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ドキュメント内 駒ヶ岳爆發噴火調査報告 (ページ 62-71)

駒ヶ岳爆後噴火被害表

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以上の外電信.電話線柱の被害約登高固とす︒

今同駒ヶ岳噴火については高松鹿部村長よ

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迅速報告を受け且つ重て噴火経過記録を寄せられ叉鹿部

村字小川画館水電株式命日枇第二後電所石川重宜氏︑掛澗騨長通ケ・森孝三郎氏よ

b

噴火目撃手記︑画館師範

皐校教詠松丸乙好一氏︑画館市梅川吉五郎氏よ

b

特に潟異の寄贈あ

b

叉望月森町長官佐々木砂原村長︐長

谷川宿野透小墜校長よ

b

該地方一般肢況の報告等夫々有盆なる資料を受く.大沼公園事務所小竹書作氏

b

調査上種々の便宜を奥へらる︒其他第一夜電所間瀬氏第三後電所佐々木氏︑函館中島十校橋本氏並に

本別村波蓬氏銚子口水上氏等諸氏の経験談を聞き多大の多考となれ

b

弦に記して厚く謝意を表す︒

駒ヶ岳噴火と渡島西部の地震

那須火山帯の北端部は北海道の中央火山帯となって其延長は樺太西岸に山達してゐる︒而して此帯上に

は利尻山︑増毛火山棄があ

b

中央には後志山菜︑がある暇夷富士郎ちマヅカリノヌプηノを主峯とする火山群

で乙の中には命活動して居る樽前山︑有珠岳︑がある更に火山帯の南部は渡島牛島の東部であっ℃︑乙れ

には駒ヶ岳と恵山の活火山がる檎前山︑有珠岳及び駒ヶ岳は明治三十八年よ

b

同四十三年に至る問に連︒

緩して活動した乙とは普︿知られて居る乙とである︒

此火山帯に属する石狩以南︑後士山山地︑渡島牛島及び火山帯縁迭の地方に於℃本年一月以来地震頻後

し例年よ

b

其活動が著しかった今中央気象憂後行気象要覧に擦

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本道附近に接現したる地震同教を月別

に奉げ℃見る但し六月は駒ヶ岳噴火前日の十六日迄の同教である︒

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六月中旬に至る有戚地震六十五同笹川戚地震八十八同会計百五十三同に達した各月の朕況

は四月は少しく鎮静し小康を得たるが如

3

も其他は毎月二十同以上の有戚無威︑地震があった︒就中一

月︑六月は三十同以上で活動稿旺盛であnった三月もまた比較的多数を示した︒其震央知は概ね北海道東岸

沖で所詰外側地震帯の活動とも見らる忍のであるが︑又前述北海道中央火山帯地域にも頻繁にその現象

があって殊に一月︑六月に多数の後現計見たのである︒次には前記本道附⁝況に殺現した地震同教の内よ

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火山帯及びその線透に起った地震の震源と同数を採録する︒但し無戚同党の局後は其観測地を記した

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右の如く火山帯の東及び西透並に其中域地方に殆と毎月に・渉

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其現象があって総計三十六同・ゲコ不し宅

ゐる本道附近に殺現せる地震総同数の二十四%である︒

由来本道西部地方は一般に地震現象稀少なる地方であっ℃殊に室蘭附近の内陸地及び天盤沿岸積丹

宇島附近︑︑後志西部地方に震央を有する地震は全く稀有の乙とである︒乙れ等は敦れも中央火山帯に合︑

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L地方であって岐に仲冬以来かく頒繁なる地震現象は要するに火山帯活動の象徴であったとも思は

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震度であった︒然るに乙れと殆ど同時刻に渡島図槍山都厚持部村大字館村バ函館ょ

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西北西c (室蘭測候所観測後震時は十二時二分)

と推定遣れたのであるが渡島北部にては

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三ナ五粁六﹀に局部地震後現し地鳴を伶ひたる強震で振子時計の愛位棚卓上の物鐙轄倒落下じ且つ 庭介に壁︑内張紙︑庭等に亀裂を生じた︒此強震を初授とし翌朝に渉

