シャウプ勧告誕生史
著者
高橋 志朗
雑誌名
東北学院大学論集. 経済学
号
83
ページ
113-136
発行年
1980-09-30
URL
http://id.nii.ac.jp/1204/00024261/
シ ャ ウ ブ 勧 告 誕 生 史
( T h e
history of the
birth
of
“Report
on Japanese Taxation by the Shoup
Mission”)
高
橋
志
朗
日 次 l は じ め に 2 明治維新政府の財政的基確の確立 3 戦争のための税制一
前期 日清・
日露戦争 4 戦争のための税制一
後期 第 1 次・
第2次世界大戦 5 戦後財政の立て直し 6 ド ッ ジ・
ラインと税制改革の必要性 7 お わ り に1
.
は
じ
め に
わが国現代税制の原点は昭和24年 (1949年) にシャ ウ プ 使 節 団(Shoup
Mission)によって発表された「
シャウプ使節団日本税制報告:書」
lReport on
Japanese Taxation
by
theShoup
Mission,以下では「
シャ ウ プ 勧 告」
と略称する。
) に 求 め る こ と が で き る。
シャ ウ プ 勧 告 に基づいて昭和25年 (l950年)に実現されたシ ャウプ税制は,
わが国の税制史上画期的な改革 として重要である。
そ れ ば か り で な く,
現行税制を検討する場合,
シャ ウ l プ動告は比較されるべき1つの規範を提供してくれる点でも意義深い。
一
方,税制はそれぞれの時代の社会的要請を反映する。
と り わ け,
わが国の 税制は社会的要請に応じて大きく変化してきた。
こ の よ う な 観 点 に 立 つ 時, いかなる社会的要請の下にシャ ウ プ 勧 告 が 登 場 し た の か が 間 題 と な る。
本稿の日的は,
この間題をシ ャウプ勧告登場までのわが国税制の展開-
l13-
lシャウプ動告護生史 と結びつけて明らかにすることである
。
本稿では考察の出発点を明治維新に求めた。
そして, 明治維新以降シャ ウプ勧告発表前夜までの期間を, 税制に対する社会的要請の変化に従つて 3期に区分することを試みた。
第l期は明治維新政府の財政的基礎を確立 す る た め に近代税制が創立された時期であり,
こ れ を 第 2 節 で 取 り 上 げ た。
第2期は日清戦争,
日露戦争,
第l次世界大戦,
第2次世界大戦など の戦争遂行のために税制が利用された期間である。
この第2期は論述の長 さの便宣上,
第 3 節 と 第 4 節 の 2 節 に 分 け て 取 り 上 げ た。
第 3 期 は 第 2 次 世界大戦の敗戦直後の時期であり,
財政の立て直しのために税制改正が行 なわれた期間である。
これは第5節で取り上げた。
このような区分に従つ て税制の変選を述べた後に,
税制改革が何故必要とされるに至
つたのか,
さ ら に,
その税制改革にはどのような社会的要請が存在したのかを第6節 で明らかにする。
2
.
明治推新政府の財政的基礎の確立
慶 応 3 年 ( l 867年),
徳川氏は大政を奉還し明治維新政府が発足した。
初期の維新政府は少数の落の連合政権でしかなかった。
財政的に見ても政 府の主な財源は,
旧幕領から徽収しうる地組であった。
近代的な統一
国家 体制が成立するためには,
強固な財政的基礎が必要とされる。
明治維新政 府 も,
その財政的基礎を確立するために,
それまで諸落に分散されていた 組税徴収権を中央政府に集中する必要があった。
明 治 4 年 ( l87l 年 ) に 行 なわれた廃落置県は組税徴収構の中央集中を意味するものであり,
明治維 新政府の財政的基礎の確立にとって重要な意義を持つものであった。
それ と と も に,
次に述ぺる一
連の地租改良事業の前提となった点においても廃 落置県の持つ意義は大きい。
明治6年(18「3年) ,地組改正条例が公布された。
当時の経済発展段階 では間接的消費税や関税などによる税収は期待しえなかったため,
明治初 期の税制改正は地組を中心にして行なわれることになった。
この年の地組 2-
l l 4-シャウプ勧告護生史 改 正 条 例 は 次 の よ う な 内 容 の も の だ っ た
。
1 課税標準 旧 地 租 は 土 地 の 収 種 ( 石 高 ) が 標 準 と さ れ て い た が , こ れが改正され, 土 地 価 格 に 応 じ て 課 税 す る こ と と さ れ た。
この地価は土地 l 年 の 収 益 を 見 積 り,
各 地 の 慣 行 の 利 率 に よ っ て 除 す こ と に よ っ て 算 出 さ れた。
表1 明 治 5 年 ・6年度における政府一
般会計歳出に対する地程収入の力パ一
率の変化 年バ
目 政府一
般会計歳出 (千円) 57,7:
30 地 組 収 入 (千円) カ パ-
率 (%) 明 治 5 年 20,052 35 明 治 6 年 62,679 60,604 97 大蔵省百年史編集室編「
大蔵省百年史 別書」
昭和44年より作成 2 税率 従来の地租では5公5民, 4 公 6 民 な ど 各 瀋 に よ っ て 様 々だ ったのが, これが全国的に百分の3の定率とされた。
3 収益物件 従来の現物納が廃止されて,一
律 に 貨 幣 納 と さ れ た。
4 納税義務者 地 券 の 交 付 に よ っ て 確 認 さ れ た 土 地 所 有 者 と さ れ た ( 注 l )〇 この改正の結果, 政 府 の 歳 出 総 額 の ほ と ん ど が 地 組 納 入 に よ っ て カ パ ー さ れ る こ と と な り , 明 治 維 新 政 府 の 財 政 的 基 礎 が 固 ま っ た ( 表 l 0 照 )。
さ ら に,
貨 特 納 が 義 務 づ け ら れ た こ と に よ っ て,
