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子どもの絵の記号学的考察

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Academic year: 2021

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(1)昭和61年度 学位論文. 子どもの絵の記号学的考察. 攻スD. 専一〇. 潮干. 育コ。. 教系3 域術5 領芸8. 禾. 恥M. 教. 雄.

(2)                目   次 (ページ). はじめに…・…………一・……’………’’”.  1. 第■章記号をめぐって一…………’●”.  6  8 11.    1 記号学と記号論 ・…………・……・・…・… ……・…….    2 記号とは何か ・…・・……・・・・・・……・・…・…・………・.     一ソシュールの記号学から一    3 記号の分類 ……・・………・……・・…・・…・……・…・.    4 記号と子どもの発達 …・……・………・……・…・……. 14 18.     一ピアジェの発達的記号論から一. 第2章絵とコミュニケーションー一    1 絵の表現 ・… …・…… …・… …・……・・…・…・… …・    2 絵の記号 ……・・…・…・・…・……・…・・…・…・・…….     一右縁的的記号としての「象徴」一    3 伝達のしくみ ・…・・…’.●..’●’”.●’”.●’●”○”●’’”○”●●●.     一コミュこケーションの型一    4 絵の意味作用またはコミュこケ一一ション ………・・………. 第3章子どもの絵の記号学的考察一.    1 言語のメッセージ ・・……・・……●●●−”●●’’”.”●’.”.’●’.     一記号学的構造一    2 絵のメッセージ ・・………………・・…・・…・……・・….     一記号学的構造一.    3 子どもの絵の理解 …………・…・…・……・…………     一解読と解釈一. おわりに…………一・…・・一………………. 101.

(3) 一はじめに一  近頃、 「視覚言語」とか「造形文法」、また「絵の記号」といった言. 葉を身近な教育現場でも聞くことが多くなった。さらに、 r絵は言葉で ある。絵にも文法と辞書がある。』ユと述べる人たちもいる。.  こうした人たちの話しを聞いていると、どうやらそれは「絵などの表 現」を「言語の構造」と「その表現」になぞらえて理解しようとする試 みのように思える。.  もし、人間の創造によって生れてきた「絵画」などの造形表現が、 「絵の記号」と呼ばれるものや、「造形の文法」というものによって構. 成されるものとして、その構造が分析的に解明されるものであるとした ら、それはなんと素晴らしいことであろうか。.  かつて、G・ケペッシュはその著作r視覚言語』2の中で、形や色か ら「造形要素」を分析し、それらを組み立てる「リズム」や「プロポー ション」、 『コントラスト」など、「造形文法」と言われるものを生み だした。.  そして、日本でもこうした考えに幽く美術教育が実践されifデザイン ブームとともに、美術教育の一分野として確立されてきた。 そのこと は、造形文法による画一化であると同時に、造形能力の平準化でもあっ た。』3と評価されている。.  しかし、造形作品を分析した結果としての要素を、再統合するところ にいかなる創造的価値が見出せるであろうか。このことは、「創造」と いう美術教育がもつ価値の、根幹にかかわる大きな問題を内在させてい たのである。.  そして今「絵の記号」と言う言葉を耳にする時、再び前述した問題点. i.

(4) のことが思い浮かぶのである。このまま安易に「絵の記号」と言う言葉 が一般化されることを私は心配する。.  「絵の記号」と言う時、はたしてその中身は何であるのか。.  あらかじめ検討を要しないまま、あたかも「言語記号」を扱うかのよ うにして、この「ことば」は一人歩きをしているのである。.  ある幼稚園の教師はr四歳児でだれもがもっている絵画記号で描ける ものという題材で、この笠地蔵を選びました。94と語る。  ここで言う「絵画記号」とは一体何であるのだろうか。.  そもそも「記号」とは何であるのか、こうした検討がなされないまま に、美術教育の現場へ「記号」という言葉が持ちこまれることは、大変 な誤解と混乱を招くことにもなりかねない。.  さらに、こうした考えの生れるきっかけとなったであろう、 「記号 学」や「記号論」の「記号の理論」によって、絵の表現を読みとる「癬 読」や「解釈」が可能になるのではないかという熱い期待も、この「絵 の記号」という言葉には託されていると思えるのである。  記号とは、「あるものが、他「のあるものの代りに、そこに立ってい る。」と、遠くギリシャの時代から定義されてきた。.  だから絵も、人間の内的世界に表象されていることが、外的世界に絵 として表現されているとしたら、それはまさしく記号として捉えうるも のである。しかし、だからといって絵画に記号学や記号論の方法をその まま適用することは性急にすぎる。.  「絵の記号学」を構想するのであるならば、記号学を初めて提唱した ソシュールの言葉から出発すべきであろう。.  ソシュールは「一般言語学講義」の中でll社会生活の中での記号の生. 2.

(5) 態を研究する学問は考え得るのだ。それは社会心理学の一部、ひいて は、一般心理学の一部を形成するであろう。.  われわれはそれをSemiologie (記号学/ギリシャ語で記号から作ら れたものの意)と名づけるであろう。それは、記号とは何であるか、い. かなる法則がそれを支配しているかを教えてくれるであろう。』5と述 べている。.  こうしたソシュールの指摘をふまえ、ここで「絵の記号」というもの を措定しようとするなら、「その記号がなにから成り立ち、どんな法則 がそれらを支配しているか」ということから始めるべきであろう。.  こうした前提なくして「絵の記号」もその「意味作用」としてのコミ ュこケーション、つまり記号の「解読」や「解釈」ということは在りえ ないのである。.  このような前提に立つ時、フランスの記号学老G・ムーナンの次の指 摘はきわめて示唆に富むものとなる。.  r絵などがメッセージをなしているとすれば、そのメッセージを構成 する単位というものがあるのか、それはいかなる単位か、それがいかな る規則によリメッセージを構成するかを探求すべきであろう。.  絵、彫像、音楽など、コミュこケーションの形式の機能の複雑性と多 様性をみることができる。(もっとも心的交流の形式にすぎないのかも しれない)あるいは刺激作用の形式にすぎないのかもしれない。』6  本考察はこうした先学の指摘に学びながら、 「子どもの絵」を対象と. しながら、絵の表現の「記号学的分析」を試みるものでもある。.  それは絵という表現の「意味作用」がどのように発生し、コミュこケ ーションされることになるのか、一絵の「表現の形式」と関連づけて考察 されることになるだろう。. 3.

(6)  具体的には、絵が語るその「意味作用」を「絵のメッセージ」として 捉え、 「絵のメッセージ」を構成する単位は何か(この過程で「絵の記. 号」ということが検討されることになるであろうが)、さらに「絵のメ ッセージ」はどのように構成されるか、ということが検討されることに なる。.  こうした手続を経て初めて、 「絵を読む」ということが対象化される. のである。しかし、絵を見る人がそこに「表現されているもの」を通し て、どれだけ表現した「人の心」に近づきうるであろうか。  このような大きな疑問を抱えながらも、 「絵のメッセージ」の「解. 読』や「解釈」の方法を、「コード」や「コンテクスト」という「情報 処理の理論」の概念とともに探りながら、絵に表現された「人の心」に 接近する方法と可能性を見出して行きたいと考えている。  以上、私の研究主題「子どもの絵の記号学的考察」とは、 r人間の諸. 活動において(おそらく生物一般の生の営みにおいて)記号の果たす役 割の重要性がますます広く認められてきました。記号現象は、認識・思 考・表現・伝達および行動と深く関わり、したがって、哲学・論理学・ 言語学。心理学・人類学・情報科学等の諸科学、また文芸・デザイン・ 建築・絵画・映画・演劇・舞踏・音楽その他さまざまな分野に記号とい う観点からの探究が新しい視野を拓くものと期待されています。』7と 日本記号学会の設立趣意書が述べるように、 「認識・思考・表境・伝 達」の全てにかかわっている「子どもの絵」を、「記号」という視点か ら捉えて見てみようとする「試みの論」なのである。. 4.

