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@彪

ドキュメント内 子どもの絵の記号学的考察 (ページ 97-104)

 一次的意味作用/Denotation

     表示面

 見うる形象を言語の体系によって 切り分けた、直接的な意味作用。

e

 二次的意味作用/Conmtation

     共示i義

「表示」されたものを前提として生 れる、新しいより高次の意味作用。

   解飾売(明示)

゙似的再現のコードを参照して、絵 フ表面にある見うる形象から読みと

轤黷ス「現前の意味」

   角犀釈(含意)

Rンテクストに依存して、表面的な モ味の中にかくされた意味を仮説的

ノ推論し、創られる「非才の意味」

① まるい大きな二つの目 ① 眠っているから見ることができ ないので、目玉がない

② 一本の線で描かれた口

⇒コンテクスト参貝藁⇒

② 眠っているとおしやべりができ ないので口を閉じている

③ つぶれたような顔の輪郭 ③ 横になって眠った全体の感じを 表わしている

④ つぶれたような平たい鼻 ④ 眠っても息をしている鼻

↓    ↑ ↓    ↑

つぶれたような人の顔 昼寝をしている子ども

二重の意味構造

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手がかりにして賦活された一般的知識との相互作用によって、解釈の仮 説を発見し検証することにより、一貫した解釈すなわち情報の意味を生 成する能動的な過程なのである。』15と述べている。

 子どもの絵も、それを見る人にとっては形象的テクストという、一つ のまとまった「情報」として存在するものであり、当然その「読みと

り」も上記のような「理解の過程」をもつものである。

 絵がそれを見る人に提供する形象という刺激は、その人の一般的知識 に働きかけ意味のあるものに解読される。 (一次的意味作用)

 そこでさまざまに解読された諸形象の意味は、仮説的な推論の基に一 連の情報の意味(メッセージ)にまとめられ、その現実性や一貫性につ いて検証しながら、最も妥当と思われる解釈が生成されることになるの である。 (二次的意味作用)

 このことから、絵を理解する「読みとり」の上で、重要な「カギ」と なるものは、まず第一に絵を見る人がもつ「知識」ということが問題に

なる。

bC

 作品6

 たとえば、3歳児の描いた左の「作品6」の絵を 普通の大人が見て、そこに描かれている形象の意味 を解読することができるであろうか。

 私たちのように美術教育に関心を持ち、 「描画の 発達」について多少の「知識」のある人ならば、画 面の上の部分に描かれた形象が、 「頭足人」と呼ば れる「人間」を表わしたものであることは、容易に 解読されるものである。

 次の頁の「作品71は、それがけしておかしな表 現ではなく、「レントゲン描法」によって描かれた

tST,,d :.    作品7

嗣興騨1/

.ノ

4置

っているか、知っていないかということは、

である、解釈を創りだす上で決定的なものとなる。

 とりわけ未熟な描写力しかもたない、子どもたちの表現を理解するた めには、それぞれの発達段階に見られる特命な、描き方の「コード」に ついて知識を持つことは必要条件となるものである。

 こうして、部分的な形象から「解読」された意味が、その全体的関係 性すなわち形象的テクストにおいて、何を語っているかという「解釈」

に生成されるわけであるが、ここで重要な役割を果たすのが、その表現 が生れ出た「場面」や「文脈」としての「コンテクスト」である。

 私たちは絵を見ると、自分の知識によって解読した意味を前提としな がら、最も現実的で一貫性のある「解釈」を創ろうとするが、この時コ ものであることを知る人には、この 絵の意味内容がスムースに理解され るものであろう。

 また「作品8」には3人の人物が 描かれているが、そのうち上の2人 は寝ているのでもなければ転んでい るのでもない。ちゃんと立ってスケ ートをしているのであるが、それが

「展開図描法」と呼ばれるものによ って描かれているため、人物がねか されて、あたかも転んだように見え るのである。

 こうしたことを「知識」として知 っているか、知っていないかという     その後の二次的な意味作用

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ンテクストはr外側から内的な知識に働きかけて、解釈に必要な仮説を 発見する助けをする』重要な手がかりとなるものである。

 このことについてはすでに述べて来たように、「絵の意味作用」、そ の意味でのr絵のコミュニケーション」が、コード依存型のコミュニケ ーションとして余分もなければ不足もない、正確な「機械的な伝達」と は異り、多くをコンテクストに依存するコミュニケーション型として、

受信者が、すなわち絵を見る人が主体的に推論する立場にある、きわめ て「人間的な伝達」であるということなのである。

 そしてこの「コンテクスト」こそ、子どもの絵を理解する上で第二の

「カギ」となるものであり、これが果たす役割については「作品1」に おける意味作用の分析でみて来た通りである。

 また次に示す「作品9」からも、「コンテクスト」が子どもの絵の理 解・解釈にどれほど大きな役割を果たしているか見てみよう。

作品9

 この絵は小学校1年生のもので ある。第三者がこの絵だけを見た 場合、つまり「コンテクスト」が 不在のとき、語るのは「表示」さ れている形象の、直接的な意味作 用である。そしてそこから一次的 意味作用として解読されるのは、次のようなものである。

①大きく腰を曲げた横向きの子どもが、顔は正面を向いて立っている。

②山のようなうねった線が繰り返されて、右はしから左はしまで引かれ ている。③山のようなうねった線の下に接するようにして一本の直線が 引かれている。④その線の少し下にもう一一一 7kの線がある。

 こうした表面的な意味から、その「解釈」である「介在の意味」をつ

むぎ出そうとすると、それは見る人に様々な仮説的推論と、その自由な 解釈を与えることになるのである。

 そのなかにはこんな例もあった。 「水平線の向こうには、遠くの山々 が見える。手前の線は波打ちぎわを表わしている。砂浜に立つ子は水泳 帽をかぶりこちらを見ている」という解釈である。

 たしかに描かれている形象どうしの関係が一一貫性をもって説明されて 納得の出来るものである。 しかし事実はそうではない。

 ここに次のようなコンテクストを参照することによって、解釈は一変

する。

 「体育の水泳指導で、この子は水中で目を開けることが出来るように なった」、このことを参照すると、解釈の手がかりとなる仮説を発見す るのに十分なものがある。

 そしてその仮説の現実性や一貫性が検証されながら、「子どもが立っ ているのはプールの中である。大きく腰を曲げているのは顔のすべてを 水中に入れるためであり、その上の線は水面とその波を描いたものであ る。そして、くぼくプールの中で、目を開けることができるよ!〉」と いう、メッセージとして解釈されるのである。

 以上のように、「子どもの絵」から、その「含意」として共示される ことになる、「子どもの内的世界」にあるものに近づくためには、描画 の発達研究が明らかにする、子どもの描き方の「コード」について知識 をもつことと、子どもの生活に接近して「コンテクスト」を持つこと以 外に道はないのである。

99

1

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8

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 1 1  

       一引用文献および注釈一

「言語学から記号論へ」講座・記号論1 川本・川野他編,1982

(勤草書房)P19〜20 〈言語学と記号論〉 池上嘉彦著 より

「記号論への招待」 池上嘉彦 著,1984(岩波書店) P86〜

同 上  P161〜

同 上  P176〜

「ソシュール」 G・ムーナン/福井・丸山戸戸  ,1970

(大音響書店) P148〜

同 上  P150〜

「児童心理学ハンドブック」 依田・波多野他編 ,1983 P454〜

〈コミュニケ一)gンΦ発達より/「絵の理解と描画」〉佐々木宏子

「芸術の記号論」加藤・谷川 他編 ,1983 (動草書房)

 P?9〜 〈記号と芸術〉から 加藤茂より

S・K・Langer(ランが一)/ Philosophy in a New Key という著作か

ら、加藤の訳によってまとめたものを引用した。

「記号論への招待」 P156〜

同上P76〜78

「絵画の記号学」 ルイ・マラン/篠田・山崎 訳,1986

(岩波書店) P6 A

同 上  P13〜

「記号論への招待」  P140〜

「絵画の記号学」 P123〜 下段 くタブローの読解〉から

「情報の理解」について  「心理学事典」  (平凡社),1981 P808〜 〈理解〉より 内田伸子

一お  わ  り  轟こ  一

 私自身、この考察を通して、いくつかの成果を得ることが出来たと考

えている。

 その一つは、「絵のコミュこケーション」ということについて、それ がどのようなものであるかということを理解できたということである。

 絵は、その意味作用において「明示」するものと、 「含意」するもの とで二重に語っているのである。つまり、絵が表面的な「現前」の意味 と、r非運」の創られる意味からなる、二重の意味構造物として理解さ れるのである。

 そしてその現前の明示された意味から、外在のメッセージを読み取る ということは、形象的テクストにおける形象どうしの、内なる関係と相 互依存を仮説的に推論し、自分なeJに得心のいく解釈を生成するという ことなのである。

 そしてこのとき、 「コンテクスト」が仮説の発見つながる、大変右効 な働きをすることも、見てきた通りである。

 こうしたことから、絵のコミュこケーションは、機械的な伝えるコミ ュニケーションではなく、絵を見る人によって意味が読みとられる、解 釈のコミュニケーションとすることができるのである。

 もう一つの大きな成果は、絵のメッセージと言語のメッセージとを、

記号学的な構造で比較してみると、絵には言語において「辞書」がもっ ている語(記号)のようなものは存在せず、そのつど創られる記号とし ての「形象」であることが確認された。さらに、いわゆる「文法」も絵 がもっている、 「現世性」・空間的配置という統辞の様式の中には存在 せず、一一切はその絵に固右な、形象どうしの「関係性」と「相互依存」

IGI

ドキュメント内 子どもの絵の記号学的考察 (ページ 97-104)

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