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「共感的理解志向の社会科」授業の誕生(その2)

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(1)Title. 「共感的理解志向の社会科」授業の誕生(その2). Author(s). 吉田, 正生. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 53(1): 61-76. Issue Date. 2002-09. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/278. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 4年 9 月 平 成1 Sept ember ,2002. 3巻 第1号 北海道教育大学紀要 (教育科学編) 第5 i 1 1 i fEduca口on (Educa lo fHokka i t t i do Un on) VO Journa vers yo . ‐53 .No. 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生 (その2). 吉. 田. 正. 生. 北海道教育大学旭川校社会科教育研究室. 目. 次. 問題の所在 論文の目的と方法, 研究の意義など 第1部 誕生編 1章. 東京都大田区立大森第六小学校における 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. ( ) 中野重人からの聞き取り調査を軸にして (以上, 前号掲載) 1 ( 2 ) 大田区立大森第六小学校の元研究同人からの聞き取りを軸にして (①~②÷2迄, 今号掲載) ( 3 ) 小括 亘章. 長野県上田市立東小学校における 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. 1 ) 中野重人からの聞き取り調査を軸にして (. ( 2 ) 上田市立東小学校の元研究同人からの聞き取りを軸にして 3 ( ) 小括 岐阜県岐阜市立長良東小学校における 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. m章. ( 1 ) 中野重人からの聞き取り調査を軸にして ( 2 ) 岐阜市立長良東小学校の元研究同人からの聞き取りを軸にして ( 3 ) 小括 W章 小学校社会科教科書における 「共感的理解志向の社会科」 記述の誕生 ( ) 中野重人からの聞き取り調査を軸にして 1. ( 2 ) 教科書編集者からの聞き取りを軸にして ( 3 ) 小括 第2部. 浸透編. V章 北海道旭川市及 びその周辺地域における浸透について ( ) 北海道教育大学教育学部附属旭川小学校の場合 1 2 ( ) 旭川市教育研究会社会科部会の場合 ) 上川教育研修センター研修講座 (小学校社会科) の場合 ( 3 ( 4 ) 小括 成果と課題. 61.

(3) . 吉 田 正 生. 1章 大森第六小学校における 「共感的理解志向の社会科」 の誕生 ( 2 ) 大田区立大森第六小学校の元研究同人からの聞き取りを軸にして ①. 田中先生への聞き取り調査に至るまで. ①‐1. なぜ, 大森第六小学校か 平成1 3年3月30日, 東京都大田区に住んでいる田中かよ子先生①に会うことができた。 前日に大森第六小 学校の教頭先生が, 田中先生と連絡をとってくれたおかげであった. 長い間, 中野重人の 『社会科評価の理論と方法』 に載っている大森第六小学校の 「わたしたちのくらしと ゴミ」 (以 下, 「ごみ の 学習」) の 指 導 案 が どの よう な 経緯 で生 ま れて き た の か を 作 成 に携 わ っ た 田 中 先 生 ,. からじかにお聞きしたいと思っ ていた. この指導案に見られる教授方略こそ, まさに 「共感的理解志向の社 会科」 そのものだからである. この教授方略が生まれた経緯を明らかにすることは 「共感的理解志向の社 , 会科」 誕生の経緯 (少なくともその一つのケース) を明らかにすることになる. また 筆者自身 大森第四 , , 小学校の卒業生であり, 母校の近くの小学校の実践ということで個人的な興味もあっ た. 3月29日に大田区教育委員会を訪ねた. 応対してくれた浦部指導主事から, 田中かよ子という先生には心 当たりがないから, もう退職されているか, 他区に出られているのだろう ということ しかし大森第六小学 , 校の研究物なら池上本門寺近くにある大田区教育センターに保存されているということを告げられた. 浦部 指導主事がセンターに電話をしてくれ, 研究物が確かにあることを確かめるとともに, これから筆者が行く ので閲覧の便宜を図ってくれるようお願いをしてくれた. 雨の降るなか, 蒲田から池上線に乗り二駅先の池上駅で降りた. 池上には, 筆者の高校時代の友人が今も 住んでいる. 彼は大学を卒業した後, 国家公務員試験を受け文部省のキャリアになっ た. 本門寺の御会式の ときに来ないかと誘われたことがある. 筆者がまだ大学生だっ た頃の話である. そのときは用事があってい けな か っ た. した がっ て, 本門寺 には小 学 1 年 生 の と き の遠 足 以来行 っ て い ない. 教 育 セ ンタ ー は駅か ら歩 い て5 ~6 分の と ころ, 本 門寺 がある小 山の 麓 にあ っ た. 駅前 の 商店 街 を抜 け ,. 池上本門寺の石段を正面に見て右手に折れたところに池上小学校がある. さらにその奥が大田区会館で, セ ンタ ー はそ の4 階であ っ た.. 受付で来意を告 げると, 職員の方が書架から, 研究紀要と指導案集をとっ てきてくれた. 研究紀要を読み, 大森第六小学校の当時の研究テーマが 「一人一人の学ぶ力を高める指導の工夫--特に関心・態度の評価を 通 して - -」 であ っ たこ とを は じめ て知 っ た. 昭和56年12月 に行 わ れた 公 開研 究会当 日に 配付 さ れた研 究紀 要 に は, テーマ 設 定の 理 由 につ い て, 次のよう に書 か れ ている ②. 新しい学習指導要領が実施され, 「自ら考え正 しく判断できる子 どもの育成」 という教育理念を生かすため, 本校では, 「よく考えてやりぬく子 ども」 を教育目標 の重点にすえ, 教科指導 (国語・社会・算数・理科) の領 域からその実現をめ ざす研究に取り組んだ‐ 本テーマの設定にあたっ ては, 子供の実態分析結果をより どころに しながらも, 知識や技能な どの特定の能力 育成に片寄りがちな指導の反省, さらに子供が生涯にわた・ っ て生きてはたらくであろう能力や態度を育 てること をも志向し, 研究をすすめてきた‐. これをさらに詳しく説明した文章には,「子供一人一人の情意面を的確に見取り,それを高める指導を試み,. 62.