(7) 一 引用文献お認注釈 −亀ウ﹂. 「絵の言葉』 小松左京/高階秀爾  (講談社学術文庫),1976. 「視覚言語」 G・ケペッシュ/グラフィック社編集部訳.        (グラフィック社),1973 3. 「美術教育の基礎知識」 宮脇 理監修  (建吊社),1985. 45. P5 美術科教育の目的と性格・視覚リテラシー/福田より. 「教育美術」 (教育美術振興会),1986・NO7 P9より 「一般言語学講義」 ソシュール/小林英夫訳  (岩波書店). 上記がよくテキストとして使用されるが、訳のふるさや用語上の. 問題もあり、G・ムーナンによる「ソシュール」福井/伊藤/丸 山訳(大修館書店/1970)による同様の訳文(P34)を使用 6. 「言語学とは何か」 G・ムーナン/福井・伊藤・丸山訳.  (大修館書店)1970,P50 一コミュニケーションか、ある いは心的交流か、あるいは刺  激作用か一より 7. 「記号学研究」2 日本記号学会編  (北斗出版),1982 P286 [堅太記号学会設立趣意書 一1980年4 fi 一一 より]. 5.

(8) 第■章. 記号をめぐって.  人間は記号の世界に生きている。.  記号は「のりもの」にたとえられ、 r記号=機能は物的なのりものか. ら心的なのりものへ、またその逆へ、へのりかえることもできる。』1 と言われるように、人間は記号によって、内的世界と外的世界とを結び つけているのである。だからこそ人間は、そうした記号を操作して、世 界を認識し、思考を深め、表現し、伝達しあうコミュこケーションが出 来るのである。.  動物と人間を分かつものは、動物がたんに肉体的世界に生きているの に対し、人間は記号の世界にも生きているということである。それは常 に対象世界を記号で釘り取り、世界を内在化させてそれを記号で所歯す るという、記号的接近であったと言える。そしてこうした中から、言語 や芸術や科学といった文化が生れてきたのである。.  さて、絵が人間の内的世界にある何かを表し、それが見る人に「意味 作用」をもってに何かを伝えているとしたら、それはまさしく「記号の 機能」を持っているのである。.  こうした「絵」の記号性に着目し、絵画を対象にした「記号学」が、. フランスを中心とする学者たちによって研究されてきた。ルネ・パスロ ンの「絵画作品と外観の諸機能(1962)」や、ルイ・マランの「絵画の 記号学(1986)」などは、その意欲的な試みとして高く評価されてい る。.  しかし、絵が記号学の研究対象となる可能性は誰もが認ながら、その 方法は確立しておらず、絵の記号としての体系も明らかではない。.  この研究は歩み始めたばかりなのである。 それゆえ、「記号論」や. 6.

(9) 「記号学」の方法をこれに適用することは、十分吟妹し一つ一つ検討を 加えていく必要があるのである。  安易にまた性急であってはならない。  そこでこの章では、 「記号論」や「記号学」の「おこり」にまでさか. のぼって学びながら、ソシュールの「記号学」の立場から「記号とはな にか」ということや、 「記号の種類」や「その分類」など、記号をめぐ. る全体的で、本考察の前提となる基本的な問題からみていこうと思う。.  また、子どもたちが記号とどのように関わって生活し、それを操作し て「記号の世界」を創っているか、ソシュールの「記号」の考え:方を子. どもの発達研究に用いた、「ピァジェの記号論」にそれを見てみたい。.  以上のように、ここでは「記号」という視点を確立することと、子ど もの世界を、「記号」と「発達」とを関連づけてみるところに、そのね らいがあるのである。. 7.

(10) 1 記号学と記号論  「記号現象」を研究する学問は二十世紀の初頭、太西洋をはさむヨー ロッパとアメリカで誕生した。ヨーロッパにおいては、スイスの言語学 者ソシュール(1859∼1913)が「記号学」を提唱し、一方パース(1839 ∼191のはアメリカで「記号論」を唱えたのである。  この二つの出自による「生れ」の違いは、そのまま基本的立場の相違 として今日にまで及び、記号学者モリス(1901・一 )をして「記号現象. を語る共通の用語体系がまだ普及していない」と歎かせたという約40年 前の状況と変ることはないと言える。.  こうした両者の「記号」に対する立場の違いを、池上は次のように説 明している。.  r記号論の構想をその主要な源流を求めてさかのぼって行くと、ソシ ュールとパースの二人にたどりつく。しかも、この二人の構想は、ある 意味では非常に対照的なものである。一口で言えば、ソシュールの方が 背後にコードの存在を予想するような記号使用を記号論の対象としても っぱら考えていたように思えるのに対し、パースの方は、何かが何かを 表わしていると解釈できるような記号現象であれば、すべて記号論の対 象の範囲に入るものとして考えたのであった。  日本語の術語としては、前者に(「伝達の記号学」としての) 「記号 学」、後者に(「意味作用の記号学」として) 「記号論」を当てておく ことにする。』2.  こうした「記号学」と「記号論」の立場の違いを明らかにしていくこ とは、本考察においてぜひ必要な手続きとなるだろう。.  ソシュールがその「記号学」において構想したものは、言語記号の体. 8.

(11) 系が、そのほかのコミュニケーションの手段である、書・指話法・象徴. 的儀式・作法・軍用記号などと比較されうるものとしr社会生活のさな かにおける記号の生を研究するような科学を想像してみることができ る;それは社会心理学の・したがって一般心理学の一部門をなすであろ う;われわれはこれを記号学とよぼうとおもう。それは記号がなにから. 成りたち、どんな法則がそれらを支配するかを教えるであろう。』3と 考えていたのである。.  そしてそれは、rそれを読むと記号学とは、人間がそのおかげでお互 いに意志伝達をはかることができる記号(もしくは象徴)のすべての体 系をあつかう一般科学を指すものになる』4と解せられるのである。  ここにおいて強調されるべきものは、コミュニケーションにおける 「意図」性であり、人間の意図を含んだ記号現象と、その意図を全く含 まない現象とがはっきり区別されて研究の対象とされるのである。  その具体例は次の引用から理解されるであろう。 r颪の空には気象学. 者と交流しようという意図は全然ない。39度の熱は医師に何かをつたえ ようということを意図して出てくるのではない。(血は傷の記号だとい ったエピクロスはすでに間違っていたのだ。)雲の形とか、熱とか、血 とかは、ここでは「徴候」なのである。』5と、ムーナンが語るように 「記号学」においては、人間がつくりだすコミュニケーションを前提と した記号現象をもって、この「学」をなしているのである。.  ここに「コミュこケーション(伝達)の記号学」と言われる所以があ る。.  「記号学」がもっぱら人間的世界の内部表象野における記号現象を対 象としているのに対し、「記号論」ではそれにくわえ自然的世界の外部 知覚野に関する記号現象をも含めて研究対象としている。従って、 「黒. 9.

