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こぺる No.203(2010)

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2010

NO. 203

ひろば⑬ 地域で共に生きる 一障害者政策の新しい動き 大谷 強 最近読んだ本から@ 個性的な自分史と して 日(毎月I回25日発 行)ISSN凹194制3 こべる刊行会 ーホーキング青山 『差別をしよう !J 高田嘉敬 いのちを生きる⑫ 通夜の席で 長 谷川洋 子 記 憶 の 旅から明日へ ー写真提供と文 小 林 茂

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写真提供と丈一小刻、 茂 「あの天津の易者はあたったねえ。「お前さんには3人の男の子が授かる」と言うた。 7人産んだけれども4人死んで、結局、男の子が3人残ったすけねえ

J

(母親) この1年間は読者にはご迷惑のことと思うが、私自身のことを振り返りたい。写真は私 の両親。昭和19年、 rj’国のどこかの写真館で撮影されたものである。長女、久美子が生ま れて100日くらいだろうか。 3人で限るのは縁起が悪いのだろう、いっしょに人形が抱か れている。昭和21年、幼い 2人の子どもを辿れて、大速から舞鵠ヘヲ|き掲げ、郷里の新潟 にたどりついた。子どもはまもなく死んだ。結局、易者の占い通りになった。 父は旧満州で鉄道の仕事をし兵役に就いた。砲兵だったの耳がやられていた。父は酒を げ ん か 飲むとあばれた。激しい夫婦喧|嘩の中で私は育った。日本人は戦争について、原爆や空襲、 あるいは特攻隊のことなど被害を語ることは多いが、加害については語らない。酔った父 の脳裏に血なまぐさい戦場が沸きあがったことは確かだろう。吐き山せない苦しさを背負 で ん ば って日本人の戦後があり、そのトラウマが幾|吐代にも伝播するということをまHった。顔を 見たこともない兄姉はどんな人だったのだろう。 50歳も半ばになって、思い浮かべる。 こばやし・しげる 1954'4=-新潟県生まれ。同志社大学法学部卒。映画「|勾賀に生きる」の撮影 により日木映画撮影舵督協会第 1回JSC賞受賞。監督(t最影)作品に「こどものそら」「ちょっ

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ひろば⑬

地域で共に生きる

ー障害者政策の新しい動き

強︵関西学院大学・宇治市在住︶ 二

OO

九年九月に成立した民主党を中心とする連立政 権のもとで、障害者︵いくつかの自治体や新政権では ﹁障がい者﹂という表記を用いている。本稿では以下 ﹁障害者﹂とか、場合によっては﹁障害のある者﹂と表 す︶政策に新しい動きが見られる。 十二月、政府は内閣府に﹁障がい者制度改革推進本 部﹂︵以下、改革推進本部と略称︶を設置し、鳩山由紀 夫首相を本部長に据え、今後五年間をかけて﹁障害のあ る者﹂をめぐる制度改革を集中的に進めるという。その 中には、国連が制定した障害者権利条約の批准に必要な 国内法の整備を行なうために﹁障害のある者﹂への差別 を法律で禁止するとともに、既存の障害者自立支援法に 代わる障害者総合福祉法にいたる取り組みが含まれる。 ﹁障害のある者﹂の団体がこうした国際的な政策立案一 に参加することは画期的だ。これまでは国連の場で条約一 を作成するときは固と固との約束事だからということで、一 各国の政府高官が作っていた。それが、政府高官に代わ一 って﹁障害のある者﹂の権利条約を作成するときには、一 国際的な障害者

NGO

︵ 日 本 で は

NPO

とされている︶一 などの積極的な参加があったという。おそらく政府高官司 国連の障害者権利条約以来、﹁当事者参加﹂がキー ワ ー ド に な っ て い た が 、 ﹁ 改 革 推 進 本 部 ﹂ に も 、 ﹁ 障 害 の ある者﹂自身が﹁当事者﹂として数多く参加する。その 事務局長職︵改草推進会議室室長︶には、車椅子利用を している東俊裕さん︵弁護士、熊本学園大学教授︶が就 任 し た 。 こぺる 1

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だけでは、各国の利害が衝突して国際条約も完成しなか っ た だ ろ 、 っ 。 障害者の参加による権利条約 二

OO

六年十二月に聞かれた第六一回国連総会で障害 者権利条約が採択された。この国際条約の策定過程には 大きな特徴があった。すでに

O

一年の国連総会でメキシ コのフオツクス大統領が障害者権利条約を策定すべきだ と提案していた。いわゆる欧米﹁先進諸国﹂からの発議 ではなかったことに注目したい。それを受けて特別委員 会︵アドホック委員会という︶が設けられる。特別委員 会での議論を経て採択までの五年間、いろいろな草案が 提出され、世界の障害者たちが議論した。情報開示が行 なわれたことは言うまでもない。障害者権利条約につい ては各国政府を代表する人たちではなく、議決権はない ものの国際的な障害者

NGO

︵非政府機関︶の働きが顕 著であった。国連の場で障害者に関する政策については 議論から決定にいたるまで、各国の障害者団体は﹁ナツ シング・アバウト・アス、ウイズアウト・アス!﹂を合 費者としての権利を実現できにくい状態に置かれている。一 ︵障害者︶のことを決めないで﹂という意味である。 言葉にしていた。﹁私たち︵障害者︶抜きに、私たち この言葉は日本でも政策確立を求める障害者の集会な どで広く使われている。それは、﹁市民による市民のた めの政治﹂が、社会参加・政策参加がもっとも遅れてい ると言われる障害者運動から始まるという﹁逆転﹂が起 ﹂ っ た こ と を 示 し て い る 。 一 一

