〈調査・研究〉子育てがカウンセラーの人格に与える影響--わたし自身の体験を通じて
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(2) 82. 近畿大学臨床心理センター紀要 第 6 巻 2013年. うようになったのは、自分の子供を育てる経験をしてからであった ・・・ 略 ・・・育児体験は mothering の体験を意識水準にもたらしてくれたと思われる」と述べている。これらはすべ て 20 年前の先達の言葉、実感であるが、今の意見と聞いてもなんら遜色がないだろう。 また、育児のみならず、妊娠、出産も含め、それらの経験が心理臨床活動にどのような影 響を及ぼしているかを、保育士との比較から検討した白坂(2007)の研究がある。その中では、 「子育て経験の心理臨床活動への影響については、子育て経験のある心理士たちでも、子育 て経験が心理臨床活動にポジティブに作用する側面を認めながらも、そのネガティブな側面 も意識しており、けっして手放しで有効なものだとは思っていない人が多い」と述べられて いる。ポジティブな作用としては「子どもがいることで人間としての経験の幅が広がった」 「母 親としての気持ちが共感的に理解できるようになった」「自分の思うとおりにいかないこと があることを実感させられ、臨床をやっていく上で有益な感覚だった」などあげられており、 一方ネガティブな内容としては「時間の制約を受けやすくなった」 「中立性を保ちにくくなっ た」「子どもの病気などで急に休んだり終わる時間が気になったりして罪悪感をもった」な どがあげられていた。 彼女たちの思いからは、子育ての経験は、確実にカウンセラーとしての力量をあげてくれ ていること、一方で、正負両面への影響があり、余波は大きいといえること、などが推測さ れる。これらをふまえると、子育ては、カウンセラーの人格のさまざまな範囲に渡って影響 を与えていると思われる。以下では、私自身の体験をふまえながら、具体的にどのような影 響があるのか考えてみたい。 Ⅲ.子育てがカウンセラーの人格に与える影響 1 .当事者という立場の獲得による視野の広がり まず、親になることで、子育てに関する情報や子どもの発達に関する知識が、子どものい なかったそれまでとは比べ物にならないくらい豊かに入ってくる。それまで子どもの発達支 援や心理療法をおこなっていた身であっても、専門職としてではなく、当事者の視点で子育 てに関するあらゆるものを目にすることになる。本屋では子育てに関する雑誌を手にとり、 子どもの事故のニュースに胸を痛め、国の子育て支援が気になる。これらは、カウンセラー のみならず親になった人の多くが経験することともいえるだろうが、専門職としてではなく 当事者の立場を得ることで、生活のごく身近なところで様々な親子に出会い、その数だけの 親子関係を目のあたりにすることになる。どのように子どもが育つのか、どのように親が育 つのか、子育てについて視点の変化や、視野が広がる体験をしないはずがない。 その中には、親になって親の気持ちを実感できるようになるということも含まれる。我が 子を思う親の気持ちの深さを実感することもあれば、親というもののどうしようもなさを実 感することもある。たとえば子どもというのは、こちらが忙しいときに限ってぐずったり.
(3) 杤原京子:子育てがカウンセラーの人格に与える影響. 83. するが、そんなときはやはり、なかなか冷静でいられない。わかっていてもいらいらする。 「早くしなさい」「急いで」みたいなことが、とりあえず口癖のように出る。待ってやらねば と思っても待てず、ここで怒ってはいけないと思っても、やはり怒ってしまう。思わず声や 態度が荒くなって、子どもにあたってしまう。そしてあとで落ち込む。親というのは、そう いうどうしようもない感情にさらされるものなのだということも、経験したことで実感を もってわかるようになったと思う。 あるいは、気がつけば親の側に立ってクライエントの話を聞いているという自分がおり、 愕然としたことをよく覚えている。自分が親になるまではすっと聞けていたクライエントの 話が、何かすっと聞けない、入ってこない。特に大学生ぐらいだと、モラトリアムまっただ 中にあり、高校までの受験地獄から解放されてやっと得た青春を謳歌している。彼らの自由 さというのは、親の自分が今背負っている義務や責任とはすごく遠いところにあるわけだ。 そうすると、カウンセラーなのに私は親の視点にたってしまって、「それはちょっと勝手で はないかな」と内心思いながら聞いていたりする。あるいは、そういう気持ちがあるばかり にどうしても共感できなくて面接がうまくすすまない、そういう経験が何回かあった。 だからといって、親の話は全て聞けるかというとまたそうでもない。私は、自分の子ども が就学するまで、私立幼稚園でお母さんの子育て相談にのる仕事をしていた。ちょうど同じ 年頃の子どもを育てていたわけだが、そこでもやはり必要以上に「わかるわかる」とお母さ んに共感したり、逆に「子どもがかわいそうだな」とそのお母さんのあり方を受け入れられ ず、子どもに気持ちがシフトしてしまったという経験もした。もちろん、実際に自分が母親 であるがゆえに、生活のより細かな具体的な部分まで想像できるようになり、いわゆる井戸 端会議的な話にのりやすくなった部分もある。一方で、自分も親になったばかりに出てくる 価値観。それゆえ生じる相手への疑問や憤り。そういう自分の心を、どう目の前のクライエ ントに沿わせていくか、どう相手を受け入れられるか。自分も親であるばかりに、そのあた りが前より困難になったと感じることが多々あった。 これらは、「経験にしばられる」(白坂,2007)という一見ネガティブな作用といえるだろ うが、大切なことは、しばられた経験をその後どう生かしていくかということだろう。 自分が親になったことで、親という当事者による視野を獲得する。松田(2012)は、 「支 援者の私的な経験が、公的な仕事に影響を与え、公的な場面で見聞き体験したことが、家庭 生活にも反映される。…略…支援者という立場から見えるものと当事者という立場から見え るものとの間を往復することになる。そういった往復運動の中で、専門性が深められている ものと思われる」と述べているが、「往復運動」をどのようにおこなっていくかが一つのポ イントだろう。主観と客観の往復ともいえるかもしれない。母親になるということに限らず、 私たちは一人ひとり、常に何かの当事者である。生きている人間という意味では、何ら変わ りはない。その自分を客観的に見る目ももちながら、自分の経験が偏見にならないように、.
