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昔ばなしの語り聞かせの一研究

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Academic year: 2021

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(1)1・i======”==1.lli. li. 一. ・平成5年度 学位論文. 昔ぱなしの語り聞. 兵庫教育大学大学院. 幼児教育専攻 学籍番号M91264G 森川 紅.

(2) 次. 目 はじめに. ……………’一一……一一……一…一一一…一一……一一一一…一…………… 1頁. 1.保育の中で「昔ばなし」の語り聞かせを. 一………一…一一一一……. 3頁. 実践していく意味について 2. 「語り聞かせ」について. ……一一………一一一一…一…………一一… 11頁. 3.なぜ、 「昔ばなし」なのか. ……一一一一一…一一一…一………一一一一一…一14頁. 4. 「語り聞かせ」の深さについて. 目. 自勺. …一…一…一…一一…一…………一一一17頁. 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一・・一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一」一一一一一一一一…一 23頁. 方法 ………一一……一一一一………一一…一一一…一一……一…………一一一………24頁. 結果と考察. 一一一…………一一一………………一一一一…一一一……一一一一一一一一一一……30頁. 1. 「聞く」子どもの集中度について. ………一一一一一………一…一……一一31頁. (1}評価A高集中度について. ②評価B中集中度について {3)評価C低集中度について く4)評価A一卜評価Bについて. (5)評価A・評価B・評価Cおよび強集中度について考察 2.子どもがおはなしした語句数について. ………一一………一一…一一…42頁. 3。子どもがおはなしするのに要した時闇について 一一……一………45頁 4.言い換えたことばについて. …一一一…一一…一一一一一一一一一t…一一一一一一一…一…一48頁. (1)子どもが自分にわかることばに置き換えておはなししている. ことばについて (2)絵から連想しておはなししていることばについて 要 糸勺. 一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一56頁. 引用文献・参考文献. 資料. …一……………一…………一…一…一一一一…一……一…一一58頁.

(3) 1ま. め. じ. 姦こ. 子どもは、本来、自然の営みによってしぜんに育つといわれてい る。乳児期は母親から母乳を飲ませてもらい、父母の語りかけに微 笑み、子守唄の声を聞きながら眠りにつく。. 幼児期になると父母や祖父母が語る「語り」に耳を傾け、うなづ きながら聞くようになる。このような語りの世界は、すべての子ど もに心地よく響きしかも好奇心と弄びを満足させるものであろう。. 乳幼児期は、入間としての基礎づくりの時であり、パーソナリテ ィー形成と生きることへの原点をなす時期であるといわれている。. それには、子どもが内面に持つ力を発達させ、育てなければならな い。そのことによって、多面的に生きる子どもを育てることになる。. その意味で、大人は子どもの想橡力を刺織し、知力を神ばし、感 情を豊かにするため子どもの持つ課題を十分に理解し、その不妥や 望みに波長をあわせる必要がある。つまり、子どもが日々の生活で 自分自身に自信が持てるようにさせる必要がある。その場合、幼い 子どもにとって重要なものは、常に自分の身の回りにいて可愛がっ て護ってくれる大入であり、また、幼児の感情を養う「情報源とし て最:適なのは文学」《1)なのである。そこで、文化的な遺産である. 昔ばなしが、子どもに語るのに最も必要があるといえるのではない だろうか。. 教育課程審議会は昭和61年10月に答申した『教育課程の基準 の改善に関する基本方向について』の中で、 「国際理解を深め、我. が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視する」と誕っている が、幼児期には文化の伝承として昔ばなしが適切である。. 河合(1977)が、大学生に、 「自分の人格形成に強い影響を 1.

(4) 与えた書物について」というレポート課題を出したとき、幼少期の 体験として「昔ばなし」をあげた者が案外に多く驚かされたと言っ. ているω。これは、昔ばなしの内容と現代人の心性とが強く結び ついているということのあらわれだろう。. ところで、乳幼児期は、特に入問発達の基礎となる豊かな「心情」 を培う時期である。その心情を培う媒介となるものの一つが、 「お. はなし」である。子どもたちは「おはなし」を絵本で、テレビやビ デオで、また、おはなしテーープつき絵本で聞く。しかし、何より心. 清に訴え心情を培うのは、歴史的文化遺産である「おはなし」を、 大入によって静かにじっくりと語られるときであろう。. 従来から子どもに語りかけられてきた「昔ばなし」は、子どもの ための伝承文化財であるばかりでなく、古今東西を問わず、世界の 親たちのための子育て上の大切な文化財であったといえる。. そこで本研究は、昔ばなしを材料として、子どもが聞いている姿 勢や視線の動きなどから「語り聞かせ」のもつ意義を考えていこう とするものである。. 2.

(5) 1.保育のなかで「昔ばなし」の語り聞かせを実践していく 1意味について. 日本の昔ばなしも、ヨ・一一ロッパのメルヒェンも民衆の間で口伝え. されてきた物語である。それは、ある特定の帳入によって創られた ものではなく、祖先によって創造された共有の文化財であり、民族 のなかで受けつがれ、現在まで語り伝えられてきたものである。. ところで、昔ばなしを文芸的立場から碍究したスイスの学者マッ. クス・リュティ(1967)は、昔話の特徴を次のようにいってい る。 「昔話の主入公は行動するのであって、奇異なものに出会って も驚いている時間もないし、そういう性質もない」(3) 「昔話に登. 場する人間や動物には肉体的、精神的深さがない.」(4)つまり、. 主人公が超自然的なことに出会っても少しも驚かず、時間とのかか わりや主入公の心の動きなどが描写されず、一一切が抽象的なことば で語られているというのである。. また、ウイーン生まれの精神分析学者ブルーノ・ベッテルハイム. (1978)は、 「昔話が自分の無意識に語りかけ、その不安に形 を与えて、本証に意識させないまま、その不言を解消してくれる」 (5)とし、無意識というのは、精神分析学では、心入も意識してい. ないがその入の精神や肉体に影響を与える心の一部分だと言ってい る。そして、昔ばなしには、現実に即した絵本や童話などにない大 きな価値があり、それは子どもが自己を確立しようとするときに起 こる問題や不安やおそれを和らげ、子どもを勇気づけて入生に立ち 向かうカを与えるから、昔ばなしを語ることは非常に大切だとして いる。また、 「昔話の伝える本質的なメッセージは、世界どこも同. じ入間が当面しなくてはならぬ基本的入生問題に対する解答のメッ 3.

(6) セージなのだ」(ωと述べている。. たとえば、ベッテルハイムは『ヘンゼルとグレーテル』のおはな しをあげて、分離不安(見捨てられることへの恐れ)といじきたな さ(ロ唇性の二言)を含む飢えへのおそれを誰でも持っているから、. 子どもはこのおはなしに意味を見出し、勇気づけられもするとして いる(7)。昔ばなしは、象徴的・間接的な表現で人間の真実を語っ. て、生きることの意味を子どもたちに悟らせ、困難に向かう勇気を 与えているといえるのである。. これは、日本の昔ばなしにも言える。しかも小澤(1990)が 言うように、 「昔ばなしは長い年月、つねに変化しながら伝えられ. てきた。その変化は、ロで伝えるという行為のなかでおきる変化だ った、そこではロ伝え文芸として自己の姿を守る力がはたらいてお り、そこからはみだす変化は一時的におきても修正されてきた」(U). のである。このことは、昔ばなしが、民衆のなかで常に大切な役割 を担ってきたからだといえる。大切な役割があったからこそ長い年 月にわたって、常に変化しながら、あらゆる場所で語りつがれてき たといえる。小澤が言うように昔ばなしは母国語の・一つだと言える し、日本入であれば誰でも『ももたろうs 『六切雀』や『笠地蔵』. などのおはなしを聞いて、それが日本の風土、雰囲気の中のおはな しであることに気づく。. この意味で、昔ばなしは日本の文化の一面を伝えているといえる だろう。しかも、昔ばなしは一種の冒険物語である。未知への好奇 心から子どもの心を興奮させ、くり返しのおはなしの部分やリズミ カルなことばはイメージを膨らませ、おはなしを聞く喜びと心の安 らぎを子どもに与える。昔ばなしは、主題・登場人物の性格や筋立 てが単純明快なものが多く、くり返しの表現が目立つ。登場する人 4.

(7) 物についても、その心の勤きについての描写らしきものがなく、季 節や自然についても描写がない。成長しつつある子どもにとって、. くり返しと、これらの単純明快さが、心に響き理解されやすいとい える。語り手と聞き手が心を通わせながら語る昔ばなしは、それを 語る入の顔や声とともに人の心の温もりをも伝える。日本の昔ばな しは、日本人にとってC‘これは日本的だ”とおもい描く風景の世界 であり、古くから語りつがれてきた日本文化の一一一つなのである。. 昔ばなしは、いうまでもなく特定の乱入が最:近創作したものでは. ない。長い年月、民衆の聞でロ伝えされてきたものである。したが って、昔ばなしの中にはさまざまな生活を営む人びとがいる。むか しむかしの生活は、けっして頭脳だけを使って生活できた時代では ない。そこでは、さまざまな能力が必要とされ、それらが寄り集ま ってはじめて人びとの生活が成り立っていたのである。また、器用 な手先、ひたすら強い体力、単純な仕事を長時間続ける忍耐力、村 誌をまとめていく円満な人柄、村の経済が成り立つように考え計算 する能力、海で山で方向を見失わない能力、けものを仕留め魚を捕 える腕や技など、多様な能力が要求され、人びとは個々それぞれの 特技や個性によって重宝され尊敬されていたであろう。. 現代の都会生活では、人間と自然との関係がすっかり変わり、自 然は遠のいてしまったという入もいる。動物の一種としての人間の、. 生きるという生物的力は弱まったと言える。それだけに、昔ばなし に親しませることは、世の中が文明的に進歩すればするほど必要と なってくるといえるかもしれない。そして、聞き手の方は、自己の 経験を通してさまざまな思いを持って考え、いろいろな生き方の答 えを見つけていくのだろう。. 5.

(8) なお、物語である以上、昔ばなしはことばとしての重要性を持ち、 ことばは幼児期教育において大事な内容である。現行の、 『保育所. 保育指針』 (1990)や『幼稚園教育要領』 (1989)でも、 「日常生活の中で、言葉への興味や関心を育て、喜んで話をしたり. 聞いたりする態度や言葉に対する感覚を養うようにすること」が目 ざされ、 『幼稚園教育要領』の領域「言葉」には、 ‘‘ねらい”とし. て「人の言葉や話などをよく聞き、自分の経験したことや考えたこ とを話そうとする」 「日常生活に必要な言葉が公かるようになると. ともに、絵本や物語などに親しみ、想像力を豊かにする」とあり、. そしてCC内容”には「絵本や物語などに親しみ興味を持って聞き想 傑する楽しさを味わう」とある。. ことばに対する興味・闘心や、はなしたり聞いたりする態度など、. ことばに対しての感覚、想豫力、イメージカを育てる重要性が保育 に求められているのである。 一方、 『保育所保育指針』、 『幼稚園教育要領』での領域「人間. 関係」は、人とのかかわりの面から保育を考えていくために設けら. れkのであるが、このことは、語り聞かせという行為を通して、子 どもが学ぶところが非常に多いことを意味していると言える。. 田ロ(1984)は、ことばの相談で急増している不思議な子ど もたちとして、 “ことばの遅れている”(9)子どもを挙げている。. 相談に来る子どもたちは単にことばを覚えるのが遅いというだけで なく、むしろ覚える気がないし、使い:方がわからないという特質を. もっているという。しかも、ことばの面だけでなく入間相手のこと がすべて苦手だという。その原因として、 「特に最近の2・30年、 わが国が高度経済成長と、産業能率の向上と、そのための都市化・. 工業化の道をばく乱している間に、何か私どもが百万年忌上の人類 6.

(9) の歴史を通して大切にしてきた、入としてごく自然な・根本的な・. 大事なことをうっかりしてきたためではないかと、私には思えるの. ですjGωと言っている。このことについては、日頃から保育現場 において実感するところが多いのである。機械音に囲まれて便利な 生活をしている現在、今われわれは‘‘ことばの遅れた子ども”をた くさん育てているのではないだろうか。. 岡本(1985)は、ことばを「一一次的ことば」 「二次的ことば. と:分けるカテゴリーは学問的用語として認可された名称ではないと しながら、 「一次的ことば」は話しことばが主体であるとし、語り 聞かせの基本は一一・ 7M的ことばの尊重におかれるべきだとして、 「一. 次的ことば」の中に「語り聞かせ」を含めている。ことば機能を身 につけ始めた子どもが、自分がよく知っている入から昔ばなしをく. り返し語り聞かせてもらうことは、次に、自分が話し手となり、そ れを生活の中で自分の求める目的実現のための手段として用いるこ とにより、 「話す者」としての自己存在を確かなものとしていくこ とになるという。. 一次的ことばが、対話行動として深まっていくには、相手のこと ばと自分のことばをうまく組み合わせながら対話する一次的ことば の使用法を深めていく必要があるといえる。祖父母をはじめとする お年寄りと生活を共にする子どもが少なくなった現在、また、祖父 母自身が父母と同じく新しい絵本を買ってきて子どもに“読んでや る”時代になった今、祖父母もまた“二次的ことば”の使用者にな ってしまった。これは、書きことばの活字を読むことで、おはなし をするようになったということであろう。. また、岡本(1985)は、家庭内暴力を惇う登校拒否の高校生 と医師との一対一一の話し合い場面で、両者が日常的会話でない二次 7.

(10) 的ことば的な応答に終始し、一次的ことばによる会話の難しい場合 が多いことを事例としてあげ、一次的ことばの根源をなす他者との 共同性の喪失についてふれている{1D。. 一方、外山(1984)は、人間はことばによって入間になった、 また、ことばは教えないと覚えないとし、生まれた子どもに母乳を 与えるのと同じように心の糧としてことばを与えることが重要であ ると述べている。つまり、母乳と類比させて赤ん坊にはなしかける ことばを「母乳語」と考え、離乳後の食事に例えた大切な「離乳語」 として、荒唐無稽なおとぎ話の意味をとりあげている。またそれが、. 子どもに言語の抽象的イメージの使用を教える適切な教材となると 評価している。昔ばなしを子どもに語り聞かせることによって、人 間らしい知的営みができるようになるというのである。その意味で、. 昔ばなしを語ることは、ただ昔のことを伝えるだけではないといえ る。つまり、昔ばなしを聞くことによって、昔の人の感じ方や考え 方などが知らず知らず身につき、物語の起伏にある不合理なことも だんだん頭に入っていく。そして、昔ばなしの不自然な展開をも理 解するようになる。そこで、抽象的ことばの教育が行われるという のである。. 昔ばなしもストーり一をもつことばであるが、まだ経験不足の幼 児は何回もくり返し聞きたがる。そこで、満足のいくように、何回 でも聞かせてやる。昔ばなしは、昨日今日にできた童話とは違い、 多くの入が長い間語り伝えてきたもので、無駄なことばが省かれ、. 必要なことばだけが残ったものである。だからくり返し語ってやる ことによって、子どもはおはなしを聞くことが、さらに好きになる。. なお、今は昔ばなしを絵本で聞かせることが多いのであるが、抽 象的ことばのイメージ化ということからすると、絵があるのは邪魔 8.

(11) になることが多いといえる。ことばやストーリーは絵そのものでは ない。しかも、描かれた絵があれば、その範囲でわかろうとする。 また、物語を一つの平面にして見せる絵では、一般に一一L枚の絵の中. に同時に多くの情報が盛り込むため、絵はどうしても説明的になる。 したがって、子どもは絵を見ながらおはなしを聞く.ことになり、 絵iUtul,iigりこまれた事実(情報)の説明を受けるといったことになり. やすいのである。しかし、耳から聞くことばによって、ことばを自 分なりに直観的にイメージ化して頭に入れるようなことが、言語の 教育として大切なのである。そのイメージは、はっきりした形をも たないかもしれないが、それだけに無限の可能性をひめている。ど んなにすぐれた絵が描かれていても、具体的に見せられれば、それ にしばられて、そこから税け出すことは容易なことではない。 たとえば、昔ばなしのいうCCむかし”は、 「現代からみて祖父よ. り2∼3代前、というだけでなくて、昔ばなしを語ったり聞いたり してきた庶民は、いつの時代にも、およそ、そのくらいの“むかし” を語ってきたのではないか」〈1 2)、ということだが、それは文字に. 頼らず、絵に頼らず、ことばだけを手がかりに、昔ばなしとして想 像力を使って楽しんできたものである。そのような意味からも、昔 ばなしは、耳で聞かせるだけにした方がよいといえる面がある。 昔ばなしの発端句で必ずいうところの「むかしむかし…一…あった. そうです」の「むかし」とは、自分の前にいたのではと感じられる 程度の時聞的へだたりではないかとを考えたとき、 「むかし」は特. 定できないがあまり無縁ではない時代だと言える。. このようなことから、昔ばなしを漠然と身近なものと感じること によって、昔ばなしを自分のものとして受けとめみんなのものとし て感じることができるからこそ、語りつがれてきたのであろう。 9.

(12) このようなことから、昔ばなしの語り聞かせの再認識、再活用を 重視し、それを保育の中に生かしていくにはどうすべきかを考えて いかなければならないと思う。. 10.

(13) 2. 「語り聞かせ」について. tlわゆるfおはなし」を子どもに聞かせるには、語り聞かせによ る伝承や、素ぱなし(絵や入形や映像によらないおはなしの語り聞 かせ)、絵本による読み聞かせ、そして朗読がある。なかでも、子 どもの目を見て、子どもの反応を直に確かめ受け止めながら語る直 接の「語り聞かせ」が、最も重要である。また「心をこめて語る」 ことが、何よりも大切なのである。. めまぐるしく変化する現代の文明の中で、入間が失ってゆくもの は大きいといわれている。その中の一つに、入と人の間の心を交わ し合う会話が、少なくなってきているのではないだろうか。そのこ. とが、幼児教育にもあらわれて、一方通行の命令、催健、叱責、禁 止などのことばのみが多くなり、子どもに対して心をこめて静かに 語ることが少なくなってきているように思える。. 矢ロ(1991)は、 「語り」について、 「話し手ではなく語り 手である。話をする際も、聞き手がいるのは当然である。しかし話 しと語りという行為には、大きな違いがある。それは、話は聞いて いようが聞いていまいが一・一方通行に相手に話しても成立するもので. ある。いわゆるテレビなどは,その典型的存在である。それに対し て、語りとは、聞き手が相槌をうち、語り手が相手の反応をふまえ て語るもの」q3)であるとし、聞き手との問に共通世界が成立する ための「語り」の意義を述べている。. 櫻井(1986)は、 「語る」ということは「話す」ということ とは違って、語る内容が相手の心にしっかり届いてほしいという願 いがあると言う。 「語り」には、語りが醸し出す心をなごませるカ があると言うのである。 「語り手は聞き手と心を交わしあい、深い. 11.

(14) 感動を共感し合いながら語りをすすめる。」(1 4)それが、人生の創. 造につながるものとして、乳児期から幼児期に至るまで、その時々 に合った語りがある「語り」の大切さを力説している。 このように、 「語り」は、語り手のことばや声や息づかいによっ. て、蘭く入の心に想像の世界をくり広げていくとともに、肌の温も りや快さをひろげていくことになる。そこには一緒に聞く友達や仲 間がいることで、さらに、共感の喜びをふくらませていくのである。 ともすれば、ことば不要の機械に囲まれて成長する今の子どもにと って、入間らしい言葉の発達を促すためにも、 「語り」は有効であ るといえる。. 昔ばなしを聞くとき、聞き手は大体主入試を自分自身の身に置き 換えて聞いている。しかし、絵本は主人公が絵の中に登場している ので、聞き手は、物語を聞くというより絵を見ていることになる。. しかも絵は、場面場面で、どこか一点で止まったままである。それ に対し、おはなしは、聞いている問じゅう刻々と動いているのであ る。つまり、絵本を見ながら聞くときは、おはなしへの気持の入り 込み方がどうしても弱くなるといえる。一一枚の絵の中に数多く盛り. 込まれた情報の中から、おはなしにとって肝要なものを取捨選択し なければならないのである。. これらのことから、 「語り聞かせ」の意味ある特徴として. 1.子どもの表情や反応を見ながら 2.語り手も臨機の対応をして 3.子どもの想像力をことぼの理解で創造させる 4.直接物語に当事者として参加している感じを与え 5.聞き手との間に声にださない対話をする などがあげられる。. 12.

(15) 子どもにことぼで「語り」かげながら入間の心を伝えていくこと は、そこに人間関係の信頼を生み出していくものがあると考えられ る。子どもが小さければ小さいほど、その子どもがそのとき興味を 持っていることに対してゆっくり丁寧にくり返し語ってやることが 大切なのである。子どもの目を見て語りかけるという行為が、安定 した情緒のなかで、ことばへの信頼感を育て、ことばを使って入間 らしく生きてゆくための根底をつくる。そこに、 「語る」ことの重 要な意味がある。. 13.

(16) 3.なぜ、 「昔ばなし」なのかについて. 「むかし、むかし一……があったそうです」という語りではじまる. 昔ばなしは、子どもたちにとって、今を超えた不思議な物語世界で ありながら登場入物が自分の周囲に立ちあらわれる世界である。し たがって、好奇心が旺盛な子どもは昔ばなしが大好きで、語り手の 持ち味の口調でいつの間にか、おはなしのなかに引き込まれていく。. 河合(1977)は「昔ばなしは幼少の頃から私の心をとらえて 離さなかったj(1 5)と言う。松岡(1985)は、子どもたちが昔 ばなしに示す反応の強さについて、 「話をする時は、語り手と聞き. 手の間に、凧の糸のように、一種糸が張られたような感じがあるも のなのですが、昔話の場合は、それ以外の話、つまり創作のお話の 場合に比べて、この糸の手ごたえが格段に強い」(叢ωと述べ、昔ば なしが子どもの文学として適切な理由について、 「昔話には、なに か子どもの、ものの感じ:方、考え方など、子ども特有の心の働きに ぴったり合う要素がある」(17)とし、リュティのことばを引用して、. 昔話の表現上の特質が、子ども達の能力や要求にぴったり合うもの であることをよく理解できfaと言っている。. ベッテルハイム(1978)は、日本人は日本の「昔ばなしをな んべんも聞き、幼少期、少年期と、さまざまな年齢の時に聞いたり 読んだりし、そうして、それらのいろいろな心理的美的発達の段階 ごとに、少しずつ異なる意味をくみとり、こうしたものの総合とし て、豊かな意味を、昔ばなしからとりだすことができなければなら ない」〈18)と言う。そして、 rももたろう』のおはなしのモチーフ. は2つの要素が複合しているとする。一一つは、我々の生命がはじめ. 水みたいな要素からはじまったということであり、もう一つは、自. 14.

(17) 分がどこからきたか、という不思議さから、自分は今の親から生ま れたのではあるまい、という空想を抱くモチーフであるという。そ して、どんな子どもも、遅かれ早かれ、世の中へ出てさまざまな危 険に立ち向かわなくてはならないとして、 『ももたろう』のおはな しを分析している(1 9)。. 外山(1984)は、 「コウトウムケイなおとぎ話は子どもに離 乳語、つまり言語の抽象的使用を教えるのに、またとない教材」伽) となるとし、 「絵本でおとぎ話しをしてやっているのを見かける。. 絵本がいけないというのではないが、ことばの抽象化ということか らすると、きれいな絵があるのは、じゃまになる。どうしても絵で わかろうとする」(2Dと言っている。耳から聞くことばによって、. ことばをイメージ化して、頭に入れることが言語教育として大切だ というのである。. 小澤(1990)は、昔ばなしの語りには、 「子どもの成長にと って大事な要素が含まれている」(ZZ)と言い、その一つに昔ばなし. のくり返しの多さをあげている。『ももたろう』のおはなしには3 回忌くり返しがある。くり返しが聞き手に与えるのは、音楽的な心 地よさであり、一度聞いたことをまたくり返して聞くことに一種独 特の喜びがあり、しかもくり返しの間に次々と新しい出来事が生じ て、主人公と一体となる体験がさらに重ねられるという喜びがある。 それは、未知への好奇心であり、既知のものとの再会の喜びである。 そしていま一つ、語りには能動的に聞く喜びを子どもに与えるが、. 昔ばなしは、長いロ伝えの歴史の中でそうした語りロを獲得してき たのである。. 百々(1983)は、同じ(「同じ」というのは、完結するパタ ーンが相似であれば、物語自体は異なっていてもいい)昔ばなしを. 15.