000

年度からの介護保険制度において、 要介護高 齢 者 が 消 費 者 と し て 、 事業者とサービスを選び、 実際に サービスを利用するにあたっては利用契約を結ぶという ﹁ 逆 転 現 象 ﹂ が起こったことと同じである。 消費者は消 そのなかでも要介護高齢者は通常において、 日常生活上 必要とする介護を他人に頼らざるをえないため ﹁ 弱 者 ﹂ であるとして、自分でサービスを選ぶ権利が認められに くい状態にある。消費者としてサービス市場に登場し、 介護サービスを提供する事業者との聞で利用契約を結ぶ という形式は、消費者としての主権を行使するという制 度設計︵多くの場合はケアマネジャーがケアプランを作 るという支援を伴うが︶を意味している。介護保険制度

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の場合は、利用者が医療などとは違ってサービスの内容 理解に専門的知識を必要とせず、要介護者の日常生活を 支援するサービスだから選ぶことが妥当・可能だとされ る。もっとも、消費者がサービスを選ぶ基準として、利 用者が生活してきた背景や趣味・噌好によって主観的な 基準が働く余地は多い。サービスの評価にあたって客観 的基準は作りにくい状態もありうる。 ゆ だ 福祉サービスを市場経済に委ねる政策については、異 論がありうるが、要介護高齢者や障害のある人を﹁一人 前の消費者﹂として扱うという制度は、市場経済の下で の社会政策としては画期的だと言える。介護保険制度で 要介護高齢者、すなわち利用者でもある消費者が多様な 介護サービスの中から選べるようにした背景には、従来 は消費者としても﹁弱者﹂と見なされがちであった要介 護高齢者たちが、消費者としても﹁自立﹂しているのだ と い う 価 値 観 の 転 換 が あ る 。 そ こ ま で は 一 一 一 一 口 え な い と し て も、賢い消費者になってほしいという期待が込められて いると思う。﹁障害のある者﹂の場合、国連を舞台とし て国際的な政策作りや政策決定の場で行なわれたのであ る 。 く しミ 他 の 人

と て コ て も 画 期 的 な 出 来 事 な る だ ろ

こうした﹁逆転﹂は、日本でも旧来からの政策決定の ありかたを大きく変える可能性がある。政策決定にいた る論議の過程でも、これまでは﹁政策の対象﹂と位置づ けられていた人々が参加することが求められることにな るはずだし、それは、社会的に差別をされている人たち にも広がるだろう。問題は、こうした傾向に対して備え が十分にあるかどうかだ。 これまで社会の中で存在すら無視されがちであった ﹁ 障 害 の あ る 者 ﹂ が 、 自分たち ﹁ 障 害 の あ る 者 ﹂ に対す る政策が作られ決定される段階に参加するという新しい 理念への転換が始まる。 キャッチフレーズ的に使われる 言葉で表現すれば﹁市民 者︶のための政治﹂が実現されるわけである。各種の選 挙で﹁障害のある者﹂が当選して政治家になるというの ︵ 障 害 者 ︶ による市民 ︵ 障 害 で は な く 、 一市民としての政策決定への参加が開始され る。もっとも実際に作るべき政策策定に関係する市民 個々人を選ぶ方法には新たな困難が生じるだろうが。い ず れ に し て も 、 このプロセスは政治的発言権が認められ こぺる ま た 、 日本や他国で他の被差別の状態に置かれていた 3

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人々にも良い影響を及ぼすことが期待できる。 人権尊重を中心とする国連の政策に沿って ところで国連で定められた障害者権利条約は、前文と 五

O

条からなる国際条約である。国際的に国連を舞台に 人権を尊重しようという動きは、第二次大戦直後の四八 年の国連総会で採択された世界人権宣言がきっかけであ る。その後、国際人権規約をはじめ、現在の社会で差別 されている人々が順次対象となった。その中には人種差 別 ︵ 六 五 年 採 択 、 六 九 年 発 効 ︶ 、 女 性 ︵ 七 九 年 採 択 、 八 一 年発効︶や子ども︵八九年採択、九

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年 発 効 ︶ 、 移 住 労 働者︵九

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年 採 択 、

O

コ 一 年 発 効 ︶ な ど 国 連 が 定 め た 各 個 別の国際人権条約という形で徐々に広げられてきた。 しかし、﹁障害のある者﹂の人権については他にも条 約が制定されたにもかかわらず、他の人たちと比べて差 別をなくすという面では格差があった。条約が述べてい るとおり、﹁障害のある者﹂の権利条約が採択されたこ とによって、﹁障害のある者﹂に新しい権利が生まれた ということではない。ただ、他の人たちと同等な権利が 実現できたとしか言えない。国連が定めた条約の前文や一 本丈には﹁これらの種々の文書及び約束にもかかわらず、一 障害者が、世界のすべての地域において、社会の平等な一 構成員としての参加を妨げる障壁及び人権侵害に依然と一 して直面している﹂ことが問題であると述べている︵障− 害者の権利に関する条約・日本政府公定訳文案、

O

九年一 一 一 一 月 一 一 一 日 版 に よ る 。 以 下 同 じ ︶ 。 ﹁ 障 害 の あ る 者 ﹂ に つ い 一 て国連が権利条約を定めたのも、社会における実質的な一 平等が実現できていないと判断したからである。その意 味でも、﹁障害のある者﹂の権利については今後改善す一 る 余 地 が あ る だ ろ う 。 人権条約は確かに有効ではあるが、障害を持っている一 人を社会的に排除する状態を解消したのだろうか。女性− の権利条約についても一般の理解では障害を持っている一 女性は除外されてきた。非﹁障害のある者﹂については一 男女間の平等が主張されたけれども、﹁障害がある男一 女﹂の権利を議論する余裕がなかった。同じように、子一 どもの権利条約についても、子どもの範囲には、障害児一 は 含 ま れ な い と い う 理 解 が 多 く 存 在 し て い た 。 一 国連が定めた条約ですら、社会︵政策を含む︶参加の一