(12) 雲」が「雨」を意味するといった「徴候」も、その範疇に入れるのであ る。 「記号論」が「意味作用の記号学」とか「解釈の記号論」と呼ばれ る理由はここにある。.  前述してきたように、 「記号学」と「記号論」は同じ「記号現象」を. 研究するものでありながら、目下のところその立場は一線を画するとこ ろがあり、「記号」を論じる用語やその概念一つをとってみても、さま ざまに異っている。.  たとえば、 r「シンボル」概念一つをとっても、その意味は依然とし. て十人十色だからである。すなわち、「シンボル」は、人間の主観的生 命の客観化(カッシーラとランガー)とみられる一方では、行動の道具 (モリス)であったり、恣意的な記号(パース)かと思うと、逆に有縁. 的記号(ソシュール)であったり、最広義の記号と同義(オグデンとリ チャーズ)かと思えば、意識的なものを明示する記号から峻別された、. 無意識の暗闇の表出(ユング)であったりする、というぐあいだ。』6 という状況にあり、研究者一人に一つの用語の体系があるといっても過 言ではないと言えよう。.  こうした「記号」を論じる上での具体的な相違点などについては、後 でふれる「記号の分類」のところで、もう少し深く扱いながら、私の立 場も含めて明らかにしたいと考えている。. 10.

(13) 2 記号とは何か 一ソシュールの記号学から一  前述してきたように、意図的な伝達における記号と意味作用との関係 を研究するのが「記号学」であり、「徴候」におけるような意図性のな い、自然的なものの意味作用をも対象にして考えるのが記号論の立場で あった。そしてそれは、対象の解釈としての認識論にちかずく解釈の 「記号論」とよばれていることをみてきた。.  さてそれでは「記号」とは何であるのか、それはどのように解釈され 定義づけられるのか。次にこうした問題を考えることにしょう。.  記号学の提唱者ソシュールは「記号」をどのように考えていたのであ ろうか。ここで彼の著作から学ぶことは、記号の本源的な性質を考える 上で重要なことであり、またその出発点となるものである。  ソシュールは言語の音声記号を例にしながら次のように説明する。.  r言語記号は、物と名を結びつけるのではなく、概念と聴覚映像を結 合するのである。』とし、下の図を交えてrこれら二つの要素は緊密に 結合され、お互いに呼応している。ラテン語の くarbor>の意味を求め. るにせよ、あるいはラテン語が「樹」という概念を指すためにせよ、明 らかに、その言語が認めた照合のみが実際と一致するものと思われるの であって、それ以外どんな想像上の可能な組み合せも、我々は受け入れ. 一. 一 /. ;. ようとしないのである。』7と述べている。.  そして、 r我々は、概念と聴覚映像の結合を「記号」と呼ぶ。しかし 概念. 「樹」. 聴覚映像. arbor. 1 1. arbor.

(14) 一般的な慣用では、この語は聴覚映像のみを示す。例えば語くarbor>を 示すのである。だがくaTbor>が記号と呼ばれるのは、それが「樹」とい. う概念を担う限りにおいてであるということが忘れられがちで、その結 果、感官的な部分の観念が全体の観念を包摂してしまうことになるの だ。』とし、この分ちがたい結合による「二つの側面をもった存在」と して「記号」を語っている。.  しかし、こうした曖昧さを解消するために、ここで問題となっている 記号をめぐる三つの概念、 「記号」と「概念」と「聴覚映像」を互いに. 対立させながらも、互いに呼応するような名称とするよう、重要な用語 上の問題を提起する。.  r我kは、全体を指す語として「記号」をとっておき、「概念」と 「聴覚映像」とをそれぞれ「記号内容(Signifie)」と「記号表現 (Signifiant)」に代えることを提案する。この後の二つの術語を使う. 利点は、一つには両者相互の差異をはっきりさせることもでき、一つに は、それぞれを構成要素とする全体と、それぞれとの間の区別をはっき りさせることもできる点である。「記号(Signe)」に関してはその代り. とすべき適当なことばが一般に用いられている語の中に見出せないか ら、そのまま使おうというのである。』と、ソシュールはこのように語 っている。.  .以上、ソシュールの「記号」について考え方を要約すると、電工のよ. うな図式として提示することができるだろう。 ソシュールが解明した 「記号」の真の姿は、人間に知覚可能な形態のある「示す面」を持った 「記号表現(意味するもの)」が、それによって「示される面」として. の「記号内容(意味されるもの)」と、それを使用する人の意識の中で 結合している状態であった。. 1 2.

(15) [記号と記号の構成要素].  言己号内容.  言己号表現.  (Signifie 。 シニフiエ). (Signifiant ・ シニフィアン). 「示される面」としての. 「示す面」としての.    意味されるもの.     意味するもの [Ki]という音声. 「木」の表象. 脳。中勧結合 言己   号.  ある形態と意味論的内容とが分かちがたい結合によって成り立ってい. るとき、その全体を記号と呼ぶのである。それは、r言語は一枚の紙に 比較し得る。思考は表で音は裏である。表を切ればどうしても裏が切れ てしまう。』と、ソシュールがたとえた関係にあたるものである。.  さて、記号学でいう「記号」についてこうした認識をもつとき、冒頭 にあげた幼稚園の教師の「絵画記号」という言葉が、いささか適釘さを 欠いたものであることがわかるであろう。 r四歳児でだれもがもってい. る絵画記号で描けるものという題材で、この笠地蔵を選びました。』と 語る「絵画記号」とは、おそらくお地蔵さまを描く「円」や「四角」、. さらには雪や道になる「点」や「線」のことではあるまいか。だとすれ ば、その根底において「記号」という言葉への大きな誤解が生れつつあ る。こうした点からも、「絵」が「記号」としてどのように捉えられる か、そして、それがどのような「記号の体系」を構成しているのか明ら かにすることはこれからの重要なテーマとなってくるのである。. 13.

(16) 3 記号の分類  ソシュールによって、 「記号」が「記号内容」と「記号表現」との結. 合によって成りたつていることが明らかにされたが、記号による意味作 用の発生、こうした記号現象を生じさせるところの「記号」の分類はむ ずかしい。また何を基準(原理)にするかによっても、「記号の分類」 は異る様相をみせることになる。  そこでここでは、 「記号学」と「記号論」の立場から、記号をどのよ. うに分類しているかを見ることから始めていこうと思う。.  ソシュールは記号の性質を理解するために、記号を構成している要素 としての「記号内容」と「記号表現」の結びつき方に着目した。そして この結びつき方で記号を分類したのである。.  それは、記号表現と記号内容の間に「内在的な関係」がある「有縁 的」な結びつきを持つ記号と、そうでないものとにである。つまり記号 表現と記号内容の関係が「外在的」で、目然な類推関係が全然ない「無 縁的記号」とに分けたのである。.  言語記号を例に上げてみるならば、記号表現と記号内容とを結びつけ ているrきずな」は必然性のない、まったく「恣意的」なものである。.  たとえばr姉妹』という概念・記号内容と、その記号表現の役割をに なう一連の音[し/ま/い]との間には、何らの内的関係もない。  ソシュールはこうした両者の関係を、 r他のいかなる音の連続によっ. ても十分表すことができる。』さらにr言語間の相違や異った言語が存 在すること自体がそのよい証拠である。』としてr言語記号における記 号表現と記号内容との結びつきが、「恣意性の原理」によるということ については異論をさしはさむ余地はがない。』8と断言するのである。. 14.

