西行の本歌取り 61
-西
行
の
本
歌
取
-西 畑 は じ ・ め に 西行法師の作品に本歌取-の歌が少いことばへ つとに指摘せられている(小島吉雄博士﹃新古今和歌集の研 究﹄)。それは'西行の生涯と本歌取-がもつとも盛んに行われるようになった正治・建仁の比(﹃愚問賢注﹄) との間に多少のずれがあること'西行白身中央歌壇の傍観者的存在であったこと(交渉があつたとしても,歌界 との繋-は非常に稀薄であったといわれている)へ また'その歌風がもともと自然発生的なものであったこと (安田草生博士﹃藤原定家の研究﹄)に基因しているにせよ'\と-か-本歌取-の作品を残していることは,敬 風との関連においてじゆうぶん考察の対象とな-得るであろう。この小論においてはへその取-方の特色を明ら かにするとともに'それが本歌取-の流れにおいていかなる位置を占めているかに及びたいと思う。それには、 まず'本歌取-なるものの範囲を明確にしておくことが必要となる。 - 本 歌 取 り の 分 類 本歌取-についてはへたとえば'「和歌において'それ以前によまれだ歌を素材にと-入れて,新しく作歌す ることをいう」 (﹃日本文学大辞典﹄)、「古歌の一句もし-は数句を意識して自分の歌に取-用い'表現効果 の複雑化をねらう修辞法」 (﹃和歌文学大辞典﹄)'「従来の和歌から材料を得て-るのをいうのであるが,ど
- 62 -ヽ\ の程度まで採るかというと一定しない。たゞ語桑だけを取った場合'素材の大部分を用いたものもある。そうし て単に語桑だげよ-も素材をと-入れたものを本歌取という場合が多い」 (久松潜一博士﹃新古今集の新しい解 釈﹄)と説かれているように、その定義のしかたにおけるニュアンスは微妙に異なってはいるけれども'先行作 品 を 意 識 し ' そ れ に よ っ た も の を い ち お う 本 歌 取 -と 考 え て よ さ そ う で あ る 。 し か し ' 一 般 的 に い っ て ' 当 時 の 作品は古歌に見える詞の範囲内で詠まれているから'本歌取-の歌か否かの判定を下すことはかならずしも容易 な こ と で は な い 。 さ ら に ' そ れ は ' 心 と 言 葉 と の 問 題 と 絡 み あ っ て ' き わ め て 複 雑 な 様 相 を 呈 し て い る の で あ る。こういうわけで'本歌の取-方はさまざまな分類が可能であるが'まず﹃八雲御抄﹄においては次のように 説かれている。 こ の 中 に 二 つ の や う あ -。 一 つ に は 詞 を と -て 心 を か へ ' ( 一 つ に は 心 な が ら と -て 物 を か へ た る も あ り 。 詞 をと-て風情をかへたるはよし。風情をとることは最も見苦し。 この場合'「心」は「風情」と眉意に用いられているようであるが'素材としての言葉が'新しく詠まれた作 品において、いかに文学的形象を遂げているかという考え方に立つ分類のように思われる。またへ ﹃竹園抄﹄ こ ま ヽ l h u t , I h u t 一 本 歌 を と る に 四 の や う あ -。 一 に は 言 葉 を ひ と つ に し て 心 を か へ ' 二 に は 心 を ひ と つ に し て 詞 を か へ ' 三 に 本歌の上下の句をうちかへしてとる。四に本歌の大意をとるなり0 というふうに、心と言葉との関係という基本的な問塵に加えて'本歌の語句をいかなる位置に置-かという'よ -技術的な面をも取-挙げているが'それだけ深-実作上の体験が投影しているということになろう。さらに' ﹃ 井 蛙 抄 ﹄ に な る と へ 日 吉歌の詞をうつして上下におきてあらぬことをよめり。 臼 本歌にかひそひてよめり。 臼 本歌の心にすが-て風情を撃止したる歌,本歌に贈答したるすがたなど'ふる-いへるもこのすがたの
