版か ら十年たった四十三年版は, 日本の国情も変わり, 社会の発展, 科学技術の進歩等で, いうなれば科学化され, 現代化さ れた指導要領になった. それから五十二年の今日ですね. 今日のものはそういうプロセスを経て, ーペん見直しの時期に 返 っ ており, む しろ教 育 の原点 に立 っ て 見直 そう という 時期 にな っ て いる の が今 回の改 正 で はな い かと思 いま す.. 「見直し」 は, 「ゆとりと充 剰 「基礎基本の充実」 という二つのスローガンで表現され, 学習指導要領改訂に際しては教 育内容の 「精選」 というかけ声のもと, 大幅な教育内容削減が行われ, また各学校の教育計画の中には 「ゆとりの時間」 が 設けられた. 中野が骨皮筋衛門といったのは, この教育内容の精選という側面を指す. この学習指導要領のための社会科カリキュラム改訂に携わっていた西村文男 (当時, 東京都教育委員会主任指導主事) は, 「改善の趣旨をどう生かすか」 という座談会⑩ の中で, 社会科の教育内容がどのように精選されようとしているかを次のよ う に語 っ た⑰-. 社会科のほうは, 「審議のまとめ」 に述べられている線で相当量の内容の精選を図っています. 特に四年, 五年, 六 年は一時間ずつ減らされたわけですから, 思い切って単元を一つずつぐらい減らさなければならないわけです. 現在進 行中ですから, 具体的なことは申し上 げられませんが, 社会科については精選が十分図られると思います.. 西村のこうした発言等を受けて熱海則夫 (当時, 文部省小学校教育課課長補佐) は, 今回の教育内容の精選は, 学年間で の教育内容の重複の見直し, 小中高という学校段階間の内容の重複の見直し, そして分化しすぎた領域の見直しという三つ 73.

(9) . 吉. 田. 正 生. の視点によって行ったと述べた後, 社会科については次のように語った⑰ .. あと, 各学校段階にまたがっているような内容というと社会科のたとえば歴史の分野などがありますが, その取り扱い なども再検討しました. また学年間にまたがっている内容の多い理科だとか, 社会科では三, 四年の郷土学習の取り扱い あたりも, ずいぶん整理しました.. 西村や熱海の言うようなことを例示するなら, 小学校4年生にあった政治学習 (県庁など地方自治体の機構の学習) を挙げ るこ とが できる. この 単 元 は昭和52年版 で は削除さ れ た. しか し, 「ゴミ学 習」 の 中 に上 手 に残 さ れ て いた すなわ ち 「な . ,. ぜ, ゴミが集めら ●れるようになったか」 あるいは 「どのような過程を経て, 00地区に新しい清掃工場が建てられたのか」 な どを学習する際に, 詳しく機構を学習できないまでも, 地域住民の願いをうけて政治や行政が行われている/地域の問題は県 庁や市役所が処理をしているということを学ぶ程度は残されたのである. 中野の 「 4 3年版で扱っていた社会科の内容という のは全部残っていた」 という言い方は正確ではないが, 今述べたような見方をすれば不正確ではあっても, 間違いではない . 私 は宮 崎大 学 に は31歳 か ら41歳ま で いたん だ け ど, ま あ 何 かの縁 で文部 省 に入る こ と にな っ た そ の前 ? .. その前は鹿児島で中学の教師を7年やっていた. 自分で何か行き詰まりを感じてね, それで広島大学の教科 教育の大学院を受けたんだけど, 私のうちは, 母親が戦争未亡人でね, お金がないから, 無理をして行かせ て も ら っ たよ う な もん だね.. でも, 受けたら, 受かってしまってね. 内海巌先生に拾ってもらったようなもんだ. 内海先生が指導教官 で, 私は教科教育の2期生だった. 私の1期上に岩田先生がいた. 3期が片上君だった. 森分先生?彼は, 教科教育ができる前に, 広大を卒業して高校の教師をやっていた. 私が大学院に入っ たときは広大に呼び戻 さ れて 助手 を や っ て い たね.. だから岩田先生とは社会科に対する考え方なんかが違うけど, いろいろ頼んだり頼まれたりっていう仲で, この前の夏も生活科の集中講義を頼まれて, 兵庫教育大学まで行ったよ. しばらく続けているね, 兵教での 集中講義は. 僕が入った当時の文部省 は, 昭和52年の学習指導要領を軌道に乗せようとしているところだったから, つ まり, その前の4 3年版の学習指導要領が1 960年代のアメリカの 「教育の現代化運動」 の影響を強く受けてい たのに対して, 人間尊重の路線を強く打ち出そうとしていた. 学習指導要領全体で言うと 「ゆとりと充実」 という言葉でそれが言い表されていた. 社会科では, 「人間化」 という言葉だったね ぼく自身 科学主義 . , 社会科である新社会科の後のタバ社会科の研究をやって, 附属の先生や研究会に集まってくれる先生たちと 「社会科の人間化」 という ことをやっていたからね, こういう文部省の方向に対しては何の違和感もなかっ たな, 自分 の 考え て き た もの をさ らに深 め て い け ばい い という 感 じだ っ た か らね .. ぼく は, 社会科っていうのは 「教育そのもの」 だと思っている‐ だから, 説明的知識とか概念的知識とか を習得させればそれで十分だという社会科論にはどうしても承服できなかったな. 社会科っていう授業だっ て, 今・ こ こ にいる 子 どもたち を どう す る の か っ て いう こと を基 本 に おい て 授業 を創 らなく ち ゃ い けな いと 思 っ て い たよ.′もち ろん, 今 ・ こ こで 生き て い る 子 どもた ち を どう す るか っ て い う の は社会 科 だ けがや る こ. とじゃない, 教育課程全体で引き受けなくちゃいけないことだ. 【イ ンタ ビュ アー註1 このような中野の教科観は, その学校観に由来する. 中野は, 学校とは 「知識や技術を教授するところ」 ではあるが そ , れだけを任務とするところではない, という. 学校は 「人間形成の場」 であり, したがって 「健康でたくましい身体の鍛練」 74.

