修身教科書剽窃事件
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(2) ないかという新たな疑惑が提起され,また一方では剰窃批判そのものが教科書会社間の過 当競争の産物ではないかという憶測も生じるに至った.劉窃にせよ代作にせよ,それが事 実であれば修身書の権威は地に墜ちざるを得ない。教科書売込み競争が過熱した結果の中 傷にすぎなかったにしても,中傷の主体ほむろん教科書会社と考えられるから,そのよう な会社の発行する修身書の権威低落ほ免れ難い。ところが修身科ほ天皇制教育の中心教科 であるから,その教科書の権威失墜ないし低落は,天皇制教育そのもののかなえの軽重が. 問あれることにも連なるoそれゆえ,教科書制度史の上でほ無視されてきたこの剰窃事件 ち,視点を天皇制教育の推進と挫折というところに移せば,無視してよ′いはどの些細な事 件だとはいいきれないことになる。. 本稿ではこのような立場から,従来余り知られていなかったこの事件の概要を,剰窃の 有無の検討を含めて明らかにし,その教育史的意味について考えることにしたい。 注. 1)森文政期における修身教科書不使用問題を,教授法史という角度から考察した好論文に,蘇 生千明「森文政期における修身口授法の採用とその教育観的背景+ (『弘前学院大学・弘前学院 短期大学紀要』 20号, 1984年3月)がある。 『教育時論』323号,明治27年4月5日, P.30fE. 2) 3)山田昇「教科用図書および徳育+ (海後宗臣編『井上毅の教育政策』 1968年),土方苑子「明 治の教科書と『リベラリズム』+ (『歴史公論』83号, 1982年10月),梶山雅史『明治期における 教科書の編纂・出版実態ならびに編纂権威・権限の移行過程の研究』(昭和57年度科学研究費補 助金研究成果報告書, 1983年3月),同「教科書検定制度の成立と崩壊+ (『講座 日本教育史』 3, 1984年). 天野の『小学修身経』に他の修身教科書を割窃した部分があると主張したのほ,. 1894年 19日の『日本』耗上をこ掲載された「徳育教科書の比較+と題する一文である. 「東北の-村学究+なる人物からの「寄書+という形をとるこの文章は(以下「寄書+と. 3月17日・. 略称),まず次のように述べる。 近ごろ我が地方に於ても徳育教科書の事に付き教育者大に苦心し,余が一地方に教育 家たるの故を以て,数種の教科書に調査を依嘱せられぬ。扱て余の手に渡りたるは末松 マ1′. 謙澄氏の『修身入門』,渡辺政吉氏の『日本修身書』,井上頓国民の『小学修身』,重野 安鐸氏の『小学修身』,及び天野為之氏の『小学修身経』,凡そ此の五種なりき。余ほ此 の五種を漸次に一読したるに--最も奇なりと思ふは天野為之氏の著なり--・氏の『小 学修身経』といふものは,他四種の教科書より抄輯したるが如き処甚だ多し。 そして20か所にわたって『小学修身経』と他の修身書との類似点を列挙した上,次の如 く結んでいる。 以上の比較を一見せば,誰か其の相類似するに驚かぎらんや.但し出版の日は兎も角 も,編輯ほ何れか先にして何れか後なるや余の知る所にあらずo従って各著者が天野氏. の著羊り剰窃したるか,天野氏が名著著より抄輯したるかは定かならねど,唯だ余は天 野氏の著書が各書中こ類似する処甚だ多きを感ずるのみ。堂々たる東京の大家にして糊と.
(3) 修身教科書鄭窃事件. 3. 努刀との著述もあるまじければ,記して世人に疑を質し,併せて教育社会に注意を喚起 するものなり。貴社幸に之を余白に掲げなば,独り余一人の栄のみならざるなり。 比較対象となった修身教科書の初版発行年月日・検定済年月日等ほ以下のとおりで,上 引の文章でほ「各署暑が天野氏の著より剰窃したるか,天野氏が各著書より抄輯したるか ほ定かならねど+と述べているものの,初版発行時期からみて末松らが天野の著作を剰窃 することほあり得ない。従って天野が剰窃したという言い方こそしていないが,天野の修 身書ほ兼松らの著作を「抄輯した+ものだというのが,この「寄書+の結論だったという ことになる。. ○兼松謙澄『小学修身訓』 92年5月16日発行,. 93年8月19日検定済,精華舎刊(以下. 『末松』と略称) ○重野安揮『尋常小学修身』 92年5月17日発行, 野』と略称). 93年8月19日検定済,八尾書店刊(『重. ○渡辺政吉『実験日本修身書』 93年6月27日発行, 辺』と略称). 93年9月18日検定済,金港堂刊(『渡. ○井上病因『尋常小学修身書』 93年8月16日発行, (『井上』と略称). 93年8且24日検定済,阪上書店刊. ○天野為之『小学修身経』 93年11月17日発行, 94年2月8日検定済,富山房刊(『天野』 と略称) 『天野』が『末松』等と類似するとされた20か所のうち, 8か所ほ挿絵,他ほ文章の類似 を指摘したもので,それを整理すると第1真の如くであるo しいといえるかどうかについてはのちに検討するが, 「寄書+の主張ほ,一大センセーションをまきおこした。. この指摘が果してどの程度正 『天野』を事実上剰窃ときめつけた 「寄書+前半が発表された翌日. にほ,早速これに呼応して天野非発の声をあげる新聞が現れている。 ○似たりや似たりや 天野為之氏が編述に係る修身書は既に或る県にては採用相成た るよしながら,同書ほ末松氏の修身入門--などを切り抜にせし物たりとは,教育社金 一般の評たり。然れども天野氏は苛くも学士を以て聞えたる人なり。人の樺で角力を取 り人の懐で暖め酒を飲む如き卑劣手段はよも為さぎるべく,暗に符合せしものならんと 我々ほ信じて疑ほざるなり。然れども-著述を為して我が名を記することならば,若し 人の作意に額せし所ありと認めなば,速かに改正して一機軸を見するほ著者として当然 の勤めなるを,天野氏此一点を欠きたるほ,杜撰の競りを免る能はぎるべく努々氏の為 めに惜む所なりと,或る人嘆じて語りぬ1)。 ○天野為之の修身教科書は最も後れて著作せられたるもの,而して其輯めたる条項及挿 画の多くは末松以下二三子のものしたる教科書に就て其粋を抜きたるかの如き形迩,歴 々不可掩と云ふ。去れ李下の冠,瓜田の履,尚君子の慎むところ,天野文学士たる者自 ら省みて疾しからずんば則可雪). 「寄書+後半が発表されると,剰窃非難の叫びはさらにひろがり, てほ次のような記事がみられる。. 20日から24日にかけ.
(4) 第1表 番. 号l 1. 「寄書+指摘の『天野』と他書との額乱点. 『天 野』. E. 他. 書. t. 類. 似. 入-1-4. 『末松』入-1-4. 構成・順序. 入-1. 『兼松』入-1. 父母に挨拶する図. 入-5. 『重野』 1-6. 幼童早起の図. 入-7. 『重野』 1-7. 食事の囲. 入-10. 『末松』入-10. 長者・教師に敬礼する図. 1-1. 『井上』 1下-5. 鳳撃の図. 1 -10. 『井上』. 1-3. 拾得物を届る図. 1 -13. 『渡辺』2-1. 小川泰山通学の図. 1. 『渡辺』2-20. 制札を守る図. -19. 10. 4-8. 『末松』中一8. 交友の文. ll. 4 -24. 『兼松』高1-17. 節倹の文. 12. 3-1. 『兼松』上-37. 君恩の文. 13. 3-4. 『兼松』中一1,下-1. 父母の恩の文. 14. 3-7. 『兼松』上-6. 友愛の文. 15. 3 -14. 『兼松』上-14. 正直の文. 16. 3 -17. 『未松』下-20. 容貌の文. 17. 3-9. 『兼松』下-12. 交友の文. J3. 『兼松』高. 長上尊敬の文. 18. r司. 19. 2-3. 『兼松』高1-2. 父母の恩の文. 20. 2-7. 『兼松』高1-3. 摂生の文. 注)入は入門,. 点. 1-1は巻1,. 1課,高は高等科用の略(以下すべてこのように略記). ○事実真なる乎(天野文学士の修身書の擬似?). --少なくも君子を以て自ら任ず る天野文学士の編著にして,而かも徳育の実行に資するの希望に出でたりてふ修身書に して,事実果して之れありとせば,余輩は管に編著の欠徳に向って遺憾とするのみなら. ず,教育社会の現題を代表するものとして,今の学界の暗黒に失望の涙を濁がざるを得 ず)0. ○修身書の著者たる老. 苛も国民の師範ことに修身道徳の師範,その筆にする所は一. 々可憐なる児女の頭蓋に盛られて国民の一生を支配するに足る.彼が肩ほ如此清自にし て森厳なる天職を荷ふなりo然るを何事ぞ,近来彼等の或る老ほ浸りに此天職を軽んじ て,自家の口腹を肥サー種の商売的事業となす。此に於てか多くの社旗なる修身書ほ,.