西行の本歌取り - 63 -日 漆潮の、心にすかり 、-丁しア ﹀ノく司可 iノケ 盲'iP'・o FHデ たぐひなり。 囲 本歌の心にな-かへ-てしかもそれにまとほれずして妙なる心をよめる歌'これは拾遺愚草につねにみ ゆ る と こ ろ な り 。 飼 本歌のたゞ一ふしをとれる歌。 閃 本歌二首をもて詠める歌. のごとくに'よ-作歌経験に密着した分類が施されている。これはへ ﹃井蛙抄﹄ときわめて近い関係に透るとい われる﹃愚問賢注﹄にも、左のように見えているのである。 印 画 J7Vノ ′ り て 本歌の詞をあらぬものにとりなして上下におけり。 本歌の心をと-て'風情をかへたる歌。 本歌に贈答したる体。 国 本歌の心にな-かへ-て、しかも本歌をへつらはずして'あたらしき心をよめる体。 ㈹ た ゞ 詞 一 を 取 -た る 歌 . ﹃群書解題﹄によれば'﹃井蛙抄﹄よ-も﹃愚問賢注﹄の方が遅れて成立したらしくまた'後者とほぼ同様な ( 注 l ) 記述が'﹃近来風体﹄の本歌取-の項にも出ているから'ここでは'主として﹃愚問賢注﹄の分類に即しっつ' ( 注 2 ) 本歌取-の型を考察してゆきたいと思う。 まず、紺の本歌の詞を上下に置-手法は'「詮とおぼゆる詞二ばか-と-て今の歌の上下句にわからお-べき にや」 (﹃毎月抄﹄)という意見に肱胎しているのであろうが(本歌の言葉の位置について'定家がいかに関心 を払っていたかは'「大方歌のならひ古人の歌を願ふべし。下旬よ-続けて'五文字をはてに置-こと身にはじ めて申し出でたる事な-」と﹃先達物語﹄に言っているとお-である)'それがご-普通のこととなつたらしい ことは,「いかにも本歌の文字'置所をたがふべし。仮令'初の五文字をば孝二句に置-べし」(﹃和歌庭訓﹄)' 「まづ古歌の詞を上下して'おきあらたむる事本体な-」 (﹃和歌用意条々﹄)'「本歌をとるに'上旬をば下
- 64 -句におき'下旬をば上旬にや-てよむ事は'つねのことな-」 (﹃徹書記物語﹄) の言に徴しても明らかであ る。けれども'それは'ひっきよう「新しき歌にききなされぬところ」 (﹃近代秀歌﹄) から免れるひとつの手 段(そうしても'等類を避けられない場合ももちろんあるが) に過ぎないように思われるから'本歌取-の型の 一つにしいて数える要もないのではあるまいか。﹃井蛙抄﹄にこの例歌として掲げられている「名と-川春の日 かずはあらほれて花にぞしづむせぜのむもれ木」 (本歌「名と-河せぜのむもれ木あらはればいかにせんとかあ ひみそめけん」)にしても'じつは'「本歌に贈答したる体」なのである。 つ ぎ に へ 回 国 に つ い て 述 べ る と ' と も に 「 本 歌 の 心 を と 」 る ' も し -は 「 本 歌 の 心 に な -か へ 」 る 点 に お い て'傾向を同じ-している - ﹃竹園抄﹄にいう「本歌の大意をiJる」に相当する。そういう意味でへ.この取-方は「包摂型」といってもよかろう ー が'一方は「風情をかへ」るのに、他方は「本歌をへつらはずして'あ たらしき心をよ」むところに差異が認められる. 。前者は、本歌の心をそのままうけついではいるが'風情・趣向 を異にしているのに対し'後者は'「本歌の心の世界に投入し'全. -その世界の人とな-切ってへその世界の中 で自由に新しき構想を行っている」 (石田吉貞博士﹃藤原定家の研究﹄) と説かれているとお-'本歌の心の延 長のうえに新しい美的世界を構築したものなのである。前の取-方を転換型だとすれば'後者のそれは延長型だ と考えてもさしつかえないのではあるまいか。 それでは'再とはいかなる取-方をいうのであろうか。本歌は「贈歌」という意味にも用いられてお-(﹃和 歌童蒙抄﹄ ﹃和歌色葉﹄)'本歌取-の作品のなかには返歌の型を踏んでいるのも見られる (返しの型について は﹃和歌色葉﹄ ﹃八雲御抄﹄に説明がある)。しかし'ふつう贈答型といわれるのは'「古歌に贈答したる体あ るべし。有-といふに無しといひ'見るといふに見ずといへる定な-」 (﹃和歌用意条々﹄'「その歌にはさや うに読みたれども、私はさも愚はず'かやうにこそ愚へなど様によみたるを古歌に乗るとは云ふな-」 (﹃了俊 一 子 伝 ﹄ ) の よ う に ' 本 歌 の 心 を う ら う え に も し -は 否 定 的 に 取 -な し た も の を い う よ う で あ る 。 前 者 を 逆 想 型'後者を反戻型と呼ぶことにしたいと思う。たとえば、「立田川あらしや嶺によわるらむわたらぬ水も錦絶え