(4) 84. 近畿大学臨床心理センター紀要 第 6 巻 2013年. 往復運動を続けていく必要があるだろう。 2 .自我の鍛錬 次に、子育ては何よりの自我の鍛錬ということをあげたい。三上(1993)のいう「それま でのいかなるトレーニングよりも育児に鍛えられた部分は大きかったし、厳しい自己分析に なった」である。 たとえば、子どもの苦手なものを食事に出す。子どもは食べない。そんなときどうするか。 無理やり食べさせるのか、どうせ食べないならとそもそも食卓に出すのをやめるのか、いろ いろ対応法はある。カウンセラーとして相談を受けた時は、そのお母さんの力や状況にもよ るが、基本としては「嫌なら食べなくていいよ」でもなく「絶対に食べなさい」でもない関 わりができるように…と願いながら、道を話し合うだろう。ところが、自分が実際に娘に やってみて、これが本当になかなかなかなか難しいということがわかる。先述の忙しいとき に限ってのぐずりと一緒である。わかっちゃいるけどできない。やるとみるでは大違い。言 うは易し、行うは難し。といろいろ言えるが、そういうことが子育てにはたくさんある。し つけというのは、殆どそれで占められているといってよい。 よく言われることだが、現代の女性は、これまである程度自分の思い通りに人生をすすん できた方が多い。しかし、子育てを通して「人って思い通りには動かないものなのだと分 かった」と話すお母さん方がいる。その時にどれだけ子どもを待てるか、子どものペースに 沿いながら、しかしするべきことができるように、してはいけないことはしないようになっ てもらうか、というのは、まさに自我の鍛錬以外の何物でもない。良い子をかわいがること は簡単で、怒りながらしつけることは易しい。子育ては、忍耐のオンパレードとよく言われ るが、思い通りにいかない子どもに対して、どれだけ楽しみながら待てるかが勝負である。 しかし、それまで築いた自我や本来の自我が弱ければ、そこで「思い通りに子どもを育て られない自分はダメだ」と抑うつに落ち込んだり、「思い通りに育たない子どもが悪い」と 虐待にも通じる子どもへの拒否感が起こる可能性がある。このように、子育てには、自我の 強さを問われる側面があるように思われ、特に現代の子育ては母親一人に負担がかかりすぎ ているため、強靭な自我や柔軟性がある方には逆によい鍛錬になるプロセスも、自我が脆弱 であったり、未成熟な方の場合には、子育てが自我の崩壊につながるような体験になってし まうのかもしれない。母性の有無で片づけられがちな問題であるが、実際は自我の強さによ る面も大きいように思われ、今後も考えていく必要があるだろう。 3 .理想的な子育てというのは、求めるができないくらいがちょうどよい それから、もう一つ大切な気づきがあった。私の娘は、上記のような食の好き嫌いこそな かったが、夜尿、チック、円形脱毛と心身症状のオンパレードで、新米母の私は、内心落ち.