(17)  一方、私たちが町で「ナイフとフォーク」の看板を見つけたら、それ はレストランを意味していると理解されよう。それからは、ナイフとフ ォークを使って食べる様子を、またはその食物を容易に類推・想像させ うるからである。この場合、記号内容としての「レストラン」と、記号 表現としての「ナイフとフォーク」を結ぶものは、誰が見ても「右縁 的」であり「内在的な関係」である。.  こうして記号表現と記号内容との結びつきが、右縁的な記号に「象 徴」と名づけられ、無縁的で恣意的な結びつきしか持たないものを「記 号」と呼んで区別した。「コミュニケーションの記号学」において「記 号」は、「象徴」と「記号」とに分けられて、その体系化が考えられる のである。.         [記号学における記号の分類].     右縁的記号(記号表現と記号内容との間に「内在的な関係」が   で致: があり両老の問に自然的な類推や、ほんのわずか 言己. 号. (SヨmboD にせよ類比的な関係がある場合). 無縁的記号(記号の記号内容と記号表現の間の関係が純粋に偶. 記号然的であり罰輔の関係であって曝者の問に (Sign) 自然的な類推関係は全くない恣意的な「言語」の       場合).  ソシュールは記号を記号内容と記号表現とに分けた二分法でとらえ、 その結びつき方において「象徴」と「記号」とに分類した。.  しかしこの二分法において、外界の状況としての事物や対象といっ た、記号内容に対応すると言われている、 「指示物」との関係が考慮さ れていないことは、よく批判される通りである。. 15.

(18)  そこで記号論では、記号を「記号内容」と「記号表現」と「指示物」. の三分法において論じるのである。そしてここでも、記号表現とその指 示物との関連性において、記号が分類される。.  rある記号の記号表現とその記号の適用される指示物との間に何らか の特別な関連性があれば、その記号は「有高的」と言われ、なければ 「無契的」と言う』9と、池上が述べるように、記号分類の基準は「右 契的(有縁的)」か、 「無契的(無縁的)jということになる。有契的 な記号には、 「イコン(類像)」と「インデックス(指標)」がある。. 「イコン」とは、指示物との「類似性」において右契的な関係を持つ記. 号である。また「インデックス」とは、指示物との関係が「近接性」に 基づく右契性を持っている場合の記号を呼ぶ。たとえばそれは「黒雲」 が「雨」を意味し表すように、「時間的、空間的」近接であったり、 「原因と結果」や「全体と部分」を表す近接性であったりする。.  また無契的な記号は、すべて「シンボル(象徴)」と呼ばれるのであ る。以上、こうした記号の分類は下の図のように示すことができよう。          [記号論による記号の分類].           1・イコン(類像) 類似性に基づく甘々曲 」fi ee as { 2・インデックス(指標)近接性に基づく右契性  ①空間的な近接く出ロ〉を示す「矢印」. 言菊.  ②時闘的な近接く雨〉を表す「黒雲」. 月.  ③原因と結果 く風〉を意味する「落ち葉」  ④全体と部分 く王〉を表す「王冠」 無常的. 3・シンボル(象徴). 16.

(19)  先ほど「記号学」と「記号論」では、その立場から用語やその概念が 異なることにふれたが、そのことは「記号の分類」からもわかるであろ う。.  記号学では「記号」と「象徴」の二つに分けられるのみであるが、記 号論においては「イコン(類像)」や「インデックス(指標)」、 「シ ンボル(象徴)」というように分類される。.  ここにおいて注意しなくてはならないのが、ともに使われている用語 としての 「象徴(シンボル)」である。.  記号学と記号論ではこの「象徴(シンボル)」を、それぞれ異る概念 として使用しているのである。.  つまり、記号学においては「象徴」を「有縁的記号」とみるのに対 し、記号論においてはこれを「無縫的な記号」としているのである。.  これは正反対の意味内容を持つ、まったく対立した見解と定義づけで ある。例えば、記号学において「言語」は単に「記号」というが、記号 論において「言語」は「シンボル(象徴)1として分類され扱われる。  しかし、この「シンボル(象徴)」は、記号学の分類で「言語」をふ くまないものをさしていうのである。.  こうした点については言うまでもなく、それぞれの「記号の理論」を ふまえた上での用語の使用が望まれよう。さもなければ、この論意にお いても無用の混乱を招くことになるからである。.  「記号」を論じる場合、こうした自分の立場を明確にすることは、目 下のところどうしても必要なこととなるのである。. 17.

(20) 4 記号と子どもの発達 一ピァジェの発達的記号論から一  これまでに、記号学や記号論の立場、そして「記号とは何か」、 「記. 号の分類」といった、記号をめぐる基本的な問題について述べてきた。  つぎしにここでは、ソシュールの記号学から「憎憎・(Signifiant/ シニア1ア))」と「所記・(Signifie/シニカェ)」1。の考えを用いて、子どもの. 発達研究やその心理的事実に適用して説明した「ピアジェの記号論」11 から、子どもたちが記号の世界とどのようにかかわっているのか、発達 の問題としてみてみたいと思う。.  そしてそこでは、子どもたちがどのように記号を生みだし、それを使 用し役立てているか、記号行動を発達的にみることが出来るであろう。.  ピアジェは記号を「記号(言語)」と「象徴」とに二分し、ソシュー. ルがしたようにr象徴を、能記と所記との類似関係を意味するものと定 義し、記号を、「恣意的なもの」、したがって習慣にもとつくもの』12 と述べている。そしてこの「言語(記号)」はr集団的記号体系』とし て、社会で共通の伝達のために使用されるものであり、 rそれがっくら. れるには、社会生活を必要とする』もの、つまり学習によって獲得され る性質ものであるとしている。.  これに対して『おとなよりも社会化されていない幼児は、言語のほか に、もっと個人的で、もっと「有縁的」なもう一つの軍記体系を必要と している。』13と言う。それが「象徴」である。 「象徴」はr個人的能. 記体系』として、自分の体験を通して、r個人だけで、すでに完成され うる』ものだと説明する。.  そして、 r思考は言語によりなされるが、同時に象徴を使用してもな. される。ことに、年少の子どもの思考では、象徴が大きな役割を果た. 18.

