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十二時三十分に至
b
噴煙は駒ヶ岳砂原岳問を溢るL
程度
に巾
由民
くな
b
轟々たる一音は地響と共に烈しく鰹及び住宅の窓硝子に響く振動には今まで妊観は遇
3
て恐怖当へ受へる程度'どなb
寅に物凄
3
光景となh J
ました
︒
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︑ ︑ ︑
此時駒ノ背の中央押出爆に向ひ熔岩?は白煙と共に元ク/¥と越えて流下して来ましたが小量であ
b
ましたeから駒ノ背の中腹で止ま
b
白煙も直に消へ去b
ました︐乙の熔岩の白煙は全く純白にして噴煙の‑灰
色と
は全
然匝
別
8
れ何人も容易に分b
︑ました︐午後零時五十分砂原蜂よb
の電話にで鳴動は烈しく硝子戸は間断なく振動し危険は刻々迫って来た故家族を避難せしむる様との話であ
b
ました嘗際に於ても裕一子戸に振動は戚じ・ましたが乙れは朱一気の振動が主である裁に思はれました其後依然猿
b
なさ猛烈3
を持綴じ大石は盛に透に飛散して居'りましたが午後四時過
3
までは熔岩の流下を見ませんでした︒午後四時五十分に至
b
又々熔岩は駒ノ背を押出津に向って流下し司ましたが今度は前よb (
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時三十分)︑ ︑
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も大量に駒ノ背を越え℃モク/¥と限
b
なく異様な遠浅で流下しました業内に砂原岳の頂上にも白煙がチラと見えましたから熔岩は向山をも越えるものと思ひましたと乙
λ
夫は直ちに消え去b
ました︐と乙ろが其后約一分間位の間隔があ
b
ましたが︑また岡山頂上に白煙が見えたと思ふ間もなく熔岩は非常な︑勢を以て流下しました丁皮盟内の石鹸泡が溢る︑採な具合でゐ
b
ました.此時午后五時であb
まし
た営
︑
時砂原四時を五時十分後の最後の避難者総迭列車が出殺し皆同時には二十分に到着しましたが熔岩は其時銃
に山麓まで流下して居たものと思はれました同列車か尾白蝶に五時二十八分に到着し︑ましたが其時は押
出深よλリの熔岩はま︑だ白煙を立て︑山麓を流下しつ
L あ b
ましたが此熔岩は午後五時以後二同目のものとの尾白内藤員の話でした︑然し乙れは間もなく止まった様子であ
b
ました︑此止った時刻は確かなと乙ろは分明しませんが五時二十二︑三分頃かと思ひます云々
命十七日よ
b
二十一日の問尾白内.掛澗︑砂原際観測の降次朕況を添記しあった共朕売は.月 日
天気
十 七 日 十 八 日 十 九
日 二 十 日 二十一日
各 宰町主主尋
尾 白 降友なし
内
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事F
年地
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浮
扶
況
主~D
早朝より少々降友わり
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平 方 ミtr 掛
し
早朝より降・灰わり
牛 前 十 時 頃 よ り 最 も 詫 し らず 将一しき降たたるも十八日程な 少々あり
以後降双なし
砂
早 降友なし 朝 よ り 甚 し き 降 民 わ り 午 前 十 時 頃 よ り 吹 雪 の 如
︿ 豆
︑ 六 十 問 離 る と き は 何 人 な る や 認 識 能 は ざ る 程 度 な り 少 々 の 降 灰 あ り
甚しき降・双なるも十八日の如
以後降友なし くならず
原
騨
=亘註・思
少々あり 降 友 甚 し き も 掛 澗
︑ 砂 原 の 程 な ら ず 以後なし
裁縫教員後見報告したるは午前十時二十分︑非常報鐘
卒一生徒を校庭に召集︑賃売を観察せしめて概説し本校非常規定に基きて訓話し沈着念ぎ錆
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家族と行︑ ︑ .
︑ .
動を共にすべ
3
乙とを命じ遁墜部長引卒解散せb .
