駿 震 時 報 第 四 巻 第 二 競 曇b 置岡
支
駒
ク
岳
爆
護
噴
火
調
査
報
告
内 ~ 脅・ 序 一、駒ヶ岳の概要 二、駒ヶ岳噴火略史 三、今同爆後前の噴火口 四、爆後噴火常日の天候 五、噴火と気盛 犬、爆資噴火の前兆 七、噴火の時刻 八、爆遊噴火の盛衰 九、噴火営日の地震詔象と雑象観測 十 、 { l i 地震記象 1 1 雑象ー!雲形特使化函館測候所長
J
根
十一、噴煙の高度 十二、山頂の観察と爆投の順序 十三、降・友石分布と深度 十四、降石俸播時間 十五、石塊流の溢出 十ムハ.石塊流の温皮 十七、噴出物の扶況 十八、山側及び山頂の亀裂 十九、新生成火口 二十、噴出瓦祈と昇華物 二十一、山側、山頂外貌の鐸化本
度
コ
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コ 一 一 口 七Fヒ 二十一一、海潰汀線の鑓化 二十三、温泉湧出量及び温度の襲化 二 十 四 、 泥 流 十 駒 附 五 : ケ 、 岳 被 噴 害 Jた の と 依 渡 加 島 西 笥3 の 地 信 自 d民 昭和四年六月十七日突如として駒ヶ岳爆後噴火し降友石陸上を埋 h u る乙と約百八十方粁人家の焼失七 十六戸、会演二百八十九戸、府一'焼,宇治、争・埋浪千五百五十戸、人の死一、牛馬の死百三十六、田畑山 林の荒康三高七千町歩、其他道路、橋梁工作物の埋設破損、海産物等甚大の被害にて総損害債格約金八 百三十寓国の
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額に上b
特に茅部郡鹿部村の如3
は降石の堆積卒均百六十糎の深度に注し金村殆ど荒慶 に跨せしが如3
惨肢を惹起した。 嘗日午前庇部村役場よh
噴火の情報に接して直ちに十二時三十分画館騨後汽車に搭乗火山麓西北部を 往復して、噴火の賃況を規察し次で二十日よ b 二十二日に渉b
山麓を一巡し爾後数次の登山によって山 上を視察,或は各地に所長を減退して降友石、被害の紋泌を調査したが,今之等を綜入管編成して第二同 報告とす。5
旬 ケ 岳 の 概 要 駒ヶ岳は北緯四十二度四分、東経百四十度四十二分渡島閤茅部郡の殆ど中央に在℃其南面は亀田郡に 援する海岸に孤立せる銑頭の富士式火山であって、その裾野は標式的に殺注し茅部郡宿野透、尾白内. 掛澗、砂原、鹿部の各村及び亀田郡七飯村に跨b
其周国約四十四粁に注してゐる。市践は安山岩質火山灰,砂機.火山岩屑及び熔岩よ
b
構成せらる、が就中砂磯山荘屑ど主とし熔岩は比 較的些少である。而して其岩屑礁は殆ど浮石質である乙とは本火山特色の一なるものであらう。 山麓裾野は概ね海抜三百米以下で傾斜緩く・三!四度の火山砂磯であるが濯木林能く繁茂し近年農耕 地として若く開拓せられ、亦カラマツ‘アカジヤ等盛に植林せられて来た,次で中腹六百米附近間は束、 南側は十l
十五度の傾郊に過ぎないが,西及び北側は約三十度の勾配となって白楊,白樺帯である末、 南は概して疎林であるが、西及び北側は比較的密林である。六百米以上山頂附近は殆と火山砂磯に覆は れ諸蕗に熔岩の露・頭を見る傾斜西側は約四十五度、北側は五十皮の念殺となって登磐頗る困難である。 此方面山頂附近には寒地性植物群落生育があった。 火山の周側には数伎の放射谷があっ℃山腹の問は深く彫刻せられて居るが、山麓に及で漸次埋積し共 内 二i
三は海岸に建せるものもあるが概ね裾野の海抜二百米附近に℃その跡を淡し℃ゐる。 駒ヶ岳火山の生成は加藤浬皐博士の調査報文によれば一浮石質(火山砂.磯市山石屑)の基礎的砕片物 ¥ , J 、 E J ¥ E ノ 噴出、二基底熔岩,三浮石質砂磯屠と熔岩流、四浮石質砂磯と集塊熔岩の堆積にて後育し標式的闘錐鰻 f ‘ ‘ 、 f ¥ r s ¥ を形遣ったが,次で破壊時代に入b
先づ共闘錐火山の頂上を破b
て縮問形火口を作b
,第二は火山の来 側に開ける爆裂火口印ち馬蹄形火口の生成であって乙の爆裂にょっ℃山躍の末、南側は全く英外貌を特使 , 化 せ し U るに至った。卸ち大規模の泥流は来及び南方に流れ其東方に走 b たるものは松屋岬の懸崖を作 七七 四 - 9 南方に流れたるもの、一部は馬ノ背を溢出し一部は隅田盛の束に績く火口壁を越へ隅田盛の外側にて 合会筒ほ南流し赤禿山、黒峯の突起を作
b
折戸川に注戸、幾多の小渓谷を埋め、且つ折戸川を挟み乙れを 閉塞して大沼小沼草菜沼の堰止湖を作った。而して大沼湖畔及び折戸川流域に散在する数多の小丘却も一 流し山を形遣った叉北に向以たるものは砂原岳左肩下に堆積し砂原因山を成した、更に再び縮図形火口 の一部に爆楼起 λ リ傍多の集塊熔岩東方に読出し東側川斜面に堆積してク Y ミ坂を作った、三度備固形火口 の一部爆殺し泥流はク Y ミ 坂 を 、 一 ﹂b
出来澗附近一帯の海岸にまで注した.更に火山の北白側小規模のお 蹄形なる押出深爆裂火口の生成があった。乙の爆裂によっても北西山麓に泥流溢出があった。 斯の如くして山容念々複雑となったのであるが要するに奮往の駒ヶ岳爆裂は頂上縮閤形火口、東方に 開ける馬蹄形爆裂火口北西山腹に開ける押出津爆裂火口等を生成し山懐今日の形態となったのである。 而して頂上楠固形火口原内には幾多の噴火口があって多少の縫濯があったがるの一部分よb
は常に噴気 を上げて居た,今岡爆後噴火前に於ける楠固形火口の概泌を左に略記する。 頂上備固形火口は南北の長径約千二一臼米、東西の一通径八百米で火口原は海抜約八百五十米であった 其火口の南西壁は熔岩の墨積で上端尖稜の山舎を成して居る火山の最高姑で海抜千百四十米印ち狭義の駒 ケ森公卿ガ峯・とも云ふ)である北壁は岩居、礎、熔岩の交互堆積で縞朕構造を一不してゐる。その長 S 約 千米火山の第二高知で海抜千百十五米の砂原岳である駒ケ款と砂原岳を撃ぐ北西壁は駒ノ背で海抜九百G 六十米である。而して駒ケ山獄尖峰よ b 南東方約千二百米を距℃固錐形肢の隆起部がある馬蹄形火口の南 壁でその内壁は念傾斜をなし海抜八百八十米乙れを隅田盛と稀へ、駒ケ獄冒と隅田盛を結ぶ楕固形火口の 南壁にて鞍朕部は馬ノ北円であって海抜八百六十米である、東壁は馬蹄形火口の内部で地質構造上連績的 のものではないが南北の長
3
約九百米に一旦る小丘で海抜高度北部は八百六十米中央部は八百二十米内外 で海鼠山 TY ﹂ 名 け ら れ て 居 た 。 乙れ等の駒ノ背、馬ノ背、海鼠山は外観火山・一次砂磯の堆積で馬ノ背.海鼠 山は局不の北円梁を成してゐた。駒ケ山獄、砂原岳の内壁は懸山庄の絶壁で駒ノ背の内壁もまた念崖吃ある。 。 佐原岳の右肩代績く北西側の中腹に国錐肢の突起がある。之れは掛澗園山で海抜五百三十八米浮石質 県 民 川 よb
成b
寄 生 火 山 と -一 一 口 は れ て 居 る 。 駒 ヶ 岳 噴 火 略 史 駒ヶ岳に於ける鮪国火口、馬蹄形火口,押出樫火口は有史前の生成であるが‘歴史以後に於℃も屡々 噴火の活動があった。左に噴火の年代美概況を列銭する。 寛永十七年六月十三日(西暦一六四O