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面では﹁障害のある者﹂を排除する傾向が強く存在して いた。障害児・者は何も出来ない人という旧来の固定観 念を反映していたのである。障害を持っていても他の社 会人が営むことが同等にできるというメッセージを発し たのが、この国連条約であった。 ﹁ 障 害 の あ る 者 ﹂ への視点の転換 ﹁障害のある者﹂本人を日常生活に支障がある存在と みなし、その障害を改善しないと社会生活ができないと する﹁医学的モデル﹂︵矯正治療やリハビリテーション を行なう︶に立つ﹁障害のある者﹂観がこれまでの主流 であった。この視点からは、主として福祉政策が中心と ならざるをえない。そして障害を持っている人だけを地 域から離れた閉鎖型の施設に隔離することが行なわれて きたのである。地域からの排除が行なわれていたとも言 える。施設収容政策は、伝統的な救貧法以前や救貧法以 降も、要介護高齢者などに対しても引き続き福祉政策と して行なわれてきたのである。 国連の障害者権利条約では、こうした旧来の﹁医学的 モデル﹂から新たに﹁杜会的モデル﹂を対置した。﹁障 害のある者﹂が社会で生活できるように作り変えること を提案した。それは、﹁障害のある者﹂を権利の主体と ル T り して捉え返すことでもある。つまり、﹁障害のある者﹂ を排除してきた杜会から変わるべきであるという理念を 軸にしている。﹁障害のある者﹂が日常生活の支障を理 由にして社会から排除される傾向に対して、社会の方を 変革すべきであって、﹁障害のある者﹂について本人ば 悪いのではないとする提案である。﹁障害のある者﹂も 権利主体という捉え方から、とくに労働や教育、遊びゃ スポーツ、旅行などの社会生活全般について、活動的な 参加する主体︵政策参加も含む︶という意味合いが強調 される。﹁障害のある者﹂は福祉の対象に止まるのでは ない。日本や諸国で意識されていたこれまでの静的な権 利主体であるとともに動的な権利主体の面も併せ持つ主 体 と な る 。 それは、貧困問題などについてよく論じられるように な っ た 、 ﹁ 貧 困 H 自己責任論﹂からの脱却と類似する。 このような視点は他の被差別状態に放置されている多く こベる の人たちにも当てはまると言える。 5

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﹁障害のある者﹂への視点を変えることによって、差 別の概念も変化する。国連の条約では差別を定義して、 ﹁障害に基づくあらゆる区別、排除又は制限であって、 政治的、経済的、杜会的、文化的、市民的その他のあら ゆる分野において、他の者との平等を基礎としてすべて の人権及び基本的自由を認識し、享有し、又は行使する ことを害し、又は妨げる目的又は効果を有するものをい う﹂︵第二条︶と規定している。続いて﹁障害に基づく 差別には、あらゆる形態の差別︵合理的配慮の否定を含 む。︶を含む﹂とある。ここの﹁合理的配慮の否定を含 む﹂という規定が重要である。 条約での定義によると﹁﹁合理的配慮﹂とは、障害者 が他の者との平等を基礎としてすべての人権及び基本的 自由を享有し、又は行使することを確保するための必要 かつ適当な変更及ぴ調整であって、特定の場合において 必要とされるものであり、かっ、均衡を失した又は過度 の負担を課さないものをいう﹂︵第二条︶という。﹁障害 のある者﹂に対して実質的な平等を保つために必要な変 更や調整を意味する。一応﹁均衡を失した又は過度の負 担を課さない﹂という限定が付けられているが、障害の 条約では従来障害者福祉の分野で多く使われていた− ﹁ ノ l マ ラ イ ゼ l ション﹂という言葉は使われていない。一 なぜ消えたのか明確にはわからないそうだが、北欧発の一 ﹁ ノ l マ ラ イ ゼ

i

シヨン﹂という概念が、障害のある人一 の人権を尊重した社会作りを大切にするという本来の政− 策理念と違って、どうも欧米で﹁ノ l マライゼ

i

ショ− ン﹂が使われる場合、障害がある人を﹁ノーマルにす一 る﹂という意味で用い、﹁障害のある者﹂の側を杜会に一 統合するという使われ方があったという︵東俊裕監修・一

DPI

日本会議編﹃障害者の権利条約でこう変わる﹄町一 頁の、催栄繁さんによるコラム参照︶。だから条約を作一 どでは、この配慮義務が重要になる。 ある人が不利な立場に置かれやすい労働や教育の分野な ノ

l

マライゼ

l

成するときに使われなかったのではないかと推定してい る。条約ではノ l マ ラ イ ゼ l シヨンよりもインクル l ジ ョンが重要な原則として採用されている。

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たとえば障害児教育においても、条約ではインクルー シブ教育が強調されている。ただ、条約でインクル l ジ ョンの原則を使っているが、日本では障害児だけを普通 学校から取り出して﹁特別支援学校︵旧養護学校こに 入れること︵分離主義教育︶も﹁インクル l シ ブ 教 育 ﹂ に含まれるという理解があるという。ここで明らかなよ うに、どの言葉を使っているかが問題ではないようだ。 アメリカのレーガン大統領、イギリスのサ 八

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年 代 、 ツ チ ャ l 首相、日本の中曽根首相などをリーダーにした 新自由主義政策が横行したため、各国政府が公営企業を 民間に切り売りしたり、社会保障政策を切り捨てたり、 移民として移住してきた人々を放置する政策が採用され るというソ l シヤル・エクスクル l ジョンが大々的に行 なわれたことがあった。こうした政策の結果、貧困のま まに据え置かれる人々や健康格差や犯罪率の多発などに よって多くの命さえ脅かされる社会となった。 九