西行の本歌取り - 65 -けり」 (本歌「立田川もみぢ乱れて流るめ-疲らば錦中や絶えなむ」) は逆想型と考えられるLt 「憂きことは いはほの中も間ゆなりいかなる道もあ-がだの世や」 (本歌「いかならんいははのなかにすまばかは世のうきこ とのきこえこざらむ」) は反戻型といえるであろう。 銅は'古歌の一句ないしは二句を取って自分の歌に用いた場合をさすものと思われる。それにはヽ 「朝日かげ にほへる山のき-ら花つれな-消えぬ雪かとぞ見る」 (本歌「朝日かげにほへる山に照る月のあかざる君を山越 しにおきて」) のごと-'単に本歌の辞句を借用したに過ぎない場合と'「秋をへて昔はとはを大空にわが身ひ とつはもとの月影」 (本歌「月やあらぬ春や苦の春ならぬわが身一つはもとの身にして」) のように'古歌の心 をその一句ないしは二句にこめて摂取する場合とがある。だが'前者は'言葉もし-は言葉の続けがらを古歌に 倣ったものであり'まぶ'後者は、しょせん古歌の大意を取っていることになるから'銅を特立せしめるだけの 積極的な理由は見出しに-いように思われる。 いったいへ古歌から語嚢だけをとる場合へ 「本歌の言葉をあま-に多-とる事はあるまじきにて侯」 (﹃毎月 抄﹄) といわれているにもかかわらずへ本歌に近似した作品はけっして少-ないのである。 住のえの松に白雪ふるからに声よわ-ぬる沖つ潮かぜ (本歌) 住のえの松を秋風吹-からに声うちそふる沖つしらなみ . い た づ ら に 行 き て ぞ 釆 ぬ る さ -ら ば な さ か ぬ -も ゐ も 見 ま -ほ し さ に (本歌) いたづらに行きては釆ぬるものゆゑに見ま-ほしさにいざなはれつつ のごときは、本歌の格調と外態を模倣しているにとどま-'その心は一首の気分憾成にほとんど与っていないと い^ 'yiよう。しかも'いずれも「五句之申及二三句盲頗過分無二珍気山」 (﹃詠歌大概﹄)'「二句之上三・四字 免〆之」 (同)の制禁を破っている。これらを考えあわせるとき'このような取-方を擬態型と呼んでもきしつ かえないように思う。 さらに'いま一つ単に古歌を引用しているに過ぎないという取-方が存在する。これは'
-66-うぐひすの笠にぬふてふ梅の花折-てかざさむ老いか-るやと iDのかばと君がいひけむ烏の音の今朝しもなどか悲しかるらん などのように'伝聞の意をあらわす語を伴うことが多い。この取-方も本歌の大意を取るという点において'包 摂型と見られな-はないけれども'それが本歌の心を自己の心情に引きつけて取る傾向が強いのに対して'これ は古歌を他者の言葉として白身のそれを修飾すべ-引いているのである。こういう技法に引用型という名称を与 え る こ と に し よ う 。 段上において述べたところを整理すれば'本歌取-の型は'基本的なものとして'
包
摂
型
贈
答
型
擬
態
型
引
用
型
が挙げられる。これは'さらに包摂型を分けて延長型と転換型に'贈答型を分けて逆想型と反戻型とにすること もできる。しかし'本歌取-の本質を表現効果の複雑化ないしは'作品の象徴的効果を高めるための技法と考え るならば、先行作品の言葉もし-は形態を借用したに過ぎない - 知識上の遊戯的面白さだけに過ぎない (﹃和 歌文学大辞典﹄) -擬態型は'東歌取-の例としてはあま-蛋-見ない方がいいように思われる.また'引用 型の場合も'古歌の知識を欠-ときは十分な理解が困難であるにしても'包摂型・贈答型に比して多少次元の異 った点が認められよう。作者の技廟がもっともよ-発嵐できるのは'前二者においてなのである。