(10) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生 を担う場であり, 「意志や感情, 関心・態度等の情意的側面」 の育成も担うところであるとする⑭. そして教科もそうした 「人間形成を事とする学校教育のねらいを達成するために設定された教育的な手段としての枠組」 なのであって, 「ねらいに 従属するもの」 だというのである⑩. このような中野の見方からすると, 社会科でしかできないことは何か, 社会科が他教 科と異なる点は何かというところから 「社会科とは社会諸科学の成果を教えることを主任務とする教科である」 といって, 教科内容を導出しようとする発想は, リジッ ドで排されるべきものとなる‐ 次の文章は, 上記のような論構成をする森分孝 治や岩田一彦に対する中野の批判と読むことができる◎. 学校の任務は何かを近代学校の本質から考えるとき, 学校で教科の教育が重視されることは当然であろう‐ 教科を重視 することに異論はないが, 問題は, 教科とは何か, 何のための教科かの視点が, 不明確になりがちであるということであ る. 各教科の実践や研究が, 教科を固定的にとらえ, その枠内だけに閉じこもりがちな傾向を否定できない. 教科の独自 性, 教科の特性だけが強調され, あたかも各教科がそれぞれ独立 して存在 しているかのように考えられ, 何のための教科 教育かが, 見失われがちになることである. このことは, 学級担任制の小学校でも指摘できることであるが, 中学校や高 校, また大学レベルでの実践者や教科教育研究者に共通していることである‐ これに続けて中野は, さらに 「学校教育目標の達成」 を教科教育も担うべきなのであるから, それをめざすことのできる 「教科教育の在り方が問われ」 なくてはいけないとする‐ それは 「意欲や関心・態度の情意的側面」 を重視したものになる と いう ので ある⑳.. そう す る と, そ う いう 社会 科の 授 業 を どう創 れ ばい い か と いう こ と が問題 にな る. 上 田さ ん は, 26年 版の. 社会科がいいんだという. 確かにそうかもしれないけど, それをそのまま昭和40年代あるいは昭和50年代に 持 っ て こ られま す か ? 上 田さ ん はそ う いう 具 体的 な もの にな る と何 も示 して いな い.. そもそも上田さんの社会科論というのは, 敵がないと成り立たないものなんだ. つまり, 右の系統主義は だめ, これがまあ文部省の社会科だね, そして左の系統主義はだめという具合に二つ を切り捨てて, 私は問 題 解 決学習 だ と お っ し ゃ る け ど, じ ゃ あ, 今 こ こ に いる 子 ども たち の ため に どんな もの を 何 時間 教え ま す か と いう と, そ う いう 具 体 的な こ とに つ いて は何 も 語 っ て いな い‐ そ れ でい い ん です か ?. わたしが教育を考えるときに思い浮かべるのは, 集団就職の列車なんだ. 中学を出て行くだけで就職して いく, そう いう 子 ども たち に も 何 か してや る, そ れが 教 育な ん じ ゃ な いです か っ て いう 思 い が 私 に はあ る. そ う いう 子 ども たち よ り, 大 学 を 出 た 人の 方 が え らいん で す か, 人 間 と して 立派な ん です か. そう じ ゃ な い で し ょ う ?そうしたら, そういう子 どもたちにも何かを与えられるような授業を創る, それが教育っていう も の で し ょ う ? 社 会科 なん て いう 狭 い枠 だ けで もの を考え て いち ゃ い けな い.. にイ ンタ ビュ ア ー 註1 ・かという研究の背後にある 中野 このような子どもへの熱い思いが, 中野が取り組んだ 「関心・態度」 の評価をどうする ‐ は昭和5 8年に行われた, 有田和正 (当時, 筑波大学附属小学校教諭) , 次山信男 (当時, 東京学芸大学助教授) との座談会 の 中で, 次 の よう に発言 して いる @. ただ, 私は関心・態度を考える時に, どのように関心・態度を燃やすかという視点と同時に, もう一方考えなければなら ないのは, どうしても燃えない子ども, 社会科にどうしても燃えない, 国語も燃えない, 算数にも燃えない, こういう子ど も というの はい っ た い どう す るのか という ことだと思う のです. … (中略) …. みん な ダメ な子 どもという か, 意 欲のわ かない子 どもをい っ たい どこ にその よ さを見取 っ てや るのか. こ 75.

