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I  藤原宮 の調査

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(1)

I  藤原宮 の調査

(2)

調査次数 調査地 区 面 積 調査期 間 調

 

 

地 所有者等 備

 

考 担当者 概報頁 藤 原 宮

71‑15

6A」

F―

Q

80rr 94. 3. 7‑94. 3.14

橿 原市 縄手 町

170‑1

(宮西方官衛地区) 中西利一 擁壁工事等 村 田 和 弘 17 75‑‑1

5A」

L―

F 100rf 94. 4. 4‑94. 4.21

橿原市 四分 町302

(宮 西面外濠) 橿原市 道路拡 幅 深 澤 芳樹

75‑‑5

5A」

H一

P・ H・

A 5A」

G―

FoN 5A」

C―

UoN

630rド 94. 6.28‑

94. 7.18 橿原市四分町他 (宮内) 橿原市

四分木之本 線水道管布 設替

深澤

 

芳樹

75‑6 U 5A」

G― 84Hf 94. 7.14ハ

Ψ 94. 8. 2

橿原市 四分 町

293‑2・ 294 (宮西方官衛地 区)

橿原市 四分団地建

替 大脇

  

潔 13‑16 75‑‑7

5A」

F―

Q

160rr 94, 7.19‑94. 8. 5

橿 原 市 縄 手 町

167‑6

(宮西方官衛地 区)

田村進・ 隆 久

作業小屋建

設 大脇

  

潔 18‑19

75‑9

P

5A」

C― 146雷 94. 9.14‑

94. 9.22

橿原市高殿 町245

(宮内) 三橋栄次 住宅建替 島 田 敏 男 36

75‑‑12

5A」

E一

U

436■94,10,11か

Ψ 94.11.15

橿原市 醍 醐 町

43‑5

(宮西方官衛地区) 森口清信他 宅地造成 佐 川 正 敏 20‑24 75‑13

5A」 B

384■

94.11.10‑

94.11.28 94,12. 1‑

94.12. 8

橿原市高殿町 (宮内) 橿原市 道路拡張

之 則 裕 義 子 本 金

25ハ34

75‑14

5A」

K―

C

70雷 95, 1.23‑95, 127

橿原市縄手町

199‑4・ 192‑1・ 6 (宮内)

橿 原市 歩道拡張 橋本

 

義則 未収録

75‑‑18

5A」 G

200df 95。 3. 7‑

95. 3.27

橿原市四分町

(宮西方官衛地区) 橿原市 四分団地造

藤 田 盟 児 未収録

76

5A」

G―

SOR

20501ド 94. 8. 1‑94.10. 5

橿原市四分町288・ 289

(宮西方官衛地区) 橿原市 四分団地造

佐 川 正 敏 7‑12

5A」

L―

E

5A」

G―

T

9001ド 94.12. 1‑

95. 2. 6

橿原市四分町

(宮西方官衛地区) 橿原市 四分団地造

成 藤 田

 

盟児 未収録

藤原宮の調査一覧

(3)

西方官衡地 区 の調 査

第 76次 調 査

(1994年 8月 10月)

本 調 査 は奈 良 県 橿 原 市 が 四分 町288・ 289番 地 に お いて 予 定 して い る住 宅 改 良 事 業 用 地 の 造 成 に伴 う事 前 調 査 で あ る。 調 査 区 は東 西50m、 南 北

40mで

設 定 し、 東 を 若 千 拡 張 した の で 、 調 査 面 積 は2050だ とな った。 1994年 8月 1日 か ら上 土 掘 削 を 開 始 、 同年10月

5日

に埋 め 戻 しを 完 了 し、 調 査 を終 了 した。 本 調 査 区 は藤 原 宮 西 方 官 衡 地 区 に あ た り、 宮 西 面 南 門 の北 東 部 、 す な わ ち宮 内 先 行 条 坊 の五 条 西 二 坊 東 南 坪 に位 置 す る。 調 査 区 の北 で は鴨 公 小 学 校 の移 転 (第

5〜

9 次 調 査

)や

個 人 住 宅 の建 設 に伴 い (第

54‑9、 58‑2、

60‑13、

63‑10次

調 査)、 西 で は鴨 公 幼 稚 園 の建 設 に伴 い (第33次 調 査)、 東 で は倉 庫 の建 設 な ど に伴 い (第

27‑9、 63‑5、 63‑8

次 調 査)、 南 で は四 分 団 地 の建 て替 え に伴 い、 発 掘 調 査 が数 次 に わ た って 行 わ れ て き た 。 そ の 結 果 、 宮 内先 行 条 坊 五 条 西 二 坊 東 南 坪 の北 半 に は、 四 周 を掘 立 柱 塀S A 1215。 1216・ 6985・ 7000 で 囲 ま れ た長 方 形 の 区 画 が あ る こ とが判 明 した。 この 区 画 の北 辺 の塀 S A 1215は 宮 内 先 行 条 坊 の五 条 々間 路 南 側 溝 の 内側 に、 東 辺 の塀 S A 6985は 宮 内先 行 条 坊 の西 一 坊 大 路 西 側 溝 想 定 位 置 の 内側 に、 そ れ ぞ れ位 置 す るの で、 区 画 は先 行 条 坊 側 溝 の掘 削 後 の宮 直前 期 に設 置 され た と考 え られ て い る。 本 調 査 区 で は、 そ の 区 画 の南 辺 の塀 S A 7000の 西 半 部 と西 辺 の 塀S A 1216へ 曲 が り角 、 さ らに そ の 区 画 の南 の利 用 状 況 が 明 らか に な る と予 想 され た。 ま た 四分 団 地 に あ っ た弥 生 時 代 の集 落 に北 接 す る空 間 の利 用 状 況 につ い て も、 情 報 が 得 られ る と期 待 され た。

 

調 査 の結 果 、 弥 生 時 代 か ら藤 原 宮 期 まで の遺 構 を検 出 した (Fig。 3)。 な お 、 多 くの 上 坑 の 所 属 時 期 は 出土 遺 物 の整 理 を待 って決 め た い。

藤 原 宮 期 と そ の 直 前 の 遺 構

 

遺 構 は耕 土・ 床 土 直 下

 

10(cn)

で 確 認 で き るが 、 本 来 の生 活 面 はす で に削 平 さ れ て 30〜

40

い る (Fig 2)。 掘 立 柱 建 物

4棟

(S B 8200〜 8203)、

20〜 30

掘 立 柱 塀

4条

(S A 1216・ 7000・ 8204・

8205)が

あ る。 S B 8200は調 査 区 東 南 隅 に あ る 桁 行

5間

以 上 10〜20

5〜15

(柱間 寸 法 約2.lm)、 梁 行

2間

(柱 間 寸 法 約

2.4m)

10´‑20

の南 北 棟 で、 柱 掘 形 は一 辺

lm強

と大 きい。S B 8201 は調 査 区 南 寄 り中 央 に あ り、 桁 行

3間

、 梁 行

2間

 20〜40 東 西 棟 で 、 柱 間 寸 法 は1.5〜

1.8mで

あ る。 S B 8202 50〜 60

は調 査 区 西 南 隅 に あ り、 桁 行

3間

、 梁 行

2間

の 南 北 棟 で、 柱 間 寸 法 は

1.5mで

あ る。 北 で 若 干 西 に振 れ

藤原宮期 飛鳥時代・

古墳時代中期の遺構面

古墳時代初期〜殊生時代 末期の包合層 と遺構

弥生時代後期の 包含層 と遺構

弥生時代中・後期の

1可川堆積物

黒褐 色 土(耕土 )層

茶灰褐色土(床)層

暗 禍 色 粘 土 層

砂 混 り暗 緑 灰 色 粘 土 層 な ど

暗 緑 灰 色 粘 土 層

Fig 2 第76次調査基本層序模式図

(4)

Yユー17,850

Y=一ユ7,800

Y=‑17,750

48‑H演

[I!33ヽ │」

)68演(車)

│      │      │ ド¬獄

Fig 3 第76次調査位置図および周辺調査の藤原宮期等の遺構 (1:1500)

﹈□

i l i

︲︲︲ ︲ ユ︲︲ ︲

僚 □

54→ II 11 63‑3次

SA'000

    │

E  

58‑kltE〕

(5)

SA7000蛭

    │

・卜﹃ い

l o l

Fig 4 第76次調査遺構図 (1:300)

(6)

る。 S B 8203は 調 査 区西 寄 り中央 に あ り、 東 西

2間

(約

4m)、

南 北

2間

(約

3m)で

、 柱 間 寸 法 は不 揃 い で あ る。 第

63‑8次

調 査 で検 出 され た S A 7000の 西 半 が、21間分 検 出 で き た 。 さ らに これ が調 査 区 西 北 隅 で北 に曲 が り、 第

6次

調 査 で検 出 され た S A 1216に つ な が る こ と が 判 明 した。 S A 7000は 柱 間 寸 法 が1.5〜2.4mで 、 西 寄 りの掘 形 平 面 は東 の もの に比 べ て 大 き く、

か つ 深 い。 S A 1216は

2間

分 を検 出 した。 そ の柱 間 寸 法 は

2.lmで

あ る。 S A 8204は S B 8201の 東 北 に あ り、 柱 間 寸 法 が1.5〜2.lmの南 北 塀

(3間 )で

、 掘 形 は浅 い。 北 で 東 に 若 干 振 れ る。

S A 8205は S A 8204の 西 北 に あ り、 柱 間 が1.5〜2.4mの 南 北 塀

(7間 )で

あ る。

飛 鳥 時 代 の遺 構

 