年) 大噴火 噴火の初期に津浪を起し七百儀人の死者がめった、十八日に至る三日聞は噴煙最も虚にて松前郡方面まで噴煙捌卑き山の西方 豆、穴里問ぱ・茨砂一一、三寸より一一、=一尺の堆積にで噴煙は倫ほ艦績 L A 月二十二日に至って終熔 L た 。 天明四年一月十九日︿西暦一七八四年) 小噴火 セ 五ー ヒ .畠4・ " 、 安政三年八月二十六日︿西一暦一八五五年) 大噴火 / 未明より山膿屡々鳴動し迭に正午の頃噴火し束、南の山麓に焼熱の友砂移しく降下し川を堰き谷を埋め習の湯附近にては積るこ と深き虎三丈に及んだ、住民浴客椅下に逃避し僅に身を以ワて免れたが倫ほ死者二十二名を出した。 明治二十一年月日不祥(西暦一八八八年) 明治三十八年八月十九日(西暦一九
O
五年) 小噴火 小噴火 ( 精 強 ) 八月十七日より山睦小鳴動を始め十九日朝に至って迭に噴火爆設し黒煙一一、三百米の高さに達した其後次第に噴火の勢力を加へ 二十一日よ P 二十三日は最も庇盛で噴畑の高さは千米に騰ワた、降友は東麓の本別より北麓砂原村を経て森町及び西麓宿野連村 に互り面積約十方旦に設し押出津方面には可なり堆積した、二十二日大雨にて問水し泥水稲生川に溢れその流域約一旦巾二十問 乃至七十問に渉り農作物に多少の被害があった、次て二十五日、三十一日夜此に九月一日にも税強き噴畑があって降友は時々檎 績して年末に及んだ。 。 e 小噴火 十穴日午後三時五十四分より一分二十二秒間南北動比較的大なる微震動の地震を函館測候所にて観測し、また同日午後五時牛頃 西麓宿野蓮村にて遠雷の如き鳴動を聞き迭に十穴日噴火となった、次て二十四日午前一時頃大沼躍にで雷鳴の如き音響を聞き鹿 部村にでもまた同時刻頃大鳴動を聞き降友あり城部津方面山林に降友柏著しく尚ほ七月二日午前三時、同十九日午後五時頃嶋一勃 主共に噴煙し同二十六日午前十時にも可なりの噴煙があった。 大正八年六月十七日 (西暦一九一九年) 大 正 十 二 年 二 月 二 十 七 日 ( 西 暦 一 九 二 三 年 ﹀ 噴 煙 午前七時頃突然に噴煙し砂原村にて鳴動を開き山麓北西方に少量の降友がめった。 大正十二年三月十五日 噴 煙 遠雷の如き鳴響午後二時十分頃起り同時に黒畑を上げた。•
大正十三年七月三十一日(西暦一九二四年) 小噴火 同日八時頃より屡々鳴動し同時三十分頃小爆音と共に黒煙を吐き一円刊さ七、八百尺に達した C 今回爆禁前の噴火口 駒ヶ岳頂上楠固形火口原は多少凸凹を呈し稽複雑で三、四の噴火口及び之に伶ム裂線があって数箇庭 よ b 噴気があった。大正八年今村明恒博士の踏査報告によって営時火口の概要を見るに、火口原の略中 央に安政三年の噴火があ
b
東西の径三百十五米南北の径二百七十米で深3
約六十米火口内には北側に偏 して基底熔岩の小国丘があって其周閏よb
微かに噴気を上げて居た。安政火口の南に明治三十八年の火 口があって東北東よら西南西の方向で巾約二十米長3
約二百米の爆裂線で乙の火口内に二個の噴気孔が あった。而して此火口の南方に肢に水を湛へた縮図形の小火口と更に其南方に東西に就列して五、六個 の噴気孔があった.更に安政火口に東楼して大正八年の噴火口があb
今村博士の所謂無名丘火口で不断 微弱の噴気を上げて居た。之の噴火に際し生成した裂線は無名丘よb
出でて南東に走b
長3
約二百八十 米、巾二十l
三十米で其末端は海鼠山の南部に達し℃ゐた。之の裂線にも六、七個の噴気孔があった ι 其他海鼠山の南部よb
起b
此裂線の南端佐南西に走る副裂線があって長3
約百十米、之れにも七八個の 噴気孔があって慮々に噴気を上げ℃ゐた。而して大正九年には以上主裂線の南西方に命無名丘火口よb
宇一裂線に並行せる長二百五十米幅二十米の第二裂線の生成があった乙とを報告せられてゐる。 七七其後品目田所の秋場技手が大正十三年八月、同十三年八月及び昭和三年六月十四日民登山視察したが其賞 七八 況の報告によると大正十二年にては無名丘火口の南西隅よ
b
南北の方向に長さ約二百米巾約十米の小裂 線の如く六個の噴気孔列をなして勅綴し各孔よb
噴煙があった 0 1 命ほ明治三十八年火口の南方にある奮 小火口跡の北東透よb
其偉北京に向って無名丘火口の南部透に渉b
縦列に数箇の噴気孔があった。其南 西端の二個は勢カ最も強く噴気の温度は夫々九十二度、九十四度を示した,翌十三年の所見は安政火口 0・
・.. . 九 a・.!...-..LII I・, ,-
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、~ ~符さ >>.Aし..' にては北東隅よち微弱の噴気があって、 明治 三十八年火口はる一く噴気休止して居った,又 大正八年火口にては無名丘の中央 J部よb
精強3
噴気があったが主、副裂線は幾分埋まb
副 裂線中七個所は微弱なる噴気を上げ前年に比 じ庭々全く休止せると乙ろもあった。総じ℃ 巳往の火口並に各噴気孔は勢力逐年表へて居 た只大正十二年新に生じた併列の噴気孔に於 ける最北端孔は比較的勢力強く多少地響を伴 なって居た。而して乙れを中心とし℃約二十米関には径十一一、三粧の石塊や・一次砂が散布してあった。大正十三年七月三十一日の噴煙は恐らく乙、に 起ったものであらう。而して侮ほ乙の併列噴気孔の西傍に新生の噴気孔五、六個があって夫々多少の噴気 を件なって居た。昭和三年六月の賞況に℃は安政火口には依然として北東隅よ
b
微なる噴気を上げ、明治 三十八年火口は著しく理渡して其南方にあっ '-i.>魚,‘司入事宅~ -t"与 h ・ た奮火口跡と堰にて連緩し其小火口跡の北東 透に黙在せる数個の噴気孔は只南西端の二個/
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U E見守提唱 1言、 .. .fl. ;';~ のみ噴気してゐた。大正八年火口の無名丘に ては中央よら弱3
噴気あ ι リ周透は著しく埋設 " . • • I守・. 京ho して口底に容易に降る乙とを得、その一分部、 にで少量の雨水を湛へてあったまた無名丘よ ら出席慌して南東に走る主裂線及び海鼠山南部 OL よh
起る副裂線中の噴気孔は執れも孔の撲大 と共に口底も埋設し相互僅の障壁にて連緩し 殆と単一の裂線を形遣ったやうな朕況であった副裂線の南方に並列せる葎噴気孔は殆と埋設して僅に其 残存の跡を辿るのみであった。砂田時噴気は無名丘火口を起黙とせる第二主裂線の西隣に序列の噴気孔の 七 九l¥ O 内北端の一個及び其西側の大正十三年生成の噴気孔線に三個、明治三十八年火口の南方奮小火口北東線 の西端氏二個、及び大正八年火口の副裂線内東端と中央とにこ個、並に其南方の奮噴気孔の最両端に一個
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等で之等の内勢力の最も強か A Y しは第二主 規Jヰ 伝 , 向 担 典 、3千 三 井 , a\1~ . . , . , 裂線の隣接のもので其溢皮は八十度であっ た。其他検温は副裂線の中央で四十八度、 奮噴気孔の最端のものは六十五度であっ1
2
容
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た。要するに昭和三年六月視察の賞況では 。宇I• • • ~・ II l 'ヤ1.1I I I 2・・・・ 各火口、噴気孔も勢力表へ且つ各裂線も著 しく埋設し頓に勢力減退し鎮静の姿であっ t~ 0 爆設噴火嘗日の天候 六月十二日以来は殆と高気感に覆はれ営 地 の 気 底 は 七 百 ム ハ ナ 一l