本歌取-の型 をこのように考えるとき'西行の取-方にはいかなる特色が見られるであろうか。 2 西行の本歌取りの様相 「日本古典全書本」の﹃山家集﹄によれば'西行の東歌取-の作品は'約五十首見出されるが'総歌数二千八 . . . . ・ . . -I . . . ー 一 .西行の本歌取り - 67 -十八首(同集に収められてい.る二千二百四十八首から「存疑・誤伝西行和歌」はもちろん、重出歌・連歌および 他人の作を除いたもの)に対する比率を求めると'約二・四パーセントという数値が得られる。当代の代表的歌 ( 注 3 ) 人たちの百分比が概して一〇パーセントを超えているのに比して'西行のそれが'はなはだし-低率であること は明らかで'まった-小島博士のご指摘どおりということになる。 西行の作品の発想形式は'窪田章一郎博士によればt H題詠、臼対話(贈答)'日独詠へ囲代作に分寮されて いるが(﹃西行の研究﹄)、題詠と独詠とはたがいに渉-あう点があるといわれるLtかつ'代作も題詠もしく は対話(贈答)にかかわっているので'ことでは'その点を考慮して'少し大握みな嫌いはあるけれどもへ‖題 詠と目非題詠(機会詩)とに分けてへ彼の本歌取-の歌を見て行-ことにしたいと思う.それについて調査した 結果は'次のようになる(歌番号は「日本古典全書本」の﹃山家集﹄のそれである)0 ‖ 題 詠 二 〇 九 ・ 二 一 四 ・ 三 〇 六 ・ 三 一 五 ・ 六 一 八 ・ 六 三 一 ・ 六 三 二 ・ 六 六 六 ・ 六 七 九 ・ 七 一 四 ・ 七 三 九 ・ 七 六 四 ・ 七 七 七 ・ 九 八 一 ・ 九 九 二 ・ 一 三 〇 六 二 三 三 二 ・ 二 二 三 八 ・ 三 一 八 〇 ・ 二 二 八 六 二 四 二 七 ・ 一 五 九 二 ・ 一 五 九 三 ・ 一 六 九 〇 ・ T 七 〇 七 ・ 一 九 四 八 ・ 二 〇 一 三 ・ 二 〇 二 七 ・ 二 〇 九 八 ・ 二 一 二 七 ・ 二 一 五 七 . ‖ 非 題 詠 二 四 ・ 三 七 五 ・ 四 四 八 ・ 四 五 〇 ・ 五 八 二 . 八 一 六 ・ 八 一 七 ・ 八 四 三 ・ 八 九 〇 ・ 九 九 六 ・ 二 三 三 ( 重 担 -一 九 二 五 ) ・ 二 三 四 ・ 二 六 七 二 一 八 三 ・ 一 二 〇 l ・ 二 二 四 二 二 一 五 ・ 一 三 〇 八 ・ 二 二 四 これによると,西行の本歌取-においては'題詠と非題詠との間にさほどいちじるしい径庭の存しないことが わかる。このことは'本歌取-がもっぱら題詠を中心として行われていた新吉今時代の状況とはかなり相違して いることを物語っていよう。こういう思いは'西行の題詠に生活体験に即した独自の歌が少-ないという事態を 想起するとき'ますます深-なるのである。 それでは、いかなる歌集の作品を本歌にしているかを調べてみると'五十首のうち'﹃古今集﹄の歌によるも
- 68 -のが十八首'﹃拾遺集﹄から十首'以下﹃後拾遺集﹄六首'﹃金葉集﹄五首'﹃新古今集﹄所収の古歌によるも の四首へ ﹃詞華集﹄三首、﹃古今和歌六帖﹄へ催馬楽それぞれ二首となる (一首の歌が二回以上利用せられてい る場合もあるから'本歌そのものの数は四十四首に減少することになるわけである)0 次に'いかなる歌が二回以上取られているかをみると、 いとせめてこひしき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる (﹃古今集﹄) あまのかるもにすむむしの我からとねをこそなかめ世をばうらみじ (同) きみをおきてあだし心をわがもたばすゑのまつ山浪もこえなん (同) 末の露もとのや雫世の中のお-れさきだっためしなるらむ(﹃新古今集﹄) 和泉なる信太の森の楠の千枝にわかれて物をこそ愚へ (﹃古今和歌六帖﹄) となるが'このうち'「あまのかる」の歌が'﹃西行上人談抄﹄に「殊には本とすべき歌」として掲げられてい ることは注意に価する (一回しか取られていない作品で、﹃西行上人談抄﹄に見えているのはへ 「殊に本とすべ き 歌 」 -四 〇 六 ・ 七 四 七 ・ 九 三 八 ( ﹃ 古 今 集 ﹄ ) ・ 二 二 四 . ( ﹃ 拾 遺 集 ﹄ ) ' 「 古 今 の 列 に も よ き 歌 」 -三 九 〇 (﹃後拾遺集﹄)、「心につかむ歌」∼八五三 (﹃古今集﹄) へ「おもしろき歌」-一〇六四 (﹃後拾遺集﹄)' 「こゑよみの詞優なる歌」-五三一(﹃拾遺集﹄) がある)。