貨鴨:経 済 に 適 応 し う る 財 政 機 構 が こ こ に 初 め て 確 立 さ れ た。
明治l1年(1878年)には地方税規則が公布された。
地方税規則では, 府 県が徴収しうる税目は地租5分の1以内, 営業税および雑種税,
戸数割り の 3 税 目 と さ れ , 郡 区 町 村 の 費 用 は 地 価 割 り , 反 別 割 り , 戸 別 割 り (府県 税に付加), 営 業 割 り ( 府 県 税 に 付 加 ) 等 の l日習にしたがって徴収勝手とさ ( 注 1 ) 地券は土地の所有組の確認と地価の決定を目的と して,明治4年(187l 年) l2月以降交付された。
-
l l 5-
3シャウプ勧告誕生史 れた
。
地租改正条例と地方税規則の公布は,
わが国近代税制確立への第1 歩 を 標 す も の で あ っ た。
さ ら に, 明 治 2 1 年 ( l 8 8 8 年 ) の 市 町 村 制 , 明 治 2 3 年 ( 1 8 9 0 年 ) の 府 県 制 の 公 布 に 伴 い, 地 方 税 制 は 次 の よ う に整備された。
ま ず , 府 県 税 につ い て は 独 立 税 と し て 営 業 税 , 雑 種 税 , 戸 数 税 ( ま た は 家 屋 税 ) , 国 税 付 加 税 と して地租割,所得税付加税が設けられた。
市町村税 につ い て l;t,
独立税として段別税およびその他の特別税が, 府県税付加税 と し て 戸 数 税 ( ま た は 家 屋 税 ) , 営 業 割 が , 国 税 付 加 税 として地租割,所 得税付加税が設けられた。
こ う し て , 地方財政の基礎が確立された( 注 2 )。
明 治 1 7 年 ( l 8 8 4 年 ) に は 地 租 条 例 が 制 定 さ れ , 地 租 は 法 定 地 価 の 2 . 5パ ーセ ン ト に固 定 さ れ た。
明 治 l 8 年 ( l 8 8 5 年 ) か ら 明 治 2 1 年 ( 1 8 8 8 年 ) ま で 帳薄図面と実際との異同を調査する地押調査が行なわれた。
明治22年 (18 89年) には地券が廃止され, 土地台帳に登録された地価力、
法定地価とされ た。
同 年 8 月に は 田 畑 地 価 特 別 修 正 ( 減 税 ) が 行 な わ れ た。
この頃に な る と間接消費税が地租に代わって重要性を増してきた。
と り わ け,
酒造税則 が明治13年 (1880年) に制定され, それ以降収入が増大して行つ た。
明治 1 5 年 ( 1 8 8 2 年 ) と 明 治 l 9 年 ( l 8 8 6 年 ) に 自 家 用 酒 造 制 限 の 強 化 が 行 な わ れ た。
酒税以外の間接税としては,関税, た ば こ 税 , しょ う ゆ 税 な ど が 重 要 性を増して行つ た( 注 3 )。
さ ら に, 明 治 2 0 年 ( l 8 8 7 年 ) に は, 直 接 国 税 と し て所得税が新設された。
この所得税は, 法人以外の個人の資産および営業 から生ずる年間3百円以上の所得に対して, そ の 所 得 を 5 等 か ら l 等 ま で 分類し,総合所得申告納税方式に よ る 1 パ ー セ ン ト か ら 3 パーセ ン ト ま で の累進税率で課税を行なうものだった。
明 治 2 2 年 ( l 8 8 9 年 ) に は 大 日 本 帝 国 憲 法 が 制 定 さ れ た。
その中では, 次 の よ う に 租 税 法 律 主 義 が 謳 わ れ て い る。
( 注 2 ) しかし, 当時においては住民の担税能力が一
般に乏しく, これ以降シ ャウプ税制の実施までの間,町村財政は窮乏してゆくことになる。
( 注 3 ) この時期の租税収入の6割あまりは地租, 2 割 あ ま り が 酒 税 に よ る も のであった。
尚 , < わ し く は「
明治大正財政詳覧」
(東洋経済新報社,昭和 2 年 ) を参照されたい。
4-
116-シャウプ動告震生史
「
日本臣民ハ法律ノ定ムル所二従ヒ納税ノ義務11'
有ス」
(第2l条)「
新=
・組税ラ課シ又税率
1
l'
変更スルハ法律ヲ以テ之
'l'
定 ムへ
シ」
(第62
条)「
現行ノ組税ハ更二法律ヲ以テ之ヲ改メサル限ハ旧=
依 リ之
ヲ徴収ス」
(第63条) こ う し て,
わが国の税制は意法によって保障されるものとなった。
こ こ において初めて,
わが国における近代税制の成立を見ることができる。
そして,
その構造は地組と酒税を中心としたものであったところに特徴があ る。
明治22年には,
さ ら に,
国税徴収法も発布され, 組税の成課および徴 収に関する規定が定められた。
組税徴収権の中央集中を意味する廃落置県に始まり,
地組改正条例の公 布,地方税規則の公布,
所得税の新設, そして,大日本帝国窓法の制定に よる租税法律主義の表明が行なわれた明治維新以降日清戦争勃発前夜まで の時期は,
わが国における近代税制の創立期であった。
こ れ は,
また,
明 治維新政府の財政的基礎の確立をも意味している。
3
.
戰争のための税制
一
前期
日清
・
日露戰争
明治27
年 (l894年) から翌28年にかけて日清戦争が起つた。
さ ら に,
そ の後日本は軍備拡張と製鉄所創立,
鉄道経営,
通信事業の拡張などの戦後 経営に費用を必要とした。
これらの財源を確保するために,
この時期には 3回に渡つて税金の増徴と新税の設置が行なわれた。
まず,
明治29年(l896年)に第l回日の増税が行なわれた。
こ れ は,
国 税営業税の新設,登録税の新設,
酒造税法の制定,業たばこ専売の実施等 を中心とするものであった。
明治32年(l899年) に行なわれた第2回目の 增税は,地組税率の2.
5 パ ー セ ン ト か ら 3.
