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Vol.67 , No.2(2019)043久保田 正宏「智顗の証位をめぐる宋代天台諸師の解釈」

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Academic year: 2021

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印度學佛敎學硏究第六十七巻第二号   平成三十一年三月 二四二

智顗の証位をめぐる宋代天台諸師の解釈

はじめに︱︱志磐による智顗の証位観︱︱

天台智顗の証位を五品弟子位に定めるのは、基本的な考え 方であろう。灌頂﹃隋天台智者大師別伝﹄によれば、南岳 慧 思 が、 智 顗 の 証 位 に つ い て﹁所 レ 入 定 者、 法 華 三 昧 前 方 便 也。 所 レ 発 持 者、 初 旋 陀 羅 尼 也 1 。﹂ と 言 っ た と さ れ、 智 顗 が 自ら臨終のときに、 ﹁吾不 レ 領 レ 衆、必浄 二六根 一、為 レ他損己、 只是五品位 耳 2 。﹂と語ったとされる。そして、 ﹃法華玄義﹄巻 五 上 の﹁若 大 乗 懺 悔 発 二 初 随 喜 円 信 之 心 一、 獲 二 一 旋 陀 羅 尼 一 不 レ レ 人 説 一。 雖 二 種 種 分 別 一、 亦 不 レ解。 況 後 諸 位。 二 乗 尚 不 レ 聞 二 其 名 一。 豈 凡 人 能 説。 此 語 有 レ 意。 大 師 自 説 二 己 証 一 也 3 。﹂ と い う 記 述 に 対 す る 、 湛 然 述 ﹃ 法 華 玄 義 釈 籤 ﹄ 巻 一 〇 の ﹁ 約 レ 位 竪 明 、 雖 レ 在 二 六 根 七 信 已 前 一、 今 通 明 レ 之 乃 在 二 初 心 4 一。﹂ と い う 釈 は、 智 顗 の 大 蘇 開 悟 の 証 位 を、 五 品 弟子位の中の初随喜品に確定させる基本説になる。 と こ ろ で、 南 宋 末 期 ︵一 二 五 八 ︱ 一 二 六 九︶ に 成 立 し た 大 石 志 磐 ︵生 没 年 不 詳︶ ﹃仏 祖 統 紀﹄ 巻 六 に は、 ﹃隋 天 台 智 者 大 師 別 伝﹄ の﹁所 レ 入 定 者、 法 華 三 昧 前 方 便 也。 所 レ 発 持 者、 初旋陀羅尼也。 ﹂ という記述に対する志磐のがある。 凡 登 住 為 二 真 修 一、 十 信 為 二 便 一。 今 言 レ 者、 正 指 二 品 一也。 ⋮⋮ 今 言 二 旋 一、 即 空 持 也。 大 師 初 入 定 者、 是 前 方 便、 即 五 品 観 行 位。 所 レ 発 持 者、 旋 陀 羅 尼、 即 十 信 相 似 位。 依 二 因 此 定 一 レ 発 二 空 持 一。 是 為 下 品 之 功 一 入 中 信 上 也。 ⋮⋮ 至 二 臨 終 一 自 説、 是 五 品。 蓋 欲 下 誡 二 徒 一 以 自 行 為 上 レ 故、 託 二 謙 辞 一 示 レ 居 二 行 一也。 大 師 責 二 子 一 曰、 汝 等 懶 レ 根 一、 問 二 他 功 徳 一。 告 レ 何 益。 蓋 此 意 也。 当 レ 知。 大 師 若 本、 若 迹、 皆 不 レ知。 等 覚 与 歟 、 妙 覚 与 歟 。 梁 氏讃 レ之、若此。今復何 論 5 。 志 磐 は、 智 顗 の 真 修 を 初 住 以 上 と し た 上 で、 方 便 を 十 信 位、前方便を五品弟子位とし、大蘇開悟で初旋陀羅尼を得た 智顗は、実には十信位に入っていたと主張する。そして、智 顗 が 自 ら 臨 終 の と き に 五 品 弟 子 位 に 居 る と 語 っ た の は、 ﹁謙 辞﹂に過ぎないというのである。また、最後の﹁梁氏﹂とい う言葉が注目されよう。これについて、最澄﹃内証仏法相 承 血 脈 譜﹄ に は、 ﹁⋮⋮ 若 下 安 二 法 界 一、 現 為 中 比 丘 上、 等 覚 歟、