(21) す』14ものとして、その役割を区別している。また注目すべきことは、. 個人内で完成される記号としての象徴が「社会化」するということを述 べている点である。.  ピァジェは、 r象徴は、社会化されうることも、あきらかだ。このば. あい、集団的象徴は、一般に、半記号・半象徴だ、といえる。』15とし て、記号を社会的なものつまり「記号」か、それとも個人的なものつま り「象徴」か、また個人的なものが社会化したものつまり「半記号/半 象徴」というように分けて考えたのである。.  そしてそれらは、次のように整理することができるだろう。. 言己. 象  そ致. 個人が自分の経験の中から、下記と所記の.  人的記号. 類似関係(右縁性)を見出し、個人だけで.   ・. 完成する記号. 半象徴/半記号. 個人的記号が集団的記号へ「社会化」した. 自. もの. 吾. 社会生活で共通の伝達のために使用される. 集団 的記号. もので、書記と所記の関係を学習によって. 言. 一 一. 修得する記号.  このような記号分類は、ソシュールのそれと同様、象徴と記号との二 分法によるものであるが、ピアジェは「集団的記号」と「個人的記号」 に分けて考えているところに特徴がある。.  さらに、もう一つ重要なポイントは、能記(意味するもの)と所記 (意味されるもの)の「分化」の程度によって、これを区別した発達的. 視点のあることである。つまり「能記」、意味するものとしての示す面. 1 9.

(22) である記号表現が、3つのレベルで行われていることを明らかにしてい る。これによれば、子どもの発達の中であらわれる、記号を操作する力 の特徴的な段階があるということである。 [標識・指標(lndeE)と信号(Signa1)のレベル].  子どもたちが、まず記号を使い始めるのは、「標識/指標(lndex)」 と「信号 (Signa1)」のレベルである。この段階では、能記と所記とが. 一部で直接知覚的に結びついている段階である。  たとえば、 「ジュース(所記)の入っている容器を見ると、子どもは. 大きなロをあける。つまり、容器(能記)がジュースのく指標〉となっ ている。」 また、 「狩人にとって、雪の上の動物(所記)の足跡(能 記)は、獲物のく指標〉である。」.  それから、「何か物音(能記)を聞いて、その方を振り向く。すると ドアをあけ、人が中に入ってくる。(所記)」というように「物音」が ドアをあけ「人が中に入ってくる」ことの、〈信号〉となっているので ある。.  このように、この段階で子どもたちは現実場面に依存しながら、部分 と全体の関係や因果関係など、「表象」のない感覚運動で条件づけられ た「指標」や「信号」という「記号」を使うことが出来るのである。.  ある物の全体がほとんどかくれていても、その一部分が見える時その 部分は子どもにとって、その物全体が存在しているということの「指 標」であるように、 「標識/指標」や「信号」においては、能否と所記. が現実世界で直接的に部分的に結びついているのである。 [象徴(Si皿bo1)のレベル].  こうした現実場面に依存した記号行動から、やがて子どもたちは、表 象を関与させた「象徴(Simbo1)」をあつかうことが出来るようにな. 20.

(23) る。 「象徴」においては類似的関係、右縁的関係はあるが能記と所記が 分化しているものである。.  この能記と所記の分化を結びつけているものを、ピアジェは「象徴 (シンボル)機能」として説明する。そしてそれは次のように定義される。.  r象徴機能とは、〈所記〉(あらわされるもの)とは異ったく能記〉 (あらわすもの)によって、所記を表象するはたらきである。』16.  右の図に示したように、小石をあめ玉の象徴として扱っているいる子 どもの脳の中では、あめ玉. 1懲ll蕊嚥{] るある。だから、じっさい あめ玉でもない小石を、あ.    象. 1→. lI▼. れて、小石と結びついてい. 嚥蔀. ェの中ので結合. ウ腸象徴機能. め玉のように扱えるのであ る。ピアジェはこうした働 きを「象徴機能」と呼んだのである。 つまり、                      ソシュールの記号にお ける、記号表現と記号内容の脳の中での結合は、表象が関与した「象徴. 機能」の働きによるものとして説明したのである。.  ソシュールが言語学を中心にこうした考えを用いたのに対して、ピア ジェは人間の行動や認識、その発達の世界にまでこの考え方を広げて適 用したのである。.  ピアジェは象徴機能による「象徴」を使った幼児の記号行動を、次よ うな実例で紹介している。.  <彼の子どもは、いつでも、手に枕の端を持って、同じ手の親指を口. 21.

(24) にくわえて眠っていたそうである。ある朝、子どもが、よく目のさめて いるとき、母親のベッドの上に座って、シーツの端を突然見た。 する と、このシーツの端が、この子に枕の端を想い起させ、そのシーツの端 をつかみ、手をしっかりと握って、親指をロにくわえ、目を閉じ、座っ たまま眠るふりをしたという。〉.  この場合はおさない子どもが、母親の「シーツの端」から自分の「枕 の端」を表象し、母親の「シーツの端」を象徴として扱ったものであ る。このように、象徴機能は有縁的なものや類似的なものを「象徴」と して、子どもが記号行動に使うことを可能にしたが、やがてそれは右縁 性のない、まったく恣意的なものとの間にも象徴機能を働かせることが 出来るようになり、言語が獲得されるのである。 [記号(言語)のレベル].  言語においては、能記と所記が完全に分化しており、いかなる右縁性 も持たない恣意的なものであると言うことである。.  シェイクスピアがジュリエットに「名前がどうだと言うのでしょう。. バラというものは、どんな名前で呼んだってその香りは変わりません わ」と言わせたように、日本語で「バラ」と言おうが、英語で[Rose]. と言おうが、またその他どの地域で何と名づけようが、バラそのものと その名前の闘には、現実的な一切の自然的結びつきは存在しないし、い. かなる内的関係性もないのである。ソシュールもr記号の恣意性の原理 については、異論をさしはさむ余地がない。』と言う通りである。.  つまり、言語記号は社会の習慣としての制度であり、全ては約束によ って成りたっているものである。.  言語記号が恣意的であると言っても、記号表現が個人の事由選択に任 されているということではない。ひとたび共同体の中で決められてしま. 22.

(25) うと、個人の力ではこの記号に何一つ変化を与えられない。記号表現と 記号内容との関係が無縁的であるという意味で恣意的であるのである。.  それゆえ言語は、たとえばイギリス人がバラを[Rose]というよう に、それぞれの恣意的な結びつきを象徴機能を使って学習し、獲得しな ければならない性質のものなのである。以上のようなピァジェの考え方 をまとめると、次のように示すことができる。.      (所記の一部が能記と直接知覚的に結 非名標・信号.                 びついている). 言二. 象 号. そ致(類似的関係はあるが所記と能記は分化し                  している). 言己. 号(所記に対し能記は恣意的であ院全に分イしして   いる。社会的サインの体系の一つが言語である).  これを先の個人的記号と集団的記号という関連からみてみると、                       「指 標・信号」や「象徴」は各個人の生活経験から生れて来る、                    r個人だけ で、すでに完成されうる」個人的記号であり、またこれらは「社会化」. によって半記号・半象徴になりうるものであるが、きわめて主観的で個 別性の強いものである。.  これに対し言語などの「記号」は、集団的である高い共通性を持った. 客観的な記号であるためrそれがっくられるには、社会生活を必要とす る。』とピァジェが述べている集団的記号なのである。.  このように子どもたちは発達段階の中で、感覚運動で条件づけられた 「指標/信号」や、表象を介在させた象徴機能によってもたらされる 「象徴」や「サイン」を使用して、思考や認識、表現など多様な記号行 動を可能し、自らの世界を形成し充実させ拡大していくのである。. 23.