二粍で好晴の天候を持績しっ、あった。十四日満洲北部に低気回腔現はれて来に 進み、営地は其影響で気懸微降に傾 - a d 十五日低気歴は浦崎町の北部に接一返し愈々嘗地の気回陛降下し次第に 曇 天 ' r . な っ て 夕 刻 微 雨 あb
夜字削叫に気回股は七百五十一粍となった。二十三時十五分よb
再び微雨降ら十六日に引諸問く気底は命ほ下降を縫緩す。此日高気歴はオホーツク海と小笠原島南東洋上に七百六十粍を 一不し低気回腔は積丹宇島附廷に七百四十六粍北東に進み八丈島の南東にも七百五十粍を一不し東北東に進な ものがあった。営地は朝来偏南風で風力軟和に過ぎず夜来の降雨は十一時十分に萎れた。此問降水量は 十九粍六で最大は四時七粍三を測った。気麿は命ほ倣降し十五時七百四十八粍七に降 b 其後微 H 升 に 傾 い た風向は十二時よ
b
順轄し南西に次で西偏となら風力は少しく加はったが依然和風以下で最大は二十二 時五米八であった,天候は暴雨後曇天であったが十六時よb
時二十時よb
快晴となって二十四時よb
再 ぴ曇天となった。気回腔は二十二時よ b 二十四時の間七百五十一粍を示し℃十七日一時よ ι リ再び下降に傾 いた。而して十七日午前は風力弱く風向不定で五時よ b 十一時まで微霧此間十時五十分よ b 十一時十分 まで微雨があった。十三時よb
南偏風で晴天となb
気歴は十三、十四時に最低にで七百四十七粍七を一不 した十五時よ b 土井に傾注十六時風向北西とな b 風力稲々加は b 十九時西北西風にで八米四の最大を測 った。十七時よ b 再び曇天に特使じたが風力は逐時弱はま b 夜に入った,噴火蛍目前後に於ける蛍所観測 気象概況を左に表示する。 昭 和 四 年 六 月 日 什 畑 一 日 気 象 一 概 混 十 日 四 日 時 時 気 回 世 ( 海 面 更 正 粍 ﹀ 七六一、五 気 温 ハ 揖 氏 ﹀ 七 、 三 風 向 東 風 速 ︿ 毎 秒 米 ﹀ ] 、 五 降 水 量 ハ 粍 ﹀ 天 気 曇 記 事 徴霧、露 i¥.十 十 十 十 十 主 同 三 二 一 十 九 八 七 穴 五 四 三 二 時 時 時 時 ー 時 時 時 時 時 時 時 時 時 時 十穴時 十七時 十八時 十九時 二十時 二十一時 二十二時 二十三時 二十四時 七 六 一 、 五 七 六 一 、 四 七 六 一 、 五 士 六 一 、 宍 七 六 一 、 五 七 六 一 、 四 七 大 一 、 四 七 六 一 、 一 七 穴 一 、 0 七 穴 O 、 七 七穴 O 、 穴 七 穴 O
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O 、 二 一 一 、 四 一 三 、o
一 コ 一 、 八 一 問 、 四 一 一 一 一 、 穴 一 一 、 八 一 三 . 、 O 一 一 一 一 、 四 一 一 一 一 、 一 一 一 一 一 一 一 、 一 一 , 一 一 一 一 、o
一 二 、 四 一 一 、 八 一 一 、 一一
( U 、 穴一
O 、 四 東北東 東北東 東北東 東北東 東北東 東北東 東 北 東 東北東 東北東 南 東 南 東 南 東 南 東 南 東 南 東 南 東 南 東 南 東 南 東 静 穏 南南東 南南東 静 穏 一 、 七 一 、 一 一 、 六 一 、o
一 、 主o
、 六 一 、 五 一 、 九 一 、 八 一 、 八 一 一 、 一 一 叶斗、円ヰ h v t n u l r 一 一 一 、 一 一 一 三 、 、 七 ↓ 一 、 一 一 一 、 九o
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o
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一 二 、 四 一 三 、 四 一 四 、o
一 回 、 五 一 尻 、 五 一 五 、 二 一 五 、 三 一 ・ 一 ハ 、 一 一 四 、 コ 一 一 四 、 0 一 四 、 七 一 一 ニ 、 大 一 問 、 二 一 四 、 一 一 四 二 ハ 一 一 、 九 一 一 一 、 一 一 南南東 静 穏 南 東 南 南 南 部 南 南 南 南 南 南 南 南 南 南 静 静 南 南 南 南 南 南 南 南 南 南 南 南 一 東 東 東 程 東 東 東 東 東 東 東 西 東 東 程 穏 東 一 、 0 0 、 四 一 、 四 一 、 一 。 、 コ 一 0 、 O 一 、 六 一 、 コ 一 二 、 七 一 一 、 一 一 一 一 、 穴 一 一 一 、 一 一 二 、 一 一 三 、o
三 、 。 二 、 0 0 、 四 O 、 穴 一 、 一 一 一 0 、 八 O 、 六 三 、 七 4 、 官 、 、 ﹄ - r 。 、 0 0 、 0 0 、 一 民 快 民 晴 晴 晴 曇 曇 曇 曇 . 曇 曇 雨 曇 曇 曇 曇 曇 曇 曇 曇 曇 曇 晴 曇 晴 。 微 才'yi 9 日 最。
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v 徴雨十六時二十五分より 徴 雨 断 続 微雨十八時十五分止む ぅ凡二十四時 十穴日一時 二時 三 時 四時 } 九 時 穴時 七 時 八時 九時 十 時 十一時 十二時 十三時 十 羽 時 十五時 十六時 十七時 十八時 十九時 二十時 二十一時 二十二時 七 五 一 、 七 七 五 O 、 九 七昆 O 、 二 七 四 九 、 七 七 四 九 、 七 七 五 O 、 二 七 四 九 、 九 七 四 九 、 ム ハ 七 四 九 、 主 七 四 九 、 二 七 四 九 、 二 七 四 九 、 三 七 四 九 、 0 七四八、九 七 四 八 、 八 七 四 八 、 七 七 四 九 、 。 七四九、四 七四九、四 七 四 九 、 六 七 五 O 、 。 七 五 O 、 。 七冗 O 、 一 一 三 、 四 一 コ 一 、 コ 一 一 三 、 一 一 一 コ 一 、 四 一 問 、 一 一 四 、 三 一 問 、 七 一 問 、 五 一 四 、 九 一 四 、 六 一 五 、
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一 五 、 五 一 七 、 穴 一 七 、 一 一 一 一 大 、 八 一 大 、 四 一 ・ 一 ハ 、 穴 一 穴 、 一 一 五 、 五 一 問 、 穴 一 三 、 五 一 一 一 一 、 四 一 三 、 。 南商東 東 東 西 西 南 西 南南東 南 東 南 東 南 東 南 東 南 東 南南凶 南 西 南 西 西南国 東南東 西南国 西南西 西南西 西南凶 西南凶 西 一 、 一 一 一 、 七 。 、 大 一 、 一 。 、 五 。 、 八 二 、o
一 一 、 三 一 、 一 一 一 一 、 六 二 、 五 一 、 五 四 、 一 一 一 一 、 一 一 一 一 、 九 一 、 八 一 一 、 一 一 三 、 五 四 、 一 一 一 一 、 六 一 、 八 一 一 一 、 ニ 豆 、 八o
