以上の結果の表から、 「語り聞かせ」群と「読み聞かせ」群とを 比べると、 「語り聞かせ」群の方がより多くのことばを言い換えて いることがわかる。
このことは、図5の語句数からもわかるように「語り聞かせ」群 の子どもは、昔ばなし『ももたろう』の「語り聞かせ」を聞きなが
ら、理解できにくいことばがあるときは、物語の前後の流れからそ のことばのイメージを理解することができたから、絵本「ももたろ う』の「読み聞かせ」群に比べて昔ばなしの「語り聞かせ」群の方 が高集中度で聞くことができたのだといえる。
「語り聞かせ」群は「読み聞かせ」群と異なって、絵がないため に、ことばだけを頼りに高集中度でよく聞いている。それだけに、
耳を傾けておはなしをしっかりと受け止めていることがわかる。
昔ばなしの世葬は、現在の生活とは違うため、絵がないと理解で きないということは、本研究では当てはまらなかったといえる。絵 本がなくてもよく聞いていたのであるし、しかも、絵本のない方が
よりょく聞いていたのである。
(2)絵から連想しておはなししていることばについて
次に表8一ωおよび表8一②から、絵本の場面の絵から連想して いることばをとりだして表10にした。
表10 絵本の絵から連想しておはなししたことば
Er−r:一一ww一:一一一一一 一 A−nv一 一 M一一m一一
表10からは、 「読み聞かせ」群においては、少例ではあるが、
絵本の絵にひつばられて、絵という具体性のあるもので判断してい ることがわかる。
「聞く」という点から考えると、絵にひつばられているというこ とは、図3・図4から考えても明らかなように、「読み聞かせ」は
「語り聞かせ」に比べて集中度が低いということができるe
また、絵があるために、かえってことばと絵が結びつかなくなり、
「ももたろう』のおはなしをするときに混乱したのではないかと思 われることばとして、 〔着物、ぞうり、靴、服〕がある。
絵本に「あたらしいはかまはかせ」とあるところがらの連想だと 思われる。観察者のかっての経験では はかぜ のことばで、靴の 紐を結ぶような動作をした3歳の子どもがいたが、そのことから考
え合わせてみると、 CCぞうり と 靴 レは、 「はかせ」から履くも の、つまり、履物ということばからの連想ということになる。しか
し、 着物 と 服 については、着るものとして子どもが考えて
「読み聞かせ」からおはなししたのだとすると、絵本の絵からの連 想なのだろう。
このことは、絵本の絵と、絵本に書かれている活字を「読み聞か せ」でおはなしを聞いているときのことばのイメージとの違いが、
子どもがおはなしを聞いているときに、理解の仕方に迷いがでたと 思われる。次に門をドアと言い換えたことばについては、聞くとい
うことから考えると、やはり絵が邪魔をしたといえる。
ストーリ 一・一は、絵そのものではないから、絵があることが邪魔に なることが多い。これは、絵から連想することの是非ではなく「聞
く」という観点から考えると、表6の語句数の多少と考え合わせて も、 「語り聞かせ」群の:方が「読み聞かせ」群に比べて語句数が多
かった。また、図3一(1)の評価Aにみられる高い集中度から考えて も、 「語り聞かせ」の方が「読み聞かせ」よりも、ことばのイメー ジが広がるので、集中してよく聞いていたことがわかった。
昔ばなしの「語り聞かせ」と昔ばなし絵本の「読み聞かせ」につ いて比較研究したのだが、昔ばなしの、それも『ももたう』に限っ ていえば、ロ伝えの文芸として「語り聞かせ」る方が、よりょく物 語の持つ意味を伝えることができたといえる。
「語り聞かせ」の場合、絵本の絵のように他の要因にひつぱられ ることがなく、抽象的なことばも的確に使っていることから、こと ばだけで語っても理解できたといえる。
また、 「語り聞かせ」は、語り手のことばだけで子どもをおはな しの世界に誘っていく。それだけに、語り手は、ゆったりとしたあ たたかいことばで昔ばなしの本来もっている語りロを十分に生かし て語る必要がある。 「語り聞かせ」は、子どもからみると見るべき
ものがないため、聞き手は「語り手」を見ながらはなしを聞く。そ して、語り手は子どもにとっては自分に優しくしてくれる大好きな 入である。大好きな入が語るからこそ子どもは、物語のおもしろさ