3 パ ー セ ン トへの引き上げと酒 税, し
ょ う ゆ 税,業たばこ専売等の増収,
印紙税の新設等の消費税の増徴 を 中 心 と し た も の で あ っ た。
この結果,
明治32年度の酒税収入は4千8百 91万8千円となり,
地租収入(4千4百86万1千円) を抜いて組税収入の-
l l 7-
5シャウプ勧告疑生史 第 l 位 を 占 め る に至つ た( 注 4 )
。
また,
同年には所得税の改正が行なわれ,
所得が法人・利子・ 個人の3種に区分され,
法 人 も 課 税 対 象 と さ れ る こ と に な っ た。
個 人 所 得 に は 1 パ ー セ ン ト か ら 5 . 5 パ ーセ ン ト ま で の 累 進 税 率 が 適 用 さ れ る こ と と な っ た一
方, 法 人 所 得 に は 2 . 5 パ ー セ ン ト の 比 例 税 率 が適用され, 中国大陸はじめ在外地企業は免税とされた。
さ ら に,
配当所 得 も 免 税 と さ れ , 公 社 價 の 利 子 に は 2 パーセントの源泉課税方式が採用さ れた。
明治34年(1901年)に行なわれた第3回目の増税は,
酒税の増徴,
ビール税および砂糖消費税の増徴等で, 消費税のみを対象としたものであ ったo 明 治 3 7 年 ( l 9 0 4 年 ) か ら 翌 明 治 3 8 年 ( l 9 0 5 年 ) に か け て 日 露 戦 争 が 起つ た。
明治37年3月政府は戰費の財源に充てるため大幅增税を提案し, この 提 案 は 識 会 の 協 費 を 得 て 同 年 4 月 1 日 か ら 実 施 さ れ た。
この増税計画は「
非常特別税法」
と呼ばれた。
非 常 特 別 税 法 の 実 施 に よ っ て 地 租 , 所 得 税 , 営 業 税,
酒税,砂糖消費税,
し
ょ う ゆ 税 , 登 録 税 , 取 引 所 税 , 狩 猟 免 許税, 鉱区税および各種の輸入税が増徴され, 毛織物消費税と石油消費税 が 新 設 さ れ た。
また, 国 の 財 源 を 確 保 す る た め に地方税の付加税が制限さ れた。
この結果,地租付加税は府県が百分の60,市町村が百分の40と さ れ れ,営業税付加税は府県が百分の10, 市町村が百分の35とされた。
地方税 については明治41年(1908年)に「
地方税制限=
関スル法律」
が公布され て 強 い 規 制 が 行 な わ れ る よ う に な っ た。
このことは地方財政第乏の一
因 と な っ た。
さ ら に, 政 府 は 明 治 3 7 年 ( 1 9 0 4 年 ) l 1 月に 第 2 次 増 税 計 画 を 提 案 し , こ の 計 画 は 非 常 特 別 税 法 の 改 正 と い う 形 で 翌 年 の 1 月 1 日 か ら 施 行 さ れ た。
こ の 改 正 に よ っ て , 地 租 , 所 得 税 , 営 業 税 , 酒 税 , 砂 糖 消 費 税 , 登 録 税 , 取引所税,狩猟免許税,
鉱 区 税 , 売 薬 印 紙 ( 営 業 ) 税 , 印 紙 税 お よ び 各 種 の輸入税が増徴され,
小切手に対する印紙税,砂金採取地税, 通 行 税, 毛
( 注 4 ) 大蔵省百年史観集室編「
大戴省百年史 別巻」昭和44年 l91頁参照 6-
l l 8-シャウプ動告震生史 織物以外の機物に対する消費税
,
蘭,
米, 初 に 対する輪入税が新設され た。
これらの増税は臨時的なものとして実行されたが, こ れ と は 別に恒久 税 と し て 相 統 税 が 新 設 さ れ , 明 治 3 8 年 ( l 9 0 5 年 ) 4 月 l 日 か ら 施 行 さ れ た。
このような増税の結果,
日露戦争中の国民の組税it
担は大幅に増加し た ( 表 2 参 用 )。
第1次増税では総額6千2百20万円が増徴された。
その内訳 は地a
が38.
4 パ ー セ ン ト,
砂糖消費税がl3.
2 パ ー セ ン ト,
たばこ専売益金 が l 3.
6 パ ー セ ン ト で あ り,
こ の 3 者 の 合 計 は 4 千 6 l 万 円 と な り,
全体の65
.
2 パ ー セ ン ト に 達 し て い た と い う( 注 5 )。
第2次増税計画においても総増 収計画額のうちの4分のlに相当する千8百64万円が地組の増徴によるも の で あ っ た と い う( 注 6 )。
第 l 次 , 第2次の非常特別税による増収は主
に地 組の增徴によるものであったことが,
これらの数字から明らかである。
さ ら に,
第l次増税における地租の増収予定額の内訳は市街宅地分8.
6 パ ー セ ン ト,
郡村宅地分l6パ ー セ ン ト で あ っ て,
残 り のl
5パーセントは宅地以 外の土地(主として農地)の分であり,
第2次増税においても市街宅地分 24パーセント,
那村宅地分12パーセント,
その他の土地64パーセントであ っ た と い う( 注 7 )。
こ の よ う に,
地組の增徴は主
に農民と地主によって費担 されていたのである。
こ の こ と は 日E
戦争中に行なわれた2度の増税が,
主にこれらの人々によって費担されたことを意味している。
非常特別税法は明治39年(l906年)12月をもって廃止される路時税とし て施行された。
しかし,
政府は,
その経費の膨張に鑑みて明治39年3月に この法律を改正し, 非常特別税を恒久税にした。
これに伴つて税制の整理 が計画された。
明治4l年(l908年) l月に提案された第1次組税整理案は 發会によって否決されたが,
明治43年 (l910年) に提案された第2次租税 整理案は一
部修正を受けたものの可決された。
この結果, 地組,
営業税,
相続税,
総物消費税,売集営業税,
砂鉱区税,登館税,
取 引 所 税,
狩 斑 ( 注 5 ) 開 雄 著「
財政史」
東洋経済新報社 90買 ( 注 6 ) 同 上 書 9 0~
9 l 買 ( 注 7 ) 同 上 書 9 l 買-
l lg
-7シャウプ動告震生史 税
,
印紙税等が減税された。
と り わ け,宅地地組の定率が地価の2.
5 パ ー セ ン ト,宅地以外の地組が4.
7 パ ー セ ン ト と さ れ る一
方,宅地地価が修正 さ れ て 4.
4倍引き上げられた。
この改正による減税は結局,
平年度分で千 6百22万円であり,
その約4分の3は地組,
営業税,
相続税の減税による も の で あ っ た と い う( 注 8 )。
さ ら に,
この租税整理の結果, 地方税につ
いて は地組の本税が改正され宅地地租の大幅な増税となったため,
地租付加税 の制限率が宅地に 対 す る も の と 田 畑 に対 す る も の と,
その他に対するもの と 3 種 に分類され,
異なる税率が設けられた。
また,
第2種所得税に対す る付加税が廃止され,
国税の付加税については,
本税の改正によって地方 税の税額に著しぃ
影響を与えないように制限率が改正された。
大正2年 (l9l3年) には所得税が改正された。
前述の租税整理では定率 と非常特別税による税率とを合計したものが多くの税日の改正税率とされ ていて,
所得税と営業税においてとりわけ不評をかっていたためにこの改 正が行なわれた。
この改正の結果,
法人所得は甲・
乙
に分類され,
合 名,
合資会社を含む甲に対しては第3種所得税と と も に超過累進税率を通用し
,
20人以上で組機される株式会社,
株式合資会社,
その他の法人を含む乙
に対しては比例税率を適用することとされた。
また,
第3種所得税につ
いては免税点を4百円に引 き 上 げ る と と も に,
動労所得と小所得に対する 控除額を設けた。
大 正 3 年 ( 1 9 l 4 年 ) にも田畑地租, 営業税,
相統税の税 率が引き下げられた。
一
方,
関 税 については明治39年(l906年)に関税定率法が改正された。
この結果,
報復関税の規定が設けられ,
また,
免税品目も拡張され,
税表 の配列の簡素合理化および従量課税の原則が採用された。
こ う し て,
第 l 次非常特別税の施行以前においては全輪入額の9.