井 戸 S E 8206は 調 査 区 東 壁 中央 の床 土 直 下 で 検 出 した (Fig.5)。 北 で 西 に

45° 振 れ る こ とか ら、 そ の所 属 時 期 を飛 鳥 時 代 と推 定 して い る。 掘 形 は一 辺1.3〜 1.5mの 方 形 で 、 深 さ は1.5mと 浅 い。 井 戸 底 は後 述 す る弥 生 時 代 の河 川 S D 7014の 埋 土 で あ る灰 色 砂 層 の上 に あ た る。 井 戸 底 に三 枚 組 接 ぎに よ る蒸 籠 組 の井 戸 枠 が一 段 分 残 され て い る。 男 木 は長 さ80〜

83cm、 幅18〜24cm、 厚 さ3 cmの板 を材 料 と し、 納 の長 さ は4.5〜 5 cmで あ る。 女 木 は長 さ92〜94

cm、 幅24cm、 厚 さ3 cmの板 を材 料 と し、 納 の長 さ は6.5〜 7 cmで あ る。 井 戸 の 掘 形 の深 さか ら み て、 井 戸 枠 は少 な くと も三 段 分 あ った と推 定 され る。 井 戸 枠 の 内面 に沿 って、 自然 木 の先 を 削 って尖 らせ た木 杭10数本 を井 戸 底 か ら地 下

lmほ

ど打 ち込 み、 井 戸 枠 の外 面 に土 と木 切 れ を 入 れ て裏 込 め して、 井 戸 枠 を 固 定 して い た ら しい。 井 戸 枠 の うち

2枚

の井 戸 底 に接 して い た面 に、 太 納 穴 が残 って い るので 、 これ らは別 の井 戸 枠 も し くは建 築 部 材 を転用 した と考 え られ る。

この太Ithは再 利 用 の 際 に、 す で に抜 か れ て い る。

古 墳 時 代 の 遺 構

 

床 土 下 の灰 褐 色 土 層 を掘 り下 げ、 現地 表 下0。7〜

lmで

旧河川

3条

(S D3100・

8216・

8217)を

検 出 した。 い ず れ も東 南 か ら西 北 へ 流 れ る。 切 り合 い か ら、 S D 8217→3100→

8216の 順 に新 し くな る。 S D 8217は 幅

2m前

後 、 深 さ0.5mで 、 そ の埋 上 に は土 師 器 の み を 含 む 。 S D 3100は 第 33次 調 査 で も検 出 さ れ て お り、 幅

4〜 8m、

深 さが最 も深 い所 で

2m以

上 あ る本

格 的 な河 川 で あ る。 岸 が崩 落 す る危 険 が あ っ た の で、 川 底 の検 出 は断念 した。 そ の埋 土 の大 半 は砂 層 と礫 層 の互 層 か らな る。 そ こか ら

5世

紀 後 半 の土 師器 と須 恵 器 、 韓 式 土 器 が 出土 し、 と くに埋 土 最 上 層 か らの 出土 量 が 最 も多 い。

SD

8216は 幅 約 lm、 深 さ10cm程 で 、埋 上 に は土 器 の 細 片 を含 む。 な お S D 8217に ほ ば平 行 して 、 人 Fig 5 飛鳥時代の井戸S E8206(西か ら)

Fig 6 古墳時代の河川S D3100(北西か ら)

‑10‑

(7)

と偶 蹄 類 の足 跡 を多 数 検 出 した。

弥 生 時 代 の 遺 構

 

弥 生 時 代 の遺 構・ 遺 物 を 検 出 す るた め に、 下 層 調 査 区 (面 積 243∬

)を

設 定 した。 基 本 層 序 灰 褐 色 土 層 下 の 暗 茶 褐 色 土 層 と そ の下 の 暗 褐 色 粘 土 層 か らは、 弥 生 時 代 末 期 〜 古 墳 時 代 初 期 の過 渡 期 の土 器 が 出土 した。 そ れ らを順 次 掘 り下 げ て 、 砂 混 り暗 茶 褐 色 土 層 上 面 で土 坑

2基

(S K 8218・

8219)を

検 出 した 。 出

土 土 器 か らみ て 、 弥 生 時 代 末 期 〜古 墳 時 代 初 期 の上 坑 で あ る。 砂 混 り暗茶 褐 色 土 層 か らは弥 生 時 代 後 期 の 上 器 が 多 量 に 出 土 した (Fig.7)。

そ の下 位 の茶 褐 色 粘 土 層 上 面 で 旧 河 川 1条

(S D7014)を

検 出 した。 埋 上 の灰 色 砂 層 か ら弥 生 時 代 後 期 の土 器 が 出土 した。 S D 7014は第

63‑

8次

調 査 で み つ か って い る河川 のつづ きで あ る。

下 層 調 査 区 の南 北 に さ らに深 掘 区 を設 定 した。

そ の結 果 、 まず 北 区 で は、 砂 混 り暗 緑 灰 粘 土 層

上面 で方形 周溝墓

2基

(S X 8220・

8221)を

部 分 的 に検 出 した。S X 8220の北側 の溝 がS X 8221 の南側 の溝 とな り、両者 の東側 の溝 は南北方 向 に連続 す る。 その一辺 は

6m以

上 あ り、残存 す る周溝 の上 幅 は

2m、

深 さは1.5mで あ る。 砂 混 り暗 緑 灰 色 粘 土 層 か ら暗 緑 灰 色 粘 土 層 まで の 上層 を削 り出 し、上 に封土 を盛 ったので あ ろ う。封土部分 はす で に削平 されて い る。周溝 か ら 土 器片 が

1点

出土 したが、細 片 の た め時期 は特 定 で きな い。

 

しか し、 層 位 的 に み れ ば、

SX

8220・ 8221は弥生 時代 後 期 の もの と推 定 され る。 なおS D 7014よ り北 の砂 混 り暗 緑 灰 色 粘 土 層 か ら暗緑 灰色 粘土層 まで の上層 は、後述 す る南 区 に比 べて安定 して い る。 つ ぎにS D 7014よ り 南 は砂 と シル ト、 粘上 の互 層 の厚 い堆積 物 が確認 され、 流 れ を何 度 も変 え た旧河 川 の堆 積 上 の 一 部 で あ った ことが判 明 した。堆積土 か らは弥生 時代 中〜後期 の土器 と流木 が 出土 した。

ま とめ

先行条 坊 五 条西二坊東南坪 の北半 の区画

 

本調 査 に よ って、 この区画 の東 西 幅 が87.5〜88m、

南北 幅 が58.2〜58.8mで あ る ことが判 明 した。 南辺 の塀S A 7000は 東 西41間で あ る。 西 か ら12間 目が幅3.8mと 広 く、12間 目の柱 がS A 8205の 延長 上 にあ る ことか ら、 こ こが 門 だ った可 能 性 が あ る (Fig.4↑ E口 )。 北 辺 の塀S A 1215は41も し くは42間、 西辺 の塀S A 1216は推 定25間であ る。

さて 区画 の位 置 や規模 は何 を基準 に設定 され たのだ ろ うか。S A 1215の 位 置 が先 行 条 坊 五 条 々 間路 に、S A 6985の 位 置 が西一坊 大 路 に規 制 され て い る ことか ら、 この区画 の造営時期 は従来、

Fig 7 弥生時代後期土器の集中 (西北か ら)

Fig.8 方形周溝墓S X8220・ 8221(東か ら)

(8)

先行 条 坊 の側 溝 を掘削 した宮 直前期 に近 い時期 と考 え られて きた。 区画 の東 西 幅87.5〜

88mは

、 藤原 京 の地 割 りの基 準 値 で あ る750大尺 の1/3の250大尺 で あ る。 区画 の南北 幅58,2〜58.8mは 、完 数 尺 が得 られ な いが、 先行 条 坊五 条大 路 北 側 溝 と五 条 々間路 南側溝 の間 の敷地 の ほぼ1/2に あ た る。 その後 この区画 内 の建物配 置 が大 き く改変 され るとか、 区画塀 を切 る新 しい建物 が建 て ら れ る こ とはな く、 この区画 は先行条坊 の西一坊大 路 を宮 内道路 とす る藤原宮期 に も存続 した可 能 性 が あ る。 第

63‑3次

調 査 で は、 この区画 の東 南 隅 のS A 6985が 南 へ少 な くと も

1間

延 び る ことが確認 されて い る。 しか し、S A 6985は さ らに南 の第

27‑9次

調査 区 まで は延 びて いなか っ た。 また、本調査 区で検 出 した この区画 の西南 隅 で、S A 1216が 南 へ延 び る こ とはな い。

 

した

が って、 この区画 の南側 に同規模 の区画 はない。 また、 区画 の南側 で検 出 された建物 も少 ない。

藤原 宮 の西 側 の西面 中門寄 りの官 衛 につ いて は、馬寮 が候補 に挙 げ られて い る (『報 告 』 Ⅱ)。

平 城 宮 で は西面 中門佐 伯 門 に接 して そ の南 北 に馬 寮 が あ り、 さ らに藤 原宮西面 中門 の東南部 で も桁行18〜 20間 の長大 な建物

