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ドキュメント内 駒ヶ岳爆發噴火調査報告 (ページ 36-41)

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噴煙の.猛烈なる勢力にて昇騰せる頂貼は附近に浮泥せる中層雲界を抜く乙と山頂︑雲間距離の数倍で

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た︑而して噴煙盛期の十七日十四時時田所構内よ

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御ケ峯の内壁部よ

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升騰せる羊毛放の重昼せる噴

煙頂鈷を経緯儀にて測定せるに仰角二十二度を得︑た︒営所と駒ヶ岳との直径距離三十二粁五にて之よ

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噴煙の高度を概算するに十三粁一である翌十八日活動勢力著しく表へ噴煙鼠白色のみとなった十五時の

測定にては仰角十度で噴煙の高度は命ほ五粁七であった︒

因に十七日十一時駒ヶ岳よ

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北西方約四十粁山越郡八雲町銭道保線遁信区助役所千代亀氏は測高器に

よって八雲町よ

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測定した際は噴煙の高度約十三粁九を得たとの之とである︒

山頂の観察

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爆設の順序

十七日十三時四十分よ

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五十分の問軍川及び大沼鐸にて駒ヶ岳火口原よ

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の噴煙を望ひに東部は肢に

鼠色稀薄らぎ中央部には陪鼠色の噴煙を上げ濠々として駒ヶ岳の迄か東方一面を閉ゴしてゐた砂原岳及

ぴ鋭ヶ峯の内壁に緩く火口原よιリは噴煙と友砂猛烈に噴出井騰し且つ瀧津瀬の如く落下飛散するものと

また同断なく拠出する岩塊等は天に舞ひ擁℃山頂︑山腹に落下する

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)見るや其衝撃の跡よ

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白煙細塵を

掲ぐるの朕景は貨に壮観なるものであった︒而して噴出友砂の上部は羊毛紋噴煙の関塊室昼モク/¥と

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火口原土答に溢れ猛烈にH

升騰

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thあった︑之等の噴煙朕況よゐノ考察するに今岡の爆後噴火は楠国

形火口原内数所に爆殺口を生成したる志の︑如

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而し℃その第一撃は火口原の来壁なる海鼠山附近に起

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次で活動は漸次中央部よ

b

最後に火口原の北壁砂原岳若しくは南西壁である飢ケ峯の内壁下底附近に

あったものと思はれた︒

降灰石の分布と深度

爆殺噴火の先駆であった十七日未明の降友は多少砂礁を交へたもの︑共区域は山麓の来及川

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南東のみ

で鹿部村部内に止まったらしい︑併も降友の時間は僅少で一時的の現象であった.

次で十時乃至十時

二十分の聞に於て大爆後の活動に入

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乙︑に頴著友降・一次石を鷲らし噴煙は遠く来乃至南東方に燥さ次で

叉南方にも僚散した︒而して営日上︑下層共北西風であった︑め降友石は可な

b

遠距離に運ばれた︑邸

ち十七日よ

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十八日に務

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多少の降・灰を見たるは茅部郡宿野透︐尾白内︑砂原︑鹿部︑臼尻︑尾札部の

各村

並に

白諸

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七飯

︑品

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︑銭

品調

︑深

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尻岸

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根治

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各村

一帯

に渉

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約百八十方粁共内

茅部郡宿野透︐尾白内の雨村亀田郡七飯村南宇都︑亀田︑湯の川︑銭亀樺戸井各村は微量であって僅か

に葉面汚濁の程度に過ぎ‑なかった︒但し宿野透.尾白内︑砂原の降友は十八日未明南乃至南東風とな

b

乙れに伴ったもので此際の降友は向ほ迄か北方に波及し謄振︑日高︐及び十勝南部の沿岸にすで注した

室蘭に℃は多少の堆積︑があったとの乙とのである︒

降石の区域は茅部郡砂原村の東部よ

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鹿部︑臼尻︑尾札部の各村︑亀田郡七飯村字軍川の一部︑湯の

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川︑銭亀津村山岳地方︐尻岸内︑椴法華の各付に渉

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百四十六粁に及び海上にては著し

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遠距離に建じ

たるもの︑如く且つ多量の降石にて嘗日噴火湾沖合航行の汽般数般は降次に由る視界の縮少と海上浮認

の軽石のため一時航行不能に陥

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と報ぜられた倫中央気象喜一夜行六月分気象要覧によると官時汽般

︑ォプ︑ピクトηノア銃は北緯四十一皮四十四分︑来径百四十四度二分ぞ東方へ航海中午後二時

四十五分軽石末のλト

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ム本般上を通過せ'りとの無電報告があった旨記載ぶれて居る︒恰も其地知は襟

裳岬東南東沖

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口で駒ヶ岳よ

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東南東方約二百八十五粁の地黙である︒乙れよλリ推察するに駒ヶ岳今岡活

動による噴出石の飛行は海上三百粁内外の遠距離に注したものと思はれる︒

降石は殆いこ浮石質で表面︑内部とも概ね鼠色を呈してゐるが内部黄禍又は暗禍色のものも少くはなか

った︒鹿部村第三夜電所主任佐々木氏は同所附近に降石落下した降石の和大なるものを拾以上げんとせ

しが手を鰯れ得

る耗の高温であって足下に墜すや脆くも砕片に破壊しカ其際内部を見ると黄褐色であ

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って其他数種の降石に付て賃験して見ると高熱のものは多くは内部実褐叉は茶褐色を呈してゐたとの乙

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降石の深度は南東山麓に最も深く鹿部村字小川よ

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折戸附近にては貨に百五十組を超へ併も降石の大

なるものは径四十五糎を測った︒而して宇小川附近にて一農家の屋側に堆積せるものを除掘しつつあっ

た際共屠を見ると磯屠は下底に細磯で次で大とあ

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各地に於ける降次石の始終時︑降石の大小︑並に深度は左の如くであった︒

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ドキュメント内 駒ヶ岳爆發噴火調査報告 (ページ 36-41)

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