b
︐
L.
c
・広の菖己号
記号内容と記号表現が形象の類 似性によって結びついている
丁丁倉旨
1釦」
小学生にrさいころ」を描かせると、(a)のように一つの面をとら え、それを正方形で表わす子もい燕ば、(b)のようにいくつかの面を 関係づけて、展開図のように表わす子もいる。
さらに、(c)のように歪んではいるが、一度に見える三つの面を関
係づけて構成した表現もある。
この他にも様々な表わしかたがあるが、そのどれもこれもが描いた子 どもの内なる象徴機能によって、 「さいころ」という「記号内容(意味 されるもの)」と、そこに描かれた「記号表現(意味するもの)」とが 結びついているのである。 ここに個人的な記号としての「絵の記号」
をみることが出来るのである。
こうした象徴機能を使って子どもたちは、まず、表出したものにその
「意味されるもの」と結びつけ、命名することがることが出来るように なる。しかしこの命名は永続性を持たず、その場かぎりのうつろいやす いものでしかない。描いて表したものが安定した記号機能を持つために は、表したものがいつでも一定の意味作用である表象を喚起させるもの でなくてはならないからだ。
それを助けるのがこの記号の特徴である右縁性である。
象徴としての「絵の記号」は、対象の形態を類似的に形:象化するとこ ろに有縁的性格がある。また、その類似性による意味作用から「意味さ れるもの」の表象を呼び起すことが容易にできるようになり、安定した 記号機能をもつことができるのである。
子どもが描き出すその形象は、自分の生活経験を通して認識している 対象の、形態的(色や形の)類似性においてなされている。
この類似的由縁性は、子どもたち一人一人が自らの生活経験の中から 見つけ出すものであり、何を持ってその有縁的類似性となすかは、まっ たく子ども自身にゆだねられているものである。
従ってそれは対象世界の認識に関わるものとして、子どもが自己中心 的に同化した個人的記号と言え.るのである。
rおとなよりも社会化されていない幼児は、言語のほかに、もっと個人
35
的で、もっと「右縁的」なもう一つの能記の体系を必要としている』3 とピァジェが述べるように、子ども自身の要求のなかから絵の記号は誕 生し、あくまで個別的で個人的なものとして「うぶこえ」を上げるので
ある。
こうして子どもたちは、絵の記号を自分の内的世界から、記号内容と 記号表現が右縁的な「類似性」において、自由に創り出すのである。
以上のように、 「絵の記号1は記号表現と記号内容を象徴機能が「類 似性」によって結びつけられているものと理解されるのである。
先にみた、 「さいころ」の表現の例にしても、さいころの類似性から 子どもたちが見つけ出した形象であり表現法なのである。
またそれが、どのような形象によって表現されたとしても、それらは 子どもの内なる象徴機能によって結ばれている心的実在としての「絵の 記号」なのである。
[絵の記号/理解]
さてそれでは、絵を理解する「読みとり」の場合はどうであろうか。
「さいころ」の例でいうと、自分では一つの正方形でしか表さない、
小学校1年生の子どもでも、いくつかに描かれているさいころの絵を見 せると、自分が描いたものとは異なる透視図的な絵を、ほとんどの子が 選択する。この同一個人における、表現と理解のズレは一体どのように 考えたらよいのであろうか。
それは次のように説明することが出来るであろう。
表現を見る人にとり、そこに描かれている形象は一つの刺激となっ て、その意味内容となる表象を呼びおこす。そのとき重要な役割を果た すのが、この記号の特徴である有縁性、形象の「類似性」である。
ただ一つの正方形が描かれている場合、その形象が持ちうる表象はき
わめて多義的なものであり、その意味内容は曖昧とならざるをえない。
当初その表現をした子ども自身の中では、象徴機能によって意味づけ がなされいても、いったんその表現が子どもの手を離れて、他者が見る ときには客観的な存在としての一つの「正方形」にしかすぎず、その意 味内容を限定して語るものは何もないのである。絵の記号をささえてい
る象徴機能は、それを描くときも、それを読み取るときも、同一個人の なかで働くものであり、それはそのまま他者にまで及ぶものではない。
[絵の記号/理解]
言己号内容
表象される意味内容
(例)さいころ?
(立方体)
pt
dw
e e
言己号表現
表されれている形象
a b c
口
L.