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二四三 智顗の証位をめぐる宋代天台諸師の解釈︵久保田︶ 妙 覚 歟。 不 レ 二 得 而 知 一 6 。﹂ と い う 智 顗 を 顕 彰 す る 記 述 が あ る。 こ の 記 述 は、 最 澄 が 将 来 し た と さ れ る 梁 粛 ︵七 五 三 ︱ 七 九 三︶ ﹃天 台 智 者 大 師 仏 隴 道 場 記﹄ 一 巻 7 の 引 用 で あ る こ とが、先学により指摘さ れ 8 、さらには、志磐の説との関係性 も指摘されてい る 9 。 さて、志磐の説は、上記の基本説と異なるために、特異な 説として扱われ易いのである が 10 、こうした説が醸成された思 想史的背景が不明瞭である。そこで小稿では、宋代天台諸師 に よ る 智 顗 の 証 位 観 や、 ﹁判 摂 の 五 品﹂ の 解 釈 を 確 認 す る こ とを通して、宋代天台の思想史の一端を明らかにしたい。

智顗の証位と

﹁判摂の五品﹂

五品弟子位が十信位の中に含まれるという、いわゆる﹁判 摂 の 五 品 11 ﹂ に 関 す る 記 述 と し て は、 ﹃摩 訶 止 観﹄ 巻 七 下 の ﹁若 依 二 普 賢 観 一、 即 以 二 五 品 一 為 二 十 信 五 心 12 一。﹂ と い う 文 や、 ﹃法 華 文 句﹄ 巻 一 〇 上 の﹁或 云、 初 随 喜 品 是 入 二 信 心 位 一。 分 二 一 品 一 為 二 両 心 一、 五 品 即 十 信 心 13 。﹂ と い っ た 文 が 挙 げ ら れ るであろう。また、湛然も﹃法華文句記﹄巻一〇中で﹁大師 有 時、 依 二 賢 観 一 二 五 品 位 一 在 二 六 根 内 一。 故 云 二 相 似 14 一。﹂ と 述 べ る の で あ り、 神 智 従 義 ︵一 〇 四 二 ︱ 一 〇 九 一︶ は﹃法 華 三 大部補注﹄巻一〇において、この湛然の記述を釈する中で 次のように記す。 ⋮⋮ 故 知。 大 師 位 居 二 品 一 亦 在 二 信 一 初 信 七 信、 名 二 旋 陀 羅 尼 一 旋 レ 仮 入 レ 也。 故 得 三 称 為 二 旋 陀 羅 尼 菩 一也。 故 分 別 品 末 文 句 云、 分 二 一 品 一 心 一、 五 品 即 十 信 也。 故 南 岳 謂、 大 師 所 レ 入 定、 是 法 華 三 昧 前 方 便 也。 所 レ 持 者、 旋 陀 羅 尼 也。 故 隋 煬 帝 答 二 旨 一云、 五品・十信、已 白 自力 皎然。具在 二 録 15 一 従 義 は、 ﹁判 摂 の 五 品﹂ を 根 拠 に、 智 顗 が 十 信 位 に も 入 っ て い た と 主 張 し、 智 顗 を﹁旋 陀 羅 尼 菩 ﹂ と 呼 ぶ の で あ る。 ま た、 ﹃国 清 百 録﹄ 巻 三 の﹁王 答 遺 旨 文﹂ に お け る﹁五 品・ 十 信、 已 自 皎 然 16 。﹂ と い う 煬 帝 の 言 葉 と さ れ る 文 も 援 用 し て いる。このような従義の考えは、 ﹃止観義例纂要﹄巻四にも、 ﹁普 賢 観 経 既 以 二 五 品 一 二 十 信 内 一。 故 知。 智 者 亦 得 三 為 二 相 似聖師 一。具如 二 大部補 法 力 中 弁 17 一。﹂ と見ることができる。 従義のように、智顗の証位を﹁判摂の五品﹂と関連させて 論じる場合には、十信位も含めた智顗の証位を認める傾向が 強 く な る の は 当 然 で あ ろ う。 後 代 に 目 を 移 せ ば、 玉 岡 蒙 潤 ︵一 二 七 五 ︱ 一 三 四 二︶ 述﹃天 台 四 教 儀 集 ﹄ 巻 下 に、 ﹁⋮⋮ 若 普 賢 観、 品 信 合 説。 蓋 赴 レ 異 爾。 又、 吾 祖 位 居 二 五 品 一 而 云 レ 二 旋 総 持 一 者、 然、 旋 レ 入 レ 空。 約 レ 位 竪 論、 雖 レ 二 六 根 七 信 已 前 一、 約 レ 観 横 弁、 不 レ レ 通 二 五 品 18 一。﹂ と い う 記 述 が 見える。蒙潤は、智顗の証位について、十信位と明言するこ と は な い が、 ﹁判 摂 の 五 品﹂ と 関 連 付 け る こ と 自 体 に、 智 顗 が十信位に到達していた可能性を認めようとする姿勢が表れ