このようにへ西行の噂好は'門弟に語った作品を 本歌にしている場合はもちろん'そうでない場合においても'機智的な趣向を凝らした歌にあるのではな-'現 実体験に裏打ちされながらしみじみと優雅な情趣を湛えた作品にあったようである。本歌の傾向が西行の作風に 近いものであることは'彼が取-用いている歌そのものが'四季歌九首'腐歌十二首'覇旅歌三首'哀傷歌四 首、神祇歌一首'雑歌十三首というぐあいに'雑歌的傾向を示しているということからも窺知できるであろう。 しかし'本歌取-における西行の特色を知るためには'いかなる歌を利用しているかということよ隼も'小かに 取-入れているかという面に視点を移動しなければならぬ。
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西行の本歌取り - 69 -3 本歌取りの西行的特色 題詠における本歌取-の例には' 捕 わ れ は た だ か へ さ で を き む さ よ 衣 き て ね し こ と を お も ひ い で つ つ 何 色に出でていつよ-物はおもふぞととふ人あらばいかがこたへむ 再 め ぐ り あ ほ で 雲 の よ そ に は な -ぬ と も 月 に な れ ゆ -む つ び 忘 る な などが挙げられるが'刷が﹃古今集﹄の「いとせめてこひしき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞきる」,画が ﹃拾遺集﹄の「忍ぶれど色に出でにけ-我が恋はものや思ふと人のとふまでLt再-同じ-﹃拾遺集﹄の「忘る なよほどは雲井にな-ぬとも空行-月のめぐ-あふまで」からの本歌取-であることはいうまでもないとして, 注 意 す べ き は ' か へ し て ぞ き る -か へ さ で を き む ' 人 の と ふ ま で -と ふ 人 あ ら ば , め ぐ り あ ふ ま で ← め ぐ り あ ほ ( 旺 4 ) で 七 い う ふ う に ' 本 歌 の 心 を う ち か へ し て 歌 -用 い て い る こ と で あ ワ O f も っ と も へ 題 詠 に お い て も う 「 月 ま っ と いひなされつるよひのまの心のいろををでにみえぬる」のごとき包摂型や'「川かぜにちどりなきけむふゆのよ はわがおもひにてありけるものを」のような引用型も見られな-はないけれども'かかる贈答型にはとても及ば ない観がある。 今度は'非題詠における本歌取-について考察することにしよう。 ぬるともとかげをたのみておもひげむ人のあとふむけふにもあるかな これは'「桜が-雨はふりきぬおなじ-はぬるとも花の蔭にか-れむ」 (﹃拾遺集﹄)に拠るものであるが, 西行の歌の制作事情(この歌には「雨のふ-ける.に'花のしたにて軍たててながめげる人に」という詞書があ る)と'依拠した作品の内容とが深-かかわ-あっていることは注目に価しよう。つま-'西行はその場の雰囲 気にふさわしいこの歌を引いて挨拶としたので'この取-方が引用型であることはもちろんである。それととも に'非題詠における本歌取-の作品の大半は蒔旅の歌であることもまた'われわれの興味を惹-0 粉河・吹上遊覧(八一六・八一七)-能因法師(﹃金葉集﹄六六五) /_