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一 二 、 四 一 一 一 一 、 七 一 一 一 一 、 二 一 回 、 五 一 穴 、 一 一 六 、 一 一 一 一 六 、 九 一 大 、 穴 一 七 、 。 一 犬 、 0 一 問 、 大 一 問 、 主 南 静 南 南 静 南 北 南 南 西 東 穏 東 東 穣 東 西 レ U J J ι 北 西 南 東 南南東 南 東 南 東 南南東 南南東 南南東 南南東 南南東 南 南 。 南 東 西 一 一 一 、 一 一 二 二 一 一 、 三 一 、 一 一o
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電官 官官一時四十分止む 波駅雲南西 l 北東に現はる 。 微 毒事 十 徴 十 徴 分 雨 七 雨 止 穴 分 五 む 時J1::時 二む四 十 十 冗 三 分 . 分 よ よ り り 同 同 五 四 曇 曇 曇 曇 晴 晴 曇 曇 曇 曇 曇 曇 曇 9 v v v v v。
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波紋雲南凶 l 北東に現はる 波紋雲 v ν v一 一 十 一 時 二十二時 二十三時 二十四時 七 回 穴 、 五 七 回 穴 、
o
七 四 五 、 三 七 四 四 、 八 一 回 、 四 一 四 、 二 一 四 、 一 一 三 、 八 一 、 七 二 、o
一 一 、 コ 一 。 、 二 曇 曇 曇 雨 微雨二十時十五分より 微雨二十一時二十分止むo
0 静 南 南 南 穏 西 西 東。
。
。
v 因に嘗日大沼公園事務所の気象観測による該地方の天候概要は六月十六日七時よb
微雨降b
夜間は濃 霧を交へ十七日九時に及ぶ十時よb
快晴となb
しも十六時よb
再び曇天とな A Y 風は終日西の和軟風であ った,叉西麓森町字宿野迭小島一-校長長谷川氏は噴火と見るや特に校庭に長竿を樹一て風向等観測に供した 其記録によると営日無風の数時間もあったが主として北西の軟風であった。 命十三時宇過ぎ自ら大沼鐸にて噴煙観察の際の目撃に℃は中層雲級の容積雲並にその波紋雲は噴煙の 南迭にて左旋的に南束、束、北東方へ移動しっ、あった。而して噴煙は上、下会帯に南東方に流れ、且 つ噴煙の頂部も南東に廃3
正に上層は北西風な,るを観測した。 噴 火 と--
罪L 塵 火山噴火は気歴と密接なる関係があって多くは概ね気回腔の低さ場 A 口に後現し印ち気一座の関係は火山噴 火の一副因とも見られて居る。今同駒ヶ岳爆殺噴火に際し℃も営地方は噴火三目前京市気犀低降しっ、あっ た。而して其前夜来幾分上井の傾向であったが噴火時附近は再び低降に傾きかけて来た気犀幾化の状況 は前記気象表にで窺知せらる、も更に曲線固として其関係を簡明にする。,
1、 F七i¥‘ i¥.. '" 品 -吋白 N ふ '" 0! 口、 --' -* 封 週 、3 調 iIJ~ rて 〉号 耳3lt EIt 、午 し ー 占 問 ~同盟I 回 -' " 一 品 白 N L # (t N N れみ 回 CP ' " ¥ 1
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!ll告主主対 活晶 R彊 J │¥ 一 下 寸 1 1 燥 設 噴 火 の 前 兆 駒ヶ岳既往数次の噴火・については数日若しくは数時間前に於て鳴動又は微弱の地震を伴って居た。今 回噴火に際して其前兆の有無を山麓各地に就て調査したが確寅と認むる資料を得なかった。偶々鹿部村 字小川画館水電株式命日枇第二後電所主任石川重宣氏及び画館中島ナ校教爺橋本体氏の健験を聞3
或は前兆 の一種かとも思はる、節、があった。印ち雨氏の談話によると 石川氏の談は::;噴火前日家連日の東風濃霧で陰欝の天候が緩いて居たが十五日十七時頃方向は判明 U J liilQ 寸寸 O 、J 6 0 、a <h o 、J 仏 oしないが官獲の如
3
一平日を聞附いたので同所職員と共に今の雷鳴で乙の欝陶しい入梅の天候も明日から倍野 る、、友らんと噂して居た::; 橋本氏の談は:::噴火の前々十四日駒ヶ岳石室に宿泊十五日登山し其日午後砂原岳を本一挙踏破し同夜 北麓の砂原村市街地附近にキヤシピングのと3
凡そ十八時頃東方に蛍b
微かな遠震の如3
一 音 響 を 聞 い た ので或は後刻雷雨にても到らんかと思ぴ寝に就いたが十六日一時頃よb
六時まで断緩的の降雨があっ た.昨夜の一品目は雨に伴った雷撃にてもあるならんと格別意にも止め・なかった云々::: 一一は駒ヶ岳東南東方の山麓でこは北麓で聴取したのである、而して雨者の時刻は多少相遣するが甚し い懸隔はない或は同一の一音響とも考へる、のであるが乙れは噴火に先3
立つ乙と約三十時間前の乙とで あ る 。 次に砂田所の微動計(大森式簡単微動計十倍率)記象紙について震央の}近距離又は火山性のやうな念性 なるものを噴火の十数日前に遡って調べて見たそれによると、五月十日三時五十分十三秒後震総振動二 分で初期微動の纏績五秒五、南北動比較的大なる局部的の有戚微震と 六月十六日十一時二十五分二十一秒後震、総振動二分‘初期微動不明。 六月十六日十三時五十一分二十三秒後震、総振動三分、初期微動不明。 の何れも無戚由党地震で後の雨同は念性極倣の記象であった、地震計倍率の小なるため尤よ h 初期微動の i¥.. 九九 O 方向、縫緩時もまた主姿動の分訴も不能であった乙とは今同の事援に遭遇して甚だ遺憾の乙とであった, 前者の地震も初期微動の方向は勿論判明しないが大躍に震央距離の計算から見ると駒ヶ岳附近に蓬する 即ち爆後噴火前に於ける局磁性地震で或は乙れに関聯するのでないかと見られるものは前記の三同に過 ぎ-なかった、要するに今向の駒ヶ岳噴火の前兆とし℃の事象は確貨に乙れを捕捉し得なかった。 噴 火 の 時 刻 駒ヶ岳今同の噴火については十七日未明先つ小規模の噴煙降友があった、営時日一害天であっ℃又前兆と じて何等著しき援象も・なかったので山麓地方の居住者にも其時刻は不明であった、其第一報は同日九時 五十分着に戸て庇部村役場よらの報告で同朝一時よ
b
二時の間に於て駒ヶ岳爆殺し降友五分に注したとの 乙とであった、更に各地につい℃朕泌を聞くに或る者は二時頃と-一一口ぴ他は二時よb
三 時 の 間 と し 基 、 だ し きは大爆殺の初期鳴動を殺した十時頃とし甚だ区々であった,然るに時田所地震計記象紙。r
え る に 此 日 一 零 時二十六分四十二秒殺震で八分間絵績の振幅小なる脈動肢の記象があった、次℃八時一一一十秒よ h 十分三 十秒間と午后は断績的に殺震し而して噴火縫緩中は連緩脈動朕記象を記録し其波肢は各同殆と同一肢の 売型であった、以上の記録から見ると今同噴火の初期は恐らく最初に脈動版記象の現はれた零時二十六 頃に起b
僅少時の活動で中絶したらしい、本項については某時三、四質成者の談話報告を得た、参考の 分ため左に掲記するに 、E ノ 一,鹿部村字小川函館水電株式合枇第二議電所石川重宣兵は営夜十時頃寝に就いたがなんとなく頭が J1冴へて・容易に睦むられない共内夜宇十二時の鎧を聞主暫らくすると﹁ゴ
1
!