(26) 一 引用文Wtお16注釈 1. 「芸術の記号論」 加藤・谷川●持田・中川著(動草書房),1983. 234. P19∼ 〈記号と記号ののりもの〉より. 「記号論・1」 u・エーコ/池上訳  (岩波書店) P249より. 「一般言語学講義」 ソシュール/小林 訳(岩波書店) P29より. 「記号学入門」 G・ムーナン/   福井・丸山・伊藤 訳. (大平館書店),1973 P9より. 5. 「言語学とは何か」G・ムーナン/福井・丸山・伊藤 訳  (大修館書店),1970 P41∼. 6. 「芸術の記号論」 加藤・谷川・持田・中川著(勤草書房),1983. P1 く まえがき 〉 から 7. 「ソシュー・一一ル」G・ムーナン/福井・丸山・伊藤訳.  (大男宮書店) ,1970 P144より 8. 「ソシュール」G・ムーナン/福井・丸山・伊藤訳(大修館書店). 910. 1970,P147 〈第一原理/記号の恣意性〉 より 「記号論への招待」 池上嘉彦 著(岩波書店),1984 PIOI(’. 「再挙』と「所記」について. ソシュールはその著書「一般言語学講義」でrSignifiant,(シニ フ1アン)」と「Signifie,(シニカェ) 」という語を使用した。. 戦前、この著書を日本に紹介した小林英夫(東大/言語学教授) は「言語学原論,(1928)」として邦訳し、この二つの語を「能. 記」と「所記」という言葉で訳出して以来、この言葉は多く使わ れてきた。中でも、ピァジェが目分の研究において、この語を広 く心理的事実に適用したため、ピアジェの著作の邦訳において. 24.

(27) は、すべて「能記」と「所記」という言葉と概念が用いられるよ うになった。 しかし、最近この言葉はあまり使用されず、. rSignifiant」、「Signifie」とそのまま用いられるか、 「記号表現」やr記号内容」と訳されて使われるようになってき た。ところがピアジェの心理学においては、 「能記」と「所記」. という語がその概念とともに用いられてきた経緯もあり、現在で もこの言葉を使用している研究者もいる。また、引用文献にも多 くこの語が出てくると思われるので、ここに同内容の語や言葉を 整理しておくことにする。 Sigηifie,(シニフィエ). Signifian士 ,(シニフィアン). 有陰   言己. 所   言己. 言己  号  表  現. 言己  号  内  容. 示す面/意味するもの. 示される面/意味されるもの. 記号の物質化された、知覚可能な. 記号の隠れた、非物質的部分で概. ツ視的部分、可聴的部分. Oなど. @   (r構造主義入門」」・B・フ Aづユノ加藤訳・大修館より ). 11 「ピアジェの記号論」について.    ピアジェの記号論は、ソシュールの「記号学」やこれまで説明し. 25.

(28) てきた「記号論」などとは異る独自のものである。 「能記(シニフィアン)」と「所記(シニフィエ)」が脳の中で連合して「記. 号」を成立させているのは「象徴機能」の発生によるものだと し、心理的事実にこの考えを適用して、認識発達を「記号」とい う観点からとらえ説明したものである。. 12 「知能の心理学」 ピアジェ/波多野・滝沢 訳(みすず書房)    1967,P236 (象徴的思考、およti前概念的思考)より. 13r思考の心理学」ピァジェ/滝択訳 (みすず書房),1968    P115 (思考とシンボル機能)より 14 「ピアジェの認識心理学」 波多野編/芳賀純  (国土社).1365.    P189( 記号論 )より 15 「知能の心理学」 ピァジェ/波多野・滝沢 訳(みすず書房).    1967,P23S (象徴的思考、6k5前概念的思考)より 16 「ピアジェの発達心理学」 波多野編/久原恵子(国土社),1965    P56 (象徴機能の発達)より 17 「芸術の記号論」 加藤・谷川・持田・中川 著  (動草書房). 26.

(29) [参韻料]    記号の分類  「意味作用」があればそれを「記号」の存在とみなす「解釈の記号論」の立場から 記号を大きく分類すると、次の図のように示すこともできる。この図の難点は、イコ ン(図像)をうまく位置づけることが出来ないことである。 「芸術の記号論」17より.                    (lndeH).  動物的実践的世界      自然的な非旨標  く外部知覚野〉      (月の環→雨 ・ 煙→火 ・ 暁→日の出).         Signal 1 (Symptom). 言号  自舗な徴候       (発熱→病気 ・ 身体の赤い斑点→はしか)           (Signal).       人工的な信号       (交通信号・モールス符号・発車、電話ベル)  Sign. 言己号 言語一対鰭示的(手段的)・恣意的(規約的). 芸術一面 立 的 ・ Symbol.     (自己目的的).  でi致:. 宗教. 人間的観想的世界. ネ申言舌. く内部表象野〉. 祭式、等. 2 7. 右 縁 的 (イコン的).

(30) 第2章絵とコミュこケーション 絵の表現とは人間にとって一体何であろうか。.  人間の内的世界にあるものが絵に表現されると、それは客観的で具体 的に存在するものとして、見る人になんらかの意味作用を持つ。  ここに「表現されたもの」を:介した、記号現象としてのコミュこケー. ションが成立する。絵がこうした伝達機能を持っていることからr言語 (ランガージュ)としての絵画』という言われかたもよくされる。つまり、絵. の表現をコミュニケーションの手段と考える立場がそこにあるが、はた してそうした絵の伝達機能とはどのようなものであろうか。.  絵の表現は、すべてが最初から伝達を目的として、意識的にまた意図 的に生み出されてくるものではない。また、どのようなものでも表現さ れたものは、その意味作用において伝達の機能を持つのである。.  本章では、こうした「絵のコミュこケーション」を、絵とはどういう ものなのか、それを描く人間の問題と、また絵を見る人間の問題とに分 けて捉え、両者を結ぶものが何なのかを考える=わけである。.  そこでまず、絵を描く人間にとって、絵に表現するということが、ど ういうことなのかを考え、ついで表現された絵を見る人について、ヤコ ブソンの情報伝達のモデルを引用しながら、その「伝達のしくみ」につ いて学び、「絵の伝達性」というものが、いわゆる「コード」に依存し たものなのか、それともコードの制約が弱く、見る側の主体的な推論に ゆだねらる、 「コンテクスト」に依存したものなのか、その特徴を明ら かにしていきたいと思う。.  こうした中から、 「絵」が形象とその全体的関係性において、表面的. 28.

(31) な見うる「現前の意妹」と、そこに共示される「非在の意味」とをも つ、二重の意味構造物としてとらえられるのである。.  マランはこのことをr絵画の記号学」で、絵がr明示』するものと、 それがr含意』するものとに分けて考え、プーサンやシャンパーニュの 作品を取り上げながら、そのタブローを「形象的テクスト」として読解 し、「非在」の意味であるr含意』を見事に解き明かしてくれる。  こうした事例をみながら、「絵のコミュニケーション」とは、絵が 「明示/表示」するものを「解読」し、その「含意/共示]を「解釈」. する、二重の意味作用によって支えられていることが明らかになるので ある。.  以上のような過程をたどりながら、この章では、人間が絵で表現する ことの意味や意義をおさえ、またそれがどのようにコミュニケーション されるのかといった問題を、「絵」がもつその意味作用から解明してい くのがねらいである。. 29.