4棟

が整然 と建 て られて い るか らで あ る。 と もあれ、文 字 資 料 の 発 見 を待 って、官衡 の機能 に結論 を下 す ことにな ろ う。

推 定 飛 鳥 時代 の井 戸

S E 8206 

井 戸S E 8206は 、蒸 籠 組 井 戸 と して は飛 鳥・ 藤 原 地 域 で最 古 の 部 類 に属 す る。 この井 戸 の時期 を さ らに絞 り込 む遺物 はみつ か らなか った。本調査 区 に は

SE

8206と 同様 の振 れ を もつ建物 遺 構 はな いが、約

100m西

方 の第33次調 査 区 に はS E 8206と 同様 の 振 れ を もつ掘立 柱建物S B 3085〜 3088があ る。 あ るい は両 者 の間 になん らか の関連 が あ るの か

も しれ な い。

古 墳 時代 の 旧河川S D 3100の 土 器 は どこか ら捨 て られ たか

 S D 3100の

埋 土 最 上 層 は暗褐 色 土 で、 出土 土器 に は完形 品が多 く含 まれて お り、 しか も遠方 か ら流 されて きた形跡 が な い。本調 査 区で この時期 の住 居跡 はみつか って いないが、本調査 区 の南 で行 われ た第

3次

調 査 で、土 坑

S K 580と井 戸S E 555・ 669か ら同時期 の上 師器 と須恵器 が 出土 して い る (『報 告 』 Ⅲ)。 した が って、 四分遺跡 に は土坑 や井戸 を含 む古墳 時代 の集落 が あ って、 そ こか らS D 3100に 土 器 が 廃棄 され た可能 性 が高 い。

弥生 時代 四分遺跡 の北側 の様 相

 

弥生 時代 後 期 の土器 を比 較 的多 く含 む土層 は、下 層調 査 区以 外 に、 古 墳 時代 の河 川S D 3100の両 岸 断面 で も確認 で き るので、 四分遺 跡 の北 側 に も後 期 の あ る段 階 の生活廃棄物 の廃棄場 が あ った よ うだ。 つ ぎに第

69‑12次

・ 第

71‑1次

調 査 な ど に よ っ て、弥生 時代 四分遺跡 の北側 には、方形周溝墓 が ま とま って存在 した可 能 性 が高 ま って い る。

今 回検 出 した

2基

の方形周溝墓S X 8220・ 8221は、 それ らの一 群 を なす もので あ り、 従 来 検 出 され た もの の なか で、集落 に最 も近接 して い る。 その時期 は層位 的 にみて、弥生 時代後期 と推 定 され る。 さ らに下 層 調査 区 の深 掘南 区 の土層 の堆積状況 か らみて、弥生 時代 中期 か ら後期 に か けて のあ る段 階 に、 四分遺跡 の北側 で、洪水 が頻繁 に発生 した と推定 され る。

‑12‑

(9)

75‑6次

調 査

(1994年 7月 〜 8月)

本 調 査 は、 市 営 住 宅 の建 設 に先 立 ち、 橿 原 市 四分 町 で 実 施 した もの で あ る。 調 査 地 は、 藤 原 宮 西 方 官 衛 地 域 に あ た り、 第 69次 東 区 の南 、 第 69次 西 区 の東 に位 置 す る。 今 回 の調 査 で は、 藤 原 宮 期 に お け る当地 域 の利 用 状 況 と、 下 層 の弥 生 時 代 集 落 の広 が りを確 認 す る こ とを 目的 と し

た。 東 西

7m、

南 北

12mの

範 囲 を上 層 と下 層 に わ けて 調 査 した。 調 査 面 積 は84だ で あ る。

 

上 層 遺 構

 

調 査 区 の基 本 的層 序 は、 上 か ら現 代 の盛 土 、 水 田 の 旧耕 土・ 床 土・ 黄 灰 色 砂 質 土・

灰 褐 色 微 砂 質 上 の順 で あ り、 上 層 遺 構 は、 灰 褐 色 微 砂 質 上 の上 面 で検 出 した。

上 層 で検 出 した主 な遺 構 に は、 小 規 模 な掘 立 柱 建 物 S B 8340と 、 東 西 溝 S D 8335が あ る。

S B 8340は 、 桁 行

3間

、 梁 行

2間

の南 北 棟 建 物 で あ る。 柱 間寸 法 は桁 行・ 梁 行 と もに1.8m前 後 で ば らつ きが あ り、 直 径 約 10cmほ ど の柱 痕 跡 が残 る。 柱 穴 出土 の遺 物 が 少 な い た め、 そ の 所 属 時 期 は明 らか で は な い が 、 藤 原 宮 期 直 前 か ら藤 原 宮 期 にか け て の遺 構 と考 え られ る。

東 西 溝 S D 8335は 、 幅 約

lm、

深 さ約0.lmの浅 い溝 で あ るが 、 周 辺 の調 査 区 で は延 長 部 分 を 検 出 して お らず 、 そ の性 格 は不 明 で あ る。

7世

紀 後 半 の上 器 が少 量 出上 した。

下 層 遺 構

 

東 西5.5m・ 南 北

1lmの

調 査 区 で、 下 層 の 調 査 を 実 施 した 。 層 序 は、 藤 原 宮 期 の 遺 構 を検 出 した灰 褐 色 微 砂 質 土 か ら下 に順 に、 明黄 灰 色 粘 質 土 、 黒 褐 色 土 、 黄 色 土 混 黒 褐 色 土 、 青 灰 色 砂 質 土 (地山

)で

あ る。 弥 生 時 代 の遺 構 検 出 は青 灰 色 砂 質 土 上 面 で 行 っ た 。 そ の 結 果 、 弥 生 時 代 中期 に属 す る土 坑 や溝 な どが み つ か り、 調 査 地 北 端 の井 戸 S E 8332か らは特 に豊 富 な 遺 物 が 出土 した。

Y=‑17.785

Y=‑17,780

Y=‑17,785

Y=‑17,780

x=‑166,935

Fig 9 第75‑6次調査遺構図 (1:200)

(10)

S E 8332は 掘形 上 面 が直径 5.5m内 外 の 円形 に近 い素 掘 り井 戸 で 、 深 さ は

1.7mで

あ る。 底 か ら30cmほ ど は礫混青灰色 砂 に達 して お り、特 に湧水 が激 しか った。 この井戸 か らはお もに弥 生 中期 前 半 の土器 に伴 って木 製 の鍬・ 斧 柄・ 腰 掛・ 容器 、用 途 不 明 の鹿 角製 品、 さ らに クマ ネ ズ

ミ属 (Rattus sp。

)頭

骨・ 穿孔 され た イ ノ シ シの下 顎 骨 な どが 出土 した。

Fig 10 S E8332出土木製品

(1)(1:4)・

鹿角製品

(2)(1:3)

藤 原 宮第75‑6次調 査 (四分遺 跡

)に

お け る寄生虫卵・ 植物遺体分析

試 料 と方 法

 

試 料 は、井 戸S E 8332の上 部・ 中部・ 下部 お よび地 山の計

4点

で あ る。

寄生 虫 卵 分 析 は、試 料

1面

に フ ッ化水素酸処理 を施 しプ レパ ラー トを作製 して行 った。

1爾

あ た りの出現数 は計数比 か ら算定 した。

花 粉 分 析 は、試 料 に水 酸化 カ リウム処 理 、 フ ッ化水素 酸処 理、 アセ トリシス処理 の各処理 を 施 し行 った。花 粉 出現 量 (定量

)に

つ いて は、 その計数比 か ら試料

1∬

の 出現 数 を算 定 した。

種 実 同定 は各 々100ccを0.25mmの 舗 で水 洗 選 別 し、 分類 を肉眼 お よび実 体 顕 微 鏡 下 で行 った。

寄 生 虫卵 分 析

(Tab.4) 

寄 生 虫 卵 は回虫 類 、鞭 虫類 、 マ ンソ ン裂 頭条 虫 が検 出 され た。 中部 にお いて試料

1爾

あた り1000個以 上 寄生 虫卵 が検 出 され、下 部 にお いて も500個以 上 で あ った。

地 山 か らは何 も検 出 され なか った。 中部 と下部 で は鞭虫類 卵 が多 い。寄生虫卵 のか な りの汚染 分類群 (1/10∝中) 5AJG‐WF83大土坑 5AJG…

WF84

学 名 和 名 部 位 上部

  

中部

 

下部

  

大土坑 地 山

Ascarls 狩Fchばrs

DわねyFFobothoruiva naandoれ

回虫類

      

卵殻 鞭 虫類

      

卵殻 マ ンノン裂頭条虫

 

卵殻

8 6

(lcm3に算定)

Total

(140)  (1120)  (620)

Tab 4 

寄生虫卵分析結果

(11)

お よ び な ん らか の糞 便 の堆 積 物 が 、 S E 8332に 堆 積 して い る とみ な され る。

花 粉 分 析

(Fig.11) 

結 果 は図 に示 した。 各 試 料 と も樹 木 花 粉 よ り草 木 花 粉 が 多 い。 上 部 で は イ ネ属 型 を含 む イ ネ科 が 優 占す る。 中部 と下 部 で は ヨモ ギ属 や オ ナ モ ミ属 が 多 い。 樹 木 花 粉 で は ヨナ ラ属 ア カ ガ シ亜 属 が 主 に優 占す る。