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年代には、こうした動きに対する批判が強まり、

EU

諸国や北米でソ l シヤル・インクル

i

ジョン政策が 行なわれた。ソ l シヤル・インクル l ジョンとは﹁全て の人々を孤独や孤立、排除から、社会の構成員として社 会に包み込む﹂という社会の再編を政策的に作り出そう とする考え方である。﹁障害のある者﹂も社会から排除 されがちな存在として、国連においても障害者権利条約 における原則としてインクル l ジョン政策が大きく採用 さ れ た の で あ る 。 社会政策において社会の側を変える必要があるという 理念を、﹁障害のある者﹂にかかわる政策でも応用した のである。政府や自由主義者が﹁障害のある者﹂本人の 変化を求めるよりも、政策としては社会の側が改革をす ることを優先した政策である。先にも述べたように、 ﹁障害のある者﹂をどう考えるかの定義︵価値観︶にお ける大きな変化と同様の内容が含まれているわけだ。つ まり﹁障害のある者﹂本人に社会で適用できるように改 善を求めるこれまでの取り組みを変革して、障害のない 者だけを受け入れてきた社会の側が変わることを求める と主張したのである。 こうしてインクル

l

ジョン政策は貧困者や﹁障害のあ る者﹂、要介護高齢者、女性や子どもたちの問題にまで きず昌 広がった。孤立や孤独をキーワードに、人と人の紳を 大切にするという考え方とも言えるだろう。地域という こぺる 7

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切り口もほぼ同様な内容を示している。 これまでの社会における﹁障害のある者﹂像も変わっ た。近代社会で住民や政策立案者が考える﹁障害のある 者﹂像の多くは、﹁障害のある者﹂は﹁弱い﹂とされ ﹁助けられる存在﹂になりがちだった。それが社会環境 さえ整えば、﹁障害のある者﹂も社会参加︵政策参加ま でも含む︶や積極的に行動することができる存在に変わ った。それを受けて旧来の福祉政策も大きな変化を遂げ た 。 旧来の福祉政策を超える政策体系 これまで日本では福祉と言うと、極めて狭い範囲の政 策を指していた。しかも行政から与えられるサービスと いう受動的な側面で考えられがちであった。これも国連 の障害者権利条約が明確にした点である。一人の人間と して生きる権利が保障されないままで、単なる福祉サー ビスの対象として扱われていたことへの批判が含まれて いる。福祉サービスの対象者として扱われた人が主体的 に社会で行動するとは想像もしていなかったようだ。こ うした人間観の変革も必要だろう。同様に自ら必要な サービスを必要に応じて選択することは考慮さえもされ ていなかった。その意味で、先にも述べた介護保険制度 の場合、市場に委ねると言う欠点はありながらも、要介 護高齢者が自分でサービスを選べることによる自由を求 めたとも言えよう。国連の障害者権利条約に従って、 ﹁障害のある者﹂が政策決定過程に参加する要求を行動 に 移 す の は 当 然 だ ろ う 。 日本で旧来の﹁福祉﹂には含まれなかったものに、住 居の選択がある。市民社会では、だれもが自分たちがふ さわしいと思った場所で、だれと住むかも自由に選択で きることが保障されるはずである。しかし日本では地域 福祉といいながらも住居の保障がほとんどない現状であ る。﹁障害のある者﹂や要介護の高齢者が住まいを限定 されるというのも制度の欠陥である。すべての人たちが ﹁住む自由﹂のある社会を期待する。さらに、企業で雇 われて労働に就く場合にも住居は必要だ。その住居が確 す き ま 保されていない隙聞をいわゆる﹁貧困ビジネス﹂が埋め る 形 に な っ て い る 。 さらには障害のある人が権利主体という位置づけにな

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れば、旧来は﹁福祉﹂と扱われなかった範囲まで広がる。 労働や移動などについての政策は当然である。 さらには労働に集中するには自由に過ごす余暇時間も 必要だろう。文化・スポーツを楽しむこと、旅行を含む 移動の自由を保障すること、あるいは教育の充実など、 つまり生活全般にわたって快適に暮らせることが社会へ のインクル l ジョンとして重要だろう。この中には政治 参加︵中央政府だけではなく地方自治体への参画が共に 必要だろう︶は当然のこととして含まれる。 住民の理解を得るために ﹁障害のある者﹂を権利主体として扱うことは大切で ある。しかし、もう一つの側面がある。それは障害者の 実情を明確にして、他の住民を納得させることである。 この﹁納得をえる﹂作業は、口では簡単だが実際には難 しい。民主主義においては﹁市民による市民のための政 治﹂が重要だが、障害がない者だけに適した社会システ ムに、﹁障害のある者﹂は不便を感じているのだと障害 のない者を説得する作業が必要になる。 たとえば、﹁障害のある者﹂を多くの企業で労働の価 値に見合った条件で雇用するためには過剰な安い売り競 争を避ける必要が切実だ。これまでのように﹁障害のあ る者﹂だけを対象にして職業訓練をする必要があると企 画しても、実際に就職できる数は増えない。﹁障害のあ る者﹂向けの投資は一見無駄となる。あるいは障害のあ る人が自由に移動するために、バリアフリ

l

化やユニ バーサルデザイン化の作業を行なっても、障害のない利 用者が建物や交通に関してより安く行動することだけを 願っていると、実現できない。 つまり国連が制定した障害者権利条約に従って、他の 人と同じ権利を行使できるようにするためには、社会的 なコストが必要となる。障害のないその他の人がその社 会的な費用を引き受けることが求められる。その合意を 社会でどれだけ作れるかが、﹁障害のある者﹂には問わ れ て い る 。 社会政策として﹁障害のある者﹂に特別待遇をするこ とが目的ではないだろう。障害のある人がさりげなく普 こぺる 通に過ごせる社会にすることが求められているはずだ。 繰り返しになるが、そこで必要になるのは障害のない他 9

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の住民が﹁価格が安いものを選ぶだけ﹂という傾向をな くすことが求められる。それでは多くの消費者と数は少 ない消費者が対立する構図になってしまう。民間営利事 業者も、行政・政治も数が多い方に従うであろ、っ。結果 として何も変化がない社会になってしまう。 ﹁障害のある者﹂に対する政策確立に求められること は、より安い価格︵安売り競争︶だけを評価基準に行動 する多くの消費者の価値観を変えるという困難な作業だ。 それは安売り競争が生活を良くすることだという新自由 主義的な価値観を変えることにつながる。そう考えてく ると、当初メキシコが提案したことも納得できる。