(32) 1 絵の表現とは何か  r絵画は言語であるといういい方は、あまりにも長い間都合のいい喩 えとして用いられてきた。相互間にコミュニケーションをかわすため の、そしておそらくは共に存在するための、人間の憎憎にかかわるあら ゆる手段は言語と名づけられていた。』1とムーナンが述べるように、 絵の伝達機能が言語のそれにたとえられて理解されることが多かった。.  つまり、絵の表現の機能と目的も、意識的で意図的な伝達のための手 段であるとする考え方がそこにある。しかしこの見解は表現の結果がも たらす記号現象だけに着目したものものなのである。.  r絵画がその出発点においては、コミュニケーションの手段ではなく て表出の手段である』ということを見逃してはならない。.  コミュニケーションは表出に先立って、表現の目的としてあるもので はなく、まず自己の表出があり、その外示されたものを通して、それを 見た人が「表出されたもの」の意味作用から、任意の解釈においてコミ ュニケーションが成り立っていると言えるのである。.  ともすると、表出とその結果がもたらす伝達性が、それを生みだす動 機までをも包みこみ、同一視されやすいのである。.  ムーナンがr絵画の第一の深奥の目的は、コミュこケーションではな くて、自己の純粋な表出』であると語るまでもなく、絵は本源的に自己 の表出それ自体としてまず存在しているのである。つまり表現とは自己 を対象化し、混沌とした自己の内的世界を、外的秩序の世界へと表出す ることにより、自己を具体化し客観化することなのである。.  こうした表現の機能を、森田は言語表現を例にしながらll話せるこ. と、聞けること 一その人間形成における意味を考える一』2と題して. 30.

(33) 次のように語っている。.  rいったい人間が話すということはどういうことなのか、人が話すと き何が起こっているのかが問われなくてはならない。.  いうまでもないが、話すということによって人間は自分の思いや考え (つまり思想)や対象について自分がだいているイメージ(表象)に表. 現を与えるのである。話すことによって、この表現がこれを聞いている 他者に対して与えられるということだけではなく、同時に自分自身に対 しても、話すことによって初めて自分の考えや表象が明確になるのであ る。.  書くことによっても、この後半のことはおこるが、人前で話すことに よってはじめて、自分自身にも明確になった考えや表象を他者と分かつ ことができるようになる。その意味で人間は話すことによって、そのつ ど一つの共同性を生み出すのである。.  また人間は話すということによって、自分だけの狭い限られた体験の 世界から解放される。話すことによってそうしなかった場合には隠され たままであり、自分でも予想しなかったであろう思想や経験を自分でも 発見することになる。.  思想にしても経験にしても、それは言い表わされることによってはじ めて形をもち、また明瞭さを得るのである。話すということは、何かす でに明らかな形があらかじめ存在していて、これを言い表すというので はなくて、形なきもの、言い表しがたいものに明確な形を与えようとす る努力なのである。この意味で、人問のことばには創造的な力がつけ加 わっている。』.  絵の表現においても、その表現:方法や形式は違っていても同様のこと. が言える。 森田が述べるような過程において、絵の表現も人間の混沌. 31.

(34) とした内的世界を探究し、形象や色によって構成される絵の形式によっ て明確化され、客観化されることにおいて、作者は自己を把握するので ある。.  そしてこのことをピカソは、「さぐりながら描き、描きながらさぐ る」と語り、表現しようとする自己の内的世界を、さぐりながら描いて 明らかにし、描きながら自分自身の世界をたしかめていく、表現の過程 を見事に言いきったのである。.  表現とはこうした自己の表出として、客観的に明確な形が与えられ、. さらにそれが伝達の手段となって、絵を見る人との問に一つの共同性を 生み出す、コミュこケーションとして存在しているのである。.  また同時に人間は、この表出を動機づけ意識的、意図的な表出によっ て、最初からコミュニケーションを目的とした、自己を他者に「語る」 表現ができることも事実である。.  この意味では絵の表現もコミュニケーションと、表出との二つの機能 を、ちゃんと両立させて兼ねもっていると言えるのである。.  しかしこの場合でも、全て相手に理解してもらおうと表現するより も、まず自分自身が納得するために表すのであって、自己表出のなかで 自分の実体が探究され、自分の考えや感じを確認しながら、自らをとら えていこうとする原理には何ら変りはないのである。.  これまで見てきたように、表現の本質的な動機は人間の主観的生命の 「表出」にあり、それが具体的に表現されたものの意味作用において、. 作者の内的世界を、他者に語るものである「伝達性」を持つことができ るのであると理解されよう。. 32.

(35) 2 絵の記号 一有縁的記号としての「象徴」一  先に、表現が人間の感じていることや考えていることなど、混沌とし ている主観的世界から表出されたものであり、表現されたものは具体的 で客観的なものとして存在していることを見てきた。.  絵として表現されたものは「記号表現」として、絵の作者の主観的世 界にある意味されているものは「記号内容」として、両者が象徴機能に よって結びついている時、それはまさしく「記号」なのである。.  そこで、絵の表現による「絵の記号」ということを措定しようとする とき、それはどのように考えることができるであろうか。そこでまず、. 絵で表現したものを記号の分類と、その体系全体に位置づけてみること から始めてみよう。.  ソシュールの二分法よる記号分類からすれば、絵はその中に描かれた 個々の形象が、描かれる対象の形や色の類似性において、右翼的な記号 としての「象徴(シンボル)」に分類されるものである。  一:方、パースの記号論からすれば「類像(イコン)」にあたるもので. ある。しかし、パースが上記の「象徴(シンボル)」に異る意味を与え ていることは、前章の「記号の分類」でみてきた通りである。.  用語はいずれをとっても、ここで共通しているのは、記号内容と記号 表現との結びつきの関係が、:有縁的(心血的)であるという点である。. しかし、ここで両方の用語が錯綜して混乱してもいけない。.  これからここではソシュールの記号学やピアジェの発達的記号観に立 った「記号の分類」と「用語使用」をするこにしたい。.  「象徴』として捉えられる多くの記号の中でも、「絵で表すもの」は 小さな子どもたちにとり重要な役割を果たしている。. 33.

(36)  「子どもの絵」は類似的な右縁性をもつ記号「象徴」による表現であ り、それはピアジェの言う、子どもが目分自身のために用いる「個人的 記号」として生れ出てくるものである。.  「絵の記号」とは、子どもが頭の中で思い浮べているところの記号内 容が、子どもが描き出す類似的な形象である記号表現と、象徴機能によ って結びついているものをいうのであり、それはつぎのように示すこと ができるであろう。 [絵の記号/表現] [絵の記号/表現].  書己号内容.  言上号表現. 表したいと思う内容. 外的世界に表された形:象. o. o. a. o. o. 〔コ. b. c. (例)さいころ    (立方体). ,. L.. ・広の菖己号 記号内容と記号表現が形象の類.   1. 釦」. 似性によって結びついている.     丁丁倉旨  小学生にrさいころ」を描かせると、(a)のように一つの面をとら え、それを正方形で表わす子もい燕ば、(b)のようにいくつかの面を 関係づけて、展開図のように表わす子もいる。.  さらに、(c)のように歪んではいるが、一度に見える三つの面を関. 34.