(5) 修身教科書剰窃事件. 5. 彼等或る者の手に出来上る也oその出来塩梅の如何に軽便なるよ.否な気楽無造作なる は. さ. み. よo挟刃は他の幾多修身書・道徳書に入りて其都合よき所を葬り来れり.漢語たるほ和 語に,和語たるは漢語に,長きほ短う,短きほ長う,見るが中に衣裳は変えられぬ。滑 かなる糊ほ一々そを白紙の上に張り行く也。斯の如くにして大修身書の原稿は成る。豊 に樗くべきにあらずや.頃日文学士天野其の著せる修身書に就き云々するものありo吾 未だ鼓書を見ぎるを以て其是非を知らずと維も,適々以て其一例とするに足らむか。思 ふに世猶ほ之より甚しきものあるべし。国学者井上其の修身善が,通篇古人の若草を捉 -来て一点自家の頭脳を悩まさざる類,その原稿の翁草を葬り大和俗訓を葬り,ベタベ タと白紙上に張り付けられしを想像せば,誰か著者の心術に噛吐を催さざる者ぞ.今や 天野其の事を聞き,学士会員の有力なる数氏は非常に激昂する所あり,此際協議して大 に修身書の著者たる者を紡めむとせり。余輩は教育社会のために此数氏の運動を同意す る也4)。. ○亦無人問蓋恥事. 教科書採用の事-たび各県の随意に任せられしより,書薄の競争. は雲の如く起り,種々の手段,様々の方便もて自家出版の書を俸付けんとし,其弊今や 聾するさへいと僻し。左ほい-書韓といふものは只利是覚る者なれば,競争に卑劣の手 段あれども未だ深く言ふにも足らぎれど,苛も一個の学者とし著述家として,他の著作 を剰窃し括刺し,暗然自家著述の名を冠し,書建と共に不義の浮利を怠らんとするに至 りてほ,亦無人間董恥事なり.腐らはしけれども一言課せざるを得ずo特にほ其書の徳 育の根本たる修身教科書たるに於けるをや。今ま其一つ二つを挙げんに,或修身書ほ東 久世伯著のものを骨子とし,傍ら重野・宋松両博士がものせし修身書をも割窃し来り, 三善を合して一部の新修身書とし,之に多少の革面を加-て,抱是が天野其の編著で供 ふとぞ公刊したると聞えしo之に就き-快話ありo東久世著修身書の挿画は松本楓湖の 筆に成りしに,其画太だ佳なりければ,剰者ほ一日其書を携へて楓潮が許を訪ひ--・執 れの画も此体にて少しづつ其趣を変-て別に画き玉ほらば,報酬は幾何にてもなす可し と言入れしに,楓湖ほ即座に--謝絶したりしとぞ)o ○文学士天野某 自著の修身書世評甚だ醜 ために一言の弁なかるべからず。 部の教科書検定. ナニを検定したるか。. ○修身書の著者. ○文. タシカに泥棒の一種な. り6).. 0誰の罪なる乎 るけふ此の頃,. 剰窃教科書一切抜教科書の批難の声は,今や教育界に高まり来れ 若しも此の批難をして事実たらしめば,叫々佑事,教育界の一大畷堪,. 汚醜一差耳E), 亦何の物か之に如かんo而して之れを以て啓培滴養の実を挙く小べき修身 科の図書とするは如何あらん。良し法制上文部の検定を了ふるの書ほ,之れを採り之れ を定むること府県の自由に似たるも,蘇みて徳義の上に於て,過ちを此の皮相の言辞の 間に蔽ふに甘んずべけんや-・・・一旦採定を公布したる府県の如きほ,速かに令を廃して 之れを取消さぎるべからず7)0 ○文学者と書韓と鉄道. ・.・.・・剰窃と香と,吾人は之を教科書殊に修身書の上に論評す るをだに悦づる処,而も却て業々しく揮他揚己の挙を為す者を同臭の間に出だす。暗証.
(6) か烏の雌雄を知らん8)0 ほとんど異口同音に天野を批判し,子どもに道徳を教え込むはずの修身教科書において 劉窃がなされたことに憤慨を集中しているが,一方「寄書+の指摘をこえた主菜も現れて いるoそのうち『井上』が古典を剰窃しているというのは乱暴な議論であるが(『井上』は 古典からの引用の場合・出典を明記している), 『天野』が『末松』や『重野』のほかに東久世 通商『尋常小学修身書』 (1892年5月15日初版発行,93年8月19日検定済,国光社刊,以下 『東久世』と略称)を真似ているというのは,新しい論点を提起したものといえる。このよ うな『天野』非難とは反対に・. 「抑も小学修身書ほ文部省の教則に従ひ教育に関する勅語. を遵奉し一定の範囲内にありて編述すベきもの+だから各書に無駄長のあるのは当然で, 『天野』にほ「特色の点極めて多く・固より剰窃なんどと云ふベきものにあらず+と「文 学士天野為之氏の寛→を説く記事も,他方にはみられた9)o. しかし「各地方に於ける教科 書審査会の醜聞も既に聴き飽きたる為めにや,近頃剰窃云々の時行ほれ,又将に検定に関 する一種の風説起らんとす。教科書の臭何ぞ夫れ多きや+と,検定・採択の不正と票鳩と を「教科書の臭+と批判する読者投書も現れており10)・雑誌『国光』も,次の如く「剰窃 修身書+非難の合唱に加った。 天下剰窃の類も・亦多しといふベし---今著述家の剰窃に就いて之を論ぜんに,彼の 児童教養の資料に使用せらるゝ教科書を著述するが如きほ,須らく誠正純潔ならぎるベ からずして,殊に児童の心性を滴毒し,後来有徳美行の人たらしめんことを期する修 身教科書は,一層重完至全・著者の品位よりするも編述の体裁よりするも,一点の批難 を受けざるものならぎるベからぎるほ,今更吾人の喋々を要せざる所なるベレ--斯の 如く重量至大なる修身教科書にして,若し案爵の学究ありて・・・・・・真正の国民を養成せん ことを唯一の志念とし,忠孝は一途にして愛国亦別義ならぎる所以を説き-・・・格言・事 例を悉我が邦古聖徒賢に取りて編述し・専ら経営苦辛の余に出でたるものあるを見て, 一朝之を剰窃改寛して作為し,且其の人由来国体の何たるを解せず,常に個人主義を称 導し国家主義を顧みざるものにして,名を求め利を得んが為,忽にして其の主義を翻し, 忽にして其の節操を変じ・俄に斯かる説をなし,又現に其の人,平素の言行全然斯の主 旨に反背せるものありとせんか,是其の真意を任げ世を偽るものにして,其の随劣や笑 ふベく,其の孜滑や恵むべし---日本道徳の経典として,将来の国民たる天真可愛の幼 童を教養し其の心性を育成する修身教科書には,此の如き性質の著書は断じて用ゐるベ きものにあらざるなり--かかる杜撰の教科用書あるに心附かずして,当局者の之に検 定を与へたりとせんか・当局者の失体ほ・勿論其の真亦逃るペからぎるなり。然りと錐, 是素より仮設の論にして,此の如き最醜最悪の悪行ほ,尋常学者のなす能ほざる所,況 堂堂たる文学士の肩書ある人に於いてをやo呼.. ll'o. 割窃問題のほかに天野の個人主義から国家主義-の「変節+を批判したこの記事ほ,次 のような推測・反発を生むことになった。ただし反発は変節批判に対してなされたのでは なく,剰窃非難が教科書会社の中傷でほないかという推謝紅基づくものであった. あば. ○陰険なる中傷策. 許いて以て直しとする者,聖人洗に之を悪むo混んや無実の毒矢.
(7) 修身教科書勃窃事件. 7. はな. を発って清自なる人士の上に中傷を試むる者の如きに至てほ,其面に唾し其舌を抜き其 肉を寸断するも猶飽かざるなり。近刊の国光を見よ,数頁の四号文字ほ何事を以て埋め られたるか。マコトしやかなる煉既とソラ涙とは,都て是れ剰窃教科書の攻撃にあらず や。何ぞ知らむ,其の書韓等発行の修身書評判頗る宜しく自分国光社発行の修身善が兎 角景気面白からぬよりの中傷策ならむとは。走れ或者の伝-来る所,この伝説にして信 なりとせば,国光社の如き肝の最も貯なるもの,言語同断の沙汰と云ふべし.天野某に 『日本』に 関する云々の如きも,亦コレラ-輩の手より出でたる評言にほあらぎるかo 投書したる老の実名聞きたきものなり12)0 この記事を載せた『二六新報』ほ,これまで『天野』の剰窃批判を盛ん紀行なっていた のであるが,ここに至って『天野』擁護に通じる立場に一転した.これが「変節+として 攻撃されたためであろうか,同紙は次のような弁明を試みている。 ○是々非々. 富山房と我社と何の干繋かあらむ。文学士と法学士亦何かあらむ。時節. 柄斯る批判も出るならむと堆,トンダ邪推世界とはなりにけるもの哉o我社ほ凡ての方 向に向いて不轟也oめざまし子事に安心せよ13). この弁明がどの程度説得性をもったかはともかく,上引『天野』擁護記事が述べる推測に ほ若干問題がある。第2表に示す如く,国光社発行の『東久世』は確かに「景気面白からぬ+ 状態にあったものの,富山房の『天野』も3月中旬時点での採択状況はそれはどかんばし いものではなかったo国光社にとって『天野』は,中傷の標的にするべき強力なライバル 『東久世』 『重野』 『井上』などが三重 でほあり得なかった。第2表に見えない地域でほ, 県で,汚職で有名な埼玉で『田中』 『渡辺』などが競争関係にあったが14), 『天野』はこ. れら各県では競争圏外に落ちていたようである。その後3月末までに『天野』は鹿児島・ 静岡などの各県で採択されているが15',剰窃問題が起こった3月中旬には,とくに「評判 第2蓑. 修身教科書採択状況(3月中旬) 常. 名I. 高. 知. 『学海』. 『重野』. 島. 根. 『渡辺』. 『渡辺』. 『田中』 『渡辺』. 『田中』. 『東久世』. 『渡辺』. 『渡辺』. 『重野』. ,良. 鳥. 科. l. 県. 徳. 尋. 高. 16). 等. 科. 『田中』. 秋. 田. 奈. 良. 『井上』. 『井上』. 岩. 手. 『渡辺』. 『渡辺』. 石. 別. 『重野』. 『重野』. 注) 『学海』 :学海指針社編『皇民修身鑑』集英萱刊 『田中』 :田中豊作他『国民修身書』普及社刊.