- 70 -大峰入(九九九二二〇一)-憎正行尊(﹃金葉集﹄∼五六八・五五六) 初度陸奥の旅(二二四・一二一五)-能囲法師(﹃後拾遺集﹄-五一八)・橘季通(﹃後拾遺集﹄∼一〇 四 二 ) 天王寺参詣(一一八三)-在原業平(﹃古今集﹄-四1八) 住吉社参詣(一三〇八)-源経信 (﹃後拾遺集﹄!一〇六四) 春日社参詣(四四八)∼安部仲麻呂 (﹃古今集﹄-四〇六) 良遅旧居参観(一二二三'重出・一九二五)-良遅法師(﹃詞華集﹄-三六六) 閑院殿参観 (一一三四)-赤染衛門 (﹃後拾遺集﹄-一〇五九) 伊勢閑居 (二二四)-喜撰法師 (﹃古今集﹄-九八三) このように'名所・旧跡における詠歌は'先行作品が発想の契機になっている場合が多いのであ-'またへ そ の利用の仕方も'「おもへただ-れぬとききし鐘の音は都にてだにかなしか-しを」の包摂型'「かたそぎのゆ きあはぬまよりもる月やさえてみ袖の霜に置-らむ」の贈答型ももとよ-見られるところであるが'大部分を占 めているのは' 露もらぬいはやもそではぬれげ-ときかずはいかにあやしからまし いまだにもかか-といひしたぎつせのそのを軒までは昔な-けむ あ-がれしあまのかはらと聞-からに昔の波の袖にかかれる のような引用型なのである。 以上で'西行法師の本歌取-は、題詠においては贈答型へ非題詠においては引用型が中心になっていることが わかる。既述のごと-'本歌取-の様式のなかで'贈答型と包摂型とがもつとも重要であるが'前者は本歌の趣 向をいかに受けとめているかというところに知的興味がかかっているように考えられるからへ それがただちに本 歌取-の作品の象徴的効果を高めることに繋がるとはいいに-いのではあるまいか。
西行の本歌取り 71 -してみると'西行の本歌取-はへ非題詠の場合はもとよ-のこと'題詠においても'どちらかといえば'先行 作品の存在を意識して取-用いた程度に過ぎず'情緒の複雑化ないしは象徴的効果にそれほど与っていないとい う こ と に な る で あ ろ う 。 ところで'﹃新古今集﹄における本歌取-は、奇数句切れや体言止めなどの表現技法と絡みあって'新しく詠 まれた作品の象徴的効果を促進するといわれている。だがへ西行の場合は、本歌取-が他の技法と有機的に用い られているのは'初句切れ一首ヽ三句切れ四首'体言止め四首へ三句切れ・体言止め三首に過ぎないのである。 西行の本歌取-がきわめてすなおで単純なことは'この事芙からも窺知できるのではあるまいか。 西行の歌が即興的性格ないしは実情的性格を強-おぴていること'ならびに表現上の特色として自在性が認め られることは'安田博士が既に説いておられるところである。こういう西行の発想法もし-は表現法が本歌取-の技法に投影していることは'今までの調査から考えて'確かだということができよう。西行は'作品における 拝惰性の浸透度において'歌よみと称せられているが'本歌港取る際にも'「いひたきままにいひ」 (﹃八雲御 抄﹄)'「心にまかせてよみ」 (﹃美濃の家電﹄)すてようとするところに歌よみ的性格が認められる (本歌取 -に対する無造作な態度は'﹃御裳濯河歌合﹄十番右紗「ふ-さけし人の心ぞしられぬるこよひみかきの月をな がめて」に対して'俊成が「ふ-さけしといへる初の句やいかにぞ聞ゆらん」と評している事実からも窺えよ う ) 0 本歌取-においても'歌よみ'歌作-の別が考えられることは'﹃耕雲口伝﹄ に' た 本歌をとるにおきて'歌作-といはるる人あ-'心ききなる歌人'むかしの歌をとか-あてがひつく-出し たれば'おのづからよき歌に似たれども'まことには性情を吟味せぬによ-て、面影優にすがた妙なる事の さ ら に な き な り 。 と見えているごと-である。「むかしの歌をとか-あてがひっ--出」すことは'構成的な手法であゆ'古歌の 持っている「性情を吟味」したうえ'現実体験に援用して新しい作品を詠もうとする実情主義的方法とは明らか