1         樹木花粉       │

テイ    

 ィ ヌ      

 科ガ       

│ヤ ニ キ

  科 ク 属    レ 属  │リ      │ 

     

   │ナ    │          │               大土 坑 モ ツ 束  ノ シ ラ      

                ロ ィ ネ属型                   ミガ 亜 ス キイ 亜   ヤ ノ

属 属 属 ギ 科 属 属                         

VC‐W

83上

中部

下部

qc

F‐84地

%       11%未

Fig ll  主要花粉組成図

種 実 同 定

(Tab.5) 

種 実 は数 量 が 少 な い。 ウ リ類・ イ ネ の 食 用 と な る栽 培 植 物 の 種 実 が や や 多 い 。 他 は イ ネ科 ・ タ デ 属・ ナ デ ン コ科 な ど の 雑 草 類 が 検 出 さ れ た 。

分類群 5A」G‐WF83大土坑    5AJG―WF84

学 名 和名       部位      上部     中部    下部   大土坑地山

・  田

H

herb         

草本

Oryza satr1/aL  イ ネ

     

     17   15

Settrra        エノコログサ属

 

      1

Gra―cac A・

B    

イネ科A・

B   

       4     3

FatouaレJOδa脆れ

クフクサ

    

種子

      1 Scupws       

ホタルイ属

   

果実

      2     2

Qヮ

9rus       

カヤツリグサ属

 

果実

      1

Pοl昭OnШス・

B    

タデ属A・

B   

果実

       2     2

Cheコop∝的ロ

    

アカザ属

    

種子

      1

Amattnh口δ

     

ヒユ属

     

種子

      1

ryoph/」acea9    ナデシヨ科

   

種子

      3     7     5

Torlr.JapOnlca DC ヤブジラミ

   

果実

      5 Pcrra        

シッ属

     

果実

      1

Sdana∞

ac      

ナス科

     

種子

      1       1

Cvcumrs mer。 と

 

ゥ リ類

     

種子

      10     1     1

破片

      4     3     1

E研わ協pros陸

L  

タカサブロウ

  

果実

      8     2     4

Total        合計 54         41         14      0

Tab.5 

種実同定結果 (試料100cc中)

推 定 され る植 生 と環 境

(Fig,12) S E 8332の

堆 積 物 の分 析結果 で は、 鞭 虫 類 を主 とす る寄 生 虫 卵 の 出現 密 度 が か な り高 い た め、多 くの糞 便 の堆 積 が含 まれ て い る とみ な され る。 肝 吸 虫・

横 川 吸 虫 が含 まれ て い な い ため、寄 生虫 卵組 成 か ら ヒ トの糞 便 に起 因 す るか ど うか判 断 で き な い。 花粉 分析 で は ヒ トの糞便 に起 因す る食用植物 の花 粉 は認 め られ な い とい って よい。 種 実 で

(12)

寄 生 虫 卵

‐ 樹木花粉

■ 食舜

大 土 坑

5AJG‐W

WF‐83上

中部 下部 5雷

:4地

は、 ウ リ類 の種 子 が 含 ま れ る もの の 、 イ ネ は穎 (籾殻

)で

あ り、 雑 草 類 も多 い。 ま た、 層 位 的 な変 化 にお いて 寄 生 虫 卵・ 花 粉・ 種 実 の 出 現 傾 向 は一 致 し な い。 ヒ トの糞 便 だ とす れ ば、 一 度 乾 燥 した分 解 的 な環 境 下 に お か れ 弱 く小 さ な 吸 虫 類 の卵 が分 解 した後 、 汚 染 的 に再 堆 積 した可 能 性 を 考 え ね ば な らな

102 grans/cln3 5× 403 grams/cln3 50Brahs/cm 3   い。 この場 合、近 接 して高密度 の汚 染 Fig 12寄生虫・花粉・種実出現図

        

源 が あ っ た か人 口密 度 が 高 く、 そ の 汚 染 域 で あ った と考 え られ る。

人 体 寄 生 虫 で あ る回 虫・ 鞭 虫 と飼 育 され た ブ タに寄 生 す る ブ タ回 虫・ ブ タ鞭 虫 の卵 殻 は、 形 態 的 に区 別 が 困難 で あ る。 回 虫 類 と鞭 虫 類 は ヒ トと ブ タ に の み セ ッ トで 感 染 す るた め、 これ ら が ブ タ起 因 の寄 生 虫 卵 で あ る可 能 性 も考 え ね ば な らな い。 マ ン ソ ン裂 頭 条 虫 は イ ヌ・ ネ コ・ キ ツ ネ な ど に感 染 す る寄 生 虫 で あ り、 ヒ トは中 間宿 主 とな る。 この た め こ こで は イ ヌ に起 源 す る とみ な され る。 よ って 、 S E 8832の 埋 没 段 階 に ブ タや イ ヌの糞 を集 め て投 棄 した可 能 性 もあ る と考 え られ る。 これ らの仮 定 に立 つ な らば、 四分 遺 跡 で はか な りの数 の ブ タ とイ ヌが家 畜 と し て 飼 わ れ て い た可 能 性 が あ ろ う。 た だ し、 現 状 で は対 比 資 料 が な く仮 定 的 な い し想 定 的 な解 釈 を抜 け 出 しえ な い。

周 囲 の植 生 で あ るが 、 中 部 と下 部 か らは オ ナ モ ミ属 や ヨモ ギ属 が 繁 茂 し、 や や乾 燥 した状 態 で あ った と推 定 され る。 上 部 で は、 イ ネ属 型 を含 む イ ネ科 の花 粉 が 多 い た め、 水 田 が近 接 して 広 く分 布 す る よ うに な った とみ な され る。 森 林 植 生 と して は、 コ ナ ラ属 ア カ ガ シ亜 属 を主 とす る照 葉 樹 林 が地 域 的 な森 林 と して分 布 して い た。 た だ し、 上 位 に 向 か って コナ ラ属 ア カ ガ シ亜 属 は減 少 す る。

 

トネ リコ属 は湿 地 林 を形 成 す るた め、 トネ リコな ど の湿 地 林 が近 くに あ った こ

とが推 定 され る。

《参考文献》

奈良国立文化財研究所『藤原京跡の便所遺構』 1992年

金子清俊・谷口博一『新版 臨床検査講座

8医

動物学』医歯薬出版 1987年

Peter 」,Warnock and Karl J.Reinhard(1992).  lethods for Extraxting Pollen and Parasite Eggs from

Latrine Soils.」ournal of Archacological Science 19.

金原正明「便所堆積物か らさぐる古代人の食生活」『助成研究の報告4』 味の素食の文化センター 1994年 金原正明「花粉分析法による古環境復原」『新版古代の日本第10巻古代資料研究の方法』角川書店 1993年

‑16‑

(金原正明・ 金原正子 。中村亮仁)

(13)

71‑15次

調 査

(1994全

F3月

)

本 調 査 は個 人 住 宅 の新 築 に と もな う事 前 調 査 で あ る。 東 西

4m、

南 北

20mの

調 査 区 を設 定 し た。 調 査 地 は宮 内西 方 に位 置 す る。 調 査 区 の近 辺 で は、 か つ て第

27‑6次

調 査 、第

66‑2・

3・

4次

調 査 に お い て 、 中世 環 濠 集 落 の環 濠 を検 出 し、 環 濠 の規 模 を推 定 して い る。 本 調 査 区 は第

66‑3次

調 査 区 と第

66‑4次

調 査 区 の ほ ぼ 中 間 に位 置 し、 本 調 査 で も中世 環 濠 の検 出 が 期 待 さ れ た。 基 本 的 な層 序 は、 地 表 面 か ら耕 土・ 床 土・ 暗 灰 褐 色 粘 質 土 。淡 灰 色 砂 質 土 (地

)の

順 で、 遺 構 を検 出 した の は暗 灰 褐 色 粘 質 土 面 で あ る。

検 出 した遺 構 は溝

1条

と土 坑

4個

で あ る。

S D 7293は 幅 約4.4m、 深 さ70cmの 東 西 溝 で あ る。 溝 内 か ら軒 平 瓦

6641C形

式・

6275A形

式 と 多 量 の羽 釜 類 や14世紀 主 体 の上 師 器 皿・ 灯 明 皿 が 出土 した。 出土 位 置 、 出土 遺 物 か ら考 え て、

66‑3・ 4次

で 検 出 した 中世 環 濠 と考 え て 間 違 い な い。

4つ

の土 坑 の うち、 北 端 の土 坑 か らは14世紀 代 の瓦 器 が 出上 した。 そ の他 の

3つ

の土 坑 は当 初 、 建 物 の柱 穴 と思 わ れ た が 、 そ の東 西 に並 行 す る柱 穴 は な く、 深 さ もそ れ ぞ れ異 な る こ とか

ら現 時 点 で は建 物 の柱 穴 と は考 え られ な い。

X=‑17,768

x=‑166(385

X=‑166.395

(1:2000)

Fig 13 第71‑15次 、

75‑2,7次

調査位置図 Fig 14 第71‑15次 調査遺構図 (1:200)

(14)

75‑7次

調 査

(1994年 7月 〜 8月 )

本調 査 は、 作 業小屋建設 に先立 ち、橿原市縄手 町で実施 した もので あ る。調査地 は、醍醐池 の西方 で藤原宮西北部 にあた る。 しか し、周辺 の調 査 で は、後世 の削平 が著 しく、宮 に関す る 遺 構 はほ とん ど検 出 されて いない。 ただ し、第