7 パ ー セ ン ト で し か な か った関税収入は,
この改正で15パーセントまで上昇したという( 注 9 )。
明治 43年(l910年)には広範な税率改正が行なわれた。
これは,
当時まで残さ ( 注 8 ) ( 注 9 ) 8 書e
上 上 同 同 l l 6 買 l l 7 買-
l20-シ ャウプ動告襲生史 れ て い た イ ギ リ ス , フ ラ ン ス , ドイツ等の国々との協定税率の期限が明治 44年(191l年) 7 月 で 切 れ る こ と に よ る も の で あ っ た
。
この改正では原料 品には免税または軽報を行なう反面, 完成品の特定のものは重藤するとい う , 国内産業を保發する立場に立つものであった。
表 2 国民所得に対するa
税a
組率 (国税・
地方税合計) (質料) 昭和元年(l926年) までは,
国税庁「
国税庁統計年報書 第100回配 念号」
(昭和5l年)59買,それ以降は,大蔵省財政史宣組「
昭 和 財 政 史 終 戦から講和まで l 9 統 計」
東津経済新報社昭和53年269買 近代税制の創立期であったl890年前後と日露戦争終了時のl905年とでは 組税負担率が大きく異なっている( 表 2 0照 )。
これは戦争遂行のために増税 が行なわれた結果である。
また,
日露戦争終了後もしlf ら く の 間,
高 いa
税負担が続いている。
これは前述の税制整理にもかかわらず,
基本的には 戦争遂行のための税制が維持された結果である。
-
l 2 l -9シャウプ動告震生史 表 3 大正3年から7年までの国の財政規換の推移 単位:千円 年
X
-
般 会 計 734648 特 別 会 計 合 計 大 正 3 年 859,543 1,594,191 ″ 4 ″ 708,6l6 899,570 1,608,186 ″ 5 ″ 813,309 993,097 1,420,469 2,057,387 1,806,406 ″ 6 ″ l,084,958 1,479,1l6 2,505,427 ″ 7 ″ 3,536,503 ″ 8 ″ 1,808,633 2,688,589 4,
497,222 大蔵省百年史編集室編「
大蔵省百年史 別著」
昭和44年より作成4
.
戦争のための税制
一後期 第
1
次 ・
第
2
次世界大戰
大 正 3 年 (1914年) か ら 大 正 7 年 (1918年) に か け て 第 1 次 世 界 大 戦 が 起つた。
大戦中には軍備の拡張, 製鉄所の拡張,
鉄道の建設と改良等の政 策 を 行 な う 経 費 を ま か な う た め に 財 政 が 急 速 に 膨 張 し た ( 表 3 参 照 )。
そ こ で,
大正7年には所得税と酒税が増徴され,
戦時利得税も新設された(注1o
)。
大 正 6 年 (1917年) に す で に地租収入を抜いて租税収入の第1位を占めてい た所得税収入は, こ れ 以 降,
酒 税 収 入 と と も に 租 税 収 入 の 中 心 と な っ た ( 注 1 l )〇 大 正 9 年 ( 1 9 2 0 年 ) に 恐 慌 が 起つ た。
こ れ は, 翌 年 に か け て 起つた世界 恐慌の発端となった。
これに対して政府は,
社会政策として減税を内容と した税制改革を行なった。
まず,
大 正 9 年 に は 所 得 税 が 次 の よ う に 改 正 さ れた。
1 第 1 種 所 得 税 ( 法 人 所 得 税 ) に つ い て は 株 式 会 社 と 合 名・
合資会社 (注10) 戦時利得税は戦時中の盛時税であり, 法人については戦時の所得金額 が平時の平均所得金額を2割以上超過した場合, 個人についてはその所得が 大正2年(1913年)以前2カ年の平均所得額を2割以上超過する場合,法人 については20パーセント,個人については15パーセントの税率で認された。
( 注 l l ) 大蔵省百年史組集室編「
大:
識省百年史 別巻」昭和44年 192頁参照 10-
122-シ ャウプ動告整生史 の差別課税が廃止され
,
新に法人所得が超過所得,
留保所得,
配当所得,
清算所得の4種に分類され,
これに 別 々 の 税 率 が 適 用 さ れ る こ と と さ れ た o2
第 2 種 所 得 税 ( 利 子 所 得 税 ) について銀行定期預金利子も課税対象 と さ れ た。
3 第 3 種 所 得 税 ( 個 人 所 得 税 ) に つ い て は,
まず,
法人から受ける配 当 お よ び 賞 与 の 6 割 が 個 人 所 得 に 総 合 さ れ る こ と と な り,
さ ら に,
税率も 改正されて,
小所得に対する税率が低められ大所得に対する税率が高めら れ る と と も に,
課 税 最 低 限 が 4 百 円 か ら 8 百 円 に引き上げられ扶養控除も 設けられた。
しかし,
大正9年にはこのような所得税の減税が行なわれる一
方で,
酒 税の増税が行なわれた。
この結果, 大衆が消費する酒類にも巨額の税が課 さ れ る こ と に な り , そ れ に よ っ て , この改正の社会政策性は相設されるこ と と な っ た(注l2)。
大正15年には次のような内容の本格的税制改革が行なわれた。
l 所得税の改正 留保所得,配当所得の2つが廃止され,
第 l 種 所 得 が普通所得,超過所得の2種類に整理された。
同時に,
第3種所得税の免 税点が千2百円に引き上げられ,
扶養控除も引き上げられた。
2
相続税の免税点が引き上げられた。
3 地組の改正 課税標準が地価から賀貸価格に変更され, 賃 貸 価 格 2 百円未満の小農地が免税とされた。
4 営業税が廃止され,新に営業収益税が設けられた。
従来の営業税で は課税標準は資本金額, その他外形標準であったが, この営業収益税では 各営業の純益が課税標準とされた。
一
5 資本利子税が新設された。
(注12) 大正8年度と9年度とでは所得税収入がl93,
l48千円からl90,344千円へ
減少する一
方.