命家族不在なる場合はアセ一フズ行先の附近の人に
島三",' 軍空,
翠迄
宿野透小墜校長長谷川彦次郎氏日記抜李
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尋ね数時に及ぶも不明なるときは墜校に来る乙と︑其家‑に於ける手際の青年訓練生は皐校に集令方停
遠方をも附言した且夕︑家族ある職員には家庭の始末時を奥へ蹄宅せし
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︒午前十時四十分観測所を定め風向一不旗を校合屋上高く設置す︐最后遜難地た雨山高憂とし熔岩の押出し婆々川に至らば校地を引
揚くべく夫れまでは校にあ
b
て朕況観察︑奉街︑書類の整理︐部落監視に任ずる乙と︑したb
︒午前十一時鳴動稲弱含る・h一以は集感一戸のためならんか︐十二時前後晴天岩根まで自然色鮮かとなる︑
奇親︑美加側︑壮烈筆紙に蓋し難く唯阿然︑たるのみ午後零時三十分よ
b
逐次加鳴動事加電刻一一刻と猛烈を極む︑午前十一時には焼山方面の椋女老人病者︑山崎方面の人々駒ヶ岳︑赤井川雨騨に捷径又は鍛
道子
}遁
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て雲集し来
b
避難午后三時三十分までには上b .
下
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列車にて本郷︑七飯︑函館方面本町森︐鷲ノ木︑石谷︑石倉︑落郎︑山越︐八回一一戸︑長高部方面に向く.午后五時迄には村内殆んど全部逃れ去
b
たb
︑熔山石流出したるは午後二時三十分後の乙とにして第三同以后は殆ど連績其速度の迅速殺る乙と驚くの外なし︑東南の天暗健司隣村の悲惨を想像して同情念禁ずるを符ず︐風は北に無風に時々縫
れども主として北西の軟風なら
3
午后三時四十分望月町長巡視来訪を受け測行所長来村の乙と︑其所見の概要を承く又函館新多枇班の家村探検あ
b
函館岩井先生一行二十鈴の来校現朕視察.七飯村大江君の来校あ
b
たるに村内絶えて人馨なき折柄何となく心強主を戚じたb
︐夜は月影淡
3
校合屋上観測所よ
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凄惨火を吐く駒ガ峯の天を仰ぎ見っ︑校を街
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部落
の松
一一
目備
に任
した
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︒熔岩は数町先きの字焼山に押・白人苛する一音地を停ぴ戚知したるも動せずし℃夜を明せ
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噴火は夜の十二
時まで猛烈を極め十八日とな
b
て漸次静まら午前一時三十五分俄かに止む・前日よ
b
吉田巡査は鐸前ににあ
b
て本
若干
ζの連絡をと
b
避難民家訪者の取締
b
部洛監規に任じた
b
と︑同日午前十時には前日同刻と間程度にな
b
たるが暫時にし℃静まる︒未明亜硫酸一九斯のためかmm
bd植物は萎れ或は葉末枯る︑微か
なる降友もあ
b
たb
︒噴火山富国の地震詑象と雑象観測
営所に於ける噴火常日の地震計記象並に山頂展望による雑象観測事項乞左に記述するに.
地震計記象
営所地震計(大森式筒皐微動計倍率十倍)には殆ど噴火活動盛衰に伶って此問脈動
日以振動を記象した︑印ち十七日零時二十六分間十二秒殺震八分間縫績を初殺として次で八時三十秒よ
b
十分三十秒間︑八時十一分よ
b
三十八分問︑九時五十三分三十八秒よ
b
三分三十秒間の振動と更に十一時頃よ
b
以上各振動と同型の脈動朕振動記象機縫し十六時二十二分よ
b
振幅稲増大十九時よb
二十一時の問は平均週間三秒振幅三十乃至三十五ミクロンを測った︑特に十九時四十一分よ
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同時四十三分間は顕著の振動で週期四秒五振幅一八五ミクロンに達した爾後は次第に減少して十八日零時十五分会く其記 象 消
来
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成象 に 観 至
誤リ
つ
プ と 十時五十五分北方に在
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し霧消散し初めて噴煙の景肢を眺むるを得た十一時其頂劫を