O

八 年五月、この条約を批准した国が二十カ国に達し、この 条約が成立した。批准した多くの国々は開発途上国であ ることも当然だと思う。先進国の世界企業を中心とした 新自由主義政策による被害地域が多かったからだ。 これまでの日本の﹁福祉﹂は、それぞれの対象につい て特別対策として政策を展開してきた。ただ、そうした 福祉政策を活用して、その政策が目標としていた水準に まで達成できた人は少ないのではないか。とくに、差別 の解消に向けては不十分だったと思う。 社会をインクル l ジョン社会に変える必要がある。こ のことは国連の障害者権利条約から学んだことではある が、この影響は﹁障害のある者﹂だけに止まらないであ ろう。女性や高齢者、子ども、外国人、さらには被差別 部落に関連する人々など、これまで人権を認められてこ なかった人々の状況にも影響が及ぶものであろう。福祉 政策に置き換えれば、今の社会で生きにくい状態に置か れている全ての人たちに対する政策が実現することが期 侍 さ れ る 。

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最近読んだ本から⑪

個性的な自分史として

ーホ l キ ン グ 青 山 ﹃ 差 別 を し よ う ! ﹄ 高田嘉敬︵福祉施設職員・尼崎市在住︶ 著者は一一一歳でか史上初の身体障害者のお笑い芸人 U と し て デ ビ ュ ー 。 現 在 コ 一 六 歳 。 私 は テ レ ビ を 見 な い の で 、 お笑い芸人としての活躍のほどはわかりません。 各章のタイトルが、本書の内容を物語っています。 ﹁障害者ですが、障害者が嫌いです﹂﹁﹁障害者﹂は、商 売道具なんでしょうか﹂﹁自分だって﹁障害者﹂を利用 してきた﹂﹁オレが﹁差別しよう!﹂と訴えるワケ﹂﹁過 剰平等社会って、本当に苦しいんです﹂﹁だから、差別 を し よ う ! ﹂ 0 書名は挑発的ですが、内容はオーソドックス。障害者 は被害者意識が強い。だから、同じ被害者意識を持つも の同士の連帯感で、いつも一緒にいることが多くなるが、 群れたくない著者は、﹁被害者意識の強い障害者に連帯 感を持つことはできなかった﹂︵第一章一八頁︶、﹁結局 世間の障害者というものへの意識なんて、実は日年前と一 なんにも変わってない﹂︵第一章四一頁︶。これが著者の一 基本認識のようです。社会資源や環境が整い、﹁障害者一 と性﹂が話題にのぼるようになっても、﹁世間の障害者一 への認識が変わらない﹂から﹁担時間テレビ﹂が放映さ れ 続 け る 、 の だ そ う で す ︵ 四 二 頁 ︶ 。 第二章では、障害者のステロタイプ化︵紋切り型︶と一 の戦いが語られます。﹁障害者だからワガママ﹂とひと一 くくりする人びとに憤り︵五四頁︶、グ同じ人聞がである一 世間の人たちに手を差しのべることを求める︵五八頁︶ o 一 第三章では、﹁障害者と健常者﹂の関係が語られます。一 ﹁ ︵ 紋 切 り 型 の 障 害 者 像 は

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高田補足︶健常者でなくあく一 まで障害者が社会に参加することで変えられると思うし、一 それには障害者と健常者との一番の ν バ リ ア d となって一 いる障害者の周囲の人聞が意識を変えない限り︵略︶根一 本的にはなに一つ変わらない﹂とされる︵八六頁︶。一 第四章では、﹁担時間テレビ﹂と学校現場のおせっか− いが、障害者の自信喪失と健常者志向とを誘発している 様 子 を 描 く 。 一 第五章では、差別の効用と平等の悪弊のメカニズムが一 説明され、若い人の自信喪失は、過剰な平等の圧力に由一 こぺる 11

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せ ん 来するのだから、その反対の行為が処方筆となるはずで、 したがって平等の反対︵U差別︶をすれば、自信が回復 され、イジメも不登校も克服されるという︵一三七頁︶ 0 論旨はいたって明快なのですが、ところどころ論理の 飛躍についてゆけず、告発の書なのかラブコ l ル な の か 、 判 断 に 迷 い ま し た 。 著者は、﹁本来グ同じ μ である人聞を自分よりグ劣っ た も の u と見なす、これが﹁差別﹂である﹂といい︵九 九頁︶、﹁当たり前だが障害者といっても一人としておん なじ人間なんていないのだ。それを障害者・健常者双方 が知ったときに、はじめて真のバリアフリ

l

社 会 に な っ ていく﹂︵一八七頁︶と主張します。ここまではなんと か理解できるのですが、真のバリアフリ

i

社会になるに は、ちがいを知るきっかけとして差別をすべきだという 筋立てになっている。ちがいを確認するための手段とし て差別を奨励するにいたっては、あまりにも飛躍し過ぎ で す 。 差別というのは、人やことがらをこちらの世界︵自分 たちの領域︶から、いったん向こう岸に追いやる表現・ しぐさのことでしょうから、人間に対するまなざしが、 とてもささくれだったものになるはずです。そのような一 心の持ち方のままで、人が解き放たれる処方護になると− は と て も 思 え ま せ ん 。 一 著者は、ものごとを二つに分けることがお好みのよう一 です。障害者と健常者、差別と平等、被害者意識と自信− な ど 、 一 一 つ の 概 念 を 対 比 し て 繰 り 返 し 取 り 上 げ て い ま す 。 一 なかでも健常者や η おなじ人間 μ という言葉が頻出しま一 す。向こう岸の人︵障害者︶とこちら側︵健常者︶の間一 を固定的にくくる発想です。﹁七転八転﹄︵幻冬舎、開・一 ロ。﹃言語道断!ホ l キング青山自伝﹄情報センター一 出版局、何年刊を加筆・訂正・改題︶でも障害者と健常一 者の二項対立の発想は一貫しています。人と人との関係− は、体験やまなざしを通じて変わってゆくことに意味が一 あります。向こう岸の人たちが向こう岸でなくなる時が一 あ る と い う こ と で す 。 一 もちろん著者に揺れる思いがないわけではなく、別の一 著作で、ハンセン病元患者と一緒に講演した時の心の揺一 れを伝えています。舞台で並んだ瞬間、絶対にそんなこ一 とはあり得ないと分かっていても、ふとうつるんじゃな いかという不安がよぎってしまったという︵﹃ホ l キン一 グ 青 山 の 傍 若 無 人 ﹂ 創 出 版 、

