十九世紀初頭.の町と村
‑糸魚川黒貝騒動の分析を中心に‑
鎌田永吉
十九世紀初頭'すなわち天保改革の前夜に当る文化文政期の歴史的位置づけは'最近とみに試みられつつある。(1)すなわち'この時期は'まず'江戸地廻り経済国の発展に対応する幕府支配機構の再編・強化が進められる一方'(2)中央市場の独占強化への都市商業資本の坊極的動きと独占打破への新しい動向が激突しっつあり'その背蕊に化政期(3)の農村の一般的「繁栄」があったことはいうまでもない。これを地域市場の成立というかたちでとらえることも可能
であろう。一方'この時期の島民闘争は盈的に停滞する反面'闘争形旗が激化すると同時に'広域的特質を持つ事実(4)も指摘されている。
ところで'ここでとりあげる北陸地方の1小陣屋町糸魚川は'史料館機関研究の「近世城下町史料の基礎的研究」
の対象地域の一つとして'東北・中国地方等の外様大藩城下町に対する北陸譜代小藩の陣屋町の例として取り上げら(5)れたものであるが'この地域に関する系統的研究の成果報告はまことに乏しく'そこでの史料研究に当っても'かな
りの陸路に逢着することは否定できない。
十九世紀初頭の町と村(鎌田)
十九世紀初頭の町と村(鎌田)二二
一般に'城下町史料の基本的存在形態を確定することはきわめて困妊な作業に属する。個々的には'例えば'町年
育(惣町横断・商人司・領内割元なども含めた)や町庄屋の「御用留」の成立年代確定とその意味の把握'記載形式・内
容の相互比較検討などは勿論'「相場書上」ひとつをとってみても'その日的・性格・記載形式・機能等の時代的・
地域的差昇の確定などは'城下町史料の基本的類型・整理分類基準の確定や一般に古文書学的研究の基礎的・体系的
作業として重要視されるべきものであるが'その前提としては'一定程度の'その領国の構造‑支配制度・機構'
租税体系'さらに生産構造や市場関係等に関する基礎的事実の把握が必要であることも否定できない0
本稿は'当面この目的に添って'文政二年に糸魚川地方に発生したいわゆる黒貞騒動を素材に'十九世紀初頭にお
ける当地方の政治的・社会的矛盾の集中的表現形態を捉え'それによって'この時期の町と村の歴史的諸関係を具体
的に確定しょうとするものである。この作業は・それ自体二面・先の幕末期の臥㌘続くものであるとともに・本
来ここでまとめて取扱うべき'明治二年に発生した根知谷西浜一帯のいわゆる贋金騒動の分析を予定しているもので
あり'同時に'近世陣屋町史料の基礎的研究のための前提をなすものである。
註(1)当面'北島正元「化政期の政治と民衆」(岩波講座﹃日
本歴史﹄近世5)が最もすぐれた包括的問題提示をしている。
(2)さし当り'林玲子﹃江戸問屋仲間の研究﹄(l九大七'お茶の水苔房)のとくに第三章'北島正元編﹃江戸商業と伊勢店﹄所収の松本四郎氏の菱垣廻船仲間成立の
分析など町実証的成果参照。
(3)小野正雄「天保期を画期とした市場構成の変化」(磨 史学研究三二九)の問題捉起。
(4)青木虹二﹃百姓一挟の年次的研究﹄(一九六六新生社)1〇七貢以降。激化の原因については林基氏の'好.況による上層の戦線離脱'それによる貧農・半プロの孤立という指摘がある(同氏﹃百姓一操の伝統﹄)。(5)その中で一九六1年刊行の青1F/<真率氏者﹃青海‑その生活と発展‑﹄は'糸魚川を含めた西頚城姫川流域の諸地帯についてきわめて要領良くまとめられた最近の良書である。(6)拙稿「幕末・維新期の社会情勢」(上智史学十一)0
ニ
(1)まず黒月騒動といわれるものをその事件の経過に沿って'主題に関係する内容を次の数項に要約しておこう.3文政二年八月二八日'郡代黒河九郎治から町年寄・割元に対して総額九'三七五両の御頼金賦課が申渡され
た.賦課金額と人名は第1表のとおりである。
右の内'表下段の一'六八九両は西浜割元・惣代七人(山崎・奥泉・岩崎・子田・松山(禎)・竹田・関原)の丑年
(文化一四)の見越出金分で'残り七、六八六両と区別されている。九'三七五両の「御帳面高」内訳は'
①四千七百四拾両
②千六百八拾九両
③四百両
④千六百四拾三両
⑤内六百弐拾両
⑥残而千三百壱両
⑦九百三両
⑧内百両 仲間十八人音才覚上納分
国浜割元惣代支配村々見越出金之分
下両郷今度新出金之分
町方金主名前四十人分
寺町忠左左衛門幸左衛門大町源右街門三人先納引之
当上納之分
西浜在方二十一人出金分
田海村忠左衛門・qQ出金引之l(2)となる。右の内'①は割元仲間古才覚上納分とあるが'他の記録がこれを「貸金トシテ上納シタル分」と述べるよう
に':既納分と推定しうる。また②は右記録に「是ハ以前割元七人ヨリ取扱上納分」とあるごとく立替先納分と思われ
る(⑤・⑧は'ともに文化一五年以来の小林家「御用留」に登場する)。
十九世紀初頭の町と村(鎌田)一一三
+ii単躍,S慣e旨A)吏(蟹Ea)
第1衆丈政二年御頼金割賦人の構成(小林家「御用軌その他による)
御頼金高卜人
①②③④⑤@(診⑧⑨⑲⑳⑫⑬⑭
⑮⑳
⑳⑳
⑳⑳
⑳⑳
⑳⑳
、
両1,500.1003757004265606023021950207180180
00 05 20 00
00 00 10 21 85
0 C8 11 41 11
IlEl
名l役職l町(秤)内持高諸営業