酒税収入は137,627千円からl63,896千円へ
増加した。
大a
省百年更a
集宣a
「
大蔵省百年史別管」
用和,t4年 l92買-
l23-
l lシャウプ動告震生史 6 編織物に対する消費税が免除され,通行税, し ょ う ゆ 税
,
売薬税等 が廃止された。
このような大正15年(1926年)の改正によって直接税は所得税を中心と し,
相続税以外に地組,
営業収益税, 資本利子税を補完税とする体系に整 備 さ れ た。
また, この改正では小所得者を保發し担税能力に応じた税制を 目 指 し た 整 理 が 行 な わ れ た と こ ろ に 特 徴 が あ る。
こ う し て,
所得税制は明 治32年の改正に続いて大正15年の改正に よ っ て一
段 と 整 備 さ れ る こ と に な った。
しかし, 大正15年の改正では通行税などの若干の間接税が廃止され る一
方で酒税, 関税が引き上げられ,
清涼飲料税も新設されている。
こ の 結果, 大正15年の改正では大正9年と同様に,
その社会政策性が相殺され る こ と に な っ た(注l3)。
一
方, 地方財政は継続的に膨張し続けていたにもかかわらず・ 地方税収 の強化はいっこうに進まず巨額の地方價が累積していた。
こ の よ う な 地 方 財政の困第に対して政府は大正8年(1919年)と大正9年(1920年)におい て地方団体の主要財源だった国税付加税の制限率の引き上げを認めた。
し かし, 実際には当時における各地方団体は,
新に引き上げられた制限率を 超過する増徴を行なった。
さ ら に,
地方団体の独立税においても無秩序な 乱徴が行なわれていた。
課税の不合理, 負担の増大および細民重課が発生 していた。
このような地方税制の実情を背景にして,大正15年(l926年) には次のような地方税改正が行なわれた。
1 府県税として家屋税が設けられ, 市 町 村 に こ れ に対する付加税が認 め ら れ た。
2 戸数割が市町村税とされた。
3 営業税および雑種税の税目が整理された。
4 府県に特別地税が設けられ, 市町村にはこれに対する付加税が理め られた。
(注13) 組税収入総額は大正14年度で894,809千円, 15年度で887,,020千円とな り,減税幅は小額となっている。
l 2-
l24-シャウプ動告整生史
5
市町村の所得税付加税が原則として廃止され, 府県付加税の制限率 が引き上げられた。
昭 和 6 年 ( l 9 3 l 年 ) 9 月 , 満 州 事 変 が 起つた。
これ以降,
国際不安にも とづく軍事費の増加のために増税がくり返された。
まず,
昭和l0年(1935 年)に臨時利得税が設けられた。
昭和l2年(l937年)には臨時組税増徴法 が制定された。
同年には日華事変が起つたため北支事件特別税法が制定さ れ,
さ ら に,翌昭和13年(l938年)には支那事変特別税法が制定された。
昭和l4年 (1939年) には特別税法改正が行なわれた。
これらの立法を通じ て直接税および間接税各種の税日の新設および税率の引き上げが行なわれ た。
しかし,
この程度の増税では十分な税収を確保することが困難であっ た た め,
戦時の経済構造に適した税制改正の必要性が生じた。
この改正は 昭和l5年 (1940年) に次の日標を掲げて行なわれた。
1 中央, 地方を通じa
担の均衡を計ること。
2
経済諸政策との調和を計ること。
3 収入の増加を計るとともに弾力性のある税制を樹立すること。
4 税制の簡易化を計ること。
この改正の特色は,
まず, 国税では所得税の構造が変更されて分類所得 税と総合所得税の2つにされ,
法 人 税 が 所 得 税 か ら 分 離 さ れ た こ と で あ る(注l4)。
分類所得税では所得の種類に応じて異なった比例税率が通用され る反面,
累進税率が適用される総合所得税では最高税率が65パ ー セ ン ト に 押えられた結果,必要な税収分は,
主として,分類所得税の税率引上げに 求 め ら れ た。
つ ま り,
この体系のもとでは税源は従来より低い所得属に求 め ら れ る こ と に な っ た の で あ る。
さ ら に,
この体系では免税点の引き下げ が行なわれており,
所得税は大兼課税的性格を帯びることになった。
これ (注l4) 分類所得税とは所得をその性質により.
不動産所得, 配当・
利子所得, 事集所得.
動旁所得, 山林所得,退職所得の6種に区分し,費担力に応じて 税率に差等を設け成解するものであった。
一
方.
総合所得税とは各種の所得 を総合して, 所得金額の一
定金額を超える部分に対して果造税率 (最低百分 のl0, 最高百分の65)により日理するものであった。
-
l25-
l 3シャ ウ プ 動 告 離
l
三史 以外に所得税では分類所得税の源泉徴収制度が採用され,
現金,
公社價の 利子の総合驟税の際に40パーセントの控除と源泉選択制度が探用された (注lS)。
また,
法人税では法人の各事業年度の所得,
清算所得および資本金 に比例税率の法人税が威課され,
従来課税されなかった産業組合等の特別 法人にも特別法人税が成課された。
次に,
地方税では臨時地方財政補給金制度が廃止され,
新に地組,
家屋 税および営業税等の還付税と所得税,
法人税,
遊異欲食税および入場税の一
部の配付税からなる地方分与税制度が創設されたこと,
戸数割が廃止さ れ市町村民税が創設されたこと,
所得税および法人税に付加税が認められ なくなったこと等が主な改正点である。
この昭和l5年の改正による組税体 系は,
昭和25年(l950年)のシャウプ税制の成立まで基本的には維持され た o 昭 和 1 6 年 ( l 9 4 l 年 ) l l 月,
酒税,
遊異飲食税などの間接税が増税された 後,
12月8日に日本は第2次世界大戦に突入した。
大戦中には,
増大する 戦費の財源に充てるために毎年增税が行なわれた。
昭和l7年 (l942年) に は所得税などの直接税を中心に增税が行なわれた。
翌昭和l8年 (l943年) には酒税,
物品税などの間接税を中心に して増税が行なわれた。
同年には 納税施設法が制定され,
民間に発達してきた納税組合が徴税の補助機関と して動員され,
徴税の強化が計られた。
昭和l9年(1944年)には直接税,
間接税の全面に渡つて戦時最大の記録的増税が行なわれた(注l6)。
こ う し て,
国全体をあげて戦争に投じた結果国家財政の比重が増大し, は と ん ど の税目が国税とされてしまい,
わずかのものが地方税として残されるにす ぎな く な っ た(注l7)。
こ こ に,
戦後において地方税制の改正が行なわれるべ (注l5) この制度は利子支払いを受ける者の選択によって.
分類所得税の他に 総合所得税の分まで源泉敏収の方法で.
一
定の比例日l税を受けることができ る費本a
a
制度であると考えられる。
(注l6) 用和18年度の税収は8,455,l56千円だったのに対して.
昭和l9年には 税収はll,
437,366千円となった。 大蔵省百年史a
製宣極「
大 開 百 年 史 別管」
昭和44年 l33買 (注l7) 戦前(用和9~ll年度)における国税取入と地方税収入の比率は65約 l 4-
l26-シ ャウプ勧告誕生史 き 必 要 が あ っ た
。
他方, 軍事産業に対 し て は 税 の 減 免 措 置 が と ら れ , その適用範囲も拡大 さ れ て い っ た。
昭和13年 (l938年) に臨時租税措置法が制定され, 減免税 措置が初めて規定され, 次 い で , 翌 昭 和 1 4 年 ( 1 9 3 9 年 ) に は こ れ が 拡 大 さ れた。
昭 和 l 5 年 , 昭 和 1 7 年 ( l 9 4 2 年 ) , 昭 和 l 9 年 ( 1 9 4 4 ) , 昭 和 2 0 年 ( 1 9 4 5 年) にそれぞれ行なわれた税制改正では重要産業に対する減免税措置がと ら れ た。
と り わ け,昭和20年6月の戦時緊急措置法によって税の特別措置 について政府は, 他 の 法 令 と 関 係 な く 臨 様 の 措 置 を 行 な え る 権 限 を 持 つに 至つた。
こ の よ う に, 大 衆 課 税 を 中 心 と し た 増 税 が く り 返 し 行 な わ れ た 結 果, 財 源 は 枯 渇 し 財 政 危 機 が 招 来 さ れ る こ と に な っ た( 表 4 参 照 )。
表 4 昭和11年から昭和20年までの租税収入の変化 祖税収入(単位: l0億円) 90 70 50 30 l0 l 2 I 4 l 6 l8 2 0 年度(昭和) 大想省百年史編集室編「
大蔵省百年史 別書」昭和44年 l33頁ょ
り 作 成 第 1 次 世 界 大 戦 勃 発 ( 1 9 1 4 年 ) か ら 第 2 次 世 界 大 戦 終 結 ( l 9 4 5 年 ) に至 る期間には以上のような戦費調達のための增税が頻繁に行なわれた。
こ の 期間の税制は,
ま さ に,
戦争一
色 に 塗 り 潰 さ れ て い た。
(前ページ ( 注 l 7 ) よ り 続 く ) 対35であったのに対して, 昭和l9年におけるこ の比率は93.7対6.3であった。
一
橋大学経済学研究所編「
解説 経済統計」
岩波書店 昭和4l年 190頁-
l 2 7-
15シャ ウ プ 勧 告器
i
生史5.