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二四四 智顗の証位をめぐる宋代天台諸師の解釈︵久保田︶ ていると言えよう。

曇照﹃智者大師別伝﹄

の記述

四明曇照 ︵生没年不詳︶ の ﹃智者大師別伝﹄ は、中国にお け る﹃隋 天 台 智 者 大 師 別 伝﹄ 唯 一 の 釈 書 で あ り、 ﹃仏 祖 統 紀﹄ 巻 二 二 19 に よ れ ば、 宣 和 ︵一 一 一 九 ︱ 一 一 二 五︶ の 初 め に 成 立 し た と さ れ る。 ﹃智 者 大 師 別 伝 ﹄ 巻 上 で は、 前 に 示 し た ﹃隋 天 台 智 者 大 師 別 伝﹄ の﹁所 レ 入 定 者、 法 華 三 昧 前 方 便 也。 所 レ 発 持 者、 初 旋 陀 羅 尼 也。 ﹂ と い う 記 述 を、 次 の よ う に 釈している。 ⋮⋮ 今 言 レ 者、 即 是 五 品・ 十 信 也。 以 二 住 一 為 二 修 一也。 即 以 二 十 信 一 便 一。 今 言 二 前 方 便 一 、 知 レ五品 一。 至 二 於 祖 師 遷 神 時 一 而 云、 吾 只 五 品 位 爾。 且 有 二 所 証 一。 南 岳 即 定 已 至 二 品 一。 況 行 道 日 久。 想、 証 入 弥 高。 其 最 後 五 品 之 告、 未 レ レ 量 也。 故 梁 肅 云、 等 覚歟、妙覚歟。不 レ 可 二得而 知 20 一。 この釈は、明らかに先述の﹃仏祖統紀﹄巻六における志 磐のと近似している。曇照は、智顗の真修を初住以上とし た上で、方便を十信位、前方便を五品弟子位とし、智顗の証 位を五品弟子位に限定することには懐疑的である。 ま た、 梁 粛 の﹁等 覚 歟、 妙 覚 歟。 不 レ 可 二 得 而 知 一 也。 ﹂ と いう記述を援用している。これらの点は、悉く志磐の考えと 合致するものであり、前に見た志磐のは、この曇照による 釈を基にしている可能性が極めて高いのであ る 21 。