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強弱約二十六同の地震ぁ・9爾後

二十四日に至るも命ほ日々約十同内外の弱震あ

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︐村民恐怖危倶に簡裁はれ極度の不安を威した程であっ

た︒数十年来居住の古老も末︑究官って経験せゴる珍事と号一口はれて居る︒品町田時館村小皐校長板谷馨氏は日

々共朕況を手記して有盆なる資料を寄せられた︒其報告によって見ると此地震は三月中旬に至って漸く 震度も表へ且つ同数も減少したが俗間欺的に後現し五月下旬に及んだ︒而して地震の際は概ね地鳴を件

つ℃ゐた︒叉草に地鳴のみに過ぎなかった乙ともある︒斯くの如く・数月に渉

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弱数十同の地震現象が

あったが館村と函館は僅かに三十五粁徐の間隔距離なるに函館測候所地震計(大森式簡単微動計)には 同地附近を震央とする地震記象は一同の観測も得なかった︒乙れ等の貼よ

b

推察するに館村附近特援の

地震は地殻の比較的浅一層に震源黙を有してゐたものであろう︒板谷校長の報告によ

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一月以来に於ける

同地観震を句別同教に計上すると左の如くである︒

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しならば逢かに許多の同教に注したものと思はる︑のである︒之を要するに前記の如く局

後地震頒殺せる檎山郡厚謀部村大字館村地方は従来本道附廷に於ける地震後現地帯と其位置は全く異な

ってゐて︑そして其現象の斯く数ヶ月に渉

b

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3

は特殊の性質を帯びた地震と考へらる︑のである︒

舘村は駒ヶ岳火山よ

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南西方約三十五粁八に在

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乙の間渡島中央山脈によ

b

拐されてはゐるが︑大館

に近接せる地方である︒其数月に渉る局後地震は今問駒ヶ岳活動と相互関係があって爆殺噴火の速さ前

兆とも思はる

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五月に火山帯の西縁透である後志図神威岬沖︑書都

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南尻別の雨地に局殺地震があって六

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駒ヶ岳活動の前日までは火山帯の来設である天盤図

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に窓山沖よλソ稲東方(襟裳岬の迄か南西部)に震央を有する地震が頻殺した︒印ち火山帯附近に殺現の

地震は噴火活動の数月前に肢に其西港・に起

b

漸次東還したかの如

3

翻あるは桜めて興味深

3

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である︒本年一月以降駒ヶ岳噴火前日に至る毎月本道附近に後現した地震の震央並に無戚地震翻測地姑

等国示して一覧に供する︒

北海道西部又は南西部に局後地震があって後数月の時日を経て中央火山帯の火山檎前︑有珠︑駒ヶ岳の

説れかが活動を開始せる之とは位以往の事賃にもあった︐時間・家の参考とし℃乙れ等の関係を一括して左に

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掲記する︒

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駒ケ岳 檎前山

有珠岳 緯前山

駒ケ岳

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安政三年八月二十六日爆後

同年七月二十三日謄振︑日高図沿岸に渉

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強震起

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津浪を伴った︒

明治七年二月八日爆殺

爆後後の二月二十八日天盟関留前児激震起

b

山崩れ︐家屋︐橋梁等多数の破損を見た︒

明治三十八年八月十九日爆殺

明治四十二年一月二十二日爆後

四十一年六月二十日頃よ

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利尻郡漣文島附近海底よ

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鳴動地震を殺し翌四十二年五月下句作ま

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緩い

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明治四十二年七月二十五日爆脱税

爆殺よλ三二十六日前印ち六月十六日天盤図留前に強震があった︒

大正八年六月十七日爆殺

同年五月五日よ

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渡島岡松前郡一服山地方に微震︑地鳴を殺し時々弱震を交へ︑五月十八日は五

同の有戚地震があって最盛氏遣し爾後間欲的に就寝現して六月八日まで縫演した︒

ドキュメント内 駒ヶ岳爆發噴火調査報告 (ページ 62-71)

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