(8) 頗る宜し+という状態に偲なかったように見受けられる.. 『教育時論』が「富山房の小学. 修身経,頻に諸県に採用せらる.其勢盛なれば必ず敵を招くほ自然の数なり17'+と述べて いるのほ,恐らく上引『ニ六新報』の『天野』の擁護記事に動かされたものであろう。も し有力なライバルを中傷の標的にするのであれば,第2表から判るとおり採択県数も多く, またのちにふれる如く先行修身書との類似点も少なくない『渡辺』の方が(後掲第6表参 蘇),恰好の標的ではなかったかと考えられる。 もちろん教科書会社相互の中傷は,当時いろいろの形で行なわれていたから18),上引 『二六新報』の推測が全く見当違いのものだと断言することもできない。また教科書会社 「剰窃の悪徳に重りて尚ほ更に甚しきもの の中傷合戦を「妖妬の悪徳+と批判したのち, あり.既出の書につき,しかも同種類の他人の著につき,参伍転置し其措く所の挿画の意 匠まで擬似するものあらんか,其悪徳たる,娯妬醐口ふる幾等なるを知らぎるなり19'+と 『天野』の票tj窃問題を「寄書+が取り上げる以前の. 述べる『大日本教育新聞』の記事は,. ものだ桝こ,その意味や背景は,軽々しい判断を許さないものがある。同紙は「寄書+の 発表に先立って,剰窃修身書の存在を再三指摘していた20).しかし固有名詞は一切あげて おらず,この指摘が「寄書+に連動するものなのか香かほ不明である。剰窃教科書の存在 を同紙が抽象的な形でアッピールし,それを森けて『日本』が名差し批判を行なったとい う推測も可能であるが,単なる偶然の一致の可能性もある.両紙が取り上げる以前から 『天野』の票帽が一部で曝されていた可能性もー概に否定できない。また教科書制度につ 『大日本教育新聞』ほ現状維持論 いて『日本』ほ府県審査会廃止一国定制を唱えており, -府県審査会存置論を主張していたが21),このような両紙の主賓の差が荻上のさまざまの 可能性とどのように結びつくのか(あるいは結びつかないのか)も確言できない。 ただ『天野』は他の修身書と比較して,初版発行から検定済になるまでの期間が棲めて 短かく,この点でも疑惑の対象となっていたという事実がある22'。かって改進党代議士だ った天野ほ教科書執筆者としての適格性を欠くのでほないかといわれたこともあった23)o 『天野』はとかく話題に上ることの多い教科書だったので このように剰窃問題以外にも, ある.ところが剰窃非難の声が高まる中で,次のような代作説が新たに提起されているo 事の真相ほますます五里霧中に入っていく感が深い。 ○教科書劉窃の説. 教科書に関する醜聞一々枚挙に暇あらずo而して最近の新怪聞は. 剰窃云々の説なり--・他の一説によれば,天野氏は決して斯る無漸の所為を行ふ人に非 ず.事実天野氏の手に成りたるほ一部分に止まり,他ほ富山房の取計を以て他人の纂輯 せしものなるを,冒すに天野氏著述の名を以てしたるものにして,天野氏こそ意外の迷 惑を蒙りたるものなれとい-り.何れにしても苦々しき事共なり24)。 ママ. 渡辺某著のと題する修身書ほ,元と生田目某が編著と聞えしが,是は或善雄が一種の 手立によりて原稿を巻上げ,それに多少の改窺を加へて,抗顔にも渡辺其のものせし体 にせしものなりとかや.彼といひ是といひ,兎にも角にも修身の教科書ほどのものを撰 述せん者が,忘れても為す可きわぎなるかは25)o O名儀の貸与. 人の名を借て利を得る樽梯に為す者あれば,人に名を貸て利を得る者.
(9) 修身教科書瓢窃事件. 9. ありo千差万別の世の中に天野為之氏ほ偶々教科書の著述に就て四方の攻撃を受,切抜 き教科書と迄静名をさるゝに至れり。然るに実際は天野氏は名を貸たか借られたかに止 み. とも1+い. まり,著者の本尊ほ筑地辺に居る父は外国母は日本といふと和港内では無ふて見友内と ほう. う;. いふ人と奉加とやらいふ人の合著たるよし26)0 ○修身書の代作 何ぞ天野其のみを替めむ。重野博士のほイカニ,東久世伯のはイカ I27).  ̄ ̄. ○. 著者と称するものの内幕を窺ふときは,実に堰吐に堪えざることのみ多し。その名を 博士若くは権威の人に装ひ,その実全く著述商売人の手に成れることの果して之あるな て「r. きか。政令-ば,重野博士,末松博士,東久世伯,井上額国,天野文学士の如き人々ほ, 勿論名誉ある学者をこほ相違なしo然れども十歳前後の児童に読ましむべき教科書は,実 際此等の人々に依て適当に編纂し得らるべきや否や。末松・天野両氏の如きほ教育学上 の智読に富めるを以て,如何にして児童の徳性を滴養すべきや位の見識もあらんかo れとて実際上の教授等にほ経歴なき人々なり。況んや教育といふことに極めて縁遠き束. こ. 久世伯の如きは,決して小学校用教科書の編纂なし得べき道理なし--夫れかくの如く, 署名者と編纂者とは往々にして同一ならぎるものあり.或る書韓の利益的誘導に旺惑し て,所謂「名をかしたるもの+とせば,その罪軽からずと堆,焦らずして利益以外に何 気なく「名をかしたるもの+とせば,亦少しく恕する処なかるべからず。然れども軽忽 にして世を惑ほしたるの罪は飽まで避くる能はずo吾債は更らに名誉ある学者諸氏に告 げんとすo書韓の競争の激するにつれて他の非点を発くに至るペく,その結果ほ此の書 ほ実際某をこ依て編纂せられたるなどゝ,新聞紙上に公なるに至るべしo故に編纂上に重 大の責任なき人々は,この際署名を取消して天下に謝するを可とす。博士若くほ学士が 小学校の修身書を編纂し能はぎればとて,左程不名誉のことにもあらざるべしo. しから. ずんばその編纂の経歴を明らかにし,以て世人の疑惑を解けよ。学者社会の信用の減ず る程,世に悲むべきことはなし。蓋し学者ほ社会の灯明台なればなり28). 3月21日から24日にかけて次々に操起されたこれらの代作説は,本来ほ恐らく『天野』 擁護の意図をもつものでほなかったかと思われる。ところが『天野』が代作だとすれば他 『渡辺』,次いで『重野』『東久世』, の修身書はどうかという疑念が生まれるのほ当然で, さらに『未松』 『井上』と,有力教科書の多くが疑念の対象とされていったoそしてもし 代作なら,名儀上の著者はその旨を公表して名儀を取り消すことを求める意見までが出た しかしこの要求に答える著者ほむろん一人もなかった.ただ剰窃の非難を浴び. のであるo. た天野が,劉窃批判への反論を公表したのみであった。天野の反論ほ3月25日の『日本』 を始めとする各耗に発表されたが29), 「村学究氏の誤を弁ず+と壊する『日本』紙上での 反論ほ,表題のとおり「寄書+への反駁であり,. 「弁妄+と題する他紙上での反論ほ,. 「寄書+を含む『日本』の記事に対するものである。両者ほ表現・内容に多少の相違はあ るものの,骨子においてはほぼ同一である。天野がどの点にどのように反論したかほ,両. 者を総合するとおよそ次のように要約できる(㊨-④は「寄書+, 反論である)。. ①は『日本』の記事に対する.