(37) 係づけて構成した表現もある。.  この他にも様々な表わしかたがあるが、そのどれもこれもが描いた子 どもの内なる象徴機能によって、 「さいころ」という「記号内容(意味. されるもの)」と、そこに描かれた「記号表現(意味するもの)」とが 結びついているのである。 ここに個人的な記号としての「絵の記号」 をみることが出来るのである。.  こうした象徴機能を使って子どもたちは、まず、表出したものにその 「意味されるもの」と結びつけ、命名することがることが出来るように. なる。しかしこの命名は永続性を持たず、その場かぎりのうつろいやす いものでしかない。描いて表したものが安定した記号機能を持つために は、表したものがいつでも一定の意味作用である表象を喚起させるもの でなくてはならないからだ。.  それを助けるのがこの記号の特徴である右縁性である。  象徴としての「絵の記号」は、対象の形態を類似的に形:象化するとこ. ろに有縁的性格がある。また、その類似性による意味作用から「意味さ れるもの」の表象を呼び起すことが容易にできるようになり、安定した 記号機能をもつことができるのである。.  子どもが描き出すその形象は、自分の生活経験を通して認識している 対象の、形態的(色や形の)類似性においてなされている。.  この類似的由縁性は、子どもたち一人一人が自らの生活経験の中から 見つけ出すものであり、何を持ってその有縁的類似性となすかは、まっ たく子ども自身にゆだねられているものである。.  従ってそれは対象世界の認識に関わるものとして、子どもが自己中心 的に同化した個人的記号と言え.るのである。. rおとなよりも社会化されていない幼児は、言語のほかに、もっと個人. 35.

(38) 的で、もっと「右縁的」なもう一つの能記の体系を必要としている』3 とピァジェが述べるように、子ども自身の要求のなかから絵の記号は誕 生し、あくまで個別的で個人的なものとして「うぶこえ」を上げるので ある。.  こうして子どもたちは、絵の記号を自分の内的世界から、記号内容と 記号表現が右縁的な「類似性」において、自由に創り出すのである。  以上のように、 「絵の記号1は記号表現と記号内容を象徴機能が「類 似性」によって結びつけられているものと理解されるのである。  先にみた、 「さいころ」の表現の例にしても、さいころの類似性から 子どもたちが見つけ出した形象であり表現法なのである。.  またそれが、どのような形象によって表現されたとしても、それらは 子どもの内なる象徴機能によって結ばれている心的実在としての「絵の 記号」なのである。 [絵の記号/理解].  さてそれでは、絵を理解する「読みとり」の場合はどうであろうか。  「さいころ」の例でいうと、自分では一つの正方形でしか表さない、. 小学校1年生の子どもでも、いくつかに描かれているさいころの絵を見 せると、自分が描いたものとは異なる透視図的な絵を、ほとんどの子が 選択する。この同一個人における、表現と理解のズレは一体どのように 考えたらよいのであろうか。.  それは次のように説明することが出来るであろう。.  表現を見る人にとり、そこに描かれている形象は一つの刺激となっ て、その意味内容となる表象を呼びおこす。そのとき重要な役割を果た すのが、この記号の特徴である有縁性、形象の「類似性」である。.  ただ一つの正方形が描かれている場合、その形象が持ちうる表象はき. 36.

(39) わめて多義的なものであり、その意味内容は曖昧とならざるをえない。.  当初その表現をした子ども自身の中では、象徴機能によって意味づけ がなされいても、いったんその表現が子どもの手を離れて、他者が見る ときには客観的な存在としての一つの「正方形」にしかすぎず、その意 味内容を限定して語るものは何もないのである。絵の記号をささえてい る象徴機能は、それを描くときも、それを読み取るときも、同一個人の なかで働くものであり、それはそのまま他者にまで及ぶものではない。 [絵の記号/理解].  言己号内容. 言己号表現. 表象される意味内容.   表されれている形象 pt. e a     b c. dw. e. (例)さいころ?    (立方体). L.. 口. Jt・Zの壽己号 記号内容と記号表現が形象の類.   1. “. 似性によって結びついている.     そ教機倉旨  ここに、子どもたちが先に「さいころ」として描いた3つの表現があ る。この中から「さいころはどれ?」と聞けば、ほとんどの子どもたち が、自分の描いたものとは関わりなく透視図的な(c)を選ぶ。  なぜならそれは、さいころの形態との右縁性が高く、形象の類似性が 強いからで、その記号表現から表象されるものは限定されて、その意味. 37.

(40) 内容は類推しやすくなるのである。.  透視図的に表現されたさいころは、ただ一つ四辺形で描かれた表現よ り、はるかに右効な刺激となってさいころの表象を呼びおこすことがで きるのである。このことからも対象の類似性を部分的に釦り取った自分 と同じ表現があったとしても、全体的リアリティーのある類似性の高い 表現があれば、それを選ぶのは当然のことであろう。.  このように、子どもの表現やその理解のズレの問題は、「記号表現 (形象の類似性)」と「記号内容(意味作用)」とを結びつける象徴機. 能が、r心的なのりものから物的なのりものへ』と働くのか、またr物 的なのりものから心的なのりものへ』働いているのかという方向性の違 いと、そこに子どもの描写能力(表現技術)が関与した問題であると説 明されよう。. [絵の記号とその社会化].  「絵の記号」は本源的には個人的記号として、本人が自分のために扱. うものであることを述べてきたが、またピアジェによればr(個人的記 号である)象徴は、社会化されうることもあきらかだ。このばあい、集 団的象徴は、一般に、半記号・半象徴だといえる。』とも語る。.  たしかに個人的な絵の記号も「社会化』して、社会や集団で共通に使 用される半記号的表現や表現法があることも事実だ。.  橋爪はr制度としての遠近法』で次のように述べている。.  r中世絵画とルネサンス絵画を分かつ最大のものは、3次元的空間把 握の導入、なかんずく、遠近法の確立である。遠近法は、第一義的には 数学的な画面構成の技法にちがいない。だがそれは、広いいみでは、わ れわれの絵画表現を規定する圧倒的な制度となったのである。  遠近法は、対象のリアルな表現を可能にするもののようである。. 38.

(41)  しかし、なにをリアルとみるかは、あらかじめ定まっていない。遠近 法の開始は、だから、ある種のリアリティの開始なのである。』5  こうした、遠近法(透視図法)などの表現は、社会がその時代ととも に持っている「表現法」であり、様式化した半記号的表現といえるもの である。言いかたをかえるならば、人間が絵を描いてきた歴史のなかで 発見し獲得してきた表現法があり、それはまた、絵を見る者の姿勢も、 歴史的に形成されてきた文化の中に存在しているということでもある。.  従ってそこには、個人の工夫や創造によって表す個人的記号というよ り、学習によってその表しかたを修得するような、集団的記号としての 性質を持ったものが、絵の表現にもあるということを屡なければならな い。 (もっとも子たちは、生れながらにしてその視覚文化の中に住ん で、学習を続けているのであるが…  。).  さて絵の記号についてまとめることにしょう。 「絵の記号」とは「記号内容」と「記号表現」とが有縁的な「類似性」 によって結ばれている「個人的記号」である。.  特定の個人がみずからの体験をとおして、対象の形態的類似性を見つ け出して表し、その意味内容とを結びつけたこの記号を創造し、自分の ために使用しているものである。.  また、絵の記号が「社会化」し半記号的なものとして、社会(地域). がその時代性において、「文化」として持っている「様式化した表現 法」があるのも事実である。. 39.

参照

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