寺町大町田梅村寺町 松山療右街門小林与一郎山崎只右衛門関屋徳右衛門目黒十左街円池原仁左衛円奥泉九八郎岩崎七右衛門子田六三郎松山禎四郎竹ー田甚五右衛門八木藤右衛門猪又八郎右街門小山茂三郎猪又吉五郎関原徳十郎七右衛門武右衛門事左街門×源右衛門○忠左衛門○幸左街門△紋左街門○茂右衛門○ 町年寄・用達(本陣)剖元・用達(川西ヵ)////用達 ::)(下欄)
(大和川村ヵ)剖元・用達加談//・////●//
捌元次席・才覚加談////////////
剖元惣代(田伏村)::)(下丙郷) 43.4100.1731.16029.66122.192(0.897)6.717
63.467
(天保1。.8喜.la喜器コ5.1326.285 淑船・酒造・信州商売
氾船・信州商売
鋼船
廻船(34石積)・紺屋
廻船請只船
信州商売(廻船)
問屋大工
酒造謂只船
信州商売
四十物・鋼船
I1LF] (塵応2.62.162)
28.577
天保14.1;.3:三…3コ
0.3690.234
83.92329.986
0.7510.25721.577
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右 次 右 右右 誓 右兵 五之 兵兵 兵 大兵 兵右 左
三 九 右右 右
又甚 儲 伊事 惣 四甚 儀 金甚 源喜 元仁
仁五 仁利 清 彦 金 清 助 友繕 庄
村 町 村村 町町 村村
町 村村 町 町 町町 村村
村 町 町町
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+ii封躍岸7雷e巨A)定(豊臣)
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船商売船商売(32右横)
酒造
船商売
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31.50820.65913.4621.4251.8851.684
9.0083.4472.88612.452
(慶応2.4.581)0.3701.9900.74435.6004.3734.9653.955
(葉陰芋:圭三言)0.708
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(文化14.庄屋)庄屋(文化14.庄屋)庄屋
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命r/ ),勤封濁し8野竹.春霞外殻関.()Pq苗詳細.この推定は,次の史酢よってともに先納立替金であることを確認しうる。
御借金之内割
合之覚御借金高壱万四千三百七拾両也此訳金千六百八拾五両ハ七千石百姓
方才差上垣侯御滞金高'但元金也'利米五升五ヶ年御倍置同千六百両ハ御領中依御見立
二差上置候御滞金高'但元金也'利足通五歩五ヶ年御借置同三千八拾六両ハ御在所町年寄割元御用遠方才
差上置供御滞金元利金高'内千両余ハ松山才差上置候金高同三千両ハ今度御頼金被仰付侯八拾人之者
共差上可申金高'但町年寄割元御用達加談人共十八人除之同五千両ハ江戸
御借財'内金弐千両ハ大殿様御貯金'三千両ハ御他借之事つまり'江戸借金五千両を除く九'三七一両のうち六'
三七一両は在方先倍(上納)金すなわち御滞金である。今十九世紀初頭の町と村(鎌田)
十九世紀初頭の町と村(鎌田)
度上納金は三'〇〇〇両(実は二'九四三両)であることがわかる。
大野村「記録官」が'「御用達町年寄剖元十八人之者♂差上置侯金子'元利共引取申積二両'江戸御借財之方江ハ
差向ケ不申積り」と喝破している根拠はそこにあったことを確認しておこう。
各庄屋・被割賦人は'一宮社殿で会合して五力年賦上納願を申出たが'町年寄・割元は実現の可能性なしとしてこ
れを取次がなかった。切九月二日夜に'町・在六二軒の大戸に①江戸出訴'②町年寄松山察右衛門追放'③蜂起の趣意を記した張紙があ
り、同五日早朝に町方数名の出訴の事実が判明Lt次いで在方出訴も明らかとなった。出訴人は総計四四名(表中○
第2表 訴訟参加者の内訳
(第 1表中⑳‑㊨)
町方 在方 計
24(1) 20(4) 44(5) 6(1) 00 76(1)
1J 4
人等帰着慮不加tJ・iJ'・.・?ltd気不坂訟田柄で大訴
①②③④
註. ( )内は当時庄屋。
印のもの)。郡代・町年寄らはこの対策に追われた。籾1方'越訴勢出発の翌六日'羽生・村山山中に一挟勢が集合していたが'藩当局・
町役人も気付いていなかった・(略地図参照)。そして'突如二二日夜から'前記町年寄兼
用達松山察右衛門居宅・土蔵'分家小松屋良八'弟の割元兼内用達加談人松山禎四郎の
各居宅・土蔵に打ちこわしがかけられる。一挟勢おはそ二'〇〇〇名と町年寄は報告して
いる。さらに別働隊およそ五〇〇名が陣屋に向かい'郡代黒河との面会を強要し'五箇(4)条の要求書をつきつけた.翌一四日'一挟勢は増加して三千‑四千名に達し'剖元兼内
用達加談人子田六三郎・同竹田甚五右衛門・横町善玉左衛門宅も打ちこわしはじめた。相ところで'打ちこわし計画に連判しながら両日の行動に参加←ない村があった。大
野村はじめ根知谷ヵ村がそれである。一挟勢はその背信行為を怒り'一五日夜を期
しての町・在連合勢力による大野村打ちこわし計画を樹てていたが'根知谷勢はこれを
本
十九世紀初頭の町と村(鎌田)
那
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