に加えて、その上さらに、昔ばなしをわが身にひきつけて聞く。こ のことは、語り手の全人格が子どもに投影されるといって過言では ないのである。それだけに、語り手は自分自身をみがき、子どもに 好かれる保育者になり、子どもの気持ちをよく知って子どもの反応 をふまえながら語らなければならないといえる。
この観察において、 「聞く」という視点からの評価では、 「語り 聞かせ」に、量・質ともにより高い値を示したが、 「語り聞かせ」
はもともと、一入の語り手が複数の子どもを対象にして語るもので ある。それに対して絵本の「読み聞かせ」は、どちらかというと、
昔ばなし絵本も含めて絵本は1対1の関係のなかで行われるもので あろう。そのように考えると「読み聞かせ」に難点があるのではな く、1対多数のなかでの「読み聞かせ」の「読み聞かせ」方が問わ れているのだといえる。
しかし、実際には、集団保育のなかでは、ふつう1対多数のなか で「読み聞かせ」をしている。そこには、そうせざるをえない状態 がある。 「聞く」力、すなわち、聞くという集中力を育てる面から 考えると、 「読み聞かせ」をするときの、1対多数の「多数」とい
う入数のあり方が問われているのである。
昔ばなしを子どもが聞くとき、 「語り聞かせ」が「読み聞かせ」
よりもより集中度の高い聞き方をするであろうということは、 「聞 く」子どもの集中度、子どもがおはなしした語句数、子どもがおは なしするのに要した時間および言い換えたことばの4つの側面から みると、優れた方法であることがわかった。本研究での仮説は実証 されたといえる。
要
糸勺本研究は、昔ばなしを「語り聞かせ」でする場合と、同じテーマ の昔ばなし絵本でする場合との違いを、聞き手である子どもの姿か
ら考察しようとするものである。
「語り聞かせ」と「読み聞かせ」とでは、どちらがより集中度の 高い聞き方をするかについて、次の4点から検討した。
1.聞いているときの姿勢や視線などを手がかりとして集中して聞 いている度合いをみる。
2.昔ばなし『ももたろう』を聞いた直後に、子どもから「ももた ろう』のおはなしを聞いて、そのおはなしした語句数から「聞く」
ことを考える。
3.子どもから『ももたろう』のおはなしを聞いたとき、おはなし をするのにがかった時間から、 「聞く」ことを考える。
4.子どもがおはなしたことばから、言い換えていることばをとり 出し、ことば理解の面から、 「聞く」ことを考える。
その結果は以下のとおりであった。
①評価Aにおいて、 「語り聞かせ」群は「読み聞かせ」群に比べて 初回からよく聞き、それも高集中度の相対評価(%)が高かった。
②強集中度において、 「読み聞かせ」群は初回より終回によく聞く ようになった。
③強集中度の終回には、 「語り聞かせ」群と「読み聞かせ」群との 間には差がなくなり、両群とも高い強集中度で聞いた。
④語句数においては、 「語り聞かせ」群と「読み聞かせ」群とを比
べると、 「語り聞かせ」群の方が「読み聞かせ」群より語句数が 多かった。
⑤「語り聞かせ」群は「読み聞かせ」群に比べて、語句数が多いこ とから集中して聞いていることがわかった。
⑥子どもがおはなしをするのに要した時閲においては、 「語り聞か せ」群と「読み聞かせ」群とを比べると「語り聞かせ」群の方が 時間をかけておはなしをした。
⑦言い換えた言葉からは、おはなしを聞いたとき、ことばだけでは わかりにくい場合には、物語の流れの前後の内容から考えて理解 しゃすいことばに置き換えて聞いていることがわかった。 「語り 聞かせ」群と「読み聞かせ」群とを比べたとき、 「語り聞かせ」
群の方が言い換えのことぼが多かった。
⑧「語り聞かせ」群は「読み聞かせ」群と比べると、ことばだけを 頼りに耳を傾けてはなしを受け止めていたことがわかった。
⑨「読み聞かせ」群においては、絵本に描かれた絵にひつばられた 具体性のあるものを思い浮かべながら聞いていることが、 「語り 聞かせ」群に比べて多いことが推測された。
⑩「語り聞かせ」群は「読み聞かせ」群に比べて、 「語り聞かせ」
群の方が、 「聞く」子どもの集中度、子どもがおはなしした語句 数、おはなしするのに要した時間および言い換えたことばの4つ の側面から考察して高い集中力で聞いたことがわかった。