27‑6次

調 査 、 第

63‑2次

調 査 、 第

66‑2・

3・

4次

調 査 で は、14世紀 頃 の土 器 を と もな う二重 の環 濠 を め ぐらした方形 の区画 の存在 が判 明 し て い る。 今 回 の調査地 は、 この方形 の区画 内中央西寄 りの位 置 にあた る。 南北15m、 東 西

8m

の範 囲 に調査 区 を設 け、調査面積 は120∬で あ る。

調 査 区 の基 本 的 な層序 は、上 か ら水 田耕土・ 木土、黄褐色 な い しは灰褐色砂質土 の地 山 とな

Υ=‑17、 770

Y=‑17765

る。 しか し、床上 の直下 か ら掘

│ 

り込 まれ た多数 の土坑 によ る撹 乱 が著 し く、 遺構 は灰褐色 砂 質 上 の上面 で検 出 した。

検 出 した遺 構 に は、井戸

2基

X=‑166360と 多数 の方 形 を なす土坑 群 が あ る。

井 戸 S E 8350は 、 大 形 の 円 形 掘 形 を もつ 方 形 縦 板 組 横 桟 ど め の井 戸 で あ る。掘形 の大 きさは、

掘 削 時 に は 直 径 3.2m、 深 さ2,7

mほ

どで あ った とみ られ るが、

井 戸 枠 を抜 き取 る際 に北 西 方 向 か ら穴 を掘 った た め に、 最 終 的 に は長 径 約

4mに

広 が って い る。

井 戸 枠 は ほ とん ど抜 き取 られ、

最 下 段 の横 桟 の南 半 分 と一 部 の 縦 板 が残 って い た にす ぎな い。

縦 板 の 幅 は約 20cmあ るが 、 厚 さ は5mm程度 の ご く薄 い もの で あ る。 井 戸 底 に、 水 溜 に使 わ れ た 大 小 の 曲 物

3箇

が遺 存 して お り、

この うち上 段 と中段 の曲物 の外 面 に墨 書 が認 め られ た。 中 段 の

X=‑166、370

0      1       5m

Fig.15 第75‑7次調査遺構図 (1:100)

‑18‑

(15)

それ は、「 承 安 四年十 月

 

□ □ □ 詔 」 と判読 で き る。 抜 取 り穴 か ら多 数 の瓦 器 と土 師 器 が焼

[貞]

土 と と も に 出土 した。

井 戸S E 8355は、 円形 掘 形 を もつ 円形 石 組 井 戸 で あ る。 掘 形 の大 き さ は、 直 径

2m、

深 さ2.4

mほ

どで あ る が 、 湧 水 は あ ま り認 め られ な い。 石 組 の 内 法 の 直 径 は約

0.8mあ

り、 人 頭 大 か ら 拳 大 の川 原 石 を積 む。 底 に曲 物 を

3箇

利 用 した水 溜 が あ る こ とを確 認 した が 、 石 組 が 崩 れ る可 能 性 が あ っ た た め最 下 段 ま で は掘 り下 げ な か った。 少 量 で は あ るが13世紀 頃 の土 師 器 な ど が 出 上 した。

これ以 外 に、 調 査 区 の全 域 で 多数 検 出 した方 形 な い しは長 方 形 を呈 す る土 坑 群 は、 遺 物 が乏 し くそ の所 属 時 期 を決 定 で きな い。 しか し、 土 層 観 察 に よれ ば大 半 は床 土 直 下 か ら掘 り込 ま れ て お り、 比 較 的 新 しい時 代 の遺 構 と推 定 さ れ る。

井 戸 S E 8850の 抜 取 りか らは、 多 数 の瓦 器 椀・ 小 皿 、 土 師器小 皿・ 羽釜 と、鉄 釘

3本

が焼 土・

壁 土 と と もに投 げ捨 て られ た状 態 で 出上 した。 土 器 は いず れ も12世紀 後 半 の特 徴 を もつ も の で あ り、 井 戸 底 の水 溜 と して 利 用 され て い た 曲 物 に書 か れ た「 承 安 四 年 」

(1174)の

墨 書 銘 と も 矛 盾 しな い。 縦 板 と して 用 い られ た板 が 曲 物 の素 材 と推 定 され る厚 さ5 mm内外 の薄 い も の で あ る こ とか ら、 この井 戸 の存 続 年 数 もあ ま り長 い もの と は考 え に く く、 今 後 、 この 時 期 の 上 器 編 年 の実 年 代 を 考 え る上 で格 好 の材 料 とな ろ う。

7

8

‑9

‑10 11

12   く こ ≡ ≡ ≡ ≡ 垣 正 三 三 Ξ

7

4

5

6

o       10cm

Fig.16 S E 8350抜 取穴出土土器 (1〜 4瓦器

 5〜

17土師器 18陶器)

(16)

75‑12次

調 査

(1993年10月 〜11月)

本 調 査 は奈 良 県 橿 原 市 醍 醐 町43‑3・ 5・ 6・ 7番地 に お い て 予 定 され て い る宅 地 造 成 (盛 土・

整 地)、 な らび に個 人 住 宅 建 設 に伴 う事 前 調 査 で あ る。 調 査 面 積 は、 調 査 区 を東 西50m、 南 北

8mで

設 定 し、 北 側 で 部 分 的 に拡 張 した の で 、 合 計 436♂ で あ った。 1994年10月 11日 か ら耕 土 。 床 土 掘 削 を 開 始 し、 同 年11月 15日 に埋 め戻 しを完 了 、 調 査 を終 了 した。

本 調 査 区 は藤 原 宮 西 方 官 衛 地 区 の北 寄 りに あ た り、 東 に は 内裏 跡 に作 られ た醍醐 池 が望 め る。

ま た本 調 査 区 の南 で は宅 地 造 成 や個 人 住 宅 の建 設 に伴 って 、 発 掘 調 査 が実 施 されて きた。 そ れ に よ って 、 鎌 倉 時 代 に存 在 した二 重 の環 濠 を巡 らす土 豪 の居 舘 と推 定 され る遺構 がみつか った。

環 濠 内部 の建 物 は後 世 の 削 平 に よ って 明 か で な か った が 、 第

75‑7次

調 査 (本 書p.18・ 19所 収)

で 石 組 井 戸 が み つ か り、 環 濠 内部 に生 活 空 間 が あ る こ とが 判 明 した。 さ らに丼 戸 底 の 曲物 に は

「 承 安 四年

(1174)十

月 」 の墨 書 銘 が あ り、 環 濠 居 館 に関 わ る遺 構 お よ び遺 物 の年 代 の上 限 が 、 従 来 考 え られ て い た よ り若 干 古 くな った。 しか し、 一 連 の調 査 で は、 藤 原 宮 期 の遺 構 が ほ とん

ど確 認 され て い な い。 これ につ いて は この付 近 で後 世 に大 規 模 な地 下 げが あ り、古 代 の遺 構 の 多 くが す で に削 平 され て しま った と推 定 され て い る。 した が って 、 本 調 査 区 で も平 安 時 代 末 か

ら鎌 倉 時 代 (12世 紀 後 葉 〜14世紀

)の

遺 構 や遺 物 が 主 と して み つ か る もの と予 想 され た。

 

基 本 層 序 は上 か ら耕 土 (厚 さ20om)、 床 土 (厚 さ10cm)、 地 山 の 黄 褐 色 土 層 (厚 さ20cm)、 暗 褐 色 土 層 (厚さ15clll)で あ る。 さ らに後 述 す る井 戸 S E 8272の 調 査 に よ れ ば、 以 下 数 枚 の 上 層 と粘 土 層 を経 て、 地 表 下1.2mで砂 層 に達 す る。 この砂 層 の 下 は礫 層 で あ ろ う。 す べ て の 遺 構 は黄 褐 色 土 層 上 面 で 検 出 した。 検 出 され た遺 構 は古 墳 時 代 か ら室 町 時代 頃 まで の もの で、 な か で も平 安 時 代 末 期 〜 鎌 倉 時 代 初 期 の もの が予 想 通 り主 体 で あ っ た (Fig.17)。 以 下 、 所 属 時 代

ご と に遺 構 を説 明 す る。

古 墳 時 代 の遺 構

 

調 査 区 の東 端 で検 出 した斜 行 溝S D 8271であ る。 そ の方 位 の振 れ か ら所 属 時 期 を推 定 した。

藤 原 宮 期 の遺 構

 

掘 立 柱 南 北 塀 S A 8270で あ る。 後 述 す る平 安 時 代 末 期 〜 鎌 倉 時代 初 期 の 建 物 遺 構 と比 べ て、 柱 掘 形 が 方 形 (一辺

30cm)で

あ る こ とか ら所 属 時 期 を推 定 した。 柱 間 寸 法 は2

2.lm(7尺 )で

6間

分 を検 出 した。 た だ し、 そ の方 位 は北 で 東 に振 れ る。

平 安 時 代 末 期 〜 鎌 倉 時 代 の 遺 構

 

掘 立 柱 建 物

2棟

、 南 北 溝

1条

、 井 戸

1基

、 土 坑 数 基 を検 出 し た。

S B 8273は 桁 行

4間

、 梁 行

3間

に復 元 で き る東 西 棟 で 、 柱 間 寸 法 は1.4〜

1.6mで

あ る。 柱 掘 形 は直 径 30cmの 円形 で あ る。 この 中央 に石 組 井 戸S E 8272が位 置 す るの で 、 これ は井 戸 を 覆 う 建 物 、 す な わ ち井 戸 屋 形 で あ る。