ω

・ 8 0 一 五 九 頁 ︶ 。 ﹁ 自 分 一

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が身障というか偏見にさらされる側。からハンセン病と いう未知の方を見慣れない故にか偏見にさらす側 μ と し て見てしまったことが、身障・健常という立場ではない さ ぴ 一人の人間として率直に淋しく情けなかった﹂︵向上一 六

O

頁︶という自己省察は貴重です。 ところで、著者は障害者をめぐる状況について﹁なん にも変わってない﹂とおっしゃるけれど、この二

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年 間 、 障害のある人たちが働く現場で地域を眺めていると、大 きな変化を実感します。障害のある人との出会いは着実 は る に増えており、たとえゴ

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ルは遥かかなたであろうとも ﹁なんにも変わっていない﹂と総括するのはあまりに不 正確です。少なくとも、物理的に排除されなくなったこ と一つをとっても大きなちがいです。友人と喫茶店に入 ったとたん﹁汚い。追い出してくれ、金を返せ﹂などと わめく客がいる時代ではありません︵入部香代子﹁何が 変 わ っ た の か ? ﹂ 、 ﹃ ま ね き 猫 通 信 ﹂ ∞ ∞ 号 、

ω

・ 日 ︶ 。 ﹁障害者が弱者とみなされる一番の理由は機動力であ る﹂という主張︵一七一頁︶を読んで、あらためて著者 が身体障害の度合いを基準に障害の軽重をお考えなのだ なと思いました。著者が語るのは、体験に根ざした、先 天的に身体に障害がある人のことで、精神や知的能力に− 障害のある方はあまり想定されていません。他の著作− ︵﹃日本の差法﹄新風舎、白・日。ピ l トたけしとの対一 談︶で、﹁オレらみたいな体は不自由だけど、頭は不自一 由じゃないみたいなヤツは騒ぐ﹂︵八

O

頁 ︶ と 明 快 で す 。 一 これが、著者の障害︵者︶観の根っ子なのでしょう o − 障害者の被害者意識が繰り返し描かれますが、私が実一 際に出会う障害のある人の多くは、言語的な表現が苦手一 で、﹁被害者意識﹂はそれほど感じられません。著者の一 障 害 ︵ 者 ︶ 像 に は 疑 問 が 残 り ま す 。 一 いくつかの事実誤認も気になったところです。﹁まっ一 たくほかの事業所に所属していながら事業所にもオレに一 ふ た ま た もウソをつき二つの事業所で二股をかけて﹂いたヘル一 パ l を問題にしている個所︵一五

O

頁︶は、誤解を招き一 やすい表現です。というのは、この場合、そのヘルパ

i

− が常勤なら所属の就業規則︵兼職規定︶に抵触するかど一 うかのことですし、登録のヘルパ!なら、二股どころか、一 さらに複数の事業所に登録するほうが通例で、まったく一 問題になりません。また、いちいち利用者に登録先のす− べ て を 告 知 す る 必 要 も あ り ま せ ん 。 一 こベる 13

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続いて、﹁ょっぱらいの介護﹂の事例が紹介されてい ます。このような悪質極まりないヘルパ

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は 、 た だ ち に 、 つまみ出さなくてはなりません。飲酒運転が刑事罰にな ることと同等です。著者は﹁ヘルパ

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不足﹂を理由に抗 議を控えたそうですが、理解に苦しみます。このような 事態は、関西ではまず考えられません。三

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年ほど前な ら、ヘルパーのほとんどが学生ボランティアでしたので、 我慢を強いられたこともあったようですが。私の周囲に は、日々葛藤をかかえながらも、誠実に介護に奮闘する ヘ ル パ ー が 断 然 多 い 。 読後、もしも著者が障害のある﹁当事者﹂でなければ、 島 d h 、 この本の意味はなかったことになりはしないかと危倶し ました。本書には書き手としての自意識が過剰な箇所が 多く、人の心の揺れ方を丁寧に叙述する慎重さに欠ける うらみがあります。また、広告の帯にはピ

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トたけしの ﹁こいつは差別されるプロだからな。あやふやな平等よ り差別のほうがマシなんだよ、絶対﹂という文章が載っ ていますが、それほど鮮烈ではありませんでした。 ここまで書いて、はたと私の誤読に気付きました。本 書が評論ではなくて、個性的な自分史︵著者の体験談︶ として読めば、口を挟む必要などなかったのです。とも 14 i可 歳 出 の 書 世 房 渡 新 り 社 術 L一一 一一 シ O リ O l九 ズ 年 ) 九 月 本 体

円 十 税 かく障害のある人が向こう岸の人ではないことが確かめ られ、この一点からだけでも一読の価値があるというも の で す 。

R 文 中 で 触 れ ら れ な か っ た ホ l キ ン グ 青 山 さ ん の 著 書 を 以 下 に あ げ て お き ま す 。 ﹁ 身 障 者 ・ お 笑 い 芸 人 と い う 生 き 方 ﹄ 植 出 版 社 、 白 ・ 7 0 ﹁ 笑 え ! 五 体 不 満 足 ﹄ 星 雲 社 、