一 と 駒 ヶ 岳 方 面 に 一 音 が あ った、不思議な一音と戚じて後床起屋外に出℃見たが其際チラ / ¥ I 顔面に鰯る、ものを戚じた家に入 ' 9 時計を見ると十二時三十分であった・:・、 ノ
一 一
根 を 打 つ 一 Z 自に℃目醒め降雨にてあらんかと海草類の始-末に家外に出たが雨ではなく友砂であって時 鹿部村字本別波蓬米誠氏は営夜海草類を屋外に晒乾の合、寝についたが夜宇過ぎ﹁ザア1
﹂ 曹 と 屋 計を見ると零時四十五分であった而して前夜遅くに駒ヶ岳力面に山鳴b
の如3
一音を聞いたので、駒 ケ岳の爆裂にまるものE
判 か っ た ・ : 川 、 、 , d 三大沼合同事務所主任小竹氏は十六日夜十一時過ぎ知己迎廷のため大沼騒に出向中留守居の同氏令 r S 1、 閏が夜宇頃駒ヶ岳方面に異様の一 Z 日を聞いたので小竹氏蹄宅後其旨を話したが多分は貨物列車の勝一旦日 にでもあらんかと何心なく寝についたが後に思ふと最初爆殺の鳴響であったらしい: ‘ 、 E J 四大沼銚子口函館水電株式命日社通水溝看視所水上治作氏は十七日零時宇頃﹁プ1
L
と貨物自働車の 走 一 旦 日 の 如3
一 音 響 を 聞3
夜明を待って駒ヶ岳を見ると肢に黒煙を上げて居た・ 均以上数氏直戚の一品目響は恐らく噴火先駆の鳴響であって其時刻は大憶に一致して零時三十分頃であって 営所の初接地震の時刻ーと大差がないのである。 爆設噴火の盛衰 九九 十七日零時二十六分前後に活動を初めた先駆的噴火の際は僅少の降友砂に過ぎ・なかった其後暫時は問 欺的の鳴動噴煙で鹿部村役場の報告によると一時三十分よ
b
三分間の鳴動があった.次て小川村第二義 電所小川氏の手記には二時三十分頃にも僅少時の鳴動があったとある,而して庇'部村にては三時五分に 既に降友二分の堆積があった乙とを後見した共後一時的に銭静して九時四十五分よb
更に鳴動始まb
未 明の鳴動よ・りは精強く之れよら先3
営所の地震計には八時三十秒よ b 十分三十秒間及び八時十一分よ b 三十八分間脈動肢の振動を記象し緩て九時五十三分三十八秒よ A Y 三分三十秒間の振動を記した而して大 爆殺に近づいたのである先づ火山の束麓方面にては十時二十分に大鳴動を聞いた.乙の際は山麓各方面 にも戚知ヨれた程で鹿部村部内の字小川村並に鹿部村市街及び本別村方面に降友を件以十時二十分よ b 降石を件なって愈々活動に入った十時五十分頃よ b 降友石盆々烈しく鹿部市街にては既に降石の深・ 5 七 寸に山達した、此問電雷も起った、函館よ h 見て噴煙は十二時二十分よb
一層増加旺盛となって山頂来坐・部 は黒煙後々として直上西宇部に℃は霊同盟せる黒鼠色の羊毛朕噴煙の目升騰を眺めた、大沼にては十二時三 十分よ A リ鳴動念強く・戸障子の振動起b
山の西側押出津に少量の石塊流を認めた、小川、鹿部方面は降友石 少しも止まず十三時拳大の降石となった十四時三十分よ b 鳴動電一宮一層激烈とな b 函館にては十四時三 十八分よ b 戸障子の振動起 b 次℃十五時二十五分よ b 北li
北東方に電雷の漣績を観測するに至った、 十五時制ケ峯(狭義の駒ケ山獄)の右一屑と馬の背の中間医よb
石塊流奔溢し次で十五時二十分!i
三十分クJ Y J 、、坂並に砂原岳左一屑下及び駒ノ背をも溢出し始めた石塊流あ b て火山の活動は増々般烈とな b 降石も 更に猛烈となって十七時庇部市街にては降石の堆積寅に二尺徐となった、其后幾分細磯となったが依然 として降下激甚であって十八時赤熱の降石を交へて落下し二十時頃よ b は頭大の火熱石塊無数に降 h 縦 積氏飛散し二十一時よ b 二十三時の聞は降石、鳴動其頂鮪に這せるもの、如く各庭に火災起 b 凄惨を極 めた,而して電光の閃め
3
轟々たる雷撃に加へて噴煙の中ll
上部問には赤色線光花火山肌閃光同断なく 後現し而して山側にては焼熱の石塊流によって草樹焼燃し黒禍色の渦煙に包まれたので恰も金山爆殺せ るかの如3
光景となって日浅後は山頂に火柱此立し其頂黙にては依然として赤色の光閃縦横に飛ぶを見 られた、一凶館にては戸障子の振動盆々烈しく二十三時の頃は喋一旦日最も喧しく威した其後漸次噴火の勢力 表へ二十三時四十分雷鳴牧 b 次て二十三時五十分よら地動鳴動並に閃光漸く衰ムるに至 b また地震計に 記録しっ、あった脈動記象も十八日零時十五分に停止し且つ火柱の色彩も薄らま二時前後に於て地鳴動 火柱も殆E
消失した,鹿部市街地にては一時三十分、字小川附近にては三時頃降友石も牧まった、午后 軽微の鳴動向欲的に起 b んも六時に至 1 9 会く終的泊した、而して此時噴煙の黒色も著しく減退し鼠白色と なった、次て再び十時よ b 鳴動起 b 噴煙も稲強勢となって鹿部村にては再び・一次砂下降するに至ったが十 九日未明に止んだ砂原村に℃は十八日二時風向南東となって降友到b
四時よ h 猛烈とな b 陪黒となった が数時聞にして漸次薄らぎ十九日三時金く止んだ。 九ゴL 四 t 尚一回目乙の事援に遭遇した質成、観察の数種の報告を得、た。貴重な資料であるので共会文を逐次拐記す る就中鹿部村役場鹿部村字小川第二後電所石川重宣氏機関騨長亀ケ森孝三郎氏の手記は官時の,推移を詩 記しあって調査上の資料であった、卸ち 石川重宜氏の手記 昭和四年六月十七日午前二時三十分頃駒ヶ岳小鳴動同三時よ
b
四時の間には鳴 動和大とな A リ加ふる雨の如く降・一次甚しく新総もために銀世界と愛せb
同九時四十五分よb
約四分間再 ぴ鳴動同十時頃山頂よ A Y友砂甚大に降下し小川殺電所附近よら鹿部、本別方面に向かって降友盛な b 営所本一中一固に蔽はれ室内暗黒のために同十時よ b 電燈知火せ b ( 日蝕の如き戚あ b ) 同十時二十分大 鳴動黒煙天に沖し白龍の雲を呼ぴて昇天するが如し其後の噴煙にて焼石落下甚大雷鳴烈しく屋根及び 裕子破損無量午前十一時よb
妻女及び小児全部函館方面に避難せし h u . 午後一時よb
拳大の焼石降下 猛 烈 ' ど な β 雷鳴のため電話不遜となる午后二時四十分停電、給水ポンプ使用不可部同五時六分細磯と なb
て下降愈々猛烈を極U
,同六時頃火玉落下同八時火石(頭大)縦横に降下地上堆積此時二尺徐に及 ぶ何段窓硝子会部 4 破損のため大石室内に浸入戸外に一歩も出つる之と不可能な ι リ石川以下五名義電所 にて只沈黙するのみ同八時四十分よb
筆紙に霊せぬ友石猛烈に降下しっ、あb
同 十 時 頃 よ ' り 一 一 層 鳴 動 して焼石増々下降各庭に火災起る十八日午前三時よ'り漸く戸外に出ずるを得るに至る鳴動は正午近3
頃に牧、まちしも降友は術総績し十九日正午頃に震る。鹿部村役場報告十七日午前一時三十分鳴動あ
b
約三分間程綾く営時村氏其原因を知らず午前三時 五十分約二分厚の降友を批味見し初めて駒ヶ岳の噴出なる乙とを知る午前十時一大鳴動と共に噴出約十 分にして降次盛に至る午前十時二十分径五分大の降石に務ず午前十時十分小向母校児童全部(家庭に戻芯 ず)寺島訓逗外二名引卒の下に臼尻方面に避難す午前十時四十分大島訓導御異影を奉じ宇常路原田助八 宅に奉還同宅に一夜を明す(午後八時よ b 松原書記も共にあ ι リ)午前十時五十分一般村氏陸績常路、臼尻 方面に避難を開始す(着のみ着の合、)焼石の落下此頃よb
猛烈となb
径三寸大のもの盛に落下す午前 十一時一一十分降石盆々烈しく豪雨と異らず黒雲窓を覆ひ常鳴も加b
て危険盆々加はる正午降石の深当地 上七寸に還す午後二時村民の避難一段落を品口く午後二時三十分鳴動雷鳴盆々烈しく大石(径五寸乃至七 寸)落下溶雷も加 b て村内陪謄尽尺を鉢ぜず避難民の跡を絶ち凄惨を械一む午後三時通信機関会く社絡す 以後鳴動雷鳴降石愈々加はるのみにして秒時も止まず午後五時降石地上二尺に遣す ι 午後九時よb
十 一 時まで最も猛威を迂しふし此問に倒潰焼失家屋頻出す午後十時前後村内残留避難民生色なし翌午前一時 三十分前後降石漸く止U
十八日午前三時頃よ b 避難民中の舵者身廻 b の用意に一時騎村更に避難す午前 八時御真影を奉置所に奉安す牛寸前十時よムリ又々・鳴動烈しく噴出盛に見ゆるも風位の関係上村内に降下物 なし 1 下降物なけれども鳴動烈しく噴出物構なるを以て一時復蹄せる避難民も更に避難す正午 を奉じ大島訓導常路感田政士口・万に奉還す小向母校長、村長,森警察署長一夜を明す十九日午前四時頃よb
御 畳 一 影 九 五九 六 平穏に蹄し避難民績々復路す午後一時御真影を奉置所に奉安す此頃よ 9 人心平穏に蹄しっ、あ
b
云 々 森町役場報告 昭和四年六月十七日午前零時三十分頃駒ヶ岳は近来に稀なる噴火をなじたる旨同 日午前九時大沼公園事務所よb
遁報を受けたるも金山自信一討に蔽はれ瞥見すること能はず且つ向日北西の 軟風なb
しを以て爆殺鳴動を受ゆる乙ーと難く噴火の耗度も亦知るを得ず午前十一時三十分漸く晴れか、 λ リ稲噴火の獄態を'知る乙曹とを得たら此時漸次鳴動及び噴火強烈を加へ振動絶問なく午後一時友煙及び熔 山石の噴出は歎千尺に注し電光雲聞に閃叉し凄惨の気名朕すべからず住家の振動盆々繁く鳴動恰も百雷の 如く噴煙後々として駒ヶ岳の上宇部を包み午後三時頃は熔岩流出して束背面を蔽ひ躯℃西前面をも包み て斯くて羊毛の如3
友色の噴煙は金山を包みて山麓にある大字尾白内村川中押,土橋及び大字宿野透村 焼山、宇赤井川附廷に迫b
危険著しく住民は避難を開始し午後六時三十分頃に至b
暮色垂れて噴煙の火 柱は天に沖し℃一一層凄惨を瓶一め住民は戦々悔々として客易に沈静すべくもあらず閃光と火柱は金山に深 ι リ銭塩川の方法を講じたるも砂原村氏及び本町犬字尾白内村大字宿野市透村住民は算を乱し℃本町に殺倒し たるを以て臆念措置として避難所を設け牧容を開始したるも各所は流号一口査一諸多3
ため避難民の一部は更 に本町以西鷲木村姥谷村、本茅部方面及び速く落部村八雲町に避難を開始したるため市街は勿論森四時の 雑踏彩しく避難民の右往左往して子を呼ぴ親を探し泣き呼ぶ者山の鳴動と和して混乱の極に達したるも 官公暑は互に連絡を闘b
消防隊婦人命日青年間之を援けて善位胞に努め函館測候所よムリ時々情報を徴し尤も気遣はる、風向を一々掲出して人心の沈静を期した
b
卒びにも十七日は北西の微風にて本町の惨害は之 を風向によって免れたるもの正信ず唯十七日午後十時よh
南東の微風に務じたるによ b 人心の動捺は翌 十八日に到るも依然として漉はらゴるは営時夜陰噴火の火柱を眼前凝椀して鬼気に襲はれ不安息合、ぎ b しによ b 只管人心の沈静にカめたるも熔岩泥流時々海出して数十尺の渓海を埋め山麓の樹木を嘗め蓋し 此被害区域本日(二十三日)迄に二千二百五十徐町歩及び損害約四十有鈴高国民還するものと概算するを 得べく命十九日に到るも隣村砂原村氏は八雲町.落部村よ λ リ蹄来して本町に止まb
容易に蹄村する模様 なく-一見員をして噴火山肌売及砂原村の賃引を知らしめ二十日完く避難所を閉錯して今や卒静に復す云々 砂原村役場報告 六月十七日午前一時雷鳴の如3
鳴動を問主初めて駒ヶ岳の爆殺を戚知したるも会 山濃雲に掩はれ噴煙を認めまb
しに午前十時宇に至b
大鳴動と共に火煙天に沖・し忽にして白煙逢に天空 に 康 、 ま ι リ北凶の軟風に遠く愛謎う此問濃昭一試に隠るる乙と敷皮加ふるに電光起b
鳴動止まず刻々其度を加 へ噴煙は寅に山の高3
の約十五倍に迭し翌暁三時に至b
℃漸く鳴動微弱となb
濃 昭 一 戸 の た め 噴 煙 を 認 め ず 十九日に至h
鳴勤時々微なb
村氏は十七日午前十一時よ b 大字掛澗村住民を始として大字砂原村部落も三々伍々手荷物を携帯し汽 車或は馬車に乗じ一時隣接森町市街に殺倒避難し更に海部村遠くは山越郡八雲町に避難したるもの少か らず午後五時に到b
ては村内警備並に避難事務に営る村役場、巡査駐在所、遁信事務を執る郵便局乞除 九 ー七大A i¥. く外は村内に男子十名、女ヂ二名を残留したるのみ、乍併村長巡査極力人心の動揺を防ぎ避難に際し何 等混雑なく十八日には績々蹄宅者あ b たるも降友烈し
3
ため再び避難地に民 b 十九日に至 b 復鶴来する 者緩出じ婦女 r 十を交へ男子は大字録宅せ b 。 降友は十八日午前三時風向南東に滋 b て襲来し同四時よ b 猛烈の降次にで殆ど暗黒とな b 数時間後漸 時薄らぎ十九日午前三時漸く止む深さは三寸に注し最少の場所にで五分を測る。 街 地 ケ 森 孝 三 郎 手 記 十七日午前三時と同五時頃﹀一小33
爆殺あb
て噴煙も少々あb
た b と聞くも白 分には其一音響すらも聞かゴる程度であ b -まして勿論その後大爆後までは何等卒日と異なると乙?のに気付 ませんでした。 午前十時騒外に居 b たる際手よ b と爆殺な b と聞き﹄出て見たると3
は黒煙はモク/¥重 bA 口 っ て 俗 に 言ふ入道雲の肢にて昇った許らの時であ A Y ました、而して其黒煙は穏かに鹿部方面に廃3
気味であb
ま した,此時も私は即時内に居b
た る た め に 爆 授 の 一 旦 日 は 開3
ませんでした、然し最初噴煙を認めたと云ム際 手 も 爆 殺 の 一 Z日は聞かゴるも偶然噴煙を見℃爆殺な b と知 b たb
と言ふ位であかま J した、依って大して驚 く程度の爆後でもなぐて隠って t 今岡の如き惨肢を生むものとは泊旅想、穴にしなかった程であ h まして其噴 煙も駒ノ背の中間よb
稿砂原岳の方に寄与たる個庭よb
H
升 っ て 居 A Y ま し た 。 最初は斯の如3
穏やかなる爆後であb
ました営時の新聞の報道するが如き最初よb
非常な勢を以って爆殺したるが如き記事は事寅を観望したる自分等の信ずる乙との出来ゴるものと思って居
b
ます、然し 此の穏かなる紋態はホンの寸時であ AY まし℃漸次勢が加 λ ソ噴煙の量も多くな b 十時十分頃よb
盆々猛烈 どなh
噴煙は綿羊の毛の如く白煙も交ってゐて直上し始め駒ノ背一帯よb
噴煙して居るが如く巾庚く井 -9 其頃よ ' b J 轟々たる一音響も加は λ ソ始めたと記憶して居ります。 十時十五分頃よb
十一時頃まで同山一帯白雲に包まれ展望は出来、ませんでしたが轟々たる一音響は少し の弛もなく却って加b
つ
h h あ λ yましたので噴火は盆々猛烈にな b っ、ぁ b と 容 易 に ・ 認 知 す る 乙 と が 出 来 、 ま した十一時頃よh
少々晴れ気味にな b 十一時三十分には常騒よh
展望出来るやうになb
ましたが鹿部方 面は非常に曇b
雷鳴もあb
ました、之の時は噴煙は稲次色を交へて居'りまし℃十一時五十分頃よb
は 今 迄の綿羊の毛の如3
煙は上部の方のみであ b まし℃噴火口直上は全く次色と化し而し℃其噴3
上げら る、火山友は縞の如く又其下降する吠はさ・ながら控除布に似たタとも一一一回以得る程に℃乙のあた b よ b 壮観 , の 叫 ぴ が 慮 々 に 起 ι ソました,噴き上げらるる石は恰皮素垂柳の如くに透 AY に飛散し した散石は上よb
降下すると言ふよb
は寧ろ徐b
高く上らず横に吹き飛ば芯れて居る様に見へましたか ら最初の内は烏でも飛で居る位に民って居 b ま し た ) 、 時 国 際 よ b 見て重に姫川方面に落下したる様に見 ︿此肉眼で見えま 受けられました、尤も鹿部方面には非常なる曇 h と噴煙に覆はれて居たため見へなかったものと思ひま す ι , 九 九一
O O 十二時三十分に至 b 噴煙は駒ヶ岳砂原岳問を溢る L 程 度 に 巾 由 民 く な b 轟々たる一音は地響と共に烈しく 鰹及び住宅の窓硝子に響く振動には今まで妊観は遇3
て恐怖当へ受へる程度'どなb
寅に物凄3
光景とな h J ま し た 。h
.
、 、 、
此時駒ノ背の中央押出爆に向ひ熔岩?は白煙と共に元ク/¥と越えて流下して来ましたが小量であ b ました e から駒ノ背の中腹で止ま b 白煙も直に消へ去 b ました,乙の熔岩の白煙は全く純白にして噴煙の -灰 色 と は 全 然 匝 別8
れ何人も容易に分b
、ました,午後零時五十分砂原蜂よb
の電話にで鳴動は烈しく硝 子戸は間断なく振動し危険は刻々迫って来た故家族を避難せしむる様との話であb
ました嘗際に於ても 裕一子戸に振動は戚じ・ましたが乙れは朱一気の振動が主である裁に思はれました其後依然猿b
なさ猛烈 3 を 持綴じ大石は盛に透に飛散して居'りましたが午後四時過3
までは熔岩の流下を見ませんでした。 午後四時五十分に至b
又々熔岩は駒ノ背を押出津に向って流下し司ましたが今度は前よb
(
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時三十分)、 、 ‘
. B も大量に駒ノ背を越え℃モク/¥と限b
なく異様な遠浅で流下しました業内に砂原岳の頂上にも白煙が チラと見えましたから熔岩は向山をも越えるものと思ひましたと乙 λ 夫は直ちに消え去 b ました,と乙 ろが其后約一分間位の間隔があ b ましたが、また岡山頂上に白煙が見えたと思ふ間もなく熔岩は非常な、 勢を以て流下しました丁皮盟内の石鹸泡が溢る、採な具合でゐ b ました.此時午后五時であ b ま し た 営 、 時砂原四時を五時十分後の最後の避難者総迭列車が出殺し皆同時には二十分に到着しましたが熔岩は其時銃に山麓まで流下して居たものと思はれました同列車か尾白蝶に五時二十八分に到着し、ましたが其時は押 出深よ λ リの熔岩はま、だ白煙を立て、山麓を流下しつ L
あ
b
ましたが此熔岩は午後五時以後二同目のもの との尾白内藤員の話でした、然し乙れは間もなく止まった様子であb
ました、此止った時刻は確かなと 乙ろは分明しませんが五時二十二、三分頃かと思ひます云々 命十七日よb
二十一日の問尾白内.掛澗、砂原際観測の降次朕況を添記しあった共朕売は. 月 日 天気 十 七 日 十 八 日 十 九 日 二 十 日 二十一日 各 町主主 宰尋 尾 白 降友なし 内 E事 F年 地 i悶Pの 浮 扶 況 D 主~ 早朝より少々降友わり F平 方 ミ tr 掛 し 早朝より降・灰わり 牛 前 十 時 頃 よ り 最 も 詫 し 少々あり 将一しき降たたるも十八日程な らず 以後降双なし 砂 降友なし 早 朝 よ り 甚 し き 降 民 わ り 午 前 十 時 頃 よ り 吹 雪 の 如 ︿ 豆 、 六 十 問 離 る と き は 何 人 な る や 認 識 能 は ざ る 程 度 な り 少 々 の 降 灰 あ り 甚しき降・双なるも十八日の如 くならず 以後降友なし 原 騨 思 =亘註・ 少々あり 降 友 甚 し き も 掛 澗 、 砂 原 の 程 な ら ず 以後なし 裁縫教員後見報告したるは午前十時二十分、非常報鐘 卒一生徒を校庭に召集、賃売を観察せしめて概説し本校非常規定に基きて訓話し沈着念ぎ錆 b 家族と行、 、 .
、 ‘ .
動を共にすべ3
乙とを命じ遁墜部長引卒解散せb
.
命家族不在なる場合はアセ一フズ行先の附近の人に 島 三",' 軍空, 翠迄 宿野透小墜校長長谷川彦次郎氏日記抜李 OO 尋ね数時に及ぶも不明なるときは墜校に来る乙と、其家-に於ける手際の青年訓練生は皐校に集令方停 遠方をも附言した且夕、家族ある職員には家庭の始末時を奥へ蹄宅せし
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。午前十時四十分観測所を定 め風向一不旗を校合屋上高く設置す,最后遜難地た雨山高憂とし熔岩の押出し婆々川に至らば校地を引 揚くべく夫れまでは校にあ b て朕況観察、奉街、書類の整理,部落監視に任ずる乙と、した b 。 午前十一時鳴動稲弱含る・ h 一以は集感一戸のためならんか,十二時前後晴天岩根まで自然色鮮かとなる、 奇親、美加側、壮烈筆紙に蓋し難く唯阿然、たるのみ午後零時三十分よb
逐次加鳴動事加電刻一一刻と猛烈 を極む、午前十一時には焼山方面の椋女老人病者、山崎方面の人々駒ヶ岳、赤井川雨騨に捷径又は鍛 道 子 } 遁 h J て雲集し来 b 避難午后三時三十分までには上b
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下 b 列車にて本郷、七飯、函館方面本町森, 鷲ノ木、石谷、石倉、落郎、山越,八回一一戸、長高部方面に向く.午后五時迄には村内殆んど全部逃れ去 b た b 、熔山石流出したるは午後二時三十分後の乙とにして第三同以后は殆ど連績其速度の迅速殺る乙 と驚くの外なし、東南の天暗健司隣村の悲惨を想像して同情念禁ずるを符ず,風は北に無風に時々縫 れども主として北西の軟風なら3
午后三時四十分望月町長巡視来訪を受け測行所長来村の乙と、其所 見の概要を承く‘又函館新多枇班の家村探検あb
函館岩井先生一行二十鈴の来校現朕視察.七飯村大 江君の来校あb
たるに村内絶えて人馨なき折柄何となく心強主を戚じたb
,夜は月影淡3
校合屋上観 測所よ λ y 凄惨火を吐く駒ガ峯の天を仰ぎ見っ、校を街 b 部 落 の 松 一 一 目 備 に 任 し た b 。熔岩は数町先きの字焼山に押・白人苛する一音地を停ぴ戚知したるも動せずし℃夜を明せ
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.
噴火は夜の十二 時まで猛烈を極め十八日とな b て漸次静まら午前一時三十五分俄かに止む・前日よ b 吉田巡査は鐸前に にあ b て 本 若 干 ζ の連絡をと b 避難民家訪者の取締 b 部洛監規に任じた b と、同日午前十時には前日同刻 と間程度にな b たるが暫時にし℃静まる。未明亜硫酸一九斯のためか m m b d植物は萎れ或は葉末枯る、微か なる降友もあ b た b 。 噴火山富国の地震詑象と雑象観測 営所に於ける噴火常日の地震計記象並に山頂展望による雑象観測事項乞左に記述するに. 地震計記象 営所地震計(大森式筒皐微動計倍率十倍)には殆ど噴火活動盛衰に伶って此問脈動 日以振動を記象した、印ち十七日零時二十六分間十二秒殺震八分間縫績を初殺として次で八時三十秒よb
十分三十秒間、八時十一分よb
三十八分問、九時五十三分三十八秒よb
三分三十秒間の振動と更に十一 時頃よ b 以上各振動と同型の脈動朕振動記象機縫し十六時二十二分よ b 振幅稲増大十九時よ b 二十一時 の問は平均週間三秒振幅三十乃至三十五ミクロンを測った、特に十九時四十一分よ b 同時四十三分間は 顕著の振動で週期四秒五振幅一八五ミクロンに達した爾後は次第に減少して十八日零時十五分会く其記 象 消 来e
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i成 象 に 観 至 誤リつ
プ と 十時五十五分北方に在 b し霧消散し初めて噴煙の景肢を眺むるを得た十一時其頂劫を•
一 ・
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一
O 四 初め℃望ひ日射を受け乳白色なれども幾分淡紅を帯ぶ(十一時三十分頃市内山手方面にて遠雷の如き一旦日 塑 日 を 聞 き た b と報告があった)十二時二十分よb
噴煙一層加はる其昇騰の際は羊毛肢の閤塊重盛せる景 況にて頂部鼠色なるが下部は暗友色であった。十三時十五分北方に微弱の雷鳴起b
而して温泉噴出の際 の如き音響の地鳴動を交ふ(十四時過ぎ市郊外湯ノ川通b
柏野附近にては地下に℃恰も河水強烈に流る ¥か如き地響北西よb
南東に俸はるを寅戚したと報告に接した)十四時三十八分戸障子微かに振動を始 め地鳴動更に加はる十五時二十五分駒ヶ岳の東部噴煙の密集部に雷電頻b
に殺生す。十九時頃よh
噴煙 の西部に暗赤色の火柱此立せるが如き肢となった。其頂鮪には赤色の線先花火の如く火先凶方に閃々だ るを見る。電光、雷鳴は駒ヶ岳の東方一帯に轟々閃々として物凄し・二十一時五十分層積層一戸駒ヶ岳の頂 透に擦がb
一時噴煙を閉せるも須曳にして消散再び噴煙を望む。二十二時五十三分戸障子の振動劇しく 操 一 菅 喧 加 盟 百 す , 二 十 三 時 十 二 分 よ b 戸障子の振動表ム。二十三時五十分よ b 火柱並に其頂姑の閃先着しく 弱まる,火柱約三分一に縮少し次で二十四時其影を浸した。十八日零時三十分戸障子の振動牧、ま b 地鳴 動熔 h u,
一時五分よb
再び鳴動起b
戸障子の微振動を閉さしも一時三十八分止 U 、 一時四十五分電電牧 まる。其後間歌的軽微の鳴動振動があったが六時に至つ℃全く終b
噴煙は命頂上一睡に噴出せるも鼠白 色となった。 団 長 形 の 麓 化 頂上噴煙の周遊附近には其活動中数種の雲形を生成した、先づ十三時三十分軍川際に℃駒ヶ岳の西.南側を明らかに眺 U るを得たが乙のと
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噴煙の南東側高度約三千米の忠一中に鼠白色の 幕肢をなせる三角形肢の管区、噴煙の外透に殺現し徐々土井するもの L 如く其上方約五千米附近には別箇 の偽巻雲あ A Y次で巻積雲となら更に波紋軍一討を形成し℃次第に北東方に移動L
℃十四時過ぎまで乙の雲形 を持緩した。 更に火山頂上の中央部にては友暗色の層雲の一種とも見るべ3
雲間断衣く殺生し其左右よb
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升 騰 の -噴 煙に捲き込まれ左旋渦動どなしっ、噴煙と共に上騰せるを見る且つ其上部には爽服部一戸数箇重盛せる如3
(恰も併餅を数枚重ねたるが如し)雲形となb
次で萱個宛分離日升騰を緩け約四五千米の高度に至 AY 噴煙 の外側にて途ひに宇環版活一一式若しくは完全の環妖相一討を形成した静かに凝視するに水平軸の渦動をなしつ L 命 段 上 日 升 を 緩 け 七i
八千米附近に℃漸次消滅する此現象は夕刻までも縫緩した,此同時々噴煙の外側高 度約四千米附近に友暗色幕肢である。日用倉市一討に類似の雲形噴煙の縁透よb
放射的に現はれ左旋し噴煙の 後部に流る L P } 認めた。十七時に至b
噴煙の周透高度約七千米附近には先端偽各部一戸の如く内部屠念雲に 類似の幕朕雲現はれ漸次噴煙周迭に援大すると共に幾分上下運動をなしっ、左旋の妖泌を眺められた噴 煙の周法には斯く数種の雲形現はれ而し℃其運動よb
察するに噴煙周迭の気流には水平及び垂直軸の渦 動運動と並に日升勝運動の作用が併殺遣れたるものと思はれた。共外山頂附近には時々層雲羽滅し斯℃夜 に 入 っ た 。一
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E司 度 噴煙の.猛烈なる勢力にて昇騰せる頂貼は附近に浮泥せる中層雲界を抜く乙と山頂、雲間距離の数倍でぁ
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た、而して噴煙盛期の十七日十四時時田所構内よb
御ケ峯の内壁部よb
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升騰せる羊毛放の重昼せる噴 煙頂鈷を経緯儀にて測定せるに仰角二十二度を得、た。営所と駒ヶ岳との直径距離三十二粁五にて之よ b 噴煙の高度を概算するに十三粁一である翌十八日活動勢力著しく表へ噴煙鼠白色のみとなった十五時の 測定にては仰角十度で噴煙の高度は命ほ五粁七であった。 因に十七日十一時駒ヶ岳よb
北西方約四十粁山越郡八雲町銭道保線遁信区助役所千代亀氏は測高器に よって八雲町よb
測定した際は噴煙の高度約十三粁九を得たとの之とである。 山頂の観察 I C 爆設の順序 十七日十三時四十分よb
五十分の問軍川及び大沼鐸にて駒ヶ岳火口原よ b の噴煙を望ひに東部は肢に 鼠色稀薄らぎ中央部には陪鼠色の噴煙を上げ濠々として駒ヶ岳の迄か東方一面を閉ゴしてゐた砂原岳及 ぴ鋭ヶ峯の内壁に緩く火口原よ ι リは噴煙と友砂猛烈に噴出井騰し且つ瀧津瀬の如く落下飛散するものと また同断なく拠出する岩塊等は天に舞ひ擁℃山頂、山腹に落下する T Y -) 見るや其衝撃の跡よb
白煙細塵を 掲ぐるの朕景は貨に壮観なるものであった。而して噴出友砂の上部は羊毛紋噴煙の関塊室昼モク/¥とι
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火口原土答に溢れ猛烈に H 升 騰 し つ th あった、之等の噴煙朕況よゐノ考察するに今岡の爆後噴火は楠国形火口原内数所に爆殺口を生成したる志の、如
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而し℃その第一撃は火口原の来壁なる海鼠山附近に起b
次で活動は漸次中央部よb
最後に火口原の北壁砂原岳若しくは南西壁である飢ケ峯の内壁下底附近に あったものと思はれた。 降灰石の分布と深度 爆殺噴火の先駆であった十七日未明の降友は多少砂礁を交へたもの、共区域は山麓の来及川 ω 南東のみ で鹿部村部内に止まったらしい、併も降友の時間は僅少で一時的の現象であった. 次で十時乃至十時 二十分の聞に於て大爆後の活動に入b
乙、に頴著友降・一次石を鷲らし噴煙は遠く来乃至南東方に燥さ次で 叉南方にも僚散した。而して営日上、下層共北西風であった、め降友石は可なb
遠距離に運ばれた、邸 ち十七日よb
十八日に務 h J 多少の降・灰を見たるは茅部郡宿野透,尾白内、砂原、鹿部、臼尻、尾札部の 各 村 並 に 白 諸 国 郡 七 飯 、 品 調 田 , 湯 の 川 、 銭 品 調 、 深 . 戸 井 、 尻 岸 内 、 根 治 華 の 各 村 一 帯 に 渉 b 約百八十方粁共内 茅部郡宿野透,尾白内の雨村亀田郡七飯村南宇都、亀田、湯の川、銭亀樺戸井各村は微量であって僅か に葉面汚濁の程度に過ぎ-なかった。但し宿野透.尾白内、砂原の降友は十八日未明南乃至南東風となb
乙れに伴ったもので此際の降友は向ほ迄か北方に波及し謄振、日高,及び十勝南部の沿岸にすで注した 室蘭に℃は多少の堆積、があったとの乙とのである。 降石の区域は茅部郡砂原村の東部よb
鹿部、臼尻、尾札部の各村、亀田郡七飯村字軍川の一部、湯の一
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川、銭亀津村山岳地方,尻岸内、椴法華の各付に渉b
百四十六粁に及び海上にては著し3
遠距離に建じ たるもの、如く且つ多量の降石にて嘗日噴火湾沖合航行の汽般数般は降次に由る視界の縮少と海上浮認 の軽石のため一時航行不能に陥b
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と報ぜられた倫中央気象喜一夜行六月分気象要覧によると官時汽般 ジ ア イ 、ォプ、ピクト η ノア銃は北緯四十一皮四十四分、来径百四十四度二分ぞ東方へ航海中午後二時 四十五分軽石末の λ ト1
ム本般上を通過せ'りとの無電報告があった旨記載ぶれて居る。恰も其地知は襟 裳岬東南東沖 A 口で駒ヶ岳よb
東南東方約二百八十五粁の地黙である。乙れよ λ リ推察するに駒ヶ岳今岡活 動による噴出石の飛行は海上三百粁内外の遠距離に注したものと思はれる。 降石は殆いこ浮石質で表面、内部とも概ね鼠色を呈してゐるが内部黄禍又は暗禍色のものも少くはなか った。鹿部村第三夜電所主任佐々木氏は同所附近に降石落下した降石の和大なるものを拾以上げんとせ しが手を鰯れ得. 3
る耗の高温であって足下に墜すや脆くも砕片に破壊しカ其際内部を見ると黄褐色であ って其他数種の降石に付て賃験して見ると高熱のものは多くは内部実褐叉は茶褐色を呈してゐたとの乙 ξ で あ っ た 。 降石の深度は南東山麓に最も深く鹿部村字小川よb
折戸附近にては貨に百五十組を超へ併も降石の大 なるものは径四十五糎を測った。而して宇小川附近にて一農家の屋側に堆積せるものを除掘しつつあっ た際共屠を見ると磯屠は下底に細磯で次で大とあb
交 互 五 屠 を 一 不 し で あ っ た 。-
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