―‑ 20 ‑一

(17)

Y=‑17.750

0      10m

I       I

Fig.17 第75‑12次 調査遺構図 (1:200)

東側の上坑群

│1却 1怒 1測

(18)

Fig 18 井戸屋形 S B 8273(北 か ら)

S E 8272は 下 端 に曲物 を三 段 重 ね で 置 き、

そ の上 の大 半 を人 頭 大 か ら一 抱 え もあ る石 を 積 み上 げて 構 築 した、 深 さ

2mの

井 戸 で あ る。

掘 形 は石 組 部 分 が 東 西1.5m、 南 北

2mの

長 方 形 で、 曲 物 部 分 が 円形 で あ る。 曲 物 下 端 は 砂 層 に達 して お り、 現 在 で も こん こん と水 が 湧 き出 す 。 石 組 の埋 土 か らは瓦 器 羽 釜 や 土 師 器 小 皿 、 カ メ の 甲羅 が な ど出土 した。

S B 8274は 桁 行

3間

以 上 (柱間 寸 法1.6〜 2 m)、 梁 行

2間

(柱間 寸 法

2.lm)の

南 北 棟 で あ る。 柱 掘 形 は 円形 で、 直 径15cmと 小 さ い。

S D 8275は S B 8273・ 8274の 東 側 に あ る南 北 方 向 の素 掘 り溝 で あ る。 そ の縦 断 面 形 は逆 台 形 で 、 上 幅 が2.5m、 底 幅 が0。9〜1.Om、 深 さ が

1.lmで

あ る。 埋 土 か ら は瓦 器 羽 釜 。小 皿 、 土 師器 片 口・ 小 皿 な どが多量 に出土 した。

埋 土 に純 粋 の砂 層 を含 ま な い の で 、 これ は頻 繁 な流 水 を伴 う水 路 の類 で は な く、 環 濠 の 一 部 とみ られ る。

S K 8276は S B 8274の 南 側 に掘 られ た平 面 形 が 長 方 形 の 上 坑 で あ る (Fig.22)。 そ の 底 面 に完 形 の瓦 器 碗

7点

と瓦 器 小 皿・ 土 師 器 小 皿 各

1点

が一 括 して埋 め られ て い た。

室 町 時 代 以 後 の遺 構

 

掘 立 柱 建 物

2棟

、 井 戸

2基

、 土 坑 多 数 を検 出 した。

S B 8278は 南 北 棟 の北 妻 で 、 梁 行

2間

、 柱 間 寸 法 は1.2〜

2.Omで

あ る。 S D 8275が埋 没

して か ら建 て られ て い る。

S B 8277は 東 西 、 南 北 と もに

2間

(柱 間 寸 法

1.5m)の

建 物 で 、 柱 掘 形 は直 径 15cmの 円形 で あ る。 これ は S B 8273・ 8274や S D 8275か ら一 定 の距 離 が あ るの で 、 当 該 期 に所 属 す る もの と推 定 した。

Fig 19 石組井戸S E8272(北か ら)

Fig 20 東面環濠S D8275(北か ら)

Fig.21 大型土坑S K8283(南か ら)

―‑ 22 ‑―

(19)

S E 8279・ 8280は 、 そ れ ぞ れ 直 径1.2m、 0。

7mで

、 深 さ

lm以

上 の素 掘 りの井 戸 で あ る。 埋 土 か らは瓦 器 片 な どが 出土 した。

S D 8275の 東 西 に あ るS K 8283・ 8284な どの東 側 の大 型 土 坑 群 は、 幅

9mの

範 囲 に 南 北 に分 布 し、

3〜 4列

か らな る帯 状 を な す 。 各 土 坑 開 口部 の平 面 形 は、 長 辺

2.5m前

後 、 短 辺

1.5m前

後 、 深 さ は0.8〜1,Omで、 壁 は垂 直 に立 ち上 が り、 底 面 は平 坦 で あ る (Fig。 21)。 土 坑 の 埋 土 は 埋 め戻 した よ うな堆 積 を し、 土 坑 同 士 は相 互 に切 り合 う。 埋 土 か らは瓦 器 片 や 中 国 産 磁 器 、 宋 銭 な どが 出上 した が、 底 面 か ら完 形 品 が 出土 す る こ と は な か った。 これ に対 して 、 西 側 の大 型 土 坑 群 は平 面 形 が東 側 の もの に比 べ て 小 さ く、 浅 い。 以 上 の ほか 、 不 整 形 土 坑 S X 8281・ 8282 や単 独 の柱 穴 、 耕 作 溝 多 数 な どを検 出 した。 埋 土 か らは瓦 器 片 や 木 炭 片 が 出上 した。

 

土 器 は藤 原 宮 期 の もの が数 点 で 、12世紀 中 頃 〜14世紀 の瓦 器 と土 師 器 が大 多 数 を 占 め る。 な か で もS K 8276底部 に 12世 紀 中 頃 の 瓦 器 椀・ 小 皿 と土 師 器 小 皿 が 一 括 して 埋 納 さ れ て い た (Fig.22)。 うち瓦 器 椀

3点

が入 子 状 に重 な って い た。

4点

の瓦 器 椀 の見 込 と

2点

の 底 部 外 面 に

X」 印 を焼 成 後 に針 書 き して い る。 な お S E 8272掘 形・ 埋 上 の 瓦 器 は13世 紀 末 〜 14世 紀 で 、 S D 8275埋 上 の 瓦 器 は12〜 14世紀 の もの で あ る。 さ らに 中 国 産 (宋代 か

)青

磁 椀 の 破 片 が

SK

8284な ど の大 型 土 坑 群 と S D 8275の 埋 土 、 中 国 産 白磁 皿 の破 片 が S D 8275か ら出 上 した。

瓦 は S E 8279の 埋 土 か ら藤 原 宮 式 軒 平 瓦

6643Cが

出土 した ほか 、 数 片 の丸 瓦 と平 瓦 が あ る。

銅 銭 は宋 銭 で 、「 熙 寧 元 賓 」 (1068年 初 鋳

)が

S K 8284か ら

1点

、「 元 符 通 費 」(1098年初 鋳)

が他 の大 型 土 坑 か ら

1点

出土 した。

│イ

i

0      10Cm

Fig.22 土坑 S K8276出 土瓦器 と出土状況 (左下写真) Л

(20)

ま とめ

藤 原 宮 期 の 遺 構 は な ぜ 希 薄 か

 

藤 原 宮 西 方 官 衛 地 区 は東 方 官 衡 地 区 に比 べ て、遺 構 密度 が低 い。

と くに西 方 官 衛 地 区 の北 部 で は、 藤 原 宮 期 の遺 構 が ほ とん どみ つ か って お らず 、 本 調 査 で も然 りで あ る。 これ に つ い て は従 来 か ら後 世 の「 地 下 げ説 」 が指 摘 され て い た。 後 世 の地 下 げが相 当深 く、 藤 原 宮 期 の遺 構 が大 部 分 削 平 され た と い う可 能 性 で あ る。 確 か に平 安 時 代 末 期 の環 濠 に関 わ る遺 構 も、 す で に生 活 面 が失 わ れ て お り、 ま た S A 8270と S B 8273の 柱 穴 の深 さ は15〜

20cmと 、 平 面 形 の大 き さ に比 べ て浅 す ぎ る し、 さ らに い わ ゆ る耕 作 溝 も他 の調 査 地 の もの と比 べ て浅 す ぎ る。

S E 8279か ら出上 した藤 原 宮 式 軒 平 瓦 な ど は、 か つ て本 調 査 区 に藤 原 宮 期 の生 活 面 が ま が り な りに も存 在 した こ とを示 そ う。 しか し、 そ の数 量 た るや、 S E 8272と S D 8275と い う掘 形 の 深 い遺 構 か らの もの を含 め て も、 微 々 た る もの で あ る。 した が って 、 藤 原 宮 期 の この付 近 に建 物 が あ ま り建 て られ な い ま ま、 平 城 遷 都 を迎 え た とい う可能 性 も考 え られ よ う。今 後 、藤 原宮・

京 の地 形 的 環 境 を踏 ま え た、 当 時 の都 市 計 画 と実 際 の土 地 利 用 の現 状 につ い て の考 察 が必 要 で あ る。

平 安 時 代 末 期 (12世紀 中 頃

)に

つ くられ た も うひ とつ の環 濠

 S D 8275は

そ の構 造 と周 辺 の遺 構 か らみ て 、 一 重 の環 濠 の一 部 と推 定 され る。 つ ま りS B 8273・ 8274、 S E 8272は、 東 を

SD

8275に 囲 まれ た 内部 施 設 の可 能 性 が高 い。 つ ぎに そ の年 代 の問 題 で あ る。 環 濠 な どの施 設 は、

S K 8276出 土 の瓦 器 の年 代 か ら12世紀 中 頃 に設 置 され、 S E 8272と S D 8275出上 の 瓦 器 の 年 代 か ら14世紀 ま で存 続 した とみ られ る。 これ らの瓦 器 の年 代 が 本 調 査 区 の す ぐ南 で 発 見 され た 二 重 の環 濠 や 石 組 井 戸 出上 の瓦 器 の年 代 と共 通 す る こ とか らみ て 、 S D 8275と 南 の二重 の環 濠 は、

同 時 に存 在 した可 能 性 が高 い。 S D 8275と S K 8284な どか ら出土 の青・ 白磁 と宋 銭 は、 本 来 環 濠 の 内 部 施 設 で使 わ れ た もの だ ろ う。

室 町 時 代 土 坑 群 の性 格 は S K 8283・ 8284を 含 む東 西 の大 型 土 坑 群 の 年 代 は、 S D 8275の西 側 に そ れ ら と同様 の土 坑 群 が あ る こ とか ら、 環 濠 居 館 廃 絶 後 で あ る。 また土坑 の埋上 の遺物 に は、

江 戸 時 代 の染 め付 け な どが 含 ま れ て い な い こ とか ら、 所 属 時 期 は室 町 時 代 と推 定 す る。 これ ら の性 格 につ いて は、 集 落 墓 の可 能 性 を指 摘 して お きた い。 そ れ は土 坑 の形 状 が 直 方 体 を呈 し、

相 互 に埋 め戻 して か ら切 り合 い関 係 が あ り、 土 坑 群 が特 定 の範 囲 に分 布 して い る な ど の 点 が 、 い わ ゆ る中世 の粘 土 採 掘 土 坑 と異 な るか らで あ る。 類 似 した遺 構 は、 推 定 山 田道 第

5次

調 査

(『概 報 』24で は、 粘 土 採 掘 土 坑 と推 定

)な

どで もみ つ か って い る。 人 骨 、 棺 桶 、 さ らに副 葬 品 とい え る もの が 、 今 後 付 近 の類 似 した遺 構 か ら発 見 され るの を待 って、 土 坑 の性 格 に結 論 を下 した い。

―‑ 24 ‑―

(21)

東二坊大路・ 宮東面 。東方官行地区の調査

(第

75‑13次

)

(1994年 11月〜12月 )

本 調 査 は、 市 道 の拡 幅 に伴 う事 前 調 査 と して 橿 原 市 高 殿 町

391‑1、 392‑1、 402‑1、 374‑

1に

お い て 実 施 した。 調 査 地 は道 路 両 側 の 法 面 で あ り、 これ を 東 西

190mあ

ま り に わ た って 発 掘 した。 発 掘 面 積 は384ポ で あ る。

当該 地 は、 藤 原 宮 東 方 官 衛 お よ び宮 東 辺 外 周 部 の左 京 四条 三 坊 の東 北 坪 に あ た り、 これ に関 連 す る遺 構 が 期 待 で き る と ころで あ る。

 

検 出 した遺 構 に は藤 原 京 東 二 坊 大 路 の 東 西 両 側 溝 、 藤 原 宮 東 面 外 濠 、 東 面 大 垣 、 東 面 内 濠 、 先 行 条 坊 跡 な どが あ る。 以 下 、 主 要 な遺 構 に つ い て 述 べ る。

S D170は

、 藤 原 宮 東 面 外 濠 で あ る。 溝 幅 は検 出面 で5.7m、 濠 底 で

3m、

深 さ は1.3mを測 る。

濠 内 の堆 積 は暗 灰 色 土 、 灰 色 粘 土 、 灰 色 砂 土 、 暗 灰 色 粘 土 に分 か れ る。 灰 色 粘 土 層 は

0.5mあ

ま り と厚 く、 な か に は相 当数 の木 簡 を 含 む 多 量 の棒 状 木 片 、 木 屑 な どが 堆 積 して い た。 木 製 品 の他 に は、 ご く少 量 の上 器 片 と瓦 片 が 出土 した の み で あ る。 この灰 色 砂 土 、 灰 色 粘 土 か らは1

∬ あ た り2,000個 を超 す 寄 生 虫 卵 (回虫 卵 、 鞭 虫 卵 、 肝 吸 虫 な ど

)を

検 出 し た 。

 

こ の 寄 生 虫 卵 の 出現 密 度 か ら見 て、 外 濠 に は多 くの糞 便 が流 れ込 ん で い た可 能 性 が 強 い。 な お 、 この鑑 定 結 果 につ い て は、 後 述 す る。

S A 175は 、 藤 原 宮 の東 面 大 垣 で あ る。 S D 170の 心 か ら西

20mの

位 置 に あ る。 柱 掘 形 と抜 き 取 り穴 の一 部 を

2箇

検 出 した。 掘 形 の 規 模 は東 西 が 約

2m。

南 北 は不 詳 で あ る。

S D 2300は 、 藤 原 宮 の東 面 内 濠 で あ る。 S A 175の 西12.5mにあ る。 溝 幅 は検 出 面 で

3.2m〜

2.

6m。 溝 の東 の肩 は え ぐ られ大 き く広 が る。 検 出面 か らの深 さ は0,9mで あ る。 濠 内 か ら は偏 行 唐 草 文 軒 瓦 (6643C、 6646D、 6647A・

D)や

軒 丸 瓦 (6279B、 6278F)、 お よ び 木 簡

1点

と削

り屑

2点

な どが 出土 した。

S D 2281は 、 第 27次 調 査 で東 二 坊 大 路 西 側 溝 と され 、 第 32次 調 査 で は藤 原 京 廃 絶 以 後 の溝 と され た南 北 溝 で あ る。

a(東

)、

b(西 )の

堆 積 が あ り、

aか

bと

流 れ が 移 動 して い る。

 a

は幅1.2m、 深 さ0.4m、 東 の肩 に護 岸 用 の玉 石 が あ る。

bは

1〜 2m、

深 さ

0.3mで

あ る。 溝 底 に はa、

bと

もに砂 が堆 積 す る。 遺 物 と して は、 土 器 片 が少 量 出土 した。

S D 3031は S D 2281の 西

6mの

位 置 に あ る南 北 溝 で あ る。 第32次調 査 の 成 果 か ら、 東 二 坊 大 路 西 側 溝 と され た。 幅

3〜

3.2m、 深 さ

0.6mで

あ る。 溝 内 に は砂 が 堆 積 し、 土 器 が 少 量 出 土 し

た。 S D 3031の 位 置 は外 濠 S D 170の 東40.35mに あ る。

S D 3035は 、 S D 3031の 西 約

6mに

あ る南 北 溝 で あ る。 幅1.3〜1.6m、 深 さ

0.4mで

あ る。 溝 内 に は炭 化 物 を含 む 黒 褐 色 上 が堆 積 して い た。 第 32次 調 査 で は、 溝 内 に堆 積 した土 器 が 「 飛 鳥

(22)

Ⅲ」 を主 体 とす る ことか ら他 の遺構 よ り遡 る遺 構 とされ た。

S D 8310は 、S D 2281の 東 10.5mに あ る南 北 溝 で あ る。 幅1.5m、 深 さ0.3m。 溝 内 に は炭 化 物 を含 む灰色 砂 が堆 積 し、焼 け コゲ のあ る木 屑 や土器 (須恵 器・ 土 師器

)片

が 出上 した。 そ の位 置 と溝 の状 況 か らみ て、東 二 坊 大 路 東側溝 の可 能 性 が強 い。

S B8311は

、 左 京 四条 三 坊 西北 坪 で検 出 した掘 立 柱 の柱穴 で、 南北棟建物 の南北 いず れ か の 妻 にあ た る と思 わ れ るが、 東 西塀 の可能 性 もあ る。 柱 間寸 法 は

1.6mで

あ る。

S A 8312は 、 左 京 四条三 坊 西 北坪 で検 出 した東 西 方 向 の掘 立柱 の柱 穴 で あ る。柱 間寸 法 は不 等 で あ り、 塀 と想 定 したが、 建 物 の可 能性 もあ る。

S A8313は

、 藤 原 宮 内濠 の西 側 で検 出 した

3間

分 の東 西塀 で あ る。 柱 間寸法 は

2.lm等

間 で あ る。第29次調 査 で は、 これ に並行 して

5間

の東 西塀S A 2810を 検 出 して お り、 あ る い は一 体 と な って建 物 とな る可 能性 が あ る。 その場合 は桁 行

5間

、 梁 行

2間

の東西棟 とな るが、 な お詳 し い検討 が必 要 で あ る。

S D 2844は 、 宮 内 にあ る先 行 条 坊 の東 二 坊 坊 間路S F 2115の 西 側 溝 で あ る。 溝 の幅 は0。98m、

深 さ は

0,14mで

あ る。上面 が削平 を うけて浅 く、遺 物 は出土 しなか った。

S D 2845は 、 東 二 坊 坊 間路S F 2115の東 側 溝 で あ り、 溝 幅0,97m、 深 さ0.35mで あ る。 S D 284

4と 同様 に、 顕 著 な遺 物 はなか った。

以 上 の東 西両 側 溝 の検 出 によ り、S F 2115の 路 面 幅 は約6.5mと 確 定 した。

 

遺 物 に は土 器 、 瓦 嬉 お よび木製 品 が あ る。 土 器 は藤 原 宮 期 の須 恵 器、土 師器 と下層 の弥 生 式 土 器 お よび土 師器 な どが あ るが、量 的 に は少 な い。