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・ 日 。 ﹃ d Z H ︿ 肘 河 川 凶 ﹀ ﹁

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円 内 ﹄ 海 拓 舎 、 回 ・ l o

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− 印 門 店 一 ﹂ 愛 知 出 版 、 共 著 o M ・ 5 0 ﹁ 傍 若 無 人 ﹄ を 一 部 改 古 向 。 イ ま N I ﹃ お 笑 い ! バリアフリ 1 セ ッ ク ス ﹄ ち く ま 文 庫 、 ﹁ d Z H ︿開問

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何 己 を 改 題 。 出 ・ 9 0

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い の ち を 生 き る ⑮ 長谷川洋子︵大阪府小学校教員 三 島 郡 島 本 町 在 住 ︶

通夜の席で

一 月 一 四 日

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さん急死の知らせを受けた。本当に突 然のことで、うろたえた。血圧を気にしていたが、お酒 を飲んでも健康体だと、つねづね彼は自慢していたのに。 東京の会議中に倒れて、病院に運ばれたということだ が、仕事のストレスがきっかったんやないかなあ。 携帯電話で連絡を聞きながら、夕焼けに沈む運動場や 遠くの灰色の山並みをぼんやり眺める。 土 曜 の 夕 方 、

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さんご夫婦には若いときからお世話になりどおしだ った。現在の住み処、この小文を書いているパソコンも み な

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さんが見立ててくれた。日曜の昼はたいていご一 家といっしょにビ

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ルをあけた。数年前から疎遠になっ ていたが、二

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代から飲んだ回数、遊びにいった回数は 膨大だ。ご夫婦ともきわだってやさしいので、思い出は ど れ も 鮮 烈 な の だ 。 お通夜は雨。会場は国道の脇にあった。照明の暗い入 り口の前で、赤い傘をさしてきでしまったことを気にし ながらうろうろする。 病気をしてから葬式が苦手になった。こわいのだ。な るべくぎりぎりに会場に入りたい。 たくさんの参列者だった。みな五九才の彼の死が信じ られない面持ちで次々とやってきた。 連れ合いの

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さんが奥の方に静かに立っていた。 あいさつ 何と挨拶していいかとまどっている私に、﹁ばかで す ﹂ と 一 言 静 か に 一 三 一 口 わ れ た 。 ﹁ 私 の 方 が 先 に 逝 く と 思 っ ていたのに﹂と思わず応えてしまう。 次から次へとやってくる参列者の顔ぶれを見て不思議 な気分になる。およそ一五年前、日教組の路線変更など た も と 数々のポイントで、私はあるひとたちと挟を分かち、 新しい出会いを重ねてきた。続ける価値があると思いな がら、足が遠のいていった市民運動もあった。 こベる 15

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訣を分かったひとたち、あらたに出会ったひとたち、 そのすべてのひとたちが一堂に会した感があった。ご夫 婦の付き合いの広さ、人柄のおかげだろう。まるで

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市 の教育史や市民運動史の本をぶちまけたようだつた。 ほ う ぜ ん その不思議な光景に見とれながら思わず呆然とした。 これが死ぬということなのか。これが彼の一生というこ と に な る の か 。 こ の 前 の 衆 院 選 の 最 終 日 、

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候補者の街頭演説を聞き み な せ に水無瀬駅前に行った。その日も雨だった。雨のせいで 参加者は少ない。その中に

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さ ん が い た 。

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さんは会社の社長なのに社民党の

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さんの応援をし て写真撮影を担当していた。この日も忙しく動き回りな がら街頭演説のようすを撮影していた。 私 と

F

さんとは、話はするものの、結局、元の関係に は一民れなかったのだが、本屋の壁にもたれて

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さんの話 や つ れ を 聴 い て い る 私 を 、

F

さんは嬉しそうに面白そうに見つ めていた。あのときの彼の眼差しは昔のままだった。 私の中の、暖かく輝きにみちた

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さんの像は、死を乗 り 越 え て 残 り つ づ け て い く 、 だ ろ う 。 一 週 間 前 の

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検査の結果ですが、異常な− しでした。あと半年後のベット検査で異常がなかっ一 たら、今回の治療は﹁治癒﹂ということになります。一 一一 月 二

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帰ろうとして学校の暗い廊下に出たとき、東京の医師 H 先生から電話がかかってきた。 が ん ﹁治癒﹂という響きにうっとりする。進行癌になった ら完治はありえず、﹁再発﹂のことしか聞かされてこな かった身には、﹁治癒﹂は春の訪れのような響きだ。暗 い運動場を眺めながら先生に何度もお札を言う。﹁みん なこのように経過がよかったらいいのですが﹂と、

H

先 生は静かに話を結ぼれた。 ﹁ょっしゃ!﹂廊下で一人、こぶしを握って叫んだ。 これから、修学旅行の下見にきている

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さんとその同僚 に京都でお会いすることになっている。 良い報告を持っていけるぞ! くださるにちがいない。 A さんはきっと喜んで