(11) . 吉. 田 正. 生. れは私は関心・態度のものすごく重要な課題だと思うんです. そういう意味では関心・態度というのは, 教科の枠の中だけ で もの を見 て はな らな い, 一人 一 人の 子 どものよさ を, どのよう に見 取 っ て そ れを どの よう に伸 ば して や るか という, そう いう 非常に深い次元で と らえな いと いけな いん じゃ な いか という 気 がす るん です.. それでも, 宮崎大学にいるときにヒルダ・タバの影響を受けて人間の価値を扱う社会科の授業モデルを創っ た. これがそれだね (宮崎大学教育学部紀要に掲載された論文 「社会科教育の人間化--実践的研究 (その 2) --」 を示しながら) . ぼくの意識の中では社会科っていうのは生き方を学ぶ教科なんだ. 生き方を学ぶっていうのを社会科のな かで どうするかっていうと, 世の中にはこんな風に考える人もいる, だからこんな風に行動する人もいるの か っ て いう こ と を子 どもたち につ かま せ る こと な ん だと 考え たん だね. そ う いう 考 え方 が, こ の 指 導案 の 根 底 に はある. 都市近 郊 で は農 業 をや め て いく 人 た ちが たく さ ん いる. たく さ ん の人 たち がやめ て いく けれ ど,. その一方で, それでもその土地を離れないで農業を続けていく人たちがいる. そういう人間の思いとか生き 方とか, 世の中にはいろんな考え方をする人たちがいるもんだということを子どもたちに教えること, これ が社 会 科とい う 教科 がや る こ とな ん じゃ な いか っ て いう 思 い を 込 め て, こ の論 文 を 書 い たん だ.. この指導案を宮崎の公立小学校に勤めている中山先生と学会で発表するために, 夜行寝台に乗ってね, 広 島へ行ったんだ. 二人して寝ないで社会科の話なんかをしていてね, 話しているうちに二人とも思いがどん どんこもってくるから, 自然と声が大きくなるよね, 近所の寝台にいる人から 「うるさい」 って文句言われ た こ となん か を思 い 出す な あ.. (平成元年版の学習指導要領では, 昭和52年版に比べると, 社会科における態度形成が 「学習態度」 だけ に限定されていて, 後退しているように思われるが, それは 「社会科=社会諸科学科」 という立場に立つ人 やそ の 他の研 究者か らの 批判 を 受 けて そ うな っ た のか と いうイ ンタ ビュ ア ー の 質 問 に答え て) いや, そ んな. ことはないよ. 平成元年版の社会科でも 「生き方を学ぶ」 っていう線は崩していない. 平成元年版はむしろ 2年版の社会科の趣旨をさらに徹底させるというかな, 発展させるという方向で作っている. だから, 昭和5 「~を調べる」 とか 「~を観察して」 という文をあちこちに入れてある. 確かに生活科は創った. それはぼくの仕事だ. だけどね, あの当時の低学年社会科の状況を考えたら, そ うせざるを得なかったね. 研究会をやっても低学年社会科の分科会には人が集まらない. みんな高学年の社 会科のほうに行っちゃうんだ. しかも, 社会科の分科会には女の先生方が集まらない. 女の先生が集まらな いというのでは, その教科はもう将来がないということだよ. 何しろ小学校教員の7割が女性でしょう. 7割 の 人 たち に見 放さ れ て いる と いうん じ ゃ, 将来 はな い で しょ う.. なぜ, 女の先生が社会科の分科会には集まらないか. 社会科の分科会では何か七面倒くさいことをやって いるん だ. 社 会科 っ て 大 体そ う いう と こ ろ があ る よ ね. そ ん な 七 面倒く さ い こと をや っ て いる よ り は, 物語 文 の 指 導な ん か で ね, 「太郎 君 は この と き どん な 風 に感 じて い た で し ょ う か」 な ん て い う こと をや っ て い る 方 がずう っ と 楽 しく て いい よ ね.. 生活科はそういう社会科の行き詰まり状況を打破して1年生から6年生までの 「生き方を学ぶ」 っていう 教育の本来の目的を果たす教科の一環として生み出したものなんだ. 大事なのは教育なんであって教科じゃ な い. 社会科 っ て いう 狭 い枠 で もの を考 え てち ゃ い けな い っ ていう の はそ う いう こと で, 今・ こ こに生 きて. いる子どもたちをどうしますか…, 子どもたちが困っている, 学校に行かなくなっている, そういう子ども たちにどういう手当てをしていきますか. こういう発想で教科ばかりじゃなくて, 教育課程を, カリキュラ ム を 考えて い かなく ち ゃ い けな い. 7 6.