(5) 杤原京子:子育てがカウンセラーの人格に与える影響. 85. 込み、戸惑い、泣きながら、試行錯誤育ててきた。そんな時、関わりの軸になるものは、私 がこれまでカウンセラーとしてお母さん達に話してきたことであった。とにかく笑顔でスキ ンシップをこれまで以上に心がける、などなど。それでうまくいくときもあれば、そうでな いときもあり、何故なんだろうともっと頑張ってみることもあれば、時にこれで良いのかと 不安になりながら手をとめてみたり、日々、自問自答であった。その過程で、あるときふと、 そうか、と思ったのである。 それは、今まで自分がカウンセラーとして相談に来られたお母さんたちに伝えてきたこ と、その方法は、基本的には間違っていなかったということだ。たとえばしつけのコツや兄 弟げんかの対応、もちろん母親の笑顔やスキンシップの大切さ。それらについて、原理を伝 え、具体的な方法を伝え、そのお母さんがどうしたらできるかを一緒に考える。原理と方法、 両方を理解できたら、お母さん方は自分で応用していけるようになる、というのがそれまで の私の実感で、我が子を育てる中で、そこで伝えてきた原理は本当のことだったと確認する ことができた。 しかし同時に、全く違っていたこと、分かっていなかったことも知ったのである。それは、 原理原則というのは、皆実は一面的で、正反対の原理原則もあるということだ。だからでき すぎると偏ってしまう。つまり、頑張るけどできないというのが、実は一番いい子育てなの ではないか。現実のよくない対応というのも、とても大切な必要なことなのではないか。た だし、よくないほうに偏りすぎると、やはりよくない。よい対応をと思いながら頑張ると、 ちょうどプラスとマイナスの真ん中にくるぐらいになり、それが結局「理想的な子育て」と いえるのではないか。 例えば、子どもを叱ってはいけない、認めて褒めてあげることが大切とよく言われる。実 際に、私も講演などではそのように話す。しかし、理想的な良い方法を親ができすぎると、 子どもは成長しなくなってしまう。そしてちょうどよいことに、理想的にやれる人というの は、実際にはまず殆どいないのだ。そのことがあまり知られていない。できて当たり前、で きない自分がおかしいと思ってしまうお母さんが多いことは、これから考えていかなければ ならない問題である。どれだけ褒めることが大切と分かっていても、現実には気になってつい 叱ってしまったり、あるいは叱ってばかりになってしまう。これが現実である。そしてこれ は、よくない対応といえるだろう。しかしこのよくない対応があることで、子どもはその理 不尽さをつらく思いながら、頑張って自分を鍛えていく。少しずつ、自立の道を歩んでいく。 一方で、もし親が、理想的な対応を知らずに自分の心のままに子育てをしていると、現実 には悪い対応、つまり叱ってばかりの対応になってしまうだろうということも、自身の子育て から実感として学んだ。無論、それではよくない。だから、良い対応をと思いながら一生懸 命頑張る。でもなかなかできないくらいでちょうどバランスが取れるといえるのではないか。 そしてそれはまさに、ウィニコットが言う「ほどよい母親(good enough mother) 」であ.
(6) 86. 近畿大学臨床心理センター紀要 第 6 巻 2013年. ろう。つまり、完璧な母親でもなく、立派な母親でもなく、子どもに対してほどほどに良い 母親である。振り返ってみれば、それまで私がお母さん方に話していた原理や原則、そして それを伝えるときのカウンセラーの思いとして、そこに完璧な母親を求める心があったよう に思う。これができることが、子どもが育つうえで大切、必要だからできるようになってほ しい、というような。しかしそれは母親のなんたるかを知らなった頃の私のおごりであろう。 努力して頑張るけどうまくいかない、あるいは子どものほうがいつも先をいく、そういう体 験こそが、子どもを育て、母親を育てるのだろう。音楽も不協和音がないと美しさは出てこ ず、絵画も汚い色を使わないときれいな絵にはならないように。 Ⅳ.おわりに 以上、子育てがカウンセラーに与える影響を、私自身の体験をもとにみてきた。子どもを 育て、そして子どもが育つのを助け、その過程で自分も育てられ、育っている今がある。一 個人のケースに過ぎないが、ひとつの題材になれば幸いである。 結局、子育て、もっと広く言えば子どもと関わることというのは、自分をもう一度生き直 すことに近いといえるかもしれない。自分を生き直す、それもよりよく、より深く生き直す。 今まで生きてこなかった側面を生きる。そのように考えると、子育てが親に与える影響は、 カウンセリングが人格変容に与える影響に通じるものがあると思われる。本来、そういった 体験は、カウンセリング関係の中や、あるいはよほど特別で親密な人との関係の中でしか起 こりえないことではないかと思うのだが、子育てにおいては生じやすいといえるのかもしれ ない。そのめったとない貴重な体験をどのように生かしていくか、それが最も大切であるこ とは間違いない。 引用・参考文献 馬場禮子(1995):心理療法家アイデンティティの形成と変遷 精神分析研究,40(3),180-187. 松田美枝(2013):地域での発達支援における専門性(その 1 )~時代や環境の変化の中で支援者とし て成長する過程~ 京都文教大学心理社会的支援研究,第 3 集,25-41 三上直子(1993):育児の体験から学んだこと 心理臨床 6(4),219-224. 白坂香弥(2007):女性臨床心理士の妊娠・育児経験と心理臨床活動 明治大学心理社会学研究,第 2 号,43-56 田畑洋子(1993):女性であること・セラピストになること−その内的プロセス− 心理臨床 6(4), 245-250. 杤原京子(2012):乳幼児を育てる中で母親が体験する自身の乳幼児期の「ポジティブな追体験」に関 する一考察 近畿大学臨床心理センター紀要,第 5 巻,11-22.
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