戦後財政の立て直し
昭和20年 (1945年) 8 月 l 5 日,
日 本 は 敗 戦 し た。
翌昭和21年 (1946年) 2月16日に「
経済危機緊急対策」
が発表された。
こ れ は , 1 預金封鎖, 新円切り替え, 財産税実施のための財産調査をふくむ金融財政対策の実施 2 米,石炭を中心に新しぃ公定物価体系の設定, 3 不正不当な食料退 蔵の摘発および米麦の動員, 4 隠退蔵物資の動員とその適正な配給, 5 失業者のための緊急就業対策の実施を目的とした総合政策であった。
こ の 総合政策は一
般 に金 融 緊 急 措 置 と も 呼 ば れ て い る。
第2次世界大戰終結後 初めて昭和21年 (l946年) に行なわれた税制改正は,
この金融緊急措置に よ っ て 設 け ら れ た 新 価 格 体 系への対応を目的としていた。
その内容は,
イ ン フ レーシ ョ ン に 応 じ て 分 類 所 得 税 の 基 礎 控 除 や 免 税 点 を 引 き 上 げ る こ と で あ っ たo 昭 和 2 l 年 ( 1 9 4 6 年 ) 8 月 , 膨 張 し た 昭 和 2 l 年 度 予 算 へ の 適 応 を 目 的 と し た本格的税制改正が行なわれた。
その内容は所得税の税率引き上げ, 法人 臨 時 利 得 税 の 廃 止 と 法 人 税 へ の 統 合 , 法 人 税 , 相 続 税 , 消 費 税 の 税 率 引 き 上げ等の増税であった。
同年10月には戦時補償特別税が制定された。
これ は , 政府が戦争遂行上負担し た軍需補償請求権の價務および戰争保険金の 支払價務を職時補償特別税の課税によって, 事 実 上 打 ち 切 ろ う と す る も の で あ っ た(注18)。
同年1l月に は 財 産 税 が 実 施 さ れ た。
財産税は財政再建, イ ン フ レーシ ョ ン の 阻 止 お よ び 戦 時 利 得 没 収 を 目 的 としてぃた(注19)。
同年12 月, 增加所得税法が制定された。
增加所得税は負担の公平, 財政収入の確 保, 新 円 所 得 階 届 か ら の 購 売 力 の 吸 収 に よ る イ ン フ レーシ ョ ン の 阻 止 を 目 (注18) 戦時補値特別税とは戦時補個請求組のう ちで金銭の給付を目的とする ものを, 課税の方法で打ち切ろうとするものであった。 (注19) 財産税は個人を納税義務者とした臨時税であった。 財産税が法人には 課されなかった点において, 企業優遇, 企業優先という特質が見い出される。 また, 財産税における財産の評価方法は様々
であったが, 土地または家屋の 価額は賃借価格に一
定の借数を乗じて算出された。
財産の調査時期は昭和21 年3月3日午前零時であった。免税点はl0万円であった。 16-
128-シャウプ動告整生史 的 と し て い た
。
しかし,
その一
方では,
従来の所得税が原則として前年度 の実續によって課税を行なう前年度実續課税制度を採用していたのに 代 つ て, 昭和22年度からは当年の予算によって課税を行なう予算課税制度が採 用 さ れ る こ と が 計 画 さ れ て い た た め,
昭和2l年の所得額が前年の所得額を 超える部分について課税する必要が生じたことも増加所得税法制定の理由 で あ っ た o 昭 和 2 l 年 ( l 9 4 6 年 ) l l 月 3日,大日本帝国意法が全面的に改正され,
新 に日本国題法が制定された。
この新意法では「
国民は,
法律の定めるとこ ろ に よ り,
納税の義務を負ふ。」
(第30条),
「
あ ら た に 組 税 を 課 し , 又 li現行の租税を変更するには,
法律又は法律の定める条件に よ る こ と を 必 要 と す る。」
( 第 8 4 条 ) と い う 表 現 に見 ら れ る「
法なければ税なし」 と い う租税法律主義が疆われた。
昭和22年 (l947年) に租税法は2度に渡つて 大幅に改正された。
第1回の改正の主な点は,
所得税につ い て ア メ リ カ の 連邦所得税制度が多分に取り入れられて予算申告制度が採用されたこと,
分類所得税と総合所得税との2本建てが廃止されて超過累進税率による一
般所得税へ
の一
本 化 が 行 な わ れ た こ と で あ る。
インフレーションが急速に進行しっ
つあった当時の経済事情の下では,
前年実續課税方式では,
貨常 価値の変動による財政の危険費担が大きくなることが予算申告制度採用の 理由である。
法人税に関する改正の主な点としてl1t,
超過所得に対する税 率の引き下げと申告納税制度の全面的採用があげられる。
資本金を基準と する超過所得に対する税率の引き下げは,
イ ン フ レ ー シ ョ ン の 進 行 に よ っ て法人所得が名日的に増加したにもかかわらず,
資本金額は以前のままで あ る と い う 矛 盾 に対する調整を目的としていた。
また,
相統税が簡素化さ れ, 補完税として贈与税が新設された。
この第l回改正では地方税も大幅 に 改 正 さ れ た。
日本国題法はその第8章で地方自治を語い,
地方自治制度 の確立の必要性を強調している。
地方自治を確立するためには,
前述のよ うに第2次世界大戦中にほとんど破壊されてしまった地方財政を再建する 必要があった。
そこで, 地方税法および地方分与税法が改正され,
家屋台-
l29-
l 7シャウプ動告整生史 帳および土地台帳法が設けられた
。
地方税に関する改正の主な点として は,
遭付税制度の廃止,地租,
家屋税,
営業税を府県の独立税としたこ と,
法定独立税の拡充, 住民税の増徴,
日的税の整備などがあげられる。
昭和22年(1947年)l1月, 租税法の第2回改正が行なわれた。
第 2 回 改 正の主な点はインフレーシ ョ ン に よ る 利 得 者 に重課することを日的とした 所得税率の引き上げ,
低所得局に 軽 課 す る こ と を 目 的 と し た 動 労 所 得 控除,
扶賽控除の引き上げ,
戦災者と非戦災者との間の機性の不均衡を是正 するための非戦災者特別税の新設である(注2o
)。
そ の 他 , イ ン フ レーシ ョ ン による名目所得の増大, 物価の上昇に伴い所得税,
法人税の直接税と酒 税,
清涼飲料税, 入 場 税, 物 品 税,
骨牌税の間接税と登録税,狩環免許 税,
印紙税の流通税が増徴された。
昭和22年改正の中で最も注目すべき点 は,
第1回改正において前述のように直接国税につ
いて申告納税制度が全 面 的 に 採 用 さ れ た こ と で あ る。