(4) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. 現在もっ ている諸能力を十分発揮させ, 子ども自身が自己を変革させる力を育て」 ることをより具体的な方 針 とする こ と, そ して 「学 ぶ力」 をつ ける こ と を 目標 とする と 書 か れてい る③. さ らに 「学 ぶ力」 を 定義 し, 「『学 ぶ力』 と は 特 定の 能力 をさ す の で は なく 『言 語や 操作 活動 を通 して 学習 のサイ ク ル (問 題の 意 識 , , ,. 化→探求→整理・発展) を子ども自身が回転させ, 自らの論理を構成し, 自己を確立していく意欲や態度で ある』 と把えた」④としている. 要するに自分なりの考えをもとうとする意欲と実際に自分なりの考えを持 つ こと の でき る力 を も っ た 人 間の育 成 がめ ざさ れて い たの である. こ の よう に 「自 己を 確 立 して い く 意 欲や 態 度」 を育 て る と は書 か れて いる が, 「共 感 的 理解」 と いう 言 葉 も 「自 ら で き る こ と に 取 り 組 む」 と いう 言 葉 も 見 ら れな い. した が っ て, 「共 感 的 理 解 志 向 の社 会 科」 は大. 森第六小学校全体の研究の中から生まれてきたというよりは, 社会科部会の部員の相互作用のなかで, すな わち, 大森第六小学校全体の研究テーマを社会科という教科におろしてきたときには, どのような力を育て ればよいのか, そのためにどのような授業を構成すればよいのかを話し合う中で, 生み出されたものという こ と になる の であろう.. 昭和56年度当時,社会科部会には, 田中かよ子(1年1組担任;研究推進委員) , ,市原範子(4年1組担任) 生は 菅良則 (5年2組担任) の3人がいた. 研究推進委員でもある田中先 , 社会科部会を理論的にも実践的 にもリ ー ドしていく 役割 を担 っ て い た‐ 教育 セ ンタ ー で, こ れま で見 た こ との な か っ た 「ごみ の 学習」 の指 導 案の 「本時 の展 開」 以 外の 部 分も 読. むことができた‐ 「本時の展開」 部分だけを読んだときよりも, 単元への導入がずっ と丁寧に且つ子どもた ちの知的興味を掻き立てるように工夫されたものであることがわかっ た. また, 指導案の項目名から, 児童 ) の影響を受けていること 中心主義の教育思想あるいは 「社会科の初志をつらぬく会」 (以下, 「初志の会」 が推測できた. 「ごみの学習」 は研究紀要に社会科編の 〈実践事例2〉 として載せられており, 「子供の追求 「 心 を大切 にする 社 会科」 と いう タイ トル がつ け ら れて いる. は じめ の項 目 が 「1. 単元名」 , 次の 項 目 が 2.. 本単元と子供のすがた」 となっており, ここが上に述べたような教育思想なり 「初志の会」 なりの影響を感 じさせ ら れた と ころ であ る. 一 般的 には 「本単 元 と子 供 のす がた」 とせ ず に, 単 に 「単 元 につ い て」 と しか 書 か な い か ら である. もち ろ ん, そこ に児 童 の 実態 が書 か れて いる 場 合 であ っ て でも である. 「本単 元 と 子供 のす がた」 は 次のよう な書 き 出 しで始ま る ‐ , 「え 一 ! ごみなんか調 べるの きたないなあ 」 本単元に入る前 「各自の家から出る ゴミを調べ てみよう」 と ‐ ‐ ,. いっ たときの子 どもたちの第一声である‐ 各家庭で出る ごみは子供たちにとっ て縁のないものであり, 汚いもの でしかなかっ た‐ 自分で ゴミを捨てた経験のある子供もかなりいるのだが, もちろん自分から進んで手伝っ たわ 30倍であ けではない‐ しかし, 子供たちに授業の中で, 東京都の1日の ゴミ の量が ゴミ 容器を立てて富士山の2 るということ, 横に並 べて山の手線で22.5周もあることを具体的に示したときの驚きが, そのまま子供たちの課 題意識へとつながっ ていっ た‐. 中野重人の著書で 「本時の展開」 部分だけを読んだときに受けた印象は今 もっと性急に 「ゴミを減らすた め に私 たち にも で きる こと はな い だろう か」 と子 ども たち に考 えさ せ て いる 授 業 と いう も の であ っ た が, 知. 的興味をかなり大事にした授業だっ たと印象を新たにした. いよいよ田中先生に会う必要を感じた. そこで帰り道, 大森第六小学校に寄り, 田中先生の ご住所なり転勤先を教えてもらうことにした. 池上線 で再 び蒲田に戻り, 教えられたとおり東口から大森行きのバスに乗った. 大森西2丁目で降りるようにと教 えられたのだが, 間違えて一つ手前の富士見橋という停留所で降りてしまっ た. しかし, その停留所のそば を流れている川は, 筆者の知っている川であった. 中学生の頃, この川沿いに自転車で池上の大田区立図書. 63.

(5) . 吉 田 正 生. 館 ま で行 っ た こと があ る. 今で こそ, 大 田区のあ ち こち に区民 の ための 様々 な 公共 施 設 が でき て いる が 筆 ,. 者が中学生だっ た頃 (昭和30年代後半) には, 公共の文化施設は京浜東北線の線路の向こう側に行かなけれ ばなかった. 海岸沿いにある大森第四小学校の学区は文化施設により遠く 京浜急行と京浜東北線の間にあ , る大森第六小学校の学区は, まだ文化施設に近かっ た. それは, 学区に住む住民の文化程度と学歴の差の現 れでもあった. 京浜東北線の線路から海岸に向かっ て進むほど 「文化剥奪」 の度合いは高く, 総体的に住民 の学歴は低かっ た. 内川というその川沿いに歩いて, 大森第八中学校の横に出た. そこから環状7号線の方向に折れた. あま り大きくない個人住宅や小さな町工場, 個人商店が車がようやくすれ違えるほどの道沿いに続いている.‐こ れが, 大森第六小学校に通う子どもたちの暮らす町である. 学区内に残る緑はおそらく大森第六小学校のす ぐ近くにある諏訪神社の境内と環状7号線沿いにある浅間神社の境内, そしてところどころにあるさして大 きく な い 公 園 にみ ら れる も の ぐらい であろう.. 途中, 道を一度だけ尋ねたが, す ぐに大森第六小学校を見つけることができた. はじめて見る学校だった が, 何か懐かしさを感じながら入っていった. 昇降口には卒業を祝う掲示物がはられていた. -学年一学級, 全校児童数が百数十名の規模の小さな学校になっ ていた. 昭和5 3年に明治図書から出され た 同 校 の著 作, 『子 ども が前 面 に 出る 教 育』 に は 「児 童 数450 13学 級」⑤と ある か らこ の 二 十 数年 の 間 に児 , 童 数 はお よ そ3 分 の1 に, 学級 数 は半 減 した こ と になる. 学 区内 に は家 が ぎっ しり建 っ ている か ら 住民 が , 少なく な っ たの ではなく, 子 ども が少 なく な っ た の で あろう.『子 ども が前 面 に 出る 教育』 のあ と がき に 1978 ,. 年時点で開校38年とある. 昭和15年に大森第二小学校から分離して創設されたのである⑥. 職員室に案内されると, 教頭先生が応対してくれた. 女性であった. 用件を述べると, てきぱきと処置を してく れた. 教 育セ ンター で見せ ても ら っ た研 究物 以 外 に 昭和56年3月 に出 た 「中 間報 告書」 のある こ と , ,. また田上昇校長のもとで始まっ た研究の成果をまとめて, 昭和5 3( 1978 ) 年に 『子どもが前面に出る教育』 と いう 図書 を 出 版 して いる こ と を 教 え ら れ た. 「中 間報 告 書」 はす ぐに コ ピー さ せ て も ら え た しか し 田 . ,. 中先生の住所や電話番号は教えてもらえなかっ た. 「田中先生は 5年前に退職されています 住所や電話番号を外部の方にお教えするというわけにはいき . , ま せ んの で, 私 が間 に立 たせ て い た だきま す. 先 ほ ど先 生 がコ ピー をさ れている 間 に 田中先生 のと ころ に ,. お電話を差し上げたのですが, ただいまお留守中ということでしたので, 後でまた私の方から田中先生のと ころにお電話を入れるように します. 晩にでも, 先生が今居られるところに, 田中先生から電話をかけてい ただくようにします.」 その 晩 (平 成13年3月29日), 田中 かよ子 先生 か ら電 話 をい た だいた. そ の 電話 で 「ゴミ の 学習」 の指 導 ,. 案で実際に授業をやったのは市原範子先生であること, その指導案は個人がつくったというよりは部会で話 し合 い な が ら共 同 でつ く っ たも の である こ と,そ の こ と は中野重 人先生 にもお 話 した こ と がある と いう こと ,. 中野先生には研究発表会のときにお会いしたぐらいであることなどのお話を聞いた. もう教師を辞めて5年 も 経つ の でお役 に立 てる か どう かと躍 膳 さ れて いた が 20年 前 の 「関心 ・態 度」 が盛 ん に 言 わ れて い た当 時 , の 大 森 第六小 学 校 の研 究の こ と をお 聞 かせ い た だき たい という こと で, イ ンタ ビ ュ ー をお 願 い した. そ れな ら 「真 っ 只 中」 にいま した か らと いう こと で 会 っ て い た だ ける こ と にな り 30日 (金) の1 時30分 京 浜急 , ,. 行平和島駅の改札口で待ち合わせということになっ た. 平和島の駅からお宅までは7~8分ということで あっ たが, わかりづらいからということで迎えにきてくださることになった. こうして, 田中先生に会える こと にな っ た の である.. 64.

(6) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. ① -2. 大 森 第六小 学 校 の子 ども たち の 生 活 圏 のよう ‐す. ‐. 30日1時半より少し前, 平和島駅に着いた. もう40数年も前のことになるが, 筆者は毎日母親に手を引か れて, 当時, 「学校裏」 と呼ばれていたこの駅の横を通り, 救世軍が開設していた保育園に通っ ていた. 園長先生は,救世軍の制服に身を包んだ柔和な目をした方だった.昭和27年5月21日,遠足で浜離宮に行っ た. その時の記念写真でも園長先生は, 制服姿で写っ ている. やさしい女性の先生がいたととも思い出す. オ ル ガンに合 わせ てお 遊 戯 を や っ たり 歌 を歌 っ たり して い た. 保育 園 は, 商店 街 の 中 にあ り通 っ てく る 子 ど. もも近くの商店街の子どもが多かっ たような気がする. 店の仕事をするために小さな子どもを見るゆとりが なく, 預 けて い た と いう よう な親 も いた. 母 が勤 めて い た私も そう だ っ た. 保育 園 が終 わる と, 母 の勤 め先. であっ た大森区検まで歩いていき, 母の勤務時間が終わるまで, 近所の子どもたちと近くの原っ ぱで遊んで い た. 京 浜 工 業 地帯 の子 ども たち も, 東京 オリ ン ピ ッ ク の 頃ま で は原 っ ぱな ど自 然 の 中,で遊 ぶ こと が でき た の である.. 駅の周りにはその頃を偲 ばせるものは何もない. 京急ストアがあり, 小さな個人商店が駅前に固まってい る.29日 に 駅か ら 区検ま で歩 い てみ た. ま る っ きり 様子 が変 わ っ てい た. 幼 い ころ 遊 ん だ原 っ ぱはなく なり,. 大森区検とその隣にあった簡易裁判所もなくなっ ていた. あとには大森警察署が建っ ていた. 区検が面していた広い通り (=津田通り) が環状7号線の一部になっていた. 材木商など個人企業と思わ れる建物が多い. 大森第六小学校は, 平和島の駅や大森警察署から見れば, 環状7号線の反対側にある. した が っ て, こ のあ たり は, 大森 第 六小 学 校 の学 区 で はな い に しても, 大 六 (お おろ く) . の子 ども たちの 生活 圏 に なる の であろう. 車, 道 路, 建 ち並 ぶ コ ンク リ ー トの建 造物.『子 ども が前 面 に 出る 教育』 にある 「1 年 1組」 の 学級 経営案 に は, 子 ども をとり ま く 環境 と して, 次 のよう な こ と が書 か れている‐. 子どもをとりまく環境 ・地域の制約 自然に恵まれない遊び場の少ない環境 ・社会環境 家 内工 業 商 店 経営10. 外勤28. ・家庭環境 欠損 3. 保護 7. か ぎっ 子 7 (帰 宅 時). こ のク ラス の児 童 数 は, 男 子19名, 女 子19名, 合 計38名 で あ っ た. そのう ち の10名 が欠損 家庭 ある い は保. 護所帯になっ ている. 自然に恵まれないだけでなく, 社会的弱者が多い地域でもある. 救いは 「生活力のあ る子 ども が多 い」 と書 か れて いる こ と だろう.. 大田区は, ごく粗く言う と, 京浜東北線の線路を境にしてその相貌を大きく変える. 京浜東北線の外側, すなわち海岸寄りは大森第六小学校の学区がそうであるように, 中小の工場や町工場, そしてそこに勤める 人々 が住 む家 や ア パ ー トが建 ち 並 ぶ. 川 はカ ミ ソリ 護岸 にな っ ている か暗渠 にさ れ, 人々 の 暮 ら しか ら は遠 く な っ て いる‐ 昭和39年 の 東 京オリ ン ピ ッ ク の前 後 か ら, 昔 か ら浅 草 海苔 の養殖 に 携 わ っ て いた 人々 が転 業. や転居を余儀なくされ, 川からはその人々が使っ ていた舟が消えた. そうした舟の繋留のために必要だった 川は不要となり, 暗渠にされたり大人の背丈を越す防潮堤で囲まれたりして, いくつかの川は人々の視界か ら消えた. 転居したり転業した海苔養殖業者の住居は, アパー トに変わっ たり, 小さな町工場に変わったり した. その広い敷地の中には海苔の乾燥場や畑があっ たが, それらも時代の波の中に消えていった. 町は急 速に京浜工業地帯の色一色に相貌を変えていっ た.. 65.

(7) . 吉 田 正 生. 他方, 京浜東北線の内側 には, 山王や久が原, 田園調布など高級住宅街もあり, 基本的には中流以上の階 層の人々が多く住む住宅が広がっている. 都内であるにもかかわらず, 自然に恵まれている地域が多い. 十年程前に大森第四小学校の学区を歩いたことがある. 筆者が生まれてから十数年を過ごした工場があっ t たま わり の 様子 はす っ かり 変 わ っ て いた. 中規模 の 工場 が姿 を消 し, 高層 のア パ ー トが建 っ てい た. 大 森 第. 一中学校の横に広がっ ていた 「一中のグランド」 (正確には ある石油販売会社の所有地であっ たが 子ど , , も たち はそう 呼 ん で い た). そ こ は 日 曜 日 に大 人た ち の草 野 球チ ーム が 集ま っ て 来る と こ ろ だ っ た バ ッ ク .. ネッ トが8面もある巨大な原っ ぱだったが, 東京都の森ヶ崎下水処理場に変わっていて 往時を偲ばせるも , のは何もない. 筆者がともに少年時代を過 ごした遊び仲間は, 付近の中小工場に勤める家庭か海苔養殖業の 家庭の子どもたちだっ た. そうした人々の多くは大田区を後にし, 都内や近県のどこかに消えていった. そ して, 今 はま っ たく 見 知 らぬ 人たち が住 む見知 らぬ 町 にな っ た. いくつ も の近 隣集 団が消 え てい っ た の だ .. 大森第六小学校の学区の場合はどうなのだろう……. 1時30分を少し回ったころ, 田中先生が来られた. 初対面であったが, 向こうもす ぐにわかっ たようだ. お互い, 簡単に自己紹介をした後, 駅前を通る京浜第一国道をわたっ た. 田中先生と連れ立って歩いている途中, 先生は実に多くの方と挨拶を交わしている. 大森第六小学校 入 , 新井第五小学校で長い間教えていた関係で, 昔の教え子の親とすれ違うことが多いという. 入新井第五小学 校 は田中 先生 ご自 身の母 校 である という こ とも 話 して い た だい た. 大六や 入五 (いり ご) の 学 区 は 人 口移 ,. 動がかつての大四 (おおよん) の学区よりは少ないようだ. 「最 後 の勤 務地 が母 校 だっ た という の は 幸 せ な こ と だっ た かも しれま せ ん , .」. 筆者のように居を転々としている人間には, 重い言葉であった. 歩きながら, 美原通りが旧東海道の一部 であることを田中先生から教えていただいた. おそらく 海岸沿いの松並木のある道だったのであろう. 筆者は大田区で生まれ, 高校生の頃まで住んでいたにもかかわらず迂閤にもそのことを知らなかっ た. 美 原通りが京浜第一国道にぶつかるところから程遠からぬ辺りに半年ほど住んだことがある. 入五の学区にな ‘るのだろう 親戚の工場が東京オリンピック後の不況のあおりで倒産し 十数年その敷地内に住んでいた我 . , が家も転居先を見つけなくてはいけなくなっ た. 母と二人で神奈川県に越す前のことであった. 昭和40年の 秋から翌年の4月ま でのことであっ た. もう, 30数年も前になる. 大田区の町工場は, 景気の波をまともに か ぶる. 大 四の学 区よ り 安 定 している よう に思 えて も, 大六 の学 区の 人々 も ずい ぶ ん入 れ 替わ っ て いる の か も しれない.. ①-3. 聞き取りのために. お宅に着いて, 改めてご挨拶をした後, す ぐに聞き取りをはじめた. 中野重人の影響がどの程度のものか をみるために, 次のような質問から話に入った. 「中野先 生 は 大 森 第六小 学校 に どれく らいお い で にな っ たの で しょ う か ? 」 , , この 質 問 の ほか に筆 者 があ らか じめ用 意 してい た 質問 は, 次 の五つ であ っ た.. ◎. 中野先生から, 社会科授業のつくり方について何らかの示唆を受けたのか ◎ 大田区の指導主事の助言は, 具体的な授業づくりのどの部分に生きているのか 「共 ◎ 共感的理解をてこに・ して, 子どもたちに社会のために自分なりにできることを考えさせるという ( 感的理解志向の社会科」 の) 授業構成のアイデアは, どこから得たのか ◎. 社会的態度と学習態度を分けるというアイデアは, どこから得たものなのか. ◎ 研究紀要等の執筆分担はどうなっていたのか. 66.

(8) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. 以下, 田中先生から聞き取っ たことを再構成して記述する. 聞き取りから. ②. ②-1. 大森第六小学校の社会科と中野重人. 中野 先生 が大六 に 来てく ださ っ た の は, … …そう, 発 表会 の と き に来てく だ さ いま した ね. 中 野先生 が助 言 者 だ っ た こと はあり ま せ ん で した か ら, 社 会科 の授 業 につ い て 教え て い た だ い たという こ と はありま せ ん. でした. 中野先生が大六の研究に興味をもたれたのは, 私たちの研究の助言者として来てく ださっ ていた白 石先生⑦が, 私たちの指導案を中野先生にお送りしたからだろうと思います. 私が書いた元原稿を 『これ, 送 っ て いい か い』 とお っ し ゃ っ て, 中野先生 の と ころ に送 っ た んです. 中 野先 生 がそ れ をお 読 み にな っ て, 大六 の 公開 の と き にき てく ださ っ たり, 研 究 会 に 誘 っ て い た だ い たり しま した. 中 野先 生 は, 研 究 会 をも っ て い ら っ し ゃ っ て, そ の研 究 会 に白石 先生 も お 出 に な っ て い たよう です. いろ いろ 中 野先生 か ら教 わ っ て い ら っ し ゃっ たの で はな い で しょ う か. 私も 研 究会 に来 ない か と誘 っ てい た だい た の です が, ち ょ っ と 行 けな い と いう こ と で, 結局 一 度も 行 かないま ま にな っ て しま いま じた. お 電 話 をい た だ い たりも したの です が, 行 か れま せ んと いう こと で, お 願い さ れた原 稿 だ けを書 い てお 送り する と いう こ と に なりま した⑧.. ′. -. です か ら, 中野先 生 か ら社 会科 の 授業 につ い て 何 かを 教 え てい た だい たと いう こ と はあり ま せ ん で した‐ こ の 「関心 ・態 度」 の研 究 の とき に一 緒 に指 導案 づ く り をや っ てく ださ っ たり, いろ いろ 教 え てく ださ っ た. のは, 大田区の教育委員会の白石先生でした. 白石先生の前に, 私たちの研究の指導をしてくださっていた のは, 新見先生⑨でした. 新見先生というのはおもしろい方で, 私たちと一緒に指導案を考えていますよね. それで私たちが用事が あ っ て 席 を離 れた り して戻 っ てく る と, カ ー ドが い っ ぱい並 ん で いる ん で す ね. そ れ で, 「こ ん な 風 に授 業 を考 え て み た け ど… …」 っ て 言 っ て く ださる んです. カ ー ドを使 っ て授 業 を創 る と いう 方 法 は, 新 見 先生 か. ら教わりました. 【インタビュアー註} 白石裕一指導主事による田中実践の紹介 のち に白石 は, 1 ・2 年 生 におい て育 成 した い社 会 的 関心 や態 度 につ い て, そ れは どのよう なも の か・ ど のよう な手 だ て がある か な どにつ い て 論述 して いる.. 育成したい関心・態度については, 第一学年の 「社会的事象に対する関心・態度」 及 び第二学年の 「社会 的事象に対する関心・態度」 という一覧表によっ て, 低学年社会科の全単元にわたって示された⑲. その- 部 が, 次 頁 に掲 げた 「表エ ー 1」 である. ま た, 関 心 ・ 態 度育 成 の た め の 具 体 的 手 だ て と して 示 した の が, 次 頁 の 「表 1 - 2. 社会的事象の関心. チ ェ ッ ク 表」 である ⑪. 田中 は, イ ンタ ビ ュ ー の 中 で 「『関心 ・ 態 度』 の 研 究の と き に 一緒 に指導 案 づ く り を や っ てく ださ っ たり, いろ いろ 教 え て く ださ っ た の は, 大 田 区の 教 育 委員 会 の 白 石 先 生 で した」 と 語 っ て いる が, 「いろ いろ」 の の な か に は, こ のよう な 具 体 的な こ とま で入 っ て いる の だろう か. 平 成14年 2月 に白石 の 執 筆 部 分を コ ピ ー して 田中 に 送 っ た‐ 2月21日付 けで送 ら れて 来 た 手紙 によ れ ば, 表1 ー1 の各 単 元 の 「達 成 目標」 や 「評 価 基準 一 覧」 につ い て は,「覚 え があり ま せ ん」 と いう こ と であ っ た. つ ま り, こ れ は大 六小 のも の をも と に したも の でも な い し, 大六 小 の研 究 に白石 が 関わ っ てい た とき に, 白. 67.

(9) . 吉 田 正 生. 石 が提 示 したも の でも な か っ たという こ と になる.. では, 白石から大六小の研究同人は何を教わっ たのだろうか. 白石の文章及び指導主事という白石の立場 から判断すると, 社会科にお ける関心・態度を どうとらえるかという基本的・理論的おさえ, そしてそれを 評 価 する 方 法 と して一 般 的 に は どの よう な こと がい わ れてい る の か につ い て の知 識 であ っ た可 能性 がある. 社 会科 にお ける 関心 .態 度 な どにつ い て, 白石 は次 のよう に書 い て いる⑫. 一般に社会科 での関心・態度は, ①社会的事象そのものへのもの. ②社会的事象のもつ社会的意味へのもの ③社会的意味を身につけたもの に大別することができる. 表1ー1 ‐ 単元名. 第一学年の 「社会的事象に対する関心・態度」. 単元目標. 達成目標. 評価にあたっ ての着眼点. ○わたしたちの学校には, 教 室その他の施設があり, た くさんの人が勉強している ことに気づかせる.. ○学級には大勢の同年令の仲 間 がい る こ と に関 心 を も. ○学級の友だちの存在に関心 を示す‐. つ,. ○教室内にある施設や道具の. わたしたちの学校. ○学級にある共用の施設や道 具の存在を認める. ○ 観 察 した こ と を も と に し て, 学校の様子を絵図にす ることに興味をもち, 意欲 的に学ぶ‐. 利用に協力できる‐ ○学校には, 自分たちのほか にも大勢の人や施設のある ことにに興味を示す.. (以下, 略) 表1ー2. 社会的事象の関心チ ェック表 [がっ こう ではたらくひと] 5/7~5/31. 評価場面. ○. つ く 話 ん. 観 察 す る. ’間. せ た と き. 中 で 発 表. を 先 ’生 授 の 業 仕. .に さ の 事. け る し な 先 や. る き .に 観 察 す. 表 さ せ た と. 業 の 中 で 発. 仕 お 事 ば を さ ’ん 授 の. 評価項目. ○ る ん い を て 以 も 先 . て よ い 外 ち 生 た く る ) ’(. く と て に て が る た い 」 い 仕. かずこ. こばやし たけし. あきの. やべ. お じ さ ん や. 学 校 に い る ◎. ね の を と を 先 て 」 し き し 生. く み 仕 が 担 受 す さ て 事 し 任 け. .ず る 何 る 事. いとう. 鞠. ○. る か か こ 生 放 遊 .気 け と に 課 び を て を ど後 時. かずお. じゅ ん こ. (発) 「校庭に水をまいてい. わだ. かよこ. しま ざき. あきお. す く て 事 ば お 学 る さ い を さ じ 校 ・ん て よ ん さ に 発 ’く の ん い. 表 た 見 仕 お る ゆば かずと x(参加せず, 手いたずら) いなば まきこ. (発)「廊下をモッ プで……」. た よ」. さとう. かおり. さいとう けんぞう ・ 「ぼくたちの給食を運ん. とだ. えいこ. でくれた」 (※子 どもの氏名 は仮称である) (発) ~ 発言. 68. あさみ けいた (発) 「庭の木の枝をきっ て い た い」. (ふ) ~ふき だ し. (つ) ~つぶやき.

(10) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. これを観察する方法として, ①. 観察による評価……子供の行動,態度を含めた総合的な観察記録により,その変容の姿をとらえようとする. たとえ ば, 学習カルテの活用な ど, その 一例 である‐ /また, 学習時における子供の発言が, どのような根 拠にもとづくものであっ たかを分析する手法もある. これにはフィ ルター方式 (大坂市立大学) や線結 びに. よる内容分析 (東京工業大学坂元研究室) な どがあ げられる. ②. ノー トによる評価……指導の過程の節々 で, 子供の理解, 能力, 態度等の反応を把握するやり方で, 最も 一般的 に使われている.. ③. 作品による評価……前述 したが, さらに要約すると, 学習の中で子供が作成 した地図, 図表, 年表, 作文, 絵, 模型な どをみて, チェックする評価法である‐ ′. ④. 記述による評価……客観テス トや論文テス トの特質を生かした作文による記述内容を評価するものである‐. これより判断するなら, 大六小が社会的関心・態度として取り上げたものは, 白石があげた三つのうちの ② (社会的事象=学校で~のはたらきをしている人がいる ;その社会的意味=学校のみんなの~のために や っ てい る の だ) であり, 評価 法 と して 採用 した の は主 に 「②ノ ー トによ る 評価」 と 「③作 品 によ る 評価」. になる. すなわち, 白石が一般論を述べ, 田中がそれを自分なりに受け止め具体的なかたちにしていったと いう こ とも 考 え ら れる の である. こ の 点 につ い て は, 既 に20年 が経 過 してお り, 田中 自 身記憶 が 暖味 にな っ てお り, 先 の 手 紙 にお い ても 明確 な 返事 はも らえ な か っ た⑬. で は, 白 石 は大 六小 の研 究 に携 わ っ て い たと き に, 既 に表 1 - 1‐の 各 単元 の 「達成 目標」 や 「評価 基準 一 覧」 の 一 部 をつ く り 始め てい た の であろう か. そう である と す れ ば, そ こ にある 基 本的 な考 え方 は大六小 の 研 究 同人 に示 さ れて いた で あろう. しか し, この 点 につ い て は, 今後 白石 へ の 聞き 取り 調 査 によ っ て 明 らか. にする必要がある. 大森第六小学校の 「関心・態度の評価」 研究前史: 「子どもが前面に出る教育」 のころ 私が大六にきたのは, 昭和52年でした. お茶大を出て, 最初に赴任した学校が中富小学校⑭でした. そこ ②- 2. に 十年 も い たの で, もう どこ かへ 出 なく ち ゃ い けな い と いう とき にな っ て い た んです. 校 長先 生 か ら どこ へ. 行きたいかと希望を聞かれて,家から近いので大六あたりに行きたいと答えたら当時の大六の田上校長⑮が, 自転車で来てくださいました. 中富小の校長先生が話してくださっ たんですね. 田上校長が 「うちは今 こ , ん な 研 究 を や っ て いる け ど」 っ て 研 究 の 中 身 を話 してく ださ り 「い い か い」 っ てお っ し ゃっ て く ださ っ た , ん で, 「はい」 っ て 答 え て 大 六 に行 く こ と にな りま した. 昭和52年 の3月 で した. お か しい で しょ う 3月 , にな っ てもま だ 行 き 先 が決ま っ て いな か っ た な んて. 今 じゃ, そ んな こ とあ りま せ んも の ね . 当 時, 大六 で は 「総合」 をや っ て いま した. 筑 波大 の 附属 小 がや っ て いま したよ ね あ あいう 子 ども の興 . r関心 を大切 に して 学習 を 組 ん でいく と いう 「総合 です 「子 ども の 時 間 と いう 名 前 をつ 味・ けてい ま した. 」 」 .. 【インタビュアー註】 大森第六小学校の 「子どもが前面に出る教育」 について 大森第六小学校は, 田上校長の下, 昭和50年から 「子どもが前面に出る教育」 のあり方を求めて研究を進 め て いた. そ の研 究 の前 提 と なる子 ども 観 は 「私 たち は 『子 ども は本 来勉 強好 き で 励 ま しあ っ て高ま っ , , , て いこう とする 願 い を 持 っ て いる.』 と, 子 ども に 限り な い信 頼 をよ せ て いる」⑯と いう も の であり 従 来の ,. 教科枠にとらわれずに子ども自身の興味・関心を核 に学習内容を構成しようとする傾きをもっ たものであっ た. もち ろ ん現 実 の子 ども がそう いう 姿 を顕現 してい な いこ と は 把 握 して いる. そ れ につ い て は次の よう , に書 か れ, 且つ そ の原 因 につ いて も述 べ られて いる. そ れ にも か かわ らず, 本 来 の子 ども はそう では な いの. 69.

(11) . 吉 田 正 生. だと いう こと が記述 さ れて いる⑰. でも, 本校の子 どもの現状 (昭49 ) をみると, 明るく素直でよく働くが, 自ら求めようとする追求力に乏 しく, みんなで高まっ ていこうとする連帯性が弱いよう である. また, しっ とり した ところが薄いようである. このこ とについ て, 私たちは, 子 どもがこのように育っ てきた環境的要因を探っ た‐ 本校は児童数450 3学級で, 学区は部品作りの小さな町工場が建てこんだ地帯にあり, 二階が住まい, 下が ,1 工場になっ ている住居を兼ねた工場が多い‐ 親たちは, その経営者からパート勤めまであり, 子 どもは, 父母隣 人が働いているところを四六時中, 目のあたりにし, 景気の波をまともにかぶる中で生活をともに している‐ 本校の子 ども の働きのよさ, とことん追求する力 の乏しさ, 手を取り合う連帯性の弱さ, そして粗野に感じら れるところな どについて, こう した親の働きぶり, 大企業依存の親の姿勢や街の動き, 自然に恵まれない地域環 境に, 垣間見る思いがする. … (中略) …. そこで, 私たちは, こう した子 どもをつくり出している環境的要因に関心をよせるとともに, 子 どもの学力作 り, 性格形成は学校教育に負うところが大きいと考え, 従前の教育について深く反省し, 私たちみんなが納得の いく教育-- 「子 どもが前面 に出る教育」 を模索するところに, ゆとりと充実を見出す--をうちたて, 年 度を 重ねて 「やる気」 と 「助け合い心」 を育てれば, 子 どもは, 初めに掲 げた本来の姿をあらわにし, 私たちの信頼 に応えて, 追求力と連帯性が高まるにちがいないと考えるに至うた.. 要するに子 どもを徹底的に信頼し, 教育の根底に子 どものニーズを据えていこうという児童中心主義の教 育観に立っ た研究が進められていたのである. このような立場で教育を進めようとすると, 文部省の学習指 導要領の教育課程の立て方, すなわち教科, 道徳, 特別活動という三構成 では不十分ということになる‐ 子 どもの要求とは異なるところで学習 内容が設定されているからである. 大森第六小学校は, これを解決する た め に 「子 ども の 時 間」 と いう も の を教育 課程 の中 に位 置 づ けた. こ れにつ いて は, 次 のよう に書 か れて い る ⑬.. 子 どもの時間は, 「ゆとりの時間」.が与えられて, それに活動をあてはめたのでなく, 指導要領の教科‐領域 の枠にとらわれない場が欲しくて自ら設定したもので, それだけに教師児童の意気込みも強く, 実践的成果をた しか め あ っ て い る.. もちろん, 文部省の研究指定校ではな・ いから, 教科・領域の時間をやりくりして生み出した. 毎日1時間 (した が っ て, 週 6 時 間, 年 間 にす る と210時 間) は欲 しい と いう の が, 理 想 だ っ たよう だ. しか し, 現 実 に は, 週2 ~ 3 時間 であ っ たと 書 か れている⑩. 子 ども の 時 間 には2 種類 あ っ た. 一つ は 「が ん ばり 表子 ども の 時 間」 と 呼 ばれたも の で, 一 人一 人の子 ど. もが自分の習熟度にあわせて, 教師の支援を受けながら主体的に学習を進めていく時間である. 「教科学習 に還 元」 さ れる も の とさ れて いた⑳. 『子 ども が前 面 に出る 教 育』 には, 次 のよう な事例紹 介がある⑪.. 事例6. 7つの教室で学習するオー プン子 どもの時間 (4, 5, 6年). 〈登校してす ぐ7つの教室へ〉 週2日(木)(土)4, 5, 6年の子 どもは登校して出席を明らかにし, 用をすませると, 各自それぞれの計画 (特にグループの計画) で7つの教室にわかれて 「がんばり表」⑩に取り組む‐ これにより子 どもはI校時の 終わりまで8時35分~9時35分までゆっ たり学習ができる‐. 70.

(12) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. この日は職員朝会はなく, 教師も出勤 してす ぐ教室に赴く‐ ち ょう ど各学級2クラス で学級担任は6名, 12学 級なので専科教師2名, それに教頭が加勢して, 国語・社会・算数・理科・音楽・図工・体育の7つの教室にわ かれて, 子 どもの学習相談にのる‐ 残る2名は遊軍となっ て子 どもの人数に即応することに している‐ ふつう体 育は2名となる. もう 一つ は 「学級 裁量 子 ども の 時 間」 であ り, こ れ は 「集 団活動 の な か で創 作 意 欲を さ らに高 める た め の も の⑩」 とさ れて い た. 田中 先生 が 「総 合」 をや っ て い た という の は, こ れを指 す.. 次のような事例⑭を読むと, これが現在の 「総合的な学習の時間」 の名のもとに各地の先進校, 特に子 ど もたちの興味・関心を最優先して学びを展開させようとしている学校で行われている実践に勝るとも劣らぬ も の であ る こ と がわ かる. た だ し, 一 つ 大 き な違 い がある. そ れは 「協 力 し合う 子 ども」 を 求め て い た こと である. した が っ て, ク ラス が一 丸 と なり 何 か を生 み 出す こ と がめ ざさ れて いた. ……子 どもたちの 「3年生に進級した‐ 中学年になっ た-」 という自覚は, (2年生のときに学級裁量子 どもの 時間にやっ ていた) お誕生会な どから一歩ふみ出して 「粗全体の人が, 入れる ぐらいの家作りをしよう‐」 と, 組の半数以上の19人A班は, 意欲的なまとまりをみせた‐ 場所, 材料, 作業な どから, 3年生としてはむずかし いのではないか, という教師の言葉も受 けつけないく らい自信満々‐ 他の15人B班は, 学区の立f本模型をつくっ て, 1・2年生にも役立ててもらい たいと, こちらもなかなか意欲的で, 教師が早急に学級を一つの方向に決め る事は, 子 どものやる気を阻害することになりはしないかと, しばらく子 ども の動きを見守ることにした. こう した 「子 ども の時 間」 を 生み 出す た めの 時 間のや りく り は 教 材 の 精 選 によ っ て 行 わ れた この教材 , . の精 選 の仕 方 は, 重 点 教材 とそう で ないも の と に 分 ける と いう も の であ っ た. そ して重 点 教 材 を 「探求 コー ス」 と名 づ けた 指 導法, す な わち, 子 ども に じっ く り と 考 えさ せ 追 求さ せる と いう 指 導 の 方法 を と っ た , .. これを大森第六小学校の教師たちは 「ころがす学習」 と呼んだ. 先に紹介した大森第六小学校の 『昭和55年・5 6年度大田区教育委員会研究奨励校研究報告 一人一人の学 ぶ力を高める指導の工夫』 にあるテーマ設定の理由について述べている文章中に 「学習のサイクル (問題の 意識化→探求→整理・発展) を子ども自身が回転させ」 という表現があっ た. 「ころがす学習」 という 言葉 をもう少 し固い言葉に直したものであろう. 田中先生 はイ ンタ ビュ ー の な か で, 「昭和55‐56年 の研 究当 時 に は そ れ以 前 か らの 教員 が研 究推 進 委員 な , どと して 残 っ て い て, こ れま で の研 究 の 基 本 的 な 考 え 方 とか 子 ども の把 え方 と い っ たも の は引 き継 が れて い ま した」 と 語 っ た. 他 方, 重 点 教材 で な い と さ れた も の は 「急 行 コース」 と名 づ け ら れた 指 導 法 によ っ て ,. 教えられた. すなわち, 「教師主導型の授業で, ポイントをおさえてあっ さりと指導する」 という指導法が と ら れたの である ⑩. 「ころ がす 学習」 につ い て 重 松鷹 泰 は次 のよう に書 い て いる ⑩ , . 大森第六小学校 では, 「子 どもがころがす授業」 という, めずらしい言葉をつくっ た 「少し奇抜す ぎはしない ‐ か」 と, わたく しは申したのであるがいつの間にか, 先生方の好ん で使う言葉になっ て しまっ た 先生方自身が . 納得 し, 心をこめて使われるなら, まわりでとやかくいうべきではあるまい‐ 「子 どもを生かす授 業」 という言葉がある しかもその中には 子 どもの考えや努力を 活用する という意味 . , , の場合と, 一人一人の子 どもに人間と しての生きがいを感じさせると いう意味の場合との二つがある . …… (中略) ……‐. 71.

(13) . 吉 田 正 生. 「子 どもがころ がす授業」 という のは どうであろう か. 「ころがす」 という言葉が いかにも視覚的である. , ・ それだけに, 授業というものが, みんなの頭の中に描かれており, それを子 どもたちがみんなで推し進めていく, という印象がある‐ 大森第六の先生たちは, 「今日は授業がよくころがっ た」 とか 「ようやくころがりはじめた」 という言葉を使う. 教師にも, 子 どもにも, 授業のイメージがあるというところが特色である‐ ここ か ら窺える こ と は, 「子 ども が前 面 に出る 教育」 にお い て は, 「子 ども の 時 間」 の み な らず, 教 科学習. 1と大六の教師が授業を構成していたことである そ の場面でも, 可能な限り子どもを授業の担い手にしよう . ⑰ 「 づ れは 子どもたちが, 自ら追求し, それによっ て自己を変容させ成長させること 」 をめざした授業 くり であ っ た. こう した授 業 づ く り は, 理 念 レベ ル にと どま らず 実践 レ ベ ルでかなり 具現 化さ れて い た. たと え. ′方として次のようなことが書かれている @ ば1年生の算数の授業から経験的に得た授業づくりのあり 1年算数の授業で 「輪投 げ遊 びの得点がす ぐわかるようなまとめ方 (表作り)」 を教師の目標とした. しかし, 子 ども たちからは, 表作りを必要とする声が出なかっ た‐ そこで, この授業からは目標, 目標と内容, 方法の関 連について, 次のよう なことがわかっ た. 1. 教師目標は, 子 どもの活動に対応できるように大きく構え, 柔軟なものにする‐ 2. 教師目標と子 どもの追求に予想外の ずれが生 じたら, 子 どもの追求を尊重する目標に変える‐ また, 教師が一方的に表づくりの必要性や, よい表をお しつけず, 子 どもの活動, 考え方を大切にしつつも, 子 どもの視点を転換させ, 広げ, 目標に近 づける工夫として考えたことは, ・表づくりの必要性を生み出すために, 問題把握にむかわせる輪投げ遊びの時間 を十分とる‐ ・よい表の選定を急がず, 自分から表を作り出す過程を大切にして, じっ と待つ‐ ・個性的, 弾力的な思考を生み出すよう, それぞれのつくっ た表を認め合う. … … (中 略) … …‐. 個々の子 どもの内からの要求, 欲求に即応 した目標, 自分の力を出し切り活躍できるよう に大きく構えて動き の取れる目標, 子 どもの出方によっ て変えられる柔軟な目標, 自分の生き方が学べる目標であるとき, 子 どもは, 主体的に活動 し, 個性的な思考を深め, その生き方をも深めていく, これが子 どもを生かす目標ではなかろうか.. こうした実践記録や実践の振り返りから窺える 「子どもを前面に」 出す大六の教育とは, 質のよい・児童 中心の教育であったということである. すなわち, 手立てを施して, 子どもたちの課題意識が熟成するのを じっくりと待ち, 学習活動も子どもたちが試行錯誤で進めることを許容し, じっ と見守る. しかし, 「こん な子どもに育って欲しいという教師の願い, こんなことを指導したいという教師の目標は必要である⑩」 と いう構えをしっ かり持っている授業を理想とするような教育がめざされていたのである. 換言すれば, 教師 の指導性の尊重が子 どもの自主性や主体性の否定を意味せず, 子どもの自主性や主体性の尊重が教師の指導 性を否定しないところに成立する教育がめざされていた. 職 場 の 雰 囲気 につ いて は, 重 松の 「ここ に生ま れたも の」 と いう 文章 か ら窺う こ と が できる. 長く なる が 引 用 する ⑲.. 田上さんは創意の人であり, 熱意の人である. しかし, それだけに容れられないときもあり, 淋しい悲 しい思 いをしたこともあっ たろう. 奈良女高師附属小学校から出て, 東京都の教育に没頭するよう になっ てから, 22年 が経過した. そしてこの大森第六小学校が最後の学校になりそうである‐ … … (中 略) -…・ ‐. 72.

(14) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. ) 5月 6 日に, はじめて6年生の社会科の授業を見せてもらっ たが, 到頭, 東京にもこういう社会 今年 (昭52 科の授業が生まれたか, というほ ど, す ぐれたものであっ た. 私は,「教育 じほう」(都立教育研究所発行9月 号) にその解説を書いた‐ …… (中略) ……. (まだ, 中間発表の段階の大森第六小学校の研究について語るのに 「ここで生まれたもの」 という) 大胆な演 題をつけたのは, もはや後退 しないと思われるいくつかの事実を確認したからである‐ その1つは, 校長さんと先生方, 先生たち相互, そして校長さんや先生方と子 どもとが裸でぶつかれるように なっ てきた, ということ である. ひたすらに, 子 どものためその子たちの教育のため, ということで助言しあっ たり主張しあっ たりする, ことができるようになっ たということである‐ その2には, 子 どもたちはもちろん, 教師たちにも体当たりで仕事をし, 労を惜しまない, という風が生まれ, か つ 育 ち つ つ あ る こ と で あ る‐. その端的な表れは, 5年の海賊船造りである‐ 体育館を2階につくり, 階下に広い空間 (ピロティ) があるこ と, また旧体育館の廃材をもらいう けたという希有の条件に恵まれてはいるものの, 先生方や子 どもさんたちに 体当たりで何ものかを, 作り出そうという勇気がなければ, とてもできないことである‐ …… (中略) ……. しかし, 体当たりで新しいものをつくろうという動きは, 海賊船造りに限られているのではなく, 学校のうち に, ぶつぶつと泡立ちはじめているのである. (52. 9.20. 都 立 教育 研 究所 長. 重 松 鷹 泰). 重松のこのよう な語りの背景には, 田上校長の次のような苦労がある⑪. これも当時の大六の雰囲気を表 す も の な の で引 用 す る. この研究には首をかけた. いくつものことがありま した‐ はじめに指導内容にとらわれない 「子 どもの時間」 がほしい. これは職員全員賛成でした. さて, どこから時間をとるかということで, 私はいくつかの候補の中に 評判のよくない 「道徳」 を入れま した‐ これは1つのかけでした‐ これについて 「校長さんは港区を振り出しに, 狛江, 町田と転々と動いているが, 道徳を削っ たら, 遠島で島 にと ばされる から, よ した方がよい‐」 とかばっ てく れま した‐ それで国語と学級会から吸い上 げま したが, 都 の訪問を受けるにあたっ て, どう説明するかが, 次の関門になりました‐ 教育課程子 ども版や, 子 どもに表れ始 めた事例をいくつも, 何人かの職員が話しましたら 「たいへんけっ こう, 都の指導主事を全教科領域にわたっ て セ ッ トして応援することも考えられる‐」 とさえ, いっ てくださっ たのです‐ …… (中略) ……‐ それからの実践でも,たびた び覚悟をしました.先生たちには,「よかれと思うことはどん どんやっ てください‐ 責任は私がとります.」 といっ て, 事故が起こっ たらついていないと諦めて処分を受けることにしま した. 今年 (昭和52年) の移動教室での漁師の生産活動への参加もその1つでした. 沖は荒れ模様と聞きながら, 子 どもひとりひとりに救 命具をつけさせたとき, どう して夏の学校プールで救命具をつ けて飛 び込む練習をしな かっ た力y海まれました‐ へさきの子 ども,が波をまともにかぶっ て, 帰りついたとき, 学校への電話の第1声は 「首 がつ な が っ た よ.」 で した‐. 大六は, 田上校長の下, 児童中心主義の教育思想に立ち, 子どもの興味・関心を大切にし, 子どもたちが わからないことを追究していくような授業と子どもたちが本気で取り組めるような作業活動を実践の核に置 いた教育を進めていたのである. そして, それは決して当時の学習指導要領の枠内におさまる様なものでは. 73.

(15) . 吉 田 正 生. な か っ た し, 学 校 の 中 だ けに, ま してや 教室 内 だ けにお さ まる 様 な実践 でも な か っ た の であ る.. 公立学校でこのような実践を進めていこうとするならそれなりの理論武装と覚悟をしなくてはいけない. その覚悟は田上校長の 「この研究には首をかけた」 という言葉に集約されている. ま た他 か らの批判 に応 えて 大六 の 実践 を正 当化 す る た めの 理 論は, 次のよう なもの であ っ た⑳. 「子 どもの時 間の設定は 公立学校として 現行指導要領の範囲を逸脱していないか」 という疑問・批判に ( , , 応えて) 子 ども の時間は 「がんばり表子 どもの時間」 「学級裁量子 ども の時間」 の2つに分けている‐ これは子 どもをていねいにみつめた, 私たちの実践と反省から生まれたものである. 「がんばり表子 どもの時間」 (週1~2時間) については 教科から吸い上げた時間を教科に還元している . , ただ, 吸い上 げた教科に, 全児童一律にかえすのでなく, 子 ども 自らによる取り組みに応 じ, ひとりひとりに即 してかえすよう にしている. 一方 「学級裁量子 ども の時間」 (週1時間) については, 教科の時間を吸い上 げたというよりも, 教科に優る とも劣らない活動 の時間が欲しくて設定したものである. それが, つめこみ教育のいきづまりの打開ともからめ て, 思い切っ た指導内容の精選となっ たのである.. だから, 「これらの措置は, 教育課程の弾力的運用 (昭47 ) の許容内にあると考えてきた」 し, さらにそ の後に出された 「中教審答申 (昭51 ), 新指導要領 (昭52 ) 2 ) により」 , 同移行措置 (昭5 , こうした考え方 は支持されるものと思える, したがっ て大六の教育実践は 「学校に任された教育課程の創意工夫の一環にあ る⑩」 と いう の が理 論武 装 の仕 方 であ っ た.. 学習指導要領に必ずしも適合的でなくとも, 自己の教育理想をかたちに表そうとし, そして理論武装もき ちんと行っ ていく職場, 子どものためになると思えば労を厭わず, ときには傍目からすると無謀とも思える 実践にまで突き進んでいく職場. こうした田上校長に率いられた大六の教育実践のあり方を, 重松氏は 「荒 御 魂」 という 語 を使 っ て 言 い 表 した⑭.. 神様の御魂に, 荒御魂と和御魂がある, といわれている. それは, われわれ人間にも, あるいは人間の集団に もあてはまることではあるまいか. 荒御魂は眠っ ているものの眼をさめさせ, た じろいでいるものにかけ声をかけ, 新しい道を切りひらく精神の 活動である. 和御魂は, 疲れているも のにくつろ ぎを与え, 心配しているものにやすらぎを与え, あるもの, 続 いてきているものを受けいれるのである. … (中略) …‐ 大森第六小学校においては, 小気味のよいほ ど, 現状 の批判が行われ,新 しいあり方が追及されている. めずらしいやり方をする学校,新奇をほこる学校とみなす人々 がいるかもしれないが, それは半面にす ぎない. 本当は, 地域の動きも, 子 どもたちの願いも, 教職員自身の個 性や能力をも, ありのままにあたたかく受けいれながら, 学校のあり方, 生活のあり方をつくっ てきているので あ る.. 田中もこうした職場の一員として教育実践に取り組んでいたのである.再び, 田中の語りに耳を傾けよう. (以 下, 次 号). 74.

(16) . 「共感的理解志向の社会科」 授業の誕生. 〈註及び参照文献〉 ① もう5年前に退職さ れたという こと だが, 本論ではそのよう に呼ぶこ とにする. 6年度大田区教育委員会研究奨励校研究報告 一人一人の学ぶ力を高める指導の工 5年・5 9 1 『昭和5 8 ② 大森第六小学校 1 ③ ④. 夫』, 4頁. 同上. 同前.. 『 9 7 8 ⑤ 東京都大森第六小学校, 1 , 子どもが前面に出る教育-ゆとりある充実した教育を求めて-』 明治図書, 9頁. ⑥. この聞き取り調 査のおよそ一年 後の平成14年2月21付 けで田中先生 からいただいた手紙によると, 大森第六小学校 は, 平. ⑦. 成13年度一杯で閉校となる- - 白石裕一 (しらい しゆう いち). 当時, 大田 区教育 委員 会の指導主事‐. 7年5月号と中野重人 〈編著〉 『小学校授業実践資料 ②関心・態度 ⑥ 田中が頼まれて書いたものは, 『初等教育資料』 昭和5 を育 てる授業 と評価』, 明治図:書, 1984年, の二つ に載っ ている‐. ⑨ 新見謙大 (しんみけんた) - 大田区の指導主事の後, 都立研究所の指導主事となった‐ 1985. 『講座・社 会科基礎学力 の指導 (小学1・2年)』 明治図書, 217‐221頁 ;224頁.. ⑲. 中野重人 (編). ⑪ ⑫. 同上書, 224頁‐ 同上書, 216‐7頁;但 し, 引用 文中の/ は, 引 用者による.. ⑬. 田中かよ子の筆者宛の私信 (平成14年 2月21日付 け). 「大田区史 下巻」(平成8年刊) 6年, 大森第四小学校から分離して創設された ( ⑭ 大田区立中富 (なかとみ)小学校. 昭和2 ⑮. の年表による)‐ ) の 『は 田上昇. 東京都大森第六小学 校 『子 ども が前面に出る 教育 ‐ゆとりある 充実 した教育 を求めて一』(明治図書,1978 しがき』 は重松鷹 泰の筆 になるものである‐ そ こには田上校長 につ いて 次のよう に書 いてある‐. 前校長の田上昇先生は, 三十年前, 奈良女高師附属小学校の若手の教諭として, 算数の指導やウサギの飼育に打ち込んだ. ⑯ ⑰ ⑬ ⑲ ⑳ ⑪ ⑳ ⑳ ⑭ ⑩ ⑳ ⑰ ⑱ ⑳ ⑲ ⑪. 人であり, わた しは同校の主事と して, 互 いに切瑳 しあ っ たも のである. 互いに意見を出 してなかなかゆずらなかっ たの である. 東京都大田区立大森第六小学校, 1978 , 9頁. 同上. 同上書, 36頁. 同上書, 13‐14頁. なお, 巻末に資料1と して 「子 ども の時間の時間割」 を付 した. 同上書, 3頁‐ 同上書, 55頁. 巻末に資料2・3 と して, 算 数と体育 の 「がん ばり 表」 を付 した‐ 東京都大森第六小 学校, 1978 , 55頁‐ 同上書, 41-42頁 ; 但 し, 括 弧内は引用 者. 同上書, 17頁‐ 同上書, 2頁 ;但 し, 括 弧内 は引用 者 による. 同上書, 57頁‐ 同上書, 60-61頁‐ 同上書, 59頁. 同上書, 149‐150頁 ; 但 し, 括 弧内 は引用者 による. 同上書, 151頁 ; 但 し, 括 弧内は引用 者による‐. ⑩. 大森第六小学校, 1978:153頁‐ 同前.. ⑭. 大森第六小学校, 1978:1頁.. ⑳. (吉 田 正 生 ・ 本 学 助 教 授. 旭 川 校). 75.

(17) . 吉 田 正. 資料1. 月. 生. 東京都大田区立大森第六小学校の 「子 ども の時間割」. 火. 水. 木. 金. 土. 8:35. 朝会. ※がんばり表を使い ※1~3年は学級で ※4~6年は, 学年学 級 の 枠 を は ず した オープンで. I. 全校 4ト がんばり表 子 ども の時間. 4. 5. 6 年. 学級裁量 子 どもの時間. ※自分 でめあてを決め る.. ↓ ‐学級単位で. 2. ・子 どもと教師の一致 したやりたいことを ・息長くつ づ ける.. 3. 4. 4. 5‐ 6年 5. 学級裁量 子 どもの時間. (出典:東京都大 田区立大森第六小学校 1978 ※. 76. 『子 どもが前面に出る教育』 明治図書 33頁) , ,. ー次号に掲載する 紙数の関係があり, 前号の資料2及び今号の資料2 及び3については, ‐.

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参照

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