- 72 -に違うのである。 新古今歌人の本歌取-はへ一般的に'機会詩として捉えられてはおらず'現実的体験とはほとんど無関係の先 行作品が、新し-生み出されるべき作品の母胎となっている。ところが'西行の場合は'あくまでも発想の根本 に実情ないしは感動というものがあ-'本歌は'だいたいそれを彩るものとしてしか取-あげられていないよう で'そこに'本歌取-における歌作-と歌よみとの差異を認めることができるのではあるまいか。前者は定家を 最大一とし、後者は西行によって代表される。両者の歌風の違いは'本歌の取-方にも歴然と反映していて'深 い興趣をおぼえしめるのである。、それにしても'西行の技法は'平安以来の本歌取-の流れをいかに受けとめて いるのであろうか。 4 本歌取りの西行的意義 本歌取-の作品は'定義のしかた如何によっては、すでに早-﹃万葉集﹄において見出される。そこには, 「意識して古歌を作-かえて自分の今の心境を表わした歌」 (﹃和歌文学大辞典﹄)もあるけれども,多くは単 に古歌の慣用的表現に倣っただけのものであって'まず本格的な本歌取-の要件をそなえた作品が詠まれるよう になるのは'﹃古今集﹄からだとふつういわれている。 ( 注 5 ) いまへ八代集(流布本による) について行った本歌取-の調査では'次のような結果が得られた。 発想形式 ・ . ・ . ・ ・ . : : . . . . I f ・ J t : I . ・ . ・ I . ` i ; l ・ . . . J J t 詠 今 三 首 非 題 詠 三 首 後 撰 七 首 袷 逮 八 首 二 〇 首 八 首
普 首 - 一一 l ■ 一 一 一一▲ 一一 西行の本歌取り - 73 -後 拾 遺 集 二 四 首 金 詞 千 載 集 二 百 五 首 新 古 今 集 二 九 首 この表によると'﹃古今集﹄ ないし﹃後拾遺集﹄における本歌取-は' 非題詠の作品に多-、﹃金葉集﹄から あとの勅撰集では'題詠に多いということがわかる。題詠は'犀風歌・歌合などの流行につれて'時代の経過と ともに非常に盛んに行われるようになるのであ-'それは、必然的に古代和歌的な発想法の上に変化を惹きおこ すに至る。このように、日本詩歌史の上に大きな転換期が到来した時期 - 和歌における中世的性格の蔚芽期 - と、即興的な作品よ-も題詠の方龍本歌取-がよ-多-試みられるようになった時期 - 本歌取-における 手法形成期 - とが重なっていることは、本歌取-の流れを辿る上に見逃せぬ事実であろう。 また'﹃後撰集﹄以後において本歌取-の作品が増加していることは'原田芳起教授が、 「時期的に言って も、散文における引き歌が活漠にな-はじめた芋津保物語期が'本歌のある和歌が急に多-なった時期であった ( 注 6 ) ように見うけられる」と説かれているとお-だと思われる。本歌取-は'こうした会話・消息文における引き歌 ( 注 7 ) ないしは先行作品に和する詠法によってはぐ-まれたと考えられるが'それが古歌の取-方をある型に飲める方 向に働いたこiJも否定できまい。ここに'﹃古今集﹄から﹃千載集﹄までの勅撰集における本歌取-の型を調べ てみると (括孤で--つたのは題詠ならぬ作品のそれである)'次のようになる。 今 集 撰 集 贈答型2 (1) 贈答型5 (5) (転換型1) 引用型1 (1) 転 換 型 1 ( 4 ) ( 延 長 型 6 ) 引 用 型 1 ( 5 )
- 74 -拾 後 拾 金 詞 千 遺 集 選 集 葉 集 撃 集 載 集 贈 答 型 2 ( 1 ) 転 換 型 4 ( 5 ) 延 長 型 2 ( 1 ) ( 引 用 型 1 ) (贈答型6) 転換型1 (班) (延長型4) 引用型4 贈 答 型 2 ( 2 ) 転 換 型 3 転 換 型 3 ( 延 長 型 1 ) ( 引 用 型 1 ) 贈 答 型 1 5 ( 2 ) 転 換 型 7 ( 2 ) 延 長 型 6 ( -) 引 用 型 4 全体を通じて、本歌取-の型は'贈答型・転換型が多いが'この傾向は'本歌取-に対する意識がしだいには っきりして-る平安時代中期以降においても、引き続き認められはする。 およそ'贈答型もし-は転換型の特徴は、本歌の心を表裏にたがえ'あるいは風情をひきかえてよむところに あることは'前に述べたとお-である。