(12) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生 大 学 の 人 間 は, そ り ゃ あ 自 分の 領 分 を守 らなく ち ゃ い けな い だろう か ら, 社会 科, 社会 科 っ て いう か も し れな い け ど, そ れで い いん で す か, 大 切 な こ と は 何です か ?あ な たの 研 究で す か, そ れと も子 どもたち です. か, 教育ですか?…… 私は 「生活科のロマン」 というのを書いて, 生活科が生まれるまでの経緯をきちんと残しましたよ. 社会 科 につ い て は誰 もそう いう こ と を して な い じゃ な いです か, そ れ で い いん で す か ? もう, 誰 も社 会科 につ い. ては, なぜ生まれたのか, 昭和20年の敗戦から22年までの間に社会科をめぐって何 があったのか, 書けませ ん よ ね‐ 新 教科 の 誕 生 だ っ た の に, そ の こと につ いて 何 も残 っ て いな い し, 誰 も き ちん と 語 っ て い な い. だ か ら, 片 上さ ん な ん か が 一生 懸 命 そ の 辺 の こと を 調 べ て 書 いた ん だな, アメ リカ の 記録 に 頼 らな いと い けな い と いう の で, アメ リカ ま で 行 っ て や っ た か らね. 私 は, 生 活 科 につ い て きちん と 残 しま したよ.. ②. 大森第六小学校の指導案への関わり. 「宮崎大学にいる間に作っ た指導案と大森第六小学校の指導案との関係はどうなっているのか, 中野先 ( 生が田中かよ子先生をはじめとする大森第六小学校の先生方に, こういう指導案があるがといって 「人間化」 の 指 導案 を示 したり あ る い は かなり 直 接 的な 関わ り を指 導案作 り に した のか」 と いうイ ンタ ビュ ア ー の 問 い. に対して) 大森第六小学校のものね. これを見ると昭和56年とある. さっき言ったように, 僕が文部省に入ったのが 昭和54年で, 溝上さんの抜けた後に入ったんだ. 52年版の学習指導要領も移行期間が終わって, 54年から本 格的な実施が始まっている. 55年に学習指導要録の改定を行って, 「関心・態度」 を評定項目の中に入れた‐ そ う いう 時期 だね, こ の ころ は……. もう20年 経 っ て い る か らね え, あ んま り 覚え て いな い け ど, こ の 間あ な た か ら示 さ れ た 資料 を 見て, だい. ぶ思い出したよ. この大森第六小学校には, 何回か行っている. この指導案を作った田中という女の先生は, お茶大出身の熱心な先生でね. 大体そういう傾向をもっ た人だった. つまり, 社会科の授業の中でも, 子ど もの事実から出発して, 子どもたちの人間的な成長を追求していくという傾向の強い先生だった. 子どもに 目 を 向 けて いる 先生 だ っ たね‐ 当 時 で 経 験10年以 上 だ っ た ん じ ゃ な いか な あ. だか ら, 私 が こう いう 方 向 で と か, 何 か を示 唆 したと いう記 憶 はな いな あ. … …. (大森第六小学校の指導案 が載っている自著 『社会科評価の理論と方法』 に目を通しながら) , ただ, な ん か話 は したか も しれな い. で も, こ の指 導 案 の 出来 上 がり に 私が 直 接 絡ん だと い う こ と はな い と い っ て い. いと思う. この本を見ると, 大森第六小学校は, 国語も算数も, 理科も大田区の指定を受けて昭和52年版の 学習指導要領の具現化に取り組んでいたわけだ. そういうなかで, この田中かよこ先生が社会科を担当した わけだから, 田中先生ががん ばったんだろうね. 粘り強い先生だったから. ただ, 目標の中に 「関心・態度」 を入れるということには当時, 疑問だとか反対だとかがあったから, 単 元目標を作るときには何をわからせるのか, 何を育てるのかをきちんと誰が読んでもわかるように書いてく ださ い と いう よ うな こ と は言 っ たか も しれな い.. 「宮崎大学にいる間に作っ た指導案と大森第六小学校の指導案との間に直接のつながりはあるのか」 と ( いうイ ンタ ビュ ア ーの 再度 の 問 い に対 して). 私が宮崎大学にいるころに, 中山先生なんかと作り上げたこの学習指導案との直接のつながりは, 大森第 六小学校の指導案の場合にはないと思う. 確かに数回, この学校には足を運んでいると思うけど. 私がむしろ深いつながりを持ったのは, 大森第六小学校ではなくて, 長野県の上田東小学校の方だった.. 当時の校長先生が, 信州社会科連盟の会長か何かをやっていてね. 上田東小が文部省の指定を受けていたか ら, 指導にきてくれって言うんだ. 長野県の社会科の研究会には, あまり文部省の人間は呼ばれない. それ 77.