(18) くり返し聞くことは「昔話症候群をくりかえして記憶した聴き手の. 脳がアンティシペイションをもつ能力を獲得し、その固体が将来通 常科学を学ぶのに必要な回路をひらいてゆく」<23)として、能動的. に期待して聞くことの意味を述べている。昔ばなしをくり返して闘 くうちに、次を予測し、期待して、やっぱりそのとおりだったと、 能i動的に聞くようになっていくのである。. 昔ばなしの持つ価値観は実に多様で、そこには、さまざまな主人 公が登場する。 『ももたろう』 『一寸法師』 『わらしべ長者』 『浦. 島太郎』 『こぶとり爺』『ねずみ浄土』 『三年寝太郎』など、B本. で蒐集されている昔ばなしは、筋の通ったはなしだけでもおそらく 一万数歯(24)にもなるとされるから、それだけの主人公が描かれて. いるのである。このことは、そこにくり広げられる入生観や入間観 の幅の広さを示している。また、そこには、入間のさまざまな考え 方・を認める作用があり、昔ばなしという型を借りていろいろな入間. の生き方があることや、そのあり方に全て生きていることの意味が あることを教えているのではないかと思う。. このように昔ばなしは元来、読む文学ではなく、ロ伝えの文学と して語られる物語なのである。しかし、子どもたちに昔ばなしをす るとき、最近は手近にある昔ばなしの絵本を読んですましてしまう ことが多い。この場合、昔ばなしは絵本の活字を「読む」という行 為を通して子どもに伝わっていく。そこには、既成の文と絵があり、. いわば読み手の違いを生かさない形で一つの枠の中で伝えられてい ることになる。しかし、元来ロ承文芸である昔ばなしは、紙芝居や 絵本などの絵の助けがなくても、おはなしを「語る」だけで十分お もしろいものを持っており、そのようにして、人と人とのつながり のなかでいろいろに語られるのが自然の姿だといえる。. 16.

(19) 4. 「語り聞かせ」の深さについて. f読む」と「語る」という二つの方法は、材料が仮に同じ文であ ったとしても、聞き手である子どもの受け止め方に大きな違いを生 むものと思われる。たとえば、語りには見るべき絵がないため「聞 き手」は語り手を見ながらはなしを聞く。そして語り手は子どもの 大好きな人の場合が多い。大好きな両親や保育者が語るからこそ、. 物語をわが身にひきつけて聞くのである。このことは、また、語り 手が相手の反応をふまえながら語ることを意味する。このような生 きた多様な「語り」の世界を子どもとの間に成り立たせることが、 今の教育の世界には求められていると言える。 昔ばなしは、 「語り聞かせ」によって、一一層聞き手の心の深みへ そのおはなしの世界が届くことになる。 「語り聞かせ」には、 「読. み聞かせ」にはない入と人との親しい結びつきや心の交流が生まれ る。語り手は、聞き手の気分をじかに受け取り、その絵本という媒 介者のない関係は、直接に目と目を通いあわせ表情を提えることで さらに深まり、呼吸をぴったりと合わすことになる。 つまり、 「語り聞かせ」が、語り手独自の感性と理解で、自分の. 声と表情を生かして語るのに対し、昔ばなし絵本の「読み聞かせ」. は、絵が主体だからこその絵本で、絵を重要な手がかりとして見せ ながら読むのである。. 現在、子どもには自分のイメージで「聞く」という行為が減少し ているように思われる。たとえば、テレビの試織は幼児が物心つい たとき、すでに直接目に訴えるものになっていた。つまり、自分の 耳で「聞く」に値する語りが、その機会とともに少なくなっている からではあるが、一方、どんなに素晴らしい語り手がいても、上の. 17.

(20) 意味ですでに話を聞く聞き手が、しっかり相づちをうって聞かなく なってきているともいえるのである。自分の感性で「聞く」という 行為が今や欠如しているといえる。子どもに自分の感性で耳を傾け てことばを聞くカをしっかりとつけなければならない。それには、. 目の前にいる子どもに、直接、語って聞かせることをしなければな らないといえる。. 櫻井(1986)は、 「巨大なものや得体の知れないものは、絵 本やテレビよりも絵のない方が想像力をよりたくましくさせ、生き 生きとイメージを淳かべる」(25)とし、それは、ことばを手がかり. にして目に見えないものを見る力を、子どもが持つことになると言 っている。櫻井は、 「生の語りとテレビの語り」といったテーマで、. GSR(俗にウソ発見器)を使って「語り」における心の動きを見 る実験に協力している。それは、子どもが昔ばなしを聞くときに、. どのような感情の変化があるか、また、同じ昔ばなしであっても受 け取る方法の違いによって、感情の変化のしかたに差があるかどう. かを調べるものであった。被験者は小学校3年生の5名である。 方法は、①テレビ受信機に写されるアニメ映画「さるのむこどん」. を見せる、②テレビ受信機に写されるVTRによる語り手櫻井の語 り「さるのむこどん」を見せる、③語り手桜井が被験者と向かい合 って坐り、生の声による語り、 「さるのむこどん」を聞かせるもの であった。. 結果として、5人の小学生は、図1のような共通の特徴がみられ た。それは①と②の実験の場合は、初めに感温移入があり針が動く. が、1・2分後には針はほとんど動かなくなるということである。 それに対して⑧の実験の場合は、語り始めから語り終わりまで聞き 手に感情の移入がみられ、その感情の変化により、よく針が動いた. 18.

(21) のである。. 図1一(1)アニメーションフイルム放映の場、合. 図1よ(2)語り手の語りをVTRにとって放映した場合. 図1一㈲語り手が同室し、生の語りを聞かせた場合. ③の実験で、語り手が子どもの目の前に坐って語ってくれると最 後まで針がよく動くが、これは心を動かしながら聞いているという ことで、語りによる感情移入を通して最終的には語り手との感情の. 共感があると解釈されている。これに対して②の場合、VTRのな かでの語り手は媒体がテレビという物質なので、入間そのものから. 19.

(22) おはなしを聞くのとは違い、アニメやVTRに出てくる人物の方も、 入であるけれども物質であるということからくるのであろう。つま り、③の場合、そこにみられる「語り」のはなしの聞ずっと持続反 応していた曲線の変化は対面関係的要素と考えられ、そこに、「語 む」が終わるまで心の共感性の成立があったことになるe入との関 係がなければ心の申の変化はない。このことはいかに乱入関係的要 素が大事であるかということになる。. 次に想二二の問題がある。アsメの人物は視覚的にも聴覚的にも オーバーな作り方になっており理解されやすいはずである。もとも とストーーリーの理解は、視覚と聴覚が同時であるときは直接理解し. やすいといえる。けれども、アニメの視聴ではGSRの線が初め少 しは動いたが、その後動かないというのは、アエメ視聴の場合子ど もは想像する必要がないし、自分なりの想像が生まれてこないから である。視覚的にも聴覚的にも、情報を・一・一・方的に得るという形で流. れ、それ以外には何も起こらない。GSRの線が動くという心の中 の変化は、視聴を通してイメージを湧かしているという考え方を可 能にする。語りを聞くときには、情景を必要とし、より深く理解す るためには共感性も必要であり、イメージと共感性は切っても切れ ない関係にある。その心の活動を語りの悶申していたと考えられた のが③の実験である。. このことは、聞いている子どもの様子を客観的に見る限りでは、. テレビを見ながら聞くときも、語り手と向かい合って聞くときも余 り差があるとはいえないと思う。態度は同じように見えるが精神的 な反応は違うということである。このことから、聞き手にとって、. 近くにいる入の体の温もりが感じとられる範囲で「語り聞かせ」て もらうことが意義深いことに、注目しなければならないといえるの. 20.

(23) である。. これに関して櫻井(1986)は、 「元来語られることばのみで 伝えられるべき話や物語を、視覚化されたテレビや絵本で子どもに 与えたときに想像力の衰徴が起こると、少し前からいわれていまし たが、子ども時代の精神発達に、この想豫力の面面が今や障害とな っていることが各方面で気づかれ始め」たとし、ことばと精神の発 達から考えると、 「抽象化の原型を習得する子ども時代の精神的な. 刺激とその反応を大事に考えたいと思う」(2ωと言っている。ここ. でいう子どもは、被験児であった小学校3年爵位の子どもを出して いると思えるが、幼児期と少年期を同次元には考えられないとして も、幼児期から少年期へと成長を重ねていくことを考えるとき、こ の意見は無視できないものといえる。. ロシアの児童文学者、コルネイ・チュコフスキー(1991)は、 2歳から5歳までの間に、一.一L民族の言語の仕組みを殆ど身につけて. しまうとして、B常生活の中で子どもに藷りかけることの大切さと、 昔ばなしを子どもたちに語りつぐことの意義を言っている。そして、. 語り手の目的は「こどもの中に人間牲を、つまりひとの不幸に心を いため、他入の幸福をよろこび、その運命を自分の運命と見る、入 間のすばらしい能力を培う」(27}としている。昔ばなしの楽しさを. 知って、語ることが子どもの心の成長の助けになるのである。. そして、昔ばなしは、くり返し何回も語ってやることが大切であ る。くり返し語ることで、子どもたちは、同じ場面にくると、そこ で起こることを予測し、 「やっぱり、そうやった」 「おもったとお. りやった」と期待どおりであったことを喜び、積極的に能動的に先 を見越して期待して、また次を予測してはなしを聞くようになる。. 昔ばなしを語ることによって、こうして、語り手と聞き手の応答の. 21.

(24) 関係が「語り聞かせ」の深さとなっていく。. 子どもに昔ばなしを「語の潔かせ」る語り手は、原則的には子ど もが温頃親しくしている人であり、語られることばは、古くから伝 えられたことばで語られることもあれば、現代風に訳し直された文 の場合もある。そこで注目したいのは、それはB常生活の中で語り 手と子どもが交わしている対話形式の話しことばとは異なった、あ らたまった語りことばである点である。子どもの側からいうなら、. 自分の親しく知る人が、いつもの対話の「話しことば」とは違った 「語りことば」で、自分を象徴の世界へといざなってゆくことにな. る。そのことは、子どもに「現実の世界とは別の、ことばのみがっ くり出す幽界」があることを知らせることになるのである。. この意味で、保育実践の場においても、豊かな内容の素材、つま り昔ばなしの「語り聞かせ」をとおして、 「子どもの目を見て語り、. 語り手の冒を見て聞く」、このような保育者と子どものあり方に意 味あることを知ることが重要になる。保育者と聞き手である子ども の相互関係が、素材の持つ意味をさらに拡げるものとして大切だと いえる。保育者が語りかけることばに対して、子ども一一入ひとりが. それなむに、たとえロに出さずとも表情で応答する。それに保育者 が応える。この応答関係が、言い換えてみれば「語り」のもつ本質 的な関係だといえるのである。. 22.

(25) 目. 直勺. このような考えから、この真丸は、昔ばなしを「語り聞かせ」で する場合と、同じテー一一 一?の昔ばなし絵本の「読み聞かせ」をする場. 合の違いを、聞く側の受け手である子どもの姿から考察しようとす. るものである。しかし、前述したように櫻井(1986)の、小学 校,3年生を対象にした昔ばなしのアニメやテレビの硬像を通した場. 合と、語り手と向かい合って語り聞かせを聞いた場合を比較した発 行研究はあったが、昔ばなしの「語り聞かせ」と昔ばなし“絵本” の「読み聞かせ」についての実証的比較研究はなかった。 なお、現在、昔ばなしが盛んに子どもむけに再話され絵本化され、. テレビ番組になったむしているが、昔ばなしは、元来、読む文学で はなく、訴訟のものとして語りつがれてきたもので、聞くことによ って成り立つ物語であるため、 「語り聞かせ」がよいとするものが 多かった。反面、 「読み聞かせ」の重要性も言われており、いろい. ろな昔ばなし絵本の出版とともに、昔ばなしも絵本で「読み聞かせ」. をしてもらう子どもが多いと思われる.その上に、子どもの現在の 生活とはかけ離れた昔ばなしの世界は子どもには理解できないので、 絵があれば理解できやすいという考え方もある。 そこで本研究は、昔ばなしを幼児が聞くとき、 「語り聞かせ」が. 昔ばなし絵本の「読み聞かせ」より集中度の高い聞き方をするであ ろうという仮説を実証しようとするものであるe. 23.

(26) 方. 法. ○ 対象児……H市立保育所の4歳児。 3歳児は、発達的におはなしを集中して聞くことが難しいし、ま た、4歳児は5歳児よりも素直におもしろかったとか、おもしろく なかったとか感情を表現できるだろうと考えたからである。 「語り聞かせ」群および「読み聞かせ」群の被験児はそれぞれ、. 4歳児の男児3名・女児3名、計6名であった。. 一. 「言吾 り 聞力、せ 一」 著羊 一. 〇・D児(男)4:11. Y・M児(男)4:9. H・M児1男)4:6. Y・K児(女)4:11. T・T児(女)4:8. M・N児(女)4:5. 平均年齢 4:8(レンヂ4:5∼4:11). 一 ギ読み聞かせ」群一一一. 丁・丁児(男)4:11. Y・T児(男)4:9. K・D児(男)4;5. T・M児(女)4:11. M・Y児く女)4:7. K・Y児(女)4:6. 平均年齢 4:8(レンヂ4:5∼4:11). ○材料一…一一日本の昔ばなし『ももたろう』を使用した。. 作品名 語り聞かせ 「}1ももたろう. 関敬吾編 @『日本の昔ばなし』. 一青森県三戸郡一 岩波文庫. 24. 聴せ 絵本. @ 松松居 直 文. 赤 赤羽 末吉 画 福音館.

(27) 読み聞かせに使用した絵本『ももたろう』は、松居(1978) が、南部地方の五戸を中心とした地域の昔話集より文を創作し絵本 にしたものであると言っている。その原話は、 「語り聞かせ」に使. 用した関敬吾編『H本の昔ばなし』のなかの『桃太郎』と内容や構 成が大変によく似ていることから選んだ。. なお、語り聞かせの「ももたろう』は、上記の関敬吾編『B本の 昔ばなし』の語りロを生かして、子どもに理解しやすいように台本 を作成したものである(資料参照)。. ○手. 続………「語り聞かせ」も「読み聞かせ」も4歳児のクラ. スで行った。4歳児クラスは2クラスあり、一方のクラスは「語り 聞かせ」群とし、他方のクラスは「読み聞かせ」群としたが、教育 上被験児6名を含めてクラスの全員に聞かせた。 おはなしを始めるとき、 「おはなしをします」と言うだけで、特 に何の注意も与えなかった。. 所要時間は両群ともに、12分程度である。 「おはなし」は、ゆったりとした気分で、 「語ll聞かせ」の方は、. 子どもたちに視線を注ぎながらはなした。絵本の「読み聞かせ」の 方は、子どもの視線が「絵」に向くようにページをめくって、しば らく間をおいて読んでいった。. ○観察期闇……おはなしは、1993年6月から8月の間の午前申 に1日1回、合計10回目た。両前ともに同日にした。先におはな しを聞く、 「語り聞かせ」群および「読み聞かせ」群の順次は、毎. 回毎に代わった。5画および6回目は入ロの戸を開けた他クラスの 子どもが奇声を発し、聞き手の視線がその子どもに向けられる妨げ. 25.

(28) があったので記録から省いた。し窄がって、結果としては「語り聞 かせ」および「読み聞かせ」の回数:は8回になった。. ○話し手…一一・語り手および読み手は同一一入物であった。.. ○ 記 録……1名の観察者により、聞いている中での子どもの発 言や目立ったしぐさなどを記録するとともに、ビデオカメラで撮影 した。ビデオカメラは固定し、広角、自動調整で撮った。ビデオカ メラの位置は、 「おはなし」をしている保育者の横で、カメラの視. 点と話し手の視点が出来得る限り同一になるように並列にした。 また、 「語り聞かせ」や「読み聞かせ」の前半と後半の2回にわ たって、おはなしが終わった後に、各群の子どもに「ももたろう』. のおはなしをどのように記憶しているか、おはなしを聞きテープレ コーーダーに録音した。 「語り聞かせ」 「読み聞かせ」後の子どもの. 聞きとりにおいては、子どもたちがはなしている聞は聞くことに専 念し、おはなしが続かないときは、 「そして?」 「それから∼」と. 促したり「ももたろうはどこから生まれたの?」とヒントになるこ とばを言ったりして、次がはなしやすいようにことばをそえた。. ○場所……「おはなし」をする保育室は、子どもが目につくよ うな装飾物を全て取り除き、窓にはカーテンをして外部からの刺激 は少なくなるようにした。. 「聞き手」の子どもの位置、 「話し手」やビデオカメラの設置場. 所は図2のように全卑が撮影できるようにした。 子どもの坐る席は固定しなかったので、子どもは折々に好きなと ころに坐ったため、日によって席が変わった。. 26.

(29) 3800. o. o. き. 4300. o. 手. o o. 3500. 唄. .j o. 1. 記録者. isoi ?I. MibUUI il. 馴. ビ弼カメラー一一・FOO←話し手. 衝立. A” “v i’v Av N t’v t’v ts” t”v t−v t−v r−v tS” nv iW tN. t−v N tV N .一v tN. .’v Av ”V. 図2 話し手と聞き手の位置の配置図. ○観察内容……子どもがおはなしを聞く状態について保育者2名で いろいろと検討し、おはなしを聞くときの集中度を、評価Aを高集. 中度、評価Bを中集中度、評価Cを低集中度の3段階にわけた。ま た、子どもがおはなしを聞く状態を評価するにさいしては、事前に 2名の保育者がビデオテープを何度も見ながら、どの評価段階に評 価するか、各段階に①、②、③の間くレベルを設定した。. 27.

(30) ○高集中度段階:評価A一一一一集中してよく聞いている. ①前方を注視して聞いている(視線が多少上下に動くこと もある). ②少し手足が動くこともあるが前方を見てじっと聞いてい る. ③おはなしが期待したところにくると、やっぱりというよ うに表情が変わる. ○中集中度段階:評価B一…視線がはずれることもあるが聞いて いる. ①前方は見ていないが、おはなしは聞いている ②視線が左右に動くこともあるが、おはなしは聞いている ③おはなしを真似て言ったり、擬態語や擬音語などをロず さんだりする. ○低集中度段階:評価C一…他のことをしながらも間いている ①隣の友だちとはなしている. ②自分の体(手や足など)で遊んでいる ③横や下や後ろをふりむいたりして体を大きく動かす. それぞれの集中度段階の評価にあたっては、 『ももたろう』の物. 語の構成から物語を17段落にわけ、各段落毎に2名の保育者が行 い、各段落に占める集中度A・B・Cの割合を測定した。 なお、それぞれの段落での「語り聞かせ」 「読み聞かせ」に必要. な所要時聞(秒)は、話し手が「語り聞かせj群「読み聞かせ」群 におはなしをするときには、各段落やそれぞれの回数毎に同じ時間 (秒)になるよう事前に十分に練習して、おはなしをした。各段落. での所要時間(秒)は、表1にあらわしたとおりである。. 28.

(31) 表1 昔ばなし「ももたろう』の物語構造の17段落と段落毎の 「読み聞かせ」と「語り聞かせ」に必要な所要時間(秒) 語り. 剰. 内容のあらまし. 巨. 爺さんと婆さんが住んでいた. 25. 3引. 2塾爺さんは山仕事、婆さんは川へ洗濯に行く. 29. 37. 3. 婆さんが洗濯していると、上の方から桃が流れて ュる。婆さんは持って帰りしまいこんでおく. 29. 33. 爺さんと婆さんが切ろうとすると中から男の子が カまれ、桃太郎と名付ける. 32. 38. 桃太郎は力持ちで賢い子どもに育つ. 39. 37. 雁醜退治に行きたいと言う. 54. 59. }7. 54. 84. i8 鬼退治に送り出す. 34. R2i. 9 犬が家来になる. 13. 13. }5. 爺さんと婆さんは黍団子を作り身仕度させる. 10. 猿が家来になる. 55. 47. 11. 燵が家来になる. 53. 49. 桃太郎と犬と猿と雑は鬼が島をめざす. 64. 51. 鬼が島に着く. 12. 28. i14. 桃太郎たちは鬼と戦う.. 52. 63. 115. 鬼の大将たちは酒盛りをして油断している. 32. 37. 16. 鬼の大将は桃太郎に詫びる. 44. 63. 17. 桃太郎は鬼の宝物を持って帰り、爺さん婆さんと. 39. 53. 13. Kせに暮らす. 29.

(32) 二二 果. と. 考 察. 子どもたちは、いつもは余り使用しない保育室ではなしを聞いた のであるが、 「おはなしの部屋」と名づけておはなしをしたので、. 保育室に対する違和感はなかった。. ビデオカメラは常に話し手の横にあった。子どもたちは、ビデオ カメラに興味を持ったが、特に意識して行動が変わるといったよう な様子はみられなかった。. 「語り聞かせ」および「読み聞かせ」をするにあたって、何度も おはなしの練習をして、話し方にムラがないようにした。. 「語り聞かせ」と「読み聞かせ」とでは、どちらが集中度の高い 聞き方をするかについて、次の4点から検討した。. 1.聞いているときの姿勢や視線などを手がかりとして集中して聞 いている度合いをみるe. 2.昔ばなし『ももたろう』を聞いた直後に、子どもから『ももた ろう』のおはなしを聞いて、そのおはなしの語句数から「聞く」 ことを考える。. 3.子どもから『ももたろう』のおはなしを聞いたとき、おはなし をするのにがかった時間から、 「聞く」ことを考える。. 4.子どものばなしだことばから、言い換えたことばをとり出し、 ことば理解の面から「聞く」ことを考えるe. なお、本研究での分析の結果における有意水準はすべて10%と する。. 30.

(33) 1。 「聞く」子どもの集中度について. 昔ばなしの「語り聞かせ」や「読み聞かせ」をしたとき、よく聞 いているという状態の子どもは、前方を注視して、不動に近い姿勢 ではないだろうか。そこで、子どものはなしの聞き方について、集. 中度から考えていくことにし、集中度を3段階にわけ、評価A〈高 集中度)、評価B(中集中度)、評価C(低集中度)とした。評価 A・B・Cの量を、ビデオテープを再生しながら、時間で計測した。 f桃太郎』の物語は、その構成から17段落にわけ、段落毎に、 各評価段階毎の量を時間で計測した。当然のことながら、事前に十 分に練習はしたが、 「語り聞かせjおよび「読み聞かせ」とも、そ. の時々によって、所要時間やタイムの取り方には多少の長短があっ. たので、各評価段階のA・B・Cを、各被験法高に相対比率(%) で出した。. 表2一(1)および表2一(2}は、被験児別に、評価段階A・B・C毎. の相対比率(%)をあらわした表である。したがって、評価項目A. ・B・Cの値を合わせると100になるe. 31.

(34) 表2一 (D「語り聞かせ」群の回数毎の被験児別の. 評価A・B・Cの相対比率(%) 「「面数. A Y・擢. B C. H・矧. A A T・T B. 100. 95. 97. 99. 2. 0. 5. 3. 1. ⑪. 0. 0. 0. 0. 0. 0. 86 13. 86 10. 89. 22 47. 81 18. 87. 4. 4. 1. 0. 50 46. 94 6. 78 20. 4. 0. 2. 99. 95. 54 33 13 96. 41 14 45 79 18. 1. 21. 44 35 61 33. C. A 岡・貿 B. C. 98. 6. 憲. B C. Y・K. 8. 94. 0. A. 7. 6. 4. 36 64. B C. 5. 4. 96. 憲. B C. 鍵. i. 2 13. 1. A. 「。.. 血. 7. 31 37 63. 97 3. ⑪. 3. 0. 99. 100. 98. 13. 憲. 99. 1. 5. 4. 1. o. 2. 1. 0. o. 0. 0. o. 0. 28 54 18 74 26. 6. 21. 0 5. 15. 44 50 85 15. 35 44 86 13. 29 66 81 19. 26 67. 20 47 33. 0. 0. 1. ⑪. 70 15 82. 7. 85. 15. 18. 吐. 憲. 0. 表2一②「読み聞かせ」群の圓数毎の被験児別の. 評価A・B・Cの相対比率(%) 回数. T.F. A B C. A Y.T. B C. A K.D. B C. A T.凹. B C. A 鱈.Y. K・Y. 2. 1. B. 25 27 48 43 41 16 15 29 56 13 7a 15 30 63. 3. 71 27. 4. 87 13. 43 43 14 31 68. 0. 1. 37 60. 11. 2. 62 38. 56 33 46 49. 0. 5. 87. 56. 12. 41. 3. 6 7. 5. 60 19 21 35 45 20. 77 23. 73 24. 23 69. 阿80 17. 0. 3. 8. 3. 62 31. 57 37. 52 43. 74 23. 7. 6. 14 19. 68. 67 32 50 18 52 29 19. 2. 3⑪. 37 60. 憲. 5. 3. 11. 46 45. 53 36 92. 9. 8. 58 40. o. 2. 7. 84 16. 88 12. 0. 0. 0. 0. 3. 80 20. .35. 44 21 93. C. 7. 1. 3. AB. 14 61 25. 49 47. 28 67. 35 65. 93. 45. 7. 34 55. 21 72. 4. 5. 51. 0. 0. 11. 7. C. 4. 32.

(35) 垣上の結果から、回数1と回数2を合わせた回数を初回とし、回. 数7と回数8を合わせた圓数を終回とし、回数3・4・5・6の結 果は除いた。迦と垂廻のxおよびSBをあらわしたのが、表3と表 4である。. 表3「語り聞かせ」群の評価A・B・Cの相対比率(%)の変化 表3一{1). 表3一②. 表3一{3). 評価A(高集中力) 評価B(中集中力) 評価C(低集中力) 初回. 終回. 0・H. 96.0. 98.⑪. 0.H. 4.0. 2.0. 0・H. 0.0. 0.0. ¥・習. 61.0. 84.0. Y.擁. 38.5. 15.5. Y・鱒. 0.5. 冒 O.5. H・河. 72.⑪. 97.0. H・哲. 26.◎. 3.⑪. 2.0’. 0.0. Y・K T・T. 99.0. 98.5. y・K. 1.⑪. 1.5. H・擁 ¥・K. 0.0. o.o. 24.5. 17.5. τ・T. 49.0. 58.5. T・T. 26.5. 24.0. 超・翼. 67.5. 82.0. 18.0. 河・賢. 3.0. 0.0. 70.0 24.8 6. 79.5. 湾・N L29.5 『薫 24.7. 16.4. 壌. 5.3. 4.1. 19.9・. SD. 9.5. 8.9. N. 6. 6. 灰. SD. N. 28.5 6. 初回. SD. N. 17.3 6. 終回. 6. 初回. 終回. 表4 「読み聞かせ」群の評価A・B・Cの相対比率(%)の変化 表4一(1). 表4一(2). 表4一(3). 評価A(高集中力) 評価B〈中集中力) 評価C(低集中力) 初回. 終回. 初回. 終回. 初回. 終回. YlT. 48.0. 51.5. 27.O. 43.O. 5.5. }65.0. 63.0. 27.0. 33..0. K・D. 26.0. 28.5. 49.0. T.矧. 37.5. 75ZO. 24.0. T.超. 7.5. 1.0. 嫉.Y. 58.5. 86.0. 超.Y. 45.5 55.0 37.5. T・F Y・T K.D. 25.0. S.0. O.0. K・Y. o.o. 27.5. K・Y. 63.5. 14.5. 9.o. 薯. 44.4. 55.3. 蚕. 54.o 40.8. 37.8. 薫. 14.8. 7.0. SD. 14.1. 22.0 6. SD. 11.4. 16.3. SD. 9.5. 7.5. N. 6. 6. T・F. N. 6. T・F Y・T K.D T.矧. N. 6. 33. 14.0. 6. ・Y K・¥. 8.0. 4.0. 29.5. 22.5. i.

(36) 表3と表4の結果から、図3一(1)評価A「高集中力」・図3一(2) 評価B「中集中力」. ・図3一(3}評価C「低集中力」毎に図3にあら. わした。. ●語り關かせ群 ■読み聞かせ群 :・gF. を! igI N. ト=::. riS..t...一一一一一一’““”””一. L. 0一トー一一 初圏. 終回. 図3一ω語り聞かせおよび読み聞かせの評価Aの変化. 50 f−. ggI 一一一一一一一一一s一一3B ●艶一、. ig,,. \一つ16. 0一ト 初回. 一一L一一一一一一一一一一“ 終回. 図3一(2)語り聞かせおよび読み聞かせの評価Bの変化. igl. う. 駆∼ ヨ. ロむ. 7. 。1__」1:====三璽L_ ●一一一____∼. 初回. 終回. 図3一③語り聞かせおよび読み聞かせの評価Cの変化. 34.

(37) この結果から各評価毎に2要因の分散分析を行った。. (1)評価Aについて 評価Aにおいては、 「聞く」という要因において主効果があり、. 「語り聞かせ」群と「読み聞かせ」群との間に有意な差がみられた (F−3.252, df=1/10)。すなわち、 「語り聞かせ」群と「読み. 聞かせ」群との間を比べると、 「語り聞かせ」群の方が評価Aの値 が高かった。. 「回数」という要因においても主効果があり、初回と終回との闇 に有意差があった(F== 5.220,df=1/10)。すなわち、初回と終. 圓の聞き方を比べると、終回に有意に高い値を示した。 しかし、 「聞く」という要因と「回数」の要因の間には交互作用 はみられなかった。. 「語り聞かせ」群と「読み聞かせ」群とを比べると、 「語り聞か. せ」における高這二度の相対比率(%)が高かった。全身を耳にし て聞きとろうとする姿勢が、 「語り聞かせ」群の方が「読み聞かせ. に比べてより高い集中度で聞いたことになった。すなわち、高集中 力で聞いていた。. 〈2)評価Bについて 評価Bにおいては、 「聞く」という要因において主効果があり、. 「語り聞かせ」群と「読み聞かせ」群との間には有意差があった (F−4.066,df=1/10)。すなわち、 「語り聞か彗」群と「読み. 聞かせ」群を比べると「読み聞かせ」群の方が有意に高い値を示し た。. 「回数」という要因において、有意差はなかった。. 35.

(38) また、 「聞く」という要因と「回数」の要因の間には交互作用は みられなかった。. 評価Bにおいては、 「読み聞かせ」群と「語り聞かせ」群とを比. べると「読み聞かせ」群の方が中程度の回申力で聞いている比率が 高いことがわかった。. (3)評価。について 評価Cにおいて、 「聞く」という要因では、 「語り聞かせ」群と 「読み聞かせ」群の問に有意差はなかった。すなわち、 「語り聞か. せ」群と「読み聞かせ」群との間に集中力の差はみられなかった。. 回数という要因において主効果があり、初回と終回に有意差があ った(F=13.261, df ・・ 1/10)。すなわち、終回において初回よ. りも相対比率(%)が低かった。このことは、終回においてよく聞 くようになったということである。 「聞く」という要因と「回数」. の要因の間に交互作用がみられた(F=6.917, dfd/10)。. 交互作用が見られたということから、下位検定を行った。その結 果、初回における「語り聞かせ」群と「読み聞かせ」群との間に有 意差がなかった。終回における「語り聞かせ」群と「読み聞かせ」 群との間に有意差がなかった。 「語り聞かせ」群の初回と終回に有 意差がなかった。しかし、 「読み聞かせ」群の初回と終回に有意差 があった(F−19.92, df ・ 1/10>。. すなわち、 「語り聞かせ」群においては低集中度において、初回 と終回に変化があるとはいえなかった。 「読み聞かせ」群において. は、初回より終回に低集中度が少なくなったことがわかった。 すなわち、評価Cにおいて、初回では、 「語り聞かせ」群と「読 み聞かせ」群においては差がなかった。. 36.

(39) また終回においては、 「語り聞かせ」群および「読み聞かせ」群 の両群は差がなかった。すなわち、 「読み聞かせ」群は、初回より. も終回において、評価Cの比率の割合は小さくなった。 これらのことから、評価C:低集中度は終回が初回に比べて低く. なったことは、言い換えれば評価Aと評価Bを合わせた割合が大き くなったことであり、両群ともによく聞く’ようになったということ がわかった。また、 「語り聞かせ」群は、初回と終回に変化はなか ったが、 「読み聞かせ」群は、初回に比べてともに終回にはよく聞 くようになったのである。. (4)評価A+評価Bについて 図3一(1}および図3一(2)からわかるように、評価Aの「語り聞か. せ」群と「読み闘かせ」群の高集中度の割合の関係と評価Bの「語 り聞かせ」群の申の割合の関係が逆転していることから考えて、集. 中度のレベルに評価Aと評価Bを合わせて、強集中度として考えて みた。. なぜならば、4歳児らしい聞き方をしている子どもの姿から考え. ると、評価A「集中してよく聞いている」と評価B「視線がはずれ ることもあるが聞いている」ということは、発達的にまだじっとし ていられない4歳児の子どもらしい聞き方をしているといii一るので はないかと考える。. そこで、 「語り聞かせ」と「読み聞かせ」の評価Aと評価Bを合 わせたものを強集中度として,その変化をみていった。その結果を 表5に示した。. 37.

(40) 表5一ω「語り聞かせ」群の強集中度の度合いの変化 ①+② O H 96.0+4.0 @ 61.O+38.5. #. H 樋 72.0一一}26.0. Y・K 99.0+1.0 T’T 24.5+49.0 矧‘N 67.5+29.5. 初. 圏1 ⑦÷⑧ 98.〇+2.0 84.0+15.5. 100.0 99.5 98.0. 97.0+3.0 98.5+1.5. 100.0 73.5. 117.5+58.5. 97.0. 82.0+18.0. 94.67 9.53. で SD. N. 計. 100.0 99.5 100.0 100.0 76.0. 200 199 198 200. 100.0 95.92. 197. 8.91. 6. 2. 終 回. i. 149.5. 190.58 18.40. 6. 6. 表5一②「読み聞かせ」群の強集中度の度合いの変化. ①+②. 初 回. ⑦+⑧. T−F 48.0+27.0. 75.0. Y4 65.0+27.0. 92.0. 63.〇+33.0. 70.5. 28.5+49.0 75.0+24.0 86.0+14.0 27.5+63.5. lK ・ D. 26.0一←44.5. T引 37.5+55.0. 92.5. 岡・・Y 58.5+37.5. 96.0. 厚31・5+54・。. 85.5. 爾. 51.5+43.0. 終 回 94.5. 96.0 77.5 99.0. 100.0 91.0. 85.25. 93.00. 9.45 6. 7.53 6. 計. 169.50 188.OO 148.0◎. 191.50 196.00 176.50 178.25 16.23 6. 以上の結果を図4にあらわした。. 雪 90. ●語り聞かせ群 ■読み聞かせ三. ess−of””tvl$gfi ..一93. P 85ズ!. 一 0湿. 一y一一一L. 一一一一一一一一一一一. 初回 終回 図4「読み聞かせ」群と「語り聞かせ」群の強記十度の 割合の変化. 38.

(41) この結果から、2要因の分散分析を行った。 「語り聞かせ」群と「読み聞かせ」群との間に「聞く」という要 因において有意差はなかった。すなわち、 「語り聞かせ」群と「読. み聞かせ」群との両群の間に差がないことがわかった。. 「回数」という要因においては、主効果があり、初回と終回には 有意な差がみられた(F=13.297,df=1/10)。すなわち、初回と. 終回の聞き方を比べると民泊に高い値を示した。終圖において、よ く聞くようになったのである。. また、 「聞く」という要因と「回数」という要因の間に交互作用 がみられた(F==6.947,df=1/10)。. 交互作用が有意にみられたということから、下位検:定を行った。. 「読み聞かせ」群において、初回と終圖との間には有意差があった (F=・ 19.72, df−1〆10)。すなわち、 「読み聞かせ」群において、. 初回に比べて終回には非常によく聞くようになってきたことがわか った。. f語り聞かせ」群は、初嗣から「読み聞かせ」群に比べてよく聞 いていたことがわかる。また、 「語り聞かせ」群は初回から終画ま で高い強集中度で聞いていた。. 「読み聞かせ」群は、初回より終回によく聞いていたことがわか る。終回になると、 「語り聞かせ」群と「読み聞かせ」群との間に. 差がなく、云云ともに高い強集中度で聞いていた。. このことは、被験児の年齢(平均年齢4歳8か月児)から考える と、おはなしを聞いている状態は、強直申度で聞いていたという姿 がみられた。終回では「読み聞かせ」群は「語り聞かせ」群との間 に集中度は同じ位になった。. 39.

(42) (5)評価A・評価B・評価Cおよび強集中度についての考察 図3から、 「語り聞かせ」群において‘‘評価A高集中度”で「聞. く」という要因について主効果がみられたことは注目すべきものが あると言える。 「語り聞かせ」において、 「読み聞かせ」群に比較. して初回から高集中度に高い相対比率(%)を示したことは、 「語. り聞かせ」群が、はじめからいかに集中して聞いていたかが明らか になった。このことは、昔ばなしを、 「語り聞かせ」と絵本の「読. み聞かせ」で聞くのとでは、どちらがよく聞くかについては、「語 り聞かせ」群の方によい結果を示した。 「読み聞かせ」に比べて「語り聞かせ」が、 「聞く」という要因. においてよりすぐれた方法であることがわかった。. しかし、被験児が4歳児であることから、強集中度で考えると、 「語り聞かせ」群と「読み聞かせ」群との闇には、聞き方に差がな く、回数において、 「読み聞かせ」群は初回より終回によく聞くよ うになった。. また、評価Cの低集中度では、初回より終回によく聞いたことか ら、 「語り聞かせ」および「読み聞かせ」ともに、各評価段階で終. わり頃には同じようによく聞くようになったことがわかった。 昔ばなしそのものに、 「語り聞かせ」および「読み聞かせ」とも. に子どもを魅きつける強いカをもっているのであるが、その上に、 「語り聞かせ」は、おはなしをするとき、語り手の気持は全面的に. 聞き手の方に向いている。聞き手の気持ちも語り手の方に向き、耳 を傾けて聞いている。それに対して、同じ昔ばなしであっても、絵 本の場合は読み手は絵本の活字を読みながらおはなしをしているこ とから、聞き手の方へ気持は全面的に向いているのだが「語り聞か せ」よりも弱いということであろう。. 40.

(43) だから、 F語り聞かせ」群と「読み聞かせ」群との間に、集中力 の違いを生じさせたのだといえるだろう。 いずれにしても、昔ばなしを聞くとき、 「語り聞かせ」群および. 「読み聞かせ」群の子どもは強集中度でよく聞いた。しかし、高集 中度でみたとき、 「語り聞かせ」群の子どもは高い相対比率(%). でよく聞いたことから、 「語り聞かせ」を重視した保育を展開する. ことが、よく「聞く」子どもを育てることになると考える。. 41.

(44) 2.子どもがおはなしした語句数について. 「集中して聞く」という質を知る一つの方法として、 『ももたろ. う』のおはなしをどの程度覚えているかを手がかりとして、子ども. におはなしをした前半と後半の2回にわたって、はなし終わった直 後に、 「語り聞かせj群と「読み聞かせ」群の子どもから『ももた ろう』のおはなしを聞いて記録した。. 「今、ももたろうのおはなしを聞いたね。どんなおはなしだった か教えてくれる?」とはなしかけて、子どもにストーリーを思い出 させ、 『ももたろう』のおはなしを聞いた。なかなかはなし出そう としない子どもには、はなしやすいように、 「そして?」 「そう、. それから一…」と促したり、具体的に「ももたろうのおはなしには、. 誰と誰が出てくるの?」 「ももたろうは、どこから生まれてきたの. ?」などと、子どもがはなしやすいようにことばをかけていった。. そのような子どもとの応答のなかで、子どもがおはなしした内容を テープレコーダーに記録し、テープを起こして子どものことばを拾 った。. 拾ったことばは、名詞、動詞、形容詞、副詞、接続詞で、助詞や 助動詞などは名詞や動詞に付属するものとして取り扱った。また、 物語に関わらない語句、たとえば、保育者のはなしかけに対して、 「わからない」 「忘れた」などといった語句や同じことばでも問い. かけに対して、意味なく使われたと思われる語句は省いた。 保育者が「それから……」と問いかけたとき、 「それから」 「う 一一. とね」などと子どもが使ったことばは、後に続いて出てきたこ. とばとの関係で、物語に関係があると思われることばは拾った。 その語句数の変化の結果が表6一(1)と表6一(2)である。. 42.

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