本歌を取るといって-'単なる模倣剰窃にとどまるものが少-なかった らしいことは'当時の歌論書の記事からも推されるが、「歌をよむに古き歌によみにせ」 (﹃俊頼髄脳﹄) る難 から免れるには勺かような取-方をするのが捷径であることは容易に考えられるであちぅ。それは'効果からい って'情緒の複雑化というよ-もむしろ趣向の冒新しさを狙うものにはかならない。だからへ.本歌取-が作品の 象徴的効果を高めるために積極的に取-あげられるようになると'これらの型は延長型にその地位を讃らざる杏 得な-なるのである。このような風潮が'平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて'俊成の指導下にある歌壇を しだいに覆うようになるのであるが'すでに考察したごとも西行の本歌取-は贈答型と引用型とを主としたも のであった。それは'発想法において、古代和歌的性格を深-帯びていた西行にふさわしい取-方だとはいえ る。しかし'本歌版-は'一方の限界として、構想・素材・情緒などを固定化するはたらきを持つ。「生得の歌 人」 (﹃後鳥羽院御口伝﹄) と称せられた西行に本歌取-が少いということは'かような事情からもうなづける であろう。 注- ﹃近来風体﹄には'「本歌の言葉をと-て'風情をあらぬ物にしなLt本歌のことばを上下の句に置きかへたる、常の 事 な -0 -女 本 歌 の 心 を も と -て 、 あ ら ぬ 様 に と -な し た る 歌 も あ -0 -又 本 歌 に 贈 答 し た る 体 あ り 。 -又 は 本
西行の本歌取り - 75 -歌の心になりかへ-'しかも本歌をへつらはでよむ体もあり。--又言葉ばか-をと-たる歌もつねの事なり」と見え ている。 注2 本歌の取-方については、栗花落栄氏の「本歌取考」 (「国語国文」昭和二十六年牙八号)に負うところが多い。 注3 新吉今時代の歌人たちの数値についていえば'たとえば'俊成卿女三十三%'藤原家隆二十四%'後鳥羽院二十%・藤 原定家二十%以上(石田吉貞博士﹃藤原定家の研究﹄参照)'藤原良経十五%'宮内榔九・二%'藤原秀能八・四%, 源通光七・三%のごとくである。 注4 なお例歌をあげておくと 春になればところどころはみど-にて雪の波こす末の松山 月すみし宿もむかしの宿ならで我身もあらぬわが身なりけり とめ行きて主なき宿の梅ならば勅ならずとも折りてかへらむ 花さへに世を浮草にな-にけ-散るを惜しめば誘ふ山水 注5 題詠か否かということは'かならずしも明確に判定しがたい場合もあるけれども'いちおう詞書に従うことにした。ま た'古歌を意識していたにもせよ'その詞を襲用しただけのように考えられるものは勘定に入れていない。なお,同じ 勅撰集に含まれていてもへ本歌取-の作品には新旧があるのでへその作者が初めて採られた集別に統計すべきであろう が'この表でもだいたいの傾向は掴めるであろう。 注6 「字津保物語における引き歌-宇津保物語の言語と文体輯-」 (「平安文学研究」第三十七輯) 注7 こうした例としては'前者の場合' 文つかはしける女の母の'恋をしこひばといへ-けるが'としごろへにければっかはしける たねはあれどあふ事かたき岩の上のまつにて年をふるはかひなし(﹃後撰集﹄) これが御かへ-ただ稲舟のと仰せられた-ければ又御返し いかにせむ我が身-だれる稲舟のしばしばかりの命たへずは(﹃拾遺集﹄) 物いひ渡るをとこの淵は瀬になどいへ-ける返事によめる 淵やさは瀬にはなりけるあすか川浅きを深くなす世な-せば(﹃後拾遺集﹄)
- 76 -があ-'後者には' 寛平御時ふるきうたたてまつれとおはせられければへ たったがはもみぢばながるといふうたをかきて'そのお なじ心をよめ-ける み山よ-おち-る水の色みてぞ秋はかぎ-と思ひし-ぬる(﹃古今集﹄) 寛平御時花のいろは霞にこめて見せずといふ心をよみて奉れとおはせられければ やま風の花の香かどふふも上にははるのかすみぞほだしなりける(﹃後撰集﹄) の ご と き が 挙 げ ら れ よ う . '