(13) . 吉. 田 正. 生. で も 珍 しく 私 が 呼 ばれ て, そ れ がき っ か けに な っ て, もう50数回 にな る ん じゃ な い かな 長野 に行く の は , ‐ ず ば ず ば 言う か らだ ろう, 中野 はお も しろ い, ま た呼 ぼう っ て いう こ と にな っ たん じ ゃ な い かな 長 野の 先 . 生た ち の 研 究会 っ て いう の は熱気 にあ ふ れて い てね 子 どもの 一 つ の 発 言 を取 り 上 げて ああ で もな い こ . , , う で もな い っ て 延々 と や る ん だ.. (このあと, 聞き取りは, 小学校社会科教科書 における 「共感的理解志向の社会科」 記述の誕生に中野がど のよ う な役割 を果 た したか を みる た め の話 に変 わ っ て い っ た そ の部 分 は 第 m 章 にお い て 示す . , .. ここまでの聞き取りで明らかになったことは, 中野が大森第六小学校の 「ゴミの学習」 指導案の生成には , 直接 関与 して いな か っ たと いう こと であ る.). 【註及び参照文献1 ①平田嘉三によれば 昭和45年ころから 「学校教育に対する反省 それに伴う教育課程改善に関する世論」 が高まる (平田 , , 嘉三 1 97 8 「教育内容の精選の今日的意義」 37 3>, 昭和5 3年1 2月号, 5頁) Q , 『初等教育資料』 <N . すなわち, マスコミ で詰め込み教育の弊害が取り上げられる一方, 学校の授業についていけない子どもたちの存在が 「落ちこぼれ」 という言葉 でクローズアップされるようになる. たとえば, 社会的に大反響を呼んだ朝日新聞の連載記事 「いま学校で」(後に 単行 , 本として刊行される) は, 当時の教師が抱える最大の問題の一つ として 「落ちこぼれ」 を取り上げ 次のように書いた , ( 『いま学校で』 <第2巻>, 朝日新聞社, 1 97 4年, 2 2頁; 「あとがき」 によると, この巻にあるものは, 昭和4 8年5月~1 2 月までの連載記事である) . 学校の先生 に とっ て最 大の悩 みのタネ の 一 つ は, どう した ら 「落ち こ ぼれ」 を 減 らせる か とい う こと だろ う 授 業に , . つ いてい けない子 どもがたく さんい る のを知り な が らや むなく 先へ先 へ と進ま な けれ ばな らないと い っ た こと が いまの学. 校ではたいへん多い. 「新幹線見切り発車」 --この言葉は不幸なことにもはや単なる流行語ではなく, すっかり定着し て しま っ たよう に見え る.. 文部省が, こうした世論の動きを等閑視していたわけではない. 昭和4 7年1 0月に 「学習指導要領の一部改正並びに運用に ついて」 という文部次官通達を出し, 知的教育にのみ偏ることなく 「児童の人間として調和のとれた育成を」 めざすように という条項が学習指導要領総則に付け加えられた. 明らかに, 知識の詰め込み教育を意識した変更であった また この事 , ‐ 務次官通達の際に出された文部大臣談話でも詰め込み教育批判が行われていた‐ さらに 「一部の児童生徒については学習が 不十分に終わる傾向が見られる」 という指摘も談話の中にはあり, これは明らかに 「落ちこぼれ問題」 に言及したものであっ た.. この 「落ちこぼれ」 問題が, 昭和5 2年版の学習指導要領づくりにおいて如何に強く意識されていたかを示す例として, 教 育課程審議会委員であった丸山新七 (元長岡市立阪之上小学校長) の発言を挙げておく . もう一つは, 落ちこぼれの問題で, いちばん問題なのは数学の基礎計算というものですから, やはり低学年の時期にほ. んとう に一人 ひとり にゆき届 いた指導 を することによ っ て 低学年 の 段 階か ら少なく と もそ れ をカ バ ー して いく (「座談 , ‐. 会 教育課程の改善をめざして」 4 4<昭和5 2年1月号>, 2 5頁) Q3 , 『初等教育資料』N .. こうした落ちこぼれ問題や詰め込み教育の背景として教育学者があげたのは, 技術革新の進展に伴って教育内容が高度化 したことと過密化したこと, また進学率の上昇に伴う受験戦争の激化などであった. 田浦武雄の文章を例としてあげておく (田浦武雄 1 7 9 8 「人間形成における基礎学力の意味」 6 6<昭和5 3年6月号>, 2ー3頁) Q3 , 『初等教育資料』N . 六〇年代の教育は, 技術革新の進展に伴い, 科学の発展を促し, 教育内容のレベルアップと過密化とをもたらした こ . の傾向は, 特に親学問の発展に応じて, 高等学校の教育内容の水準が高くなり, ひいては 中学校 小学校にも その影 , , , 響 が及ん できた. 小 学校の場 合でも, 教育 内容 の レ ベ ルア ッ プと過 密化 がみ られた そ の た め に ゆ とり がなく なり 授 ‐ , , 業 につ い て い けな い 子 どもが多く な っ てきた ま たま が り なり にも 授 業につ い てい ける 子 どもたち も 毎 日の学 習に忙 . , ,. しく, ゆとりのない生活をしている. これに加えて, 受験戦争の圧力は, 小学校にも及んでおり 有名中学の入試に備え , ての学習に励まざるを得ない子どもも増えてきた. 座談会 「新教育課程の実施をめぐって」( 『初等教育資料』N 3 8 9<昭和5 5年1月号>,r31 4 1頁) において, 当時, 横浜国 Q ‐ 立大学教授であった奥田真丈は 「忌わしい言葉で私はきらいなんだけれども, よく言われている “落ちこぼれ” とか “不消 7 8.

(14) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生 3 7 化” という言葉がある. それを今度の教育課程の改訂で何とか改善したい, ないようにしたいという気持ちなんです」( いるかを示すものであろう どのような期待が寄せられて 5 2 年版学習指導要領に 頁) と発言している. これなども, . ② ただし 「わかる授業」 をつくるためにはどうすればよいかという教育内容論・教材論・教育方法論的な論議に比べると, , 評価論の観点から 「落ちこぼれ」 問題に取り組むにはどうしたらよいかという議論は少なかった. ③5 2年版学習指導要領が発表されたあと, 文部省は 「わかる授業」 づくりの方策の一つ として 「学習指導の評価」 の必要 3年3月号) が, 「学習指導の評価」 特集号とされたの 6 3(昭和5 Q3 性に現場の目を向けさせようとする. 『初等教育資料』N は, そのような 意 図か らだ っ た と思わ れる. この号の 「編集後 記」 か ら, そう した意 図が読 み 取れる‐. 学習指導の評価については, いろいろのとらえ方がありますが, 指導によって児童の学習や行動がどのように変化した かの判定を指導の目標に照らして行うとともに, 指導の過程についても反省することにより, 爾後の指導の在り方につい ての資料を得て, 指導計画や指導方法の改善に資することが学習指導の評価の本来のねらいと言えるでしょう. 今回の改訂においては, 学校や教師の創意工夫が期待されていますが, そのためにも, 例えば授業分析などによって指 導の過程を客観的に分析しながら, 教師の発問の仕方や児童の反応, 教材の提示などについて改めて考え直し, より適切 な指導の方法を取り入れて, 学習指導の改善をはかることなども今後大いに検討を要する課題でしょう. 上の引用にみられる通り, 教科調査官たちは, 評価には学習者のランク付けや到達度を見るためだけのものの他, 教師が 自分自身の授業を振り返るために行うものもある, というように現場にはまだ十分浸透していなかった形成的評価の考え方 を示 し, 更 にそれ が こ れ か らの授 業研究 に と っ て必 要な もの にな るという ことを述 べて いるの である. ④ たとえば 「座談会 学習指導の改善に生かす評価の在り方」( 7年3月号>, 4 0頁) にお 2 0<昭和5 『初等教育資料』N Q4. , いて長谷川栄 (当時, 筑波大学教授) は, 次のように述べ, 子どもがよく授業を消化できなかったとか発言しなかったとい うことを子どもの精ばかりにせず, 教師が自らの授業や授業者としての在り方を振り返る契機にしなくてはいけないという ことを主張 している.. しかし, 学習指導の意味を考えれば, 中心はやはり子供ですから, 子供の学習効果が高まったかどうか, あるいはどこ. でつま ずいている の か と いう こと を通 して, 自分の 在り方 み た いな ところ に目を向 けていく. そ の 際 に, 例 え ば評価する ことによ っ て, デー タ によ っ て は, ほん の わ ずか な子 供 が つま ずいて いる場 合 に は, 教 師 はそ のつま ずいて い る子供に対. して, 少なくとも, 自分の指導がいけなかったと申すのは誤解があるかもしれませんが, そのつまずきを直す努力をする ことが望まれま す.. 評価のデータによっては, 例えば発問に子供たちがどうも反応しないということならば, 教師の発問の在り方が問題な. のですか ら, 自分 の 指導 の 在り 方 の 改善 に目を向 けて いく と いう ことで, 子 供 がよく な っ て いく こ とを中心 に して, 自分. の在り方を直していくような構えが非常に大事ではないかと思っております‐ 学習指導の改善に生かす評価の在り方」 には宮本三郎校長 (茨城県下館市立下館小学校) と上田照子 教諭 (東京都目黒区大岡山小学校) が出席しているが, この二人の所属する学校はいずれも評価研究に取り組んでいる. ⑥( 2一5 3頁;ただし, 括弧内と下線は引用者による. 5年5月号臨時増刊) 4(昭和5 『初等教育資料』N 9 Q3 ,5 ⑤ 前述の 「座談会. ⑦ 同上 5 , 3頁. ⑧ 同上 5 3頁. ,. .. ⑨ 同上 5 , 4頁. ⑩ 同上 54頁 , ‐ ⑪ 中野重人 1 8 2 9. 2 5 2 2 8 昭和57年4月号, 1 「社会科における関心・態度の評価と指導」 Q , 『教育科学 社会科教育』N 頁‐ ⑰ 巻末資料1及び2参照 ただし 学習指導要領では昭和5 2年版から平成1 0年版まで, 「工夫」 という言葉は使われていて . , も, 「苦労」 という言葉は使われていない. 学習指導要領では, 「工夫と苦労」 ではなく 「工夫と努力」 である. ⑩ 中野重人 1 2 8年8月号, 1 4 4 2 6 昭和5 Q 9 8 3 「社会科における関心・態度の評価と指導」 , 『教育科学 社会科教育』N 頁;ただし, 括弧内は引用者.. ⑫ 前掲論文 1 27頁;ただし, 括弧内は引用者. 6一1 , 2. ⑮ このように 「態度形成」 を強調する中野の社会科論やその授業構成を 「態度形成志向の社会科」 と呼ばずに 「共感的理 , 解志向の社会科」 と呼ぶのは, 次の三つの理由による: ◎ 特に意識して態度形成を排除しようとしている授業構成をとらない限り, 社会科はどれも態度形成を目指しているもの である. したがって, ある社会科論やそれを具現化するための授業構成の特色を表現するために 「態度形成」 という言葉 は, 有効 で な い.. ◎ 中野においては 「態度形成」 のための教授方略として, 意識的に共感的理解が採られている. ◎ しかも, 中野は 「共感する」 ことさえも下に引用 した文章に見られるように態度の中に含めている. もっとわかりやすく言えば, 社会科における態度には, 少なくとも, 次のような事柄が含まれている. すなわち, 7 9.

(15) . 吉. ・ ・ ・ ・. 田. 正 生. 関心をもつ (意欲, 追求) 共感する (受容, 敬愛) 自分の考えをもつ (個性的思考・判断) 協力する (自覚, 参加). の四つのポイ ントであ る. これ らは, い ず れも 社 会科 学習 の重要な ポイ ントで あ る こと は, 改め て 指 摘す るま でもな. いことである (中野重人 1 9 8 3 「社会科における関心・態度の評価と指導」 2 4 7 昭 Q , 『教育科学 社会科教育』N 和5 8年9月号, 1 2 4頁) . ⑩1 9 9 4年2月1 2日, 『教育科学 社会科教育』 の編集長であった樋口雅子は, 兵庫教育大学で行われた 「平成5年度 社会 系教科教育学会」 において, 「編集長の眼から見た社会科教育の変遷」 という演題で講演を行った. その中で, 樋口は 「自 分達は雑誌をつくって売っている‐ 雑誌を売れるようにするために, 編集者はスターをつくる必要がある」 という主旨の発 言をした. 当日樋口が配布した講演資料には 「キーワードでみる編集者の仕事」 という項目の中に, 「スターづくり」 が入っ ている.. ⑰ 諸淫正道 後に 文部事務次官 . , . ⑩ 『初等教育資料』N 44(昭和5 2年1月号) 2 31頁. Q3 ‐ ,1 ⑩ 同上÷ 13頁 ‐ ⑩ 『初等教育資料』N 44(昭和5 2年1月号) 2 4 3頁. Q3 ‐ ,3 ⑪ 『初等教育資料』N 4 4(昭和5 2年1月号) 4 3 9 0 頁. Q3 ‐ , ⑰ 『初等教育資料』N 4 4(昭和5 2年1月号) 4 0 頁 Q3 , . ⑩ 中野重人 1 2 「社会科における関心・態度の評価と指導」 9 8 2 3 2 昭和57年7月号, 1 2 7 Q , 『教育科学 社会科教育』N 頁. ⑭ 同上 1 1頁. , 3 ◎ 同上 130 131頁. ‐ , ⑳ 同上 131頁 , ‐ ⑰ 中野重人 1 9 8 3 「社会科における関心・態度の評価と指導:てい談 “中野重人氏の連載講座をめぐって” 」 , 『教育科学. 社会科教育』N 2 41 昭和5 8年4月号, 1 2 8頁‐ Q. 8 0.

(16) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. 巻末資料1). 東京都大田区立大森第六小学校 社会科学習指導案. 1. 単 元名. 「わ た したち のく ら しと ゴミ」. 2. 本単元と子供のすがた 「え ‐! ゴ ミ なん か調 べ る の. き たな いな あ-」 本 単 元 に入 る 前, 「各自 の 家か ら出る ゴミ を調 べて みよ. う」 と言ったときの子供たちの第一声である. 各家庭で出る ゴミは子供たちにとって縁のないものであ り, 汚い もの で しかな か っ た. 自分で ゴミ を捨 て た 経験 の あ る 子 供 も かな り いる の だ が, もち ろん 自分. から進んで手伝っ たわけではない. しかし, 子供たちに授業の中で, 東京都の一日の ゴミの量が ゴミ容 器を立てて富士山の230倍であるということ, 横に並べて山の手線で22 .5周もあることを具体的に示し たと き の驚 き が, そ のま ま 子 供 たち の 課 題 意 識 へ と つ な が っ てい っ た.. 3. 関心・態度を高める手立て ゴミを子供たちの生活の中に印象づけること, 子供たちが自ら調べたり確かめたりできる機会を多く与 えることが, この学習では, まず必要だと思う. また, 子供の追求心・課題意識を正しく見取り, それ を充たし発展させるべく, 指導計画の修正を行ったり適切な助言を与えたりすることが大切だと考え, 次 の よ うな 手 だ て を講 じる こと に した.. ) ゴミ調べ ( 1. 一週間続けて各家庭から出る ゴミの量, 種類を調べさせ, その ゴミは子供の手で捨てる. よう 指 導 して, ゴミ が 自分 た ち の生 活 に密 着 した もの であ る こ と を認 識さ せ る.. ( 2 ) 資料提示. ゴミの量を富士山の高さ, 山の手線の長さに例えて, 莫大な量であ‐ ることを示す.. 3 ) 課 題カ ー ド (. ゴ べ・ 資 料 提示 をも 本単 元 で, ま ず 何を 調 べた いの か を は っ きりさ せ る ため に, . ミ調. と に して グルー プ ごと に課 題 カ ー ド作り をす る. ( 4 ) 自分で確かめる. ・実際に清掃車を追わせる. ・清掃事務所の人の話を聞く. 子 供 たち が 知り た が っ て いる こと, 見 た が っ て いる こ と を叶え る. ) 社会科ノ ー ト ( 5. ・清掃工場見学など, ( ママ). 子 供 たち は, 新 しい 発見 を す る と必 ず 「知り た い こと」 が 出てく る. こ と 「知 り た. い こと」 と 子 供 た ち の 課 題 意 識 を 結 び つ けて いく た め に, 「思 っ た こ と ・ 考 え た こと ・ こ れ か ら調 べ. たくなったこと」 を書き込めるような社会科ノートを用意し, 授業の軌道修正の資料とする. ( 6 ) 追跡図 集積所と清掃車のコースを目で確かめて記入できるよう, 道路地図を用意する. 教師側の問題提示の仕方で, 子供の関心度, 学習の様子がどのように変化するかを知る ための個人追跡表を用意し, 観察者に記録してもらう.. ( ) 個人追跡 7. 学習終了後, 感想文を書かせ, 働く人への共感, 協力的態度を見る. 4. 指導の展開と評価の方法 ( 8 ) 感想文. くらしと ゴミ. ねら い. 単元名. わ た したち の. ゴミ処理の対策や事業が, 地域の人々の願いにそって組織的に進められて いる様子をとらえさせる.. 81.

(17) . . 吉. 主な学習活動. 田 正. 生. 評価の観点. 関心・態度の評価方法と指導の手だて. 1 く ら. 1 (手だて) .毎日の暮しの中での ゴミの出方を (知・理) 調べる. ○毎日の暮しから, 大量で多様な ゴ ○授業に入る前に一週間, 自分の家 ミ が出ていることがわ かる 2 から出るゴミを調べる .東京の ゴミの量の変化を調べる. べたことを整理 し 3 調 学習 問題 観・資 ○課題カー ドを作る ( ) . , (課題カード) を作る ○統計で暮しから出る ゴミの大量性 < 課 題 カ ー ド> を読み取ることができる 関・態. し と ゴ. 1. (関・態) ○学習問題を進んで見つけようと する. ′、. 学習問題を作. 学習問題を進. るが内容がか. んで作ろうと. げ 離 れて い る. する. ミ 2. 2 清 掃 車 を 追 っ て ◎. 3 清 掃 工 場 を 見 学 し て ◎ 2 8. 田 >. 1 .自分の家のまわりの集積所を調べ (知・理) 地図に書き込み, 集め方の工夫を話 0 ゴミが決まりにしたがって始末さ れ て い る こ と が わ か る. し合う 2 実際に清掃車の後を追い 経路や ( 観・資 ) . , 気 づ いた こと をメ モ す る ○調査活動により ゴミの出し方が一 定 の 決ま り に した が っ て い る こ と 3 .清掃事務所のおじさんの話を聞く 4 を読み取ることができる .見学後の感想をまとめ, わかっ た ことを整理し, 清掃車のまわる経路 (恩・判) を考える ○ ゴミを分別して出すわけや決まり ゴ 5 ミ収集にはどんな決まりや工夫 にしたがって集められているわけを . があるかを考える 考えることができる. 1. 学習問題を作 ることができ. 理解はしている が学習問題を作. ない. ろう と しな い. (手だて). ○清掃車を追う ○清掃事務所の人の話を聞く < 追 跡カ ー ド・ 社 会 科ノ ー ト> 関・態 ′、. 調査活動はす るが考えよう. ゴミ収集を身近 な問題としてと. と しな い. らえ 考 えて い る 田 >. 調べることも 考えることも. 自分の問題とし て考えようとし. しな い. ない. 1. (関・態) ○ ゴミ収集を自分の問題として受 けとめ, 進んで調べ考えようと する. 1 .ゴミ収集を終えた清掃車がどこへ (知・理) 行くか話し合い, 清掃工場で何を調 ○ ゴミの始末を工夫していろいろな べたいか考える ことに再利用していることがわかる 2 清掃工場を見学しゴミ処 理の方法 (観・資) . を知る 0集められた ゴミが始末されるよう ● 3 .見 学 カ ー ドを も と に わ か っ た こ と すを調べることができる を整理し, 感想文を書く (恩・判) ゴ ゴミの再利用と資源・エネルギー 4 東京全体の いて調べ ミ処理に ○ つ . る の問題とのかかわりを考えることが 調べ か 5 たことを整理し 広 てわ できる っ . , い地域で ゴミ処理が行われているこ とから問題点を見つ け出す (関・態) ○自分なりの課題を持って見学し, ゴミ処理の問題を見つけだそう とする. ÷. 判. ÷ 判. (手だて). ○清掃工場を見学する ○感想文 <社会科ノート・感想文> ー 熱 演こ見学し, いろいろな工夫がわかる 一見学しても, 観点からはずれている. -見学後も全くわからない.

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