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鴨 水 記 求 め た 新 書 に こ ん な 一 節 が あ り ま し た 。 木 さ ん の 言 、 っ ﹁ 難 所 ﹂ を 通 り 抜 け 、 日 マ暮れの十二月三十日、高校時代から﹁青春は美しいというのは、そこを標をつかんだ瞬間に倒れたわけで、さ の 友 人 N の墓参りで宇治市に出かけま通りすぎて、ふりかえったときに言えぞかし無念だったろうと思います。 した。いま一人の友人 S と一緒に二十ることで、青春のさなかは大変苦しくマ一月十日、岐阜市島公民館で聞かれ 年来つづけている恒例の行事です。暗いものだとおもいます。大海でたった﹁成人式﹂に招かれ、百人ほどの﹁新 高校を卒業後、国鉄に入社した N のた一人もがいているような。さまざま成人﹂に三十分間、話をしました。冒 目標は特急列車の運転士で、蒸気機関な可能性がひしめきあって、どれが本頭、緊張していたのか上がってしまい 車の助手を手始めに勤め上げ、一九人当の自分なのかわからないし、海のもましてね。しかし﹁今日は、わたしの 七年四月、特急﹁雷鳥﹂の運転士を命のとも山のものともわからないし、か七十一歳の誕生日なんです﹂と言うと、 じられた矢先に食道癌を発症、年を越らだのほうは盲目的に発達してゆくし、﹁おめでとうご、ざいます!﹂の声がか せずに亡くなりました。享年四十九歳。心のほうはそれに追いつけず我ながらかり、いっぺんにリラックス。﹁世間 あ ふ 入 院 中 の N に、出版されたばかりの﹃同幼稚っぽいしで。ありあまる活力と意に満ち溢れているみっともない大人に し ょ 、 ワ ち ん 和はこわい考﹄を贈呈すると、えらく気消沈とがせめぎあって、生涯で一番だけはならないで。人生に間違いや失 喜んでくれたことが思い出されます。ドラマチックな季節です。/自分をつ敗、小さな抄郎は付き物です。大事な あ き ら わたしたちが学んだのは、いわゆるかむという、難事業中の難事業のとつのは﹁慌てない・焦らない・諦めないし 進学校ではない、ごく普通の市立高校ぱなですから途方にくれるのも無理かの三つの﹁あ﹂。不当なラベルやレツ で、家庭環境も異なる生徒が集まってらぬこと。どんな時代にも、青春期にテルをはられるかもしれないけれど、 く じ いました。そこで過ごした三年間につハンドルを切りそこなう人が多いのは、挫けずに生きてほしい﹂と語りかけま ちかわれた﹁友情﹂が、本人が亡くなたしかに危険なカ 1 ブ、なかなかの難した。彼ら・彼女らの眼差しと姿勢か ったいまもつづいていることに、わた所であることがわかります﹂︵茨木のら、﹁わかったよ﹂というサインが伝 し は 深 い 感 慨 を 覚 え ま す 。 り 子 ﹃ 詩 の こ こ ろ を 読 む ﹄ 岩 波 ジ ユ ニ わ っ て く る よ う で 、 わ た し の 方 が か え マその日、京都駅南の本屋さんで買いア新書、

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・ 口 、 第 四 ∞ 刷 ︶ o N は、茨って励まされた次第。︵藤田敬一︶ 編 集 発 行 者 こ べ る 刊 行 会 ( 編 集 責 任 藤 田 敬 一 )

発行所京都市上京区衣棚通上御霊前下ル上木ノ下町73-9阿昨社

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望え第203号 干 仙 一0017 Tel. 075 414却 51 Fax. 075 414 8952 −、〈?と.J 2010年2月25日発行 E-mail:[email protected] http://wwwl.odn.ne.jp/aunsha 定価300円(税込)年間400D円郵便振替01010-7-6141

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教育改革という学校の危機

つ 犬

学力低下 、 セ キ ュ リ テ ィ 問 題 、 い じ めだけが危機

改革また改 革 の か け 声 の 中 、 ﹁ 豊 か さ ﹂ を ほ り 崩 さ れ 、 緩 慢 に 、 し か し確実にや せ 細 り つ つ あ る 現 在 の 学 校 の 姿を浮き 彫 り に す る 。

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四六判 ・ 並 製 ・ 2 3 8 頁 ・ 定 価 ︵ 本 体 二 一 OO 円 + 税 ︶ | S B N 9 7 8 ’ 4

90 0 5 9 0 ’ 89 ’ 2

教育

境界研究会編

目 次 − 学 校 に 人 は 住 ま っ て い る か −むかし学 校は:・廃校舎と 希 望 / 校 区 と 運 動 会 / ラ ジ オ 体 操 と 生 命保険 / ﹁ 山 ひ こ ﹂ と 愛 の ム チ / 家 庭 科 宰 芝 西 欧 モ ダ ン / ミ シ ン と 舶 の し ゃ れ / 校 歌 と 効 果 / 写 真 屋 さ ん と ユ ー ミ ン / 女 教 師 と 看 護 実 習 / 班 ノ | 卜 ・ 学 級 通 信 と 親 密 さ / 同 窓 会 と ﹁ 学 校 ﹂ 2 豊かだった・:か?コクサイと T P O / 上 履 き と 民 主 教 育 / 制 服 と ノ ス タ ル ジ | / 給 食 と 秘 密 / レ ン タ ル ペ ッ ト と 学 校 知 / プ ロ レ ス 湾 ひ と 表 ・ 裏 ル ー ル / 校 門 と 呼 び 声 / 卒 業 証 書 と イ チ ロ | / チ マ チ ョ ゴ リ と 軽 や か さ / 掃 除 と 落 書 3 教 育 0 ・ 改 革 ? ト イ レ と 太 郎 く ん / 蛍 婦 と メ リ ハ リ / ﹃ 心 の ノ ー ト ﹄ と 白 分 ら し さ / コ ン ビ テ ン シ ー と OO 力 / 土 曜 日 と 学 力 / コ ミ ュ ニ テ ィ ス ク ー ル と 学 校 選 択 / ア カ ウ ン タ ピ リ テ ィ と 多 忙 化 / 複 合 施 設 と 出 会 い / 切 礎 琢 磨 £ 学 校 規 模 / 監 視 力 メ ラ と 快 適 さ − モ ノ の 星 座 と 政 治 の 発 見

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三 ロ 守 二 O 一 O 年 二 月 二 十 五 日 発 行︵ 毎月 一 回 二 十 五 日 発行 ︶ 一 九九 三 年 五 月 二 十七日 第 三 種郵 便 物 認 可 定価 三 百 円 へ + 串 悼 降 二 日 川 ι 代 田 川 ︺

場違宗

参照

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