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20 世紀初めのヨーロッパにおける「黒人芸術 art nègre」の発見と評価 

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Academic year: 2022

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20 世紀初めのヨーロッパにおける「黒人芸術 art nègre」の発見と評価 

稲垣里芳(慶應義塾大学)

本発表は、20世紀初めのヨーロッパ(特にフランス)において、前衛的な芸術家や美術批評家たちがア フリカの黒人彫刻を「芸術」として評価するようになった過程とその背景について探るものである。

黒人アフリカの造形物は、20世紀初頭までは、民族学的な資料として博物館に収蔵され、売買も、美術 作品を扱うギャラリーではなく、骨董商などを通じて行われていた。それが、1906年前後に、アンドレ・

ドラン、モーリス・ド・ヴラマンク、アンリ・マティス、パブロ・ピカソなど当時の前衛的な芸術家たち が黒人彫刻を「発見」したことをきっかけとして、やがて「アール・ネーグルart nègre[黒人芸術、、

]」と 呼ばれ、専門的なギャラリーを通じて販売されるようになった。ピカソは、トロカデロ民族誌博物館で見 た黒人の造形物に衝撃を受け、1907年には、それらをモチーフとして取り入れたモダンアートにおける記 念碑的な作品《アヴィニョンの娘たちLes Demoiselles d'Avignon》を完成させている。

しかし、これによって民族学的資料と芸術作品との境目がなくなったわけではない。確かに、1984-85 年には、ウィリアム・ルービンの企画によるニューヨーク近代美術館での「20世紀美術におけるプリミテ ィヴィズム――『部族的なるものthe tribal』と『モダンなるものthe modern』との親縁性」展が開催され、

日本でも、2014年に国立民族学博物館と国立新美術館との共同企画による「イメージの力」展が開催され ているが、後者においては、出展作品をあえて「イメージ」という言葉で表現し、「芸術」という言葉を用 いることを意図的に避けている。また、2006年に開館した非ヨーロッパの文化や造形物を展示するミュ ゼ・デュ・ケ・ブランリ(フランス・パリ)では、展示物を「作品」「もの」「コレクション」もしくは「仮 面」などと分類・表記し、民族学的資料と芸術作品との境が曖昧なまま共存している。

本発表では、黒人アフリカの造形物が「芸術」と呼ばれ始めた20世紀初頭における状況を探ることによ って、民族学的資料と芸術との境目を問い直し、西洋的なファインアートとは異なる文脈において制作さ れた造形物が「芸術」とみなされ得る根拠を探るとともに、モダンアートの展開の中で「芸術」という言 葉の意味するものがどのように変容したかを論じたい。そのために、上記のような前衛的芸術家たちの創 作や言説に加えて、「アール・ネーグル」の擁護者・蒐集家であった詩人・美術批評家のギヨーム・アポリ ネール、および、黒人美術に関する世界初の美学書である『黒人彫刻』を 1915 年に出版したドイツ出身 の美術史家カール・アインシュタイン等が、どのような理由からこれらの彫刻を評価し、「アール」すなわ ち「芸術」として捉えたのかを、彼らのテクストに即して具体的に検討する。

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