記号内容と記号表現が形象の類Jt・Zの壽己号 似性によって結びついているそ教機倉旨
1
ここに、子どもたちが先に「さいころ」として描いた3つの表現があ る。この中から「さいころはどれ?」と聞けば、ほとんどの子どもたち が、自分の描いたものとは関わりなく透視図的な(c)を選ぶ。
なぜならそれは、さいころの形態との右縁性が高く、形象の類似性が 強いからで、その記号表現から表象されるものは限定されて、その意味
37
内容は類推しやすくなるのである。
透視図的に表現されたさいころは、ただ一つ四辺形で描かれた表現よ り、はるかに右効な刺激となってさいころの表象を呼びおこすことがで きるのである。このことからも対象の類似性を部分的に釦り取った自分 と同じ表現があったとしても、全体的リアリティーのある類似性の高い 表現があれば、それを選ぶのは当然のことであろう。
このように、子どもの表現やその理解のズレの問題は、「記号表現
(形象の類似性)」と「記号内容(意味作用)」とを結びつける象徴機 能が、r心的なのりものから物的なのりものへ』と働くのか、またr物 的なのりものから心的なのりものへ』働いているのかという方向性の違 いと、そこに子どもの描写能力(表現技術)が関与した問題であると説 明されよう。
[絵の記号とその社会化]
「絵の記号」は本源的には個人的記号として、本人が自分のために扱 うものであることを述べてきたが、またピアジェによればr(個人的記 号である)象徴は、社会化されうることもあきらかだ。このばあい、集 団的象徴は、一般に、半記号・半象徴だといえる。』とも語る。
たしかに個人的な絵の記号も「社会化』して、社会や集団で共通に使 用される半記号的表現や表現法があることも事実だ。
橋爪はr制度としての遠近法』で次のように述べている。
r中世絵画とルネサンス絵画を分かつ最大のものは、3次元的空間把 握の導入、なかんずく、遠近法の確立である。遠近法は、第一義的には 数学的な画面構成の技法にちがいない。だがそれは、広いいみでは、わ れわれの絵画表現を規定する圧倒的な制度となったのである。
遠近法は、対象のリアルな表現を可能にするもののようである。
しかし、なにをリアルとみるかは、あらかじめ定まっていない。遠近 法の開始は、だから、ある種のリアリティの開始なのである。』5 こうした、遠近法(透視図法)などの表現は、社会がその時代ととも
に持っている「表現法」であり、様式化した半記号的表現といえるもの である。言いかたをかえるならば、人間が絵を描いてきた歴史のなかで 発見し獲得してきた表現法があり、それはまた、絵を見る者の姿勢も、
歴史的に形成されてきた文化の中に存在しているということでもある。
従ってそこには、個人の工夫や創造によって表す個人的記号というよ り、学習によってその表しかたを修得するような、集団的記号としての 性質を持ったものが、絵の表現にもあるということを屡なければならな
い。 (もっとも子たちは、生れながらにしてその視覚文化の中に住ん で、学習を続けているのであるが… 。)
さて絵の記号についてまとめることにしょう。
「絵の記号」とは「記号内容」と「記号表現」とが有縁的な「類似性」
によって結ばれている「個人的記号」である。
特定の個人がみずからの体験をとおして、対象の形態的類似性を見つ け出して表し、その意味内容とを結びつけたこの記号を創造し、自分の ために使用しているものである。
また、絵の記号が「社会化」し半記号的なものとして、社会(地域)
がその時代性において、「文化」として持っている「様式化した表現 法」があるのも事実である。
39
一 引用文献お語注釈
1 「記号学入門」 G・ムーナン/福井・伊藤・丸山 訳,1973 (大修館書店)P285〜 〈絵画と言語(ランガージュ)〉より 2 「話せること・聞けること」 森田 孝 (大阪大教授)
〈児童心理〉 ,IS86・2/Vo140−2 P200よe (金子書房)
3 記号の分類については、 r「類似記号(イコン)」、 「指標記号(Oデック ス)」、 「象徴記号(シン翻)」という記号の分類は、今日では常識とな り、7xe 一一スの思考の本来の難解さと無関係にもっとも普遍的な公理の ような扱を受けているまでになっている。<記号学研究・5から「日 本における記号学の動向(1)P266より」平井正/1985年〉』という状 況がある。
こうした記号論の立場に対し、フランスの記号学者ムーナンはTア メリカの言語学や心理学では、以下のところで記号と呼ぶことになる ものをくシンボル〉と呼んでおり、われわれが象徴と呼ぶものはく図 像的記号〉あるいはく図像〉と呼んでいる。・・…まるで必要のない ものだ。〈「言語学とは何か P46よep」福井他訳/1970年〉』と述 べる記号学からの見解もある。
本考察では後者の立場をとる。
4 「思考の心理学」 ピアジェ/滝沢武久 訳 ,1968 (みすず書房) P115 〈思考とシンボル機能〉 より 5 「記号学研究・5」 日本記号学会編 ,1985 (北斗出版)
特集く芸術の記号論より/間身体的作用としての芸術形式>
P82〜 橋爪大三郎