善月と法照による智顗の証位観

柏 庭 善 月 ︵一 一 四 九 ︱ 一 二 四 一︶ と 仏 光 法 照 ︵一 一 八 五 ︱ 一 二 七 三︶ は、 と も に 智 顗 の 証 位 を 五 品 弟 子 位 に 定 め る 学 匠 である が 22 、両者の教説を確認すると、一概に智顗の証位を五 品弟子位に限定するものではないことが浮かび上がる。 先 ず、 善 月 の﹃山 家 緒 余 集﹄ 巻 下 23 に は、 ﹁自 レ 莫 レ 二 大 師 証 位 進 否 一 為 中 一 疑 難 上。 蓋 拠 二 大 師 行 位 一、 有 レ 本 有 レ 迹。 本 固 等 妙 相 測 之 人 也。 姑 置 レ 本 而 論 レ 迹。 ⋮⋮﹂ と い う 記 述 が見え、善月は、智顗の証位の本地については、梁粛と同様 に、 等 覚 や 妙 覚 に ま で 達 し て い る こ と を 暗 示 す る。 そ の 上 で、 垂 迹 の 証 位 に つ い て は、 ﹁苟 以 レ 得 二 陀 羅 尼 一 為 レ実、 則 五 品応 レ 非耶。若以 二五品 一 為 レ 当、則陀羅尼応 レ 濫耶。両者若為 定 レ 之 曰、 如 レ 論 二 其 迹 一。 当 下 以 二 五 品 一 為 上 レ 定。 ﹂ と 述 べ る の であるが、この中で、智顗が十信位に入っていた可能性にも 言及している。 この可能性の根拠となるのは、やはり智顗が三陀羅尼の中 の初旋陀羅尼を得ていたとされることであろう。善月は、同 書同巻において、前の湛然述﹃法華玄義釈籤﹄巻一〇の﹁約 レ 竪 明、 雖 レ 在 二 六 根 七 信 已 前 一、 今 通 明 レ 之 乃 在 二 心 一。﹂ と い う 説 を 基 本 と し つ つ、 こ の 基 本 説 と、 四 明 知 礼 ︵九 六 〇 ︱

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二四五 智顗の証位をめぐる宋代天台諸師の解釈︵久保田︶ 一 〇 二 八︶ 述﹃金 光 明 経 文 句 記﹄ 巻 三 上 に あ る﹁但 是 等 者、 法 華 中 説 二 三 陀 羅 尼 一。 雖 レ 通 二 初 後 一、 似 位 得 レ 之、 其 相 最 顕。 ⋮ ⋮ 24 ﹂ という記述との会通に努め、次のように述べる。 今 約 二 二 義 一 申 レ 之。 謂、 横 竪・ 通 別 也。 文 直 言 レ 竪 而 已。 竪 必 対 レ 横。 又 曰、 通 而 已。 通 必 対 レ 別。 文 互 現 耳。 意 謂、 横 論 則 位 位 三 種。 竪 論 則 対 二 位 前 後 一 通 義 通 二 於 始 終 一 別 義 対 レ 位 如 レ 常。 云 云 レ 然、 豈 有 二 通 之 義 門 一 乎。 然、 則 大 師 以 二 品 位 一 得 二 陀 羅 尼 一 者、 蓋 竪 中 之 通 耳。 ⋮⋮ 夫 惟、 約 二 相 顕 一。 即 四 明 所 レ謂、 似 位 得 レ 其 相 最 顕 、 以 下 信 之 位 一 見 思 等 義 顕 上 也 。 由 レ 論 レ 、 進 不 レ 違 二 教 門 常 途 一 退 不 レ 失 二 大 師 所 証 一。 斯 其 為 二 正 説 一 也。 凡 余 文 相、 旧能釈通者、茲不 二 復 揀 25 一。 要するに、知礼のように、三陀羅尼を得る位は十信位が最 も 適 当 で あ る と い う 見 解 は、 教 学 の 基 本 に 違 う こ と が な く、 同時に、湛然のように、智顗の証位を五品弟子位に定めるこ とにも何ら問題はないというのである。 このような善月の解釈に近い記述は、法照﹃法華三大部 読 教 記﹄ 巻 五 26 に お い て も、 ﹁⋮⋮ 曰、 豎 別 約 レ 位 也。 横 通 約 レ 観 也。 断 惑 入 位 与 レ 空 相 応。 雖 レ 二 七 信 一、 観 心 豁 解、 持 因 レ 静 発。 不 レ 隔 二 心 一。﹂ と 確 認 す る こ と が で き る。 ま た、 同 書 同 巻 に は、 ﹁或 云、 大 師 正 是 五 品 即 十 信。 故 得 二 陀 羅 尼 一。 此 又、 妨 下 別 伝 吾 不 レ 領 レ 衆、 必 浄 二 六 根 一、 以 二 損 レ 益 一レ 佗、 但 位 居 二 五 品 一 之 文 上。﹂ と い う 記 述 も 見 え、 智 顗 が 十 信 位 に も 入っていたという見解を持つ者が、法照の当時において少な からず存在したことを窺わせるのである。

小結

上 述 の よ う に、 ﹁判 摂 の 五 品﹂ の 観 点 か ら、 智 顗 の 証 位 に 十信位も含めようとする試みは、北宋時代の従義の文献に認 め る こ と が で き た。 ま た、 梁 粛 の﹁等 覚 歟、 妙 覚 歟。 ﹂ と い う智顗の証位に関する記述は、すでに曇照の﹃智者大師別伝 ﹄に引かれ、この記述が、智顗の証位を五品弟子位に限定 することに懐疑的な曇照の見解を扶けていたのである。 南宋時代の善月と法照の文献にも、智顗が十信位に入って いた可能性に言及する箇所が見られ、当時において、智顗の 証位に十信位を含めようとする者が存在したことを示唆して いる。善月に限って言えば、本地の証位を等覚や妙覚とまで 言 う の で あ り、 梁 粛 の 思 想 の 影 響 が 考 え ら れ る。 志 磐 の 説 は、 こうした宋代天台の状況の中で醸成されたのであろう。 1   大 正 五 〇・ 一 九 二 頁 上。     2   大 正 五 〇・ 一 九 六 頁 中。     3   大 正 三 三・ 七 三 五 頁 中。     4   大 正 三 三・ 八 九 〇 頁 下。     5   大 正 四 九・ 一 八 一 頁 中 下。     6   伝 全 一・ 二 二 五∼ 二 二 六 頁。     7   ﹃伝 教 大 師 将 来 目 録﹄ 伝 全 四・ 三 五 七 頁。     8   池 二 〇 〇 六 参 照。     9   張 堂 二 〇 一 五 参 照。     10   例 え ば、 守 脱 述﹃法 華 玄 義 釈 籤 講 述﹄

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二四六 智顗の証位をめぐる宋代天台諸師の解釈︵久保田︶ 巻 五 上︵仏 教 大 系﹃法 華 玄 義﹄ 三・ 四 三 二 頁︶ で は、 志 磐 の 説 が 異 説 と さ れ る。     11   ﹁判 摂 の 五 品﹂ に つ い て は、 佐 藤 哲 英 ﹃続・ 天 台 大 師 の 研 究﹄ ︵四 二 八∼ 四 三 五 頁︶ 、 大 久 保 良 峻﹃台 密 教 学 の 研 究﹄ ︵一 九 九∼ 二 〇 五 頁︶ 、 張 堂 氏 前 掲 論 文 等 、 参 照 。     12   大 正 四 六 ・ 九 九 頁 上 。     13   大 正 三 四 ・ 一三八 頁 中。     14   大 正 三 四・ 三 四 五 頁 下。     15   続 蔵 一 ︱ 四 四・ 一 五 〇 丁 左 下。     16   大 正 四 六・ 八 一 〇 頁 下。     17   続 蔵 二 ︱ 四・ 三 三 七 丁 右 上。 こ の 記 述 は、 ﹃止 観 輔 行 伝 弘 決﹄ 巻 五 之 四︵大 正 四 六・ 三 〇 三 頁 中︶ の﹁相 似 聖 師﹂ の 語 に 付 さ れ た 従 義 に よ る で あ る。     18   仏 教 大 系﹃四 教 儀 集 ﹄ 二・ 四 五 二∼ 四 五 三 頁。 元 粋︵︱ 一 二 六 九︶ 述﹃天 台 四 教 儀 備 釈﹄ 巻 下︵続 蔵 二 ︱ 七・ 一 〇 〇 丁 左 下︶ に は、 よ り 簡 略 な 記 述 が あ る。     19   大 正 四 九・ 二 四 六 頁 下。     20   続 蔵 二 乙 ︱ 七・ 三 一 一 丁 左 下。 ﹃釈 門 正 統﹄ 巻 一︵続 蔵 二 乙 ︱ 三・ 三 六 九 丁 右 上︶ に も 類 似 し た 記 述 が あ る。 同 書 は、 呉 克 己 ︵一 一 四 〇 ︱ 一 二 一 四︶ の 原 稿 を、 宗 鑑︵生 没 年 不 詳︶ が 一 二 三 七 年 に 編 集 し た も の で あ る。 ま た、 癡 空 著﹃止 観 輔 行 講 義﹄ 巻 一︵仏 教 大 系﹃摩 訶 止 観﹄ 一・ 六 五 頁︶ に は、 ﹁十 信 為 二 方便 一、五品為 二前方便 一。﹂ とある。     21   ﹃台宗二百題補助記﹄ 巻 下︵台 宗 書 堂 版、 二 五 丁 右︶ の﹁大 蘇 開 悟﹂ の 項 に は、 典 拠 と して ﹃仏祖統紀﹄ ︵前出、 5︶ と併せて ﹁別伝注﹂ と記されてい る。     22   ﹃台宗二百題﹄ ︵古宇田亮宣編﹃ 訳 和 台 宗 論 義 二 百 題 ﹄ 隆 文 館、 一 九 六 六 年、 五 七 九∼ 五 八 一 頁︶ の﹁大 蘇 開 悟﹂ の 項 で は、 善 月 説︵後 引、 25 を 模 範 と し て 示 し、 癡 空 著﹃法 華 玄 義 釈 籤 講 義﹄ 巻 五︵仏 教 大 系﹃法 華 玄 義﹄ 三・ 四 三 〇 頁︶ や 守 脱 述 ﹃法 華 玄 義 釈 籤 講 述﹄ 巻 五 上︵同 三・ 四 三 二∼ 四 三 三 頁︶ で は、 善 月 や 法 照 の 説 を、 模 範 的 な 説 と し て 扱 う。 ま た、 守 脱 は 同 書 巻 三 上︵同 二・ 三 七 三∼ 三 七 四 頁︶ で は、 ﹁判 摂 の 五 品﹂ の 観 点 か ら 智 顗 の 証 位 を 十 信 位 と す る こ と に つ い て、 そ の 考 え を 認 め て い な い。     23   続 蔵 二 ︱ 六・ 二 七 六 丁 左 下∼ 二 七 七 丁 右 上。 な お、 守 脱 述﹃法 華 玄 義 釈 籤 講 述﹄ 巻 三 下︵仏 教 大 系﹃法 華 玄 義﹄ 二・ 四 七 五 頁︶ に は、 ﹁又、 大 師 行 位、 有 レ 有 レ迹。 本 固 等 妙 相 隣 之 人 也。 ﹂ と い う 守 脱 の 見 解 が あ る。     24   大 正 三 九・ 一 一 五 頁 上 中。     25   続 蔵 二 ︱ 六・ 二 七 七 丁 右 上 下。     26   続蔵二︱六・三四四丁左上下。 ︿参考文献﹀ 佐藤哲英﹃続・天台大師の研究﹄百華苑、一九八一 大久保良峻﹃台密教学の研究﹄法蔵館、二〇〇四 池 麗 梅﹁梁 粛 台 州 隋 故 智 者 大 師 修 禅 道 場 碑 研 究 序 説﹂ ﹃南 都仏教﹄第八八号、二〇〇六 張 堂 興 昭﹁大 蘇 開 悟 の 証 位 と判 摂 の 五 品 ︱︱ 最 澄 教 学 か ら の ア プ ロ ー チ ︱︱﹂ 大 久 保 良 峻 教 授 還 暦 記 念 論 集﹃天 台・ 真 言   諸宗論攷﹄山喜房佛書林、二〇一五 ︿キーワード﹀   智顗、志磐、大蘇開悟、初旋陀羅尼、判摂の五品 ︵立正大学非常勤講師/早稲田大学大学院︶

参照