も っ と も,
申告納税制度はこれ以前におい てすでに一
部採用されていた(注a
)。
しかし,
昭和22年の第l回改正は,
こ の制度を所得税,
法人税,
相続税の3つの直接国税について一
般化したの であって, このことは組税制度の民主化という見地から重視されるべきで あ る o 昭和23年(l948年)7月,健全財政のための組税収入の確保とインフレ ーションの進行に見あった組税費担の調整および合理化を目的として, 国 税の改正が行なわれた。
所得税につ
い て は,
名日的な所得增加への対策と して税率および諸控除の引き上げが行なわれた。
法人税については,
イ ン フレーションによって名目化した資本金を基準とする超過所得に対する税 (注20) 非戦災者特別税は非戦災家屋税と非戦災者税との2本建てだった。
前 者は法人・
個人を間わず, 昭和20年8月16日現在の家屋の所有者に藤税する ものだった。
税率は質貸価格の3倍であった。
後者は法人・
個人を間わず,, 非戦災者に対してその昭和22年7月1Bに使用した家屋につき藤税するもの だった。
税率は,やはり,貴實価格の3倍だった。
(注2l) 申告納税制度は昭和20年に1部の大法人の法人税について認められ・
ついで, 昭和2l年の財産税および戦時補償特別税について採用された。
しか し, 前者は戰時中の特例であり, 後者も戦後の田時税であった。
l 8-
l30-シャウプ動告整生史 率の大幅な引き下げ, 資本に対する課税の廃止, さ ら に
,
外貨導入のため に外国法人の普通所得に対する税率の内国法人と同率への引き下げ,
が行 なわれた。
所得税, 法人税の負担経減による減収の一
部 を 補 う た め に 取 引 高 税 も 設 け ら れ た( t22)。
この改正でl1t
所得税につ い て l 5 パ ー セ ン ト の 配 当 控 除 制 度 が 設 け ら れ た こ と が 注 日 さ れ る。
このことは昭和23年の改正が投 資 を 優 遇 す る こ と に よ っ て , 証券の民主化, 株式の大衆化を行なおうとす る も の で あ っ た こ と に よ る も の で あ る。
また,
配当控除は配当金に 対 す る 2重課税の防止のために必要であり,
この意味でもこの制度l;t
合理的なも の で あ っ た と 考 え ら れ る。
この配当控除は後にシャ ウ プ 税 制に よ っ て 租 税 制 度 の 中 に 体 系 的 に 確 立 さ れ る こ と に な る。
また, 昭和23年(l948年) には地方財政のいっそうの充実を日的として 地方税法も改正された。
この結果, 入場税と狩猟免許税とが国税から地方 税 に 移 さ れ た。
営業税が廃止され事業税,
特別所得税, 鉱産税が加えられ た。
酒消費税, 電 気 ガ ス 税,木材引取税,
使用人税,余裕住宅税,
接客人 税が設けられた。
ま た , 地 租,
家屋税,
道府県民税,
市町村民税,
鉱区 税, 不動産取得税の税率が引き上げられた。
昭和22年に続く,
こ の よ う な 地方税改正の結果, 地方税収入l;t
かなりの伸びを示した( 表 5 C 照 )。
表5 田 秘1
年から用和23
年にかけての地方税収入の伸び (単位百万円) 年X
a
税 収 入 (国税地方税合計) 地 方 税 収 入 地方税の割合(%) 昭和2l年 4 l,
l63 3.
726g
-
l ″22″ 209,363 20.
l98 9.
6 ″ 2 3 ″ 522,540 76,584 l 4 . 7一
橋大学経済研究所組「
解競 経済統計」
岩波書店 昭和4l 年 l90買より作成 (注22) 取引高税とは, 営業者が営業として行なう取引に藤税する ものであ る。
取引高税が際される営業は物品販売業に限られず, 各種の営業に及んで いた。
-
l 3 l-
l 9シャ ウプ動告震生史 以 上 の よ う に
,
第2次世界大戦終結直後の期間(l946年からl948年)に 行なわれた税制改正は,
戦争によって破壤された財政を再建しょ う と す る ものであった。
6
.
ドッジ
・
ラインと税制改正の必要性
昭和24年 (1949年),
それまでは赤字基調だった財政は一
転して均衡財 政に変つた。
この一
大変化はドッジ・
ラ イ ン に も と づ く も の で あ っ た。
第 2 次 世 界 大 戦 の 終 結 と と も に ア メ リ カ と ソ 連 の 冷 戦 と 中 国 本 土 に お け る国民党の退潮が始まった。
そのため,
アメリカの対日政策は次第に,
日 本経済を早く復異させてソ連へ
の防壁として日本を再建しょう と す る 方 向へ
と 変つた。
昭和23年(1948年)10月7日に行なわれたアメリカ合兼国国 家安全保障会議の決定は,
日本の経済復異をアメリカの対日政策の主要な 目標として据えている。
さ ら に,この決定は対日経済政策の大筋として,
1 生産の増大,
2
高い輸出水準の維持と労働争議による作業の停止を 最少限に食い止めること,
3 イ ン フ レ ー シ ョ ンへの厳しい手段による対 応,
4 速やかな均衡予算の達成,
を掲げている。
こ の よ う な ア メ リ カ 合 衆国国家安全保博会我の决定のうちの経済政策に関係する部分が「
経済安 定9原則」
に 取 り ま と め ら れ,
昭 和 2 3 年 ( l948年)12月18日に日本で発表 された。
その内容は,
l 総合予算の真の均蘭化,
2 収税の強化, 3
融資の規制, 4 賃金の安定化,
5
価格統制の強化,
6 お替管理の強 化,
7 配始制度の改善, 8
鉱工業生産の増強,9 食 程 供 出 の 能 率 化,
であった。
この政策を実現するための人材としてデトロイト銀行頭取 ドッジ(Dodge)が選ばれた。
ド ッ ジ は 昭 和 2 4 年 ( l 9 4 9 年 ) 2 月, 選 ば れ た チ ー ム と と も に マツカーサ一
元師の経済願間として来日した。
ドッジの考え方は極めて古典的な自由経済論に立脚したものであり,
かつ
,
彼は財政について厳しい均衡論者であった。
ドッジは昭和24年3月7 日の配者会見において,
財政と金融を引きしめてインフレーシg ン を 抑 制 す る こ と が,
何 よ り も 必 要 な 政 策 で あ る こ と を 述ぺた。
そして,
その結 20-
l32-シャウプ動告震生更 論として米国民の税金からの援助で生活を支えてゆくことは許されないこ と
,