瓦埓 は内濠S D 2300に 集 中 して お り、軒 瓦 はす べ て こ こか ら見 つ か った。軒 丸 瓦 には6279B、

6278Fの 2型

2点

が あ り、軒平瓦 には6643C、 6646D、 6647A、

6647Bの 3型

2種

7点

が あ る。小面 積 の調査 に関 わ らず、完形 品 の出土 が 日立 った。

木 製 品 に は大 量 の棒 状 品 と木簡 、 曲物 な どが あ る。 棒 状 品 は長 さ17。 18cmか ら22・ 23cm、 幅

0.5〜0.6cmほ どの もの が 目立 つ。 このなか に は、 や や細 い「箸」 状 品 も含 まれ て い る。 棒 状 品 が堆積 した土 層 か らは

1爾

あ た り2,000個を超 す寄生虫 卵 (回虫 卵 、 鞭 虫 卵 、 肝 吸 虫 な ど

)を

検 出 して お り、 そ の 出現 密度 か ら見 て、 外 濠 に は多 くの糞便 が流 れ込 ん で い た可 能 性 が 強 く、

これ らの棒 状 品 は糞 便 に と もな う欝木 で あ ろ う。 これ は糞 へ らと もいい、 いわ ば トイ レの「 落 と し紙」 で あ る。

木 簡 は外 濠S D 170と 内濠S D 2300か ら見 つ か った。 この うち大 多 数 は外 濠 か ら見 つ か って い るが、現在 整 理 中で あ り、 ここで は主要 な釈 文 を掲 げ るの に とどめ る。

縣 主 里

[]直

若 万 呂

      031  115×

21× 6

付 札 で あ る。 内濠 出土。

―‑ 26 ‑―

(23)
(24)

御 取 飽 □ 石 039   (197) 

(29X 5

・ 頓 首 天 下 達 ¨ … 。宇 下 急

・ 急 可 罷 処 在 故 日中之 ¨ 中□ 被 賜 菓

011   (125‑■

65) X27X 4

この

2点

は外 濠 S D 170の 木 簡 で あ る。 前 者 は付 札 で あ る。

外 濠 の木 簡 は半 分 ほ ど に割 り裂 い た も の が 多 く、 木 簡 と して の機 能 を終 え た後 に半 分 に 割 って 壽 木 と した の で あ ろ う。

木 製 品 と して は ほか に、 曲 物 の底 板 な ど が 数 点 出土 した程 度 で あ る。 この よ うに、 大 量 の木 製 品 は棒 状 品 が主 で あ り、 相 当 数 伴 う寄 生 虫 卵 の あ りか た と考 え あ わ せ る と、 外 濠 に は糞 便 と トイ レ用 品 を一 括 して投 棄 した 可 能 性 が 高 い。

ま と め

本 調 査 の成 果 の ひ とつ は、 東 二 坊 大 路 東 西 両 側 溝 の検 出 で あ る。 東 二 坊 大 路 の東 側 溝 に南 北 溝 S D 8310を あ て る こ と は、 溝 の位 置 と水 が流 れ た痕 跡 を示 す 溝 内 の砂 の堆 積 、 お よ び 松 明 の 一 部 とみ られ る焼 け コゲ の あ る木 屑 の 出 土 な ど に よ って 、 ほぼ 明 らか で あ ろ う。 問 題 は、 対 と

な る西 側 溝 の比 定 で あ る。

東 二 坊 大 路 西 側 溝 につ い て は、 第 27次 調 査 の発 掘 段 階 で 南 北 溝 S D 2281がそ れ に あ た る とみ た。 しか し、 そ の後 の第 32次 調 査 で は、 この溝 に平 安 初 期 の土 器 が 含 ま れ る こ とが 明 らか に な

り、 この溝 を西 側 溝 に あ て る こ と に疑 間 が生 じた。

S D 2281の 西

6mと 12mの

位 置 に は、 これ に平 行 す る

2条

の南 北 溝 が あ る。 西

6mに

あ る の がS D 3031、 同

12mに

あ るの が S D 3035で あ る。 この うち、S D 3031は 溝 内 に堆 積 した 遺 物 の 年 代 か ら側 溝 と して矛 盾 が な い の に対 し、 S D 3035は 溝 の土 器 が「 飛 鳥 Ⅲ」 で あ る こ とか ら、

前 者 を西 側 溝 、 後 者 を宮 造 営 前 に あ て た の で あ る。

しか し、 S D 3035に 関 して はそ の後 の検 討 に よ って「 飛 鳥 Ⅳ 」 的 な土 器 を 含 む ことが判 明 し、

S D 3031と 一 連 の溝 で あ る可 能 性 が で て きた。 した が って 、 東 二 坊 大 路 西 側 溝 と して は、

SD

3031と と もに S D 3035も 候 補 とな り う る。

い ま、 S D 2281と それ に平 行 す る

3条

の溝 (心心 距 離

)と

の 間 隔 を示 す と、

a)S D 8310〜 S D 2281=10.5m b)S D 8310〜 S D 3031=16.6m

iS'Ⅲ

Fig 24 S D 2300出 土軒瓦

(1:4)

‑29‑

(25)

Fig 25 宮東面遺構概略図 (1:2000)

C)S D 8310〜 S D 3035=22.6m

と な る。 この うち、

C)の 226mは

平 城 京 で

の大 路 推 定 値 の

7丈 (21m)に

近 いが 、従 来 、 他 で 検 出 した藤 原 京 大 路 の路 面 幅 と や や 開 き が あ る。 他 方 、

b)の

16.6mは こ れ ま で の 成 果 と あ ま り隔 た らな い の で 、 こ こ で は

SD

8310と S D 3031を 東 二 坊 大 路 の 東 西 両 側 溝 に あ て 、 S D 3035に 関 して は今 後 の 課 題 と して お きた い。

調 査 成 果 の二 は、 藤 原 宮 の東 西 規 模 に つ い て 、 新 た な知 見 を得 た こ とで あ る。 これ まで、

藤 原 宮 の東 西 大 垣 間 の距 離 につ い て は 、926.6

m程

度 に復 元 して い た。 しか し、 調 査 の 過 程 で 宮 の東 辺 部 を調 査 した第 27次・ 32次 調 査 の測 量 成 果 に誤 りが あ り、 そ の値 が か な り大 き い こ とが判 明 した た め に、 改 めて 、 計 算 を行 った。

75‑13次

調 査

東 面 大 垣 心

X=‑166,406.40 Y=‑16,957.650

66‑11次

調 査 西 面 大 垣 心

X=‑166,43432 Y=‑17,884.72

第34次調 査 西 南 隅 大 垣 心

X=‑167,025.664 Y=‑17,879。

397

第 34次 調 査 で 検 出 した宮 西 南 隅 の心 と第

66‑11次

調 査 で 検 出 した宮 西 面 大 垣 の心 か ら、 西 南 大 垣 の 振 れ を求 め る と、30'57"北 で 西 に振 れ を もつ。 藤 原 宮 の大 垣 が正 方 形 と仮 定 して 、 東 西 の振 れ を求 め、 今 回 調 査 の東 面 大 垣 心 と、 第

66‑11次

調 査 の 西 面 大 垣 心 の距 離 を座 標 上 で 求 め る と、

927m28cmと

な る。 これ は従 来 の値 よ り68cmほど大 き い数 字 で あ る。

藤 原 宮 外 濠 に お け る寄 生 虫 卵・ 植 物 遺 体 分 析

試 料

 

試 料 は外 濠 内採 取 の以 下 の記 載 の

4点

で あ る。

外 濠

 5A」 B R R26・ 27 

灰 砂 土

 A

灰 砂 土

 B 5A」 L R Q26・ 27 

灰 粘 土

 A

灰 粘 土

 B

寄 生 虫 卵 分 析

 

分 析 は、 試 料

1面

に フ ッ化 水 素 酸 処 理 を施 しプ レパ ラー トを 作 製 して 行 っ た 。

1爾

あ た りの 出現 数 は計 数 比 か ら算 定 した。 結 果 は表

(Tab.6)と

(Fig。

26)に

示 した。

寄 生 虫 卵 は回 虫 、 肝 吸 虫 、 横 川 吸 虫 、 日本 海 裂 頭 条 虫 、 有 。無 鈎 条 虫 、 マ ンソ ン裂 頭 条 虫 が

Fig 7  弥生時代後期土器の集中 (西 北か ら )
Fig 18  井戸屋形 S B 8273(北 か ら ) S E 8272は 下 端 に曲物 を三 段 重 ね で 置 き、 そ の上 の大 半 を人 頭 大 か ら一 抱 え もあ る石 を積 み上 げて 構 築 した、 深 さ2mの 井 戸 で あ る。掘 形 は石 組 部 分 が 東 西1.5m、南 北2mの長方 形 で、 曲 物 部 分 が 円形 で あ る。 曲 物 下 端 は 砂 層 に達 して お り、 現 在 で も こん こん と水 が 湧 き出 す 。 石 組 の埋 土 か らは瓦 器
Fig 25  宮東面遺構概略図 (1:2000) C)S D 8310〜 S D 3035=22.6mと な る。 この うち、C)の 226mは 平 城 京 での大 路 推 定 値 の7丈(21m)に 近 いが 、従 来 、他 で 検 出 した藤 原 京 大 路 の路 面 幅 と や や 開 きが あ る。 他 方 、b)の16.6mはこ れ ま で の 成果 と あ ま り隔 た らな い の で 、 こ こ で はSD8310とS D 3031を 東 二 坊 大 路 の 東 西 両 側 溝 にあ て

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