(10) 10. 久. 不. 雫. 男. ① 『天野』と『東久世』とは取り上げた徳目の数や配列の顕序に異なるものがあるので, 前者が後者の構成を真似たというのほ当らない。また『東久世』巻1は単語と固から成っ ているが,. 『天野』入門ほ図と短文であるo松本楓湖に挿鹿を依頼した事実もないo. ② 『天野』入門と『兼松』入門の第1-4課が額似しているのほ,ともに「自然普通の. 順序+に従った結果にほかならない。 ③ 『天野』の挿絵に『末松』等との額似が多いというが,挿絵の類似ほ他の修身書相互 の間にも多数認められる。このような類似と初版年月の前後とを根拠に割窃呼ばわりをす るなら, 『末松』『重野』等も最も早く出版された能勢栄『尋常小学修身書』 (92年3月16 日初版発行,. 93年8月19日検定済,金港堂刊,以下『能勢』と略称)を剰窃したというこ. とになる。. ④ 『天野』と『末松』等との文章の類似は,ともに古典の文章に拠ったためであって, 前者が後者を剰窃したのではない。また剰窃とするのは附会にすぎない箇所もいくつかあ る。. 大約以上のように述べたのち,天野は「吾輩至愚と錐,聯か恥を知るもの,蓋に敢て他 人の書を剰窃する事をなさんや+と弁明してその反論を結んでいる。この反論が客観的に みてどの程度の説得力をもつものであったかほのちに検討するが,注目されるのは3月26 日以降の諸紙の論説や記事中に,天野の反論に正面から反撃を加えたものが少なくとも管 見の範囲でほ全く見糾されない事実である.剰窃批判の口火を切った『日本』や『大日本 教育新聞』も,天野反論への反批判ほ全然していないoそれどころか,天野が反論したと 4月に入ってのことであるが, いう事実そのものにも-言もふれていないケースが多いo 『教育時論』が天野の反論の要旨を紹介し30), #誌『天則』が次のように述べたのが,わ. ずかな例外といえる。 正義を以て自ら任ずる『日本』子は,天野の修身経を以て,東久世伯の修身書を骨子 とし兼松・重野二博士の修身書を剰窃して成したるものなりと断定せり。天野氏は之に 向って弁妄書なるものを各新聞に公にしたりo. 執れか是,執れか非,吾人の知る所にあ. らずとい-ども,其書を得て之を対照しなば,. 知る人は知らん。吾人は文部省に於て或. ほ審査会に於て,既に修身書の擾々に飽きぬo 亦復之を聞かざるべからず。修身か,修身か,. 今また修身書の著者天野為之氏に於て, 而してこれ修身の経なり31)0. それでは天野の反論に対する沈黙あるいほ黙殺はその泉認を意味したかというと,必ず しもそうでほない.. 『教育時論』ほ「此問題は早くも世に忘られんとするに至りぬ30)+と. 述べているけれども,決して新聞・雑誌に剰窃問題が登場しなくなったわけでもないo 月末から4月にかけての,この問題にかかわる記事,論説を次Kあげてみようo 近ごろ其教科の料にとなり出づる修身書,あらぬ人の手に成るもあり,又容るす間数 たわ業もて作り出でたるも砂からずといふ32)o. O教育社会の腐敗. 教育社会の腐敗,日たる久粂.今や修身教科書の上に就き,汗稔. の風説相捷ぎて起り,賄賂を贈る敦商もあれば剰窃を取ぢざる著述家ありo盲孔千癒, 其弊言ふに忍びぎる老あり33)o. 3.
(11) 修身教科書剖窃事件. 一般社会は其及ばん限りの潮裁力を尽し,以て偽学者・偽教育家を排斥すべし。自己 の責任を軽じ金鍔の為に惜として名氏を侍る学者の如き,生呑活剥の剰窃を以て編著の 7マ. 業とするものゝ如き,箇人の功名利欲の為に教育協会を利用するものゝ如き,其醜事を 暴露して之を天下に告白するは,走れ徒に許いて以て直とするものに非ず。乃ち社会風 教を維持する一端たりさ4)o 嵯するに堪-たり,我邦近時教育界腐敗の事.轟日の醜声未だ拭ふに及ばずしで隠然 教科書を編輯する者あり.他人の著書を到窃して公然自著を装ふ老ありo私かに当局の 吏と結んで審査検定を薫る者あり。. --是れ実に我邦如今の教育界に出現せる事実若く. ほ風説なりとす35)0. ○教科書剰窃説. 最早聞飽きたり教科書の醜聞o然るに又々近頃何博士の著述を何文. 学士が剰窃せしなどと唱ふる者ありo嵯乎修身書ほ遂に欽定を仰がざるべからず,審査 会は遂に廃止せざるべからざるか,吾人は其当否を論ぜず6)0 ○血で血を洗ふ世の中なるかな. 日く,其の文学者は其の文を横線,剰窃したり。白 く,其の教科書は其の教科書を切抜きたるものなり。日く,其の伝道師は姦淫せり,慕. の伝道師は好物なり.故に君子ほ許ひて以て直と為す老を悪び7)0 一方の学者連・著述家にして漸く其頭を拾げんとすれば,則比附引援,強て他の著書 と相似たる所を求め,大声疾吟して其剰窃を尤め其悪徳を誘り,以て其声望を傷つけん とするものゝ如し,卑怯も亦極れりと云ふべし。其卑怯なる証拠には,是等の尤め立て する人に限りて,大抵堂々其名を明にして攻撃することをせず,変名属名を用ゐて其掠 跡を暗まさんとするものゝ如し,真の剖窃,真の操作は,実に之を尤めざるペからず。 然れども妖妬より来れる悪徳摘発に至りては,尚更に悪むべきを見る38). このうち最後の二つの文章は,劉窃指摘を中傷と見なす立場から善かれているが,他は 『天野』の名こそあげていないものの,剰窃の事実を否認していない。この捻か『東京日 日新聞』は剰窃問題を扱う戯文39), 『大日本教育新聞』ほ同じく「新狂言・劉窃文+をそ れぞれ掲載し40',後者ほまた富山県で起こった卒業式答辞剰窃事件を報じるのにわぎわざ 「劉窃踏襲(修身書にあらず)+という見出しを掲げている41'。正面から劉窃を非難すると いう論調は漸次影をひそめてほいるが,問題そのものが「世に忘られんとする+には至っ ていないのである42)。天野と関係深い『中央時論』 6月号ほ,古典を抜草した中学漢文教 科書を, 「近時の所謂教科書編纂者が彼を剰窃し此を模造して作りたる簡易なる書物+と 評している43)。剰窃問題が関係者の問に微妙な影を落しつづけていたことがうかがわれよ う。 注. 1) 2) 3) 4) 5) 6) 7). 『やまと新聞』明治27年3月18日。 『二六新報』明治27年3月1β日。 『大日本教育新聞』明治27年3月20日。 『二六新報』明治27年3月20日。 『日本』明治27年3月21日。. 『二六新報』明治27年3月22日o 『大日本教育新聞』明治27年3月23日。. 11.
(12) 12. 久. 木. 亭. 男. 『自由新聞』明治27年3月24日. 8) 『読売新聞』明治27年3月23日。 9) (『時事新報』明治27年3月23日) 10)杷憂生「検定と特許+ P.66f. ll) 『国光』巻7, 11号,明治27年3月19日. 12) 『二六新報』明治27年3月24日。 『二六新報』明治27年3月28日。この記事によると, 13) 『二六新報』の「変節+を批判したのは 『めさまし新開』であるが,明治㌘年3月の同紙未見のため,批判の詳細は不明である。 14) 「三重県の教科書運動+ (『読売新聞』明治27年2月1日)。 「教科書怪談+ (『二六新報』明治27 年2月16日) 『日本』明治27年3月30日「広告+欄。なお梶山によると『天野』は2月中旬,山口県での採 15) 択が決定していたという(梶山雅史『明治期における教科書の編纂・出版実態ならびに編纂権威・ 権限の移行過程の研究』 P. 117) 「各地方修身教科書の蟹定+ (『東京靭日新聞』明治27年3月18日)o 「各地方に於ける修身教科 書+ (『二六新報』明治27年3月18日) 「富山房の修身書に就いて+ (『教育時論』 17) 322号,明治27年3月25日. P.28) 18) 「教科書醜聞+ (『日本』明治27年3月1日) 「嫉妬の悪徳及び剰窃の悪徳+ (『大日本教育新聞』明治27年3月11日) 19) 20)年頃生「写真著者+ (『大日本教育新聞』明治27年3月16日)0 「著者の徳義+(『大日本教育新聞』. 16). 明冶127年3月17日) 『日本』の姉妹紙『小日本』は「司教の当局自ら最良の教科書を発行し,之を全国の小学に行 ふ+べきことを主菜しており(「此内入る可らず+同弘明治27年3月27日),『大日本教育新聞』 の審査会存置論は「小学校教科書審査廃止の弊害+ (同紙,明治27年3月18日), 「再たび審査会 廃止の弊害を詠ず+ (同紙・ 3月20日), 「三たび小学教科用図書審査会の廃止すべからざるを論 ず+ (同紙, 3月22日)などの諸論説にみられる。 22) 「教科書検定の順序+ (『時事新報』明治27年3月22日), 「富山房の修身書に就きて+ (『教育時 論』322号,明治27年3月25日. P.28) 23) 「天野為之氏著述の教科書に就て+ (『読売新聞』明治27年1月25日) 24) 『東京朝日新聞』明治27年3月21日。 「亦無人問萱私事+ (『日本』明治27年3月21日) 25) 『やまと新聞』明治27年3月23日。 26) 『二六新報』明治27年3月24日。 27) 「修身書の編纂に就きて+ 28) (『教育報知414号,明治27年3月24日, P. 3f.) 『日本』明治27年3月25日o 『二六新報』明治27年3月25日o曜日新聞』明治27年3月25日ム 29) 『読売新聞』明治27年3月25 26日o 『郵便報知新聞』明治27年3月27 ・28日。 「修身書に関する一大波潤+ (『教育時論』323号,明治27年4月5日, 30) P.31) 「天野の修身経+ (『天則』第7鼠 4号,明治27年4月17日, 31) P.31) 「此内入る可らず+ 32) (『小日本』明治27年3月27日) 『中央新聞』明治27年3月28日。 33) 「教育社会の腐敗+ (『東京日日新聞』明治27年3月28日) 34) 「噴教育界+ 35) (『二六新報』明治27年4月10日) 『教育園』2号,明治27年4月10日, 36) P.50. 37) 『国民之友』223号,明治27年4月13日, P.46. 「劃窃と娯妬+ 38) (『教育時論』324号,明治27年4月15日, P.90) 39) 「本屋の柵+ (『東京日日新聞』明治27年3月27日。 21). ・. 40) 41) 42). 『大日本教育新聞』明治27年4月12日。 『大日本教育新聞』明治27年4月3日。 1894年3-4別こ,瓢窃問題を何らかの形で取り上げているのは, 検索した東京発行の18就中  ̄ 13紙であったo全然故紙げなかったのは咽民新聞』咽会』 『新朝野新馳曙新聞』 『万朝 血 報』の5紙である。 _  ̄ ̄′●▼′d'1′-rJ. ′h. r. J'rl'._/_.L. _,.  ̄ ̄ ̄JL〉/刑rll.
(13) 修身教科書剰窃事件 「子弟の教育と人物養成+. 43). 13. (『中央時論』3号,明治27年6月5日,. P.. 3). このように剰窃問題がなかなか忘れられず,その疑惑が一向にとけなかったのは,一つ にほ天野の前述の反論が十分に受け容れられなかったためであろう。他方先述の如き代作 説・中傷説も現われ,それらが入り乱れて一般の疑心晴鬼をかえって深めたという面もあ ったが,天野の反論の有効性にも疑問が残るのであるo果して彼のいうところ紘,客観的 ① 『東久世』と にみて説得性をもつものだったのであろうかo彼の反論ほ前述のように, の徳目配列や構成等の類似, ② 『末松』入門冒頭部分との類似, ③他の修身書との挿絵の 類似, ④同じく文章の額似を,それぞれ全面的に否定するという形でなされているので, 以下この順に検討してみたい1)0 ①まず『天野』と『東久世』の構成を,第2-4学年用について比較すると,第3表か ら明らかな如く,両者が取り上げている徳日数には大きい差がある。前者ほどの巻でも級 者の2倍前後に達しており,この点についての天野の反論ほ事実に当っているといえる。 また第1学年用については,. 『天野』入門が図と短文から構成されているのに対し,. 『東. 久世』 1は前半が囲のみ,後半が囲と単語から成り,明らかに両者の構成ほ異なっていて,. 天野のいうとおりである.ところが両者がともに取り上げている徳目についてその配列の 第3表. 『天野』 『東久世』の徳目配列順位比較. 徳目l『天野』2l『東久世』21l徳目!『天野』3I『東久世』3R徳目 忠. 君. 1. 1. 忠. 君. 1. 1. 忠. 君. 1. 1. 孝 礼. 行. 2. 2. 孝. 行. 2. 2. 孝. 行. 2. 2. 儀. 3. 8. 友. 愛. 3. 3. 祖. 先. 3. 3. 摂. 生. 4. 4. 朋. 友. 4. 4. 友. 愛. 4. 4. 友. 愛. 5. 3. 正. 直. 5. 6. 朋. 友. 5. 5. 動. 学. 6. 5. 慎. 重. 6. 5. 改. 過. 6. 6. 勤. 勉. 7. 6. 動. 学. 7. 8. 女. 訓. 7. 8. 節. 8. 7. 忍. 耐. 8. 7. 廉. 潔. 8. 9. 博. 倹 愛. 9. 9. 愛. 国. 9. 10. 動. 学. 9. 10. 愛. 国. 10. 10. 遵. 法. 10. 9. 博. 愛. 10. 7. 公. 益. 11. 11. 愛. 国. 12. 13. 遵. 法. 13. 12. 計. <23> ∫. <11>. -0.82. 荏)数字は徳目の順位,く. 計. <21> r. -0.96. >内数字は徳目数。. <12>. 計. <22> r. -0,96. く14>.
(14) 14. 第4表. 番号lテ 1. 構成・. 2. 『天野』 l. マ. ー. 天野の反論の要点 類. 似. 書. 典. ・. 択序. 入1-4. <自然普通の順序>. 挨. 拶. 入-1. 『能勢』初1-1,. 『実践』入1-2,. 3. 早. 起. A-5. 4. 食. 事. 入-7. 『実践』入1-12, 『能勢』初1-7,. 『学館』1-3. 敬. 礼. 入-10. 5. 入1-ll,. 『能勢』初1-2,. 鳳. 7. 袷. 8 9. 刺. 礼. 10. 交. 友. ll. 節. 倹. 12. 君. 恩. -24 3-1. 13. 父 母の. 恩. 3-4. 14. 友. 餐. 3-7. 15. 正. 直. 16. 容. 貌. 17. 交. 友. 3 -14 3 -17 3-9. 〔『初学訓』〕. 18. 長. 上. 高. 〔『六諭街義』〕. 19. 父 母の. 恩. 2-3. <附会>. 20. 摂. 坐. 2-7. <附会>. 翠. 1-1. 得. 物. 1 -10. 『能勢』初2-ll,. 小 川寮. 山. 1 -13. 『井上』 2上-6,. 1. 『能勢』2-5,. 注)番号は第1蓑に同じ。 しなかった箇所。. 4. <. 田』. 『兼松』入-21,. 1-4,. 『実践』. 1-7. 6,. 『能勢』初2-9,. 6. -19 4-8. 『明治』. 『学館』. 『学館』 1-5. 『明治』. 『明治』. 1-4,. 1-14,. 1-16. 『実践』入-8 『末松』入-33,. 『大和. 『末松』入-7 『学館』 3-7 24. 〔『哲子』『大戴礼』『十訓抄』〕. 〔『家道訓』〕 <附会> 〔『六諭節義』〕. >ほ天野の弁明,. 〔 〕内ほ典拠となった古典名。. 『明治』 :蜂是三郎『明治修身書』 92年5月11日初版発行,. -は天野が反論. 93年8月19日検定済,文学社刊。. 『実践』:高田芳太郎『尋常小学実践修身書』 92年6月13日初版発行, 港堂干FJ. 『大和田』 :大和田建樹『尋常小学修身訓』 92年8月15日初版発行,. 93年8月19日検定済,金 93年8月29日検定済,有正. 館刊。 『学館』 :教育学館編『聖旨道徳尋常小学修身書』 92年8月25日初版発行,. 93年9月18日検定. 済,大日本図書会社刊。. 順序を比較すると,巻次によって多少の差ほあるものの,第3表から判るとおりその一致 度はきわめて高い。今試みに『東久世』以外の修身書と『天野』との徳目順位相関係数を 計算すると,. 『天野』 2と『兼松』. と『渡辺』. (一致する徳目同じく12)の場合ほr-0.46であって,. 2. 2. (一致する徳日数12)の場合は,. r-0.45,. 『天野』 2. 『天野』 2-4と『東. 久世』 2-4の間の相関係数0.82.-0.96は異常に高いといわねばならないo徳目配列の塀. 序が『天野』と『東久世』では異なるという天野の反論は成立しないのである。むろんこ のことを根拠に『天野』が『東久世』を到窃したとは断定できないが,両者に著しい額似 があることほ認めないわけにほいかないであろう。 次に②-④についてほ天野が反論している事項が多いので,それらを表示すると第4表.
(15) 修身教科書到窃事件. 15. 2-9が⑧に,. のとおりである(真の番号1が⑧に,. 10-20が④に対応する)oそのうち②につい 『天野』入門1-4と『兼松』入門1-4がともに父母・祖父母・兄弟・朋友とい. ては,. う順になっているのは,いずれも「自然普通の順序+に従ったためであって,前者が後者 を模倣したわけでほないというのが,天野反論の要旨である。この説明は,確かに一見理 に叶っているように見受けられる。しかし上述の配列がもし「自然普通の贋序+であれ ば,この順序に従う修身善が他に多数あってよい管であるc,ところが第5表に示した如く, 『天野』と『末松』以外にこの順序になっているものは存在しないo父母・兄弟・朋友の 煩をとるものには,. 『明治』 『実践』 『渡辺』(表軒こほ現れていないが,友愛の次に朋友を配列) ・. ・. などがあるが,いずれも祖父母の項がないo父母の次に祖父母を置く『天野』が『末松』 と著しく類似していることは明らかであって,天野の反論ほこの点でも成り立たないので ある。 第5表 『明治』1. ・能勢』初1i. I. 各書初巻冒頭部分の比較. 『末松』入. 1 l『莞苧』l『天野』入 l『実学』l遥㌘引『学館』. 父母に礼する 孝 子供 鰐父母を敬ほ写真ピ大切 祖父母をこ親切 なる子供. 記章尊長を敬憎幣仲よく. 孝. 兄弟なかよき. 兄 子供 違憲警完費に順獣琶親切 友だちとなか. 崖苧姉妹槻L驚をば敬ふ よき子供 注). (. 朋. 行. (神社参 母鶏雛を愛 育す 請). 行. (朝の挨 教養に心を 拶) 尽す. 親の恩. 父母子女の. 孝. 行. 弟 (手伝い) 幼童の早起. 孝. 行. 子女家の内 外を酒掃す. 友. 愛. 友. (登校). 父母を敬ふ. 祖父母に事 ふ. 兄弟仲よく. 遊ぶ 友達睦にす. )は図の内容を示す. ③に関して天野ほ,挿絵の類似ほ「寄書+が指摘した以外にも各書の間に数多く認めら れ,従って挿絵の塀似をもって剰窃の根拠とするなら,多くの修身吾が剖窃の批判を蒙ら ねばならなくなるという論法をもって,反論を展開している.この場合何をもって類似と 見なすのかということほなかなか微妙な問題であるが,天野ほ同一主題を扱う挿絵を類似 としているようである.そして例えば「寄書+が『天野』入門-1が『末松』入門-1と (子どもが父母に挨拶する図o第4蓑-2)紘, 『能勢』初歩 類似していると主張した「挨拶+ 1-1,. 『実践』入門1-2,. は『東久世』. 1-2,. 『学館』1-5にもみえるというのであるが,同じ主題の囲. 16,. 『井上』 1上-4にも見られる(篇末の園Ⅰ-1-I-8参照)-o. 「寄 しかしこれらの中にほ,全く同じ図柄のものほ存在しない。挨拶する子どもの数ほ, 『末松』の場合いずれも2人であるが,天野反論が 香+が類似しているという『天野』 ・. あげる『能勢』. ・. 『実践』. ・. 『学館』の場合はそれぞれ4人・. している。これに対し天野があげなかった『東久世』. 3人・. 1人で,著しく相違. 『井上』ほ2人(『東久世』. 1-2,. 『末松』 『東久世』11-16は3人)である。そこで子ども2人を措いた『天野』 2, 6, 2・ 『井上』の4点(図Ⅰ-1, 8)をくらベると,朝日と縁側とを措いた『天野』 ・. と『東久世』とが,図柄の額似が比較的大きいように見受けられるo. ・. しかし父母と子どち.
(16) 16. 久. 本. 幸. 男. の位置は両者反対であり,時計・長火鉢の有無も相違している。以上を総合すると,. 「寄. 書+が指摘する『末松』よりも『東久世』との類似の方が大きいようなので,. 「寄書+の. 主菜ほ成立しないといわぎるを得ないが,天野反論の説得性も薄弱である。しかし『天野』 が『東久世』を真似たという結論を引き出すことができないこともいうまでもない。 今一つの例として「敬礼+. (第4表-5)の場合を考えよう。. 「寄書+ほ『天野』入門. 『明治』 -10と『末松』入門-10との類似を指摘し,天野反論ほ『能勢』初歩1-2, 1-4, 『実践』入門-8も同じテーマを扱っていると主祭しているが,このほか『東久 6,. 世』. 1-7,. 『井上』 1-llも主題が同一である(篇末の図Ⅱ-1-Ⅱ7参照)oそのうち絵. から受ける印象が比較的近いのは『天野』と『東久世』. (図甘-1,. 6)であろう。いずれ も羽織袴に帽子をもった有賀の紳士に2人の和服の子どもが敬礼しているところを措いて. いる。他のケースほ敬礼を受けるのが洋服の紳士(『兼松』. ・. 『能勢』 『実践』)や老人(『井上』) ・. であって(なお図示しなかった『能勢』初歩1-6は,敬礼する子ども5人を描く),前二者とは図. 柄が全く相違する。しかし『天野』と『東久世』も,背景や敬礼する子どもの性別(前者 ほ男女児各1人,後者は男児2人)など異なる点もある。結局この場合も「挨拶+の場合と 同じく, 「寄書+の指摘も天野の反論もともに成立しないが,剰窃と断定し得る確証も見 出されないというのが,一つの結論だといえる.他の図について一々論じることは煩雑に わたるので省略するが,この結論ほ③全部についてほぼあてはまるといってよいであろう。 なお『天野』と『東久世』の間には,桔かにも図柄の似た挿絵がある. 6と『東久世』 それである。. 『天野』入門-. 『天野』入門113と『東久世』. 1-13の「掃除+,. 1-34の「友愛+などが 『東久世』の挿絵を措いた松本楓湖に天野が挿絵を依頼して拒絶されたとい. う『日本』の指摘は2),天野がきっぱりと否認しており,この間の事実関係は明らかにし 難いさ)o しかし『天野』の挿絵に『東久世』と似たものが多いことも確かな事実であるo. 上述の『日本』の指摘ほ,あるいはこの事実に基づく推測によるものなのかもしれないが, 「寄書+の指摘以外に多くの類似例をあげている天野反論が『東久世』の挿絵を全然あげて いないのもふしぎである。天野が『東久世』との類似を知っていた(あるいほ気づいていた) がゆえに,それをあげるのを避けたのかもしれないが,もちろんそのように断言し得るよ うな証拠もない.ふしぎといえば「寄書+がこの賛似にふれなかったのも奇異であるo中 傷説のいう如く「寄書+が『東久世』発行元の国光社関係者の手に成るものであれば,あ えて『東久世』との額似を指摘しなかったのもうなづけるが,中傷説を事実と認めるペき 決め手も存在しない。結局挿絵に関してほ,. 『天野』と『東久世』との間に類似するもの. が若干あるという以上のことほいえないのである。. これに対してtC・のうち, 「寄書+が指摘する文章の類似ほ古典に依拠したためだという 天野の反論(第4表-10,. ll,. 13,. 17,. 18)紘,おおむね事実として承認せられる。しかし 多少疑問の残るものもある.例えば「寄書+が指摘する『天野』 3-9と『兼松』下-12 (第4表-17)の輝似点ほ次のとおりで,これを天野反論のいうように,ともに『初学訓』. に依ったためだとは考え難いのである。 朋友に交るにほ信義をもととし,たがひに善をすすめ悪をいましむべし。これ朋友の.
(17) 修身教科書剰窃事件. 17. 星組と旦埋墓些あらず.難あればあひ たすけ,慮あればあひすくふも,. また朋友のつとめなり(『天野』. 3-9)0. 朋友の交りほ信を以て第一と 楽みあれば倶に楽み,友の 楽を以て我楽みとなし,難難を救ひ交道を守りて達ふ勉なきは,朋友の道なり(『末松』 下-12)0. 朋友は膚をあつくし,旦旦ミ埋遡塁 互生な旦主旦避妊適旦二匙又朋友はたのもしげありて, )4'o. ・整塾吐逆重畳虹_墨壷吐逆塑塾基づ占(『初学訓』巻2. 『初学訓』の渠似箇所,波線部分ほ このうち下線(実線)を施した箇所ほ『天野』 『末松』の塀似箇所である.一見明らかな如く『天野』と『初学罰』には類似 ・. 『天野』. が多く,. ・. 『天野』. ・. 『兼松』の類似もあるが,. 『兼松』と『初学訓』との類似はないoつ. まり『天野』ほ主に『初学訓』に依って成文しており, 『末松』ほ『初学訓』にほ依っていないのである。. 『兼松』との額乱恵もあるが, 『兼松』が『初学訓』に依ったとみら. れるのは,次の箇所である。 友にまじほるにほたがひ々こ信義をつくし,よきことほこれをすすめ,あしきことはこ れをいさめ,難儀なることあればこれをすくひ,不親切なきやうに心がくべし(『兼松』 中一8)0. このように④についても天野反論には正しくない部分があるが,そのため道に『天野』 の剖窃が立証されるということにほ必ずしもならない。前引波線部分が酷似していること ほ確かであるが, ・この程度の類似は偶然の所産と考え得る余地があるからである。なお④ については以上のほか, 「寄書+の指摘を「附会+にすぎないとしている箇所(第4義一 12,. 15, 16)がある.前者は「君恩+ 20)および何ら反論していない箇所(第4義一14, 「反晴の孝+ 「節御+などのありふれた語句の類似を「寄書+が取り上げているにすぎな. 19,. いので,. 「余りにも附会にして弁駁の必要なし+と天野がいうのも当然でほないかと考え. られる.後者のうち「友愛の文+. (第4義一14),. 「正直の文). (同115)についてほ,次の如. くかなりの環乱点が認められるo. 兄弟ほおなじ父母の子にして,われとひとしく父母のいつくしみたまふものなり。さ ればつねになかよくして,父母の心をなぐさむべし(『天野』. 3-7)o. きようだいほおなじ父母の子なることをわすれず,たがひになかよくくらすべし(『兼 松』上-6).. 神は正直のかうづにやどるといふことありo正直なる人はおのづからさいはひを得べ しといふこころなり. 3-14)o _(『天野』. なにごともしやうぢきにすべしo. しやうじきなる人には,おのづかE'さいほひもある. ものなり(『末松』上-14)0 しかし内容・表現ともにありふれたものなので,この程度の揮似をもって剰窃の根拠と 見なし得るか否かほ疑問であろう。また「容貌の文+. (第4義一16)ほ『天野』. 3-17,. 『兼松』下-20がともに『女大学』第2条を下敷き忙しているようで5),類似もその範囲.
(18) 18. 久. 木. 幸. 男. にとどまっているoこれらについて天野が反論しなかったのほ反論不可能のためではなく, 反論不要と考えたためであろう。 以上,一部ほ微細な点旺まで立ち入りながら天野反論をひとわたり検討したところ,反 論には首肯される箇所,されない箇所があること,また一部には反論の仕方がフェアでな いと認められる点があることが判明した。しかしこれらの点も剰窃を裏付ける新たな証拠 となるほどのものではない.客観的にみて天野反論からほ,剰窃の否定も肯定も導き出し 得ないといってよいであろう。一方「寄書+ち,その天野反論と突き合わせてみるとかな り杜撰なものであることが明らかになったo例えば『天野』と他書との類似点が「寄書+ が指摘する箇所には見出されず,かえって「寄書+が看過した点にそれが認められた場合 があった。挿絵の場合がそれである。しかし新たに見出されたこの類似点も,剰窃説を十 分に補強し得るほどの証拠能力をもつものとほいえないoただ『天野』と他書との額似が 「寄書+指摘以外にもあったという事実は,同じようなことがさらにあるのではないかと いう推測を可能にするo果してこの推測が事実に適合するのか否か,つまり前述の挿絵の 場合以外に「寄書+未指摘の類似点が天野と他書との間に存在するのかどうか,もし存在 するなら,それが剰窃の新しい証拠になり得るか否かを,次に考えたい。 類似点の有無の検索にほ種々の方法があり得るであろうが,. 『天野』を始めとする当時. の修身書は,特定の徳目を具現すると見なされる人物の言行を述べることを通じてその徳 目を教えるという方式を採っているものが多い。この徳目主義方式のもとでほ,どの徳目 をどの人物に結びつけるかが,それぞれの教科書の特色ないし独自性を示す一つの指標と なり得る。例えば渡辺華山ほ孝行・友愛・動学などの諸徳目と結びつけ得る人物であろう が,そのうちどの結合を採るか,また逝に孝行なら孝行という徳目を具現する人物として 誰を選ぷかということが,それぞれの教科書の特色になる筈である.従ってこの徳目-人 物の組合せに,各教科書の間にどの程度共通のものが存在するかが,逆にその察倣性の指 標になる。第6表ほこの考えにもとづいて『能勢』等7種類の教科書に重複採用された徳 目一人物の組合せを表示したものである. 各教科書ともそれぞれ多数の人物を取り上げているので見落しもあるかもしれないが, 7教科書において重複採用された入物は68名で,. 7教科書全部が採用したのほ貝原益軒,. 5回採用されたのほ荒木村重など7名である。この数字を多いとみるか否か・は意見の分れ るところであろう。また後発教科書はど重複採用数が多くなっており,. 『渡辺』・『天野』. ほ25に達するが,重出率(重出人物数/採用人物数)も同じく後発教科書ほど高いようで ある.試みに比較的早期に刊行された『明治』と,中間の『学館』,最後発の『天野』につ いて,それぞれ採用人物数,初出・重出数をまとめると第7表のとおりで,重出率ほそれ 号れo.14,. 0.34,. 0.42である。このように絶対数においても比率狂おいても,後発教科書. における重複採用が多くなっている理由については,先行教科書を参照ないし模倣したた めとも,また既出以外の入物を新たに取り上げることが次第に難しくなるためとも考えら れるが,そのいずれであるかは容易に決められないoそれゆえこのような数字のみかち最 後発の『天野』が克行教科書ととく紅額倣性が高いとか,また模倣・剖窃が行われたとかい.
(19) 修身教科書鄭窃事件 第6表 徳. 目. 同一人物の重複採用例. 3.1(;92.. 綾. 部. 道. 弘. 節. 倹. 新. 井. 白. 石. 朋. 友. 4-5. 荒. 木. 村. 重. 朋. 友. 6-3. 安. 藤. 直. 次. 友. 愛. 5-3. 4-5. 友. 愛. 稲. 葉. 迂. 斎. 朋. 友. 伊. 能. 忠. 敬. 公. 益. 次. 勤. 勉. 6 -16. 八石工門. 岩. 軸. 7. 15Z92.. *-23. 3-4. 2 -30. 中一9. 倹. 3 -21. 岡. 本. 嘉. 蔵. 公. 益. 6-7. 岡. 本. 半. 助. 博. 愛. 3-8. 小. 川. 春. 山. 教. 学. 2-6. 衣. 生. 狙. 疎. 動. 学. 3-7. 2-7. 5 -16 2 -14 3-6 2 -23. 質. 五 平次. 博. 愛. 小. 野. 追. 風. 動. 学. 4 -21. 2-6. 負. 原. 益. 軒. 謙. 遜. 6-4. 2-4. 中一25. 加. 港. 正. 朋. 友. 3-4. 下-14. 加. 藤. 清 寡. 明. 寛. 大. 3-6. 請. 坐. 氏. 郷. 礼. 儀. 川. 井. 正. 直. 朋. 友. 膚. 忍. 耐. 重. 成. 忍. 耐. 正. 成. 忠. 君. 4 -15. 下-39. 正. 行. 忠. 君. 4 --22. 上-39 40. 3-5. 入2-ll. 1-6 3 -20. 3-5. 入1-9. 山. 動. 河. 野. 通. 有. 義. 学 勇. 酒. 井. 忠. 勝. 節. 倹. 3 -26 1-9. 孝. 行. 廉. 喪. *4-14. 6 _18. ・. 6-9. 佐. 藤. 直. 司. 馬. 温. 公. 博. 愛. 3. 下毛野. 公. 助. 孝. 行. 原. 道. 真. 君. 2 -14 3 -23. 愛. 5. 6 -15. 2 -39. 5-9. 3 -23 *4-15. -18 2-1 入2-19. 鈴木. 字右三門. 忠 博. 慕. 四. 郎. 友. 愛. 嘉兵衛. 剛. 毅. 6. 台. 反. 省. -22. *2-5. 3-8 -12. 伊逮. 治左二門. 孝. 行. 田中. 三原兵衛 辺 晋 斎. 朋. 友. 5-7. 長. *. F3. 愛. 孝. 行. 4-2 *2-32. 3-2. 5 -13 5-2. 博. -*31∼:6. 下-36. 売 方. 田. 4 -10. 4-4. 上-23. 蕃. 妻. -13. 4-4. 沢. 高田崖 滝 鶴. 1. 4-6. 上-34. 上-34. 熊. 菅. 3-7. 2 -21. 輿. 俵. 6-6. 4 -12. 上-35. 節. 宿. -25. 下-10. 内. 捕. 4. 2-3. 佐. 村. ll. 17. 5-4. 野. 木 棉. 6.2793.. i-13. 岡. 韓. 秘. 『能勢』∫『明治』1 『兼松』 『東久世』7 『学館』 1 『渡辺』 I 『天野』. 92.. 1. 泉. 19. 4. -36. 3 -18. 2 -35 3-5.
(20) 20. 徳 塚. 原. 土. 産. 卜 総 な. つ. 井. 土 登. 利. 徳. 川. 心. 蔵. 改. 過. 女. 報. 恩. 勝. 節. 倹. 4. 師. 動. 学. 6 -19 3 -13 2 -20. 徳. 川. 光. 固. 節. 女. 友. 倹 愛. み. 中. 村. 惨. 斎. 寛. 大. 名. 和. 長. 年. 信. 義. 徳. 勤. 勉. 保己一. 動. 学. 尊. 宮. 塙. 寛. 大. 彦. 信. 義. 福島正則茶室. 琴. 恩. 義. 勇. 左馬之助. 原田. 北. 条. 時. 宗. 6-6. 4. 2-6. 5. 5 -12. 4 辛. 3 -19. 6 -19 4-9. 下-ll. 平. 抑. 謙. 遜. 尼. 節. 倹. 松平丹波茶童 松 平 好 房. 改. 過. 孝. 行. 2-1. 4 -19. -21. 4-28. 2 -17. -25. 井. 2-8. 4-2. 2-4 3-5. i -30 下-17. 3-5 2-8. 村. 上. 義. 光. 忠. 君. 2 -24. 毛. 利. 元. 就. 友. 愛. 2-2. 蘭. 丸. 正. 直. 5-7. 婦. 徳. 中一37 2 -ll. *-6. 4-2. 3--5. 下-16 下-33. 一畳責. 苦. 内 林. 七. 師. 恩. 2-7. 和. 気. 清麻呂. 忠. 君. 2 -18. 4 -22・23. 2 _14. ^61-_31。l. T-6 6 -17. 4-9 12. 1. 12. 1. 19. 20. [. 荏)人物は五十音順,教科書は初版発行年月日(教科書名の下に表示)願に配列o 松』は発行時期が接近しており,後者が前者の影響をうけたとは考え難いので, 人物を『末松』が取り上げていても,それを先行教科書との重複数にほ数えないo 『学館』についても同様である.. 入-20. 5 -19. -31. 3-6. 細. 発行数科書との重複数. 2-7. 6-7. 愛. 新. 5 -18. *5-23. 友. 山. 3-ll. 入2-12. 時. 森. -20. * -24. 2-4. 泰. 禅. 2. 下-27. 条 下. 6 -10. 2-2. 4-3. 北. 松. 3 -30. 3-5. 5-8. 忠. 2 -36. 下-24. -20. 法. 秀. 二. 3-9. 遜. 川. *4-17. *4-15. 謙. 徳. 5-ll. 5 -24. 康. 遵. と. 3%!9芸.p^鮎 l. 用. 家. 軸軸F3誓言7. 『学館』I『渡辺』___1_甲天野』 『能勢』I 『明治』i 『末松』 I『東久世』l 92.. 伝. 法. 蓮. 目. *は文章が類似するものo. 25. 1. 25. 『明治』と『末 『明治』初出の 『東久世』と.
(21) 修身教科書到窃事件 第7表. 3教科書における人物の採用状況. 『明治』 初出. 重出. 21. 『学館』 重出. 『天野』. 計. 初出. 0. 3. 1. 9. 4. 13. 計. 初出. 重出. 計. 4. 4. 4. 8. 9. 6. 14. 0. 0. 巻2. 13. 8. 21. 巻3. 31. 2. 33. 8. 9. 17. 12. 7. 19. 巻4. 31. 2. 33. 18. 6. 24. ll. 8. 19. 75. 12. 87. 38. 20. 58. 35. 25. 60. 入門・巻1. 計. 1. Z. 1. 注)同一人物でも,徳目との組合せが異なる場合ほ初出に数えるoなお初出・重出ほ,第6表の 7教科書の範囲で区別した。. う結論を一般的な形で引き出すことはできない.それを確かめるためには,. 『天野』が重. 出人物についてどのような叙述をしているかを個別に検討することが必要であろう。そし て重出の25名についての『天野』の叙述を先行教科書のそれと比較すると,少なくとも次 の五つのケースにおいて著しい類似が認められるのである。 ○楠正行 正行十-歳なりしが,よく父の教をまもり,つねの遊びにも朝敵をうつまねをして, しばらくも忠義の心を忘れざりしかば--. (『東久世』3-3). 正行は父のをし-をまもりて,かりそめのあそびにもいくさのまねをなし,しばらく. も忠義のこころをうしなはず (『天野』3-3) 『末松』 『渡辺』も取り上げているが,いずれにも類似した叙述 楠正行は『能勢』 『兼松』は韻文(琴歌) であり, はない。 『能勢』 『渡辺』は正行の少年時代のことに ・. ・. ・. 余りふれていない。. 『束久世』と『天野』の一致度のみがきわめて高いといえるo. ○佐藤直方 佐藤直方といふ人,江戸にて私塾を開ける時,家甚貧しかりき。時に其の門人-∴・直 方の貧を救はんと思ひ,ある時金石両を懐にして師の許にゆき,師が自ら其の困れるを いふをまちてこれを出さんと思ひ居たりしに,直方ほ少しも困れる色なく,ひたすらお のが学問の話しをのみなし居れりしゆゑ,某はこれを出すをりを得ず(『能勢』 4-14) 佐藤直方といふ学者あり,江戸にて人を教-しころ,家甚だ貧しかりしかば,門人の' 富めるもの気の毒紅おもひて,金子百雨をふところにして直方の家に重り,をりもあら ばその金を進めんと思ひたり.されど直方ほ学問の話のみにて,家政のことはことばFL_I もいださざりしかば,かの弟子は遂に金を進め得ざりき(『天野』. 4-15). 直方を取り上げているのはこの二書のみなので他との比較はできないが,二書ほかなり 細かい表現まで酷似している.これを偶然の一致とみることはかなり発しいのではないだ ろうか。. ○鈴木字右二門 鈴木宇右二門といふなさけ深き人ありて---或日雪多くふり風つよく吹き寒さのは.
(22) 22. 久. 木. 革. 罪. げししきをり,年のころ十二三なる女の子が,ただ一枚のきれたるひと-ものをきて, (宇右-門の)むすめは,よろこばしげに我が この家の門に来り食物を乞ひけるが-きものをぬぎて彼の子にやりしとぞ(『明治』 2-5) 鈴木宇右-門とてなさけ深き人ありき---ある日雪ふり風はげしきに,ひとへもの一 (宇右エ門の)むす. つ着たる十二三の女子,かど口にたたずみてものをこひしかば・-めは心よげによきほうのわたいれをぬぎてあた-たりとぞ(『天野』. 2-32). 同じテーマは『能勢』も取り上げているo あるが『天野』との額似ほ少ない。. しかしその叙述ほ『明治』と若干似たとろも 『天野』が『能勢』よりも『明治』を参照しているこ. とは掩ぼ確かであろうo O土星総蔵 土屋総蔵は豊後国のものなり。はじめのほどは心さま甚よからぬものにて・--あると き人の説教しけるを何心なくきゝしに--はじめて己れの行ひの悪しかりしことをさと. り,大に悔いてこれより行ひを改め人のほむるほどの書き人となれり(『東久世』 4-15) 豊後国に土屋総蔵といふものありき。性質よからぬものなりしが,あるとき寺にて説 教を聞き,はじめてわが行の悪かりしことを悟り,これより心を改めて生れかほりたる 如き善人となれり、 (『天野』4-17) 直方の場合と同じく他にこのテーマを扱う教科書はないので『東久世』と『天野』の比 較しかできないが,一見して後者が前者を簡略化し,若干の言い換えをしていることが判 明する。. ○原田左馬之助 伊達政宗の家来に原田左馬助,後藤孫兵衛といふ二人の勇士あり,ある日孫兵衛途に て左馬助に逢ひ礼をなせしに,左馬助はこれを知らず答礼をなさずして行き過ぎたれば, 孫兵衛大いに怒り其の後は常に左馬助に失礼をなしたり(『能勢』 5-23) 原田左馬之助は伊達政宗のけらいにて,勇武のほまれありし人なり・・・-. (孫兵衛)ある. 時速にて左馬之助にゆき蓮ひあいさつせしに,左馬之助ほ気づかずして行すぎたり.孫 兵衛これより左馬之助をにくみ失礼の振舞多かりしが-・・・・. (『天野』4128). 『渡辺』もこれを扱っているが,上引箇所に対応する部分ほ「後藤孫兵衛といふ人,原 田左馬之助を見て礼を行ひしに,左馬之助ほ知らずして行きすぎたり.孫兵衛之を見て大 いに怒り,其の後は左馬之助を見るごとに殊更に失礼を加-ければ+ 『能勢』 ・. っていて,. (『渡辺』5-12)とな. 『天野』より簡略な叙述をしている。煩薙になるので引用を省いた. 『天野』は『能勢』と酷似しており, 『渡辺』 が,孫兵衛が左馬之助に斬りかける描写も, ほ遥かに簡潔である。 『天野』が『渡辺』よりも『能勢』の影響をうけているらしいこと が推測されるのである。. 以上『天野』が発行数科書と類似する箇所を摘出・検討した。若干の見落しがあるかも 『天野』 しれないが,類似箇所ほそれほど多いとほいえない。先行教科書との重出分の%, が取り上げた人物60のうちの1割にもみたない.ただ類似の程度ほかなり高いので,偶然. の一致とほいい難いが,先行教科書の文章を百パ-セント引き写しているものも見当らな.
(23) 修身教科書剰窃事件. 23. いo文章の大鹿は同じでも,個々の語句にほ多少の相違があるので,厳密な意味での劉窃 とほいえないかもしれない。その上,. 『天野』と先行教科書とが参照・依拠した資料(伝. 記額)が同じであるため類似の文章になったと考え得る余地もある。しかし,例えば同じ 『近世孝子伝6)』を資料としたと思われる『能勢』 5-1と『天野』 3-5 (第6表の「長 音+)のように文章上の類似点が全然ない場合もあるQそれゆえ依拠資料が同一であること が文章類似の原因だとは必ずしも言いきれない。結局のところ,少なくとも上引の5か所 に関しては『天野』が先行教科書を模倣し,あるいほその影響を強く受けているのでほな いかという疑いが残るのである。そして先に検討したように,. 世』との構成上の額似,. 『日本』が指摘した『東久 「寄書+があげた『末松』入門冒頭部分との病LH,天野反論を吟. 味する中で明らかになった『東久世』との挿絵の病似などをも併せ考えると,この疑いは いっそう強いものとならざるを得ないのである。 もっとも代作説がいうように,. 『天野』が「富山房の取計を以て他人の纂輯せしもo7)+. であるならば,この模倣は天野自身が直接手を下したことにならないのはいうまでもない。 天野が割窃非難に自ら反論したことは,一応代作を否認した形にほなっているけれども, 代作説を積極的に肯定または否定し得る証拠ほこんにち発見されていない8'.当時の教科 書がどのような手順で執筆されたかは現在のところ不明であって,こんご執筆過程が明ら かになれば代作説の当否を明らかにし得る材料が得られるかもしれない。しかし検定期教 科書執筆過程の究明ほ,教科書史研究の将来の一課題として残されているのである9)o 代作説にややおくれて提起された中傷説一剰窃非難は競争関係にある「教科書韓の手 より出でしにあらぎるか10'+とする説-の真偽も,また見究め難い.しかし,客観的に みて『天野』が他書との病臥点をもち,それらを模倣した形跡があることが否定し難いと すると,剰窃非難がもともと中傷から出たものだったかどうかは,それほど大きい問題で はないともいえる。教科書会社のかかわる問題としてほ,剰窃非難・代作説・中傷説など が乱れ飛んだ94年3月末頃の状況として, 「天野氏著修身経とやらいへる書ほ,東京府下 にて求め得べからざるは事実なり11'+と報道されている問題が,より注目されるべきかも しれないo東京府下で『天野』が入手できなかったのほ,各地での採択数が多く一般に市 販する部数が不足したためか,それとも内容を詳細に点検した上での, 「寄書+以上の具 体的批判が出ることを『天野』発売元の富山房が危んだためなのか。もし意図的に市販が 抑えられたのであれば,剰窃問題にかかわる疑惑の影は,ますます色濃いものとならざる を待ないのである。 このように剰窃事件に関しては,まだこんごの解明を侯たねばならない問題が少なくな いのであるが,最後にこの事件の教育史的意味の-,二にふれておきたい。もっとも劉窃 事件がもし単独に起こったのであれば,それほ精々教科書会社や教科書著者のモラルの問 題にすぎないともいえる12'oしかし検定・採択をめぐる一連の不正事件と相前後して起こ ったことが,この事件に教育史的意味を賦与することになったのである。 剰窃事件の教育史的意味の一つほ,それが教科書検定なるものの実態を暴露したところ に求められるoただし『天野』に対する検定の不公正が劉窃問題提起の以前から批判され.
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