そして, 日本人は自らの手でより安い生産費で生産し, 貯書と節約に よって資本を書積しなければならないことを主張した(注23)。
その後, ド ッ ジ は イ ン フ レ ーション抑制のために次々に具体的政策を明らかにし
は じ め た。
その政策のlつが超均衡予算の実現であった。
すなわち,
昭和24年3 月22日にG H
Q
が内示し, 日本政府が採用させられた予算案は一
般会計に お い て 収 支 と も に7千40億円で均衡しているばかりでなく,特別会計,
政 府関係機関の分を総計しても均衡しており,
また,
重複勘定を差し引いた 純 計 を と る と 歳 入 2 兆 4 百 億 円,
歳 出 2 兆 3 千 8 百 億 円 と な り 7 千 5 百 6 7 億円の黒字が出るものであった。
さ ら に,
一
般会計も支出の中には法定以 上の大規模な債務償通が組み込まれているなど,
実質的な黒字予算であっ た。
こ れ が「超均衡予算」
と呼ばれる理由である。
超均衡予算が採用された結果,所得税,法人税の軽減,
取引高税の撤廃 (注24),
などを中心とした昭和24年の税制改正は中止となった。
この年に は,
法人税につ
いて額面超過金を全額益金に 算 入 し な い こ と と す る 改 正 と 間接税につ
いての最小限度の改正が行なわれたに過ぎなかった。
さ ら に,
「
経済安定9原則」
における収税の確保を実現するために税務行政の実施 面を大蔵省主税局から分離して国税庁, 国税局, 税務署という繼断的かつ 系統的な徴税機構が確立された。
その一
方で,
当時の日本経済は猛烈なインフレーション下にあった(注25)。
貨常価値のあまりに急激な変動のため当時の税制l1t
全く混乱していた。
こ こ に,
税制改革を行ない税制における秩序を回復する必要があった。
しか (注23) この配者会見の補足として, ドッジは次のように述べている。
「
日本の経済は両足を地につけずに竹馬にのっているようなものだ。
竹馬 の足はアメリカの援助,他方は国内の補助金の機構である。
竹馬の足を, あ
まり高くしすき'ると転んで言を折る危険がある。
」
(注24) 取引高税は昭和25年から廃止された。
(注25) 消費者物価指数は昭和23年をl00として,昭和2l年:26.
9,昭和22 年:55.
3,昭和24年:
l26.
6であった。
一
橋大学経済研究所編「
解 説 経 済統計」
岩 波 書 店 昭 和 4 l 年 120買-
l33-
2 lシャ ウ プ 動 告 離
ll
i史し
,
このような日本の経済状況に も か か わ ら ず,
「
経済安定9原則J,
よ り 具 体 的 に は ド ッ ジ・
ラインの遂行は国民の租税員担の強化となって現わ れた。
ち な み に,
昭和24年(l949年)における国民の租税負担は戦前,
戦 後 を 通 じ て 最 も 重 い も の と な っ た(表2参照)。
これに対 し て ド ッ ジ は 何 ら 抜 本的な政策を行なわなかった。
こ う し て,
来るぺき税制改革に対して大幅 減 税 が 期 待 さ れ る こ と に な っ た。
減税はシャ ウ プ 税 制 に対する大きな要請 と な っ て い た の で あ る。
7
.
お
わ
り
に
本稿では以上で示したように,
明治維新以降シ ャウプ勧告登場前夜まで のわが国税制の変選を,
大まかに3期に区分してみた。
第1期は明治維新 ( l 8 6 7 年 ) 以 降 日 清 戦 争 勃 発 ( l 8 9 4 年 ) 前 夜 ま で の 期 間 で あ り,
これを「
明治推新政府の財政的基礎の確立」
期と捉えた。
「
第2期は日清戦争以 降第2次世界大戦終結(1945年) ま で の 期 間 で あ り,
この期間の税制を「
戦争のための税制」
と捉えた。
第3期は敗戦直後(1946年からl948年ま で ) の 期 間 で あ り,
これを「
戦後財政の立て直し」 のための税制と捉え た。
この区分は税制に対する社会的要請の変化に従つたものである。
この よ う に 区 分 す る こ と に よ っ て,
わが国の近代税制が受けた戦争による影響 の大きさが強調される。
時間的に見た場合,
大正時代後半(1920年頃)か ら昭和の初期 (l930年頃) にかけて約10年間程租税負担が一
時的に軽減さ れ た 時 期 を 除 い た としても,
明 治 維 新 ( l 867 年 ) 以降シ ャウプ税制の登場 (l950年、
までの約80
年間のうち40年余りが「
戦争のための税制」
に よ っ て占められている(表2参照)。
戦争の開始と租税負担率の上昇とは時間的に一
致 し て お り,
戦争の期間中高い租税負担率が維持された。
戦争遂行のた めに大幅な増税がくり返され,
国民の多くがそれによって苦しんだ。
戦争の影響は敗戦を迎えてインフレーションという形で日本経済全般に 現われた。
税制もその例外ではなかった。
財政の立て直しを目的とした敗 戦直後の税制改正も, 急激なインフレ期における税制の欠陥を抜本的に改 的 に改 理-
134-シ ャウプ動告整生史 善 す る も の で は な か っ た
。
こ こにおいて, わ力;国の税制はひとつの行き請 り に 達 し た。
こ う し て , 税制改革が必要とされるに至
つたのである。
と こ ろ で , この税制改革に対しては前述のように減税を求める声が強か った。
しかし, 税制改革の基本とされたシャウプ動告を作成したシャ ウ プ 使節団の日本税制検討の日的は,
次 の 3 項 日 だ っ た と い う(注26)。lll
予算 全体の経費を充当するため税収を最大限にあげること。
(2) 組税最担のよ り公正な分配を促進すること。
(3) 国,
府県及び地方政府の間に税源を配 分 す る こ と。
こ こに掲げられた3項日の中には,
減税要求を反映するよう な目的は全く見られなぃ。
むしろ, 組税a
担を強化する幅向すら見られ る。
こ の こ と は,
当時の連合国司令部と日本政府との間には税制改革につ いて, 見解の基本的な相違があったことを示している。
この食い違いこそ が,
昭和25年(l950年) に 実 現 さ れ る こ と に な る シャウプ税制の, その後 の行方を決定する大きな要因となるのである。
(注26) 大蔵省財政史宣編「
昭和財政史 終戦から講和まで 7a
税lll」
東洋経済新報社昭和54年 3 7 2 買-
135-
23シ ャウプ動告誕生史 参 考 文 献 ( 著 者 名 ア ル フ ァ ベ ッ ト 順 ) 著11!1: